カテゴリー

検索

便利な「検索」機能の使い方

上の検索バーに、「vol.○○」あるいは、「●年●月●日配信号」などと入力していただきますと、カテゴリ別だけでなく配信号ごとにお読みいただけます。

また、ブログ記事のアップロードは時系列で逐次していきますが、「カテゴリ別」表示をしますと、「Q&Aコーナー」だけを読む、あるいは「先月観た映画」のコーナーだけを読む、などの読み方が可能です。

スマートフォン

この他の活動媒体

●9年間続くブログです。↓
陣内俊 Prayer Letter ONLINE

●支援者の方々への紙媒体の活動報告のPDF版はこちらです↓
「陣内俊Prayer Letter」 PDF版

バラナシからの手紙

2019.09.05 Thursday

★第88号 2019年4月23日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 紀行文「バラナシからの手紙」

仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。

紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問したときに、
そこで体験し、考え、触れ、見たことを、
報告するという、そのままの内容。

離れたところから絵はがきを送るように、
海外や国内各地から皆様に、
お手紙を送らせていただきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼バラナシに着きました。

、、、と、いうわけで、
(どういうわけなのか分かりませんが)、
バラナシにいます。

さすがに疲れも貯まってきました。
ずっと下痢ですし。

下痢か、酷い下痢かのどちらかです笑。

先週は土曜日までデリーにおり、
土曜日に国内便でバラナシに移動しました。
飛行機はやはり楽ですね。
デリー→バラナシ間の夜行列車は、
11年前に乗りました。
往復だから2回。

あれはかなり大変な経験でした。
大きさで言うと、
古ーい病院とかにある、
大人がちょうど座れるぐらいの、
「長方形のソファのようなもの」がありますよね。
120センチ×40センチぐらいの。
それが「ベッド」です。
これが、二段になってます。

▼参考画像:インドの夜行電車の二段ベッド
http://livedoor.blogimg.jp/rekusan/imgs/9/1/91d4b215dda7d5536a49-L.jpg

私はこの二階に寝たのですが、
高さは60センチぐらい(?)で、
まぁ、狭いわけですよ。
しかも、スーツケースを身体に結びつけないと盗まれるよ、
と言われていたので、隙間においたスーツケースと、
自分の足を結びつけ、いろんな意味で囚人のような状態で、
13時間ぐらいだったかな、
電車に揺られました。
(駅には荷物と身体を結びつけるための、
 「鎖」が売っていました。マジで。
 奴隷船にでも乗るのか俺はこれから、
 と思いましたから笑)

朝起きたら当然身体はバッキバキです。
当時、iPod nanoで、
aikoを聞いていたのを覚えています。
なぜaikoだったのか謎ですが、
多分今の状況となるべくかけ離れた音楽を、
身体が欲していたのでしょう。

デリーに戻ったとき、
たまたま会った日本人のバックパッカーと会話し、
彼も同じ夜行列車に乗ったという話しで盛り上がりました。
夜行列車ではなんか「売り子」さんみたいな人がいます。
日本の新幹線のあれとは似ても似つかない。
謎のおじさんが食べ物を持って、通路を歩いては、
「モモ」と呼ばれる春巻きみたいなやつを、
ひとつ5ルピー売っていきます。
衛生上の理由から私は怖くて買えなかったのですが、
彼もあれが気になっていて、
そして夜行列車の「一階席」で寝たそうです。
朝起きると、口に「モモ」が入っていることに気づき、
眠い目をこすると売り子のおじさんが仁王立ちしており、
「5ルピー」と請求してきたという。
名前も忘れちゃったけど、
久しぶりに日本語で話したのもあり、
二人で爆笑しました。

これだからインドはやめられない。

2008年7月のことです。

話しを戻しましょう。
その朝、私は夜行列車の極狭二段ベッドで、
バラナシの駅に着きました。
たくさん駅に止まるのですが、
当然「車内放送」なんて気の利いたものはありません。
液晶画面なんて望むべくもない。
薄暗い朝日のなかで、
降りる人は黙々と降りていきます。

どこが「バラナシ駅」なのか?

それは、景色を見ればわかるでしょう、
ということです。

いや、分かるわけないやんけ!

と思い、
真向かいに座っていたシーク教徒(ターバン巻いてる人ね)に、
「バラナシはどこか教えてくれますか?」
と頼むと、彼は次の次の次だ、と教えてくれました。

早朝のバラナシの駅で私が会った人物、
その人こそ、その後11年にわたり、
国は違えど「親友」のように思い合うことになる、
バルーさんその人でした。

あそこで過ごした2ヶ月間は、
私の人生を変えた2ヶ月間でした。
かなりいろんなトラブルに見舞われ、
身体の中に細菌が入って血液に乗って広がり、
地元の病院で治療を受け、
カメラを盗まれ、
パソコンのACアダプタが煙を上げて壊れ、
毎秒体調が悪く、
気温は45度を超え、
エアコンもなかったけれど、
それでもあの2ヶ月ほど後の私の人生に影響を与えた期間は、
あまり多くはありません。

毎朝、バルーさんと語り合いました。
昼は彼のバイクの後ろに乗り、
彼の様々な働きの補佐をしました。
彼の様々な働きというのは、
本当に様々な働きで、
保健師でもあった彼は、
村々を回って衛生指導をし、
井戸掘りプロジェクトを推進し、
トイレの建設に携わり、
開拓した40の教会の牧会をし、
路上で「伝道メッセージ」を語り、
自分のはじめた学校で教え、
女性のための識字教育のリーダーとともに村を訪問し、
40の教会のリーダーたちを励まして歩いていました。

「もしイエス様が市長だったら」
という本があります。
私のメンターのボブ・モフィット師の著作で、
もうちょっとで書籍化され、
皆様にも買っていただけるようになる予定です。
いましばらくお待ち下さい。

その本に引きつけるなら、
「もしバラナシの農村地帯で、
 イエス様が市長だったら、
 それはバルーさんになるなぁ」
と私は彼のバイクの後ろに乗りながら思ったのです。

夜もご飯を食べながら、
毎日彼と語り合いました。

彼もいろんなことを語りましたが、
私もまた自分のことを語り、
日本のことを語り、
宣教に対する情熱を語り、
教会に対する思いを語りました。

当時私は独身でしたが、
結婚に関することも語り合いました。
バルーさんが銀行に行く日などは、
私はバルーさん宅で、
二人の就学前の子どもたちと遊びました。
上の子が男の子、下の子が女の子です。
日本から持って行った折り紙で、
手裏剣をつくって遊んだり、
ドラゴンボールの「カメハメハ」を教え、
カメハメハの打ち合いをしたりしました。

彼らもまた私にインドの遊びを教えてくれました。
「シャッティマーン」という、
インドの仮面ライダー(注:首から上はおじさん)を、
彼らは私に見せてくれました。

政治についても語りました。
インドの政治の仕組みと問題、
日本の政治の仕組みと問題。
経済のこと、家族のこと、
教育のこと、そして何より、
私もバルーさんも、それぞれに自分の、
「安定した最初の職業」を後にし、
「神から呼ばれた」ことを信じ、
その召命に従って歩む、
という信仰の歩みの在り方が似ていました。

