カテゴリー

検索

便利な「検索」機能の使い方

上の検索バーに、「vol.○○」あるいは、「●年●月●日配信号」などと入力していただきますと、カテゴリ別だけでなく配信号ごとにお読みいただけます。

また、ブログ記事のアップロードは時系列で逐次していきますが、「カテゴリ別」表示をしますと、「Q&Aコーナー」だけを読む、あるいは「先月観た映画」のコーナーだけを読む、などの読み方が可能です。

スマートフォン

この他の活動媒体

●9年間続くブログです。↓
陣内俊 Prayer Letter ONLINE

●支援者の方々への紙媒体の活動報告のPDF版はこちらです↓
「陣内俊Prayer Letter」 PDF版

本のカフェ・ラテ『木を見る西洋人、森を見る東洋人』(前編)

2019.02.20 Wednesday

+++vol.061 2018年10月16日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼久しぶりの「本のカフェラテ」▼▼▼

久しぶりにやります。
「本のカフェ・ラテ」。
初めての方のためにご説明しますと、
当初本メルマガには、
「本のエスプレッソショット」というコーナーがありました。
これは一冊の本を、だいたい1〜2万字ぐらいで、
「要約」といいますか、解説するという内容で、
読む側からすると、5分ぐらいで、
一冊の本の内容がだいたい頭に入るわけですから、
かなりの時間的・認知的コスト削減になります。
(まぁ、要約を聞くのと本を読むのとでは、
 厳密には違うのですが、
 あくまでエッセンスだけならば、
 こういうことが可能です)

これはコーヒーを思い切り高圧で抽出し、
本来300mlになるのを30mlの濃厚なエキスにする、
「知的なエスプレッソ」のようなものだな、
と私は思い、「本のエスプレッソショット」と名づけたわけです。

ところが、この作業、
読む方は「お得」のですが、
高圧抽出するほうは結構大変です。
一冊の本を1万字で網羅しようとすると、
かなり「つかれる」ことが分かりました笑。

「認知負荷一定の法則」と私が読んでいる法則がありまして。
発信側が認知負荷をかけて発信した情報は、
受信側は負荷なしに、つまり簡単に受け取れます。
よーく考え抜いてなされた発言や文章は、
さらりと読みやすい(聞きやすい)ということです。

逆に発信側が認知負荷をかけずに発信すると、
受信側の認知負荷が高まります。
よくまとまっていない文章や意見は、
聞いたり読んだりしても、
頭を抱えてしまうほど難解(理解不能)だ、
ということですね。

「本のエスプレッソショット」は、
発信側の認知負荷が高すぎるので、
これをウィークリーベースでやるのは無理だな、
と私は察しました。

そこで登場したのが、
もうちょっと発信側の認知負荷を軽減する、
「第三案」。

それが「本のカフェ・ラテ」です。
エスプレッソを牛乳で薄めたものがカフェラテですので、
エスプレッソほど濃くはないが、
ただ内容を垂れ流しているのでもない。

その本のエッセンスが、
短時間で垣間見られる、
という意味では、
読者にとっても十分美味しいこのコーナー。
シーズン2では初めてです。



▼▼▼『木を見る西洋人、森を見る東洋人』▼▼▼

さて。

今回ご紹介するのはこちらの本です。


●木を見る西洋人、森を見る東洋人

読了した日:2018年1月31日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:リチャード・E・ニズベット
出版年:2004年
出版社:ダイヤモンド社

リンク:
http://amzn.asia/cJx57Lj


読了したのは今年の1月なので、
一度「先週読んだ本」でご紹介しているはずなのです。
しかし今回なぜこれを紹介しようと思ったかと申しますと、
9月後半にタイのチェンマイで、
DNAアジアフォーラムという、
FVIが理念を共有する国際的な集まりに参加しました。
私も30分の発表の機会をいただきまして、
15カ国、50名の参加者に、
「西洋と東洋の考え方の違い
 〜東からみた『もうひとつの真理のプリズム』〜」
というテーマでお話をしました。

その発表は非常に好評で、
参加期間中、参加者の半分以上の人が、
「俊、君の発表は素晴らしかった。
 今まで自分が考えていたことを、
 君は見事に言語化してくれた!
 すっきりした!」
「君が紹介していたあの本、
 絶対買って読むよ!!」
「日本における神の働きについて、
 めちゃくちゃ考えさせられた。
 遠藤周作の『沈黙』を読んだときのことを思い出させられた」
などのフィードバックをいただきました。

発表の様子がこちらです。
私の人生のメンターである、
ボブ・モフィット師が撮影して、
後にメールで送ってくれました。

▼参考画像:タイでの発表
https://bit.ly/2PqZxW6



▼▼▼Geography of Thought▼▼▼

、、、で、その発表にて、
私が「論理的下敷き」にしたのが、
上記のリチャード・ニズベット氏の本です。

ニズベット氏は米国コロンビア大学の教授で、
専門は社会心理学です。
ちなみに、この本のタイトルは、
邦題が「木を見る西洋人、森を見る東洋人」ですが、
英語原版のタイトルは、
「The Geography of Thought
How Asians and Westerners Think Differntly, and Why?」
です。

直訳すると、
「思想の地理学
 〜アジア人と西欧人の思考は
 どのように異なるのか?そしてそれは何故か?〜」
といったタイトルになります。

タイトルからして、
内容の説明になっています。
アジア人である日本人はこの本を、
「木を見る西洋人、森を見る東洋人」
と、包括的な表現でひとことで説明しました。

西洋人である著者は、
「思想の地理学」
という分析的な言語を使っています。

面白いですね。
では早速、本のカフェラテのルールに則り、
私のEvernoteメモにコメントする形で、
解説を始めて行きたいと思います。



▼▼▼ギリシア人から発する「主体性」と「ディベート」▼▼▼
→P15 
〈ギリシア人がもっていた主体性の観念は
「自分とは何か」についての
強い信念(アイデンティティ)と連動していた。
個人主義という概念を生み出したのが
ギリシア人かヘブライ人かは議論の分かれる所だが、
いずれにせよ、ギリシア人が、
自らを他人とは違った特徴や目標を持った
「ユニークな(唯一の)」個人だと考えていたことは確かである。

このことは、少なくとも紀元前八世紀ないし九世紀の
ギリシア詩人ホメロスの時代には動かしがたいものとなっていた。
ホメロスが書いた『オデッセイア』と『イリアス』では、
神々も人間も、一人ずつ完全な個性を有していた。

ギリシア人の主体性の観念はまた、
討論(ディベート)の伝統を盛り上げる刺激にもなった。
ホメロスは、人間の評価は戦士としての力強さと
討論の能力で決まると明言している。
一介の平民が君主に討論を挑むことさえ可能だったし、
単に話をさせてもらえると言うだけでなく、
ときには聴衆を自分の側になびかせることも出来たのである。
討論は市場でも政治集会でも行われ、
戦時下に討論がなされることさえあった。〉


、、、さて。
どこから説明しましょう。
著者は「東洋人と西洋人はなぜ違った考え方をするのか?」
を考察したいわけです。
では、「西洋人」ってなに?
ということが定義されていなければ、
この議論はそもそも組み立て不能なわけですね。

、、、で、
私たちが「西洋」と一般に口にするとき、
特にそれが思想的なことを意味している場合、
めっちゃくちゃシンプルに一言で言いますとそれは、
「コルプス・クリスティアヌム」のことを言います。
著者もこの意味で「西洋」を定義しています。

え?

