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ビートたけしと松本人志 【前編】

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論
「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。
独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼松本人志とビートたけし▼▼▼

全国のお笑い有識者の皆様、こんにちは。
久しぶりの、お笑いルポライーターです。
12月3日はM-1グランプリですね。
決勝の面々ですが、

ジャルジャル、
かまいたち、
カミナリ、
マヂカルラブリー、
ミキ、
さや香、
とろサーモン、
和牛、
ゆにばーす
敗者復活枠

となっています。

今回は誰が優勝しても「面白い」ですねー。
私の「イチオシ」は「とろサーモン」です。
この人たちはもう10年以上ずーっと面白いですが、
M-1本戦の決勝に出るのは初めてです。
彼らには日の目を見てほしい。

あと前回、前々回大きな爪痕を残し、
「あれ?優勝しなかったっけ?」
ぐらいの印象がある「和牛」。
関西の漫才賞を総なめにしている兄弟コンビ「ミキ」、
キングオブコント2017の王者、「かまいたち」。

このへんが優勝候補筆頭の一角でしょう。
ジャルジャルはめちゃくちゃ面白いですが、
彼らの持ち味は賞レース向きじゃないんですよね。
4分間じゃなくて40分間のネタで競う大会があったら、
ジャルジャルは簡単に優勝できるでしょうが、
あの「じわじわ来るシュールさ」っていうのは、
「笑いの手数が勝負」のM-1では不利に働きます。

しかし、賞レースは何が起きるか分かりませんので、
12月3日に誰が優勝してもおかしくないし、
誰が優勝しても驚きません。
いずれにせよ決勝のメンツは、
私個人的にはここ数年でいちばん楽しみです。



▼▼▼松本人志とビートたけし▼▼▼

、、、で、今回は「松本人志とビートたけし」について語ります。
たぶん一回では語りきれませんので(笑)、
今回は「さわり」だけ。

松本人志とビートたけしっていうのは、
本来対等に並べるべきものではなく、
ちょっと「斜め上」の関係なんですよね。

縦軸にも横軸にも立ち位置がずれている、というか。
たとえば松本人志と明石家さんまだと、
同じ関西のよしもと芸人の「頂点を極めた男」という同じ縦軸があり、
その同じ軸の上で「世代の違い」がある。

松本人志と「とんねるず」、
もしくは松本人志と内村光良だと、
同じ世代のお笑いのスターという横軸を共有しており、
片方は関西系、片方は関東系という、
「地理的な東西の違い」という構図がある。

こう考えると、松本人志とビートたけしというのは、
地理的な東西、世代的なズレ、
という二重の立ち位置の違いがあり、
それゆえに二人の対比は「お笑い思想史」的に、
複雑で豊かな味わいがあるのです。

ちなみに二人はこれまで何度か雑誌で対談しています。

私は「夢で会えたら」「ごっつええ感じ」でお笑いの面白さを知り、
いまだに「ガキの使い」と「水曜日のダウンタウン」を毎週録画して観、
「すべらない話」「IPPONグランプリ」などの、
松本人志のテレビコンテンツを楽しみ、
松本人志が過去に書いた書籍は「遺書」「愛」「松本」だけでなく、
「シネマ坊主シリーズ」「松本人志の怒り」など、
9割方読破しており、
彼の映画「大日本人」「しんぼる」「さや侍」は劇場で鑑賞し、
さらにはAmazonプライム企画の「ドキュメンタル」を観るために、
Amazonプライム会員に入会した(副産物多し)という、
筋金入りの「松本信者」なので、
松本人志とビートたけしの対談が掲載されているBRUTUSのバックナンバーは、
Amazonで取り寄せてもちろん読みました。

▼参考画像:BRUTUS 大松本論
http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/51MSjLi9obL.jpg

