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陣内が先週読んだ本 2017年5月第四週 全思考(北野武)他6冊

2017.11.23 Thursday

+++vol.015 2017年5月30日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■4 陣内が先週読んだ本 
期間:2017年5月第四週 5月21日〜27日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●100の基本 松浦弥太郎のベーシックノート

読了した日:2017年5月22日
読んだ方法:蒲郡のカフェリールの蔵書をコーヒーを飲みながら

著者:松浦弥太郎
出版年:2012年
出版社:マガジンハウス

リンク: http://amzn.asia/g9VwKTm

▼140文字ブリーフィング:

蒲郡の「カフェリール」においてあったのを読みました。
30分ぐらいで読める本ですので、
先週号のメルマガを執筆する息抜きに読めました。
著者の松浦さんは「暮しの手帖」の編集長でCOWBOOKSの社長です。
前半は彼の「暮らしのルール」が、
後半は彼の経営する本屋のスタッフの「働き方のルール」が、
それぞれ100個ずつ、簡潔に書かれています。
前半からいくつか抜粋します。
004 過去についてうそをつかない
013 小さい約束ほど大切にする。
021 思いやりではなく想像力
062 買わなくては何も学べない。知りたいことには大枚をはたく。
072 考えや思い、アイデアは、紙に書く
(275文字)



●舟の右側 vol.40 2017年4月号

読了した日:2017年5月24日
読んだ方法: 年間講読

著者: 地引網出版
出版年:2017年
出版社: 地引網出版

リンク: http://www.jibikiami-book.jp/?pid=115391490

▼140文字ブリーフィング:

これはキリスト教会のための「業界誌」でして、
「月刊ボディビル」とか「月刊釣り」みたいな、
ちょっとコアな読者層への「専門誌」です。
一般書店では手に入りません。
この雑誌は私が所属する教会でも講読しているので、
私は実は買わなくても教会に行けば読めるのですが、
本誌に寄稿している知り合いの牧師から、
「教会全体に仕えたい」という本誌編集長の谷口さんの志や、
経営状態もとても大変だ、というお話を伺い、
谷口さんのミッションへの賛同と金銭的サポートの意味合いも込め、
個人的に定期購読することにしました。

果たしてこれを「読んだ本」に入れて良いのかどうかは謎ですが笑、
でも、有益な情報が毎回含まれているので、
雑誌の宣伝にご協力する意味合いも込めて、
ここで紹介していきたいと思います。

キリスト教徒でない読者の方には、
「どうでもいい話」かもしれませんが、
おつきあいくだされば幸いです。

、、、しかし私が思うに、
キリスト教会で起きている問題や話されている課題は、
多かれ少なかれ現代の日本が抱えている社会の問題の、
「映し鏡」になっていますので、
おそらく非キリスト教徒が読んでも、
「舟の右側」の内容の多くは、応用可能だし、
学び取る教訓に満ちていると思います。

では紹介します。

今回は、巻頭の谷口さんによるコラム「風知一筆」が秀逸でした。
内容は「ユース(若者)が少ない」と嘆く教会の姿への「疑問」です。
谷口さんはディケンズの小説でスクルージじいさんに起こったことや、
アブラハム、モーセなども老境からミニストリーをはじめたことに言及し、
「すべての年代を教えることが大切なのではないか」
「若い世代をことさらに強調する背後には、
組織の生存本能が見え隠れしていないか」
という問題を提起しています。
私もこれに激しく賛同します。
引用します。

→P7 
〈「うちの教会は年配者ばかりで若者がいない」と嘆いて
「じゃあ若者伝道を」「子ども伝道を」と言う前に、
今いる方々の存在に感謝し、年齢にかかわらず、
一人ひとりの霊的成熟を本気で考えてはどうだろうか。
(マラソンでいう)残り10キロメートルを
ひたすら主を見上げて走っている信仰者の姿は、
どんな年齢の人をも引きつける力を持っているはずだ。〉

、、、つまり、「若者を重視しすぎる態度」というのは、
「そこに現在集う人々の尊厳」よりも、
「組織の未来」というと格好が良いですがその実、
「組織の生存本能」を優先させる態度の表れである、
という可能性はないだろうか?
と、谷口さんは言っているのです。

逆説的にではあるけれど、
「高齢の方々も含め、それがどんな世代だろうと、
 しっかりと神にあって生き生きと歩む、
 ということをサポートしている教会こそが、
 若者を惹きつける教会である」
ということにはならないか?

、、、だって、その姿を見た若者は、
「ここに所属すれば、
俺も年を取っても大事にして貰えるんだ」
と感じるわけですから。

私のメンターであるアメリカ人のボブ・モフィット氏は、
あるとき私にメールでこう言っていました。
「現代世界で最も成功しているサタンの嘘は、
 『若さを礼賛すること』だ。
 そのせいで多くの人々が、成熟することの恵みを、
 味わえなくなってしまった。」と。

魅力的な「非」ユースが集う教会というのは、
ユースにとっても魅力的なのです。
(1,331文字)



●舟の右側 vol.41 2017年5月号

読了した日:2017年5月26日
読んだ方法: 年間講読

著者: 地引網出版
出版年:2017年
出版社: 地引網出版

リンク:http://www.jibikiami-book.jp/?pid=117003750

▼140文字ブリーフィング:

この号では、
知り合いの教会「津田キリスト教会」が紹介されていたり、
妻の親友のお母さんのストーリーが載っていたりして、
親しみを感じました。

もちろんそれらも面白かったのですが、
記事の中で「神学的に」興味を引いたのは、
京大名誉教授の水垣渉先生の、「ハヤトロギア」という話でした。

→P19 
〈水垣:「われは有りて有るもの」(出エジプト3:14)の
ヘブライ語原文「エヒイェ・アシェル・エヒイェ」の、
エヒイェの語源となっているのがハーヤーです。

これはヘブライ語の基本動詞ですが、
学的水準の高いヘブライ語辞書を見ると、
第一の意味は「become」(〜になる)となっている。
そして次に「is」(〜である)という意味が来ます。

ですから、ハーヤーというのは「有る」というよりも、
「生起する」とか「有らしめる」などの意味になる。
このハーヤーという言葉を元に、
そのロジー(論理)ということでハヤトロジー、
ラテン語に言って「ハヤトロギア」となります。

これがヘブライ的な力動的神観で、
有賀鐵太郎(てつたろう)先生が名付けました。

一方で、ギリシア的思考の論理として
存在の論理「オントロギア」(オンの論理)があって、
これを古代ギリシア人が、哲学的にもの凄く発展させました。
そしてこれがキリスト教にも入ってきて、
中世になってそれは神学的に自覚されるわけですが、
それがいわばキリスト教の学問の基礎のようになっているわけです。

つまり、ヘブライ的なハーヤーの論理と
ギリシア的なオンの論理が結びついて、
ハヤ・オントロギアとなっている。

有賀先生も、確かにそうなっていると認めるわけですが、
しかしキリスト教自体の元の考え方は、
旧約以来のハヤトロギアであると、そう主張されたわけですね。〉

、、、水垣先生がここで言っているのは、
動的(ダイナミック)な性質をもつヘブル語と、
静的(スタティック)な性質をもつギリシャ語の違いのことです。

ヘブル語的なるものを「ハヤトロギア」
ギリシャ語的なるものを「オントロギア」と、
先生は表現したわけですね。

キリスト教神学というのは実は、
ギリシャ語圏の思想哲学を下敷きに発展してきましたから、
「本来動的なものを静的な言語で説明する」という、
「原理的に不可能性をはらんだ翻訳」を経ています。

イエスが話されたのはヘブル語もしくはアラム語でしたから、
そもそも「新約聖書」がコイネーギリシャ語で書かれたことで、
「それによって失われた何か」があるに違いないと考えるのが普通です。

俳句を英訳したときに何かが失われるのと同じです。

ではその「失われたものは何か」を研究するには、
ヘブル語の性質を知る必要があるわけですね。
2年前に私は八木誠一という神学者の著書を立て続けに読みましたが、
彼の人生のテーマもそのあたりにあり、
非常に興味深く読んだのを思い出しました。

