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回転寿司の究極の5皿

2019.05.25 Saturday

+++vol.078 2019年2月12日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼回転寿司の5皿▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう。

▼質問:
回転寿司で5皿しか頼めません。
あなたが考えるベストラインナップを教えてください。


、、、今週は軽めの質問ですね。
これって、「どの回転寿司屋さんなのか」
っていうのがめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。

「かっぱ寿司」と、
北海道の回転寿司屋「とっぴー」(←めちゃウマい)
では当然、まったく違うわけですよ。
あと、北陸の回転寿司屋も行ったことあるけど、
北海道や北陸の回転寿司を食べると、
「別物」なので、
比較の対象にならないわけです。

まったく別の食べ物、
別の業態と考えた方が良い。
期待するモノがまったく変わってくるわけです。
もちろん「とっぴー」の美味さは異常ですが、
だからといって本州のスシローは駄目かというと、
そういうわけではない。
スシローはスシローで楽しいんです。

なんていうのかな。
そりゃ、ニューヨークのブロードウェイの、
「ライオンキング」は凄いですよ。
人生観が変わっちゃったりするわけです。
小学生が見たら、人生の進路が変わっちゃうぐらい、
桁外れのエンターテイメントなわけですよ
(あ、僕見たことないです。
 そう聞いています、ってだけで笑)。

でも、劇団四季の「ライオンキング」は駄目かというと、
そういうわけではない、ということですよ。
「違う意味で良い」わけです。
(これも観たことないです笑。
 いちど劇団四季の「キャッツ」を観ました。
 普通に良かったです。)

というわけで、回転寿司の世界というのは、
一絡げにするにはあまりにも幅があるのですが、
ここではさしあたり、
「スシロー」「かっぱ寿司」ラインで考えていきましょう。

でも、悩みますね。

2時間頂いて良いですか(笑)?

、、、

絶対に行くヤツは決まってます。

「鉄火巻き」と「あおさ汁」です。

▼参考画像:鉄火巻き
https://goo.gl/NDq53R

▼参考画像:あおさ汁
https://goo.gl/oEVRZY

、、、鉄火巻き好きなんですよね。
手で食べる感じで。
必ず終盤、というよりも「締め」に食べます。
わさびをたっぷり付けて、
辛めにして。

イタリアンの後のエスプレッソショットみたいな感じで、
「うん、食事が終わった!」
というピリオドを打ってくれる感じがある。

あおさ汁は逆に、最初に頼みます。
これは「お茶代わり」と言いますか、
回転寿司のあら汁とかあおさ汁(汁物系)は、
とりあえず一発目に頼みますね。

というわけで「最初と最後」は決まりました。
バスケなら、センターとポイントガードが決まったわけです。

あとは間の3皿に何を挟むか、
という問題になってきます。

そうですねぇ、、、。

1.サーモン
https://goo.gl/PgPg5x

2.ミートボール
https://goo.gl/azCfn6

3.エビ天にぎり
https://goo.gl/hNqkAM

これで行きましょう。
まぁ、サーモンは分かってもらえると思うんですよ。
多分、人気投票をしても、
普通にベスト5に入ってくるネタだと思いますので。

エビ天にぎりは少々説明が必要です。
「かっぱ寿司」はどうか知りませんが、
スシローのエビ天にぎり、
あれがめちゃ美味いんですよ。
カリカリで。
タレが甘くて。
「一口に収まる天丼」を食べているような、
「箱庭感」があって、スシローで必ず食べるメニューです。
お試しあれ。

問題は「ミートボール」ですよ。
多分「ミートボール(笑)」って
思われると思うんですよ。

あと「なるべく原価が高いものを食べた方が得」
という「謎のコスパ意識」を持つ人にとっては、
あり得ない選択肢だと思うんですよね。

しかし。

そのリミッターを一度外してみてほしい。
問題はコスパではありません。
「同じ108円で、どれだけ自分が(主観的に)満足するか」
が、私は全てだと思うんですよ。
原価が高かろうが何だろうが、
自分が満足しなければそのチョイスは失敗だし、
原価率が低かろうが、
自分がそのお金に見合うと思えばそれで良い、
というのが「本当に賢い消費行動」だと思います。

「セールだから買う」
というのが愚か(だと私は思う)な理由はここにあります。
本当に良い買い物は、
「定価だったとしてもほしいような何か」
なはずなのです。
そしてそういった買い物は経験的に、
「自分の中で値崩れしにくい」。
つまり1年経っても2年経っても、
「これは○○円の価値があったな」
と思えるわけです。

話がそれました。

コスパという概念を一旦離れると、
ミートボール、いいじゃないか、
と思うわけです。

そもそもスシローに入っている時点で、
「本格的な寿司の鮮度」などは、
求めてないはずだし、
求めるべきものでもないと思うんですよ。

「えんがわ」なんてさいたるもので、
108円でヒラメの縁側が食べられるわけがない。
実はあれはナイルパーチという巨大な熱帯魚の縁側です。
私は去年小説でそれを知りました。

ことほどさように、
「低価格帯」のものを買うときに、
「高価格な満足度」を求めるのは、
「マクドナルドでヘルシーなメニューを探す」
みたいな行為であり、
最初のボタンと最後のボタンホールが、
「合っていない」わけです。
その「しわ寄せ」が、ナイルパーチなわけです。

と考えますと、
回転寿司におけるスシローというのは、
お菓子界における駄菓子屋みたいなものなので、
そこに「ガトーショコラ的な何か」を求めるのではなく、
「うまい棒的な何か」を求めた方が、
幸せになれるのでは?
と私は思うわけです。

それで辿り着いた答えが、
「ミートボール(笑)」です。
あれ、いいんですよ。
上にマヨネーズがちょっとかかってて、
あれを軍艦にするセンスがそもそも、
「日本文化のエッセンスの塊」って感じがするじゃないですか。
寿司を回転させる発想も日本なら、
魚肉を練ったモノに「ミート」という名前を付け、
照り焼きソースに絡め、
マヨネーズをかけ、
それを「箱庭的」に軍艦にしてしまう。

「宝石箱や〜!」(by彦摩呂)なわけです。

、、、「日本や〜!」

▼参考リンク:彦摩呂
https://goo.gl/tkhMkV


、、、おわり。

本のカフェ・ラテ『AI VS 教科書が読めない子どもたち』(後編)

2019.05.23 Thursday

+++vol.074 2019年1月15日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼久々の、「本のカフェラテ」です。▼▼▼

さてさて。
お待たせしました。
去年の11月20日に、
「後編をお楽しみ」
と言ったきり、2ヶ月放置していた、
本書のカフェ・ラテ(後編)をやります。

さっそく行ってみましょう。


●『AI VS 教科書の読めない子どもたち』

読了した日:2018年5月2日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:新井紀子
出版年:2018年
出版社:東洋経済新報社

リンク:
http://amzn.asia/cbeiDq8


▼▼▼東大ロボはどうして「常識の壁」に阻まれるのか?
AIが理解できるのは基本的に「四則演算」であって「意味」ではないから

→P107 
〈私がどこにいても、
勤め先の神保町までの行き方を教えてとお願いすると、
スマートフォンはすぐに教えてくれます。
頂き物の松茸をおいしく料理する方法だって、なんでもこいです。
ですから、スマートフォン、
つまりAIは私たちの質問の意味を理解し考えてから、
答えを教えてくれているのだと思っている人も多いと思います。

けれど、AIは意味を理解しているわけではありません。
AIは入力に応じて「計算」し、答を出力しているに過ぎません。
AIのめざましい発達に目が眩んで忘れている方も多いと思いますが、
コンピュータは計算機なのです。
計算機ですから、できることは基本的には四則演算だけです。
AIには、意味を理解できる仕組みが入っているわけではなくて、
あくまでも、「あたかも意味を理解しているようなふり」をしているのです。
しかも、使っているのは足し算と掛け算だけです。

AI(コンピューター)が計算機であると言うことは、
AIには計算できないこと、基本的には、
足し算と掛け算の式に翻訳できないことは処理できないことを意味します。
ですから、AI研究者は、世の中のあらゆることを、
たとえば、画像処理をするための方法を、
質問に応答する方法を、
あるいは英語を日本語に翻訳する方法を数式で表そうとして、
日々、頭をフル回転させているのです。

→P117 
〈論理、確率、統計。
これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。
それが、科学が使える言葉のすべてです。
次世代スパコンや量子コンピューターが開発されようとも、
非ノイマン型と言おうとも、
コンピューターが使えるのは、この3つの言葉だけです。

「真の意味のAI」とは、
人間と同じような知能を持ったAIのことでした。
ただし、AIは計算機ですから、数式、
つまり数学の言葉に置き換えることの出来ないことは計算できません。
では、私たちの知能の営みは、
すべて論理と確率、統計に置き換えることが出来るでしょうか。
残念ですが、そうはならないでしょう。〉


、、、AIの「シンギュラリティ論争」については、
前編で説明しました。
「2045年問題」とも言われています。
AIの進歩がある臨界点(シンギュラリティ)を迎えると、
人間の頭脳はAIによって「超克」され、
人類は歴史の新たなフェイズに入るであろう、
という未来予測です。

これを熱烈に支持する人々と、
「いや、それは言い過ぎだ」と言う人で、
立場が二分しているわけです。

面白いのは、新井さん含め、
プログラミングやコンピュータの中身を知っている人ほど、
「後者」に意見が傾いているということですね。

これは再生医療にも言えます。
医学の知識がある人ほど、
「人間が死ななくなる理想郷」は、
幻想に過ぎないことを知っています。
医学の知識があれば、
「再生医療は限定的な技術」であることが分かるからです。

コンピュータの中身を知っている人は、
なぜシンギュラリティ論争において、
技術の限界を指摘するのか?
それは、引用箇所でも新井さんが言っているように、
彼らが、コンピュータの本質は、
どこまで行っても「計算機」である、
ということを知っているからです。

ところが再生医療に関してもAIに関しても、
私たち一般市民が目にする報道は、
「その技術は限定的だ」という内容よりも、
「世界は様変わりするぞ!!!」という、
過激な内容が多い。

なぜか?

