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2017年版・陣内が今年読んだ本ランキング【特別編】

2018.06.20 Wednesday

+++vol.045 2018年1月2日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 2017年版・陣内が今年読んだ本ランキング(特別編)
昨年末に、「読んだ本ランキング」で、
昨年私が読んだ約300冊の書籍の「ベスト10」を発表しました。
ランキング化することの弊害は、
そこからはあふれる魅力あるものが排除されることです。
なのでランキングは年に一回しかしません。
この「特別編」ではその、
「あふれたけれどどうしても紹介したい、
魅力あふれる書籍」をご紹介します。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼参照:2017年版陣内が今年読んだ本ベスト10

第10位:『古典経済は役に立つ』
第9位:『他者の倫理学』
第8位:『キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由』
第7位:『ゲンロン0 観光客の哲学』
第6位:『素数の音楽』
第5位:『希望の神学』
第4位:『スティーブ・ジョブズ1・2』
第3位:『サピエンス全史 上・下』
第2位:『神の宣教 第1巻〜第3巻』
第1位:『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』


▲▼▼再発見賞:『かもめのジョナサン 完成版』▼▼▼

著者:リチャード・バック
出版年:2014年(英語初版1970年)
出版社:新潮文庫

リンク:
http://amzn.asia/9OLaxz8

解説:

「かもめのジョナサン」は有名な作品です。
私が初めてこの作品について聞いたのは、
95年のオウム真理教の地下鉄サリン事件のとき、
連日テレビに出演していた教団幹部の上祐史浩氏が、
たしか入信のきっかけとして、「かもめのジョナサン」を読んだこと、
と話していたときです。
なんとなく、「かもめが限界突破を目指す話」
という筋書きは知っていましたがはじめて手にとって読みました。

これが非常に面白かった。
この本、じつは2014年に40年越しに、
「続編(第四章)」が書かれたのです。
それがこの「完全版」です。

1章から3章は、「高みをめざすカモメ」の話しです。
ドラゴンボールの修行のような話しでもあるし、
鈴木大拙の語る「禅」についての話しのようでもあります。
つまり、求道者がいかにして共同体から破門され、
最後にグルとしてあがめられるようになったのか、
というストーリーです。
最後はジョナサンがフレッチャーという弟子を得るところで、
さわやかに終わる。
ちょっと映画「ベストキッド」みたいな感じです。

きっとオウム真理教の上祐史浩は、
自分にフレッチャーをかさね、
麻原にジョナサンを重ねていたと思われます。

そして「上祐が読まなかった第四章」は、
グルが伝説になったあとの「教条主義化」を風刺する話です。
実はこの部分がいちばん面白い。
あり得ない仮定ですが、もしオウムに入信する前の上祐が、
第四章を読んでいたらどうなっていただろうか、、と考えます。

歴史は変わっていたかもしれません。

これがあまりに面白かったので、
私は図書館で借りて読んだ後に、書籍をAmazonで買いました。
「教条主義とは何か」を知るための教科書としても読める本です。
あー、なるほど、こうやって教条主義は作られていくのだ、と。
第4章から引用します。

→P148〜149 
〈しばらくは、真に飛ぶことを求めるカモメたちの黄金時代だった。
大勢のカモメが、いまや神聖な鳥と見なされる
ジョナサンと直接に接した弟子に近づこうと、フレッチャーの元に集まった。
フレッチャーはジョナサンはわれわれと変わらないカモメだった、
われわれが学べることを同じように学んだだけだと話したが、
いくら言っても無駄だった。
彼らは終始フレッチャーを追いかけ、ジョナサンがいったとおりの言葉、
そのままの仕草について聞き、あらゆる些細なことまで知りたがった。
彼らがつまらぬ知識を求めれば求めるほど、
フレッチャーは落ち浮かない気持ちになった。
ひとたび、メッセージを学ぶ事に興味を持つと、
彼らは厄介な努力を、つまり訓練、高速飛行、自由、
空で輝くことなどを怠るようになっていった。
そして、ジョナサンの伝説のほうに
ややもすれば狂気じみた目を向けはじめた。
アイドルのファンクラブのように。

「フレッチャー先生」彼らはたずねた。
「素晴らしきジョナサン様は
『われわれはまさしく〈偉大なカモメ〉の思想の体現者である』
とおっしゃったのでしょうか。それとも、
『われわれはまぎれもなく〈偉大なカモメ〉の思想の体現者』と?
どちらでしょう」〉

、、、ジョナサンをイエス、
フレッチャーをパウロや12弟子、
そしてフレッチャーの周りに集まったかもめたちを、
現代のキリスト教神学者、と解釈することもできます。
私たちが深刻な顔をして「これは神学的に重要な問題だ」と、
議論し合っていることのほとんどは、
イエスご自身からしたら「どっちでもいいよ」という問題かもしれません。
ジョナサンにとって「まさしく」でも「まぎれもなく」でも、
どっちでも良かったように、、、。

私たちは「師を真似ることを求めるのでなく、
師が求めたものを求める」必要があるのです。



▲▼▼会話でいっぱい引用した賞:『共鳴力』▼▼▼

著者:宮嶋望
出版年:2017年
出版社:地湧社

リンク:
http://amzn.asia/0A94u7h

解説:

こちらは2017年の後半に読んだ本ですが、
たぶん年間で一番会話で引用した本じゃないかと思います。
北海道に住む友人が、この本を書いた宮嶋望さんがつくった、
障害者たちが働く牧場施設である「共働学舎」を見学し、
この本を貸してくれました。

私が獣医師で、専門は酪農だったのもあり、
宮嶋望さんのこの施設の理念や実践を本で知り、
めちゃくちゃ興味を惹かれました。
早ければ2018年中に、
ここに1週間ぐらい泊まり込んで研修したいと思っているほどです。
いや、マジで。

昨年一年を振り返った時に、
けっこういろんな場面で、会話の中に最も引用したのは、
この宮嶋望さんの共同学者の話でした。
障害者や病気と健常者の話をするときも、
農業の話をするときも、
キリスト教の話をするときも、
社会起業家やソーシャルビジネスの話をするときも、
世代間ギャップの話をするときも、
「北海道で共同学者という牧場をしている、
 宮嶋さんという人がいて、、、」
と私は話し、この本から引用することが何度もありました。
なぜそんなにも引用したか、、、と考えてみますと、
宮嶋さん(とその仲間達)の物語が、
とても包括的で多義的だからだ、というのが私の結論です。
人は帰納的に導き出された「結論や教訓」を聞かされるより、
「物語」として提示されたものから、
後に「演繹される教訓」を滋養として引き出し続けた方が、
結果的に多くを学ぶ、という実例だと思います。

だから「神学理論」より「イエスのたとえ話」の方が、
そして「体系的ビジネス書」より「伝記」の方が、
後々にインパクトは大きいのです。

概要をいちから説明するのも骨が折れるので、
説明にかえて基本情報の部分を引用します。

→P21 
〈新得共働学舎は現在、70名以上の人たちが関わり、暮しています。
最近はやりの言葉でいうソーシャルファーム(社会的企業)
ということになります。

組織としては、「NPO共働学舎」の一員である「新得共働学舎」と
「農事組合法人共働学舎新得農場」とが同居している形になります。
メンバーの大部分は新得共働学舎に所属し、
農業生産活動で収益を上げている農事組合法人に
労務提供をしている形になります。

生産物はチーズと農作物が主力で、
ほかに生乳、肉牛、養豚、養鶏、食肉製品、手芸品、パンなどを生産し、
併設カフェ、売店も営業しています。
それからチーズ作り研修やソーシャルファームに関しての
グリーン・ツーリズムの機会も提供しています。
チーズは、世界的なコンテストで
グラプリになるなど国内外で賞を頂いており、
おいしさが広く知られるようになり全体の売り上げの約七割になります。

メンバーの多くが農場内にあるいくつかの建物に住んでいます。
農場には牛車、豚舎、鶏舎、羊小屋、
馬小屋、搾乳質、チーズ工房、チーズ熟成庫があります。
また農業研修生が泊まる施設、講義やチーズ作りの講習を行う場所もあります。
ブランドを確立して、このところ堅実な運営ができるようになり、
農地や放牧地もずいぶん増えています。。

