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余はいかにして筋肉トレーニーとなりし乎

2019.06.13 Thursday

+++vol.076 2019年1月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 余はいかにして筋肉トレーニーとなりし乎
コーナータイトルは、
内村鑑三の「余はいかにして基督教徒となりし乎」への、
オマージュです。
「何で筋トレはじめたの?」
って結構頻繁に聞かれるので、
コーナー化しようと思いました。
、、、私がなぜ筋トレを始めたのか?
筋トレをするとどんな効果があるのか?
筋トレは人生にどんな影響を及ぼすのか?
筋トレとは何か?
生きるとは何か?
世界とは?
宇宙とは?
という、「筋トレを通して森羅万象を語る」コーナーです。
半分「悪ふざけ」なので、深刻に読まれてしまうと、
困ってしまいますのでご理解を笑。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼なぜ筋トレを始めたのか?

私が筋トレを始めたのは、
2018年4月のことです。
まだ1年経ってないんですよね。
なので、トレーニーとしては「初心者」の部類です。

ちなみにトレーニーっていうのは、
「メンター(師)」に対する「メンティー(師事する人)」
みたいな対応関係の言葉で、
「トレーナー」に対する「トレーニー」です。
ただ「余は如何にしてトレーニーとなりし乎」だと、
「ヴァイオリンを練習する人」もまたトレーニーなので、
「筋肉トレーニー」という耳慣れない言葉を使った次第です。

、、、で、私は初心者トレーニーであって、
しかも「マイナスからのスタート」なので、
私の身体はまだ「標準以下」です。
じっさい、Inbodyという体組成計で測ると、
筋肉量は標準100%に対して95%ぐらいですし、
体脂肪率は標準を超えており、
判定は「やや肥満」と出ます(爆死)。

なので私はまったく「マッスルボディ」ではありません。

ここでついでに、もうひとつ用語説明を。

筋肉質の人を「マッチョ」というのは、
日本のメディアでは常識になっていて、
当たり前に一般人も使っていますが、
私は使いません。

まぁ、これは「口うるさいヤツだ」、
と言われるかもしれませんが、
「マッチョ」って日本だと良いんだけど、
海外だと「ただの悪口」だからです。

英語圏ではマッチョっていうのは、
「男性優位主義者・女性蔑視主義者」
という意味があります。
「ジェントルマン」の対義語というか。
つまり、女を欲望の道具と見なし、
女を打ちたたくことを肯定し、
男の方が女よりも優れた生物だ、
という思想を持つ人のことを英語圏で、
「マッチョ」と言います。

最低でしょ。

なので、日本国内ではそういう意味はないと知りつつも、
これだけグローバルな世界で、
私たちの会話を英語圏の人が聞いていないとも限らない。
だから私は「マッチョ」を、
自分のボキャブラリーから削除しましたし、
このメルマガでも「マッチョ」は使いません。

じゃあ英語圏で「(日本で言うところの)マッチョな人」は、
なんて言うの?
ということですが、
これは「マスキュラー」とか、
「ウェル・ビルト」とか、
「グッド・シェイプ」とか言います。

当メルマガではさしあたり、
「マッスルボディ」とか、
「筋肉質の人」と言うことにしましょう。


、、、余談でした。


というわけで初心者トレーニーの私は、
まだまだマスキュラーな身体ではないのですが、
それでも筋トレの恩恵には浴しています。

さっきからいっこうに会話が前に進んでません笑。

そうです。

2017年の4月に筋トレをはじめた理由です。


、、、これには明確な理由が2つあります。


▼▼▼体力のなさ

、、、ひとつめは、圧倒的なまでの体力のなさです。
私はもともとあまり身体が強靱ではありません。
風邪も引きやすいですし、体力も平均以下だと自認しています。
筋トレをすればこれが強靱になる、
とも思っていません。

こういうのって「遺伝子」で決まってたりするので、
鉄棒にぶら下がると背が伸びる、
というのが嘘であり、
脳トレをやったら頭良くなる、
というのが幻想なのと同じく、
遺伝という圧倒的力の前に、
私たちはただただそれを受け入れるしかないと思っている。

でも、強靱な肉体ではなかったとしても、
ちょっとは何かを変えられるのではないか、
とも思うわけです。

遺伝子で80%決まっていたとしても、
残りの20%は、後天的な努力や学習によって、
何かを変えられるのではないか、と。

その20%が、私にとって筋トレだったわけです。

なぜ2018年だったか?