それは報道する人、
つまり新聞記者やマスコミ関係者が、
基本的に「文系」だからです。
彼らは理系の専門家から、
「再生医療」や、「AI=計算機」
という説明を聞きますが、
基礎的な知識が欠如しているので理解できていない。
小保方さんのSTAP細胞がいまだにある、
と言っている人がこれだけいる、
というのは「マスコミの科学音痴」によると、
私は思っています。



【現代のAI礼賛のシンギュラリティ論者と、
15世紀の占星術によるグランドセオリーを希求したハプスブルク家の相似】

→P109 
〈中世には、アラビア半島を経由して
インドの数学がヨーロッパに伝わっています。
貿易が盛んになると、
商取引で合理的なアラビア数字が使われるようになり、
計算が飛躍的に速くなりました。
そして、計算技術の向上は天文学の発展に大きく寄与しました。

その天文学の中心地フランスでとんでもないことが起こります。
15世紀のフランスで2人の教皇が互いに正統性を主張した、
「教会大分裂(シスマ)」と呼ばれるカトリック史に残る大事件です。

パリ大学の教員たちはどちらを支持するか二者択一を迫られました。
少数派だったドイツ系の教員たちはパリ大学を去らざるを得なくなります。
そんな彼らに、ウィーンのハプスブルク家が手をさしのべました。
しかし、天文学者としてではありません。
占星術者として招かれたのです。
天候が農作物の作柄に影響を及ぼし、
作柄は国勢を左右しますから、
統治者のハプスブルク家にとって占星は一大関心事でした。
当時の人々は太陽も星も月も雲もみな同じ場所にあるものと捉え、
太陽や月、星の観測データを収集・分析すれば
天候や作柄が予測できると考えていました。
大気圏と宇宙空間の別を知らない当時としては、
無理からぬことでしょう。

それはともかくとして、
ドイツ系の天文学者を多数受け入れたことで、
中世のウィーンで占星術が花開くことになります。
現代において「真の意味のAI」が
待望されている状況と酷似しています。

当時の天文学者たちは膨大な
「天文ビッグデータ」を計算する必要に迫られます。
占いを外せば命に関わるでしょうから、
必死だったに違いありません。

その過程で生まれて、現在も使われているものがあります。
3.14のような十進小数表示です。
それ以前は、古代バビロニア時代から
営々と六十進法の分数を使っていました。
それでは計算効率が悪くてしょうがない。
膨大な計算の必要に迫られて意図せずに十進小数が生まれたのです。
十進小数まで開発して計算にいそしんだ彼らには気の毒ですが、
中世の「ビッグデータ占い」は理論的に誤りでした。

今では誰もが知ることですが、
年間降雨量の予測のために遙か彼方の星を観測するのは、
宝くじの番号から当たり外れを
予測するのと同じくらい無駄なことです。
中世のビッグデータ科学の成果は、
近代科学の登場によって完全に上書きされることになりました。

天文ビッグデータを用いることで、
その年の作柄から、生まれた皇子の運まで、
すべてを予測したいと熱望したハプスブルク家の姿は、
私には、数学とは何かを理解せずに
「ビッグデータでAIが実現できる」と
信じる人々の姿に重なって見えます。〉


、、、これも先ほどの話しと同じです。
ディープラーニングが、、、とか、
ビッグデータが、、、とか、
横文字のバズワードを並べて、
AI時代の到来を興奮気味に語っているほとんどの人は、
「AIは基本的に四則演算である」
という本質を掴んでいません。

そうすると彼らの未来予測は当然外れ、
天気を読み間違えた農家のごとく、
「今、何をすべきか」を見誤ります。



【東大ロボの伸び悩みの本質は:
「AIは本質的に数学であり、
 意味を取り扱うことが出来ない」ということ】

→P119 
〈数学が発見した、
論理、確率、統計にはもう一つ決定的に欠けていることがあります。
それは「意味」を記述する方法がないと言うことです。
数学は基本的に形式として表現されたものに関する学問ですから、
意味としては「真・偽」の2つしかありません。

「ソクラテスは人である。
人は皆死ぬ。よって、ソクラテスも死ぬ」
のようなことしか演繹できないし、
意味はわからないと言うより表現できないのです。

いかがでしょうか。

少しは、数学とは何かにつて、
理解する助けとなったでしょうか。
数学は、論理的に言えること、確率的に言えること、
統計的に言えることは、実に美しく表現することが出来ますが、
それ以外のことは表現できません。

人間なら簡単に理解できる
「私はあなたが好きだ」と
「私はカレーライスが好きだ」の本質的な意味の違いも、
数学で表現するには非常に高いハードルがあります。

これが、東大ロボくんの成績が
伸び悩んでいる根本的な原因だと言えるでしょう。
本章の最初に、
いまのAIの延長では偏差値65の壁は越えられないと申し上げたのは、
このような理由があるからです。〉


、、、著者の新井紀子さんは、
「東大ロボ君」という国家プロジェクトに、
長年携わってきました。
それは、「AIが東大入試に合格する」
という目標を掲げてスタートしたプロジェクトです。
新井紀子さんの結論は、
今の技術の延長線上に、
「AIが東大合格する未来はない」
ということです。

しかし、東大ロボはすでに、
MARCH(明示、青山、立教、中央、法政)
には合格できます。

東大とMARCHを分けるものは何か?

そこに「人間の頭脳とAIの質的な差異」があり、
そこを磨いていくことこそ、
AIが多くの仕事を奪う未来
(これについては新井さんも肯定しています)に、
今の子どもたちが「やる仕事がなくならない」ために、
するべきことなのだ、ということです。

では、その「質的な差異」とは何か?

それは「意味の把握」です。
AIは計算機であり、
その本質は四則演算だ、と先ほど述べました。
つまりそれは「数学」です。

数学が取り扱うことが原理的に出来ない領域が、
「意味」なのだというのが新井さんの指摘です。

「いやいや、
AIが小説を書いたって、
ネットニュースで見ましたよ!」

違います。

あれは、膨大な「ストーリー」を、
ビッグデータ的に集めさせて、
その「最大公約数」を、
アルゴリズムに語らせただけです。
そこに「意味」は介在していません。

「意味の把握」が最初にあり、
そこから物語を演繹する、
人間の創作活動とは、
本質的にまったく違います。

AIによって仕事を奪われる職業、
というのをオックスフォード大学が、
ランキングしていますが、
その上位に銀行の窓口業務などは入っていますが、
「小説家」が入っていないのはこのためです。

▼参考リンク:オックスフォード大学の「なくなる仕事リスト」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925


小説家は先週号で紹介した、
ロバート・ライシュの言うところの、
「シンボルアナリスト」です。
今後も彼らの仕事はなくならないし、
その価値は上がることはあっても下がりません。
「意味を取り扱う仕事」が、
今後も人間の手から奪われることは、
(1000年単位だとそれは分からないが、)
少なくとも100年単位ではありません。
だから「意味を把握する訓練」をしましょう、
というのが本書のタイトルに現れているわけですね。


【機械翻訳がどの程度の精度なのか?
「便」の話はめちゃくちゃ面白い】
→P141〜142 
〈AI関連各社が激しい競争を繰り広げている分野がもう一つあります。
機械翻訳です。
外国語が苦手だと思っている人が多い日本人には、
まさに夢のアイテムで、
すでに多くの人が利用しています。

ですが、日常会話や、
ちょっとした翻訳の助けにはなっても、
厳密さが求められる、
たとえば、電気製品のマニュアルだとか、
契約書、学術論文などでは全く実用に耐えるレベルではありません。

とは言え、
前世紀にはほとんど使い物にならなかった機械翻訳の精度は、
2000年代に入ってずいぶん改善されました。
それでも、実力はまだまだという印象でした。
2014年にグーグル翻訳の精度を試してみたことがあります。
 