、、、で、この対談からも分かるのは、
松本人志とビートたけしは、
お互いにかなり意識し合っているのは間違いない、ということです。
もちろんそれは「別の色を持った巨大な才能」同士が、
お互いの才能へのリスペクトを込めて、という意味において。
それを「言葉に出来る」のはやはり、
松本にとってたけしが、「斜め上」だからです。

逆に松本人志が明石家さんまのことを語る事は殆どないし、
とんねるずについて話すこともほぼ皆無です。
人は「自分と(世代、ジャンルなど)共有するものがひとつあり、
なおかつ対置されるような位置にあるもの」を、
非常に意識するからです。
人は意識しすぎると、
それについて語る事が難しくなります。
たけしと松ちゃんの「距離感」というのは、
そういう意味では丁度良いわけです。


▼▼▼松本人志はビートたけしを超えられない、という仮説▼▼▼

、、、というわけで彼らは互いを語りうる関係にあるのですが、
私の推論では、
「松本はたけしをものすごく意識しているが、
 それはたけしが松本を意識している仕方とはかなり違う」
というのが本当だと思っています。

もっと赤裸々に突っ込んで言えば、
松本は無意識に「たけしを超えたい」と思い続けており、
たけしは松本の才能は認めつつも、
「絶対に俺のところには届かない」と、
かなり余裕をもってあしらっている、という構図です。

本人たちに聞いたわけではないので確証はできませんし、
そもそも本人たちがそんな本音をそのまま言うわけありませんから、
これはあくまでお笑いルポライターとしての、
私の「見立て」にすぎません。

仮にこの見立てが正しかったとして、
結論を先に言ってしまうなら私の大胆な仮説は、
たけしの見立ては正しく、
「松本はたけしを超えることはできないし、
松本はこの先も『たけしになる』ことはできない。」
というものです。

「松本信者」の私ですから、
こんなふうに考えるようになったのはわりと最近のことです。
つまり私の「お笑いを観る見方」に、
この数年で変化があったということを意味します。

かといって私は松本人志のファンであることをやめませんし、
これからもダウンタウンの創り出す笑いを楽しむことでしょう。

しかし、しかしです。

松本はたけしを超えられるか?
という質問になると、
NOと言わざるをえない、
というのが私の見立てとして、
近年確立してきたのです。

もっと正確に言うならば、
「コント師」とか、「関西吉本的文脈の笑いの瞬発力」とか、
「笑う」ということだけに特化したコンテンツ創出力においては、
松本人志はビートたけしどころか、世界で他の追随を許さないし、
おそらく今後50年も彼の水準に到達する才能は出てこないでしょう。
まさに空前絶後の才能です。

彼は(サンシャイン池崎のいう意味ではなく、
本当の意味において)「笑いに愛された」男なのです。
「笑いに選ばれた男」と言ってもいい。

なんていうんでしょう?
宮本武蔵が「剣に選ばれた男」なのと同じです。
ある特定の分野において破格の才能を持つ、
という意味の「巨星」が松本人志です。
現在の日本の「笑い」の、
デファクトスタンダードを作ったのは松本人志だ、
と言っても過言ではない。

彼の後を生きるいかなる日本のコメディアンも、
彼の笑いと無縁ではいられないのです。
これは茶の湯における千利休とか、
近代科学におけるニュートンとか、
キリスト教におけるパウロとか、
そういったレベルの才能なわけです。



▼▼▼次号に続く▼▼▼

、、、その松本人志が、
「笑いのコンテンツを創出する」という一点突破においては、
ビートたけしには勝てる(というより住む世界が違う、多分)が、
「表現者、広い意味での芸人、コメディアン」または「タレント」、
もっと言えば「文化人」として、
北野武にまったく敵わないのはなぜなのか、という話を、
これから私はしていきたいと思っています。

先ほどの剣の喩えでいうなら、
松本人志は剣を究めた「剣聖」にはなれますが、
その射程を超えた、ジャンル横断的な「天下人」にはなれない。
ビートたけしはあきらかに「天下人」です。
お笑いというジャンルを超えて、
彼の表現者としての才能と影響力はとどまるところを知らない。
たけしは天下人(信長・秀吉・家康)になれますし、
剣の腕(お笑いの腕)でも一級品です。
しかし松本人志が逆に「剣の腕」を超えて、
「政治的な頭角」を現すことは難しいと私は考えている、
ということです。

