カテゴリー

検索

便利な「検索」機能の使い方

上の検索バーに、「vol.○○」あるいは、「●年●月●日配信号」などと入力していただきますと、カテゴリ別だけでなく配信号ごとにお読みいただけます。

また、ブログ記事のアップロードは時系列で逐次していきますが、「カテゴリ別」表示をしますと、「Q&Aコーナー」だけを読む、あるいは「先月観た映画」のコーナーだけを読む、などの読み方が可能です。

スマートフォン

この他の活動媒体

●9年間続くブログです。↓
陣内俊 Prayer Letter ONLINE

●支援者の方々への紙媒体の活動報告のPDF版はこちらです↓
「陣内俊Prayer Letter」 PDF版

余はいかにして筋肉トレーニーとなりし乎

2019.06.13 Thursday

+++vol.076 2019年1月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 余はいかにして筋肉トレーニーとなりし乎
コーナータイトルは、
内村鑑三の「余はいかにして基督教徒となりし乎」への、
オマージュです。
「何で筋トレはじめたの?」
って結構頻繁に聞かれるので、
コーナー化しようと思いました。
、、、私がなぜ筋トレを始めたのか?
筋トレをするとどんな効果があるのか?
筋トレは人生にどんな影響を及ぼすのか?
筋トレとは何か?
生きるとは何か?
世界とは?
宇宙とは?
という、「筋トレを通して森羅万象を語る」コーナーです。
半分「悪ふざけ」なので、深刻に読まれてしまうと、
困ってしまいますのでご理解を笑。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼なぜ筋トレを始めたのか?

私が筋トレを始めたのは、
2018年4月のことです。
まだ1年経ってないんですよね。
なので、トレーニーとしては「初心者」の部類です。

ちなみにトレーニーっていうのは、
「メンター(師)」に対する「メンティー(師事する人)」
みたいな対応関係の言葉で、
「トレーナー」に対する「トレーニー」です。
ただ「余は如何にしてトレーニーとなりし乎」だと、
「ヴァイオリンを練習する人」もまたトレーニーなので、
「筋肉トレーニー」という耳慣れない言葉を使った次第です。

、、、で、私は初心者トレーニーであって、
しかも「マイナスからのスタート」なので、
私の身体はまだ「標準以下」です。
じっさい、Inbodyという体組成計で測ると、
筋肉量は標準100%に対して95%ぐらいですし、
体脂肪率は標準を超えており、
判定は「やや肥満」と出ます(爆死)。

なので私はまったく「マッスルボディ」ではありません。

ここでついでに、もうひとつ用語説明を。

筋肉質の人を「マッチョ」というのは、
日本のメディアでは常識になっていて、
当たり前に一般人も使っていますが、
私は使いません。

まぁ、これは「口うるさいヤツだ」、
と言われるかもしれませんが、
「マッチョ」って日本だと良いんだけど、
海外だと「ただの悪口」だからです。

英語圏ではマッチョっていうのは、
「男性優位主義者・女性蔑視主義者」
という意味があります。
「ジェントルマン」の対義語というか。
つまり、女を欲望の道具と見なし、
女を打ちたたくことを肯定し、
男の方が女よりも優れた生物だ、
という思想を持つ人のことを英語圏で、
「マッチョ」と言います。

最低でしょ。

なので、日本国内ではそういう意味はないと知りつつも、
これだけグローバルな世界で、
私たちの会話を英語圏の人が聞いていないとも限らない。
だから私は「マッチョ」を、
自分のボキャブラリーから削除しましたし、
このメルマガでも「マッチョ」は使いません。

じゃあ英語圏で「(日本で言うところの)マッチョな人」は、
なんて言うの?
ということですが、
これは「マスキュラー」とか、
「ウェル・ビルト」とか、
「グッド・シェイプ」とか言います。

当メルマガではさしあたり、
「マッスルボディ」とか、
「筋肉質の人」と言うことにしましょう。


、、、余談でした。


というわけで初心者トレーニーの私は、
まだまだマスキュラーな身体ではないのですが、
それでも筋トレの恩恵には浴しています。

さっきからいっこうに会話が前に進んでません笑。

そうです。

2017年の4月に筋トレをはじめた理由です。


、、、これには明確な理由が2つあります。


▼▼▼体力のなさ

、、、ひとつめは、圧倒的なまでの体力のなさです。
私はもともとあまり身体が強靱ではありません。
風邪も引きやすいですし、体力も平均以下だと自認しています。
筋トレをすればこれが強靱になる、
とも思っていません。

こういうのって「遺伝子」で決まってたりするので、
鉄棒にぶら下がると背が伸びる、
というのが嘘であり、
脳トレをやったら頭良くなる、
というのが幻想なのと同じく、
遺伝という圧倒的力の前に、
私たちはただただそれを受け入れるしかないと思っている。

でも、強靱な肉体ではなかったとしても、
ちょっとは何かを変えられるのではないか、
とも思うわけです。

遺伝子で80%決まっていたとしても、
残りの20%は、後天的な努力や学習によって、
何かを変えられるのではないか、と。

その20%が、私にとって筋トレだったわけです。

なぜ2018年だったか?

それは、私が2013年〜2015年にかけて、
燃え尽き症候群に伴う鬱病で長期休養したことに関係があります。
2年間、地獄の底で私は過ごしました。
毎日「死の吐息」を感じ、
インフルエンザの10倍つらいと言われる、
「不安愁訴」と戦いました。
自分が自分でなくなっていく恐怖と戦い、
絶望に呑み込まれそうになるのにあらがい、
抗いきれずに呑み込まれ、
魚の腹の中のヨナのごとく、
漆黒の闇の中で、
いつ終わるともしれない絶望の中に佇みました。

鬱病の症状のひとつに対人恐怖症があるため、
コンビニに行って店員と話す、
ということを考えるだけで全身から汗が止まらなくなり、
怖くてコンビニから逃げ帰って、
机の下でふるえていたこともあった。

ご飯を食べても砂食べてるみたいなものですし、
そもそも「食べるというエネルギー」が不足しているので、
体重は今より15キロ少ない、58キロ台まで落ちました。

このような状態の人間は、
筋肉と共に当然体力も落ちていくわけです。

ですから2016年に仕事に復帰してから最初の1年は、
たぶん「80歳ぐらいの体力」しかなかったと思います。
一日何か予定を入れたら、
かならずその次の日は布団に入って寝ていなければならなかった。
多くの人が集まる会議に参加したり、
初めて会う人と新しく知り合いになると、
2,3日は体力の回復を待つ必要があった。

ハワイで牧師をしているウェイン・コデイロという人が、
自身の燃え尽きと鬱病体験を書いた、
『あなたが燃え尽きてしまう前に』
という本があります。

▼参考リンク:『あなたが燃え尽きてしまう前に』
https://goo.gl/wynp9q


この本のなかに、
「リーダーシップエネルギー」という言葉が出てきます。
鬱病を経たコデイロ師は、
「リーダーの最大の武器は、
 時間ではなくエネルギーだ」と身を持って悟ります(P145)。
別にリーダーでなくても当てはまると思うのですが、
人は「毎日、エネルギーをもって朝目覚める」と。
これをコデイロ氏はロケットの噴射に喩えています。

