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快眠のためにしていることは?

2020.04.13 Monday

第117号  2019年12月10日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼快眠のためにしていること▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週告知しましたように、
「シーズン2」もあと残すところ4回になりました。
来週から「読んだ本・観た映画ベスト10」を
やっていこうと思ってるので、
レギュラーコーナーは今日で最後になります。
名残惜しいですが、
さっそく質問カードからやっていきましょう!

▼質問:快眠のためにしていることは何かありますか?


、、、そうですねぇ。
私は案外「寝られる人」なので、
けっこう睡眠で苦労することは少ないのですよね。
病気になったときは睡眠もおかしくなりましたが、
身体が健康である限りは、
どこでもいつでも眠れてしまう、
恵まれた体質だと思います。

あと、長く眠れます。
ロングスリーパーです。
毎日10時間とかでも、
余裕で寝られますが、
最近はだいたい8時間〜9時間に落ち着いています。
それでも長いですが。
睡眠時間はどこから拠出しているかというと、
スマホを持たないことで生み出した時間を、
すべて睡眠に充てている感じです。

スマホを手放すと、
どんな人でも「1日2時間増える」
というのは、自信をもって言えます。
私はガラケーなので、
その分時間があるのです。
それを全部睡眠に充てると、
ちょうど6時間睡眠の人とバランスがとれる。

「スマホと睡眠」どちらが脳に良いか?
どちらが生産性に貢献するか?
言うまでもありません。
100:0で睡眠です。
数々の科学的証拠がそれを追認しています。

スマホのない生活は快適だよー、
マジで。

あと、寝ている時間って、
「損してる」と思ってる人が多いですが、
それは完全な間違いです。
寝てる時間って仕事してるんです。
脳はちゃんと働いていて、
明日の頭脳労働のための準備をしています。

6時間睡眠を5日間続けた人の運転技術は、
認知能力の低下により、
飲酒運転並みに低くなる、
っていう研究があるぐらいなので、
じつは睡眠不足で毎日仕事行っている人って、
酒飲んだ状態で仕事モードに入っているのと同じです。
「寝てない自慢」なんていう時代の遺物は、
今すぐに生ゴミボックスに捨ててしまいましょう。

、、、というわけで、
睡眠に苦労はしていませんが、
睡眠を私は真剣に捉えています。
「寝ているときから、
 明日の仕事が始まっている」
とすら思っている。

吉越浩一郎さんが言うように、
「寝ないなんて怠惰」なのです。

というわけで私は、
毎日勤勉に寝ています。
そして、睡眠の質がなるべく高くなるようにも、
それなりに工夫しています。

まず、遮光カーテン、
これは必須ですね。
これがあるとないとで、
睡眠の質はかなり変わる、
というのも研究で実証されています。

それから、夜寝る前は、
「読書の時間」としています。
かなり幅はありますが、
だいたい1日1〜4時間ぐらい読みます。
この時間をテレビモニターやスマホの前で過ごすと、
ブルーライトが網膜を刺激して、
睡眠障害につながることもわかっています。

それから、
寝る前に「鼻炎スプレー」を鼻にします。
私はアレルギー性鼻炎をもってるので、
基本的に慢性的に鼻が詰まっていて、
それを解消してやると、
かなり眠りが深くなることを去年発見してから、
さらに睡眠が快適になりました。

あと、寝るときは、
「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」
を、タブレットで耳元で小さな音量で聞いています。
自動的に切れるように設定して。
これが、マジで良い子守歌なんですよね。
「無音」だと人間って、
いろんなこと考えちゃうじゃないですか。
特に心配事があるときなんかは、
そのことがベッドの中でぐるぐる回って、、、
みたいのってありますよね。

有田と上田のバカ話を聞いてると、
なんかそういう「悩みのるつぼ」から、
思考のトラックが外れて、
そしてすんなりと眠りに誘ってくれます。
この習慣はうつ病療養中に身につけたのですが、
それから今でも続いています。

、、、という感じで、
私の睡眠のためにしていることは、
これぐらいでしょうか。

皆さんは何か、
睡眠のためにしていることはありますか?

もういちど入りたい大学・学部

2020.04.06 Monday

第116号  2019年12月3日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼もういちど入りたい大学・学部▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
東京に戻ってきました。
今回の西への旅は、
とても充実した時間でした。

さて。

今週も質問カードからいってみましょう!

▼社会人としてもういちど大学に入る
時間とお金の余裕があったら、
どの大学のどの学部がよいですか?


、、、リンダ・グラットンの著作、
『LIFE SHIFT』によれば、
人生100年時代に、
ほとんどの人は「複数のキャリアを持つ」ようになる、
といいます。

これまでの「3ステージの人生」は過去のものとなります。
3ステージとはちなみに、
「教育→就職→退職後」のことで、
これが100年時代には「マルチステージ」になると。

教育1→仕事1→仕事2→教育2→仕事3→仕事4
→(引退はあったりなかったりその人次第)
というのが彼女の言う「釣り鐘型のキャリア」です。

教育1と教育2があるというのは
「社会に出てある程度キャリアを積んでから、
 再教育を受けるために大学に入る」
などのキャリアデザインが一般的になるだろう、
ということです。
これってつまり「ひとつの専門」では、
一生食べていけなくなるということであり、
つまり厳しい時代でもあります。

欧米圏ではこのキャリアパスは、
かなり一般的になっていますが、
日本ではまだ「3ステージ信仰」が強いので、
社会人が人生の半ばでもういちど大学に行く
というのは例外的なことと見做されています。

しかし、産業構造の変化と人類の長寿化からすると、
日本もまたマルチステージ型にならざるを得ません。
あとは時期の問題であって、
日本の働き方が変化しない、
ということは未来予測的にあり得ません。
(理由は『LIFE SHIFT』を読んでください)

、、、さて。

私たちの子どもの世代は、
「マルチステージ」がデフォルトになるとして、
私の世代はどうなのでしょう?
けっこう「時代の端境期」だと思うのですよね。
「3ステージ」で逃げ切れる最後の世代は、
現在の50代までだと言われていて、
40代以下は、「マルチステージ型」に社会が移行する、
ちょうど中間的な世代になるはずです。

そうすると、
「3ステージ型」と、
「マルチステージ型」の、
二つの世界観が、
同じ世代に共存するようになる。
つまり私たちの世代は、
「昭和的世界観」を持つグループと、
「令和的世界観」を持つグループの、
二極化することが予想されます。
中間(平成)はたぶん、ありません。

私は「令和的世界観」でありたいと思っています。
理由は前者を選択した場合、
「既存の権益を温存する方向」に志向性が傾き、
結果として新しい世代の邪魔をすることになるからです。
悪気はなかったとしても、結果的にそうなります。

30歳のときに公務員を退職したのは大きいです。

もしあのときに退職していなければ、
今の私は昭和的世界観を持っていたはずですし、
既存の権益を温存する方向に考えが傾いていたと思います。
人というのは弱いもので、
「自分の利益・権益を追認する方」に、
いつもバイアスが働きますから。

さて。

私はそんな感じで、
「過渡期」にあるので、
一生涯「自己教育」をし続ける、
という決意はしています。
たぶんそのへんの大学院生よりも、
年間に読む本の冊数は多いですし、
彼らが書く論文以上の分量の文章を、
毎年書いています。

私は「2年ごとに新しく大学院を卒業する」
というぐらいのインプットを続けています。
しかし、
「学を体系化する」には、
やはり既存の教育機関は効率が良いので、
どこかでそういう教育機会があれば、
それはそれに超したことはない。
あと、独学では絶対に得られないものとして、
「学友と師」これとの出会いもある。

私の場合家族がいたり、
今すでにコミットしている仕事があったり、
ライフステージを考えると現実的な選択肢から除外されますが、
でも、大学に入り直して学び直す、
というのが有意義だし魅力的なのは疑いようがありません。

では私はどこの大学の何学部に入るか?

日本ならもう、一択ですね。

同志社大学神学部です。

同志社大学神学部では、
今、卒業生でもある佐藤優が教えているんですよね。
あと、同志社の神学部の人が書いた卒論が書籍になってて、
それとかもめちゃくちゃ面白かった。

同志社は「自由主義」にカテゴライズされるので、
私が属する教会(福音派)とは「ジャンル」が違うのは、
百も承知です。

でも、というか、
だからこそ学びたい。

じっさい、
自分の既存の価値観を揺るがさず、
自分の既存の信念を強化するだけの学びなんて、
「学び」の定義から言ってスカスカに違いありません。
自分とは違う立場の人々がどう考えるか、
これを知ることで自分の足下での奥行きが生まれるのです。

あと、同志社大学神学部に、
福音派(アッセンブリー教団)から学びにいった、
青木さんという牧師の方が書いた、
「アメリカの福音派」という本も、
すこぶる面白かった。
こういう学びを出来る場所が日本にあるのだから、
もしチャンスがあれば学んでみたいなーという気持ちはあります。


、、、あと、日本じゃなかったら、
そうですねぇ。
カナダのバンクーバーにある、
リージェントカレッジという神学大学にも行ってみたい。
あそこはジェームズ・フーストンという人が、
「牧師養成塾」としての神学校のあり方に疑問を抱き、
社会で生きる一般の人が、
「生活の中で神学するとはどういうことか」
を学ぶことが出来るような教育機関が世界にない。
じゃあ作ろう、ということで作った大学です。
めちゃ興味があります。

両大学の所在地も魅力的です。
同志社は京都ですし、
リージェントはバンクーバー。
両方とも都市としての魅力が高い。
人生で一度は住んでみたい、
と思わせる何かがあります。

あとはそうですねぇ。

コロラドに住みたいので、
コロラド州立大学とかでしょうか。
学部はどこでもいいです笑。
不純な動機です笑。

みなさんは学びたい大学・学部はありますか?

朝ご飯のお決まりのメニュー

2020.03.30 Monday

第115号 2019年11月26日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼朝ご飯のメニュー▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、いってみましょう。


▼朝ごはんのメニューは決まっていますか?


、、、私の場合、
決まっています。

毎朝「オートミール」ですね。

正確には、
・水1リットル
・サプリ
・プロテイン
・オートミール
です。

霜降り明星の粗品なら、
「いや、ボディビルダーの朝ご飯!」
ってツッコむでしょうが、
まぁ、そうなんだから仕方ない。

まず、水は朝起きるとガブガブ飲みます。
睡眠中に失われた水分を補給するため。
あとはサプリですが、
私は3種類飲んでいます。

1.マルチビタミンミネラル
筋トレとボディメイクしていると、
わりと食事のルーティーンが決まってくるので、
特定の微量元素が足りなくなる、
っていうのは避けたい。
というわけでマルチビタミンミネラルは飲んでます。

2.グルタミン
これはアミノ酸の一種で、
筋トレユーチューバーのコアラ小嵐が、
筋トレ始めてから風邪を引きやすくなったんだけど、
これを飲み始めてから引かなくなった、
っていってて、それで飲み始めました。
グルタミンって腸の細胞を再生させるのに関与してるらしく、
人間の免疫機構って、「腸で作られる」
といっても過言ではないので、
まぁ、理にかなった話です。
毎朝5グラム飲んでます。

3.クレアチン
これは、北海道で、
筋トレしてる知り合いから聞きました。
これを飲み始めてトレーニングの質が変わった、
って彼は言っていて、いろいろ教えてもらいました。
クレアチンって、「ATPサイクル」
っていう、「クエン酸回路」とも言われる、
人間のエネルギーを生み出す化学反応の、
「ひとつの歯車」として登場する物質なんですよね。
その知り合いは医者なので、
やたら説得力がありました。
これも毎朝5グラム。
たしかにこのサプリは実感があって、
たとえばアームカールを、
9回で限界だったのが、
「最期のもう1回の踏ん張りがきく」
ようになる感じがあります。

ちなみにクレアチンもグルタミンも、
毎日5グラムなのでなかなか減らないし、
サプリ自体それほど高価でもないので助かってます。
私は年に二回ぐらい、
「マイプロテイン」というイギリスのサイトで、
キロ単位で購入しています。


、、つぎにプロテイン。
朝はホエイプロテインを20グラム飲みます。
夕食から12時間ほど経過しているので、
胃の中は空っぽになってるわけで、
とりあえず血中アミノ酸濃度を上げたい、
という、ボディメイクの強迫観念(笑)により、
やはり朝一はサプリで入れておきたいですね。
「毎朝肉や魚が食える」
という環境にある人はよいですが、
朝は忙しかったりするので、
サプリがお手軽でよいです。


、、、最後にオートミールですね。
毎朝30グラム食べています。
カロリーにして120kcalぐらいでしょうか。
これに水を入れてレンジで2分20秒温めます。

増量期にはこれに牛乳と蜂蜜を入れて食べるのですが、
今は減量期なので、牛乳と蜂蜜をやめて、
「お茶漬けのもと」を入れて食べます。
けっこう美味いです。

朝炭水化物抜くというのは、
ダイエット的に不正解ではないのですが、
脳に行く栄養がなくなるため、
仕事の能率が落ちては本末転倒です。
だから朝の炭水化物は必須。

では、なぜパンや白米でなく、
オートミールなのか。

それは「GI値」というのが関係してて、
簡単にいうと、
「血糖値の上がり方が穏やか」な食品なんです。
オートミールとかサツマイモとか、
そういった食物繊維が多い炭水化物は。

そうすると、「腹持ちがよくなる」し、
徐々に血中に糖分が溶け出すイメージなので、
インシュリンの大量分泌による、
「シュガーラッシュ」と呼ばれる、
「反動低血糖」も起こらない。

そういう理由で毎朝オートミールです。
これも2.5キロの箱をネットで買います。
半年以上、たぶん1年近く持ちます。

そんなわけで、
私の朝食はそんな感じです。
「夢」はあまりないですね笑。
ボディメイクを追求しすぎると、
「食事」が「エサ化」してくるのですが、
それは本末転倒だと思うので、
なるべく遊び心も入れながら、
食事を楽しみつつやってます。

マッスル北村のように死んだりしませんので、
ご安心ください。

皆さんの朝食のルーティンはありますか?

最近気になるテレビタレント

2020.03.23 Monday

第114号  2019年11月19日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼最近気になるタレント▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、
さっそく行ってみましょう。

▼質問:最近気になるテレビタレントはいますか?


、、、まず、大前提として、
私はテレビをほぼまったく見ません。
1週間のテレビ視聴時間は10分以下だと思います。
1日2分も見てない。
つまりほぼ何も見ていない。

「自称お笑いルポライター」なので、
特定のお笑い番組は追っかけていたのですが、
その追いかけていた番組も、
「なんか最近とがってないなー」
「なんか最近つまらないなー」
とかなってきて、
歯が抜けるように録画してチェックする番組も減り、
特にこの半年ほどはほぼゼロ状態です。

一応『探偵ナイトスクープ』と、
『水曜日のダウンタウン』と、
『さまぁーず×さまぁーず』と、
『アメトーーク』
『くりぃむナンチャラ』
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』と、
あとテレ東のネタ番組ぐらいを、
録画してはいるのですが、
それも、見ずに放置しているのがほとんどで、
10年前に買った容量500GB(!)の、
ハードディスクレコーダーは、
食道からデータが逆流しそうなぐらい、
腹一杯になってます。

それを「減らす」のすら面倒くさい、というね笑。
もう、そんぐらいテレビとは疎遠なわけです。

理由は簡単で、
テレビがつまらないからですね笑。
絶望的につまらない。
空を眺めていた方がまだマシです。
雲の形でいろいろ想像した方が、
これならまだ楽しいぞ、と。

テレビがここまで絶望的につまらない理由を、
私は小一時間れます。
それだけでなく、
今後ますますつまらなくなっていくという予言もしますし、
その理由も1時間語れます。
この「予言」は外さない自信があります。
理由はそれが「構造的なもの」だからです。
それは別の機会に譲るとして、
最近気になってるテレビタレントですよね。

いるんですわ、それが。

テレビは1分も見てないのに笑。

それは、伊集院光さんですね。

ずっとノーマークだったんですよね、この人。
クイズ番組を私は1秒も見ませんが、
クイズ番組とかに出てることは知ってました。

、、、で、
過去のくりぃむしちゅーのラジオとか聞いてると、
有田が若手の時に「お世話になった」
とか言ってるから、
かなりキャリアの長い芸人ぐらいに思ってたのだけど、
彼は一概に「芸人」というくくりでもないんですよね。

芸人的な仕事もするし、
テレビに出て「ちょっと教養ある発言する枠」
みたいなポジショニングも出来るし、
あと、俳優的なこととかもしてる。

ちょっと「いとうせいこう」みたいな、
そんな引き出しに入れてたんですわ。

ただ、この人はひとつ、
突出したものがあって、
それが「ラジオ」です。

確か伊集院さんって、
ラジオをライフワークとしていて、
「テレビに出るのはラジオを続けるため」
ぐらいなことを言ってたり言ってなかったり。
そういうのって、めちゃくちゃかっこいいなぁ、
というのは思ってたんですよね。

ところが。

伊集院さんのラジオ、
今年になるまで一度も聞いたことなかったのです。
伊集院さんってもう、
ラジオを30年ぐらい(?)とか続けてるので、
逆に今さら聞き始めづらい、みたいのがあって。

私は「スターウォーズ問題」あるいは、
「北の国から問題」と呼んでいるのですが、
歴史が積み重ねられすぎているコンテンツって、
「今更入っていきづらい」ってなっちゃうんですよね。
参入するのにエネルギーが要る、というか。

伊集院光のラジオもまさに、
「スターウォーズ問題」があったわけです。
ラジオリスナーの方なら分かると思いますが、
ラジオってそのリスナーが作る「文化」みたいなものを、
味わうメディアでもあるんですよ。
ちなみにですが、
私がこのメルマガを「ラジオ」と名付けているのは、
ラジオというメディアのそういう特徴が好きだからです。

で、伊集院さんぐらいの歴史があるパーソナリティだと、
今更その「文化」を学ぶというか、
参入していくのに、二の足を踏んじゃってたんです。

でも、1ヶ月ぐらい前に、
仕事してて、
作業用BGMとして普段聞いているラジオ番組を、
ひととおり聞き終わったときに、
ふと伊集院さんのラジオを流してみたんですよね。
そしたらそれが、面白いのなんのって。

この「面白い」を説明するのも難しいんです。
深夜ラジオなので当然、
ド下ネタのオンパレードでもあるわけですが、
まぁそれは深夜ラジオのデフォルトなので、
別に大丈夫なのです。

それは普通笑。

、、、でも2つ、
他の芸人の深夜ラジオと比較して、
伊集院さんの突出しているところがあります。

まず、その「話術の巧みさ」ですね。
純粋に一人で2時間、
その話に人を引き込む、
っていう「べしゃりの引力」は、
他の芸人ではあまり体験したことのない種類のものでした。
コンビ芸人なら「かけあい」に逃げれるんですが、
彼の場合一人です。
山里良太のラジオもひとりですが、
彼の面白さともまたちょっと違うんですよ。
不思議な「没入感」があるんですよね。
彼は若い頃落語家に弟子入りしていたそうですので、
そういう落語的な基礎を押さえているんだと思うんですよね。
とにかくべしゃりの巧さに本当に驚きました。
普段、人前で話すことを仕事にしている人なら、
彼のすごさが分かると思います。

もう一つは、
彼の「教養」なんですよね。
彼は不登校になって高校も中退してるから、
学歴は「中卒」です。
でも、社会にゴロゴロ転がってる、
「大卒の馬鹿たち」の、100倍頭良いです。
そして教養があります。
死ぬほど勉強してると思います。
あらゆる分野の知識に深みがあるからこそ、
彼の「ギャグ」は笑える。
もっとも深い知性を、
もっとも「人からくだらないと思われてる」、
深夜ラジオでの笑いに投資している、
という生き様、
ロックンロールですわ。

これこそ知性の正しい使い方だと思いますね笑。
マジでかっこいい。

本当の教養がある人の「真の共通点」って、
皆さんは何だと思いますか?
私はそれは「謙虚さ」だと思います。

ものをたくさん知っている人ほど、
「自分が知っているのがごく一部だ」
ということが分かるのです。
だから何かを語るときに、
「断言」を避けるようになる。
「、、、である!!」ではなく、
「、、、と私は思います。
 違う見方もあるかもしれませんが」
という語尾になる。

伊集院さんにはそれがあるんです。
すげーな、この人、
と、久しぶりに思いました。

というわけで、
私が最近気になるテレビタレントは、
伊集院光です。

読んでいる全員が、
「今更!」って言ってると思いますが。

皆さんの気になるテレビタレントは誰かいますか?

去年の今日、あなたは何をしていましたか?

2020.03.16 Monday

 第113号   2019年11月12日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼去年の今日、何をしていたか?▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も「質問カード」からいってみましょう!

▼去年の今日、あなたは何をしていましたか?
(思い出せない場合は、同じ月に思い出せること)


、、、私のこの数年のスケジュール管理は、
グーグルカレンダー8割:スケジュール帳2割
ぐらいになってますので、
グーグルカレンダーを遡ると、
正確に「去年の今日何をしていたか?」が分かります。

ホントはグーグルカレンダー10割にしちゃっても、
多分問題はないのだと思うのだけど、
「アナログというバックアップ」がないと、
なんか不安になるんですよね。
そういうのって、皆さんはありませんか?

私はあります。

「デジタル」とか「クラウド」とかって、
なんか、いざとなったとき、
最後の最後で信頼出来ないというか。
「命綱」としては使えないというか。

「肝心のところで、
 アップデート→再起動」が始まったらどうしよう、
とか、めちゃくちゃ大事な場面で、
スケジュール確認しようとしたら、
タブレットが起動しなくなったらどうしよう、
とか、なんかそういうのがあるので。

なので、めっきり書きこむ頻度が減ったとはいえ、
アナログのシステム手帳兼ノートを、
私は基本的に持ち歩いています。

でも、グーグルカレンダーがあまりにも優秀なので、
システム手帳はあくまで補助的、
もしくは心の安心のためで、
主役はグーグルカレンダーなのです。

マジでこれって便利で、
実はグーグルカレンダーのキラー機能、
「検索機能」を使うようになったら、
もう紙のスケジュール帳には戻れなくなる。

つまりグーグルカレンダーを、
「メモ帳」として兼用するのです。
カレンダーの予定項目に、
「メモ欄」ってあるでしょ。
そこに、たとえば乗る飛行機の便名だとか、
ホテルの名前、住所、電話番号、
乗る電車の時刻表(時刻表アプリから直接共有可能)、
あと、打ち合わせしたときの、
連絡事項が書いてあるメール本文のコピペなどを、
全部ぶち込んでおくんです。

そうすると、あとで、
「検索機能」を使うと、
未来であろうが過去であろうが、
その予定についての手がかりがあると、
芋づる式に必要な情報を引き出せるわけです。

これが出来るようになると、
ちょっと革命的に便利ですよ。
私はやってませんが、
この「メモ欄」を、
もう日記にしちゃってる、
という強者もいるらしいです。


、、、


、、、


という私のライフハックはさておき、
去年の今日何をしていたか?
でしたね。

グーグルカレンダーに問い合わせたところ、
今の時期はひたすら、
「よにでしセミナーの準備」を、
日々やってますね。
今の私と同じです。

これは季節的なルーティーンなので、
まぁそんなもんでしょう。

あと面白いのは、
「去年の昨日」は、
近所の「洋服お直し屋さん」に行っています。
友だちからもらったダウンベストを、
私ではなく妻が気に入ってずっと着てたのですが、
そのファスナーが壊れたんですよね。
それを、近所のお直し屋さんに行って、
直してもらってました笑。

なんか、普通のアパートの一室で、
おばさんがひとりでやっている、
「この人、税金申告してるのかな?」
っていうような、
ちょっと怪しげな雰囲気で、
強烈に覚えています。

ファスナーのお直しは1,500円ぐらいしたのですが、
洋服って直して着ると愛着もわきますよね。
修理したダウンベスト、
今年も妻はけっこうヘビロテしてます。

、、、という感じで、
去年の今日、何やってた?でした。

皆さんは去年の今日、
何をしてましたか?

