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本のカフェ・ラテ 『知性は死なない』【1】

2019.11.12 Tuesday

第095号   2019年6月11日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼久々の「本のカフェ・ラテ」▼▼▼

久しぶりの「本のカフェ・ラテ」コーナーです。
一冊の本の私のEvernoteメモに、
私がコメントを連ねていくコーナー。

前回はチクセントミハイの、
『フロー体験 喜びの現象学』
を解説しました。

今回はインドにいる間に読んだ、
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』を解説します。
動画でも絶賛したのですが、
いつかカフェラテ形式で紹介したいと思っていたので、
今回、やることにしました。

與那覇潤という人は、
私の弟と同じ学年で、
しかも同じ年に東京大学に入学してるので、
「弟の大学の同級生」なんですよね。
東大は学生数が多いので、
弟に聞いても「知らない」って言ってましたが、
私は彼の『中国化する日本』という本を、
数年前に読んで感銘を受けていました。
同世代に凄い人がいるんだなぁ、
という認識でした。

3月に札幌に行ったとき、
ブックオフに立ち寄り、
たまたま目に「飛び込んできた」のがこの本でした。
重要な本の背表紙が、「目に飛び込んでくる」
ということって、何年かに一度経験します。
「本読み」にとって至福の経験のひとつです。

そんで、ブックオフでぱらぱらとページをめくって驚いた。
彼は鬱病を患い、
休職の後、務めていた大学を退職し、
この本は復帰第一作だということを知ったのです。
それで、ブックオフで買ったというわけ。
そして、インドで「半日、人を待つ」という、
けっこう頻繁に訪れる待ち時間に、
一気に読んだのがこの本です。

與那覇さんは私と約1年遅れて、
だいたい私と同じ期間、闘病しています。
そして彼がその闘病の中で発見したものというのが、
私が闘病を通して発見したものと、
とてもよく似ていたのに驚きました。

それでは早速、
カフェラテ形式で解説していきます。


▼▼▼『知性は死なない 平成の鬱をこえて』

読了した日:2019年4月13日
読んだ方法:札幌のブックオフで購入(889円)

著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋

リンク:
https://amzn.to/2U6o988

▼▼▼とびらの言葉:パスカルのパンセから

→P6 
〈人間は否応なしに狂っているので、
狂わずにいることが、
他の狂気の在り方からすれば狂っていることになる。
私は、人間をほめると決めた人たちも、
人間を非難すると決めた人たちも、
気を紛らすと決めた人たちも、みな等しく咎める。
私が認めることの出来るのは、
うめきながら探し求める人々だけだ。〉


、、、本の「とびら」に、
過去の作家のことばがアーカイブされているのって、
好きなんですよね。
あと、映画の冒頭で、
歴史上の人物の「名言」がテロップで出る、
というのも好きです。

あまりにもあざといと鼻につきますが、
その「冒頭の引用」が、
本を読み進め、映画を後半まで観ると、
「ああ、つまりあの言葉はこういう意味だったのか」
という「再定義」されるような構成になっていると、
なんとも言えないカタルシスを私は味わいます。

本書の冒頭にも、
かのパスカルの引用があります。
パスカルのパンセは以前読んだことがあります。
読むと分かるんですが、
あの本って、数学者のパスカルが、
他者をキリスト教徒にしようとして書いた、
「伝道のためのハンドブック」みたいなものなんですよね。

「人間は考える葦である」
というあまりにも有名なフレーズは、
この『パンセ』に出てきます。

2016年の私の読書メモに、
『パンセ』からこんな言葉が書き出されていました。

→P112 
〈この世のむなしさを悟らない人は、
 その人自身がまさにむなしいのだ。〉

冒頭の言葉とよく似た趣旨ですね。

〈私は、人間をほめると決めた人たちも、
人間を非難すると決めた人たちも、
気を紛らすと決めた人たちも、みな等しく咎める。
私が認めることの出来るのは、
うめきながら探し求める人々だけだ。〉

とパスカルは言っています。
楽観主義者=オプティミストも、
悲観論者=ペシミストも、
享楽主義者=ヒードゥニストも、
パスカルは認めない、と言っているのです。
この世の中を肯定するのも、
否定するのも、
肯定も否定もせず、
「とにかく楽しむ」のも、
全部現実から逃げてるだけだ、と。

パスカルが認めるのは、
「うめきながら探し求める人々」だけだと彼は言います。
本書を読むと分かりますが、
與那覇潤さんにとって鬱病になった体験というのは、
「うめきながら探し求める旅路」だったというのが分かります。
私にとっても、まったくもってそうでした。
100%同意します。


▼▼▼與那覇潤の「平成とは?」

→P8 
〈それでは「平成時代」とは、
どんな時代として振り返られるのでしょうか。
ひとことでいえば、「戦後日本の長い黄昏」
ということになるのではないかと、私は思います。
この30年間に、戦後日本の個性とされたあらゆる特徴が、
限界を露呈し、あるいは批判にさらされ、
自明のものではなくなりました。

・海外への派兵を禁じているとされた、平和憲法の理想
・けっしてゆらぐことはないといわれた、自民党の単独一党支配
・つねに右肩上がりだと信じられてきた、経済成長
・いちど正社員になれば安泰だと思われた、日本型雇用慣行
・その地位は盤石のはずだった、「アジアの最先進国」という誇り

平成の幕引きを担おうとする安倍晋三首相は、
「戦後レジームからの脱却」が持論で、
憲法改正の発議を目標としています。
その成否や賛否は、しばらくおきましょう。

すくなくとも平成という時代が、
戦後日本に対する再検討と共にあり、
最後の総仕上げとしての改憲問題を積み残しつつ、
閉じられようとしていることについては、
多くの読者の同意を得られるものと思います。〉


、、、本書タイトルからも分かるように、
本書のユニークさは、
うつ病体験というきわめて個人的な出来事を補助線にして、
「平成とはなんだったのか?」という、
きわめて普遍的な社会的問題に取り組もうとしているところです。

與那覇さんは平成とは、
「戦後日本の長い黄昏」だったと分析します。
「戦後日本」という「神話」が、
制度疲労を起こしているのが顕在化したのが、
平成という時代だったのだ、
と彼は言っています。

終身雇用制、
右肩上がりの経済成長、
自民党の一極支配、
官民複合型の護送船団方式、
「平和憲法」の自明性、
アジアの最先進国、という地位

これらが自明でなくなったのが、
平成という時代でした。

最近私は衝撃の統計データを見ました。
デイヴィッド・アトキンソンの著作のなかに、
「最低賃金」の各国比較が載せられているのですが、
日本の最低賃金は今や台湾より下です。
「アジアの一等国」というのは、
90年代までの話しであり、
その感覚をいまだに引きずっているのは、
時代錯誤もはなはだしい。

日本はもはや、
よく言って「普通の国」、
悪くすれば「二流国に足を踏み入れている」
というのがデータが物語る現実です。

「世界が驚いた凄いニッポン」
などという番組やコンテンツや書籍で、
「文化的自慰行為」にふけるというのは、
二流国からなんとかして這い上がるための、
ガッツを与えてくれません。
逆に「自国中心主義に引きこもる三流国」に、
スベり落ちる現象ですので、
みなさん、注意が必要です。
ああいったものから遠ざかりましょう。

話しがそれました。
世間にはあらゆる分野において、
「90年代のまま時計が止まっている人」が多いのですが、
それは「平成の黄昏」を、
しっかりと咀嚼していない証拠です。

話しを先に進めましょう。


▼▼▼本書の性格・闘病体験ではなく、
自身の病気という内的危機を
日本の現状という外的危機と共鳴させようという試み

→P13〜14 
〈平成の30年間に知識人が試みたのは、
戦後という「パンドラの箱」の封印を解くことでもありました。
たとえば憲法や軍事に関しては、
かつてよりもタブーが少なく議論できるようになり、
一般国民を先の大戦における軍国主義の
「犠牲者・被害者」と位置づけてきた昭和の自画像にも、
するどいメスが入れられました。