最初に、1日に7回分噴射出来るエネルギ−がある、と。
何かひとつの「活動」をするごとに、
これを消費していくのだ、
とコデイロ師は語っています。

コデイロ師は典型的な一日のエネルギーの使い方を、
このように解説します。
最初のエネルギーをデボーションに、
2発目のエネルギーをメッセージ準備に、
3発目〜5発目の3つを牧会と導き(ミニストリー)に、
6発目を夫婦と家族のために、
最後の7発を「自分のため」に使うのだと。

このように自分が使うエネルギーに自覚的になり、
予防的に休むことが、
鬱病再発防止の、コデイロ師の指針として紹介されていました。

私がこの本を読んだのは鬱病発症直後のことで、
当時は鬱病当事者の手記以外の本は読めなかったので、
4回ぐらい繰り返し読んだ記憶があります。

この指針は私が仕事に復帰してからも心に深く残っていました。
2016〜2017年の、私というロケットの噴射エネルギーは、
先ほど述べた理由により、
一日につき1発から2発しかないような状態が続きました。
一日にひとつか二つ、何かをしたら、
もう「一日16時間働いた人のように」、
へとへとになって動けなくなってしまうのです。

鬱病は最近の研究では「脳の炎症」なのではないか、
とも言われており、何らかの脳の器質的ダメージがあるのは、
鬱病研究者の共通見解になっています。
仕事復帰後も「脳のダメージ」は残っていますから、
それを回復させるのに必死なわけです。
脳梗塞経験者が書いた手記にもよく出てきますが、
脳に関わる疾患は快復後、
睡眠時間が13時間とか16時間など、
極端に長くなる例が多い。

私もそこまで極端ではないものの、
2016〜2017年は、
一日平均10〜11時間は寝ていたと思います。
現在はやっと9時間〜10時間ぐらいで、
大丈夫になりました。
(鬱病発症前は平均7時間だったのと比べると、
 まだまだ長いのですが)

睡眠時間に関しては、
普通の人がスマホをいじったり、
SNSを眺めたり、
テレビをザッピングしたりする時間が、
ガラケー派でテレビ見ない私は「ゼロ」なので、
あまり「時間が足りない」とは思いませんが、
体力のなさは本当に不自由でした。
見た目は30代なのに中身が80代なのですから。
時間がいくらあっても、
エネルギーがなければ何も出来ない、
ということを身を持って知ったのです。

「エネルギーが最大のボトルネック」
ということを痛感した2年間でした。

このボトルネックを無理矢理広げようとすると、
これも仕事復帰後3回か4回経験しているのですが、
翌月や翌週に、
「地獄の鬱病症状」が戻ってきます。
またあの悪夢が再来するのです。
のど元に単刀を突きつけられているのと同じで、
「無理をしない」「身の程を知る」
というのは、完全に私に内面化しました。

しかし一方で、
「これはマズいなぁ」とも思っているわけです。
エネルギー噴射を、7発とは言わないまでも、
せめて4発、5発ぐらいに持っていかないと、
本当に意味あることをしたくても出来ないし、
「まともな社会生活が送れない」というのも、
分かりますから。


、、、では、どうするか。

こういうのって、
「頑張ってもなんとかならない」のは、
分かってるんです。
鬱によるダメージが脳の炎症だとしたなら、
「頑張って炎症を治す」というのは、
あまり得策とは言えません。
頑張ったからと言って、
怪我の傷口がふさがるわけではないのと同じです。

「時間と休息と睡眠」
という自然がくれた万能薬を、
とにかく服用し続ける、
というのが唯一出来ることでした。

しかし、
脳の炎症はそうだったとしても、
「エネルギースロットの増加」は、
きっと「基礎体力」ともどこかでつながっており、
それをどこかで増やしていくことは、
自分に出来るせめてものことだ、
というのも分かっていました。

それでも、まだ問題があります。
最初の二年間(2016〜2017年)は、
そもそも「一日1発〜2発のエネルギー」ですので、
その「基礎体力向上のためにする何か」に、
トライすることで、その一発を使うことになる。

あと、「新しいことをはじめたが、
それを継続出来るという自信」は、
まったく失われていた。
なので、
「きっと今、ジョギングや水泳など、
 フィットネスのために何かを始めたとしても、
 それを続けることが出来ず、
 挫折経験をひとつ増やすだけだろうなぁ。」
という「身体感覚」があった。
やるべきことは分かっているのですが、
タイミングが問題だった。

その不安がなくなり、
「今ならきっと何か始められる」
と直観的に思ったのが、
2018年の4月だったのです。


、、、遡ること1年半、
2016年ごろから私は、
香川県に住む私の親友のひとりと、
Skypeでときどき話すようになっていました。
病気療養を経て、近況報告をしたり、
お互いの趣味の話しをしたり出来る、
それは貴重な時間となっていました。

彼がSkypeで、
「筋トレを始めて、
 体力面で恩恵を受けている」
ということを教えてくれていました。

それまでの私にとって、
社会人になってからの「運動」は、
趣味の水泳と、ウォーキング、ときどきジョギング、
ぐらいのものでした。
「筋トレ」という引き出しはまったくなかった。
しかし、彼の話しを聞いているうちに、
「なんか楽しそうじゃないか。
 しかも、ジョギングなどの有酸素運動とは違う、
 体力的な恩恵を受けられそうだ」
ということを直観していました。

それからです。

私はときどき、
筋トレ関係の本を読むようになりました。
『人生の99.9%の問題は筋トレで解決する』
などを書いたテストステロン師(笑)の本や、
筋肉博士の東大教授、石井直方さんの本など。
自分はまったく筋トレできないのですが、
なんかそれらの本を読んでると、あら不思議。
「大胸筋がパンプアップ」したような気がしてくるではありませんか。


、、、そうやって、
「筋トレ耳年増」的に、
「一度もやったことないけど情報だけはある」
という状況を1年ほど過ごして、
2018年4月に、
武田真治の
『優雅な肉体が最高の復讐である』
を読んだとき、
「よし、ジムに入会しよう」
と思ったのです。

あの日が今思えば私にとって、
「天啓」でした。
「トレーニーとしての私が生まれた日」です。

なぜ武田真治だったか?
本を読んでいただくと分かるのですが、
(今からは考えられませんが)、
武田真治氏は、20代のころから、
15年以上筋トレを継続し、筋肉隆々になっていながら、
この本を書くときまで、
その事実を誰にも話さず、
誰にもその肉体を見せていなかったのです。

筋トレ用語に、
「見せ筋野郎」
という悪口があります。
「見せるためだけに筋肉を育てているヤツ」
という蔑称ですね。

見えている部分だけがかっこよければ良い、と、
足のトレーニングをサボるヤツなどに向けて、
浴びせられる言葉です。

、、、武田真治はその意味で、
「見せ筋野郎」とは真逆だったわけです。
(今ではそれが彼のセカンドブレーク要因になったのですが)
この本の最後に彼は、
「あー、疲れた」は、
年のせいではない、と言います。
その人はきっと若い頃から「あー、疲れた」
と言ってきたし、老人になっても言い続けるだろう。
しかし、社会の大多数が「あー、疲れた」
と言ってる社会はさみしいじゃないか、と彼は言います。

