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【Q】やる気のない同僚をどう指導すれば良いのか?

2019.06.01 Saturday

+++vol.075 2019年1月22日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

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●【Q】やる気のない同僚をどのように指導すれば良いか?

ラジオネーム:指導するのって難しい(男性)
お住まいの地域:埼玉県

Q.

いつも読むラジオ楽しみにしています。
同じ部署の20代の女性に対して、
どの様に仕事を教えたら良いのか悩んでいます。
入社5年目の女性なのですが、
仕事に対する姿勢がどんどん悪くなっているように感じています。

経理の仕事なので、
ちょっと以前の資料を確認すれば分かるような事でも、
自分で考えたり、調べたりすることが面倒くさいようで、
Google で検索するような感じで私に質問してきます。
(答えだけ教えて的な感じ)

また、仕事が少し忙しくなった時に、
泣いてしまいました。
忙しくと言っても、定時には帰れます。
1つ仕事をお願いすれば、電話対応、
お客対応など、すべて無視します。
なので、仕事をお願いすると、
他の仕事が私のところきます。

私は、この女性の上司ではありません。ただの同僚です。

仕事に対してモチベーションもなく、
調べる事も考える事も嫌いな、
仕事を面倒くさいと思っている人に、
どの様に指導すれば良いのか教えてください。


A.

めちゃくちゃ久しぶりに、
「Q&Aコーナー」です!!!!

当メルマガの人気コーナー(当社比)なのですが、
この数ヶ月、ウソみたいに質問が来なかったので、
このコーナーはお休みしておりました。

、、、で久しぶりに来た質問が、
上の質問です。
「指導するのって難しい」さん、
ご質問、ありがとうございます。

この質問を読んで、
私は考えました。


、、、


、、、


、、、


、、、


まったく、良い回答が思い浮かばない(爆死)。

そんで、もう一度読み返してみて、
明確に腹が立ってきました。
質問者の「指導するのって難しい」さんにではなく、
登場する20代の同僚に対して。

もうね、これは、
「良い対処の仕方を知っている人がいたら、
 誰か教えて下さい。」
と私は言いたい。
「Q&Aコーナー」ならぬ、
「Q&Qコーナー」ですね。
質問を質問で返すという笑。

私の限られた経験から申しますと、
件の20代の女性社員は、
今後、変わることはないんじゃないでしょうか?

こういう人って、
社会にある一定数でいます。
会社や組織からすると「お荷物」に他ならず、
「フリーライダー(貢献せず旨みだけを取る人)」です。
キツイ言い方をすれば、
「会社(組織)から給与を盗んでいる」
と言っても過言ではない。

私がもし質問者様の立場だったら、
何回かキツめの説教をして当人を泣かしてるでしょうね。
それでも5年経って変わらないのだから、
ある時点で諦めるでしょうね。
3年目に突入したところで私なら諦めてると思います。

そして、その人を同僚だと思うと腹が立つけど、
職場に飾ってあるサボテンだと思うようにすれば、
「サボテンの割には良くやってくれてるじゃないか」
という気持ちになってきます。

私は30才まで公務員をしていました。
公務員というのは、
「そういった人」が、
多分民間の会社の倍ぐらいいる感じです。
民間だと全体の1割ぐらいが「そういった人」で、
公務員だと2割が「そういった人」です。

この差はどこから生まれるかというと、
日本における公務員の、
「圧倒的なまでの解雇できなさ」によります。
民間ならとっくに首になる人が、
のうのうと生き残れる職場が公務員なのです。
納税している市民に、
いつも「申し訳ない」と思ってました。
「こんな奴の給料のために税金払ってるんじゃねぇ!」
と私が市民なら思いますから。

もうね、信じられない職員に、
私も遭遇してきました。

「マジでいい加減にしろよ」と、
ガチで泣かせたことも何度もありました。
(私は仕事のことで怒るとき、
 マジで留保なしに怖いです。
 それは「愛のなさ」ではなく、
 「愛があるから」だと思ってます。
 だってそれが、その人たちの将来のためなのですから。
 愛を甘さと勘違いしている人があまりに多い。)

叱った結果、
「そういった人たち」からは、
完膚なきまでに恨まれましたが、
上司からは後で、
「陣内君、ありがとな。
 今どきそこまで怒れるヤツが、
 いないんだよな、、。」
と耳打ちされました。


、、、経験的に、
「そういった人」には二種類います。

1パターン目は、
まだ新人で、いわゆる「学生気分が抜けていない」
というやつで、社会経験がないため、
「人からお金を貰って仕事をする」
ということがどういうことか理解していないパターンです。
そういう人は叱ったら変わるし、
3年後には立派な社会人になり、
後輩の学生気分の奴をちゃんと叱れるようになる。

もう一種類の「そういった人」は、
もう30代や40代に突入していて、
社会人経験も5年以上が経過したにもかかわらず、
確信犯的に面倒な仕事を避け、
できる限り楽をし、
なるべく責任を回避し、
そして「権利だけは最大限に要求」します。

そういった手合いに関して私は、
「人間ではなく観賞用のサボテンだと思う」
という以外の解決策を知りません。

あと、「サボテン」に仕事をさせるための、
「ちょっとしたコツ」があります。
それは「サボテンに仕事をお願いするようにお願いする」ことです。
その人が「判断や責任をする」といった部分はいっさい期待せず、
手取り足取り指示するのです。

たとえばそれが「ご飯の食べ方」ならば、
1.箸を右手で持つ
2.ご飯を掴む。
3.ご飯を見る。
4.見たまま口に運ぶ。
5.ご飯を口にのこし箸を元に戻す。
6.15〜30回噛む。
7.呑み込む。
という感じで指示します。

たいてい3分後に、
「喉が渇いたときはどうすれば良いんですかぁ〜?」
という(仕事でいうとそういう意味の)、
寝ぼけた質問が帰ってきますが、
そのときは、
「このクソガキがぁ!!
 水を飲め水を!
 死ねぇ!!」
と心の中で思うわけですが、
「違う。サボテンが聞いてるんだ。」
と思い直しましょう。

「うん。
 そういうときは、水を飲むんだよ。」
じゃあ、水の飲み方のマニュアルを教えるね。
1.水道のところに行く。
2.コップに水を入れる。
3.コップの水を口に近づける。
4.呑み込む。
5.ご飯に戻る。
という感じで教えてあげます。

、、、職場というのはチームですから、
「そういった人」のマイナスを如何に最小化するか、
というのが非常に大切になります。
「そういった人」に、
判断や責任などの複雑な案件の「パス」をすると、
それまで積み上げたモノが台無しになりかねない。

つまり、Aさん、Bさん、Cさん、
プラス「そういった人」の4人で仕事をしているとき、
A×B×C×「0」になってしまうのを防ぐのが大切です。
「そういった人」は「0」ですから、
「掛け算」の中に入れてはいけない。

あくまで「足し算」にする必要があります。
つまり、
A×B×C+「0」にする必要がある。

その「+」にするために必要なのが、
その人をもはや「同僚」とは思わず、
「サボテンにしては良くやってくれてる何か」と思うことです。
そうすると、0が、0.1になったときに喜べるかもしれない。


、、、今の時代は「空前の人手不足」ですので、
そういった人ですら、やめて貰うと困る、
というのが経営者や同僚の苦しいところでしょう。
後ろ向きな回答で申し訳ないのですが、
本人に、「成長したい、会社に貢献したい」
という意志がない限り、外部から変えることは不能です。
マイナスを最小化する、
という角度から挑むしかないでしょう。

それにしても、そういった人と仕事をするのは辛いですよね。
「なんで俺はあの人と同じ給料なのだ」
と思いたくなることでしょう。
あと、視界に入るだけでモチベーションが下がる、
という意味でも腹が立つことでしょう。
質問者様の心中をお察しすると、心が痛みます。
飲み会で小一時間、愚痴を聞いてあげたいぐらいです。


、、、念のため付言しますと、
ここまで申し上げたことは、
あくまで「勤務時間中」のことです。
勤務時間外には「そういった人」もまた、
同じ人間であり「サボテン」ではないので、
ちゃんと優しくしてあげましょう。

「そういった人」って、
職場以外では人気者だったりしますしね。
「男はつらいよの寅さん」とか、
「釣りバカ日誌のハマちゃん」
みたいなみたいなものでしょうか。

ただ、昭和時代と違って、
ハマちゃんを会社にいつまでも置いておけるほど、
社会全体にコスト的な余裕がなくなってきているんですよね。
本当に、質問者様の心中をお察しします。

ご参考に。


【Q】24時間テレビの「ガンバリズム」について

2019.01.23 Wednesday

+++vol.057 2018年9月18日配信号+++

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■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

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●【Q】24時間テレビの「ガンバリズム」について

ラジオネーム:トビー(女性)
お住いの地域:東京都

Q.

いつもメルマガ楽しく読ませていただいています。
先日、毎年恒例の日本テレビによる、
「24時間テレビ」が放映されていました。
今年も芸人のみやぞんがトライアスロンをしたりして、
「感動」を演出していたのですが、
私は毎年この光景を見る度になんだか気持ちが悪く感じます。
「人が涙しているのを見て、
 まったく感動もしなければ、
 むしろ不気味に感じる」
という私の感性が歪んでいるのかと不安にもなりますが、
何か気持ちが悪いというモヤモヤはあります。
陣内さんはどう思われますか?



A.

トビーさん、ご質問ありがとうございます。
そして、良い質問ですね!

早速お答えしていきます。

世の中には二種良類の人がいます。
「24時間テレビ的なものが好きな人」と、
「24時間テレビ的なものが嫌いな人」です。
そしてたいてい、
前者は「東京オリンピック的なもの」も好きであり、
後者は「東京オリンピック的なもの」も嫌いです。

これは趣味趣向の問題ですので、
それが「間違っている・正しい」という位相で話しを進めると、
「勝者のない泥仕合」になります笑。

作家のスティーブン・キングは、
「うんこの投げ合いの勝者は、
 それに参加しなかった者だけだ」
という名言を残していますが、
私も「うんこの投げ合い」に参加するつもりは毛頭ありません。

しかし、「正しい・間違っている」という位相ではなく、
「好き・嫌い」の位相でなら、
自らの立場を表明することは可能であり、
その立場は「うんこの投げ合い」とは無関係です。

「私はネコ派」という人は、
別にイヌ派にうんこを投げたことになりませんから。

、、、で、

まず私の立場を最初に表明しておきますと、
私も質問者のトビーさんと同じで、
「24時間テレビ的なるものが嫌い」な部類の人間です。
気が合いますね笑。

、、、その理由は、
大きく分けて2つあります。
ひとつめが、
「感動ポルノ問題」、
もうひとつが、
「ガンバリズム問題」です。

ご説明していきます。



▼▼▼感動ポルノ問題▼▼▼

まず、「感動ポルノ」とは何か。
この言葉はNHK、Eテレの「バリバラ」によって、
ずいぶん浸透しましたが、
まだまだ市民権を得るには至っていないので、
言葉の定義からご説明します。
以下は、Wikipediaからの引用です。


〈感動ポルノ(かんどうポルノ、英語: Inspiration porn) とは、
2012年に障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、
オーストラリア放送協会のウェブマガジン
『Ramp Up』で初めて用いた言葉である。

ステラによれば、この言葉は、
障害者が障害を持っているというだけで、
あるいは持っていることを含みにして、
「感動をもらった、励まされた」と言われる場面を表している。
そこでは、障害を負った経緯やその負担、
障害者本人の思いではなく、ポジティブな性格や努力する
(=障害があってもそれに耐えて・負けずに頑張る)
姿がクローズアップされがちである。

「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面を
メディアで取り上げることがこの「感動ポルノ」とされることがある。
また紹介されるのは常に身体障害者であり、
精神障害者・発達障害者が登場することがほとんどないとする指摘もある。

日本においては2016年8月28日に、
NHK Eテレが『バリバラ 障害者情報バラエティー』
「検証!『障害者×感動』の方程式」で感動ポルノを取り上げ、
裏番組に当たる24時間テレビを批判した。

英国BBCは1996年、障害者の「困難に耐えて頑張る」姿ばかりが
描写されがちなことに対する抗議運動を受けて
「障害者を“勇敢なヒーロー”や
“哀れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」
というガイドラインを制定している。〉


、、、いかがでしょうか?
Wikipediaによれば、
「感動ポルノ」とは、
障がい者が頑張る姿を、
その背後にある複雑な部分を省略して、
健常者が「感動をもらった、ありがとう!」などと言って、
溜飲を下げることを言います。

だとすると、「24時間テレビ」は、
「感動ポルノ」そのものです。

NHK Eテレの「バリバラ」は、
これに「ガチンコの批判」を加えたわけです。
これは私は2016年と2017年のやつを見ましたが、
抜群に面白かったです。

例えばこんな感じ。
筋ジストロフィーの障がい者が、
「野球をするのが夢」と番組スタッフに言う。
黄色いTシャツ(笑)を着た番組スタッフが、
彼の車いすを担ぎ、車いすにバットをくくりつけ、
野球場でピッチャーがバットめがけて投球する。
100球目に、やっと「ヒット」する。

、、、感動的な音楽が流れる。
(98%の確率で、
 曲はGreeeenの「キセキ」です。)

よく見る光景です。

その後、筋ジストロフィーの彼に、
スタッフが駆け寄り「どうでした?」と問う。
感動したでしょ!したでしょ!というトーンで。

彼は「いや、別に、、、」
「パワプロ(野球ゲーム)のほうが楽しいし、、、」

、、、沈黙。

部屋に帰り、
スタッフと「パワプロ大会」が行われ、
筋ジストロフィーの彼は、
圧倒的な強さで優勝する、、、
みたいな感じです。

まぁ、一種の「コント」なのですが、
それが「感動ポルノ批判」になっている。

是非何らかの方法で見ていただけると良いのですが、
こちらの記事を読むと、
なんとなく雰囲気が伝わってくるのではないでしょうか。

▼参考リンク:「バリバラ」に関するネット記事
https://sirabee.com/2018/08/26/20161766243/


さらに、日テレの24時間テレビには、
出演者に支払われる高額なギャラの裏で、
出演する障がい者にはギャラはない、
という話しとか、
マラソン自体もやらせ要素が強いことも分かっていて、
批判が絶えません。

、、これも「大企業病」のひとつだと思うのですが、
きっと現場の、特に若手の日テレ社員は、
絶対「もう、やめにしたい」と思ってると思うんですよね。
確認したことないけど。
でも、本音では誰しもが辞めたいと思っている。
時代的にもキツイものがあるし、
もはやアナクロニズム(時代錯誤)であることは、
誰の目にも明らか。
人員不足が慢性化する現場は疲弊するばかり。

、、、でも、辞められない。

なぜか。

現代の日本で、テレビを一番見ている世代は、
70代以上だからです。
彼らにとっては、まだこの文脈は有効なのです。
その一方で若い視聴者層は、
私のように「どん引き」している。

若い社員は「もう、やめようよ」と思ってるけど、
テレビ局の「お客さん」は高齢者なので、
高齢者に向けた番組しか作れない。

しかしそれは企業の延命措置であって、
本質的な生き残り戦略とは無関係です。

現場の誰もが辞めたい。
でも、やめられない。

そういう仕事って、
どこの職場にもあります。
特に大きな組織ほど、そういうものが多い。
これを「大企業病」と言います。

話しがそれましたが、
ことほどさように、
「24時間テレビ的なもの」というのは、
もはや限界に来ていると私は思います。

▼参考リンク:「24時間テレビのギャラ問題」に関するネット記事
http://netgeek.biz/archives/101891



▼▼▼ガンバリズム問題▼▼▼

質問者のトビーさんがご指摘しているように、
24時間テレビには、
毎年「マラソン」とか「トライアスロン」といった、
人気のタレントが「頑張る姿」が映し出されます。

あれ、必要か?

と考えてみますと、
別に必要ではないのです。
チャリティ(博愛)が番組の趣旨だとするなら、
たいせつなのは社会の困窮者に対して、
適切な援助がじっさいに届くことであって、
タレントが汗を掻き、痛めた足を引きずりながら、
必死に走るという要素は、
まったくもって無関係なわけです。

論理的につながっていない。

もちろん、チャリティの歴史のなかで、
「自分が1マイル走るごとに、
 1000ドルの寄付が孤児院に届けられるようにする」
といった形で、マラソンを走った有名人がいたりして、
日テレはそういう手法を踏襲しているわけです。
あれは「ハンガーストライキ」などと似ていて、
広く衆目を集めるためのアドバルーンとしてのマラソン、
という意味があります。

だとしますと、
別にその「見世物」は、
芸人の卓越したネタでも良いし、
総合格闘技のマッチでも良いし、
料理対決でも良いし、
シルクドソレイユのサーカスでも良いし、
「万引き家族」のような映画でも良いはずです。

ところが、日テレは、
遠い過去の成功体験という足かせによって、
「タレントが足を引きずって走る姿を応援する黄色Tシャツ軍団」
→「それを見るタレントがワイプ(画面の小窓)で涙を流す」
→武道館にタレントが入ってくる
→全員で「サライ」の合唱の大団円

という、吉本心喜劇的なコテコテ展開を、
「まるでそれに関する法律でもあるかのように」、
厳格に守り続けているのです。

私から見ますと正気の沙汰には思えませんが、
彼らはそれを続けています。

しかし、この手法、
現代の世界で支持されているかどうかははなはだ疑問ですが、
少なくとも最初のころに「スマッシュヒット」したから、
テレビ業界の上層部は「あれは外せないだろう」と、
判断し続けているのです。

テレビ業界の「正義」は視聴率です。

つまり、
「人が苦しそうにマラソンする姿」が、
視聴率を取る、という現実が最初にあったから、
テレビ業界はそれを「売る」わけですね。

先ほどの「感動ポルノ」の文脈で言えば、
これは「頑張りポルノ」と言えるかもしれません。

こう考えますと、
なぜ甲子園が日本人に見られ続けるのかも、
説明がつきます。

そして甲子園に残る、
悪名高き高野連による様々な前時代的な決まり事も、
これで説明がつきます。

アメリカでは大学や高校のバスケやアメフトは、
ショービジネスとしても非常に人気があり、
日本の高校野球と同じく視聴率を取ります。

ただ、アメリカの場合、
プロと同じようにグッズも売りますし、
ちゃんとお金を儲けます。
儲けたお金は日本と違い、
学校のスポーツ部に還元されます。
コーチはプロスポーツ選手並みの高年収です、
強いアメフト部やバスケ部の大学・高校の練習施設は、
日本のプロスポーツ並みに充実しています。
プロと同じように選手を酷使しないように協定があり、
「丸坊主」などというのは愚の骨頂だし、
炎天下の中、一試合につき200球の投球を
3試合連続でする、などという、
未来のある投手にとっての自殺行為なことは行われません。

アメリカと日本で、
学生スポーツが「売っているもの」が違うのです。
アメリカは「スポーツの面白さ」であり、
日本は「頑張る姿」なのです。

ここに24時間テレビの、
「頑張りポルノ」との類似点を、
私は見るわけです。

頑張りポルノの悪い所は、
感動ポルノの場合もそうですが、
それによって儲かるのが、
頑張った本人ではなく、
日テレだったり、スポンサー企業だったり、
「電通」だったり、スポーツ庁だったり、
オリンピック委員会だったり内閣府だったり、
そういう「巨大組織」であることです。

ヘドが出ます。

さらに言えば、
「東京オリンピック2020」も、
「壮大な国家的頑張りポルノ」となることでしょう。
そしてその利益は選手や国民ではなく、
やはり電通や関連省庁、内閣府やオリンピック委員会に、
吸い取られていくことでしょう。

ヘドが出ます。

だから、私は東京オリンピックには一貫して反対しています。
まだオリンピックが始まってすらいないのに、
「頑張りポルノ」の様相を呈しているのですから。
先が思いやられる。
私は今から「げんなり」しています。

具体的に挙げていきましょう。

まず、おそらく安倍さんの「思いつき」で始まったと言われる、
「サマータイム制」の導入。

▼参考記事:「サマータイム制」
http://blogos.com/article/317586/


、、、別に私はサマータイム制自体を、
良いとも悪いとも思いません。
世界的な趨勢で言いますと、
サマータイム制をなくす方向に行っていますので、
それと逆行するということはありますが、
別にそれ自体は良いとも悪いとも思わない。

私は小さい頃シカゴに住んでいましたが、
かの地では夏は夜の8時とか9時頃まで明るくて、
けっこう楽しんで遊んでいた記憶もありますし。
でも、そうするとどうなるんだろう。
花火業界とか、困らないんだろうか、、、。

まぁ、いいや。

別にサマータイム制自体は良いのです。
でも、2年間限定、というのはいただけない。
社会が制度を変更するのには、
金銭的にも心理的にも社会的にも「コスト」がかかります。
そのコストをかけて始めた制度を、
2年で元に戻してしまうというのは、
コストの無駄使いとしか言えない。

あまりにも「場当たり的」な政府の方針に、
国民は付き合わされるわけです。
迷惑な話です。
国民はもっと怒って良いと思う。


次。

東京オリンピックの五輪委員会および政府は、
「ボランティア」を集めることに必死です。

なぜか。

それは、「過去最高の人数のボランティアが集まった五輪」
という名声を得たいからです。
そうすると、「過去最高に国民に支持された五輪」ということになる。
そうすると、東京都や現政権や五輪委員会は、
「国民の支持の厚い東京都・日本政府・五輪委員会」
ということになる。

そういう「評判を得たい」わけです。

しかし、「ボランティア」というのはただ働きです。
これはあくまで人が自主的にするものであって、
東京都や国が国民に「それをするように」と圧をかけるものではありません。
それをしたらもう「強制労働」ですし、
戦時中の「国家総動員法」と同じです。

、、、ところが、それが今、起きているのです。
この記事をご覧ください。

▼参考記事:「五輪に向けた学校への通達」(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASL704HGRL70UTQP01H.html

▼参考記事:「五輪に向けた学校への通達」(アゴラ)
http://blogos.com/article/313941/


、、、国は全国の学校に、
五輪の期間、試験を遅らせたり、
クラブ活動や合宿を自粛したりして、
学生がボランティアに参加しやすいように呼びかけています。

さらにさらに。

企業にも、学生が五輪でボランティアしたことを、
採用の際に加味するようにという通達を出す動きまであります。
これはもはや、戦時中の「学徒動員」です。

いい加減にしろ、と言いたい。

背筋が凍ります。


、、、これだけではありません。
もはや「国家的なコント」
または「壮大なブラックジョーク」の様相を呈しているのが、
この事実。

こちらをご覧ください。

▼参考リンク:みんなのメダルプロジェクト
https://tokyo2020.org/jp/games/medals/project/


、、、これは、
国民の古いスマホや電化製品が、
オリンピックのメダルに生まれ変わります!
というプロジェクト。

これを考えた人の頭の中はどうなっているのでしょう。
「どん引き」以外の正しい反応が私には分かりません。
第二次大戦末期、日本には金属がなくなりました。
家にある鍋、お寺の鐘、教会のロザリオ、先生の自転車、
そういったものも「兵隊さんの銃弾にするため」に、
「国家総動員」されました。

私はいったい、何世紀に生きているのでしょうか?

今は21世紀のはずなんだが、、、。

ただただ、背筋が凍ります。


まだあります。

今年の猛暑で、こんな中マラソンを走ったら、
東京オリンピック2020のマラソンランナーは大丈夫だろうか?
というのは今年の猛暑で誰もが思ったことです。
それに対して五輪委員会がこんなアイディアを出しています。
その名も「クールシェアリング」。

▼参考リンク:クールシェアリング
http://blog.esuteru.com/archives/9165487.html

どういうことか。
つまり、マラソンコースの沿道にあるすべてのビルや民家が、
一階にガンガンに冷房を効かせ、
スタートの合図とともに、一斉に、
「ドアと窓を全開にする」。
そうするとマラソンコースが涼しくなる(かも)。
という発想。


、、、



、、、



、、、



怖いって。


、、、、



、、、


だから、怖いって。


もうこんなの、
「竹槍でB-29に立ち向かう」の精神と一緒じゃん。

、、、


、、、


もう一度聞きますが、
今私が生きているのは、
21世紀ですよね!?

2018年ですよね?
1918年じゃないですよね?

日本の政財界の指導層というのは、
敗戦のときと本質的に何も変わっていないのだ、
というのが透けて見えて、
絶望的な気持ちになります。


、、、さらにさらに。

根本的なことを言えば、
五輪招致の支持をとりつけるために、
当時の政府や東京都は、
「世界で最も安いオリンピック」を謳っていました。
予算をコンパクトに、というかけ声で。

「そんなに財政を圧迫しないから、
 大丈夫ですよ。」というわけです。
「経済効果で国民も潤いますし。」

しかし、蓋を開けてみたら、
当初7000億でやると言っていた予算は、
3兆円まで膨らみました。
今後さらに膨らむことでしょう。

(繰り返しますがその膨らんだ分で受益するのは、
 大手テレビ局とマスコミ各社、
 電通やゼネコンや政府機関であって、
 国民ではありません。)

家族で7000円だと思って回転寿司に入ったら、
会計のときに3万円を超えていたとしたら、
そのお父さんの経済感覚は相当イカれていると考えて良いでしょう。

国と東京五輪委員会がしているのは、
まさにそういうことです。

▼参考記事:「なぜ東京オリンピックの予算は3兆円に膨らんだのか」
https://president.jp/articles/-/20806


、、、もう、
24時間テレビなんてどうでも良くなってきました笑。
トビーさん、申し訳ありません。
取り乱してしまい、
質問からずいぶん脱線しました笑。

私が今書いたようなことを全部、
思想家の東浩紀さんがラジオ番組で言ってくれています。
彼のキレッキレの批判には、
ちょっと笑っちゃいます。
全部的を射ていて、全部面白い。
この音源、お勧めです。

▼参考リンク:東浩紀の「東京オリンピック2020批判」(キレッキレ)
https://youtu.be/B-1lydPsBrY



▼▼▼まとめ:「縄文人」と「弥生人」▼▼▼

、、、このまま終わると、
単なる東京オリンピック批判になっちゃうので、
最後に「ガンバリズム」「頑張りポルノ」問題に戻しましょう。

おそらくこんだけ批判しても、
いざ2020年のオリンピックが始まれば、
99%の人間が「感動をありがとう」と言うことでしょう。
今から言っておきますが、私は言いません。
多分、競技も見ないんじゃないかな。

五輪種目のなかでは、
サッカーと卓球以外、
あまり興味ないし。

ねちねち批判を続ける私のような人間は、
古代ユダヤで姦淫の罪を犯した人間のように、
世間から冷たい視線と非難という石を投げられることでしょう。
「選手が頑張ってるのに水を射すようなこと言うな」
みたいな形で。

まぁ、それこそ「頑張りポルノ」であり、
「頑張りマウンティング」なのですが笑。

でも私は言いたい。
ブルーハーツの「少年の唄」に乗せて、
「陣内の声は〜風に消されても〜
 ララララーラララー
 間違っちゃいない〜♪」と。

では、なぜ日本人はこんなにも、
「頑張り」が好きなのか?
「頑張りポルノ」は視聴率を取るのか?