コルプス、、、、

え?

何それ?

初めて聞いたんですけど。

という方もいらっしゃると思いますので、
これもなるべく簡単に説明しましょう。
佐藤優氏が、「世界史の大転換」という本の中で、
「トルコがEUに受け入れられないという予測の根拠」を、
このように語っています。

〈佐藤:EUはユダヤ・キリスト教の一神教の伝統(ヘブライズム)と、
ギリシャ古典哲学の伝統(ヘレニズム)、
ローマ法の伝統(ラティニズム)という
三つの価値観で結びつけられている。
「キリスト教共同体(コルプス・クリスティアヌム)」ですからね。
欧州がトルコをEUのメンバーとして受け入れる可能性は低いでしょう。〉


、、、この説明のままなのですが、
西洋(西欧と言っても良い)というのはつまり、
ギリシャ哲学とユダヤ教が結婚し(原始キリスト教)、
それにローマ法(ラテン語のローマカトリックの伝統)が加わった、
「三つ巴の思想体系」のことを言います。

この「コルプス・クリスティアヌム」が、
現代の世界のデファクトスタンダードを形作っています。
東洋人である日本人がいくら地団駄を踏もうとも、
この事実を反証することは不可能です。

民主主義も、資本主義も、共産主義も、
全部、「西洋」から生まれました。
また、
「法の概念」、「人権の概念」、
福祉、医療、近代教育、
数学、物理学、化学、生物学、哲学、
「政治の概念」、「西暦」、「一日24時間制」、
「週7日制」、学校教育、「会社」の概念、
ぜーんぶ、
「西洋の落とし子」です。
「コルプス・クリスティアヌムの落とし子」が、
現代の工業先進国の「ルールを形成」しています。

ですから私たち日本人は、
自らの宗教が何であるかに関わらず、
ある意味において、
「無自覚のキリスト教徒」なのです。
法の概念、会社の概念、資本主義、民主主義を、
制度として利用しているということは、
その前提となる思想を、
社会全体として受け入れていることに他ならないのですから。

、、、ここまで説明して、
やっと本の説明に入れるのですが、
「個人の概念」というのは、
「コルプス・クリスティアヌム」の落とし子のなかの、
特に「ギリシャ的なるもの」の遺伝子が強い「子」なわけです。
この「個人の概念」は非常に重要です。
これがないと、
法の概念も、
契約の概念も、
資本主義も、
民主主義も、
人権の概念も、
生まれませんから。

、、、なぜギリシャ的な「個人の概念」が、
キリスト教という文脈の中で花開いたか?
神学者マルティン・ブーバーはこう言っています。

「神に『あなた』と呼びかけるとき、
私は初めて『私』ということができる。
『私/あなた』というとき、他の『あなた』が現実となる」。

「創造者の存在」があるから、
「個人」が誕生するのです。
「創造者との関係における個人」があるから、
「私と同じように人権のある他者」が、
立ち現れるのです。
それをマルティン・ブーバーは一文で簡潔に表現しています。

かの福沢諭吉も、
「西洋」に行き「個人」を知ります。
彼はなんとか日本人に「個人」を語りたい。
そうして書いた『学問のすゝめ』において、
彼は「天」を措定します。
有名な、
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
ですね。

福沢諭吉は、マルティン・ブーバーの言ったことの本質を、
捉えていたのです。
「人権」は「超越者の措定」なしに構築できないと。
福沢は「天」という言葉を使うことで、
日本人に「個人」そして「人権」という概念を根付かせようとしました。
しかしそれが制度として採用されるには、
福沢諭吉の死からさらに長い時間を待たねばなりません。

日本には、1945年までは、
法律的に「個人の概念」はありませんでした。
だって、明治の憲法、つまり大日本帝国憲法では、
社会の最小単位は「家」ですからね。
日本国憲法では社会の最小単位は「個人」になりました。
GHQによって押しつけられたと一部の人に悪評高い、
「日本国憲法」によって、
実は日本はある意味「キリスト教化」されたのです。

めっちゃ話しがそれますが、
ここでひとつ「時事ネタ」を。
安倍チルドレンのひとり、自民党の片山さつき氏が、
今回の内閣再編で「入閣」しました。
地方創生大臣として。
彼女は2012年に、このような「ツィート」をしています。

『国民が権利は天から付与される、
義務は果たさなくていいと思ってしまうような
天賦人権論をとるのはやめよう、
というのが私達の基本的考え方です。
国があなたに何をしてくれるか、
ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、
を皆が考えるような前文にしました!』

先ほどから私が語っている内容を踏まえていますと、
このツィートが「驚愕の内容」であることが分かるでしょう。
天賦人権説を否定することで、
彼女は無自覚に、「近代社会の前提」を否定しています。
つまり、
「前近代的封建制度に、社会を戻しましょう」
と言っているのです。
「時計を明治時代とか江戸時代に巻き戻しましょう!」と。

法治主義や立憲主義という、
近代民主国家の土台を形成する「天賦人権説」を否定しましょう。
そして、国家が専制的に国民を統治するという枠組みを用意し、
その上に憲法を制定し、社会を構築しましょう、
と、彼女は言っているのです。
それはつまるところ、
「日本を中国のような中央集権的管理国家にしましょう」
と言っているのと、あまり変わりません。
多分自民党の右派の政治家は無自覚にでしょうが、
「日本を中国化したい」のだと思います。
彼らがやたらと中国を嫌うのは実は、
「同族嫌悪」ではないかというのが、
私のうがった見方です。

私は憲法改正自体に反対ではありませんし、
憲法を不磨の大典とは思いません。
しかし、片山さつき氏のツィートに代表されるような、
あまりにも無知に基づく国家観、
無知でないとしたら悪意に満ちた国家観を持つ政治家に、
「その大切な作業」を託したくない、
というのが私の個人的な意見です。



