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べてるの家の「非」援助論

2017.10.12 Thursday

+++vol.009 2017年4月18日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のエスプレッソショット

私は、一年間に300冊ほど本を読みます。
(ちなみに作家の佐藤優さんは月に500冊読むそうですので、
 私の年間読書量は佐藤さんの3週間分ぐらいです笑。)

読む本のほとんどは図書館で借りますが、
図書館に蔵書のない本はAmazonのKindleで買ったり、
専門書などは書店で購入したりします。

読書スタイルは、常時5〜10冊ぐらいを並行して読み、
ジャンルは多種多様で、
「乱読」に近い読み方をしています。

また、信頼する友人に勧められた本は、
なるべく必ず読むようにしています。

日常的に書籍を読むようになった大学生時代以降、
読書の記録はぜんぶ一冊の大学ノートにしてきました。

2014年から情報の集積を、
大きくデジタル方向にシフトして、
「読書ノート」をEvernoteに取るようにしていて、
現在そのファイル数は1000を超えています。

「私のEvernote蔵書のなかで、
 この本は良かった」
という本を厳選して、みなさんにその本を、
「コーヒーの高圧抽出」のような形でシェアするのが、
このコーナー。

いわば読書のエスプレッソです。

私のEvernoteの読書ノートから引用しつつ、
読者の皆様に毎週、選りすぐりの一冊を紹介し、
「本なんて読む時間ねぇよ!」という方にとっては、
時間短縮のツールとして、
「本が大好き」という方にとっては、
「読書を通した豊かな対話」のような、
ひとときを味わっていただくコーナーとして、
楽しんでいただけたらと思っています。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

よく考えてみますと、
この「本のエスプレッソショット」は、
「初めて」なのです。

じつはこのメルマガを二月の後半に始めるに先立って、
一ヶ月ほど「パイロット版」を、
私の友人知人の10名ぐらいの方々に送っていまして、
そのなかで二度、「本のエスプレッソショット」のコーナーをしました。

そこでは以下の二冊の本を紹介しました。

この「パイロット版」は「幻のメルマガ」であり、
半年後ぐらいに公開予定の「メルマガバックナンバーサイト」に、
もしかしたら掲載するかも知れないし、
掲載しないかも知れない。

でも、過去二回のこのコーナーで、
何を紹介してきたかだけはお知らせしておきます。

以下がその本です。


●第一回:WORK SHIFT

著者:リンダ・グラットン
出版年:2012年
出版社:プレジデント社

http://amzn.asia/4seLSIb




●第二回:「君たちが知っておくべきこと」

著者:佐藤優
出版社:新潮社
出版年:2016年

http://amzn.asia/9wTSOKP



、、、リンダ・グラットンの本は、
今話題の「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」の、
一つ前に彼女が書いた本で、
長寿化にともない、現役期間が、
ひとつの産業の寿命を超えるという、
大きな社会構造の変化を迎える。

とすると、人は生涯ひとつの会社で働いたり、
生涯ひとつだけの仕事をして生きていく、
ということは少なくなり、
複数のキャリアを人生の時期別に、
あるいは並行して渡り歩いていく、
というのが主流になるだろう。

そのような時代に備え、今私たちは何をしたら良いのだろう、
という本です。


佐藤優さんの本は、
佐藤優と、おそらく「全国でもっとも賢い高校生の集団」
である兵庫県にある灘高校の生徒が語り合う、という内容。

ノブリス・オブリージュ(エリート層の責務)の感覚が、
失われているのが今の日本の地盤沈下を招いている、
という佐藤氏の危機感から、
彼は灘校生と対話をするオファーを承諾します。

この本で驚くのは灘高校の生徒たちの、
「質問の質の高さ」です。
「地頭の良さ」って、あるんだなぁ、
というのがよくわかります。

また彼らが能力を世の中のために使う、
という感覚をもって人生を歩んでくれるとしたら、
それは日本にとってとても頼もしいことだと感じます。


、、、さて、今日ご紹介する本は、
以下のタイトルです。



●べてるの家の「非」援助論

著者:浦河べてるの家
出版社:医学書院
出版年:2002年

リンク:http://amzn.asia/hLAcuW1


▼▼▼「べてるの家」に出会った2015年▼▼▼

先週のメルマガで、
「来週は久しぶりに本のエスプレッソショットをやります」、
と宣言したは良いけれど、
「さて、何を紹介しよう」と、
思いあぐねていました。

けっこうこの「本のエスプレッソショット」をやるのは、
労力がかかるのです。

「高圧抽出」というのは比喩ですが、
じっさい一冊の本を、数千字ぐらいで、
他者に紹介する、という作業は、
脳にとってはけっこうな労働です。

夏休みの読書感想文を思い出してもらえば、
なんとなく想像していただけるのではないでしょうか。
「読書感想文」と聞くだけで
吐き気を催す人もいると聞きます笑。

、、で、
紹介したい本はいろいろあるのですが、
敢えて今日、この本を選んだのには理由があります。

それは何を隠そう、
私はこの本の「著者」である、
「浦河べてるの家」をじっさいに訪問したことがあり、
そして、浦河べてるの家の創始者である、
向谷地生良さんと、川村敏明先生に、
お会いしてお話したことがあるからです。

2013年から病気療養してからというもの、
私はめっきり名刺を交換する機会が減りました。

「なるべく新しい人と知り合わない」
というモットーで生活していましたから笑、
年間に名刺を交換したのは、
一昨年(2015年)でいえば3枚ぐらい、
昨年(2016年)でいえば8枚ぐらいです。

100枚名刺を刷ると、
私の場合10年以上もつ、
ということになる笑。

で、一昨年の3枚の名刺のうち2枚が、
向谷地生良さんと川村敏明先生だったわけです。

つまり2015年は私にとって、
「べてるの家イヤー」だった、
と言っても過言ではない。



▼▼▼2015年春の友人との再会▼▼▼

2015年の春はまだ、
私は病気療養中で、2種類のカウンセリングを受けつつ、
自宅でひたすら何も出来ず休む、
という日々を送っていました。

朝起きる気力も、コーヒーを淹れる気力もなく、
人と2時間話すと、その次の3日間は寝込むほどに疲れる、
というような状態です。

そんな2015年の春、
小児科医で北海道で病院の理事長をしている、
私の友人が、東京出張のついでに1年半ぶりに、
私に会いに来てくれたのです。

友人と妻と私の3人で、
焼肉屋に行き、いろんなことを話しました。

注文が届く前に、
焼き肉屋のトイレで泣いたのを覚えています。
「ちょっと、泣いてくるわ」
と私は席を立ちました。

「この人がどれだけ私たち夫婦のために祈ってくれ、
 心配していてくれたか。そしてどんな気持ちで、
 『それでもなお』私の友であることを選んでくれているか。」
ということを考えた時、
ありがたいやら、申し訳ないやら、
うれしいやら、もったいないやら、
かたじけないやら、気後れするやら、
穴があったら入りたいやら、
安心するやら、感激するやら、
情けないやら、でもやはり嬉しいやら、
なんか感情の交通整理が間に合わなくて、
涙腺のダムは決壊し、
それらは涙となって溢れました。

顔を洗って席に戻り、
1時間半か2時間ぐらい話をしました。

「約2年間、足踏みをしていた自分」と、
「2年間、進み続けた友人」という精神的ギャップがありますから、
再開した時「あぁ、俊君は終わってしまったな」
みたいに思われたり、まったく会話がかみ合わなかったり、
話している途中に自分がパニックに陥ってしまったらどうしよう、
という不安で、前日は眠れませんでした。

焼肉屋で何を話したか思い出せませんが、
その会話から、前日の心配は全部杞憂で、
私が「終わろうが終わるまいが」
会話が成立しようがしまいが、
社会的な意味で前進しようが足踏みしようが、
関係なくその友人は私の友人でいてくれているんだ、
ということが言葉ではなく伝わってきて、
胸が熱くなりました。

友人は障害児医療に携わっていますので、
障害を持つ方と接することが多いのですが、
障害を持った当事者の方の言葉として、
「障害者は生きているだけで社会変革なんだ」
という言葉を教えてくれました。

それが、私が発病してから1年半ぶりに、
手帳にとった「メモ」でした。

当時の私はコンビニに行くことすら恐怖で、
電話がくるとパニックに陥り、
まともな社会生活を送ることなどほど遠い、
いわば「障害者」みたいなものでしたから、
その言葉は私に重く響き、その後の病気の回復の、
「マスターピース」になりました。



▼▼▼「べてるの家」と回復への道▼▼▼

焼肉屋で友人が教えてくれたもう一つのことが、
「べてるの家」のことでした。

「俊君は『べてるの家』って聞いたことある?」
と友人は言いました。

私はよく知らなかったので、
「いや、知らないなぁ」と答えました。

そこから彼は、北海道の浦河に「べてるの家」という、
有名な精神疾患の当事者による施設があること、
その取り組みは先進的で、「病気というものとの付き合い方」を、
根底からひっくり返すような概念がそこにはあること、
また「近代」という時代の先にあるものを、
「べてるの家」は示しているように思えること、
そして「べてるの家」の創始者の川村敏明先生の息子さんが、
彼の病院で働き始めたことなどを教えてくれました。