それは、私が2013年〜2015年にかけて、
燃え尽き症候群に伴う鬱病で長期休養したことに関係があります。
2年間、地獄の底で私は過ごしました。
毎日「死の吐息」を感じ、
インフルエンザの10倍つらいと言われる、
「不安愁訴」と戦いました。
自分が自分でなくなっていく恐怖と戦い、
絶望に呑み込まれそうになるのにあらがい、
抗いきれずに呑み込まれ、
魚の腹の中のヨナのごとく、
漆黒の闇の中で、
いつ終わるともしれない絶望の中に佇みました。

鬱病の症状のひとつに対人恐怖症があるため、
コンビニに行って店員と話す、
ということを考えるだけで全身から汗が止まらなくなり、
怖くてコンビニから逃げ帰って、
机の下でふるえていたこともあった。

ご飯を食べても砂食べてるみたいなものですし、
そもそも「食べるというエネルギー」が不足しているので、
体重は今より15キロ少ない、58キロ台まで落ちました。

このような状態の人間は、
筋肉と共に当然体力も落ちていくわけです。

ですから2016年に仕事に復帰してから最初の1年は、
たぶん「80歳ぐらいの体力」しかなかったと思います。
一日何か予定を入れたら、
かならずその次の日は布団に入って寝ていなければならなかった。
多くの人が集まる会議に参加したり、
初めて会う人と新しく知り合いになると、
2,3日は体力の回復を待つ必要があった。

ハワイで牧師をしているウェイン・コデイロという人が、
自身の燃え尽きと鬱病体験を書いた、
『あなたが燃え尽きてしまう前に』
という本があります。

▼参考リンク:『あなたが燃え尽きてしまう前に』
https://goo.gl/wynp9q


この本のなかに、
「リーダーシップエネルギー」という言葉が出てきます。
鬱病を経たコデイロ師は、
「リーダーの最大の武器は、
 時間ではなくエネルギーだ」と身を持って悟ります(P145)。
別にリーダーでなくても当てはまると思うのですが、
人は「毎日、エネルギーをもって朝目覚める」と。
これをコデイロ氏はロケットの噴射に喩えています。

最初に、1日に7回分噴射出来るエネルギ−がある、と。
何かひとつの「活動」をするごとに、
これを消費していくのだ、
とコデイロ師は語っています。

コデイロ師は典型的な一日のエネルギーの使い方を、
このように解説します。
最初のエネルギーをデボーションに、
2発目のエネルギーをメッセージ準備に、
3発目〜5発目の3つを牧会と導き(ミニストリー)に、
6発目を夫婦と家族のために、
最後の7発を「自分のため」に使うのだと。

このように自分が使うエネルギーに自覚的になり、
予防的に休むことが、
鬱病再発防止の、コデイロ師の指針として紹介されていました。

私がこの本を読んだのは鬱病発症直後のことで、
当時は鬱病当事者の手記以外の本は読めなかったので、
4回ぐらい繰り返し読んだ記憶があります。

この指針は私が仕事に復帰してからも心に深く残っていました。
2016〜2017年の、私というロケットの噴射エネルギーは、
先ほど述べた理由により、
一日につき1発から2発しかないような状態が続きました。
一日にひとつか二つ、何かをしたら、
もう「一日16時間働いた人のように」、
へとへとになって動けなくなってしまうのです。

鬱病は最近の研究では「脳の炎症」なのではないか、
とも言われており、何らかの脳の器質的ダメージがあるのは、
鬱病研究者の共通見解になっています。
仕事復帰後も「脳のダメージ」は残っていますから、
それを回復させるのに必死なわけです。
脳梗塞経験者が書いた手記にもよく出てきますが、
脳に関わる疾患は快復後、
睡眠時間が13時間とか16時間など、
極端に長くなる例が多い。

私もそこまで極端ではないものの、
2016〜2017年は、
一日平均10〜11時間は寝ていたと思います。
現在はやっと9時間〜10時間ぐらいで、
大丈夫になりました。
(鬱病発症前は平均7時間だったのと比べると、
 まだまだ長いのですが)

睡眠時間に関しては、
普通の人がスマホをいじったり、
SNSを眺めたり、
テレビをザッピングしたりする時間が、
ガラケー派でテレビ見ない私は「ゼロ」なので、
あまり「時間が足りない」とは思いませんが、
体力のなさは本当に不自由でした。
見た目は30代なのに中身が80代なのですから。
時間がいくらあっても、
エネルギーがなければ何も出来ない、
ということを身を持って知ったのです。

