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ビートたけしと松本人志 【後編】

2018.05.30 Wednesday

+++vol.042 2017年12月12日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論
「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。
独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼ビートたけしと松本人志(後編)▼▼▼

先々週、たけしと松ちゃんに関する「私論」を展開しました。
結論を先に言うと、「笑い」に特化するならば松本に敵うものはないが、
「タレント・文化人」として考えたとき、
松本はたけしに永遠に追いつけない、という話をしました。

、、、で、なんでこの話を書こうと思ったかと言いますと、
先日、愛知県で知り合いの牧師と「休みの日(月曜日)」を利用して、
釣りに行ったのです。

その先生は私より年下の30代の牧師で、
以前から何度か食事をご一緒したことがあったのですが、
「質問カード」を使って夫婦同士4人(+子どもたち)で食事したとき、
先生が
「休日に何でもして良いと言われたら魚釣りに行く」
みたいな話をされたわけです。

、、、先生はめちゃくちゃ魚釣りが好きで、
魚釣りの魅力を熱く語り始めました。
私は実は、人生で魚釣りにハマったことがありません。
多分10回ぐらいは、友達の影響や人に誘われて、
行ったことがあるのですが、「何が楽しいかわからない」。
餌を触るのが気持ちわるいとかそういうことじゃないです。
私は獣医ですから、数百匹単位の、
「寄生虫の動く茹でたてパスタ」を、
素手でわしづかみしたこともありますので。

生き物を触るのは私の職業ですから全然大丈夫。
私が魚釣りにハマらないのは、なんていうのかなぁ、
30分ぐらいすると、「飽きる」んですよね笑。

本とか読みたくなっちゃう。

、、、で、先生は言いました。
「じゃあ陣内さん、今度愛知に来られるとき、
 月曜日が空いてることがあったら、
 是非一緒に行きましょう。
 釣りの魅力を味わわせますから。
 道具は全部用意してますので。」
、、というようなやりとりがあり、
なんだかんだで1回流れたりして、
今回、1年半越しぐらいの約束が、
やっと果たされた、という成り行きでした。

、、、で、私と先生は11月の浜名湖畔で、
鳥の鳴き声を聞いたり、
遠くを過ぎゆくジェットスキーヤーを見ながら、
まる一日釣りを楽しみました。

片道1時間半のドライブを楽しみ、
途中、トラックの運転手が立ち寄るような、
地元の食堂(ライス爆盛り)に立ち寄って、
魚フライ定食を食べ、餌を買い、
海に釣り糸を垂らしました。

、、、半日間。

全部で10匹ぐらいの小魚が釣れました。

結果、どうだったか?

釣りの魅力は、やはりわかりませんでした(爆死)。
なんでしょうね。
体質に合わないんでしょうね。

I先生が途中で言った一言で、
私は自分が釣りに向かない理由を悟りました。
「釣りって言うのは見た目とは裏腹に、
 短気な人のほうが上手なんです。
 待てない人のほうが巧い。
 いろいろ試行錯誤するから。」

、、、なるほどね。

私は「短気とは逆」です。
いくらでも待てちゃいます。
たとえば電車でも、
「乗り換えた方が早く着く」場合でも、
乗り換えません。
各駅停車に乗り続けます。
待つことに何のストレスも感じませんから。
「ゆっくり行こうぜ」と思います。
車の運転も近道を探すことに興味はない。
だって、いくら急いでも、
1日早く着いたりはしないでしょ、
と思いますから。
せいぜい30分ぐらいのものです。
30分早く着くために、
「あくせく」することのほうが損だ、と思います。
健康に悪いぜ、と思う。
全然、待てます。
待っている間、考え事をしたりするのも楽しいですから。
逆に、世の中で一番嫌いなのは「急かされる」ことです。
あんまり些細なことで何度も急かされると、
そのときの虫の居所によっては、
「うるせぇな、黙って待ってろ!!
 そして、死ね!
 救われた後に、死ね!」
と、心の中で思います(優しい)。
誤解なきように申し添えますと、
私は「仕事」は早い方ですし、
できることなら仕事が早い人と働きたいと思っています。
「仕事以外の領域」に、「早いことは良いことだ」、
という脅迫的な価値観を持ち込まれるのがキライなのです。
なんだか人生が侵襲されるような気持ちになりますから。
もっと味わおうよ、待つことも含めて人生を、
と私は言いたいわけです。
、、、と考えると私の主張は一貫していて、
仕事が早いのは人生を味わいたいからです。

そんな「ゆっくり行こうぜ」な私ですから、
もしも私が「イラチ」な大阪人と結婚したら、
早々に離婚しているかもしれません。
「もう限界です。
 私は先に行きます。」
という書き置きを残されて。
、、、まぁ、追いかけませんけど笑。

、、、そんなわけで、
やっぱり私は釣りには向かないことが判明しました。
しかし、釣りの魅力は分かりませんでしたが、
釣り糸を垂らしながら楽しい会話をすることの魅力は分かりましたし、
うららかな初秋の日に、人気のない道をドライブしながら、
人生について、仕事について、家族について、
気張らない会話をすることの楽しさは、めちゃくちゃ分かりました。

なので、またI先生に釣りに誘われたら私は二つ返事で、
「行きましょう!是非!」と言うことでしょう。
先生は魚釣りを、私は屋外で過ごす穏やかな時間と、
遠くを見つめながらする人生についての対話を楽しみにして。
こういうのを「同床異夢」といいます。



▼▼▼「人生で大切なことはお笑いから学んだ」▼▼▼

、、、で、何の話をしてたんだっけ?
そう、お笑いの話です。

先生と浜名湖に行って帰ってくるドライブがてら、
そして釣り糸を垂らしながら、
同世代の私たちは6時間以上、様々なことを語り合いました。

、、、で、話題の中心が「お笑い」だったのです。
先生が釣りの話をした先ほどの「質問カード」のとき、
私は殆どの時間「有田哲平の魅力」について語りました。

、、、で、先生もお笑いがけっこう好きなことが判明しましたので、
行きすがら、気がつくと、牧会、説教、ミニストリー、人生など、
私たちに共通するキリスト教の働きのあらゆることに関して、
「陣内さん、これをお笑いで語るならどうなりますか?」
と先生が私に質問し、私がそれに答える、
という「文法」が出来上がってきました。

先生も私の語るお笑い用語を理解する、
「お笑い的教養」のある人でしたので、
もう、「伝わる伝わる」。
こういうときの小気味よい会話って、
本当に気持ちいいですよね。