▼参考リンク:「イエスと現代」八木誠一
http://amzn.asia/a31fwQi



●なつみはなんにでもなれる

読了した日:2017年5月25日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入

著者:ヨシタケシンスケ
出版年:2016年
出版社:PHP研究所

リンク: http://amzn.asia/fnXZfVp

▼140文字ブリーフィング:

Q&Aコーナーで取り上げました、
ペンネームのりまきさんの紹介で、
興味を持ち、旅先でしたのでKindleで購入しました。
普段だったら買うまではしないかもですが、
10月に子どもが生まれる予定ですので、
「予習」の意味合いも含めて。
子どもの思考の自由さに、「はっ」とさせられます。
絵のタッチも好きです。
(147文字)



●デジタルネイティブの時代 なぜメールをせずに「つぶやく」のか

読了した日:2017年5月27日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:木村忠正
出版年:2012年
出版社:平凡社新書

リンク: http://amzn.asia/dMqxV7X

▼140文字ブリーフィング:

著者は質的研究、グラウンデッドセオリーにもとづき、
質と量のハイブリッドな方法(ハイブリッドメソッド)によって
「世代論」という実証性の低いネット論を
ソリッドなものにしようと試みています。

新書ですが、内容は学術的に厳密です。

著者はひとりにつき数十時間という厖大なインタビューと、
アンケート調査などの結果から、「ネットネイティブ世代」は、
4世代に分かれると言います。
80年前後生まれ、83〜87年生まれ、
88年〜90年生まれ、91年以降生まれの4世代です。

では、何が違っていたのか?
引用します。

→P85 
〈では、具体的にどのような特性が以下に構造化し、
変容させてきたのか。
特性として浮かび上がってきたのは次の四つである。

1.空気を読む圧力

2.対人距離を構成する「親密さ」と「テンションの共有」が
相互に独立し、「テンションの共有」のみによる
(親密さを伴わない)「親しさ」への移行

3.「コミュニティ」「ソーシャル」とは異なる
「コネクション」という社会原理の拡大

4.サイバースペースへの強い不信感、
低い社会的信頼感と強い「不確実性回避傾向」〉

、、、著者は、これらがネットネイティブの4世代によって、
グラデーションを持って段階的に濃くなる、
というような結論には持っていきません。

安直な世代論に飛びつかないのは、
さすが社会学者です。

むしろ、これらの4つの傾向は各世代に共通の、
「日本的な資質」であり、
これらの特性がそれぞれどのメディアと相関するかが、
デジタルネイティブ4世代によって異なるのだ、
という理論立てをしています。

この本を読んでいて面白いと感じたのは、
生まれたときからスマホがデフォルトである、
ネットネイティブ世代が現れ、メールやSNS、SMS、
LINEやInstagram、動画共有など、
情報共有の自由度と利便性が高まることにより、
若い世代における「同調圧力」はむしろ逃げ場のないものとなり、
コミュニケーションは息苦しくなってきている、という逆説です。
(819文字)



●全思考

読了した日:2017年5月27日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入

著者:北野武
出版年:2007年
出版社:幻冬舎

リンク: http://amzn.asia/8yXe0Cr

▼140文字ブリーフィング:

振り返ってみますと、
北野武の本を私は定期的に読んできました。
彼の本はたぶん口述筆記ですが、
それだからといって彼の頭の良さが色あせる訳ではありません。

今週の「聴き方講座」でも引用しましたが、
この本は北野武の本の中でも特に内容が濃く、
珠玉のような言葉がたくさんちりばめられていました。

いろいろと紹介したいくだりは他にもあるのですが、
「友情」に関する彼の持論にはうならされました。

→位置No.1434 
〈友情が金で買えないのは当たり前だ。
なぜかと言えば、そんなものはハナっから存在しないからだ。
ないものを買おうとしちゃいけない。

「おまえが困ったことがあったら、必ず俺が助けてやる。
俺が困ったときはおまえが助けてくれ。俺たち友達だよな。」
こんなものは友情なんかじゃない。
ヤクザの兄弟杯と一緒で、単なる保険の掛け合いでしかないわけだ。
保険は大きく、沢山あった方がいいから、
ヤクザは兄弟分をできるだけ増やそうとする。

だけど2、3人の仲間内で掛け合う保険は、おろしようがない。
というか、誰かが損をしなけりゃいけなくなる。
ということは、誰かと友人になると言うことは、
最初から損をする覚悟をしておかなきゃいけない。

良い思いをするというのは、相手に確実に迷惑をかけることになるのだ。
「おまえが困ったら、俺はいつでも助ける。
だけど、俺が困ったときは、俺は絶対におまえの前には現れない。」

これが正しい。

お互いにそう思っているところに、初めて友情は成立する。

昔助けてやったのに、なんで今度は俺のことを助けてくれないんだ?
なんて思うとしたら、そんなもの初めから友情じゃないのだ。
自分がほんとうに困っているとき、
友達に迷惑はかけたくないと思うのがほんとうだろう。

要するに友情というのは、
こっちから向こうへ一方的に与えるもので、
向こうから得られる何かではない。

友情とは、自分の相手に対する気持ちだ。
友情から何かを得ようと考えることが、そもそも間違っている。
損得尽くで考えるなら、友情は損するだけのもの。

だけど、アイツが好きだ。
困っているのを知ったら、助けてやりたい。

そういう自分の気持ちを、
買えるとか買えないとかいっている事自体がおかしな話なのだ。

ふっと周りを見回して、
そういう風に思える友達がひとりでもいたら幸せだ。

変な言い方だけど、
自分のために死んでくれる人間が何人もいるよりも、
そいつのためなら命を賭けられるって友達がひとりでもいる方が、
人間としては幸せだと思う。

友情が大切だっていうのは、ほんとうはそういう意味だろう。〉

、、、友情を「得る」というのは言葉の使い方として、
間違っているのだ、と北野武は言っているのです。

自分のために死んでくれる人が何人いるかを、
数えることに意味はありません。

自分がその人のために死んでも良い、
と思える人が何人いるかが、親友の数なのだと。

イエスのために死んだ人は歴史上数えきれませんが、
それはイエスが「友のために命を捨てた」からです。
(1,218文字)




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【Q1】国際協力について 【Q2】面白い本は?

2017.11.23 Thursday

+++vol.015 2017年5月30日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q1】国際協力について

ペンネーム:築50年(女性)
お住いの地域:京都府

Q.
国際協力に関心を持っており、
NGOの寄付金集めについて考えさせられています。

偏った考え方や、
書き方に語弊があるかもしれませんので
事前にお詫びいたします。

少し前に欧米系の巨大NGOの
チャリティイベントに参加した時の事。
一晩で〇千万集まるそのイベントには社会的地位の高い人や
著名人たちが煌びやかな衣装を身にまとい、
自分たちの権力や財力を見せびらかすかのように、
オークションやゲーム、抽選会を楽しみ寄付という名目で
大金を出し合っていました。

その先には、
貧しい人途上国を助けるための開発資金集めという目的があり、
目標金額に達していないと要所要所で現地の貧しい現状を
写真とともに訴えることで同情心を誘います。

もちろん参加者は自らのお金を困っている人に
差し出す慈善の気持ちで行っているのだと思います。

それらのお金で立ち上げられたプロジェクトによって救われ、
自立に成功した人もいるかもしれません。

しかしそこにいる多くの出資者たちの様子をみていると、
現地の現状に心から寄り添おうとする雰囲気を
感じ取ることができませんでした。

運営者もセレブたちに働きを称賛されながらスピーチをする。
気分が良いことでしょう、これは病みつきになると思います。

非営利団体が行う途上国開発の巨大産業。
慈善をおこなう裏に隠れる現実を見たような気がして、
怖さを覚えました。
自分も気が付かないうちに
引きずられていくのではないかと怖さを覚えました。

このような方法で資金提供した人は、
「自分は彼らより上の立場であり助けてやっている」
という上下関係を強化し、
精神面で彼らを植民地化しているように思いました。

心に植え付けられたことは、
いずれ形に現れていくと思うのです。

そこで考えてのが、寄付する人の心が変えられて行かない限り、
どんな巨額が投じられても社会に何のインパクトを
もたらさないのだはないだろうか、ということです。

一時的には大それたことができて
助けにはなるかもしれません。
しかし長い目で見た時に、
結局現地の人は厳しい状況から抜け出せなかったり、
依存体質を生んだり、可能性を奪ってしまったり、
世界的貧富の格差の構図が変わることがない、
ぶつ切りの支援のように思います。

少額であったとしても、そこに寄り添う気持ち、
考え方、生き方が変革された人の寄付は
大きなインパクトをもたらし、
小さなことであっても途絶えることのない良い循環を
もたらす支援になるだろうと思わされています。

まとまりのない文章で恐縮です。

この事についてもう少し考えたく、
陣内さんのご意見を聞かせていただきたいと思って投稿しました。


A.