▼▼▼ギリシャ人は史上初めて「メタ視点」を持った民族だった。
「エスノセントリック」という言葉にそれが凝集されている▼▼▼

→P16〜17 
〈こうした特徴の故に、ギリシア人たちは、
物理学、天文学、高力価学、形式論理学、論理哲学、自然哲学、
民俗学といった多くの学問領域において卓越した力を持っていた
(これらの学問はギリシア人が発見したという人もいる)。
ちなみに「自民族中心主義的(エスノセントリック)」
という言葉はギリシア語が起源である。

ギリシア人は元来、
自分たちの生き方はペルシア人より優れていると信じていたが、
それがおそらくは単なる偏見に基づくものだったという
自戒の念を込めてこの言葉を生み出したのである。

同時代の多くの優れた文明において、
また、それ以前のメソポタミア文明、
エジプト文明、後期のマヤ文明においても、
人間は、あらゆる科学の領域で体系的な観察記録を蓄積していった。
しかし、自らが観察した事項を説明する
根本原理を見いだそうとしたのはギリシア人だけだった。

こうした根本原理を探求することは、
ギリシア人たちの楽しみの源だった。
今日我々が用いている「学校(school)」という単語は、
ギリシア語で「余暇」を意味する「スコレー(schole)」が語源である。
ギリシア人にとっての余暇とは、知識を追い求める自由だった。
アテネの商人たちは自分たちの好奇心を満たすために、
息子を学校へやることに幸せを感じていたという。〉



、、、ギリシャ人は、
「エスノセントリズム(自国民属中心主義)」という言葉を生みました。
これは、人類史に残るような「大きな事件」です。

なぜか?

「自国民族中心主義」という言葉は、
「自分たちが身びいきになっている」
ということを、自国民ではない誰かの立場に立って、
自己分析できなければ生まれない言葉だからです。
つまり、ギリシャ人は「メタ視点」を持っていたわけです。

「メタ」というのがそもそもギリシャでして、
「〜の後ろの」、「超〜」、「〜より高次の」
という意味をなす接頭語です。
メタフィジックスという英語がありますが、
これは「メタ」な「フィジックス」ということです。
フィジックスとは「物理学・物質上の学問」ということですから、
メタフィジックスは「形而上学」、
つまり、観察される出来事を学ぶ物理学より、
もうひとつ上の次元で物事を語る学問、
ということになります。
形而上学とはだから、神学、哲学などのなかの、
現実世界の奥にあるこの世の中の根本原理を問う学問、
ということになります。

もうちょっとかみ砕きましょう。
「このボールが転がる速度はどれぐらいか?」
というのを計算したり分析するのが「フィジックス(物理学)」ですね。
「メタフィジックス(形而上学)」とは、
「このボールが存在する」とはいったいどういうことなのか?
ということを問う学問です。
「存在」とは何か?
それは脳内のシナプスによって引き起こされるのか?
宇宙にひとりも人間がいなくなっても、
このボールは「存在する」と言えるのか?
といったことを問うわけです。

「エスノセントリズム」の話しに戻しましょう。
この言葉をギリシャ人が「発明」したことが、
なぜ「凄いこと」なのか?
それは、この言葉が、ギリシャ人が「メタ視点」を、
持っていたことの証左だからだ、
と私は先ほど申しました。

ここで突然ですが、
「頭が良いとは何か?」についての、
私の持論をお話しします。
「頭の良さ」の本質とは何か、
ということです。

これは複数の正しい解答が矛盾なく存在する問いなのですが、
私は「頭が良い」というのは、端的に言うと、
「自己相対化できること」だと思っています。

地頭の良い人というのは、
「自分を相対化出来る人」なのです。
これを言い換えると「メタ視点」を持てる人です。
先ほどのメタフィジックスの話しを思い出してください。
「メタ」の視点を持っている人は、
「自分が今発言している内容の前提は何か?」
について問うことが出来ます。
また、
「今自分がこう考えているということは、
 いったいどういうことなのか?」
を考えることが出来ます。

何かの仕事やプロジェクトに没頭しながら、
「今この仕事をしている自分(たち)は、
 全体のなかでいったいどんな機能を果たしているか」
について思い巡らすことが出来ます。
文章を書きながら、
「今私はどういう前提に基づいて文章を書いているのか?」
という、「文章をついて書く私について考える私の視点」
を持つことが出来るのです。

これと「地頭の良さ」の、
何の関係があるのか?

大ありです。

メタの視点を持っている人は、
「次数を繰り上げて物事を考える」ことが出来ます。

アインシュタインは、
「ある問題は、
 それが作られたのと同じ次数では解決しない。」
と言っています。
次数をひとつ繰り上げたときに、
「問題」は解けるのです。

たとえば、そうですねぇ。

「お金が足りない」という問題があったとしましょう。
「お金が足りない」という問題は、
「お金」という次元では解決しません。

なぜか?

その人がたとえ大金を手にしても、
問題は解決しないからです。
その人は「お金との上手な付き合い方」
を知らないからこそ「お金の欠乏」という、
症状に苦しんでいるのです。
その人が、宝くじに当たったとしても、
問題は解決しません。
お金と上手につきあえないその人は、
当選金の一億円を手にすることで、
浪費家になってしまうかもしれないし、
次の日から「誰かに奪われる」と不安で寝られなくなるかもしれないし、
あるいは、もっと増やそうと投資した結果、
逆に大きな借金を抱えることになってしまうかもしれない。
1億円では飽き足らす、
こんどは10億円が欲しくなり、
「やっぱりお金が足りない」
という欠乏感に悩むかもしれない。

ほら、同じ問題に帰ってきたでしょ。

お金が足りないという問題は、
「お金の多寡」という次数では解決しません。
次数をひとつ、繰り上げる必要があります。
「慢性的な欠乏感」という心理的問題があるかもしれない。
セルフイメージの低さが問題かもしれない。
お金との上手な付き合い方を、
人生のなかで学べなかったことが原因かもしれない。

そんなふうに、「次数を繰り上げて」解決する必要があります。
そうすると、「もはやお金というのは副次的な問題に過ぎない」
ことがわかります。
そのときに初めて、最初の問題が解決されたのです。

メタ視点を持てる人は強いです。
しなやかに人生を前に進めていくことが出来ますから、
「スタック(停滞)」することがありません。
「一時的なスタック」に陥ることはあっても、
それは「飛躍への布石」に過ぎないのですから。

、、、ここで宣伝を。

11月23日(金)〜24日(土)に、
札幌で開催される「よにでしセミナー」は、
「メタ視点を獲得する」ことを目的とした、
(たぶん)日本で唯一のキリスト教のセミナーです。
このセミナーに参加すると、
「自らが働くとは何か?」という次元で、
物事を考える視点が身につきます。
それはあなたの問題解決能力、
リーダーシップ、未来構築能力が飛躍するのに、
不可欠なパーツをもたらすことでしょう。

いまのところ、あと5名分ぐらい「枠」があります。
参加をご検討の方は、お早めにお申し込みを!