NPO共働学舎は新得を含め全国4カ所に拠点のある組織です。
私の父・宮嶋眞一郎が1976年からはじめた、
理想の生き方を実現することを目指した
「農業家族、福祉集団、教育社会」です。
一緒に生活しながら働き、互いに面倒を見て、
学び合う共同対(共同生活を送る集団)です。
ハンディのある人と一緒に農業を営みながら生活しています。
食住が保証されます。

とはいえ、その収益だけでは生活資金がまかなえないので、
理想に共感した共働学舎を応援して下さる
会員の皆様から頂く寄付金をベースに活動しています。
そしていまでは、新得共働学舎はチーズの製造販売で収益を上げ
経済的に自立することができるようになったので、
現在は共働学舎東京本部からの
生活費の補填・助けなしで運営されるようになりました。〉



▲▼▼日本にこんな人がいたとは賞:『羽仁もと子 生涯と思想』▼▼▼

著者:斉藤道子
出版年:1988年
出版社:ドメス出版

リンク:
http://amzn.asia/0vsrr2S

解説:

羽仁もと子さんは、大正、昭和を生きた、
「社会変革者(ソーシャルリフォーマー)」であり、
同時代の社会変革者のひとり、賀川豊彦と並んで、
「世界に影響を与えた日本のキリスト者」のひとりです。

羽仁もと子については以前から知っていましたし興味もありましたが、
宮嶋望さんの本を読んで、そのルーツが羽仁もと子の創立した、
「自由学園」にあることを知り興味を持ちました。

新得の「共同学舎」の創始者は宮嶋眞一さんといいます。
宮嶋望さんのお父さんで、自由学園の中心的人物でした。
自由学園の「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」という理念を、
学校という限定された空間ではなく、
もっとダイナミックな形で実現したい、
と眞一さんは願い、1976年に現在のNPO法人共同学舎を創設しました。
息子の望さんはそれをさらに発展させ、
現代という時代における新しい使命を帯びて前進しています。

何事も「ルーツ」が気になるのが私の性分ですので、
、、、では、その宮嶋眞一さんが依拠した、
「自由学園」を創設した羽仁もと子さんという人は、
いったい何を願い、そしてどんな理想と思想を抱いた人だったのか、
という興味がわいてきたのです。

ところが羽仁もと子さん自身が書いたものは、
量が膨大すぎて何から手を付けて良いか分からない。
調べた結果、この伝記がけっこう取っかかりとして優れていそうだったので、
読んでみました。

海外に行くようになって外国人からあまりにも、
日本人だったら、アジアで最も影響力あるキリスト者だった、
「Kagawa(カガーワ)」を知ってるだろう?
と何度も聞かれるので、
初めて賀川豊彦の「死線を越えて」を読んだ時、
私は脳天をたたかれるような衝撃を受けました。
「日本にこんな偉大な信仰者がいたのかぁ!」と。

羽仁もと子の伝記は、「賀川以来の衝撃」でした。
この伝記を読んだことは私の人生の「事件」でした。
羽仁もと子の活動はあまりにも多岐にわたりますが、
世界で知られているのは、
「アジアで初めて女性だけの運動体を組織した人物」
というフェミニストの側面です。
しかし彼女の活動はそんな範疇にはまったく収まりません。
日本人が「家計簿を付ける」という習慣をもつのは彼女のおかげですし、
ときの内閣にも大きな影響を与えました。
また、「自由学園」の卒業生は、
共同学舎の宮嶋さん親子に代表されるように、
その独特な教育により、社会にインパクトを与える人材を、
いまも排出し続けています。

彼女の活動は、「神の国運動」のひとつであり、
私も100年という歳月を経て、
彼女や賀川のしようとしたことの、
「末席を汚させていただいている」というような、
時代を超えた神の働きの連続性を(一方的に)感じているのです。

→P182 
〈もと子は1930年の東京友の会の例会で、
友の会の存在を「神の国の建設のため」と意義づけた。
「友の会は淋しさをなぐさめられたり、
便宜を得たりするためにあるのではない。
協力によりひとりではできないこともできるようになるのは確かだが、
次にはすべての人に都合の良い社会を作ること、
社会を良くするためにと言うことを一人ひとりが考えなければいけない。
神の国の建設のためにと言う重い目的の所に行かなければならない。
友の会はそのための団体である。(1930.4)」〉



▲▼▼メルマガで書いたなぁ賞:『WORK SHIFT』▼▼▼

著者:リンダ・グラットン
出版年:2012年
出版社:プレジデント社

リンク:
http://amzn.asia/aD2OVWO

解説:

これは、タイトルのとおりですね。
メルマガの「本のエスプレッソショット」というコーナーにおいて、
初期の段階で解説しました。

あれは確か戸田市で午後から用事があったとき、
戸田公園駅のスタバの席に2時間ほど居座り、
一気に書き上げました。

けっこう、大変でした笑。
こちらがその記事です。

▼参考リンク:メルマガアーカイブ「WORK SHIFT」リンダ・グラットン
http://blog.karashi.net/?eid=154

書くのは大変でしたが書いて良かったと思います。
「アウトプットは最大のインプットである」というのは、
私の持論ですが、最も確実な記憶の定着のさせかたは、
「誰かにそれについて説明したり教えたりすること」です。
私はWORK SHIFTという本を脳内にいつも持ち歩いているように、
この本の内容や構成をかなり詳細に思い出し再現できます。
それは私が脳に汗して「アウトプット」したからです。

、、、二度手間になりますので内容の説明はここではしません笑。
どうか過去の記事を読んでください。
そうでないと、あの努力が浮かばれませんから笑。

プロローグのグラットン氏の「子ども達への手紙」に、
この本のエッセンスはすべて集約されていますので、
それをご紹介します。

→P377 
〈みなさんが充実した職業生活を送れるかどうかは、
次の三つの課題に対処する能力によって決まります。
第一は、職業人生を通じて、
自分が興味を抱ける分野で高度な専門知識と技能を修得し続けること。
第二は、友人関係や人脈などの形で人間関係資本をはぐくむこと。
とくに強い信頼と深い友情で結ばれた
少数の友人との関係をたいせつにしながら、
自分とは違うタイプの大勢の人たちとつながりあうことが大切になります。
第三は、所得と消費を中核とする働き方を卒業し、
創造的に何かを生みだし、質の高い経験を
たいせつにする働き方に転換することです。〉



▲▼▼ラジオにハマったで賞:『芸人式新聞の読み方』▼▼▼

著者:プチ鹿島
出版年:2017年
出版社:幻冬舎

リンク:
http://amzn.asia/g1cJVOQ

解説:

マスメディアもネットも含め、
今年私が最もハマった「コンテンツ」のひとつは、
こちらのラジオ番組です。

▼参考リンク:「東京ポッド許可局」
https://www.tbsradio.jp/tokyopod/

おじさん芸人が3人でずっと話しているだけなのですが、
これが「永遠に聞いていられる」。

あと、この番組自体が、
私が「読むラジオ」でしようとしていることにとても近いのです。
10年ほど前から、当時30代だった彼ら3人の芸人たちは、
ルノアールという喫茶店で時々集まっては、
世の中のいろんな出来事に関して、
あーでもない、こーでもない、
と無責任に語り合っていました。
その会話が、「なんかおもしろくない?」
と彼らは思った。

これを聞いているのが話してる3人だけじゃもったいない、
ということで、彼らはそこにICレコーダーを持ち込み、
ポッドキャストという形で配信し始めた。
次に彼らはスポンサーを募り始めた。
この番組配信を続けていくために、個人や企業で、
一口1万円からのスポンサーになってくれませんか?と。
まだ「クラウドファンディング」という言葉もなかった頃です。
だんだんスポンサーや賛同者が増えてきて口コミでこの番組は広がり、
ついにキー局のTBSラジオがこのコンテンツに目を付けた。