それから家に戻り、
「べてるの家」の書籍をAmazonで購入し、
あるいは図書館で予約し、そして読み始めました。

これまで私が読んだ「べてる関係」の本には、
以下のものがあります。

▼「精神障害と教会」向谷地生良
http://amzn.asia/dGNiF3E

▼「安心して絶望できる人生」向谷地生良
http://amzn.asia/croPkMn

▼「技法以前」向谷地生良
http://amzn.asia/aGMjKM9

▼「行き詰まりの先にあるもの」富坂キリスト教センター(編)
http://amzn.asia/0arTiRY

▼「べてるの家の『非』援助論」浦河べてるの家
http://amzn.asia/aiGJU8s

▼「降りていく生き方 『べてるの家』が歩む、もうひとつの道」横川和夫
http://amzn.asia/dZEmtBX


、、、そこには、私が、
「もしかしたら自分が病気になったのには
 こういう意味があるのではないか」
と、薄々考えてきたことが、
明確に言語化されているように思えました。

それを一言で表現するのは至難の業なのですが、
敢えて言うのなら、いままで「自分が病気になった」ということが、
「歩いていて地雷を踏んだようなもので運が悪かったのだ」
と心のどこかで思っていた。
それが実は、「地雷を踏んだのではなく、宝くじに当たったのだ」
と思うようになった、という変化です。

「べてるの家」の思想は、
その思いに輪郭を与えてくれ、
そして確信に至らせてくれたように思います。

神さまが「誰にこの、病気という宝物をあげようかな」
と、天から地上を見下ろしていらっしゃる。

その「当選確率の低さ」というのは、
年末ジャンボ宝くじの比ではなく、
何万人とか、何十万人にひとり、という割合かもしれない。

そしてその当選金額もまた、
年末ジャンボ宝くじの比ではなく、
金銭には換算できないが、換算したとしたら、
何億円なんておいうものではない、という風に、
私には思えたわけです。

「なぜ病気が宝なのか」
という理由はいろいろありますが、
ひとつだけ挙げます。

ダミアン神父というハンセン氏病患者のケアをしていた、
有名なカトリックの司祭がいまして、
その人はハンセン氏病患者から、
「神父にはらい病の辛さはわからない」
と言われたことをずっと心に留めていました。

ある日、ダミアン神父は、
自分の皮膚の感覚がなくなっていることに気がつきます。
これはらい病に感染した兆候です。

その時、神父は悲しむどころか喜んだ、
という話があります。

なぜか。

そのとき初めて、
「あなたたちらい病患者は、、、」ではなく、
「私たちらい病患者は、、、」と、
呼びかけることが出来たからだ、
という記録が残っています。

私は「声なき者の友の輪」というNGOの創立に関わり、
「声なき者の友」として生きることが、
イエスの愛の実践であり、現代の信仰者の、
もっとも大切な使命だ、という啓発活動をしてきました。

自分自身が、「声なき者のひとり」
となった2年間の経験というのは、
私の目指す生き方から考えたとき、
「高価な宝」以外の何でもありません。

、、、さらに、実のところこの「メルマガ」もまた、
病気という宝くじの「副賞」みたいなものです笑。

2013年に発病せず療養していなければ、
メルマガを始めようなんていうアイディアは私にはなく、
また書くための「素養」というか「思想の奥行き」のようなものも、
持ち得ていなかったと思います。

また、自分が生まれたことの、
時代的意義や使命に対するひとつの確信を、
私は持っていまして、それがメルマガ執筆の動機なのですが、
それが「確信」として結晶化したのも、
療養中の「サナギの期間」においてでした。

、、、その後の半年間も病気の症状と付き合う日々でしたが、
それまでは「戦い」だったものが「和解」に変わりました。
苦しさは変わらないのですが、「病気という宝」を、
神が下さったのだから、その宝をとことん味わおう、
という気持ちでその症状を味わうようになった。

「私が病気と和解する」のを待っていたごとく、
役割を終えて「病気が旅立つ」かのように、
そのころから病気の症状は弱まり、
回復の兆しが見えてきました。



▼▼▼向谷地さんとの出会い▼▼▼

その年の12月に私は活動に復帰し、
現在に至ります。

活動再開の前の月の11月に、
私は友人を訪ねて、妻と二人で北海道の札幌を訪問しました。

友人はそれに先立ち、
私が病気療養の経験を綴った、
ふたつの文章を、「べてるの家」の創始者の、
向谷地生良さんに渡してくれて、
「もし11月にお時間が取れるのなら、
 これを書いた私の友人の陣内俊君と、
 会って話してあげていただけませんか?」
と尋ねてくれました。

送った論考と手紙というのが以下の二つで、
FVIのホームページからも閲覧可能です。

▼論考「中空構造日本の新世紀」(2015年6月)
https://drive.google.com/file/d/0B3HrFmMyrAJLU3h3RG5CRzU0eEk/view

▼2015年12月の「手紙」
http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2015_10.pdf

そんな忙しい「有名人」が、
どこの馬の骨かもわからない私と会ってくれるんだろうか、
と半信半疑でしたが、出発の1週間前ぐらいに、
向谷地さんの携帯に電話してみると、
なんと、つながったのです。(当たり前か)

で、
私はしどろもどろになりながら、
「友人で札幌の小児科医の○○先生から、
 メールがあったと思うのです。
 覚えてらっしゃるかどうかわかりませんが、
 そこに二つの文章が添付されていたと思います。
 私はそれを書いた陣内という者でして、
 自分の燃え尽きとうつ状態からの回復に、
 べてるの家の思想がとても大きなヒントを与えてくれました。
 先生には感謝していまして、、、」
みたいなことを話しますと、
向谷地さんはなんと、
「あぁ、あれは読ませてもらいました。
 陣内さんの文章は私の考えていることを、
 言語化してもらったような感じがして、
 普段自分がしていることを理解する上で、
 非常に勉強になりましたよ!」
とおっしゃってくださいました。

「、、、それで、
 メールでも申し上げたのですが、
 実は来週北海道に行く予定がありまして、
 そのときに1時間でも先生とお話させていただくことは、
 出来ないかと思っていまして、、、」
というと向谷地さんは、
「、、、え?そうなの?
 うん、だったら●曜日と●曜日の午後なら、
 大学の研究室にいるから大丈夫だよ」
と言われました。
(後で知りましたが向谷地さんは、
 基本的にメールよりも電話派で、
 メールの返信はあまり期待できないという、
 恐ろしく忙しい人のひとつの類型なのだそう)

で、一週間後、
札幌の友人宅に泊まらせていただきながら、
車も貸していただき、石狩郡当別町という、
札幌からかなり離れた場所にある、
向谷地さんが教えている大学を訪ねました。

大学の研究室で1時間半ぐらいいろんなことをお話したのですが、
覚えているのはまず、向谷地さんがめちゃくちゃ忙しいこと。
一週間のうち2〜3日は浦河、2〜3日は北海道医療大学、
1日〜2日は東京、そして年に何度かは海外にいるそうです。

浦河と北海道医療大学は、
北海道在住以外の人には想像しづらいと思いますが、
なんていうんだろう、めちゃくちゃ遠いです。
車で5時間から6時間かかります。

本州で言うと、石川県の金沢と、
千葉県の浦安、みたいな感じでしょうか。

二拠点は二拠点でも、
ものすごい距離があるのです。
そこを毎週自分で車を運転して往復し、
東京にもほぼ毎週行きます。

東京(または大阪)や海外は、
「べてるの家」の哲学である、
「当事者研究」というメソッドを、
広めたり、実践現場をサポートしたりするのが目的だそうです。

もうひとつ印象的だったのは、
大学の研究室の壁一面の書籍のタイトルが、
「普段私が読んでいる本」と、
かなり近い、ということでした。

キーワードで言うなら、
ヘンリ・ナウエン、
カール・ユング、
ナラティヴ・セラピー、
アドラー、
東洋思想と西洋思想、
ロゴセラピーとヴィクトール・フランクル、
などなど。

本棚が類似している人というのは、
思想が類似している人ということですので、
私と向谷地さんはわりと、
同じようなことを考えてきたんだな、
ということを感じました。
(比較するのもおこがましいですが)

帰り際に、
向谷地さんはご自身の著書「精神障害と教会」を、
私たちに贈呈してくださり、サインを書いてくださいました。

サインにはこう書かれていました。
「今日も順調に問題だらけ」

この言葉が実は、
「べてるの家」の思想を凝縮して表わしている、
と言って良い。

その翌週に私たち夫婦はレンタカーを借りて浦河に移動し、
「べてるの家」を見学に行く予定にしていまして、
そのことを向谷地さんに告げますと、
「え?そうなの?」
と仰り、電話をしてくれた。

さらに友人の職場で働いている、
川村先生の息子さんからの連絡もあり、
浦河にいる向谷地さんの「盟友」、
もうひとりの創始者の精神科医、川村敏明先生にも、
お会い出来ることになりました。



▼▼▼「べてるの家」見学と川村先生との出会い▼▼▼

私たち夫婦は翌週、
札幌を発ち、十勝地方に移動しました。

私は大学時代を帯広市で過ごしましたが、
そのころは帯広札幌間の高速道路というものはなく、
日勝峠という山を越えて行かねばならず、
車で運転すると5時間(早い人でも4時間)かかっていました。

今はスムーズに行けば3時間を切ります。
すごい!