鍛えられた身体をつくり、
「あー、疲れない」と言ってみようよ、と。
「あー、疲れない」と言っている人がひとりでもいれば、
社会の雰囲気はちょっと変わるんじゃないかな、と。

これが当時の私の、
「エネルギースロットを増やす」という、
2年間考え続けた命題と「バチコン」とハマったのです。

さらに武田真治が筋トレを始めた「きっかけ」が、
病気だったことも私に響いた理由です。
彼は20歳のときに顎関節症という病気に苦しんだ。
お医者さんから「まずは縄跳びから運動を始めてみるように」
勧められ、フィットネスに目覚め、
筋トレの道に進んでいったのです。

、、、というわけで、
私がトレーニーになったひとつめの理由は、
「体力のなさを解消したかった」です。
考えてみますと、
イエスの弟子として人に仕えるのも、
「体力」から始まります。
体力を使って私たちは人々に奉仕するのです。
これを増加させることは、
信仰者としての霊的鍛錬のひとつだし、
社会人としての「仕事のひとつ(メタ仕事)」だとも思います。

レーサーにとっての車のメンテナンス、
ミュージシャンにとっての喉のケア、
学者にとっての読書、
モデルにとってのスキンケアのように、
「仕事そのものではないが、
 ほぼ仕事に含まれるような行為」ってあります。
これを「メタ仕事」と名づけるなら、
筋トレは「ほぼすべての人間にとってのメタ仕事」
となりうるオプションなのではないか、
とすら今の私は思うのです。

筋肉とつながっていない「行為」は、
ひとつもない、とすら私は思う。
(もう「脳筋野郎」みたいになってきましたが笑)

でもね、
真面目な話し、
考えることも「筋肉から出てきている」
と思いますから。
村上春樹が毎年フルマラソンを走るのは、
そういう理由からです。

、、、さて、長くなりましたが、
最初の理由は「体力」でした。
「圧倒的な体力のなさ」が、
私を筋トレに導いたのです。

じっさい、もし私が鬱病になっておらず、
2年間の療養生活で「体力が80代」になっていなければ、
今筋トレをしていたとは思えませんし、
始めたとしても続けている自信はありません。

私はちょっと軽く、
ギャグみたいな感じで筋トレを語りますし、
筋トレはじっさい楽しいのですが、
その背後には「これ以上ない真剣さ」があります。
ものすごーく切実な理由から筋トレを始めたので、
「モテたい」とか「夏までに腹筋割りたい」
ぐらいの理由で始めたそこいらの人たちとは、
「ちょっと覚悟が違う」のです。

話せない人の手話や、
車いす生活の人にとっての腕や、
視覚障害者にとっての「聴覚」と同じで、
体力が圧倒的に不足している私にとって、
体力を増進する可能性がちょっとでもある筋トレは、
「生きるか死ぬかの問題」なのです。
シェークスピア風に言えば、
「ダンベルを取るべきか否か、
 それが問題だ」ということになります。
(ハムレット)



▼▼▼娘が生まれたこと

2番目の理由はわりとシンプルです。
娘が生まれたのは2017年9月21日のことです。
私は1977年11月28日生まれですから、
娘が生まれて2ヶ月後に40歳の誕生日を迎えました。

今の時代、
「40代で初めて親になる」
というのは、特に男性の場合、
あんまり珍しいことではありません。

とはいえ、自分の周囲を見渡してみても、
「多数派」なわけでもない。
(結婚している同世代の場合)
ほとんどの人が30代前後で最初の子どもを授かり、
私の同世代の友人には、
「子どもは小学生」という人が少なくないし、
早い人なら20代で親になっています。

、、、で、想像したわけです。

うん。

けっこうこれは大仕事だぞ、と。
そして、「体力が勝負」になってくるぞ、と。
そして自分を見た時に「80代の体力」。

どこかで、何かを変えなければならない。

、、、その「変える」エネルギーが、
会社で言うところの「資本金」、
車のエンジンでいうと「セルモーター」になって、
体力増進のための新しい習慣を構築し、
そして少しずつ「体力の貯金」をし、
もとい、「貯筋」をし、
そして遺伝子に組み込まれた「老化」に、
抗わないまでも、ちょっとでも遅くせねば、
俺はこの「大仕事」を全うできない。
少なくとも妻をはじめ、
周囲に多大な負担をかけてしまう、
と思い至りました。

その「エネルギーの資本金」が、
貯まったと感じたタイミングが、
2018年4月のことでした。

その成果はあるのか?

あります。
例えばこんなことです。

そのころから娘の体重は増え、
ベビーカーで移動することも増えました。
東京では公共交通機関で移動することが多いですから、
階段などもたくさんあるわけです。
エレベーターももちろん設置されてますが、
やたら遠かったり、
お年寄りが行列を作っていたりすることもある。
その中に若者が混じっていることもある。
そして思う。
多少動けや、と。

話しがそれました。

「階段の方が便利」ということも、
多々あるわけです。
あと、急いでるときは階段が最速ですから。

そんなとき私は、
ベビーカーごと娘を持ち上げ、
階段を駆け上がる(駆け下りる)ことが出来ます。
その体力がついてきたのも大きいですが、
トレーニングで、腰に負荷のかからない、
重い物の持ち方の動きを習得していることも大きい。

「デッドリフト」という種目があります。

▼参考画像:デッドリフト
https://goo.gl/q5jSQi

バーベルを膝から腰の位置に挙げる、
それだけの動作なのですが、
これが見た目以上に「キツイ」です。
この種目の大切なことは、
上半身を一本の棒にすることです。
腹筋や背筋を動員し、腹圧を高め、
しっかりと上体を固定する。
そして腰をちょうつがいの起点にして、
ヒンジのように動かす。
そうすると、人体の構造上、
「ハムストリングス」という、
ももの裏の筋肉群と、
背中全体の筋肉で重りを扱うことになる。

それによって「身体の裏側全部」を鍛えられる、
という筋トレ種目です。
トレーナーにこれを習ったとき、
自分より若いトレーナー氏が最初に言いました。
「デッドリフトは良い種目です。
 これだけで腹筋が割れると言われてますし、
 あと、これをやると日常生活で腰を痛めることが激減します。」

そして、先ほど私が説明した人体の構造を教えてくれました。
つまり、モノを持ったり身をかがめたりするとき、
「背骨」ではなく身体の裏側全部を使うようになるので、
背骨の負荷が過重になって「腰をやる」ことがなくなるのだと。

、、、去年の10月ぐらいからデッドリフトを始め、
今私は95キログラムの重量を扱うようになりました。
バーベルとベビーカート(ベビー入り)は、
まったく構造が違うので、
ベビーカートの重量が3分の1だからといって、
軽いわけではありません。