しかし、その開けてしまった箱の中に、
いまもまだ希望は残っているでしょか。
もういちど日本が「戦争」にまきこまれるというかたちで、
「戦後」が完全に終わりを告げるのなら、
平成という長い黄昏の果てに待っていたのは、
夜であり闇であったということになるのでしょうか。

この本は、そういう平成の時代に自我を形成し、
ごく短い期間だけ学者(大学准教授)として
現実にコミットしようとした私の、
挫折と自己反省の手記です。

私もまた、学問に基づき
自身の望むところを社会で実現したいと願っていましたが、
かたちにできたことは、なにもありません。
そして、その過程で躁鬱病(双極性障害)という精神の病を患い、
教育・研究という任務を担うことが出来なくなったために、
大学を離職することにもなりました。

しかしながら、本書は決して、
目下の世の中に対する恨みごとや、
病気に伴う苦労をつづった「お涙頂戴」の書物ではありません。

当初は知識人の好機ともみられていた、
世界秩序の転換点でもある平成という時代に、
どうして「知性」は社会を変えられず、
むしろないがしろにされ敗北していったのか。

精神病という、
まさに知性そのものを蝕む病気と付き合いながら、私なりに
その理由をかつての自分自身に対する批判も含めて探った記録が、
本書になります。〉


、、、本書の性格は、
「カテゴライズ不能」です。
著者も言っているように、
「よくある闘病記」とはまったく性質が違う。
かといって「社会批評」の本でもない。

うつ病という、
「自らの知性そのものがダメージを受ける病気」によって、
著者の「世界観」が変わる事を通して、
「この平成とは何だったのか?」
という問いに対する、
新しい切り口を発見していく、
著者の魂の旅路を、
一緒に疑似的に旅する、
というような体験が、
本書を読んだ私の感想になります。



▼▼▼病によってナラティブが変わり、
「知性は移ろうがそれでも知性は死なない」ことを体験した著者。
病によって「近代とは別の物語を語る」
「世界観を語る」ことを体得した私とよく似ている。

→P14〜15 
〈知識人とされる人には往々にして
「世の中は移り変わるけれども、知性は変わらない」
という信仰があります。
知性を不動の価値基準として固定した上で、
目の前を移ろう諸現象の「問題点」や「限界」に筆誅を加える。
そうしたスタンスを取りがちなのです。

しかし知性の方こそが、
うつろいやすく限界付けられたものだとしたらどうか。
そのような観点に立たなければ、
日本のみならず世界的な、
知性の退潮を正しく分析できないのではないか。

いちどは知的能力そのものを完全に失い、
日常会話すら不自由になる体験をした私が、
そのような思考の転回を経験することで、
もういちどものごとを分析し語ることが出来るようになった。
その意味では本書もまた闘病記ではありますが、
それはけっして、読者の同情を惹くことが目的ではありません。

読んで下さる皆さんにお願いしたいのは、
本書を感情的に没入するための書物に、
してほしくないということ。
むしろ、ご自身がお持ちの知性を
「再起動」するためのきっかけにしてほしいと、
つよく願っています。

なぜなら、知性は移ろうかもしれないけれども、
病によってすら殺すことは出来ない。
知性は死なないのだから。〉


、、、東京大学を卒業し博士となり、
大学で教鞭をとり著作を執筆していた著者は、
あきらかに「知識人」です。
英語では「インテレクチュアル」といいます。

ところがこの「インテレクチュアル」は、
世界中で今、苦境に立たされています。
「彼らは人より物事を知っていて、
 人よりも物事を深く考えているのだから、
 きっと彼らの言うことには道理があるはずだ。
 もし彼らの言うことが分からないとしたら、
 こちらの基礎的な知識や理解力が不足しているだけだろう」
などと思ってくれる人は、
20世紀の後半から21世紀の初頭にかけて、
ビールの泡のように減っていき、
もはやそのように考える人はほとんどいません。

専門的な用語でこの現象を、
「反知性主義」と言います。
英語だとアンチ・インテレクチュアリズム。
そのままですね。

「知識などたいしたことはない。」
「大学の先生はバカばっかり」
「官僚は世の中を知らない」
「政治屋のいうことに騙されるな」
「御用学者に耳をふさげ」
「主要メディアは嘘ばかり」

こういった言説の方が今は人気があります。
まさに「反知性主義」という概念が、
人間のかたちに受肉したような存在である、
ドナルド・トランプが世界最強国のリーダーに選ばれた、
というのはまさしく象徴的なことです。

著者はそれでも、
「知性には世の中を変えていく可能性があるはず」
と、その可能性に賭けたのです。

しかし、著者自身の「知性」が、
病気によって蝕まれるという体験をしたことにより、
著者は違った風景を見るようになります。

「知性主義」の依って立つ前提は、
「知識(知性)は不変だ」
というものだ、とここで著者は言っています。
つまり、「天動説」なわけです。
「知性という地面」を堅く踏みしめていれば、
天の万象を正しく解釈し、説明できるはずだ、と。

ところがうつ病により、
「地が動く」経験をした。
「足下の地面が二つに裂け、
 そこに呑み込まれるような経験」を、
著者はしたのです。

私も同じ体験をしたから、
リアルに思い出されます。
「自分の立っていた足下が崩壊する」というその経験は、
控えめに言っても怖ろしいものです。
この経験をした後は、
この世の中の他のすべてのことが、
たいして怖くなくなるほどです。

その結果著者は、
「地動説」になったわけです。
そうならざるを得ない。
自分の知性がぐらぐらと揺れるわけですから。
「あれ、俺の前提は逆だったんじゃないか?」
と認めざるを得ないわけです。

堅い足場から天の万象を説明していたのではない。
自分自身の知性という足場は揺らぐのだ。
動いているのは自分のほうだ、と分かった。
それが分かると、不思議なことに気づいた。
知性というのは、それでもまだ「死なない」のだということに。
身を投げてこそ浮かぶ瀬があるように、
私たちの知性は絶対ではないと知ったとき、
はじめて「知性」に希望を持てるようになったのです。
「反知性主義という怪物」に、
立ち向かっていけるのはこういう知性です。

「動かぬ土台」に立って、
ドナルド・トランプとその支持者を、
「高所から」批判しても世の中は変わりません。
足下が揺らぐ世界で、
自分自身が揺らぎながら、
トランプを支持せざるを得ないほど追い込まれた人々と、
一緒にうめきながら探し求める(byパスカル)と決めたとき、
知性はまた「再起動」するのです。


▼▼▼うつ病と世界観

→P26 
〈うつ病を始めとする精神の病を患った人は、
どなたも自分自身の「世界観」が
打ち砕かれてしまう体験をされたと思います。
いままであたりまえに出来ていたことが、できない。
自分がずっと信じてきたものが、信じられない。〉


、、、うつ病の本質のひとつは、
この「世界観の崩壊」だと思います。
うつ病ってその「位相」によって、
レイヤーになっていると私は思います。

まず、生物学的な位相としては、
脳に器質的な変化が起きています。
セロトニンが関係しているらしい、
ということは分かってきていますが、
その全貌はまだ明らかになっていません。
ただし、間違いなく言えるのは、
うつ病は「気の持ちよう」で治るものではありません。
「気の持ちよう」でガンが消滅しないのと同じです。
なぜなら脳が器質的にダメージを受けているのは、
間違いない事実だからです。

次に、精神医学的な位相として、
うつ病は「意欲の低下」「希死念慮」、
「不安愁訴」「食欲の低下」などを引き起こします。
端的にいって24時間続く「絶望地獄」から出られなくなります。
真っ暗なコンタクトレンズを眼球に縫い付けたみたいな感じで、
何を見ても絶望しか感じなくなります。

最後に、実存的な位相として、
「世界観が崩壊」します。
「私にとって世界とはこういうものだ」
という安定が完全に崩壊するのです。
「世界は私が考えてきたものとは違う」
という、存在がバラバラになるような経験をします。
「自我」が散り散りになり、
この世の中にバラバラに漂うような、
主観的にはそのような状態になります。