と思いながら十勝地方に入り、
そして日高の山を越え、
浦河にある「べてるの家」の見学をしました。

そうなのです、浦河というのは、
僻地の中の僻地で、
北海道以外の人にはこれもピンと来ないと思うのですが、
まず「帯広」というのが、札幌からしますと、
山をひとつ越えていますから僻地です。

東京に対する新潟とか福井みたいなものです。
浦河はその帯広から、「もうひと山脈」超えるのです。
海岸線からも行けますが、
いずれにせよかなりの距離を運転する。

つまりなんて言うか、能登半島の先端だとか、
あるいは佐渡島みたいなもので、
「僻地が二段構え」なわけです。

浦河という街は、
そんな地理的なハンディキャップだけでなく、
歴史的にもいろんな屈折を抱えています。

まず、アイヌ民族の方が多いです。
アメリカでインディアンの方の居住区は治安が荒れる、
という現象がありますが、それとよく似た事が起こる。

アイヌの人から見たら
江戸後期と明治初期に本州から来た「大和人」たちが
勝手に自分たちの土地を奪っていった。

仕事も生活も平穏も奪われ、蹂躙された。

そして大正・昭和の「近代化」が起こると、
彼らは自分たちの手を洗うかのように、
「人道と称する補助金漬け」みたいな形で、
自分たちを「救済」しはじめた。

しかしそのときはすでに時遅く、
アイヌの人たちは自らの言葉も伝統も生活基盤も奪われていますから、
その補助金ですることと言ったら、酒を飲んだりギャンブルをしたり、
ということぐらいしかない、みたいなことが起こる。

それだけでなく浦河は漁師町です。

これは本州でも四国でも沖縄でもそうですが、
漁師町は「荒れ」ます。

漁師というのはギャンブル性のある仕事であり、
しかも法外な金額が若いうちから手に入ったりすることが関係して、
統計的に漁師はパチンコなどのギャンブル依存症患者の率が高い。
さらに漁師と「酒」は分かちがたく結びついています。
そして半年間とか家を空けたりする漁師には「オンナ」の問題も多く、
離婚率も高かったりする。

もちろんそのすべての「例外」もあり、
家庭をしっかり守り、パチンコも酒もやらず、
お金にも堅実な漁師、という人もたくさんいるのは、
言うまでもありませんが、あくまで傾向として。

そんなことがあるので、
漁師町というのは、わりと、
「風紀がやんちゃ」になりやすいわけです。

稲作なんかとはメンタリティが違うわけですね。

浦河には「アイヌ」と「漁師」という、
二つの要素が重なっていますから、
なかなか問題は根深いのです。

しかも過疎地。

向谷地さんが約40年前に札幌の学校を卒業し、
浦河赤十字病院に赴任したころ、
浦河には根深く崩壊した家庭とアルコール、
さらに精神疾患の問題が横たわっており、
今挙げたような複合的な問題を抱え、
最後には精神を病んだ人が最後に入る場所が、
浦河で最大の建物、「浦河赤十字病院」の、
精神病棟だった、というわけです。

いわば「転落すごろく」という人生ゲームの、
「あがり」が、「赤十字病院精神病棟」だった。

向谷地さんは「これではまずい」と思い、
ソーシャルワーカーの常識を破り、
崩壊家庭の人々の家々を訪問し、
またアル中の人々を訪ね、
そして精神疾患で悩む人と、
教会の二階を借りて共同生活を始めたのです。

それが「浦河べてるの家」の始まりです。

それから本当に長い長い歴史があり、
今に至るのですが、初期の段階で、
「勝手な単独行動をするな」と、
赤十字病院のなかで「左遷」され閑職をあてがわれ、
社会的に「抹殺」された向谷地さんを支え、
そして志を同じくしたのが同病院の精神科医だった川村先生です。

川村先生は現在、
「浦河ひがし町診療所」という病院を、
ご自身で開設され、そこを拠点に、
浦河や襟裳など、半径50キロぐらいの、
過疎地に住む精神疾患の当事者の方々を、
訪問診療しています。

その診療所で18:00にお会いすることになっていたのですが、
川村先生はその日も襟裳のほうに住んでいる、
80歳を超えるおじいちゃんの精神疾患の患者さんのところに、
診療に行かれていて、悪天候のため帰り道が遅れ、
20分ぐらい診療所で待たせていただきました。

先生はなんと「軽トラック」で颯爽と現れ、
「話は聞いています、
 どうぞおかけください、、、」
と言われてから20時ごろまで、
ほとんど話しっぱなしでした。

ご自身の診療の話や、
浦河という地域の話、
「べてるの家」の苦労した過去の話、
赤十字病院での話など、
話は尽きず、あっという間の2時間でした。

向谷地さんはキリスト教徒であり、
「べてるの家」の「べてる」とはヘブル語で、
「神の家」を意味します。

また「べてるの家」は、
日本基督教団浦河伝道所にその起源があり、
現在もその浦河伝道所に行くと、
教会員の半数以上が「べてるの家」関係者で、
精神疾患の当事者も多ぜいいます。

私は日曜日には行けませんでしたが、
向谷地さんの言葉によると、
「にぎやかで良いですよ」とのことです笑。

川村先生はキリスト教徒ではありません。
お話のなかで先生は自分がなぜキリスト教徒にならないか、
ということを話してくださいました。

それは、先生が訪問される当事者の高齢者の中には、
たとえば90歳のおじいちゃんで、
10年前に死んだ奥さんの仏壇に、
毎日「今日あったうれしいこと」を報告するのを、
生きる支えにしておられる方がいる。

もし自分が「キリスト教徒」という旗色を明らかにすると、
そういう方々が自分の魂の「よすが」を、
先生と共有することに気が引けてしまうのではないか、
ということを考えておられるのです。

「でも、浦河教会の役員会なんかには、
 当事者の信者の方や、
 向谷地さんと一緒によく参加しましたよ。
 そこにいると、なんていうのかなぁ、
 そのテーブルの会議に、イエス様も参加してらっしゃる、
 というのが僕には感じられる瞬間があったんだよねぇ。」
と遠い目をしておられました。

本当の「クリスチャン」とはこういう人のことを言うのではないか、
と私は思いました。

キリスト教徒とは、キリスト教徒だと自称している人ではなく、
キリストをお手本として歩んでいる人だ、
と定義するのなら、
川村先生は明らかにキリスト教徒であり、
そして自分自身がはたしてキリスト教徒かどうか、
逆に問いかけられているように感じるのです。

川村先生は兄弟が(確か)4人いらっしゃるのですが、
大学まで出て医者をしているなんていうのは自分だけで、
他の兄弟に比べて、能力を含めあらゆる意味で、
「神さまに贔屓にしてもらってると感じてるんだよ」
とおっしゃいました。

文章にするのは難しいんですが、
その言葉の中に鼻にかけるとかそういうニュアンスは、
まったくありませんでした。

他の兄弟たちより自分がエライことなんて何もないのに、
神さまは私だけ医者にしてくれて、
「たくさんの幸せ」をくださってるように見える。

これだけ「えこひいき」されているのだから、
その「負債を返している」っていう意識が僕にはあるんだよね。
だから、精神疾患の人たちの役に立てる時、
うれしくってねぇ、、、
だって僕みたいな者が、誰かの役に立てるなんて、
うれしいじゃない、、、。

とまた遠い目をする。

使徒パウロは「自分には返さねばならない負債がある」
と書いています。
彼の宣教活動というのは、
「負債の返済」であって、
それをしなければ私は呪われるのだ、と。

川村先生はキリスト教徒ではないですが、
でもパウロのような方だ、
と私には映りました。



▼▼▼べてるの家の見学▼▼▼

その日の午後には「べてるの家」を見学しました。
そのすべてをここに描写することは叶いませんが、
いくつか印象的だったことを紹介します。

まず、「べてるの家」から数百メートル離れたところに、
べてるの家が経営する「カフェぶらぶら」というカフェがあり、
私たちはそこで食事をしました。

▼参考リンク「カフェぶらぶら」
https://tabelog.com/hokkaido/A0108/A010804/1038022/

厨房もホールも、
働いているのは精神疾患の当事者です。
統合失調症だったり鬱病だったり、
パニック障害だったり強迫神経症だったりします。

厨房を覗くと、料理を作りながら、
誰かが白い粉を飲んでいます。
何時間かに一度薬を飲む必要があるのです。

また、めまぐるしく人が入れ替わります。
人によっては「1日に働けるのは30分」
ということもありますので、
ローテーションが慌ただしいのです。

そこで私たち食べたのが、
その名も「幻聴パフェ」。

べてるの家では初期の段階から、
「幻聴」というものの存在を、
否定するのではなくそれと、
「とことん付き合う」というスタンスを選びました。

これは教科書に書いていることとは逆なんです、
と向谷地さんはおっしゃっていました。

教科書には、当事者が語る幻聴の内容に立ち入ってはならない、
むしろそれは相手にせず薬で症状を抑えるべきだ、と。

しかし、向谷地さんは「幻聴」とつきあい始めました。
たとえば、当事者の方が、「幻聴が夜に来て、
おまえは今すぐ裸で岬まで走れ。そうしないとおまえは死ぬ」
と言ってきたんです、と向谷地さんに電話をしてくる。