しかし、デッドリフトの要領で、
ベビーカートを持ち上げるとき、
私は思うのです。

「筋トレしてて良かったぁ〜!」と。
一昔前の世界陸上の織田裕二の、
「地球に生まれて良かったぁ〜!」のテンションで。

筋トレをする目的をする理由は人それぞれですが、
私の場合それは「人に仕えるため」です。
それがキリスト教的筋トレだと思っています。
重い物を持つだけではありません。
先ほど言ったように、
人にメールするのも、考えるのも、
すべて「体力」を使います。
その「体力」は筋肉からやってきます。

武田真治のいう
「あー、疲れない」という人は、
「よく人に仕えられる人」の条件の一つです。

まだまだ「人並み以下」の筋肉ですし、
私は一生「お前は人並み以下の体力なんだぞ」と、
自分に言い聞かせながら生きていくと思います。
調子にのっておごり高ぶり、
身の丈に合わないことを引き受けて、
また燃え尽きてしまうのはご免ですから。

しかし、少しでも体力を向上させ、
それによって、
「仕えられる総量」を増やしていくことが、
私が筋トレをする理由です。

ちなみに、
「デッドリフト」の語源は、
「死体(デッド)を持ち上げる(リフト)動作」
から来ているそうです。
私がベビーカーを持ち上げるのは、
生きている子どもを持ち上げているので、
「アライブリフト」ですが、
デッドリフトがアライブリフトの予備訓練になるように、
私がバーベルやダンベルを持ち上げる一降り一降りが、
神が自分をこの世に置いた理由であるところの、
召命を果たして行く備えになっていく、
ということを強く願いながら筋トレしてます。

「余は如何にして筋肉トレーニーとなりしか」
は、
「余は如何にして基督者となりしか」
と、そんなに離れた話しじゃないのです。


おわり。

世の中で「まだ改善の余地がある」と思うこと

2019.06.12 Wednesday

+++vol.076 2019年1月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼今週も質問カードです▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、行ってみましょう。

▼質問:
世の中で、「まだまだ改善の余地がある」と思う商品や制度、
仕組みなどがあれば教えて下さい。


、、、商品ではすぐさま思いつくのがひとつ。
制度でもすぐさま思い出すのがひとつありますので、
発表します。

▼▼▼魚肉ソーセージ

、、、私は、魚肉ソーセージを良く食べます。
特に筋トレを始めてからは、
間食も、「高タンパク、低脂肪なもの」を、
志向するようになりますから、
「お魚ねりもの系」は、
結構重宝するのです。

あと普通に魚肉ソーセージの味といいますか、
あのチープ感が私は大好きです。
これは子どものころから一貫してますね。

私が子どもの頃から30年以上が経ち、
世の中は大きく変化しました。
「駅で切符を切る」という行為は過去のものになり、
お菓子の多くは手を汚さず食べられるようになりました。
カセットデッキは姿を消し、小さなMP3プレーヤーから、
ブルートゥースで小さなイヤホンに音を飛ばすようになった。
ヒートテックは日本の冬を快適にし、
和式便所は「文化遺産」の領域に突入している。

それなのに。
それなのに、です。

魚肉ソーセージの剥きにくさは、
なぜいっこうに改善されないんだ!!

▼参考画像:失敗例
https://goo.gl/7NZXQT

もうね、これは魚肉ソーセージを買う度に思うわけです。
「開け口」とかがついて、
開けやすくなってますよ、そりゃ。
対外的に「便利に改善されました(ドヤ)」
というアピールだけはしてくるんです、
あいつらは。

しかし、2回に1回の確率で、
私は紹介した写真のようになります。
そのたびに「ふんぬー!!」ってなります。

クソがぁ!!

何とか出来るだろこれは!!と。
企業努力が足りないと言わざるを得ない。
絶対出来るもん、失敗しないように。

あと、「豆腐」も同じ理由で思いますね。
あの開けにくさは異常でしょ。
絶対改善できると思うんですよね。
なんなんでしょうね?
ああいう「ぶれない不便さ」って。



▼▼▼選挙

これはもう説明不要でしょう。
今の選挙の在り方は、
その在り方自体が、
「シルバー民主主義バイアス」をかけている、
と私は思っています。
日曜日の昼間に、
やたら寒い近くの学校に行って、
やたら薄いスリッパを履かされて、
鉛筆で候補者の名前を書いて、
そして投票する。

こんなの、
「それに慣れてきた」高齢者の投票率が高くなり、
「日曜忙しかったり、そういう習慣のない」若者の、
投票率が下がるのは当たり前です。

絶対にアプリでワンタップで出来るようにした方が良い。
技術的には可能なはずです。

あと、最初の問題と密接に関係してますが、
単純に金がかかりすぎです。
一回の国政選挙に600億円って、
ちょっと異常です。

あれって、「日曜に学校で投票する」
という仕組みと実は密接に関係してます。
選挙管理委員会の「バイト」は、
全員公務員です。
副業禁止の公務員が、
唯一合法的にできる「アルバイト」が、
選挙の手伝いなのです。

私は公務員だったので知ってますが、
あのバイトは、
世の中のバイトのなかで、
最も「おいしい」バイトです。

1日拘束されるだけで、
3万円〜4万円の副収入を得られる。
なんか「○○手当」みたいのが加算されまくり、
そういう明細を見て驚いたことがあります。
(私は2回ぐらいしかやりませんでしたが、
 今となればもっとやっときゃよかった、と思う笑)

時給いくらなんだろ?
たぶん5000円近いんじゃないでしょうか。

その仕事は、
選挙に行ったことがある人ならわかりますが、
すこぶる楽です。
冬は寒いのだけが難点ですが、
膝掛けを持っていけば、
座って、来る人来る人に紙を渡す。
それだけで時給5000円。

一回の選挙に600億円、
というとき、かなりのお金が、
この「公務員のアルバイト代」に消えています。

アプリで出来るようにすれば、
このアルバイトは、最終的にまったく必要なくなります。
(ITガジェットを不所有の1割の人口のために、
 多少は残るのは仕方ないにしても)。
アプリにすれば、「票の集計」も必要ないですからね。
リアルタイムで自動的に計算されていきます。

満員電車で通勤しながら、
スマホで投票出来るようになる、
というのが選挙の理想状態であり、
技術的に出来ない話ではありません。

こういうことを言うと
「不正投票がー!!!」ってすぐ言う人がいるのですが、
不正投票ってアメリカ大統領選の、過去数十年、
10億票のなかの「20件以下」だそうです。
科学の世界ではこういうのを、
「無視できる誤差」と言います。

不正投票を「問題視」して、
ヒスパニック系や貧困層が、
投票しづらくするようなレギュレーションを、
トランプ政権は考えているようですが、
本当に言語道断だと思います。

話しがそれました。

ネット投票も、
「不正投票という微量のヒューマンエラー」と、
「それによる多大な便益性と選挙の公正さ」を、
天秤にかけるのはナンセンスです。


、、、というわけで、
私がこの世の中がもっと「やれる」と思うのは、
「魚肉ソーセージと選挙」です。
どんな取り合わせだ、っていうね笑。

陣内が先週読んだ本 2019年 1月6日〜19日 『ファシスト的公共性』他

2019.06.02 Sunday

+++vol.075 2019年1月22日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 陣内が先週読んだ本 
期間:2019年 1月6日〜19日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●越境芸人