、、、今、当たり前のように毎週TBSで放送されているこの番組には、
こんな「ストーリー」があります。

私のこのメルマガ「読むラジオ」も、
彼らがやっていることに、かなり狙いとしては近いです。
ただ、キー局の目にとまるとか、多くの人の目に触れるようになる、
とか、そういうのって、「運」が半分ですので、
鷹揚に構えていようと思っています。
こういう部分でガツガツしても、消耗するだけですので。
私が注力すべきは「面白いコンテンツを作り続ける」ことだけです。
こちらは消耗しません。
やってて楽しいですから。

、、、このラジオ番組を主催している3名の芸人は、
プチ鹿島、サンキュータツオ、マキタスポーツの三人です。
プチ鹿島さんは書籍タイトルからも分かるように、
「時事芸人」で、新聞の読み比べだとか、
プロレス評などが武器です。

サンキュータツオさんは大学の講師でもあり、
様々な「論文」を収集したり、
あと、「国語辞書」をエンタメとして楽しむ、
という提案をしています。

マキタスポーツさんはミュージシャンでもあり、
俳優でもある。
この人のJ-POP論は秀逸です。

そんなこんなで、私は東京ポッド許可局の3名の書いた書籍を、
2017年になんと6冊も読んでいます。
3名×2冊ずつ=6冊です。

、、、もう、大ファンですね笑。
全部オススメです。

▼参考リンク:「教養としてのプロレス」プチ鹿島
http://amzn.asia/gk7huqN

▼参考リンク:「ヘンな論文」サンキュータツオ
http://amzn.asia/bNCWFoR

▼参考リンク:「芸人の因数分解」サンキュータツオ
http://amzn.asia/5ofijzx

▼参考リンク:「すべてのJ-POPはパクリである」マキタスポーツ
http://amzn.asia/4Dp8w0x

▼参考リンク:「一億総ツッコミ時代」槙田雄司(マキタスポーツ)
http://amzn.asia/g8P1DB4



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永久保存版・2017年に陣内が読んだ本ベスト10(5位〜1位)

2018.06.13 Wednesday

+++vol.044 2017年12月26日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 2017年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(後編)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜6位まで、
後編は5位〜1位までのカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▲▼▼第5位:『希望の倫理』▼▼▼

著者: ユルゲン・モルトマン
出版年:2016年
出版社: 新教出版社

リンク: http://amzn.asia/2IUBtVO

▼解説:

モルトマンは現在生きている、
世界の神学者の「最大の大御所」のひとりです。
とにかく圧倒されました。
ここに概説することは不可能です。
「教条主義という名の思考停止」や、
「自分たちの教団の立場を守るためだけのモノローグ」や、
「重箱の隅をつつくような神学論争」や、
「ジャーゴン(わかるような分からないような専門用語)」が多用され、
「素人を議論から閉め出すことだけが目的」みたいな神学は、
端的に言ってクソだと思いますが、
こういうのを読むと、
「神学って大事だな」と思います。
「神学って、世界を変えていくな」と。

P226に、
「神の創造は私たちの後ろにではなく、
私たちの前方にあるのである」
という言葉がありますが、
これはモルトマンの神学を凝縮したような言葉です。

モルトマンの神学のすごいところは、
「神学」という専門分野に引きこもるのではなく、
「神学」という自分の武器を用いて、
医療、環境問題、国家間の平和と戦争、社会変革、貧困問題、、、
といった世界の森羅万象について語るというその語り口です。
彼は「神学について」語っているのではなく、
「神学という道具を用いて」森羅万象を語ります。
この二つの違いは大きい。
私は常に後者でありたいと願いますが、
「そのことについて語るムラ」が専門分野とみられる日本では、
後者はあまり「専門家」として認めてもらえません。

いくつか引用します。

→P169〜170 
〈健康とはこの観点から見れば、
「障害の不在ではなく、障害と共に生きる力」である。
ここにおいて健康は状態ではなく、
健康な状態と病気の状態において「人間であろうとする力」である。
この魂の力は、かつてそう言われていたように、
幸福と苦難、喜びと悲しみの能力において現れ、全体としてみれば、
生命を受容し生命を捧げる力において現れる。
神学的に語れば、それは神の大いなる「然り」における生と死であり、
神が現臨する広い空間における生と死の受容である。
(中略)
私たちが語ってきた「人間存在への力」とは、
人間がそこへ向かって生き、そして死ぬことが出来るような、
神の大いなる肯定である。
人間的生命とは受容され、肯定され、愛された生命である。
それゆえに、人はそのような人間的生命それ自体を
有限性の中で受容しその壊れやすさの中で愛することが出来る。
この信仰において、人間は人生の浮き沈みに対する大いなる自由を経験する。
これが『ハイデルベルク信仰問答』が語る
「生きるときと死ぬときにおける唯一の慰め」である。
このことから、死において慰めをもたらさない者は
生にも仕えることはないと結論できる。〉

→P271 
〈貧困の反対は裕福ではなく、共同体である。
共同体において個々人は富める者となる。
つまり信頼できる友に富み、相互の援助に富み、
理念や力に富み、連帯のエネルギーに富むのである。〉

→P382 
〈私たちは、世界を変えるために神を必要とするのではない。
 私たちは、神を味わうために世界を変えるのである。〉




▲▼▼第4位:『スティーブ・ジョブズ(1・2)』▼▼▼

著者:ウォルター・アイザックソン
出版年:2011年
出版社:講談社

リンク: http://amzn.asia/7545Ixc

▼解説:

とにかく面白かったです。
ポテトチップスのごとく、
途中で止めるのが不可能でした。
読み進めているうちにやめららずついつい徹夜してしまう本を、
「徹夜本」といいますがこれもそのような本です。
(本当に徹夜したわけではないですが笑)

ジョブズという素材が面白いのもありますが、
著者のアイザックソンの筆の巧さも大きいですね。
「ジョブズの人生という叙事詩」には、
豊穣な学びが含まれています。
禅・ヒッピー・技術革新・シリコンバレーの隆盛・
経営学・マーケティング・先見性・民族問題・
そしてサイコパス(ジョブズには共感能力が先天的に欠けていた)。

特にマーケティングやイノベーションについて、
10冊のビジネス書を読むより、
この伝記を読んだ方がよほど有益です。

いくつか実例を挙げます。
たとえば今のマーケティングやブランディング、
広告の世界では「物語消費」という言葉がよく使われます。
何か製品を売ろうとするとき、
「大量消費」の90年代ぐらいまでなら、
「この製品はこんなにスペックが高い!」という宣伝で売れました。
しかし、00年代以降、「スペックで差別化する」というのは、
もはや時代遅れになった。
端的に、スペックでは差別化できなくなったわけです。
これには「製品のコモディティ化」が関連していますが、
ここではその説明は省きます。
とにかく今までは「●●はこんなに高性能だ」と宣伝していれば売れたが、
21世紀になってそういう宣伝の仕方ではモノは売れなくなった。
、、、ではどうすれば売れるか?