買って「正解」だった服

2020.03.09 Monday

第112号  2019年11月5日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼最も「正解」だった服▼▼▼

▼過去1年間に買った服(靴)で、
 最も「正解」だったのは?(なければ過去3年以内)


、、、そうですねぇ。
すぐに思いつくのは、
KEENの「ユニーク」というサンダルです。

▼リンク:キーンのユニーク
https://bre.is/8S5rmcKd
https://bre.is/ZVeL7wWL


色はブラックを買いました。
KEENには「ジャスパー」という名作スニーカーもあり、
そちらも評判がすこぶる良いんですが、
所有したことはありません。

なぜ「ユニーク」を買ったかというと、
4月に3週間インドに行くことになり、
あっちで履く靴について悩んだ結果、
「ユニーク」が良いと「読んだ」からです。

まず、日本で履いてる普通のスニーカーだと、
ひどい雨と土埃で、
かなり汚れるので嫌だったんですよね。
あと、2008年には、
「履きつぶす覚悟」で、
ニューバランスのスニーカーを履いていって、
じっさい新品同様だったスニーカーが、
トラックに10回引かれたぐらいボロボロになりました。

でも、そこそこ快適ではあったんですよ。
ところがひとつだけ問題があって、
後半、異臭がし始めたんですよね。
気温が45度とか毎日いくし、
バケツをひっくり返したような雨が定期的に降るしで、
高温多湿&蒸れにより、
奇跡の微生物発酵が置きたんでしょうね。

あれを覚えていたので、
涼しげな靴が良い、サンダルでも良い、
という思考になる。

しかし、サンダルだと、
いかんせん「防御力」が心配なんですよ。
舗装されていない道を歩いたりもするし、
ガラスとか落ちてたりすることもあったりするし、
棒とかいろいろ落ちてたりするので、
サンダルはちょっと「頼りない」感じがして。

その連立方程式を解いていくと、
ひとつだけ「解」が見つかった。

それがキーンのユニークだったわけです。

結果、もう大正解でしたね。

最高に快適でした。
雨に降られようが「サンダル」なので大丈夫だし、
猛烈に暑くても、蒸れるということがない。
そして汚れても、
「まぁ丸洗いすれば良いか」
という気軽さがある。

4月のインドだけでなく、
6月のフィリピンでも大活躍しました。

それだけでなく、
このサンダルは、
モノトーン(特にブラック)を選ぶと、
遠目から観ると「ちょっとドレス感」があるんですよね。
サンダルにはあり得ない「フォーマルな感じ」がある。
なので、サンダル履いていくと、
「それは着崩しすぎだろ」というようなシーンでも、
普通に履いていてあまり違和感がない。

じっさいマニラの会議には、
毎日これで行きましたから。

日本に帰ってきても、
夏の間中、外出するときはこればかりでした。

確実に来年も活躍することになるでしょう。
キーンのユニーク、お勧めです。

食生活のなかで人と違うところ

2020.03.02 Monday

第111号  2019年10月29日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼食生活について▼▼▼

今週も質問カードからやっていきましょう。

▼自分の食生活のなかで、
他人と違ってユニークかもしれないと
思う点があるなら教えて下さい。


、、、これは、
1年半前に「筋トレ」と出会ってから、
かなり変わりましたね。

じつは「筋トレ」って入り口であって、
「ボディメイク」というもっと広いくくりがある、
その「3分の1」が筋トレなんですよね。

どういうことか?

筋トレ筋トレと言いますが、
実は筋トレって、
やりすぎたらダメなんですよ。
長時間やると「オーバーワーク」といって怪我しやすくなるし、
一回のトレーニング時間が1時間を超すと、
コルチゾールが分泌されて逆に筋肉は分解される。

だから、週に2回か3回、
1回30分ぐらいで、
「そこにすべてを注ぐ」勢いで集中してやるのが、
最も効率的で上手な筋トレと言えます。
(私はそこまで上手じゃないので、
 1回45分〜75分ぐらいかけちゃいます。
 本当はもっと圧縮すべきなのですが、
 テクニックがないので。)

そうすると筋トレをしている時間は、
一週間に長くてもトータル2、3時間ぐらい。

これが「トレーニング」の時間です。

しかし、これは「ボディメイク」において、
3分の1を占めるに過ぎません。

残りの3分の2は何か?

栄養(食事)と、
睡眠(休息)です。

しっかり食べなければ筋肉はつきません。
あと、「腹筋を割る」というのは、
トレーニングはあまり関係ありません。
腹筋はもともと割れているからです。
解剖学を知っていればこれは常識ですね。
なぜ「割れて見えない」かというと、
脂肪が分厚く乗っているからです。
脂肪をそぎ落とせば、
どんな人でも腹筋は割れて見えます。

アーノルド・シュワルツェネッガーは、
「腹筋はキッチンで作られる」
という名言を残していますが、
つまりそういうことなのです。

「筋肉を増やす」ことにおいて、
食事はめちゃくちゃ重要です。
オーバーカロリーで高タンパクの食事を続ける必要がある。
「半分は食事」、と言って良いんじゃないでしょうか。

「脂肪を減らす」ことにおいても、
食事はめちゃくちゃ重要。
こちらは「食事が9割」です。
有酸素運動などは1割ぐらいの重要度です。

この辺のことは以下の動画で説明しました。

▼動画『除脂肪メソッド』
https://youtu.be/kP9rkLJ3y04


、、、話を戻すと、
「ボディメイク」において、
3分の1はトレーニング、
3分の1は食事と言いました。
最後の3分の1は休息です。

筋肉はしっかり休んでいるときに、
成長ホルモンなどが分泌されて十分育つのです。

食事・睡眠・運動。

これって、人間の健康の、
「王道の三本柱」です。

これが出来ていれば、
「長生きしたければふくらはぎをもめ!」とか、
「痩せたければトマトを食べろ!」とか、
「乳製品をやめれば幸せになれる!」とか、
「100歳以上は全員納豆を食べていた!」とか、
エビデンス的にもサンプル数的にも、
生理学的にも根拠ゼロの、
流行の健康法に振り回されることがなくなります。

「ためしてガ●テン」的な番組に影響されて、
翌日にスーパーに走っても、
走ったカロリーぐらいのメリットしかないぜ、
ってことが分かってくるのです。

・バランスのとれた食事
(ステージによって、
 「筋肉を増やす時期」なのか、
 「脂肪を減らす時期」なのか、
 「維持する時期」なのか、
 自覚的にカロリーコントロールする)

・しっかりとした休息と睡眠

・適度な運動

これが出来ていれば、
あとは「誤差」です。

マジで。


、、、というわけで、
私は「筋トレ」と出会ったことで、
食事・休息・運動という、
予防医学において最も大切な3本柱を、
いちどに学習し、
自分の身体で実験しながら生きることを、
期せずして始めることとなったのです。

もともと私が筋トレを始めた理由は、
以下のような成り行きでした。

病後の体力低下と、
もともと虚弱な体質な自分が、
40歳で初めて親になった。
→子育ては体力勝負だ。
→私の世代は「定年退職」という概念は、
多分なくなるので、まだまだ長らく働くであろう。
→それにも体力がモノを言う。
→体力を増進せねば、という危機感が強まる。
→筋トレ、試してみよう!


、、、その結果、
栄養学・睡眠・休息・生理学・
スポーツ科学・ボディメイク術など、
様々な知識と実践を身につけることが出来ました。
もともと獣医師なので、
基礎的な知識はあるのですが、
「ボディメイク」という補助線で、
それらを実践しながら学んだことにより、
マジで大きな恩恵を受けることとなりました。

本当にやって良かったと思っています。

人間、自分でやらないと、
知識は自分のものにならないですからね。


、、、あれ?

質問なんだっけ?

食生活の特徴ね。

筋肉をつけるためには、
体重そのものを増やさなければいけません。
私は最初の1年半で、
15キロ増量しました。

今私は、
「脂肪を減らす時期」に切り替えて、
7キロほど体重を減らしたところです。

なので食生活の特徴は、
「低脂質・低炭水化物・高タンパク質」ですね。

具体的には鶏胸肉、サバ缶などが多いかな。
あと、ちくわとか魚肉ソーセージにもお世話になってます。
それからオートミール、ブロッコリーなどなど。
ドレッシングは脂質が高いので塩かけて食べてます。
外出中などはサラダチキンも利用しますね。

減量ってストレスたまるので、
ストレス解消のために、
「とりあえず腹に入れる、
 ほとんどカロリーのないもの」を上手く活用するのが、
減量成功の秘訣です。

私の場合、
ゼロカロリーのゼリー、
糖質ゼロ麺、
もずくやめかぶ、
ところてん、
ダイエットコーク、
このあたりに助けられています。
あと、水をすごーくたくさん飲みます。
1日3リットルぐらい飲んでるかな。

減量してると味覚が敏感になりますから、
ところてんとかも、
けっこう旨いと感じるので、
ほとんどストレスは感じてないんですけどね。

これをあと数ヶ月続けて、
「生まれて初めて腹筋を割る」
という目標に今は突き進んでいます。

以上、私の食生活でした。


追伸:
読者の皆さんの中の、
ボディメイクしている人で、
「こんな低脂質・高タンパクな食べ物あるよ」
っていう耳寄り情報があったらご一報ください。

有名人と人生を交換するとしたら?

2020.02.24 Monday

第110号  2019年10月22日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週も告知しましたが、
活動報告のレターをアップロードしました。
今年の夏の活動報告が掲載されています。
祈り支援してくださる支援者の方も、
随時募集しています。
働きのパートナーとして、
新たに祈り支えてくださりたい方は、
是非ご一報ください。

▼2019年7−9月号
http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2019_0710.pdf


、、、では、早速質問カード行きましょう。

▼質問:
有名人の誰かと、
人生を交換しなければならないとしたら誰を選びますか?


、、、うーん。
特に思い浮かばないですね。

有名人って、
いつも大変だろうな、
としか思いませんので。

「有名であること」自体に、
うらやましいと思うことは、
私の性格だと全くなく、
むしろ気の毒なことの方が多いです。

なので私が人生を交換したいとしたら、
「有名であること自体」よりも、
その他の要素が重要になりますね。
いつものように3人、ご紹介しましょう。


▼▼▼さかなクン

まずはダントツでさかなクンですね。
「好きで好きでしょうがないもの」があり、
それを仕事にして、
そして世の中の役にも立つ。

「この世に生を与えられた者の生き方」として、
最高だと思います。

すギョーく羨ましいです。

もし生まれ変わって別の生き方が選べるとしたら、、、
みたいなやつってあるじゃないですか。
私がやってみたいのは、
「深海魚の研究者」なんですよね。

ゼッタイ面白いし、あんなの。

人類の「未知の地平線」は、
以前は太平洋の向こう側だったり、
目に見えない微生物だったり、
月の裏側だったりしたのですが、
アメリカ大陸が発見され、
電子顕微鏡が分子の世界まで明らかにし、
アポロ計画で人類が月を踏破した今、
「残された未知」は二つしかないと思います。

ひとつは宇宙の果て、
もうひとつが「深海」です。

深海って、
意外なほどまだ知らないことが多いんですよね。
だから新しい発見が次々に今も起きている。
硫黄を栄養に出来る生物とか、
100度以上の高温でも生きられる微生物とか、
最近もいろいろ見つかってますが、
まだまだ未知の発見がいっぱいあるはずなのです。

わくわくしませんか?
私はわくわくします。

根が「人文系」ではなく、
「自然科学系」の体質なので、
こういうのが一番興奮するのです。

さかなクン、なりたいなぁ。
さかなクンになって、
「ギョギョギョ、さかなチャンネル」という、
Podcast番組を毎日配信したい。


▼▼▼レブロン・ジェームズ

言わずと知れたNBAの「キング」です。
レブロンVSジョーダン、
どちらが「GOAT」か?論争、
っていうのが、
この10年ぐらいずっとあります。

海外のサイトとか観ると、
死人が出るんじゃないかっていうぐらい、
侃々諤々の白熱した議論が交わされています。

ちなみに「GOAT」というのは、
Greatest Of All Timeの略で、
「歴代最高選手」という意味です。

でもやはり、
ジョーダン派が7割以上、って感じですね。
バスケ素人といいますか、
あんまり詳しくないライトなNBAファンに聞けば、
ジョーダン派が9割になるでしょう。

でも私はレブロン派なんですよね。

そもそも二人はポジションもプレースタイルも違うので、
同じ土俵で比べるのは無理がある、というのはあります。

イチローと王貞治、
どちらが偉大な野球選手か、とか、
アントニオ猪木とオカダカズチカ、
どっちがすごいか論争みたいなのって、
いや、比べられんよそれは、っていう話なんですわ。

ジョーダンはすごいですよ、そりゃ。
とにかく「美しい」んですよね。
スタッツ(各種数値)には現れない美しさがあります。
ジョーダンのダブルクラッチとかは、
なんというか、それ自体彫刻のような美しさがあるんですわ。

それでも私はレブロンなんですよね。

私がそう考えるのは、
彼は「ゲームチェンジャー」だったからで、
とにかく彼の場合、
「オールラウンダー」なんですよね。
1番から5番まで全部できる。
(ポイントガードからセンターまでっていう意味ね)

そして「バスケIQ」がずば抜けてる。
クリーブランド時代とか、
コート上にいながら、
タロン・ルーヘッドコーチに指示する勢いでしたから。
もちろんジョーダンのバスケIQも高いのは言うまでもないんですが、
ジョーダンの場合「エース」としてのIQなんですよね。
レブロンはもうちょっと引いた目でチームを見わたして、
状況判断ができる頭の良さを持っています。
リオネル・メッシのサッカーIQと、
イニエスタのサッカーIQは違うんですよ。
そんな感じです。

端的に言うと、レブロンはバスケという競技の、
「ポジション」という概念を無効化したんです。
200センチ超えで、相手センターとも当たり負けしない大男が、
ポイントガードまでこなせて、
スリーポイントもバスバス入るわけですから。
90年代NBAで言うと、
レブロンって、
ジョン・ストックトンのパスセンスと、
カール・マローンの鋼の肉体、
チャールズ・バークレーのインサイドの強さ、
レジー・ミラーのクラッチタイムの3ポイント、
ドミニク・ウィルキンスのダンク、
ディケンベ・ムトンボのブロックショット、
フィル・ジャクソンの「頭脳」、
これらをすべて持ってる感じなんですよね。

もう、ゲームなら「チートキャラ」なんですが、
それが本当に「実在する」っていうんだからすごい。

かつてサッカーの世界に、
「ヨハン・クライフ」という、
オランダの「ゲームチェンジャー」がいたんですが、
レブロンのインパクトって、
そういうところがあるんですよね。

レブロン、ジョーダン論争は、
あと2時間ぐらい語れるのですが、
まぁ今日はこのへんで。

、、、で、なぜ私がレブロンになってみたいか。

彼は現在、地上のあらゆるアスリートの中で、
「最高の身体」を持ってると思うからです。
200センチ超えで、
「サッカー選手の足」ぐらい太い腕を持ち、
彼の「スプリント」は陸上短距離選手並みの早さです。
ジャンプの最高到達点は400センチに迫ります。
しかも、レブロンって怪我をしない選手でもあります。

彼は「身体をメンテナンスする」ためだけに、
年間1億円以上使っています。

「そんな身体」になるのが、
いったいどんな気分なのか、
味わってみたい、
という、ただそれだけの理由です。
「超人」願望といいますか。
体験してみたいですね。


▼▼▼松本人志

これも「超人願望」です。
彼についてはいろんな評価があります。
最近は政権とも近い関係になったりして、
ちょっと「アレ」なところがあるのですが、
「笑い脳」というか「笑いIQ」ということでいうと、
彼ほど頭の良い人間は、
過去100年間いなかったし、
今後100年も登場しないでしょう。

私はそう思います。
これは、自信を持って。

彼の「笑い戦闘力」というか、
「面白いことを言う瞬発力」とか、
「面白いことを生み出す力」、
「新しい笑いを構築する創造力」、
そういったものを総合した力というのは、
たけし、さんまなんて足下にも及びません。

三国志でいうと、
「呂布」ぐらい強いわけです。
「お笑い戦闘力」だけで測るなら。
(伝わってるのかな?)

彼の「笑い脳」の高さって尋常じゃないんですよ。

野球なら余裕で4割打ってるし、
サッカーならパルムドールを10年連続で取るでしょうし、
100メートル走なら9秒切ってるでしょうね。

彼の「笑い」という分野の能力の高さは、
そのぐらいずば抜けています。

でもいかんせん、
「笑い」ってスポーツのような数値化が難しいし、
勝負事にするのが難しいから、
優劣をつけがたい。

松本人志の本音はだから、
笑いをスポーツにすることだと思うんですよね。
彼が関わってきてるM-1とか、
IPPONグランプリとか、
ドキュメンタルとか、
そういうのを観ればそれは自明で、
彼は笑いを文化というよりも、
格闘技とか陸上競技だと思ってやってると思います。

、、、そんな松本人志になぜなりたいか?

レブロンと同じです。
彼のような頭の良さがあったら、
いったい世界はどんな風に見えるんだろう、
という好奇心ですね。

『遺書』という本の中で、
松本人志は、自分を天才だと前おいた上で、
「もし読者のあなたが、
 俺になってみたら、
 『天才』っていうのは控えめな表現だとおもうに違いない。
 俺を傲慢だとかいう奴は、
 一回俺になってみろ。分かるから。」
というようなことを言ってるんですよね。

じっさい、30代のキレッキレの時代の彼の笑いって、
野球だったら場外ホームラン打ってるのに、
それがホームランと認識されないほど飛距離が出ていて、
それをホームランと認識出来るのは、
浜田雅功だけだった、
みたいなことも書いています。

それも、ちょっと分かるんですよね。
発想の飛躍の仕方とか、
地球を3周回って、1ミリずらした、
みたいなレベルのボケって、
もう常人には「拾えない」わけです。
「お笑い凡人」に、
聞き取ることの出来る周波数を超えとるわけですよ。

松本人志になったら、
世界はどう見えるのか、
ちょっと興味がありますねぇ。


、、、というわけで、
「なってみたい有名人」でした。
もちろん期間限定で。
私には「陣内俊」という、
神から賜った大事な仕事がありますので、
それを完遂するのが最重要です。

生まれ育った地域の影響(後編)

2020.02.17 Monday

第109号   2019年10月15日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼生まれ育った地域・後編▼▼▼

今週は、先週の質問カードの答えの「続き」です。
私は育った地域がいろいろあるので、
けっこう語ることが多いのです。


▼質問:
あなたが生まれた地域、または育った地域は、
あなたの今の性格やライフスタイルや行動様式、
考え方に何か影響を及ぼしていますか?
及ぼしているとしたらそれは、どんなことですか?


、、、先週は私の中の、
「愛知県人性」を語りました。

今週は岡山県と北海道について語ります。

まず、岡山県には、
私は小学校5年生から高校3年生まで、
7年間住んでいます。
倉敷市の連島という地域で、
去年の豪雨で被害を受けたところは、
私の生活圏だったのでびっくりしました。
中国地方って、すごーく天災が少ない地域なので、
余計にびっくりしたのです。

さて。

岡山県ですが、
これがまた味が濃いんですよね。
愛知県以上に、
その地域性は、
全国的に知られていないのです。

中国地方の人からすると、
「岡山」というと連想するものが、
いくつかあるんですよ。
それは広島とも違うし、
兵庫とも島根とも鳥取とも山口とも違う。

岡山は岡山なのです。
尾張と三河が違うように、
広島と岡山は断固、違うんです!