築50年さん、ご質問ありがとうございます。
ご質問のことをこの2週間ほど、
つらつらと考えてきました。

私自身も「海外援助」という働きに従事しているため、
すこしでも当事者感覚をお伝えできればと思い、
いろいろと思い巡らしていたわけですが、
あまりにも複雑な要素が絡んでおり、
それこそ「こうだ」と割り切れるような問題ではありません。

ですから、
ご質問を折角いただいたのに申し訳ないのですが、
すっきりとした答えを提供することは
どうやら叶いそうもありません。

この問題は実は、
ひとつの問題ではなく、
二つの別々の問題であるように思います。

まず、「支援する側からの問題」があり、
それから、「支援される側からの問題」があります。

そしてここが説明が難しいのですが、
この二つは実は、必ずしも「連動」しているわけではない、
というところに問題の捉えづらさがあります。

説明します。

まず、築50年さんがおっしゃっているように、
「支援する側」の問題があります。

セレブの人が有り余る中から、
あるときは自分の好感度を上げるためのパフォーマンスとして、
あるときは節税対策として、多額の寄付をすることがあります。

もちろん心から憐れみの心をもってなされる寄付もありますが、
どの寄付がどんな動機でされたかというのは、
「心の中の問題」なので外部から検証不能です。

2015年にFacebookの創業者のマーク・ザッカーバーグが、
総資産の99%(日本円で5兆円)を「寄付」した、
というニュースがありました。

あれなんかは良い例で、
実は彼は「慈善団体を称する有限会社」を創設したのであり、
それは大きな節税対策にもなりますし、
イメージアップ戦略としても優れている。

結局彼は、自分の資産を、
自分の右ポケットから左ポケットに移し替えただけだ、
という批判が後から上がったのには、そういう理由があります。

、、、だからと言って彼を偽善者と断罪するのは早計で、
もしかしたらその団体を通して、彼は近未来に、
人類に大きな貢献をするかもしれない。

、、、しないかもしれない。

マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイツは早期退職をし、
私財を投じて「ビル&メリンダ財団」を作りました。

彼のアフリカでのマラリアやHIV撲滅のためのプロジェクトは、
この100年間に地上に存在したNGOで最大の効果をあげ、
何百万、何千万人という命を文字通り救っています。

パソコンを買い換えるたびに、
「Office」の高額さとそのアップデートの狡猾さに、
「マイクロソフト、どんだけ儲ければ気が済むんだ」
と思いますが、「私の生活をえぐるその数万円」が、
めぐりめぐって、アフリカでマラリアを撲滅しているかもしれない
(していないかもしれないけど)と思うと、
ちょっとだけ心が慰められます笑。

また、投資家のジョージ・ソロスなども、
自分の儲けたお金で慈善団体を設立していますし、
ミュージシャンのU2のボノも慈善活動に熱心です。
有名なサッカー選手やNBAの選手の中にも、
私財を投じて慈善活動や環境保護活動に肩入れする人々がいます。

こういう人々を見ると脊髄反射的に、
「売名行為だ、節税対策だ」と偽善を騒ぎ立てる人がいますが、
これは「ゲスの勘ぐり」の典型例で、
その批判内容は多くの場合、
騒ぎ立てているその人自身の内面の現実を表わしているだけで、
慈善活動をする人々の現実は別のところにあります。

これは私が到達したことのない領域なので想像でしかないのですが、
1000人にひとりとか、10000人にひとりみたいなレベルで成功した人、
というのは、多くの場合「自分だけ特別に贔屓にしてもらった」
「自分は不公平なほど運が良く、特別に良くしてもらっている。」
という、天とか神とか運命とかいうものにたいする、
畏敬の念を持っています。
(もちろん例外もたくさんいます。)

先ほど紹介した北野武もそれを書いていました。

日本の有名人は「勘ぐるゲス」が多いためか(笑)、
寄付をしたという表明が「逆売名行為」になってしまうので、
有名人の多くは「こっそり」寄付をしています。
北野武もそうとう影で寄付をしているという噂があるのは、
やはり彼もまた、
「自分は運が良かっただけだ。
 自分の成功を何らかの形で、
 この世の中に還元しなければならない」
という、いわば、
「ノブレス・オブリージュ」の感覚を持ってるからです。

(*ノブレス・オブリージュというのは、
 「高貴なるものの責務」という意味で、
 他者より優れたエリートは自分のためでなく、
 世のため人のためにその資産や能力を使わねばならない、
 という感覚のことです。)

今のは支援する「お金を出す人」の話しでしたが、
今度は、そのお金で現地で働くNGOの話し。

これは本当に、ちょっとここでは語りきれませんね笑。

なのでざっくりですが説明しますと、
まず、援助団体というのはその性質上、
「相手が貧困でなければ自分たちの活動が続けられない」
というジレンマを抱えます。

問題が解決しちゃったら、
もう寄付を集める理由がなくなっちゃいますから。

「世界から貧困をなくすのだ!」と言って、
純粋に慈悲の働きをしている援助団体の方々に、
悪意はまったくありません。

しかし、これは本当に無自覚なのですが、
私がアフリカなどで見た現実というのは、
哀しいことに、一部の援助団体は、
現地で何重にも問題を複雑化しています。

築50年さんがおっしゃるとおり、
現地に依存体質を生み出すという弊害。

それから、援助団体によっては、
現地スタッフは国家公務員なみの給料がもらえたりしますから、
それが「既得権」を生みます。

また、「問題をセンセーショナルに伝えた方が、
本部のある欧米諸国で寄付が集めやすい」という事情から、
現状をそのままに語るのではなく、
わかりやすい「お涙ちょうだいストーリー」を切り取る、
というようなことがなされたりもします。

「世界から虫歯を無くすのだ!」
という歯医者の抱えるのと同じパラドックスを、
援助団体というのは常に抱えます。

、、、現地で私が見て来た「良い」支援をするNGOはみな、
そういったパラドックスを、自覚している団体でした。

自分たちは本当は矛盾したことをしている。
混乱をもたらす「害毒」になるリスクを、
自分たちの活動は、はらんでいる。
、、、しかし、ここに自分たちがいて、
本国と連携して活動することに、
(限定された期間と条件ではあるが)意味があると信じている。

そういった「ある種の屈託」を抱えながら、
「それでもやはり必要だ」という、
骨太な理由で活動している団体は、
依存を生み出しにくいよう工夫して活動しています。

、、、そもそも、「援助」というのがいけないんじゃないの?
NGOとか非営利組織とかやってるから駄目なんじゃないの?

市場の原理に全部任せれば、
その国が工業化してGDPが成長して、
そしてみんなが喰えるようになるんじゃないの?
と言う人が時々いますが、
それは、もうひとつの「極論」であり、
ちょっと違うのかな、と私は思っています。
(だからこそ私はNGOの仕事をしているのですが)

たとえばインドに、
日本から巨額のODA(政府開発援助)資金があったとします。
それは「農村部での女の子の識字教育」という名目で出ている。

しかしインドでは、
中央政府から地方自治体、地方自治体から地元の施工業者、、、
という風に下請けに下請けを重ねた結果、
いろんな人の「ポケット」にそのお金は入り、
末端に行くときにはそのお金は当初の10分の1ぐらいになったりする。

そして企画書とは雲泥の差の、
粗末なバラックのような学校が建てられる。

私が見た学校は、全校生徒が1000名を超すが、
それを教える先生の数は5人、という小学校でした。
(私が見た学校は日本の援助ではありませんでしたが)

この学校には、国連関連の援助で、
「給食」も無料配当されますから、
地元の小学生達は勉強のためではなく、
昼食を食べるためにこの学校に集まる。
もっと言えば子どもではなく、親の家計のために、
子どもたちは学校に送られる。
「口べらし」ですね。