「商品ではなく物語を売る」というのがひとつの「解」です。
「●●があると、あなたはこんな生活ができます」
という「物語(ストーリー)」を売るのです。
これを「物語消費」と言います。

今のテレビCMを見ると「こればっかり」です。
自動車のCMならば、「こんなに早くて便利」とは言いません。
これに乗って父と息子でキャンプをしてたき火をすると、
それは親子の一生の思い出になる、、と言います。
家のCMも、「こんなにあったかくて防音性がすごくて、、、」
とは宣伝しません。
「この家を買うことであなたが引退した後、
 孫たちがこの家に集まって、、、」
という物語を売るわけです。

この流れに先鞭をつけたのもスティーブ・ジョブズです。
引用します。

→P74 
〈つまり、必要なのは様々な製品の広告ではなく、
ブランドイメージを前面に押し出したキャンペーンである。
焦点を当てるべきは、コンピュータに何が出来るのかではなく、
コンピュータを使ってクリエイティブな人々は何が出来るか、だ。〉

これはほんの一例であり、
そのほかにも、
「Google的なオープンエンド」と、
「アップル的なエンドトゥエンド」の弁証法、
(ハードやソフトを中央でコントロールするか、
 それとも「人類の集合知」にゆだねるかという問題)、
ゲイツとジョブズの伝説的対談、
イノベーションはなぜ「オンライン」では起きず、
散歩中やコーヒーショップや遊びのなかで生まれるか。
(そのためアップルは社屋に莫大な金額を投資した。)
「顧客が何を望むかを知る」マーケティングリサーチよりも、
「顧客は何が欲しいか自分でも分かっていない」と考える、
イノベーティブな商品開発のほうをジョブズは選んだが、
それはいったいどんなものなのか、、、。
などなど、ビジネスに生かせる知恵が満載です。

しかしそれらさえも、この物語の枝葉末節であって、
何よりも面白いのはスティーブ・ジョブズという、
あきらかに人格に欠陥を抱えた人間が、
(医者によっては彼を自己愛性人格障害=サイコパスと診断します)
しかしその欠陥の「もうひとつの側面」を遺憾なく発揮し、
「歴史にへこみを与える」ほどのイノベーションを起こさせたか、
というダイナミズムにあります。

この伝記には出版されなかった「終章」があり、
そちらは講談社のホームページから無料ダウンロードできます。
私はこれをプリントアウトして読みましたが、
これも感慨深いものがありました。
アップルには伝説的なテレビCMがたくさんありますが、
1997年の「Think Different」のCMもそのひとつです。
ジョブズの葬儀では、ジョブズ自身がナレーションをつとめた、
お蔵入りになった「未公開版」のそのCM音源が再生されたそうです。
ジョブズは恥ずかしそうにスタジオでこう吹き込んでいました。

「彼らをおかしいと評する人もいるけれど、
我々はそこに天才の姿を見る。
世界を変えられると信じるほどおかしな人こそ、
本当に世界を変える人だから。」

、、、その葬儀の光景を想像すると、
サブイボ(鳥肌)が立ちました。

▼参考リンク:「スティーブ・ジョブズ」「終章」無料ダウンロード版
http://book-sp.kodansha.co.jp/topics/jobs/



▲▼▼第3位:『サピエンス全史(上・下)』▼▼▼

著者:ユヴァル・ノア・ハラリ
出版年:2016年
出版社: 河出書房新社

リンク: http://amzn.asia/d7KAUQx

▼解説:

こちらは、知り合いの牧師先生に教えてもらいました。
Kindleで電子書籍を購入して、
春にフィリピンに渡航した際、
行き帰りの飛行機+入国審査の待ち時間に、
一気に読みました。
とても面白かったです。

この10年ぐらいの趨勢として、
「歴史を大づかみに概説する」という試みが、
立て続けになされています。
ジャレド・ダイヤモンドの「銃・病原菌・鉄」や、
スティーブン・ピンカーの「暴力の人類史」などは、
そのような書籍に数えられます。

これは「歴史観」が変わってきていることの表れです。
ダイヤモンド氏は「銃・病原菌・鉄」で、
「近代の歴史観というのは、
 『英雄が歴史を作った』という歴史観だった。
 しかし、近年になってますます、
 『歴史という物語が英雄を作るのだ』という、
 『英雄史観から物語史観へのシフト』が起きている」
という意味のことを言っています。

「歴史を物語る」ためには、
「切り口」が必要です。
人体をCTスキャンするように、
「断面」が必要なのです。
『サピエンス全史』でハラリ氏が採用した切り口は、
「人類の歴史は認知の歴史だ」というものです。
つまり「認知革命」がこれまで何度か起きてきた。
人類史はそのたびに大きな変化を遂げてきた、
という分析です。
引用します。

→位置No.107 
〈歴史の筋道は、三つの重要な革命が決めた。
約七万年前に歴史を始動させた認知革命、
約12,000年前に歴史の流れを加速させた農業革命、
そしてわずか500年前に始まった科学革命だ。
、、、本書ではこれら3つの革命が、
人類をはじめ、この地上の生きとし生けるものに
どのような影響を与えてきたのかという物語を綴っていく。〉

、、この三つの革命の共通項は、
「認知の革命」です。
人が「新しい脳の使い方」を覚えたときに、
歴史は「非線形的に」飛躍的発展を遂げてきたのです。
歴史はバリヤフリーのスロープではなく、
「階段」だというわけです。
その階段の節目にはいつも「認知の革命がある」
というのがハラリの分析です。

、、、で、この「革命に関わる要素」として、
彼は二つの重要なキーワードを挙げています。
一つは「認知的不協和(矛盾)」、
もう一つは「無知の知」です。

→位置No.2987 
〈中世の文化が騎士道とキリスト教の
折り合いをつけられなかったのと丁度同じように、
現代の世界は、自由と平等の折り合いをつけられずにいる。
だが、これは欠陥ではない。
このような矛盾はあらゆる人間文化につきものの、不可欠の要素なのだ。
それどころか、それは文化の原動力であり、
私たちの種の創造性と活力の根源でもある。
対立する二つの音が同時に演奏されたときに
楽曲が嫌でも進展する場合があるのと同じで、
思考や概念や価値観の不協和音が起こると、
私たちは考え、再評価し、批判することを余儀なくされる。
調和ばかりでは、はっとさせられることがない。
緊張や対立、解決不能のジレンマがどの文化にとっても
スパイスの役割を果たすとしたら、どの文化に属する人間も必ず、
矛盾する信念を抱き、相容れない価値観にひき裂かれることになる。
これはどの文化にとっても本質的な特徴なので、
「認知的不協和」という呼び名さえついている。
認知的不協和は人間の心の欠陥と考えられることが多い。
だが、じつは必須の長所なのだ。
矛盾する信念や価値観を持てなかったとしたら、
人類は文化を打ち立てて維持することはおそらく不可能だっただろう。〉

→位置No.816 
〈近代科学は、最も重要な疑問に関して
集団的無知を公に認めるという点で、無類の知識の伝統だ。〉

後者は先週の「オープニングトーク」でも語りました。
科学的思考法とは「無知を積極的に認める」という「メタ知識」です。
また、「認知的不協和を積極的に捉える」というのも「メタ認知」です。
11月以降私は何度も繰り返していますが、
「よにでしセミナー」のキーワード、
「批判的思考」「複眼的視覚」「認知的コンフリクト」は、
人類史を推し進めてきた「メタ認知」とまったく同じものです。
これは偶然ではありません。



▲▼▼第2位:『神の宣教(第1巻〜第3巻)』▼▼▼

著者:クリストファー・J・H・ライト
出版年:2016年
出版社:東京ミッション研究所

リンク:http://amzn.asia/5fNjgy1

▼解説:

2016年にクリストファー・ライト氏は来日しています。
神戸で私は彼の講演を聞きました。
彼はローザンヌ運動の創始者のひとり、
ジョン・ストットの「弟子」にあたる人で、
長らくローザンヌ運動の総裁をつとめていました。
私たちの団体FVIも、ローザンヌ運動の「果実」のようなものなので、
私が彼の「神の宣教」を読むというのは、
まったくもって自然なことなのです。

で、全部で1,000ページを超えるこの著作を、
「概説」することは不能です。
ひとつ言えることがあるとしたら、
ライト氏も、先ほどから私が紹介している、
「物語史観」で「宣教」を捉えているという意味で、
ユヴァル・ノア・ハラリやジャレド・ダイヤモンドがしている、
「歴史をCTスキャンする」という文脈に入るということです。

彼の場合キリスト教の宣教的視点から語りますから、
「歴史 history」とは「His-Story」つまり「神の物語」であり、
その「断面」は「神の働き」です。
タイトルの「神の宣教」をラテン語で「ミッシオ・デイ」といいます。
デイは英語Divine(神的な)の語源で「神の」という意味、
ミッシオはMissionですから、「ミッシオ・デイ」はつまり、
「Mission of God(神の働き)」という意味です。