▼参考リンク:「よにでしセミナー」
http://karashi.net/project/yonideshi/index.html


話しを戻します。
「エスノセントリズム」という言葉を使える国家は強いのです。
なぜなら、「自己相対化」出来るからです。
「夜郎自大」という罠から守られるからです。
昨今の日本の「ニッポンスゴイ!!」式の夜郎自大番組が、
量産される現状を見るとき、
私は我が祖国が心許なくなります。
本当に強いのは、
「ニッポンスゴイ!」を繰り返す、
自画自賛国家ではありません。
「ニッポン、大丈夫か?」
という内在的批判を受け止め成長していける国です。



▼▼▼中国では形式論理学が発達しなかった代わりに、
ある種の弁証法が発達した。その理由は、、▼▼▼

→P40 
〈中国では、論理学に変わるものとしてある種の「弁証法」が発達した。
これはヘーゲルの弁証法とは厳密には異なっていた。
ヘーゲルの弁証法は、定立(テーゼ)の後に
反定立(アンチテーゼ)が続き、
それが統合(ジンテーゼ)によって解決に導かれる。
つまりそれは、最終的には矛盾を解決することを目的とした、
いわば「攻撃的」な弁証法だった。

中国の弁証法はそうではなく、矛盾の概念を用いて、
物事や出来事の間の関係を理解したり、
明らかな反対意見を統合したり、
粗削りでも得るところのある考え方を取り入れたりするものだった。
中国の知の伝統においては「Aである」という信念と
「Aでない」という信念とは、必ずしも両立不可能ではない。
逆に、道(タオ)や陰陽原理の精神に則れば、
Aのなかには、Aでないということ
(または少なくとも近いうちにAでなくなるかもしれないこと)
が含意されて良い。〉



、、、タイのチェンマイで、
私がプレゼンに用いたのはこの部分です。
「太極図」というシンボルがあります。
英語圏ではTaijitsuと呼ばれています。
著者はこの図に、東洋的な思考法が凝縮されている、
と言っています。

▼参考画像:太極図(Taijitsu)
https://stat.ameba.jp/user_images/20130121/06/warainakiok/81/07/j/o0800079812385803095.jpg

ニズベット氏が指摘しているとおり、
西洋の論理学(アリストテレス論理学を基礎とする)と、
中国(東洋)の論理学は趣を異にします。
西洋の弁証法と東洋の弁証法は違うのだ、と。

西洋の弁証法は、「矛盾の解消」を目指します。
「矛盾」を契機に、問題を「保存的に止揚」し、
新しい、より高次な概念把握を目指す。

対して東洋の弁証法は、
「矛盾」を契機にして、
相対する二つの概念を統合する方向に向かいます。
太極図はその「統合」を上手く表現しています。

なぜこのようなことが可能なのか?
アリストテレス論理学の「はじめの一歩」は、
「排中律」と言われる原理です。
「Aは、Aであると同時に、
 非Aではありえない。」というものです。

「リンゴは、リンゴであると同時に、
 ミカンであるということはありえない。」
「陣内俊が東京にいるということと、
 ニューヨークにいるということは、
 同時にはありえない。」
「神がいるということは、
 神がいないということと、
 同時には成立し得ない。」

そういったことですね。
西洋近代科学はこの礎石の上に成り立ちます。
西洋の神学者が何百年もの間、
最も優秀な頭脳をすり減らして、
侃々諤々の議論をした問題の代表は、
「三位一体論」や、
「イエスの神性」です。

現に、「三位一体」をめぐる立場の違いにより、
西方教会(ローマカトリック→プロテスタント)と、
東方教会(ギリシャ→ロシア正教会)は袂を分かちました。

また、「イエスの神性」に関しては、
「ニカイア公会議」により決着を見るまで、
ものすごーい対立があり、
ものすごーい議論が積み上げられました。
神学2000年の歴史の中で最も重要な議論と言われています。
「ホモウーシオス」なのか、
それとも「ホモイウーシオス」なのか、
という有名な論争です。

興味ある人は調べてみていただければ良いのですが、
これはつまり、
「キリストは神と同じもの(同一存在)」なのか、
それとも、
「キリストは神と似たもの」なのか、という論争です。

東洋ならば、
「どっちでも良いんじゃない?」
なのかもしれません笑。

だって、排中律のない世界なのですから。
だから、
キリストは神と似ている。
キリストは神と同じだ。
どっちも正しい。
どっちも一理あるね。
他の側面ももしかしたらあるかもね。
以上、解決です。

ところが、
アリストテレス論理学に基礎付けられた西洋には、
「排中律」があります。
「Aは同時に非Aではあり得ない」

はい。

出ました。

これと、「三位一体」、
これと、「ホモウオーシス」は、
バッティングするのです。

排中律にキリスト論を当てはめますと、
「イエスは、人間であると同時に、
 神ではあり得ない。」
「聖霊は、聖霊であると同時に、
 神ではあり得ない。」
となりますから。

こういう考え方に私たち東洋人は親しみが薄いため、
「西洋人はなんて回りくどい考え方をするのだろう?」
「神学者って、結局はバカじゃなかろうか?」
などと思うかもしれませんが、
それは短絡というものです。

この西洋の排中律に真正面からぶつかり、
それでも論理の力でゴリゴリと物事を前に進めていく、
「西洋的な知的推進力」のようなものがなければ、
私は今このメルマガを書いていません。

だって、彼らのこのような「議論に次ぐ議論」がなければ、
パソコンは生まれていないですから。
インターネットも、「電気」も、
自動車も電話も生まれていません。
資本主義社会も民主主義の概念も生まれていません。
電車もオーディオもロケットも生まれていませんし、
人類はいまだに「太陽が地球の周りを回っている」
と信じていたことでしょう。

西洋の「分析的思考」の威力は、
端的に言って、スゴイのです。

しかし、
東洋の「統合的思考」の威力も、
実はけっこうスゴイんじゃないのか、
ということに、西洋が気づき始めているのが、
21世紀という時代です。
だからこそ、ニズベット氏はこんな本を書いたわけです。

西洋の「分析的思考」。
東洋の「統合的思考」。
これが、この本全体の通奏低音です。

統合的思考とは何か?