勉強はまったく教えられていないですから、
小学6年生の皆勤賞の子どもが、
自分の名前すら書けなかった。

それを見かねた現地の私の友人のNGO活動家は、
非営利の小さな学校を建て、
地元の少数の子どもたちを教え始めた。

私たちFVIが支援しているのはこのような小さな活動が殆どですが、
彼らの活動する現場に行くと実感として、
「経済万能説」も「政府万能説」も両方、
「慈善団体性善説」と同じように間違っている、
ということが分かります。

たいせつなのは、人は完全ではないということを知ることであり、
それでも良くなっていけるはずだという希望を捨てないことです。

養老孟司さんは私の尊敬する知識人ですが、
彼はイエズス会の幼稚園を卒業しています。

ちなみにキリスト教会は「世界最大のNPO」である、
と、ピーター・ドラッカーは、
「非営利組織の経営」という本で書いています。

▼参考リンク「非営利組織の経営」ピーター・ドラッカー
http://amzn.asia/7tAJauJ


、、、養老さんが大人になっても時々考えるのは、
「戦前の貧しい日本に多大な犠牲を払って、
 何の報いもないのに自分たちに熱心に教育を施してくれた、
 イエズス会のドイツ人の先生達」の姿だそうです。

見ず知らずの外国人の子どもに、
特に経済的インセンティブがあるわけでもないのに、
心骨を砕いて教育する、というのは相当に大変なことのはずだ。

しかし、そうやって善意で自分たちに何かをしてくれた人がいる、
ということ自体が自分の人生観を形作った、
と養老孟司は本に書いています。

彼らの存在と思い出が、大人になってからの長い人生で、
様々な失望や悲しみや不条理に遭遇したとき、
「それでも世の中は生きるに値するかもしれない」という、
生きる「よすが」になっている、と養老さんは言っている。

本当の「支援」というのは、
そういうものではないかと思います。

つまりその「スープ」だとか「パン」だとか、
「文房具」だとか「支援金」自体にも意味はありますが、
本当に大切なのは、その背後にいる、
「見ず知らずの他者のために犠牲を払っても良いと考える人が、
世の中には存在する」という事実ではないかと。

そういう人に、特に人生の早い時期で出会った人というのは、
養老さんも言っていますが「楽観的な人」になります。

世の中には詐欺もあるし嘘つきもいる。
とんでもない野郎もいるが、
それでも世の中は捨てたもんじゃない、
と心の深い部分で思うようになる。

キリスト教会は最大のNPOという話しをしましたが、
キリスト教徒の究極の目標というのは、
その生き方によって、周囲の人が、
「この人が生きているような世界なら生きるに値する」
と思うような迫力と魅力を備えた人になることだ、
と私は思っています。

、、、さて、
「支援される側の問題」つまり依存の問題などについて、
語る前に文字数が尽きてしまいましたので、
すみませんが割愛(!)します。

築50年さんのご質問のおかげで、
この3週間ほど、自分の中でも有意義な、
「内的対話」をすることができました。
ご質問ありがとうございました。

今後もご質問をお待ちしています。

私たちの団体「FVI」も、海外の活動を支援しています。
今はエチオピア、バングラデシュ、ウクライナなどの、
プロジェクトをサポートしています。

ホームページを見て活動のことを知り、
祈り、ご支援いただけましたら幸いです。

▼参考リンク:FVI「海外」ページ
http://karashi.net/project/world/program_02/index.html




●【Q2】面白い本は?

ペンネーム:のりまき(女性)
お住まいの地域:北海道

Q.
メルマガ配信、いつも楽しみにしています。
5月9日のぷにすけさんの質問の回答を読んで、
笑いって深いんだな、と教えられました。

最近私は、ヨシタケ シンスケさんという人の
絵本や本が面白くていいなと思っています。
この前は、『このあと どうしちゃおう』と
『結局できずじまい』の2冊を買いました。
『このあと どうしちゃおう』では、
天国にいてほしい神さまの話が面白かったです。

何度も読んでは笑っています。

私は、色々と深刻に考えてしまうことが多いのですが、
こういう本を読んで、ユーモアって大事なんだな〜と思いました。

お笑い好きな陣内さんとしては、
ヨシタケさんの本はどうですか?
ヨシタケさんの本に限らず、
陣内さんの好きな面白い本があれば、
教えて頂けるとうれしいです。


A.

のりまきさん、ご質問ありがとうございます。

ヨシタケシンスケさんの本は未読でした。

なので、出張先の愛知県で、
Kindleで買って読みました(笑)。

これは単に勧めていただいたので「悪いな」と思って、
とか、気を遣ってという話しではないのでご安心ください。

のりまきさんのご質問メールを読み、
Amazonで調べ、直観的に、
「これは面白いと見た」と思ったので、
自発的に買って読んだのです。

、、、結果、とても面白かったです。
ああいう脱力感のあるユーモアは、私も好きです。

ちょっとシュール系のギャグ漫画なども、
最近はあまり読んでないですが、
昔はよく読んでました。

「ピューっと吹くジャガー」が好きでした。

同じギャグ漫画でも、
「浦安鉄筋家族」はハイカロリーすぎて、
ちょっと疲れるかな(笑)。

ウンコの量が多すぎるかな(笑)。

私はKindleで手に入る中から
『なつみはなんにでもなれる』を読みましたが、
のりまきさんの勧めておられる
『このあと どうしちゃおう』も図書館に予約しました。

予約待ちがスゴイので、読むのは数ヶ月後になりそうですが。

、、、さて、私の思う面白い本ですが、
考えてみますと、案外「(ユーモアという意味で)面白い」本、
というのは多くはないのだと気がつきました。

文章で人を泣かせるよりも、
文章で人を興奮させるよりも、
文章で人を感心させるよりも、
なによりも難しいのは、
文章で人を笑わせることなのだ、
というのは新たな発見でした。

書籍の「面白い」は9割方interestingであって、
funnyやcomicalではないのだ、ということですね。

ただ、本を読みながら「笑ったなぁ」と思い出す本が、
3冊だけあります。

なんと、というか、当然というか、
全部お笑い芸人が書いた本です。

、、、では、三冊、紹介していきます。


▼1冊目:

ひとつめは、「さまぁ〜ずの悲しい俳句」。
10分ぐらいで読める「本」ですが、
めちゃ面白いです。

10年ぐらいに読んで、
それから本は手放していますから手もとにないですが、
めちゃ笑ったのを覚えています。

「雪でした 金かと思ったら 雪でした」とか、
「この葡萄 買ったらお金 かかるかな」とか、
「夏休み 白白白い 白いボク」とか笑。

悲し〜くなる大竹の俳句に対して、
三村が左のページでツッコむという、
素晴らしい構成の作品です。

▼リンク:「さまぁ〜ずの悲しい俳句」さまぁ〜ず
http://amzn.asia/dX2STQw


▼2冊目:

、、、つぎは、「ホームレス中学生」ですね。
これは社会現象になるほど流行りましたが、
この本は「美談」の部分も泣けるのですが、
なんといっても「キモ」は、
「メーターを振り切った自虐」が生む「笑い」です。

ご飯をかみ続けていると最後に一瞬、
甘みが戻ってくると言う「味の向こう側」の話しや、
「貝殻の形をした、
 どうみても巻きグソにしかみえない遊具のある、
 『まきふん公園』の貝殻で生活していたら、
 『ウンコの神さま』と崇められた」
というエピソードなどは最高です。

▼リンク:「ホームレス中学生」田村裕
http://amzn.asia/a9XQwZ7


▼3冊目:

、、、最後はこれですね。
純粋に「文章の力で笑わせる技術」では、
この人は日本で一番上手かもしれない。

劇団ひとりの「陰日向に咲く」は最高でした。
笑いましたし、ちょっと泣きました。

又吉直樹ばかり注目されますが、
劇団ひとりの作家性もとてつもないものがあります。

「陰日向に咲く」は本当にめちゃくちゃ巧く、
そしてめちゃくちゃ面白い。

そして二作目の「青天の霹靂」を、
彼は自分でメガホンを取って映画化していますが、
その映画の出来が素晴らしい。

この10年で見た邦画ランキングベスト5に入るぐらいです。
もっと評価されてもおかしくない作品だと思っています。
ちなみにこの映画も、めちゃ笑えます。
そして泣けます。
お勧めです。