それは、日本人が長い歴史の中で、
特に弥生時代以降の農耕文化によって、
「農本主義」と呼ばれる、
「頑張ることそれ自体を美徳とする」というセンスを、
深く内面化してきたからです。

山本七平はこの「日本的農本主義」というガンバリズムを、
「殖産興業・富国強兵」という形で、
「工業生産」に結びつけたことが、
日本がアジアで先駆けて西欧化に成功し、
異例の早さで近代産業国家の仲間入りを果たした原因だ、
と著書『日本資本主義の精神』の中で指摘しています。

これはいわゆる「DNAレベル」に刻印された傾向なので、
これが数世代で変わるというようなことはないでしょう。

しかし、
世界の産業構造は、
19世紀に一次産業から二次産業へ、
20世紀に二次産業から三次産業へ、
そして21世紀には三次産業の多くもAIに代替され、
人間の労働は「創造的な知的労働」へ、
移行していくだろうと言われています。

実は「農本主義」が本当の意味で通用するのは、
二次産業までです。
工場労働では、「勤勉と長時間労働が命」ですから。
しかし三次産業はそうではない。
創意工夫や効率化が必要なのであって、
「ただ頑張れば良い」というわけではない。

日本は先進国のなかでずば抜けて、
サービス業(三次産業)の生産性が低いということを、
デイビッド・アトキンソンと言う人が、
『新・所得倍増論』という著書で指摘しています。

それは、「農本主義の限界」を告げるものでしょう。
さらに、高度な知的労働においては、
もはや労働は違う次元に行きます。
10時間真面目に考え続けたがアイディアが出なかった人は、
2分間でアイディアを提示出来た人より「悪い労働者」です。

足を引きずり、
滝のように汗を掻き、
武道館に這いつくばって到達することに感動するセンスは、
来たるべき「高度知的労働以外人間の活躍の場が残らない」
ような世界においては、メリットどころか邪魔にしかならない。

21世紀の労働はむしろ、
弥生時代以降の農本主義的なものから、
縄文時代以前の狩猟採集生活時代のものに近づく、
というのが私の見立てです。

狩猟採集生活では、
働いた時間の長さは意味をなしません。
タイムカードを押して狩りに行く愚かさを考えてください。
狩猟採集生活に「ガンバリズム」は不要です。
ただ、「獲物を獲った」という結果が大事なのです。
それ以外の時間はひたすらに待ち、
身体を鍛え、仲間と作戦を練る。

そういった時代に、
「頑張ること自体をもてはやす」
という弥生的なDNAは、
むしろ労働の改革を阻む悪しき因習となる。

めちゃくちゃ乱暴に言えば、
日本には99%の弥生的な人と、
1%の縄文的な人がいます。

東京オリンピックをメタメタにけなす東浩紀や、
やはり甲子園的なガンバリズムを「洗脳」と言ってはばからない、
ホリエモンこと堀江貴文も典型的な「縄文人」でしょう。

私の見立てでは、
今後の日本が世界で生き残るには、
「縄文的な人」の比率を高めることが大切になります。
そういう意味で、
24時間テレビのマラソンは、
そろそろやめたほうが良いと思う。

あれをやるぐらいなら、
黄色いTシャツを着た羽生名人と、
黄色いTシャツを着た藤井聡太くんの対局を、
見守った方が良い。
そして両者が、
「バリアフリー化の実現のために、
この一局を全力で指します!」
という。

賭博の法律とかの特措法をつくり、
「どちらが勝つか合法的に賭けられるように」する。
その掛け金の収益が、障害者福祉に使われる。

すばらしいじゃないですか。

みやぞんは、
家でそれを見て休んでれば良いのです。
そして来たるべきコンビの危機に備え、
相方のあらぽんと、
新ネタについて相談するべきなのです。

私はそう思います。

ご参考に。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 バックナンバー Pick up
「シーズン1」の過去のバックナンバーから、
「そういえば、こんな記事もあるよ!」
というものについて、
こちらでオススメいたします。
選考基準は独断と偏見ですが、
今号で話した内容と併せて読むと、
役に立つというものをご紹介できればと思っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

今週のバックナンバーピックアップは、
Q&Aコーナーで触れた、
デービッド・アトキンソンの
『新・所得倍増論』をご紹介した回。

この本、面白かったです。
「ガンバリズム」から、
「狡猾に知恵を使う」時代へのシフトを、
アトキンソン氏は様々なデータを根拠に、
論証していきます。

お勧めです。

▼参考リンク:陣内が先週読んだ本2017年10月第二週 
『新・所得倍増論』デービッド・アトキンソン 他4冊
http://blog.karashi.net/?eid=278


【質問】世代間ギャップについて

2018.12.24 Monday

+++vol.053 2018年8月21日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】世代間ギャップについて

ラジオネーム:ラス・コリナス(男性)
お住いの地域:海外

Q.

テキサス在住のラス・コリナスです。
アメリカでは今、ミレニアルズと呼ばれる世代が、
社会人になり、社会の仕組みの中で浮いている、
という問題があります。

権利ばかり主張し、年上を尊重せず、
わがままで、我慢強くない、といった評判。
テクノロジーに囲まれて育った世代だから、
便利さを享受し、即座に自分の欲求を満たすことができるため、
忍耐力が培われていないのではないか、
などの分析があります。

子育ても、「ヘリコプターペアレンツ」と言われ、
いつも子どもを監視し、
子どもが何か困ったことがあるとすぐに助ける、
という育て方をされてきた世代です。
(忘れ物を届けにいったり、
 子どもの障害を先回って取り除く)
SNSによって、人をうらやむようになり、
アメリカでは鬱などの精神疾患が過去最高に増えている、
(ドーパミンが分泌される中毒)
という現状もあります。

ある会社で、会社に内定した若者が、
上司に電話を渡し、
「あなたが私の上司にふさわしいか、
 親に判断してもらいますから」
という新入社員が6回続いたこともあるそうです。
自分の働いている職場でも、
同じようなことを感じています。

日本でもそのような世代間ギャップはあるのでしょうか?
私たちはどのように世代間ギャップを超えて、
つきあっていけば良いのか、
何か知恵がありますでしょうか?


A.

ラス・コリナスさんからのこの質問は、
実は2017年12月にいただいて、
それから半年以上「寝かせて」いた質問です。
「メルマガのネタないかなー」と、
Evernoteを情報散策していたら、
「死海文書」のようにこの質問が発掘されました。

「おぉ、こんな未回答の質問がまだあった!!」
と、8ヶ月前の地層からこの質問をとりあげ、
埃や汚れを注意深く取り除き、
よーく読んでみました。
結果、頭を抱えました。

「うーん、今の私の力量で
 答えられる質問ではないかもしれない」
と思ったからです笑。
回答が遅れていたのには、
それなりの理由があったのです笑。

しかし、命知らずにも、
この「大きな質問」に回答を試みています。
最初から言い訳するみたいで恐縮ですが、
これから私が語ることは
「回答」であって「解答」ではありません。
ましてや「正答」であるはずがない。

あくまで私の個人としての一見解として
聞いてくだされば幸いです。



▼▼▼普遍的問題としての「世代間ギャップ」▼▼▼

ラス・コリナスさんからのこの質問を
まずは「因数分解」しましょう。
大きな問題というのは、小さな問題に分解して、
ひとつずつ解決するというのが、
人生でも仕事でも世界平和でも「問題解決の定石」ですので。

ラス・コリナスさんはまず、
アメリカにおける近年の世代間ギャップの状況を指摘し、
そして二つの質問をなさっています。

1.これはアメリカだけのことなのか、
 それとも日本でも同じなのか?

2.私たちはどのように、世代間ギャップを超えて、
 付き合っていけばいいのか?

という二つですね。

まず、答えるのが比較的容易な質問、つまり「1」から。
端的に言いまして、私はこれはアメリカのみならず、
世界的な現象だと考えてます。

さらに踏み込むと、
時空すら超えて普遍的な現象とも言えます。
古代エジプトの壁画に、
「最近の若い者は、、、」
という老人の若者への不満が書かれていた、
という有名な逸話が示すように、
いつも「新しい世代」は既存の社会からは、
眉をひそめられるものなのです。

でも、大丈夫。

それから40年ぐらい経ちますと、
「新しい世代」が今度は、
「さらに新しい世代」に、
眉をひそめるようになるわけですから。

今から40年後、60代になった現在の「ゆとり世代」は、
未来の20代に、
「俺の若い頃はあんな奴はいなかった。
 もっとちゃんとしていた。」
と言います。
これは、必ず言います。
断言しても良い笑。

しかしながら気をつけなければいけないのは、
だからといって、「世代による傾向」が、
普遍性の中に吸収されて消失するわけでもなければ、
アメリカの「ミレニアルズ」や、
日本の「ゆとり世代(やそれよりも若い世代)」に特有の、
ある主の問題が「問題ではない」ということになるわけでもないし、
それらの問題が放置されて良いというわけでもないということです。

なぜか?

エジプトの壁画の逸話が示すように、
社会というのはいつの時代も、
複数の世代を超えて存在するからです。
社会にはいろんな世代の人がおり、
各世代がお互いに折り合って生きていかなければ、
その社会にいる人々は暮らしづらくなる、
ということです。

「若い人の意味不明な素行や行動原理」によって、
困っているのは年上の世代だけではありません。
若い人々自身も、「生きづらさ」を抱えることになります。
だって、自分が「自然にしたことや言ったこと」が、
社会の側を戸惑わせているという状態は、
戸惑っている側よりも、自分自身のほうが、
実はダメージを受けるものですから。

現代の世界はグローバル化が進み、
アジア人と欧米人
アフリカ人とラテン人、
ヒンズー教徒とキリスト教徒、
ユダヤ教徒と仏教徒、
イスラム教徒と無神論者というように、
あらゆる文化・宗教的背景を持った人が、
同じ学校、同じ職場、同じ地域社会で暮らすようになってきています。

そこには必ず「文化的な衝突」が生まれます。
この「文化的な衝突」によって苦しむのは、
どちらか一方ではありません。
必ず双方が「生きづらさ」を抱えることになります。

その「生きづらさ」をプラスに転じるものは何か?

互いに謙虚になり、相互に理解することだと思います。
お互いに耳を傾ける、ということです。
そうすると、「文化的な衝突」は、
「文化的な学び合い」に変わるのです。
双方の「世界が広がる」わけですね。



▼▼▼アメリカと日本▼▼▼

さて、ラス・コリナスさんは、
現代のアメリカの若者について書いて下さっています。
新入社員が上司に「自分の親と面接するように要求する」
というのは凄いですね。
日本ではあまり聞いたことがありませんが、
「企業の入社式に親が同伴する」というのは、
少し前に話題になりました。

いずれにしても、
どちらも、少なくとも私の手持ちの常識から考えますと、
「マジか。コイツら。」
というのが本音です。

「入社式に親同伴」にしても、
「上司を親に面接」にしても、
子どももハンパないけど、
親もハンパないですよね。

だって、親に「上司と面接してもらうから」、
という会話をしてるってことでしょ。

「お前、落ちるって! 
 それやったら面接落ちるって!
 会社の人全員引くって(泣)!」
っていうレスポンスじゃなかったってことでしょ。

「あー、上司を見極めるってことね。
 OK、ママがしっかり品定めしてあげるから。」
って言っちゃってるってことでしょ。

怖い怖い怖い。

親が「明日は入社式よね。
お母さん、スーツをクリーニングに出して、
美容院にも行ったわ。
いよいよあなたも社会人ね。」
という会話をしてるってことでしょ。

「お母さん、マジ無理無理無理。
 ダメだよ。
 会社の人引くから。
 出社一日目から、
 俺の会社でのあだ名『マザコン』になるから。
 マズいからそれは。」
じゃなかったってことでしょ。

「ありがとう。
 小学校も高校も大学も、
 ママと一緒に入学式行ったよね。
 桜の下で写真撮ったよね。
 明日も一緒に撮ろうね。
 俺の門出を、見届けてね。」
って言っちゃってるってことでしょ。

怖い怖い怖い。

コメディというより、
これはもうホラーだと私は思います。
脳内では「トワイライトゾーン」の音楽が流れています。

▼参考リンク:トワイライトゾーン
https://youtu.be/EVm6ZEQt71c

私にとっては最怖のホラーなのですが、
たぶん「そうでもない」親子がこの世には一定数いるから、
実際このような事象が起きているわけですよね。
これは「世代間ギャップ」と呼ぶ以外ないですね。



▼▼▼日本での私の世代間ギャップに関する知見▼▼▼

ラス・コリナスさんはアメリカのミレニアルズについて、
ご紹介してくださっていますが、
日本とアメリカの世代って、
10年ぐらい「後ろにずれる」と言われています。

日本のベビーブーマーとアメリカのベビーブーマー、
日本のジェネレーションXとアメリカのジェネレーションX、
日本の団塊ジュニアとアメリカの団塊ジュニア、
傾向は似ていたりするのですが、
年月がちょっと日本の場合後ろにずれる傾向がある、
というのをどこかで読んだことがあります。
実際、人口のグラフを見ても、
日本とアメリカでは「膨らみ」がズレます。

、、、で、アメリカの「ミレニアルズ」にあたる世代が、
日本でいうとどのへんにあたるのか、
多分これには定説はありません。
定義が曖昧ですから。

しかし私が類推するに、
ラス・コリナスさんのおっしゃっている世代というのは、
日本でいうと「ゆとり世代」および、
「平成生まれ世代」ぐらいがそれに該当すると思われます。

、、で、日本とアメリカは、
文化も教育も違いますから、
世代に特徴的なことについては、
似ていることもあれば違うこともあるわけです。

私が感じる「日本に特有かもしれない」
新しい世代の「問題点」を挙げたいと思います。
(もしかしたらアメリカにも共通かもしれない。
 もしそうだったら教えてください。)
細かいところは他にもありますが、
大きなところだけ2つ挙げたいと思います。
これは完全に私の「私見」であり、
個人的な経験と知識に基づくものです。

ひとつめは、
「空気を過剰に読む」傾向。
ふたつめは
「正解主義」です。

順番に、簡潔に説明していきます。

空気を過剰に読む、
というのは「いや、逆じゃないの?」
って思っている人も一定数いると思います。
つまり、上の世代は空気を読むけど、
若い子は空気読まず「自由人」として生きてるんじゃないの?と。

しかし、私の見聞きしたことによると、
現状は逆になっています。
現在の20代や30代は、40代以上と比較して、
「空気を過剰に読む」という、
「忖度」が内面化している、というのが私の現状認識です。

佐藤優さんが著書の中でこんなことを言っています。
引用します。


→位置No.787 
〈今の40代は右肩下がりの時代を生き抜く冷めた視点を持っています。
私の感覚としては、この世代は個人主義的な傾向が強い。
部下の教育に対してもバブル以前の上司のように、熱くのめり込みません。
 (中略)
反面、今の20代、30代は全体の空気を敏感に読み取って、
組織や集団に順応するのが得意です。
しかも40代に比べるとの社内の人間関係を求めたり、
心のつながりなどを重視したりする傾向があるようです。
上司の評価を過敏なまでに気にする若者が多いのも、
その傾向の一つとみることもできるでしょう。
40代と今の20代、30代は、
意外に大きなジェネレーションギャップがあるというのが私の見立てです。
個人主義的でクールな40代と、場の空気を重んじる20代、30代。
そんな人たちが一つのチームでいい関係を築くのは、
それほど簡単ではないかも知れません。〉

▼参考リンク:『40代からシフトする働き方の極意』佐藤優
http://amzn.asia/cDq6aGg



いかがでしょう。
私には思い当たる節がたくさんあります。
いまのサッカー日本代表は「仲良し」です。
20代、30代ですね。
佐藤さんのいう40代以上といえば、
中田英寿です。
あのイメージの人は、今の若い人の中では、
完全に浮くだろうなと思います。

なぜ若い人が過剰に空気を読むのか?
それはスマホとSNSの普及が一枚噛んでいるというのが、
私の見立てです。

社会学者でネットネイティブ世代の子どもの親でもある宮台真司が、
ネットの本当の弊害は匿名性によるリスクではなく、
親しい間柄の人間関係を変質させることだ、と指摘しています。
引用します。


→位置No.1783 
〈宮台:ネットのネガティブ面というと
「匿名性を利用した誹謗中傷」や、
「匿名性を利用した犯罪」が語られがちだけど、
「親しい間柄での疑心暗鬼」のほうが重大です。

子どもに携帯電話を持たせない方がいい理由として、
いまでも「匿名性を利用した犯罪」に
巻き込まれることを危惧する向きがありますが、トンチンカンです。
数的に圧倒的に問題なのは、
「親しい間柄での疑心暗鬼」のせいで、
コミュニケーション一般において過剰に防衛的になったり、
親友にさえ腹を割れなくなってしまうことです。〉

▼参考リンク:『父として考える』宮台真司 東浩紀共著
http://amzn.asia/6DWThEc



スマホとSNSは、
リアルな人間関係にある「遊び」を消失させます。

Bちゃんのいないところで、
AちゃんがCちゃんに、
「Bちゃんのああいうところ、
 私実は苦手なのよね」
とつぶやいたことの多くは、
リアルな対人関係のみ場合は、
通常はBちゃんに伝わりません。

つまり、ある閾値に達するまでは、
「安全なガス抜き」ができる。
誰でも人に文句を言いたいことはあるものです。

これがSNSだとどうなるか?
Cちゃんはその「ぼやき」をスクショ(スクリーンショット)として、
アーカイブできてしまいます。

平和な間はいいですが、
CちゃんにとってAちゃんが気にくわない行動をしたとき、
そのスクショは威力を発揮します。
CちゃんはBちゃんにそれを送信して自分のグループに取り込んだり、
スクショを学校の裏サイトの掲示板に貼り付けて、
Aちゃんを「公開処刑」することも可能です。

このような社会で子どもたちは、
「他者の機嫌を損ねないように、
 空気を読みまくって生きる」
ということを強く内面化していく、
ということが起きています。
SNSは、「同調圧力強化装置」にもなり得るのです。
なので、「ネットによる匿名の犯罪」とかよりも、
「顔の見える人間関係がネットにより変質してしまうこと」
のほうがよっぽど怖いよ、
と宮台さんは警告しているわけです。


ふたつめの「正解主義」。
これもまた、新しい世代がネットネイティブ世代であることと、
無縁ではありません。
先ほどの「過剰な空気の読み合い」がSNSの影響だとするなら、
「正解主義」は「検索知」の影響です。
つまり、「グーグル先生」の影響と言うことです。

いまや「情報」は誰にでも入手可能です。
検索知がありますので、
「第10代アメリカ大統領は??」
「世界で三番目に高い山は?」
「日本で初めてノーベル賞を受賞したのは?」
などの質問の「解答」を暗記することに、
何の意味もなくなりました。
多くの人は自分の電話番号すら記憶しなくなってきました。

これまで記憶に依存してきた多くの情報は、
「ググれば良い」ことになったのです。
そうなると、学校に行くことに意味はあるのか?
大学の講義を受けることに意味はあるのか?
という問題が生じます。

全部「ググれば解決」することを、
わざわざ高い授業料を払い、
印刷された重く高価な教会書を買い、
眠くなるような90分の講義を聴くことに、
果たして意味はあるのか、と。

ホリエモンのような筋金入りの合理主義者に言わせれば、
「意味ない」となるでしょう。
だって、ググれば分かるのですから。
「ググれカス」というネットスラングが表すように、
「検索知」は、誰もが「自分は全知である」と、
錯覚させるようになりました。

インターネット上に存在する、
森羅万象に関する情報が、
すべて自らの脳内にあるかのように錯覚する。
(精確には手のひらの中のiPhoneに、なのですが)

しかし、これは「錯覚」であり、
事実ではありません。
そして、合理主義者の主張とは逆に、
検索知が普及した今は、
「リアルな大学の講義や高校の授業」
「わざわざ印刷された重くて高価な本」
の価値は、逆に高まっているというのが、
私の見立てです。

しかし、「ネットネイティブ世代」に、
これが常識になっているようには私には思われません。

私の個人的な体験をお話しします。
数年前に、平成生まれの若者(男性)と話しました。
「陣内さんから学びたい」というので、
時間を取って。

彼の質問に私が答えている間、
私はその場で自分の意見を構築し、
自らの知識と経験を総動員し、
自分の体験や書籍などを交えながら、
一生懸命、説明しました。

それを聞く彼は、
ずーっとスマホをいじっていました。

「メールでもしてるのかな??」
と思ったらそうじゃないのです。

検索しているのです。

彼は私の話す中で知らない単語を、
リアルタイムで「ググって」いたのです。
私の顔を見ずに。

一応申し添えておきますと、
私も話しながらタブレットで検索することはあります。
それは相手が言った書籍を検索バーに入力して、
「あとで買おう(図書館で借りよう)」とか、
相手が言った「オススメの店」を検索バーに入力して、
「あとで調べて行ってみよう」と思っているからであって、
5秒とか10秒ぐらいのものです。

ただ、彼は尋常じゃなかったのです。

検索が。

ほぼずーっと検索していて、
1分に1度ぐらい、数秒間私の顔を見て、
また検索する、という感じ。
「自分の」知識、つまりGoogleの検索知によって、
たった今目の前の私が口にした「未知」を、
「既知(ネットで確認済み)」に、
置き換えていこうと必死であるかのようにすら感じました。

彼が失礼だとか、
そういうことを言いたいのではありません。

そうではなく、
彼が「情報」と考えるものと、
私が「情報」と思って伝えようとしているものの差に、
私は愕然としたのです。

彼がしているのは別に失礼なことではありません。
誰かと話していて知らない言葉があったら、
知ったかぶりをして受け流すより、
それについて辞書などを引いて調べる、
というのはむしろ歓迎されることでしょう。

しかし、私が問題だと思うのは、
ググることによって、
彼は私の言葉の断片を把握(ネット上で確認)
することはできたのかもしれませんが、
私の話の「流れ」や「構造」や、「声のトーン」や、
言葉と言葉の間にある「クオリア(質的な情報)」について、
実はほとんど受け取ることができなくなっているはずだからです。

ググって手に入る情報は、
すべてコンピューター上で処理可能な情報ですから、
「0と1」の二進法に還元可能です。

「数量的な情報」と言い換えても良い。
しかし、目の前の人が口角泡を飛ばして語っているのは、
単なる数量的な情報ではない。
そこには「質的な情報」とでも言うべき、
「0と1の間のニュアンス」が含まれる。

実は、AI時代に「生き残れる」のは、
後者の情報を多く持つ人です。
しかしネットネイティブ世代の若者は、
「大学のレポートが全部コピペだった」とか、
「先生、さっきの内容は間違ってると思います、
 Wikipediaと違いますから。」と指摘する大学生などの、
嘘みたいな逸話が示すように、
「より淘汰されやすい人間」に、
みずからなりにいっているような節がある。
このへんは「AI VS 教科書が読めない子どもたち」という、
新井紀子さんの本に詳しいです。

、、、話しを戻します。

そのような「検索知」を「知のすべて」と勘違いすると、
何が起きるか?

「正解主義」です。

何にでも、「正解」があると思い込む。
コンピューター上の情報は二進法に還元されるのですから、
当然そうなるのです。

「0」か「1」。

「正解」か「不正解」。

この「正解主義」に支配される人生観は不幸です。
「この結婚は正解だったのか?」
「この大学を受験することは正解か?」
「この商品を買うことは正解か?」
「夏休みに海外旅行が正解か?
 それとも国内旅行が正解か?」
「家を建てるのが正解か??
 賃貸で生活するのが正解か??」
「子どもを作るのが正解か?
 作らないのが正解か??」

何かを買うときに延々とAmazonのレビューを見るのは、
ほどほどの範囲ならば楽しいですが、
「正解主義の呪縛」に基づき延々をそのループを辿るのは、
不幸な経験です。
だって、正解なんてあるわけないんだもの。

その掃除機を買って幸せになった人もいれば、
不幸になった人もいるに決まっている。
家を買って正解だったと思う人もいれば、
買わなきゃ良かったと思う人もいる。

当たり前の事です。

そして、もっと踏み込んで言うならば、
世の中のあらゆる「選択」は、
それ自体が正解だったり、
不正解だったりするのではありません。

そうではなく「自分がした選択を正解たらしめる」、
という、絶え間ないプロセスの中にこそ、
人生の真価が現れるのです。
ヴィクトール・フランクル風に言うのなら、
私たちは「正解を問うている」のではありません。
「問われている」側なのです。
「自分の過去の選択を正解たらしめることができるかどうか」
人生の側から、生きる力が試されているのです。

パブロ・ピカソは有名な言葉を残しています。
「コンピューターは役立たずだ。答しか与えてくれない。」

そうなのです。

人生で大切なのは、「答え」を見つけることではなく、
「問い」を見つけることです。
そしてその問いに向き合い、
真摯に生きるというその「過程」こそが、
「人生そのもの」とも言えます。

ネットネイティブ世代は、
そのあたりの認識と言いますか、
人生や世界に対する基本姿勢が、
「デジタルに還元可能な情報に過剰に接すること」によって、
脆弱にされてしまっていると私には思われます。



▼▼▼柔軟であること▼▼▼

さて、話しが長くなってしまいましたが、
ラス・コリナスさんの質問に戻りたいと思います。
説明してきたように、
世代間ギャップというのは「あります」。

それは「若い人に年寄りが顔をしかめる」
という形を取ることもありますし、
逆に「柔軟な若い人を頑固な年寄りが邪魔する」
という構図を取ることもあります。

あらゆる「短所」は長所の裏返しですので、
今年寄りが顔をしかめているまさにその傾向こそが、
来たるべき世において世界を救う種なのかもしれない。

「世代間ギャップ」に関して、
聖書から学べる箇所を2つ引用します。

「何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、
へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。」
ピリピ人への手紙2章3節

「子どもたちよ、すべてのことについて両親に従いなさい。
それは主に喜ばれることなのです。
父たちよ、子どもたちを苛立たせてはいけません。
その子たちが意欲を失わないようにするためです。

奴隷たちよ、すべてのことについて地上の主人に従いなさい。
人のご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、
主を恐れつつ、真心から従いなさい。
何をするにも、人に対してではなく、
主に対してするように、心から行いなさい。」
コロサイ3章20〜23節


父たち、子どもたち、
主人たち、奴隷たちを、
「先輩世代」「若い世代」
「上司」「新人社員」と読み替えても、
現代で意味が通ります。

社会は「謙虚で柔軟な人同士」だと上手く回るようにできています。
謙虚で柔軟な若者と、
謙虚で柔軟な年寄りが出会ったときに、
社会は美しい協業関係を生み、
それは同じ世代同士で働くよりも、
はるかに大きなシナジー(相乗効果)を生みます。

これを、順列組み合わせで考えてみましょう。

 自分  相手
・柔軟  頑固 →上手く行かない
・柔軟  柔軟 →上手く行く
・頑固  柔軟 →上手く行かない
・頑固  頑固 →地獄

こうなります。
自分が若い世代と考える人も、
自分が年寄りと考える人も、
自分が新人社員でも、
自分が管理職でも、
上記の組み合わせは真実です。

どんな世の中でも最善の策は、
相手がどうかにかかわらず、
自分が柔軟でいることです。
その場合、柔軟な相手に出会ったときに、
素晴らしい体験をすることができますから。

ひとつだけ補足を。

この「柔軟」「頑固」というとき、
自らの確固たる信念が深い人ほど柔軟に、
自らの信念があまりない人ほど頑固になります。
「逆だ」と考えている人が多いのですが。
ハードコアなクリスチャンは柔軟であり、
信仰が浅薄だと頑固(教条主義)になります。

世代間で言いますと、
たとえば「会社の有給連絡をLINEでするかどうか問題」
みたいのがありますよね。
「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)が大切」という深い信念を持つ人は、
手段は「どちらでもいい」のです。
なんでもいい。
ちゃんと情報が共有されていれば。

だから先輩世代なら、
「若い世代がLINEしか使わないというのなら
 じゃあ社員のLINEグループを作ろうか」となる。
「俺もLINEを学んでみよう。
 何か良いことがあるかもしれない。」

若い世代で「ホウレンソウの重要さ」、
という本質を抑えている人は、
「自分はLINEが一番楽だし合理的だと思うけど、
 スマホに慣れていない上司が連絡を取るのに、
 電話や電子メールのほうがやりやすいと言うのなら、
 特にLINEにこだわる理由はない。
 だって『連絡する』ということが大事なのだから。」
となる。

信念が浅い人は、
「電話で連絡しないなんて失礼だ。
 俺の若い頃はあり得なかった!」
となったり、
「ジジイはLINEすら使えない。
 終わってる。」
となる。

この両者とも、残念ながら一生、うだつが上がらないでしょう。
起きている現象だけを見てはいけません。
「深い部分で信念が強い」人の方が柔軟なのです。
「抽象度の高いところで譲らない」から、
「抽象度の低い、具体的なディテールはいくらでも譲れる」のです。

質問に答えたような答えてないような話しになっちゃいましたが、
ご参考に。


【Q】どのように人を育てるのか?

2018.07.24 Tuesday

+++vol.050 2018年2月6日配信号+++

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■3 Q&Aコーナー

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●【Q】どのように人を育てるか?
ラジオネーム:ラス・コリナス(男性)
お住いの地域:海外

Q.

テキサス在住のラス・コリナスです。
私は教育機関で働き教える仕事をしていますが、
陣内さんの教育論を聞きたいです。
特に、「クラスの中でどのように人を育てるか」
ということを、陣内さんが教育者なら、
どのようになさるか知りたいです。
教会や学校で教える働きもする、
という広い意味では「教育者」である、
陣内さんに聞きたいです。


A.