読了した日:2019年1月8日
読んだ方法:Amazonで書籍購入

著者:マキタスポーツ
出版年:2018年
出版社:東京ニュース通信社

リンク:
http://amzn.asia/d/dTq6PnV

▼140文字ブリーフィング:

私の一番好きなラジオ番組に、
「東京ポッド許可局」というのがあります。
そもそも、このメルマガを書こうと思った、
「きっかけ」のひとつと言っても良い。
「東京ポッド許可局」は、
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオという、
元オフィス北野の3人の芸人が、
ルノアールに集まってICレコーダーにその会話を録音し、
ポッドキャスト配信しはじめたところから始まります。
今はTBSラジオがそのコンテンツを「買い」、
スポンサーもついている人気番組になっています。

病気療養から復帰して間もない頃、
「この感じ」を私はやりたいなぁ!
と心から思ったのです。

そしてポッドキャストを最初は考えたのだけど、
まずは「ラジオのようなメルマガ」として始めてみて、
ゆくゆくは本当にラジオ番組が出来る素地を作ろう、
と思い、2年前に始めたのがこのメルマガなのです。

、、、なので、マキタスポーツは、
このメルマガの「生みの親」と言っても過言ではない(過言か?)。

そんなマキタスポーツさんが、
「世の中のあれこれ」について語っています。
まるで東京ポッド許可局を聞いているように読めるこの本、
私のメルマガを面白いと感じる人は、
楽しめること間違いなしです。
オススメです。

、、、これでは何が面白いか、
まったく伝えたことにならないので、
私なりにマキタスポーツさんの「持論」の、
何が凄いかを端的に語ってみたいと思います。

まず、彼は「言葉の解像度」と、
「言葉の精度」がハンパないです。
地頭の良さが突出しています。
言葉のストック量がすごいというより、
まさに「越境的に言葉を選ぶセンス」が凄い。
その手際はまさに一流の料理人のそれで、
「えー、イタリアンにわさび使っちゃうわけ?」
みたいな、「この話題なら通常空けない引き出し」から、
言葉をチョイスして上手に料理することにおいて、
彼は突出した才能をもっています。

なので、この本を読むとき、
芸人が芸能や時事ネタを語っているだけなのに、
「近眼の人がメガネをかけたような」、
「世界を見る解像度」がぐっと上がる感じがあります。
「言葉の8Kテレビ」なわけです。
「言葉のブラウン管テレビ」の人は、
きっとついて行けない。
何が凄いか分からないレベルです。
「デジタル放送」レベルの人なら、
そのすごさが体感できます。
「マキタメガネ」恐るべし。

私はまだ自分を「4Kレベル」と自己診断しています。
自分がやりたいこととも被っているので、
「うらやましいなぁ」と思っています。

いろいろ紹介したい実例があるのですが、
一箇所だけ、「香川照之が顔面アスリート」
というくだりを紹介します。

→P162 
〈香川照之さんの「顔」はどうでしょう。
香川さんの場合、僕が感じるのは”顔面のアスリート性”です。
とにかく顔のフィジカルが凄い。
顔のシルク・ドゥ・ソレイユ、
顔芸オリンピック・・・なんでもいいんですが、
肉体としての「技芸的顔面力」が尋常じゃありません。

見る側に解釈の余地を与えない、芸の力で、
都度こちら側が黙らされて観賞するしかないほどの迫力があります。
顔芸の歴史は香川照之以前と以後で語られるべきですし、
「競技としての顔」という領域へわれわれを連れて行ってくれました。

もはやニュートラルな造形としての香川照之がイメージ出来ないわけで。
そのエクストリームな顔面力は何よりも雄弁ですが、
無限が0、すべての色を混ぜ合わせると黒になるように、
そこはかとない「無」が転がっています。

古舘伊知郎さんの凄すぎる喋くりの奥に、
壮大な「無口」が横たわっているように。

しかし、そのこと自体が香川さんの「顔」であり、
その意味で、そのジャンルで一位の顔の完成度です。〉


、、、すごくないですか??
「顔面シルク・ドゥ・ソレイユ」。
「和牛とウニのカルパッチョ」みたいなもので、
普通は合わせないわけですよ。
「顔面」と「シルク・ドゥ・ソレイユ」を。
さらに香川照之の顔面の向こうにある「無」と、
古舘伊知郎の多弁の奥の「無口」を対比させる、
「思考のスライド力」。
言葉のセンスって、こういうことなんですよね。
(1,650文字)



●ファシスト的公共性 総力戦体勢のメディア学

読了した日:2019年1月11日
読んだ方法:義理の兄から誕生日プレゼント

著者:佐藤卓己
出版年:2018年
出版社:岩波書店

リンク:
https://goo.gl/Lutsqp

▼140文字ブリーフィング:

これは凄い本でした。
今年に入って最も没入した本です。
今イギリスにいる義理の兄から、
「誕生日プレゼント」として、
Amazon経由で贈っていただきました。

妻の両親、祖父、
きょうだいら総勢で行く、
ここ数年恒例の「お正月休みの家族1泊旅行」では、
私は部屋で、電車で、夢中になってこの本を読んでいました。

この本の要点は何かというと、
戦前の「ナチズム」や「ファシズム」は、
現代の「メディア論」と、
断続しているのではなく連続しているのだ、
という話しです。

これを、「それはどういう風に連続しているのか」を、
著者は丁寧に資料をひもときながら、
実証的に示していきます。

「プロパガンダ」という言葉を最初に使ったのは、
レーニンでした。
また「煽動(アジテーション)」という言葉と、
「プロパガンダ」という言葉はどう違うか、
ということをレーニンは言っています。
これは「共産主義革命」の文脈で語られています。

レーニンにおいて「エリートに影響を与える」
という意味で使われていたプロパガンダを、
「民主化」したのがヒトラーだったのです。
これはヒトラー自身が「わが闘争」で書いています。
引用します。

→P52
〈「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、
その知的水準は、宣伝が目指すべきものの中で
最低級のものが分かる程度に調整すべきである。
それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、
純粋の知的高度はますます低くしなければならない。
しかも戦争貫徹のための宣伝の時のように、
全民衆を効果圏に引き入れることが問題になるときには、
知的に高い前提を避けるという注意は、
いくらしてもじゅうぶんすぎるということはない。」
(ヒトラー1973上)〉


、、、ヒトラーは、「プロパガンダの民主化」を果たした、
メディア学における革命児だったのです。
多くの人は「独裁者としてのヒトラー」という、
「戦後世界が作ったヒトラー観」しか知りません。
しかし資料をひもといてみますと、
ジョージ・オーウェルの「1984年」の、
ビッグ・ブラザーとは違い、
ヒトラーは人々に「黙れ」と言ったのではないことが分かる。

そうではなく、ヒトラーは民衆に、
「叫べ」と言ったのです。
引用します。

→P58〜59 
〈ナチズムは大衆に政治的公共圏への参加感覚を与えたのであり、
この参加感覚こそ、そのときどきの民主主義理解なのである。
何を決めたかよりも、
決定プロセスに自ら参加したと感じる度合いこそが
民主主義にとっては決定的に重要である。
その意味でのみ1989年以降の東欧社会主義圏崩壊も
民主主義的な「国民革命」だったのであり、
ナチズムの国民革命だけを疑似革命と呼ぶ必要はない。