東京の人からしたら、
「ふーん、そうなんだー(スマホいじいじ)」
でしょうが、
岡山は岡山じゃけー
広島とはちがうけー、
そこんとこよろしく!
と思うわけです。

まず方言ですが、
いわゆる「仁義なき戦い」で、
菅原文太がしゃべてるやつ、
あれは広島弁であって岡山弁ではありません。

岡山弁は今でこそ「千鳥」で有名になりましたが、
本当に使いこなせる人は、
きっと全国に岡山県の人口程度しかいないでしょう。
あ、当たり前でした笑。

「すごい」は、
「ぼっけー」、
「俺」は「わし」
「私」は「うち」
*ギャルが使う「ウチらわトモダチ」の「ウチ」とは違います、
 「柿」の発音じゃなく、「蠣」の発音です。
「むかつく」は、
「はがえー」、
「殴るぞ」は、
「張り回すぞ」、
みたいな感じですかね。

基本的に全員が全員に対して喧嘩を売るのに適した言葉です。
デフォルトでバトルロワイヤルなんですよ、
岡山っていうのは笑。

小学校5年生で、
岡山の文化に最初に触れたときは、
マジで驚きましたから。
マジで全員が怒ってるのかと思いましたから。
後々、そういう言葉なんだ、
ということに気づいて安心したわけですが。

あと、岡山って、
小学校から制服の学校がめちゃ多いです。
何を隠そう、
倉敷市っていうのは、
たしか全国の学生服の7割を生産していまして、
当然地元の学校と企業って言うのは、
癒着とかそいうんじゃなく、
「もちつもたれつ関係」なわけで、
岡山の学校は学生服が基本なのです。

私も小学校のとき、
下は半ズボン、
上はカッターシャツにブレザー、
帽子は学生帽みたいなやつで、
学校行ってましたね。

愛知県の小学校は私服だったので、
超嫌だったのだけど、
まぁ、なれますわ。
そういうのは。

あと、「改造学生服」を売る店が、
全国で一番多いんじゃないかな(当社比)。

あと、不良が全国で一番強いんじゃないかな(当社比)。

出会ったらすぐ逃げなければならないのは、
岡山のヤンキーと北海道のヒグマですわ。
マジでカツアゲされますから。
私も1回食らったことがあります。
1回っていうのは運が良い方で、
中高の6年で、
平均すると3〜5回、
カツアゲ被害に遭います(当社比)。

なので、高額紙幣は必ず、
ソックスの中に入れてましたから。
財布の中身を全部とられたうえ、
『おい、ちょっとそこでジャンプせーや』
からの、ポケットの小銭を持って行かれても、
すっからかんにならないために。

私は『資産のポートフォリオ』の原則、
「卵を同じ籠に入れるな」を、
岡山のヤンキーから学びましたね笑。

もうひとつは、
愛知県にはなくて岡山にあったものとして、
「笑い」の地位がありあます。

愛知県では、
多分「全国スタンダード」でして、
小学生なら足が速い奴がモテましたし、
だんだん中学・高校生ぐらいになると、
スポーツとかに加えて勉強が出来ることも、
モテる要素に加えられていきます。

小学校5年生の私は、
授業はほとんど聞いてないし、
宿題もほとんど提出しないけど、
テストの点は全部100点でした。
先生にも生徒にも嫌われるパターンですね笑。
でも、足が速いほうではなかったし、
運動神経もさほど良いほうではなく、
むしろ小児ぜんそくの発作があって、
体力的には平均以下でしたので、
モテる部類ではありませんでした。

、、、で、
岡山に引っ越してびっくりしましたね。
男にも女にも先生にも一番モテるのは、
頭の良い奴でも足が速い奴でもなく、
「面白いことが言える奴」なんですよ。
これが高校まで続きます。

この「面白いこと言える奴」っていうのが絶妙で、
ただ自分が思いついた「面白ワード」を連発する、
とかそういうことではないんですよね。
だってそんなの面白くないじゃないですか笑。
ちゃんとその場の雰囲気であったり、
状況であったり、オーディエンスのことを考えて、
サッカーでいうと、
「流れの中で得点する」といいますか、
そういう「ビューティフルゴール」を挙げられる奴というのが、
一番モテました。
男子にも、女子にも、先生にも。

この「ルール改変」は、
11歳の私にとって衝撃でした。
そこから私は、
自分の知的リソースの、
かなりの大きな部分を割いて、
「面白いことを言う」ということを
追求するようになりました。

当たり前じゃないですか。

モテたいですから。
中学生男子なんて、
モテたくて生きてるんですから(当社比)。

、、、そんで、
あれは中3ぐらいですかねぇ。
5年ほどの修行の結果、
なんか「掴んだ」んですよね。
面白いことを流れの中で言う、
っていう技術を身につけたんですわ。
自分のIQの大部分を、
学業成績を上げることよりも、
「面白いことを言う」ことに割いているのですから、
まぁ当たり前です。上達するのは。

まぁモテましたよね笑。

だって、クラスで一番、
「面白いことを言える」んですから。
これって「クラスの人気者」とか、
「ひょうきんで明るいやつ」とか、
そういうことじゃないんですわ。
その役割は別にいるんです。
そいつとはポジションが違う場所に、
「一番面白いことを言える奴」はいるのです。

「センス」なんです。
この流れでこの発言が出来る!
すげー!
ってなるんです。
あいつすげー!って。

これが快感で快感で。

もし岡山に住んでなければ、
私はもう少し、
笑いのセンスがなかったでしょうね。
ただ単に明るい奴と、
ユーモアのセンスがある奴の差すら、
理解していなかったでしょうね。

多分関西圏とか西日本に住んでいない人は、
「半笑い」でこの話を聞いているでしょうが、
実はこれって本質的なことだと私は思います。
学業成績が抜群に良いことよりも、
「流れの中で面白いことを言える」ことのほうが、
「地頭の良さとの相関指数」は、
ゼッタイに高いからです。

これはアルゴリズムとヒューリスティックの差でもあります。
学業成績の良さはAIに代替可能ですが、
面白いことを言える地頭は、
AIには代替不能なのです。

よって、AI時代に生き残るのは、
関東ではなく関西です。

、、、嘘です笑。

そういうことではなく、
偏差値秀才だけどユーモアのセンスが絶望的な奴と、
偏差値は平均だがユーモアのセンスが抜群な奴なら、
私が企業のCEOなら後者を採用するし、
将来のある会社経営者なら、
同じ選択をするだろうな、と思うという話です。

あと、岡山の人って、オシャレです。

これも当社比なのですが、
結構真を食ってると思います。
多分そういうイメージは、
全国的に共有されていないと思いますが、
この「説」に私はけっこう自信がある。

まず、客観的なファクトとして、
倉敷っていうのは、
繊維の街と言われていて、
国産ジーンズのシェアも相当なものです。
だから、たしか『繊維祭』っていうイベントがあったりして、
そこでジーンズとかアメカジ商品が安く売られたりしてます。

そんで、小中学生の段階から、
そういうカジュアルファッションに対する、
関心というか意識が高いんですよね。
「501」とか「MA-1」とか「レッドウィング」とか、
「エビス」とか「カムコ」とか、
そういったアメカジがらみの「用語」ってあるじゃないですか。

そういうのを、中学1年生とかが、
普通に会話の中で話していて、
「遊びに行く」というのは、
たいてい「服をウィンドウショッピングする」
という意味でした。

友達と服を交換しあったり、
とにかく「服」に対する関心が高かったんですよね。
私が服に関心を持ったのは、
中学時代の友人がまさにそういう奴らだったからで、
私は中高生を岡山で過ごさなかったら、
高3まで、
『お母さんにイトーヨーカドーで服を買ってきてもらう派』
だったと思います。

そんなわけで、
大人になった私が、
じゃあ人よりオシャレかというと、
そんなに自信はありません。
妻のほうがセンスがあるので、
結婚後に学んだことのほうが多いですが、
それでも服を見たり、
新しいファッションを試したりするのは好きです。

そして、大人になってから気づいたのですが、
「岡山出身」の人に会うと、
たいていその人はオシャレに気を遣っていて、
その人なりの「スタイル」を持っています。

この「説」はけっこう自信があるんですよね。
多分誰も知らないでしょうから紹介しました。


、、、あと、北海道。
これは18〜24歳までの6年間過ごしました。
結果、自分が一番フィットしたのは北海道でしたね。

この理由も多分明確で、
私は生まれてから、
岡山→東京→愛知→岡山→シカゴ
→愛知→岡山、、、
って、引っ越しを繰り返してるんですよ。

そんで、北海道って、
「よそ者の集まり」なんですよ。
最大に遡っても4世代ぐらいなんです。
「ひいおじいちゃん」になると、
もう、「開拓者」なのです。

そうすると、
「開拓者」っていうのは、
基本的に「バガボンド気質」といいますか、
一つの場所に根っこを下ろして、、、
っていう土着型ではなく、
「新しい気風に開かれた人間」なわけです。
そういう人が集まったのが北海道なので、
「よそ者同士、助け合っていこうや」
という、サバサバした距離感があるのです。
人間関係の「湿度」が低いというか。

私自身が転勤族でバガボンド(流浪者)なので、
北海道みたいな距離感というのは、
非常に心地よかったですね。
これは「よそ者社会」の、
アメリカの両沿岸部、
およびカナダとオセアニアにも言えます。

夏に弱い私には、
気候的にも北海道が一番フィットしました。
そこで身につけた今の私の性格というと、、、。

なんだろう?

あ、そうだ。

「本州を絶対化しない」
というのはあるかもしれません。
沖縄もそうですが、
本州・四国・九州のことを、
彼らは「内地」と言います。

「今度内地にいくのかい?」
「内地は暑いっしょ。」
みたいな会話が、
北海道では交わされるわけですが、
なんていうか、
自分こそ日本の中心、
って思ってる東京・大阪・名古屋あたりの人からすると、
コペルニクス的な視点の転換なんですよね。

そんな北海道。
お勧めです。
「地方移住」の罠は、
地方にある「人間関係のしがらみや排他性」が、
実際に住み始めるとめちゃ大きいことに、
住み始めてから気づいてしまうことですが、
その壁にぶち当たった人は、
すごすごと東京に戻るよりも、
北海道を試すことをお勧めします。

、、、というわけで、
育った地域と自分の性格に関して、
2週間にわたりお届けしました。

今週のオープニングトークは以上!

生まれ育った地域の影響(前編)

2020.02.10 Monday

第108号  2019年10月8日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

今週は2ヶ月ぶり(?)ぐらいに、
質問カード、やっていきます!
質問カードっていうのはちなみに、
私が会話のツールのために発明した、
一枚質問を引いて、
それに答えていくというカードです。

これを自分で引いて、
自分で答えてしまおう、というコーナー。


▼▼▼生まれ育った地域の影響▼▼▼

▼質問:
あなたが生まれた地域、または育った地域は、
あなたの今の性格やライフスタイルや行動様式、
考え方に何か影響を及ぼしていますか?
及ぼしているとしたらそれは、どんなことですか?


、、、そうですねぇ。
私の場合、生まれ育った地域が複数あるので、
全部話し始めるときりがないのですが、
主だったいくつかについて話しましょう。

▼▼▼愛知

まず、私は愛知で生まれています。
県外の人からすると、
まったくピンと来ないと思うのですが、
愛知県というのは、
尾張(名古屋を含む)と、
三河(豊橋を含む)に、
大別されます。

知多半島と渥美半島が、
下を向いたカニのハサミだとするじゃないですか。
カニの胴体をバキッと半分に割るわけですよ。
そうするとこちらから見て、
左側のハサミ(知多半島側)が尾張で、
右側のハサミ(渥美半島側)が三河です。

どんな残酷な説明だよ、っていうね笑。
別にバキっと割らなくて良かったじゃねーかよ、
っていうね笑。

そんで、尾張は三重県に、
三河は静岡県に隣接しています。

県外の人からするときっとどうでも良いんでしょうけど、
愛知県人からすると、
尾張と三河って、
本当に別物なんですよね。

まず言葉が違う。
いわゆる「えびふりゃーがうめーだがやー」
っていう名古屋弁は尾張のもので、
三河は語尾に「だら〜」「〜じゃん」
を付ける、どちらかというと、
静岡弁に近い言葉を話します。

正確には、三河にも、
西三河と東三河があって、
言葉も違ったりします。
あと、正確には知多半島の西側は西三河に含まれたりもします。
でも、もうそうなってくると、
県外の人は着いてこられないと思うので、
ここはそのまま話を進めます。

文化も違います。

名古屋は「名古屋嬢」とか、
「結納が豪華」みたいなイメージがあるように、
一点豪華主義といいますか、
普段はつましく暮らすのだけど、
ここぞというときに「財をひけらかす」
みたいなところがあります。

対する三河は、
そういったところがひとつもない。
「ひたすらつましく暮らす」のです。
とにかく堅実。
東三河はさらにその傾向が強い。

ちなみに、
信長は尾張ですが、
家康は三河です。
2人の性格の違いが、
地域の違いを良く表しています。

そんで、私の両親は東三河出身です。
正確には、父の生まれは佐賀県ですが、
中学のときに家族で豊橋に移住しています。
母は蒲郡生まれの東三河人。
というわけで、私には東三河の血が流れている。

東三河って徳川のお膝元なので、
けっこう江戸幕府に無意識の親近感を覚えている、
という人が多いという気がします(当社比)。
「オラが村の英雄」みたいなノリで笑。

そうすると、明治の薩長政府というのは、
「政敵」になるわけで、
現在の自民党は明治政府の残党ですから、
まぁ、基本的に嫌いですよね笑。

あと、愛知県の人、
これは特に名古屋に言えるんだけど、
東京に対する屈折した感情を抱いていますよね笑。
中日ドラゴンズファン、って、
阪神タイガースファンとちょっと違うんですよ。
ドラゴンズファンは、「巨人が憎い」
ということで結束しているんですよ。
阪神は、勝とうが負けようが阪神が好きなんです。
感情が屈折していない。
中日の場合、屈折している。
中日が勝ったことよりも巨人が負けたことの方が嬉しい。
中日が負けたことよりも巨人が勝ったことのほうが悔しい。

多分ジャイアンツが解体したら、
中日ドラゴンズは存在意義を失い、
解散するんじゃないかと私は思っている笑。

私自身は名古屋人ではないので、
特にドラゴンズに思い入れがあるわけじゃないのですが、
こういう感じって、あるんですよね。

ドラゴンズ感情っていうのは、
愛知県の人が東京に懐く感情を代表していて、
トヨタ自動車がいったん東京に本社を置いたのだけど、
また愛知県に引き返した、
みたいなのも実はそういった感情のあらわれだと思ってます。

あと、リニアモーターカーが、
名古屋をスルーする、
とか、そういうのにもめちゃくちゃ敏感です。
愛知県人はどえりゃー傷ついています。
そういった繊細さとか、
あと、イチロー選手とかトヨタ自動車とかに代表されるような、
一つのことにめちゃくちゃコツコツ頑張るとか、
とにかく「ずっと前のことをいつまでも覚えているしつこさ」
とか、そういうのって、愛知らしいなぁ、と思います。

これらすべては長所であり短所でもあるのですが、
まぁ、私の性格のいくらかは、
愛知県人要素でできているので、
今申し上げたようなことは、
全部、いくらか私に当てはまります。

、、、もっと続けたいので、
このトーク、来週に続く!

かなり良くなってきた

2020.02.03 Monday

第107号  2019年10月1日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼かなり良くなってきた▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
この1ヶ月以上ずっと、
「病状報告」みたいなオープニングトークが続いてきましたが、
これも最後になるかもしれません。

というのも、先週の半ばから、
かなり症状が緩和し、
健康が戻ってきました。

なんか「自分が帰ってきた」
という表現が一番近いですね。
自分が自分でない何かに乗っ取られていたのが、
元の人格がもう一度戻ってきた、みたいな感じ。

主観的な感覚の話をすると、
ずーっと、
脳の電源が切断されていて、
起動しない、もしくはネガティブな方向に暴走しかしない、
という状態から、電源が回復したような感じ。
エネルギーも戻ってくるし、
四六時中続く、鉛のように思考と心が重い感じがなくなります。
脳と心についた「鉛のついた鎖」がとれるような感じです。
眼球に真っ黒のコンタクトレンズを付けたように、
目に入るあらゆるものが絶望色に染まっていたのが、
「世界が色鮮やかさを取り戻す」という感じ。

「生きているって、
 こんなにも軽やかだったんだ!」
という気持ちになります。

90歳の老人が、
ある日起きたら20歳の肉体になっていた、
みたいなことが起きたら、
きっと今の私のように感じるのではないでしょうか。

仕事をしても辛くないし、
活動をしてもエネルギーの枯渇を感じないし、
身体や心や思考が「鉛の鎖」なしに動くので、
今までの仕返しかのように、
バリバリと仕事や活動をしたくなるのですが、
そこは抑えめでやっています。

何事も急激に変化させるのは良くない、
ということを知っていますから。
この時期というのは、
気まぐれに半日とか数時間とか、
症状が戻ってきたりしがちですので、
フルパワーで走ると、
そのときの落差で心が複雑骨折します笑。

最初はウォーキング、
そしてジョギング、
やがてランニング、
最後は疾走、です。

この1ヶ月半の経験は、
もうすぐ支援者の方に配送する、
紙媒体の「陣内俊プレヤーレター」の、
6〜9月号にまとめましたので、
興味のある方は是非読んでいただければと思います。
このメルマガの「7」に、
支援レターの受け取り方法が載っていますので、
新たにレターを購読したいという方はご参考にしてください。


▼▼▼「スティグマ」というもの▼▼▼

「スティグマ」って聞いたことあるでしょうか?
聞いたことあるけど、
良く意味は分からずに使い続ける言葉って、
外来語にはけっこうあるのですが、
スティグマもその一つでしょう。

ここでまず定義を固めておきますと、
ある疾患や特性などに付随する、
世間からの「差別感情」とか「偏見」を意味します。

ネットに載っている定義ではこうなってます。

スティグマ:
個人のもつある属性によって、
いわれのない差別や偏見の対象となること。
語源は、ギリシャ語で肉体上の徴(しるし)を意味し、
ギリシャ人が、差別対象となる奴隷や犯罪者の身体に
烙印(stigma)を押したことによる。


、、、端的に「烙印」をギリシャ語で言ったのが、
「スティグマ」だったんですね。

、、、で、鬱病って、
「スティグマ」の対象になります。

良く「鬱は心の病」とか、
「心の風邪」とか言われますが、
これがすでにスティグマだということを、
多分多くの人が無自覚なままだ使ってると、
私は思います。

私は自分が鬱を体験し、
鬱関連の本をこれまで200冊以上読んできましたが、
そもそも「鬱」と「心」を関連付ける、
カテゴライズの時点で、
医学的な誤りだと考えます。

なぜか?

鬱の生理的な原因は脳にあることが分かっており、
それは脳内伝達物質の異常という、
器質的な変化に基礎をおいているからです。

ところが、脳というのは、
心にも作用します。
脳は言うまでもなく、
感覚、思考、運動、記憶など、
あらゆることに関わります。
その「脳の作用」のひとつが「心」と我々が呼ぶものです。

椎間板ヘルニアになると、
それが胸椎だったら手がしびれ、
場合によっては手に激痛が走ります。
腰椎ならば脚に激痛が走ります。
私も経験したことがありますが、
椎間板ヘルニアによる脚の痛みって、
大人が「痛くて泣く」ぐらい痛いです。
尿路結石症などと並んで、
「三大疼痛」に数えられるぐらい。
神経に直接起因するので、
「脚が虫歯になった」と例えられますが、
まさにそんな感じです。

ここで質問ですが、
ヘルニアは脚の病なのでしょうか?
あるいは手の病なのでしょうか?
症状は手や足に出ています。
手や足に激痛が走るのですから。

でも、ヘルニアは手や足の病ではありません。
坐骨神経という、
脊椎から各身体に向かう神経が、
圧迫されることによる症状が、
手や足に出ているだけであり、
ヘルニアは「脊椎」の病であり、
脊椎の矯正や手術が、
根治の筋道になります。

鬱の場合はどうでしょう?
鬱もまた「心に激痛」が走ります。
心がマラリアに罹患したように、
四六時中、痛みと重さを訴えます。
心はもう動きません。

しかし、
ヘルニアにおける脚の痛みが、
坐骨神経に起因するのと同じく、
鬱における心の痛みは、
脳の器質的な変化に起因します。

ヘルニアが脊椎の病であって脚の病ではないのと同じく、
鬱は脳の病であって心の病ではありません。

しかし世間では、
「鬱は心の病」という言葉がいまだに広く流通していますから、
尿管結石と同じく誰しも罹患しうる、
鬱という病気になったというだけで、
「心が病になった人」という、
「烙印」を押されるわけです。

そう、「スティグマ」ですね。

なぜこれがスティグマなのか?

脳も他の臓器と同じく、
臓器の一つです。
尿路結石やヘルニアと同じように、
それが異常を来し、
病気になることは誰にでも起こりえます。

それはその人の人格や本質とは関係ありません。
「ヘルニア経験者」だということで、
他者から特別な目で見られることはあり得ません。
見られるとしたらそう見ているその人こそ
「変な人」というのが常識です。

ところが「心」となると話が変わってきます。
心というのは「臓器」とは位相の異なる、
定義や解釈が一定ではない、
「何かしらその人の本質」と結びついた概念です。

それが「病気になった」となると、
その人が本質において、
「何かしらの欠陥を抱えている」
という誤解を招きかねない。

実は鬱病当事者も、
それを取り巻く看護者も、
この「嘘」と「誤解」を、
すっかり信じて、
「自分は心の弱い人間なんだ。
 本質において欠陥を抱えているんだ」
と思い込んでしまうことが多いのです。
本人の場合鬱の症状で、
「思考がネガティブに強く向かう」
という状態なので、
余計そう思いやすいわけです。
それこそが鬱の回復を遅らせている、
とういう事実が見落とされています。

私が、鬱病に対する
「認知行動療法」に懐疑的なのはそこです。
認知行動療法の前提って、
「鬱は心(認知)の病」ってことなんですよね。
だから「心の持ちよう」を変えれば、
治るはず、と考えている。

でも、私に言わせれば、
これって椎間板ヘルニアで苦しむ人の脚に、
鎮痛剤を塗り込むのに似ていて、
ほとんど意味はないと考えます。

もちろんこれで「治った」という人に、
とやかく言うつもりはありません。
おめでとうございます、
と思います。

でもね。

「脳」を見逃すことの怖さっていうのもあって、
がんの治療のために、
霊媒師のところにいったり、
怪しげで高価な酵素を買ったりする人っているじゃないですか。
あれと「鬱の認知行動療法」って、
あんまり変わらないと私は思ってます。
唯一効果があるとしたら、
「休んじゃいけない」というマインドから、
「休んでいい」というマインドに、
認知行動療法で変わることが出来たなら、
それは間接的には効果があると思います。

脳の器質的異常という意味の鬱に、
エビデンスのある治療というのは、
現在のところ、
1.投薬(じっさい体質によっては劇的に効きます)
2.休養
だけだからです。

認知を変えることで、
「休養」が加速するならば、
それは意味がある、ということです。

しかし、認知行動療法のアプローチの落とし穴は、
やればやるほど、
「自分の心(認知)が悪い」
という自己糾弾に陥っていくことです。
「自己糾弾」になるのは当たり前なのです。
それは鬱の症状のひとつなのですから。
そう考えているのは、
患者ではなく「患者の病」なので、
それを変えさせようとするのは、
正直「幻と戦う」ようなものです。
「坐骨神経痛の脚に絆創膏」みたいなもんですわ。

なので私は、
世間のスティグマがちょっとでもなくなったら良いなぁ、
と思って、こういうことを当事者として、
発信し続けたいと思っているわけです。

事実、
私の発信によって、
「鬱が得体の知れない恐怖」から、
「付き合うことの出来る対象」に変わった、
という声を、
今まで複数いただいてきています。

そうですよね。

公園の池にいるのが、
「ネッシーかもしれない」ときと、
「巨大なナマズ」と分かったときでは、
ずいぶん対処のしやすさが異なります。

、、、それでもまだ、
鬱が心の病だと、
どうしても思いたい人は、
ご自由にどうぞ。

もし「心の病」というものがあるとしたら、
科学や医療の証拠を無視して、
そういった「決めつけをやめられない」
ことのほうなんじゃないの?