ラス・コリナスさん、
ご質問をありがとうございます。
教育というものはたいへん広い概念ですので、
「人を育てる」ということといっさい関係の仕事など、
世の中には存在しないと言って良いほどです。

私もそのご多分に漏れず、
普段教会で話すメッセージや、
インタラクティブな形のワークショップなどを通して、
私は広義には「教育」に関わる仕事をしています。
また、このメルマガ発信も、
ものすごーく広い意味では「教育」の範疇でもあります。

私の「人生のメンター」のひとりである、
ボブ・モフィット氏は「第二の家は空港」みたいな人で、
一年の半分以上は国外にいる宣教師ですが、
彼はいろんな面倒を避けるために、
出入国カードの職業欄には「Teacher」と書く、
と言っていました。
「嘘じゃないしね」と笑。
じっさい彼はイスラエルの大学で、
成人教育の博士号を取っています。

ラス・コリナスさんのご指摘のとおり、
ですから私もまた「Teacher」のひとりです。
ただし、「クラスルームでの教師」という、
プロフェッションに関しては、
私は専門的な教育を受けたこともないですし、
実務経験もありません。
ですから、私がそれらについて、
ラス・コリナスさんに教示するというのは、
もはや「釈迦に説法」、「キリストに垂訓」、
もしくは「Zeebraにラップバトル」なわけです。

しかし、私のしている「教育」と、
ラス・コリナスさんの携わっている教育現場とで、
「要素が共通」するかもしれない抽象概念の領域が、
少なくとも二つあるかと思われます。

ひとつは、「スキルとしての講義」、
もうひとつは、「クラスでの学習のダイナミズム」です。
前者が「講義型のスタイルにおける技術」で、
後者が「実習型・ハンズオンにおける技術」です。
前者と後者はかなり違う技術が要求されます。
一方的にしゃべる講義が上手な人が必ずしも、
学習のダイナミズムが起きる場を作る、
良いファシリテーターとは限りませんし、
逆もしかりです。

私はここ10年、零細な活動をしていることが幸いして笑、
基本的に、何から何まで、
全部自分でやらなければいけませんので、
「全部」できます。
人は零細な活動を続けると器用貧乏になるのです笑。

なので、まずは「トークスキル」といいますか、
与えられた時間において自分が話すことで、
大切なことが相手に伝わるための技術を紹介します。
これは牧師ならば毎週日曜日にしていることですし、
高校教師なら毎週の授業で何十回も繰り返しています。
私の前職の市役所職員ですら、
「衛生講習会」などの形で、
市民に食育や食品衛生のイロハを分かり易く説明する、
という業務がありました。

そのサイズが5分なのか30分なのか60分なのか90分なのか、
参加者がお金を払って授業を受ける生徒なのか、
自発的に礼拝に参加している老若男女のクリスチャンなのか、
そこに来ることを苦痛と感じている、
半強制的に集められた飲食営業者なのかで、
これまたまったく組み立て方は違ってきます。

なので、「序論・本論・結論」といった構成の仕方とか、
話すときに気をつける「間」や「テンポ」、
笑いを入れ込むとか、身近な経験に引きつけるとか、
そのあたりのことはここではあえて立ち入りません。

ひとつだけ、おそらく教育に携わる人でも、
多くの人があんまり意識していないけれど、
私が10年以上の経験から大切だと気がつくようになった、
「なるべく意識するようにしている要素」をご紹介します。

これはラーメン屋でいうと「秘伝のスープ」でして、
本当はあまり教えたくないのですが、
私はもう次の秘伝のスープの開発に移っていますので、
特別に今日はは紹介しちゃいます笑。

それは構成にかなり深く関わってきますが、
ゴール地点(結論)で、
かならずスタート地点(序論)に戻ってくる、
というループ構造です。
これを文章で説明している「話し方の本」を、
私は目にしたことがありませんが、
私はこの10年、こういったことを意識して、
「発話」するようにしてきました。
文章を書くときも、
学校で講義するときも、
礼拝でメッセージを語るときも、
教会でセミナーをするときも、
4日間のワークショップをデザインするときも。

この「ループ構造」というのは、
本当はループではありません。
閉じた円環というより、
「上に上るらせん構造」と言った方が正確です。

どういうことか?

T.S.エリオットという作家がこういう言葉を残しています。

「我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所を初めて認識することである。」

ここでエリオットが言っているのは、
もっと一般的な言葉では「再定義」と言います。
「再定義」というのは、
「今までAというものはこういうものだと思っていたが、
実はそうではなく、こういうものだったのか!」
という再発見です。
物語で言うとメーテルリンクの「青い鳥」や、
「オズの魔法使い」がこの構造になっています。
パラダイム(視点)が変わることで、
最初に見ていたものが別の見え方をするようになる、
というのが「再定義」と共に起きることです。

パラダイム転換によって、
同じものが別の見え方をするようになる、
ということを最も綺麗に説明した人の一人は、
「7つの習慣」の著者スティーブン・コヴィーです。
彼はその著書の中で、「パラダイム転換」とはこういうものだ、
という例話を紹介しています。

《あなたはある日、地下鉄に乗っていた。
 ある駅で2人の小さな男の子を連れた30代ぐらいの男が乗り込んできた。
 2人の男の子はギャーギャーとはしゃぎ回り、
 つねりあいを始め、片方が大声で泣き始めた。
 周囲の乗客たちは明らかにその親子に迷惑をしていたが、
 男は乗り込んでから子どもたちなどいないかのように、
 ずーっと窓の一点を見つめていた。

 その車両に乗っている全員が、
 男に非難の目を向けているのは明らかで、
 子どもたちの声は大きくなるばかりだった。
 あなたは使命感と義憤を覚え、
 意を決して、なるべく慇懃に男に話しかけた。
 「たいへん失礼ですが、
 あなたの二人のお子さんが騒いでいて、
 他の乗客の迷惑になっているようです。
 なぜ注意なさらないのですか?」

 男はあなたに答えた。
 「すみません。
 たった今、この子たちの母親、
 あ、つまり私の妻が天国に行くのを、
 病院で看取った帰り道でしたので。
 この子たちも不安定になっていますし、
 私もちょっと、呆然としていました。
 たいへん失礼しました。」

 あなたの男への非難の視線は消え、
 とっさにあなたは言った。
 「それは何も知らずに失礼しました!
 なにか助けられることはありますか?」》

「あなた」が最初に男に向けていた非難の視点が、
パラダイム転換によって「深い同情の気持ち」になりました。
これをパラダイム転換と言います。

私が何かを話すとき、
「再定義」を意識している、
というのは、こういうことが聞いている人の内面で起きるように、
構成を考える、ということです。

これを私が着想したのは実は、
「映画鑑賞」からです。
映画の構成っていうのはとても勉強になります。
多くの映画で使われる手法なのですが、
まずド頭にあるシーンを流します。
たとえば、そうですね。
身なりの良い主人公が橋の上から、
身を投げようとしているシーンとしましょう。
観客は思います。
「この順風満帆に見える人が、 
 なぜ身投げなどしなければならないのだ?」
このシーンはなるべく違和感を与えるようなものであったほうが、
より効果的です。観客の心に「ひっかかり」を与えるためです。
そのシーンの後に「タイトルコール」ですね。
そして、何の関係もないシーンが始まります。
90分ほど、めくるめく人間ドラマが繰り広げられ、
観客は主人公に完全に感情移入しています。
映画のラストシーンに近いところで、
最初の「身投げシーン」につながります。
もはや観客はそんなシーンが最初にあったことなど、
忘れかけているころに。

そのとき観客は「既視感(デジャヴュ)」を覚え、
そして最初に見た時と今見ているのとで、
その「身投げ」の意味がまったく変わっている、
というのを発見するわけです。
観客の中で「再定義」が起きているのです。

映画の構成で非常に多く使われる技術ですが、
私は自分が話すときにこの技術をよく応用します。

、、、で、私はこれを経験的に自分なりに「開発」したわけですが、
それを「根拠づけられ、確信を深められる」体験をその後にしました。
英語で言う「アファメーション」を与えられたのです。

ひとつめは、先ほど登場したボブ・モフィット氏です。
彼は成人教育の博士号をイスラエルの大学で取った、
と書きましたが、彼に一度私は聞いたことがあります。
「成人教育において一番大切なことは何ですか?」と。
彼は言いました。
「それは、『自分で発見すること』だ」と。
「成人教育と幼児教育の一番の違いは、
 成人は一方的に知識を詰め込まれても学ばず、
 『自分で発見した、自分でつかみ取った』と思うものだけを学ぶ。
 そのときに大切な概念は『再定義』なんだ」と。
私は「我が意を得たり」と思ったわけです。
自分のしてきたことは間違ってなかった、と。

もうひとつは、聖書です。
本田哲朗というカトリックの神父は、
「悔い改め」というギリシャ語が多くの場合、
誤訳され間違って解釈されている、
とその著作に書いています。
イエスは「悔い改めなさい」と言って宣教を始めました。
その「悔い改め」と訳されているギリシャ語は、
「メタノイア」と言います。
本田神父によればこの言葉には、
よく誤解されているような
「自分のしたことを悔いて、更生して正しい生き方をする」
というような意味は「まったく」ないそうです。
そうではなく「メタノイア」の直訳は、
「視点の転換」なのだ、と。

今までAだと思っていたものが、
実はAではなく別の意味だったのだ、
と物事を別の視点で見始めることを、
「メタノイア」というのだ、と。
だからイエスが「悔い改めなさい」と言って宣教を開始したとき、
それは先ほどのスティーブン・コヴィーの例話のような、
「視点の転換」を呼びかけていたのだ、と彼は言っています。
なので、隣人愛に関しても
「人に優しくなりなさい」という道徳的な教えではないのだ、と。
そうではない。
「神の視点で、あらゆる物事を見るようになりなさい」
というのが「メタノイア」の本来の意味だから、
「神の視点で、今目の前にいる貧しい人を見なさい」
というのがイエスの言われたことなのだ、と。
本当に神の視点で世の中を見たら、
あなたの心は傷ついた隣人のために張り裂けないはずがない、
というのがイエスが本当に言われたことの意味なのだ、と。

「再定義」と「メタノイア(悔い改め)」は、
言葉においてかなり近い概念です。
これも「自分のしてきたことは間違ってなかった」
というアファメーションのひとつになりました。

では、具体的に、どうやって「円環構造」を作るのか、
ということですが、これは「結論」から組み立てます。

たとえば、そうですね。
「話すときに構造が大切だ」
という「結論」があったとします。
その結論から「ちょっとずらした導入」を考えます。

エリオットは、
「我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所を初めて認識することである。」
と言いましたね。

「最後にそこに帰ってくる場所」を、
結論から逆算して設定するわけです。
この場合、そうですね。
めちゃくちゃ下手な構成のアメリカンジョークみたいなのを、
紹介しても良いでしょう。
構成がぐだぐだなので、「パンチライン」が、
まったく機能せず、鬼のようにスベります笑。
「ちょっと冒頭からスベっちゃいましたけど、、、
 気を取り直して、授業を始めます。」
といって講義が始まります。
内容はきわめてまっとうな発話の構成だとか、
話し方の技術の話をします。
当然、構成の重要性も指摘します。
授業の最後に、
「そういえば一つジョークを思い出したんだけど、、、」
といって最初のジョークを、
完璧な構成で披露するわけです。
「このように『構成』っていうのは、
 とても大切なんだよ。」
といって授業を閉じる。

こういった感じですね。
(もちろんクラスの雰囲気だとか、
 自分のキャラクターだとか、
 そういった要素が相まって成立するものですから、
 具体的な適用はこのままやればOKというわけではありません)

、、、と、ここまで書いたところで、
「グループの学習のダイナミズム」を説明する文字数が、
足りなくなりました笑。
相変わらず構成が下手ですね笑。

これに関しては最近読んだ本が非常に参考になりましたので、
そちらを紹介して、
エッセンスだけを要約したものを紹介することにとどめます。
もっと詳しく知りたいという人は、
次期読むラジサロンに参加するか、
もしくは「Q&Aオーナー」に、
「もっと教えて」とご質問下さい。


▼参考リンク:『なぜ人と組織は変われないのか?』ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー
http://amzn.asia/gkXvA1i


この本のまとめを、私のEvernoteメモから引用します。

《組織のリーダーはどのように道を示すべきか
1.大人になっても成長できるという前提に立つ:
メタ視点、思考様式の変容

2.適切な学習方法を採用する:
そのトレーニング(学習)はオンジョブ的か?

3.誰もがうちに秘めている成長への欲求をはぐくむ:
「よい問題」とは、それを通して成長できる問題である。
全員が取り組んでいる問題は、
それによってその人が成長できるような問題か?

4.本当の変革には時間がかかることを覚悟する:
変革には時間がかかる

5.感情が重要な役割を担っていることを認識する

6.考え方と行動のどちらも変えるべきだと理解する:
洞察思考のアプローチと
行動変容思考のアプローチの二者択一は、
両方正しくない。
二つのアプローチを一体化させることが大切。

7.メンバーにとって安全な場所を用意する:
「試練と支援」をセットで与える。》

不親切きわまりないですが、
これ以上解説は加えません。
しかしこの本を読んで、私は昨年11月に開催した、
「よにでしセミナー」との類似性に驚きました。

中途半端な回答になってしまいましたが、
「教える」ことについての話でした。
ご参考までに。



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【Q】放射性廃棄物の受け容れについて

2018.07.17 Tuesday

+++vol.049 2018年1月30日配信号+++

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■3 Q&Aコーナー

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●【Q】放射性廃棄物について

ラジオネーム:トビー(女性)
お住いの地域:東京

Q.

このあいだ、
NHKで放射性廃棄物受け入れの問題を取り上げていたのを見ました。
どこの自治体住民も、放射性廃棄物を受け入れたくないと言っていて、
恩恵だけ受けてリスクは引き受けない態度に違和感を覚えました。
沖縄の基地問題とも重なると思いますが、
私は子どももいますが、もし自分だけで決められるなら、
放射性廃棄物を地域で受け入れることは賛成です。
便益だけ享受して危険は断る、というのはあまりに身勝手だと思うからです。
「福島の復興」というのはそういうところにこそあると思うのですが、
陣内さんはどのように考えられるでしょうか?


A.

トビーさん、ご質問ありがとうございます。
この質問の答えは簡単です。
「私もトビーさんと同じ考えです」。

以上!

というところで終わるのは不親切ですから笑、
なぜそう考えるかをご説明します。

「リベラリズム」という政治哲学があります。
私はいわゆる「憲法9条を守れ」とか、
「原発反対」とか、「SEALS」とか、
「アベ政治を許さない!」とか、
そういった現在の日本の「左翼的」とか「リベラル」とされる、
言説や政治的ポジションとは、
別の意味でこの言葉を使います。

政治的に文脈化され曲解されゆがめられる前の、
思想としての本来の意味の「リベラリズム」です。
「リベラリズム」を定義するのは、
それはそれで大きな仕事ですが、
この思想の「大家」と言われる、
ジョン・ロールズという政治哲学者に依拠して、
ここでは解説していきたいと思います。

日本におけるジョン・ロールズ研究の第一人者は、
最近ではテレビに出演することも多くなった、
井上達夫という東京大学の教授です。
この人が、
「リベラルのことは嫌いでも、
 リベラリズムは嫌いにならないでください」
という本を書いています。

前田敦子が「リベラル」(=アベ政治を許さない!)
AKB48が「リベラリズム」(=政治哲学としてのリベラリズム)
であって、両者は別物だよ、ということです。

▼参考リンク:『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』井上達夫
http://amzn.asia/2GYZbb8

この本の中でまず、
「リベラリズムの源流」といわれる、
ジョン・グレイの考え方を井上氏は紹介します。
グレイによると、リベラリズムの原理は、
「啓蒙より寛容をたいせつに」というところから出発しています。
私のEvernoteの読書ノートから引用します。

《リベラリズムの伝統とは「啓蒙」と「寛容」であり、
オックスフォードの政治思想家ジョン・グレイは
「啓蒙」よりも「寛容」を重視した。
その理由は「啓蒙」は理性の独断化、絶対化を招き、
マルクス主義やフランス革命後のロベスピエールのようになってしまう、
と考えたからだ。
(中略)
それまでの「不寛容な者には不寛容であるべき」
という寛容原理がポピュラーだったが、グレイはそれを否定し、
「不寛容な政治体制や文化に対しても、寛容であれ」
という形で寛容原理を自壊させた。
彼はリベラリズムの基礎を(いわば脱構築し)
哲学的原理から政治的妥協に移行させた。
これを「暫定協定」という。
戦い続けると相互殲滅になっちゃうかも知れないから、
まぁ、生きる知恵として「暫定協定」で共存しましょう、
これがリベラルな行き方だ、とグレイは言った。》

、、、リベラリズムとは何か、を定義するとき、
「寛容」という概念が大切になります。
アメリカでリベラルな政党である民主党が、
黒人やヒスパニックにも市民としての権利を与え、
伝統的なアメリカの宗教であるプロテスタントだけでなく、
カトリックやイスラムや仏教も共存でき、
様々な価値観を持つ人が互いを排斥しないようにしましょう、
と主張するのはこれが理由ですね。

「寛容」がひとつの礎石だとすると、
もうひとつのリベラリズムの礎石は「平等」です。
「寛容」と「平等」が、リベラリズムの基礎です。
その「リベラリズム」という道具を用いて、
ロールズの「正義論」を下敷きに、
井上達夫氏は「何が正義と言えるのか」を追求している学者です。
井上氏はちなみに、憲法9条に関しては、
「改正論者」ではなく「削除論者」です。
さらに「徴兵制を復活させるべき」と言っています。
「どこがリベラルだよ!!」
と左派の人は怒りそうですが、
井上さんが主張する「徴兵制」は、
リベラルな考え方から導き出されたものです。
引用します。

→P62 
《やはり、下手な戦争をすると、自分や、
自分の子ども達が本当に命を落とす、
あるいは人を殺さなければならない立場になる、
ということが切実に感じられて、
初めてその戦争はやるに値するのか、真剣に考えるようになる。
(中略)
そして、徴兵は、絶対に無差別公平でなければいけない。
富裕層だろうが、政治家の家族だろうが、兵役逃れは絶対に許さない。 
アメリカが大規模な徴兵制の採択を機に、
ベトナム戦争で世論が交戦から反戦に変わったことを話したけど、
「9.11」の後のアフガニスタン侵攻や2003年のイラク侵攻は
また志願制で、元の木阿弥になった。
戦場に行ったのは、ベトナム戦争の初期と同じ、
中西部の失業し続けている若者とかの貧困層が主です。
(中略)
アメリカの国会議員が上下両院で五百何人かいて、
子どもをイラクに送ったというのは、たった一人だったかな。
こうなると、民主国家でも、
やはり無責任な好戦感情に引っ張られてしまう。》

、、、同意するかは別として、
彼の主張は筋が通っているし、
一貫しているので、私は好感を抱きます。

じっさい根拠もある。

アメリカが泥沼のベトナム戦争を終わらせたのは、
「徴兵制」がその理由になった、というのは、
あながち暴論ではありません。

アメリカの両院の議員本人が軍人出身者だったり、
子どもが兵役についていたりする割合を、
過去のあらゆる時代に割り出します。
そうすると、両院の議員本人か、
もしくはその家族が軍人である(あった)比率が高いときには、
アメリカは戦争をしない、もしくは止める傾向にあり、
逆に議員の家族が兵役についていない時代に、
アメリカは戦争を継続し、もしくは始める傾向にあります。
これは統計的に証明された厳然たる事実です。

ブッシュ(子)がイラク戦争を始めたときの議員の家族の兵役率は、
たしか1%に満たないほどに下がっていました。
このような人たちにとって、
「戦争することのコスト」は外部にあり、
自分の身内にはありません。
逆に「戦争することのメリット」はある。
戦争は政権与党にとって、支持率回復の魔法の杖ですし、
軍産複合体は喜びますから、いろんな利権組織に、
便益を図ることができ、自らの政治基盤は固まります。

ところがもし議員の子どもも金持ちの子どもも、
絶対に逃れられない、「徴兵制」がアメリカにあったら、
本当にアメリカはイラク戦争を始めただろうか?
と考えてみる。

「徴兵制は戦争を抑制する」というのは、
このように、あながち無茶な話ではありません。
安倍さんや菅さんは自衛隊を海外に派兵することに積極的です。
彼らが日本の平和を願っていることを私は疑っていませんが、
しかし彼らにもし子どもがいて、
そして自衛隊員だったとしら、
同じ決断をしていただろうか?
と考えるのは無意味な思考実験ではありません。

海外派兵された自衛隊員の多くがPTSDを煩い、
自殺率が一気に上がることは公然の秘密です。
もし「それでも日本の安全のために」と、
自衛隊員の親である彼らが同じ決断をしていたら、
決断の内容は同じだったとしても、
その決断のもつ「重み」は違ってきます。

井上さんの議論で最も大切で、
そして最も私が共感を覚えた概念が、
「反転可能性」という概念です。
これは先ほどの「徴兵制による戦争の回避」にも通じるし、
そしてトビーさんのご質問にあった、
核廃棄物処理場や沖縄の米軍基地、
さらに地域に葬儀場を建てることに反対運動をする人たち、
そういった人たちに非常に関連のある概念です。
引用します。

→P22 
《ある人やある集団の行動や要求が、
この意味で正義に叶っているかどうか、
それを見分ける手段があります。
私が「反転可能性テスト」と呼んでいるものです。
これは、共通の正義概念から出てくる非常に重要な論理的帰結です。
つまり、自分の他者に対する要求や行動が、
もし自分がその他者だったとしても受け入れられるかどうか。
自分と他者が反転したとしても、
受け入れられるかどうか、考えてみよ、と。》

、、、井上氏はこの本の中で実例として、
「日照権の問題」を取り上げています。

今あなたは、二階建ての家をある土地に建てようとしている。
建設会社も決まり、ローンも組み、
いざ建てようとしたときに、
自分の土地の北側に住んでいる一階建ての家に住んでいるAさんが、
「待ってくれ」と言い出した。
曰く「あなたが二階建ての家を私の家の南側に建てたら、
私の家があなたの家の日陰になり、
日当たりが悪くなってしまう。
あなたがここに二階建ての家を建てることは、
まかりならん!」というわけです。

あなたは戸惑います。
しかし、
「もう決まったことなんだ。ローンも組んだ。
 この家は私と家族の夢の家なんだ。
 別に法令違反ではないのだし、いいだろう!」と、
Aさんの主張を圧殺して、二階建ての家を建てたとする。

二階建ての新築に住み始めたあなたと家族は、
そこでの快適な生活にとても満足しました。
それから3年後、あなたが家を建てた土地の南側に、
5階建てのマンションが建つ計画が持ち上がりました。
これが建てば、あなたの家は日陰になります。

「反転可能性」の概念に基づくと、
あなたは5階建てのマンションが建つことに、
「待った」を言う資格はありません。
自分は逆の立場のときに、
自分の主張を通して家を建てたのだから、
というわけです。

ある主張を自分が持っている場合、
立場が逆転したとしても、
その主張や権利は正当なものと言えるだろうか?
と考えるわけです。
「Aさんには日照権を主張する権利がないが、
 私には日照権を主張する権利がある」
というのは正義ではありません。
ダブルスタンダードです。

ダブルスタンダードは、
聖書の時代から明確に禁止されている、
「不正義」です。
申命記25章13〜14節にこう書いています。
「あなたは袋に大小異なる重り石を持っていてはならない。
あなたは家に大小異なる枡を持っていてはならない。」
これはダブルスタンダードを禁ずる律法です。
あなたが5階建てのマンションに反対するとしたら、
「大小異なる枡」を持つことになります。
もし5階建てのマンションに反対したいなら、
Aさんの主張を聞き入れて、
自分の家の計画を変更する必要があるのです。

これと核廃棄物や米軍基地の問題、
何の関係があるの?

大ありです。
Aさんを沖縄県民、または、
Aさんを青森県六ヶ所村と考えて下さい。
あなた(や自民党)は、
沖縄県民や六ヶ所村の人々に、
「仕方ないんだ、負担を受け入れてくれ」
と言うのは構わない。
しかしそのときは「反転可能性」を考えなければならない。
もしそう主張するなら、
あなたには、自分の家の隣に、
米軍の滑走路が作られたり、
自分の住む市内に、核廃棄物最終処理場が出来ても、
文句を言う権利はない、ということです。

私は沖縄県民や六ヶ所村の人々が、
不当に大きな負担を負っていることに、
たいへん遺憾な思いですし、
そういった負担を一部の少数の人々に、
負わせている日本という国は、
恥ずかしい国だと思っています。

しかしながら、日本は民主主義の国であり、
今私を含む国民の「民意」として選ばれた政権与党は、
(私がそれを支持したかどうかとは別にして)
沖縄や青森や福島の人々に負担を押しつけている現実があります。
その自覚や意志がなくても、
私は消極的にではあれ、「抑圧する側」にいるのです。
つまり負担の上に成り立つ便益を享受し、
自分以外の人の負担を(消極的にだったとしても)、
「良し」としている。
この現実から目をそらしてはいけない、
と思っています。

だとしたら、私は、
自分の家の隣に基地が出来ようが、
核廃棄物が来ようが、
原発が作られようが、
墓が建とうがコンサートホールが出来ようが、
文句を言う権利や正当性を持たないと考えている。
説明が回りくどく、非常に長くなりましたが、
これが私がトビーさんの意見に賛同する理由です。

現代の日本の民主主義を取り巻く状況は困難です。

その理由は分かっています。
「人口ボーナス時代」の昭和の日本の政治は、
「富の再分配」だったのに対し、
「人口オーナス時代」の現在の日本の政治は、
「負担の分配」だからです。
前者は良いが後者は地獄をもたらす、
とカール・マルクスは100年以上前に言っています。

しかし、そのような「負担の分担」の時代だからこそ、
高度な知性と清廉な人格と、
一貫した「正義論」をもったリーダーが、
必要とされていると私は思います。
ここで舵取りを誤ると、
国家存亡の危機になりますから。
ひとりの国民として、
そのような人がリーダーとして選ばれるように、
私も日々祈っています。



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【Q】政治に関する話題を建設的に話すにはどうすれば良い?

2018.07.04 Wednesday

+++vol.047 2018年1月16日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】政治的な話題はどのように話す?

ラジオネーム:ラス・コリナス(男性)
お住いの地域:海外

Q.

陣内さんに質問です。
私はテキサスに住んでいます。
関連する二つの質問があります。

1.アメリカはいま日本以上に、
右翼(共和党・トランプ支持者)と、
左翼(民主党)の二極化が進んで分裂しています。
そのようななかで、
日常のなかでどんなふうに、
市民として建設的に政治的な会話をすることができるか、
いつも思い悩んでいます。
陣内さんに是非意見を聞いてみたいです。

2.メルマガを読んでいますと、
陣内さんはどちらかというとリベラルな立場と思われますが、
陣内さんならどのようにして
右派の人に自分の立場を説明しますか?
たとえば「トランプ大統領に関してどのように思いますか?」
という質問をされた場合、
どんなふうに相手を怒らせることなく、
自分の意見を相手に説明しますか?


A.

ラス・コリナスさん、ご質問ありがとうございます。
関連する二つの質問なので、
ひとつの質問として扱わせていただきます。

アメリカの右派と左派の分断が深くなっているのは、
日本から見ていてもよく分かります。
日本もまた、この10年ほど特に、
右派と左派の分断は深まり、
その対話は難しくなってきていると、
私は認識しています。

ですからこの話題については私はこの5年間ぐらい、
自分なりに考え続けてきました。
たぶん50冊ぐらいの関連書を読んできました。
その中には保守派の本もありましたし、
リベラル派の本もありました。
保守とかリベラルを包摂する「広く政治とは」を語る本もありました。
そのような数多くの書籍のなかで、
最もためになるヒントを与えてくれた一冊ありますので、
まずはそちらをご紹介します。

▼参考リンク:『なぜ社会は右と左に分かれるのか』ジョナサン・ハイト
http://amzn.asia/0jvPbWA

この本のサブタイトルは、
「対立を超えるための道徳心理学」です。

タイトルの「なぜ社会は右と左に分かれるのか?」
その答えは、政治信条というものが、
論理ではなく感情により強く結びついているからです。
自分はトランプ支持者だ、とか、
自分はトランプ不支持だ、という場合、
それは本人は「論理的に導き出した答え」と、
主観的には思っているかもしれないが、
実はそこには感情が結びついている。
だから政治の議論はこんなに紛糾するのだ、
と著者は指摘しています。

折しも「ダボス会議」を前に、
反トランプのデモが行われていますが、
ああいうのは「感情」でしか説明できません。

政治に関する議論は感情と結びつくため、
相互理解が難しい。
これは音楽や食べ物の趣味嗜好にも似ていて、
つまり、生理的にレゲエ音楽が嫌いな人と、
生理的にレゲエ音楽が大好きな人とで、
コミュニケーションを取るのはとても難しいよ、
ということです。

そこで終わってしまってはこんな本を書く意味がないので、
著者はそこからさらに話を進めます。
「政治の話は感情と結びついているので難しい」
という前提をまずは認めた上で、
「それでも相互に理解し尊重し合う道はないだろうか?」
と問うたわけです。

池上彰風に言えば、
ラス・コリナスさんの質問同様、
「良い質問でです」。

著者は本来リベラル派の人です。
彼は研究のためにインドに3ヶ月滞在しました。
彼はインドにいる3ヶ月の間に、
「世界が変わる」体験をしました。
それは自らの存在を揺さぶるような出来事でした。
インド滞在後の彼は、リベラルであることには変わらないが、
保守主義者もまた、自分と同じぐらい真摯なのだということを、
心から受け入れられるようになった、というのです。

その経験を元に、
自分の中で何が起きたのか、
ということを探るのがこの本です。

この本からの学びを体系化して、
ラス・コリナスさんの質問に即して解説する知的力量が、
いまの私にはないように思われますので、
私がこの本に書いた「メモ書き」に解説を加える形で、
このメルマガの「本のカフェ・ラテ」形式に近い形で、
ご紹介していきたいと思います。
では始めます。

→P66 
〈さて、いまや私たちは三つの「心のモデル」を手にしている。
プラトンは「たとえ哲学者だけがそれに値するのだとしても、
理性が主人たるべきだ」と言った。
ヒュームは、「理性は情熱の召使いたるべきだ」と主張した。
そしてジェファーソンは、
「理性と感情は、帝国を東西に分割して統治したローマ皇帝のように、
おのおのが独立した共同支配者であり、そうあるべきだ。」
という第三のオプションを提示した。
では、いったい誰が正しいのだろうか?〉

理性>感情(プラトン)なのか?
理性<感情(ヒューム)なのか?
理性+感情(ジェファーソン)なのか?