バルーさんは年齢では私の2つ上です。
同世代のバルーさんと私の心は、
その2ヶ月に、
「心の深い部分で結びついた」のです。
彼とは何もかも違うようでいて、
何かその「何もかも」をはぎ取ったら、
とても似ているものを共有している、
という感覚がお互いにありました。

バルーさんが日本人だったら、
私のような生き方をしていたかもしれないし、
私がインド人だったら、
バルーさんのように歩んでいたかもしれない、と。


▼▼▼バラナシ空港にて

先週の土曜日、
私は非常に快適な、
デリー→バラナシの移動をしました。
今回は飛行機でした。

飛行時間は1時間半。
嘘みたいにすぐに着きました。
嘘みたいに快適でした。

40歳を超えた人間には、
夜行列車は苦行です。
「その後の健康ダメージ」で、
飛行機代がペイするので、
飛行機で行くのが吉です笑。

バラナシ空港のゲートで、
バルーさんを見つけました。

感動したのですけど、
ちょっと現実なのか分からないような、
ふわふわとした気持ちを覚えました。

彼は当時と何も変わっていません。
話し方も、髪型も、献身の情熱も。

ただ、私も彼も、
いろんなことが変わりました。

私は当時は援助団体のスタッフでしたが、
今は違います。
私は当時独身でしたが、
今は結婚して子どもがいます。
当時私は「真っ白なキャンパスに夢を描くような」、
転職してばかりの「まっさらな状態の30歳」でしたが、
現在の私はバーンアウトを経験し、
自分の身をいたわりながら、
当時考えていたのとはまったく違うかたちの、
それでもとてもいとおしく思えるかたちの、
自分の働き方を見つけつつあります。

バルーさんにも大きな変化がありました。
実は、私たちが援助団体を離れ、
「声なき者の友の輪」を立ち上げたことと、
バルーさんの人生は無関係ではありません。
それは直接的な影響でした。
つまり、私がかつて属していた援助団体が、
バルーさんたちの働きの援助をカットしたため、
彼らは資金的に行き詰まったのです。

2012年のことでした。

そのときバルーさんは祈りました。
すると、「あなたこそがつまずきの石だ」
と神から語られたそうです。
そして彼はその団体を去りました。
するとその直後、
バルーさんが育て上げた、
40の教会と地域への包括的な奉仕を含む働きを、
他の団体が援助したいと申し出てくれ、
バルーさんが育てた次のリーダーが、
資金的に心配することなく活動を続けられるようになったそうです。

さて。

次はどうしよう。

バルーさんは、
「自分の人生は神のものなので、
 次にするべきことが、
 どんなことだったとしても、
 それに従うだけだ」と考えていました。

そんな折、
他の州で行われたある集まりで、
自分の経験を分かち合ったところ、
そこに来ていたある団体の方が、
「一緒に働かないか?」と声をかけてきました。
なんとその時点で、その「団体」には、
その人ひとりしかスタッフがおらず、
立ち上げた直後だったそうです。
内容は、諸事情によりあまり詳しくは立ち入れないのですが、
「リーダーを育てる」という働きです。

今バルーさんはその働きをしています。

現在インド国内各地に10名の、
バルーさんのような人がいます。
これまでの7年で、
バルーさんはインドのほとんどすべての主要都市を巡り、
何万人という人に向けて語り、
大きな団体の人材育成を請け負い、
そして数多くのリーダーたちを育ててきました。
彼はもはや「有名人」の域だそうです。
インドの教会ではけっこう知られている。

私はその話を聞きながら、
驚くと共に、
「まぁ、そうなるだろうな」
と思いました。

11年前に彼を見た時に、
彼の何が凄いかっていうと、
それは女性も男性も、
中流カーストの人も、
被差別部落出身者も、
彼を信頼しており、
そしてその信頼関係を土台に、
彼は「人の可能性を引き出して、
その人が能力を開花させる」という意味の、
リーダーシップ養成において、
卓越していることだ、というのが、
私の分析だったからです。

この場合の「リーダー」っていうのは、
別に偉くなることではありません。
聖書的なリーダーというのはむしろ、
「しもべ」のイメージです。
目立たず人に仕えている人。
この人が聖書的な意味のリーダーです。

福音書を読めばそう書いてあります。
あと、ヘルマン・ヘッセの、
『東方巡礼』という短編小説を読むと、
この意味が深く理解できます。

バルーさんが今しているのは、
バラナシの田舎でしていたことを、
全国規模で(最近ではインド国外にも)、
しているだけなのです。

「小さな事に忠実な者は、
 大きな事を任される」
と聖書は言います。
神様はバルーさんの田舎での働きを観ておられ、
「この人はもっと広く用いられるべきだ」
と「リクルート」されたのだろうと思います。

私はだから、
小劇場で抜群に面白いネタを披露していた芸人が、
M-1で優勝し全国区になり、
今はレギュラー番組を多数抱えている。
そういう軌跡を観ているような感じで、
「まぁ、そうでしょうね」と思います。

さて。

私はどうか?

私の11年はどうだったのか?

私も大きく変わりました。
30歳の私は、
仕事を辞めて宣教の働きに身を投じ、
潰れそうな不安と、大きな夢を同時に抱いていました。
私は結婚しておらず、
結婚もしておらず、
結婚すらしていませんでした。
非常に、確実に、結婚していなかったのです。

現在の私は結婚していて、
娘がおり、そして41歳になっています。
当時よりもさらに小さな団体で、
フリーランス的に働いています。
燃え尽きと鬱を経験し、
30代後半がまるごと、
「ふっとび」ました。
病気の前後含め5年ぐらいは、
本当に自分史から「なくなった」という感覚。
(ただ、それこそが私の最も大きな宝ものとなるのですが、
 それはまた別の話。)
今は病気で体力の落ちた、
自分の身体をいたわりながら、
ときどき怖々としながら、
でも今できることを、
ひとつずつ大切にこなしています。

芸人のメタファーに戻りますと、
彼は全国的にブレークしていますが、
私は「さらに地下に潜った」という感じです笑。
11年前はお互い地下一階でしたが、
現在バルーさんは地上はるか高く、
私は、「地下二階」っていうね笑。

賞レースにも参加するのをやめ、
なんか自費制作のDVDとか作り始めたりして笑。
ネタがどんどん前衛的になっていったりして笑。
完全に「地下芸人一直線」です。
ダウンタウン路線ではなく、
ラーメンズ路線ですね笑。
もしくは「みうらじゅん路線」笑。
しかもラーメンズほどのカリスマも才能も持ち合わせないという。

でも、それでいいのです。
そんなことは、友情に何の影響も及ぼさないし、
私たちが神に仕えるということにおいて、
そういった「外側の見た目」とか、
「世間的に考えられている成功の有無」は、
何の重要性も損なわないし、
まったく本質的なことではない。

先週の編集後記に書いたように、
「忠実だったかどうか」がすべてなのです。
かたやバルーさんは、
けっこうな「サクセスストーリー」と言って良いほどに、
素晴らしい用いられ方をしてきた。
私は「しくじり先生」で講義できるほどの、
「挫折と葛藤のストーリー」を歩んで来た。