「図書館の前で待ち合わせをしませんか。」

ビッグデータ上の統計的機械翻訳を
採用しているグーグル翻訳は次のように翻訳しました。
 
「Do not wait in front of the library.
(図書館の前で待たないで下さい)」

入試なら零点です。

機械翻訳ではヤフー翻訳も有名ですが、
2014年までは精度に大差なく、
たとえば、日本語で書いたビジネスメールを
機械翻訳でスワヒリ語に訳して送信するという勇気は湧きませんでした。
尾籠な話で恐縮ですが、
「明日はどの便に空席がありますか?」の
「便」をグーグル翻訳が誤訳してしまい、
大恥をかいた日本のビジネスマンがいたという話も
聞いたことがあります。〉
 

、、、自動翻訳機が、
実用レベルになってきたのは、
凄いことだと思います。
いっさい英語を話せない人にとっては、
海外旅行体験が、ずいぶん快適になることでしょう。
また、たとえばフランスのような、
あんまり英語を話してくれない国に行ったとき、
自動翻訳機に救われるシーンも多くなることでしょう。

しかし、
機械翻訳の限界も、
われわれは知っておく必要があります。
機械翻訳の限界は、
先ほど指摘した「意味の把握の不能」にあります。
機械は「便(ウンコ)」と、「便(どの飛行機か)」の、
違いを把握することが出来ません。
「ディープラーニング」によって、
ある程度までは、文脈依存性の法則を学び、
精度を上げることは出来るでしょうが、
微妙なニュアンスを伝えるところまでは、
現在の技術と同じ地平にはない、
ということが分かると思います。

100年後も、
大統領同士の会話には、
有能な通訳が付き添い続けているはずです。


【大規模な「読解力調査」からわかったこと】
→P227 
〈全国2万5000人を対象に実施した
読解力調査でわかったことをまとめてみます。
・中学校を卒業する段階で、
 約3割が(内容理解を伴わない)表層的な読解もできない。
・学力中位の高校でも、
 半数以上が内容理解を要する読解は出来ない。
・進学率100%の進学校でも、
 内容理解を要する読解問題の正答率は50%強程度である。
・読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い。
・読解能力値は中学生の間は平均的には向上する。
・読解能力値は高校では向上していない。
・読解能力値と家庭の経済状況には負の相関がある。
・通塾の有無と読解能力値は無関係
・読書の好き嫌い、科目の得意不得意、
 一日のスマートフォンの利用時間や
 学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力には相関はない。〉


、、、先ほどから、
「AIは本質的に計算機だ」という話しをしています。
とすると、現代を生きる子どもたちが、
「AIに仕事を奪われない」ためには、
「計算機に代替不能な能力を研鑽する」ことが、
取るべき戦略になるわけですね。

そして、その「計算機に代替不能な能力」は、
「意味の把握」である、と新井さんは指摘しています。

ところが、前編でご紹介したように、
現代の子どもたちの「読解能力」をテストしたところ、
これがすこぶる振るわない。

前編で解説したことを繰り返しますと、
こういう問題がありました。

「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、
 大名には沿岸の警備を命じた。」

上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。
「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

「1639年、ポルトガル人は追放され、
 幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。」


、、、これはYESかNOの二択問題であり、
コインを投げた場合の正答率は50%です。
加えて、「幕府」「警備」などの言葉の意味が分からなくても、
文章の構造を抑えることができれば、
正解することのできる問題です。

にもかかわらず、日本の中学生の、
この問題の正答率は55%(!!)だったのです。

つまり、中学生たちは、
たった1行の文章が、
いったい何を言っているのか、
その意味を把握出来ていない、
ということです。

驚愕じゃないですか?

大人は「驚愕」と言うかもしれませんが、
大人も似たようなものかもしれません。
「正答率が55%だったんですよ
 (ヤバくないですか?)!!」
と新聞記者に新井さんが伝えたところ、
新聞記者は「え?何が?
平均点55点って、そんなに悪くないですよ」
と答えたエピソードがこのあとに紹介されますから。

新聞記者は、
「二択問題の正答率が50%」の意味が、
「100点満点のテストなら0点の近似値」
という統計学がまったく分かっていません。
中学生と似たようなものです。

、、、新井さんはこのことに危惧を覚え、
独自の「読解力調査」というテストを考案し、
行政と協力して、全国で大規模調査に乗り出します。
その結果分かったのが、上の引用に挙げた事項でした。

中でも意外だったのが、
家庭の経済状況と、読解力の関係は、
わずかだが「負の相関」があった、
ということ(普通は逆を予想します)や、
塾に行ったかどうかや、
スマホや読書時間や勉強時間は、
読解力にまったく関係がないことでした。

、、、ここから分かるのは、
私たち大人(親や学校の先生や塾講師)が、
「子どもの学力向上」のために、
資本や時間を投下して行っていることの、
ほぼすべては、
「子どもの読解力向上」に、
資するところがほとんどない、
ということです。

にもかかわらず、
最難関高校(および大学)への入学率と、
読解力には、きわめて強い相関がある。

さらに言えば、
将来AIによって代替不能な仕事ができるかどうかと、
読解力は、致命的な関係がある。
「それがすべてを握っている」と言っても良い。

「社会が本当に必要とする能力」と、
「大人たちが組織的に、
子どもに身に着けさせようとしている能力」
の間に、大きな乖離がある、というのが、
この調査結果から分かったことです。

めちゃくちゃざっくりとした、
乱暴な言い換えを、
私なりにしたいと思います。

学校や塾や教育ママは、
子どもの「アルゴリズム処理能力」の向上をもって、
「学力」と思っています。
それは計算の速さ、正確さ、暗記力の向上です。

しかし、社会が本当に必要とする能力は、
「ヒューリスティック的な能力」です。
これは「問題解決能力」「問いを発する能力」
などで、「意味の把握」がその前提になります。

前者の能力は、
コンピュータが最も得意とし、
後者の能力は、
今後100年はコンピュータが人間に追いつくことはない、
と言われている能力です。

私たちが考える「教育」は、
何か大きな間違いを犯している可能性が大です。



【AIに代替不能な「読解」をすっとばして
 暗記や分析などの能力を磨く愚】
→P232 
〈「係り受け」や「照応」の正答率が9割を超えても、
それ以外のタイプの問題の正答率が5割を下回るケースが頻繁にあります。
有名私大に大勢進学させている高校でも、
推論のランダム率が4割を超えるということすらあります。

表層的理解は出来るけれど、
推論や同義分判定などの深い読解が出来ない場合、
文章を読むのは苦手ではないのに、
中身はほとんど理解できないと言うことが起こりえます。

コピペでレポートを書いたり、
ドリルと暗記で定期テストを乗り切ったりすることは出来ます。
けれどもレポートの意味や、
テストの意味は理解できません。

AIに似ています。
AIに似ていると言うことは、
AIに代替されやすい能力だと言うことです。

私が最近、もっとも憂慮しているのは、
ドリルをデジタル化して、
項目反応理論を用いることで
「それぞれの子の進度に合ったドリルをAIが提供します!」
と宣伝する塾が登場していることです。

こんな能力を子どもたちに重点的に
身につけさせることほど無意味なことはありません。
問題を読まずにドリルをこなす能力が、
もっともAIに代替されやすいからです。〉


、、、これは先ほどの話しの続きですね。
東大、京大などの、
超難関大学を除けば、
「大学(高校)受験に最適化」すればするほど、
子どもたちの「意味を把握する力」は衰える、
という恐ろしい状況が生み出されています。

本書の最初に新井さんは、
アメリカの「大恐慌」に触れます。
あれは、オートメーション化によって、
「第二の産業革命」が起きたときに、
労働市場(とそれを支える教育)が、
変化に対応できなかったから起きたのだ、
と分析しています。

どういうことか?

オートメーション化により、
ブルーカラーの数は減り、
ホワイトカラーの数が増えました。
ところが学校は、
「良いブルーカラー」を生み出す方向で、
教育を続けた。
結果、社会は人手不足なのに、
街には失業者が溢れた、と。

20世紀、教育は、
良いホワイトカラーを生み出すことに最適化しました。
計算能力、記憶力、事務処理能力などです。

変化に適応したのです。

しかし、今の問題は、
21世紀になっても、
教育はいまだに「良いホワイトカラーを生む」
方向性を変えていないように見えることです。
「第三(第四という人もいる)の産業革命」により、
ホワイトカラーは、
かつてのブルーカラーと同じ運命を辿ることは、
おそらく間違いありません。

私たちの社会は大きな方向転換を迫られています。



【中学高校の授業でコンピュータプログラミングを、
 と言いながら指導要領から行列を外す愚】
→P249 
〈もうひとつは、学習指導要領についてです。
経済界に「中学高校の授業でコンピューターのプログラミングを」
との意見があることは紹介しましたが、是非は別として、
今後IT人材を増やしたいのならば、
高校で三角関数と微積分、そして行列は必須です。

機械学習も教科学習もシミュレーションも、
この3つがわからないとどうにもならないからです。
特に行列は欠かせません。

前著『コンピュータが仕事を奪う』に詳しく書きましたが、
グーグルのページランクは行列計算で出来ています。
ディープラーニングなどは、
そのものがまさに巨大な行列計算です。

また、音声認識からアマゾンの「おすすめ商品」の選択まで、
あらゆるところに出てくるのが行列です。
なのに、文部科学省は高校の指導要領から
行列を外してしまいました。〉


、、、多くの読者の皆様は、
高校数学で「行列」って習ったと思います。
文科省は「行列」を指導要領から外したというのです。
それなのに「プログラミング」を教えようとしている。
これは産業界からの要請です。

新井さんはこれの何が問題だと考えているのか?