いずれなのか?

この本を最後まで読むと、
著者の結論はヒューム及びジェファーソンと、
一致していることが分かります。
つまり著者は感情の方が理性より優位だと言っている。
だからといって理性は感情の奴隷ではない。
感情と理性は互いに協力し合い、
「象の乗り手」と「象」のように人間を導くのだ、と。

、、、そうです。

「象の乗り手と象」。
これがこの本の最大のキーワードです。
続けます。

→P85 
〈マーゴリス(「パターン・思考・認知」の著者で公共政策学者)は
それ(判断と理由付けは別のプロセスであるというウェインの結論)に同意し、
次のように述べる。
人は何らかの判断
(それ自身、脳の無意識な認知作用によって生み出されたもので、
正しいときもあれば、そうでない場合もある)を行うと、
その正当性を説明すると自分が信じられる理由を作り出す。
だが、この理由付けは、後から考えられた合理化にすぎない。〉

、、、著者は、判断を行う情動が巨大な象(巨大で直観的)で、
理性が象の乗り手(象よりも遙かに小さいが、
象を助けるために進化した)という比喩を使って説明しています。
脳科学の研究では情動(感情)の方が、
脳の領野でいうと「古い脳」に属することが分かっています。
いっぽう理性の方は「新皮質」という新しい領域です。
古い脳のほうが、新しい脳よりも、
人間を引っ張る力は圧倒的に強いのです。
続けます。

→P90 
〈〈乗り手〉は、いくつか有用なことが出来る。
さまざまなシナリオを思い浮かべながら未来に目を向けられるので、
現時点での〈象〉の決定をよりよい方向に導ける。
新しいスキルを学び、新技術に習熟し、その知識を用いて、
災厄を回避しながら目標に到達できるよう〈象〉を誘導できる。
しかしもっと重要なこととして、
〈象〉がじっさいに何を考えているのかを知らずとも、
〈乗り手〉は〈象〉の代弁者としての役割を果たせる。
というのも、〈象〉がたった今したことの根拠を後から考え出し、
これからしたがっていることを正当化する理由を見つけるのに、
〈乗り手〉は非常に長けているからだ。
ひとたび人間が言語を発達させ、
それを使って噂話をするようになると、
常勤の広報担当を背負うことは、
〈象〉に計り知れない価値をもたらす。〉

、、、「乗り手」は理性、
「象」は情動でしたね。
人はいつも、情動的になした決定や感情を、
「合理化」します。
決定は本当は情動が行っているのですが、
後付けで「私はこれこれこういう合理的な理由で、
これを選択した」というのです。
これは結婚相手の選択から食べるもの、買い物、
仕事の選び方、友人の選び方など、
私達の日常のあらゆる行動にかなりの程度あてはまります。
そしてその最たるものが、
「どの政党を支持するか」などの政治的な立ち位置なのです。

続けます。

→P94 
〈社会的直感モデルは、道徳や政治の論争をすると
ひどくフラストレーションが溜まる理由を説明してくれる。
なぜなら、「道徳的な思考は、直感的な犬によって降られる尻尾」だからだ。
犬はコミュニケーションを図るために尻尾を振る。
尻尾をつかんで無理矢理振っても、犬を満足させることは出来ない。
それと同様、誰かの議論を言下に否定しても、
その人の考えを変えることは出来ない。
はるか昔に、ヒュームはこの問題を次のように述べている。
「思考は、論争する者がそこから自らの主張を引き出す源泉ではない。
よって、感情に訴えかけることのない論理が、
論争する者をしてより確たる原理を受け入れられるよう、
いつかは導いてくれるだろうと期待しても、
その希望は無駄に終わるだろう。」
誰かの考えを変えたいのなら、
その人の〈象〉に語りかけなければならない。〉

、、、この文章が本書の「キモ」です。
ここで著者が何を言っているかと申しますと、
つまり「乗り手」を説得しても、
その人の政治的スタンスは変わらない、というのです。
むしろ「象」に語りかけなければならない。

やっと議論の核心に近づいていきました。
著者はさらに、「象」に語りかけることにおいて、
「保守」のほうが「リベラル」より長けている、
と言っているのです。

→P247〜249 
〈次に、左派と右派は、おのおの異なる方法、過程によって、
各基盤に依存していると言うことを述べた。
つまり、左派は主に〈ケア〉〈公正〉を基盤に、
また右派は五つの基盤(加えて〈忠誠〉〈権威〉〈神聖〉)に依存している。
だとすると、左派の道徳は
「真の味覚レストラン(甘みだけを提供するような架空のレストラン)」
のメニューのようなものなのか?
もしそうなら、保守主義の政治家は、
有権者に訴える、より多くの手段を持っていることになるのだろうか?
(中略)
シャーロッツビル民主党支部のメンバーへの私のメッセージは、
「共和党は道徳心理学を理解しているが、民主党員はできていない」
というとてもシンプルなものだった。
共和党員はこれままで長く〈乗り手〉ではなく、
〈象〉が政治的な態度を決定すると言うことを、
また、〈象〉がどのように機能するかをよく心得ていた。
共和党のスローガン、スピーチ、政治宣伝は、
単刀直入に直観に訴える。
(中略)
それに対して民主党は、〈乗り手〉に訴えようとする傾向が強く、
特定の政策やその恩恵を強調することが多い。〉

、、、作家の村上春樹はトランプ大統領が選挙に勝った理由を、
「ヒラリーは人々の心の『地下一階』に語りかけたが、
 トランプは心の『地下二階』に届く言葉を使った。」
と表現しています。
村上春樹の言っている「地下一階」とは理性のこと、
そして「地下二階」とは情動のことです。

著者のハイト氏は、政治的なアピールを、
5つの「味覚」にたとえています。
〈ケア〉〈公正〉〈忠誠〉〈権威〉〈神聖〉です。
民主党は最初の二つ「ケア・公正」を語ります。
差別のない多様性を認める公正な社会を構成しましょう!と。
一方の共和党は「ケア・公正」を別の言葉で語りつつ、
「忠誠・権威・神聖」についても語っている、というのです。
アメリカなら「アメリカ・ファースト」だとか、
「白人国家のルーツに帰る」とか、
「公の場でメリー・クリスマスと言えるアメリカよ再び!」
などです。

日本もまったく同じですね。
リベラルは「公正・ケア」を語ります。
自民党もそれらを別の言語で語り、
さらに彼らは「忠誠・権威・神聖」を語ります。
「ニッポンを取り戻す!」」
「万世一系の天皇神話」
「神の国・ニッポン」などですね。

ポイントはそれらが正しいか間違っているか、
ではなくて、「より味の種類が多い保守」のほうが、
いまのところ有利だ、という冷徹な事実です。

続けます。

→P449〜450 
〈道徳資本とは、進化のプロセスを通して獲得された
諸々の心理的なメカニズムとうまく調和し、
利己主義を抑制もしくは統制して協力関係の構築を可能にする、
一連の価値観、美徳、規範、実践、アイデンティティ、
制度、テクノロジーの組み合わせを、
一つの共同体が保持する程度のことである。
(中略)
これこそまさに、リベラルの抱える根本的な盲点だとわたしは考えている。
(中略)
つまりリベラリズムは、ときに行きすぎて
あまりに性急に多くの物事を変えようとし、
気づかぬうちに道徳資本の蓄えを食いつぶしてしまうのだ。
それに対し、保守主義者は道徳資本の維持には長けているが、
ある種の犠牲者の存在に気づかず、
大企業や権力者による搾取に歯止めをかけようとしない。
また、制度は時の経過につれて更新する必要が
あることに気づかない場合が多い。〉

、、、保守はなぜ「保守」と呼ばれるかというと、
制度の現状維持を望む派閥だからです。
これは「右派・左派」の語源である、
フランス革命後のフランス議会のころにさかのぼる伝統です。
トランプ大統領の場合「革新的」に見えますが、
「WASP 白人アングロサクソン南部プロテスタント」の、
「伝統的アメリカ人」からすると、
彼らの既得権を守りますよとトランプは言っているわけですから、
やはり「保守」なのです。

いっぽうリベラルは、
「もはや白人国家ではなくなっているアメリカ」を見据え、
それに対応するように平等な社会を実現しましょうよ、と言う。
しかしそこには「道徳資本の食いつぶし」に無頓着だという問題がある、
とハイト氏は言っています。
つまり、「社会を社会として維持しておくための糊」みたいなものが、
もしリベラルの理想を追求すると枯渇して、
社会がばらばらになっちゃう(少なくとも人々はそれを恐れる)
というのです。

一方の右派の盲点は、「現状維持」というのは、
既得権の温存を生み、利権を肥大化させる。
もし「声なき者たち」の抑圧が行き着く所まで行けば、
右派が求めている現状の維持すらままならない、
「革命」(または戦争)に近づいちゃうよ、ということです。

続けます。

→P451 
〈中国哲学における陰と陽は、
外部からは対立しているように見えるが、
じっさいには相互に依存し合う、補完的な二つの事象を指す。
夜と昼、寒と暖、夏と冬、男性と女性は敵同士ではない。
どちらも必要なものであり、
両者のバランスや出現のタイミングは様々に変化する。

ジョン・スチュアート・ミルは、リベラルと保守主義について
「健全な政治を行うためには、秩序や安定性を標榜する政党と、
進歩や改革を説く政党の両方が必要だ」と述べている。

「紀元前600年から現在に至るまで、
哲学者は、社会的な絆を強化したいと考える者と、
緩めたいと考える者の二派に分れてきた。」
と述べる哲学者バートランド・ラッセルは、
西洋哲学の歴史を通じて、
同じダイナミズムが働いてきたことを確認している。

ラッセルは、道徳資本という用語に考え得る限り最も近い言葉を用いて、
両者のいずれも部分的に正しいことを次のように説明する。
「長い歴史を通じて戦わされてきたこれらすべての議論において、
どちらの側にも、正しい面もあれば間違っている面もあることは明らかだ。
社会的な結束は必須の要素であり、人類の歴史の中で、
議論のみによって人々に結束を強いる試みはことごとく失敗してきた。
いかなる共同体も、一方では厳しすぎる規律や、
伝統に対する過剰な尊重によって生じる硬直化の可能性、
他方では相互協力を疎外する利己主義や
個人主義の発達によって起こる社会の解体や、
侵略主義的な他国への服従の可能性という
二つの相反する危険にさらされている。」〉

、、、ここでハイト氏は突然、
「東洋の話」をはじめます。
これは偶然ではありません。
西洋思想全体には、実は「アリストテレス論理学」の影響があります。
これは西洋人のものの考え方の基礎をなします。
そのなかに「排中律」とか「矛盾律」と呼ばれる概念があります。
「Aは同時に非Aではあり得ない」と表現されます。
石が石であるというのは、同時に火であることはあり得ない、
陣内俊がインドにいて、同時に日本にいるといことはあり得ない、
などの命題です。

この土台の上に西洋思想は依って立ちます。
そこに西洋思想の強さもあり、同時に弱さもあることを、
ハイト氏は自覚しているわけです。

どういうことか。

排中律の命題に基づけば、
「保守は同時にリベラルではあり得ない」
という二者択一になります。
「今のアメリカの政治において、
 保守が正しいということは、
 自動的にリベラルは間違っているということだ。
 (逆も真なり)」となります。

この前提で話し合いをすると、
必ずけんかになります。

ところが東洋の考え方は違う。
東洋にはなんと、厳密な「排中律」がないのです。
「AがAであって同時にBである」ということが成り立つ、
(西洋人にとっては)驚くべき世界が東洋なのです。
老荘思想などに顕著ですが、
「死ぬことはつまり生きること、
 生きることはつまり死ぬこと」とか、
「あなたは宇宙であって、宇宙はあなただ」とか、
アリストテレスが口の中のご飯を吐き出してしまうような、
驚愕の論理が展開されます。

ところがそれらはあながち荒唐無稽な話ではありません。
コインには裏と表があります。
コインの裏も、コインの表も、両方コインです。
H2Oは水でもあり同時に氷でもあり、そして気体でもあります。
生きているということは死にゆくプロセスですし、
ある生物の死は、それを糧とする別の生物の「生」でもありえます。
これらの関係を「補完的」と言いますが、
東洋は「補完性」を見つけるのが得意です。

これは中国だけでなく日本もそうです。
「売り手良し・買い手良し・世間良し」
の近江商人の理念もそうですが、
そこには「補完性」あるいは、
「ノン・ゼロサム・ゲーム」の原則が見受けられます。
「ゼロサム・ゲーム」の場合、
売り手が得をすれば、買い手は損する、
買い手が徳をするというのは売り手は損する、
という理論ですが、
「ノン・ゼロサム・ゲーム」の場合はそうではありません。
ハイト氏は、「右と左に分かれた社会の行き詰まり」を、
「東洋的な発想で前に進めることが出来るかもしれない」
と言っているわけです。

「Aか、もしくはBか」ではなく、
「Aも、Bも両方必要」というわけです。

リック・ウォレン牧師の説教を、
私はいつもポッドキャストで聴いています。
彼はアメリカの福音派の教会の牧師ですから、
どちらかというと「保守」のポジションを期待された人です。
しかし(記憶が確かなら)彼はオバマ大統領主催の朝祷会でも、
「国家の祭司」として祈りを捧げた人でもあるので、
保守やリベラルやキリスト教という枠すら超えて、
「アメリカの宗教者」を代表するひとりです。

あるメッセージのなかで彼はこんなことを言っていました。
「私は同じ一週間の別の曜日に、
 一度は最も保守的な雑誌、
 もう一度は最もリベラルな雑誌の取材を受けた。
 ある人々はイライラしながら私に、
 『あなたは右翼(right wing)なのか、
 左翼(left wing)なのか、
 いったいどちらなんだ』と迫ってくる。
 私はいつもこう答える。
 『私は右翼でも左翼でもない。
 一羽の鳥だ
 I'm neither left wing nor right wing,
I'm a whole bird.』と。」

リックの立場も「補完的」ですね。
右派も左派も両方アメリカをよくするために必要なんだ、
というわけです。

私もそう思います。
日本には自民党も必要だし、
立憲民主党も必要なのです。
そのうえで日本を(神の視点で)良くする政策は支持し、
良くしないと思う政策には反対する。
その発言者の派閥は問わない、
という「是々非々」のスタンスが、
私が自らの信仰から導き出す、
自分の政治スタンスのあり方でもあります。

最後の引用に行きます。

→P477 
〈道徳は、人々を結びつけると同時に盲目にする。
「それは反対陣営に属する人々のことだ」
と思う人もいるだろうが、そうではない。
私たちは皆、部族的な道徳共同体に取り込まれてしまうのだ。
一つの神聖な価値観の回りに肩を組んで集い、
なぜ自分たちはかくも正しく、
彼らはいかに間違っているかを説明し、
合理化する議論を繰り返す。
私たちは、異なる見解を持つ人々が真理、理性、科学、
常識に対して盲目だと考えたがるが、実のところ、
自分たちが神聖とみなす何かに話が及ぶと、
誰であれ目がくらんでしまうものなのだ。
(中略)
道徳は、人々を結びつけると同時に盲目にする。
それは、自陣営があらゆる戦いに勝利することに
世界の運命がかかっているかのごとく争うイデオロギー集団に、
私たちを結びつけてしまう。
そして、どの集団も、とても重要なことを言わんとしている
善き人々によって構成されるという事実を、
私たちの目から覆い隠してしまうのだ。〉

最後に著者は、「道徳は人々を盲目にする」と警告します。
「道徳」を、「自らが感情的に結びついた政治派閥」と言い換えても、
だいたい同じ事です。

同じ政治的意見を持った人は、
簡単に「クラスター化」します。
「玉(ダマ)」になって殻に閉じこもり、
その殻の中から別の殻の人々を、
「あいつらは頭がおかしい」と攻撃しあうのです。

日本の(たぶんアメリカでも)ネット掲示板で、
まさに起きていることですね。
右派は左派を「パヨク」とののしり、
左派は右派を「ネトウヨ」と悪口を言う。

しかし先ほどの「whole bird」を思い出してください。
左右の両極端に分かれてお互いにののしり合っている集団が、
果たしてよりよい国として前進できるでしょうか?
右の翼と左の翼が互いにけんかしている一羽の鳥は、
果たして大空に羽ばたけるでしょうか?
望みは「薄」です。

私達はお互いの「象」に影響を与え合う必要があります。

著者のハイト氏たとえば、
ワシントンDCでの政治対立の深刻さと、
その「没交渉」が全米に行き渡ってしまっている事実を指摘し、
首都において議員が家族ごと一緒の居住区に住むなどの
工夫が必要だと説きます。
「お互いに顔を合わせる必要がある。
 そうすれば反対陣営の人も、
 『自分と同じぐらいアメリカを愛している人間なのだ』
 という当たり前のことが分かる。
 それがとても重要なのだ。」と。

別にワシントンDCでなくても、
もっと卑近な例に引きつけるなら、
「自分と反対の政治的立場を持った人とご飯を食べ、
 語り合う」ことが大切です。
それは怖い体験かもしれません。
しかし「相手は自分と同じぐらい真摯な気持ちで、
自分と反対のことを信じているのだ」という認識のもとに、
相手の意見を聞いてみることが大切です。
その場合、自分の「象の乗り手」(理性)から、
相手の「象の乗り手」(理性)への、
コミュニケーションにならないことが大切です。
その逆もまたしかりです。
デイヴィッド・ヒュームが指摘したとおり、
「相手の感情に訴えかけない説得は相手を変えない」のです。

相手の内在的論理について勉強したうえで、
相手の感情の何がそれを支持させているのか?
「象の声」を聴くことが大切です。

これは二つ目の質問の答えになりますが、
だから私がもしアメリカに住んでいて、
トランプ大統領の熱狂的支持者と対峙したらまずは、
「同意を得られるか分かりませんが、
 私は右派も左派も両方アメリカに必要だと思っています。
 あなたはトランプ大統領はどんな点で、
 アメリカをよくしてくれると考えていますか?」
と聴くと思います。

その上で、
「メキシコ人を追い出してくれることだぜ!」
と彼が言ったとしたら、
「メキシコ人がいないほうが、
 アメリカは住みよくなるということですね。
 ということはアジア人の私も出て行ったほうが良いのでしょうか、、、」
みたいに会話が進むかもしれません。

ここまで読んできておわかりのように、
私は相手を「説得」することは出来ないでしょうし、
(そもそも最初からそんなことは望んでいません)
相手に何の影響を与えることも出来ないかもしれません。
きっと、「合意形成」は難しいでしょう。
というよりこの手の会話の目的は合意形成ではありません。
最後に「我々は違う。」という相違の確認になる会話、
というのも世の中にはあり、それも大切な対話です。

しかしその会話のなかで、
「自分の象(象の乗り手ではない)」も開示する勇気をもって、
正直に真摯に相手に向き合うなら、少なくとも、
相手に「メタメッセージ(言外の情報)」が伝わります。
それは「リベラル派のコイツも、
一応真摯にそれを支持しているのだな」ということです。
私も彼との会話の結果、
「彼と私の意見は違うが、
 彼が真摯だということは分かった」
となります。

これが最も大切です。

ネットでは絶対にこれは起きません。
ネットは「乗り手」と「乗り手」の会話だからです。
そこには情動のやりとりはなく、「象」の出会いは起きません。
リアルな立ち話やコーヒーショップでのみ、
お互いの「象」がふれあうことが出来るのです。

そしてそのふれあいは、
「社会の分断」に小さくても一石を投じるものになります。

ハイト氏は本書の最後に、
自由民権運動のときキング牧師らと共に運動に関わった、
ロドニー・キングの言葉を引用しています。
「黒人と白人が一緒に手を取り合って生きていくのは、
確かに非常に困難かもしれない。」
しかし、それでも、、、とロドニー・キング氏は言いました。
「誰もが、ここでしばらく生きていかなければならないのだから、
やってみようではないか。」

私達はいくら右派が嫌いでも、
右派のいない世界に脱出することは出来ませんし、
いくらリベラルが嫌いでも、
リベラルのいない世界に脱出することは出来ません。
「だれもが、ここでしばらく生きていかなければならない」のです。
だとしたら、一緒にやっていこうではないか、ということです。

あと、最後の最後にちゃぶ台返しのような話を一つ。
「男と女の違い」は、「保守とリベラルの違い」よりも、
もっともっと、もっと大きなものです。
多くの夫婦がそれを乗り越えて手をつなぎ合っているのだから、
私達が社会で「右派と左派の違い」を乗り越えて、
協力できない理由はありません。
希望を持ちましょう。



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【Q】夫婦のデボーションはどうしてる?

2018.05.30 Wednesday

+++vol.042 2017年12月12日配信号+++

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■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
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●【Q】夫婦でのデボーションはどうしてる?

ラジオネーム:ショウ(男性)
お住いの地域:静岡県

Q.

俊さん
いつもメルマガ配信していただき、ありがとうございます
毎週考えさせられながら読ませて頂き、
またメルマガが来ると もう1週間経ったのかと
忙殺されている日々も思い、内省してます

今週のメルマガで、ひとまずお休みとの事
それを聞き、お休み前までに是非聞きたいと思い、
また質問させて頂きました。

サロンの方も、興味ありますが。
ついでに言うと、世に弟子も行きたったです、、、
以前 結婚前のアドバイス について回答頂き ありがとうございました
教えていただいた本を読み、あーほんと自分勝手だなーと2人で話し、
そしてよく2人で祈るようになってます
俊さんのアドバイス 本当にありがとうございます

もう一つ教えていただいたのですが
俊さんは デボーションはどのようにしているのでしょうか
ブログの方に デボーション記事が上がっていますが、
僕は毎回あんな考察は出てこないです、、、
それに夫婦として、2人で行う時などのアドバイスもあれば嬉しいです
お子さんが生まれ、なかなか夫婦2人で
ゆっくりデボーション行うのは難しくなっているかも知れませんが、
俊さんの考えなど 聞かせていただければ嬉しいです


A.

ショウさん、ご質問ありがとうございます。
「よにでしセミナー」は次いつやるんですか、
というのは個人的に何人からも聞かれていますし、
すでにFVIに一件、お問い合わせいただいています。
次回開催の「よにでしセミナー」は、
2018年11月23〜24日(金・土)に、
札幌で開催予定です。
今から予定が開けられるようなら、是非ご検討ください。

「読むラジサロン」のほうも、
初回は試験的な内容になると思いますが、
新しい形の「学習する共同体」の形成を目指しています。
Evernoteのチャット機能を使って、
様々な交流や情報交換が出来る特別な場所になれば、、
と期待しています。
近日中に申し込み受付を開始しますので、
そのときには是非。

結婚前に祈る習慣を持つというのは、
本当に素晴らしいことだと思います。
私の周囲を見渡しても、
「一緒に祈る夫婦」というのは強いです。
「三つ撚りの糸は切れない」と箴言に書いてある通りですね。
自分と、相手と、イエス様ですね。

、、、で、ご質問の件に関してですが、
この答えは「ひとつ」ではないんですよね。

と申しますのも、
私たち夫婦は2012年に結婚してから、
そのデボーションや祈りの在り方を、
何段階かに分けて変えてきたからです。

それも、「じゃあ、今日からはこうしようか」
というような明白な節目があるわけでなく、
シームレスに、状況に合わせて、
形を適用させてきた、というのに近いです。

順を追ってご説明しますと、まず第一期。
これは2012年から2013年までの2年間。

この期間は、けっこう毎日、
朝、一緒にデボーションのときを持っていました。
方法論としては「3ポイント法」を使っていました。
どうやっていたかと言いますと、
最初にまずどちらかが祈ります。
創世記から初めて、1章(またはそのの半分)ぐらいを、
交互に一節ずつ読みます。
、、、で、その一節に対して、
「3ポイント」のいずれかを指摘します。

1.Question 疑問・質問
2.Arrow 弓矢(心に刺さった)
3.Light 電球の光(新たに何かを発見した)

この3つのいずれかがあるなら、
それについて分かち合います。
なければ、次の一節に進みます。

このとき、どちらかがどちらかに教える、
ということはタブーです。
それ以外なら何を分かち合っても良い。

「疑問・質問」は、たいてい脚注の引用を辿っていくと、
「聖書が聖書を説明してくれ」ます。
「光」は、「この箇所は今までこう思ってたけど、
実はこういう意味があることを今発見した!」という内容を、
「弓矢」は個人的な気づきのなかでも、
特に自分の生活態度や最近したことに関して、
神の意図に反していたなぁという、
「conviction(罪の自覚)」を分かち合います。
あまり長い箇所をやらなければ、
だいたい20分ぐらいで終わります。

さらに、この時期は朝ご飯を食べるときに、
「祈りのカード」というものを利用していました。
これは私の自作カード「質問カード」と、
宮古島の教会の早天祈祷会に着想を得たもので、
100枚ぐらいあるカードのそれぞれに、
「お互いの両親のために祈る。」
「○○教会のために祈る。」
「●●くんの結婚のために祈る。」
「俊の家族のために祈る。」
「友達の△△さんの病気の癒やしのために祈る。」
「日本の政治家のために祈る。」
などと、とりなしの祈り課題が書いてあります。
それぞれに一枚ずつ引いて、
一言ずつそれについて祈ります。
全部で3分もかかりませんが、
ゲーム性もあるので楽しみながらできます。

、、、この二つの組み合わせが、「第一期」。

第二期は私が病気になっていた、
2014年〜2015年まで。

この時期は私は祈れませんし、
デボーションも出来ていませんから、
妻が「俊くんの分も祈ってるから大丈夫」と、
私の代わりにデボーションしてくれていました。
私はいっさい何もしていません。
分かち合いをしようと思っても混乱してフリーズしてしまいますし、
聖書を開くことは恐怖以外の何者でもありませんでしたから。
カウンセラーにも聖書は読まないように、と言われていましたし笑。

第三期は私が回復した2016年から現在です。
この期間は私は毎朝ひとりでデボーションを持つようになりました。
方法論は、燃え尽きと鬱を経験した牧師、ウェイン・コデイロ師の、
「あなたを導く神様の個人レッスン」という本に準拠しています。

▼参考リンク:「あなたを導く神様の個人レッスン」ウェイン・コデイロ
http://amzn.asia/aQAA9ym

厳密にはこれと違いますが、
毎朝私は1章の聖書を読み、
そこから学んだことをEvernoteに記録し、
そしてタイトルをつけ、
何ヶ月か後に自分のブログにアップロードしています。
(アップロードする理由はデボーションを、
 習慣化するための「外圧」が90%、
 「誰かが読むかもしれない」が10%です。)

正確な手順を申しますと、
私のEvernoteには「祈りの記録」というノートブックがあり、
そこに「祈りのカテゴリ」のノートが現在87あります。
それぞれにテーマがあり、
だいたい3〜10ぐらいの項目が羅列されています。
「仕事」がテーマならば、
1.自分の仕事が社会の役に立つように
2.仕事を通して良い出会いがあるように
3.チームワークのため
4.それを通して自分が成長できるように
5.仕事を妨害するものから守られるように
などの項目があります。
(これはあくまで「参考」です)

私は毎朝タブレットの「タイマー機能」を使って、
このひと項目に1分を目安に祈ります。
5項目ある場合は7分に設定し、
最初の1分は神への感謝の時間、
最後の1分は主の祈りの、
「試みに遭わせず、悪から救って下さい」を祈ります。
間の5分に、5項目をそれぞれ1分ずつ祈ります。
声に出すことも出さないこともあります。

次に、タイマーを15分に設定します。
その15分で、先ほどの1章の聖書を読み、
Evernoteに記録する、というのをやります。
そうすると平均で2分〜4分、時間が余ります。

余った時間は「聖書の暗記」に使っています。
毎日3分ずつ使うと、
だいたい5つの聖句を覚えるのに2週間から1ヶ月かかります。
こうして私はこの2年で、95個の聖書箇所を暗記しました。

この「祈り」と「聖書」のルーティーンに、
だいたい全部で25分〜30分使っています。
、、、で、ブログにデボーションをアップするようになって、
この「履行率」は飛躍的に高まり、
2013年までの私は良くて7割、低いときは3割ぐらいだったのが、
98%から99%にアップしました。
「外圧」のおかげです。

チリも積もれば山となる、
という言葉がありますが、デボーションというのはまさにそれで、
私が一日10分祈ったとしたら、
1年間では3650分、つまり、
約61時間、まる2日半、寝ずに祈り続けているのと同じですし、
聖書を15分毎日読んだというのは、
1年にすると5475分、つまり、
約91時間まる3日半寝ずに聖書を読み続けたのと同じです。
これを一生続けたらどれぐらいの差が生じるかと思うと、
ものすごいことです。