「陰日向に咲く」の映画は「残念」でした。
原作の良さを台無しにしている。

「青天の霹靂」は原作よりも、
本人の監督した映画のほうが圧倒的に優れていた。
この映画は観て絶対に損はしません。
「必見」と言っても良い。

又吉直樹も「劇場」を自分で映画化したら良いのに、
と私は勝手に想像して楽しんでいます。

▼リンク:「陰日向に咲く」劇団ひとり
http://amzn.asia/j8QPpb5

▼リンク:映画「晴天の霹靂」
http://amzn.asia/hwhoCpz


、、、というわけで、
今のところ思いつく「面白い本」は、
そのようなところです。

また思い出したらシェアするかもです。

御参考までに。




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陣内俊の聴き方講座(第1回)

2017.11.23 Thursday

+++vol.015 2017年5月30日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 【新コーナー】陣内俊の聴き方講座

新コーナー、「陣内俊の聴き方講座」です。
2004年に「聞き屋」という、
街中で人の話に傾聴するボランティア活動をはじめて以来、
私はこの13年間、「人の話を聴く」ということに、
普通の人以上に考えてきましたし、学んでも来ましたし、
実践してもきました。

聞き屋ボランティアをしたい、
という人への入門講座として、
「陣内俊の聴き方講座」というのをはじめたのは、
2009年のことで、以来、教会、福祉施設、学校など、
いろんな場所で「人の話を聞く」ということについて、
偉そうに(笑)、レクチャーなぞしたりもしてきました。

傾聴=アクティブリスニングの世界というのは、
奥行きがあり深い世界ですので、
13年学び、考え、実践してもなお、
まだまだ新しい発見が次から次へとあるのです。

このコーナーでは、
「人の話を良く聞く」「傾聴」という分野について、
プロのカウンセラーを養成する目的ではなく、
私たち一般の社会生活を営む個人が、
ビジネス、家庭、学校、地域社会において、
どうすれば「今よりももっと人の話を聞けるようになるか」
ということをブラッシュアップするツールとして、
用いていただけるようなヒントを提供したいと考えています。

皆様の人間関係をより豊かにするための一助となりましたら、
著者としてこのうえない幸せです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼新コーナー「聴き方講座」について▼▼▼

今月は新コーナーを作りすぎている感はありますが笑、
今週から新しくコーナーを立ち上げます。

その名も「陣内俊の聴き方講座」。

上記の「コーナー趣旨説明」にも書きましたが、
私は「聞き屋ボランティア」というのを2004年からしています。

2013年に病気になってから、
しばらく活動を休止していますが、
折を見てまた再開しようと考えています。

聞き屋ボランティアをしているときに、
「私も聞き屋の活動に参加したい」という、
有志の方が一定数いるわけですが、
その方々が街で人の話を聞く前に、
最低限、「話の聞き方のイロハ」を学んでいる必要がある。

それを私は30分ほどのセミナーにまとめまして、
「陣内俊の聴き方講座」という形で、
いろんなところでそれを話してきました。

少し古いですが、2011年のころの動画のリンクを、
掲載します。

▼動画:「陣内俊の聴き方講座」
https://youtu.be/GWO0d3jbdSA



▼▼▼聞くには早く▼▼▼

ひとくちに「人の話を聞く」と言っても、
それは言うほど簡単なことではありません。

「神は人間を作ったとき、
口をひとつ、そして耳はふたつ付けた。
それは『自分が話す2倍は聞きなさい』
という神からのメッセージなのだ」
というユダヤの言い伝えがあります。

これは当然の話で、
「ロード・オブ・ザ・リング」のスメアゴル以外は、
たいてい人間同士が話しているとき、
そこには2人以上の人間がいます。

2人ならば自分が50%話したとき丁度良い。
残り50%は聞くことに徹する。

、、、ここにひとつトリックがあります。
往々にして、人間は、夢中で話しているときよりも、
目の前の人の話を聞いているときのほうが、
時間の経過が遅く感じます。

ですから、主観的には、
1対1で話しているとき、
相手の話を自分が話すのの2倍聞いたな、
と思ったぐらいのときに、
客観的には五分五分で話したことになります。

「ちょうど自分が50%話した」
というときは、おそらく相手より自分の方が、
多く話しているときです。

これは「親切の量」にも同じことが言えます。
主観的に50/50と思っているときは、
だいたい相手の方が多く我慢し、多く親切にしてくれている。
極端な話、夫婦関係なんかだと、
自分が99%親切にして、丁度五分五分になる、
というぐらいに思っておいた方が良い。

それほど人間の主観的解釈は自分勝手なのです。

自分のした親切や相手からの迷惑は忘れませんが、
相手にしてもらった親切や、
自分がかけた迷惑は都合良く選択的に忘れるのが、
人間の性(さが)です。

、、、話を戻します。

3人ならば自分が33%の時間話し、
残りの67%は聞くと丁度良い。

4人ならば25%話し、75%は聞く。

5人ならば20%話し、80%聞く。

、、、という風に、
人数が増えれば増えるほど、
「聞く」ことのウェイトは増えます。

しかしこの「聞く」ということの重要性も、
その技術も、理解していない人が多いのが、
全世界共通の傾向です。

、、、だからこそ上記のような、
ユダヤの格言が必要なのだ、とも言えますが。

新約聖書にもこうあります。
「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、
 怒るにはおそいようにしなさい。」
(ヤコブ書1章19節)



▼▼▼教えない、裁かない、秘密厳守▼▼▼

「聞く」ことに関して、
私はこの15年ほどの年月をかけて、
相当に考えてきましたし、
相当に実践もしてきましたし、
相当に本も読んできました。

「聞く」というテーマだけで、
50冊は読んでいると思います。

「聞く」(聴く)ことの「技術」、
聴くことの効用、聴くことの意味、
聴くとは何か、聴くために何が必要か、、、、
みたいな話しは延々と書くことができます。

「聴く」というテーマで、
一冊の本を書けるぐらいのストックが、
たぶん私の中にはあります。

ただ、メルマガでそこまで包括的、体系的に書くのも、
味気ないので、今日はまず、「さわり」を話し、
そしてこれまで「聴き方講座」で、
あまり語ってこなかったことを書きたいと思います。

「セミナーでは言えない話」ですね。

文字数も限られてきましたので、
「さわり」はさっくりと話します。

聴くときの心構えとして、
「教えない、裁かない、秘密厳守」というのを、
私は聞き屋ボランティアの「モットー」として、
大切にしてきました。

この三原則はじつは、
ICBCが主催していた「チェンジングライフキャンプ」
というキャンプから生まれたものを、
聞き屋ボランティアをする際に、
私が、白昼堂々とパクった(笑)のです。

「チェンジングライフキャンプ」というのは、
「人生が変わるキャンプ」とあるとおり、
キリスト教徒が自分のとらわれから自由になって、
神の愛を内面生活の全体で体験できるようにデザインされています。

そこでは当然、過去に自分がしてしまった罪や、
人には言えないような恥ずかしい事や、
家族にすら隠していたような秘密を、
イエスの代理として傾聴してくれて、
祈ってくれるカウンセラーに話すわけです。

そこで「教えない、裁かない、秘密厳守」を、
大切にしましょう、というルールができたのです。

「教えない、裁かない、秘密厳守」という、
この三大原則は非常によくできていて、
これは聴くということの「技術論」に入る前の、
「原則的な精神論」にあたります。

ゴルフというスポーツをプレイする前に、
「これが紳士のスポーツだ」ということを心得よ、
というような話しです。

「オウム返し」「リフレーズ」「あいづち」、
「90度の角度で座る」「ミラーリング」などが、
ゴルフで言うならフォロースルーだとか、
両肩とグリップで二等辺三角形を作るだとか、
頭を最後まで残す、とか、そういう技術論にあたる。



▼▼▼聴ける人は必要とされる▼▼▼

ではなぜこの三大原則が大前提となるのか。

それは、「安心して人が話す」ためには、
安全な心理的空間が必要だからです。

そして傾聴する人が、
教えず、裁かず、秘密を漏らさない、
というのは安全な空間の最低条件です。

何かを話したときに、
「それは俺の経験ではこうだから、
 おまえはこうしたほうが良い」
と言われたなら、
話している人は思います。
「この人にはもう二度と相談しない。」