このような人に、
「あなたはどう感じますか」
みたいな質問って実はナンセンスなのです。
「あなた」と言われても、
「破片となって散らばった自我の、
 いったいどの部分が自分なのかも分からない」
というのが多分本人の主観ですから。

闘病中、「あなたは、、、ですか?」
という質問を投げかけられたときに、
私はパニックになり髪の毛をかきむしり、
テーブルの下に隠れて震えたくなるぐらい怖くなりました。
今思い出せば、「わたし」がなくなってるので、
その質問が「自我の崩壊」を、
改めて突きつけるものだったからでしょう。


▼▼▼どこまで自分は何も出来なくなるのだろうという恐怖心と、
どこまで社会の底が抜けるのだろうという不安の共鳴

→P27〜28 
〈(自社さ連立政権のもとで
野党が自民党の憲法や安保に関する立場を受け入れていった
転回を思春期にみながら)違憲が合憲とか、
「なし」なものが「あり」とか、180度正反対じゃないか。
この調子でいったら、文字通り将来、
日本がどうなっていくかも「なんでもあり」じゃないのか。

現実に合わせて考え方を変えるのは、
そこまで悪くないのかもしれない。
だけど「ここまでは変わるけど、
これ以上は変わりません」として、
どこかにきちんと線を引かないと、
いつか困るんじゃないか
――特に政治的な生徒ではなかったと思いますが、
つづく高校時代の間、ずっとそんなことを考えていました。

いまにして思うと、
発病して以降に感じた
「どれだけ能力を失えば止まるのだろう」
「自分はどこまで、なにもできなくなっていくのだろう」
という恐怖心は、
この時の不安を濃縮して煮詰めたようなものでした。〉


、、、著者が高校生のころ、
それはつまり私が高校生のころ、ということですが、
自社さ連立政権のもと、
野党は自分たちが依拠していた平和憲法に対する確信を投げ出し、
自民党に寄り添うようになります。

昨日までAと言っていたものが、
今日はBとなる。
大人が「プリンシプル(原則)」を持っていない、
ということを子ども(や青少年)が知る、
というのはショックなことです。
それが、うつ病の、
「自分はどこまで何もできなくなっていくのだろう」
という不安と、とてもよく似ていた、
と與那覇さんは言っています。

古くは「墨塗りの教科書」というものがありました。
終戦までの日本では「愛国教育」が熱心になされていた。
「国民は天皇陛下の赤子だ!
 鬼畜米英!
 一億総玉砕!
 お国のために戦え!」
ということが教育されていた。
森友学園で有名になった「教育勅語」の精神ですね。

敗戦後、GHQの占領下になり、
「主権」を一時的に失った日本では、
GHQの指導の下、
「民主的な教育」を推進した。
教科書を全部つくり直すお金もなかったので、
当時の学校で何がなされたかというと、
今使っている教科書の、
「国家主義的な部分」に墨を塗った。

これをされた子どもたちは、
控えめに言っても「衝撃」を受けたことでしょう。
たとえば昨日まで、
「教育勅語の精神」を、
竹刀を持ってたたき込んできた先生がいたとします。
「政府や陸軍に疑問を持つなんて言語道断」で、
ちょっとでもダラダラすると、
「この売国奴がぁ、非国民がぁ!」
と言っていた教師がいたとしましょう。

この先生から、
その舌の根も乾かぬうちに、
「みなさん、今日からは民主主義の時代であります。
 国家主義の精神は間違っていました。
 天皇陛下は現人神だと思ってましたが、
 陛下もおっしゃっていた通り、
 あれは人間であります(キリッ)。
 アメリカなどの先進諸国を見ならい、
 マッカーサー閣下の公正たる指導のもと、
 自由と民主主義の精神で、
 明るく生きていきましょう!」
とさわやかな笑顔で言われても、
「はい、先生!」
とは飲み込めないわけですよ。

いやいやいやいや、、、。


、、、


、、、


いやいやいやいや、、、


ってなるでしょ。


青少年にとって、
「大人がプリンシプルを欠く」
というのは「世界の底が抜ける」ような体験なのです。
「じゃあ、何を信じればいいの?」
という風になってくる。

墨塗の教科書を体験した世代の代表的な人物に、
三浦綾子さんと養老孟司さんがいます。
三浦綾子さんは「生徒に墨を塗らせた側」です。
彼女はたしかまだ20歳未満だったけれど、
敗戦のとき、「教師」だったのです。

GHQ→文部省というルートで下りてきた
「教科書に墨を塗る」という指示に、
従わざるを得ないわけですが、
まだ若かった三浦綾子さんはまさに、
「世界の底が抜ける」経験をしました。

その経験が彼女を後にキリスト教信仰に導きます。
「この世界の底が抜けた」とき、
「この世界を超えた真理」を求める心が、
彼女の中に生まれたのです。
「道ありき」に書いてあります。

養老孟司さんは当時たしか小学生でした。
あの出来事は80歳になっても忘れられない、
と養老さんは言っています。
あの経験によって彼は、
「徹底的にすべてを疑う」ようになった。
特に「ことば」を疑うようになった。
では何が信じられるか?
「もの」ならば信じられる。
それで彼は解剖学者になったのだ、
と著書に書いています。

大人がプリンシプルを欠くとき、
子どもは「世界の底が抜け」ます。
與那覇さんは自社さ連立政権のとき、
大人がプリンシプルを欠くのを見て、
衝撃を受けました。
その「世界の底の抜け方」と、
うつ病になったときに、
できていたことがひとつずつ出来なくなる、
という「世界の底の抜け方」が、
似ていることに気づいた、とここで指摘しています。
私の経験もまったくそれを裏付けるものです。

、、、さて。

昨今の森友・加計学園問題、
日大ラグビー部のタックル問題、
少し古いですが、
「都議会の『オマエが産め』という野次問題」
などに共通するのは、
「プリンシプルのなさ」です。

大人が、「言った」「言わない」
の水掛け論をしている。
確かに記録が残っているはずのことを、
悪びれることもなく大人が、
「言ったことがない」と言う。
あったはずの記録が「破棄」されている。
都議会の野次問題に関しては、
衝撃的な結末を迎えます。
確かに録音され、
国民全員が視聴可能なはずの、
「声の主」が、「確認されなかった」のです。
心霊現象でなければ、
誰かが言ったはずなのに、
「だれも言っていないことになった」のです。

まさに「世界の底が抜ける」出来事です。
この数年、「謝ったら負け」
「謝らないほうが得」という処世術を、
政治家が身に着けるようになってから、
この理不尽な風潮は続いている。
公正な社会を望む私は憤慨するわけですが、
もっと心配なのは、これを見て育つ子どもたちへの影響です。
彼らはこのような報道を見るときに、
「大人のプリンシプルのなさ」を、
「プリンシプル」という単語を知らなくても、
敏感に、しかも驚くほど正確にキャッチします。

彼らは「底の抜けた世界」で生きることになります。
それが彼らの「世界はフェアである」という前提を傷つけます。
「世界はフェアである」という前提は、
彼らが希望を持つための条件です。

養老さんや三浦綾子さんは例外的に優秀なので、
そのトラウマ体験をプラスに転じましたが、
普通の子どもたちが、
モリカケ問題のような報道に接しながら大人になったとき、
「正直であることの価値」
「真正面から努力することの意味」
「この世界に対する希望」を、
果たして持っていられるんだろうか、、、
という、数十年単位の不安を私は覚えるのです。

次に行きましょう。


▼▼▼気分の落ち込みは「能力の低下」の結果である。
脳にサランラップがまかれる、、、

→P58〜60 
〈しかし私は病気を経験して、
意欲や気持ちの問題に特化したうつ病の語られ方には、
非常に大きな副作用があると感じるようになりました。
病気の内実を「気持ちの問題」に還元することは、
「結局は気の持ちようじゃないか。やる気次第じゃないか」
「だれだって、
朝からラッシュの電車に揺られて会社になんて行きたくない。
それでもみんな頑張ってるじゃないか」といった、
病者に対する周囲のネガティヴな感情を、
かえってあおる結果につながったと思うからです。