またまた結論を先取りしますと、
松本人志は無意識下で「天下人」になりたいと思っているが、
その夢が今後叶うことは絶望的であり、
彼はお笑いから別の世界に越境せず、
「剣聖」にとどまった方が本人も周囲も幸せだ、
というのが私の「大松本論」なわけです。

、、、この後の話は非常に長くなりますので、
今日はここまで(笑)。
ネタフリで終わります。

格闘技ならば「煽りVTR」で第一回終了です笑。
、、、再来週以降、続きを書きます。
お楽しみに!!



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推し芸人

2018.02.15 Thursday

+++vol.027 2017年8月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論

「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。

独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
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▼▼▼最近注目している若手は、、、▼▼▼

久しぶりに、「お笑い」について語りたくなったので、
「私のお笑い論」やります。

、、、今回は短めに。

私は「お笑い有識者」ですので笑、
ときどきこうして読者の皆様に、
「優良なお笑いコンテンツ」についてご提案するのが、
私の歴史的な使命かと存じています。
私以外だれも「そんなこと存じていない」かもですが笑。

そうですねぇ。

2017年上半期はなんといっても、
「ブルゾンちえみ」でしたね。
ブルゾンちえみは岡山県出身です。

私は愛知県生まれの帰国子女で、
岡山育ちで、心の半分は北海道っ子の、
現在東京在住という、
複雑なプリズムを持つ人間ですが、
小学校高学年、中学校高校の7年間を過ごした、
岡山出身のタレントがテレビで活躍したりすると、
ちょっと嬉しい気持ちがいまだにあります。

岡山って「広島の影に隠れたマイナーな県」
という印象が強いのであまり知られていませんが、
B'zの稲葉さんも、
次長課長も、
千鳥も、
THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトも、
橋本龍太郎元総理も、
水道橋博士も、
みんな岡山県人です。
(かつて高校生だった私の弟は橋本龍太郎の選挙カーに、
 あやうく引かれそうになったことがあります笑。)

岡山はベネッセホールディングス、
昔の進研ゼミ(福武書店)の発祥地でもあり、
「教育に力を入れている県」なのです。
統計的にも県の予算に占める教育への支出割合が高い、
という記事を読んだことがあります。

だからかどうか分かりませんが、
岡山県出身の有名人って、
どこかインテリな雰囲気が漂ってませんか?

教養の匂いがするというか。

「どこが?」と反論されるかもしれませんが、
甲本ヒロトなんてめちゃくちゃ頭いい進学校出てますし、
彼の書くリリックはもはや「純文学」だと私は思っています。
また、水道橋博士も本を読めば分かりますが、
めちゃくちゃ頭いいです。

、、、サンプル数が少なすぎるので、
何の意味もなしていない発言ですが笑。

ブルゾンちえみも、
どことなく「知性の匂い」がするんですよね。
現に彼女は国立大学の教育学部を卒業しています。
きっと多くの人が彼女に感じている、
「そこはかとない好感度」というのは、
彼女の知性に由来すると思っています。
どこか「品」みたいなものがある。



▼▼▼おすすめの芸人▼▼▼

話しがそれましたが、
この上半期で、ブルゾンちえみがブレークしたのは、
別にいまさら私が言及しなくても皆さんが知っていることですから、
まだあまりテレビに露出していないけど、
「この人面白いよ」という人を何組か紹介します。

▼マツモトクラブ

この人は私がもうずいぶん前から、
「推し」ている人です。

リズムネタなど「わかりやすいネタ」、
お笑い用語でいう「ベタ」を志向するのが、
昨今のお笑い界の風潮です。

それは当然で、テレビの力が相対的に落ちていますから、
長いネタというのはそもそも見てもらえない。
シュールで咀嚼しないと笑えないネタなんていうのは、
論外なわけです。