今まで人に話せなかった自分の弱さを打ち明けたとき、
「そんなことでは駄目だ、
 それは間違っている。
 正しい考え方はこうだ。」
と裁かれたなら、その人は、
もうひとつのトラウマを抱えることになるでしょう。

誰かに秘密を打ち明けたとき、
次の週には職場の全員がそれを知っていたとしたら、
あなたは思うでしょう。
「もう自分の秘密は絶対に人に打ち明けない」と。

「教えない、裁かない、秘密厳守」
これを意識して人の話を聞くだけで、
あなたの「聴き方」は変わります。

、、、また、長年この三大原則について話してきて、
近年私が改めて思うのは、
これは聴き方の原則であるだけでなく、
人間関係成功の秘訣でもある、ということです。

あなたが自分の職場で、
「(求められた時以外)上から教えない」人であり、
「人の意見を頭ごなしに否定しない(裁かない)」人であり、
「他者の秘密を絶対に漏らさない」人として知られていたら、
あなたは必ず上司や部下に信頼され、出世するでしょう。

逆にあなたの上司に、
上から教えず、意見を価値判断せずに聴いてくれ、
そして秘密を漏らさない人がいたらどうでしょう?

その人と働きたい、と思うはずです。

世間で考えられているのとは実は逆で、
出世し成功するのは「話し上手な人」ではなく、
「聴き上手な人」のほうです。

詳細を説明するのは次回以降にしますが、
聴き上手は必ずいつか話し上手になりますが、
話し上手(話し好き)はそのままでは、
聞き上手になれないからです。

そして、世間のニーズは常に、
「聴く」ほうにウェイトがあります。

「あなたの話し聴きます」という看板を立てて待っていると、
人が来ます(私は10年以上それを実証してきています)。

しかし、「私の話を聞いてください」という看板に、
近づいてくる人はいません。

「聴ける人」には常に市場価値があるが、
「話したい人」にはあまりないのです。



▼▼▼「知識」の大切さ▼▼▼

今週読んだ本で後ほど紹介しますが、
北野武の「全思考」という本で、
「話を聞くための知識の大切さ」が強調されていて、
激しく同意したので紹介します。

この話しは実は、「聴き方講座」では、
あまりしてきませんでした。

、、、というのも、聴き方講座は様々な方が参加しますから、
「聴くために知識量は大切」と言う話しは、
あまりにも「身も蓋もない」話しすぎて、
言及を避けてきたというところがあります。

例えば、バスケットボール入門市民講座で、
「身長と運動神経がかなり大事です」
みたいな話しをすると、
心折れてしまう人もいるじゃないですか。

それと同じです。

しかし、この「メルマガ」では、オーディエンスは、
登録してくださった読者の皆様に限定されていますので、
「この領域」にも踏み込みたいと思います。

北野武が「全思考」の中でこう書いています。

→位置No.1608〜1630 
〈他人への気遣いで、もうひとつ大切なのは、話を聞いてやることだ。
人間は年を取ると、どういうわけかこれが苦手になるらしい。
むしろ、自分の自慢話ばかりしたがるようになる。
だけど、自慢話は一文の得にもならないし、
その場の雰囲気を悪くする。
他人の自慢話を聞いていれば、それはよく分かるはずだ。

それよりも、相手の話を聞く方がずっといい。
料理人に会ったら料理のこと、
運転手に会ったらクルマのこと、
坊さんに会ったらあの世のことでも何でも、
知ったかぶりをせずに、素直な気持ちで聞いてみたら良い。

自慢話なんかしているより、
ずっと世界が広がるし、
何より場が楽しくなる。

、、、たとえ知っていたとしても、
一応はそうやってちゃんと聞くのだ。

そうすれば、専門家というものは、
きっとこっちの知らないことまで話してくれる。

井戸を掘っても、
誘い水をしないと水が湧いてこないように、
人との会話にも誘い水が必要なのだ。

どんなにワインに詳しくても、
ソムリエにワインのことを語ってはいけない。
そんなことをしたら、
ソムリエは何も大切なことを教えてくれなくなる。
「このワインはどうしてこんなに美味しいの?」と、
聞くべきなのだ。

 、、、

年寄りと話すのはつまらないっていうのは、
自分に年寄りの知識を引き出すだけの能力がないからなのだ。

相手が小学生だって、話せるはずだ。
「算数で何を習ってるの?」って聞けば、
答えは返ってくるんだから。

きっと、大人は小学生の算数だって、
相当難しく感じるだろうから、
同じ問題を一緒になって考えることだってできるはずだ。

そんなもの、じゃんじゃん引き出せばいくらでも引き出せるのに、
世代が違うと話が合わないなんて言うのは間違い。
話が合わないんじゃなくて、
話を引き出せない自分がバカなのだ。〉

、、、私が言いたいことはすべて言い尽くされていますが、
つまり北野武が言っているのは、
「相手の話を引き出す傾聴力」には、
呼び水としての知識が必要だ、ということです。

ほんとうに人の話を聞こうとすると、
教養が必要になります。

これは紛れもない事実です。

「教養」というのは、
何もインテリになるとか、
偏差値の低い人を見下すとか、
そういったことではありません。

養老孟司がこう言っています。
「教養とは、人の気持ちがわかることだ。」

私もこれに120%賛同します。

私たちが良い小説を読み、
良い映画を観、いろんな場所に行き、
社会に出て仕事をし、おカネを稼ぐ辛さを味わい、
挫折を経験し、世界のいろんな文化を知り、
スポーツや遊びを体験し、
政治、歴史、哲学、数学、宗教、自然科学を学ぶのは、

、、、

つまり、成人教育もふくめた、
「生涯教育」のつまるところの究極の目的は、
ただ一点にあると思います。

それは「人の気持ちが分かるようになる」ことです。

教養とは人の気持ちが分かること、
と養老さんが言っているのはそういうことです。

すべてにおいて専門家になることはできません。
しかし、少なくとも宗教改革の歴史を知っていなければ、
アイルランドの人々の、イギリス人への屈託を、
理解することはできません。

少なくとも世界の様々な貧困の現実を知らなければ、
海外に行って困窮する国々の人の気持ちを理解できません。

少なくとも自動車産業の構造と、
小泉改革の労働法改正についての基礎知識がなければ、
愛知県のトヨタのラインで期間工として働く、
契約社員の30代男性と対峙したとき、
その人の行き詰まりをすくい上げることはできません。

少なくともヒンズー教に関する基礎知識がなければ、
一般的なインド人の宗教感覚を理解できません。

その人を理解するには、
その人と対峙する「だけ」では実は駄目です。

あまりここまでハッキリ言う人がいないのは、
やはり「いいづらい」ことだからです。

大人に向かって「もっと勉強しようね」という苦言は、
親兄弟か、(親切な)上司ぐらいしか、
言ってくれませんから。

しかしこれは、真実です。

、、、大原則があります。

いつも、気持ちを理解してあげるのは、
「(包括的な)知識と教養」が大きい方です。

大きな「教養の円」を持つ人が、
小さな「教養の円」を持つ人を、
理解して、「聴いて」あげられるのです。

逆はあまり起こりません。

、、、極論を考えれば分かります。

あなたが30代男性だとしましょう。

あなたは小学3年生の男の子の、
「クラスで勉強ができる奴からバカにされて悔しい気持ち」
を、すくい取ってあげることができる。

なぜなら、あなたの「円」のほうが大きいからです。
経験においても、知識においても、教養においても。

「、、、そうだよなぁ。
 ボクも会社で仕事ができる同僚ばかり評価されると悔しい。
 君の気持ちはすごくよく分かるよ。
 辛かったなぁ」と共感してあげられる。

逆に小学3年生の男の子は、
あなたが給料がなかなか上がらず、
付き合っている彼女から結婚したいという圧力を感じるが、
それに対して応えてあげられないもどかしさについて、
あながた話したとしても、ピンとこない。