日本語で「宣教」という言葉を使うと、
宗教的(布教的)意味合いが強まりますが、
Missionというのはもっと広く「働き」という意味ですから、
天地創造、アブラハムの召命、イスラエルの勃興、
バビロン捕囚、イエスの誕生、十字架、復活、
初代教会の誕生、ローマカトリックの誕生と分裂、
プロテスタントの誕生、21世紀の教会、、、(新天新地)
という、神の壮大な物語における「神の働き」を、
彼は「神の宣教 Mission of God」と呼んでいるわけです。

→第1巻P50  
〈要約すると、聖書の宣教的解釈は、
聖書のすべては、神の民による神の世界への関わりを通して
すべての神の被造物のために繰り広げられる神の宣教の物語である、
という前提から始まるのである。〉

、、、著者はケンブリッジ大学で旧約聖書を学んだ「旧約学者」です。
彼の「福音理解」の強調点のひとつは、
彼が「旧約聖書と新約聖書は断絶しているのではない。
旧約聖書に既に『福音』は始まっている」
という新旧訳の有機的関連性です。

→第2巻P135 
〈旧約聖書における神の贖いの、
偉大な歴史的出来事を伝える記事は、
ブースターロケット(打ち上げ用補助ロケット)のようなものではない。
つまり、宇宙船が発射されると切り離されて落下し、
余分なものとして忘れ去られるようなものではない。
むしろ、パウロ自身のたとえを適用するなら、
聖書の物語は樹木のようなものである。
私たちは新約における成就という、
いわば広がっている枝と豊かな実を楽しむことが出来る。
しかし、旧約は幹の年輪のように、
長い過去の歴史の証拠としてそこにあるが、
枝と実の成長を支える構造としても存在しているのだ。
そこには、有機的連帯があり、不連続で破棄される断絶は存在しない。〉

、、、また、「包括的宣教の運動」であるローザンヌ運動の
指導者であることからもわかるように、
彼の福音理解は包括的です。
引用します。

→第2巻P191 
〈宣教を「包括的」なものと修飾する必要はない。
「宣教」と「包括的宣教」を区別する必要もない。
定義によれば宣教は「包括的」なものであり、
ゆえに「包括的宣教」は事実上、宣教に他ならない。
何の社会的関心も持たない宣教のみでは、
真の福音を歪曲(わいきょく)、切断してしまう。
良き知らせのパロディー、茶化したものなら、
現実世界に生きる現実の人々の現実の問題に、何の意義ももたない。
その反対の極を見ると、変革と権利擁護のみに焦点を絞って、
霊的側面が抜け落ちた社会・人権活動がある。
両方とも非聖書的なアプローチである。
双方とも、神の似姿に想像された全人的人間の本来の姿を否定するものである。
私たちは「包括的」なものとして創造されたのだから、
そして堕落は、あらゆる次元において
私たちの全人間性に影響を与えるものなのだから、
贖罪も回復も宣教も、定義上、
「包括的」とならざるを得ないのである。
Jan-Paul Helt "Revisiting the Whole Gospel;
Toward a Biblical Model of Historic Mission in the 21th Century" p157〉

本書の「エピローグ」には、ライト氏が、
この本の執筆を通して、自らが変えられたと述べています。
それは「世界観の変化であった」と彼は言います。
「宣教観が変われば世界観は変わる。」当たり前のことです。
彼の宣教観の根幹は「主語(主体)の変化」です。
それは私が「神の宣教」という大著を読んでライトから受け取った、
最も大切なメッセージでもあるのですが、
大づかみに要約するとこういうことになります。

「『近代的価値観』の影響を強く受けた20世紀の宣教は、
 『福音宣教を私たちが推し進める』というものであり、
 その主語は『私たち』だった。
 しかし今私たちが確信してるのは、
 『神は宣教の業を天地創造以来今も推し進めている。』
 という『神を主語とする宣教』だ。
 私たちはそれに喜びをもって参画するのだ。」
 
→第3巻P192 
〈おそらく、私は以下のように結論づけることになるだろう。
この本を書くことによって、私個人の物の見方は変わった。
なぜなら、この本は実に著者である私にとって発見の旅だったからである。
私は真摯な思いでアンソニー・ビリントン氏の疑問に向き合ったが、
それが私をどこに導いていくのか知らなかった。
聖書全体は首尾一貫した神の宣教の啓示で構成されていることを知り、
これが壮大な物語(*本書の副題は「神の壮大な物語を読み解く」)の
動的な目的を説き明かす鍵であることが分かれば、
私たちのあらゆる世界観が
この展望の強い影響を受けていることに気づくのである。
しばしば引用されていることだが、人類すべての世界観は、
何らかの物語によって形作られるものである。
私たちは、真理だと思う物語、
またはいくつかの物語の中で生を営んでいる。
すなわち、その物語において〔出来事や経験を解釈し〕
「自分の人生を物語る」存在なのだ。
では、『この物語』において生を営むとは何を意味するのだろうか。
ここでまず1つの『物語』に目を留めよう。
それは創造から新創造へと進展していき、
その間にすべてのことが述べられている普遍的な物語である。
その物語は私たちに次の事を語りかけている。
「私たちはどこから来たのか、どうしてここにいるのか、
私たちは誰なのか、なぜ世界にはこんなに問題が渦巻いているのか、
これからどう変わっていくのか(今まではどうだったのか)、
私たちは最終的にどこへ行くのか・・・」と。
そして物語全体は神の現実性と神の宣教について静かに語り出す。
「〔世界を創られた〕この方こそ、この物語の起源であり、
語り手であり、物語の主役であり、
物語の筋立ての計画者であって導き手であり、
〔どんなことにも〕意味づけしてくださるのだ。
その方こそ、究極の完成者であり、
はじめであり中心である」と。
これが神の宣教の物語であり、そして他ではなく、
この神の宣教(mission)なのである。
神の宣教をそのように、あらゆる現実の活力の根源と理解すると、
あらゆる創造、あらゆる歴史、
私たちの前に置かれていることすべてが、
神中心のはっきりした世界観へと劇的な変容を遂げるのである。〉



▲▼▼第1位:『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』▼▼▼

著者:ジョシュア・ウルフ・シェンク
出版年:2013年
出版社:明石書店

リンク:http://amzn.asia/7UIaoKm

▼解説:

悩んだ末に私が「2017年に読んだ本第1位」に選んだのは、
『リンカーン うつ病を偉大さに鍛え上げた大統領』です。
この本は「本のカフェ・ラテ」でも取り上げて、
かなり深く解説を加えていますので、
本当は詳しいことはそちらを読んでください、と言いたいのですが、
簡単にご紹介します。

リンカーンはいまでも人気のある、
「アメリカ史上もっとも尊敬されている大統領のひとり」です。
彼は南北戦争という最も難しい時期に米国の舵取りをし、
「奴隷制度の廃止」という偉業をなしとげました。
リンカーン以前のアメリカ南部では、
白人が牛や馬を使うように黒人を使っていました。
黒人はモノのように売り買いされ、ムチで打たれ、
セックスの道具にされ、病気になれば「新しいモノと取り替え」られ、
端的に、人間として扱われていませんでした。
そしてそれが「当たり前」だと思われていました。

リンカーンの「奴隷撤廃」は、
人類の歴史を大きく前に進めたのです。
リンカーンの死後、彼の親族や彼を英雄視したかった、
宗教保守派の人々は歴史を修正しました。
つまり、「完全無欠のヒーロー」としてリンカーンを偶像化したのです。
じっさいにはリンカーンは生涯にわたりひどいうつ病を患い、
何度も自殺の危機に直面していましたし、
その「物証」も残っていましたが、
それは上記の人々によって「歴史から抹消」されました。

しかし近年「英雄史観への反省」が起こっており、
「等身大のリンカーン」を描こうとする歴史家たちが出てきたのです。
そのような試みの一つが本書です。
不思議なことに、「信仰においても人格においても、
完全無欠のヒーローとしてのリンカーン」よりも、
「複雑な家庭環境で育ち、重いうつ病を抱え、
 (宗教保守派は必死で否定していますが)
 ひょっとすると同性愛的傾向があったかもしれない、
 という有力な証拠すらあり、
 生涯にわたり内外の葛藤にのたうち回りながら、
 それでも偉業を遂げたリンカーン」の方がはるかに魅力的であり、
そして何倍も尊敬に値する人物だと私には思われます。
本当の英雄とは傷のない人ではなく、
傷だらけでも前に進む人なのです。