お互い、話しを聞き終わった後、
「、、、うん。OK。よく分かった。
 、、、で、キミは忠実だったのか?」
これだけが私たちの共通の感心でした。
お互いの答えが「きっとそうだと思う」なのは自明なので、
私たちはお互いの歩みを喜び合ったのです。

「こういう部分」って、感覚的なものなので、
あまり言葉になりづらいのだけど、
バルーさんも私も、
「11年前に会ったとき、
 何かが俺たちを結びつけたんだよね」
とお互いに言い合っているとき、
その「何か」とは、
こういった「成功に関する定義」とか、
「コアにある何か」だったと、
今になって思えば分かります。
人生観とか価値観とか、
そういった言葉にも落とし込めるのだけど、
もっと「質感を伴った何か」なのです。
人と人を親友にするのは。

私の「親友」たちに、
唯一共通点があるとしたら、
この「質感」だと思います。



▼▼▼バルーさんの子どもたち

、、、さて、文字数もかさんできたので、
すこし角度を変えて話しましょう。
私が再会したのはバルーさんだけではありません。

バルーさんの奥さんと子どもたちにも再会しました。
彼らは当時たしか、7歳と4歳とかでした。
7歳の男の子と、4歳の女の子です。
今のインドの政治的状況を鑑み、
一応、子どもなので実名は伏せましょう。

仮にそうですねぇ。
「アシシくん」と、
「アディティちゃん」としておきましょう。
どちらもインドでポピュラーな名前です。
太郎くんと花子ちゃんみたいなものですね。

今アシシくんは18歳になっており、
アディティちゃんは15歳になっています。

ティーンエイジャーとなった彼らとの再会は、
けっこう感動的でした。

先ほど述べたとおり、
11年前に2ヶ月間バルーさんの家に滞在したとき、
私たちは毎日一緒に遊びました。

一昨日の日曜日、
私はバルーさんが牧師として奉仕している教会、
「オール・ネイションズ・チャーチ」にて、
礼拝のメッセージをしました。
イースターでもあったので、
キリストの復活に関するメッセージを。
英語で話すのはいつも緊張しますが、
バルーさんが通訳してくれ、
多くの人々が感銘を受けた、
と後で言いに来てくれるほど好評でした。

その後、教会の愛餐会がありました。
メニューはもちろんカレーです
あ、これ、日本の「もちろんカレー」とは違いますからね。
プレートにインディカ米とナンとカレースープを盛り付け、
手でこねこねして食べる「リアルガチのカレー」です。

私はアシシくんの隣にすわり、
手でカレーをこねこねしながら、
二人で思い出話を語りました。

ドラゴンボールの「カメハメハ」を、
教えてくれたよね、とか、
日本料理を作ってくれたよね、とか、
けっこういろんなことを彼らは覚えていました。

話しているとこちらもいろいろ思い出してきました。

そういえば「シャッティマーン」はまだ生きてるの?

と私は彼に聞きました。
シャッティマーンというのは、
話せば長くなるのですが、
まぁ、日本でいうと仮面ライダーですね。
というか、もう、仮面ライダーです。
今なら絶対訴訟されるレベルで、
設定とか番組構成とか、
「完コピ」しています。

ただ、仮面ライダーと違う点がいくつかあります。

まず、ヒーローに変身する主人公が、
「おじさん」だということ。

▼参考動画:シャッティマーン変身前
https://bit.ly/2IzPo9Z

私はアシシくんに強く勧められ、
当時放送を何度か見ましたが、
しかもけっこうこの「おじさんパート」が長いんですよね。
かなり「おじさんで引っ張る」わけです。

あそこだけ観てるとかなりシュールです。
おじさんが歯を磨いたり、
おじさんが電話をしたり、
おじさんが昼寝をしたりするシーンが、
ひたすら映されるのですから。

何を見せられているんだろう、という感じです。

そして戦闘シーンになると、
いよいよ変身するのですが、
シャッティマーンが仮面ライダーと決定的に違うのがここです。
「顔面まるだし」

「仮面じゃないライダー」なのです。
あ、ライダーでもないか。
だからもう、何でもないのです笑。

おじさんが首から下だけ変身してますので、
もう、「コスプレおじさん」です。

▼参考画像:シャッティマーン
http://www.internationalhero.co.uk/s/shaktim.jpg


、、、で、戦闘シーンもなかなかのもので、
普通にデリーとかで撮影していると思うのですが、
空き地で撮影してると、
遠くで撮影に気づいて興奮している人が映り込んだり、
普通に風でレジ袋などのゴミが飛んで来ているのが、
映り込んだりしています。

なんと、現在はYouTubeという便利なものがあります。
当時もありましたが今ほどコンテンツは充実してませんでした。
YouTubeでシャッティマーンが見れます。
興味と、ありあまる時間がある方は、
見てみてください。

▼参考動画:シャッティマーン 第298話
https://youtu.be/1Vk2YxN01WM


、、、で、このシャッティマーンは、
当時非常に人気のある、
インドの子どもたちにとってのスーパーヒーローで、
木曜日の17時になると、
テレビの前に正座して待つ、
みたいな感じでした。
昭和の「力道山の試合」みたいなものでしょうか。
けっこう停電で見れないという憂き目にも遭いましたが。

バルーさんが教えてくれたのですが、
シャッティマーンは人気がありすぎて、
子どもたちが空飛ぶシャッティマーンの真似をして、
二階から飛び降りて足を骨折する、
という事故が多発して社会問題となり、
「真似して飛ばないように」という注意喚起が放送されたほど。


、、、で、
私は18歳になったアシシくんに聞いたわけです。
「シャッティマーンはまだ生きてるの?」
アシシくんは軽く笑いこう言いました。
「もう生きてないよ。
 、、、
 、、、
 あ、俳優さんはまだ生きてるけど。」

年齢というのは残酷なものです。
あれほど熱狂したスーパーヒーローも、
当時の子どもが大人となれば、
まぁ、そんなものですよね。

、、、という、バラナシの話しでした。
かなり偏った紀行文となりましたが、
今のところはこんなところでしょうか。

来週はどうなるんだろう?
バラナシの続きを書くかもしれないし、
何もなかったかのように「読んだ本」コーナーかもしれないし、
執筆時間が取れなければ「休刊」するかもしれません。

期待せずに楽しみにお待ち下さい。

若かった両親にアドバイスできるとしたら?

2019.09.04 Wednesday

★第88号 2019年4月23日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼若かった両親に、何かアドバイス出来るとしたら?▼▼▼

▼自分を育ている若かった両親に、
何かアドバイス出来るとしたら何と言いますか?