ヒトラーは「黙れ」といったのではなく「叫べ」といったのであり、
利益集団型民主主義のワイマール体制に対して
参加型民主主義の国民革命を対置した。

こうした大衆運動において参加と動員の区別が
容易だと考えることは出来ないだろう。
メーデー行進なら参加であり、
外国人排斥デモなら動員という
分析のダブルスタンダードを認めるべきではない。

ヒトラーは動員する独裁者ゆえにではなく、
参加を求める民主主義者ゆえに支持されたと言えようか。
(中略)
その意味で、ファシスト的公共性は非自由主義であっても、
反民主主義ではない。〉


、、、ヒトラーは独裁者ゆえにではなく、
民主主義者ゆえに支持されたのです。
「ヒトラー的なるもの」と、
「民主主義」を対極に置くことを前提とする、
「戦後民主主義的歴史観」というメガネを外してみると、
実は戦前と戦後は地続きで、
「プロパガンダ」を「メディア学」と言い換えたに過ぎない、
ということがだんだん分かってきます。

その証拠に、ナチにおいてプロパガンダを研究していた研究者が、
後に米国に渡りルーズベルト政権の「メディア学」に貢献し、
そのラジオ放送の効果によって国民の支持率を上げる、
といったことに関与しています。

日本は戦前、戦中はナチにプロパガンダを学び、
戦後はアメリカから「メディア学」を学びますが、
それが「地続き」であることは隠蔽され、
「戦前と戦後はまったく違う前提に立った
 別の二つの世界に生きている」
という「1945年リセット史観」という幻想を、
日本の人々は持っています。

これを著者は、
「過去からの密輸」と呼んでいます。

これと現代の日本の、
何が関係あるのか?
めちゃくちゃあります。

そもそも「情報」という言葉の語源を、
私たちは忘れている、と著者は言っています。
「情報」は戦争用語です。
「敵情についての報告」という意味です。

つまり、国が自国の社会や国際社会に向けて、
発信する情報というのは、
「戦争と地続き」なのだというのは、
戦前の常識だったし、
それは今も変わっていない、
というのが著者の指摘です。

そこで思い出すのが、
昨今の「日本文化の発信力を高めるというブーム」です。
近現代史をひもときますと、
日本が「ニッポンって素晴らしい」と、
自国や国際社会に向けて発信するときというのは、
国力が衰退しているときです。

2000年代あたりから続くこの傾向は、
戦前にも見た光景と非常に良く似ているのです。
引用します。

→P257 
〈日本文化の発信力を高める政策は今日盛んに論じられている。
日本が明示に開国して以来、何度目かのブームと言って良いだろう。
重要なことは、対外文化政策が日本社会で強調される時期には
一つの特徴があるということである。

それは、日本人のアイデンティティにおける危機感、
ないしは国力衰退への不安が高まった時期だと言うことだ。
それゆえ、対外文化政策はありのままの自己表出という以上に、
過大な効果を狙った自己演出として企図されがちだった。

本章では対外文化政策が講義にプロパガンダ政策、
すなわちマス・コミュニケーション政策であることを前提とした上で、
戦前の「思想戦」や「情報宣伝」を含む
「文化政策」の失敗から何が学べるかを改めて検討したい。〉


、、、著者は、日本文化の発信力を高める、
という昨今のトレンドが「戦争に向かうから危険だ」とか、
それ自体がセンスがないからやめた方が良いとか、
そういうことを言いたいのではありません。

もし、日本のマスコミや政府や日本国民が、
「メディアの在り方(概念)」が、
実は戦前と地続きであり、
それは「ファシスト的公共性」に依拠していることに気づかないならば、
伝える「内容」ではなく「方法=戦略」において、
過去の失敗の教訓をまったく生かすことが出来ない、
ということになってしまうのではないか、
ということを指摘しているのです。
(2,622文字)



●反・進化論 スパゲッティ・モンスターの福音書

読了した日:2019年1月11日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ボビー・ヘンダーソン
出版年:2006年
出版社:築地書館

リンク:
http://amzn.asia/d/9jVcDRY

▼140文字ブリーフィング:

これは、「悪ふざけ本」ですね。

アメリカの南部は「バイブルベルト」と呼ばれ、
「根本主義的キリスト教徒」が支配的で、
これらの人々が共和党の「票田」になっています。
この傾向はレーガン大統領のときに始まったとされ、
ブッシュ(子)のときはモロにそうでした。
トランプ大統領の場合、
彼は共和党の主流派からも嫌われているため、
厳密には同じとは言えませんが、
トランプが「プロ・ライフ(堕胎禁止)」や、
「同性婚の禁止」
「銃規制への反対」などの主張により、
南部の州の票を獲得したことを考えると、
彼もまた「この流れ」の一環です。

私はキリスト教徒ですし、
根本主義的な流れの人々とも親しいし、
彼らの中には「信じられないほど素晴らしい人々」
がいるのも知っています。

しかし、大きな流れからすると、
「ちょっとついて行けない」と思うことも多々あります。
ぶっちゃけた話し、私がアメリカ人なら、
民主党支持者になると思いますので。

南部の州では「キリスト教原理主義者」の、
政治力が強いため、
「進化論を教えることを禁止すべし」
と考える人までいます。
こういった政治圧力によって、
いくつかの州では、
「インテリジェント・デザイン論」を、
進化論と一緒に教えなければならない、
という法律が制定されました。

ブッシュ(子)政権のときです。

これに対する「皮肉をこめた批判」が、
ボビー・ヘンダーソン氏のこの本で、
これまで何度か複数の本で目にしてきたので、
手に取った次第です。

結果、思っていたほどは面白くなかったかな。
ただ、「因果関係と相関関係は違う」とか、
「結論を決めてそれから証拠を集める」というのは、
「科学」と呼べない、とか、
つまり「科学とは何か」の批判としては、
結構上手に機能しています。

この本は、昨年の「読んだ本ベスト10」の、
「創世記一章の再発見」という、
神学者のジョン・ウォルトン氏が書いた本を読むと、
よりよく理解できます。
というより、そちらを読めば十分です。

「訳者まえがき」だけが面白かったのでご紹介します。


〈2005年、アメリカ・カンザス州の教育界は揺れていた。
同州の教育委員会が、公教育において
進化論とインテリジェント・デザイン(知的デザイン)説を
同等に教えなければならないという決定を下そうとしていたのである。

インテリジェント・デザイン――以下IDと表記――とは、
生物の複雑さは進化論では説明出来ず、
したがって「なんらかの知的存在」がデザインしたのだとする説である。
これだけを見ると、キリスト教の「天地創造説」と変わりないように見える。
しかしID論者は「知的存在」がキリスト教の神であるとは
(そしてないとも)明言せず、
IDは宗教ではなく科学的仮説であると主張する。