そんななか、ある意味、
「シュールというストロングスタイル」の、
フィールドで勝負している彼は、
サムライのようでカッコいいです。

ブレイク前のバカリズムとどこか重なるところがあります。
「俺は俺が面白いと思ったことをやり続ける。
 世間が必ず気付くときが来る。」
という頑固なまでの信念。

売れて欲しいなぁ。
ただ、彼の場合はまだデビューして5年とか6年なので、
今売れていないというのは逆にラッキーです。
いまのうちにお笑いの地肩を鍛え、ネタを増やし、
野球のピッチャーで言うところの「球種」を増やし、
制球の精度を高めておくことができるからです。
ブルゾンちえみの場合、幸か不幸か、
そのあたりの「地肩」がまだ固まっていないうちに、
ブレークしましたので、今後苦労するでしょう。
まぁ、彼女の場合はお笑い芸人と言うよりも、
「タレント」として生きる道もありますが。

▼参考動画:マツモトクラブ「ストリートライブ」
https://youtu.be/_0VMRgktQaE



▼ネルソンズ

このコンビは最近、
私の中で最も「熱い」ですね。
たしか今年の正月の「おもしろ荘」にも出ていました。

特にボケの「和田まんじゅう」の存在感が至高です。
こういう「正真正銘のコメディアン」というのは、
昨今のお笑いシーンのなかで、いそうで案外いなかった。

顔、体型、話し方、話す内容、動き、、、
すべてが面白いです。

▼参考画像:和田まんじゅう
https://goo.gl/KzsZM3


彼は本当にオールラウンドタイプの天才肌、
って感じで、ちょっとした衝撃を受けています。
ネタもめちゃくちゃ面白いし。

登場するだけで笑いが起こる。
「こいつは何かをやってくれそうな気がする」
というワクワク感を、私は久しぶりに味わっています。

▼参考動画:ネルソンズ「祭り」
https://youtu.be/7v0l5Q8QAZ0

いま地上派で彼らが出ている番組は、
「日曜チャップリン」と、
「有田ジェネレーション」ぐらいですかね。
興味ある方は是非、チェックしておいてください。



▼チョコレートプラネット

チョコレートプラネットに関しては、
キングオブコントにも出ていますし、
知っている方も多いと思うのですが、
最近改めて、面白いなぁと思うのです。
ネタがちゃんと面白いコンビは、
それだけで信頼してしまいます。

▼参考動画:チョコレートプラネット「カラオケ」
https://youtu.be/E3FNuc93StU

ツッコミ?のおかっぱ頭だった人(名前知らない)が、
最近IKKOさんのモノマネをはじめまして、
そのクオリティがヤバイです。
何度観ても笑ってしまいます。


以上、偶然にも、ピン、コンビ、トリオと、
ひと組ずつ紹介する形になりましたが、
2017年上半期、私が「笑った」人々を紹介しました。
またネタがたまったらお笑いについて語りたいと思います。
乞うご期待!




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新コーナー「私のお笑い論」

2017.11.02 Thursday

+++vol.012 2017年5月9日配信号+++

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■2 【新コーナー】私のお笑い論

新コーナーを立ち上げます。
その名も「私のお笑い論」。

見切り発車ですので(笑)、
何を書くかまったく決めてません。

とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。

独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
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▼▼▼新コーナー、「私のお笑い論」へようこそ▼▼▼

、、、さて、新コーナーが始まりました。
(まぁ、私が勝手にはじめているんですけど笑)、
タイトルは「私のお笑い論」です。

「お笑い」といっても、
これはもうねぇ、めちゃくちゃ間口も奥行きも広い話なので、
いったい何から手をつけて良いか分からないという。

ただ今日は初回ですので、
そもそも「笑い」とは何なのか、
みたいなことについて、私がこの何年か、
考えてきたようなことを、話せればと思っています。

まず、「笑い」の古典に、
ベルクソンの「笑い」という本があります。

私は笑いを研究する者、笑いの求道者として、
この本は押さえておきたいとずっと思っていましたが、
そのうちに、、、と思っているうちに時間ばかり過ぎ、
やっとこさ図書館で借りて読んだのは今年の1月のことです。