、、、これはねぇ。
わりと深いテーマですよね。

40歳にもなると、
「やっと自分のことが分かってくる」。
多くの人はそんなに時間はかからないのかもしれないけれど、
私の場合、自分が分かるのに40年かかりました。
それでもまぁ、分からないこともあるのだけど。

そうすると、
「あぁ、あのとき自分はこうだったんだ。」
ということが、事後的に解明出来たりする。

私の場合、今考えると、
おそらくある種の発達障害を抱えていたと思います。
その言葉が重いというのなら、
発達に大きな偏りがあった。

これは間違いない。

だから、相当に育てにくい子どもだったはずです。
「良い子」ではない。絶対に。
「問題のある子ども」の部類でしたね。

、、、で、私の母親は、
(当然といえば当然だけど)私と似ていて
「真面目だがキャパシティが狭い」タイプなので、
問題児を軽くあしらうこともできない。
鷹揚に構えて適当に扱う事も出来ない。
「ま、なんとかなるでしょう!」
という楽観もできない。

だから一時期母親は育児ノイローゼのようになり、
私は包丁を突きつけられたりしました。
わりと精神的にキツイ追い込まれ方を、
日常的にしていました。
今になって思えば、
追い込まれていたのは母親のほうであり、
その「追い込まれ」が、
私を追い込むという入れ子構造になっていたのですが。

今の基準で言うと虐待に属するかもしれない。
当時は「なぜ兄弟のなかで自分だけが、
こんなにも母親を苦しめるのだろう?」
というどこか他人事のような疑問を抱いていて、
それはちょっと「離人症」に似た状態だったと思います。
母親がハサミをもって自分を追い詰めている、
その後ろ姿を、部屋の天井から、
冷静に見ているような感じ。

まぁ「離人症」ですね、多分。
自分を守るために必要なことだったのです。

「でも、何で僕だけが、、、、」
というのはやっぱり思うわけですよ。

発達に偏りがある子どもというのは、
主観的には発達に偏りがあると思ってないですから。

セクハラ上司が主観的にはセクハラしてないのと同じです笑。
「病識がないのが病理」なのです。
まぁ、今になって思えば、
それは私が発達に偏りがあるゆえに、
「この子どもがこのまま大人になったら絶対マズい!」
と周囲の大人に思わせる何かが、
私にあったからなのでしょう。
じっさいそうだったと思うし。

でも、それはそれとして、
母親に包丁を突きつけられ、
「一緒に死のう」みたいなことを言われるのって、
けっこうキツイ体験だったし、
その後の私の「生きづらさ」を形成しました。
しかし、そんなことは今では「どうでもいい」のです。
それもまた母親が私を愛してくれていた、
何よりの証拠だと思うようになりましたし、
その「生きづらさ」こそが、
私に「ユーモア」を与えました。
映画ライフ・イズ・ビューティフルの父親が、
ナチス収容所だからこそ道化になれたり、
尼崎の長屋極貧生活をしたからこその、
ダウンタウンのお笑いがあるのと同じように。

また、その「生きづらさ」こそが、
私を「思想家」にしました。
森羅万象の「理由」を、
普通の人はそんなに深く考えません。
考えたとしても、
「まぁ、そういうものだろう」と、
そのまま「呑み込み」ます。

私は絶対にそれが出来ない。
今分からなかったとしても、
10年後に分かるかもしれない。
そうやってしつこく考え続ける。
「なぜ」を問い続ける。
「水脈」に当たるまで、
地面を掘り続ける。

単純な頭の良さでは、
私より頭の回転が速く、
キレる人が数多くいますが、
その「しつこさ」では、
私は同世代のほとんど誰にも負けないと思っている。

水脈が見つからなければ、
マントルを突き抜けて地球の裏側まで掘る。
それぐらい私の「なぜ」という掘削機のツメは力強いのです。

「呑み込んだ」ほうが、世の中に適応しやすいし、
お金は儲かりやすいでしょう。
だから多くの人は「呑み込み」ます。
「世の中はこういうものだ」と受け入れ、
そのなかで上手くやっていくことを考える。

しかし私は違う。
「なぜそうなのか」ということが腑に落ちるまで、
決して諦めない。
それってもう「こだわり」というより、
「Way of Life(生き方)」の問題です。
こういうレベルのことは、
変えようがない。
そういう風に創られていると、
受け入れてそれをどう生かすかを考えるしかない。

それを「どう生かす」か?

これが「生きる」んだな。

社会が安定した時代には、
「なぜ」を問うこと、
つまり高度に抽象的なことというのは、
あまり役に立ちません。
むしろ具体的・即物的なことが重要になる。
しかし、社会が不安定で大きく変わる時代には、
高度に抽象的な思考が出来ることが、
非常に大切になります。

誰も思ってくれないからせめて自分で思ってるのですが笑、
私はその意味で自分のことを「時代の宝」だと思っています。
私は今の時代に産まれるべくして生まれたのです。

多分。

おそらく。

、、、で、「抽象思考のツメ」は、
どこから来たのか?
それは間違いなく幼少期の母親との葛藤から来ています。
あのときに「存在論的な不安」を抱えなかったら、
私は、
「世の中に適応するに速く、
生き抜くのに狡猾で、
ひょうひょうと要領よく世渡りする現実主義者」
となっていたことでしょう。

つまり、その定義からして、
私はキリスト者にはなっていなかった。
キリスト者は上のような人物の「逆」の人ですから。

そういうことも含め、
私は自分の過去を愛おしいものとして、
今は温かい気持ちで抱きしめています。
抱きしめれば抱きしめるほど、
自分と母親と世界に対して、
温かい気持ちが溢れてきます。

そして思います。

こんなに恵まれた私は、
世の中にその恵みを還元しなければ、
絶対にダメだ、と。

パウロの言う、
「世界に対する負債」の概念ですね。

私たちが大人になり、
親になると、
「両親が親だったとき、
 こんなに若かったんだ!」
と驚く事があります。

私はいま41歳ですが、
私の両親が41歳のときというのは、
私は小学校3年生ぐらいだったわけで、
そりゃ、パニックにもなるわな、と思います。
転勤族で周囲に助けを求める親族もおらず、
子どもを3人抱え、その一人(私)は、
明らかに「様子がおかしい」わけですから笑。
「ヤバい、なんとかしなきゃ!」
と追い詰められることでしょう。

そんな私も、
40年ぐらいかけて、
人々に迷惑をかけながらではありますが、
ちゃんと「発達」したのです。
「なんとかなった」のです。

私は学校の友人、先生、
大学の友人や知人や教会、
社会人になってからの同僚、友人、教会、組織、、、
さまざまな人々に迷惑をかけることで、
いろんなところに頭をぶつけながら、
その「いびつな発達の角」が取れ、
なんとか常識的に振る舞う事が出来るまでに、
「社会によって成長させてもらった」わけです。

そう考えますと、
親の役割というのは案外大きくはなく、
一人の人間が一人前の大人になるまでに、
「この社会」が果たす役割というのは、
考えている以上に大きい。
ジュディス・リッチ・ハリスの、
『子育ての大誤解』を読んでから、
私はますます確信するようになりました。

国際的な学力検査の結果を見ますと、
日本の教育レベルは世界トップクラスですが、
日本のGDPに対する教育の公的支出は先進国最下位です。

なぜか?