それは、排中律がないからこそ出来る、
(西洋人からすると)「思考の離れ業」なのです。

西洋の分析的思考では、
死と生、
強さと弱さ、
光と闇、
海と陸、
昼と夜、
これらはすべて、
「対立概念」になります。

しかし東洋の統合的思考(太極図を思い出してください)では、
これらは対立概念であることをやめて、
お互いに「補完する概念」となります。

曰く、
「死は生に含まれ、
 生は死に含まれる。」
「光は闇の一部であり、
 闇は光の一部である。」
「強さとは弱さの別の側面であり、
 弱さとは強さの裏側である。」
というように。

生は死の一部であり、
死は生の一部である、
という「統合的見解」によって、
何かが解決するわけではありません。
しかしそれによって、
「統合的な別の視点」を獲得することは可能です。

現代は、「近代が行き詰まった時代」と言われています。
これはとりもなおさず、
西洋の「分析的思考」の行き詰まりでもあります。
「ああすればこうなる」という、
機械論的な考え方が行き詰まってきているのです。
世界的にポピュリストやナショナリズムの政治家が台頭し、
「民主主義の行き詰まり」が露呈しています。
上位1%の富裕層が国の富の半分を寡占し、
下位40%は貧困ラインにあえぐ、
「1%対99%の闘争」が可視化され、
人々は「資本主義という制度の限界」を、
意識せざるを得なくなっています。
原発や遺伝子工学が「夢の技術」と喧伝される半面、
それらは必ず負の側面をもって、
予想もしない副作用をもたらすことを、
誰もが知るようになり、
「近代科学技術の限界」にも人々は突き当たっています。

つまり「近代」という枠組みの行き詰まりが、
21世紀的課題なわけです。
「ポストモダンの時代」と今が称されるのは、
そのような意味においてです。
「近代」という脳天気な時代はもう終わったのだと。

それはとりもなおさず、
「分析的思考の限界」でもあります。
そのような時代に、「新たな思考の道具」を、
人類は求めています。
それがもしかしたら、
「東洋的な統合的思考」なのかもしれない、
というのがニズベット氏の問題意識です。

、、、さて、
こう書いてきますと、
そうすると、聖書の教えから離れるのでは?
中国の道教?
そんなの偶像教じゃん、
と思われるクリスチャンの方もいるかもしれないので、
まったくそういう話しではない、
ということを付言しておきます。

そもそも、キリスト教が生まれたパレスチナは、
「東洋」です。
そしてイエスが話したアラム語(ヘブル語の亜種)は、
言語学的にもセム語族といって、
西洋のインド・ヨーロッパ語族とは違います。
地理学的にも言語学的にも民俗学的にも、
キリスト教の「グラウンドゼロ」は東洋にあるのです。
それなのになぜ、
キリスト教が「西洋的な宗教」になったかというと、
キリスト教の「開祖」パウロが鍵になっています。
彼はヘブル人でしたが、
ギリシャ語話者でもありましたので、
当時のローマ帝国の共通語である、
ギリシャ語で聖書(パウロ書簡)を書いたのです。

ここからキリスト教は「西洋に親和性の高い宗教」
になっていくわけです。
ところが、パレスチナは「東洋」ですので、
ヘブル語で語られる内容には、
「東洋的な内容」も多く含まれています。
「弱いときにこそ強い」とか、
「命を捨ててこそ命を得る」とか、
「持っている者は貧しく、貧しい者が富んでいる」とか。
これらは排中律的な発想からは出てきません。
じっさい、イエスの教えの多くは統合的視点から語られています。
しかしギリシャ語でこれを議論し始めると、
分析的な解釈が生まれることになる。

新約聖書の著者の中には、
ヘブル語が第一言語、
ギリシャ語は第二言語、
という人が多くいました。
それらの著者の中に、
「アンチヘレニスト(反ギリシャ主義者)」
という人がいたことが知られています。
彼らはギリシャ語を使いながら、
ヘブル的な統合的思考を表現するために、
敢えてギリシャの人なら使わない、
違和感のある言い回しを多用したのです。

何が言いたいか?

東洋的な視点から聖書を読む、
ということは、
「反(西洋)キリスト教神学的」になるかもしれませんが、
決して「反聖書的な読み方」ではありません。
むしろ、聖書の豊かな意味をくみ取る上で、
東洋の人は西洋の人よりも、
一歩先んじている部分もあるのでは?
というのが私の考えです。


、、、、


、、、


話しすぎて、文字数オーバーです。
この本の引用はまだまだ残っているのですが、
今週はここまで。

再来週、この続きを解説します。
その間にこの本を読んでおいてくだされば、
私の読み方とメルマガ読者とで、
本をどう読むかの突き合わせが出来ます。
「バーチャルな読書会」ですね。
やってみたい人は、是非。

では、今日はここまで。

「後編」へ続く。

給食の思い出

2019.02.19 Tuesday

+++vol.061 2018年10月16日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
今週も質問カード
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼給食の話し▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
最近は毎週質問カードですねー。
最近メルマガを読み始めた方のためにご説明しますと、
「質問カード」とは、
私が開発した「会話を豊かにするための最強ツール(自称)」です。
100枚1セットで、すべてのカードに、
質問が書かれています。
参加者が順番にその質問に答えていくだけ、
という単純なルールなのですが、
これが良い。

こういった市販のツールを、
私は買って使っていたこともあったのですが、
なんせ質問のクオリティに不満がある。
「なんじゃその、『ぼんやりとした問い』は?」
「もっと角度付けて質問せえよ!」
と、私は市販のカードにツッコミを入れていました。
、、、あるとき、
「じゃあ、自分で作ればいいじゃん」
と思って、8年前から作り始めました。

去年はメルマガの影響もあり、
けっこう、「売れ」ました。
家内制手工業で生産していますので、
時間と手間と材料がかかります。
中国の工場で生産すれば、
1セット108円で販売出来るでしょうが、
その場合、最低でもロット数を1万とか作らなきゃ、
商売にならない。

皆様もご存じのとおり、
私はダイソーの経営者ではありません。
ゆえにそこまでの販路を持ち合わせていませんので、
「手作り」です。
よって、手間賃と材料費で、
1セット500円いただいております。
でも、それぐらいの価値はあると確信しております。
スタバのトールラテ1杯よりも、
「会話の質の向上」において、
まったく負けていない、と思っています。

興味のある方は質問フォームから、
お問い合わせ下さい。



、、、さて。
では、質問カード、
引いていきましょう。

▼質問:
「学校の給食での思い出を
 教えて下さい。」


、、、皆さんはいかがでしょうか?
そうですねぇ。

特にないですねー(爆死)。

なんだろうなぁ。

いや、いろいろありますよ、そりゃ。
でもこの「最大公約数」がデカすぎて、
どんな思い出を語っても、
たいてい、「ほとんど皆経験していること」
になっちゃう気がします。

「小学校三年生のとき、
 給食を食べていたら、
 スープで溺れている小人を見つけて、、、」
ぐらいのインパクト強いエピソードを持ってれば良いのですが、
残念ながらそういったものは持ち合わせていません。

ちなみに私は、
小学校1年〜4年までは愛知県知多市、
5年〜6年が岡山県倉敷市、
中学1年〜3年も、岡山県倉敷市の、
市立(公立)の小中学校に通いました。
この9年間が私の「給食ライフ」のすべてです。