妻は私とは別にデボーションをしていまして、
「デイリーブレッド」という小冊子を、
宣教団体から取り寄せて(お金を払って)、
それをベースに聖書を読み、お祈りしています。
ちなみに、お祈りしている妻は一番素敵です。
女性というのは、祈っているときが一番美しいのです。

さらに、「第三期」になって、
大切になってきたのは、
「MT(マリッジタイム)」と私たちが呼んでいる習慣です。

これは2012年に札幌で学ばせていただいた、
「マリッジコース」という、
クリスチャンの夫婦のためのセミナーで学んだもので、
私の人生で学んだ最も価値ある教えのひとつです。

原則は簡単で、
定期的に(本当は週に一回)、
夫婦でお互いの心を分かち合う時間を持つ。
それだけです。

これは「第一期」から続けていたのですが、
最初毎週だったのが途中私の病気で中断し、
それから再開して、2週間に一回になり、
今はだいたい1ヶ月に一回ぐらいのペースに落ち着いています。

このときに私たちは、
「最近自分が感じていること」や、
「最近教えられていること」を分かち合い、
向こう1ヶ月のお互いの予定を確認し合い、
二人が関わることはどうするかを相談します。
最後に、それぞれ、
「自分の祈り課題」と「共通の祈り課題」を、
1分ぐらいかけて考えて、
それらを分かち合います。

そうすると、二人とも、
1.自分の祈り課題
2.配偶者の祈り課題
3.共通の課題
という3つのカテゴリで、
箇条書きにされた祈りの課題が仕上がります。
私はそれをEvernoteに記録し、
妻はそれを手帳に書きます。

そしてそれぞれのデボーションの時間に、
私たちはそれを祈るわけです。
「夫婦で同じ内容を祈っている」
ということは、非常に大切なことだと、
私はますます強く思うようになっています。
自分がどこか他の場所で奉仕していても、
妻が祈ってくれている、という安心感がありますし、
私が出張中でも、妻が今何に悩んでいるか知っていて、
それについて祈ることが出来ますから。

子どもを授かってからは、この重要性はさらに増しています。

、、、で、
ショウさんもご指摘されているとおり、
子どもが授かると、当然授かる前のように、
「さあ、明日は近所のカフェに行ってMTしようか」
というのは難しくなります。
しかし生まれてから3ヶ月、コンスタントにMTを持てています。
先日は子どもが寝た隙をねらって、
「ささっと手際よく」20分ほどでMTを完遂しました。

私たちはMTをするときは(心理的には負荷がないわけでなはいので)、
「インセンティブ」を作るために、
近くのカフェに行くとか、それが無理な場合は、
コンビニのスイーツを買ってきて、
珈琲を淹れて、ちょっと楽しい時間にします。
そうやって「デート要素」を加えることで、
義務的なマンネリになることを避け、
「またやりたいなぁ」と思うようにするわけです。

、、、あ、あと、「祈りのカード」も健在です。

今も食卓にカードは鎮座しており、
時々思い出したように「久しぶりにやりますか?」
という感じでカードを引き、一言ずつ祈ります。

、、、結構長々と書いてきましたが、
結論を言えば、夫婦のデボーションというのは、
「体系化できない」というのが本当なのではないかと思います。
これまでも状況が変わるのに応じて変えてきましたし、
これからも何度も変わることがあるでしょう。

「第一期」のところで分かち合ったことからも分かるように、
私たち夫婦は最初、大阪でいうところの、
かなり「イキって」いました。
気合いが入っていたのです。

三浦綾子さんや三浦光世さんの伝記を読むと、
「5時半に起きて、朝食前に6時に二人で聖書を開き、
 そして1時間ほど聖書を分かち合って祈り合ったのでした」
みたいのが出てきて、それを目指しちゃうわけです。
志が高いのは良いことですが、多くの場合それを続けるのは困難です。

むしろ、ひとつの原則をもって、
柔軟に対応できるようにしておいたほうが強い、
と今は思うようになっています。
特に子どもが産まれたり、仕事の内容が変わったり、
引っ越したり、誰かが病気になったり、
予測不能な事態に対処し続けるのが「人生」ですから、
たいせつなのは「可塑性」だと思います。
「ダイヤモンドのように固い意志と確固たる習慣」よりも、
「粘土のように柔軟に対応できる習慣」のほうが強い、
と私は思うように変わってきました。

、、、で、そのような「可塑性の高い習慣」を身に付ける場合、
ふたつの「姿勢」を私は大切にするようにしています。

ひとつめが「引き出しの数」です。
ご紹介してきたように、
「キッチンタイマー法」、「Evernote」、
「祈りのカード」、「MT」、「3ポイント法」など、
私は様々な「ひきだし」を持っています。
きっと世の中にはまだまだ沢山の「祈るためのメソッド」があるはずで、
それらを今後も仕入れ、そして自分用にカスタマイズし続ける所存です。

これは野球のピッチャーで言えば、
「球種が多い」ということであり、
そうすることで状況が変わったときにも対応しやすくなります。

「大声で祈る」という一種類しか祈りができない人は、
大学の寮に入寮したら、その習慣を続けるか、
「変人のレッテル」を貼られるかしかありませんが、
祈る方法を「静寂の祈り」「神に手紙を書く祈り」
「優れた祈祷文を読むという祈り」「絵を描くという祈り」など、
いろんなバリエーションで持っていればその人は環境の変化に対応できます。

ふたつめの「姿勢」は、「楽しむ」ということです。
「祈りのカード」に代表されるように、
私は何か習慣を作るとき「遊び心」を忘れないように意識します。
それは私がきわめて自堕落で怠け者な性格であることを、
よく自覚しているからです。

なので、
「入り口がつまらないけれど、
 やれば楽しく、その果実は大きいこと」を、
習慣化するときには必ず、
その行動と「快」を感じる何かを混ぜ合わせるのです。
「祈りのカード」ならばその短さとゲーム性であり、
「MT」ならばコンビニのデザートと美味しい珈琲です。

、、、と、ここまで書いてきましたが、
けっこう大事なのは「夫婦で霊的な事柄を分かち合う」というための、
ボトムラインがありまして、二人がそれぞれ、
「一人で神との時間を持つ習慣」
を持っているということです。

もし私がキリスト教徒でない人、
もしくはデボーションの習慣を持たない人と結婚していたら、
今、私は毎朝聖書を読んで祈る習慣を持っていないと、
自信をもって言えます笑。

たしか来年の3月とおっしゃっていたと記憶していますので、
ご結婚までもうすぐですね。
良い備えをして、
素晴らしい結婚生活のスタートを切られるように、
心よりお祈りしています。
結婚「式」も、結婚「生活」も両方、
素晴らしいものになりますように。




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【Q】安息日を守るとは?

2018.05.24 Thursday

+++vol.041 2017年12月5日配信号+++


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■3 Q&Aコーナー

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●【Q】安息日を守るとは?

ラジオネーム:そら(女性)
お住いの地域:栃木県

A.

初めまして。
毎回火曜日の配信を楽しみにしています。
「情報化社会における信仰者の生き方」という
先生のyoutubeをみさせていただきました。
本当に情報が多い時代にクリティカルになることって大切ですよね。
異端かどうかを定める判断を
「私をイエス様に似せるか」どうかであることも納得しました。

ただ、なおも私を混乱させているのは、
海外に住んでいた期間に土曜礼拝の教会に通っていたことがあり、
安息日(土曜日)を守るという体験をしました。
日本では守ることはできていないのですが、
安息日を守ることは祝福であると実感しました。

実際に安息日を守ることはイエス様がしていたことですし、
もちろん守れないから救われないという律法主義に
至ってはいけないと注意を払っていますが、
クリティカルに考えた上でも
やはり安息日を守ることは異端だとは思いません。
また、安息日を守りたいと思いつつ、
自分の通っている日曜の教会を変えたいとは思いません。
先生でしたらどうお考えになりますか?


Q.

そらさん、ご質問ありがとうございます。
そしてYouTube動画を観ていただきありがとうございます。
(私は非常に限定された空間以外では「先生」ではないので、
 どうぞ、陣内さんとか俊君とか、
 キミとかお前とか、そう呼んでいただけたら感謝です笑。)

▼参考動画:「情報化社会における信仰者の生き方」
https://youtu.be/QjLVHvaXmDA

、、、で、ご質問の件ですが、
私は按手礼を受けたキリスト教の正式な教職者ではない、
つまりいわゆる「キリスト教の先生」ではないという前提の上で、
あくまで「公式な見解」としてではなく、
いち信仰者として、私が安息日についてどう考えるか、
ということを語らせていただきます。

ご質問を拝読させてえいただいて、
まず「整理」する必要があると感じました。

それは、そらさんが、
「安息日を守る」という言葉で意味しているものと、
私が普段「安息日を守る」というときに意味しているものが、
もしかしたら違うのかもしれない、ということです。

文章から拝察するにそらさんは、
「土曜日に教会で礼拝を捧げる」
ことを「安息日を守る」という言葉で、
意味しているように思われます。

私にとって「安息日を守る」というのは、
「週に一回、完全に心身を休める日を設ける」ことを意味します。
それは「教会での礼拝」とは関連がありません。
つまり「安息日」という概念と、
「教会で捧げる礼拝」という概念は、
別のものだと私は認識しています。
(異論・反論は受け付けます。)

しかし私がそう考えるのには理由がありまして、
十戒に記されている「安息日(シャバット)」は、
ユダヤ教では土曜日のことです。
正確には金曜日の日没から土曜日の日没までです。
メシアニックジューといわれる人々のなかには、
「ユダヤ教からキリスト教に改宗した」のではなく、
「イエスを信じるようになったユダヤ教徒」という、
アイデンティティを持つグループがあります。
(私たちが「パウロは(私たちが考えるような意味で)クリスチャンだ」
というのは実は時代認識の捨象がもたらす誤りで、
ユダヤ人であった使徒たちやパウロも、
このアイデンティティに近かったと信じています。)

、、、で、とにかく「安息日」というのは、
いかなる意味においても「土曜日」なのです。
キリスト教徒が「安息日は日曜日だ」と言ったとしたら、
それは事実誤認か、もしくは定義の誤りです。
聖書に「日曜日が安息日だ」と明確に読める記述は、
どこにもないですから。

では、なぜ日曜日にキリスト教会はミサや礼拝を持つようになったのか。
2つの理由があります。
ひとつは、原始教会がシナゴーグに共に集まり主を礼拝したのが、
「主の復活の日」だったということ。
イエス様が十字架にかけられたのが金曜日、
その最初の安息日の次の日が復活の日ですから、日曜日です。
彼らは主の復活を覚えて、
日曜日にパンを割き祈りをし礼拝していました。
これが多くのキリスト教会が、
日曜日を「聖日(安息日ではない)」と定義している、
理由のひとつです。

もう一つの理由は歴史的で政治的です。
コンスタンティヌスがキリスト教をローマ帝国の「国教」としたとき、
その礼拝の儀式を異教の人々の生活様式に合せる必要があったからです。
「ミラノ勅令」が出された時点でローマ帝国の全人口に占める、
キリスト教徒の割合は1割〜2割と言われていますから、
まだ「マイノリティ」なのです。
当時、ローマ帝国の多くの人々は太陽神を崇拝しており、
日曜日に太陽神に礼拝を捧げていました。
ローマ帝国の公式な国教にキリスト教を導入するにあたり、
スムーズに人々が適用できるように、
キリスト教の公式の礼拝の日を日曜日と定めました。
ちなみに日曜日は「Sunday」ですが、
この「Sun」の語源は太陽神です。

さらにさらに。
なぜプロテスタント教会の日曜日の「朝」なのか。
日曜日の夜でも、夕方でも良かったのではないか?
それは、アメリカの歴史と関係があります。
アメリカはピューリタンと呼ばれるプロテスタント教徒が建国しましたが、
彼らの多くは農家でした。
小麦を栽培したり牛を飼ったりしていたわけです。
そして西部を開拓する旅を続けながら所々に小さな街を形成しました。
その街の求心力というか、中心にあるフォーカスは教会でした。
、、、で、農作業に休日はないですから、
農夫は教会で礼拝を捧げた後に農作業に出かけるために、
あるいは朝の搾乳作業と午後の作業の間に礼拝できるように、
「朝10時」になった、という説が有力です。
日本のプロテスタントはアメリカ経由で伝わっていますから、
その影響を強く受けた日本の教会の多くは、
「朝10時」を踏襲している、というわけです。

、、、こう観てきますと、
「日曜日の朝10時」に特段重い宗教的意義が、
あるわけではないのが分かります。
(主の復活を祝う、という意味はもちろんありますが、
 それは毎日祝えば良いわけです。)

むしろ宗教的意義が重いのは土曜日のほうです。

間違っていたらすみませんが、
おそらくそらさんが海外で行っていたという教会は、
セブンスデーアドベンティストの教会だったのではないかと拝察いたします。
私も立川のセブンスデーの教会の建物に入ったことがありますし、
荻窪のセブンスデーの衛生病院にも、
家族や身近な方が多くお世話になっています。

、、、で、
セブンスデーアドベンティストの公式ホームページを観ますと、
こう書いてあります。

〈セブンスデー・アドベンチスト教会(以下アドベンチスト教会と略す)は、
聖書主義に立つキリスト教・プロテスタントの教会です。
アドベンチスト教会は、
聖書に示されている神の愛による救いを全人類に伝え、
その愛を、人々の必要に応えるさまざまな活動を通して
実践しようとしています。

アドベンチスト教会の名称の由来ですが、
「セブンスデー」とは、「第7日」の意味で、
これは週の第7日である聖書の安息日を
聖日として守る教会であることを表しています。
また「アドベンチスト」とは、聖書の重要な教えである、
キリストの再臨(アドベント)を待望する人々を意味します。
そのほかにも、アドベンチスト教会を特徴づけるいくつかの教えがあります。
その教えは多くの点において、プロテスタント諸教会と共通しています。〉

私はプロテスタント教徒として、
上記の記述に関してだけ言えば、
いかなるポイントにも「引っかかりません」。
ですので、土曜日に主を礼拝することは、
まったくもって素晴らしいことと思います。

先に挙げたメシアニックジューの会衆の、
土曜日(シャバット)に行われる礼拝にも参加したことがありますが、
私はとても素晴らしいものだと思いました。

、、、ではなぜ、
私は日曜日に教会で行われる礼拝に(健康や状況が許す限り)、
極力参加しようと思うのか。

、、、それは私が「教会とは共同体である」ことを信じているからです。
共同体としての教会は、キリストの身体として、
「共にパンを割き、共に祈りをし(使徒2章)」とあるように、
儀式や礼拝や献金や聖書の学びや分かち合いや、、、
そういったものを極力保つ必要があると考えています。

、、そして、都合、現行の日本の多くの教会は、
日曜日の朝に最も多くの人が集まっています。
ですから私は「交わり」のために、
できれば日曜日に教会に集いたいと考えているわけです。
人はひとりで神を信じることはできませんし、
ひとりで歩むことはできませんから。

ここまでいっぱい書いてきましたが、
私は「神学論争」にあまり大きな意味はないと考えています。
「神学的に正当かどうか」を延々と議論するのは私の仕事ではないし、
私の関心でもありません。

むしろ大切なのは、
「神は御言葉を通して何を意図されたのか?」
といういわば「大意」をくみ取ることです。
惑星で言えば「自転の正確な把握」ではなく、
「その惑星がどこに向かっているのか」という、
「公転」の大きな方向性をつかむことです。

2016年に私が読んだケン・シゲマツ師の
「賢者の生活リズム」は、
キリスト教徒として生きることの全体を、
神はどう願っているのか、という大意をつかむうえで、
非常に有益なテキストでした。
シゲマツ師は縦軸に3本、横軸に3本の格子(トレリス)を意識しながら、
キリスト教徒としての生活を構築することを提案しています。
非常にバランスが取れているので紹介します。

縦軸(基礎)
・安息日
・祈り
・みことば

横軸
・関係
・回復
・みことばの実践

、、、先ほど私が「日曜日に教会の礼拝に参加する」
といったときに挙げた理由は上記の6つの要素のなかの、
「祈り・みことば・関係・みことばの実践」に関わることであって、
なんと「安息日」とは無関係です(!)。

シゲマツ師も本書で語っていますが、
キリスト教徒にとっての「安息日」の大意とは、
「心と体をリフレッシュし、
 落ち着いて神に聴けるような24時間を、
 生活リズムの中に組み込む」ことです。

私はキリスト教関係の仕事をしていますから、
日曜日は多くの場合一番忙しいです。
日曜日はまったく「安息日」を守っていません。
(ケン・シゲマツ師もそう言っています。)

牧師にとって安息日を守るとはですから、
(土曜日も説教の準備で大概忙しいですから)、
土日以外の1日を、心と体と霊をリフレッシュするために、
「取り分けておく」ことです。
その24時間はぜったいに仕事をしないし、
仕事の依頼が来ても引き受けないと決意することです。
そしてその日に、何か活動的にがつがつ動き回るのでなく、
自分の心身がいちばんリラックスできることを、
家族とともにすることです。

膨大な量の研究結果が、
「人間は週に1日完全に休んだ方が、
 そうでなかった場合に比べて、
 心身は健康になり、
 こなせる仕事の量も増える」
ということを裏付けています。
休まないよりも、休んだ方が仕事は早く進むのです。
こんなことは研究しなくても、
神様は知っていたわけです。
なんたって、人間の創造者ですから。
「人間は休まないよりも、
 休んだほうがパフォーマンスが上がる」と。

今更医学が「人間は休んだ方が生産性が高まる!!」
と言っているのはですから、「何をいまさら」という話で、
科学が「人間のデザイナー」に追いついてきただけです笑。

▼参考リンク:「賢者の生活リズム」ケン・シゲマツ
http://amzn.asia/hLo4Xtg

、、、というわけでいろいろ書きましたが、
そらさんの今の態度を神様は喜んでいらっしゃるのでは、、、
と私には読み取れました。
というのは、様々な「信仰上の」といいますか、
「教義上の」といいますか「神学上の」葛藤を、
人は抱えながら信仰しています。
それが全くないという人は信仰のダイナミズムが失われている、
ということかもしれませんからむしろ、
不安になった方が良いかもしれません。

、、、で、そういった「教義上の」葛藤において、
私は一番避けるべきは「教条主義」であり、
一番求めるべきは「愛」だと思うわけです。

イエス様も「安息日に仕事をしてはならない」
という教条主義を突きつけられたとき、
病人を癒すという「仕事」をなさり、
「安息日にすべきは良いことなのか、それとも悪いことなのか?」
と自らの糾弾者たちに反駁しました。
そして言いました。
「安息日が人間のために作られたのであり、
 人間が安息日のために作られたのではない」と。

これほど明快な回答はありません。
「教義が人間のために作られたのであり、
 人間が教義のために作られたのではありません。」
そらさんの信仰の歩みがどうか、
実り豊かなものでありますようにお祈り申し上げております。



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【Q】使徒パウロの思想とは?

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
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※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】使徒パウロの人生を知るには?

ラジオネーム:ターコイズブルー(女性)
お住いの地域:愛媛県

Q.

陣内さん、こんにちは。
今までにも何度か質問に答えて頂きましたが、また質問させてください。
私は、プロテスタント、カトリックに関わらず、
教会に行きたくてもなかなか行く機会を作れず、
独学で聖書やキリスト教の勉強をしていますが、
パウロの言葉にとても惹かれます。
間違って学んでいたらすみませんが、死と復活の概念、
また、信仰による生き生きとしたエネルギー、
信仰希望愛の秘儀の教えなどなど、読んでいて、
「ものすごく深いのに身近で役に立つ言葉」に、
ハッとしますし、また私も生活を頑張ろう、と、勇気付けられます。

そんな訳で、質問の趣旨は、「パウロ読本」的な
お勧めの本がないか、ということなのです!
パウロをここまで変えた(ユダヤ教徒からキリスト教徒へと)、
イエス・キリストの教えの真髄のようなものから、
パウロの人生が読み解けるような本があれば、
少しずつ読み進んでとても役立てられると思います。

楽あれば苦ありな生活を、
誰もが送っていると思いますが、
私にとって今一番心に響くのは、
祈ることや神様に依り頼むことなので
(そして前述のようにパウロが好きです)、
ぜひともよろしくお願いします。


A.

ターコイズブルーさん、
以前も、読書や名言について、
ご質問下さいましたね。
今回もご質問、ありがとうございます。

使徒パウロについてのお勧めの読本、
ということですが、正直なところ、
「脳内検索」をしてもヒットしませんでした。
そして、「使徒パウロの思想」を知るのにはこれが良い、
という代表的な著作についても、私は寡聞にして知りません。
誰か知っている人がいたら教えて下さい笑。

おそらくそれには理由があって、
パウロという人はその思想を把握するには、
人類に与えた影響があまりにも大きすぎるからではないかと、
私は思っています。

純粋に宗教史的に語るなら、
キリスト教の「教祖」はイエス・キリストですが、
その「開祖」はパウロであり、
これに異論を唱える歴史家はいません。
これはギリシャ思想の「始祖」はソクラテスだけれど、
その「開祖」はプラトンなのと同じです。

実際イエス・キリストという人は(ソクラテスもそうですが)、
自ら「書いたもの」をいっさい残していません。
「イエスの人生と口述によるメッセージ」という一次情報を、
口承で伝えた弟子たちによる「1.5次資料」があり、
それを最初に「包括的に体系化した」のがパウロでした。
それのみならず、
パウロは復活のイエスと直接に邂逅しています。

さらにパウロは当時の世界で五本の指に入る知識人であり、
ユダヤ教のとりわけ熱心な派閥の有望な若手指導者でもありました。
そういった特殊で多様な背景が、
「パウロのキリスト観」を形成し、
その言説が普遍性と伝達性の高さを獲得したわけです。

パウロが人類にもたらしたものは甚大です。
甚大すぎて、語りえないわけです。
あまりに大きなものを、人は語る事ができませんから。
「象を触る複数の盲人の話」という比喩がありますが、
私たちに出来るのはせいぜい、彼の思想を、
「これは柱のようなものだ」
「これは壁のようだ」
「これは絨毯のようだ」
「いや、ホースのようなものだ」
「いやいや、綱引きのロープだ」
と手探りすることぐらいです。
パウロの思想を一息で把握することは不可能で、
「象を触る盲人たち」のように、
延々と議論をするので精一杯なのです。

数ある歴史の「もし」の中に、
「もしパウロがいなかったら」というのは、
最大の「もし」の一つです。

それを考えることにさほど大きな意味はないのですが、
「もしパウロがいなかったら」、
キリスト教はキリスト教ではなかった可能性が大きいです。
おそらく現在、カトリックもプロテスタントも世界に存在しません。
今キリスト教として知られる宗教は、
「ユダヤ教のセクトのひとつ」として、
ローマ帝国の中で点々とくすぶり、
やがてユダヤ教の主流派に圧殺されていた可能性が高い。
パウロがいなければ2000年後の現在、
キリスト教は残っているかどうか分かりません。
つまり、キリスト教という、
「ユダヤローカルなセクト(当時)」を、
現在の「ユニバーサル(普遍的)」な宗教に変容させた張本人が、
パウロなのです。

念のため付言しますと、
これは信仰者としての「(不)信仰の表明」ではなく
冷静に「歴史」というものを分析した、
仮説形成にもとづく推論です。
そして、歴史は結果主義ですから、
「仮説」に意味はありません。
私の信仰は「キリストの教えは真理だ」、
というところにありますのでご安心を笑。

、、、というわけで、
パウロについては、私の力量を超えます。
ターコイズブルーさん、すみません。
今の私にはこの質問は回答不能です笑。

ただ、ターコイズブルーさんのおっしゃる、
使徒パウロの生き方やその言葉に深く励まされ、
人生を鼓舞されているのは私も同じです。
そして使徒パウロへの興味を私は、
ターコイズブルーさんと共有しています。

今年の春、N.T.ライトという人の、
「使徒パウロは何を語ったのか」という本を買いまして、
この質問を頂いた次の日から読み始めました。
「そういえばあの本買ったまま読んでなかったなぁ」と思い。
、、、で、まだ読了していないのですが(してないんかい!)、
大胆にもご紹介します。

▼参考リンク:「使徒パウロは何を語ったのか」N.T.ライト
http://amzn.asia/afKRmkm

この本は神学書ではありせんが、多少専門的な本で、
カジュアルな本というよりちょっとハードな本です。
、、、で、神学者としてのライト師は、
近年のパウロ研究が、
「ユダヤ教を否定するギリシャ思想的なパウロ」という、
近代神学が生んだ「誤解」から振り子が逆に振れてきている、
という分析をしています。

詳しい説明を省きますが、
特にプロテスタント教会は、
そもそもマルチン・ルターからしてそうなのですが、
「ユダヤ教的なるものを否定する」という悪い癖があります。
それが後に、
「ドイツのプロテスタント神学者が
ナチズムとホロコーストを論理武装という形でサポートした」
というキリスト教の黒歴史の伏線にもなっています。

しかし教会はそのような「反ユダヤ史観」を反省し、
近年のパウロ研究者たちは、
「徹頭徹尾ユダヤ教徒としてキリストの希望を語ったパウロ」
という新しいパウロ像を描きはじめており、
ライト師もそちらをサポートしています。

パウロはユダヤ教からキリスト教に「改宗」したわけではない。
パウロはユダヤ教徒として「弁証法的に保存的止揚」された、
「ユダヤ教’」を信じるようになった。
彼は真にユダヤ教徒のアイデンティティを保ったまま、
「ユダヤ教の(本当の)良き知らせ」を伝える使者となった。
それを後の人は「キリスト教」と呼ぶようになったのだ、
という立場です。

私もこちらを支持します。


、、、もう一冊。
記憶力の悪い私のEvernoteの読書ログで、
「パウロ」と検索してヒットした中からの一冊を。
遠藤周作の「キリストの誕生」という本です。

▼参考リンク:「キリストの誕生」遠藤周作
http://amzn.asia/5faGRyq

この本は「最初のクリスマス」という意味のキリストの誕生ではなく、
イエスがいかにして「キリスト」となったのか、
「キリスト」という概念がいかにして誕生したのか、
という遠藤周作のひとつの仮説です。

ですからこの本では、
生物学的にキリストを産んだのはマリヤだが、
「キリストという概念」をこの世に生みだしたのは、
12弟子やパウロである、という見解のもとに、
遠藤周作の思索が展開されます。
この本の隠れたテーマは「神の沈黙」であり、
映画化もされた遠藤の代表作「沈黙」の、
すぐれた解説書としても読むことができます。

一部引用します。


〈ポーロの死がもし、
そのようなあわれきわまるものだったら
生き残った彼の仲間は何と叫んだであろうか。
なぜ、あれほど福音を人々に伝えるため生涯を捧げた男に、
神はこんな惨めな死を与えたのか。

なぜ、神は彼を助けず、
彼に栄光ある死に方をさせず、
犬のように死なせたのか。
なぜ。なぜ。

人々はその謎に沈黙する。
彼は語らなかったのではなかった。
語れなかったのである。

それはイエスの無残な処刑から衝撃を受けた弟子達が
「なぜ」と叫んだときと同じ状況だった。
「彼はなぜ、そんなむごい死を神から与えられたのか。」
イエスの死が弟子たちに突きつけた同じ疑問、
同じ課題が再びポーロの仲間にも与えられたのだ。
、、、「ヘブル書」はこのように
ペトロとヤコブという指導者を殺された直後の
原始キリスト教団の信仰的危機を我々に伝えている。
この信仰の危機という60年代の教団の状況を考えて初めて、
我々はなぜ使徒行伝がポーロの死について語れず、
ペトロの死について語れず、
ヤコブの死にも默していたのかの秘密を解くことが出来るのだ。

、、、もちろん、この謎の前にひるみ、
疲れ果てて脱落する者も出た。
しかし残った者はそこから信仰の意味をつかんだのである。
不合理ゆえに我信ずというこの信仰の形式が
原始キリスト教団を組織的衰弱から防ぎ、
その活力を与えたのだと私は考える。
なぜなら、ひとつの宗教は組織化されるだけでなく、
神についての謎をすべて解くような神学が作られたとたん、
つまり外形にも内面にもこの人生と世界について
疑問と謎がなくなった瞬間、
衰弱と腐敗の坂道を転がっていくのである。〉

、、、宗教が「不合理性」「謎・疑問」を排除し、
きれいに物事を説明し整理され固定した教理を持つと、
その宗教は衰退を転げ落ちる、という遠藤の分析は白眉です。

私も遠藤周作にこの点において同意します。
私も、パウロという人の魅力は、
その「多層性」「多声性」にあると思うからです。
パウロというひとりの人の中に、
いつも複数の声があって、
それが弁証法的な葛藤を続けている。
だからこそ彼の思想は動的(ダイナミック)で、
読む者をこれほどまでに突き動かすのだと、
私は考えています。

なんだか生煮えの答えですみません。
これに懲りずにまたご質問をお寄せ下さったら、
嬉しく思います。




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【Q】「地域社会」と「離れた地域」は何が違いますか?