意欲の低下は病気の主症状と言うよりは、
結果だと感じています。
うつ病に伴って発生する能力の低下のことを、
医学的には精神運動障害(PMD, Psycho-Motor Disturbance)と呼びます。
具体的には、他人と会話している際に
反応するスピードが落ちたり(動作の緩慢化)、
じっと座っていられず
そわそわしておなじ話しを繰り返したり(集中力の喪失)、
健康時にはすらすら喋れた言葉が口から出てこなくなったり、
そもそも頭に浮かばなくなったりします(思考の鈍化)。

結果として回復した後ですら、
記憶に欠落が生じることもあります。
私自身、病気をする前には愛読書だったにもかかわらず、
内容を思い出せない本がいくつもありますし、
おなじ病気の知人にも、奥さんと一緒に旅行に行ったことすら、
完全に脳内から記憶が落ちてしまい、
思い出すことが出来ないと打ち明けてくれた方もいます。
 (中略)
じっさい、そもそもこの検査入院の際には、
「いつから苦しんでいますか」
「いまどんな状態ですか」といった標準的な質問にも、
「あー、うー」のようなことばならざることばでしか、
答えられないようになっていました。

治療入院中に知り合った友人は、
この精神運動障害のさまを
「脳にサランラップをかけられたようだ」と表現しましたが、
おなじ体験をしたものとして、
ほんとうに卓抜な比喩だと思います。〉


、、、この本の面白いのは、
「お涙頂戴の闘病記ではない」と、
宣言しておきながら、
下手な闘病記よりも、
病気に対する知識や理解が深まるという、
その情報密度です。

これも著者がもともと持っている、
卓抜した言語操作能力のなせるわざなのでしょう。
自分を突き放し、客体的に、
「鬱になった自分」というものを分析し、
自己解剖し、そして言語化することに成功している。
こういう当事者のテキストは本当に少ないので、
それだけでも読む価値があります。

さて。

ここで著者が語っているのは、
世間における鬱の理解のされ方に、
「気分の落ち込み・意欲の低下」
といったステレオタイプの理解があり、
それらが弊害をもたらしているのではないか、
ということです。

そういった理解というのは、
「つまり気の持ちようなんだから、
 甘えてるんじゃない。
 みんな辛いのに頑張ってる。
 オマエも頑張れるはずだ」
という、完全にスベった励ましをする人を生み出し、
そしてそういうスベった励ましというのは、
鬱の当事者からすると、
骨折した部分をさらに殴られるとか、
「腸捻転は思い切り踏ん張れば元に戻る」
みたいな処方箋に近く、
「当事者がいない場所で放言する」のはまぁ自由ですが、
医学的にはまったく役に立たないどころか、
患者を死に至らしめるほどに危険なわけです。

與那覇さんは、「意欲の低下」というのは、
鬱の「症状」ではなく「結果」なのでは?
と分析しています。
つまり、意欲が低下したから、
仕事だとかいろんなことができなくなるのではない。

まず、脳の器質的ダメージにより、
最初にいろんなことができなくなる。

話せなくなる。
思考できなくなる。
考えられなくなる。
記憶できなくなる。
身体が言うことをきかなくなる。

それが続いた結果、
「意志ややる気」が、
完全に折れてしまう。
そういったプロセスだと理解したほうが良いのでは?
と言っているわけです。
「脳にサランラップがまかれた状態」
といういうのは本当に秀逸な表現です。

私自身も鬱病闘病当時のことを思い出すと、
ゴーグルも酸素ボンベもつけず、
海の深いところで会話しているような、
そういう「感覚の鈍化」と共に回想するからです。
相手が話していることが、
遠く聞こえ、くぐもって聞こえます。
視界はつねにぼやけていてクリアに見えない。
記憶は混濁していて、
考えることも「強力な重力」によって、
「絶望や希死念慮」のほうに引っ張られます。
思考が羽ばたくことができない。
どうしてもできない。

身体が動かない。
思考が動かない。
感情が動かない。

心と頭と身体に、
重い重い鎖をつけて、
がんじがらめにされているような、
そんな状態が24時間続きます。

明らかに「気分の落ち込み」
という次元で語れるレベルではありません。
こういったことって、
経験した人にしか分からない感覚ですし、
経験しない方が絶対いいわけなので、
当事者とそれを取り巻く人の、
「意識の溝」はけっこう深いのです。

当事者は永遠に理解してもらえないし、
周囲の人は永遠に理解できない。

しかし、
與那覇さんのような言語能力を持つ人のことばによって、
その意識の溝が、ちょっとでも埋まる、
ということは起こりうるわけです。
うつ病になったことのない人が、
真摯に耳を傾け、
想像力を働かせ、
その辛さに思いをいたすことはできる。
そして、
「あぁ、きっと想像を絶するほど辛いんだろうなぁ。」
と思う。

それだけで、
当事者にとってどれだけ救いになるか。

「俺だって辛いのに頑張ってる。
 オマエも頑張れるはずだ」
みたいな水深1ミリの励ましよりも、
「無言の共感(の試み)」が、
どれだけ励ましを与えるか。

與那覇さん自身のことばではないですが、
脳にサランラップがまかれた状態。
本当に秀逸なたとえです。

、、、さて。

まだ3分の1も消化できてないですが、
文字数制限になりました。
この続きは、再来週以降にお送りします。
お楽しみに!

何が出来ないときストレスがたまる?

2019.11.11 Monday

第095号   2019年6月11日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼何ができないときストレスがたまる?▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!

▼忙しい日々が続いて何かができないとき、
何ができないときに最もストレスがたまりますか?
(例:読書、ジョギング、風呂に入るなど)


、、、そうですねぇ。
例によって、
「フランス人話法」で行きましょう。

「3つあります」
と言ってから考え始める、、、という。


▼▼▼筋トレ

筋トレをはじめて1年2ヶ月が経ちます。
身体の変化も体感しています。
筋トレには、
他のスポーツにはない中毒性があるんですよね、多分。

ジョギングだとこうはならない、
と思います。

ずっと自分の身体と対話している感じがあって、
具体的には365日身体のどこかが筋肉痛なんですよね。
なので、筋肉痛がどこにもないとさみしくなる。

それで、たとえば胸のトレーニングをした次の日、
胸に筋肉痛が来ると、
「昨日は刺激がしっかり入った」
という目安になります。
この筋肉痛は3〜4日続き、
パンプ感は5日ぐらい続きます。

部位にもよるのですが。

これをたとえば、
週に3回の分割法でやっていった場合、
常にどこかが筋肉痛のステージにあるわけです。

かつて獣医師として働いていた頃、
「細菌培養」というのをやるのですが、
インキュベーターという機械に、
細菌の種を蒔いた培地を入れ、
48時間のタイマーをセットします。
するとコロニーができる。

そのコロニーを「定性」するために、
いろんな試験用に、
さらにいろんな培地に「刺したり蒔いたり」して、
さらにインキュベーターのタイマーをセットし、、、
というのを、たとえば1週間に、
2〜3サイクル、違う菌種でやったりします。

「常に何かを待っている状態」。

これが筋トレです。

、、、


、、、


うん。


まったく伝わってないね。

とにかく、筋トレは、
火のついたタバコで次のタバコに火を付ける
「チェーンスモーク」と同じで、
数珠つなぎに連なっていく。

それが「途切れる」のが、
なんとも気持ち悪いんですよね。
こういった感覚というのは、
他のスポーツでは味わったことがありません。


▼▼▼読書

次は読書ですね。
これは私の場合、
「活字中毒」というレベルを超えていて、
本を読むことは息を吸って吐くのと同じなので、
本を読まずにいることは不可能です。

歯を磨かないと気持ち悪いのと同じレベルで、
本を読まないと気持ち悪い。
歯を磨かなくても本を読まなくても、
とりあえず生きては行けるわけですが、
なんとも心地が悪くなる。