でも、なんだろうなぁ。
小学校高学年のときは、
「早食い」が流行りましたね。
誰が一番早く食べ終わるかを、
毎食、競争していました。
流行りすぎて「禁止令」が出たほど笑。

あのときは牛乳とか5秒で飲んでましたね。
で、パンを口に詰め込んで、
スープで流し込む。
ときどき、心臓発作かというほど、
鉛で圧殺されるように胸が痛くなります。
ああ、こうやって小学生は、
つまらない理由で死んだりするんだろうな、
と今では思います笑。

基本的に小学生の男子というのはバカですから、
そういうことをするのです。
自分で言うのもアレですが、
小学校のとき、私は勉強は出来ました。
でも「アイツは勉強できる」というイメージは、
クラスメイトは持ってなかったと思います。
宿題関係がだらしなかったので、
テストは毎回100点でも、
あんまり尊敬されないのです笑。
やたら先生に怒られているというのが、
クラスメイトのイメージで、
実はテストで95点以下は取ったことないのだけど、
あまりそういところは誰も見てません。
小学校の人気者の定番、
「足が速い、ドッジボールが上手い」
も私にはありませんでした。
さほど足も早くないし、
さほどドッジボールが上手いわけでもない。

私は中学三年生で、
一気に「思春期の二次成長」が訪れまして、
そのときに身長も20センチとか伸びて、
足もいきなり早くなって、
球技もいきなり上手くなりました。
あれが小学校のときだったら、
私の小学校時代も、日陰で虫をつかまえているだけでなく、
クラスの「ポピュラーな存在」になれたのに、
と思います。

そうしたら今の私の性格も、
ちょっと違っていたかも。
パリピになって、都心のクラブで騒いでいたかも。
IT社長になって、東京湾をクルージングしていたかも。
裸に白シャツ(襟がデカい)から、
金のネックレスをちらつかせていたかも。
ドルチェ・アンド・ガッバーナのボクサートランクスを履き、
日焼けサロンに通い、家にDJを招いて、
テキーラショットを飲み明かしていたかも。

全部、悪夢みたいな出来事なので、
想像するのも忌まわしいです笑。
あー、二次成長が遅くてよかった!

わずかなボタンの掛け違いで、
人間の一生は変わったりするのですね。

、、、話しを戻しますと、
小学校の中でモテる、
そして同性の同級生に尊敬される三大要素
勉強が出来る、足が速い、ドッジボールが強い、
のうち、何一つ秀でていなかったので、
私は「早食いならいけるかも」と思ったわけです。
そして、PRIDEのリングに上がる桜庭和志のごとく(古い)、
私はクラスの早食いに参戦しました。

ところが、世の中には上には上というものがあります。
私が牛乳を5秒で飲めば、
牛乳を2秒(体感)で飲む奴がいる。
私がスープでパンを流し込む前に、
もう飲み込み終わっている奴がいる。
早食いの世界にも、
ヴァンダレイ・シウバやヒョードルがいるのです。

高田延彦ならいうでしょう。
「あー、強いわ。
 やっぱシウバ強いわ。」

、、、で、
私は早食いでも頭角を現すことが出来ず(出来なくて良い)、
「早食い禁止令」のあと、
「牛乳口に含んで笑わし合い」という、
新しい文化をクラスに広めることにしました。

それはかなり流行ったのですが、
流行って1週間で禁止になりました。
理由は推して知るべしです。

総じて言いますと、
給食はやはり楽しかったよな、
ということです。

おわり。

陣内が先週読んだ本 9月23日〜10月6日 読んだ本なし

2019.02.13 Wednesday

+++vol.060 2018年10月9日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 陣内が先週読んだ本 
期間:2018年 9月第四週〜10月第一週 9月23日〜10月6日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●読んだ本:なし。

出ました。

ついに。

60号にして、「先週(今回は過去二週間)」、
一冊も本を読了しなかった回が。

こういうこともあるだろうな、
とは思っていましたが、
案外早く訪れましたね。

9月最終週はタイのチェンマイにいまして、
その期間はカンファレンス参加以外の時間は、
「寝ることを最優先」させましたのでほとんど読書せず。
帰国してからの1週間(10月第一週)は、
9月後半の疲れを取るために、
やはり寝ることを最優先させましたので、
いつもの私の読書時間(夜7時〜9時半ぐらい)を、
寝ることに充てていました。

よって、今週は、読了した本は「なし」。
私は普段たいてい5冊から10冊の本を、
並行して読んでいます。
なので、だいたい1週間のうちに新しい本を5冊ほど読み始め、
読んでいた本を5冊ほど読み終える、
というのが平均的なペースだったのですが、
この2週間は本当に何も読み終わりませんでした。

でも、タイでは、
トーマス・フリードマン氏の、
「遅刻してくれて、ありがとう」という本に、
Kindleにて没入していました。
この本、上下巻からなるかなり分厚い本ですので、
読了にはもう少し時間がかかりますが、
いつかご紹介できればと思います。



▼▼▼質問、募集中▼▼▼

、、、さて。

読み終わった本がありませんので、
今回、話すことがありません笑。

なので、閑話休題ということで、
「質問募集中」のアナウンスを。
「シーズン2」が始まって2ヶ月が過ぎましたが、
「質問」がほとんど届いておりません笑。
読者の方から「Q&Aコーナーが一番面白い」
と言っていただくことが多いのですが、
いかんせん、「質問」が届かないと、
Q&Aコーナーが継続できません。

「陣内に聞いてみたいな〜」
「こんなこと今更人に聞けないよな〜」
「なんか疑問に思ってるけど、
 知り合いに聞くのは恥ずかしいんだよね〜」
と思うことがございましたら、
是非、ご質問をお寄せください。



▼▼▼ご意見、募集中▼▼▼

、、、同様に、
ご意見・ご感想もお待ちしております。
この話しは面白かった、
とか、この方向性の話しをもう少し掘り下げて欲しい、
とか、そういったご意見は
今後の執筆活動に反映されます。
ご意見・ご感想・激励をお待ちしております。



▼▼▼宣伝してね!▼▼▼

あと、当メルマガを毎週読んで下さっている方は、
どうぞお知り合いも登録を勧めていただけると感謝です。
聞いてるラジオ番組や読んでるメルマガというのは、
そもそも全体のパイが小さいので、
あまり拡がってはいきません。
その「ひっそりとやってる感」が楽しいところもあるのですが、
今後執筆を続けて行くモチベーションを維持し、
メルマガの質を向上し、
「学習する共同体の立ち上げ」という私の人生のテーマにおいて、
少しでも前進していくために、
新規の読者をコンスタントに獲得していくことが不可欠です。
多分普通に月1000円ぐらいは課金出来るであろうこのメルマガ、
何と言っても「無料」ですから、
是非、宣伝していただければありがたいです。