読んでみて、この本が「なぜ古典なのか」が、
分かった気がしました。

確かにこれは古典です。

▼参考リンク:「笑い」ベルクソン
http://amzn.asia/8cuJN3O

この本には、じつは私たちが日常目にする「笑い」の、
すべてが詰まっている、と言っても過言ではない。

ベルクソンはこの本で、大人の「おかしさ」の原型は
すべて子どもの遊びやおかしさのなかに見いだせる、
という仮説から出発して、
古典喜劇などの「おかしさ」の要素を抽出して
定式化しようと試みています。

以下に引用を交えて、
1924年という、今から100年近く前に書かれた本書が、
いかにみごとに現代の笑いを説明することに成功しているか、
ということを指摘していきたいと思います。


▼ひとつめ。
人間から「人間性を抜き取ったもの」はおかしさを感じさせる。
モノマネだとか、ロボットのふりをする人間だとか。
「生き物らしさのなかにある機械らしさ」は面白い、
とベルクソンは指摘しています。

これはなぜモノマネが芸として成立するのか、
また、「ごっつええ感じ」の「アホアホマン」など、
なぜコントの設定にロボットものという、
ジャンルが存在するのか、という説明になっています。


▼つぎに、
アンビバレントな葛藤の中の緊張からは「おかしさ」が生まれる。
率直な物言いと、相手を傷つけまいとする、
「慇懃の間」などが面白いのだ、
とベルクソンは指摘しています。

いわゆる「葬式コント」や「殿様いじり」はこれ。
「緊張と緩和」は面白いのです。
コントの設定に悩んだら、
とりあえず葬式で屁をこいておけば良いのです笑。
このジャンルは昔は志村けんの独壇場でしたが、
最近だとTKOがめちゃくちゃ上手です。


▼機械的な連鎖反応にはおかしさがある。
AがBを殴り、BがCを殴り、、、など、
暴力がエスカレートしていくなどのパターンにも、
おかしさがあるとベルクソンは言っています。

Eテレの「ピタゴラスイッチ」や、
「トムとジェリー」はこの理論に血肉を与えたものです。
トムとジェリーは連鎖反応だし、
ピタゴラスイッチも連鎖反応です。
子どもが飽きることなく延々とああいったものを見る、
というのはそこに「連鎖反応がもたらすおかしさ」
があるからです。


▼さらにベルクソンは、YがZをなぐり、Zが最初のAを殴る、
というように、その連鎖が直線的ではなく円環的であるとき、
さらなる「おかしさ」が生まれる、と言っています。

漫才の「オチ」というのは、
しばしば最初の問題提起への回帰になっています。
最初に「彼女が欲しいんだけど、、、」で始まったネタが、
漫才の掛け合いの応酬があり、
たとえば地球環境みたいな話にまで展開したあと、
最後の台詞で「あぁ、やっぱ彼女いらないわ」
「いらないのかよ、もういいよ!」
で終わる、みたいな伏線の回収の方法があります。
これはベルクソンの「連鎖の円環」です。


▼また、「繰り返し」はおかしさを生む、
とベルクソンは言っています。

これは日本のお笑いやバラエティでも、
「天丼」として定式化されています。
「天丼」というのは、他の人がいった、
ちょっと今の面白くなかった?という空気が生まれた台詞を、
まったく違った文脈で繰り返したりすることを言います。
ますだおかだの岡田さんなんて、「人生が天丼」です。
殆ど「パァ」と「出た!」と「閉店がらがら」の、
3つの天丼だけで彼はやりくりしている。
彼は多くの人が誤解しているように、
「つまらない」のではありません。
逆です。
ミュージシャンならば、ギターのコードを三つしか使わず、
ヒット曲を飛ばし続けている、みたいなもので、
これはもう、桁外れの才能です笑。
ちなみに皆様もご存じのとおり、
赤ちゃんは「天丼が大好物」です。
「いないいないばあ」は天丼ですから。