向谷地さんは、こういう。
「幻聴さんはどこから入ってきたのですか?」
「いつも換気扇から入ってきます。」と当事者。
「では、今週家の換気扇を空けておきますので、
 今度幻聴さんが来たら、向谷地が、
 家に来て下さいと呼んでいたと伝えてください」
という。
「わかりました。そうします。」と当事者。
「そうしたら、私は、もう○○さんを、
 裸で岬にやるようなことは辞めてください。
 せめて服を着る時間ぐらいはあげてください、
 と交渉しますから。」
という具合です。

これで当事者がだんだん変わっていく。
幻聴を遠ざけようとしていたときは、
症状は悪化する一方だったのが、
「幻聴さん」とつきあい始めた時、
症状が緩和する人が増え始めたのです。

「幻聴さん」はそんな経験から生まれたキャラクターで、
今や「べてるの家」を象徴するアイコンのようになっています。

「幻聴パフェ」には、
「幻聴さん」をかたどったクッキーが、
ソフトクリームの上に添えられている。

そんな風にして雇用を生みだし、
今やべてるの家は、
浦河市内に当事者も合わせると200名ちかくがおり、
パートなども含めれば100名以上の雇用を生み出している。

この雇用の規模というのは、
浦河という小さな町にとっては大きく、
おそらく1位の浦河赤十字病院、
2位の浦河町役場、
3位の浦河警察署に次ぐ、
第4位ぐらいの「働き口」となっています。

浦河町もいまや「べてるの家」の経済効果は無視できず、
町を挙げてべてるの取り組みに協力している。

以前は「町の恥部」であった精神疾患が、
今は「名産品」になっている。

じっさい、「べてる祭り」という、
年に一度の当事者によるお祭りには、
道外のみならず国外からも参加者がおり、
700名が集まります。

「べてるの家」の見学者も、
国内外から後をたたず、
年間3000名の人が訪れると言います。

病気を超克することによって町おこしをしたのではなく、
病気を「売り出す」ことによって町を変革した。
それをいま、世界が学ぼうとしている。
近代が行き詰まる今、
「べてるの家」に何かヒントがあるのではないか、
と、東京大学の先生であったり、
海外の精神科医であったり、
多くの識者が注目している。

「べてるの家」はそういう施設です。



▼▼▼文字数オーバー(笑)▼▼▼

というところで、
今回のメルマガの総文字数制限を、
(いちおう3万字は超えないようにしてます)
軽くオーバーするペースですので、
「本のエスプレッソ」の要素は、
最小限にします。

相変わらず「時間配分」のみならず、
文字数配分が下手です笑。
生放送番組は絶対出来ないタイプ。

しかし、今話してきたことというのは、
本書「べてるの家の『非』援助論」の核のメッセージと、
そうとう重なる部分がありますので、
私の体験談をもって、
「本の要約」に代えさせていただきます(乱暴)。

最後に、
向谷地さんが書いている、
本書のあとがきを引用します。

→P251〜253
〈この本は誰かを助けようという
意図をもってつくられた本ではない。
もちろん誰かを批判したり、
何かを改善しようと計らっているわけでもない。
それぞれがそれぞれの仕方で
自分を語り継ぐという作業をしたにすぎない。

、、、この本に結論も結果もない。
すべては旅の途中なのである。
ただ願うとすれば、
この本に綴られた言葉と出会うことを通じて
津々浦々に多くの語り部が生まれることである。
語ることを通じて、
人と人とが新たなつながりを得ることである。〉


「べてるの家」の人間観が革命的なのは、
「精神疾患の当事者」を「治療すべき対象」と観るのではなく、
「現代という時代の預言者」と観ている、
というところにそのエッセンスがある、というのが、
私の理解です。

以下に私のEvernoteのこの本のページから、
「当事者たちの預言の言葉」を抜粋します。

・分裂病を誇りに思う。
・安心してサボれる会社。
・友人としての「幻聴さん」。
・苦労をとりもどすための商売。
・「病気を勝手に治すな」。
 人につながり、人にもまれ、出会いのなかではじめて、
 その人らしい味のある本当の回復がはじまる。
・当事者・松本寛さんの言葉:
 「つくづく思います。もし自分が分裂病にならなければ、
 いまごろは生きていなかったと。
 精神分裂病は、ぼくの天職です。」
・「弱さを絆に」弱さは触媒であり、希少金属である。
・「弱さはそれ自体ひとつの価値である」:
 弱さとは、強さが弱体化したものではない。
 弱さとは、強さに向かうための一つのプロセスでもない。
 弱さには弱さとしての意味があり価値がある。
・当事者たちのあゆみは「奪われた苦労を取り戻す」歩みそのものであった。

こういった「命がけで紡がれた言葉」は、
それによって多くの病人を構造的に生みだし、
じつは健康な人自身をも潜在的に傷つけてきた
「右肩上がりの物語」を脱構築する力があり、
「降りていく生き方」という新しい物語を紡ぐ当事者の彼らは
「21世紀を預言的に生きている」と言えるのではないか、
と私は思いました。

今回はフルボリュームというか、
ボリュームオーバー(笑)の、
てんこ盛りの内容になりました。
(その割には本自体の紹介にはなっていない 笑)

でも、「べてるの家」に関する、
私の考えを、こうして文章に出来たことは、
私にとって意義深いことでした。
おつきあいいただきました読者の皆様に感謝申し上げます。



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「WORK SHIFT」リンダ・グラットン

2017.06.07 Wednesday

+++パイロット版vol.3 2017年2月14日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■本のエスプレッソショット

私は、一年間に300冊ほど本を読みます。

そのほとんどは図書館で借りますが、
図書館に蔵書のない本はAmazonのKindleで買ったり、
専門書などは書店で購入したりします。

読書スタイルは、常時5〜10冊ぐらいを並行して読み、
ジャンルは多種多様で、
「乱読」に近い読み方をしています。

また、信頼する友人に勧められた本は、
なるべく必ず読むようにしています。

日常的に書籍を読むようになった大学生時代以降、
読書の記録はぜんぶ一冊の大学ノートにしてきました。

2014年から情報の集積を、
大きくデジタル方向にシフトして、
「読書ノート」をEvernoteに取るようにしていて、
現在そのファイル数は1000を超えています。

「私のEvernote蔵書のなかで、
 なるべくその週に読んだ本のなかで、
 この本は良かった」
という本を厳選して、みなさんにその本を、
「コーヒーの高圧抽出」のような形でシェアするのが、
このコーナー。

いわば読書のエスプレッソです。
私のEvernoteの読書ノートから引用しつつ、
読者の皆様に毎週、選りすぐりの一冊を紹介し、
「本なんて読む時間ねぇよ!」という方にとっては、
時間短縮のツールとして、
「本が大好き」という方にとっては、
「読書を通した豊かな対話」のような、
ひとときを味わっていただくコーナーとして、
楽しんでいただけたらと思っています。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●WORK SHIFT

読了した日:2017年1月30日
読んだ方法:図書館で借りる。

著者:リンダ・グラットン
出版年:2012年
出版社:プレジデント社

http://amzn.asia/4seLSIb



▼▼▼ベストセラー「LIFE SHIFT」の著者が描く「働き方」の未来▼▼▼

この本は前回の「陣内が先週読んだ本」で挙げた本です。
140文字ブリーフィングにはこう書きました。

「自民党の小泉進次郎氏が取り上げたことで、
LIFE SHIFT 〜100年時代の人生戦略〜
が話題になっています。
同書は図書館の予約待ちが200人(!)いたので、
同じ著者の前作のこちらを先に手に取りました。
「地球環境」「テクノロジー」「寿命」の三つの要素が、
私たちの働き方に大きな変化をもたらすだろう。
それにどのように対応していけば良いのか、という本。
非常に面白かったです。(183文字)」

著者リンダ・グラットンがこの次に書いた本、
LIFE SHIFTは現在ベストセラーになっています。
「100年時代の人生戦略」というサブタイトルが示すとおり、
近未来において、医学の進歩と公衆衛生の向上により、
平均余命が100年に迫る時代が来るだろう。

その時代に最も変わるのは、
「人の働き方」である、というのが彼女の問題設定です。

つまり、「一人の人間の仕事人生」が50年、60年、70年、
ときには80年にまで達するような事態というのは、
いまだかつて人類史において、誰も体験したことのない状況なのだ、
というわけです。