でも、なんだかんだ忙しかったりして、
一週間ぐらいそういえば本読んでない、
というようなことも、
数年に一度は訪れます。

それは筋トレとは違い、
特に不安を引き起こしません。
禁断症状もない。

逆に、7日ぶりに、
読んでいた本の続きを読むと、
なんか新しい視点を獲得していたりして、
読む力が上がったんじゃないかと錯覚することもある笑。

ただ、さみしくはなりますね。

私は極度に内向的な人間で、
私の「外向性」は実は、
「内的な対話」に振り分けられている。

最近はそう思います。

私はうつ病を患ってからは特に、
「基本的に、なるべく人と知り合わない」
をモットーに生きています。
なるべく人と会話したくない笑。

疲れるから。

私にとって初対面の人との30分の対話は、
読書ならば3冊分ぐらいの疲労をもたらします。
だったら3冊読んだ方が良いな、っていうね笑。
人生は短いのです。
あれもこれもできません。

、、、話しを戻しますと、
私は「外向性」がないのではなく、
外向性が内的対話に振り分けられている。

たとえば外交的な性格のひとが、
1週間に10人の人と濃密な関わりをし、
1冊の本を読了したとしましょう。

私は多分この人と逆なのです。
1週間に1人の人と濃密な交わりが限界で、
10冊の本を読了できる。

私はこのとき、
10人の著者と濃密な対話をずっとしているわけです。
外側からはそう見えないけど、
私の中では活発な会話が繰り広げられている。
私は「内的なパリピ」なのです。

自分のこういった性向は、
現在の世の中で不利に働くことの方が多いですが、
途中で諦めました。
生まれついたものを変える努力は、
時に自分を壊してしまうことを知ってから。

だから今はこの性向を喜び、
これをなんとか活かしていこう、
という方向で考えています。
メルマガ配信を始めたのも、
その「吹っ切れ」がもたらしました。

、、、というわけなので、
「本を読まないとさみしい」とはそういうことです。
「内的パリピ」にとって、
「本を読めないほど外交的な1週間」は、
「内面において孤独な1週間」なので。



▼▼▼料理

、、、最後は料理かなぁ。
結婚してから、ずいぶん回数は減りましたが、
やはり料理は私のストレス解消のひとつです。
「料理をする」という行為が、
なんか「生きることの凝縮」という気がします。
材料を切って、
段取りを決めて、
それらに火を入れて、
食べて、お皿を洗って、、、
という一連の行為は、
読書とは違うかたちで、
前頭葉の全体をひろく使っている感じがするんですよね。
「脳の凝りがほぐれる」感じがあります。

出来合いのモノを食べ続けていると、
「健康に悪い」とかそういうのは、
実はあまり私はこだわりがないんですよ。
オーガニックなフードを食べましょう、
みたいな健康思想は持ってません。

でも、「コンビニフードを食べ続ける」と、
なんか、「脳が死んでいく」感じがします。
人工甘味料や不飽和脂肪酸による、
脳のダメージとかそういうんじゃなく、
手を動かしていない事による、
前頭前野の鈍化、っていうような、、。
手(身体)を動かすことって、大切ですね。
エクササイズとか筋トレもそうですが、
「日常生活や仕事の中で身体を使う」というのが、
とっても大切だと思います。

頭脳労働をしている人にとっては、
仕事の中の身体性が限定されるので、
生活の中の身体性の重要度がより高くなる。
このあたり、気をつけねばと思います。

年取って、「毎日テレビの前で8時間」
とか、なりたくないですから。

陣内が先週観た映画 2019年5月 『ヘレディタリー 継承』他

2019.11.05 Tuesday

第094号   2019年6月4日配信号

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■2 陣内が先月観た映画 2019年5月

月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。

タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。

5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。

もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。

観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。

世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。

「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。

「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。

時短は正義(!)ですから笑。

「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。

*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●風の外側

鑑賞した日:2019年5月1日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:奥田瑛二
主演:安藤サクラ
公開年・国:2007年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2PnQy90

▼140文字ブリーフィング:

ストーリーが散漫かつ強引で、
いまいち、乗れなかったですね。
奥田瑛二とその奥さんの安藤和津と、
娘の安藤サクラが出演していて、
奥田瑛二が監督しています。
「家族映画」ですね笑。
舞台の長崎の風景は良かったです。
(101文字)



●レディ・バード

鑑賞した日:2019年5月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:グレター・ガーウィグ
主演:アシーシャ・ローナン
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2V4eu7A

▼140文字ブリーフィング:

思いの外面白かったです。
アメリカの女子校生の話しなのですが、
「ピアプレッシャー」の感じとか、
「親に反抗することでしか自我を確立できないもどかしさ」とか、
「本当は『クラスの二軍』だが、
イケてるグループと背伸びいて付き合う痛々しさ」など、
日本人にもよく分かる普遍的な、
「十代ならではの生乾き感」が上手に描かれていて面白かった。
主人公は「何もないサクラメント」を嫌い、
「何でもあるニューヨーク」に憧れます。
「所帯じみた母親」が嫌いで、
「何にでもなれる自分の無限の可能性」を信じます。
紙を赤く染め、親がつけた名前を嫌い、
自分のことを「レディ・バード」と呼んで、
と周囲に要求するイタさ加減。

日本だと、「自分は椎名林檎だ」と信じて疑わない、
凡庸な才能の女子校生や女子大生みたいな感じでしょうか。
ゴスロリとか着ちゃって、
下北沢とかに住んじゃう感じの。

周囲はしかし、
「化けの皮の下の凡庸さ」に気づいている。
周囲が気づいていることに、
自分だけが気づいていない。
そういう「痛々しさ」を主人公は持っています。

彼女はワガママを押し通しニューヨークに行くのですが、
そこで知るのはサクラメントの美しさと、
母親の偉大さでした、、、。

という、けっこう古典的な、
「母と娘の胸が熱くなる話し」に着地します。
だれが言ったか忘れましたが笑、
この映画のなかに登場する、
「お金は人生の成績表じゃない」というセリフは、
心に残っています。
(589文字)



●しゃぼん玉

鑑賞した日:2019年5月3日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:東伸児(あずま・しんじ)
主演:林遣都(はやし・けんと)、市原悦子
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2DE8qrn

▼140文字ブリーフィング:

今は亡き市原悦子の「遺作」となった映画です。
市原悦子の演技も凄いですが、
主役の林遣都が良かった。
「すごい俳優が出てきたな」と思いました。
ストーリーは、正直、私はいまいち乗れませんでした。
「教育テレビ的な良い話し」に落とすのですが、
いや、そんないい話じゃねぇよ、っというね。
「きれいごと」感がどうしても拭いきれない。

あとこの映画、
ずっとご飯がおいしそうな映画なんですよね。
映画の「フード理論」っていうのを言ってる人がいて、
映画のなかで「ご飯をおいしそうに食べる人」が出てきたら、
その人は善良な人だという「記号」なのだそうです。
あと、宮崎の風景が非常にきれいな映画でもあります。
(287文字)



●ナイト・アンド・デイ

鑑賞した日:2019年5月6日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:ジェームズ・マンゴールド
主演:トム・クルーズ、キャメロン・ディアス
公開年・国:2010年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2IP8sB6

▼140文字ブリーフィング:

公開当時評判の良い映画だったと記憶していたので見ました。
たしかに「ハリウッド的傑作」かもしれないが、
私はまったく面白くなかったです笑。
「陣内の映画評がいつも不満」なひとは、
絶対に面白いと思うだろう作品です笑。
(104文字)



●君の膵臓をたべたい

鑑賞した日:2019年5月7日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:月川翔
主演:浜辺美波、北村匠海
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2V8WkRW

▼140文字ブリーフィング:

実は原作小説をKindleで買ってて、
インドにいるときに読了しました。
近くレビューします。

で、その映画化ですが、
Amazonの評価が異常に高いので興味を持って見ました。

自分の感覚を疑いたくなるぐらい、
私はまったく面白くなかったです(爆死)。
こういう「世間と自分の評価が逆」が続くと、
自分の方がおかしいのでは?
と思えてきます。
実際おかしいのでしょう笑。

でも、もう一度言いますが、
まったく面白くなかったです(即死)。

小説のほうがまだ良かった。
大事な「泣けるしかけ」みたいなのが、
小説にはあります。
(私は泣きませんでしたが)。

それが映画では大胆にカットされていて、
「そここそが小説のキモだろうがぁ!」
と、1ミリぐらい怒りました。
そもそも思い入れがないので、
怒りも小さいのだけど笑。

エンディングで流れる、
ミスチルの「himawari」だけは良いです。
映画のテーマと合っていて。
邦画のテーマ曲は今後、
全部ミスチルで良いんじゃないでしょうか(暴論)。
(417文字)



●ヘレディタリー

鑑賞した日:2019年5月8日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)

監督:アリ・アリスター
主演:トニー・コレット
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2Y0AQ6Z

▼140文字ブリーフィング:

私の私淑する映画評論家・ラッパーの宇多丸氏が、
2018年映画ランキングで、
この映画を1位にしていたので、
「そりゃ見るっしょ」ということで、
休日に観賞しました。

「ホラー映画の新たな金字塔が出来た」
と宇多丸氏は評価していましたがその評価は正統です。

度肝を抜かれましたね。
見終わった後に最悪な気分になります(褒め言葉)。

どことなくM・ナイト・シャマランの作品のような不条理性が漂います。
過去のホラー映画でやられてきた技法を備えつつ、
自分のものとして昇華し、それを一歩前に進めている感じ。
この映画の主人公(ヤバい娘を持つ母親)は、
ジオラマを作って売ることを職業にしています。
「ジオラマ作家」なのですが、
彼女はそれをすることによって、
「自分を癒そうとしている」ことが、
だんだんと分かってきます。
それは彼女の死んだ母の異常性と関係しているのですが、
まさにこれが「箱庭セラピー」です。

「ホラー映画」というのは、
「現実世界の比喩」です。
ホラー映画に登場する「この世ならぬもの」は、
この世の苦痛やスティグマや不条理やトラウマを、
比喩として具現化したものなのです。
ゾンビ映画のゾンビもそうです。
これは映画のシナリオを学んだ人なら、
常識的に知っていることだと、
町山智宏さんが言ってました(受け売り)。

、、、で、
実はこの映画自体が、
監督自身のセラピーでもある、
と監督が告白しているそうです。

具体的な内容までは言明していませんが、
アリスター監督は「自分の家族にまつわるある『トラウマ』」を、
この映画を撮影することで「昇華」させようとしたわけです。
この映画自体が「箱庭セラピーの箱庭」になっている。

そういう入れ子構造になっている作品です。

あんまり面白いんで2回見ました。
めちゃくちゃ良く出来た脚本です。
すべてのシーンに意味があり、
張り巡らされたすべての伏線が回収され、
最後は最低で最高のカタルシスを迎える。

素晴らしい映画でした。

まぁ、アマゾンレビューは低いんですけど笑。
やはり私は世間とソリが合わないみたいです。
(842文字)



●未来を花束にして

鑑賞した日:2019年5月13日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:サラ・ガヴロン
主演:キャリー・マリガン
公開年・国:2017年(イギリス)
リンク:
https://bre.is/_6RTqL4Xh

▼140文字ブリーフィング:

イギリスにおける、
女性の投票権獲得運動に身を投じた女性たちの話しです。
現代世界で女性に参政権がない社会といういうのは、
「まったくもって常軌を逸した社会」ですが、
比較的早かったイギリスにおいてすら、
女性参政権が認められたのは、
案外最近のことで、1918年です。
日本はちなみに1945年になってからです。

当時の(言うまでもなく全員が男性の)議会は、
女性の参政権や養育権に関する法律を握りつぶそうとします。
それに対して女性参政権を認めさせるための女性活動家たちは、
ロンドンの街で窓ガラスを割ったり、
(法律で禁止されていた!)集会・結社を作ったりして、
議会に対抗します。
(憲法に「集会・結社の自由」が書かれていることの重要性!)

映画を観れば分かりますが、
彼女らは今の定義で言うと「テロリスト」なんですよね。
現代世界では、
「テロを絶対悪」とする風潮がありますが、
実はそれって、
「ステイタス・クオ(現状の既得権)」を、
絶対肯定することであり、
「社会発展の可能性を紡ぐ閉塞」
を意味するこなのですが、
それに人々が気づいてすらいないことが問題です。

私はテロを肯定しません。
しかし、「テロ」というかたちでしか、
変わってこなかった世の中の現実があるのも事実です。
女性参政権もしかり、
黒人の権利もしかり、
インドの独立運動もしかり。

実は、みんな忘れてますが、
江戸幕府を倒した薩長の明治政府も、
あれって「無血クーデター」であり、
広義にはテロリズムですから。
松下村塾なんて、
テロリスト養成学校みたいなもんですから笑。
だから吉田松陰は獄中で処刑されたんでしょ。
彼の処刑は「老中殺害計画」がバレたことが理由ですから。

、、、その薩長政府の系譜に連なる現在の自民党が、
「テロを絶対に封じ込める」
と言っているのは、
「自らの出自を知っているがゆえの同族嫌悪」
と考えるのは穿ち過ぎでしょうか?
「泥棒の家の施錠が一番厳重だ」みたいな話しで。

何が言いたいかというと、
テロを擁護するとかそういう話しではなく、
「テロは絶対悪」みたいなかたちで、
公権力の監視機能を強めていく方に、
国民が諸手を挙げて賛成し、
それにだれひとり違和感を覚えていないとしたら、
それは「ヤバい」んじゃないの?
ということです。

この映画、面白かった。
最後のエンドロールは特にズルい。
胸が熱くなっちゃいます。
(887文字)



●シリアスマン

鑑賞した日:2019年5月18日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(199円)

監督:コーエン兄弟
主演:マイケル・スタールバーグ
公開年・国:2009年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/ggvAFuvGW

▼140文字ブリーフィング:

『ファーゴ』『ノー・カントリー』などで知られる、
コーエン兄弟の作品です。
コーエン兄弟ってユダヤ人なんですよね。
この作品はコーエン兄弟の自伝的作品だそうです。

だから、アメリカに存在するユダヤ人コミュニティのことが、
この映画を観ると分かります。
ヘブライ語の学校の通ったり、
近所もユダヤ人なので、ユダヤ人の会堂で、
13歳の「ユダヤの成人式」には、
近所中のひとが集まったり、、、。

この映画は「あるユダヤコミュニティに住むお父さん」が主人公です。
お父さんは大学教授で、「真面目な人」です。
この「真面目な人」が、次々と不幸に遭う、という筋書き。

妻が不倫していて「離婚してくれ」と言います。
娘には無視され毛嫌いされます。
息子は父のクレジットカードで、
父に無断でロックバンドのCDを買っています。
隣の家に住む保守派のプロテスタント信者は、
猟銃で彼を殺すのではないかと言うぐらい、
(さしたる理由もなく)彼のことを憎んでいます。
学生から「採点が不公平だ」と訴訟されます。
テニュア(終身在籍権)の審査は、
この訴訟によって危うくなります。

この映画は、
「ただただ正しい人が、
 ただただ苦しむ話し」です。

何か聞き覚えがありますね?