親がめちゃくちゃ私財を投じて、
子どもを教育しているからです。

国家が教育において、
これほど「国民に甘えている」国は、
諸外国のなかに他に類を見ない。

でも、その背後にあるのは、
政治家の陰謀でもなければ、
シルバー民主主義でもない。
政治というのは原因ではなく「結果」です。

つまり、
日本人の大多数が、
「子どもを大人にするのは親だ」
と思いすぎている。

遺伝:?%
親:90%
社会:10%

ぐらいに思ってるんじゃないでしょうか?
そう思っていたからこそ、
若き日の私の母親は、
あれだけ追い込まれたのです。

でも、ハリス氏が論証しているとおり、
真実はこうです。

遺伝:40〜50%
親(家庭):10%
社会(友人):40%

これはでたらめな話ではなく、
膨大の「異なる環境で育った双子」の研究から実証されています。
「子育て神話」の崩壊を意味しますから、
この説は人気がないですが、
科学的にはこちらが真実らしい、
というのが最近になってやっと受け入れられるようになってきました。

*参考文献:
『人間の本性を考える』スティーブン・ピンカー
『子育ての大誤解』ジュディス・リッチ・ハリス


、、、何が言いたいのか?
私が若い母親に言いたいのはこうです。
「彼は多分発達障害だけど、
 心配することはないよ。
 社会が彼を育ててくれるよ。」

そして父親に言いたいことはこうです。
「もうちょっと精神的に、
 子育てをフォローして上げて」と。
昭和のモーレツサラリーマンだった父親は、
典型的な昭和の父親のご多分にもれず、
家事や子育ては「ゼロ・コミットメント」でした。
会社の接待で、毎日帰ってくるのは12時過ぎていたし、
土日はゴルフ。
たまに何もない休日には、
ゴルフのスイングか野球中継を見るぐらい。

子どもと家事は「あとは任せた」状態。
もし父親が母親に対して、
家事を手伝わないまでも、
子育てについてねぎらいの言葉をかけたり、
心配を示したりしていれば、
私はハサミをもった母親の前で、
「地獄の圧迫面接」を、
週に数回、2時間以上受ける必要はなかったかもしれない。

、、でも、もしそうなっていたら、
先ほど申し上げた理由により、
私はクリスチャンではなかった。

子どもというのは、
「複雑系」です。
複雑系と非・複雑系の違いは何か?

非・複雑系は、
「ああすればこうなる」が成り立ちます。
自動車のような機械を考えたら分かりやすい。

複雑系は、
「ああしてもこうならない」のです。
有機体としての生物を考えてください。
生物学者の福岡伸一氏が、
「生命工学」という概念自体に異を唱えるのは、
「生命=複雑系」「工学=非・複雑系」という、
二つの「系」の違うものの組み合わせに、
無理があるからというのが氏の主張ですが、
私も彼に賛同します。

「ああすればこうなる」か、
「ああしてもこうならない」か。
これが一番の違いです。
詳しくは「複雑系の科学」に関する文献を参照ください。

とにかく「一人の人間が大人になる」
というのは、関与する要素があまりに多すぎて、
「よかれとおもったことが悪い結果をもたらす」ことや、
「失敗したとおもったことが実は良い結果の原因になっていた」
というようなことに溢れています。

だから、「コントロール不能」なのです。


、、、といったことを踏まえ、
現在父親になった私が子どもに出来ること、
それは何か?

「鷹揚に構える」?
「社会が子どもを育ててくれると信頼する」?
「妻にねぎらいの言葉をかける」?
全部正解ですし、心掛けています。

しかし、このすべてを完璧にしたとしても、
「ああしてもこうならない」のが子育てなのでしょう。
これらを全部したとして、
子どもが将来シンナーを吸い、
髪の毛を染め、タトゥーを入れ、
木刀をかつぎ、原付を改造し、
コンビニの前でたむろするようになったとしても、
私はまったく驚きません。
その前時代性には驚くかもしれませんが笑。

なんせ、複雑系なのですから。

ジュディス・リッチ・ハリスが言っているように、
「お父さん、お母さんといたあの時間は楽しかったなぁ」
と、将来子どもが回想してくれるように、
私もまた二度と戻らないこの時間を、
「楽しんで過ごす」。
これぐらいしか私に出来ることはないんじゃないか。
これが私の「暫定的な答え」です。

私は子どもの将来をコントロール出来ない。
しかし、子どもが
「現在、楽しいかどうか」に関しては、
けっこう私はいろいろなことが出来る。
それで良いじゃないですか。

だって、子ども期間って、
「大人になるための準備期間」じゃないでしょ。
私の見るところ、みんなそう思いすぎてます。
だとしたら、大人の期間って、
老人になるための準備期間なんでしょうか?
老人期間はじゃあ、何の準備期間なんですか?

違うでしょ。

子ども時代も人生です。
大人時代も人生です。
老人時代も人生です。

「生きる」ことは何かの目的に奉仕するのでなく、
それ自体が尊いのです。

だから、子ども時代という「生」が、
豊かになるように、親は全力を尽くす。
それは大人になって有利に人生を進めるための、
投資期間では決してない。

日本の社会が、
両親にすべての十字架を負わせるのではなく、
もっと社会全体で子育てに投資していこうよ、
という風に変わるのには、
上記のような前提が共有される必要があると、
私はけっこう本気で思っています。


デリーからの手紙

2019.08.29 Thursday

★第87号 2019年4月16日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 紀行文「デリーからの手紙」

仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。

紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問したときに、
そこで体験し、考え、触れ、見たことを、
報告するという、そのままの内容。

離れたところから絵はがきを送るように、
海外や国内各地から皆様に、
お手紙を送らせていただきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼久しぶりの紀行文▼▼▼

いつ以来だろう?
多分1年以上ぶりです。

過去にはバギオ(フィリピン)、
伊那市(長野県)からお送りした記憶があります。
今回はインドです。

デリーに着いたのが先週の水曜日でした。
いろいろとYouTube放送(およびポッドキャスト)で、
話してきたので、さてメルマガには何を書こうかなぁ、
と思案しているところです。


▼▼▼リープフロッグ現象

まず、YouTubeでも話しましたが、
「リープフロッグ現象」から。
ウィキペディアの定義をご紹介します。

〈リープフロッグ型発展
(リープフロッグがたはってん、英:Leapfrogging)とは、
既存の社会インフラが整備されていない新興国において、
新しいサービス等が先進国が歩んできた技術進展を飛び越えて
一気に広まること。
リープフロッグ現象ともいう。

一例として、多くの新興国において
固定電話の普及を待たずに
携帯電話およびスマートフォンが急速に普及したことが挙げられる。
また、中国におけるフィンテックの進展においても言及される。

アメリカや日本などでは、新しいサービスが出ても
既存サービスとの摩擦が起こり、法律の修正が必要になるため、
浸透までに比較的長い時間が必要になる。
一方、中国は既存の社会インフラや
法律の整備が十分に進んでいなかったことから、
電子決済、タクシー配車サービス、
シェア自転車などの新しいサービスが急速に浸透した。〉


、、、リープとは「飛ぶ」、
フロッグとは「カエル」という意味です。
つまりカエルが飛ぶような発展、
という意味になります。

新興国が「近代化」するとき、
カタツムリのように地を這うのではなく、
カエルのように飛ぶのです。

そして多くの場合、
その着地点は、先進国をすら「飛び越えて」しまう。

なぜか?