とだけは言い返しておきますが。

鬱の「発作」について その2

2020.01.27 Monday

第106号  2019年9月24日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼ちょっと良くなってきた▼▼▼

8月12日。

今回の鬱症状が戻ってきた日の日付まで、
私は覚えています。
口笛を吹いて歩いていたら、
横っ面をひっぱたかれるような暴力性で、
何の前触れもなしに、
病気に襲われました。

マジで油断していたので、
今回は相当に動揺しました。
やるべきことがたくさんある中で、
まったく身体と思考が動かなくなるので、
足止めを食って本当に焦りましたし、
腹も立ちましたし、
情けないし悔しいし、
涙が出ました。
いつまで続くかも分からないので、
これも本当に辛い。
「また、あと2年とかだったらどうしよう。」
とか思うと本当にぞっとするわけですよ。
辛い日々でもあり、
恐怖に震える日々でもあります。

そんな先週の金曜日、9月20日のことです。
東京が突然涼しくなったあの日、
午前中、私は久しぶりにコーヒーを入れました。
そのエネルギーがあったから。
そして聖書を開き、
デボーションをしました。
鬱状態で聖書を開いたときの、
なんとも言えない追い詰められ感が、
嘘みたいになくなってたから。
そして、1ヶ月ぶりぐらいに、
部屋と机の掃除をしました。
そのエネルギーがあったから。
そんで、たまっていた仕事に着手しました。

午前中は集中力が持ちました。
「お、これは行けるかもしれない」
と思い、午後も本を読んだりしようとしましたが、
それは叶いませんでした。
内容が頭に入ってこない。

それから5日が経ちますが、
現在は、午前中は思考力が戻ってきます。
仕事も出来ています。
8月12日以前の水準にはほど遠いですが、
でも、ちゃんと思考も動くし、
まともにモノを考えることが出来る。
ネガティブ思考の重力もなくなったし、
身体と脳みそに鉛のおもりがついている感覚もない。
なぜか本だけは今も読めないのだけど。

鬱症状のときって、
ハエ取り紙の上を歩いてるような身体の重さがあり、
水中で会話するような苦しさと意識の混濁があるのですが、
少なくとも午前中は地上をちゃんと歩けていて、
地上で会話を出来るようになってきている。

これはいいぞ、
というわけで、
オープニングトークを書いています。

ただ、夕方になると、
ちょっと症状がまだ戻ってきます。
鉛が戻ってくる。

特に面白いとも思えない、
ゲームをして時間をやり過ごしたりしています。

今の健康状態はそんな感じです。
総じて、かなり回復した、
と言って良いでしょう。

ただ、
何のために1ヶ月を「えぐり取られなければ」ならなかったのか、
なぜ私はこんなハンディキャップとともに、
生きていかなければならなくなったのか、
その理由については分かりません。

2年間の療養を経て、
なんか病気と上手く折り合いを付けられたと思ったし、
病気と「和解」したつもりでいたのだけど、
やはりじっさいに症状が戻ってくると、
マジで地獄だし、
それ以上でもそれ以下でもない、
という気がしてきます。

無性に腹立たしいというか、
やるせないというか、
憤懣やるかたないというか、、、。

でも、きっと意味があるのだろうな、
とは思っています。

北海道の「べてるの家」の当事者のひとりが、
「精神分裂病は僕の天職です」
って言ってるんですが、
その領域には私は達していない。
病気との和解は、
私が思っていたほどには、
まだ達成されていなかったようです。

、、、でもね。

今朝、創世記33章を読んだんですよね。
ヤコブとエサウが和解するシーン。
聖書を読み慣れている人には、
説明する必要はないと思いますが、
ヤコブは20年ぶりに兄エサウに会います。

最後に彼の顔を見たとき、
エサウはヤコブに殺意を持っていました。
ヤコブが父の祝福を欺して奪ったからです。
母のリベカは兄弟殺しを避けるため、
ヤコブをラバンの元へと送ったのでした。

そんでいろいろあって、
ヤコブは20年後、
2人の妻と12人の子どもたちと、
多くの家畜と財産と奴隷を引き連れ、
父の家に向けて旅立ちます。

そんで、いよいよ兄エサウと対面する。
緊張しますわ、そりゃ。

まだ殺意があるかもしれないですから。

出会った瞬間殺されるかもしれないですから。
「明日が俺の命日になるかもしれない」
とヤコブは思ったわけですよ。

そんで、ヤコブは生まれながらの謀略家ですから、
いろいろ考えて作戦を練るわけですよ。
まず、「贈り物隊」っていうのをつくるわけです。
そして、その贈り物によって、
エサウの気持ちを軟化させて、、、
って思うわけですよ。

それでもヤバかった場合のために、
隊列を組んで、
贈り物隊→妻たちの部隊→自分
っていう風に、
自分がしんがりになって、
襲われても自分の命だけは助かるように考えたりするんですわ。

いや、マジで。

ヤコブってそういう奴です笑。
そういうところがある。

ところが、
かの有名な、「ヤボクの渡し事件」
っていうのが起きるんですわ。

「明日が命日かもしれない」夜、
彼は神と格闘するのです。
ヤコブは天使だと思っていたけれど、
それは神ご自身だったんです。

ちなみに余談ですが、
この「ヤコブと神との取り組み」こそが、
世界中に散らばった、
「相撲」のルーツという有力な仮説があります。
「相撲」って、ヘブル語の「シュモー(彼の名)」
から派生したかもしれない、という説。

沖縄相撲やモンゴル相撲など、
そもそも相撲は西側から伝来した可能性が高く、
西アジアでは創世記の物語は古代に語り継がれていたはずで、
地理的にもあり得ない話ではありません。

マジで余談でした。

、、、で、「ヤボクの渡し事件」ですよ。

その晩、夜通し神と格闘したヤコブは、
神に「もものつがい」を打たれます。
ヤコブは負傷したわけです。
そんで神は、「あなたは神と戦って勝った」と言って、
「イスラエル(神は戦う)」という新しい名前を、
ヤコブに与えます。

旧約聖書において、
「名前が変わる」というのは、
その人の性質や立場が変わる、
ということを意味します。

その証拠に翌朝ヤコブは、
当初の「贈り物とかいろいろ作戦」を、
すっかり忘れたかのように、
自分が一番先頭に立って、
エサウに会いに行きます。

20年間エサウにもいろいろあったのでしょう。
あの殺意は嘘のように消えており、
二人は抱き合って再会を喜び合います。

、、、で、
エサウは、ここから一緒に旅を続けて、
一緒に故郷に帰らないか?
とヤコブに提案します。

今朝私が読んだのはこの箇所でした。

ヤコブはその申し出を断るんですよね。
その理由が面白い。

創世記33章13〜14節

あなた様もご存じのように、
子どもたちは弱く、
乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。
一日でも、ひどく追い立てると、
この群れはすべて死んでしまいます。
あなた様は、しもべより先にお進みください。
私は、前を行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、
ゆっくり旅を続け、あなた様のもと、セイルへ参ります。


、、、ようするにヤコブは、
「一番遅い子どもや仔牛、子羊に合わせて、 
ゆっくり旅をしますから、
お兄さん、どうぞ先に行っててください」
って言ってるんですよね。

これって、
イスラエルという新しい名前と性質によるのもあるけれど、
実はヤコブが「負傷」したことも、
関係あるんじゃないのかなぁ、
と今朝思ったわけですよ。

そもそもヤコブは、
「早く歩けない身体」になってたんじゃないかって。

最も遅い人の歩調に合わせる、
っていうのは、
現代世界ではあまり歓迎されないし、
ビジネスの世界なんかだと、
「そんな甘い考えじゃ生き残れない」
とか言って、切り捨てられるのが落ちでしょう。

もっと早く、
もっと強く、
もっと賢く、
もっと先へ、
という強迫観念によって、
社会全体が駆り立てられているので。

健康なときの私は、
わりとそういう環境の中で、
ある部分では立ち回れちゃったりします。
あんまり立ち回れなていことも多々ありますが笑。

しかし、病気を抱えていることで、
びっこを引いて歩くヤコブみたいに、
決定的に、健常者と旅行するのが不可能になり、
「一番遅い人と一緒に、
 俺はゆっくり行くわ」
っていう視点を獲得したりする。
私にとっての鬱症状とは、
ヤコブにとっての「もものつがい」なんではないかと、
今朝思ったわけです。

ヤコブにとっての新しい名前が、
「神は戦う(イスラエル)」だったのも、
けっこう示唆的です。

ヤコブって、
生涯、「策士」なんですよね。
謀略を巡らし、
自分の有利に事を運ばせるのが、
抜群に上手い。
そういう立ち回りの狡猾さが、
彼を特徴づけています。
彼の名前(かかとをつかむ者)っていうのが、
それをよく表しています。

それが「神は戦う」になった、
っていうのはパラダイム転換なんですよね。

俺がやるんじゃなく、
神がやってくださる、
ってことですから。

ヤコブは、それによって今まで生き抜いてきた、
自分の最大の長所であり、
そして短所でもある、
「狡猾な謀略家」という部分を、
神によってパラダイム転換されるわけです。
その象徴が、「もものつがい」なんですわ。

私もまた、
自分の最も強い長所というのは、
「論理的思考力」だと思っています。
しかも、垂直方向のそれは、
けっこう自信があって、
あまり誰かに負ける気はしません。
これを自分を利するためだけに使ったら、
多分バチが当たると思うので、
こんな仕事をしているぐらいですから。

ところが、ヤコブの例を見ても分かるように、
実は最大の長所というのは同時に最大の短所でもあるので、
神はその人を「内的な外科手術」みたいなことを、
する必要があったりするんですよね。
特に俺みたいに、
神に特別愛されちゃってる人間は笑。

鬱症状というのは、
まさに「論理的思考力」が、
破壊されます。
脳のCPUがぶっこわれる感じなので。
感情や思考の道筋を御することが出来なくなる。
脳みその手綱を握ることが出来なくなる。
コントロールを完全に失う。

そんなことをヤコブの話を読みながら、
考えたわけです。

、、、とにかく病気の1ヶ月、
私は完全に歩みを止めました。

何も得ていません。
失ったものはあります。
「自信を失った。」
それだけです。
あと、自己評価が著しく下がりました。
(心理学とかの自己肯定感、
 とかとは違います。
 単純に自己成績表が下がったというだけです。
 それは当たり前です。)

でも、まぁ、
私が頑張ろうが頑張るまいが、
有能だろうが無能だろうが、
神がやってくださることと比べたら、
「誤差」みたいなもんなんだよなぁ、
という達観みたいなものを、
ちょっとだけ学べた気がします。

私が「95点から5点になっちゃったよぉおぉぉ〜」
と泣いていたとしても、
実は「神がしてくださる部分」というのは、
1億点ぐらいあって、
1億95点と、
1億5点ぐらいの差しかないのでは?
みたいなことです。

どこまで伝わってるのか分からないけれど。

病気という濃霧の中を抜けて、
ちょっとだけ視界が良好になってきたところで、
そんなことを考えていました。

とにかく言えるのは、
私の妻は素晴らしすぎる、
ということですね。
妻の徹底した神への信頼と励ましとサポートがなければ、
濃霧の中から脱出できてませんから。
神様には天国に行ったら、
私ではなく妻に、
何らかの賞を上げてほしいです。

うつ病の「発作」について

2020.01.20 Monday

第105号   2019年8月27日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼うつ病の「発作」について▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週は体調不良のため、
メルマガを発行することができませんでした。
ご心配をおかけいたしました。

まぁ、体調不良でメルマガを発行できなかったことって、
初めてではないのですよね。
たしか2017年の8月にも、
体調が悪くなって休刊しました。

2013年末から2年間、
私は燃え尽き症候運によるうつ病を煩い休職しました。
その療養のことも、このメルマガに何度か触れてきました。
2015年12月に「寛解」して、
2016年1月から仕事に復帰しました。

それから3年が経ちますが、
この間、何度か「症状」が戻ってきて、
長いときは1ヶ月ぐらい、
短いときは1週間ぐらい、
「期間限定」ではあるけれど、
鬱の症状が戻ってきたことがありました。

不思議なことに、
症状が戻ってくる「時期」には一定の法則がありました。
それは「お盆」「正月」「GW」です。
つまり世間が休んでいるときなんですよね。

けっこう誤解している人が多いですが、
うつ病というのは認知(脳)の不具合であると同時に、
身体の不具合でもあります。
脳の働きに影響を与える脳内物質に、
器質的な変化が起きているのが原因なので、
その症状の基礎はあくまで「身体」にあります。

養老孟司がよく言っているように、
「身体」は「自然」に属するので、
脳によってコントロールすることは不能です。
意思の力で腎臓病になれる人がいるでしょうか?
逆に意思の力で腎臓病を治せる人は?
そんなことは不可能です。

「身体」は意思の力でコントロール不能なのです。
ですからうつ病もまた、
意思の力ではコントロール不能です。
ところが「身体」の都合で、
暴力的に、誰にでも襲ってくるうつ病ですが、
その症状は「認知」に現れます。

だから「うつ病は認知が引き起こす」
という間違った推論が蔓延しているのです。
「認知行動療法」が、
その根本に抱えている誤謬はここにあります。

うつ病は「認知の矯正」によっては治せません。
だって器質的な変化がその基礎にあるのだから。
「気の持ちようが悪かったからうつ病になる。
 気の持ちようがよくなればうつ病は治る」
という暴論を振り回す人は、
「腸捻転を気合いで治療する」
といっているような危うさを秘めています。

下手したら死ぬ人が現れる。
これは危ない。
私はこれを何度でも言います。

、、、話を戻しましょう。

うつ病に「根治」はありません。
椎間板ヘルニアをやった人が、
生涯にわたって腰痛と付き合い続けるのと同じで、
うつ病を一度患った人は、
生涯にわたり鬱症状と上手に付き合いながら
生きていくことになります。
「俺は根治した」と言っている人は非常に危険です。
その思い上がりこそが身体に無理を強い、
次のうつ病を引き起こし、
そして「自分は健康だという思い上がり」と、
病気になったときの「落差」というのは、
破局的な結果をもたらす原因になりますから。

バナナマンの日村さんがラジオで昔言ってたのだけど、
彼はハンカチにうんこの刺繍をして、
持ち歩いているそうです。
というかドSの設楽さんに持たされているのだけど笑。
その「うんこのハンカチ」の意味は何かというと、
それを観るたびに、一日何回も、
「おまえはうんこのような存在なんだぞ。
 思い上がるなよ。
 いいか、人がちやほやしたとしても、
 おまえはうんこだということを忘れるな!」
という自分への戒めのためなんだそうです。

うつ病を経験した私も、
そのような気持ちでいなければいけません。
「いいか、お前は健康なみんなの仲間だなんて、
 思い上がったら駄目だぞ。
 お前はいつでも破局のリスクを抱えている。
 頑張りすぎるなよ。
 大量の仕事を安請け合いしたりするなよ。
 自分は人の半分ぐらいしかキャパがないことを、
 いつだって忘れるなよ。
 人がほめてくれても浮き足立つなよ」
と、自分を戒める必要がある。
私も「心にうつ病の刺繍のハンカチを持つ」
必要があるのです。

ことほどさように、
うつ病には「根治」はなく、
「寛解」しかありません。

寛解したうつ病が「戻ってくる」のは、
だから当たり前のことなのです。
それが私の場合、世間の大型連休と重なる傾向にある。

その原因について私なりに自己分析しますと、
多分世間が休んでいるときに、
無意識の領域とつながっている「身体」が、
「症状を出すなら今だ」というように、
いろんなストレスや疲れを
顕在化させるのだろうと思うんですよね。

そんな気がしてならない。

「今だ、休め!」って。
これもよく言われるのですが、
鬱症状というのは「休め!!!!」という、
身体(器官としての脳)からのSOSサインです。
警報器が鳴り響き、
「休め!!」
と身体がメッセージを発してくれているのです。

、、、で、私の場合、
それが大型連休と重なる。
ところが最後の記憶は2017年のお盆で、
それ以来うつ病の症状は出ていなかったのですよね。

「俺は治った」という思い上がりこそが、
最も危険なことを私は知っていますから、
「おまえは健康などではない。
 調子に乗るなよ。
 頑張りすぎるなよ。
 休みながらやれよ。
 思い上がるなよ。」
と普段から言い聞かせ、
前もって休むようにし、
動き回ったらしばらく立ち止まり、
人よりもかなり長時間の睡眠を取り、、、
という予防措置をしていたので、
それが上手くいっていたのだろう、
と私は思っていました。
ハンカチが自分を救ってくれていた、と。
結構俺も、危機管理ができてるじゃないかと。

ところがそれでもまだ、思い上がっていたのですね。

あれは2週間前、お盆の始まる週、
つまり8月12日のことでした。
いつものように朝のルーティンを終え、
デボーションをして、
仕事に移ろうとすると、何かがおかしい。

明らかに何かがおかしい。

先ほど鬱症状の再来には慣れている、
と書きましたが、その症状の辛さが減るわけではありません。
こんなもの、何度やっても慣れるわけがありません。
ヘルニアや痛風の痛さを何度経験しようが、
痛みが減るわけではないのと同じです。

で、「あ、やばい」と思いました。

「あいつ」が帰ってきた、と。

まず、考えられない。
頭に霧がかかったような状態になります。
思考はさび付いた機械のように動きが鈍くなり、
感情面では、心に重い鉛が括り付けられたように、
ずしんと心が重くなります。
感情を表す表情筋はこわばり、
笑顔が引きつり、表情が上手く表せなくなります。

まず最初にできなくなるのはアウトプットです。
高度な情報操作は不可能になります。
次に読書ができなくなります。
左脳を使った言語操作、情報処理ができない。
なので、私の生活にはほぼあり得ませんが、
この2週間、軽い小説を除いて、
ほぼまったく読書ができていません。
メルマガ執筆などできるはずもない。
だから、先週は休んだ、というわけ。

情報処理の回路が回らないので、
基本的に映画も観られません。
あと、テレビなどの気晴らしもあまり効果ありません。
感情の動きがおかしくなってるので、
すべてがネガティブにしか受け止められない。
楽しい番組を観ても苦しいし、
美味しい食べ物と食べても苦しい。
「楽しい、うれしい、幸せだ、希望がある」
という感情が、働かなくなります。

繰り返しますがこれは、
「気の持ちよう」とは関係がありません。
もちろん、信仰ともまったく関係がない。
「信仰があれば鬱にならない(直せる)」
などという寝言を言っている人は、
本当にこの社会から退場すればいいのに、
と思います。

ダルビッシュの言葉を借りるなら、
神龍(シェンロン)に願いを叶えてもらえるなら、
そういった「信仰マッチョイズム」を唱道する人たちが、
どうかこの世界から消えていなくなりますように、
と思います笑。

まぁ、冗談ですけど。

話を戻します。

「あいつ」が戻ってくると、
正常な思考回路はすべて遮断され、
あらゆることがネガティブに解釈されます。
何かをしようとすると、
「これは必ず失敗する」
という声が脳内に響き渡ります。
これを言うのは100回目ですが、
これは信仰があるとかないとか、
そういう話ではまったくありません。

関係がないのです。

信仰に満ちあふれた人がぜんそくになったら、
きっと息をするのが苦しくなると思います。
信仰があってもなくても同じことです。
信仰がある人が鬱になると、
必ずネガティブ思考が暴走します。
ぜんそくの「ゼーゼー」と同じですから、
それは気の持ちようとはまったく関係がありません。

安静にして適切な治療を受けるのが最重要です。

私は「あいつ」のことを、
「うつき」と呼んでいます。
妻が私の闘病中に、
私の病気のことを名付けてくれました。
絵本まで書いてくれました。

それによって私は、
「あいつ」と和解することを覚えました。
禁忌し、毛嫌いし、追い出そうとすればするほど、
症状が重くなるのが「あいつ」の特徴です。

「おぉ、帰省したか」
と、親戚の甥っ子を歓迎するような気持ちで、
受け止め、懐かしみ、抱きしめてあげるのが「吉」です。

とはいえ、
症状は苛烈なわけですよ。
やっぱり。
「死にてー」と毎日思います。
冗談とかじゃなく。
希死念慮も症状の一つですから、
「そんなこと思っちゃだめだ!」
みたいなのはまったくナンセンスですから、
これも言っておきます。
100回目ですが。

とにかく、
「生きるエネルギー」という川の水が、
ある日突然、水道のポタポタぐらいの水量になる、
みたいな感じです。
家庭の電力のアンペア数が、
ある日突然100Aから1Aになるようなものです。
豆電球一つでブレーカーが落ちる。

あー、うつきが帰省したなぁ。

そう思った日から、
私は2年間ご無沙汰していた、
据え置き型のゲーム機を引っ張り出しました。
うつ病の症状に対する、
いくつかある私の対処法の引き出しのひとつが、
「ゲーム」なのです。

ゲームはひとつの逃げ穴になります。
知的な操作が働かない。
感情が動かない。
ネガティブ思考の溶鉱炉が暴走する。
楽しいことが楽しくなく、
うれしいことがうれしくなくなる。
コーヒーを入れる力も失われる。
聖書を読むのもつらい。
パソコンを開いても、仕事らしい仕事ができないので、
次第にパソコンを観るのもつらくなってくる。


▼▼▼ぜんそく発作とうつ病とゲームと

予定されていた奉仕などはこなしました。
お茶の水クリスチャンセンターで打ち合わせをしたり、
日曜日に教会でメッセージをしたりしました。
18日、25日の2回。
そういうときは、本当に神の助けがあり、
なんか、できるのです。
いや、させていただけるのです。
その翌日は使い物にならなくなりますが。

しかし、それ以外は基本的にゲームをしていました。
別に楽しいわけではないけれど、
ゲームを起動することで思考を麻痺させるために。
「とにかく休め」という身体からのサインなので。

あと、週に2,3回、ジムにも行きました。
身体を動かすことで何かが好転するかもしれない、と。
しかし、ジムで涙が出てくるんですよね。
そもそもジムで鍛え始めたのって、
病気で劇落ちした体力を、
すこしでも取り戻して、
生まれてくる子どもと遊んだり、
家族を養う労働に精を出したり、
そういうことが目的だった。

それなのに、今の俺は何だ。
いったい何なんだ。
病気の前にあまりに無力で、
悔しくて、情けなくなって、
デッドリフトのインターバルで、
ベンチに座っていたら涙が出てきました。
無力感や悔しさからか、
病気の症状からかは分かりませんが。

多分、両方です。

ジムの良いところは、
涙が出てきても、
汗だか涙だかわからないところですね。
タオルで顔を拭けば容易にごまかせる笑。

とにかくそんな感じで、
結構「追い詰められ感」があるんですよね。

仕事→できない
アウトプット→できない
読書→できない

みたいに、
できたことがどんどん潰されていって、
「コーナーに追い詰められる」感じというか。

その最後の最後のコーナーのひとつがゲームです。
ゲームって、前頭葉を麻痺させるんですよね。
だから、思考を停止させてくれる。
ネガティブ思考の暴走が止むんです。
あと、時間をすげー「食ってくれる」。
身体と頭を休ませ、
時間の経過を待つことが、
うつ病の万能薬なのですが、
その「時間を過ごす」ことが非常につらい。

みんなは働いているのに俺は休んでいる、、、。
このままでは俺の人生はどうなるんだ、、、。
とか思いながら、
罪責感と焦燥感に押しつぶされそうになり、
ぐっと手の甲を噛んで、
椅子に座って打ち震えている、、、、

みたいな時間が、
本当につらいのです。
本当に、本当につらい。

私は小学生のときぜんそくの発作を抱えていましたが、
ゼーゼーいいながら、
呼吸がつらいよー、
っていうこと以外何も考えられず、
椅子に座っている時間は永遠に思われました。

ところがぜんそくのときも、
一瞬、ゲームに夢中になれたりします。
そのときは2時間があっという間に過ぎる。

大人になっても同じ手法を使っています。

、、、とはいえ、
ゲームですらできない、
という極限状態になることもあります。

そのときは、
布団に横になり、
くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンを聴きます。
そうすると寝られる。

私は有田と上田にいつも救われています。

、、、今はどうか?