そうです。

『ヨブ記』がこの映画のテーマなのです。
コーエン兄弟は「現代のヨブ記」として、
この映画を作っています。

「お父さん=現代のヨブ」は、
高名なユダヤ教のラビに、
「なぜ私はこんなに苦しんでいるのか?」
を聞きに行きます。

ラビは3人出てきます。
そうです。
ヨブの3人の友人です。

このお父さんが大学で教えているのは、
「量子論」だというのがまた面白い。
彼は授業で「不確定性原理」とか、
「シュレーティンガーの猫」を教えています。

(ユダヤ人の!)アインシュタインは、
量子物理学者のニールス・ボーアを批判し、
「神はサイコロを振らない」と言いました。
論理整合的な世界を固く信じていたアインシュタインには、
「確率が支配する世界観」は受け入れがたかったのです。
しかし歴史は(このトピックに関しては)、
ボーアに軍配を上げました。

因果応報が成り立たず、「意味」が崩壊し、
その後ろの世界で何が起きているのかを誰も説明できない
「量子論的な世界」に私たちは生きています。
可愛そうなこのお父さんは高名なラビの元に行きますが、
ラビがお父さんにする「お話」は、
まったくもってナンセンスで、
意味をなしていません。

「いったいこの話しのどこに、
 何の教訓があるんだろう?」
と思うような例話をラビはお父さんに繰り返し聞かせます。
オチもなければ要点も分からない、
ただただ不可思議な話しをラビはお父さんに語ります。
「それで?」と当然彼はラビに聞きますが。
「これでこの話しは終わりだ」とラビは言うだけ。
そこから引き出せる教訓などありそうにない。
唯一メタメッセージがあるとしたら、
「世界に意味なんてない」という
ニヒリスティックな結論だけです。

「不合理なこの世界」で、
「ヨブ」となった主人公はいかに生きるべきか、
という問いがこの作品の主題です。
つまりこの可愛そうなお父さんは、
不条理な現代を生きる私たち一人ひとりのことでもあるのです。

お父さん(ヨブ)が会いに行く3人のラビを軸に、
物語が進んで行きますが、
最後のラビ「マーシャク師」が口にするのは、
1967年のヒット曲"Somebody to Love"(邦題『あなただけを』)の歌詞です。
そのメッセージは、要約すればこんな意味です。

「真実が偽りとわかり、
 すべての喜びが消えたときであっても、
 心を尽くして人を愛しなさい」。

また、この映画、ベースは悲劇なのですが、
どことなくコミカルで、
ところどころにユーモアがちりばめられています。
量子論的に不条理なこの世界で生き抜くための、
コーエン兄弟が導き出した暫定的な答えは、
「愛すること」と「ユーモア」なのです。

そうです。

ここでまた戻ってきます。
そういえば、ユダヤ人たちは過酷なその歴史のなかで、
「愛とユーモア」によって生き残ってきた民族でしたね。
(1,509文字)



●トゥルー・グリット

鑑賞した日:2019年5月20日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:コーエン兄弟
主演:ジェフ・ブリッジス、ジョシュ・ブローリン、マット・デイモン
公開年・国:2010年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/bqqnwwmDP

▼140文字ブリーフィング:

こちらもコーエン兄弟。
コーエン兄弟は最近のマイブームです。
重厚な西部劇で、面白かったです。
なんといっても、馬が美しい映画ですね。
タランティーノ監督の、
「ヘイトフル・エイト」にも、
ちょっと似た雰囲気があります。
(104文字)



●はじまりへの旅

鑑賞した日:2019年5月18日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:マット・ロス
主演:ヴィゴ・モーテンセン
公開年・国:2016年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/w5n-9emm6

▼140文字ブリーフィング:

原題は「Captain Fantastic」
邦題と似ても似つかぬタイトルですね。
「哲人王」として育てられた子どもたちと、
その父親のロードムービーです。
哲人王とはプラトンの概念なのですが、
その意味はこの映画を観ると分かります。

お父さんは元大学教授の、
ゴリゴリの無神論者で、
ハイパー知識人です。
6人(だったかな?)の子どもたちはみんな、
未就学年齢からプラトンの『国家』とか、
ニーチェの『ツァラトゥストラ』とか、
ヘーゲルとかカントとか読んでて、
アイビーリーグの学生よりも賢い知性を持ちます。

お父さんは言ってみたら、
「北の国から」の黒板五郎の最終進化形みたいな感じなので、
恐るべき知性だけでなく子どもたちは全員最低5カ国語を操り、
アスリート並みの肉体を持ち、
あらゆるサバイバル技術に長けています。

その家族が「お父さんと別居していた妻」の遺言に従って、
「お母さんを火葬に付すための旅」に旅立つという話し。
うつ病だったお母さんもまた、
お父さんと同じ「哲人王的な思想」を持ってるので、
火葬にして川に灰をまいてほしい、という遺言を残すのですが、
保守的なキリスト教家族のお母さんの親たち(祖父母)は、
絶対に土葬だし、絶対にキリスト教式で葬儀をする!
と言って両者は対立する、、、という話し。

お話も面白いですし、
音楽や映像や、
何と言っても自然の描写が素晴らしいです。
ただ、「一点だけこの家族にどうしても共感できない」
部分があるんですよね。
映画や小説を楽しむ上で、
必ずしも登場人物に共感する必要はありません。
よくレビューで「共感出来なかった」
といって低い点数を付ける人がいますが、
それはバカの所行というものです。
私がここで「共感できない」といったのは、
もうちょっと説明が必要で、
主人公たちは「最高に知性的」という設定になっていて、
その知性ゆえにアメリカのバカさ加減を見下すわけです。
そこまでは良い。
しかし、ある一線を超えるところで、
「もうそれって知性じゃないんじゃないの?」
ということになる。
ソクラテスやプラトンをあなたたちは崇拝しており、
アメリカ的キリスト教根本主義をバカにしている。
それは良い。
でも、あなたたちのその行動は、
ソクラテスやプラトンからすると、
「知性の真逆」なんじゃないの?
というツッコミが拭いきれないシーンがあるわけです。

監督は衒学的に様々な知性を、
主人公たちの口を通して観客に見せつけるが、
監督の「知性とは何か??」の定義に、
私はまったく同意できない。
そういう意味の「メタ的な共感できなさ」が、
この映画にはありました。

平たく言うと、監督は彼らを、
とんでもなく賢いものとして描きたいはずなのに、
その一点によって、
「こいつらさほど賢くないな」と思っちゃうわけです。

そこが一番大事なのに、、、、。

アキレス腱が弱いというか、詰めが甘いというか、、、。
もったいない映画でした。
テーマとか音楽とか映像とか、
その他の部分が凄く良かったので、
余計残念でした。
(750文字)



●22年目の告白 私が殺人犯です

鑑賞した日:2019年5月20日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:入江悠
主演:藤原竜也、伊藤英明
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://bre.is/ZFe2bOe9k

▼140文字ブリーフィング:

演出が過剰かつ矛盾に満ちていて楽しめなかったです。
味付けが濃すぎるんですよねぇ。
最後の「銃を向ける」シーンは失笑ものです。
あんな行動はあり得ないです。
ガスのにおいに気づいている場所に、
警察官が飛び込むとかもあり得ないし。
それで「ドカン」とか。
警察はそんなにバカじゃないでしょ。
登場人物がいちいちバカすぎる。
邦画の悪いところが出た作品。
例によってAmazonレビューでの評価は高いです。
私の評価がいつも気にくわないという方は(以下省略)。
(160文字)



●ミスター・ガラス

鑑賞した日:2019年5月10日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)

監督:M・ナイト・シャマラン
主演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・マカヴォイ、アニャ・テイラー=ジョイ
公開年・国:2019年(米国)
リンク:
https://bre.is/Y-USImXdA

▼140文字ブリーフィング:

私はシャマラン監督の不条理感が好きな、
「シャマラニスト」ですので、
アンブレイカブル、スプリットの続編にして完結編である、
本作は見ないわけには行かないでしょう、
というこで休日に観賞。

面白かったです。

「人間を超えたものたち」を隠蔽しようとする組織と、
「すべてを解き放とうとする人々」の物語です。
その動力源は「虐待などのトラウマだ」というのも凄い。
「コインロッカー・ベイビーズ」という村上龍の作品があります。
コインロッカーに捨てられた2人の赤ん坊が、
世界を転覆する、という話しなのですが、
ちょっとそれに構図としては似ている。