そして、基幹産業構造が製造業からサービス業に移っていくとき、
「ひとつの業態」の寿命より、人の職業人生のほうが長くなる、
という逆転が起こります。

そのとき、人の職業人生はどのように変わるのか、
ということをこのLIFE SHIFTは論じています。

WORK SHIFTは、LIFE SHIFTの核となるアイディアが詰まった本で、
もしかしたら情報密度は新しいものよりも濃いかも知れない。

ロンドンビジネススクールの講師である著者が、
「働く」ということの未来を私たちに「指南」してくれる良書です。

また、この本は彼女が一人で書いたものではなく、
全世界の彼女のビジネスパートナーらが、「ゆるいつながり」によって、
チームを組み、スカイプ会議やリアルな対話を積み重ねた結果、
出来上がった共同作品です。

この本を作り出したその「仕事の方法」こそが、
彼女の提案している「シフトされた未来の働き方」の実例となっている、
というところが本書の希有な点でもあります。



▼▼▼本書の概略・世代論と執筆の動機▼▼▼

本書の簡単な概略を説明しますと、こうなります。

「21世紀にこれから起こる、人間社会を取り巻く環境変化というのは、
 かの「産業革命」をもしのぐ。
 それは人類が狩猟生活を辞め、
 農耕生活に入ったのに匹敵するような変化だ。
 その変化に対応するには、私たちは新しい働き方を、
 いまから身に付け備えなければならない。」

著者はこの本を、
「ミレニアルズ」(1990年〜2004年ぐらいに生まれた世代)
「ジェネレーションY」(1975年〜1990年ぐらいに生まれた世代)
に向けて書いています。
(1977年生まれの私はジェネレーションYに入ります)。

ちなみに世代区分は学者や国によって違ったりしますが、
その上の世代(1960〜1970年代前半)を、
ジェネレーションXと呼ぶことが多いです。
この世代は「団塊の世代」の子どもたちなので、
「団塊ジュニア」と日本では呼ばれたりします。

私はジェネレーションXとジェネレーションYに、
片足ずつかかっている世代で、「時代の端境期」にあたります。

日本的に言えば
「ネットネイティブではないけど、
 大学の論文はパソコンで書いた。」

「キン肉マンも分かるし、
 ONE PIECEも分かる。」

「和式便所もなじみ深いが、
 和式便所を見たことのない世代がいる、
 というのも普通にうなずける。」

「社会のことが分かるようになったのは、
 バブル崩壊後なので景気が悪いのはデフォルトだが、
 小中学生のころに、なんとなく日本社会が
 浮ついていたのは知っている。」

みたいな世代です。

要するに、とても中途半端な世代なのです。

著者は2025年に働き盛りを迎えるであろう世代に向けて、
この本を書いています。

この本を書いたのがそもそも、
著者の息子(たぶん1990年代生まれ)が、
「ぼくはジャーナリストになりたい」と、
中学校の作文に書いたのを読んで、
「それに対してどうコメントしたら良いんだろう?」
と言葉に詰まってしまったことが執筆動機になっています。

親ですら、今の子ども達が大人になったとき、
「働く」ということが何を意味するようになっているのか、
うまくイメージできない。

働くことについて毎日、講義していたはずの著者は、
息子の作文を通して「天啓」のような問いに打たれ、
私たちが「そのような時代」に生きていることを自覚し、
この本を書きました。



▼▼▼訪れる五つの変化▼▼▼

本論に移りますと、21世紀の前半に、
私たちは大きな5つの変化を体験するだろう、
と著者は言います。

その変化とは以下の五つ。

1 テクノロジーの発展
2 グローバル化
3 人口構成の変化と長寿化
4 個人、家族、社会の変化
5 エネルギーと環境問題

説明は不要だと思いますが、ひとつだけ説明を加えるとするなら、
「エネルギーと環境問題」と、「テクノロジーの発展」、
および「グローバル化」は連動して働く、ということでしょうか。

どういうことか。

地球資源の枯渇による本当の変化は、
たとえば環境省のようなところが「節電しましょう」といって、
環境問題を道徳律に還元している間には起きません。

本当に人類が「SHIFT」するのは、
化石燃料の枯渇の結果、たとえばガソリンが今の10倍の値段になり、
電気代が今の5倍の値段になり、100円均一で売られている、
プラスティック製品(プラスティックは石油からつくられます)が、
今の3倍の値段で売られるようになります。

そのときに何が起こるか。

まず、より少ないガソリンで、より長距離を移動するように
「摩擦を減らす技術」においてブレークスルーが起こるなどの、
イノベーションへの変化圧が高まります。

また、今のように通勤に一人一台車を使い、
毎日1時間〜2時間の通勤時間を運転に費やす、
というようなクレイジーな真似は出来なくなります。

在宅勤務の「インセンティブ」が高まるのです。
出勤につかうガソリン代が一日5,000円を超える、
みたいになったときにはじめて、本格的な在宅勤務時代が始まり、
自転車社会が到来し、コンパクトシティが実現します。

それらを運用するのに、「テクノロジーの発展」と、
「グローバル化」が非常に重要な役割を果たします。

もうひとつ付け加えますと、
長寿化は決定的に重要な変化です。

〈現代の職業生活に起きた最も重要な変化は何かという問いに対して、
 経済思想家の故ピーター・ドラッカーが挙げた答えは、
 テクノロジーの進化でもなければ、グローバル化の進展でもなく、
 平均余命のめざましい上昇だった。〉
〈P225〉

上のように著者はドラッカーの言葉を引用し、
長寿化が非常に重要な「構造転換」をもたらし、
働き方のSHIFTを人類に迫るであろう、と語ります。



▼▼▼三つの「SHIFT」▼▼▼

そのような未来に、どのような「SHIFT」が必要なのか。
本書が提唱する3つの「SHIFT」とそのキーワードを、
以下に見ていきたいと思います。



▼▼▼1つめのSHIFT:「連続スペシャリスト」▼▼▼

1.ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ

ここで重要なのは「スペシャリスト」と「連続」です。
ゼネラリストというのは企業で言う総合職(または一般職)のことです。

部署で言うと人事部・総務部などを渡り歩く人々のことです。

私は技術吏員(獣医師)として市役所の職員を6年間しました。
市役所では一般職のことを技術吏員に対して「事務吏員」と呼びます。

現場では「技術屋」と「事務屋」と呼び分けられます。

60歳まで同じ能力の人間が勤め上げた場合、
市役所ではどちらが上まで出世できるか、
みなさんはご存じでしょうか?

実は、事務屋さん(事務吏員)の方です。
これはおおかたの大企業や中央官庁などでも同じです。

大きな組織体を動かす上で、
権力は「人とカネへのアクセス」で決まります。

人事部や経理部など、
「人とカネへのアクセス」を独占できるのは、
一般職なのです。

中央官庁のトップは「事務次官」です。
嵐の櫻井翔のお父さんは事務次官でしたね。
公務員のトップです。

雲の上のさらに上のそのまた上の人です。

で、事務次官のポストに技術屋が座る、
ということは普通起きません。

市役所でもそうです。
職員の実務のトップは副市長です(市長は投票で選ばれるので違う枠です)。
そこに技術屋が座ることはまずあり得ない。必ず事務屋が座ります。

技術屋の人には「自分の仕事へのこだわり」は強いが、
権力への志向があまり強くない人が多いので、
その辺の「棲み分け」は比較的うまく機能しています。

では事務屋が技術屋を軽く見ているかというとそんなことはない。
技術屋をうまく使いこなせないと、仕事の質が下がり、
自分の権力基盤がゆらぐので、事務屋の偉い人はみな、
技術屋を非常に大切にします。
技術屋にへそを曲げられたら出世できないことを、
彼らはよく知っているのです。

話を戻します。

何が言いたいか。

20世紀型の「大きな組織」においては、一般職のほうが専門職よりも
少なくとも「立身出世」という面では「有利」だった。
しかし、「一般職(ジェネラリスト)」優位の時代が、
21世紀にはおそらく終わりますよ、と著者は言っているわけです。

なぜか?

一つ目は、産業構造の変化によって、
巨大組織を維持することにメリットがなくなるだろうから。

もう一つは、「一般職」の仕事は今後、
ITと人工知能に奪われていくだろうからです。

そうすると、いわゆる「手に職を持つ」人々の比較優位が高まります。
しかし、その「手に職」という定義もまた変わっています。

その技術は余人をもって変えたがたい「技術」である必要があるのです。
正確無比にプログラム言語を操る「技術」は早晩不要になります。
人工知能に代替可能ですから。

しかしプログラム言語を使って、
アーティスティックなソフトウェアやホームページを作れる技術は、
淘汰されません。

精密な手さばきで手術をする技術は
近い将来機械にとって代わられるかもしれません。

しかし、患者の状態を見極め、「どの手技を組み合わせるか」を判断できる、
という「高度な知的技能」は代替不能です。

これらをグラットン氏は「スペシャリスト」と呼びます。
そして、他者に真似できないその高度な専門知識を用いそれを磨き続ける。

21世紀の職業人にはこれが必要です。
そのためにはいくつか大切なことがあります。

(1)「学習する共同体」

中世にギルドという職業徒弟制度がありましたが、
それに似た共同体を持てるかどうかが重要になります。
それは師弟関係かも知れないし、同業者のゆるいつながりかもしれません。

自分の持っている技能を磨く「砥石」となってくれる人を、
周囲に確保することが大切になるでしょう。


(2)「10000時間の法則」

フロリダ州立大学のエリクソン教授は、
人が何かにおいて超一流になるには、
10000時間それに集中する必要がある、という研究をまとめ、
「超一流になるのは才能か努力か?」という本を著しました。