それは「技術の表層」を教育し、
「技術の論理」を教育から外す、
という愚策についてです。

産業界は子どもたちが、
「表層的な技術(=プログラミング)」を身に着けてくれたら、
嬉しいに決まってます。

即戦力ですから。

しかし、「技術の原理」にあたる、
もうひとつ抽象度の高い「理論(=行列)」を、
文科省は外してしまった。

表層的な技術はすぐに陳腐化します。
しかし、抽象度の高い論理は、
一生役に立ちます。
数年前の政府の「文系学部軽視発言」にも通じますが、
日本政府はどんどん「金の卵欲しさに鶏を殺す」
という愚策を積み重ねているように思います。

慶応大学元学長の小泉信三さんの言葉に、
「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。」
というのがありますが、
日本政府は、3年後のGDPには興味があるが、
今の子どもの50年後はどうでもいい、
と思っているように見えて仕方がありません。


【「何の仕事とははっきり言えないけれども、人間らしい仕事」が、
 AIに代替されることなく、残るであろう】
→P276〜277 
〈「ほぼ日」がメディアなのか、モノづくりなのか、
営業なのか、何なのか、よくわかりません。
たぶん、「総務」とか「会計」とか「商品開発」
のように名刺をみたら何をしているかわかるような仕事は、
何をしているかわかるが故に、AIに代替されやすく、
先細っていくと思われます。

けれども、
「何の仕事とはっきりは言えないけれども、人間らしい仕事」は、
AIに代替されることなく、残っていくのです。

「でも、糸井重里は天才じゃないか。
糸井重里しか生き残らないとしたら、
どうやって一億人が食べていくんだ」――。
そんな反論が聞こえてきます。
でも、大丈夫です。

似たような例はこの十年間にたくさん生まれています。
たとえば、汚部屋整理コンサルタントなんてどうでしょう。
散らかった部屋に行って、
どうして散らかってしまうのか相談に乗りながら一緒に片付けてくれたり、
整理の仕方を教えてくれたりする仕事です。
遺品整理も20世紀には聞いたことのない商売でした。
どちらも個別具体的な問題解決が求められますから、
AIにもロボットにも代替できません。〉


、、、AI時代に多くの仕事が消える。
「では、私たちはどうすれば良いんだ?」
という疑問は当然起きるでしょう。

じっさい、オックスフォード大学の、
「消える仕事ランキング」に入っている仕事を、
今現在している、という人もいるでしょう。

利権団体を作って抵抗しても、
「第四次産業革命」は止まりません。

私がAI関係の本を去年ぐらいから興味を持って、
複数読んできて学んだ一番たいせつなことは、
「未来に必要とされる仕事を、
 現在の私たちは今その名前すら知らない」
ということです。

今の子どもたちが将来する仕事は、
私たちがまだ耳にしたことすらない可能性が高い、
ということです。

しかし、
「将来する仕事」の性質は分かります。
それは、「AIには代替不能な付加価値」を、
社会にもたらすことができる仕事だということです。

そして、皆さんの仕事がどんな仕事だったとしても、
今現在しているその仕事のなかで、
そのような付加価値を社会にもたらすための能力を、
向上させることが出来る、
というのがもっと大切なことです。

たとえば私が今、
タクシー運転手だったとしましょう。

Uberの本格的な民主化
(タクシー会社を通さない民タク)や、
カーシェアリング、
そして自動運転技術によって、
数十年後に「タクシー運転手」という職業は、
過去のものになるかもしれない。

私は今何をすれば良いのか?
タクシーの業界団体を作って、
Uberの民タク化を阻止したり、
自動運転の規制を強めたりするよう、
政府に働きかける、というのも手かもしれません。

しかし、それは「悪手」と言わざるを得ない。
経済の原理により、
その試みは長期的には必ず負けますし、
何より社会を歪めます。
いまある社会の「歪んだ既得権」のほとんどは、
このように生まれてきたのですから。
これは後世に負の遺産を残すことになります。

、、、では、何をすれば良いのか?

今している本業の中で、
「AIに代替不能な付加価値」を、
加えることを考えるのです。

タクシーという業態は、
「ある場所からある場所に移動する。」
「移動時間が快適である。」
「対話や意思疎通がスムーズで心地よい。」
「運転手の対人サービスの質」
「運転手の土地勘」
などに因数分解されます。
このなかで、AIには代替不能な要素を特定する。
その技能において、業界の誰にも負けない技術を持つようになる。
そうすると、その先に、新しい業態が見えてきます。
自分で新しい業態を作らなくても、
「新しい業態」が勃興したときに、
その業態の若手を育成できる人材として、
社会にいつまでも必要とされることでしょう。

それって、例えばどんなこと?

これは「無数に考えられる」。

「土地勘」×「対人サービス」で、
「町歩きのソムリエ」みたいな業態が出来るかもしれない。
「移動空間の快適さ」×「対人サービス」で、
「動くカウンセリングルーム」という業態が出来るかもしれない。
「タクシードライバーとしての総合力」×「教える技術」で、
「一般人の相乗りの仕組み化」という民タク社会が訪れたとき、
そのドライバーが「人気の運転手」になれるような、
「民タクドライバーの学校」を開けるかもしれない。

タクシー運転手だけではありません。
たとえば、「街の本屋さん」は、
Amazon、そして電子書籍化の、
「淘汰圧」に勝てるでしょうか?

普通に考えたら勝てません。
しかし、岩田書店という本屋さんは、
「顧客とのコミュニケーション」×「本の知識」で、
新しいサービスを生み出しました。
応募者にカルテを書いてもらい、
処方箋のように、「本の組み合わせを調合」し、
その本が送られてくる、というサービス。
「1万円選書」と言います。
毎回7,000人が応募するほどの人気だそうです。

▼参考リンク「1万円選書」
https://www.fnn.jp/posts/00404880HDK


、、、タクシーにしても、
本屋さんにしても、
生き残る人々に共通するのは、
「アルゴリズム(AI)には代替不能」な要素を、
上手に自分の専門分野と組み合わせているということです。
そして何らかの「対人サービス」が必ずそこに含まれる。

では、「対人サービス」は、
どのように磨くのか?
対人サービスの質において競争力を持つ人が、
もっている能力とは何か?
つまり、AI時代に生き残れる、
「マスターピース」とは何か?
それが「読解力」なのだ、
というのがこの本の「キモ」です。

、、、最後に、
本書の要約的なセンテンスを引用して、
2回にわたった「AI VS 教科書が読めない子どもたち」の、
「本のカフェ・ラテ」を終えたいと思います。


【本書の要約的センテンス】
→P241 
〈AIと共存する社会で、
多くの人々がAIにはできない仕事に従事できるような能力を
身につけるための教育の喫緊の最重要課題は、
中学校を卒業するまでに、
中学校の教科書を読めるようにすることです。

世の中には情報はあふれていますから、
読解能力と意欲さえあれば、
いつでもどんなことでもたいてい自分で勉強できます。

今や、格差というのは、
名の通る大学を卒業したかどうか、
大卒か高卒かというようなことで生じるのではありません。
教科書が読めるかどうか、そこで格差が生まれています。〉


、、、現代の情報格差は、
よく言われているように、
「ITガジェットを使いこなせるかどうか」ではない、
というのが新井さんの結論です。
そうではなく、「教科書が読めるかどうか?」
なのだと。

いくら最新のガジェットを使いこなせていても、
それが提供する情報の「意味」を把握し、
消化し、解釈し、「意味の付加価値」を加え、
「他の人にも伝わる意味」として発信できなければ、
社会に必要とされる人材となるどころか、
「フェイクニュースの拡散者」となって、
社会に迷惑を掛けることになるでしょう。

お金というのは、
「世の中の何かの問題を解決したり、
 困っている人を助けたり、
 誰かのニーズに応えた」
ことの対価です。

お金は後からついてくるのです。
逆ではありません。

なので私たちが考えるべきは、
「今、旨みのある業界はどこか」ではなく、
「未来において問題を解決出来る人材になるには」
です。


蛇足かもしれませんが、
最後にひとつ。


あとがきに新井さんは、
「何より、こんなちっぽけな私に、
 (中略)の出会いを用意してくださった神様に感謝します」
と書いています。

調べても新井さんがキリスト教徒だという
情報の裏付けは得られませんでしたが、
彼女は「人間社会を超えた何か」を信じていることは、
この文章から推測されます。

人間社会のことを本当に理解しようとすると、
人間社会を超えた何かを知らなければならない、
ということの好例ですね。

これは自分の経験からも裏付けられます。
私が、もし人よりも、
「社会のことをよく理解出来ている」としたら、
それはひとえに、私が信仰者であり、
それゆえに「超越的な視点」をもっているからに他なりません。
「ある系を概観するには、
 その系の中にいては分からない」のです。
銀河系の中から銀河系の形がわかりにくいのと同じで。