→P22〜23 
〈本書の狙いは、
リンカーンのメランコリーを完膚なきまでに知ることではなく、
それを精一杯知ることであり、
どのような成り行き(ストーリー)になるかを見届けることである。
広義に言って、その成り行きはかなり単刀直入だ。
リンカーンは、若い頃から心理的な苦悩や苦痛をなめ、
自分は気質的に異常な程度まで苦しむ傾向があると思い込んだほどだった。
彼は自力で自分の苦しみを突き止め、
自力で救いの手を見いだし、がまんして適応する術を身に付けた。
ついに彼は、自らの苦悩から意味を鍛え上げた。
すなわち、それによって、苦悩を打ち勝つべき障害ばかりか、
その苦悩を己の良き人生の要因にまで高めたのである。
本書は、現代のためのストーリーである。
うつ病は、毎年世界中で一億人以上の人を苦しめる、
世界でもトップクラスの疾病である。
2000年、世界でおよそ100万人がこれで自殺した。
これは、同年度の戦争による死者数、
殺人による死者数を合せたのにおおよそ匹敵する数値である。
、、、この現実に直面するとき、
歴史上の卓越した人物の罹病は新たな痛切さを帯びてくる。
特に彼の病の特質ばかりではなく、
それが生産的な人生の一部になり得た姿においてこそ、痛切となるのである。
、、、本書は、大きな苦痛を大きなパワーに合体させた男の物語である。
自分の性質に「固有な不運」を嘆く少年時代の手紙から、
自殺や狂気という主題を書いた詩に至るまで、
リンカーンの生涯は自分の苦しみを説明し、
それを高い次元へと高めてさえくれる
意味を求める模索が始発点になっていた。
大統領としての彼は、同胞に彼らの祝福と重荷を受け入れ、
彼らの苦悩には意味があることに気付き、
より完璧な合衆国連邦を目指す旅程に同行することを求めたのである。〉

、、、リンカーンのこの伝記を読むと、
「アメリカ合衆国が抱える内的矛盾」と、
「リンカーンの抱える内的矛盾」が共鳴し合い、
そして彼個人の中で起きた葛藤の傷跡から流れた
「心の血(じっさい暗殺されたときには本物の血も流した)」が、
アメリカを「一歩先へ」進めた、という気がいたします。

ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』で、
「認知的不協和こそが人類を前に進めてきた」
という彼の主張を紹介しましたが、
リンカーンはまさに、
「時代の矛盾をその身に引き受け、
 そして彼自身の葛藤を通し、
 それをより尊いものへと昇華させた」
という実例のようなものです。
旧約聖書の「預言者」っていうのは、
こういう人たちのことだと私は思っています。



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永久保存版・2017年に陣内が読んだ本ベスト10(10位〜6位)

2018.06.06 Wednesday

+++vol.043 2017年12月19日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 2017年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(前編)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜6位まで、
後編は5位〜1位までのカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▲▼▼10位:『古典経済は役に立つ』▼▼▼

著者:竹中平蔵
出版年:2010年
出版社:光文社新書
リンク: http://amzn.asia/g9BkYcj

▼解説:

「経済学」というのは、
なんか小難しい印象があるかと思うのですが、
けっこうこれを知っているかどうかで、
「社会を理解できるかどうか」が左右されたりします。

「新自由主義(リバタリアン)」と「共産主義」という左右両極があり、
「穏当な自由主義」と「社会民主主義」という、
もうちょっとそれをマイルドな政策にした派閥があります。
自由主義は小さな政府を目指し、
アメリカならそれは共和党の伝統で、日本なら維新の会の方針。
社会民主主義の(比較的)大きな政府は、
アメリカなら民主党の伝統で、日本なら民進党や立憲民主党系。
(日本はここが異常にねじれていて、
 自民党は「規制をぶっ壊す」や(少し前なら)「TPP推進」という、
 経団連への「自由主義アピール」をしながら、
 じっさいにやっていることは公共投資や「企業への賃金上昇勧告」といった、
 完全なる社会民主主義である、という言行不一致の乖離があります。)

、、、これは一例ですが、
こういった政治のことを論じるにも、
その「材料」として経済学の基礎知識は必要なわけです。

私も胸を張って「知っている」といえるほどは詳しくないので、
経済学者の弟や、銀行で働いている義理の兄に、
「これってこういうことだと思うんだけどどうかな?」
と聞いたりして教えてもらってます。

竹中平蔵さんのこの本は、
そういった「材料としての基礎知識」を得る上で、
これまで最も包括的で、しかもコンパクトにまとまっている、
最良のテキストでした。

本書で解説されている「古典」は以下の通りです。

・アダム・スミス『国富論』
・ロバート・マルサス『人口の原理(人口論)』
・デイビッッド・リカード『経済学及び課税の原理』
・カール・マルクス『資本論』
・ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子及び貨幣の一般理論』
・ヨーゼフ・A・シュンペーター『経済発展の理論』『資本主義・社会主義・民主主義』
・ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』
・F・A・ハイエク『隷属への道』
・ワーグナー・J・M・ブキャナン『赤字財政の政治経済学』

たとえば「富の源泉は労働だ」という概念はアダム・スミスに、
「生産手段の独占による労働者の人間疎外」はマルクス、
「公共投資の経済効果にはレバレッジがかかる」というのはケインズに、
「イノベーション」という概念はシュンペーターに、
「小さな政府」という概念はフリードマンに、
「政府は宿命的に焼け太りし赤字を垂れ流す」という概念は、
ブキャナンにそのルーツがあります。
ルーツを知っているかどうかで、
「知っている」のか、それとも、
「理解している」のかの差になります。

本書を要約するような「あとがき」を紹介します。
これは「古典」を踏まえた上で、竹中平蔵氏が、
現在の日本政府の経済政策に対してしている「提言」ですが、
私も大筋において彼に同意します。

→P222 
〈経済運営の基本は、アダム・スミスの指摘するように、
やはり市場の”見えざる手”を活用することである。
これなくして、経済運営はあり得ない。
同時に、ときにケインズの言うような大胆な政府介入が必要な場合がある。
これをためらってはならない。
そしてその背後で、つねにイノベーションが必要であり、
企業も一国経済も「成功の故に失敗する」という教訓を忘れてはならない。
まさにシュンペーターの指摘である。
また、あくまで自由を基本に、
政府が肥大化するリスクを避けるための絶えざる工夫が必要だ。
ハイエク、フリードマン、ブキャナンの警告である。
残念ながら、現下における日本の経済政策は、
これらをすべて無視、ないしは軽視しているように見える。
政府がやたらと市場に介入し“見えざる手”を活用していない。
それでいて、非常時の大胆な財政拡大・金融緩和には腰が引けている。
そして、ポピュリズムが先行し、企業・産業を軽視して、
結果的にイノベーションを軽視する結果を招いている。
何より、政府の肥大化を止めるという決意と工夫がない。
複雑化し激変する今日の経済状況だからこそ、
まさに「古典経済は役に立つ」のである。〉



▲▼▼9位:『他者の倫理学』▼▼▼

著者: 青木孝平
出版年:2016年
出版社: 社会評論社

リンク: http://amzn.asia/23zeEdw

▼解説

こちらは、佐藤優氏が絶賛していて興味を持ちました。
インマニュエル・レヴィナスの構造主義、
浄土真宗の開祖・親鸞の「絶対他力」、
そして世界的なマルクス研究者、宇野弘蔵の
「労働力の商品化」の論理という、
古今東西まったく違う3つの思想を、
「他者」という補助線を引くことで関連づけ、
ひとつの論を立ち上げています。

インマニュエル・レヴィナスは内田樹さんの専門分野で、
これまで私は内田氏の著作を通じて聞きかじってきました。
レヴィナスはユダヤ人(ユダヤ教徒)で、
私の理解では彼はユダヤ教の本質に軸足を置きながら、
「西洋化されたキリスト教圏の思想を、
 ユダヤ的に解釈することで半内在的に批判する」ことに長けた人です。
そしてレヴィナスの思想の根幹は「他者」にあり、
「隣人を愛する」という古くて新しい教えに、
新しい光を与えてくれる思想家です。