分かってあげたくてもあげられないし、
気持ちをすくってあげたくてもあげられない。

、、、それは男の子の「教養の円」が、
あなたの「教養の円」より、小さいからです。

大人同士でも実は、毎日、同じことが起きています。

あなたが「本当に」聞ける人になりたいのなら、
たくさん本を読む必要があります。

佐藤優さんは、
「書く力、話す力、聞く力」
この三つの力が、
「読む力」を超えることはない、
と著書に書いていますが、
それには今言ったような意味もあるのです。

「本なんて読んでる時間ねぇよ!」
と思われる方もいるでしょう。

確かに現代社会に生きる社会人は多忙を極めます。
、、、だからこそ、当メルマガを利用してください。

大胆にも自己宣伝させていただきますと、
このメルマガで得られる「教養の質と量」は、
毎回、その辺の質の悪い新書を一冊読むよりも多い、
と自負していますし、
そのような気概で書いています。

ですからこのメルマガは「時短ツール」でもあるわけです。
30分ほどで、一冊の書籍を読むぐらいの情報密度を、
吸収することができるわけですから。

、、、このメルマガを半年読み続ければ、
読む前よりも確実にその人の「教養」が底上げされ、
したがって人の話も良く聞けるようになる、
というようなメルマガを目指しています。

どうぞ皆様の「傾聴ライフ」にも、
このメルマガをお役立てください。


▼参考リンク:「全思考」北野武
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愛知メシ

2017.11.23 Thursday

+++vol.015 2017年5月30日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週の「オープニングトーク」
愛知メシ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼愛知のグルメ▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週は「出先」の愛知県にいまして、
執筆時間が限られています。

殆ど事前に予定は立てずに出かけ、
8日間滞在したわけですが、
結果的に7日間は毎日どこかに出かけて、
何かをしていました。

半日だけ、という予定の日も結構ありましたが、
まだ体力のない私は半日動くと、
残りの半日はベッドで休んでないといけないので、
外に出かけるか、くたばっているかのどちらか、
という一週間でした。

くたばっている間は文字通り眠っているか、
自宅から持参したニンテンドー3DSでゲームをするかの、
どちらかでしたから、執筆時間はおろか、
読書時間もほとんど取れませんでした。

(*面白くもないゲームをクソほどやりこむことほど、
 脳内の血の巡りが悪くなり、前頭葉の活動が抑えられ、
 思考停止できる方法を私は他に知りません。
 たぶんゲームは「洗脳」に利用出来ます笑。
 私は脳の休息に役立てていますが。)

、、、なので、今週も読んだ本は、
少なめかつ軽めです。

オープニングトークはですから、
なるべく頭を使う話は避け(笑)、
折角愛知にいましたので、
「愛知グルメ」について語ります。



▼▼▼カフェリール▼▼▼

私は小学生のころも含めますと、
愛知県に合計で11年住んでいます。

4歳から10歳まで知多市、
24歳から30歳まで豊橋市です。
ですから愛知県にはけっこう詳しい。

ですから読者の皆様も知っているような、
いわゆるメジャーな話はあまりしないことにします。

名古屋の喫茶店「マウンテン」の話も、
「あんかけスパゲティ」の話も、
「すがきやラーメン」の話も、
「コメダ珈琲店」の話もしません。

それはどこかの雑誌や書籍に、
すでに語り尽くされているでしょうから。

メジャーどころも少しだけ紹介しますが、
もうちょっとニッチでディープでマイナーで、
アクロバティックなところを、
今日は紹介したいと思います。

、、、まず一店目。

これは今回の滞在期間中、
ぽっかり空いたオフの一日に、
妻と二人で行ったカフェです。

この喫茶店(カフェ)は、
私の実家と、ICBCの教会の間ぐらいに位置していまして、
ICBCからも徒歩で行けますし、実家からも行けます。

できたのは確か4年前ぐらいかなぁ。

いかにもコーヒー好きというおじさんが、
自家焙煎の豆を使って丁寧に珈琲を淹れてくれます。
とても美味しい。

また、自家焙煎の豆にこだわる店にありがちな、
「押しつけがましかったり、客を見下すような雰囲気」は、
いっさいありません。

珈琲はもちろん美味しく、
広い窓から見える三河湾の海を眺め、
ゆったりとした時間に浸ることができます。
コンセントもあって、パソコンで長時間作業しても、
まったく嫌な顔ひとつされません。

今回はストロングブレンド(400円)を飲み、
おかわりもしました。
おかわりは100円オフです。

良心的なお店です。

実は先週火曜日に配信したメルマガの半分は、
このカフェで執筆しました。

執筆に飽きたら、
店内に置いてある書籍を読んだりして。

私は一冊読み終わりました。

この店は蒲郡在住の人にすらあまり知られていませんが、
隠れた名店だと思っています。
たばこ臭くないし。

田舎のカフェでは珍しく全席禁煙ですので。

▼カフェ リール
https://tabelog.com/aichi/A2306/A230603/23036614/



▼▼▼矢場とん▼▼▼

ここはどちらかというと、
メジャーですね。

先週の木曜日に、名古屋在住の、
FVIの同僚、湯本さんと、
ホームページ関係の打ち合わせをしに、
名古屋に行きました。

昼ご飯を食べ、午後一杯を使って、
作業と打ち合わせをしたわけですが、
このメルマガのバックナンバーページ
(8月立ち上げ予定、乞うご期待!)と、
湯本さんが来月からまた中期でエチオピアに行き、
現地のパートナー団体と活動をともにしますので、
その「情報発信」をどのようにしていったら良いか、
みたいなことを話しました。

ちなみに2013年に湯本さんが、
エチオピアに滞在したときのブログは、
以下のリンク(アフリカ滞在記)でお読みいただけます。

▼参考リンク:アフリカ滞在記
http://karashi.net/ethiopia/

、、、というわけで、
名古屋に行った日に昼ご飯を食べるということで、
せっかく名古屋に行くのだから、蒲郡や豊橋には、
(*備考:これらの地区を総称して東三河と愛知県では言います)
ないものを食べたいと思い、
私がリクエストしたのがこの「矢場とん」だったわけです。

名古屋と言えば味噌カツ!
なわけですが、それを代表する店が、
この「矢場とん」です。

大阪を代表するグルメは串カツ!
ですが、それを代表する店が、
新世界の「だるま」であるのと同じです。

矢場とんの「わらじとんかつ」は非常に有名で、
わらじのような大きさのとんかつが二枚、
ご飯と味噌汁と一緒に運ばれてきます。

それに特性の味噌だれをかける。
「どろどろ」というより、案外さらっとしていて、
「ビショビショ」といった感じに近い。

だから写真で見る以上に食べ心地は「軽く」、
ちゃんと「味噌カツ食ってる感」があるのに、
2枚の大きなとんかつをぺろりと食べられてしまう。
これがどろっとした味噌ダレだと、
2枚目の前半あたりから胃にもたれてくるのは必至です。

そこのところをよく計算してあるなぁと感心します。
たぶん果物系をすり下ろしたりして、
さわやかにしているのではなかと私は睨んでいます。

「こってりとしてるのに食後感は意外とさっぱり」というのは、
もはや豚骨ラーメンを形容する上でコスられすぎて、
一種のテンプレートみたいになってしまっているのですが、
矢場とんのわらじとんかつは、
まさにそのような形容が当てはまります。

矢場とんはフランチャイズ展開していますが、
そのエリアが非常に限定されているため、
東海三県に住んでいる人ですら、
名古屋に行ったついでぐらいにしか食べられない。

ちなみに首都圏在住の方は銀座に支店があります。

私が今回行ったのは大須にある、
「矢場町本店」でした。

「本店」ってなんか嬉しいですよね。

天下一品ラーメンの「京都本店」に行くのは、
私の夢のひとつです。

▼参考リンク:矢場とん
http://www.yabaton.com/



▼▼▼直挽き炭焼きハンバーグ 炭棟梁・IORI▼▼▼

この店は、先日結婚した、
友人の「こうた」に連れて行ってもらいました。

こうたは私が社会人時代に、
高校生として教会に来ていた「ユース」のひとりで、
このたびめでたく結婚したわけです。

感慨深いです。

、、、彼ら夫婦が、
私たちを今回「おもてなし」してくれました。
私はマッサージ店に連れて行ってもらい、
そのあとにこのハンバーグをいただき、
それから新居でミニファミコンをして遊び、
最高の一日を過ごしました。