「ゲームの時期」は過ぎて、
できません。
ゲームのスイッチを押せないフェイズに入った。
読書?
できません。
できるわけないじゃないですか。

でも、昨日ぐらいから、
時間限定で、
普段の半分ぐらいですが、
仕事をできるようになりました。

嘘みたいに。

経験的にこの3年間、
短期の症状の再来は、
発症も嘘みたいですが、
治るときも嘘みたいに治ります。

そろそろ「うつき」も役割を終え、
自分の故郷に帰っていくころかなぁ、
と思いながら、
でも、「早く帰れや!仕事したいねん!」
という悪意は出さないように、
丁重にお引き取りいただく、
というような態度でいます。

「来てくれてありがとう」と。
俺に休みが必要なことを教えてくれてありがとう、と。
うつきは「神からの使者」だと思ってますから。
アブラハムが天使をもてなしたように、
私はうつきをもてなします。

そんなわけで、
うつきが今のところ半分帰っているので、
「いまだ!」と思って急いでメルマガ書いてます。

先週急に休刊して、
いろんな人にご心配をおかけしたので、
早く病状報告せねば、と思って。

そんなわけで、来週もどうなるかわかりませんが、
まぁ、そんな感じです。

別に大変じゃないわけじゃないけど、
大変なわけでもありません。

安心してください。

自分でも何を言ってるか分かってません笑。

そんな感じです。

人生を生き抜くのに最も必要な資質

2020.01.13 Monday

第104号   2019年8月13日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼人生を生きるのに必要な資質▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいきましょう!

▼質問:人生を生き抜くのに最も必要な資質を
ひとつだけ子どもに教えるとしたら、それは何ですか?


、、、そうですねぇ。
これは決まってるんですよね。
まぁ、ほんとうに色々あると思うんですよ。
言い始めたらきりがないですから。
「愛すること」とかさぁ。
ただ、そういうのって、
ちょっと広すぎて、
こういった質問の答えとしては、
あまり適切じゃないと思うんですよね。
ズルいので。
人生で大切なことは?
「愛です」とかって、
Q「好きな食べ物は?」
A「おいしい食べ物」
みたいな感じなので。

なので、愛とか赦しとか、
そういうビッグワードを避けるとすると、
私は「ひとつだけ子どもに教えるとしたら」
という質問の答えは、
「好奇心」になるでしょうね。

英語で「センス・オブ・ワンダー」です。
この言葉を作ったのは、
『沈黙の春』を書いて環境保護運動の先駆けとなった、
著述家レイチェル・カーソンだと言われています。
カーソンの『沈黙の春』は、
池上彰が、聖書や資本論と並べて、
「世界を変えた10冊」に選んでいるほど、
20世紀を代表する重要な著作です。

『沈黙の春』を執筆中、
カーソンは癌に冒されていて、
この本が完成するのが先か、
もしくは自分が死ぬのが先か、
という「時間との闘い」でした。

その彼女が、
「世界へのメッセージ」として残したのが、
遺稿である『センス・オブ・ワンダー』でした。
DDT農薬の問題を告発する『沈黙の春』とは打って変わり、
この本は子どもに向けた愛と暖かさに溢れています。
そして「人生を肯定すること。」
「問題だらけかもしれないが、
 それでもこの世界を肯定すること。」
そういった人生に対する基本姿勢を、
彼女は次世代に伝えたかったのだ、
というのが本書を読むと分かります。

彼女が子どもたちに、
「いちばんたいせつなこと」として残したのが、
「センス・オブ・ワンダー」だったのです。
日本語で適切な言葉が当てはまらないのですよね。
単に「好奇心」とも違う。
「知的好奇心」。似ているがちょっと違う。
「知らないことを知りたいという、
 わくわくするような気持ち。
 知らないことを知ったときの、
 『分かった!』という胸躍る感動。
 そして『世界は知らないことに溢れている』という、
 自分の知が限られていることに対する、
 謙虚な態度と造物主に対する畏怖の思い」
というのが私の「私訳」になります。

なげー。

だから、「センス・オブ・ワンダー」と、
ひとことで言ってしまったほうが良いのです。
ちと長くなるけど、カーソンの本から引用しますね。

▼参考リンク:『センス・オブ・ワンダー』
http://amzn.asia/gib1RgS

→P23〜24 
〈子ども達の世界は、
いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激に満ちあふれています。
残念なことに、
私たちの多くは大人になる前に澄み切った洞察力や、
畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、
あるときには全く失ってしまいます。

もしわたしが、
すべての子どもの成長を見守る
善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」
を授けて欲しいと頼むでしょう。

この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、
かわらぬ解毒剤になるのです。

妖精の力によらないで、
生まれつきそなわっている子どもの
「センス・オブ・ワンダー」を
いつも新鮮にたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを
子どもと一緒に再発見し、
感動を分かち合ってくれる大人が、
すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

多くの親は、
熱心で繊細な子どもの好奇心に触れるたびに、
さまざまな生き物たちが住む複雑な自然界について
自分が何も知らないということに気がつき、
しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、

「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、
どうしたらできるというのでしょう。
わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」
と嘆きの声をあげるのです。

わたしは、子どもにとっても、
どのように子どもを教育すべきか
頭を悩ませている親にとっても、
「知る」ことは、「感じる」ことの半分も
重要ではないと固く信じています。

子ども達が出会う事実のひとつひとつが、
やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、
この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

美しいものを美しいと感じる感覚、
新しいものや未知なものに触れたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの
さまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、
次はその対象となるものについて
もっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけ出した知識は、
しっかりと身につきます。
 (中略)
もし、あなた自身は自然への知識を
ほんの少ししか持っていないと感じていたとしても、
親として、たくさんのことを子どもにしてやることが出来ます。

たとえば、子どもと一緒に空を見上げてみましょう。
そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、
流れる雲、夜空に瞬く星があります。
子どもと一緒に風の音を聞くことも出来ます。
 (中略)
そうした音に耳を傾けているうちに、
あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。
雨の日には外に出て、雨に顔を打たせながら、
海から空、そして地上へと姿を変えていく
ひとしずくの水の長い旅路に思いを巡らせることも出来るでしょう。

あなたが都会でくらしているとしても、
公園やゴルフ場などで、
あの不思議な鳥の渡りを見て、
季節の移ろいを感じることも出来るのです。
さらに、台所の窓辺の植木鉢に蒔かれた一粒の種子さえも、
芽を出し生長していく植物の神秘について、
子どもと一緒にじっくり考える機会を与えてくれるでしょう。〉


、、、この引用で十分だと思うのですが、
子どもが矛盾と残酷と問題に満ちた、
この不完全な世界を、
それでも生きていくために必要なことは、
「センス・オブ・ワンダー」を持つことだ、
と私は心から思います。

これさえ教えることに成功すれば、
あとは大丈夫です。
子どもは「勝手に学んでいき」ますから。
「センス・オブ・ワンダー」はだから、
「メタ能力」なのです。

「たくさんの知識」は、
すぐに陳腐化します。
しかし、「知的好奇心」がある人は、
その知識を常にアップデートし、
再定義し、磨きをかけ、
生き残っていくことができます。

また「知らないモノに対する好意的な興味」
というのは、「自民族中心主義」からも、
私たちを守ってくれます。
自分の知らない他の文化がある。
自分の知らない他の人種がいる。
自分の知らない他の土地がある。
こう言ったもの対する純粋で好意的な関心がある人は、
他者に敬意をもって学び続けることができます。

他国のことなどほとんど何も知らないくせに、
「日本こそがイチバンだ!!」
と絶叫するバカにならないために必要なのも、
じつはこの「センス・オブ・ワンダー」です。

カーソンは引用のなかで、
子どものセンス・オブ・ワンダーを殺さないためには、
それを共有してくれる大人が、
そばに「ひとりだけ」いれば十分、
と言っています。

私は子どもにこれを授けることができたら、
親としての役割は90パーセント終わった、
と言って良いぐらい大事だと思ってます。

今の仕事以外の何で生計を立てるか?

2020.01.06 Monday

第102号   2019年8月6日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼今の仕事以外の何で生計を立てるか?▼▼▼

▼質問:
今の仕事(業種)を辞めなければならないとなったとき、
あなたは何で生計を立てますか?


、、、そうですねぇ。
私は自分の今の仕事が、
「不安定な仕事」なので、
このことは結構考えますね。

10年後どころか、
5年後や、
もしかしたら1年後も、
今の形で仕事を続けられるかどうか分からない。
私と同じように、
団体からの給料ではなく、
セルフサポートで宣教活動をしている人や、
零細な個人事業主や、
作家や芸術家などのクリエイティブな個人事業者は、
たいてい同じ気持ちだと思いますが、
来年も「食えている」という保障はどこにもありません。

今まで10年間、
こういった形で働きを続けてこられたのは奇跡みたいなものです。
来年もそれが続くなんていう保障なんてないんです。
本当に。

資金が干上がれば、
即、今の形で仕事は続けられなくなる。
それだけです。

なので、私はいつも、
「臨戦態勢」です。
いつ収入がなくなっても、
次の仕事ができるように、
自分のコンディションを整えている。

私の場合、
「経営」には向きません。
マネジャーの才能がない。
お金を集めるのも儲けるのも不得手だし、
組織を構築したり維持したり、、
というのも苦手というか、
そもそもそういったことに「情熱」がありません。

なので私の場合、
「自分の労働力」という商品を売って、
糊口をしのぐという生き方しかないと思っています。
生まれながらのプロレタリアートなのです。
「金持ち父さん、貧乏父さん」の、
ロバート・キヨサキには罵倒されるでしょうが、
「うるせえ、バーカ」しか思いませんね。
人には向き、不向きがあるのです。
適性のないことを続けると身体を壊します。
2013年にうつ病になってよく分かりました。

というわけで、
私の場合「自分の労働力」が、
自分と家族の糊口をしのぐための、
唯一で最後の砦なわけですよ。

私が昨年から筋トレを始めたのは、
そのような理由もあります。
「いつでもトイレ清掃員になれるように」
身体を鍛えているのです。

身体さえ動けば、働けますから。
そして真面目に働きさえすれば、
「稼ぎに追いつく貧乏はない」ですから。
なんとか生きていけます。

あと、頭脳の筋トレも怠りません。
というか、自分で言うのは口幅ったいですが、
この10年で、
私の思考力・言語運用能力・知識の幅と深み・
知的生産性・知的創造力・アウトプット力
といった能力は、
たぶん普通の会社員の比じゃなくなりました。
普通の会社員の同年代とではありません。
いかなる年代の会社員にも、
まったく負ける気がしません。

自分で言うのは口幅ったいですが(2回目)、
ちょっと「違う次元」にいったという実感があります。

100%確実に言えるのは、
30歳のときに公務員を辞めていなければ、
41歳の私は確実に身体がたるんでおり、
そして本もあんまり読まないし、
思考力や文章力も、今の半分もなかったということです。
頭脳も身体も中年太りしていたはずです。
「つまらないおじさん」になってただろうなぁ。

私の感覚的な表現になりますが、
公務員の時代の私って、
「カニ」とかに近かったのですよね。
かつての私は「甲殻類」でした。
市役所という「固い甲羅」がある。
その中にある「かに味噌」が職員です。
自我なんて持っちゃいけないんです。
仕事で自己実現なんて考えない方が良い。
仕事は仕事と割り切り、
適当に頑張ればいい。
趣味で自己実現をする。
これが公務員の生き方です。

ところが、公務員を辞めて、
フリーランサーになってから、
「カニ」じゃなくて、
「ほ乳類」になる必要が生じた。
自分を庇護し支える構造が外部にないから、
自分の中に「骨」を持つ必要が生じた。
それが会社員とは異なる次元の健康管理だったり、
会社員とは異なる次元の「勉強」や自己研鑽です。
それが10年続くと、
もう、能力的に異次元になります。
これはマジです。
多分、私じゃなくてもそうなります。
「環境が人を作る」のです。

しかしながら、それでもまだ、
会社員のほうが「稼ぐ能力」は高い。
「会社」というレバレッジは、
個人の能力を20倍以上高める「テコの原理」なのです。
フリーランスはだから、効率悪いんですよね笑。
正直言ってあんまり良いことないんだけど、
「個人としての能力が高まる
(というより、高めないと生き残れない)」
という、副産物があります。

ただね。

知的に生産的な仕事というのは、
巡り合わせがとても大切なので、
上手くこういった才能を活かせる、
「ポスト」といますか、
「ちょうどあなたみたいな人探してたのよー」
という「出会い頭」があればいいのですが、
それがなければ、基本的にそれを仕事にする、
というキャリアパスの門戸は狭い。

より汎用性の高い技能は、
「身体を使って汗を流す」ほうでしょう。
40を過ぎた中年は仕事を選べません。
選んでいただく側です。
なのでまぁ、ゴミ清掃とか、
いつか自分は、トイレの清掃員とか、
そういった仕事をいつかするのだろうな、
と、この10年間、思い続けています。

別にそれが、
「失敗」だとも思いませんし。
トイレ清掃員ほど尊い仕事は、
他にないともいえますし。
私の「最高の仕事」の原風景は、
手ぬぐいを片手に弟子の足を洗うイエスです。
誰かの足を洗うことに、
トイレ掃除とかって、近いですからね。

あるいは獣医師の資格を用いて
働くこともあるかもしれません。
キリスト教関係で、「あなたみたいな人探してたんだ」
「ちょうどいいところにいたね」みたいな形で、
必要としていただけることがあるかもしれません。

マジで未来がどうなるか、
ほんとうに分からないのです。
こんな風に未来が不確定なまま、
10年間生きてきました。
これって安定志向の日本人には、
あまり理解されない生き方なのですが、
最近これって「動的な安定」と呼べるのではないかと気づきました。
形は違うが、「別の形の安定」なのではないかと。

どういうことか?

走ってる自転車や、まわるコマって、
静止画だと不安定じゃないですか。
でも、動画だと安定しています。
立っているビルの場合、
静止画でも動画でも安定しています。
というか、静止画と動画の差がありません。

公務員や大企業の社員のような、
「30年後の給料も計算できる」立場って、
「立っているビル」に近いと思うんですよね。
「静的に安定している」。
私は走っている自転車のようなもので、
毎年「来年どうなるか分からない」
といいながら、10年間それでも生きてきたのです。
それって「動的安定」と言える。
その状態って、「安定と停滞をはき違える」
という間違いを犯すリスクから自由なので、
じつは不確実な今みたいな時代には、
「静的な安定」を続けた結果、
「停滞による破局」を迎えるよりも、
よいことなのではないか?

トーマス・フリードマンの
『遅刻してくれてありがとう』
を読んでから、ますますそう思うようになりました。

最後に私の職業観を申し上げますと、
24歳で市役所に就職してからというもの、
今に至るまで、
「本当の雇い主は天にいる」
と思っています。

私に給料をくれるのは、
市役所やNGOや支援会ではなく、
神ご自身です。
そして私の「人事部長」は神です。
私は「転職」をしたのではなく、
神から「市役所という部署」から、
キリスト教NGOという部署へ、
配置転換を命じられ、
辞令をいただいたと思っている。

職業を表すドイツ語「ベルーフ」は、
「呼ばれる」という意味があります。
次に人事部(神)によばれ、
次の辞令をいただくのがいつか分かりません。
それが10年後かもしれないし、来年かもしれない。
そのときは、ただそれを喜んで受け取り、
その仕事に没入するのみです。

アメリカで従軍している人のことを、
「in the Service」と言います。
私もキリストの兵士として、
「in the Service」してるので、
天から来た指令に対しては、
「Yes, Ser!」といって従うのみです。
アフガンだろうがイラクだろうが、
そこにいき任務を完遂する。
どれほどのリスクが待っていようとも。
私のアイデンティティはそういうものです。

加えて私は「天の人事部」を、
完全に信頼していますので、
軍人が将校に怯えるような感情も持っていないし、
会社組織にある「出世競争」からも自由です。
きっと天の父は良くしてくださるだろう、
そういう安心感があります。

お気に入りのトイレ

2019.12.16 Monday

第100号   2019年7月16日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼お気に入りのトイレ

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
気づけばこのメルマガも、100号を迎えました!
誰も祝ってくれないので、
自分で祝います!

おめでとう〜!

良くやった。
良く書いた!

まぁ、「執筆と思考の筋トレ」
と思いながら書いていますので、
号を重ねること自体が目的ではないのですが、
100号というのはなかなかたくさん書いたな、
と言う感じがします。
毎回2万字以上書いていますので、
200万字以上書いたと言うことですね。
新書にすると15冊ぐらい書いています。
なかなかのペースですね。

100号記念に何かするかというと、
特に何もしません笑。

ただ、シーズン1のときは、
50号で終わったので、
シーズン2がシーズン1を抜いたことになります。
もっと早く終わるかと思ってましたが、
終わりどころを逃しました。
どこで終われば良いか分からなくなってきた笑。

カラオケで「1時間延長」を繰り返してたら、
朝になってた、みたいな話で笑。

でもねぇ。

あと10回ぐらいで、
シーズン2は終わりにしたいと思っています。
9月頃に前々から言ってた「オフ会」をして、
それをしたらシーズン2は終わりにしようかと。

理由は、
「アウトプットのマンネリ化」を防ぐためですね。
思考を同じ容器に流し込み続けると、
思考がパターン化してきますので、
ときどき変えてやることが大切です。

筋トレで毎回同じ種目のルーティーンをしていると、
筋肉が刺激になれてきて筋肥大しないのと同じです。
ときどき種目を変えてやる。
「あれ?インクラインプレスって、
 こんなに効くんだ」みたいな。
、、、だれに伝わってるんでしょう、このたとえ笑。

まぁいいや。

とにかく、あと2ヶ月ほどで、
「シーズン2」は終わりにしたいと思ってます。
そのあとは、過去に毎日更新していたブログを、
再開してみようかなぁとか、
いろいろ考えています。
YouTubeとPodcastも続けますし、
とにかく、発信はやめませんので、
お楽しみに。

、、、というわけで、
今週も質問カード、いってみましょう!


▼質問:
生活圏のなかで、
「お気に入りのトイレ」はありますか?
(自宅はなるべく除く)


、、、なんちゅう質問でしょう。
なんでこんな質問を思いついたのか、
自分でも分かりませんね笑。

そうですねぇ。
2つ思いつきました。

ひとつは、
ときどき行く公営ジムのトイレ、
もうひとつは、
通っているジムのトイレですね。

両方ジムなのですが、
別にジムだからというのが理由ではありません。
男子用小便器が好きなのです。

どこから話しましょうか?

私はこの10年ほど、
「すわション派(座って小便をする派)」です。
いつからシフトしたか忘れましたが、
10年は経っているはずです。
つまり、洋式便所があれば、
私は基本的に座って小便をすることにしています。
自宅はもちろん、公共の場所でもそうです。

よっぽど座るに堪えない、
公園やパーキングエリアの古い便器の場合、
立ってすることもありますが、
基本は必ず座って小便をします。

「水はね」の問題もあります。
衛生的な問題ですね。
あと、女性も使う便器の場合、
便座を降ろすのを忘れたりして、
迷惑をかけたくない。

他者に配慮する、
「すわション」のほうが、
「立ちション」よりも、
100倍男らしいじゃないか、
という理由で、私はすわションに変えました。
「男たるもの、台所に立たない!」よりも、
妻のために料理をする男のほうが、
100倍男らしいのと同じ理由です。
「男たるもの」みたいなものにしがみついている時点で、
じっさい男らしくねぇよ、っていうね。
頭悪い奴ほど「俺は天才」って思っているのと同じで。

とにかく私は「すわション派」なわけですよ。
でも、私は同時に、一日に10回以上小便します。
それは私の生活習慣と関係しています。
私はまず朝起きたら、1.5リットルの水を飲み干します。
代謝のキックスタートのためです。
あと、筋トレしてプロテインを飲んでるので、
腎臓に負担をかけないため、
一日にそれ以外に2リットルぐらいは水を飲んでいます。
一日2〜4リットル水を飲んでいる。

さらに午前中に、
利尿作用のあるコーヒーを飲みますから、
「頻尿」がハンパないわけです。
午前中だけで6回から7回、小便をします。

そうすると、案外「面倒」なのですよね。
特にすわションだと、パンツとズボンを下ろして、
よっこいしょと座って、
みたいな一連の作業がマジで面倒臭いと思うことが、
多々あります。
「この時間を総計したら、
 けっこういろんなことできるんじゃないか?」
とかね。

さらに、
トレーニング中も当然水をたくさん飲みますから、
何回かおしっこに行く。

そのときに「男子用小便器」があると、
その楽ちんさに感動するわけですよ。
立ったままできる!
姿勢が楽!!
本来人間がそのように造られた小便の方法!!
石器時代には男は全員、
大自然のなかこのような開放感を味わっていたのか!
最高だぁあぁぁあああ!!
立ちションは、最高だぁあああぁああ!

ってなるわけですよ。
石器時代のDNAが復活し、
脳内にサバンナが広がります。

腰に毛皮を巻き、
夕暮れまで狩りをし、
夕日を観ながら、
地平線に向かって立ち小便をしていたころの記憶が、
脳内に甦ってくるのです。

あの開放感ったらないよね。

でも、そのカタルシスが味わえるのも、
普段のすわションという長い前振りがあるからなわけで、、、。
すわションなくして小便器の開放感なし!

、、、なんだ、この話?

これまででもっと意味不明なオープニングトークでしたが、
今日はこれまで。
それでは本編、行ってみましょう!

納豆を食べる数

2019.11.25 Monday

第98号   2019年7月2日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼納豆の数▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
フィリピンにおります。
14時半(日本時間15時半)の飛行機に乗り、
成田に到着するのが20時ごろなので、
いつもは夕方配信のメルマガを、
昼過ぎに配信しております。
離陸しちゃうともう配信できないので。

フィリピンの話しは編集後記でするとして、
いつものように質問カード、行ってみましょう!

▼質問:
年間、納豆を何個ぐらい食べますか?