10000時間というのは毎日8時間、3年間に相当します。
このような「努力の量質転化」を把握している人が、
「余人をもって代えがたい技術」を手にするだろう、
とグラットン氏は言います。


(3)「自己の仕事に刻印を押す」

あらゆる仕事が人工知能やロボットに代替される未来において、
逆説的に価値が高まるのは「刻印が押された仕事」です。

例を挙げますとインターネット上の
「ネットニュース」のクオリティは、
めまいがするほど低いです。

ほとんどが雑誌やテレビや新聞を、
「要約」したものであり、
しかもその要約は誤読だらけです。

まともに日本語を読めない人が、
まともに使えていない日本語で記事を書いている。
それを読む人もまた誤読をしている。
かくして「ポスト・トゥルースの時代の悪夢」が実現します。

統計によるとネットニュースの「タイトル」だけを読んで、
記事自体を読まずに事実判定をしている
(しかもそれは間違っている)人の割合が、
7割に上ると言います。

もはや喜劇です。

このようなネットニュースの中で、
もしも「きらりと光る記事」を書けるライターがいたら、
その仕事には「市場価値」があります。

しかし多くの匿名の(責任を取るつもりのない)ライターたちに埋もれて、
「誰が書いたか分からない記事」としてそれが片付けられたら、
その才能は埋もれていきます。

自分の仕事にどのように刻印を押すか、
ということも「高度技能社会」においては大切になってくる、
とグラットン氏は言います。



▼▼▼「釣り鐘型」の連続キャリアとは?▼▼▼

、、、まだ終わらない。
21世紀の職業人は、ただの「スペシャリスト」では生き残れません。

平均余命の延長と、少子高齢化がその要因です。
つまり、健康寿命が長くなることと、
今の年金制度が早晩破綻を免れない、という二つの理由により、
人が働く期間が、飛躍的に長くなるわけです。

人生で60年、あるいは70年も働く人がざらにいる、
という「人生100年時代」においては、
人生にひとつの「専門技術」では職業人生を全うすることが難しくなる。

ひとつの「産業の寿命」を
「一人の人間の職業人生」が追い抜く、
という、人類が直面したことのない状況を、
私たちは目の前にしています。

考えてみてください。

じっさい、今から30年後、
Facebookという会社が存在しているか?

良くて五分五分でしょう。

Twitterは?Googleは?マイクロソフトは?

誰にも分かりません。
企業時価総額世界トップ10に入る企業の、
じつに半数が1970年代後半以降に設立された、
「若い」企業なのです。
うちGoogle、Amazon、Facebookに関しては、
その創立はなんと、1995年以降です。

「企業の代謝」は、今後ますます早まり、
そのトレンドはあらゆる業界に及んでいくでしょう。

そのような時代に、一人の人間は、
「一つのキャリア」では職業人生を全うできなくなる。
「カリヨンツリー型のキャリア」というキーワードを、
グラットン氏は提唱します。

カリヨンツリーというのは、
「教会の釣り鐘がたくさんぶら下がっているやつ」のことで、
なんて言うんでしょう。
スズラン型と言い換えても、さほど大きな違いはないと思います。

つまり、5年間この技術を用いてAという仕事をし、
次の10年間、別の技術を用いてBという仕事をし、
次の2年間は大学に通って専門知識Cを身に付ける。
その次の20年間はAとCという技術を用いて仕事をし、
そのかたわら、ライフワークとしてDを温めてきたけど、
収益化できるようになったのは65歳になってからだった、
みたいなキャリアが、特に珍しいものではなくなってくる、
ということです。



▼▼▼2つめのSHIFT:「人間関係」▼▼▼

2.人間関係のシフト「協力して起こすイノベーション」

、、、1の「スペシャリスト」でかなり長話をしてしまったので、
残り項数が少なくなってしまいましたが、続けます。

次に大切になるのは、人間関係です。
自分の周囲にどのような人間関係が築けるかで、
「カリヨンツリー型のキャリア」を生き延びられるかどうかが、
決まってくると著者は言います。

以下の3種類の人間関係が大切です。

(1)ポッセ:

「ポッセ」とは、西部劇で、
危機に陥ると集まる保安官のチームのことだそうです。

普段はそんなに連絡を取り合うわけではないけれど、
同じ志を共有しており、何かあれば自分たちの得意分野の技術を持ち寄って、
仲間のピンチを救ったり、大きなプロジェクトを成し遂げたりする、
少人数の「同志」です。

日本で言うならば「七人の侍」のような感じでしょうか。

「ポッセ」は必ずしも同じ地域に住んでいる訳ではありません。
5人のポッセの3人は日本の九州、本州、北海道にそれぞれ住み、
残りの二人はアジアと北米にいる、なんてこともあるわけです。

リンダ・グラットン氏は、
そのような世界に散らばる自分の「ポッセ」たちとの、
共同作業によってこの本を書き上げた、と言っています。


(2)自己再生のコミュニティ:

20世紀は「終身雇用神話」があったので、
職場が疑似家族の役割を果たしました。
会社の慰安旅行や会社の運動会、会社の餅つき大会などなど、、、
会社の人間関係はビジネスを超え、人々に「共同体」を提供しました。

しかし、終身雇用神話の崩壊と
「会社共同体」の解体がますます明確になり、
さらには「自分のライフスタイルや性格に合わせ住む都市を選ぶ」
という生き方が標準になるだろうと言われる近未来において、
「自己再生のコミュニティ」を自分のまわりに持つことは、
心身の健康を保つ上で致命的な要素になります。

グラットン氏は「どこに居住するか」が大切だと言います。

親密で前向きな人間関係をはぐくめる土地へ移住することが、
奇異な行動でも何でもなく、当然だと考えられるようになるだろう、
と著者は書いています。

創造的なことを仕事にする人はたとえば、
美しい景観や知的刺激を高める仕掛けなどが大切になります。
そのような人々が好んで居住する地域には、
似たような人々が集まり、コミュニティを形成する。

たとえば東京には「すべて」が一極集中しているのが現在ですが、
その「機能別」に地方に分散していく、と言ったらわかりやすいでしょうか。

クリエイティブ関係の人々は景観の良い場所を選ぶかも知れない。
雑多な大都市を好んだり、金融投資を仕事にする人は
今後も東京にとどまるかもしれない。
地方で農業をベースにしたコミュニティが立ち上がり、
同じような志をもつ若い人々が居住する「特区」が作られるかもしれない。
また中国の産業都市で、指導的な役割を果たす技術者は、
アメリカや日本や欧州から世界各地のそのような都市へ移住し、
固有のコミュニティを形成していく、と。

その傾向はすでに現れてきています。

また、自己再生のコミュニティには当然、家族も含まれます。
家族を顧みず仕事に没頭する、という働き方は過去のものとなります。
仕事のために家族を犠牲にしてきた親の世代を見て来た、
ジェネレーションYやミレニアル世代は、
家族のためにキャリアにおけるメリットを多少犠牲にしてもかまわない、
と考える人がマジョリティです。

企業は優秀な人材を引き留めておくためには、
家族のための融通が利くシステムを構築することを余儀なくされ、
この傾向はますます進んでいくでしょう。


(3)ビッグアイディア・クラウド:

「ポッセ」と自己再生のコミュニティは、
強固な人間関係であり、「数人いれば十分」です。

最後の人間関係は、これらとは対照的な「ゆるいつながり」です。
英語で「ウィークタイズ」と言います。

つまり全世界に、あるときは数千人規模の、
「ゆるやかなつながり」を持っておく。

これはSNSによって可能になります。
顔を見たこともないけれど、自分がTwitterで疑問をつぶやけば、
世界中から提案がいくつか得られる、というような種類のものや、
Facebookで1000人が参加する、
「都市デザイン」というグループの中で、
会ったこともない他者の着想が自分の仕事にヒントを与える、
というような「関係」です。

これによって「セレンディピティ(予期せぬ幸運な偶然)」に出会うことが、
マンネリやルーティーンから私たちを守り、
考え方や視野を広げます。



▼▼▼3つ目のSHIFT:「消費から経験へ」▼▼▼

3.大量消費から「情熱を傾けられる経験へ」

大量生産・大量消費の時代は完全に行き詰まっています。
もはや「これが欲しい」という物欲にドライブされる人の数は、
世界規模で減っていくでしょう。

人々は「このように生きたい」という情熱に、
むしろ関心をシフトしていきます。

私がこれ以上説明を加えるより、グラットン氏が「あとがき」で、
自分の子ども達の世代に向けて手紙を書いていますので、
その手紙を引用するほうが良いでしょう。

この手紙は本書の見事な要約になっています。

〈みなさんが充実した職業生活を送れるかどうかは、
 次の三つの課題に対処する能力によって決まります。
 第一は、職業人生を通じて、
 自分が興味を抱ける分野で高度な専門知識と技能を修得し続けること。
 第二は、友人関係や人脈などの形で人間関係資本をはぐくむこと。
 とくに強い信頼と深い友情で結ばれた
 少数の友人との関係をたいせつにしながら、
 自分とは違うタイプの大勢の人たちとつながりあうことが大切になります。
 第三は、所得と消費を中核とする働き方を卒業し、
 創造的に何かを生みだし、
 質の高い経験をたいせつにする働き方に転換することです。〉
〈P377〉




▼▼▼私たちはこれから、どのように生きるのか▼▼▼

以上がリンダ・グラットンの「WORK SHIFT」の要約になります。
私たちは新しい時代の岐路に立たされています。
グラットン氏が言うように、
これは地獄の入り口にもなりうるし、
素晴らしい未来のとば口にもなり得ます。

私たちが「自らを変えられるかどうか」がその運命を分けます。

私は信仰者なので、仕事ということを考えるとき、
著者の視点に加え「神のミッション」というもう一つの軸を加えます。

1.収入が得られるか?(市民社会の一員として自立して生きられるか?)
2.自分が成長できるか(やりがいがあるか?)
3.適性があるか(続けられるか?)
4.神の働きを推し進めるか?(人の役に立てるか?)