*いろんな人から、「何で有料にしないの?」
と繰り返し聞かれるので、
これで3回目ぐらいですが一応説明しておきます。
まず、有料にすると、読者数は今の20分の1以下になります。

これは、確実になります。

そうすると、私は毎週10名以下とかの人のために、
何万字もの文章を書くことになる。
それによって、月に得られる購読料は、
数千円です。
割に合いません。
クレジットカード決済システムの手数料のほうが、
ヘタしたら高くつくかもしれない。
完全に赤字運営になります。

ちなみにメルマガをマネタイズできるのは、
日本全国のメルマガ執筆者の0.1%ぐらいです。
なおかつ、それで生活出来る人は、
「日本で20人」に満たないはずです。

ホリエモンを考えていただければ分かるのですが、
彼は「知名度」というマスへの影響力を活用し、
メルマガを浸透させていきました。
それでも彼のメルマガ購読者はだいたい1万人ぐらいです。
(ちなみにホリエモンのメルマガ購読者数は日本トップです。)

1万人ですよ。
日本人口の1万人にひとりです。

有名人ですらその程度ですから、
有名人以外が本当にマネタイズしたければ、
「メルマガを選ぶ」時点で、
もう負けているのです。

というわけで、
私は最初から儲けることを考えていません。
このメルマガはだから、
「聖書の内容を語るラジオ放送」なんかに近いですね。
日本ではそれを聞く人の数がどうしても少ないので、
スポンサーをつけるにしても放映料に追いつきません。
だから、「こういうメッセージが社会に必要だ」と、
志を共有する人々の募金によって、
運営・維持されています。

社会の「ニッチな領域」というのはそうやって始まっていくのです。
日本で一番野球が上手かったらマネタイズは簡単ですが、
日本で一番クリケットが上手くても、
多分他者からの援助、あるいはアルバイトなしには、
生活していけません。

私が選んだ「道」は、そういう道ですので、
どうかご理解ください。
別にビジネスを舐めているとか、
そういうことではありません。
むしろ「これ、儲けれるじゃん!」
と簡単に言う人のほうが、
ビジネスをなめていると私は思います。
(気を悪くしたらすみません)



▼▼▼ボブとの会話▼▼▼

、、、さて。
せっかく読んだ本がなかったので、
閑話休題をもう一つ。

9月最終週に、私はタイのチェンマイにおりました。
そこで、「人生のメンター」の、
ボブ・モフィット師に5年ぶりに会いました。
「シュン、一週間のどこかで、
 二人で話す時間を取りたい。」
とボブから言われ、
私も「そうですね、是非そうしましょう」と答えました。
たしか3日目の昼の時間だったと思うのですが、
ボブの部屋に行き、1時間ほど話しました。

そのときボブは、
「この5年間、
 燃え尽きとそこからの回復の過程で、
 何があったのか1から10まで説明してくれないか」
と聞いてくれました。
この話しは日本語ですら説明するのが大変なので、
英語でどれだけ伝わったかは分かりませんが、
私が体験したことをそのまま話しました。

そして、回復してから私が最も強く感じていることを、
ボブに言いました。

「この5年間で、
 僕は死んでもおかしくなかった。
 今生きているのは、
 本当に、文字通り、
 いっかい死んで、
 二回目の命を与えられているように感じてるんだ。
 だから今しているすべてが『おまけ』のように感じる。
 本当は『ゼロ』だったかもしれないのに、
 毎日、毎朝、『与えられている』驚きに包まれる。
 以前は仕事や働きをするとき、
 『これが上手く行くか失敗するか』という位相で考えていたけど、
 今はちょっと違うんだよね。
 今は『上手く行こうが失敗しようが関係ない。
 神の恵みによって何かが出来ている、
 というそれ自体が成功以外の何ものでもない』
 と思うようになった。
 だから、『働けている』という大成功を、
 僕は毎日噛みしめて幸せに浸っているよ。
 今、僕は人生で一番幸せだ。」

ボブは嬉しそうに、言いました。

「・・・そうだ。
 そうなんだ!シュン!
 それが、成功なんだよ。
 成功とは、それのことなんだよ!」と。

私がボブに15年前に出会い、
彼から学んだ大切なことのひとつは、
「神に従うということの報いは、
 神に従ったということそれ自体だ」
ということであり、
「他者を愛することの報いは、
 他者を愛することが出来たという奇跡それ自体」
ということでした。

私は5年間の長い「黄泉への旅」を経て、
やっとそのことの本当の意味が分かってきたのかもしれません。
そういう、「嬉しい再会」がありました。
ボブ・モフィット師は現在79歳です。
私たちは大変離れた場所で生活していますので、
人生であと何回、彼に会えるか分かりません。
でも、彼との出会いは確実に私の人生を変えましたし、
今も変え続けています。
彼の神に従う背中は、
これまでも多くの国の若者の人生を変えてきたのでしょう。
人生は人からの影響で変わります。
私は正しい人の影響を受けたのだと再認識しました。

ストレスからの回復法

2019.02.12 Tuesday

+++vol.060 2018年10月9日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
今週も質問カードです
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼「ストレスからの回復法」▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も、「質問カード」から、
行ってみましょう。

▼質問:
「あなたの『ストレスからの回復法』は何ですか?」


はい。
皆さんは、いかがでしょうか?

これは、いろんな人がいるでしょうね。
カラオケで思い切り歌うという人もいれば、
ドライブ、という人もいるでしょう。
買い物をしまくるという人もいれば、
暗闇で人形を殴る、という人もいるでしょう(怖い)。

私の場合は、
1位、睡眠
2位、睡眠
3位、睡眠
4位、料理
5位、筋トレおよび水泳
6位、靴磨き、トイレ磨き
ぐらいですかね。


1位〜3位は、
断然睡眠です。

それも長時間の。

私の現在の睡眠時間は約9時間ですが、
これでも、鬱病から回復してから3年で、
ずいぶん短くなりました。
2016年に仕事に復帰してから、
最初の二年は毎日10時間〜11時間寝ていましたから。
それぐらい寝ないと、脳が破壊されるような怖さを覚えました。
鬱病というのは脳の器質的ダメージですから、
身体で言えば、大腿骨や胸椎などの大きな骨を骨折した、
みたいなダメージなわけです。
回復してもしばらくは骨や筋肉にダメージは残るため、
杖をついたりびっこを引いたりします。
私の脳にはそれと同じ事がきっと起きていて、
発病前の睡眠時間(平均7時間)から、
2時間も延びました。