親鸞は言わずと知れた大乗仏教の開祖の一人。
私は2011年の東日本大震災以降、
親鸞に小さからぬ関心を抱いてきました。
漫画家の井上雄彦が東本願寺に「親鸞」の絵を、
奉納(というのかな?)しました。
震災後それが東北に運ばれた、というニュースとともに、
その屏風に書かれた井上雄彦の絵に圧倒されたのがきっかけです。
調べれば調べるほど親鸞という宗教的天才が出てきた当時の、
「末法の世」と、現代の日本が類似していること、
さらに親鸞の思想がイエスやルターのそれと酷似していることに、
新鮮な驚きを覚えました。

参考画像:井上氏が描いた親鸞
https://goo.gl/upx6vc

じっさい、日本人の神学者、八木誠一氏は、
「パウロ・親鸞、イエス・禅」という本を書いています。
ちなみに八木誠一の本はどれも面白いです。

参考リンク:「パウロ・親鸞、イエス・禅」
http://amzn.asia/aPnqB8O

、、、で、親鸞は「絶対他力」を言いました。
救済は100パーセント恩寵によるのであって、
人の善行は何もそれに加えられない、と。
これがあまりにキリスト教の教理と酷似しているので、
親鸞の師匠の法然が帰依した平安仏教の祖、
最澄・空海が中国留学中に、当時中国で流行っていた、
「景教」と呼ばれるキリスト教の影響を受け、
それが親鸞の救済観に影響を与えたのでは、
と類推する人もいるぐらいです。
もちろんこの説、「そういうことがあってもおかしくない」という、
「状況証拠」はあるのですが、歴史学の文脈の「物証」がありません。
とにかく、鎌倉仏教の教えは、
「絶対他力(悪人正機)」→「恵みによる救済」
「利他」→「隣人愛」という二大教理に支えられており、
さらには、「鍬(くわ)の一降りは念仏(祈り)である」という、
親鸞の教えは、「職業は神にささげる召し(ベルーフ)である」という、
マルチン・ルターの万人祭司の教理とそっくりです。

最後に宇野弘蔵ですが、
マルクスの「労働力の商品化」という部分から、
マルクスの場合「生産手段の独占」と「労働者の人間疎外」、
そして「階級闘争」と進むのですが、
宇野弘蔵はマルクスの「資本論」を、
「資本主義が構造的に抱える矛盾と、
 それでも恐慌と好景気を繰り返しながら、
 資本主義は半永久的に生き続けるのはなぜか」
という論理展開で読み解きます。
そして宇野の最もユニークな点は、
「労働」とは労働者が差し出す単なる商品ではない、
という点においてだ、と青木氏は言います。
そうではなく「労働力の商品化」という行為において、
人は「外部という絶対的に他なる者」に自分をゆだねる。
その「外部性」の重要性に気づいたところが宇野経済学の白眉だ、
というのが青木さんの指摘です。

つまり、レヴィナスも親鸞の宇野弘蔵も、
「他者という外部性」に救済(または愛・価値)があるのだ、
と論じている。
ポストモダン的現代世界というのは、
すべてが「主観」の一人称の世界に引きこもり、
「外部の欠如」によって行き詰まっています。
そのような現代に、彼の思想は一石を投じていると思います。



▲▼▼8位:『キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由』▼▼▼

著者:ロドニー・スターク
出版年:2014年
出版社:新教出版社

リンク: http://amzn.asia/g1DPEW4

私が現在翻訳中の書籍、
「If Jesus were Mayor(もしイエス様が市長だったら)」
(ボブ・モフィット著)に引用されています。
翻訳を開始した当初この本は英語でしか読めませんでしたが、
3年前に訳されていたことを知り、すぐさま読みました。

この本はローマ帝国で最初(宗教社会学による分類によると)、
「いちカルト」に過ぎなかったキリスト教が、
どうしてコンスタンティヌス帝によって公式の国教になるまでに、
その影響力と数を増大させていったか、という分析です。
歴史学や宗教社会学の分野で現在支配的なのは、
「社会や時代が教義の内容を形成する」という、
「進化論的社会学」の考え方だが、
逆に「教義の内容こそがその宗教を支配的たらしめる」ということもある、
というのが著者の指摘です。

引用します。

→P264 
〈昔と違い現代の歴史学者は、
社会的要因が宗教の教義形成に対して
どのように働いたかという議論に前向きである。
しかしその反面、教義が社会的要因の形成に
どのように働いた可能性があるかという議論となると、
いまひとつ乗ってこない。
これはとくに、キリスト教の興隆が
優れた神学に由来するという主張に対して、
アレルギー反応のかたちをとってしばしば現れる。
特定の歴史学者がアレルギー反応を起こすのは、
思想は随伴現象だとするマルクス主義的な時代遅れで
時にはばかげた説に彼らがどっぷりつかっているからだが、
また別の学者たちについては、
宗教の信仰それ自体にどこか居心地の悪さを覚え、
「勝利主義」(ある特定の教義が絶対に勝つとする信念)の
かすかな匂いにも顔をしかめる態度に由来している。、、、

、、、わたしの論旨はこうである。
キリスト教の中心教義は、人を惹きつけ、
自由にし、効果的な社会関係と組織を生みだし、また支える。
キリスト教が史上最も拡大し成功した宗教の一つとなったのは、
この宗教がもつ特定の教義によるとわたしは信じる。
そして、キリスト教が興隆したのは、そうした教義を具体化し、
組織的行動と個人の態度を導いた方法にあったと考える。〉

、、、ではたとえば、
どのような点でキリスト教の教義の内容は、
他のいかなる宗教とも違い、そして当時の人々を惹きつけたか、
それはローマ帝国で何度か大流行した疫病によって可視化された、
と著者は指摘します。

→P96〜98 
〈、、、この章では、古代社会がこうした災禍によって大混乱に陥っていなければ、
キリスト教は宗教としてこれほど支配的にはならなかっただろう、という説を述べたい。
それを三つの論点に沿ってこれから展開する。

論点のひとつめは、カルタゴの司教キュプリアヌスの著作の中に見られる。
多神教や古代ギリシャ哲学では疫病を説明しきれず、
癒すことも出来なかった。
逆にキリスト教は、人がそのような苦しい時代に
なぜ遭遇したかへの満足のいく答えと、
希望に溢れ情熱的とさえ言える未来像を与えた。

ふたつめの論点はアレクサンドリア司教ディオニュシウスの復活祭の手紙に見いだせる。
愛と奉仕というキリスト教の価値観は、
当初から社会奉仕と連帯という規範を生んだ。
災難が襲ったときでも、キリスト教は上手く対処でき、
そのことが実質的により高い生存率につながった。
そのため疫病が一つ終わるたびに、
キリスト教徒はたとえ新たな改宗者がなくても人口に占める比率を増やした。
さらに彼らの生存率の明らかな高さが
キリスト教徒にも異教徒にも「奇跡」とうつったことで改宗を誘ったに違いない。

、、、論点の三つ目が協調による統制理論の適用である。
疫病でかなりの人口がやられると、多くの人が人間的愛着関係を失うと同時に、
それによって結ばれていた既存の道徳的秩序から遊離する。
激しい疫病によって死亡率が高まるごとに、
多くの人が、特に異教徒が、
キリスト教に改宗するのを引き留めていたはずの絆を失った、と考えられる。
一方でキリスト教徒の社会的ネットワークの生存率のほうが優っているとき、
異教徒は失った絆をキリスト教徒とのつながりで
埋め合わせる確率が高まっただろう。
そのようにして、かなり多くの異教徒が、
おもに異教徒からなるネットワークから、
おもにキリスト教徒からなるネットワークに転じたのではないか。
どんな時代にもこのような社会的ネットワークの転向が
宗教上の改宗につながるのは、第一章で述べたとおりである。〉