脳と脳に電極をつなげて、
エッセンスをやりとりしているような、
そんな「伝導率の高さ」は愉悦でした。
私が「つまりお笑いでいう『つかみ』というのは2種類あって、、、」
というと先生が
「なるほど、それは先ほどの教団のキャンプの状況だと、
 こういうことですね!」
「そうそう!その通りです。
 シュールをやるメリットもらりますがリスクもありますから、
 初見の場合絶対ベタのほうが良いんです。
 シュールは『振り』が十分効いてから徐々に入れていくのが良い、、」
「そっかぁ、確かに。
 あの先生の最初のつかみの構造が分かりました!
 次に応用してみます!」
と、もう、プラトンとアリストテレスのごとく、
私と先生は「お笑いという教養」に基づき、
人生や教会や働きについて語りあったのです。

その話をしながら、
私は案外「人生で大切なことはお笑いから学んだ」
と言えるのではないか、
と半ば本気で思ったのです。

、、、いや、マジで。

一時期脳科学者の茂木健一郎氏がテレビで二言目に、
「それを脳科学的に語るなら」といって解説していましたが、
私は多分、森羅万象あらゆることを、
「それをお笑いで語るなら」という切り口で語れます。
先生と会話しながら、「俺って結構すごいかも」と思いました笑。
、、、「どこがだよ!」と思っている人が大多数でしょうが。
いったい何の役に立つんだ、と。
はい。何の役にも立ちません。
、、でも、教養というのはすぐには役に立たないところに、
その価値があるのですよ。
これは本当に。

、、、そのとき運転してた先生が不意に、
「ビッグクエスチョン」を投げかけてきました。
それが、
「ビートたけしと松本人志って、どうなんでしょうね。」でした。

、、、ふつふつとこみ上げる喜びが
顔に出すぎないように気をつけながら、
私はいいました。
「ふふん、、それはなかなか良い質問ですね、、、」
と言って話し始めたことを、
メルマガに書いてみよう、と思ったのが、
この記事(前編・後編)の背景です。

、、、なげー前置き(笑)。



▼▼▼北野武と松本人志の生み出してきたコンテンツ▼▼▼

松本人志とビートたけしを語る場合、
最初に上がる話題は「映画」です。

なぜか?

「笑い」だとか「テレビコンテンツ」で比較するのは難しいからです。
関西と関東で笑いの文法がまず違いますから、
その笑いを比較するのは実はあまり意味がありません。
なんていうか、
アメフト選手とラグビー選手の「巧さの比較」みたいなものです。
同じ「笑い」であっても、尼崎の笑いと浅草の笑いでは、
競技自体が異なりますから、比較困難です。

次に「テレビコンテンツ」という意味でも優劣付けがたい。
二人とも、同じぐらい、
オリジナルなコンテンツを生み出してきているからです。
今週の「読んだ本」で紹介する、
北野武の「ラストシーン」でも本人が語っていますが、
現在のバラエティ番組の「元ネタ」の殆どは
たけしが作ったといっても過言ではありません。

たとえばダチョウ倶楽部や出川哲朗の
「リアクション芸」の土台を作ったのは彼です。
あれは「元気が出るテレビ」の熱湯コマーシャルの系譜ですから。
ついでに言えば「元気が出るテレビ」には、
今のテレビバラエティのあらゆるアイディアの鋳型があります。
「ドッキリ」もそうですし、スタジオでVTRを見ている人を移す、
「ワイプ」の考え方の原型もここにあります。
この番組から取られたアイディアだけで、
何本も現代の番組が作れる、とたけしは言っています。

また、カズレーザーなどが活躍する、
多くの「教養型クイズ番組」がありますが、
あれはビートたけしが趣味で中学入試の数学の問題を解いていて、
「これ、番組にしたら面白いんじゃないか?」と思いついたのを、
「平成教育委員会」というフォーマットにしたところにそのルーツがあります。

「SASUKE」という、障害物を乗り越えて、
身体能力の限界に挑む番組がありますが、
あれの原型はたけしが「テーマパークをそのまま番組にしちゃおっか」
と言って始めた「風雲!たけし城」が初めてやったことです。
ちなみに「たけし城」は今では日本国内より世界でのほうが知名度が高い。
インドで私は知り合いから、
「日本のテレビと言えば『ドラえもん』と、
あと、、、あれだよね、あれ。
『Takeshi Caltle(タケーシ・キャッソゥ)』!
あれが面白いんだ。インドで大人気だよ!」
と言われて2秒後に返答しました。
「あー、たけし城ね!」

あと、「俺たちひょうきん族」は、
著書の中でたけしはあれは「THE MANZAI」の移動型なんだ、
と言っています。テレビで毎週漫才をするのでなく、
演者固定で、キャラを変えてコントを見せる。
あれは日本ではまだ誰もやってことのないものだったのです。
その後とんねるずやウッチャンナンチャンやダウンタウンが、
名作コント番組を作りますが、そのフォーマットを作ったのはたけしです。

とにかくビートたけしという人は、
80年代以降の日本の「テレビを作った人」と言っても良い。
それほどの影響力があります。

一方松本人志も負けていません。
現在テレビで活躍する40歳以下のお笑い芸人の、
2人に1人ぐらいは「ごっつええ感じ」を見て、
ダウンタウンに憧れて芸人になっています。
もはやあれは「古典」なのです。

さらに松本人志は「笑い」を見せるフォーマットを、
貪欲に「発明」してきました。

松ちゃんが90年代にやっていた、
「一人ごっつ」は大喜利をショーにするという意味で、
現在の「IPPONグランプリ」や「ダイナマイト関西」の原型です。

また、「すべらない話」「笑ってはいけないシリーズ」
などの意欲的なフォーマットを造り続けていますし、
最近では「ドキュメンタル」というとんでもないものを発明しました。
あれは「笑いのアルティメットファイト」であり、
見ているだけでヒリヒリします。

これらのコンテンツが私は大好きですし、
今後も彼が何をして私たちを楽しませてくるか、
いつもわくわくしています。

以上の理由から松本人志とビートたけしは、
「テレビのお笑いタレント」という枠組みのなかでは、
甲乙付けがたいのです。



▼▼▼「教養」の差▼▼▼

しかし、「甲乙がついちゃう」分野が二つあります。
ひとつは「映画」、もうひとつは「コメンテーター」です。
結論から言うならば「甲」がたけし、「乙」が松本であり、
この順列が入れ替わることは今後もないでしょう。
その理由を説明していきます。

松本人志はこれまで、
「大日本人」
「しんぼる」
「さや侍」
「R100」
という4本の映画を撮っています。

私は「松本信者」ですから、
最初の3本は映画館で鑑賞しています。
、、、信者の私はその認知的バイアスと、
「サンクコスト問題」により、
「面白かった」と自分を言い聞かせていました。
お金と時間を払って映画館に見に行った、
自分が天才だと思っているカリスマの映画を、
「面白くなかった」と私は認めることが出来ずにいたのです。
私は冷静さを失っていました。