、、、でました。
くだらない質問!
なんでこんな質問を思いついたのか、
自分でも分かりません笑。

こんなの、どうやって広げればいいんだよ、
って思いますよね。
でも、果敢に挑んでみましょう。

365個、っていう人もいるでしょうね。
毎朝必ず食べる、っていう。

私の場合は、
そうですねぇ。
月に一〜二個ぐらいかな。
平均すると。

だから年間24個。
少ないですね笑。

ヤバい。

終わっちゃった(爆死)。

しかし、質問カードは、
ここからが勝負です。
自称・質問カードのプロなので、
ここから頑張ります笑。

納豆、2日に一回、
あるいはほぼ毎日ぐらい食べていた頃もあったのに、
なんでこんなに減っちゃったのか、
自分でも分かりません。
食生活というのは変遷するものなのです。

数年周期で、
パンをけっこう食べる時期があったり、
納豆をけっこう食べる時期があったり、
パスタをけっこう食べる時期があったり、、、
とかって、皆さんはありませんか?

私はあります。

納豆の食べ方ですが、
白米と一緒に食べる、
という王道はひとまず置くとして、
邪道の食べ方について、三つ語りたいと思います。

はい。

そうです。

今、私は無理くり話しを広げてます笑。

▼▼▼納豆マヨネーズトースト

これは大学時代に一時期ハマりました。
食パンに、タレを入れてかき混ぜた納豆を載せ、
均等に広げます。
その上に、マヨネーズをかけます。
お好み焼きにかけるみたいにして。

それをトースターで焼くだけ。

これがけっこうイケるんですよね。
マジで。
納豆の臭みが減るので、
思ったのの2倍ぐらい食べやすいです。

あー、ほんとだ。

思ってたよりマズくない!

ってなりますから笑。

少なくとも私は、
かなり美味い部類の食べ物だと思ってます。
ぜんぜんゲテモノじゃないですよ。
予算は100円以下で済みますし、
調理時間も2分ぐらいですし、
大学生の朝ご飯にはオススメです。


▼▼▼納豆そうめん

そうめんとかひやむぎを食べる時、
めんつゆに何を入れるか、
っていうのは永遠の問題ですよね。

刻んだネギ。
ショウガorわさび。
天かす。
白ごま。
みょうが。

いろんなオプションがあるわけですが、
私はネギとわさびです。
ネギがなければわさびオンリーでもOK。

でも、後半飽きてくるじゃないですか。
そうなったときの「味変(あじへん)」って、
けっこう大事だと思うのですよね。
ひつまぶしでいう、
出汁を投入する時期ということです。
先発ピッチャーで7回まで粘ったが、
いつ中継ぎ→抑えを投入するか、
という問題が出てくるわけです。

もちろん硬派に「先発で完投」は潔いのですが、
私はけっこう「味変」したいタイプです。
ひつまぶしの発祥地・愛知県出身だからかもしれませんが。

そこで出てくるのが納豆です。
これ、知ったのは案外最近で、
友人の家に泊まった時に、
冷やした蕎麦でこれを友人がやっていて、
思いの外美味かったので、
それ以来やるようになりました。

やり方は簡単。
タレを入れた納豆に、
さらに生卵を入れてかき混ぜます。

それをめんつゆに投入するだけ。
後半戦で中継ぎ的にやっても良いし、
最初からぶち込むのもありです。

これがめちゃくちゃイケるので、
是非お試しあれ。


▼▼▼納豆&サッポロ一番

最後は、サッポロ一番に、
納豆を投入するという、
陣内家に古くから伝わる食べ方です。
あれはまだ私が小学校高学年か中学生ぐらいの、
ある土曜日の昼下がりのことでした。
まだ存命だった父が、
「美味い食べ物を発見した!」
と騒いでいるではありませんか。

何ごとかと思い食卓に行くと、
袋に入ったインスタントの塩ラーメンに、
納豆を入れただけ。

見た目、最悪。

マジか、コイツ。

と、わが父ながら思いましたね。
私の父は昭和の男のご多分にもれず、
台所に立つのは年に2分ぐらいだったんじゃないでしょうか。
米すらも炊けたのかどうか疑わしい。

そんな父が、
さもラーメンを小麦粉から作り、
出汁を取り、
大豆に納豆菌を入れて納豆を作り、
遂に完成した!

みたいなトーンで自慢してきたのは、
見るに堪えないほど醜い、
インスタント×インスタントな代物でした。

わが父をかなり見下し、
十戒の戒めのどれか二つぐらいを公然と破りながら、
中学生の私は、
鼻で笑って、
「マジで大げさだし。
 興奮するほどじゃないでしょ。」
と言ったかどうか忘れましたが、
かなり馬鹿にした態度で、
そのどんぶりを観たのを記憶しています。

父は、「まぁ、食ってみろ」

私はバカにしながら半笑いで食べました。

「ん??」

「マズくない」

「いや、むしろ美味いぞ!」

、、、


、、、


、、、

「なんだ、この食感!
 新しい感覚!
 新しいハーモニー!」


、、、


、、、


「なんというコンビネーション!!
 ラーメン界の、
 カール・マローン&ジョン・ストックトンやぁぁあ!!」

、、、


、、、


と、
心の中では思ったのですが、
一旦見下してる手前、
私は言いました。

「お、おう。
 まぁまぁイケるね。」

大学生になって、
頻繁にこれを作って食べたのは、
言うまでもありません。

この10年ぐらい、
そもそも袋に入ったインスタントラーメンを
食べる習慣がなくなったので、
なかなかやる機会はないのですが、
あれは美味いんです。
特に、塩ラーメンでやるのがオススメです。


、、、というわけで、
納豆の話しを、
今日は無理矢理、広げました。
では、本編に行ってみましょう!

やっとけば良かった部活

2019.11.18 Monday

第097号   2019年6月25日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼やっとけば良かった部活▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
お元気でしょうか。
今、私はフィリピンに来ております。

詳しくは編集後記で少し触れるとして、
まずは質問カードからいきましょう。

▼質問:
「この部活(習い事)やっとけば良かった」
と思うことはありますか?


、、、この質問は、
好きなラジオ番組、
「東京ポッド許可局」で話されてて、
そこから拝借しました。

まずですね。
前段として私は、
小学校高学年は、
けっこうがっちりソフトボールをしていました
練習は毎日ありましたし、
試合も年に何度かありました。
弱小チームでしたが、
最初はレフトを守り、
次はセンター。
最高学年になって、
選手層が薄すぎるので、
キャッチャーが誰もいなくなっちゃって、
最後はキャッチャーでした。

足が結構速くてタイミングを掴むのが上手だったので、
ずっと1番打者で、毎試合盗塁を決めてましたね。
あと、外野としてはなかなか上手なほうだったと思います。

そして、中学では卓球部でした。
これも弱小チームでしたが、
団体戦ではだいたい1番でした。
当時の団体戦は
シングルス2人、
ダブルス1組、
シングルス2人、
という5回対戦方式、
剣道と同じ総当たり式の団体戦方式でした。

たいていのチームは、
5番手が最も強く、
1番手が2番目に強いです。
私は学校で2番目に強かったのです。
強豪校ではレギュラーにすらなれたか分かりませんが笑。
でも、卓球部、楽しかったです。

私は中学のとき若干グレていました。
卓球部というのは、
野球部やバスケ部の「不良たち」が、
気晴らしに遊びにくる「息抜きスペース」でもあります。
私が行っていた岡山県の公立中学では、
少なくともそうでした。
ガムをかみながら野球部の「ワル」がやってきて、
「おい、ちょっとラケットかせや」
と言って、卓球を楽しんで帰って行く。
私はちょっとグレてたので、
彼らとよく遊んでいました。
卓球部の中の「不良とのチャンネル役」ですね。
スネ夫みたいな感じです笑。

高校ではバスケ部に入りました。
スラムダンク全盛の時代で、
中学の時の不良の友だちの何人かは、
バスケ部に所属していて、
いつも休日は彼らとストリートバスケをしていて、
彼らがいつも3連覇のシカゴ・ブルズのビデオを見て、
パトリック・ユーイングやハキーム・オラジュワン、
カール・マローンやレジー・ミラーなどの話しをしていたので、
モロに影響を受け。

私は中学でバスケ部じゃないので、
当然上手ではありませんでした。
高2のときに退部しました。
なんか「勉強をする」とか宣言して、
「勉強同好会」を立ち上げたんですよね。
非公式に。

そっからロケットスタートのように成績が良くなり、
私は学年100番前後から2番にまで上がりました。
あの時期がなければ私は難関の国立獣医学科に入学しておらず、
たぶん「岡山大学工学部」とかに入ってたんじゃないでしょうか。
そうなってたら今頃何してるんでしょうね。
広島に本社のあるマツダ自動車で、
技術者として課長ぐらいになって、
ロータリーエンジンの未来について考えていたかもしれない。

人生とは分からないものです。

大学では、
高校のときの悔しさがあったので、
バスケ部にまた入りました。
そんで、1年でやめました笑。
自分が(今度は公式に)立ち上げた
「聖書研究サークル」に集中するために。
この話しをすると長くなるので、
またいつか別の機会に。

ちなみに来週会うベガさんというフィリピン人は、
現在フィリピン大学の教授ですが、
当時私と一緒に聖書研究サークルの活動を、
中心となって推進していた「仲間」です。

さて。

結構前置きが長くなりましたので、
質問への答えは、
さくさく行きましょう。

例のフランス人話法で、
「三つあります」。

▼▼▼ウェイトトレーニング部

、、、今だったらぜったいこれやってますね。
私は40歳で筋トレを始めましたが、
もし10代から始めていれば、
ホルモンバランスがおじさんと若者では全然違うので、
「面白いほどデカくなってた」と思います。
やっときゃよかったなぁ。

みるみるデカくなって、
楽しかっただろうなぁ。
しかも若い頃の筋トレって、
年取ってからも「マッスルメモリー」として残るので、
体力的な恩恵を、一生涯もたらすことになる。

私の最初の職場の上司が、
大学時代に「体力作り部(だったかな?)」
という名前の、要はウェイトトレーニング部に入っていた、
という話しを聞いたことがあります。
バーベルに挟まれて出られなくなり、
死にかけたという話しをしてくれました。

その上司は私は大好きですし今も尊敬していますが、
年に3回ぐらい「マジでムカつく」ことがありました。
仕事に真剣なゆえの対立があるわけです。
そんなときは、
「あのときバーベルの下から出てこなきゃよかったのに」
なんて思いましたが笑、
まぁ、冗談です。

その上司のことを今思い出すと、
かなり脂肪はついていましたが、
やはりガッチリしていて、
体力があったんですよね。
大人になっても体力的恩恵をもたらすスポーツを、
若い時にするというのは本当に良いなぁと思います。

高校のころそんなこと、
まったく考えてなかったもんなぁ。
逆にバスケで腰を痛めて、
大人になって腰痛とおつきあいするという、
ハンディキャップを獲得したもんなぁ、と。


▼▼▼映画部・文学サークル・落研などの文化系

文化系のサークルって、
私は味わったことないので、
もう一度チャンスがあったら体験してみたいのですよね。

若い頃はほぼまったく魅力を感じませんでしたが、
この年齢になると、
乱雑な部室で数人でずっとしゃべってたり、
やることないけどずーっとマンガ読んでたり、
気晴らしにときどきカラオケ行ったり、、
っていう、文化系サークルの、
「デカダンス(倦怠的)な時間の使い方」って、
魅力的に映ります。

「時間が無限にあるかのようなあの時期」って、
人生でもう二度と訪れないので、
部活で効率的に汗を流すよりも、
何か目標に向かって頑張るよりも、
タバコくさい部室で、
仲間とひたすら不毛な話しをし続ける、
というほうが、正しい過ごし方のような気がします。


▼▼▼ワンダーフォーゲル部

登山部とワンダーフォーゲル部の違いを、
私は正直よく知りませんが、
登山部はちょっとハード過ぎるイメージです。

死ぬ時あるし。
マジで。

ワンダーフォーゲル部ぐらいの感じで、
登山を楽しむみたいな大学時代の過ごし方も、
きっと良いもんだろうなぁと思います。
足腰が鍛えられて、
体力的な恩恵を大人になってもたらすでしょうし。

あと、この手の部活って、
「山に登ってないときは文化系」なので、
両方の良さがある感じも良いですね。


、、、という、部活の話しでした。
皆さんはどんな部活に魅力を感じるでしょうか。
こういうこと考えるのって、
楽しいですね。
それでは本編いってみましょう。

何が出来ないときストレスがたまる?

2019.11.11 Monday

第095号   2019年6月11日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼何ができないときストレスがたまる?▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!

▼忙しい日々が続いて何かができないとき、
何ができないときに最もストレスがたまりますか?
(例:読書、ジョギング、風呂に入るなど)


、、、そうですねぇ。
例によって、
「フランス人話法」で行きましょう。

「3つあります」
と言ってから考え始める、、、という。


▼▼▼筋トレ

筋トレをはじめて1年2ヶ月が経ちます。
身体の変化も体感しています。
筋トレには、
他のスポーツにはない中毒性があるんですよね、多分。

ジョギングだとこうはならない、
と思います。

ずっと自分の身体と対話している感じがあって、
具体的には365日身体のどこかが筋肉痛なんですよね。
なので、筋肉痛がどこにもないとさみしくなる。

それで、たとえば胸のトレーニングをした次の日、
胸に筋肉痛が来ると、
「昨日は刺激がしっかり入った」
という目安になります。
この筋肉痛は3〜4日続き、
パンプ感は5日ぐらい続きます。

部位にもよるのですが。

これをたとえば、
週に3回の分割法でやっていった場合、
常にどこかが筋肉痛のステージにあるわけです。

かつて獣医師として働いていた頃、
「細菌培養」というのをやるのですが、
インキュベーターという機械に、
細菌の種を蒔いた培地を入れ、
48時間のタイマーをセットします。
するとコロニーができる。

そのコロニーを「定性」するために、
いろんな試験用に、
さらにいろんな培地に「刺したり蒔いたり」して、
さらにインキュベーターのタイマーをセットし、、、
というのを、たとえば1週間に、
2〜3サイクル、違う菌種でやったりします。

「常に何かを待っている状態」。

これが筋トレです。

、、、


、、、


うん。


まったく伝わってないね。

とにかく、筋トレは、
火のついたタバコで次のタバコに火を付ける
「チェーンスモーク」と同じで、
数珠つなぎに連なっていく。

それが「途切れる」のが、
なんとも気持ち悪いんですよね。
こういった感覚というのは、
他のスポーツでは味わったことがありません。


▼▼▼読書

次は読書ですね。
これは私の場合、
「活字中毒」というレベルを超えていて、
本を読むことは息を吸って吐くのと同じなので、
本を読まずにいることは不可能です。

歯を磨かないと気持ち悪いのと同じレベルで、
本を読まないと気持ち悪い。
歯を磨かなくても本を読まなくても、
とりあえず生きては行けるわけですが、
なんとも心地が悪くなる。

でも、なんだかんだ忙しかったりして、
一週間ぐらいそういえば本読んでない、
というようなことも、
数年に一度は訪れます。

それは筋トレとは違い、
特に不安を引き起こしません。
禁断症状もない。

逆に、7日ぶりに、
読んでいた本の続きを読むと、
なんか新しい視点を獲得していたりして、
読む力が上がったんじゃないかと錯覚することもある笑。

ただ、さみしくはなりますね。

私は極度に内向的な人間で、
私の「外向性」は実は、
「内的な対話」に振り分けられている。

最近はそう思います。

私はうつ病を患ってからは特に、
「基本的に、なるべく人と知り合わない」
をモットーに生きています。
なるべく人と会話したくない笑。

疲れるから。

私にとって初対面の人との30分の対話は、
読書ならば3冊分ぐらいの疲労をもたらします。
だったら3冊読んだ方が良いな、っていうね笑。
人生は短いのです。
あれもこれもできません。

、、、話しを戻しますと、
私は「外向性」がないのではなく、
外向性が内的対話に振り分けられている。

たとえば外交的な性格のひとが、
1週間に10人の人と濃密な関わりをし、
1冊の本を読了したとしましょう。

私は多分この人と逆なのです。
1週間に1人の人と濃密な交わりが限界で、
10冊の本を読了できる。

私はこのとき、
10人の著者と濃密な対話をずっとしているわけです。
外側からはそう見えないけど、
私の中では活発な会話が繰り広げられている。
私は「内的なパリピ」なのです。

自分のこういった性向は、
現在の世の中で不利に働くことの方が多いですが、
途中で諦めました。
生まれついたものを変える努力は、
時に自分を壊してしまうことを知ってから。

だから今はこの性向を喜び、
これをなんとか活かしていこう、
という方向で考えています。
メルマガ配信を始めたのも、
その「吹っ切れ」がもたらしました。

、、、というわけなので、
「本を読まないとさみしい」とはそういうことです。
「内的パリピ」にとって、
「本を読めないほど外交的な1週間」は、
「内面において孤独な1週間」なので。



▼▼▼料理

、、、最後は料理かなぁ。
結婚してから、ずいぶん回数は減りましたが、
やはり料理は私のストレス解消のひとつです。
「料理をする」という行為が、
なんか「生きることの凝縮」という気がします。
材料を切って、
段取りを決めて、
それらに火を入れて、
食べて、お皿を洗って、、、
という一連の行為は、
読書とは違うかたちで、
前頭葉の全体をひろく使っている感じがするんですよね。
「脳の凝りがほぐれる」感じがあります。

出来合いのモノを食べ続けていると、
「健康に悪い」とかそういうのは、
実はあまり私はこだわりがないんですよ。
オーガニックなフードを食べましょう、
みたいな健康思想は持ってません。

でも、「コンビニフードを食べ続ける」と、
なんか、「脳が死んでいく」感じがします。
人工甘味料や不飽和脂肪酸による、
脳のダメージとかそういうんじゃなく、
手を動かしていない事による、
前頭前野の鈍化、っていうような、、。
手(身体)を動かすことって、大切ですね。
エクササイズとか筋トレもそうですが、
「日常生活や仕事の中で身体を使う」というのが、
とっても大切だと思います。

頭脳労働をしている人にとっては、
仕事の中の身体性が限定されるので、
生活の中の身体性の重要度がより高くなる。
このあたり、気をつけねばと思います。

年取って、「毎日テレビの前で8時間」
とか、なりたくないですから。

尊敬する外国人

2019.11.04 Monday

第094号   2019年6月4日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼尊敬する外国人▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今日も質問カードからやっていきましょう。


▼質問:
アメリカ人以外の外国人で、
尊敬する有名人、好きな有名人はいますか?


、、、これって簡単そうで、
案外答えるのが難しい質問なんですよね。

読書習慣があったり、
英語のメディアに接している人を除くと、
私たち日本人が日々接する情報環境というのは、
「日本に関する情報」=8割〜9割、
「海外に関する情報」=1〜2割です。
テレビ・雑誌・ラジオ・新聞といった、
メジャーな報道機関の内容の割合がこうなってるからです。

で、「全体の2割の海外に関する情報」のうち、
6割がアメリカに関するもの、
3割が韓国・中国に関するもの、
残りの1割が「その他の国々」に関するものです。

つまり接する情報の2割×1割、
つまり全体の2%しか、
私たちは「中国韓国アメリカ以外の外国」について、
見聞きすることがないわけです。

現に、インドの首相の名前を言える人って、
人口の何割いるのでしょう?
たぶん半数以下と私は予測します。
まもなく世界一の人口になる国のリーダーですよ。

国際的にかなり重要な基本的なニュースですら、
アメリカ以外の国のこととなると、
「それが起きたことすら知らない」
ということが日本人は多い。

日本人が悪いのではありません。
「日本語圏」という言説空間のサイズが、
「絶妙に小さくて大きい」ので、
その中だけで情勢を把握できてしまうことが原因です。

もうちょっと小さな国だと、
「まともな言説を読もうとしたら、
 英語の報道を読む以外ない」ので、
そうするとわりと満遍なく世界のことを把握できるのです。


、、、話しを戻しましょう。
一応この質問では、
「歴史上の人物」はなしにしましょう。
ガンジーとかマザー・テレサとか、
アッシジの聖フランシスとかは、
それぞれインド人、アルマニア人、イタリア人ですが、
歴史上の人物なので「なし」としましょう。

そうするとさらに絞られてくる。

うーん。

思い浮かばん(自爆)。

でも、例のフランス人話法で、
「3人いる」というところから話し始めましょう。

3人います笑。

▼ホセ・ムヒカ(ウルグアイ人)

「世界一貧しい大統領」として、
日本でもけっこう有名な人です。
池上彰さんとの対談本を読んで、
とても好きになりました。
メルマガのレビューで紹介したかどうかは忘れましたが、
ポッドキャストでビブリオバトルを放送する予定です。

、、、あ、そうだ。

このポッドキャストの回ですが、
私のミスでもとの動画を削除したため、
ポッドキャストのみの限定放送になります。

アップロードしておきます。
リンクはこちら。

▼【ポッドキャスト限定放送】ひとりビブリオバトル
『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った
 ほんとうのしあわせって何ですか?』
https://anchor.fm/shun-jinnai/episodes/ep-e46rqr


▼M・ナイト・シャマラン(インド人)

インド人の映画監督です。
『シックス・センス』を撮った監督、
と言えば分かるでしょうか。

その後彼は、
『アンブレイカブル』
『スプリット』
『ミスター・ガラス』という、
3部作を撮るのですが、
私は全部見ています。

間に撮られた『ヴィジット』も見ました。
シャマランの映画って、
本当に独特な「文法」があって、
中毒性があります。

独特の世界に連れて行かれる感じがある。
日常の中に「ホラーともコメディともつかぬ恐怖」が、
何の予兆もなしに紛れ込む感じとか、
ちょっと他にはない感じです。

アメリカ人からはああいうのは出てこないと思う。

同じ外国人映画監督では、
韓国の映画監督のナ・ホンジンも好きです。
彼は神学校にも行っている人で、
「映画で神学する」ということをしています。
アジア版のマーティン・スコセッシですね。
彼の撮るものも私は毎回楽しみにしています。



▼ユルゲン・モルトマン(ドイツ人)

最後は神学者です。
彼はまだ存命ですが、
死んで時間が経つと、
カール・バルトや、
ディートリッヒ・ボンヘッファーとならび、
20世紀最大の神学者だった、
という評価が固まるはずです。

2年前に読んだ、
『希望の倫理』という著作に度肝を抜かれました。

私が考える「これは新しい」というようなことは、
既に全部彼が考えていたことを知りました。
あらゆる私が重要だと考える神学的な概念を、
彼はことごとく言語化し体系化している。
まさに「知の巨人」です。

「自分がオリジナルだ」
と思っている人って、
99.9%までが知識が少ないから、
既にそんなこと考えてる人がいることを知らないだけなのですが、
私はモルトマンの著作でそれを思い知らされました。

特に「ガイア思想の神学」とか、
自然環境に関すること、
「非西洋的な痛む神」などの概念を、
モルトマンは考え尽くしています。
私のような凡人にできるのは、
彼が考えたことを「上からなぞる」ぐらいのものです。

心惹かれる生き物

2019.10.28 Monday

第93号   2019年5月28日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼心惹かれる生き物▼▼▼

どうも、筋肉を増やすための「増量」を続けていたら、
ジムの体組成計の判定がついに、
「やや肥満」から「肥満」になった陣内俊です。
脂肪が増えるのを恐れていたら筋肉は増えない。
筋トレユーチュバーのコアラ小嵐の言葉を信じて、
もうちょっと増量を続けます。
秋口ぐらいから減量に移行しようかと思ってます。

今のところ。

さて。
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!