2018.05.03 Thursday

+++vol.038 2017年11月14日配信号+++


●【Q4】「地域社会」と「離れた地域」は何が違いますか?

A.

まず「復習」から入ります。
「4種類の仕える人々」に、
バランス良く仕えましょう、という話しを、
10月22日にさせていただきました。
「家族」「教会」「地域社会」「離れた地域」です。
家族には愛を示せるが教会員には関心がない、
あるいは職場では人々に仕えているが、
家庭内では憮然とした態度で気を遣わせる、、、
というのは神の意図した「愛する人のライフスタイル」とは言えません。
これに「被造物」を加えて、
5つの領域をあわせて考えることで、
神が創られたこの世界と社会に神の国を実現する、
「愛の種を蒔く人」となっていきましょう、
というのが私のメッセージでした。

ご質問の「地域社会」というのはですから、
家族でも教会(クリスチャン)でもない、
普段私たちが接する人々です。
その人の職業や年齢、性別などによって異なりますが、
働いている社会人ならば職場の人々や仕事上の関係者が含まれますし、
学生ならばクラスメイトや先生、学校関係者や塾・部活の友達が含まれます。
主婦ならば地域のママ友や町内会、ボランティアサークルへの参加なども、
地域社会への奉仕に入るでしょう。

「地域社会」とのつながりがまったくない場合は、
自ら主体的にそういったつながりを作って行くことも、
愛の種まきのひとつです。
自分の家に人を招いたり、
自ら出かけていってボランティア活動をすることも考えられます。
私たちキリスト者は「世に出て行って」「浸潤して」いくときに、
パン種がパン生地に浸透して作用するように、
世の中を変革していきます。

クリスチャンは塩気をもたらす塩ですが、
もし塩が袋にどっさり入ったままだと、
作用のしようががありません。
私たちは袋から出て、まき散らされる必要があるのです。

次に「離れた地域」についてです。
「愛の種まき」の着想元である、
書籍「もしイエス様が市長だったら」によりますと、
「離れた地域」というのは単純に「国外」と書かれています。
それは「全世界に出て行き、、、」というイエス様の大宣教命令の、
「地理的な広がり」から来ているアイディアです。

国外の人々のために一貫して愛の実践を行うことができたら、
それは聖書的なことですし、素晴らしいことです。
しかし、私は10年間「愛の種まき」を日本で啓発・訓練してきて、
「離れた地域」を海外に限定するのは、
日本とアメリカでは文脈が違うのではないか、と思うようになりました。

「もしイエス様が市長だったら」を書いたボブ・モフィット氏は、
アメリカ人ですから英語を話しますし、
最初に想定されていた読者も英語話者です。
英語というのは世界で最も普及した言語ですから、
英語話者にとって「他の国に仕える」という参入障壁は、
日本人の私たちよりもはるかに低いわけです。
英語話者ならば他の国の宣教団体や慈善団体のサイトもそのまま読めますし、
他の国の友達にメールや手紙を出すのも母国語でできます。

しかし、日本人が海外のことを知ろうとしたり、
海外の友人(そもそもそれを作るのに言語障壁があります)に、
手紙やメールを出すのは多くの場合簡単なことではありません。

ですからそういった所与の条件の違いを加味して、
「離れた地域」を、日本で教える際に私は、
「海外の人」に限定せず、
「自分が住む都道府県外の国内の人」も加えるようにしました。
(ボブ・モフィット氏とも相談の上そうさせていただいています。)

厳密な線引きは不可能ですし、する意味もありませんが、
首都圏は交通網によってつながっていますから、
埼玉県に住む人ならば「関東圏外」ぐらいを想定するのが適切かと思います。
たとえば熊本地震の被災者へ支援物資を送ったり募金をすること、
九州に住む高校の同級生に手紙を書くこと、
東北の震災に遭われた人々のために時間を取って祈ること、
他県で行われている知事選のことを調べ、
神の御心が行われるように祈ることなどは、
すべて「離れた地域」の人々への愛の実践に含まれます。

また、「海外は難しい」と最初に言いましたが、
私たちがクリエイティブに柔軟に考えれば、
そこまで非現実的なことではありません。
たとえばコンビニのレジ横には募金箱が置いてあります。
そこにいつもなら1円玉のおつりを入れていたけれど、
今日は50円玉を入れる、というのは立派な海外への愛の行為です。
なぜならその募金の行き先には海外への植林活動や、
海外の慈善団体の寄付などが含まれるからです。
また、YWAMなどの宣教団体が出している、
「未伝地域のための祈りのカレンダー」などは、
日本語にも翻訳されており入手可能です。
こういったものを用いて毎朝祈ることも、
「海外への愛の実践」に含まれます。

コツは、「柔軟に、大きく考え、そして小さく行動する」ことです。
私たちは多くの場合「大きく行動しよう」と志し、
その結果、皮肉なことに視野は狭まってしまうのです。
「宇宙大に考え、からし種のように小さく行動する」
というのを体得すると、仕事の仕方から社会への関わり方まで、
あらゆることが変わってきます。
御参考にしてくだされば幸いです。



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【Q】「必要を見つけられない」場合、どのように愛の実践を計画するか?

2018.05.03 Thursday


●【Q3】「必要を見つけられない」場合には、計画するのを待った方が良いでしょうか?

A.

私が13年前に「愛の行動の3ステップ」を、
ボブ・モフィット氏が講師を務めるセミナーで始めて知ったとき、
モフィット氏は参加者全員にチャレンジを与えました。

複数日にわたるセミナーでしたので、
夜のセッションが終わってから翌朝の朝のセッションまで、
約13時間ほどの時間があったのですが、
モフィット氏は参加者の私たちにこう言いました。
「明日の朝、ここに来るまでに、
 ひとつ、愛の実践をしてから来てください。
 それを終わらせるまではここに集まらないでください。」

その後、私を含む参加者は悩みました。
夜の街に繰り出し、倒れた自転車がないかどうか探す人、
教会の掃除を始める人、やおら親戚に電話をかけ始める人、
便せんに何か手紙を書き始める人、
会場に残り、とりなしの祈りのリストを手に祈り始める人、
他の参加者に謎の夜食の差し入れをする人、、、、
その様子はおかしく、楽しくもありましたが、
参加者は神に祈り、今まであまりしたことのないことをする、
という戸惑いや恐れの表情も見られました。

そのとき私が何をしたか今ではハッキリ思い出せないのですが、
たしか離れたところに住む姉に久しぶりにメールを打ったとか、
そんなことだったと記憶しています。

実行したこと自体も良い思い出ですが、
それよりも何よりも、私が未だに忘れ得ない、
新鮮に焼き付いている記憶は、
モフィット氏が、
「必要を神が示してくださるよう、静まって祈りましょう」
と導かれた5分間の静まりの時間のことです。

そのとき私は驚愕しました。
なんと、私は「自分の周囲の必要を示してください」と祈ったときに、
はじめて「あること」に気付いたのです。
その「あること」とは、
「自分は、自分の周囲の人の必要どころか、
その近況や状況すら知らない」
ということでした。

私は離れたところに住む祖父母が、
今どんな気持ちで生活していて、
どんな必要を抱えているか知りませんでした。
私は毎日顔を合せている職場の上司の家族構成、
家庭内の悩み、健康上の問題、個人的な葛藤をまったく知りませんでした。
私は自分の隣の部屋に住む人の名前も知りませんでしたし、
自分の教会の牧師が今何に悩んでいるかも知りませんでした。

この5分間が突きつけた「真実」は私の心をえぐりました。
その真実とは、
「自分はいままでクリスチャンとして10年間、
 『愛する』ことが一番大切だと語る宗教に帰依してきながら、
 朝起きてから夜寝るまでの時間の99パーセント以上を、
 『自分のことしか考えずに』生きてきた」
という事実でした。
大げさにいえば心臓が止まりそうになるようなショックがありました。

しかし、あのときのショックこそが、
その後13年間「愛の訓練」を続けるモチベーションになっていますし、
私の人生の変革の始まりでした。

実は、私たちの周囲に「必要」は溢れています。
私たちは「必要の海」のなかで生活していると言って良いです。
職場の同僚は人知れず泣いているかもしれませんし、
近所の人は、明日自殺することを考えているかもしれません。
あなたの親族のなかには身体的な病を抱えた人がいるでしょうし、
あなたの住む町にもきっとホームレスの方がいます。
人間側からのケアがなければ消滅してしまう森林や、
絶滅してしまう種が今この瞬間もありますし、
あなたの教会の牧師は「牧師をやめたい」と、
毎週思っているけれど誰にもそれを言えないかもしれません。

この現代世界に生きていて
「私は大丈夫、必要などない」
などと言える人はほとんどいないと言って良いでしょう。

「必要が見つからない」
というとき、可能性が二つあります。

それは、「自分自身の必要」のことを、
99.9パーセント考えているから、
その心配に心が満たされていて、
透過性のないサングラスをかけた状態になり、
目の前の人の痛みすら分からないとき。

そのときは、「自分から目を離す」
という、「信仰の命がけの跳躍」をしてみましょう。
きっと新しい世界が開けてくるはずです。

注:何らかの大きな病気や問題を抱えている場合は、
 ぜひそのまま安静にしてください。
 むしろ、今はだれかに助けてもらう時期です。
 回復したら誰かを助けてあげましょう。
 神様は重病人に出勤するよう迫るような方ではありません。

もうひとつの「必要が見つからない」可能性は、
「必要がありすぎて特定出来ない」場合です。

そのときは神様に祈りましょう。
私たちクリスチャンは「世の中のすべての問題を解決する」
ために召されたのではありません。
私たちは「神の御心を行う」ために召されました。

10,000個ある必要のなかから、
「神様、今週、私がなすように神様が選んでおられる、
 特定の必要を示してください。」
と祈ってみてください。
そして、「自分にできる一番小さなこと」を、
勇気と信仰をもって実行してみてください。

往々にして、一つの愛の行動が、
次の必要への扉を開いてくれます。
神様からの「新たな愛する力」とともに、、、。
神様は「愛の種を蒔く人」に、
「次の種」を分け与えてくださるのです。



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【Q】「愛の種まきプロジェクト」に共同体として取り組むためには?

2018.05.03 Thursday

+++vol.038 2017年11月14日配信号+++

●【Q2】「愛の種まきプロジェクト」に共同体として取り組むためにどんなことができますか?

A.

共同体でも取り組むことができる「愛の種まき」を、
基本的には個人で行う、というよりも、
本来的に共同体で取り組むようにデザインされた「愛の種まき」ですが、
状況によっては個人でも取り組むことができますよ、
と考えた方が良いかと思います。

「愛の種まきプロジェクト」のもともとのアイディアは、
「If Jesus were Mayor(もしイエス様が市長だったら)」という、
私が現在翻訳中(途中までFVIのホームページで無料講読可能)の、
書籍から取られています。

私はこの本の著者のボブ・モフィット氏に13年前に出会い、
彼とのメンター・メンティー関係のなかから、
過去10年の私の宣教の働きも導かれてきました。

私は10年ほど前にまだ公衆衛生獣医師として市役所に勤めていた時代、
1年半、毎週「愛の種まき」の取り組みをレポートにしてモフィット氏に送り、
それに対してモフィット氏がフィードバックと指導をする、
という個人的なメンタリングを受けました。

その後、小グループで取り組んだり、
私自身がメンター(コーチ)となって、
他の小グループにフィードバックしたり、
妻と共に取り組んだり、様々な形で、
「愛の種まき」に取り組んできました。

現在私は戸田福音自由教会の横山牧師と、
1対1で「愛の種まき」に取り組んでいます。
毎週レポートをやりとりし、フィードバックし合っていますので、
私は今週の横山先生の予定を常に知っていますし、
横山先生のチャレンジしている個人的な「愛の種まき」の内容も知っています。
横山先生もまた、私が今週どこにいて何に取り組んでいるかを知っています。
お互いに報告責任とフィードバックを与え合う、
アカウンタビリティパートナーになっているわけです。
これを始めてから半年以上が経過していますが、
確実に言えるのはもし「アカウンタビリティパートナー」がいなければ、
私も横山先生も最初の2ヶ月(かもっと早い段階)で、
この取り組みをやめてしまっただろうということです。

毎週自分の予定に加えて「他者に仕える」という予定を実行するのは、
楽なことではありません。
「やっと今週の実践が終わった。」と思うと、
すぐに来週の愛の行動の計画を始めます。

「あぁ、しんどいなぁ」と思うことも多々あります。
当たり前です。
「全てを与え尽くしたイエス様に似せられる」プロセスが、
「しんどくないわけがない」ですから。
イエス様も「私に従うのは楽ではない」と、
何度も釘をさしています。

、、、その「しんどいなぁ」の後で、
「やめちゃおうか」と、
「でも、続けよう」の二択を分けるものは、
「横山先生もがんばっているし」という、
仲間の存在の有無です。

そもそもキリスト者のすべての歩みというのは、
「共同体で」なされるように神は意図しています。

アフリカの諺に
「早く行きたいなら、一人で行きなさい。
 遠くまで行きたいなら、一緒に行きなさい」
というものがあります。

もし「遠くまで」イエス様に似せられたいと願うなら、
セルグループ、パートナー、牧師、教会リーダー、離れた場所にいる信仰の友、
あらゆる手段を有効活用し、「一緒に」歩まれることを、
強くオススメします。


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【Q】お気に入りの文具

2018.05.03 Thursday

+++vol.038 2017年11月14日配信号+++



●【Q1】好きな文具・お気に入りの文具

ラジオネーム:北国のぷーさん(男性)
お住いの地域:北海道

Q.

よにでしセミナーに参加しました。
良い機会をありがとうございました。
セミナー後は何気ない日常生活の出来事を
「本当にそうか?」と一段深く考えることが多くなり、
「批判的視点」が少しクセになったような感じです。
今は日常生活のモヤモヤ感を楽しんでいる最中であります。笑

そして俊君のQ&Aコーナー、いつも楽しみにしてます。
どんなシンプルなテーマでも幅広い知識と深い見解で切り込んでいくので、
いつもすごいなぁと思います。
なかでも僕が特に好きなのは「くだらないテーマ」に
真剣に答えているうちにいつの間にか深い話になっているパターンの時です。
なのであえて普通の質問をしてみたいなーと思いました。

【質問】
よにでしセミナーでもらったボールペン、最高です。
シーンを選ばない渋い黒、マットなさわり心地、細めでなめらかな書き味、、、
良いものいただきました。
俊君は好きな文房具・お気に入りの文房具はありますか?


A.

北国のプーさん、ご質問ありがとうございます。
また、よにでしセミナーに北海道から遠路はるばるご参加いただき、
本当にありがとうございました。
北国のプーさんの誠実な人柄と仕事や家族、教会に対する、
真摯な姿勢を観るときに、頼もしく感じ、尊敬の念を覚えます。
食事や風呂の時間に「メルマガ読んでますよー」と、
内容について触れたりしてくれて、本当に嬉しかったです。
日頃あまりそういうのって多くないので。
「あぁ、届く人には届いているんだ(遠い目)」となり、
「また来週も書こう」と思うわけです。

ご質問の件ですが、
まず、よにでしセミナーのボールペンは、こちらですね。

▼参考画像:よにでしセミナー刻印ボールペン
https://goo.gl/yJXzjM

「Yonideshi 2017」と刻印された、
世界で15本しかない限定ボールペン(非売品)です。
これ、かなりいいですよね。
4色ボールペンがついていて、
しかもシャーペンもついている。

ノベルティを考えるとき、
やはり「世にあって弟子である」ことを思い出せるように、
職場で使えるようなものがいいよね、という話になりました。

、、、で、(私が会議後に考えたのも含め)挙がったのは、
1.文鎮
2.しおり
3.タンブラー
4.(最後に)ボールペン

でした。
実は第一候補はタンブラーだったのですが、
値段が高すぎるのと、最小ロットが36個なので却下。
しおりも小ロットだと一個2,000円という高値で却下でした。
最後にボールペンを見つけました。
機能的にも申し分ないし、
しかも、ボールペンって殆どの仕事で使うじゃないか。

ボールペン(シャーペン)をまったく使わない職場って、
日本にあるんでしょうか?
お笑い芸人だって、TV収録のアンケートで使います。
海女さん?
、、、多分「潜った時間や回数の記録」のために使います。
大工?
依頼人のサインをもらうときや、
木に線を引くときに使います。
靴職人?
、、、うん、使います。

ラッパー?
絶対使います。
書きながら確認しないと、
きれいな韻を踏めませんから。

清掃員?
絶対使います。
チェックリストにチェックするときに。

うん、あらゆる職業でぜったい使うな。
ボールペンは。

、、、余談でした。
とにかく、これはいい!
ということであわてて注文したわけです。

いやぁ、文鎮にしなくてよかったぁぁあああぁ〜!
と、織田裕二バリに叫びたい気持ちです。

、、、で、このボールペン以外で、
私の好きな文具、お気に入りの文具について語ってみます。

そうですねぇ。

特にないです(沢尻エリカ以来の衝撃!!)。

、、、というのもアレなので説明しますと、
まず、私は10代〜30代前半までは、
かなり文具に凝りました。
文具マニアとは言わないまでも、
かなりこだわっていた方だと思います。

私が20代〜30代前半のころ一番使った文具は、
2種類あります。
ペンと紙、シンプルです。

1.zebraボールペン

ゲルインクボールペンは各社のものを使いましたが、
zebraのサラサが私には一番合っているみたいです。
今は手帳にくっつける細い筆箱に、
こちらを入れています。

▼参考リンク:サラサ4
http://amzn.asia/byR7UfZ

これはもう生産終了らしく、
価格が高騰しています。

▼参考リンク:サラサ3
http://amzn.asia/63ibTcG

壊れたらこちらを使おうと思っています。
4色が3色になりますが、まぁいいかな、と。


▼参考リンク:サラサクリップ0.4
http://amzn.asia/cxHW3OA

生涯、一番握っている時間が長かった「ペン」は多分これ。
獣医師国家試験の勉強のときも、
市役所職員のときも、
インドにいたときも使っていました。
インドにはこれと「替え芯10本セット」を、
荷物に入れていました。
その頃は人生で一番手書きのノートを使っていたので。



2.コクヨCampusノート

そして、コクヨのキャンパスノートにはお世話になりました。

▼参考リンク:コクヨキャンパスノートB5 100枚綴り
http://amzn.asia/j7Q7gx3

この25歳〜35歳にかけての10年間は、
100枚綴りのこのノートを年間3〜4冊は消費していました。
読書のメモをとったり、人との会話をメモをとったり、
人と会話するときにホワイトボード代わりに使ったり、
会議のメモ、「自分会議」のメモ、
新しいプロジェクトの着想をメモ、
面白いドキュメンタリー番組のメモ、
などなど。

私は「メモ魔」なのです。

、、、という二つを紹介しましたが、
30代後半になって(もうすぐ40代になりますが)、
私はあまり文具にこだわらなくなりました。

お客さんが目の前にいる仕事だったり、
職場で特殊な文具を使わなければならない場合は別ですが、
(以前私がいた職場では「耐水紙」という、
 びしょ濡れになっても書ける紙を使ってました。
 これがすごいんだ。)
特にプライベートな用途で使う場合というのは、
文房具の役割って「知的生産」に尽きると私は思っています。
情報のインプットと情報のアウトプットです。

つまり、「脳を外在化する」のが、
文房具の機能だと思われます。

頭で考えていることを外部に一回出して、
概念操作を加え、新たな着想を得たり、
アウトプットとして言語化、商品化、提案化することが、
文房具の「仕事における役割」だと思います。

陸上選手の足にとってのスニーカーとか、
野球選手にとってのミットにあたります。
つまりあくまで「身体の一部としての脳の補助具」が、
文房具なわけです。

そういった意味では、
パソコンというのは「脳の外在化」に他ならないわけです。
私は30代後半からけっこう「デジタル方向」に、
そういう意味ではシフトしたように思います。
クラウドや同期機能がかなり使いやすくなり、
無理しないでもアナログガジェットに匹敵する
便利さを享受できるようになったのが、
たぶん2013年ごろだったように私は感じています。

なにより「Evernote」の登場が大きい。
私のなかで新型iPhoneなんかよりよほど大ニュースです。
私の知的活動は「Evernote前とEvernote後」に分かれると言ってもいいぐらい。
そもそも、このメルマガはEvernoteがなければ、
始めようと思っていないはずですし、
続けることが不可能です。

1年半前に私が「メルマガやってみようかな」と思ったのは、
2014年ぐらいから付けていた、
自分のEvernoteの「読書メモ」が600冊ぐらい貯まってきて、
「何かこれを発展させてアウトプットしたいなぁ」と、
ぼんやり考えていたところから始まりました。

私は記憶力が良い方ではないので、
読んだ本なんてタイトルすら覚えていないことが多いです。
読んでいるうちに「既視感」を覚えてきて、
なんのことはない、昔読んだことのある本だった、
なんてことは年に何度かあるぐらいです。

しかし、Evernoteに読書メモをとるようになって世界が変わりました。
ある著者の本を買ってきたら、検索バーにその著者の名前を入れます。
そうすると過去に読んだその著者の本がずらっと並ぶ。
そのとき自分が抜粋したセンテンスとともに。

知識の有機的連なりの精度とスピードが格段に上がったわけです。
しばらくは友人と読んだ本について語り合うときに、
その読書メモを使ったりしてたのですが、
しばらくして、「これってもったいないよな」と思った。
これを「社会に還元」しないと、何か悪いことをしているような、
そんな感覚を覚えた。

それで、いろんなことを検討した結果私が選んだメディアが、
メルマガだったわけです。

メルマガだけではなく、
私がやっているもうひとつのブログも、
Evernoteの賜物です。
今は「デボーションブログ」化していますが、
それができるのもEvernoteで毎朝聖書を読んだ記録をしているから。
このブログはちなみに来年ぐらいにデボーションから別の方向に、
シフトすることを考えています。

また、私が様々なところでするメッセージや講演やセミナーも、
Evernoteという「情報の腐葉土」から出てきた産物です。
要するにEvernoteは私のインプットの許容量と精度を上げ、
さらにアウトプットの奥行きやポテンシャルを、
格段に高めてくれたのです。

、、、ですから現在私の使っているデジタルガジェットは、
すべて「Evernoteの補助器具」と言っても良い。
極論すれば私にとってデジタルガジェットは、
Evernoteというエコシステムを補強する道具なのです。

紹介していきます。

▼参考リンク:レッツノートRZ4
https://goo.gl/uW9tzM

(*ビックカメラなど店頭ではレッツノートって、
 20万超えててビックリしますが、
 ネットショップで「1年型落ち」を買えば、
 12万円ぐらいに収まります。
 もちろん安くはないですが、だいたいMacBook新品と同じぐらい、
 という、穏当な価格になりますので購入をご検討の方は御参考に)

レッツノートは2007年に初めてR8というモデルを買い、
それから10年、「逃れられない」ほどに使い倒しています。
現在「三代目」。

デジタルガジェットって、お金をけちって、
その結果短期間に買い換えを繰り返すよりも、
良いものを買ってそれを長く使った方が、
あらゆる意味でコスパが良いです。
こういうところで1万円、2万円をケチって、
早めに寿命が訪れて、次の安物を買う、というのは、
「安物買いの銭失い」の典型ですね。
私も経験がありますが。

FVIは零細団体なのでパソコンは経費では落ちず、
全部、自分の家計から自腹購入です。
(過去に一度「私のPCのために」という名目で献金してくださった、
 守護天使のような人がかつていたときは例外ですが。
 本当に天使だったのかもしれません。)

話がそれました。
自腹だから、というのもおかしいですが、
とにかくパソコンに無駄なお金は使えません。
だからこそ、良いものを買います。
イヴォン・シュイナードの言葉を借りれば、
「貧乏人には安物を買っている余裕などない」のです。

レッツノートは、ホントに外さないです。
現在使っているRZ4は、
過去最高の使い心地かもしれません。
とにかく軽いです。
初代iPadより軽いんですから。


▼参考リンク:Sony7インチタブレット
http://www.sony.jp/tablet/products/Z3/

私はスマホを所有していませんが、
「通話のできないスマホ」としてタブレットを所有しています。
Evernoteの真価を発揮するのが、
この「タブレットとPCでの同期」ですね。
PCで入力した読書メモ、映画メモ、レシピ、デボーション等を、
出先で見られるコイツは縁の下の力持ちです。


▼参考リンク:ポメラ
http://www.kingjim.co.jp/pomera/dm100/

去年、自分への誕生日プレゼントとして買ったのがこちら。
「入力マシン」です。
簡単な話「小さなワープロ」ですね。
喫茶店などで長時間執筆作業をするとき、
パソコンだとどうしても、
メールチェックしたりヤフーニュース見たり、
ネット上の面白くもない記事を読み始めたり、、、
という誘惑に遭遇しがちです。

これはプロの作家とて同じらしく、
佐藤優や羽田圭介など、
多くの「物書き」がポメラの所有を公言しています。
「書くことしかできない」状態に自分を追い込む道具として、
ポメラは活躍してくれます。

書いたテキストはもちろん、
あとでEvernoteにぶち込みます。


、、、とここまで、
デジタルガジェットについて語ってきましたが、
デジタルだけでは当然不十分です。
グーグルカレンダーのスケジュール管理は便利ですが、
これに一本化する勇気はまだ私にはありませんし、
Evernoteは便利ですが、
複雑な概念操作を図式化したり、
マトリックスを作ったり樹形図やロジックツリーを描く、
というときに、手書きにまさるものは、
あと10年は出てこないと私は踏んでいます。

どれだけ技術が進んでも、
「紙と鉛筆(ペン)」は、
やはり最強の文具なのです。

そういった「デジタルを補完アナログ」として、
私はこちらを携帯しています。

▼参考リンク:コクヨ・キャンパス手帳(セパレート)
http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/campusdiary/lineup.html#campus_diary

これでスケジュール管理をし、
同じバインダにとじてあるA5のリングノートに、
「礼拝の説教のメモ書き」をし、
「様々な会議のメモ」を書き、
そして「自分会議」をします。

さらに「これは」というノートは、
Evernote(出た!)のカメラ機能で撮影し、
それを「文書形式で保存」しておきます。
そうするとあとで検索できる。

すげー時代です。

、、、というわけで、
私の文房具の旅というのは、
「デジタルとアナログの弁証法」であり、
そして知的生産にまつわる物語、なわけです。

、、、そういった、
「知的生産性」に関する良書を、
詳述しませんが何冊かご紹介します。
私の上記の「実践」は、
こういった本からの応用です。

▼参考リンク:「あなたを天才にするスマートノート」岡田斗司夫
http://amzn.asia/3LI0JDt

▼参考リンク:「知的生産の技術」梅棹忠夫
http://amzn.asia/2eCw0Om

▼参考リンク:「僕らが毎日やっている最強の読み方」池上彰×佐藤優
http://amzn.asia/7gxGikR


、、、御参考に。


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【Q】「神様の方法」とは?

2018.04.26 Thursday

+++vol.037 2017年11月7日配信号+++


●【Q2】「神様の方法」とは?

「自分の方法」ではなく「神様の方法で」とありますが、
どうやってそれが「神様の方法」だと判断すればいいでしょうか?
祈っていれば確信が与えられるのでしょうか?
確信が持てないうちは、まだ実行に移さない方がいいですか?


▼▼▼陣内からの回答:

あらゆる「神の導き」に言えますが、
「100%の確信」というものは基本的にありません。
私も「100%確信して」何かを行ったことは一度もありません。

イザヤ・ベンダサン(山本七平)の「日本人とユダヤ人」によると、
ユダヤ人は多数決の際「全員が一致」した場合、
その結論は棄却されるそうです。
(全会一致を良しとする日本の合議とは真逆ですね)
それは彼らが「全能なのは神だけ」という前提を持っているため、
人間全員が一致するような結論は何か間違っているに違いない、
と考えるからです。

同じように「100%御心だと確信していること」というのは、
不完全な私の「主観」が多分に反映されていることが濃厚ですから、
疑ってかかった方が良いです。

では何が「神の御心なのか?」。

それは、小さな決断をするときでも、
「自分はこうしようと思いますが、
 神様はどう思われますか?」と祈る習慣を持つこと、
それ自体は、間違いなく神の御心です。

神の御心というのは個別具体的な「正解」を与えるものではなく、
「私たちの生き方」という大きなスタンスにこそあります。
そして、ひとつひとつの愛の実践をする前に、
「これは神様の御心ですか?
 それとももっと別の方法を神様は用意しておられますか?」
と神に聞くということ自体が、神の御心に沿って生きる訓練です。

「完璧に確信しなければ何もしない」のではなく、
「こう語られているような気がする」ことをやってみてください。
そうやって試行錯誤する中で、
「トライアンドエラー」を繰り返して行くと、
3割だった「打率」が7割になり、何年も続ければ9割になるかもしれません。
しかし私たちは人間ですから99%はあっても100%はありません。
「自分が100%」だと思ったときは、
逆に「何かおかしいのでは?」と思いましょう。


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【Q】「愛の実践」には気持ちが伴わなくて良いの?