しかし、今なら分かります。
素人の能見さんが良い味出してた
「さや侍」を除けば、彼の映画は、
映画として良く出来ている、とはお世辞にも言えない。

大胆にも宣言しましょう。
彼はコント師としては超一級品ですが、
映画作家としては二流以下です。

対する北野武の映画は名作がごろごろあります。
彼はコント師として一級品であり、
映画作家としては超一級品なのです。
じっさい、現在世界の第一線で活躍する映画監督には、
北野武のファンが数多く存在しており、
彼らに「北野武の本業はコメディアンだ」と言っても信じてくれません。
「冗談はよしてくれよ。
北野監督がコメディアンなわけないじゃないか。」と。
これは本当の話です。

そして北野監督が「発明」した映画的表現の多くは、
世界中の映画作家に影響を与えています。
「キタノブルー」と言われる乾いた切なさのタッチや、
何の前触れもなく突然人が死ぬという「死のリアリティ」、
彼独特の大胆な編集手法など。
ちなみに著書でたけしはこれを「素因数分解法」と名付けています。
つまり、
「銃を発砲」→「Aが死ぬ」→「銃を発砲」→「Bが死ぬ」
→「銃を発砲」→「Cが死ぬ」→「銃を発砲」→「Dが死ぬ」
と普通の監督ならば撮るシーンを、
北野監督は、
「銃を持って歩く男がいる。」
→「AとBとCとDが撃たれて死んでいる」
→「男の銃から白煙が上がっている」
というシーンに「編集」します。

数学です。

AX+BX+CX+DX=X(A+B+C+D)
ということです。

松本と北野武の差は何か。

いろーんな枝葉を大胆に切り落として、
きわめて乱暴に断定してしまうならば、
それは「教養の有無」です。

北野武には「教養」があり、
そして松本人志には、認めるのは悲しいですが、
「教養」がないのです。

松本は無意識下で北野武になりたいと思っており、
彼の「地頭」はとてつもなく良いですから、
きっとその差が「教養」にあることも分かっています。
松本人志は休みの日に美術館に行ったり、
様々な演劇を鑑賞したり、古典落語を聞いたりしており、
文化・芸術方面の造詣を深めていることが知られています。
それはきっと「北野武になりたいが、教養が足りない」
という本人も認めたくない抑圧の表出だと私は分析しています。

しかし、問題がひとつありまして、
「教養」というのは美術館巡りや古典演劇鑑賞によっては、
残念ながら構築できません。
さらに言えば、「教養」というのは、
5年やそこらで構築できません。
数十年間をかけて形成されます。
それは義務教育や高校教育、大学教育でその土台が作られ、
さらにそれから社会人になった後、学びを続けたか止めたかで、
10年後、20年後に大きな差となって現れます。
40を過ぎたころには二人の人の教養レベルの差というのは、
もはや逆転不能になっています。

これは「学歴」とか「偏差値」の話とは無関係です。
「有名大学を卒業した教養のない人」もいますし、
「大学を中退した教養のある人」もいます。

「北野武は大学を中退した教養のある人」の代表です。
彼の本を読めば分かりますが、彼の地頭は究めて優秀です。
彼のお兄さんは東大卒ですが、彼もその気になれば入れたでしょう。
また、北野武は先程来私が語っている数学だけでなく、
理論物理学、天体学、化学、日本や世界の歴史、政治や経済、
東西の古典的小説や戯曲について、非常に博識です。

それらの教養は全部、「エキス」となって、
彼の映画に抽出されるわけです。

一方松本人志の教養は、
義務教育と高校教育の「土台」からして怪しい。
そして彼はあまり本を読みませんから、
社会人になってからの「教養の蓄積」も、
底が知れているわけです。

その結果として彼の映画は「スカスカ」になる。
本人がどれだけ理解しているか分かりませんが、
北野武と松本人志の映画の「差」は、
「教養の差」に他なりません。

ビートたけしは著書で何度も書いていますが、
本当は理系の科学者になってノーベル賞を目指したかったそうです。
しかし大学に入ってすぐに「アカデミックな世界」とは、
自分は肌が合わないことを直観し、大学を中退して、
浅草演芸場のエレベーターボーイになります。
そこでたまたま、師匠に目を付けられたのが、
「芸人・ビートたけし」のキャリアのはじまりです。

つまり、たけしは「笑いを選んだ」のではありません。
たまたま笑いに出会っただけであって、
彼はどこの世界で何をしてたとしても、
その世界にへこみをあたえる(byスティーブ・ジョブズ)、
巨星のような才能を持ち合わせていたわけです。

一方、松本人志には「笑い」しかありません。
これは悪い意味ではなく、良い意味です。
彼は「遺書」や「松本」といった著書にも書いていますが、
「笑い」がなかったら社会で生きていくことはできなかっただろう、
と自分で言っています。
サラリーマンとしてもやっていけないし、
他のいかなる職業を選んだとしても、「適用不全」だと。
そういった「芸人」が私はちなみに大好きですし、
松本人志自身もきっとそういう芸人たちが大好きだからこそ、
芸人たちのための「スタジアム」を作ることで、
沢山の後輩たちをブレイクさせてきています。
自著で彼は「笑いに魂を売った」と自らを表現していて、
それは本当にそうなのだと思います。

お笑いに選ばれ、笑いに魂を売った、
「笑いの鬼神」なのが松本人志、
汎用性の高い天才が、
最初にたまたまお笑いを選んだのが北野武です。

この二つには優劣はありません。

生き方が違うだけです。

しかしひとたび、
松本人志が「映画監督」や「コメンテーター」に手を出すと、
その「教養の差」が露骨に出てしまう。
だから松本は笑いの世界だけでその才能を発揮するスターであって欲しい、
というのが私の願いです。
格闘の天才、アントニオ猪木が政治家に転身したとき、
多くの猪木ファンは離れましたが、
松本人志が(たぶんないとは思いますが)、
映画監督や文化人など、たけしの足跡を追い続けると、
あまり誰も得しないのではないか、
というのが私の見解です。

ご存じのとおり松本人志は、
2013年から「ワイドナショー」という、
情報番組のコメンテーターをしており、
そこで国内外の政治問題などについてコメントを加えることもあります。
私はこの番組をわりと好きで見ていて、
天才・松本人志が今の社会問題について
何を言うのか注目していたのですが、
正直な話、彼のコメントは「底が浅い」。
「基本的な知識が欠如しているために、
ソフトな国家主義者(右翼)になっている残念な人」
というのが日本には多分3,000万人ぐらいいますが、
松本人志もその部類です。