▼ベルクソンは「ひっくり返し」はおかしさを生む、
と指摘しています。
罠を張った人自身が罠に引っかかる、
ぺてん師がペテンにかかるなどです。

日本のバラエティなら
「ドッキリを仕掛けていると思っている人が
実はドッキリにかけられている」逆ドッキリや、
漫才で「ツッコミが間違っているというボケ」という、
「ツッコミでボケる」タイプの漫才がこれにあたります。

(ツッコミでボケる漫才は、
この2、3年でとても増えて来ています。
古くはタカアンドトシの、
タカが、「サッカーボールか!!」
と唐突にトシの坊主頭を殴る。
トシがそれに「何が?」とツッコむ、
みたいなくだりですね。)


▼さらに引用します。

→P135 
〈一つの情況は、それが絶対的に無関係な
二つの系列の出来事に同時に属しており、
かつ同時に全く異なる二つの意味で
解釈することが出来るときには、
おかしさをもったものとなる。〉

これはアンジャッシュの掛け違いコントが、
まさにしていることです。
彼女の家にいくと偶然、彼女のお父さん(渡部)が、
ブラジャーをしているのを目撃してしまう。
お父さんは宴会芸の準備をしていただけだが、
彼氏役の児島は、
お父さんがガチでそういう趣向を持っていると勘違いする。
お父さんが何気なく、「私もすきでねぇ」とか、
「君も今度どうだ一緒に?」みたいなことを、
彼氏に言う。
彼氏はゲイの世界に誘われていると思ってたじろぐが、
お父さんは宴会芸の話をしている、みたいなやつですね。
このときお父さんと彼氏は同じ言葉をしゃべっているが、
まったく違う世界を見ているわけです。
こういうとき笑いが生まれる、
とベルクソンは100年前にすでに看破している。
すごいです。


▼さらに続きます。

→P140 
〈登場人物たちが全篇を通じて
まったく変わることのない関係性を保ち続けるものの、
そのうちの何人かが隠し事をしていて口裏を合わせなければならず、
大きな喜劇の中でもう一つの小さな喜劇を演じるようにする、
という手法もある。〉

もうこれはみなさんおわかりだと思います。
そう、これは典型的な吉本新喜劇のプロットです。
吉本新喜劇には高確率でヤクザ(借金取り)と、
警察が出てきます。
従業員は主人がいることを借金取りに隠します。
そこへ警察が現れ、従業員は今度は借金取りがいることを、
警察に隠さなければならなくなる。
そこへ空気を読めなず主人が登場してしまい、
ヤクザがつられて出てきて、、みたいな、
「情報開示の非対称性」がもたらすおかしさが、
そこにあるわけです。


、、、とこのように、
今日はベルクソンの「笑い」という古典から、
「笑いのパターンにはどのようなものがあるか」
「そしてそれがすでに100年前にほどんど出そろっていた」
ということを見て来ました。



▼▼▼「古典の力」▼▼▼

ベルクソンの「笑い」は、
「笑い」をテーマにした本には、
ほとんどと言っていいほど引用されている古典です。

温故知新というとあまりにもありふれた表現ですが、
じつは本当に新しいものを生みだそうとする人は、
新しいものを追いかけてはダメなのです。

これは教育でもビジネスでも芸術でも宗教でも、
ありとあらゆることに敷衍できる原則です。

「新しいものばかり追いかけている人に、
 新しいものは作り出せません」

なぜか。

我々はみな「古典という巨人の肩に乗って」、
世界を見ているからです。

新しいものの中に新しいものがあると思っている人は、
足下の巨人が見えていないのです。

そういう人の作るものというのは往々にして、
「安っぽい模倣品やアイディアの二番煎じ」になります。

本人は「これは俺にしか思いつけない」と
酔いしれていますが、
周囲はそれを見てどこか既視感を覚えます。

なぜそうなるのか。

新しいものを追いかけ続けている人は、
本当は向かうべき方向と、
真逆に進んでいるからです。

めちゃくちゃ大きな大木が立っているとき、
それと同じだけの深さの「根」が
地中には張り巡らされています。
めちゃくちゃ高いビルが立っているとき、
それに比例するように、
基礎工事は深く掘られています。