「エネルギーが最大のボトルネック」
ということを痛感した2年間でした。

このボトルネックを無理矢理広げようとすると、
これも仕事復帰後3回か4回経験しているのですが、
翌月や翌週に、
「地獄の鬱病症状」が戻ってきます。
またあの悪夢が再来するのです。
のど元に単刀を突きつけられているのと同じで、
「無理をしない」「身の程を知る」
というのは、完全に私に内面化しました。

しかし一方で、
「これはマズいなぁ」とも思っているわけです。
エネルギー噴射を、7発とは言わないまでも、
せめて4発、5発ぐらいに持っていかないと、
本当に意味あることをしたくても出来ないし、
「まともな社会生活が送れない」というのも、
分かりますから。


、、、では、どうするか。

こういうのって、
「頑張ってもなんとかならない」のは、
分かってるんです。
鬱によるダメージが脳の炎症だとしたなら、
「頑張って炎症を治す」というのは、
あまり得策とは言えません。
頑張ったからと言って、
怪我の傷口がふさがるわけではないのと同じです。

「時間と休息と睡眠」
という自然がくれた万能薬を、
とにかく服用し続ける、
というのが唯一出来ることでした。

しかし、
脳の炎症はそうだったとしても、
「エネルギースロットの増加」は、
きっと「基礎体力」ともどこかでつながっており、
それをどこかで増やしていくことは、
自分に出来るせめてものことだ、
というのも分かっていました。

それでも、まだ問題があります。
最初の二年間(2016〜2017年)は、
そもそも「一日1発〜2発のエネルギー」ですので、
その「基礎体力向上のためにする何か」に、
トライすることで、その一発を使うことになる。

あと、「新しいことをはじめたが、
それを継続出来るという自信」は、
まったく失われていた。
なので、
「きっと今、ジョギングや水泳など、
 フィットネスのために何かを始めたとしても、
 それを続けることが出来ず、
 挫折経験をひとつ増やすだけだろうなぁ。」
という「身体感覚」があった。
やるべきことは分かっているのですが、
タイミングが問題だった。

その不安がなくなり、
「今ならきっと何か始められる」
と直観的に思ったのが、
2018年の4月だったのです。


、、、遡ること1年半、
2016年ごろから私は、
香川県に住む私の親友のひとりと、
Skypeでときどき話すようになっていました。
病気療養を経て、近況報告をしたり、
お互いの趣味の話しをしたり出来る、
それは貴重な時間となっていました。

彼がSkypeで、
「筋トレを始めて、
 体力面で恩恵を受けている」
ということを教えてくれていました。

それまでの私にとって、
社会人になってからの「運動」は、
趣味の水泳と、ウォーキング、ときどきジョギング、
ぐらいのものでした。
「筋トレ」という引き出しはまったくなかった。
しかし、彼の話しを聞いているうちに、
「なんか楽しそうじゃないか。
 しかも、ジョギングなどの有酸素運動とは違う、
 体力的な恩恵を受けられそうだ」
ということを直観していました。

それからです。

私はときどき、
筋トレ関係の本を読むようになりました。
『人生の99.9%の問題は筋トレで解決する』
などを書いたテストステロン師(笑)の本や、
筋肉博士の東大教授、石井直方さんの本など。
自分はまったく筋トレできないのですが、
なんかそれらの本を読んでると、あら不思議。
「大胸筋がパンプアップ」したような気がしてくるではありませんか。


、、、そうやって、
「筋トレ耳年増」的に、
「一度もやったことないけど情報だけはある」
という状況を1年ほど過ごして、
2018年4月に、
武田真治の
『優雅な肉体が最高の復讐である』
を読んだとき、
「よし、ジムに入会しよう」
と思ったのです。

あの日が今思えば私にとって、
「天啓」でした。
「トレーニーとしての私が生まれた日」です。

なぜ武田真治だったか?
本を読んでいただくと分かるのですが、
(今からは考えられませんが)、
武田真治氏は、20代のころから、
15年以上筋トレを継続し、筋肉隆々になっていながら、
この本を書くときまで、
その事実を誰にも話さず、
誰にもその肉体を見せていなかったのです。