別に右翼が頭が悪く、左翼が頭が良いわけではありません。
「教養がないゆえに左翼になる」人もいれば、
「教養があるゆえに右翼になる」人もいます。

しかし松本の「右傾」は明らかに、
基本的な歴史、社会、政治、経済、法律などの、
知識の欠如がその根底にあります。
簡単に言いますと、
「なんか北朝鮮ムカつくなぁ。
 日本すごいんだぞ!!
 謝ってばっかりじゃだめだ!」
みたいな話で、構造的には、
トランプ大統領を支持し当選させた、
アメリカのブルーカラーの労働者と同じで、
きわめて感情的に「雰囲気で」発言しています。

実はこういう層が最も危険です。
同じ右翼でもちゃんと、八紘一宇とか、
明治政府の成り立ちとか、北一輝とか大川周明とか、
大正デモクラシーとは何だったのかとか、
その後に関東大震災があって、
なぜ陸軍は暴走したのか、とか、
吉田茂はマッカーサーとどんなギリギリの交渉をしたのか、
とか、そういったことを踏まえた上で、
なお「それでもナショナリズムは大切だ」と、
自覚的に右翼になっている人は安全です。

それが右派だろうが左派だろうが、
「知識と見識を踏まえた上で自覚的に」そうしている人は安全だし、
対話の対象になりますし、その対話は有意義です。
しかし、「理由はよく分からないが雰囲気で」右や左に、
「ただ傾いているだけ」の人は一番危ない。

ビートたけしは松本人志とは対照的です。
彼は現政権には批判的です。
それはちゃんと理由があって、
彼が「立憲主義とは何か」とか、
「民主主義の脆弱性はどこにあるか」とか、
そういった政治哲学の基礎的知識を持ち合わせているからです。
だから彼には「現政権の危うさ」が分かるわけです。
さらに彼は芸能界という、
「政治家に目を付けられて干されるリスク」
を抱えながら、かなり踏み込んだ批判も行う。

なぜか。

彼は個人事務所だからです。
松本人志が現政権の虎の尾を踏めば、
いくら松本といえどよしもとの本社から怒られます。
たけしの場合(太田光もそうですが)、
「自分が事務所」なので、迷惑をかけるのは自分だけ。
「自分のケツは自分で持って」いるから、
大胆な発言も可能なわけです。



▼▼▼2回死んだ男▼▼▼

もっと言えば、ビートたけしは、
おそらく「死」も含めて、
何も怖いものなどないのだと私には思われます。
彼は死ぬことをいっさい恐れていない。
むしろ彼の映画を観ると、そこから感じるのは逆に、
「死への憧憬」ですらあります。

考えてみるとそれもそのはずで、
ビートたけしは今までに二回「死んで」います。

一回はフライデー襲撃事件の時。
このとき彼は「謹慎」で済みましたが、
今なら一発退場で、二度と芸能界に帰ってこられないでしょう。
彼は暴行容疑で「前科一犯」ですから。

きっと襲撃の当日、
そのまんま東らと共に出版社のエレベーターを上りながら、
「もう芸能界も飽きたし、まぁいっか。
 十分稼いだし、楽しんだし。
 、、、次は何しよっかな。
 、、、でも全科一般は就職に不利だろうな、、、。」
などと冷静に考えていたはずです。
たけしには「そういうところ」があるのです。

さらに、もう一回死んだのは、
ご存じ「バイク事故」です。
あのときたけしは死んでも全くおかしくなかった。
そして事故から復帰の記者会見で顔面がぐちゃぐちゃになった、
ビートたけしを見て、日本人全員が、
「あぁ、たけしは終わった」と思った。
それほどにあの会見は衝撃でした。

たけしは暴行事件で社会的に死に、
バイク事故で生物学的に死にました。
しかし不死鳥のように彼は帰ってきた。

私も大きな病気をして、
死んでもおかしくなかったですから分かるのですが、
「死にかける」経験をした人の多くは、
「今生きている人生がオマケだ」と思うようになります。
だから、全部がプラスなのです。
生きているだけで、「ボーナスステージ」なんですから。
本来もうゲームオーバーのはずなのに。

そうすると、あんまり何も怖くなくなる。
たけしの生き方にも同じようなものを感じます。
ビートたけしの強さは、
「何にも執着しない」ということに尽きます。
彼はお金にも興味がないし、
良い暮らしをすることにも無関心。
権力にも感心がないし、
先程来言っているように「笑い」に囚われているわけですらない。
さらに、究極的には「生」に執着していない。

だから、彼は強いのです。

彼は著書で語っています。
映画を撮るときも本を書くときも、
自分でやりたいと思っているのではなく、
「何かもっと大きなものにやらされている」感覚があると。
彼は映画もお笑いも、賞やヒットを目指していません。
成功にも金銭にも名声にもまったく執着していない。
しかし、というよりも、「だからこそ」、
賞も取るしヒットもする、という逆説があります。

たけしが爆笑問題の太田に、
「お前はまだまだ俺に追いつけない。
お前には前科もないし、事故で死にかけたこともないだろう」
と冗談交じりに時々言うそうですが、
それは松本人志にも間接的に言っているのかもしれません。

たけしにとって、
社会的に死にかけ、生物学的に死にかけたこと、
つまり一度死んで復活したことは大きな転機でした。
本人も言うようにそのまま死んでいたかもしれないが、
結果的に二つの「死」は、
彼をそのたびにメタモルフォーゼ(変態)させました。
これがビートたけしの「凄み」です。
ちょっと「格が違う」のです。

最後に、たけしの弟子、水道橋博士が、
その著書「藝人春秋」でこんなことを書いています。

同書で博士は松本人志について一章を割いて書いています。
彼と松本人志は同世代で、
彼の才能にとにかく圧倒されたそうです。
その笑いに潜む「狂気」も、「優しさ」も、
殿(たけし)に似ている、と博士は思いました。

しかし、あるとき彼は、たけしが松本と自分を対比して
「でも、俺のほうがより凶暴で、俺のほうがよりやさしい」
と呟くのを聞いた、という文章でその章は締めくくられています。
「そうだ。殿のほうがはるかに凶暴で、
 殿のほうがはるかに優しい。」と。

博士が言う意味が、
今の私にはちょっと分かるのです。

以上、「松本人志とビートたけし」でした。
お読みいただきありがとうございました。

―完―



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ビートたけしと松本人志 【前編】

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論
「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。
独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼松本人志とビートたけし▼▼▼

全国のお笑い有識者の皆様、こんにちは。
久しぶりの、お笑いルポライーターです。
12月3日はM-1グランプリですね。
決勝の面々ですが、

ジャルジャル、
かまいたち、
カミナリ、
マヂカルラブリー、
ミキ、
さや香、
とろサーモン、
和牛、
ゆにばーす
敗者復活枠

となっています。

今回は誰が優勝しても「面白い」ですねー。
私の「イチオシ」は「とろサーモン」です。
この人たちはもう10年以上ずーっと面白いですが、
M-1本戦の決勝に出るのは初めてです。
彼らには日の目を見てほしい。