そして、「睡眠という万能薬」を、
私は一生服用していくと決めました。
私にとってこれは死活的に重要なので。

仕事が忙しくなり、
睡眠と仕事以外、
何も出来なくなったとしても、
睡眠を取ります。
読書やテレビや趣味や遊びよりも、
断然、断然、断然睡眠が重要なのです。

これがないと脳が動かないんですから。
なので、忙しくなればなるほど、
私は長く寝るようになりました。

「今週は忙しいから、
 8時前には布団に入ろう」と。

そういう週は本も読まないし、
テレビも見ません。
(テレビは普段から一分も見ませんが。
 クソほどつまらないので。)

なぜか日本は「ガンバリズム社会」なので、
「寝てない自慢」という謎の習慣があったり、
「睡眠時間がとれないほど忙しい」
ことを誇らしげに語る話法が横行していますが、
私からするとナンセンスです。
長く眠ろうが短く眠ろうが、
「意味あるアウトプットが出来ているかどうか?」
が大切なのです。
仕事においては、結果がすべてです。

上司に「がんばります!」という言葉は間違っています。
上司からすれば、
「あなたががんばったかどうかに私は興味がない。
 やれば、いい。」
というのが本音というか、正論なのですから。
「別に、がんばらなくていいよ。
 やればいい。」

こういうことを言う人はなぜか日本では白眼視されますが、
こういうのが堂々と言える社会になると、
無駄な残業も減るんだけどなぁ。
優秀な人ほど早く退社する職場、
すばらしいじゃないですか。
日本ではなぜかこれが逆になっています。
優秀な人ほど残業が増え、
出来ない人は定時に退社する。
そりゃ、優秀な人ほど会社やめたくなるよね。
「ぶらさがり得」であり、
「貢献損」なわけですから。
インセンティブが逆立ちしてるわけです。

あ、話しがそれました。

それでもやはり、
「休めない国、ニッポン」で、
空気として蔓延している、
長く寝ることの罪責感も、
私にはもはやありません。
糖尿病の人がインシュリンを服用することに、
罪責感を抱くでしょうか?
同じ事です。
「長時間の睡眠」は、私の常備薬ですから。
これを服用しないと、
私は病気になり、
もっと大きな迷惑を、
家族や社会にかけてしまうことを、
骨の髄まで深く知っていますから。


というわけで、
私は「睡眠」がストレスからの回復、
ダントツの第一位です。

「人生の99.9%の問題は睡眠が解決する!」

、、、なんか、
野比のび太の哲学みたいになってきました。



、、第四位(実質第二位)は、料理です。
料理はストレス解消になります。
今の私の仕事は都市化した現代社会のご多分に漏れず、
「知識集約的な労働」の比率が高い。

文章を書いたり、
何かを考えたり、
プレゼンや講演の準備をしたり、
メールなどでいろんなやりとりをしたり、
といった、「創造的な仕事」というのは、
大脳新皮質の前頭葉というところを酷使します。

、、、で、
料理や掃除など、
手を使う作業というのは、
この前頭葉の前頭前野という場所を刺激する、
ということが分かっています。
筋肉のメタファーで考えると、
創造的な仕事によって使った同じ脳の領野を、
料理や掃除でもう一度使うと、
筋肉疲労が倍加して疲れるんじゃないの?
と直観的には思うのですが、
実は逆なのです。

脳というのは複雑な組織なので、
その「シナプスの使い方」が、
料理や掃除などの手を使った仕事と、
いわゆる机仕事、つまり「情報処理」とで、
活動範囲が著しく異なります。
単純に考えて、
空間把握力を使い、、
身体の知覚神経の大部分が集まっている、
右手、左手を使い、
色覚、聴覚、嗅覚、味覚、
あらゆることを使う「料理」という作業は、
かなり「複合的な脳の使い方」なのです。

脳を広く使う。
シナプスのいろんな場所にまたがり動いている。

そうするとどうなるか?
これは比喩的な表現になりますが、
「脳の凝りがほぐれる」わけです。

机に座ってずーっと考えていると、
前頭葉の特定の部分ばかり使いますので、
「脳が凝って」きます。
スマホを見続けると、
僧帽筋が緊張して肩こりになるのと同じです。

料理や掃除をすると、
脳全体を使いますので、
その凝りがほぐれるわけです。
コンパウンド系の筋トレ種目をやると、
肩こりが治るのとまったく同じです!!
(同じか?)
 
間違ってても、責任は取りません(キッパリ)!


、、、というわけで、
スムーズに、5位の「筋トレ」に。
4月頃から私は筋トレを始めました。

ひっそりと。

あまり自分から言うのはかっこわるいと思っているので、
あくまで、ひっそりと。
聞かれれば話しますが、
自分からは話しません。
「筋肉が語る」ようになるまで、待つつもりです笑。

、、、で、この筋トレ、
正直、めちゃくちゃ楽しいです。
これが「ストレス解消」なのかというと、
厳密には違うかもしれませんが、
でも、「今日はしっかり効かせるトレーニングが出来た」
と思いながらプロテインを飲み、
シャワーを浴びるときほどの「至福の瞬間」は、
世の中に他にないんじゃないかと思うほどです。

「ショーシャンクの空に」のDVDのパッケージの状態になります。

▼参考画像:「ショーシャンクの空に」
https://eiga.k-img.com/images/movie/45573/photo/3dfc1ef20f3a317c.jpg?1469167946

私は毎週1回か2回、
筋トレ後のシャワー室で、
この快感を味わっているわけです。
脱獄の快感。
解放のカタルシス。
至福の瞬間。

あまり教えたくなかったんだけど、
言っちゃいました。

すんごいものを、
見つけちゃいました。
これを私に教えてくれた友人には、
日本的な表現を借りるなら、
「一生、足を向けて寝られない」ぐらいの、
大きな借りが出来たと思っています。
命の恩人です。


、、、水泳もまた、
気持ちいいですね。
最近はHIIT(高強度インターバルトレーニング)
という方法で、私は水泳をしています。

どうやるか?

100メートル(50メートルでも良い)を、
全力でクロールして泳ぎます。

それにかかった時間と同じだけの秒数、休みます。

また全力で同じだけ泳ぎます。

また同じだけ休みます。

これを4セット〜8セット繰り返します。
30分から60分かかりますが、
へとへとに疲れます。

これによって、
漫然と1000メートル泳ぐよりも、
格段の心肺機能の向上が期待されるそうです。

興味ある人はお試しあれ。



、、、6位の、靴磨きとトイレ磨き。
これに関しては「料理」で話したのと同じです。
前頭前野がほぐれます。
靴磨きに関しては私はくいっぱくれたら、
最後は靴磨きで生計を立てようか、
と思ってるほど好きだし上手です。

どんなにへたった革靴でも、
見事に復活させる自信があります。
靴をもってきてくれたら、
ご依頼承ります笑。


、、、以上、ストレスからの回復特集でした。


| 1/53PAGES | 次のページ>>