▼質問:地球上に生息する生き物の中で最も心惹かれるのは?

そうですねぇ。
ゾウですね。

終わりです。


、、、


、、、


嘘です。
ウソウソウソ。

質問カードって、
実は「話しをふくらませる練習カード」
でもあるんですよね。
「使用上の注意」には書いてないんですが笑、
これって、話しをふくらませる意欲のない人とやっても、
まったく面白くないゲームですからね、マジで。

これを続けると、
「どんな切り口からでも面白い話しが出来る人」
になります。
「どんな切り口からでもつまらない話しを、
 ダラダラと垂れ流す人」ではないので注意が必要です。
「話し好きな人」と、「話しが上手な人」は違います。
そしてたいてい前者と後者は重なりません。

「質問カード」は、
「話しが上手な人」にあなたを近づけます。
「会話の大リーグボール養成ギブス」なのです。

というわけで、
例によって3つやっていきましょう。

(最初に「(理由は)3つある」と言って話し始めるのは、
 「フランス人論法」というそうです、ちなみに)


▼▼▼3位:深海魚

3位は深海魚です。
深海魚って、マジで面白くないですか?
深海魚の写真をネットで見るだけで、
小一時間は軽くつぶせます。
それぐらい面白い。

デザインというか造形というか発想というか、
そういうのが「ぶっとんでる」。
パリコレとかミラノコレクションの比じゃないですね。
神様はクリエイティブだ、
っていう、もう同語反復も甚だしい、
わりと陳腐な感想を漏らしてしまいそうです。
(創造者は創造的だ、
 って言ってるのと同じですから笑)

これとか凄いですよ。
「コックピット」みたいなやつがありますから。
ガンダムとかに出てくる操縦席みたいなやつ。

▼参考画像:デメニギス
https://bre.is/CscxLEj4p

これも凄いです。
ガチャガチャで出てきそうでしょ笑。
もしくは中にあんこが入った和菓子みたい。

▼参考画像:サルパ
https://bre.is/RXJAc6cs5

このページとか面白いです。
ずっと見ちゃいますね。
https://ailovei.com/?p=3903


もし、もう一回人生があったら、
「深海生物研究者」になるのも、
かなり面白いだろうな、と思ってるぐらいですから。


▼▼▼2位:牛(特にホルスタイン)

牛は好きですね。
牛が好きで帯広畜産大学に入りましたから。
今も大好きです。

牛って体重600キロ(オスは1トン)
あるのに、脳はソフトボールぐらいしかない。
犬とかよりも「頭は悪い」です。
でも、そこがなんとも愛らしい。
愛くるしいのです。
行動を観察してると、
小一時間ぐらいすぐに過ぎます。

なんというか、
いとおしいのです。

ハエをしっぽで追い払ったり、
かゆい部分を長いベロでかこうとするんだけど、
届かなかったり。

あと牛の性格って、
一言で言うと、
「好奇心旺盛だが臆病」なんですよね。
この「アンビバレント」な感じがまた良い。

さらに牛の「目」が好きですね。
牛の瞳孔って、横に広いんです。
猫の瞳孔が縦に長いのと逆ですね。

牛の横長の瞳孔と、
いわゆる「黒目」の部分が大きいという特徴から、
とっても「やさしげ」な表情をしてるんですよね、牛って。

個体によっては目つきが悪い奴もいます。
そしてそういうヤツは性格もキツいです。
経験上。

性格が顔に表れるのは、
人間だけではありません。

これホント。



▼▼▼1位:ゾウ

ゾウが一番好きです。
直接触れあった経験はほぼありませんが、
ゾウのものを集めちゃうぐらい好きです。
私の書斎には、
2008年にインドの露店で買った、
ゾウの絵画が飾ってありますし、
リビングにもタイで買ったゾウの油絵が飾ってあります。
ゾウの置物や縫いぐるみのたぐいも、
気づけば複数ある。
見つけるとつい買っちゃう。

バナナリパブリックというアパレルメーカーの、
ロゴがゾウなので、一時期好んで来ていた時期がある。

なんでゾウなのか?

ゾウって、「哲学者」みたいなんですよね。

▼参考画像:
https://bre.is/5tHsbXoip

こんな感じに。

インドでは「ガネーシャ」という、
ゾウの神がいます。
私はゾウが神だと思っていませんが笑、
古代の人がゾウを神聖視したその気持ちは分からんでもない。

「きっとこの生き物は、
 人間なんかよりも、
 ずっと深い考えを持っているんだろうなぁ」
という畏敬にも似た気持ちを抱くというのは、
とてもよく分かる。

じっさい、
人間が理解していないだけで、
動物がかなり高度な知性を持ち合わせていて、
測る尺度がないだけで、
ある分野においては人間すら超越するかもしれない、
というのは最近の研究で証拠が見つかってきています。

「動物は人間より下だ」
「動物には知性も共感能力もない」
と言っている人こそが、
知性も共感能力も残念な人だと私は思います。
デカルト先生の罪は重いのです。

弁護するわけではないですが、
デカルトが現代に生きていたら、
研究結果を見て考えを改めるのは間違いありませんが。
デカルトって、そういう人なんです。
「教条主義的デカルト主義者」ほど、
デカルトとかけ離れた人物はいません。
皮肉なことに。


、、、今日はここまで。
では本編いってみましょう!

住みたい街ランキング【国外版】

2019.10.21 Monday

第91号   2019年5月14日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼住みたい街ランキング【国外版】▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!

質問:あなたのなかの、
「住みたい街ランキング【国外版】」を教えてください。


、、、先週は住みたい街ランキングの国内版でした。

こちらのサイトでは、
こんなランキングが出ています。
▼参考サイト:
https://www.travelvoice.jp/20180816-116146

1位:ウィーン(オーストリア)/99.1点
2位:メルボルン(オーストラリア)/98.4点
3位:大阪(日本)/97.7点
4位:カルガリー(カナダ)/97.5点
5位:シドニー(オーストラリア)/97.4点
6位:バンクーバー(カナダ)/97.3点
7位:トロント(カナダ)/97.2点
7位:東京(日本)/97.2点
9位:コペンハーゲン(デンマーク)/96.8点
10位:アデレード(オーストラリア)/96.6点


、、、大阪が3位、って凄いですよね。
こういうのってどんぐらい信憑性があるのか分かりませんが、
まぁ、まったく参考にせず(じゃあなんで出したんだ笑)、
私の主観のみで、例によって3都市選んでみたいと思います。


▼▼▼第3位:シドニー(オーストラリア)

この「シドニー」っていうのは、
「シドニーに住みたい」という意味ではないです。
そうじゃなくて、メルボルンでも、
ゴールドコーストでも、
ブリズベンでもアデレードでも良いので、
オーストラリアに住んでみたい、っていう意味です。

さらに言えば、ニュージーランドでも良いんです。
オークランドでもクライストチャーチでも、
ウェリントンでも良い。

あのへんに住んでみたいなー、
という、めちゃくちゃ雑な所感です。

ほとんどの外国人が、
「東京と大阪の違い」を理解してないのと同じで、
私もゴールドコーストとアデレードの差は分かりません。

なんせ、実はオーストラリアも、
ニュージーランドも行ったことないですから(爆死)。

でも、あの「オセアニア地域」に、
私は心のどこかでずっと惹かれてるんですよね。
なんせ、牛や羊のほうが人間より多いっていうんですから。

最高じゃないですか笑。

ちなみに私の母校、帯広畜産大学も、
それに近い大学でしたし、
6年間住んだ十勝地方も近いものがあります。
そして、オセアニアの国々はといえば、
それをさらに極端にした感じなんでしょ。

もう、ヤバいじゃないですか。

なんか、感動しちゃうじゃないですか。
強く引きつけられます。
なんせ土地が広くて人が少ないんですから。
そりゃ、「自然を独り占め感」というか、
「自然を見るために行列する」という、
意味の分からない倒錯を経験しなくて良いんでしょ。

素晴らしいじゃないですか。

あと、オーストラリアとかニュージーランドに住んでた日本人や、
そちらの出身の方とこれまでに話したことをまとめると、
かの地は「アメリカ的な自然の雄大さ・素晴らしさ」と、
「アメリカ的フランクさ・オープンさ」を備えつつ、
アメリカほど人々が忙しくないっていうじゃないですか。
もっと言えば世界で最もゆったりと働き、
人生を謳歌する地域だって言うじゃないですか。

もう、良いことしかありません。

パラダイスです。

ヤバいです。

そりゃ、大橋巨泉も移住するわな、と思います。



▼▼▼第2位:バンクーバー(カナダ)

バンクーバーも行ったことありません(爆死)。

ないんかい!

ないんです。

ないけれど、私は「カナダ」って、
ずっと憧れ続けてるんですよね。
アメリカも好きですが、
カナダはもっと好きです。
カナダってめちゃくちゃ広いのですが、
人口3億人のアメリカに対し、
カナダの人口は3700万人。

この広さが魅力です。
日本からアメリカの東海岸に飛行機で行くと、
北極近くを通って飛行機は飛びますので、
たとえばニューヨークのJFK空港に近づく前の、
3〜4時間ってカナダ上空を飛ぶんですよね。

そのとき「海のように森が広がっている」のが分かるんですよ。
もうねぇ、あれは憧れちゃいます。

そして、カナダは先週の、
「クリエイティブ都市論」の理論で言っても、
非常に有利な場所です。
思想的にリベラルだからです。
思想におけるリベラル性と、
ベンチャーや論文、執筆、芸術活動などの、
アウトプットの質は相関関係がある、
とリチャード・フロリダは指摘しています。

つまり、「リベラルな気風」の土地ほど、
クリエイティブな職業の人は働きやすく、
そしてその仕事の質も高まる、ということです。

この理由によりリチャード・フロリダは、
『クリエイティブ都市論』を執筆後に、
アメリカのワシントンD.Cから、
カナダのトロントに移住してますから。

カナダ、いいなーと思います。


、、、あ!
ここで大事な訂正を。
先週のメルマガのオープニングトークで、
『クリエイティブ都市論』の著者を、
ダニエル・ピンク氏と書いていましたが、
正しくはリチャード・フロリダ氏です。
お詫びして訂正します。
失礼しました。



▼▼▼第1位:デンバー(コロラド)

ちょっとカナダと似てるんですけど、
風土が良さそうだなぁというイメージで、
コロラド州は昔から憧れてるんですよね。

まぁ、行ったことないんですけど。

だからないんかい!!!

ないんです笑。

でもねぇ、コロラドは憧れるんですよねぇ。
コロラドってロッキー山脈のふもとにあって、
日本で言うと「長野県」なんですよ。
アメリカの自然って、
スケールにおいて常に日本の自然の10〜100倍ですから。
長野のあのさわやかな気候、
きれいな空気と水、
日本アルプスの景観、、、
それらの規模をとことん拡大したのがコロラドだと考えたら、
もうね、そんなの言葉を失うぐらいきれいに決まってるじゃないですか。

昔『リバー・ランズ・スルー・イット』という映画がありました。
ブラピが主演していて、大学のときに友人たちの界隈で、
一時期流行っていたので私も見ました。
まったくどんな映画だったのか覚えていませんが笑、
ブラピがフライフィッシングをするシーンだけは、
今でも鮮明に覚えています。

清流につかり、
森のなか、
自然と会話するようにフライフィッシングをする姿は、
神々しさすら漂う。

あの映画はモンタナ州の話しだそうですが、
私がコロラドに求めているのは、
「つまりそういうこと」です。

しかもデンバー(コロラド)は、
気風においてもリベラルです。
いち早く大麻を合法化した州でもあります。
素晴らしいじゃないですか。

「大麻が素晴らしい」んじゃないですよ。
説明すると長くなるけど、
大麻とかギャンブルとかは、
合法化してちゃんと税金取った方がいい、
っていうのが私の意見です。

「禁酒法」が何を生み出したか?
マフィアと政治家の利権と、
そしてアル中です。

グレーなギャンブルとしての、
「パチンコ」が何を生んだか?
ヤクザの収入と警察および政治家の利権と、
パチンコ中毒です。

お酒を合法化して取税をとり、
ギャンブルを合法化して賭博税をとると、
何が生まれるか?
先ほどの「ヤクザの収入と官僚の利権」が消え、
「税収」が生まれます。
依存症はどちらのシミュレーションでも、
多分同じぐらい発生します。
なぜなら法制度と依存症は関係ないから。
でも、「税収」が生まれることは大事です。
その税収で、依存症患者の治療や福利に使うべきです。
マフィアやヤクザは依存症患者を治療してくれませんから。

どんな仕組みにしても、
依存症は生まれるのです。
仕組みの問題と依存症の問題、
これは違う二つの問題です。
みんな、ごちゃごちゃに論じすぎです。
、、、で、これらの問題を考えたとき、
「合法化+税収」の組み合わせの方が、
常に優れていると私は思っています。
私はこの点においては、
リベラルだから大麻合法化を支持しているのでなく、
合理主義者だから支持しているのです。

、、、すみません、大麻で熱くなりすぎました。

話しを戻しましょう。
とにかく、多様な価値観を認める姿勢というのは、
社会の風通しを良くしますから、
私はリベラルな気風の場所に住みたいです。



▼▼▼番外編1:ベルリン(ドイツ)

これも行ったことないです(ないんかい!)。

でもドイツはずっと惹かれてるんですよね。
オーストラリアのときと同じで、
バイエルンでもミュンヘンでも良いんです。
別にベルリンである必要はない。
ドイツの街に住んでみたい、という話しです。

ドイツって、なんか好きなんですよねぇ。
ドイツの哲学者の本を読むのが好きです。
あの「過剰に論理的」なところというか、
眉間にしわをよせて「存在とは、、、」とか言ってる感じが、
とっても好きです。

私にはドイツ人の遺伝子が入っているのではないかと、
疑っているぐらい。
ビールとソーセージも絶対美味いし。
面白いボードゲームがいっぱいあるし。
作るモノも質実剛健で、
媚びや洒落っ気、かわいげがなくて、
無骨なデザインで過剰に丈夫で、、、
それは家も街並みもそうで、、、。
ああいう感じ、ちょっと息が詰まるんだろうなぁ。
ときどきイタリアに行って息抜きしたくなるんだろうなぁ。
でも、魅力的だなぁ、と、ずっと思ってるのです。

唯一英語圏じゃない国ですが、
ドイツは惹かれます。
とりあえず死ぬまでに訪れたいですね、いつか。

住みたい街ランキング

2019.10.14 Monday

第90号   2019年5月7日配信号

▼▼▼住みたい街ランキング▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
新天皇即位のお祝いも、
10連休も終わり、
日常に帰って行く人が多いのでしょうか。

私はあまりカレンダーとは関係ない生活をしていますので、
インドから帰ってきて1日2日身体を休めた後は、
既に通常のルーティーンに戻って仕事してます。

とりあえずリズムを取り戻すことを第一に、
先週は過ごしておりました。

というわけで今週も質問カード、
いってみましょう!


▼質問:
あなたのなかの「住みたい街ランキング【国内版】」
を教えてください。


、、、この手のランキングというのは各種ありますが、
以下のサイトでは、
1位:神奈川県横浜市
2位:東京都世田谷区
3位:東京都港区
4位:北海道札幌市

みたいな感じになってます。

▼参考リンク:
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000095.000006408.html


、、、私の場合はそうですねぇ。
いつもどおり3つ挙げましょう。


▼▼▼1位:札幌と福岡

これはねぇ。
やはり札幌好きなんですよねぇ。
というより北海道が好きですね。
からっとした気候と、
広い土地が自分に合っていると思います。
大学時代の6年間を北海道で過ごしたので、
これは実証済みです。

なぜ(大学のあった)帯広でなく札幌か?

2000年代になって、
トーマス・フリードマンという有名なジャーナリストが、
『フラット化する世界』という本を書きました。
これは「インターネットによって、
世界のどこに住んでも変わらず仕事が出来るようになるぜ!」
という楽観的な本でした。

この本を読んだかどうかは不明ですが、
この本に書かれた思想を反映して、
離島や田舎に移住した有名人や起業家もいます。
脚本家の宮本亜門さんが宮古島に住んでいたり、
村上春樹がギリシャの小さな島に住んだりする、
というのはそういった動きのひとつでしょうし、
東京を離れ地方に移住するブロガーやIT社長は、
昨今でも後を絶ちません。

私もそういったことに憧れた時期がありますが、
2年前にリチャード・フロリダ氏が書いた
『クリエイティブ都市論』を読んでから、
この考えに若干の修正がなされました。

『クリエイティブ都市論』でピンク氏は、
「世界はフラット化していない」、
と実証していきます。
むしろ「スパイキーな世界」になってきている、と。
つまり、学術研究、執筆、芸術、起業など、
あらゆる「創造的な仕事」は、
世界全体にあまねくフラットに広がるのではなく、
「局所的に突出したいくつか都市」に、
局所的に集中する傾向が、
21世紀になってむしろ強まっている、
と指摘します。

なぜそうなるのか?

クリエイティブな仕事というのは、
「異なる文化を持つ人との出会い」から生まれるからです。
つまり、その都市に
1.多種多様な文化的背景を持つ人が集まること
2.多種多様な文化を受容するリベラルな気風があること
この二つが必要だというのです。

アメリカならば西海岸沿岸部と東海岸の大都市圏、
テキサスのオースティン、
(ダラスやヒューストンでないところがポイント)、
カナダのバンクーバー、
アジアならば香港やシンガポールや東京などを、
リチャード・フロリダは挙げています。
「クリエイティブな才能」は、
インターネットの時代に偏在化するどころか、
むしろ局所化が進んだのだ、という分析です。

その基準で言うならば、
(平成の大合併以前からの)
日本の100万人以上の都市は、
ピンクの言う「スパイキーな世界」における、
突出したクリエイティブな都市と言って良いでしょう。
この本を読むと分かりますが、
日本はそのような都市の数で、
実はものすごく恵まれた位置にいる、
というのが分かります。

私が「仕事ならなんでもいいよー」。
という人間なら、このような制約は「無視」できたでしょう。
後に挙げる、完全に「住環境が良さそうな場所」に住むのも、
「あり」だと思います。

しかし私は「知的に創造的な仕事」を、
自分の仕事にしていきたいと思っているし、
自分の適性を考えたとき、
それをしないのは自分にとっても世界にとっても損失だと、
(誰も思ってくれないので自分で)思ってるので笑、
まぁやはり「フロリダの言うところのクリエイティブな都市」
に住むのが、少なくとも現役で働いている間は、
必要だろうなぁと思うのです。

そして私たちの世代はおそらく年金はもらえません。
私たちの世代にとって年金は生涯、
「払うもの」であって「貰うもの」ではありませんから、
身体が動く限りは生涯働くことになるでしょう。
とするとつまり、クリエイティブな都市、
というのが選択の条件になる。

、、、という前置きをした上で、
札幌と福岡です。

札幌は先ほど述べたように、
気候と自然が大好きだからです。
あと、「街としての魅力」も、
非常に高い。
面白いモノがたくさんある。
北海道って文化が「リベラル」なので、
分野によっては東京より面白い。

福岡はじつは未知数です笑。
でも、今までの人生で得てきた、
福岡に関するすべての情報を総合しますと、
私は絶対に福岡、好きです。
行くと絶対ハマると思うので、
行っていません。
ギャンブルにハマると分かっている人が、
パチンコ屋に入らないのと同じです笑。



▼▼▼2位:神戸

神戸は何度も行ったことあるのですが、
去年の春に街を歩いて、
やっぱり良いなぁ、と改めて思いました。
神戸って、関東で言うところの横浜であり、
港から外来の文化が入ってくるので、
「文化に対するアンテナ」が立っている場所です。
街行く人はおしゃれですし、
街並みもセンスが良い。

それでいて、「東京のハイソな街」ほど、
「他者を見下す態度」が露骨でない。
物価も家賃も交通渋滞も東京に比べれば良識的だし、
関西ならではの庶民性がある。
あと、横浜や世田谷ほど人々はせわしなくない。

愛知出身、シアトル在住のイチローが、
「神戸に球団があればもう一度日本でプレーしたかも」
と言うほどに惚れ込むのも、納得です。



▼▼▼3位:京都

神戸と同じぐらい面白そうなのは京都ですね。
京都って「よそ者に冷たい」イメージがありますが、
実はそうでもない部分もある。
京都って実は「伝統」と「新規性」のバランスが、
かなり高いレベルで融合している都市なのです。
統計的にもベンチャー企業が多く、
成功したベンチャーの数も多い。
「任天堂」の本社は京都ですし、
ネット印刷の「プリントパック」も京都から始まりました。

「京都の人」と思って貰うには、
孫の孫の代ぐらいまで時間がかかるので、
「一生よそ者と思われ続ける」という覚悟さえあれば、
私のような業種の人間は案外住みやすそうだと思っています。
そもそも私はキリスト者なので、
「この世ではよそ者」と聖書に書いてありますし。
そこで落ち込む必要はまったくない笑。



▼▼▼番外編1:沖縄

これはねぇ。
先ほどのスパイキーな都市、
という意味で、「那覇」は多分入ってくると思うんですよ。
特に台湾やシンガポールやインドネシアなど、
アジア圏の都市を相手に何かの商売や活動をする人には、
那覇ほど適した場所はないと思います。

しかし、私がここで「沖縄」という場合、
それは離島を指します。
さらに宮古島と石垣島を除きます。
この二島はもはや東京の出張所みたいになってしまって、
ちょっとげんなりするからです。

久米島だとか、
さらに小さな島だとか、
そういった島に住むのは、
きっと良いもんだろうなぁ、
と、なんとなーく思っています。
島で生まれ、島で育ち、島で働き、
やがて島のおじーになっていく、、、。
三線(さんしん)片手に泡盛を飲み、
「おじー、おじー」と言われながら、
豆腐チャンプルーを食べる。
そんな人生って素敵だろうなぁ、
とときどき白昼夢を見ます笑。


▼▼▼番外編2:帯広

最後は帯広ですね。
私の永遠の第二の故郷です。
めちゃくちゃ好きな街。
ただ、クリエイティブ都市論の理論だと、
ちょっと厳しそうなんですよねぇ。
もういちど獣医の世界に戻り、
「酪農の世界で生きる」と覚悟すれば、
生活していけるかもしれませんが、
それは人生の初期に「掛け違えた」ボタンを、
もういちど第二ボタンにまで戻って付け直す、
みたいな作業なので、
やはり躊躇するわけですよ。

