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もしツイ 2017年10月24日

2018.04.12 Thursday

+++vol.035 2017年10月24日配信号+++

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■2 新コーナー「もしツイ」

新コーナー・「もしツイ」を開始します。
このコーナーは、病気になってから、
「SNSは知り合いが増えちゃうからあんまりやりたくない」
と考えるようになりFacebookやTwitterから、
長らく距離を置いてきた私が、
「もしツィッターをしていたら」、
こんなことをつぶやくのに、、、
と思った「メモ」を書きためたものを紹介します。
(これは高城剛氏のアイディアのパクリです。)
それが一定数たまったら、
皆様に紹介して簡単な解説を加えます。

ツィートって現代の俳句のようなものですから、
短いつぶやきに創作のヒントが隠されていることも、
けっこうあったりして面白いので、
皆さんに紹介いたします。

、、、なんで実際につぶやかないのかって?
だって「リプライ」とか面倒くさいですから。
「承認欲求が渦巻く世界」に飛び込むほどの精神力は、
今の私にはないのです。
もともと「社交」が大嫌いなのですが笑。
でも、少人数でじっくり語り合うのは大好きです。

(補足)これは未来永劫私がTwitterやFacebookを、
 しないということではありません。
 今後、必要ならクローズドなコミュニティを創出するかもしれないし、
 もしかしたら働きにSNSを活用するかもしれません。
 ただ、現時点でその必然性を感じていないということです。
 だって今の時代に、3世代前のメディアである、
 「メルマガ」をやる人間ですよ笑。
 ソーシャルと基本的に相性は悪いです。
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▼▼▼個性は引き算に表れる。
文章も、ファッションも、料理も、仕事も。


これはいつ、どんなときに思いついたのか忘れました。
でも「引き算」にこそ個性は表れる、と思います。
何を付け足すかではなくて、
何を「引くか」に個性は表れるんですよね。
(引き算しない、という個性も含めて)

私は人が話すのを聞くときも、
書いたものを読むときも、
映画を観るときも、
お笑い芸人の漫才ネタを見るときも、
その人が「何を言ったか」ではなく、
「何を言わなかったか」に注目します。

映画監督で「巧い!」と私が舌を巻くのは、
「足し算の巧さ」よりも「引き算の巧さ」です。
説明過剰にならないように、不要な部分は大胆に切る、
そういうことができる監督は本当にスゴイです。
日本で(もしかしたら世界でも)それが一番上手なのが、
北野武監督です。

同じようにファッションも、
「何を着るか」よりも、
「何を着ないか」が個性です。
ブーツは絶対に履かない、とか、
ジーンズは絶対にはかない、とかね。

料理も仕事もそうですね。
「何をするか」よりも「何をしないか」のほうが、
大事だったりします。
スティーブ・ジョブズが倒産寸前のAppleコンピュータを、
iMacによって復活させたとき、
当時30種類以上あったコンピュータのラインを、
わずか4つに絞りました。
デスクトップのハイスペックと大衆モデル、
ラップトップのハイスペックと大衆モデル、
以上、終わり、です。

これがどれぐらいすごいことかというと、
トヨタが「今後は4車種に絞ります」と、
言うのと同じようなことです。

何を「やるか」も大切ですが、
何を「やらないか」の判断のほうが、
けっこう大事です。



▼▼▼日本社会で生きやすい人間は
「真面目だが本当は甘えている人間」であり、
「不真面目だが本当は自立している人間」は煙たがられる。
しかし社会を強くしているのは後者である。


これは何のときに思いついたのか忘れました。
「欧米では、、、」とすぐに言う人のことを、
「出羽の守(かみ)」と言って褒められたことではないですが、
でも、アメリカと日本て、この関係は真逆です。

真面目だがシステムに依存する人間のことを、
別名で「ナイーブな人」と言います。
つまり「今のルールの中で優等生」であることに満足し、
その枠組みの外で物事を考えようとしない人です。
改革意欲のない上司が受け持つ部署の、
公務員などに一番向いています。

しかし日本でわりと褒められることすら多い、
この「ナイーブ」というのは、
アメリカでは明らかな「悪口」です。
軽蔑と言っても良い。

「組織内のルールに従わない」ため、
不真面目に見えるが、社会全体としての筋は通している、
本当は自立している人間は日本では評判が悪く、
運が悪いと「干され」ますが、
アメリカではこういう人間こそ尊敬されます。
したたかで、筋が通っていて、自立しているからです。

これは「世間が神」である日本人と、
「誰も見ていないところでも裁かれる絶対者」を持つ欧米の、
宗教観の違いにもつながる、じつは結構深いテーマです。

ザ・ブルーハーツはかつて、
「ルール破っても マナー守るぜ♪」
と歌っていますが、
彼らがここで歌っている「ルール」は、
システムを維持するための規範であり、
日本のナイーブで真面目な人が依存するルールです。
そして「マナー」とは人間として大切なことであり、
それは弱い人の立場になって考えましょうとか、
お年寄りや子どもをいたわりたいせつにしましょうとか、
女性に紳士に接しましょうとか、そういったことです。