2018.04.26 Thursday

+++vol.037 2017年11月7日配信号+++


▼▼▼愛の種まきプロジェクトとのコラボ企画▼▼▼

先月末より埼京のぞみチャペル(戸田市)の、
20周年の取り組み、
「愛の種まきプロジェクト」に、
微力ながらご協力させて頂いています。
プロジェクトチームの皆様の主催する、
「愛の種まきプロジェクトメールマガジン」に、
私も寄稿させて頂いており、
私は「Q&A」コーナーを担当しています。
「隣人を愛するための小さな愛の実践」に関して、
寄せられた様々な質問に私がお答えする、
という格好になっていまして、
プロジェクトチームのご了承をいただいて、
今週から数週間にわけて、
「読むラジオ」にその原稿を転載させていただきます。


●【Q1】「愛の種まき」に、気持ちが伴わなくてもいいの?

自分が苦手なタイプの人に思い切って行動を起こしてみた
(孤立していたので声をかけてみた)のですが、
正直、心は伴っていませんでした。
表面的に思えるのですが、それでもやった方がいいのでしょうか?
また、相手の反応にイラッときてしまって、
喜びどころか「やるんじゃなかった・・・」と思ってしまったのですが、
何が間違っていたのでしょう?


▼▼▼陣内からの回答:

スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」に、
「愛は動詞である」と書かれています。
現代社会は映画も音楽も小説も、
「愛は感情である」という前提で作られていますから、
私たち信仰者も知らないうちにその影響を受けがちです。
しかし、コヴィー氏が言うように「愛は動詞」です。

もし愛が感情であるなら、
イエス様が言われた「敵を愛しなさい」という命令は、
論理的に破綻していることになりますが、愛が動詞であると考えれば、
「敵を愛する」という命令は実行可能です。

ですから質問者様の実践は何も間違っていません。
それどころか、もっとも神様から喜ばれるタイプの実践です。
というのは、愛の行動の結果「感謝された」としたら、
その喜びは神に従った喜びなのか、
人から認められた喜びなのか不明瞭だからです。
しかし何も肯定的な応答が返ってこなかったとしても、
「神様に示された愛の行動を行えた」ということを喜ぶとしたら、
それはイエス様が味わわれた喜びと同じだからです。

「Hurt people hurt people」という英語のフレーズがあります。
「他者を傷人つける人というのは傷ついた人なのだ」というような意味です。
声をかけた相手が「苦手なタイプ」であり、
その反応も「人をいらっと」させるものであるのは、
その人が「傷ついた人」だからである可能性が高いです。

イエス様は「金持ちでなくお返しのできない貧しい人に施しなさい」と、
弟子たちに教えられましたが、
感情の世界で「金持ち」とは誰からも愛される「感じの良い人」であり、
感情の世界で「施しのできない貧しい人」とは、
「できれば普段あまりお近づきになりたくないような人」です。

質問者様の今回の実践は、そのような意味でも、
イエス様の御心に沿う素晴らしい実践です。
相手から「ありがとう」が返ってこないときは、
天の父からその人の代わりに「ありがとう」が発せられています。
その声に耳を澄ましてみましょう。
「人からでなく天からのアファメーション(承認)」
が聞こえるようになると、人生が変わります。



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【Q】textが添付される?

2018.04.19 Thursday

+++vol.036 2017年10月31日配信号+++


●【Q】テキストが添付される?

ラジオネーム:のりボー(男性)
お住いの地域:東京都

Q.

メルマガ添付のtextは何に使うのでしょうか?


A.

ちょっと今回は実務的なことで、
のりボーさんから上記のような質問が届きましたので、
取り上げさせていただきます。

▼参考リンク:hetemlインフォメーション
https://heteml.jp/info/detail/id/1697

基本的にこのメルマガに添付ファイルを付けることはありませんので、
解凍が必要なファイルなどがメルマガに含まれていたら、
それはスパムメールであって偽物ですので、
決して開かないでください。

もしくはメーラー(Outlookなどのメールソフト)の設定上、
ある一定量のメールやHTML形式のメールの場合、
Textファイルで添付されるというような仕様があるのかもしれませんが、
すみません、具体的にそのようなことがあるのかどうか、
といったことは把握していませんので、
ご自身でお調べになっていただけますと幸いです。

もうひとつ、技術的な質問を頂いたついでなので書きますと、
何度も「入会」される方がいらっしゃいます。

ちょっとその意図が私にも分かりかねるのですが、
可能性としては
1.退会したい
2.入会したがメールが届かない

という二つの可能性があります。
退会したい場合は、
フォームから「退会する」というチェックボックスを押して、
お送りください。
(入会フォームと退会フォームが同じで、
 多少ややこしくなっているかもしれませんので、
 混同されていたらすみません)

また、入会したがメールが届かないと言う場合は、
特に携帯のドメインで多い事例ですが、
・URLのリンクがあるメールを拒否する
・パソコンのドメインからのメールを拒否する
・長文のメールを拒否する
などが初期設定になっている場合がありますので、
そういった設定を解除していただく必要があります。

まぁ、届いていない人はそもそもこれを読めないわけなので、
「何言ってんだ」という感じですが笑、
周囲に届かない人がいたら教えてあげてください。

ご理解のほど、よろしくお願いします。



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【Q】ベスト映画を教えて下さい

2018.04.12 Thursday

+++vol.035 2017年10月24日配信号+++

●【Q】ベスト映画を教えてください

ラジオネーム:一番搾り(男性)
お住まいの地域:福岡県

Q.

陣内さんこんにちは。
趣味が映画鑑賞の40代会社員です。
唐突ですが陣内さんのなかで「ベスト映画」は何ですか?
「ベスト映画」をいきなり聞くというのは愚問というのは知っていますので、
「今までに2回以上観た映画」を中心に教えていただけますと嬉しいです。
ちなみに私が2回以上観た映画には、
「ファイトクラブ」
「パルプフィクション」
「羊たちの沈黙」
などがあります。


A.

一番搾りさん、ご質問ありがとうございます。
私が今までに2回以上観た映画は、
かなりの本数があると思うのですが、
パッと思いつくやつを5本挙げます。

1.スタンド・バイ・ミー

これは私の「人生ベスト映画」かもしれない。
何度観ても良いですね。
6回ぐらいは見ているんじゃないかな。

見るたびに思います。
「この映画は完璧だ」と。

上映時間はけっこう短くて確か90分ぐらいです。
この映画は足すことも引くこともできません。
足したり引いたりした人はのろわれます(ウソです)。
聖書の「黙示録」のくだりみたいですね笑。

説明不要ですが、素晴らしい。
何もかも。
「あの少年時代の友情、
 あどけなさ、輝き、無垢さ、、、」
英語ではこれを一言で、
「アドレセンス」というのですが、
その「アドレセンス」を、
完璧な形で真空パックしたのがこの映画です。

かつて(今もあるのかな?)、
「富士山山頂の空気が入った缶詰」という、
意味不明な商品が売られていたことがありましたが、
スタンド・バイ・ミーは、
「少年時代のアドレセンス」を、
本当に缶詰にしてしまった奇跡の作品です。

今は亡きベン・E・キングの歌う主題歌も、
完璧です。

原作者スティーヴン・キングが、
「人物設定」をした時点でこの映画の勝利は決まっていた。

ぜんそく持ちの主人公はちょっと体が弱いですが、
頭が良く文学的センスを持っていて、
後に小説家になります。
ガキ大将は腕っ節が強く大人になると警察官になります。
(そして彼の後日談には泣けます。)
近眼で乱視の「ちょっとヤバイ奴」は、
家庭がめちゃくちゃ複雑で虐待を受けています。
太っちょのいじめられっ子は、
頭も性格もあまり良くないけど憎めない奴です。

「ジャイアン、のび太、スネ夫、しずかちゃん」
というカルテットに匹敵する、
パーフェクトバランスの人物設定です。
あの映画において「死体を見に行く」とか、
実はどうでも良いのです。

この4人が一緒に旅をして、
トラブルに遭遇し、
じゃれ合い、ふざけあい、
夜には互いに弱さを告白し合い、
そして旅によって「大人になる」という、
イニシエーションを経験する、
そういう「巡礼の旅」なのです。
それを疑似体験できる名作です。

メルマガ読者でスタンド・バイ・ミーを未見の人がいたら、
その人は人生を損している、もしくは、
「まだそんな楽しみを先に取っておいている」
という意味で人生を得していると思いますので、
ただちに鑑賞しましょう笑。


▼参考リンク:「スタンド・バイ・ミー」
http://amzn.asia/3VK7Br7



2.素晴らしき哉、人生!

これも4回ぐらいは見ていると思います。
家にDVDが置いてあるだけでなく、
プレゼントできるように複数所有しています。
この映画はクリスマスの日に観ると格別です。

そもそもこの映画を知ったのは、
以前行っていた愛知県の教会の「のぶさん」という牧師が、
毎年クリスマスの日に教会でこの映画の上映会をしていて、
それに参加したのがきっかけです。

のぶさんはこの映画が好きすぎて、
誰ひとり参加者がいなくても意に介さず、
教会のプロジェクタで礼拝堂にこのDVD映像を投影し、
ひとりで涙を流しながらこの映画を観る、
そうクリスマスを過ごすと決めていたのです。

私もあるとき「のぶさんがそんなに言うなら見てみようじゃないか」
と「仕方ないから付き合う」つもりで上映会に参加しました。

、、、結果、まんまと泣きました。

「人間が生まれてきた意義」について考えさせられ、
そしてそれを肯定する、人生賛歌です。
同じテーマでは黒澤明の「生きる」も良いですが、
私はこちらのほうが好きかな。

金融関係の仕事をしている人は、
この映画は余計にぐっと来るのではないでしょうか。
温かい手で「生きろ」と背中を押してくれるような、
そんな映画です。

この映画も未見の人がいたら、
人生を損している不幸な人か、
楽しみがまだ残されている幸せ者のどちらかなので、
DVD(安!!)を購入してただちに見ましょう。

▼参考リンク:「素晴らしき哉、人生」
http://amzn.asia/bB0QPIl



3.ストレイト・ストーリー

デヴィッド・リンチの名作です。
「ゆっくりと、おじいさんが、
 別のおじいさんに会いに行く」
という映画です。
(改めて文字化すると、
 なんなんだこの映画は、という感じですが笑)
筋書きだけ言うと死ぬほどつまらなそうなのですが、
これがいいんだ。

病気中、「音が派手だったりストーリーの起伏が激しかったり、
元気でバリバリ仕事している人の話が出てくる映画」は、
神経に障って落ち込みが激しくなるので見られませんでしたが、
この映画は「セラピー」のごとく、繰り返して見ました。

DVDを買って。
だから10回以上は見ています。

主人公の老人「アルヴィン」の表情と、
アメリカの田園部の自然の風景を見ているだけで、
なんとも言えない幸せで穏やかな気持ちになれます。

先ほど「セラピー」と言ったのはただの比喩ではありません。
主人公は州をまたぐ120キロメートルの「巡礼の旅」を、
改造した芝刈り機で達成するのですが、
その途中、彼の前には家出中の不良少女、
日々の生活に疲れ切った働く女性、
田舎の日常に満足した中産階級の人、
第二次世界大戦のトラウマを50年以上引きずる老人、、、
などアメリカの「群像の一部」としての何人かの個人が、
アルヴィンと出会います。

アルヴィンはとくに気の利いたことを言うわけではありません。
ただ、そこにアルヴィンとして存在するだけです。
しかし不仲の兄弟と会って和解するために、
芝刈り機で巡礼の旅をするアルヴィンじいさんに「触れ」るとき、
人々は何かを発見していきます。
それはとても小さな変化なのだけど、
重要な変化です。

「芝刈り機で旅をするおじいさん」という、
「日常ならざるものの存在」が、
「日常のなかにスタックした人々」を、
文字通り轍(わだち)から外し、
本来の道筋に戻していくのです。

この映画を未見の人は人生を、、、、
もういいか。

見ましょう。


▼参考リンク:「ストレイト・ストーリー」
http://amzn.asia/5koBq3F



4.エンディング・ノート

これはすごかったですね。
人生ベスト号泣映画です。
涙腺崩壊とはこのことです。

監督は砂田麻美さんといって、
是枝裕和監督の「弟子」をしていた人です。
ですからこの映画には是枝監督も少し関わっています。

ドキュメンタリー映画です。
内容は、、、言えません。
とにかく観ましょう。

この映画を観て泣かない人って、
たぶん日本には蛭子能収と東野幸治の二人だけだと思います笑。
もしこれを見て泣かなかったら、
サイコパスの資質ありと考えて見なして大丈夫です。

▼参考リンク:「エンディングノート」
http://amzn.asia/9b4xRGw


、、、という感じで、
複数回観た映画を4つご紹介しました。
他にも、

5.シン・ゴジラ
6.パーフェクト・ワールド
7.バッファロー66’

というラインナップを書いたのですが、
今日は文字数の関係で割愛!
全部名作です!

質問者様は映画好きなので、
全て観ているかもしれませんが、
もし未見のものがありましたら、
観て絶対に損しない作品ばかりですので、是非。

御参考に。



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【Q】キングオブコント2017について

2018.04.05 Thursday

+++vol.034 2017年10月17日配信号+++


●【Q】キングオブコント2017について

ラジオネーム:お笑いウォッチャー(男性)
お住まいの地域:三重県

Q.

陣内さんこんにちは。
いつも面白い文章をありがとうございます。
私は地方在住のお笑い好きで、
年に一度はお笑いライブに行きます。
職場には私と同じ熱量でお笑いのことを語れる人はいませんので、
陣内さんが時々お笑いを語ってくれると、
「同志」に出会った気持ちになり嬉しいです。

私も「ダウンタウン信者」で、
過去の「ごっつええ感じ」のDVDを未だに見ていますし、
「ビジュアルバム」も持っています。
一番好きな若手の芸人はちなみに、
「笑い飯」です。

、、、さて、お笑い知識人の陣内さんに質問ですが、
今年のキングオブコントはご覧になられたでしょうか?
もし見られていたら、陣内さんの目から見た、
キングオブコント2017の「総評」をお聞かせいただけたら嬉しいです。


A.

お笑いウォッチャーさん、
ご質問ありがとうございます。
私も同志に出会えて嬉しいです笑。
メルマガをやっていて良かった、と思います。

キングオブコント2017、もちろん観ました。
「にゃんこスターの衝撃」ばかり語られていますが、
今回の大会はそれ以外にも見所が沢山あったと思います。

▼参考リンク:キングオブコント2017
http://www.king-of-conte.com/2017/

まず、優勝した「かまいたち」に関しては、
文句なしですね。
「完全優勝」と言っていいと思います。
文句なしに一番面白かった。
すでに大阪では売れっ子の彼らはトーク力もあるし、
東京でもちゃんと売れるのではないでしょうか。

一発目のネタをやった後の採点後、浜ちゃんとの絡みの、
「え、、、ごめんなさい。
 まだ状況がよく分かってないんですけど、
 、、、これは『優勝』ということでいいんでしょうか?」
→浜ちゃん殴る
の絡みとか最高でしたね。

「わらふじなるお」の「ダル絡み」とは天地の差ですね。
ああいうウザい絡みは観ていていやーな気分になります。
あとで浜ちゃんにしこたま怒られたらいいのです笑。

ちなみに私は「かまいたち」が去年やった「給食費」というネタが、
一番好きです。
(私の妻もこのネタが一番好きです)

▼参考動画:かまいたちネタ「給食費」
https://youtu.be/hE3ZdZ7SLHs

、、、あと、あまり誰も言わないですが、
今回のキングオブコントの最大の功労者は、
アンガールズだと私は思っています。

アンガールズなんて、もうテレビに出まくっているわけだし、
ああいう賞レースに出ることは、
「ハイリスクローリターン」なわけです。
だだスベりするかもしれないし、
同じ事務所の後輩に完膚なきまでに負ける可能性もある。
良いことなんて1つもないわけです。

でも、彼らが出て、なおかつちゃんと笑いを取って、
大会を盛り上げたことで、今回の大会が「締まった」わけです。
バナナマンの設楽さんもラジオで、
アンガールズの功績を指摘していました。
バナナマンも10年前にキングオブコントに出ていますから、
そういう実感はことさらにあるのでしょう。

あと、毎回面白いなぁ、、、と思う、
キングオブコント常連も面白かった。
「アキナ」のサイコパスネタも面白かったです。
審査員では松ちゃんと設楽さんがこのネタにかなり高い評価をしていましたが、
その理由は彼らもまたサイコパスコントの作り手だからです。
松ちゃんなら「キャシー塚本」がいるし、
バナナマンのライブなんて、「サイコパスの見本市」です。

あと、「さらば青春の光」は毎回面白いですね。
彼らは芸能事務所に所属せず、
スタンドアローンで芸能活動をしている猛者で、
「お笑いに魂を売った」がごとく、
全国ライブツアーを毎年敢行して、
ネタを書きまくり、場数を踏みまくり、
腕を磨きまくり、賞レースでも毎回爪痕を残しています。
道場に所属せず野山で腕を磨いた宮本武蔵のようでカッコいいです。
「さらば青春の光」の森田の性格は最悪で、
「クズ人間」ということで有名ですが笑。
天は二物を与えないわけですね笑。

、、、キングオブコント2017には出ていませんが、
あと2、3年で確実にブレイクしそうだと思うコント師を挙げるなら、
私は「しゃもじ」「タイムマシーン3号」「ジェラードン」「ネルソンズ」
あたりに注目すべきだと思います。

先日「しゃもじ」の沖縄弁のネタを観て、
久しぶりに1人で声を出して笑いました。

、、、御参考に(?)



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【Q】ミスチルのマイナー曲

2018.03.29 Thursday

+++vol.033 2017年10月10日配信号+++


●【Q4】ミスチルのマイナー曲

ラジオネーム :ぼこ (男性)
お住いの地域:東京都

Q.

いつも愉悦に興じる空間として
拝読している東京在住のサラリーマンです。

陣内さんの中で, Mr childrenのマイナーな曲で挙
げるとすればどの辺りでしょう。
因みに私はSunrise, 掌, ポケットカスタネット,
ロードムービー, arrive, another mind, 旅人, fanfareあたりです。
これらの歌詞の中には時代を解く意味深なものが
あるように思います。よろしくお願いいたします。


A.

ぼこさん、ご質問ありがとうございます。
文面から拝察するに、相当にミスチル好きですね。
私も好きですので、ぼこさんとは小一時間、
この話題で盛り上がれそうです笑。
ぼこさんが挙げられた曲目のうち、
another mindは知らなかったです。
(多分聞いたことあるけど認識していない。)
ぼこさんの方が詳しいかもですね。

ミスチル好きな人って、
3種類ぐらいに分かれる気がします。
「クロスロード」とか「イノセントワールド」の初期が良かった、
という人、
「終わりなき旅」「Everything」あたりの中期が好きな人、
そして、
「放たれる」「365日」などの、わりと最近のミスチルが好きな人です。
なんか、「村上春樹論」とか、
「ドストエフスキー論」みたいですね。
それだけミスチルはキャリアが長いということなのですが。

私はちなみに「中期」が好きです。
最近のミスチルも聴きますが、
最高の名盤は「深海」か「ボレロ」の2枚だと思っていますので。

「深海」の、
「So Let's Get Truth」とか、
「ボレロ」の、
「タイムマシーンに乗って」「ALIVE」は、
めちゃくちゃ好きですねぇ。
「キングオブJ-POP」のミスチルが、
ポップどころか「実存的苦悩」みたいな袋小路で迷っていたあの時期は、
桜井和寿の健康には良くなかったのでしょうが、
聴く人々には滋養に満ちた「文学的果実」をもたらしたと思っています。

「侵略の罪を 敗戦の傷を あざ笑うように、
 足並みそろえて 価値観は崩壊していく」(byタイムマシーンに乗って)とか、
ミュージックステーションで歌えないレベルですから笑。
今なら自民党の幹部から怒られてお蔵入りになると思います笑。
テレビ局の社長の首が飛びます笑。

ミスチルが上手なのは、
「団塊ジュニア以降の世代の、
 実存的苦悩をいったん引き受けて、
 それに時代的な意義づけと色づけを行い、
 合気道みたいな形で最後に、
 『希望(めいたもの)』に昇華する」
という「職人芸的な手際」ですね。
「詩人」だからこそできる、
他の人に真似できない芸当だと思います。

10年ぐらい前にロッキン・オン・ジャパンという雑誌で、
「中島みゆきの正統な継承者は桜井和寿だ」って書いてあって、
なるほどねぇと感心したのを覚えています。

昨年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、
日本だと中島みゆきと吉田拓郎と松任谷由実と、
長渕剛と桑田佳祐と大滝詠一を合せたような存在です。
「時代を代弁する詩人」という意味で、
そういった世代のミュージシャンたちがいました。

現在の日本の「詩人性」を引き受けているのは、
ミスチルでありBUMP OF CHICKENであり椎名林檎であり、
RADWIMPSであり宇多田ヒカルです。

5年ほど前から特に、
病気になった影響もたぶんあるのですが、
私は邦楽をあんまり聴かなくなりました。
特にミスチルより新しいやつは殆どキャッチアップできてません。

RADWIMPSはまだギリギリ「意味が分かり」ますが、
KANA-BOONとか、
セカイノオワリとか、
ゲスの極み乙女とか、
マジでよく分からん。
全部やたらとキーが高いし。
(おっさん全開な意見ですみません。)

、、、でも、この夏頃から
「クリープハイプ」はいいな、
と思って聴き始めました。
あれもイカれたぐらいキーが高いのですが、
聴いてると高いだけじゃない味わいがある。
ヴォーカルの尾崎世界観の書く詩は文学的味わいに満ちています。
「百円の恋」という映画の主題歌を聴いてから彼らに興味を持ち、
尾崎世界観の書いた小説も読みました。

彼らはなかなかの逸材なのではないか、
と私は思っています。

、、、あと、
ミスチルのマイナー曲、他にも思い出しました。
「独り言」「1999年、夏、沖縄」
「fake」「REM」あたりも好きです。

それと「ファスナー」も名曲だと思います。
スガシカオはこの曲を聴いて「やられた!」と思った、
とどこかに書いていました。
ぼこさんは恐らくご存じかと思いますが、
後にスガシカオのアルバムの中で、
桜井和寿とスガシカオのデュエットで、
「ファスナー」を歌っていますね。
あれも良いです。

「隔たり」という歌も好きです。
歌詞はやたらと生々しくエロいですが笑、
メロディーは甘くて美しい。

それから「SENSE」というアルバムに入っている、
「ロックンロールは生きている」と、
「擬態」は良い曲だと思います。
「擬態」もスガシカオがブログで、
「すごい曲」と言っていたのを読みました。
桜井さんとスガシカオはお互いに新しいCDが完成すると、
無言でお互いのポストに入れておく間柄だそうです。
なんかほほえましいですよね。
アルバムの一曲目(イントロの次だと二曲目)は、
基本的に名曲揃いですよね。

「It's a wonderful world」収録の、
「one two three」も良いですね。
アントニオ猪木の「道」をサンプリングするあたり、さすがだし、
映画「ショーシャンクの空に」への愛も感じます。
15曲目の「It's a wonderful world」も好きです。

桜井和寿は異常に器用で、
あるときは桑田佳祐の、
「音節をこれでもかと詰め込み、
 子音を基調として日本語が英語に聞こえる」
歌い方をするし、
あるときは長渕剛になりきれる。
(so let's get truthは完全に長渕です)
あと、吉田拓郎にもなれます。
「友とコーヒーと嘘と胃袋」は、
完全に吉田拓郎です。
多分意図的に「オマージュ」としてやってるのでしょうが、
ああいうことをできるミュージシャンってあまりいないと思います。

、、、というミスチル、J-POP論でした。
J-POP論、面白いね。
またやりたいです。


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【Q】ファシリテーター本

2018.03.29 Thursday

+++vol.033 2017年10月10日配信号+++

●【Q3】ファシリテーター本

ラジオネーム:だちゃま(男性)
お住いの地域:埼玉県

Q.

いつもメルマガ楽しみにしています。
このメルマガを聴く(読む)ようになってから、
毎月本を読むようになりました。
本当に感謝しています。
是非、ファシリテーターに関するお勧めの本を教えて下さい。
宜しくお願いします。



A.

だちゃまさん、ご質問ありがとうございます。
ファシリテーターに関するおすすめの本
ということですが、実はこの分野で「良い本」って、
少ないんですよね。

私はセミナーデザインをし、
ファシリテーションをするというのを、
この10年間ほど仕事の一部にしていますから、
非常に関心のある分野なのですが、
あまり良い本に出会っていない。
というより、この分野に関する本自体が、
非常に少ないのです。

逆に誰かにお勧めのテキストを教えていただきたいぐらいです笑。
メルマガ読者の方でもし心当たりがある方がいたら、
メッセージにてお教えください(マジで)。

数少ないなかでも、
私が読んで、「役に立った」と思ったのはこちらです。

▼参考リンク:オープン・スペース・テクノロジー
http://amzn.asia/gW0KNYq

読んだのはずいぶん前で、
キリスト教関連のグループファシリテーションをしていた、
私の友人がプレゼントしてくれました。
Amazonの書籍紹介を観るとこうあります。

〈オープン・スペース・テクノロジーはとてもシンプルなアプローチです。
テーマに関係するすべての人に招待状が送られ、
関心のある人々が一堂に集まります。
そして、主体的に議題を生み出し、
複数箇所で同時に話し合いのセッションを開くことで、
それぞれの課題に取り組みます。
参加者は互いに情熱と責任をもって話し合いに参加し、
本音の対話を行い、問題を共有し、
解決に向けてアクションプランがスピーディーに生成します。
本書は、オープン・スペース・テクノロジーの実践ガイドとなっています。
話し合いを行うための会場準備、
場づくり、ファシリテーション等について詳しく解説しています。〉

「そもそもファシリテーションとは何か」という話題に終始し、
具体的方策が何も語られない「がっかり本」が多い中、
具体的な手法について説明してくれる本書は有意義でした。
現在の私も取り入れている手法がたくさんあります。

、、、著者たちを擁護するわけではないのですが、
「ファシリテーションの分野の良書」が少ない理由は、
じっさいにやっている私には、なんとなく分かります。
この分野ってけっこう、
「職人的技術」によるところが大きいんですよね。
言語化するのが非常に難しい。
「絶対ウケをもらえるお笑いの教科書」だとか、
「絶対ヒットが打てるバッティングの教科書」
なんていうのは原理的に書くのが難しいのと似ています。

ファシリテーションスキルの言語化、体系化は難しいです。
もちろん方法論的に「ポストイットの使い方」とか、
「時間配分の原則」とか「グループの人数配分」とか、
「全体の構成をどうするのか」とか、
「どの位相までの問題設定を行うのか」とか、
そういったことまでは言語化できるのですが、
「ファシリテーターはディスカッション中にどこにいたらいいか」
とか、「どんな視線を投げかけたら良いか」とか、
そういうのは非常に言語化が難しい。

いわば「場の空気を支配する」ということに似た技術が必要です。
この「支配する」というのも正確ではなくて、
その場にいる人々の知的な「潮の流れ」や「風向き」みたいなのがあって、
そこに最小限のインプット(もしくはインプットしないこと)を通して、
「合気道」的に参加者の力を利用しながら、
設定された結論を遙かに凌駕するようなシナジーを生み出す、
ということですから。

本当に職人技です。
私もいつも上手くいくわけではなく、
トアイアンドエラーを繰り返しながら、
「体得」してきたとしか表現できません。
言語化し体系化するというのは私の能力を超えます。

、、、ただ、
私に言えることが二つあります。

ひとつめはグループファシリテーションって、
「1人の脳内のシナジーを多数で起こす」
という「脳の外在化」なので、
特にファシリテーター自身が「思考の技術」を、
沢山持っていることは必要です。

そういう意味で、「思考法」の本はかなり役立ちます。
「ブレーンストーミング」とか「KJ法」とか「マインドマップ」とか、
いろいろあるのですが、その手の本以上に役立ったのが、
「説明上手になる本」という本です。

▼参考リンク:「説明上手になる本」高嶌幸広
http://amzn.asia/0ixvT4s

この本は私が大学生のときに買って読んだ本で、
20年以上手もとに置いて時々読み返しています。
私は神学校で「説教学」みたいな訓練を受けていませんが、
私が人前で話す「方法論」の9割はこの本から学びました。
この本の良い所は「プレゼンの方法」を説明しているようでいて、
そのまま「思考法」の説明になっているところです。

ファシリテーションスキルの半分は、
ファシリテーターの「思考法」の「球種の多さ」に依存します。
「考える方法」の引き出しをどれぐらい持っているかです。
それを「教え」るのではなく、
それを利用して先ほどの比喩でいうなら、
「議論の潮目」の真ん中で舵を切るわけです。
「説明上手になる本」には、
「KJ法」やブレーンストーミングを通して、
自分の脳内でシナジーを起こすための思考法が
訓練できる素材が詰まっています。
けっこうおすすめです。

もうひとつは、
ファシリテーションスキルの「もう半分」なのですが、
それは「対人感性力」と言われる、
「話しや空気の流れを読む力」です。
アメトーークなどの「ひな壇トーク番組」で、
上手な司会者というのは「サッカーを上から見ているように」
「今、会話がどこに向かっていて、 
 誰が誰にパスをして、
 そのパスを誰がスルーして、
 その後誰がドリブルでボールを運んで、
 そして誰がシュートしたのか」
ということが全部「見えて」います。

「ひな壇」の左前前列に座って、
ひな壇の中で「司令塔」の役割を果たす人を、
「裏回し」と言いますが、裏回しができる芸人もまた、
「ボールの流れが全部見えている」必要があります。

実はオープンディスカッションのファシリテーターって、
この「裏回し」をする人なんです。
だから、あの手のトーク番組を「回す」人を観察すると、
ファシリテーションの参考になります。

彼らはマジでスゴイですから、
真似することはできませんが、
タイガーウッズのスウィングを観ることが
ゴルフの練習に役立つのと同じで、
とんでもなく対人感性力の高い芸人の司会を観ることは、
司会やファシリテーションの技術向上のために参考になります。

私は上田晋也をよく観察しています。
彼の「さばき方」はすごすぎます。
「オープンエンドな質問をすること」
「宙に浮いた参加者の発言を『処理』しつつ、
 次につながるように救うこと」
「自分の側にも知識を蓄えて、
 発言にいつでも、
 『いろんな種類の火をくべられる』ようにしておくこと」
「質問のストックを各種取りそろえておくこと」
なにより、
「参加者のことが全部頭に入っていること」など、
勉強になることばかりです。

、、、御参考に。



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【Q】「いのフェス」の動画

2018.03.29 Thursday

+++vol.033 2017年10月10日配信号+++


●【Q2】「いのフェス」の動画

ラジオネーム:miyoung(女性)

Q.