信仰者というのは、「社会という系」の外側にある、
「超越的な現実」を知っています。
本当の故郷が天にあることを知っているので、
「この世の生だけがすべてではない」
ということを知っている。
だから、信仰を持たない人よりも、
この社会のことを分析する上で、
格段に優位な立場にあると私は思っています。

それは「誇るため」ではありません。

そうではなく、
ちょっとでも社会を良くするためです。

人種差別の撤廃、
男女の平等、
市民権の獲得、
奴隷制度の廃止、、、、
といった社会におけるたいせつな変革の担い手の多くが、
リンカーン、津田梅子、キング牧師、
ウィルバーフォースなどの信仰者なのは、
偶然ではありません。
それは彼らが、「この世の閉じた系」を離れた、
超越的な視点からこの世界を見ることができたからです。

私は彼らのように大きなことは出来ないかもしれませんが、
信仰を持つひとりとして、
「社会を1ミリでも良くする」ために、
この世に今日も生を与えられている、
と思いながら生きています。

話しがそれました。

、、、というわけで、
新井さんを作ってくれた神様に感謝します。

食べられないほど不味かったもの

2019.05.22 Wednesday

+++vol.074 2019年1月15日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
今週も「質問カード」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼食べられないほど不味いもの▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週もまずは、「質問カード」から。
では、行ってみましょう。

▼質問:
食べられないほど不味いものに遭遇したことはありますか?


、、、みなさんはいかがでしょうか?
私は食べ物の好き嫌いはまったくないので、
食べられないほど不味いものと言われても、
ほとんど思い出せません。

子どものころは、
ニンジンが苦手だったりしましたが、
大人になるとまったく好き嫌いなくなるんですね。
食べられないものは、何もないです。
何をたべても、「おいしい」と思います。
これは人間として、幸せなことです。

そんな「何でもおいしいと思う」私ですが、
大人になってから一度、
圧倒的に覚えている、
「食べられないほど不味いモノ」に
出会ったことがあります。

忘れもしません。

5年前、2013年の夏、
ガーナでのことです。

FVIが支援しているパートナー団体を見学に、
私はエチオピアとガーナを訪れました。
ガーナに滞在したのはそのときが初めてでしたし、
その後も一度も行っていません。
FVIがしているような
教会で訓練会をして、
地元の人々の社会奉仕活動などを励ます働きをしている、
クリス・アンパドゥという人に、
いろんな場所を案内してもらいました。

クリスは首都のアクラに在住しており、
アクラでラジオ番組を持っていて、
ときどき西部(コートジボワールの近く)に行って、
現地で農業や学校などの社会事業を始めた人々を励ます、
というようなことをしている人です。

ガーナという場所はとにかく暑く、
気温だけで言えば今までに行った場所の中で一番暑かったかも。
西アフリカの人たちは、
東アフリカのエチオピア人と違い、
肌の色がもう、正月のおせちの黒豆のように黒いのです。
夜に彼等と集合写真を撮ると、
人が何人いるか、歯の数で確認するしかないという笑。

、、、で、
クリスに、ガーナ料理店に連れて行って貰ったときのこと。
ガーナの主食は、「フフ」といいます。
キャッサバという根菜類を粉状にし、
水と混ぜて作った、いわば、
「マッシュポテト」ですね。
「マッシュキャッサバ」です。

エチオピアで言うところの「インジェラ」、
インドで言うところの「チャパティ」ですね。
この「フフ」の食べ方が面白い。

これを手でちぎり、
スパイシーなスープに浸して食べるところまでは、
まぁ、良くあるパターンなのですが、
これを口に入れてからが違う。

ガーナの場合、
口に入れたフフを、
一度も噛まずに呑み込むのが、
正式な食べ方なのです。

クリス曰く、
「喉で味わうんだよ」。

日本の「餅のみ」というのがありますが、
それに似ています。

私は何度かトライしましたが、
上手く出来ませんでした。
クリスは言いました。
「これが出来たら、
 本当のガーナ人の仲間入りだ」

、、、私が語りたい、
「食べられないほど不味かったもの」は、
この「フフ」のほうではありません。
「フフ」は「無」ですね。
普通に食べられる。
インジェラのような「クセ」もないし。
おいしい部類でしょう。

不味かったのは、
フフではなく、スープのほうです。
正確には、スープに入っていた肉のほうです。

「アフリカタケネズミ」という、
モルモット科の生き物がいます。
英語では「グラスカッター」と呼ばれているとか。

▼参考リンク:「アフリカタケネズミ」
https://goo.gl/cvkVqh

これを、ガーナではケージに入れて飼います。
そしてまるまると太らせる。
そして、食べます。

「これがけっこう良いお金になるんだ」
と、数日前、クリスの励ましで始まった、
アクラの貧困地区の、
夫人たちによる「マイクロビジネス」を、
私は見せて貰っていたところでした。
「へぇ、これが食えるんですね。
 美味いんですか?」
「けっこうイケるんだぜ」とクリス。

、、、で、
フフと一緒に何のスープをいただくか、
メニューを見ながら、
クリスが「例のネズミがあるよ」
というので迷わず私はオーダーしました。

▼参考リンク:「頼んだスープ・フフと5年半前の私」
https://goo.gl/jtGYXV

スープの中に浮いている白いやつが、
「マッシュドキャッサバ(=フフ)」です。

▼参考リンク:「スープ拡大」
https://goo.gl/rEnHxc

、、、で、
ここまでは順調だったんですよ。

クリスの、
「一度も噛まずに呑み込む講習会」が始まり、
私も「えー、難しいっすねぇ」
なんつって、楽しくやってたのです。

、、、しかし、この肉を味わった瞬間、
もう戦慄でしたね。

三択問題でいうと、
1.地獄の河原で死んでいる人の肉
2.ドラクエのモンスター「トロール」の肉
3.3日間、相撲部屋の汗につけ込んだ肉
という感じですかね。

「けもの臭い肉」ってあるなじゃないですか。

あれの、「臭さ」を100倍にしたような匂いなんです。
動物の汗の臭いというか。
「うっぷ」ってなる。

出されたものは「美味い」って言うことにしてますから、
「美味い」の口にはなってるんですが、
食べた瞬間、
「うーーー?、

 、、、

 、、、


 うーーーん??、
 ちょっと、苦手かもしれないっす。」
とお茶を濁し、
フフの部分だけ食べて、
あとは残しました。
悔しかったけど。

、、、というわけで、
まるまる太ったネズミの肉は、
相撲部の部室に染みついた汗の臭いがする、
という教訓を私は得たわけです。

おわり。

陣内が先週読んだ本 2018年12月9〜2019年1月5日 『ザ・ワーク・オブ・ザ・ネーションズ』他

2019.05.15 Wednesday

+++vol.073 2019年1月8日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 陣内が先週読んだ本 
期間:2018年12月9〜2019年1月5日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●アカガミ

読了した日:2018年12月11日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:窪美澄
出版年:2016年
出版社:河出書房新社

リンク:
http://amzn.asia/d/dh1ogbq

▼140文字ブリーフィング:

以下の佐藤優の記事で知って興味を持ちました。
https://www.news-postseven.com/archives/20181125_801214.html

この記事で佐藤さんが語っているのは、
現代のディストピア小説を読むと、
80年代のそれとは違い、
「外敵」がいないことが分かる。

むしろ「敵」は私たちの社会に内在しており、
それは巧妙に社会のシステムとして織り込まれている、
そんな「未来のディストピア(ユートピアの反対)」を、
多くの小説家が描くと言うことが、
現代という時代を象徴しているのではないか、と。

後にご紹介しますが、
この記事で紹介された『アカガミ』、
『消滅世界』『橋を渡る』の3冊を、
私は先月読みました。

『アカガミ』のあらすじはこうです。
2030年、「若者の性離れ」を受け、
政府が「恋愛・妊娠・出産支援制度」を主催します。
「アカガミ」という招待状を受け取った適齢期の若者は、
男女ペアのつがいにされ、
すべてが整った団地で生活を営みます。
そこで恋愛感情が芽生えるよう、
カウンセリングを受け、
排卵日がモニターされ、
セックスに至ると国から、
家族も含めとてつもない保障が受けられる。

「アカガミ」の語源はこうです。
太平洋戦争中の「軍への召集令状」が、
赤い紙に印刷されていたため、
「赤紙が来る」ということは、
「息子を取られる(そして多分死ぬ)」
ということを意味したため、
赤紙を受け取った母親や妻は、
奥の部屋にいってひとしきり泣きました。
(人前で泣くと「お国のために戦えるという、
 名誉なことを泣くとは何ごとだ!!」
 と世間から袋叩きにあったため)