この4つの軸で、私は自分の職業人生を考えています。
もっとも大切なのは実は4番です。

人生の目的は神の栄光を現すことですから。

「神の働き」というとき、
私の場合今は教会と関わるNGOの働きをしていますが、
言うまでもなく神の働きはそれだけではありません。

それが教育であれ行政であれ物作りであれ金融であれ、
全部が「神の働き」です。

その働きを通して「キリストの姿」が具現化し、
その仕事によって「キリストの似姿」が生み出されるなら、
それは神の働きだと思います。

ピーター・ドラッカーは、NPOを簡潔にこう定義しています。
「NPOが社会に『出荷』する生産物は『変えられた人生』だ」と。

これは実は「神の働き」の定義にもなっています。

逆に言えば教会であっても変えられた人生が生み出されていなければ、
それは神の働きと言えるかどうか疑問だし、
工場のラインに勤務していても、
それが「変えられた人生」を生んでいるのなら、
立派な神の働きです。

このような職業観をしっかり持ちながら、
それを「激動の時代」に実践していくには、
ただ愚直であるだけでなく、
グラットン氏が言うような柔軟な考え方と「生き方のシフト」を、
受け入れ自らのものとしていく必要がある、と私は考えます。

軸がぶれないからこそ、
その軸を貫くために、
軸以外のものは究極に柔軟であるべきなのです。

本書はその意味で、
21世紀にキリスト者が社会に貢献するための、
良き指南書としても読むことが可能です。




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「君たちが知っておくべきこと」佐藤優

2017.06.07 Wednesday

+++パイロット版vol.1 2017年1月31日配信号+++

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■本のエスプレッソ

私は、一年間に300冊ほど本を読みます。

そのほとんどは図書館で借りますが、
図書館に蔵書のない本はAmazonのKindleで買ったり、
専門書などは書店で購入したりします。

読書スタイルは、常時5〜10冊ぐらいを並行して読み、
ジャンルは多種多様で、
「乱読」に近い読み方をしています。

たとえが悪いですが
チェーンスモーカーが、
今ついているタバコの火を、
次のタバコにつけるように、
私の読書は、
「今読んでいる本に引用されている書籍」を、
芋づる式に辿っていく、
という選び方をします。
(私はタバコは吸いません。念のため笑。)

また、信頼する友人に勧められた本は、
なるべく必ず読むようにしています。

日常的に書籍を読むようになった大学生時代以降、
読書の記録はぜんぶ一冊の大学ノートにしてきました。

2014年から情報の集積を、
大きくデジタル方向にシフトして、
「読書ノート」をEvernoteに取るようにしていて、
現在そのファイル数は1000を超えています。
Evernoteは私の「第二の脳」なので、
これがないと日常の知的活動に支障を来たすレベルです。
メリットも大いにありますが、
デジタル化のリスクは大きいです(笑)。

「私のEvernote蔵書のなかで、
 なるべくその週に読んだ本のなかで、
 この本は良かった」
という本を厳選して、みなさんにその本を、
「コーヒーの高圧抽出」のような形でシェアするのが、
このコーナー。

いわば読書のエスプレッソです。
私のEvernoteの読書ノートから引用しつつ、
読者の皆様に毎週、選りすぐりの一冊を紹介し、
「本なんて読む時間ねぇよ!」という方にとっては、
時間短縮のツールとして、
「本が大好き」という方にとっては、
「読書を通した豊かな対話」のような、
ひとときを味わっていただくコーナーとして、
楽しんでいただけたらと思っています。

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●「君たちが知っておくべきこと」
著者:佐藤優
出版社:新潮社
出版年:2016年
http://amzn.asia/9wTSOKP


佐藤優さんの本は、
これまでに少なくとも50冊以上読んでいます。

佐藤優という人を私が知ったのは、
たしか、2010年のことでした。

北海道に住んでいる私の友人が、
「佐藤優って知ってる?」
と教えてくれたのが7年前のこと。

今の日本の「知の巨人」のひとりとして、
その友人は佐藤優のことを教えてくれました。
私はキリスト教徒ですし、
佐藤優氏も改革派の信仰を持っていて、
同志社大学神学部出身ですので、
何か学ぶ事があるはずと思って、
彼の著作を読むようになりました。

以降、6年間で毎年10冊ずつのペースで、
佐藤優の著作を読んできた、
ということになります。
(彼の「出版」のペースにはそれでも、
 とうてい追いつきませんが 笑)

6年間毎年10冊ずつ同じ著者の著作を読みますと、
ある程度その作者の思想体系といいますか、
思考の輪郭が、捉えられるようになってきます。

私が佐藤氏の著作から学んでいることは、
マルクス、地政学、国際問題、神学、勉強法など、
多岐に渡りますが、
ひとことで言うと、
「知性と信仰の弁証法的過程」
を、彼から学んでいるように思うのです。

難しい言葉を使いましたが、
「弁証法的過程」というのは言い換えると、
「絶え間ない発展的対話」とでも言えます。

どういうことか。

信仰と知性の弁証法的過程が、
うまく働いていないのが、
日本のキリスト教信仰の限界であり病理のひとつだ、
と佐藤氏は言います。

片方に、
「信仰さえあれば良いんだ。
 知性は信仰の邪魔をする」
という「反知性主義的信仰」があります。

この信仰には限界があります。
信仰が実証性、客観性に基づいていないので、
どこまで行っても「主観の世界の一人語り」になり、
社会を変えていく力をもちません。

もう片方に、
「知識こそ大事なんだ。
 聖書の釈義、神学、歴史、
 そういったことが大事だ。
 奇跡を信じる信仰?
 あれは宗教的熱狂者の妄言だ。」
という「知識偏重主義」があります。

知識を積み重ねれば、
いずれ真理に到達できる、
というある意味「無邪気」ですらある、
信仰の在り方です。

この種の信仰にも限界があります。
信仰の世界は知識でぎりぎりのところまで進んだ後に、
「命がけの跳躍」をするというところに、
その「精髄」があります。

知識だけで真理に到達できる、
という態度は、結局はその知識すらも、
不完全なまま腐らせてしまうという結末を迎えます。

ではどうすれば良いのか。

佐藤氏は、
「信仰と知性の弁証法的過程」が大切だ、
と言います。

私たちは神について、
神の言葉である聖書について、
人間について、
人間の営みである歴史について、
そしてこの世の中について、
知性でいけるところまで行きます。

それが「最後の命がけの跳躍」としての、
真の信仰に導きます。

そして信仰の営みが、
次の「未知の領域」に私たちを導き、
次の次元の知的活動に私たちを招き入れるのです。

このように、「らせん的に発展していく過程」を、
佐藤氏は「信仰と知性の弁証法的過程」と呼びます。

6年前、2010年に、
私は佐藤優さんの講演会に参加しました。
沖縄の久米島の教会に、
セミナー奉仕のために呼ばれたときに、
偶然にも佐藤さんが無料で講演会をしていました。

久米島町の体育館でその講演会は開かれ、
佐藤優氏と元沖縄県知事の大田昌秀氏が講師でした。
ふたりとも久米島にルーツを持つからです。

プロサッカー選手の、
たとえばリオネル・メッシのプレイを見ると、
私たちの網膜にその芸術的な動きは焼き付けれ、
完全に魅了されるでしょう。

それと同じ事が、
佐藤氏の講演会において繰り広げられました。
特に1時間ほどあった、質疑応答の時間は圧巻でした。

佐藤氏は今の社会について、歴史について、
それこそ森羅万象、あらゆる事象について、
鮮やかな「手さばき」で、
見事に回答していきます。

その手際は鮮やかで、たとえば、
「マグロの解体ショー」を見ているようでした。
その体育館いっぱいに集まった、
600名ほどの島民はみな、
私と同じように「魅了」されており、
その「知識量」「分析能力」「論理力」に、
ため息すら漏れるほどでした。

「知の巨人」とは、
こういうこをを言うのか、と。

そのときに休憩時間に質問に行き、
私は佐藤氏と二言三言言葉を交わしました。
佐藤氏が名刺をくださいましたので、
私はいまでもその名刺を持っています。

佐藤優
Mr.Masaru Sato

とだけ書いており、
事務所の住所と連絡先が書いてあります。

肩書きのないシンプルな名刺に、
「カッコいい」と思い、
今でも時々Mr.Shun Jinnaiと、
自分の肩書きをMrにすることで、
真似しています 笑。

前置きが長くなりましたが、
この本は、兵庫県にある灘高校の生徒と、
佐藤優との対話を書籍化したものです。

灘高校というのは、
学年の半数ぐらいが東大に入学する
(残りの半分は国立大の医学部に入学する)という、
もう言ってみたら「訳の分からない」学校で、
中高一貫の全寮制の男子校です。

東京の開成高校とよく比べられますが、
おなじ東京大学でも、
灘高校は難関学部への合格率では圧勝しています。

東大理科三類(医学部)という、
偏差値でいうとモンスターの狭き門があります。
その学年の、全国数十万人いる大学受験生の、
上位100名に入っていないとこの門はくぐれません。
統計的には上位0.02パーセントということになりますが、
その100名の合格者のうち、
灘高校出身者がなんと4人に1人です。
(ちなみに開成高校の理三合格者は10名以下です。)

どれほど桁外れな学校か、
おわかりいただけたでしょうか?