静岡に、これまた知る人ぞ知るハンバーグ店の、
「さわやか」というチェーン店があります。
中が真っ赤な、げんこつ大の粗挽き牛肉の、
真ん中で切った真っ赤な切れ目を、
鉄板プレートで焼きながら食べるという、
肉好きにはたまらない「寺門ジモン推奨」的な店です。

この「炭棟梁」は「さわやか」のさらに上を行く感じで、
肉をがしがし食べる喜びを味わえます。

特に私が頼んだメニューは、安曇野産本わさびを、
自分でおろして、それと岩塩で食べる粗挽きハンバーグは、
良い意味でアナザースカイな体験でした。

「アナザースカイ」が最近、
万能な言葉みたいになってきた笑。

さらにこの店のランチには、
サラダバーがつくのですが、
そのひとつひとつのクオリティがいちいち高い。
洋風豚汁は美味すぎておかわりしました。

この店がもし東京にあったら、
確実に1時間ほど並び、
2倍の値段を取られるでしょう。

▼参考リンク:炭棟梁・IORI
https://tabelog.com/aichi/A2306/A230603/23032159/



▼▼▼かつさと▼▼▼

全国展開するカツ丼屋としては、
「かつや」が有名ですが、
東三河の田原発祥のこの「かつさと」が、
私はほんとうに大好きです。

私が6年間豊橋で働いていたとき、
職場から家まで軽自動車で帰るのですが、
朝ほど混み合ってないので25分ぐらいで家に着きます。

その「20分地点(つまり家まであと5分地点)」に、
この「かつさと」がありました。

私は当時から料理が好きでしたから、
自分の夕食は基本的には自炊していたのですが、
あまりにも仕事でへとへとに疲れ、
「今日は帰って料理をする元気もないだろうな」
という日はかならず、この「かつさと」に立ち寄りました。

この「かつさと」は何が「かつや」をはじめとする、
他のカツ丼フランチャイズ店より優れているかというと、
もう、これに尽きます。

シンプルに、カツ丼が美味い!!

カツ丼(税込み540円)が、
もう、ほんとうに、シンプルに美味いのです。

豊橋に住んでいるときは、
もちろん「美味いなぁ」と思いながらも、
比較対象がないので「これが標準」と思っていましたが、
豊橋を離れて知ったのです。

あのカツ丼のレベルが異常に高かったということを。

小樽で育った寿司屋の息子が、
本州の大学に通うようになってはじめて、
自分がかつてどれだけ美味い魚を食べていたかを自覚する、
みたいな話に似ています。

私はこれまでに1000円近くするようなのから、
サービスエリアの安いカツ丼、
またはそば屋の評判のカツ丼、
オリジン弁当やコンビニのカツ丼、
そして自分で作ったカツ丼など、
さまざまな文脈のさまざまなカツ丼を食べてきましたが、
この「かつさとのカツ丼」以上に美味しいカツ丼に、
いまだかつて出会ったことがない。

自分でカツ丼を作るときは、
無意識に「かつさと」に寄せようとしている自分がいます。
、、、しかし、とうてい及ばない。

かつさとのカツ丼はなんていうのか、
「出汁の存在感が圧倒的」なのです。

関西の出汁というよりも、愛知県らしい、
コクとパンチと香りの効いた、
「ガツンとくる出汁」なのですが、
それがトンカツとめちゃくちゃ合うのです。
良い感じに半熟状態の卵と「三つ葉」が、
その二つの「強い味」を折衷してくれている。

毎日でも食べたかったのですが、
今回は一度しか行けませんでした。

最近では「かつさとのカツ丼を食べる」ことが、
愛知に来ることの楽しみのひとつになっています。

▼参考リンク:かつさと
http://www.katsusato.com/



▼▼▼レストラン「さんかい」▼▼▼

これは相当にディープな店です。
愛知県民、それも三河地区住民に限り、
なじみ深い店です。

「スーパーあるある」というのがありまして、
日本中の殆どの地方都市の住人は、
地元のスーパーが全国チェーンだと勘違いしています笑。

、、、で、東京の大学で赤っ恥をかくことになる。
「、、、え?ドミーって東京にないの?」
「、、、マルナカ行こうか、、、え?全国にないの?」
というやつですね。

「さんかい」はそんな、地元スーパーのような、
三河地方における圧倒的な、
「空気のように、そこにあるお店」なのです。

「さんかいはきっと奪うでも、
 与えるでもなくて、
 気がつけばそこにあるもの
 (by Mr.Children)」なのです。

そんな「さんかい」の良いところは、
なんていうのか、特徴のないところですね笑。

値段はそんなに安いわけじゃない。
ご飯は格別に美味いわけじゃない。
(もちろんマズいわけではないです、念のため)
メニューはそんなに特徴があるわけじゃない。
店員はそんなに愛想が良いわけではない。
テーブルやイスはオシャレなわけじゃない。
むしろ昭和のどこかで時間が止ったふしがある。

サイゼリヤやガストが、鬼のような企業努力で、
安価で多彩なメニューを提案するなか、
「こんな店だれが来るんだよ笑」と言いながら、
気がついたら奥さんと子どもを連れて
「さんかい」のソファに座って、
味噌カツ定食を頼んでいる自分がいる、、、
という、恐るべき「地元民吸引力」という、
謎の魔力を備えた店です。

どこの地方にもこういった、
「心の原風景のようなパッとしないファミレス」
って、あるのかな?

たぶん特徴がないことが最大の特徴で、
「ある特定の世代が120%満足する店」よりも、
「おじいさんから孫まで、あらゆる世代が75%満足する店」
のほうに軍配が上がる、というのは、
地方の特色でもあるのでしょうか。

「さんかい」が潰れるような日が来たら、
それは日本社会において、「共同体の解体」が、
取りかえしのつかないところまで破壊されたことの、
ひとつのサインなのかもしれません。

「炭鉱のカナリア」ならぬ、
「三河のさんかい」ですね。

▼参考リンク:さんかい
https://tabelog.com/aichi/A2306/A230603/23045160/



▼▼▼他にもあるよ、愛知グルメ▼▼▼

、、、というわけで、あっという間にまた、
「語りすぎてしまった」わけですが、
いかがだったでしょうか?

愛知グルメ。

是非読者の皆様も、
愛知県にお越しの際はお試しください。

きっと満足するはずです。

愛知グルメはこれだけではありません。
今回は紹介しませんでしたが、
他にも沢山の優良店やオモシロ店があります。

食というのは地方、地方によって、
その特色があります。

たとえば中国地方なんかは、
食についてはとても保守的だと言われます。
あまり新しいものは試さない。

関西なら人柄とは逆に、
「あっさり」したものが好まれますし、
日本海側の地方や北海道などは、
「とにかく素材が美味い」という感じですね。

愛知は食については、
芸術で言えば「キュビズム」と言いますか、
もうピカソの「ゲルニカ」みたいになっています笑。

決してディスっているのでも、
自虐しているのでもありません。

褒めているのです。

有名な小倉マーガリントーストに始まり、
味噌煮込みうどん、ひつまぶし、
あんかけスパゲッティ、台湾ラーメンなど、
とてもポストモダンな食の挑戦を続けているのが、
じつは愛知県であり東海地区です。

もうヤケクソになっているのではないか、
という説もありますが笑、
岡本太郎も言っているように、
「面白いもの」は爆発のなかから生まれます。

あと、愛知はスーパーにも面白い商品があります。
大手お菓子メーカーというのは、
新作お菓子を開発すると東京や大阪で大きなリスクを冒す前に、
「試験地区」でまずは売れ行きを探ってから、
本格的に首都圏展開するという業界的慣習があります。

で、その「試験地区」は、
「新し物好き」の県民性の地方が選ばれます。
食に対して保守的な地域でない場所ですね。

「北海道と静岡がそれだ」という話は
ずいぶん前に聞きましたが、
たぶん今は愛知も入っています。

愛知に行くと、
「みたことのないお菓子」が一杯売ってます。

今回の収穫は、
「亀田の柿ピー」の「CoCo壱カレー味」で、
柿ピーファンの私は2袋買って帰りました。
CoCo壱もちなみに名古屋発祥です。

そんなわけで、今日はこのぐらいにしたいとおもいます。

愛知県の食の魅力、伝わりましたでしょうか?
読者のみなさんの「地元グルメ」の魅力は何ですか?




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