赤紙の郵送料は当時1銭5厘(1円の100分の1)でした。
この値段は銃弾一発より安い。
だから日本軍の上層部は、
「兵器は高いが兵隊は1銭」というコスト計算で、
とんでもない危険な作戦を決行したりしたのです。

この未来小説における「アカガミ」もまた、
太平洋戦争中の赤紙と本質的に、
まったく同じモノだと主人公たちは、
クライマックスで気づくことになります。

ディストピアSFが面白いのは、
それが現実世界とどこかで地続きだからです。
10年ほど前の大臣の「生む機械」発言、
「(生殖できない)LGBTは生産性が低い」という、
自民党の杉田水脈議員の発言などからは、
「アカガミ的なるもの」を感じます。

最後まで面白く読めました。
(854文字)



●愛国のリアリズムが日本を救う

読了した日:2018年12月12日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:高橋洋一
出版年:2018年
出版社:育鵬社

リンク:
http://amzn.asia/d/7YiRba6

▼140文字ブリーフィング:

高橋洋一さんは、
安倍さんと日銀の黒田総裁のブレーン的な人で、
いわゆる「異次元の金融緩和」を支持する経済学者です。
世間から「リフレ派」とか呼ばれたりもします。
海外だとポール・クルーグマンという経済学者がいて、
その人の系譜に連なる人ですね。
高橋さんの立論はですから当然、
安倍さん支持ですね。
財政緊縮などあり得ない。
増税などもっての他。
ばんばんお札を刷って、
ばんばん公共投資をして、
景気を良くしたら良い、
という話しです。

増税や緊縮財政は、
「財務省の陰謀」だとすら言っている。

うん。

なるほど。

確かに筋は通っているかもしれない。

ただ、経済学者の中には、
彼と真逆の主張をする人もいまして、
それらの本も私は読んだことがあり、
そちらも、「うん、納得」という内容でした。

それぞれがデータに基づいて「論拠がある」と言います。
経済学の論争は神学論争に似ていて、
「実証不能」です。
神学と違うのは実証的なデータがあることですが、
変動係数があまりにも多いマクロ経済学の場合、
「何がそれをもたらしたか」を特定するのは不能なので、
どんな立論も可能だったりするところが、
「論争が終わらない」理由です。

私の近親者には経済学畑の人がいますが、
「黒田バズーカ」のチキンレースぶりに危惧を覚える、
という意見もあります。

本書で面白かったのは、
「安倍政権はもはやリベラルだ」
という、去年当メルマガでも解説した、
橘玲氏の『朝日ぎらい』と同じ主張です。

安倍政権は保育園無償化を進め、
大学無償化への準備もしています。
もはやこんなの、
完全に「リベラル」です。

朝日新聞は安倍政権を支持すべきだと思うのですが、
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいな感じで、
左翼リベラルは「安倍憎し」を前提に戦っている。
そういう「ポジショントーク的」なところが、
左翼が嫌われる理由なのだけど、
本人たちはあまり気づいていない。

自分のポジションを明確にせずに、
政治の話しをする人が多い(大多数)ですが、
それは「卑怯」だと思いますから私はいつも言いますが、
私の個人的な政治信条は「リベラル寄り」です。
しかしそれは「ポジションとしてのリベラル」ではなく、
思想としてのリベラルです。

話しとは関係ないですが、
極端に右か左に偏っている人ほど、
自分のことを「真ん中」と自称する傾向、
あれ、何なんでしょうね?
「あの新聞(媒体)は、
 他のマスゴミと違って中立だ!」
誰かが声高に語っているとき、
たいていの場合、それらは極右か極左です。
人間は「自己中心バイアス」があるので、
誰しも自分が世界の中心に見えるのは仕方ないにしても、
海外に比べ日本の「自分の立ち位置を明らかにせず、
議論を進めていくクセ」は直した方が良いと思います。
それは、「身許や出自を明らかにしないネットの言説」
に通ずるところがありますので。

めちゃ話しがそれましたので戻します。

なので、「ポジションとしてではなく、
思想としてのリベラルの私」は、
安倍さんの政策であれ良いものは良いし、
リベラル政党の政策であれ悪いものは悪いと思います。

良い、悪いの価値判断が、
「市民の自由を高め、
 差別や排他性をなくし、
 既得権を守らず、
 弱者が救済される」
というような大意において良ければ良し、
悪ければ悪し、ということです。

安倍さんがリベラルだ、
という高橋さんの主張の箇所を引用します。
(私もこれには同意します)

→P148 
〈「リベラル」は、もともと「自由主義」からきている言葉であり、
右の保守、左の共産主義・社会主義の中間・中道の政治スタンスを指す。
経済政策で見ると、雇用重視、市場重視、社会福祉に力点を置いている。
社会福祉はまだ許容できるとしても、雇用重視、市場重視になると心許ない。
すでに安倍政権が金融緩和政策をつかって雇用を伸ばすという
「リベラル」や「左派政党」のお株を完全に奪っている。
その結果、日本の政治では初めて
それを使ってめざましい成果を出してしまい、
その勢いで、市場重視、社会福祉でも矢継ぎ早に政策を出しており、
左派系野党は後れを取っている。〉
(1,329文字)



●「最前線の映画」を読む

読了した日:2018年12月18日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:町山智宏
出版年:2018年
出版社:インターナショナル新書

リンク:
http://amzn.asia/d/jhZUmod

▼140文字ブリーフィング:

めちゃくちゃ面白かったです。
やはり町山さんは「最強の映画評論家」ですね。
2018年ベスト10入りした、『哭声 コクソン』や、
スコセッシの『沈黙』など、
すでに観た映画に関しては、
「答え合わせ」のように楽しめます。
自分がどれほどこの映画の奥行きを楽しめていたか?
ということの。
町山智宏さんの解説を聞くと、
いつも「50点以下」ということが多い笑。
、、、で、また観たくなる。

そして、まだ観ていない映画に関しては、
これまためちゃくちゃ観たくなる。
町山智宏さんの映画評論は本当にスゴイです。
当メルマガの「先月観た映画」コーナーも、
これにはとうてい及びませんが、
そのような楽しみを読者に与えたいなぁ、
という願いを込めて書いています。

『沈黙』の解説のなかで、
「転び伴天連(踏み絵を踏んだクリスチャン)」を、
カトリック教会が360年ぶりに「赦した」という箇所では、
涙が出そうになりました。

引用します。

→P73〜74 
〈『沈黙』のロドリゴに最後までまとわりつづける
キチジローという切支丹がいる。
生き延びるために家族を売り、
何度でも踏み絵を踏み、ロドリゴを売った。
キチジローは裏切りを重ね、そのたびに懺悔する。

最初、ロドリゴは、キチジローへの軽蔑を抑えきれない。
だが、遠藤周作は「キチジローは私です」と言っている。
卑怯で弱い裏切り者こそ最も救われるべきではないのか。

ロドリゴは自ら裏切り者に落ちていく過程で、
キチジローに共感し、キリストを裏切ったユダにも共感していく。
ユダはキリストに接吻した。
それは、「裏切りのキス」と呼ばれるが、果たしてそうだろうか。
ユダこそ、どの信徒よりもキリストを愛していたのではなかったか。
だからキリストを売るという最も辛い役割を引き受けたのではなかったか。

最後、キチジローが再び告解に現れる。
キチジローを演じる窪塚洋介の顔が
ロドリゴの脳裏のキリストの顔に非常に似ていることに観客は気づく。
スコセッシはインタビューで
「実はキチジローはロドリゴの教師なのです」と言っている。

再びキリストの声が聞こえる。
「主よ、あなたがいつも沈黙しておられるのを恨んでいました」
「私は沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのだ」

人間に最も必要なのは、奇蹟でも説教でもなく、
ただ黙って肩を抱いてくれる存在ではないのか。
それに気づいたロドリゴはキチジローを抱き、黙って額を寄せた。

それはアカデミー賞のステージでスコセッシが
エリア・カザンに額をすり寄せた姿にも似ている。
イエスはユダすらも愛したはずだ。
それを確信したロドリゴはキリストの境地に達した。
スコセッシは『沈黙』を完成させるとまず、
バチカンでフランシスコ法王とイエズス会の修道士二百人を招いて試写した。
彼らがロドリゴをどれだけ追体験できたかを伝える資料はないが、
スコセッシは映画の終わりに
「迫害されたすべての切支丹と伝道士たちに捧ぐ」
との献辞と共に「神の大いなる栄光のために」
というイエズス会のモットーを掲げることをゆるされた。

遠藤周作が願って得られなかった
「転び伴天連」たちへの「ゆるし」が
三百六十年ぶりに与えられたのだ。〉
(1,277文字)



●代替医療のトリック

読了した日:2018年12月19日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:サイモン・シン/エツァート・エルンスト共著
出版年:2010年
出版社:新潮社

リンク:
http://amzn.asia/d/bEoR05G

▼140文字ブリーフィング:

『10万個の子宮』という本を先月読みました。
子宮頸がんワクチンの副反応をめぐる、
「えせ科学がいかに社会全体の福祉を損なうか」
に関する本で、非常に共感しました。
そのなかで多く引用されていたのがこの、
『代替医療のトリック』です。

そして著者はサイモン・シン。
サイモン・シンは、
『フェルマーの最終定理』と、
『宇宙創成』という、
もう、べらぼうに面白い2冊の本を書いています。
これは面白いに違いない、と思い手に取った次第です。

WHOの見解などに代表される、
「科学的根拠に基づく正規の医療」を否定する、
というのは、日本ではたびたび起きますが、
これは日本だけでなく世界的な現象なのだと分かります。
BSEのときしかり、
豚インフルエンザ、
低線量の放射線の影響、
子宮頸がんワクチン、
数えたらきりがありません。

「主流の医療」は間違っている、
国家や原発村や製薬会社の陰謀によって、
ウソの科学を流布している。
真実はコレだ!!!
だって、このような事例が報告されている!!!
(子宮頸がんワクチンならけいれんする十代少女のビデオ、
 放射線なら「福島で見つかった奇形の動物」
 BSEならイギリスの症例)
というような情報発信者が、
ウェブサイトや書籍で活動するわけですが、
彼らの根本的な間違いは、
「科学とは何か」を理解していないところにあります。

「逸話の複数形はデータではない」
という言葉によって、サイモン・シンは、
その本質を的確に述べています。

→P169 
〈要するに、医療の主流派は、
ホメオパシーについてもその他どんな治療法についても、
逸話は(人間に関するものであれ、動物の患者に関するものであれ)、
治療法を支持する根拠としては不十分だとして認めない。
逸話をどれほどたくさん集めても、
しっかりした科学的根拠にはならない。
科学者がよく言うように、
「逸話の複数形はデータではない」のだ。〉


私はこれで治りました!
という逸話というのは、
科学の言葉で言いますと、
N=1(サンプル数1)と言いまして、
何ら実証性がありません。

この手のデマゴーグに踊らされる大衆、
というのはやはり、
「科学リテラシーの低さ」に起因します。
サイモン・シンのような、
理系と文系を往復できる文筆家の活動は、
科学リテラシーの向上において、
非常に重要です。

次の引用は、
本書の要約になっています。
ヒポクラテスの時代から、
「科学VSエセ科学」の戦いはあった、
ということが分かります。


→P10 
〈本書のすべては、
エーゲ海の島コスに生まれたヒポクラテスによって、
今から二千年以上前に書かれたひとつの警句を指針としている。
医学の父として知られるヒポクラテスは、こう述べた。
 科学と意見という、二つのものがある。
 前者は知識を生み、後者は無知を生む。〉
(1,139文字)



●消滅世界

読了した日:2018年12月19日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:村田沙耶香
出版年:2015年
出版社:河出書房新社

リンク:
http://amzn.asia/d/6NUzDCC

▼140文字ブリーフィング:

こちらも先ほどの『アカガミ』と同様、
佐藤優さんの記事でして手に取りました。
著者は『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した、
村田沙耶香さん。
『コンビニ人間』は2年前に買って読みましたが、
とても面白かった記憶があります。

こちらの『消滅世界』はセックスという概念がなくなり、
人工授精で子どもを産むようになり、
夫婦がセックスするのは近親相姦と
考えられるようになった未来の話しです。

人工子宮により男も妊娠・出産出来るようになり、
生まれた子どもたちは「子どもちゃん」と呼ばれ、
イスラエルのキブツのような実験都市(千葉県)では、
社会の全員が男女関係なく「おかあさん」と呼ばれます。

「コンビニ人間」もそうでしたが、
著者は「人間性の喪失」を描くことで、
人間性を浮き彫りにする手法が上手いと感じます。
こちらはコンビニ人間より前に書かれた本ですが、
「正常と異常が逆転する感じ」も、
コンビニ人間に引き継がれていると思います。
(395文字)



●橋を渡る

読了した日:2018年12月21日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:吉田修一
出版年:2016年
出版社:文藝春秋

リンク:
http://amzn.asia/d/9K1ce9r

▼140文字ブリーフィング:

『アカガミ』『消滅世界』と同じく、
佐藤氏の記事で興味を持ちました。
作風異なる3冊の「ディストピア小説」の、
テーマがほぼ重なっているというのが興味深い。

作家というのは時代の雰囲気を先取りする嗅覚を持つ、
「預言者」的な役割を持っていると思いますので、
3人の作家が似たような小説を書くというのは、
現代という時代の「根源的不安」の質が、
90年代とも00年代とも、もちろん80年代とも違っていて、
「何か得体の知れない恐怖」であり、
それは「セックスや生殖の喪失」といった、
「人間という種の保存」にも関わる部分である、
というのが分かります。

吉田修一は映画化された『怒り』や『悪人』を書いた人ですので、
本作のようなSFは珍しい。
非常に不思議な読後感でした。
こちらは現実に起きた、
都議会での塩村あやか議員への、
「自分が生めば良いだろ」という野次問題が、
「軸」になっています。

未来(2085年)の歴史書には、この事件が起きた2014年が、
「平成の新政」と呼ばれています。
この時代には「サイン」と呼ばれる、
血液細胞から作られたクローンが100万人規模で日本におり、
兵役に就いていたり結婚の道具にされており、
選挙権もなければ基本的人権も保障されていません。

正義が溶ける現代において、
「倫理をそれでも捨てないことを選ぶかどうか」
という瀬戸際に立つ主人公たちの群像劇です。
(583文字)



●ふしぎなふしぎな子どもの物語 なぜ成長を描かなくなったのか?

読了した日:2018年12月24日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ひこ・田中
出版年:2011年
出版社:光文社新書

リンク:
http://amzn.asia/d/9qyFlpk

▼140文字ブリーフィング:

これはめちゃ面白かったです。

テレビゲーム、テレビヒーロー、
女の子のアニメ、男の子のアニメ、
世界名作劇場、マンガ、児童文学、という幅広い射程で、
戦後どのように子どもの物語が変遷してきたかを、
著者は緻密に追いかけていきます。
少年ジャンプから仮面ライダーまで、
月光仮面からアルプスの少女ハイジまで、
ドラゴンクエストからエヴァンゲリヲンまで、
その射程は多ジャンルにまたがります。

そこから浮き彫りになるのは、
昭和から平成にかけての戦後70年の間に、
子どもに向けた「物語」は、
徐々に、しかし確実に、
「成長」を描かなくなった、
という共通する傾向がある、というのです。

「子どもが成熟して大人になる」。
この王道のストーリーを、
「ビルドゥングスロマン」と言いますが、
このような物語は特に平成になってから、
どんどん描かれなくなる。

一例としてたとえばアニメなら、
80年代の「機動戦士ガンダム」では、
アムロは「十五少年漂流記」よろしく、
「子どもたちの群れ」である、
ホワイトベースに乗り込み、
ガンダムを操縦して戦います。
だって、ブライト艦長、19才ですからね(驚愕)!
ガンダムには「大人」が出てきます。
それが「シャア」だったりするのですが、
そこには「大人と対峙する子ども」という、
「出会い」が描かれている。

これが90年代の「エヴァンゲリオン」になると、
もはや少年たちは大人と向き合わない。
そして「子ども(自我)だけの閉じた環」に引きこもり、
最後は、
「自我が成長しないまま、
自閉した子どもたちだけの、
謎の自己啓発セミナー的なラスト」を迎える。

なぜこういうことが起きるのか?
ということを著者は分析します。
それは、子どもや大人が変わったのではなく、
社会自体が変わったからだ、というのが、
著者の指摘です。

つまり、これは問題ではなく結果なのだ、と。
「もういちど成長を描くべきだ」という話しではなく、
「なぜ成長が描かれなくなったのか?」
その必然について考えなければならない。

それは、もはや「子ども」「大人」
という区分が無効化されているからなのではないか、
というのが著者の分析です。
だから、物語が変わってきたし、
これからも変わっていくだろう、と。

しかし、物語は絶対に必要です。
「成長が不要になった」新しい時代に、
それでも生きるということの必然や意味を語る、
新しい物語が語られることが大切です。

「はじめに」で著者が言っていることが、
「グッときた」ので引用します。

→P7 
〈子どもが本を読まなくなったと嘆く声はよく聞かれますし、
言葉でしか表せない、言葉だからこそ伝えられる物語も確かにあります。
しかし、昔も今も一日の時間は同じなのに
本以外にも物語を提供できるメディアが増えているのですから、
読書時間が減るのは自然な現象です。

ですから、読書をして欲しい思いがあふれすぎ、
他のメディアを非難したり排除したりするのが
良い結果を生むとは思えません。

むしろ物語が届けられるのなら、
どんなメディアでもかまわないと私は思います。
他のメディアが非難されたために、
子どもが物語り嫌いになることの方を私は恐れます。

何故なら人間には物語が必要だからです。
私たちが現実世界にいることを認識できるのは、
虚構世界の物語があるからですし、
現実世界が苦しいとき、一時でもそこから待避し、
休むことが出来るのも物語です。〉