私は言うまでもなくエリートではなく、
中学校、高校は岡山県倉敷市というところの、
市立中学校、県立高校に通いました。

市立倉敷南中学校の私の友人で、
ひとりだけ灘高校に入学した男がいます。
M君といって、サッカー部に入っていました。
彼の家でスーパーファミコンの、
「スーパーフォーメーションサッカー」を、
何時間も遊んだことがあります。
(あれは名作です。)

彼は2年生の冬ぐらいから猛勉強をはじめました。
やや治安の悪い公立中学でしたから、
誰もそんなことをする生徒はいません。
周囲からは「無理だ」と揶揄されていました。

ところが、彼はなんと灘高校に「補欠合格」したのです。
何か自分のことのように誇らしかったのを覚えています。

自分は何も努力したわけでもないのに 笑。
風の噂ではM君はその後、
名門・千葉大学医学部に入学したそうです。
今頃どこかの病院で働いているのでしょうか。
それとも大学で研究しているのでしょうか。

懐かしいです。

、、、で、
そんな佐藤優と、
そんな灘校生の対話を、
書籍したのがこの本。

面白くない訳がない。

前置きがあまりにも長くなったので、
本の内容には詳しく立ち入らないことにします笑。

かなり長くなりますが、
フランス革命について、
佐藤氏と灘校生が語り合う箇所を、
引用するだけで十分でしょう。

佐藤氏は久米島で、
「歴史は反復する」と言いました。
その言葉が6年前、私の脳裏に焼き付きました。
「歴史は反復する、ってどういことだろう?」
と、それから3、4年の間、
私は頭のどこかで考え続けていました。

後にこの言葉はヘーゲルの言葉だと分かりました。

この引用箇所から、
佐藤氏が「歴史は反復する」をどう理解しているのかが、
よく分かります。

過去の歴史は反復します。
しかし同じようには反復しません。
容れ物を変えて、形を変えて、
歴史は確かに反復します。
これも「らせん運動」に近い。

人類がもし学ばないなら、
このらせん運動は、
単なる「ラットレース」、
もしくは「ミニ四駆サーキット」になります。

それこそが、
「愚か者は経験から学ぶ
 賢者は歴史から学ぶ」
とビスマルクが言ったことの真意です。

以下に引用する対話で、
佐藤氏が提示するのは、
「歴史はどのように反復するのか」
「我々はどのように歴史から学ぶのか」
ということです。


▼▼▼「君たちが知っておくべきこと」から引用▼▼▼

〈佐藤:(中世の農民は一日当たりカロリーを)3400ぐらい摂ってた。

生徒:えー!!

佐藤:中世初期には、ほとんど大麦に牛乳をかけて食べているような状態で一日中働いていたのが、フランス革命時には「パンをよこせ」と言って、みんながパンを食べるようになっていたわけ。生産力、経済力が増して生活状況が格段に向上し、また都市に人が集中している様子も分かるよね。
 あの時代にはもう、人々が圧倒的にホモ・エコノミクス、つまり、経済最優先、利益最優先の考え方になって商品経済ができあがっていました。そうすると、経済状態を改善することが政治の第一の課題になる。
 すなわちフランス革命がどうして起きたかというと、当時の王政では国民が経済状態に対して抱いていた不満を改善することが出来なかったから。それゆえに革命が起きた。まず最初に権力を取ったのは?

生徒:ジロンド派でした。

佐藤:そのジロンド派の政策のポイントは?

生徒:ブルジョアに優しい

佐藤:そう。ブルジョアに優しくて、王さまの首を取って、王さま、貴族、教会のもっていた財産を市民層に再分配した。これは民主党政権がやった事業仕分けと一緒でしょ。日本の民主党政権は基本的にジロンド的だったんだよ。「今までは政治家・官僚・事業家の間に癒着があった。そのせいで、われわれは豊かじゃなかった。豊かにするためには子ども手当、高校無償化、さらに事業仕分けをして、霞ヶ関埋蔵金を吐き出させて国民を豊かにするんだ」というジロンド政策の論理なんです。
 しかしジロンド政策は2つの問題点から長くは続かない。一つ目は財源の壁。ジロンド派が政権を握ったときも、アッシニア紙幣という没収した教会財産を担保にした国際紙幣を大量に刷ったでしょ。二つ目の問題点は?

生徒:貧困層の不満・・・?

佐藤:いや、まだ本格的なプロレタリアートが生まれていないから、貧困層の不満はそれほどでもない。市民層を満足させることによって、労働者層をある程度満足させることが出来ていたんだ。二つ目の問題は非常事態だ。

生徒:んん?

佐藤:フランス国王の首を取ったら、恐慌を来たした周辺国が第一次対仏大同盟を組んだでしょう?第一次対仏大同盟は、どこが加わった?

生徒:オーストリア。

佐藤:オーストリア、当時の大国だよね。それにスペイン、プロシア、これらによって囲まれて、戦争を仕掛けられた。ジロンドは基本的に平和主義だから、戦争という非常事態に対応できなくなった。そこで生まれてきたのが?

生徒:ジャコバン派

佐藤:ジャコバンはどういう政策?

生徒:貧困に優しくて、規律の厳しい政治。

佐藤:そう。ジャコバンは公安委員会を作り、貧困に優しいと同時に再分配をしていくために、その根本になる「新しい公共」という概念を打ち出した。それから最高価格法で物価の上限を決めて緊縮財政。さらに国民皆兵制度。全国民を武装化し、規律を強化していく。実はこれらは戦争に対応し、財源に対応していく政策だったわけ。

生徒:「新しい公共」とはどういうことですか?

佐藤:個人の利益ではない公共心。ブルジョアは個人の利益だけを追求しているけど、世の中には貧しい人もいる。それに「国家を守る」と言う点でも公共心を持つと言うことを非常に重視した。これは、3.11の東日本大震災以降の民主党政権、それから今の自民党政権にも見られるよね。国民に愛国心を求めるとか、対外的な緊張関係を力で処理していくとか、ジャコバン派的な要素は明らかにある。ただ、ジャコバン派も長続きしない。どうしてか。

生徒:厳しすぎる。

佐藤:そう。厳しすぎて長続きしない。息切れする。そこで生まれてきたのは?

生徒:ナポレオン

佐藤:じゃあジャコバンに代わるナポレオンの政策は?「国内では、そこそこ自由にやりましょうや。生活水準は上げてあげますから。」と言って国の外から収奪してきたんだよね。だから、帝国主義政策というのはナポレオン政策なんです。
 じゃあ、ナポレオン政策を具体的に日本に当てはめてみよう。
 「原発は、おっかないから日本国内では新たに作りません。しかし原発を買いたいという外国があるんだったら、喜んで売ります。その利益で国内を豊かにします」。これって帝国主義、ナポレオン的政策じゃない?
 それから「武器輸出三原則を緩和します」と言ったその結果、そうりゅう型の潜水艦をオーストラリアに売ることが可能になった。これもそうだよね。〉

(63〜64項) 


▼▼▼「時代を見分けなさい」▼▼▼

以上のように佐藤氏は、
フランス革命という過去の歴史から、
2009年の民主党政権とは何だったのか、
2011年3月のあとの「絆」ムーブメントとは何だったのか、
そして2012年以降の第二次安倍政権とは何なのか、
ということの「本質」を学び取るという方法を提示してくれます。

私たちは先の見えない時代に生きています。

先が見えないとき、手がかりになるのは過去の歴史です。
歴史から「今何が起きているのか」を見通す目を持つことは、
信仰者にとって「も」というより、
信仰者にとって「こそ」大切だと私は考えています。

イエスは自分に従う者たちに
「なぜ時代を見分けないのか」と叱責しました(マタイ16:3)。
私たちは今の時代、目に見える表層のさらに奥深い位相で、
いったい神が何をなさっているのかを透徹する視点を、
獲得するようイエスに期待されています。

その視点を鍛える上で、
佐藤氏のスタンスから、
多くを学ぶ事が出来ます。



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