あと前回、前々回大きな爪痕を残し、
「あれ?優勝しなかったっけ?」
ぐらいの印象がある「和牛」。
関西の漫才賞を総なめにしている兄弟コンビ「ミキ」、
キングオブコント2017の王者、「かまいたち」。

このへんが優勝候補筆頭の一角でしょう。
ジャルジャルはめちゃくちゃ面白いですが、
彼らの持ち味は賞レース向きじゃないんですよね。
4分間じゃなくて40分間のネタで競う大会があったら、
ジャルジャルは簡単に優勝できるでしょうが、
あの「じわじわ来るシュールさ」っていうのは、
「笑いの手数が勝負」のM-1では不利に働きます。

しかし、賞レースは何が起きるか分かりませんので、
12月3日に誰が優勝してもおかしくないし、
誰が優勝しても驚きません。
いずれにせよ決勝のメンツは、
私個人的にはここ数年でいちばん楽しみです。



▼▼▼松本人志とビートたけし▼▼▼

、、、で、今回は「松本人志とビートたけし」について語ります。
たぶん一回では語りきれませんので(笑)、
今回は「さわり」だけ。

松本人志とビートたけしっていうのは、
本来対等に並べるべきものではなく、
ちょっと「斜め上」の関係なんですよね。

縦軸にも横軸にも立ち位置がずれている、というか。
たとえば松本人志と明石家さんまだと、
同じ関西のよしもと芸人の「頂点を極めた男」という同じ縦軸があり、
その同じ軸の上で「世代の違い」がある。

松本人志と「とんねるず」、
もしくは松本人志と内村光良だと、
同じ世代のお笑いのスターという横軸を共有しており、
片方は関西系、片方は関東系という、
「地理的な東西の違い」という構図がある。

こう考えると、松本人志とビートたけしというのは、
地理的な東西、世代的なズレ、
という二重の立ち位置の違いがあり、
それゆえに二人の対比は「お笑い思想史」的に、
複雑で豊かな味わいがあるのです。

ちなみに二人はこれまで何度か雑誌で対談しています。

私は「夢で会えたら」「ごっつええ感じ」でお笑いの面白さを知り、
いまだに「ガキの使い」と「水曜日のダウンタウン」を毎週録画して観、
「すべらない話」「IPPONグランプリ」などの、
松本人志のテレビコンテンツを楽しみ、
松本人志が過去に書いた書籍は「遺書」「愛」「松本」だけでなく、
「シネマ坊主シリーズ」「松本人志の怒り」など、
9割方読破しており、
彼の映画「大日本人」「しんぼる」「さや侍」は劇場で鑑賞し、
さらにはAmazonプライム企画の「ドキュメンタル」を観るために、
Amazonプライム会員に入会した(副産物多し)という、
筋金入りの「松本信者」なので、
松本人志とビートたけしの対談が掲載されているBRUTUSのバックナンバーは、
Amazonで取り寄せてもちろん読みました。

▼参考画像:BRUTUS 大松本論
http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/51MSjLi9obL.jpg

、、、で、この対談からも分かるのは、
松本人志とビートたけしは、
お互いにかなり意識し合っているのは間違いない、ということです。
もちろんそれは「別の色を持った巨大な才能」同士が、
お互いの才能へのリスペクトを込めて、という意味において。
それを「言葉に出来る」のはやはり、
松本にとってたけしが、「斜め上」だからです。

逆に松本人志が明石家さんまのことを語る事は殆どないし、
とんねるずについて話すこともほぼ皆無です。
人は「自分と(世代、ジャンルなど)共有するものがひとつあり、
なおかつ対置されるような位置にあるもの」を、
非常に意識するからです。
人は意識しすぎると、
それについて語る事が難しくなります。
たけしと松ちゃんの「距離感」というのは、
そういう意味では丁度良いわけです。


▼▼▼松本人志はビートたけしを超えられない、という仮説▼▼▼

、、、というわけで彼らは互いを語りうる関係にあるのですが、
私の推論では、
「松本はたけしをものすごく意識しているが、
 それはたけしが松本を意識している仕方とはかなり違う」
というのが本当だと思っています。

もっと赤裸々に突っ込んで言えば、
松本は無意識に「たけしを超えたい」と思い続けており、
たけしは松本の才能は認めつつも、
「絶対に俺のところには届かない」と、
かなり余裕をもってあしらっている、という構図です。

本人たちに聞いたわけではないので確証はできませんし、
そもそも本人たちがそんな本音をそのまま言うわけありませんから、
これはあくまでお笑いルポライターとしての、
私の「見立て」にすぎません。

仮にこの見立てが正しかったとして、
結論を先に言ってしまうなら私の大胆な仮説は、
たけしの見立ては正しく、
「松本はたけしを超えることはできないし、
松本はこの先も『たけしになる』ことはできない。」
というものです。

「松本信者」の私ですから、
こんなふうに考えるようになったのはわりと最近のことです。
つまり私の「お笑いを観る見方」に、
この数年で変化があったということを意味します。

かといって私は松本人志のファンであることをやめませんし、
これからもダウンタウンの創り出す笑いを楽しむことでしょう。

しかし、しかしです。

松本はたけしを超えられるか?
という質問になると、
NOと言わざるをえない、
というのが私の見立てとして、
近年確立してきたのです。

もっと正確に言うならば、
「コント師」とか、「関西吉本的文脈の笑いの瞬発力」とか、
「笑う」ということだけに特化したコンテンツ創出力においては、
松本人志はビートたけしどころか、世界で他の追随を許さないし、
おそらく今後50年も彼の水準に到達する才能は出てこないでしょう。
まさに空前絶後の才能です。

彼は(サンシャイン池崎のいう意味ではなく、
本当の意味において)「笑いに愛された」男なのです。
「笑いに選ばれた男」と言ってもいい。

なんていうんでしょう?
宮本武蔵が「剣に選ばれた男」なのと同じです。
ある特定の分野において破格の才能を持つ、
という意味の「巨星」が松本人志です。
現在の日本の「笑い」の、
デファクトスタンダードを作ったのは松本人志だ、
と言っても過言ではない。

彼の後を生きるいかなる日本のコメディアンも、
彼の笑いと無縁ではいられないのです。
これは茶の湯における千利休とか、
近代科学におけるニュートンとか、
キリスト教におけるパウロとか、
そういったレベルの才能なわけです。