、、、そうです。
私たちには物語が必要なのです。
生きることに意味を与え、
人生に滋養を与えるような豊かな物語が、、、。
(1,386文字)



●「老いる」とはどういうことか

読了した日:2018年12月25日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:河合隼雄
出版年:1997年
出版社:講談社+α文庫

リンク:
http://amzn.asia/d/6kp7jHA

▼140文字ブリーフィング:

日本にユングを紹介した河合隼雄さんは、
私の尊敬する知識人のひとりです。
亡くなってしまったのはあまりにも惜しい。
河合隼雄さんの本はもう10冊以上読んでいますが、
こちらは新聞連載のまとめなので、
わりと軽めの本でした。

アイヌの人々の「神用語」という概念が、
非常に印象的でした。
理性の鈍化をバカにするのが近代だとしたら、
前近代は理性の鈍化に畏敬を覚えたのです。
後近代(ポストモダン)も、
そちらに接近すると私は考えていますから、
彼らの知恵は私たちに資するところが大きいと思います。

→P83 
〈アイヌの人たちは、
老人の言うことがだんだんわかりにくくなると、
老人が神の世界に近づいていくので、
「神用語(しんようご)」を話すようになり、
そのために、一般の人間には分からなくなるのだと考える、とのことである。

老人が何か言ったときに
「あっ、ぼけはじめたな」と受け止めるのと、
「うちのおじいちゃんも、とうとう神用語を話すようになった」
と思うのとでは、老人に対する態度がずいぶんと変わってくることであろう。
「神用語」という言葉を考え出した
アイヌの人たちの知恵の深さに、われわれも学ぶべきである。〉
(485文字)



●ザ・ワーク・オブ・ネーションズ 21世紀資本主義のイメージ

読了した日:2018年12月27日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ロバート・B・ライシュ
出版年:1991年
出版社:ダイヤモンド社

リンク:
http://amzn.asia/d/5iSmaBn

▼140文字ブリーフィング:

この本は様々な本に引用されている、
「定本」のひとつなので、
いつか読んでみたかったんですよね。
「マックジョブ」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
マクドナルドの店員のことを指しており、
これはつまり、低賃金の単純労働を意味します。
この「マックジョブ」という言葉を生み出したのが、
著者のロバート・ライシュだと言われています。
(本書に「マックジョブ」というフレーズは直接出てきません)

どういうことか。

この本が書かれたのは今から約30年前であり、
インターネットも黎明期です。
それにもかかわらず、
ロバート・ライシュは、
経済のグローバル化と、
情報や人材やモノのボーダーレス化によって、
「労働革命」が起きるであろう、
ということを「予言」したわけです。

どう起きるのか?

20世紀は「分厚い中産階級」があった。
つまりフォードの工場ラインで一生働いたり、
大企業の事務職として40年働いた人が、
かなり良い賃金を得て、
「中流」になれた。

しかし労働革命後、
社会の1割以下の「めちゃくちゃ稼ぐ高技能者」と、
90%の「低賃金の単純労働者」に、
労働は二極化し、分厚い中産階級は消滅するであろう、と。

前者を著者は「シンボリック・アナリスト」と呼び、
後者は後に「マックジョブ」と巷間に広まりました。
つまり、20世紀には分厚い中流層が、
(今の物価補正で)年収10万ドルに接近する稼ぎを得られたのが、
21世紀には高技能な専門職は数10万ドル〜数千万ドルを稼ぎ、
低技能なその多大勢は生活に必要なお金すら稼げなくなる。

はい。

そうです。

AI時代には、
「社会は人手不足なのに、
 巷には失業者があふれる」
と新井紀子さんは「予言」していますが、
90年代にライシュにはそれが「見えて」いたのです。

アメリカのトランプ大統領の当選理由は、
「分厚い中産階級の消滅」と直接関係があります。
彼らの「権益」を取り戻す!と宣言したことが、
ラストベルト(さび付いた五大湖周辺の州)の
集票につながったのですから。
しかし、ライシュが言うように、
「時代を20世紀に戻そうとする試み」はいつか破綻します。

ではどうすれば良いのか?

巷にあふれた失業者に、
高技能を身につけさせることです。
それこそが21世紀の本当の公共投資なのだ、
とライシュは言っています。
それはどのようになされるのか?
後日解説する、新井紀子さんの
「AI VS 教科書が読めない子どもたち」
にそのヒントがありますし、
本書にもその教育指針が示されています。

文字数の関係でその内容には立ち入りませんが、
いつか何らかの形でご紹介できたらと思います。
(999文字)



●人口減少社会の未来学

読了した日:2018年12月29日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:内田樹、池田晴彦、井上智洋、小田嶋隆、姜尚中、隈研吾、高橋博之、平川克美、平田オリザ、ブレディみかこ、藻谷浩介
出版年:2018年
出版社:文藝春秋社

リンク:
http://amzn.asia/d/hGPjAeB

▼140文字ブリーフィング:

内田樹さんがホストになって、
様々な著者が「日本の未来」について一章ずつ寄稿しています。
(まったく逆の立論も含めて)様々な論客が、
日本の未来について語っている本書は、
様々な曲調で構成される、
ミュージシャンのアルバムのような感じで「楽しめ」ました。

いろいろ面白い部分があったのですが、
井上智洋氏の執筆パートにあった、
「頭脳資本主義」という概念が面白かったので引用します。

→P80〜82 
〈ただし、日本経済が抱えているのは、
財政・金融政策によって
直接解決可能な需要サイドの問題だけではない。
企業や大学、行政機構、あらゆる組織で非効率が蔓延しており、
生産性が低迷している。

2016年の日本の一時間当たり生産性は、
OECD35カ国中20位である(日本生産性本部「労働生産性の国際比較」)。

労働生産性は当てにならない指標だと指摘されることが多いが、
2016年の日本のひとり当たり購買力平価GDP
(物価を考慮したGDPに関する指標)は、
全ての国々の中で30位である
(IMF"World Economic Outlook Databases")。
フランスのちょっと下、韓国やイタリアのちょっと上という一であり、
先進国最低クラスだ。

いかなる指標を参照しても、
日本の生産性の低迷を反証することは難しい。
これからそのような生産性の低迷は一層深刻になっていくだろう。
未来において、一国のGDPを決定づけるのは、
労働人口や労働時間よりも、
科学技術力を始めとする人々の知力となるからであり、
日本の知力が今まさに危ぶまれているからである。
 (中略)
しかしこれからの世界経済は、労働人数の頭数ではなく、
人々の頭脳レベルが一国のGDPや企業の収益を決定する
「頭脳資本主義」に転換していく。
作家で評論家の堺屋太一氏が、
1985年に『知価革命』で知恵が価値を持つ
「知価社会」の到来を予見しているが、
そのような社会が本格的に到来するというわけである。
それゆえ、少子高齢化ではなく科学技術力などの知力の衰退の方が、
経済に対するより大きなマイナス効果を持つようになる。

「頭脳資本主義」は、
もともと神戸大学の松田卓也名誉教授が作った用語であり、
経済思想の分野における「認知資本主義」や
ピーター・ドラッカーの「知識社会」とも類似した概念である。
しかし、いずれの言葉よりも語呂が良いのでここでは
「頭脳資本主義」を用いることにする。〉


、、、先ほどの「ワーク・オブ・ザ・ネーションズ」と、
まったく同じ話ですね。
「頭脳資本主義」とはつまり、
ライシュ氏の言う、「シンボルアナリスト」が、
社会の富(価値)の大部分を生み出してしまう、
という社会の在り方のことです。

このような時代における「国力」は、
「国民の頭脳」が決めます。

このとき「頭脳」とは何を指すのか?
「ワーク・オブ・ザ・ネーションズ」が指摘している、
4つの要素をご紹介します。
・抽象思考
・体系的思考
・実験思考
・共同作業

詳説はしませんが簡単に素描すると、
上の2つは「数学(=論理力)」であり、
3つ目つは「科学リテラシー」です。
最後は、上の3つが出来ているという前提のもと、
シナジーを生みだ出すコミュニケーション能力がある、
ということを意味します。

これらを磨く教育をしなければ、
日本の国力は今後も衰退していく一方でしょう。
来週「本のカフェ・ラテ」でご紹介予定(後編)の、
『AI VS 教科書が読めない子どもたち』では、
「では、日本の国力が衰退しないために、
 何が出来るのか?」
ということのヒントがつかめます(宣伝)。
(1,446文字)


▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:『ふしぎなふしぎな子どもの物語』

コメント:

「物語」に興味があります。
「物語」が人生に何をもたらすのか?
これは「物語神学」が注目される昨今、
多分にキリスト教の話題でもあります。
この手の本で今までで一番面白かったのは、
『モモ』『はてしない物語』の作者、
ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』でした。



▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「預言者賞」
『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』

コメント:

90年代に書かれた本が、
約30年後の現代をも見通しているその射程の広さに驚きました。
多くの本に引用されるのも納得です。
「定本」認定ですね。

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