あと、マーベルヒーローズの、
「エピソードゼロ」としても鑑賞可能。
そのポップ性みたいなものは、
真逆に振れているわけですが。
シャマランはサブカルの神になれる、
と思いました。
(343文字)



●ギフテッド

鑑賞した日:2019年5月25日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(セールで100円)

監督:マーク・ウェブ
主演:クリス・エヴァンス
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/_y16TyciIa

▼140文字ブリーフィング:

自殺した天才数学者の母を持つ天才の女の子と、
その子を「普通に育てたい」と願う叔父(母の弟)の物語です。
母と叔父の母(女の子の祖母)が、
実は「毒親」だというストーリー展開になっていくあたりから、
かなり引き込まれます。
かなり面白かった低予算映画、
『500日のサマー』の監督だそうです。
子役の演技がすさまじく上手いのと、
「毒親」という日本にも多く見る現象を、
テーマとして選んでいるという意味で、
日本人が見ても、かなり「刺さる」のではないでしょうか。
(222文字)



●トランセンデンス

鑑賞した日:2019年5月23日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:ウォーリー・フィスター
主演:ジョニー・デップ
公開年・国:2014年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/2OfJg1lQr

▼140文字ブリーフィング:

脳のシナプスを全部、
コンピューターに投射することで究極のAIを作る、
という『SFとしてはありふれた』話しです。
でも、結構楽しめました。

主人公の科学者は死後もインターネットの中で生き続け、
世界を変革していきます。
水滴の中に量子コンピュータがあるので、
それが世界を究極の「モノのインターネットIOT」
にしていくというは発想として面白かった。
タイトルの「トランセンデンス」は、
人工知能の世界でいう、
「シンギュラリティ」の意味です。
(212文字)



▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼

世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。

作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。


▼作品賞
「ヘレディタリー」

コメント:

完全に圧倒されました。
多分だれも見ないでしょうけど笑。

ホラー、みんな好きじゃないよね笑。

ホラーを喜々として語れる人と、
心ゆくまで話し合いたい、
と思える作品でした。
なんせ、2回見ましたからね笑。


▼主演(助演)男優賞
対象者なし


▼主演(助演)女優賞
アシーシャ・ローナン(レディ・バード)

コメント:

クラスの「一軍」ではないのに、
一軍と付き合おうとする痛々しさ。
十代の「自我の首が据わってない感じ」
など、演技として非常に難しい「危うさ」バランスを、
絶妙なさじ加減で演じていました。
ほとんど他で見たことない女優さんですが、
脳裏に焼き付きました。


▼その他部門賞「不条理賞」
「シリアスマン」

コメント:

シャマランのミスター・ガラスも不条理ですが、
シリアスマンの不条理さにはかないません。
生活の「そこはかとない一貫性のなさ」
みたいなものが、現代という時代の、
残酷なまでに解釈を拒む感じを伝えていて良かった。
主人公の大学教授の授業のなかで、
「ハイゼンベルクの不確定性原理」とか、
「シュレーティンガーの猫」が出てきますが、
現代のヨブとしての主人公自身が、
量子の確立に生命を委ねる以外ない、
可愛そうなシュレーティンガーの猫に見えてきます。

尊敬する外国人

2019.11.04 Monday

第094号   2019年6月4日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼尊敬する外国人▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今日も質問カードからやっていきましょう。


▼質問:
アメリカ人以外の外国人で、
尊敬する有名人、好きな有名人はいますか?


、、、これって簡単そうで、
案外答えるのが難しい質問なんですよね。

読書習慣があったり、
英語のメディアに接している人を除くと、
私たち日本人が日々接する情報環境というのは、
「日本に関する情報」=8割〜9割、
「海外に関する情報」=1〜2割です。
テレビ・雑誌・ラジオ・新聞といった、
メジャーな報道機関の内容の割合がこうなってるからです。

で、「全体の2割の海外に関する情報」のうち、
6割がアメリカに関するもの、
3割が韓国・中国に関するもの、
残りの1割が「その他の国々」に関するものです。

つまり接する情報の2割×1割、
つまり全体の2%しか、
私たちは「中国韓国アメリカ以外の外国」について、
見聞きすることがないわけです。

現に、インドの首相の名前を言える人って、
人口の何割いるのでしょう?
たぶん半数以下と私は予測します。
まもなく世界一の人口になる国のリーダーですよ。

国際的にかなり重要な基本的なニュースですら、
アメリカ以外の国のこととなると、
「それが起きたことすら知らない」
ということが日本人は多い。

日本人が悪いのではありません。
「日本語圏」という言説空間のサイズが、
「絶妙に小さくて大きい」ので、
その中だけで情勢を把握できてしまうことが原因です。

もうちょっと小さな国だと、
「まともな言説を読もうとしたら、
 英語の報道を読む以外ない」ので、
そうするとわりと満遍なく世界のことを把握できるのです。


、、、話しを戻しましょう。
一応この質問では、
「歴史上の人物」はなしにしましょう。
ガンジーとかマザー・テレサとか、
アッシジの聖フランシスとかは、
それぞれインド人、アルマニア人、イタリア人ですが、
歴史上の人物なので「なし」としましょう。

そうするとさらに絞られてくる。

うーん。

思い浮かばん(自爆)。

でも、例のフランス人話法で、
「3人いる」というところから話し始めましょう。

3人います笑。

▼ホセ・ムヒカ(ウルグアイ人)

「世界一貧しい大統領」として、
日本でもけっこう有名な人です。
池上彰さんとの対談本を読んで、
とても好きになりました。
メルマガのレビューで紹介したかどうかは忘れましたが、
ポッドキャストでビブリオバトルを放送する予定です。

、、、あ、そうだ。

このポッドキャストの回ですが、
私のミスでもとの動画を削除したため、
ポッドキャストのみの限定放送になります。

アップロードしておきます。
リンクはこちら。

▼【ポッドキャスト限定放送】ひとりビブリオバトル
『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った
 ほんとうのしあわせって何ですか?』
https://anchor.fm/shun-jinnai/episodes/ep-e46rqr


▼M・ナイト・シャマラン(インド人)

インド人の映画監督です。
『シックス・センス』を撮った監督、
と言えば分かるでしょうか。

その後彼は、
『アンブレイカブル』
『スプリット』
『ミスター・ガラス』という、
3部作を撮るのですが、
私は全部見ています。

間に撮られた『ヴィジット』も見ました。
シャマランの映画って、
本当に独特な「文法」があって、
中毒性があります。

独特の世界に連れて行かれる感じがある。
日常の中に「ホラーともコメディともつかぬ恐怖」が、
何の予兆もなしに紛れ込む感じとか、
ちょっと他にはない感じです。

アメリカ人からはああいうのは出てこないと思う。

同じ外国人映画監督では、
韓国の映画監督のナ・ホンジンも好きです。
彼は神学校にも行っている人で、
「映画で神学する」ということをしています。
アジア版のマーティン・スコセッシですね。
彼の撮るものも私は毎回楽しみにしています。



▼ユルゲン・モルトマン(ドイツ人)

最後は神学者です。
彼はまだ存命ですが、
死んで時間が経つと、
カール・バルトや、
ディートリッヒ・ボンヘッファーとならび、
20世紀最大の神学者だった、
という評価が固まるはずです。

2年前に読んだ、
『希望の倫理』という著作に度肝を抜かれました。

私が考える「これは新しい」というようなことは、
既に全部彼が考えていたことを知りました。
あらゆる私が重要だと考える神学的な概念を、
彼はことごとく言語化し体系化している。
まさに「知の巨人」です。

「自分がオリジナルだ」
と思っている人って、
99.9%までが知識が少ないから、
既にそんなこと考えてる人がいることを知らないだけなのですが、
私はモルトマンの著作でそれを思い知らされました。

特に「ガイア思想の神学」とか、
自然環境に関すること、
「非西洋的な痛む神」などの概念を、
モルトマンは考え尽くしています。
私のような凡人にできるのは、
彼が考えたことを「上からなぞる」ぐらいのものです。

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