▼▼▼次号に続く▼▼▼

、、、その松本人志が、
「笑いのコンテンツを創出する」という一点突破においては、
ビートたけしには勝てる(というより住む世界が違う、多分)が、
「表現者、広い意味での芸人、コメディアン」または「タレント」、
もっと言えば「文化人」として、
北野武にまったく敵わないのはなぜなのか、という話を、
これから私はしていきたいと思っています。

先ほどの剣の喩えでいうなら、
松本人志は剣を究めた「剣聖」にはなれますが、
その射程を超えた、ジャンル横断的な「天下人」にはなれない。
ビートたけしはあきらかに「天下人」です。
お笑いというジャンルを超えて、
彼の表現者としての才能と影響力はとどまるところを知らない。
たけしは天下人(信長・秀吉・家康)になれますし、
剣の腕(お笑いの腕)でも一級品です。
しかし松本人志が逆に「剣の腕」を超えて、
「政治的な頭角」を現すことは難しいと私は考えている、
ということです。

またまた結論を先取りしますと、
松本人志は無意識下で「天下人」になりたいと思っているが、
その夢が今後叶うことは絶望的であり、
彼はお笑いから別の世界に越境せず、
「剣聖」にとどまった方が本人も周囲も幸せだ、
というのが私の「大松本論」なわけです。

、、、この後の話は非常に長くなりますので、
今日はここまで(笑)。
ネタフリで終わります。

格闘技ならば「煽りVTR」で第一回終了です笑。
、、、再来週以降、続きを書きます。
お楽しみに!!



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推し芸人

2018.02.15 Thursday

+++vol.027 2017年8月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論

「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。

独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼最近注目している若手は、、、▼▼▼

久しぶりに、「お笑い」について語りたくなったので、
「私のお笑い論」やります。

、、、今回は短めに。

私は「お笑い有識者」ですので笑、
ときどきこうして読者の皆様に、
「優良なお笑いコンテンツ」についてご提案するのが、
私の歴史的な使命かと存じています。
私以外だれも「そんなこと存じていない」かもですが笑。

そうですねぇ。

2017年上半期はなんといっても、
「ブルゾンちえみ」でしたね。
ブルゾンちえみは岡山県出身です。

私は愛知県生まれの帰国子女で、
岡山育ちで、心の半分は北海道っ子の、
現在東京在住という、
複雑なプリズムを持つ人間ですが、
小学校高学年、中学校高校の7年間を過ごした、
岡山出身のタレントがテレビで活躍したりすると、
ちょっと嬉しい気持ちがいまだにあります。

岡山って「広島の影に隠れたマイナーな県」
という印象が強いのであまり知られていませんが、
B'zの稲葉さんも、
次長課長も、
千鳥も、
THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトも、
橋本龍太郎元総理も、
水道橋博士も、
みんな岡山県人です。
(かつて高校生だった私の弟は橋本龍太郎の選挙カーに、
 あやうく引かれそうになったことがあります笑。)

岡山はベネッセホールディングス、
昔の進研ゼミ(福武書店)の発祥地でもあり、
「教育に力を入れている県」なのです。
統計的にも県の予算に占める教育への支出割合が高い、
という記事を読んだことがあります。

だからかどうか分かりませんが、
岡山県出身の有名人って、
どこかインテリな雰囲気が漂ってませんか?

教養の匂いがするというか。

「どこが?」と反論されるかもしれませんが、
甲本ヒロトなんてめちゃくちゃ頭いい進学校出てますし、
彼の書くリリックはもはや「純文学」だと私は思っています。
また、水道橋博士も本を読めば分かりますが、
めちゃくちゃ頭いいです。

、、、サンプル数が少なすぎるので、
何の意味もなしていない発言ですが笑。

ブルゾンちえみも、
どことなく「知性の匂い」がするんですよね。
現に彼女は国立大学の教育学部を卒業しています。
きっと多くの人が彼女に感じている、
「そこはかとない好感度」というのは、
彼女の知性に由来すると思っています。
どこか「品」みたいなものがある。



▼▼▼おすすめの芸人▼▼▼

話しがそれましたが、
この上半期で、ブルゾンちえみがブレークしたのは、
別にいまさら私が言及しなくても皆さんが知っていることですから、
まだあまりテレビに露出していないけど、
「この人面白いよ」という人を何組か紹介します。

▼マツモトクラブ

この人は私がもうずいぶん前から、
「推し」ている人です。

リズムネタなど「わかりやすいネタ」、
お笑い用語でいう「ベタ」を志向するのが、
昨今のお笑い界の風潮です。

それは当然で、テレビの力が相対的に落ちていますから、
長いネタというのはそもそも見てもらえない。
シュールで咀嚼しないと笑えないネタなんていうのは、
論外なわけです。

そんななか、ある意味、
「シュールというストロングスタイル」の、
フィールドで勝負している彼は、
サムライのようでカッコいいです。

ブレイク前のバカリズムとどこか重なるところがあります。
「俺は俺が面白いと思ったことをやり続ける。
 世間が必ず気付くときが来る。」
という頑固なまでの信念。

売れて欲しいなぁ。
ただ、彼の場合はまだデビューして5年とか6年なので、
今売れていないというのは逆にラッキーです。
いまのうちにお笑いの地肩を鍛え、ネタを増やし、
野球のピッチャーで言うところの「球種」を増やし、
制球の精度を高めておくことができるからです。
ブルゾンちえみの場合、幸か不幸か、
そのあたりの「地肩」がまだ固まっていないうちに、
ブレークしましたので、今後苦労するでしょう。
まぁ、彼女の場合はお笑い芸人と言うよりも、
「タレント」として生きる道もありますが。

▼参考動画:マツモトクラブ「ストリートライブ」
https://youtu.be/_0VMRgktQaE



▼ネルソンズ

このコンビは最近、
私の中で最も「熱い」ですね。
たしか今年の正月の「おもしろ荘」にも出ていました。

特にボケの「和田まんじゅう」の存在感が至高です。
こういう「正真正銘のコメディアン」というのは、
昨今のお笑いシーンのなかで、いそうで案外いなかった。

顔、体型、話し方、話す内容、動き、、、
すべてが面白いです。

▼参考画像:和田まんじゅう
https://goo.gl/KzsZM3


彼は本当にオールラウンドタイプの天才肌、
って感じで、ちょっとした衝撃を受けています。
ネタもめちゃくちゃ面白いし。

登場するだけで笑いが起こる。
「こいつは何かをやってくれそうな気がする」
というワクワク感を、私は久しぶりに味わっています。

▼参考動画:ネルソンズ「祭り」
https://youtu.be/7v0l5Q8QAZ0

いま地上派で彼らが出ている番組は、
「日曜チャップリン」と、
「有田ジェネレーション」ぐらいですかね。
興味ある方は是非、チェックしておいてください。



▼チョコレートプラネット

チョコレートプラネットに関しては、
キングオブコントにも出ていますし、
知っている方も多いと思うのですが、
最近改めて、面白いなぁと思うのです。
ネタがちゃんと面白いコンビは、
それだけで信頼してしまいます。

▼参考動画:チョコレートプラネット「カラオケ」
https://youtu.be/E3FNuc93StU

ツッコミ?のおかっぱ頭だった人(名前知らない)が、
最近IKKOさんのモノマネをはじめまして、
そのクオリティがヤバイです。
何度観ても笑ってしまいます。


以上、偶然にも、ピン、コンビ、トリオと、
ひと組ずつ紹介する形になりましたが、
2017年上半期、私が「笑った」人々を紹介しました。
またネタがたまったらお笑いについて語りたいと思います。
乞うご期待!