世間が神である日本ではルールが守られ、
絶対者を持つ欧米はマナー(内的規範)が大切にされます。

しつこいようですが私はアメリカ万歳論者ではないですが、
社会を前に進めていくのは後者です。
ザ・ブルーハーツが「革新者」である所以です。



▼▼▼生涯でみた場合、持ち家が得か、
賃貸が徳か?という論争があるが、
そこに「どちらが快適か?幸せか?」という視点は皆無。
「誰得?」という視点も同じだ。


これはハッキリ覚えています。
ネットニュースやネット記事で、
あまりに「持ち家か賃貸か、どちらが得か?」
っていう記事を続けて目にしたので、
「なんか腹立つ」と思い、記録しておきました。

バカじゃねぇの?と思います。

「誰得?」という言葉がよく使われるようになりました。
「コスパ」という言葉も同じです。

これらの言葉が潜在的に語っている前提は、
「(多くの場合経済的な)得か損か」
でしか世界や人生や物事を見られなくなってしまった、
やせ細った思考様式です。

もう一度言いますが、
バカじゃねぇの?
と思います。

正気か?と。

世の中には「得する人」「損する人」の他にも、
もっといろんな物差しがあります。
最後に十字架で処刑されたお方を神と仰ぐキリスト教徒は、
「大損した人」を崇拝しているのですから、
もっとふくよかな価値観を持っていてしかるべきなのですが、
わりとキリスト教徒のなかにも「誰得?的価値観」を、
疑わず丸呑みしている人がいて驚愕します。

持ち家(賃貸)が得か、損か、という問いには、
「経済」というひとつの物差ししかありません。
二言目には「コスパ」という人も同じです。
ひとつの物差しのなかで生きている、
「一次元」の寂しい人です。

世の中にはもっとたくさんの「指標」があります。
「家」を考えるときに一番大切なのは、
「幸福かどうか?」でしょう。
経済的に得していても、
幸福でなかったら、いったい何になるのでしょう?

何かを買うとき、
「これを買うことが得かどうか?」
と問う代りに、
「これを買うと私は幸せか?」
と問うだけで、一次元から二次元の選択になります。

どこかで働くとき、
「この仕事は得かどうか?」
と問う代りにに、
「この仕事をしている自分は幸せか?」
と問うだけで、人生は立体的になります。

さらに、「自分の周囲は幸せか?」
「(信仰者なら)その選択は神を喜ばせるか?」
「この買い物は自然環境のために良いかどうか?」
「この仕事は世の中を豊かにするか?」
などという質問ができる人は、
三次元の世界に生きます。

人生はもっとふくよかで、
そして豊かなのです。
「損得」だけで生きている人は、
「人生」というIMAXの3D映画作品を、
モノクロ無声映画で鑑賞しているのと同じで、
気の毒な人です。

その気の毒な人が増えてきている社会だというのが、
日本をより生きづらくしていると私は思います。



▼▼▼TPP推進が民主党時代に決まった当時、自民党は反対していた。
自民党は政権につくとTPP推進にまわり、今度は民進党が反対している。
TPPが、「ポジショントーク」をあぶりだす。
アメリカ→官僚→ポジショントークの政治家→国民という力学関係


これを思いついた当時、トランプ政権は誕生していません。
自民党は与党としてTPPを推進していましたが、
もっと前に、彼らが野党のとき、「田舎の農家をつぶすのか!!」
という理屈で、政権与党としてTPPを推進する民主党を罵倒していました。
いったい政治家の信念って何なんでしょう。

これはTPP以外にもいろんなことに言えるのですが、
今政権与党が「これをやるのだ!!」と言っていることの多くは、
与党が野党だったときに民主党政権が決めたことだったりします。

逆も然りです。
民主党が与党時代に進めていた政策のなかに、
「野党のときは反対していた」政策が含まれてたりします。

政治家の人は国民をバカだと思っているか、
もしくは著しく誠実性を欠いているのでしょう。
政治家に一貫性を求めるのは、
魚屋で牛肉を買おうとするようなものなので、
そもそも最初から土台無理なのだと言えばそうなのですが、
でもやっぱり、悲しくなります。

日本の政治って、
「与党は財務省とか厚労省の意向を推進する」
「野党はそれに反対する」
という「台本固定のロールプレイ」で、
中身が入れ替わっても何も変わらないのではないか、
と思うことがあります。

今政権与党の自民党の議員は一様に、
「トランプ政権を支持する」と表明し、
野党側の議員はトランプに批判的です。
しかしもし、旧民進党系が与党なら、
そちらが「トランプ政権を支持」し、
自民党議員はトランプ批判をしていたかもしれない、
ということです。

これはあながち私の妄言ではなく、
日本って実は、議会制民主主義というのは表向きの仮の姿で、
「省庁連邦国家」なのだと考えると、
いろんなことが納得いく、
と橘玲さんという人が著書に書いていました。

うん。
確かに。



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