ウィキペディアの説明にもあるとおり、
先進国には「既存の古いインフラ」があるからです。
ブラウン管テレビ、公衆電話、固定電話、現金、タクシー業界、、
これらの存在は、「次に来る未来のサービス」のまえに、
得てして立ちはだかるのです。
それらを取り巻く各種のサービスに従事している人がいる。
業界団体がある。
そこに利益を誘導することで票をかせいでいる政治家がいる。
ということは当然「規制」がある。

だから、革新的な技術やサービスが現れても、
それが社会に浸透するまでには、
10年から数十年の年月を要するわけです。

ところが新興国にはそもそも、
ブラウン管テレビ、固定電話、(信頼出来る)現金、
タクシー業界などというものがなかった。
なので「抵抗勢力」など最初からない。
だから液晶テレビ、スマホ、電子決済、ウーバーなどが、
瞬時に広がるのです。

その結果、新興国の社会の様子は、
先進国の人間から見て、
「私たちの未来がそこにある」という状態になる。
これは相当に倒錯した状態です。

でも、今私がインド(デリー)で目にしているのは、
まさにそのような状況です。

正直に申し上げて、
陳腐な表現を使わせて抱くなら、
私は今、完全に「浦島太郎状態」です。

認知が現実に追いついていません。

この11年でデリーに起きた変化というのは多分、
日本が1950年代から2000年代とか、
もしかしたら50年ぐらいかけた変化のように思えるからです。
そしてある部分においては、
デリーの生活の先進性は日本をすら追い越している。

私の目の前で話しているのが、
11年前の2008年に出会った人々の、
大人になった息子や孫たちならば、
まだ私は正気を保っていられたかもしれない。
しかし私の目の前にいるのは、
見た目もほぼまったく変わらない、
あたかも「3ヶ月前にあったばかりにすら感じる」、
10年来の友人たちなのです。

認知が追いつかない。

私はラージさんという、
私たちのパートナーに聞きました。
「この10年のインドの変化っていうのは、
 日本だったら30年以上かかる変化です。
 これだけ短期間に社会が変わるというのは、
 文化的衝撃はけっこう大きいんじゃないですか??」
ラージさんは言いました。
「確かにそうかもしれない。
 特に低い社会階層の人にとっては大変だ」。

そうなのです。
社会が発展するというのはつまり、
便利になるということです。
日本人はそれをよく知っています。
しかしながらそれは物事の一側面に過ぎない。

社会が便利になるということは、
「中産階級以上の人にとって」便利になるということです。
この10年で当然物価も上がっており、
食事の値段からすると、
だいたい2〜3倍ぐらい上がっています。

しかし、インドの変化は、
「社会が一様に」変化したのではありません。
リープフロッグ現象はモザイク状に起きています。
つまり、日本以上に近代的な光景があるかと思えば、
次のブロックには10年前とまったく変わらないスラム街がある。

貧困層は物価が2倍になった分、
以前よりも生活は苦しくなります。
また、富む人と貧しい人の格差は当然広がり、
心理的な抑圧は高まります。

多くの社会学的研究が示しているのは、
人が「自分は貧しい・惨めだ」と感じる度合いというのは、
「絶対的な貧困」よりも
「相対的な貧困」のほうが大きいのです。

どういうことか。

たとえば私たちの祖父母を考えてみましょう。
私の祖父の家はくみ取り式便所でした。
家は当時の基準としては小さくはないものの、
現在から考えればとても古く、
床もみしみしと音を立てたりするし、
すきま風が入ってきたりもする。

祖父の家に子どもの頃に行く度に、
くみ取り式便所が怖かったのを思い出します。
しかし、祖父の世代の中では、
祖父はまったく自分を貧しいとは感じなかったでしょう。
周りも似たようなものだったから。

しかし、祖父が昭和のころのその生活のまま、
2019年の東京にタイムスリップしたと考えましょう。
家は建て付けが悪く、
くみ取り式便所で、
裸電球の四畳半の部屋がある。

祖父がもし若いまま現代の東京で、
その生活を続けなければならないとしたら、
それはけっこうキツイ経験です。

人は「自分の絶対的な経済状況」よりも、
「相対的な経済状況」によって、
より追い詰められるのです。

そう考えますと、
10年前のインドには、
(日本やアメリカの基準での)
中産階級はまだ多くはなかった。
彼らは特権階級であり、
「特別な人たち」と思われていた。

だから、多くの「それなりに貧しい人々」は、
貧しいけれどそれなりに幸せだった。
しかしこの10年で状況が変わり、
社会の何割かの生活は一気に改善し、
一部の人が日本でいえば50年分ぐらい、
「取り残された」。

これはかなりキツイことです。

おそらく同じような発展を経験した、
中国やロシアや東南アジア諸国などでも、
似たような状況が起きていると予想されます。

こういうことを言うと、
「コミュニスト」と誤解されそうなので付言しますと、
私は経済発展を否定しているのではありません。
経済発展は社会に恩恵をもたらします。
私は10年前にインドに来たときよりも、
停電・断水の心配に患わされることなく、
食中毒や窃盗や感染症の不安も少なく、
地下鉄も利用できるという便利さを享受している。

しかし経済発展は必ず格差を拡大し、
その格差によって社会に分断がもたらされる、
という現代の世界に普遍的な現象もまた、
指摘しておくべきだと思うのです。

実はこの分断に対する効果的な対処を、
まだ人類は見つけていないのです。
「GAFA 四騎士が創り変えた世界」という本のなかで、
著者のスコット・ギャロウェイは、
「現代はビリオネア(億万長者)になるのが、
 歴史上最も簡単で、
 ミリオネア(百万長者)になるのが、
 歴史上最も難しい時代だ」
と言っています。

ひとつかみの「超優秀な人」が、
一世代前では考えられないような富を手中に収める一方、
その他大勢のなかで、
ひと世代前の中流の上級(アッパーミドル)に届くには、
血のにじむ努力をしなければならない。
しかも、頑張ったとしても、
そこに到達するかどうかもわからない、
という世界に私たちは生きています。
私たちの親世代にとって当然だった
「安定した雇用と中流以上の収入と、
 年々給料と地位が上がっていく状態」
というのは、私たち世代とそれ以下にとっては、
「血のにじむほどの努力をして、
 なおかつ運が良ければ手に入るかもしれないもの」
になっている。

世界は「芸人の世界」に近づいているのです。

巨万の富を得た松本人志のような成功者と、
数え切れないほどの「食うや食わずの芸人たち」と、
それすらも諦めた屍が無数に転がっている。

20世紀の中産階級を支えた、
工場労働とオフィスワークが、
ロボットと人工知能に置き換わる現在において、
ロボットと人工知能を富に変えられる、
ひとにぎりの「知的資本家」と、
膨大な数の「没落した中産階級」に、
社会は分断されます。

トランプ大統領の当選は、
このひとつの事実で簡単に説明できます。
「もういちど中産階級にならせてくれ!!」
という叫びを彼はすくい上げたのです。
しかし時代が巻き戻ることはありませんので、
彼がそれを成し遂げることは不可能です。
しかし少なくともトランプは、
「嘘であれ夢を見させてくれた」わけです。