筋トレ用語に、
「見せ筋野郎」
という悪口があります。
「見せるためだけに筋肉を育てているヤツ」
という蔑称ですね。

見えている部分だけがかっこよければ良い、と、
足のトレーニングをサボるヤツなどに向けて、
浴びせられる言葉です。

、、、武田真治はその意味で、
「見せ筋野郎」とは真逆だったわけです。
(今ではそれが彼のセカンドブレーク要因になったのですが)
この本の最後に彼は、
「あー、疲れた」は、
年のせいではない、と言います。
その人はきっと若い頃から「あー、疲れた」
と言ってきたし、老人になっても言い続けるだろう。
しかし、社会の大多数が「あー、疲れた」
と言ってる社会はさみしいじゃないか、と彼は言います。

鍛えられた身体をつくり、
「あー、疲れない」と言ってみようよ、と。
「あー、疲れない」と言っている人がひとりでもいれば、
社会の雰囲気はちょっと変わるんじゃないかな、と。

これが当時の私の、
「エネルギースロットを増やす」という、
2年間考え続けた命題と「バチコン」とハマったのです。

さらに武田真治が筋トレを始めた「きっかけ」が、
病気だったことも私に響いた理由です。
彼は20歳のときに顎関節症という病気に苦しんだ。
お医者さんから「まずは縄跳びから運動を始めてみるように」
勧められ、フィットネスに目覚め、
筋トレの道に進んでいったのです。

、、、というわけで、
私がトレーニーになったひとつめの理由は、
「体力のなさを解消したかった」です。
考えてみますと、
イエスの弟子として人に仕えるのも、
「体力」から始まります。
体力を使って私たちは人々に奉仕するのです。
これを増加させることは、
信仰者としての霊的鍛錬のひとつだし、
社会人としての「仕事のひとつ(メタ仕事)」だとも思います。

レーサーにとっての車のメンテナンス、
ミュージシャンにとっての喉のケア、
学者にとっての読書、
モデルにとってのスキンケアのように、
「仕事そのものではないが、
 ほぼ仕事に含まれるような行為」ってあります。
これを「メタ仕事」と名づけるなら、
筋トレは「ほぼすべての人間にとってのメタ仕事」
となりうるオプションなのではないか、
とすら今の私は思うのです。

筋肉とつながっていない「行為」は、
ひとつもない、とすら私は思う。
(もう「脳筋野郎」みたいになってきましたが笑)

でもね、
真面目な話し、
考えることも「筋肉から出てきている」
と思いますから。
村上春樹が毎年フルマラソンを走るのは、
そういう理由からです。

、、、さて、長くなりましたが、
最初の理由は「体力」でした。
「圧倒的な体力のなさ」が、
私を筋トレに導いたのです。

じっさい、もし私が鬱病になっておらず、
2年間の療養生活で「体力が80代」になっていなければ、
今筋トレをしていたとは思えませんし、
始めたとしても続けている自信はありません。

私はちょっと軽く、
ギャグみたいな感じで筋トレを語りますし、
筋トレはじっさい楽しいのですが、
その背後には「これ以上ない真剣さ」があります。
ものすごーく切実な理由から筋トレを始めたので、
「モテたい」とか「夏までに腹筋割りたい」
ぐらいの理由で始めたそこいらの人たちとは、
「ちょっと覚悟が違う」のです。

話せない人の手話や、
車いす生活の人にとっての腕や、
視覚障害者にとっての「聴覚」と同じで、
体力が圧倒的に不足している私にとって、
体力を増進する可能性がちょっとでもある筋トレは、
「生きるか死ぬかの問題」なのです。
シェークスピア風に言えば、
「ダンベルを取るべきか否か、
 それが問題だ」ということになります。
(ハムレット)



▼▼▼娘が生まれたこと

2番目の理由はわりとシンプルです。
娘が生まれたのは2017年9月21日のことです。
私は1977年11月28日生まれですから、
娘が生まれて2ヶ月後に40歳の誕生日を迎えました。

今の時代、
「40代で初めて親になる」
というのは、特に男性の場合、
あんまり珍しいことではありません。

とはいえ、自分の周囲を見渡してみても、
「多数派」なわけでもない。
(結婚している同世代の場合)
ほとんどの人が30代前後で最初の子どもを授かり、
私の同世代の友人には、
「子どもは小学生」という人が少なくないし、
早い人なら20代で親になっています。

、、、で、想像したわけです。

うん。

けっこうこれは大仕事だぞ、と。
そして、「体力が勝負」になってくるぞ、と。
そして自分を見た時に「80代の体力」。

どこかで、何かを変えなければならない。

、、、その「変える」エネルギーが、
会社で言うところの「資本金」、
車のエンジンでいうと「セルモーター」になって、
体力増進のための新しい習慣を構築し、
そして少しずつ「体力の貯金」をし、
もとい、「貯筋」をし、
そして遺伝子に組み込まれた「老化」に、
抗わないまでも、ちょっとでも遅くせねば、
俺はこの「大仕事」を全うできない。
少なくとも妻をはじめ、
周囲に多大な負担をかけてしまう、
と思い至りました。

その「エネルギーの資本金」が、
貯まったと感じたタイミングが、
2018年4月のことでした。

その成果はあるのか?