そして、進化論もまた同じように未証明の仮説に過ぎないのだから、
理科の授業でIDと進化論を平等に教え、
どちらが正しいかは生徒に判断させるべきだと訴えているのだ。
ID論は宗教右派を中心とする保守層の支持を受け、
ジョージ・ブッシュ大統領も2005年8月に
「教育の役割は人々を異なる考え方に触れさせることである」と述べて、
公立の学校でIDと進化論を共に教えることに賛意を示している。

言うまでもなくこの動きに対して、
「これは科学ではない」と、
科学者や教師を中心に強い反対が巻き起こった。
その論争のさなかに立ち上がったのが、
本書の著者であり「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」の預言者、
ボビー・ヘンダーソンであった。

不毛な論争に終止符を打つべく、
ヘンダーソン師は公開質問状(111ページ参照)を
カンザス州教育委員会に送り、
「空飛ぶスパゲッティ・モンスターによる地球創造説」も
進化論やIDと一緒に公立高校で教えることを提唱した。

先に述べたように、
ID理論では「知的なデザイナー」の素性を明らかにしていない。
しかしヘンダーソン師は、実証的な証拠によって、
空飛ぶスパゲッティ・モンスターこそがデザイナーであることを論証した。
その上で空飛ぶスパゲッティ・モンスター説も、
可能性が否定できない以上、進化論やIDと平等に
学校で教えられるべきであるとヘンダーソン師は主張している。
同時に師は、ウェブサイト上で布教活動を初め、
現在スパモン教は全世界に1000万人(主催者発表)の信者を擁している。〉


、、、まぁ、悪ふざけなわけですよ。
真面目なキリスト教徒の中には、
激怒する人もいるかもしれません。
「神を侮辱する彼は地獄に落ちるべきだ」と。

しかし、悪ふざけには、
軽く受け流すのが適切な対処法です。
ギャグで来てるのだから、ギャグで対処しなきゃ。

、、、このギャグのなかに、
実は「科学とは何か」「神とは何か」に関する、
多くの人が誤解しているボタンの掛け違いが含まれています。
ヘンダーソン氏がどれぐらい自覚的か分かりませんが、
彼の問題提起はけっこう「真を食ってる」のです。

どういうことか?

「創世記一章の再発見」でも語られますが、
「神」は超越的であるゆえに、
「科学」が語る言語では、
そもそも神についてなにも語れないはずなのです。
「調べたけれど神の存在は確認されなかった」
という事実と、
「神は存在するかどうか」は、
まったく関係がありません。

「存在の位層」が違うからです。
マルクス・ガブリエルという人が、
「なぜ世界は存在しないのか」という本の中で、
現代の「実在論」について述べていますが、
「実在とは何か」という哲学まで下りていくと、
「科学VS宗教」という二項対立がいかに不毛かが分かります。
この「実在の位層の違い」を理解すると、
人は100%科学的でありながら、
100%宗教的である、
ということが出来るのです。
(2,284文字)



●「子供」の誕生 アンシャン・レジーム期の子供と家族生活

読了した日:2019年1月11日 とばし読み
読んだ方法:図書館で借りる

著者:フィリップ・アリエス
出版年:1980年
出版社:みすず書房

リンク:
http://amzn.asia/d/fMh6jOz

▼140文字ブリーフィング:

この本も複数の本で引用されていて興味を持ちました。
「やたらと登場するなぁ」と。
「一応」目は通したのですが、
難解かつ緻密すぎて、ほぼ、
「流し読み」して図書館に返しました。
私にはまだ早かった。

とはいえ、この本が言っている内容自体は、
けっこうシンプルです。
それはつまり、17世紀以前の「中世」において、
「子ども」という「ジャンル」が、
社会のなかに確立していなかった、
ということの実証です。

引用しましょう。

→P35 
〈ほぼ十七世紀までの中世芸術では、
子供は認められておらず、
子供を描くことが試みられたこともなかった。
だが中世芸術における子供の不在は器用さが欠けたため、
あるいは力量不足のゆえであるとは考えられていない。
それよりはむしろ、
この世界の中に子供期にとっての
場所が与えられていなかったと考えるべきであろう。〉


、、、著者は過去の絵画を調べ、
当時の人々が何を考えていたか、
当時の人々にとって「世界とは」何だったか、
を類推していきます。

すると、17世紀以前と以降で、
子どもの描かれ方が違うことに気づきます。
「以前」は、子どもは「小さな大人」として描かれている。
私たち現代人が考えるような、
「かわいらしく子どもらしい子ども」が、
概念として定型化するのは、
17世紀以降のことだ、ということを、
著者は実証していきます。

過去の絵画などから、
私たちが「近代のレンズ」で見ている諸事項を疑い、
当時のレンズで見ようとする試みは、
私の好きな日本の歴史家、
網野善彦とよく似ています。
彼は過去の絵画を「情報」と捉え、
その情報を分析することによって、
「百姓は農家ではない。」とか、
「河原者や、後のえた・ひにんは、
 鎌倉時代以前は差別の対象ではなく、
 むしろ神聖視されていた」
ということを発見しました。

一次資料にあたって常識を疑い、
従来の概念を覆すこの本は、
日本史における網野善彦の貢献とよく似ていると感じました。
(774文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:『ファシスト的公共性』

コメント:

これは面白かった。
「すぐに役に立つわけではないが、
 後々、じわじわ効いてくるんだろうな」
という本というのは、
読んでいるときから感覚で分かります。
本書はそのような本でした。


▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「言葉の解像度賞」:『越境芸人』

コメント:

マキタスポーツの、
言葉の解像度、
新しい概念を生み出すセンスは凄いです。
芸人のなかには、
「とんでもなく地頭がいい人」
というのが高確率でいますが、
彼もそのような一人でしょう。
勝てる気がしません。

【Q】やる気のない同僚をどう指導すれば良いのか?

2019.06.01 Saturday

+++vol.075 2019年1月22日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】やる気のない同僚をどのように指導すれば良いか?

ラジオネーム:指導するのって難しい(男性)
お住まいの地域:埼玉県

Q.

いつも読むラジオ楽しみにしています。
同じ部署の20代の女性に対して、
どの様に仕事を教えたら良いのか悩んでいます。
入社5年目の女性なのですが、
仕事に対する姿勢がどんどん悪くなっているように感じています。

経理の仕事なので、
ちょっと以前の資料を確認すれば分かるような事でも、
自分で考えたり、調べたりすることが面倒くさいようで、
Google で検索するような感じで私に質問してきます。
(答えだけ教えて的な感じ)

また、仕事が少し忙しくなった時に、
泣いてしまいました。
忙しくと言っても、定時には帰れます。
1つ仕事をお願いすれば、電話対応、
お客対応など、すべて無視します。
なので、仕事をお願いすると、
他の仕事が私のところきます。

私は、この女性の上司ではありません。ただの同僚です。

仕事に対してモチベーションもなく、
調べる事も考える事も嫌いな、
仕事を面倒くさいと思っている人に、
どの様に指導すれば良いのか教えてください。


A.

めちゃくちゃ久しぶりに、
「Q&Aコーナー」です!!!!