厳しい現実を突きつけられるよりも、
彼らにとっては夢を見ることの方が大切だったわけですね。


、、、めちゃくちゃ話しがそれました笑。

でも、案外それてないんだなこれが。
現在インドは「総選挙」の真っ最中です。
次の与党が決まります。
そして次の首相も決まる。

5年の任期を終えたモディ首相と、
彼を擁する政党BJPは、
インドの「国家主義的政党」です。
ようするに「右翼」ですね。
日本の右翼の精神的支柱は国家神道ですが、
インドの右翼の精神的支柱は「国家ヒンドゥー教」
とでも言うべき宗教です。

このあたり、インド国外の人は理解するのが難しいのです。
日本における明治政治が道具として発明した
「国家神道」と、
自然信仰としての「(ほんとうの)神道」は別物です。
国家神道は統一の道具として「政治利用」され、
「ほんとうの神道」は逆に国家によって抑圧されました。
国家になびいた神主は生き残れましたが、
「廃仏毀釈」が吹き荒れるなか、
土着の信仰はひどい有様でした。

インドもそうです。
インド政府(BJP)が唱導する「ヒンドゥー教」は、
「ヒンドゥトゥヴァ」と呼ばれ、
「ヒンドゥイズム」とは違います。
ヒンドゥトゥヴァは、日本で言うところの国家神道であり、
ヒンドゥイズムは、日本の自然信仰としての神道です。
ヒンドゥイズムは多様性を尊重し、暴力を否定します。
ヒンドゥトゥヴァは、「インドはひとつになるべき」
と強固に主張し、時に暴力的ですらあります。
それをフックにして国民をまとめ上げるための道具なのです。
その「副作用」は、少数派や弱者への差別や排斥です。

ほら、日本と似てるでしょ。

つまりモディ首相は安倍首相的であり、
BJPは自民党右派的なのです。
モディ首相はトランプ的であり、
BJPは共和党右派的だと言ってもいい。

なぜそうなるのか?

社会が分断しているからです。
分断した社会を今のところ効果的にまとめ上げているのは、
全世界において、
「仮想的を作り上げることに長けた国家主義者のみ」
という悲しい状況が、インドでも進行中なのです。
(じっさいにまとめ上げることに成功しているかどうかは、
 留保が必要ですが)

繰り返しますがこの「分断の状況」を、
「過激なナショナリズム以外で解決する」処方箋を、
現在の所だれも提言できていないし、
具現化できていない。
ここに現代世界の思想の行き詰まりがあります。

令和の時代には、
どうか日本が「その先の未来」を示すような、
方向を切り拓いてほしいと思うし、
私もそのように願いながら、
NGOの活動をしています。



▼▼▼地下鉄、SIMカード

、、、というようなハードな話しをしたので、
今度はソフトな話しを。
11年ぶりのインドで驚いた話しをいくつか。

まずは何と言っても地下鉄ですね。
聞けば地下鉄は2008年には既にあったそうです。
ただ、そのときは線は1本しかなかったらしいので、
使うチャンスがなかったということなのでしょう。
この10年間でどうなっているかというと、
もう、東京みたいになってます。

▼デリーの地下鉄マップ
https://bit.ly/2v3RdDd

凄いでしょ。
1本が、10年でこれですよ。
さらに「リープフロッグ現象」を思い出してください。
当然最初からプリペイドカード仕様、
つまりキャッシュレスですし、
落下防止用のドアは完備されていますし、
車両は最新式です。

言ってしまいますと、
東京の地下鉄より全然快適です。
地下鉄ってあまりみんな乗りたくないじゃないですか。
少なくとも私はあまり好きではない。
うるさくて、混雑していて、狭いからです。
うるさくて混雑していて狭い場所が、
私は大嫌いなのです。

静かで広くて人が少ない場所が私の好みです。

、、、インドの地下鉄は、
うるさいですよそりゃ。
電車の音はどこでも同じです。
でも、車内は静かです。
日本と同じぐらい静かです。

そして混雑していません。
信じられないことに、
地下鉄が混んでいないのです。
そして、広い。

まず車内が広い。
東京の地下鉄というのは、
掘るコストがめちゃくちゃ高いので、
車両は当然小さくなります。
JR中央線と地下鉄大江戸線を比べれば分かるように。
しかし、インドの地下鉄、これが広いんです。
車両は中央線よりも大きい。
そしてホームとか通路とかは、
もう「ここは空港か?」というぐらい広い。
そして混んでいない。

なんで混んでいないのかラージさんに聞いたところ、
地下鉄の価格が少し高く設定されているから、
比較的お金持ちの人以外は、
まだ地上のバスなどを使うからだそうです。
「高い」といってもどれぐらいかというと、
ある線の終点まで40分間乗って、
40ルピー(68円)ぐらい。
10日間なら1000円以内で、
余裕で市内を動き回れます。

そして、驚くべき事に、
ゴミ一つ落ちていない。
東京の地下鉄よりきれいかもしれない。
壁に書いてあるお知らせを見て、
理由が分かりました。
「NO SPITTING(唾はき禁止)」
罰金400ルピー、とあります。
もはや地下鉄はデリーの「治外法権」でして、
「清潔特区」になっています。
じっさい地上に出ると、
雑然としたデリーが広がっていますから。
(それでも10年前に比べるとめちゃきれいですが)

日本と違うのは、
地下鉄の改札の前に、
「手荷物検査」と、
「セキュリティチェック」があることです。
手荷物をコンベアに乗せ、
金属探知機で検査されます。
そしてセキュリティチェックは、
「男の列」と「女の列」に分かれています。
二つあるので空いている方に行こうと思って通ったら、
「お前はそっちじゃない」と言われました。
よく見ると「LADY」とある。
なんか、女子トイレに入ったような恥ずかしさでした笑。

あと、当然、
「乗り換え案内アプリ」もあります。
これもとても便利。

10年前ならばリキシャ(タクシー型バイク)の運転手と、
面倒な価格交渉をした後、
お金をごまかすためにわざと道をまちがえられ、
それに文句を言い、、、、
みたいなことを繰り返してやっと目的地に着いたのです。
この差はでかい。

、、、まぁ、リキシャも好きですけど。
あれは風情があって良い。

▼リキシャ
https://bit.ly/2UZ4Sdl


、、、地下鉄についてまとめますと、
日本の地下鉄は、
うるさくて狭くて混雑している。
インドの地下鉄は、
うるさいが広いから音もまだマシで、
広くて、清潔で、混雑していません。

インドの勝ちです。

あ、でも、インドの地下鉄のシステムって、
そのほとんどが日本の技術だそうです。
「だろうな」と思います。
じっさい利用してると、
「デジャヴュ」みたいに感じます。

それはおそらく、
車両の規格、ホームのドア、
様々なものの規格が、
日本のものをそのまま使ってることからくる、
「既視感」です。

、、、「懐かしい未来」が、
ここにはあります。


、、、あと、SIMカードもレンタルしました。
これを私の7インチタブレットに入れて使っています。
電話番号があてがわれ、通話できて、
さらに一日1.4ギガバイトのデータ通信が出来る。
これで30日250ルピー(400円)です。