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新コーナー「私のお笑い論」

2017.11.02 Thursday

+++vol.012 2017年5月9日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 【新コーナー】私のお笑い論

新コーナーを立ち上げます。
その名も「私のお笑い論」。

見切り発車ですので(笑)、
何を書くかまったく決めてません。

とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。

独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼新コーナー、「私のお笑い論」へようこそ▼▼▼

、、、さて、新コーナーが始まりました。
(まぁ、私が勝手にはじめているんですけど笑)、
タイトルは「私のお笑い論」です。

「お笑い」といっても、
これはもうねぇ、めちゃくちゃ間口も奥行きも広い話なので、
いったい何から手をつけて良いか分からないという。

ただ今日は初回ですので、
そもそも「笑い」とは何なのか、
みたいなことについて、私がこの何年か、
考えてきたようなことを、話せればと思っています。

まず、「笑い」の古典に、
ベルクソンの「笑い」という本があります。

私は笑いを研究する者、笑いの求道者として、
この本は押さえておきたいとずっと思っていましたが、
そのうちに、、、と思っているうちに時間ばかり過ぎ、
やっとこさ図書館で借りて読んだのは今年の1月のことです。

読んでみて、この本が「なぜ古典なのか」が、
分かった気がしました。

確かにこれは古典です。

▼参考リンク:「笑い」ベルクソン
http://amzn.asia/8cuJN3O

この本には、じつは私たちが日常目にする「笑い」の、
すべてが詰まっている、と言っても過言ではない。

ベルクソンはこの本で、大人の「おかしさ」の原型は
すべて子どもの遊びやおかしさのなかに見いだせる、
という仮説から出発して、
古典喜劇などの「おかしさ」の要素を抽出して
定式化しようと試みています。

以下に引用を交えて、
1924年という、今から100年近く前に書かれた本書が、
いかにみごとに現代の笑いを説明することに成功しているか、
ということを指摘していきたいと思います。


▼ひとつめ。
人間から「人間性を抜き取ったもの」はおかしさを感じさせる。
モノマネだとか、ロボットのふりをする人間だとか。
「生き物らしさのなかにある機械らしさ」は面白い、
とベルクソンは指摘しています。

これはなぜモノマネが芸として成立するのか、
また、「ごっつええ感じ」の「アホアホマン」など、
なぜコントの設定にロボットものという、
ジャンルが存在するのか、という説明になっています。


▼つぎに、
アンビバレントな葛藤の中の緊張からは「おかしさ」が生まれる。
率直な物言いと、相手を傷つけまいとする、
「慇懃の間」などが面白いのだ、
とベルクソンは指摘しています。

いわゆる「葬式コント」や「殿様いじり」はこれ。
「緊張と緩和」は面白いのです。
コントの設定に悩んだら、
とりあえず葬式で屁をこいておけば良いのです笑。
このジャンルは昔は志村けんの独壇場でしたが、
最近だとTKOがめちゃくちゃ上手です。


▼機械的な連鎖反応にはおかしさがある。
AがBを殴り、BがCを殴り、、、など、
暴力がエスカレートしていくなどのパターンにも、
おかしさがあるとベルクソンは言っています。

Eテレの「ピタゴラスイッチ」や、
「トムとジェリー」はこの理論に血肉を与えたものです。
トムとジェリーは連鎖反応だし、
ピタゴラスイッチも連鎖反応です。
子どもが飽きることなく延々とああいったものを見る、
というのはそこに「連鎖反応がもたらすおかしさ」
があるからです。


▼さらにベルクソンは、YがZをなぐり、Zが最初のAを殴る、
というように、その連鎖が直線的ではなく円環的であるとき、
さらなる「おかしさ」が生まれる、と言っています。

漫才の「オチ」というのは、
しばしば最初の問題提起への回帰になっています。
最初に「彼女が欲しいんだけど、、、」で始まったネタが、
漫才の掛け合いの応酬があり、
たとえば地球環境みたいな話にまで展開したあと、
最後の台詞で「あぁ、やっぱ彼女いらないわ」
「いらないのかよ、もういいよ!」
で終わる、みたいな伏線の回収の方法があります。
これはベルクソンの「連鎖の円環」です。


▼また、「繰り返し」はおかしさを生む、
とベルクソンは言っています。

これは日本のお笑いやバラエティでも、
「天丼」として定式化されています。
「天丼」というのは、他の人がいった、
ちょっと今の面白くなかった?という空気が生まれた台詞を、
まったく違った文脈で繰り返したりすることを言います。
ますだおかだの岡田さんなんて、「人生が天丼」です。
殆ど「パァ」と「出た!」と「閉店がらがら」の、
3つの天丼だけで彼はやりくりしている。
彼は多くの人が誤解しているように、
「つまらない」のではありません。
逆です。
ミュージシャンならば、ギターのコードを三つしか使わず、
ヒット曲を飛ばし続けている、みたいなもので、
これはもう、桁外れの才能です笑。
ちなみに皆様もご存じのとおり、
赤ちゃんは「天丼が大好物」です。
「いないいないばあ」は天丼ですから。


▼ベルクソンは「ひっくり返し」はおかしさを生む、
と指摘しています。
罠を張った人自身が罠に引っかかる、
ぺてん師がペテンにかかるなどです。

日本のバラエティなら
「ドッキリを仕掛けていると思っている人が
実はドッキリにかけられている」逆ドッキリや、
漫才で「ツッコミが間違っているというボケ」という、
「ツッコミでボケる」タイプの漫才がこれにあたります。

(ツッコミでボケる漫才は、
この2、3年でとても増えて来ています。
古くはタカアンドトシの、
タカが、「サッカーボールか!!」
と唐突にトシの坊主頭を殴る。
トシがそれに「何が?」とツッコむ、
みたいなくだりですね。)