心理的ハードルで言うと、
会社に40代まで勤めた人が、
「やっぱり帯広で獣医をしたい」
と一念発起して大学に入り直し、
酪農の世界に飛び込む、
みたいな話しです。

あ、そういえば学生時代の同級生に、
「まさにそういう人」も何人かいました。

それほど帯広の吸引力は強いです笑。

お金をかけないもの

2019.10.11 Friday

第089号   2019年4月30日配信号

▼▼▼お金をかけないもの▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
久しぶりに日本からの配信になります。

▼あなたが普通の人よりも特に、
「お金をかけていない」のはどんなことですか?
(例:教育、食事、美容、交通、本、映画、洋服など)


、、、そうですねぇ。
思いつくところから行きましょう。

▼▼▼散髪

これは、0円です。
病気になって外出するのが怖く、
妻にカットしてもらうようになりました。
それから、美容院よりも妻のほうが上手なので、
ずっと妻にやってもらっています。

だから、かれこれ5年ぐらい、
私は美容院にも床屋にも行っていません。
美容院って、4000円ちょいだとした場合、
だって月に一回行けば、
年間5万円かかりますからね。
二月に2回だったとしても2万4千円。
千円カットだったとしても、
毎月行けば年間1万円を超えます。

私の場合これが、「ゼロ」です。

正確に言えばパナソニックのヘアカッターを買ったので、
3,500円の投資を最初にしています。
しかし、経済学用語でいうところの、
「限界費用」は限りなくゼロに接近しています。

だいたい月1回散髪しているとして、
5年間の散髪代を3,500円で割ると、
だいたい、1回60円ぐらい(?)になる。
あと5年続ければ1回30円になる。

これはすごい。

時短という意味でも優秀です。
近くの美容院を予約し、
美容院に行き、切ってもらい、
シャンプーをし、渇かし、
お金を払い、家に帰る。
最低でも1時間はかかります。
長ければ1時間半。
2時間という人もいるかもしれません。

家で妻に切ってもらうのは、
妻の腕が上がってきているので、
なんと20分ぐらいです。
そのままシャワーに入り、
髪の毛を流し、身体を洗い、
娘をお風呂に入れる、
という完璧な流れ。

無駄がいっさいない。
すばらしい。

そして何より、
美容院での「会話」が苦手なんです、私は。
もうあの手の会話は、
100人の前で1時間話すより疲れます。

「雑談」が苦手です。

とてつもない面白い中身を持ち、
トークスキル、話しの転がし方が上手い美容師がいれば、
その時間も楽しいかもしれませんが、
そんな人はとっくに芸人になって、
おしゃれイズムの司会をしているので、
たいていの美容師の「雑談力」は、
たいしたことない(失礼)。

私の趣味の話しをしても、
全然ぴんときてない。
読んでる本、お笑い、政治、経済、映画、、、
全部、私が「知りすぎている」のも問題なのですが。
(こういうこと言うのも口幅ったいですが、
 事実なので言います。スミマセン。)
「ハードコアすぎる人」とは、
会話するのが難しいんですよね。
まぁ、それは分かります。

私「じゃあ逆に、お兄さんは何が趣味なんですか。」
美容師「スマホゲームです。」
私「、、、、」
美「、、、」
私「、、、」
美「、、、」
私「なるほどぉ(絶句)」

みたいなやりとりって、
帰った後にどっと疲れるのです。

マジで。

読んでる人の中に美容師がいたら、
大変申し上げにくく、心苦しいのですが、
あの「会話」は私のような人見知りタイプには地獄です。
「レジ袋不要」のカードとか、
ホテルの「掃除不要」のドアノブサインみたいに、
「会話不要」っていう前掛けがおいてあればいいのに、
と思うことすらある。

、、、その点、
妻は「神」です。
会話もかみ合う、
黙っておけば黙っておいてくれる。
20分で終わる。
0円。

端的に言って、
「神」です笑。


▼▼▼スマホ

、、、私はガラケー派なので、
スマホには一円も使っていません。
ガラケーの維持費は月額2,000円前後。
仕事兼用なので、長電話も出来るようにしつつ、
8割は経費で払ってもらっています。

スマホって、維持費マジで高いですから。

あと、維持費には、
美容院で語ったように、
「それに使っちゃう時間」も含まれます。

平均的な日本人は、
毎日3〜4時間スマホに使っているそうです。
毎月5,000円〜10,000円のお金、
そして毎日3〜4時間。
この損失は甚大です。

スマホ代は年に10万そこそこかもしれませんが、
(それでもデカいけど)
毎日3〜4時間あったら何が出来るのでしょう?
凄い損失だと思います。
私は同じ理由でテレビもまったく見ません。
好きなお笑い芸人の番組を録画して見ることはありますが、
それは「オン・デマンド」で見ているのであり、
DVDを借りてみているのと同じことです。
「テレビを受動的に見る」というのは、
一週間のなかで1分たりともない。

だって、絶望的につまらないんだもん。

そして、イライラしてくる。
「すべてを分かりやすく、
 テレビサイズのワンフレーズに切り取って提供する」
これに慣れると、
端的に言って「バカ」になると思います(失礼)。
「アホ化」する、
というか「大衆化」する、というか。
思考が「雑」になる、というか。
どこまで言い換えても失礼さは減りませんでした。
すみません笑。

もっと本を読みましょう。
あるいはラジオを聞きましょう。

佐藤優氏も言っているのですが、
ラジオ(および書籍)とテレビの、
決定的な違いは何か?

それは、テレビが「15秒以上の発言」を、
ゆるさないからです。
4秒以上同じ画角で、動きのない絵を映したら、
「放送事故」なのがテレビです。
だから「複雑な論理」は扱えない。
不倫報道なら「許せない!」一辺倒だし、
芸能人の麻薬なら「なぜそんな愚かなことを、、」
といった「記号的なテンプレート」だけが繰り返される。
民衆が民衆を裁く「私刑」はもはやリンチなのでは?
薬物依存症というのは「病気」なので、
患者として彼らを尊厳をもって扱うべきでは?
といった意見は「テレビ向きではない」とされカットされる。

テレビというのは人間の前頭葉を麻痺させて、
人が「思考しないように」する装置なのです。
これは、テレビが「人を消費するように洗脳するCM」を、
収入源としていることと関係しているのですが、
それはまた別の話。

とにかく、私はテレビは見ません。
時間の無駄だし、バカになるから。
同じ理由でスマホも持たない。
SNSも「事実上引退」した。

前述の佐藤優氏も、
怖ろしく忙しい人ですが、
スマホをいったんは持ったが手放したそうです。
「通知」によって、思考が中断されるのがいやだから。
しかし、手近な情報端末は便利です。
その「最適解」は何か??

佐藤さんも私も、
「ガラケーとタブレット持ち」です。

タブレットは格安SIM(月額970円)を入れて運用しています。
時間的にもお金的にも、
非常に合理的です。

*これはあくまで「私のような人間にとって」という意味。
テレビが好きな人がいても良いし、
スマホが手放せない人がいてもいい。
いっこうにかまいませんが、
私は自分の「脳の集中力の持続時間とその質」が、
仕事に直接影響するので、
上記のことが当てはまるのです。


▼▼▼ベルト、時計、手袋、耳当て

ベルトって、持ってる人は、
5、6本持ってたりしますよね。
私はフォーマル×1本
カジュアル×1本だけです。
あ、カジュアルは2本か。
でもそのうち1本は、
ほぼまったく使ってません。
書きながら「売りにいこう」と思いました笑。
1年以上袖を通していない服は手放す、
が私のルールですから。

ベルト、好きじゃないんですよね。
だから、ズボンを買うときは、
ベルト機能があらかじめついているズボンがあれば、
それを買います。

だいぶ前に紹介した、
グラミチのニューナローパンツとか、
最近はユニクロもドローコードがついてるズボンが多く、
非常に助かります。
ベルトって旅行のときは特に邪魔。
無駄に重いし、あと飛行機の保安検査所で外さなきゃいけないし。
だから、ベルトレス生活が私の理想であり、
ゆえにベルトにはお金をかけません。
持っているベルトは、
フォーマルなのは10年前にいただいたやつ。
カジュアルなのも、8年ぐらい前にユニクロで買ったやつです。

、、、あと、時計ですね。
時計は基本「チープカシオ」です。
1,000円です。
これが最高に良いんだ。
安いから良いんじゃない。
良いんだ。

付けているのを忘れるほど軽い。
海外にもそのまま付けていける。
なくしてもダメージは極小。
海外に行くときの時刻合わせも至極簡単。
素晴らしい!
さらにさらに。
秒針も着いていますので、
この重量たぶん20グラムぐらいのチープカシオは、
筋トレの時にもその威力を発揮します。
付けたままトレーニング出来るし、
インターバルの90秒とか120秒を、
これで測れる。

ジムではけっこうキッチンタイマー持ち込んでやってる人や、
スマホのタイマー機能使う人もいますが、
チープカシオならその必要なし!
チープカシオは「神」です笑。
「神」がデフレを起こしています。

、、、あと、手袋、耳当てに関しては、
最近のメルマガで語りました。
これらは「ダイソー」で買ってます。
非常に優秀。

すばらしい。

聖書に
「あなたの宝(お金)のあるところに、
 あなたの心もある」
ということばがあります。
キリストが言った言葉です。
これって本当に真実で、
「ある人が何を大切にしているかを知りたければ、
 その人が何にお金を使ってるかを見れば良い」のです。
その人が口で「大切だ」と言っていることが、
その人が大切にしていることではありません。
その人が最もお金を使っていること、
それがその人にとって最も大切なことです。

こう考えますと、
「人よりお金を使っていない事」
を語るというのはつまり、
「人より大切にしていないこと」
を語る事です。

つまり私があまり重要でないと思っているのは、
「美容院で髪の毛を切ること」、
「スマホでいつも人とつながっていること」
「ファッションにおける『装飾的な小物』」
なのだということです。

人にはいろんな価値観がありますので、
それは多様で良いと思うのですが、
たとえば独身の人の場合、
今付き合っている人と自分とで、
「お金をかける場所(かけない場所)」が、
とても違うと言うことでしたら、
けっこうその結婚の先行きは暗いかもしれない、
ということは知っておいたら良いかもしれません。


若かった両親にアドバイスできるとしたら?

2019.09.04 Wednesday

★第88号 2019年4月23日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼若かった両親に、何かアドバイス出来るとしたら?▼▼▼

▼自分を育ている若かった両親に、
何かアドバイス出来るとしたら何と言いますか?


、、、これはねぇ。
わりと深いテーマですよね。

40歳にもなると、
「やっと自分のことが分かってくる」。
多くの人はそんなに時間はかからないのかもしれないけれど、
私の場合、自分が分かるのに40年かかりました。
それでもまぁ、分からないこともあるのだけど。

そうすると、
「あぁ、あのとき自分はこうだったんだ。」
ということが、事後的に解明出来たりする。

私の場合、今考えると、
おそらくある種の発達障害を抱えていたと思います。
その言葉が重いというのなら、
発達に大きな偏りがあった。

これは間違いない。

だから、相当に育てにくい子どもだったはずです。
「良い子」ではない。絶対に。
「問題のある子ども」の部類でしたね。

、、、で、私の母親は、
(当然といえば当然だけど)私と似ていて
「真面目だがキャパシティが狭い」タイプなので、
問題児を軽くあしらうこともできない。
鷹揚に構えて適当に扱う事も出来ない。
「ま、なんとかなるでしょう!」
という楽観もできない。

だから一時期母親は育児ノイローゼのようになり、
私は包丁を突きつけられたりしました。
わりと精神的にキツイ追い込まれ方を、
日常的にしていました。
今になって思えば、
追い込まれていたのは母親のほうであり、
その「追い込まれ」が、
私を追い込むという入れ子構造になっていたのですが。

今の基準で言うと虐待に属するかもしれない。
当時は「なぜ兄弟のなかで自分だけが、
こんなにも母親を苦しめるのだろう?」
というどこか他人事のような疑問を抱いていて、
それはちょっと「離人症」に似た状態だったと思います。
母親がハサミをもって自分を追い詰めている、
その後ろ姿を、部屋の天井から、
冷静に見ているような感じ。

まぁ「離人症」ですね、多分。
自分を守るために必要なことだったのです。

「でも、何で僕だけが、、、、」
というのはやっぱり思うわけですよ。

発達に偏りがある子どもというのは、
主観的には発達に偏りがあると思ってないですから。

セクハラ上司が主観的にはセクハラしてないのと同じです笑。
「病識がないのが病理」なのです。
まぁ、今になって思えば、
それは私が発達に偏りがあるゆえに、
「この子どもがこのまま大人になったら絶対マズい!」
と周囲の大人に思わせる何かが、
私にあったからなのでしょう。
じっさいそうだったと思うし。

でも、それはそれとして、
母親に包丁を突きつけられ、
「一緒に死のう」みたいなことを言われるのって、
けっこうキツイ体験だったし、
その後の私の「生きづらさ」を形成しました。
しかし、そんなことは今では「どうでもいい」のです。
それもまた母親が私を愛してくれていた、
何よりの証拠だと思うようになりましたし、
その「生きづらさ」こそが、
私に「ユーモア」を与えました。
映画ライフ・イズ・ビューティフルの父親が、
ナチス収容所だからこそ道化になれたり、
尼崎の長屋極貧生活をしたからこその、
ダウンタウンのお笑いがあるのと同じように。

また、その「生きづらさ」こそが、
私を「思想家」にしました。
森羅万象の「理由」を、
普通の人はそんなに深く考えません。
考えたとしても、
「まぁ、そういうものだろう」と、
そのまま「呑み込み」ます。

私は絶対にそれが出来ない。
今分からなかったとしても、
10年後に分かるかもしれない。
そうやってしつこく考え続ける。
「なぜ」を問い続ける。
「水脈」に当たるまで、
地面を掘り続ける。

単純な頭の良さでは、
私より頭の回転が速く、
キレる人が数多くいますが、
その「しつこさ」では、
私は同世代のほとんど誰にも負けないと思っている。

水脈が見つからなければ、
マントルを突き抜けて地球の裏側まで掘る。
それぐらい私の「なぜ」という掘削機のツメは力強いのです。

「呑み込んだ」ほうが、世の中に適応しやすいし、
お金は儲かりやすいでしょう。
だから多くの人は「呑み込み」ます。
「世の中はこういうものだ」と受け入れ、
そのなかで上手くやっていくことを考える。

しかし私は違う。
「なぜそうなのか」ということが腑に落ちるまで、
決して諦めない。
それってもう「こだわり」というより、
「Way of Life(生き方)」の問題です。
こういうレベルのことは、
変えようがない。
そういう風に創られていると、
受け入れてそれをどう生かすかを考えるしかない。

それを「どう生かす」か?

これが「生きる」んだな。

社会が安定した時代には、
「なぜ」を問うこと、
つまり高度に抽象的なことというのは、
あまり役に立ちません。
むしろ具体的・即物的なことが重要になる。
しかし、社会が不安定で大きく変わる時代には、
高度に抽象的な思考が出来ることが、
非常に大切になります。

誰も思ってくれないからせめて自分で思ってるのですが笑、
私はその意味で自分のことを「時代の宝」だと思っています。
私は今の時代に産まれるべくして生まれたのです。

多分。

おそらく。

、、、で、「抽象思考のツメ」は、
どこから来たのか?
それは間違いなく幼少期の母親との葛藤から来ています。
あのときに「存在論的な不安」を抱えなかったら、
私は、
「世の中に適応するに速く、
生き抜くのに狡猾で、
ひょうひょうと要領よく世渡りする現実主義者」
となっていたことでしょう。

つまり、その定義からして、
私はキリスト者にはなっていなかった。
キリスト者は上のような人物の「逆」の人ですから。

そういうことも含め、
私は自分の過去を愛おしいものとして、
今は温かい気持ちで抱きしめています。
抱きしめれば抱きしめるほど、
自分と母親と世界に対して、
温かい気持ちが溢れてきます。

そして思います。

こんなに恵まれた私は、
世の中にその恵みを還元しなければ、
絶対にダメだ、と。

パウロの言う、
「世界に対する負債」の概念ですね。

私たちが大人になり、
親になると、
「両親が親だったとき、
 こんなに若かったんだ!」
と驚く事があります。

私はいま41歳ですが、
私の両親が41歳のときというのは、
私は小学校3年生ぐらいだったわけで、
そりゃ、パニックにもなるわな、と思います。
転勤族で周囲に助けを求める親族もおらず、
子どもを3人抱え、その一人(私)は、
明らかに「様子がおかしい」わけですから笑。
「ヤバい、なんとかしなきゃ!」
と追い詰められることでしょう。

そんな私も、
40年ぐらいかけて、
人々に迷惑をかけながらではありますが、
ちゃんと「発達」したのです。
「なんとかなった」のです。

私は学校の友人、先生、
大学の友人や知人や教会、
社会人になってからの同僚、友人、教会、組織、、、
さまざまな人々に迷惑をかけることで、
いろんなところに頭をぶつけながら、
その「いびつな発達の角」が取れ、
なんとか常識的に振る舞う事が出来るまでに、
「社会によって成長させてもらった」わけです。

そう考えますと、
親の役割というのは案外大きくはなく、
一人の人間が一人前の大人になるまでに、
「この社会」が果たす役割というのは、
考えている以上に大きい。
ジュディス・リッチ・ハリスの、
『子育ての大誤解』を読んでから、
私はますます確信するようになりました。

国際的な学力検査の結果を見ますと、
日本の教育レベルは世界トップクラスですが、
日本のGDPに対する教育の公的支出は先進国最下位です。

なぜか?

親がめちゃくちゃ私財を投じて、
子どもを教育しているからです。

国家が教育において、
これほど「国民に甘えている」国は、
諸外国のなかに他に類を見ない。

でも、その背後にあるのは、
政治家の陰謀でもなければ、
シルバー民主主義でもない。
政治というのは原因ではなく「結果」です。

つまり、
日本人の大多数が、
「子どもを大人にするのは親だ」
と思いすぎている。

遺伝:?%
親:90%
社会:10%

ぐらいに思ってるんじゃないでしょうか?
そう思っていたからこそ、
若き日の私の母親は、
あれだけ追い込まれたのです。

でも、ハリス氏が論証しているとおり、
真実はこうです。

遺伝:40〜50%
親(家庭):10%
社会(友人):40%

これはでたらめな話ではなく、
膨大の「異なる環境で育った双子」の研究から実証されています。
「子育て神話」の崩壊を意味しますから、
この説は人気がないですが、
科学的にはこちらが真実らしい、
というのが最近になってやっと受け入れられるようになってきました。

*参考文献:
『人間の本性を考える』スティーブン・ピンカー
『子育ての大誤解』ジュディス・リッチ・ハリス


、、、何が言いたいのか?
私が若い母親に言いたいのはこうです。
「彼は多分発達障害だけど、
 心配することはないよ。
 社会が彼を育ててくれるよ。」

そして父親に言いたいことはこうです。
「もうちょっと精神的に、
 子育てをフォローして上げて」と。
昭和のモーレツサラリーマンだった父親は、
典型的な昭和の父親のご多分にもれず、
家事や子育ては「ゼロ・コミットメント」でした。
会社の接待で、毎日帰ってくるのは12時過ぎていたし、
土日はゴルフ。
たまに何もない休日には、
ゴルフのスイングか野球中継を見るぐらい。

子どもと家事は「あとは任せた」状態。
もし父親が母親に対して、
家事を手伝わないまでも、
子育てについてねぎらいの言葉をかけたり、
心配を示したりしていれば、
私はハサミをもった母親の前で、
「地獄の圧迫面接」を、
週に数回、2時間以上受ける必要はなかったかもしれない。

、、でも、もしそうなっていたら、
先ほど申し上げた理由により、
私はクリスチャンではなかった。

子どもというのは、
「複雑系」です。
複雑系と非・複雑系の違いは何か?

非・複雑系は、
「ああすればこうなる」が成り立ちます。
自動車のような機械を考えたら分かりやすい。

複雑系は、
「ああしてもこうならない」のです。
有機体としての生物を考えてください。
生物学者の福岡伸一氏が、
「生命工学」という概念自体に異を唱えるのは、
「生命=複雑系」「工学=非・複雑系」という、
二つの「系」の違うものの組み合わせに、
無理があるからというのが氏の主張ですが、
私も彼に賛同します。

「ああすればこうなる」か、
「ああしてもこうならない」か。
これが一番の違いです。
詳しくは「複雑系の科学」に関する文献を参照ください。

とにかく「一人の人間が大人になる」
というのは、関与する要素があまりに多すぎて、
「よかれとおもったことが悪い結果をもたらす」ことや、
「失敗したとおもったことが実は良い結果の原因になっていた」
というようなことに溢れています。

だから、「コントロール不能」なのです。


、、、といったことを踏まえ、
現在父親になった私が子どもに出来ること、
それは何か?

「鷹揚に構える」?
「社会が子どもを育ててくれると信頼する」?
「妻にねぎらいの言葉をかける」?
全部正解ですし、心掛けています。

しかし、このすべてを完璧にしたとしても、
「ああしてもこうならない」のが子育てなのでしょう。
これらを全部したとして、
子どもが将来シンナーを吸い、
髪の毛を染め、タトゥーを入れ、
木刀をかつぎ、原付を改造し、
コンビニの前でたむろするようになったとしても、
私はまったく驚きません。
その前時代性には驚くかもしれませんが笑。

なんせ、複雑系なのですから。

ジュディス・リッチ・ハリスが言っているように、
「お父さん、お母さんといたあの時間は楽しかったなぁ」
と、将来子どもが回想してくれるように、
私もまた二度と戻らないこの時間を、
「楽しんで過ごす」。
これぐらいしか私に出来ることはないんじゃないか。
これが私の「暫定的な答え」です。

私は子どもの将来をコントロール出来ない。
しかし、子どもが
「現在、楽しいかどうか」に関しては、
けっこう私はいろいろなことが出来る。
それで良いじゃないですか。

だって、子ども期間って、
「大人になるための準備期間」じゃないでしょ。
私の見るところ、みんなそう思いすぎてます。
だとしたら、大人の期間って、
老人になるための準備期間なんでしょうか?
老人期間はじゃあ、何の準備期間なんですか?

違うでしょ。

子ども時代も人生です。
大人時代も人生です。
老人時代も人生です。

「生きる」ことは何かの目的に奉仕するのでなく、
それ自体が尊いのです。

だから、子ども時代という「生」が、
豊かになるように、親は全力を尽くす。
それは大人になって有利に人生を進めるための、
投資期間では決してない。

日本の社会が、
両親にすべての十字架を負わせるのではなく、
もっと社会全体で子育てに投資していこうよ、
という風に変わるのには、
上記のような前提が共有される必要があると、
私はけっこう本気で思っています。


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