安すぎる。

、、、というか、日本の通信料高すぎる。
日本のあの業界は暴利を貪りすぎです。
「クソ二年縛り」という、
ヤクザみたいなシステムものさぼっているし。
公正取引委員会にもっと怒られればいいのに。

、、、あと、
電気も止まらないし、
水も止まらないので快適です。
Wifiもあるし。

ここまでのところ、
すこぶる快適に過ごしています。
後半バラナシに行きますし、
今後何があるか分からないので、
あくまで「これまでのところ」
という留保付きで。


▼▼▼言葉もご飯の食べ方もトイレの入り方も「忘れた」11年間

あと、11年前にインドに来たとき、
私はヒンディー語を学びました。
10日間ぐらい、家庭教師に教えてもらったのです。
4ヶ月滞在するので、
挨拶だったり出来た方が何かと便利だろうということで。

学んで良かったのは挨拶が出来たからではなく
(それもあるかもしれませんが)、
インドの言葉を学ぶことで、
インドの人が「なぜこう考えるか」が、
よりよく分かるようになったからでしょう。

当時はわりと、
子どもと少し話したりするぐらい、
ヒンディー語を頑張って覚えたのですが、
11年の歳月を経て、
見事に「アンインストール」されていて驚きました笑。

私の脳はあんまりメモリ容量が多くないので、
こうやっていろんなことを忘れていくのでしょう。
あと、病気をしたことも大きいかな。
あの前と後とで、
かなりのことを私は記憶から失ったので。

あと、4ヶ月間、
当時はトイレの入り方もマスターしていました。
インドではトイレのあと、
左手で水をすくい、
それで「おしりを洗い」ます。
そのやりかたも板についていたのですが、
それも「アンインストール」されていました。
多分前回、帰りの飛行機でアンインストールされた模様笑。
けっこう最初の1週間は心理的抵抗を乗り越えるのが大変だったので。
元に戻るのも速かった笑。

今回は水道事情も改善され、
断水も起きず、
トイレの「フラッシュ」の勢いと安定性が、
もはや日本と変わらないので、
トイレットペーパーを使っています。

あとは、食べ方ですね。
インドの家庭料理を食べるときは、
プレートに載せられたお米、チャパティ、
数種類のカレー(日本人にはそう見えますが、
インドの人からすると全部違う料理です)、
それらを右手で「こねこね」します。
話しながらずーっと「こねこね」しています。

こねこねしたやつを、
手で口に放り込む。
すると不思議なことに、
スプーンで食べるより断然美味いのです。

マジで。

これも、上手に出来なくなっていて驚きました。
前回はスープなども器用に食べ、
なおかつあまり指の上の方が汚れない、
という高度なテクニックを体得していたのに、
それが上手に出来なくなっていた。

やはり私たちは「忘れる生き物」なのですね。
この20日間で、ご飯ぐらいは上手に手で食べられるように、
努力したいと思います笑。

旅に持って行く珍しいもの

2019.08.28 Wednesday

★第87号 2019年4月16日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼旅行に持って行く珍しいアイテム▼▼▼

メルマガ読者の皆様、インドからこんにちは。
インドの話しは後のコーナーにゆずるとして、
まずは質問カードから!

▼質問:旅行に必ず持っていく、
「他の人だったらあまり持っていかないようなもの」は、
何かありますか?


、、、タイムリーな質問ですねぇ。
タイムリーな質問を選んだのです笑。

YouTubeの動画でもちょっとだけ解説してるので、
それとかぶる部分もあるのですが、
私が旅行に必ず持って行く、
他の人があまり持って行かないようなものを、
いつものごとく3つ挙げたいと思います。

これに関しては是非読者の皆様の意見も聞いてみたい。
「あぁ、その発想があったか!」
というアイディアが詰まっていそうなので。

では、私の場合何か?
3つ挙げます。
ちなみにこれは、
3週間の海外出張だろうが、
2泊の国内旅行だろうが、
おそらく必ず持って行くものに限るとしましょう。
その方が汎用性が高まるので。


▼プロテインとシェイカー

、、、これは筋トレのためですね。
出張中はたいてい、
そこがビジネスホテルだろうが、
教会だろうがユースホステルだろうが、
「自重筋トレ」をします。
去年の4月に筋トレを始めてからですが。

そのような事情があり、
筋トレ関係のサプリは常備するようになりました。
プロテインとシェイカーは基本として、
朝に飲むマルチビタミンミネラルも日数分持って行きます。

日数が多いときはけっこう「かさばる」ので、
大きなジップロックに白い粉を大量に持ち込む旅行者、
という、あまり響きの良くない状態になります。
まぁ、そんな量の麻薬を隠さずに持っている人間は、
誰もいないので、逆に怪しまれません。

、、、というか怪しまれません笑。

きょうび、筋トレしている人なんて、
世界にごまんといますので、
「プロテインパウダー」と言って通らない場所などありません。

大丈夫です。


▼体重計

、、、これは、
Amazonで1,200円ぐらいで買った、
500グラムぐらい(?)の、
大きさで言うとシステム手帳ぐらいの、
体重計を私はいつも持ち歩いています。
2009年以降だから、
かれこれ10年続けている。
毎朝私はパンツ一丁で体重を量り、
それをEvernoteに記録しています。
旅行中もそれをしたいので、
持ち運んでいるというわけ。

一回アメリカに忘れてきてしまって、
今のやつは2代目です。
単3乾電池2個で動きます。

こーゆーやつです↓
https://bit.ly/2DfL8rY

▼ドリップコーヒー使い切りのやつと象印の水筒

これは、こーゆーやつ。↓
https://bit.ly/2VSEz5X

あと、ポットはこれ↓
https://bit.ly/2XcXAjF

、、、まぁ、
コーヒー飲みたいのですよね。
インスタントコーヒーの粉が、
ビジネスホテルだと置いてあったりしますが、
「いやいやそういうことじゃないんだ」となります。
そういうことなじゃないんです。

熱湯を注ぎ粉がふくらむ、
それを眺める。
その時間が必要なのです。
そのルーティーンが、
私をデボーションへといざなうのです。

スーパーで買えば、
11個入りで398円とかで買えますので、
一杯40円そこそこです。
一番安いやつは一杯29円じゃなかったかな、たしか。
缶コーヒーとか買うより全然経済的です。
朝一杯コーヒー入れて、
ポットにも入れておきます。
そして一日のどこかのタイミングで飲む。
旅行中も私はそれをします。

、、、とかいいながら、
今回のインドはコーヒーも水筒も、
持ってきてないんですよね。

あまりに期間が長いので、
かさばるのが一つの理由。
もうひとつはお湯が手に入る環境にあるかどうか、
それが不明であること。
最後は、インドは「チャイ文化」なので、
人生のなかの3週間ぐらい、
それに浸るのも悪くない、と考えたからです。

けっこうそのへんは柔軟です。


、、、他にもありますが、
まぁ、今日のオープニングトークはここまでとします。
では、久しぶりにこのコーナーに行ってみましょう。
紀行文「○○からの手紙」です。

| 1/67PAGES | 次のページ>>