▼さらに引用します。

→P135 
〈一つの情況は、それが絶対的に無関係な
二つの系列の出来事に同時に属しており、
かつ同時に全く異なる二つの意味で
解釈することが出来るときには、
おかしさをもったものとなる。〉

これはアンジャッシュの掛け違いコントが、
まさにしていることです。
彼女の家にいくと偶然、彼女のお父さん(渡部)が、
ブラジャーをしているのを目撃してしまう。
お父さんは宴会芸の準備をしていただけだが、
彼氏役の児島は、
お父さんがガチでそういう趣向を持っていると勘違いする。
お父さんが何気なく、「私もすきでねぇ」とか、
「君も今度どうだ一緒に?」みたいなことを、
彼氏に言う。
彼氏はゲイの世界に誘われていると思ってたじろぐが、
お父さんは宴会芸の話をしている、みたいなやつですね。
このときお父さんと彼氏は同じ言葉をしゃべっているが、
まったく違う世界を見ているわけです。
こういうとき笑いが生まれる、
とベルクソンは100年前にすでに看破している。
すごいです。


▼さらに続きます。

→P140 
〈登場人物たちが全篇を通じて
まったく変わることのない関係性を保ち続けるものの、
そのうちの何人かが隠し事をしていて口裏を合わせなければならず、
大きな喜劇の中でもう一つの小さな喜劇を演じるようにする、
という手法もある。〉

もうこれはみなさんおわかりだと思います。
そう、これは典型的な吉本新喜劇のプロットです。
吉本新喜劇には高確率でヤクザ(借金取り)と、
警察が出てきます。
従業員は主人がいることを借金取りに隠します。
そこへ警察が現れ、従業員は今度は借金取りがいることを、
警察に隠さなければならなくなる。
そこへ空気を読めなず主人が登場してしまい、
ヤクザがつられて出てきて、、みたいな、
「情報開示の非対称性」がもたらすおかしさが、
そこにあるわけです。


、、、とこのように、
今日はベルクソンの「笑い」という古典から、
「笑いのパターンにはどのようなものがあるか」
「そしてそれがすでに100年前にほどんど出そろっていた」
ということを見て来ました。



▼▼▼「古典の力」▼▼▼

ベルクソンの「笑い」は、
「笑い」をテーマにした本には、
ほとんどと言っていいほど引用されている古典です。

温故知新というとあまりにもありふれた表現ですが、
じつは本当に新しいものを生みだそうとする人は、
新しいものを追いかけてはダメなのです。

これは教育でもビジネスでも芸術でも宗教でも、
ありとあらゆることに敷衍できる原則です。

「新しいものばかり追いかけている人に、
 新しいものは作り出せません」

なぜか。

我々はみな「古典という巨人の肩に乗って」、
世界を見ているからです。

新しいものの中に新しいものがあると思っている人は、
足下の巨人が見えていないのです。

そういう人の作るものというのは往々にして、
「安っぽい模倣品やアイディアの二番煎じ」になります。

本人は「これは俺にしか思いつけない」と
酔いしれていますが、
周囲はそれを見てどこか既視感を覚えます。

なぜそうなるのか。

新しいものを追いかけ続けている人は、
本当は向かうべき方向と、
真逆に進んでいるからです。

めちゃくちゃ大きな大木が立っているとき、
それと同じだけの深さの「根」が
地中には張り巡らされています。
めちゃくちゃ高いビルが立っているとき、
それに比例するように、
基礎工事は深く掘られています。

私たちが自分の働く現場で、
本当に革新的な何かを生み出したければ、
上へ向かってぱくぱくと口を開けてジャンプするかのように、
新しい情報を追いかけ続けてはいけません。

むかう方向が逆なのです。
本当は地面を深く掘らなければならない。
それが何を意味するかというと、
歴史を知り、古典を読むということです。

パタゴニアというアウトドアブランドの創業者、
イヴォン・シュイナードは、
「流行というのは常に時代遅れだ」と言っていますが、
その言葉の意味は、つまりそういうことです。

では本当に新しいものはどこにあるのか?

それは「古典」のなかにあります。
古典を読むというのは、
巨人の脳内に入り込んで風景を見るのに似ています。
そうして初めて、「ではそこから何を発展させられるだろう」
と考えることができる。

これは私の活動にとって大切な、
いわば企業秘密でもあるので、
本当は人にシェアしたくないのですが笑、
でもメルマガ読者の皆様には特別に、
その秘密を公開します。

「新しい」ものとは何か。

それは、「古典の再解釈」から生まれます。
古くから知られ、古くから読まれているものを、
「再定義」あるいは「再解釈」する。

再文脈化、リフレーミングという言葉を使っても良いのですが、
どんな表現を用いたとしても同じです。

いつの時代も「本当に革新的なアイディア」というのは、
「古典の再解釈」から生まれます。

究極の実例を挙げますと、
「キリスト教」は「ユダヤ教の再解釈」です。
有史以来、この2,000年間の人類の発展というのは、
めざましいものがありますが、
その「文明」は、キリスト教の上に乗っかっています。
近代科学も、近代的政治機構も、資本主義経済も、
キリスト教をその理論的下敷きにしている。

ではそのキリスト教はどこから始まったか。

それは、「イエス」という一人の男が、
それまで過去2000年以上続いていた、
ユダヤ教の伝統的解釈を「解体」し、
「再定義」したからです。

私はキリスト教徒なのでこれに自分の信仰がのっかりますが、
ここでは信仰は差し引いて、史実だけを語ります。

史実だけを語った場合、
キリスト教は最初の100年ぐらいは、
「ユダヤ教から生まれたカルト」でした。

仏教からオウム真理教が生まれたり、
日蓮宗から創価学会が生まれたのと、
同じ現象として、当時のローマ帝国は、
キリスト教を捉えていたわけです。

しかしそれが2,000年後の今、
世界で最も普遍的な宗教になっている。

あと、仏教もバラモン教のカルトです。
ブッダという宗教的天才が、
「バラモン教を再解釈した」のが仏教なのです。

「笑い」の話をしていたら古典の話になっちゃいましたが、
今のお笑い芸人の中で本当に賢い「生き残る」人というのは、
過去の笑いを踏まえた人です。

落語を聞き、ドリフや志村けんを見、
「ごっつええ感じ」を繰り返し勉強した人、
そういう人がそれらの「古典」に、
新たな解釈を与えていく。

そういう形で笑いというのは発展していくのです。

繰り返しますが、これはあらゆることに通じます。
セールスでも組織論でも、宗教でも教育でも、
地域コミュニティ作りでも学術論文でも同じです。

「真に新しいものは、
 古典の再解釈である」

これを覚えておくと、
わりといろんなことに応用可能ですので、
御参考までに。

、、、短いですが今日はここまでにします。




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