当メルマガの人気コーナー(当社比)なのですが、
この数ヶ月、ウソみたいに質問が来なかったので、
このコーナーはお休みしておりました。

、、、で久しぶりに来た質問が、
上の質問です。
「指導するのって難しい」さん、
ご質問、ありがとうございます。

この質問を読んで、
私は考えました。


、、、


、、、


、、、


、、、


まったく、良い回答が思い浮かばない(爆死)。

そんで、もう一度読み返してみて、
明確に腹が立ってきました。
質問者の「指導するのって難しい」さんにではなく、
登場する20代の同僚に対して。

もうね、これは、
「良い対処の仕方を知っている人がいたら、
 誰か教えて下さい。」
と私は言いたい。
「Q&Aコーナー」ならぬ、
「Q&Qコーナー」ですね。
質問を質問で返すという笑。

私の限られた経験から申しますと、
件の20代の女性社員は、
今後、変わることはないんじゃないでしょうか?

こういう人って、
社会にある一定数でいます。
会社や組織からすると「お荷物」に他ならず、
「フリーライダー(貢献せず旨みだけを取る人)」です。
キツイ言い方をすれば、
「会社(組織)から給与を盗んでいる」
と言っても過言ではない。

私がもし質問者様の立場だったら、
何回かキツめの説教をして当人を泣かしてるでしょうね。
それでも5年経って変わらないのだから、
ある時点で諦めるでしょうね。
3年目に突入したところで私なら諦めてると思います。

そして、その人を同僚だと思うと腹が立つけど、
職場に飾ってあるサボテンだと思うようにすれば、
「サボテンの割には良くやってくれてるじゃないか」
という気持ちになってきます。

私は30才まで公務員をしていました。
公務員というのは、
「そういった人」が、
多分民間の会社の倍ぐらいいる感じです。
民間だと全体の1割ぐらいが「そういった人」で、
公務員だと2割が「そういった人」です。

この差はどこから生まれるかというと、
日本における公務員の、
「圧倒的なまでの解雇できなさ」によります。
民間ならとっくに首になる人が、
のうのうと生き残れる職場が公務員なのです。
納税している市民に、
いつも「申し訳ない」と思ってました。
「こんな奴の給料のために税金払ってるんじゃねぇ!」
と私が市民なら思いますから。

もうね、信じられない職員に、
私も遭遇してきました。

「マジでいい加減にしろよ」と、
ガチで泣かせたことも何度もありました。
(私は仕事のことで怒るとき、
 マジで留保なしに怖いです。
 それは「愛のなさ」ではなく、
 「愛があるから」だと思ってます。
 だってそれが、その人たちの将来のためなのですから。
 愛を甘さと勘違いしている人があまりに多い。)

叱った結果、
「そういった人たち」からは、
完膚なきまでに恨まれましたが、
上司からは後で、
「陣内君、ありがとな。
 今どきそこまで怒れるヤツが、
 いないんだよな、、。」
と耳打ちされました。


、、、経験的に、
「そういった人」には二種類います。

1パターン目は、
まだ新人で、いわゆる「学生気分が抜けていない」
というやつで、社会経験がないため、
「人からお金を貰って仕事をする」
ということがどういうことか理解していないパターンです。
そういう人は叱ったら変わるし、
3年後には立派な社会人になり、
後輩の学生気分の奴をちゃんと叱れるようになる。

もう一種類の「そういった人」は、
もう30代や40代に突入していて、
社会人経験も5年以上が経過したにもかかわらず、
確信犯的に面倒な仕事を避け、
できる限り楽をし、
なるべく責任を回避し、
そして「権利だけは最大限に要求」します。

そういった手合いに関して私は、
「人間ではなく観賞用のサボテンだと思う」
という以外の解決策を知りません。

あと、「サボテン」に仕事をさせるための、
「ちょっとしたコツ」があります。
それは「サボテンに仕事をお願いするようにお願いする」ことです。
その人が「判断や責任をする」といった部分はいっさい期待せず、
手取り足取り指示するのです。

たとえばそれが「ご飯の食べ方」ならば、
1.箸を右手で持つ
2.ご飯を掴む。
3.ご飯を見る。
4.見たまま口に運ぶ。
5.ご飯を口にのこし箸を元に戻す。
6.15〜30回噛む。
7.呑み込む。
という感じで指示します。

たいてい3分後に、
「喉が渇いたときはどうすれば良いんですかぁ〜?」
という(仕事でいうとそういう意味の)、
寝ぼけた質問が帰ってきますが、
そのときは、
「このクソガキがぁ!!
 水を飲め水を!
 死ねぇ!!」
と心の中で思うわけですが、
「違う。サボテンが聞いてるんだ。」
と思い直しましょう。

「うん。
 そういうときは、水を飲むんだよ。」
じゃあ、水の飲み方のマニュアルを教えるね。
1.水道のところに行く。
2.コップに水を入れる。
3.コップの水を口に近づける。
4.呑み込む。
5.ご飯に戻る。
という感じで教えてあげます。

、、、職場というのはチームですから、
「そういった人」のマイナスを如何に最小化するか、
というのが非常に大切になります。
「そういった人」に、
判断や責任などの複雑な案件の「パス」をすると、
それまで積み上げたモノが台無しになりかねない。

つまり、Aさん、Bさん、Cさん、
プラス「そういった人」の4人で仕事をしているとき、
A×B×C×「0」になってしまうのを防ぐのが大切です。
「そういった人」は「0」ですから、
「掛け算」の中に入れてはいけない。

あくまで「足し算」にする必要があります。
つまり、
A×B×C+「0」にする必要がある。

その「+」にするために必要なのが、
その人をもはや「同僚」とは思わず、
「サボテンにしては良くやってくれてる何か」と思うことです。
そうすると、0が、0.1になったときに喜べるかもしれない。


、、、今の時代は「空前の人手不足」ですので、
そういった人ですら、やめて貰うと困る、
というのが経営者や同僚の苦しいところでしょう。
後ろ向きな回答で申し訳ないのですが、
本人に、「成長したい、会社に貢献したい」
という意志がない限り、外部から変えることは不能です。
マイナスを最小化する、
という角度から挑むしかないでしょう。

それにしても、そういった人と仕事をするのは辛いですよね。
「なんで俺はあの人と同じ給料なのだ」
と思いたくなることでしょう。
あと、視界に入るだけでモチベーションが下がる、
という意味でも腹が立つことでしょう。
質問者様の心中をお察しすると、心が痛みます。
飲み会で小一時間、愚痴を聞いてあげたいぐらいです。


、、、念のため付言しますと、
ここまで申し上げたことは、
あくまで「勤務時間中」のことです。
勤務時間外には「そういった人」もまた、
同じ人間であり「サボテン」ではないので、
ちゃんと優しくしてあげましょう。

「そういった人」って、
職場以外では人気者だったりしますしね。
「男はつらいよの寅さん」とか、
「釣りバカ日誌のハマちゃん」
みたいなみたいなものでしょうか。

ただ、昭和時代と違って、
ハマちゃんを会社にいつまでも置いておけるほど、
社会全体にコスト的な余裕がなくなってきているんですよね。
本当に、質問者様の心中をお察しします。

ご参考に。


| 1/61PAGES | 次のページ>>