▲▼▼7位:『ゲンロン0 観光客の哲学』▼▼▼

著者:東浩紀
出版年:2017年
出版社:株式会社ゲンロン

リンク: http://amzn.asia/jh4QWE0

▼解説:

団塊ジュニアの思想界の異端児、
東浩紀氏の「入魂の一作」です。
めちゃくちゃ面白かったです。

私たちが生きる現代世界というのは、
端的にいって「出口がありません」。
その出口のない隘路に陥った感覚というのは、
表層的には世界中のポピュリズム政党や、
カネだけがモノを言う弱肉強食の、
リバタリアンのユートピア(能力なき者にとってはディストピア)、
拡大する格差や環境問題、テロの脅威や経済の先行き不透明性、
そういった「現象」として立ち現れますが、
現象の薄皮を一枚はがすと、
「思想における出口のなさ」がその正体です。
共産主義の挫折によって「近代」という思想体系全体が行き詰まったことの、
諸現象を私たちは「閉塞感」と呼んでいるわけです。
だとしたら、「思想の世界で風穴を開ける」という、
脳に汗かく人々の存在はとても大切であり、
そういったことを自覚的にしている数少ない日本人のひとりが、
東浩紀だと私は思っています。

具体的に思想の行き詰まりとは何かというと、
「コミュニタリズム(日本で言うと日本会議的なるもの)」と、
「リバタリアニズム(日本で言うと橋下徹やホリエモン的なるもの)」の、
「カレー味のうんこと、うんこ味のカレーの二択」に陥っている、
「デッドロック状態」が思想における行き詰まりの正体だ、
と(かなり乱暴に要約すると)東氏は言っているわけです。

引用します。

→P131〜133 
〈コミュニタリアニズムの誕生は、
じつはリバタリアニズムの誕生と密接な関わりがある。
双方ともに同じリベラリズムに対する批判により生まれた思想だからである。
本論の主旨から逸れるのでざっとした説明にとどめるが、
20世紀のリベラリズムの理論は、
ジョン・ロールズが1971年に刊行した『正義論』で整備されたと言われている。
ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』は
じつはこの『正義論』への批判として書かれた著作で、
リバタリアニズムはそこから生まれた。
同じようにコミュニタリアニズムも、
『正義論』への批判として書かれた著作から生まれている。
そこで重要とされる著作は、マイケル・サンデルが1982年に刊行した
『リベラリズムと正義の限界』である。
サンデルはそこで、ロールズの義論は
普遍的な正義を追求する普遍的な主体(負荷なき主体)の存在を前提としているが、
それはあまりにも強すぎる仮定であり、実際には政治理論は、
特定の共同体の特定の価値観(正義ではなく善)を
埋め込まれた主体しか前提とすることができないと主張した。
この著作がきっかけになって、1980年代から1990年代にかけて、
英語圏の政治学でリベラルとコミュニタリアンのあいだで継続的な論争が起きた。
 
、、、リベラリズムは普遍的な正義を信じた。他者への寛容を信じた。
けれどもその立場は20世紀の後半に急速に影響力を失い、
いまではリバタリアニズムとコミュニタリアニズムだけが残されている。
リバタリアンには動物の快楽しかなく、
コミュニタリアンには共同体の善しかない。
このままではどこにも普遍も他者も現れない。
それがぼくたちが直面している思想的な困難である。〉

、、、では、どうすれば良いのか。
事はそんなに簡単じゃありません。
それが簡単ならば、もうとっくに出口は見えています。
世界で最も頭の良い人たちですら、やっと分かるのは、
「出口らしきもの(間違っているかもしれないが)」です。

余談ですがだから、
「答えは簡単!こうすれば良いんだ!」
と今の時代にやたら歯切れ良く言っている人は、
全員大嘘つき、もしくは単に絶望的なバカです笑。

東氏の言う「出口らしきもの」というのは、
「子どもとして死ぬだけでなく、親としても生きろ」との呼びかけです。
これは必ずしも生物学的な親となれ、という話ではありません。
子ども(誤配、不気味なもの、他者)は、
「自分にとって最も親密でありながら、
拡散し、増殖し、いつのまにか見知らぬ場所に
たどり着いてぼくたちの人生を内部から切り崩しにかかってくる、
そのような存在である。」(P300)と東氏は言います。
私たちは親が子どもに対するように
この世界と対峙すべきである、
そこにリベラリズムが失った「他者性の回復」がある、
と東は結論づけています。

、、、「他者性の回復」。

そうです。
第9位で先ほど紹介した「他者の倫理学」のテーマです。



▲▼▼6位:『素数の音楽』▼▼▼

著者:マーカス・デュ・ソートイ
出版年:2013年
出版社:新潮文庫

リンク: http://amzn.asia/5m3ClD2

▼解説:

これはもう、エンターテイメントとして最高でした。
「リーマン予想」という、
数学者リーマンが立てた、
「素数の出現頻度」に関する仮説は、
いまだに証明されていません。
この本の魅力は解説では伝わらないと思います。
「とにかく読んでくれ」としか言えません。

→P604 
〈エウクレイデス(ユーグリッド)は、
素数はどこまでいってもつきることがないという事実を証明した。
ガウスは、素数が、ちょうどコインの投げ上げで決めるように
でたらめに現れるだろうと予測した。
リーマンがワームホールをくぐって入った虚の風景では、素数は音楽になった。
そこでは、ひとつひとつのゼロ点が音を奏でていた。
こうして素数研究の旅は、リーマンの宝の地図を解釈し、
ゼロ点の位置を確定する作業へと変わった。
リーマンは秘密の公式を駆使して、素数がでたらめに現れるらしいのに対して、
地図上のゼロ点がじつに秩序だっていることを突き止めた。
ゼロ点は、でたらめに存在するどころか、一直線上に並んでいた。
あまり遠くまで見通すことができず、
常に直線上に並んでいるとは断言できなかったが、
リーマンは、並んでいると信じた。こうしてリーマン予想が生まれた。
リーマン予想が正しければ、素数の音楽に突出して強い音は現れず、
その音色を奏でるオーケストラは完璧にバランスが取れたものとなる。
だからこそ、素数にはハッキリとしたパターンがないのだ。
なぜなら、パターンがあるということは、
ある特定の楽器の音が他より大きいと言うことを意味するから。
ひとつひとつの楽器は独自のパターンを奏でるが、
それらが完璧に組み合わさることでパターン同士が打ち消しあい、
結局は混沌とした素数の満ち干となるのである。〉

純粋な数学理論って、「世の中と何の関係があるの?」
と思う人が多いし、実利的な考え方の人は、
「そんなのカネにならないじゃないか」とすぐに言います。
まぁ、そんなに焦らないでください。
素数と世の中が関係ないなんて、とんでもない。
もし素数の「法則」が発見されたら、
現在の世界はガラガラと音を立てて崩れるほどのインパクトがあります。

なぜか。

「素数がランダムに現れる」という性質を利用して、
保たれているシステムが身近にあるからです。
それはインターネット上のクレジットカード決済の暗号化です。
Aという大きな素数と、Bという大きな素数を掛け合わせた数が、
どの二つの素数で構成されているかを突き止めるのは、
最新のスーパーコンピュータを使っても、
何ヶ月もかかります。
この原理を使ってネット上の情報は、
「二つの素数によって施錠」することができます。
こんな「簡単なこと」が、
クレジットカード会社や銀行が顧客の情報を守っているのです。
「素数の秘密」を握った人はだから、
何百億ドルという財を手にする可能性を秘めているのです。
しかし逆説的ですが、何百億ドルを手にしたいという動機で、
数論に手を出しても、そんな「軽い」動機では、
「数学の女神」はほほえんでくれません。

数学の分野のなかでも「数論」は特に「魔の世界」で、
多くの天才たちがそれによって人生を狂わせ、
精神病に罹患し、ある人は自殺し命を落としています。
「リーマン予想」という未解決問題は、
今も数の冒険者たちの興味を惹きつけてやみません。

、、、というわけで、
10位〜6位をカウントダウン方式でお送りしました。
来週はいよいよ、5位〜1位の発表です。
お楽しみに!



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