あります。
例えばこんなことです。

そのころから娘の体重は増え、
ベビーカーで移動することも増えました。
東京では公共交通機関で移動することが多いですから、
階段などもたくさんあるわけです。
エレベーターももちろん設置されてますが、
やたら遠かったり、
お年寄りが行列を作っていたりすることもある。
その中に若者が混じっていることもある。
そして思う。
多少動けや、と。

話しがそれました。

「階段の方が便利」ということも、
多々あるわけです。
あと、急いでるときは階段が最速ですから。

そんなとき私は、
ベビーカーごと娘を持ち上げ、
階段を駆け上がる(駆け下りる)ことが出来ます。
その体力がついてきたのも大きいですが、
トレーニングで、腰に負荷のかからない、
重い物の持ち方の動きを習得していることも大きい。

「デッドリフト」という種目があります。

▼参考画像:デッドリフト
https://goo.gl/q5jSQi

バーベルを膝から腰の位置に挙げる、
それだけの動作なのですが、
これが見た目以上に「キツイ」です。
この種目の大切なことは、
上半身を一本の棒にすることです。
腹筋や背筋を動員し、腹圧を高め、
しっかりと上体を固定する。
そして腰をちょうつがいの起点にして、
ヒンジのように動かす。
そうすると、人体の構造上、
「ハムストリングス」という、
ももの裏の筋肉群と、
背中全体の筋肉で重りを扱うことになる。

それによって「身体の裏側全部」を鍛えられる、
という筋トレ種目です。
トレーナーにこれを習ったとき、
自分より若いトレーナー氏が最初に言いました。
「デッドリフトは良い種目です。
 これだけで腹筋が割れると言われてますし、
 あと、これをやると日常生活で腰を痛めることが激減します。」

そして、先ほど私が説明した人体の構造を教えてくれました。
つまり、モノを持ったり身をかがめたりするとき、
「背骨」ではなく身体の裏側全部を使うようになるので、
背骨の負荷が過重になって「腰をやる」ことがなくなるのだと。

、、、去年の10月ぐらいからデッドリフトを始め、
今私は95キログラムの重量を扱うようになりました。
バーベルとベビーカート(ベビー入り)は、
まったく構造が違うので、
ベビーカートの重量が3分の1だからといって、
軽いわけではありません。

しかし、デッドリフトの要領で、
ベビーカートを持ち上げるとき、
私は思うのです。

「筋トレしてて良かったぁ〜!」と。
一昔前の世界陸上の織田裕二の、
「地球に生まれて良かったぁ〜!」のテンションで。

筋トレをする目的をする理由は人それぞれですが、
私の場合それは「人に仕えるため」です。
それがキリスト教的筋トレだと思っています。
重い物を持つだけではありません。
先ほど言ったように、
人にメールするのも、考えるのも、
すべて「体力」を使います。
その「体力」は筋肉からやってきます。

武田真治のいう
「あー、疲れない」という人は、
「よく人に仕えられる人」の条件の一つです。

まだまだ「人並み以下」の筋肉ですし、
私は一生「お前は人並み以下の体力なんだぞ」と、
自分に言い聞かせながら生きていくと思います。
調子にのっておごり高ぶり、
身の丈に合わないことを引き受けて、
また燃え尽きてしまうのはご免ですから。

しかし、少しでも体力を向上させ、
それによって、
「仕えられる総量」を増やしていくことが、
私が筋トレをする理由です。

ちなみに、
「デッドリフト」の語源は、
「死体(デッド)を持ち上げる(リフト)動作」
から来ているそうです。
私がベビーカーを持ち上げるのは、
生きている子どもを持ち上げているので、
「アライブリフト」ですが、
デッドリフトがアライブリフトの予備訓練になるように、
私がバーベルやダンベルを持ち上げる一降り一降りが、
神が自分をこの世に置いた理由であるところの、
召命を果たして行く備えになっていく、
ということを強く願いながら筋トレしてます。

「余は如何にして筋肉トレーニーとなりしか」
は、
「余は如何にして基督者となりしか」
と、そんなに離れた話しじゃないのです。


おわり。

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