私たちが自分の働く現場で、
本当に革新的な何かを生み出したければ、
上へ向かってぱくぱくと口を開けてジャンプするかのように、
新しい情報を追いかけ続けてはいけません。

むかう方向が逆なのです。
本当は地面を深く掘らなければならない。
それが何を意味するかというと、
歴史を知り、古典を読むということです。

パタゴニアというアウトドアブランドの創業者、
イヴォン・シュイナードは、
「流行というのは常に時代遅れだ」と言っていますが、
その言葉の意味は、つまりそういうことです。

では本当に新しいものはどこにあるのか?

それは「古典」のなかにあります。
古典を読むというのは、
巨人の脳内に入り込んで風景を見るのに似ています。
そうして初めて、「ではそこから何を発展させられるだろう」
と考えることができる。

これは私の活動にとって大切な、
いわば企業秘密でもあるので、
本当は人にシェアしたくないのですが笑、
でもメルマガ読者の皆様には特別に、
その秘密を公開します。

「新しい」ものとは何か。

それは、「古典の再解釈」から生まれます。
古くから知られ、古くから読まれているものを、
「再定義」あるいは「再解釈」する。

再文脈化、リフレーミングという言葉を使っても良いのですが、
どんな表現を用いたとしても同じです。

いつの時代も「本当に革新的なアイディア」というのは、
「古典の再解釈」から生まれます。

究極の実例を挙げますと、
「キリスト教」は「ユダヤ教の再解釈」です。
有史以来、この2,000年間の人類の発展というのは、
めざましいものがありますが、
その「文明」は、キリスト教の上に乗っかっています。
近代科学も、近代的政治機構も、資本主義経済も、
キリスト教をその理論的下敷きにしている。

ではそのキリスト教はどこから始まったか。

それは、「イエス」という一人の男が、
それまで過去2000年以上続いていた、
ユダヤ教の伝統的解釈を「解体」し、
「再定義」したからです。

私はキリスト教徒なのでこれに自分の信仰がのっかりますが、
ここでは信仰は差し引いて、史実だけを語ります。

史実だけを語った場合、
キリスト教は最初の100年ぐらいは、
「ユダヤ教から生まれたカルト」でした。

仏教からオウム真理教が生まれたり、
日蓮宗から創価学会が生まれたのと、
同じ現象として、当時のローマ帝国は、
キリスト教を捉えていたわけです。

しかしそれが2,000年後の今、
世界で最も普遍的な宗教になっている。

あと、仏教もバラモン教のカルトです。
ブッダという宗教的天才が、
「バラモン教を再解釈した」のが仏教なのです。

「笑い」の話をしていたら古典の話になっちゃいましたが、
今のお笑い芸人の中で本当に賢い「生き残る」人というのは、
過去の笑いを踏まえた人です。

落語を聞き、ドリフや志村けんを見、
「ごっつええ感じ」を繰り返し勉強した人、
そういう人がそれらの「古典」に、
新たな解釈を与えていく。

そういう形で笑いというのは発展していくのです。

繰り返しますが、これはあらゆることに通じます。
セールスでも組織論でも、宗教でも教育でも、
地域コミュニティ作りでも学術論文でも同じです。

「真に新しいものは、
 古典の再解釈である」

これを覚えておくと、
わりといろんなことに応用可能ですので、
御参考までに。

、、、短いですが今日はここまでにします。




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