いつも楽しく拝読させて頂いています。
以前本の紹介をしたmiyoungです。
陣内さんが本当に本を読んでくださり、
メルマガで感想を書いてくださったことに
誠実さを感じました。ありがとうございました!

今回は本ではなく、動画の紹介です。
「信じるものは救われる?」という動画なのですが、
見たことありますか?

社会学者の宮台さんと
はれさく神父が対談する企画でとても面白いです。
赤ちゃんが産まれたら、
こんなものをオチオチ見ている時間もなくなると思うので、
是非今のうちに!見てみてください。

はれさくさんの言っていることは大体いつも同じなので、
そんなに目新しい所はないのですが、
私は宮台さんの視点が面白かったです。
嘆きのピエタという映画から、
人は人に見られてないとダメなんだ、っていうところが、
陣内さんの「共同体の創出」というメッセージのテーマと
重なるような気がしました。

またプロテスタントはご利益的、
という宮台さんの指摘に対して、
陣内さんはどう考えるのか意見を聞いてみたいです。

その1
https://www.youtube.com/watch?v=SgvbysxCb2o&t=1070s

その2
https://www.youtube.com/watch?v=dNICTl652Rk&t=21s


A.

miyoungさん、ありがとうございます。
「その他のご意見」ということでメッセージを受け取っていたのですが、
Q&Aコーナーで取り上げさせていただきます。
また、メッセージをずいぶん前にいただいていたのですが、
お答えするのにこんなにも時間がかかってしまいましたことを、
お詫び致します。

実はご紹介いただいた動画は、
8月31日に観ました。
miyoungさんはもしかしたらお気づきかもしれませんが、
この動画で興味を持ち、
先週「読んだ本」コーナーで紹介した、
宮台真司さんの映画評の書籍を読んだり、
「先月観た映画」で紹介した、
「嘆きのピエタ」をレンタルして鑑賞したりしました。

▼参考リンク:「正義から享楽へ」宮台真司
http://amzn.asia/9qXlDxw

▼参考リンク:「嘆きのピエタ」
http://amzn.asia/9UM2v6b


、、、というわけで8月31日に、
ご紹介いただいた「いのフェス」の動画を、
興味深く見させていただきました。
翻訳作業などの「脳内自動運転」でできる仕事をしながら、
ラジオを聴くのは私の習慣ですから、
このYouTube動画を教えてくださってありがたかったです。
翻訳作業もはかどりました。
(基本的に私はシングルタスク人間で、
 「ながら」はいっさいできないですが、
 ラジオ+翻訳は数少ない例外です。
 ラジオ+読書は脳内がバグります笑。)

、、、で、けっこうな「長さ」のある、
2人の論客の対話を網羅的に概説する、
というのは私の力の及ばぬところですので、
この動画を見ながら私がとった、
Evernoteのメモを以下にそのまま収録します。
晴佐久神父の発言と、
宮台真司氏の発言で、それぞれ箇条書きにしてあります。

【晴佐久】
・あなた(無神論者)が必要ないと思うような救いなら、
 それは「救い」とは言えない。
・あなたが存在しないと思うような神なら、それは神ではない。
・第二バチカン公会議「教会の外に救いなし」という原則は変わりない。
しかしそれは、「地上のすべての人がカトリック教会に属している」、
という意味においてである。
(よって「狭義の教会」の外にも救いがある)
・この第二バチカン公会議の「福音の広さ」を知ったことが、
 晴佐久神父が神父になろうと思ったきっかけだった。

【宮台】
・海外で人気がある石井隆の映画を観て、
日本人は「救いがない」と評するが、それがとても日本的。
どういう意味かと言えば「救い」が世俗的であるという意味において。
・こういう救済観は、アメリカの福音主義の「千年王国説」にも通ずる。
・日本でキリスト教が拡がらない背景というのは
「世俗主義」にあると宮台氏は感じている。
・利他的であること自体が目的なのか、
神からのご褒美を期待して利他的であるのかというのは
宗教社会学的に、ふたつに大別される。
・イエスの福音の本質は「神は分け隔てしない」ということだった。
・吉本隆明、橋爪大三郎、小室直樹について言及。
彼らはプロテスタントの影響が強いためにキリスト教を誤解している。
マグダラの女の箇所から、「イエスは内面を重要だと言った」
というのがキリスト教の真髄だと言うがそれは違うと宮台氏は批判する。
聖書が「内部矛盾しているというまさにそのこと」が、
キリスト教の本質だというのが宮台氏の意見。

、、、こんなメモを見て、
「あぁ、きっとこんな話し合いがなされていたんだなぁ」
という対話内容を脳内で再構築できる人は天才だと思います。
興味を持った方は動画を観て(聴いて)みてください。

、、、話しを極力シンプルにするために、
ここではmiyoungさんが質問のなかで言及されている、
「プロテスタントは御利益的かどうか?」という一点に絞って、
私の意見を述べたいと思います。
端的にいって私は宮台さんの指摘に完全に同意します。
ネットスラングでいうところの「それな!」です。

日本でキリスト教が拡がらない理由として、
日本の「世俗主義」を宮台さんは挙げています。
日本人が描いている「救い」の定義自体が、世俗的だと。
良く「日本人に超越性は理解不能だ」という言説を耳にしますが、
同じことを別の言葉で言っていると思います。

つまり、「何か自分に良いことが起こる」ことを、
救済だと思っており、
「自分という閉じた円環」の外とつながる救済、
つまり「超越性」を理解できない。

「神に従うと良いことがありますよ」
というのは世俗主義でありご利益的です。
「神に従うということ自体が既に報いです。」
と考えるのが超越性とつながった信仰です。
「この世」や「自己利益」、「自分という円環」では、
それは説明不能な救済だからです。
神に従った結果、何も「良いこと」などなかった。
それでも神に従うことには価値がある、
と考えるのがキリスト教の本当の救済だと私は考えます。

、、、この先が大事です。
「あの世で良いことがあるから」というのは実は違うのです。
「現世利益」じゃだめで「来世利益」なら良いというのは、
本当の意味の超越性ではありません。
(宮台氏がアメリカ福音主義の、
 「千年王国説」を批判しているのはまさにそこですね。)

だって、「定年後のゴルフ三昧の日々を夢見る人」というのは、
「快楽主義者(英語でヒードニスト)」の考え方です。
つまり「楽しんだものが勝ち」という哲学ですね。
殆どの人が気付いていないことなのですが、
「この世では最後の最後まで神のために犠牲的に仕える。
 、、、死んだら天国で最高に良い思いができるから。」
というのも実は同じことなのです。

だって、現在40歳の前者の「定年退職ヒードニスト」は、
25年(30年?)後の定年のあとの楽園を待ち望み、
後者の「死後ヒードニスト」は、
死んだ後(40〜50年後)の楽園を待ち望んでいるという、
それだけの差だからです。

「楽しみの時期」が20年ばかり後ろにずれだだけで、
本質的な思考形態は、なんと同じなのです。
「ルックス的」には真逆に見えますが、
究極的には「快楽主義的」であり「ご利益主義的」という意味で、
両者は実は、同じです。

聖書の救済の本質は、
「たとえ何の報いがなかったとしても、
 それでも神に従う。
 それ自体が報いである。」
ということのなかにあります。
(もちろん「報い」は約束されているわけですが、
 報いがあるから神に従うのではなく、
 神を愛するから神に従うのです。
 宮台さんも指摘しているように、
 この差は大きいです。)

おまけですが、もし私が動画の対話のような、
「キリスト教を考える」という座談会に参加したとしたら、
プロテスタント(福音派)の三つの脆弱性を指摘すると思います。

1.反知性主義
2.御利益主義
3.朱子学的な側面(実践の欠如)

2のご利益主義は先ほどから説明しているとおりです。
「神を信じると金持ちになって病気も治って、
問題が解決して仕事で成功するよ、、」
みたいな福音というのは、端的にいって福音ではありません。
そういうのは漫画週刊誌の裏表紙に載っている、
「札束の風呂に入って美女を侍らせる、
 パワーストーンの広告」と本質的に同じです。
救済はそんな安っぽいものではありません。

1と3の詳細には立ち入りませんが、
このふたつは矛盾しているようだがそうではない。
「まったく何も知らない人」と、
「めちゃくちゃ知っている人」は、
何かを実践する傾向にある。
「中途半端に物事を知っている人」が一番何もしません。
(さらに言えば、「まったく何も知らない人の実践」には、
 突き抜けられない見えないガラスの天井があります。)

「反知性主義」を少し説明しますと、
「信仰があれば良いんだ、
 知識は信仰の邪魔をする」とか、
「聖書だけを読めば良いんだ。
 そのほかの知識は信仰のノイズになる」
みたいなのって、ハッキリ言ってウソです。
そんなわけがないじゃないですか。
そういう言説で良く引用されるのは、
新約聖書の「知識をちりあくたと思っている」という言葉ですが、
これを発言したのが誰かを考える必要があります。

そうです。パウロです。

パウロって、当時の世界の5本の指に入る知識人です。
そしてパウロという知識人が初代教会の指導者でなかったら、
キリスト教は2000年後にも「ユダヤ教のセクトのひとつ」の域を出ず、
世界宗教になることは決してありませんでした。

繰り返しますがパウロというのは今の世界なら、
ユルゲン・ハーバーマスとか、
インマニュエル・トッドとか、
ウルリッヒ・ベックといった「知の巨人」です。
日本なら佐藤優とか立花隆みたいな人がパウロです。
その人が「知識をちりあくたと思っている」と言っているのと、
「中高生の頃から勉強は嫌いで、本って殆ど読まないんです。」
みたいな人が言う「知識なんて必要ないよ、信仰さえあれば」は、
位相が違うのです。

イチローが言う「最後には練習って言うのは大事じゃないんだ」
と、野球初心者の「練習は必要ない」はまったく違います。
東大生の言う「勉強なんて社会に出れば役に立たないことが多いよ」
と、勉強アレルギーの人の、
「勉強なんて役に立たないよ」は違うのです。

私は知の深さ広さで、
パウロの足下にも及びませんから、
今後も勉強を続けるつもりです。
私はすべての読書は「聖書の脚注」だと思って読んでいます。
神を知るために勉強しまくることは、
まったくもって霊的な行いですが、
プロテスタント教会(特に福音派)の知識軽視(反知性主義)は、
自らの社会における影響力を減殺する、
いわば「社会的自殺」に等しいと私は思っています。

、、、3の、
「朱子学的側面」というのは、
反知性主義と矛盾するようですがそうではありません。

かつての江戸時代の「儒学」には、
「朱子学」という知識を重視するグループと、
「陽明学」という実践を重視するグループがありました。
朱子学はスノッブで、「象牙の塔」のような、
世間と乖離した学問的ヒエラルキーを生みました。
それは江戸幕府を安定させるのには一役買いましたが、
最後に江戸幕府を転覆させた「水戸学」などは、
陽明学の系譜です。
(松下村塾の吉田松陰は陽明学を学んでいました)

陽明学というのは
「知って行わざるは、すなわち知らざるがごとし」
という「知行合一」に要約されます。
非常に実践的なのです。
だから江戸幕府という体制にとっては脅威だった。

今のキリスト教が独裁者や腐敗した体制にとって、
「(良い意味で)脅威」となっていないのは、
「知行合一」のセンスがないからだと、
私は思っています。

、、、色々書きましたが、
宮台氏は名前は知っていましたが、
今までしっかり読んだことはありませんでした。
miyoungさんのご質問によっていろいろ勉強になりました。
今は東浩紀と宮台真司の共著、
「父として考える」を、Kindleに入れて読んでいます。
miyoungさん、良い質問をありがとうございました。



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【Q】おすすめの援助団体は?

2018.03.29 Thursday

+++vol.33 2017年10月10日配信号+++

●【Q1】おすすめの援助団体は?

ラジオネーム:夫は家電クリスチャン(女性)
お住いの地域:東京都

Q.

こんにちは。

いつも配信を楽しみにしています。
私は二児の母です。
突然ですが、どこかの団体または個人を継続的に支援したいと考えています。
方法は募金という形をとりたいと考えています。

栄養失調のために母乳が出ず、
目の前で子どもを失うという母親の話を聞いたことがあります。
私がその母親だったら、
なぜ誰も我が子を助けてくれないのだろうか…と、
怒りと悲しみに打ち震えるとともに、
我が子をこのような辛い目に合わせてしまった原因は自分にあるのだ…と、
自分を責める続けるだろうと思います。

貧困の中にある親や子どもを支援している団体または個人で、
陣内さんの「推し」団体または「推し」個人がいたら教えてください。
あるいは、支援先の調べ方や、こういうところに注目したら良いという
ポイントなどがあれば教えてください。


A.

ご質問ありがとうございます。
「自分がその母親だったら、、、」という視点が素晴らしいですね。
国際援助とか弱者救済を考えるときに、
「鳥の目」と「虫の目」のどちらを持てるかが、
その人のスタンスを決めると私は考えるからです。

物事には「俯瞰する鳥の目」と、
「当事者のひとりとしての虫の目」のふたつがあります。
とかく私たち先進国に住む人間はいろんな情報が手軽に手に入りますので、
「貧困?そりゃしょうがないよ、世界経済にはひずみもあるからね」とか、
「1人や2人を救済しても原因の根っことなる政治が変わらなきゃ、
 何も意味がないよね」
みたいな形で冷徹に物事を語りがちです。
(多くの場合したり顔で)

しかし、弱者に手をさしのべるときに必要なのは、
鳥の目ではなく虫の目だ、というのが私の意見です。
つまり、「全体として物事がどうなっているかは知らないが、
今、ここに、目の前に(あるいは地球の裏側に)苦しむ1人がいる。
その人にとっては自分が助けるかどうかは重大な問題だ」
と、「自分を当事者の立場において」考えられるかどうかです。

海辺で干上がる何十万のヒトデを、
一匹一匹海に戻す少年の話は有名です。
おじさんはその少年に
「おい、冷静になれ。
 お前のしていることは問題解決にはなってないよ。」
と言いますが、少年は言います。
「そんなことは分かってるよ。
 確かにそうかもしれない。
 でも、今僕の手の中にいるこの一匹のヒトデにとっては、
 僕が海に帰してあげるかどうかは重大な問題だと思うんだ。」

おじさんは鳥の目を持ち、
少年は虫の目を持っています。
願わくばおじさんがその権力で月を動かし、
満ち潮を作り出してすべてのヒトデを救ったらよいのですが、
多くの場合問題を抜本的に解決する人は、
鳥の目を持った「したり顔の評論家」ではなく、
この物語の「少年」のような素朴なコンパッションを持った人です。
マザー・テレサもガンジーもキリストもそうですね。

前置きが長くなりましたが、
NPOやNGOを選ぶ基準として、
最低限の条件は、そのNPOなりNGOが、
監査を受けた決算を一般公開していることです。

非営利の活動を行うと言うことは、
支援してくださる人々から託されたお金を運用して、
「企業にも行政にもできず、個人レベルでは達成できない」、
公益に資する活動を行うわけですから、
最も大切なのは、「お金の流れが公明正大」であることです。
英語で「クリスタルクリア」といいます。
ガラス張りにして、「このようにお金が使われました」
ということを公開していることは、
その団体が信用に値するかどうかのリトマス紙です。

私はNGO団体で働いていましたので分かりますが、
それでも結構、「決算書」というのは、
「ウソではないけれど、ある印象を与えるために『いじる』」
ことが可能です。
また、そのNGOの「ガバナンス」に問題があるけれど、
それが表には出てこないということも多々あります。
(だって普通、そういうのは表にだしませんよね笑)

けっこうおすすめなのは、
信頼できる知り合いが直接関与しているNPOなりNGOがありましたら、
その団体を通してご支援するのが良いかと思います。
知り合いならば表に出てこない活動の実態を教えてくれますから。

、、、で、
ご質問の件ですが、
正直な所、私はあまり援助団体について明るくないんです(笑)。
言い訳をするわけではないですが、
自分自身が援助団体で働いている人ですら、
自分が働いている援助団体以外については、
あまり詳しくないはずです。
「タコツボ」と言ってしまうのは乱暴かもしれませんが、
けっこう組織というのは「同業他社」のことを知らないです。

、、、なので非常に母数が少ない中からですが、
以下の働きをご紹介できます。
まず私たちの団体(FVI)がありますね(笑)。
私たちも海外のパートナー団体を支援しています。
現在はエチオピアやウクライナ、バングラデシュなどで、
その文化独自の社会的課題に対して取り組んでいる、
「声なき者の友」たちを支援しています。
(それらの働きは物質的社会的に貧しい、
 抑圧された人々の福祉に寄与します。)

以下のリンクからFVIの海外での働きの紹介ページに飛びますと、
活動内容を知ることができます。
郵便振替口座で、空白欄に「エチオピア指定」などと記入いただけますと、
その献金は海外での働きの支援に全額使われます。
(FVIは監査された年次会計を毎年、
 ホームページで公表しています。)

▼参考リンク:FVI「声なき者の友」の輪 海外での働き
http://karashi.net/project/world/program_02/index.html

、、、それから私が先週「小遣い1万円の中の10分の1」から、
1,000円の支援金を贈った団体がこちらです。

▼参考リンク:「シロアムの園」
https://www.thegardenofsiloam.org/

▼参考リンク:「ケニアの障害者に送迎車両を」
https://goo.gl/B6GrQ8

、、、これはカズコさんという、
日本人のキリスト教徒で小児科医の女性が、
ほぼ1人でやっている小さな団体です。
私は小児科医の友人を通してこの働きを知りました。
開発途上国では、日本の明治時代にそうであったように、
障害者というのは地下室で鎖をつけて「監禁」される、
などの非人道的な扱いがされており、
それが悪いことだという社会通念もありません。
(じっさい明治時代には、
 精神障害者は小さな部屋で動けないようにしなければならない、
 という法律が実在しました。
 開発途上国の障害者に対する考え方も、
 似たようなところがあります。)

長いこと地下室に監禁された障害をもつ子どもたちは、
太陽光がないのでビタミンDを合成できず、
くる病になってしまうこともあるそうです。
カズコさんは日本人医師として、
ケニアの障害児たちが尊厳ある生活ができるように、
現地で奮闘しています。


、、、もうひとつは里親制度です。
2013年から私たち夫婦は「里親制度」によって、
「アミラ」というニューヨークに住む、
黒人の孤児の女の子を支援しています。
メトロミニストリーズという、
ビル・ウィルソンという牧師によって始められた働きの、
日本支部を通して支援しています。
支援金から聖書や小学校の教材や文房具などがまかなわれ、
年に数回、本人から手紙と写真が送られてきます。

この団体に個人的知り合いはいませんが、
私は20代のころ、
ビル・ウィルソンという人の本を読んだり、
講演会を聴いたりしていました。
その経験は、現在私がキリスト教のNGOで働いていることの、
原因の何割かを占めます。
妻も2013年にウィルソン氏が日本に来たときの講演会に参加し、
感銘を受け、里親制度に参加することを夫婦で祈って決めました。

▼参考リンク:メトロミニストリーズの里親制度
http://metrojapan.seesaa.net/category/13642055-1.html


、、、さらにさらに言えば、
「支援金を送る」以外にも、
困窮した人々に仕える方法が沢山ありますので、
いくつかご紹介します。

まず、これは多少ハードルが高いのですが、
何らかの団体を通して海外にスタディ・ツアーに、
一度行かれると、ものすごーく色んなことが変わります。
(質問者様がもし、
 既にツアーに参加したことがあったら、
 適当に聞き流してください。)

ネットやテレビ番組で目にする「貧困」と、
現実の世界で、自分の目で見る「貧困」は意味が違います。
じっさいに海外で援助団体の活動現場を見た人は、
けっこうな確率でその後の人生が変わります。
それは何も宣教師になるとか海外に移住するとか、
そういうことだけでなく、
日本で生活し、仕事をしながらも、
「それが当たり前でない」ということを、
心の奥底で知りながらそうするようになります。
それはまさに「世界観の転換」で、
ライフチェンジングな出来事です。
本や映画やテレビやネットでは、同じことは起きません。

ちなみに私の妻も日本で幼稚園の先生をしながら、
いつか海外で貧しい人々に奉仕したい、
という願いを持ち続けていました。
それが私と妻の結婚の「遠因」なのですが、
妻のその「考え」は、中学生のときに、
家族でメキシコ旅行に行ったときに車窓から、
スラム街の人々の生活を見たときから芽生えました。
その時間はきっと1時間とかそこらですが、
それですら1人の人生を変えるインパクトがあったということです。


、、、おまけのおまけですが、
支援するつもりのお金を人に託すのではなく、
「自分で使う」ということも、
ひとつの挑戦です。
こちらもハードルはけっこう高いですが、
やる価値があります。
(FVIが他の援助団体と趣を異にするのはこの点で、
 変革のためにお金だけでなく、
 小さくても良いからアクションを起こしていこうよ、
 というのが私たちのメッセージのひとつです。)

たとえば日本国内にいる生活困窮者の人々に、
直接仕えるということを始めて見る。
私の知り合いのある方は、
おにぎりとお味噌汁を自宅で作り、
池袋に「突撃」しました。
そして出会うホームレスの方々にご飯を振る舞っていった。
定期的にそういうことをしていると、
ホームレスの方々に信頼されるようになり、
様々な形で生活支援をするようになっていった。
行政ではどうしても届かない領域がありますから、
そういった支援はたいせつな意味があります。
その働きは今も私たちの教会でメンバーたちによって続けられています。

また、海外の方々に仕えるのに、
日本に既にいる海外の人々に仕える、
というのもひとつの方法です。
こういうのを「ディアスポラ」の働きと言いますが、
ときには最も効果的な国際貢献になり得ます。

私がいまキリスト教徒になっているのは、
35年前に、シカゴ郊外に住んでいたアメリカ人の家族が、
日本人の私たち家族を家に招き、親切にし、生活の手ほどきをし、
一緒に祈り、遊び、「隣人」となってくれたからです。
35年後にその子どものひとりが、
日本国内の様々な教会に仕える働きをするようになるとは、
彼らは夢にも思わなかったに違いありません。
長期で日本に滞在する宣教師でも、
「最初のクリスチャンの実」を観るのに、
何年もかかったりしますから、
彼らは国外に長期で派遣される宣教師と同じ働きを、
シカゴ郊外にいながらしたことになります。

逆に私たちが近所に住む外国人に親切にするなら、
それは未来の世界宣教になる可能性があります。
アジアからの留学生や労働者や研修生、
アフリカからのビジネスマン、
南米からの移住者、、そういった人が周囲にいるならば、
それは「最も身近にある国際貢献のチャンス」です。

、、、長々と書いてきましたが、
夫は家電クリスチャンさんが、
神からの憐れみの心に背中を押されてした行動が何であれ、
神はそれを喜んでくださいます。
「それが効果的かどうか」という視点も大切ですが、
「信仰によって犠牲的に与えた」ということ自体が、
既に大きな奇跡であり、「神の業」です。

、、、御参考に。



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【Q】おすすめの娯楽小説は?

2018.03.15 Thursday

+++vol.031 2017年9月26日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
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●【Q1】おすすめの娯楽小説は?

ラジオネーム:かたつむり(女性)
お住まいの地域:長野県

Q.

いつも楽しみにメルマガ読んでます。
毎週火曜日の楽しみが増えました。
以前は夜寝る前、
スマホで下らないサイトを見ていたのですが、
このメルマガを読むようになって、
寝る前の時間が充実したインプットの時間になっています。
(ブルーライトが睡眠には良くないかもですが、、、(^_^;)

多種多様な本を読んでいる陣内さんに質問ですが、
純粋に「楽しむための小説」で、
この数年間でいちばん面白かったのは何ですか?

私の数少ない趣味はお気に入りのカフェで小説を読むことなので、
次に読む本の参考にしたいです。
ちなみに私は東野圭吾や湊かなえが好きです。
普段読まない本も知りたいので、
東野圭吾と湊かなえ以外で教えてもらえたら嬉しいです。


A.

かたつむりさん、ご質問ありがとうございます。
東野圭吾と湊かなえは私も好きです。
東野圭吾では「白夜行」が、
湊かなえでは「告白」がベストと思います。

この数年間で一番面白かった娯楽小説、
ということですが、思い浮かぶ本が3冊あります。
そのうち1冊は「読む人を選ぶ」本なので、
おすすめできるかどうか微妙ですが。

まずは「それ」ではない2冊のほうから。

▼▼▼「マチネの終わりに」平野啓一郎
http://amzn.asia/f4P7avH

一冊目は「マチネの終わりに」です。
かたつむりさんは読書好きとのことですので、
既にお読みかもしれませんが、
もし未読でしたらダントツにおすすめします。

この小説は去年の11月に読みました。
とにかく面白く、2日間ぐらいで一気に読みました。
物語の「軸」は恋愛で、
「映画化必至」という感じの、
王道の恋愛と人生ドラマが語られています。

しかしこの小説が独特なのは、
その「軸」をとりまく「背景」の豊かさと、
いわゆる「今の時代の精神」のようなものを言語化する技術です。
2001年の同時多発テロ、イラク戦争、
リーマンショック、東日本大震災といった、
00年代〜10年代前半、21世紀初頭の「人類的激動」を、
上手に切り取りそのなかで翻弄される主人公たちは、
「ポストモダン」を生きる我々の実存的な苦悩を代弁しています。

以下に私のEvernoteの「読書メモ」から引用します。

〈非常に上手だと思う。
「主体なきポストモダン時代の主人公」の
描き方のサンプルのような小説だった。
主人公たちは時代に翻弄され、作中にも言及される、
「運命劇」の主人公として振る舞う。
主役は「英雄の覚醒」ではなくあくまで「時代」が主人公で、
「役者」たちは添え物として機能する。
20世紀の物語は逆で、
「人間が未来をつくる物語」の添え物として「時代」があった。〉

、、、「その時代に語られる物語の類型」は、
その時代の思想の潮目を観察するのに適しています。
「近代は性格劇だったのが、
 現代は運命劇になりつつある」と、
作中で登場人物の映画監督が語りますが、
それは「マチネの終わりに」という作品自体の説明になっている、
というフラクタル構造を持たせています。
引用します。

→P371 
〈「けれども、脚本はなかなか進まない。
ーー教科書的な話だが、悲劇について、
古典悲劇が運命劇に対して、近代の悲劇は性格劇だと言われるだろう?」
「ええ。」
「オイディプスが実の父を殺し、母を娶ってしまったのは、
避けようのない運命だった。
しかし、オテロの過失は、彼の激情的な性格に起因している。
あんなに単細胞で、怒りっぽくなければ、
ハンカチ一つでデズデモーナを殺すこともなかっただろう。
もちろん、実際にはもっと複雑だが、・・・」
「ええ、勿論。」
「だが、・・・人間は結局、もう一度、
運命劇の時代に戻っているのではないかと近頃よく思う。
”新しい運命劇”の時代なのかもしれない。
私のような小説的な映画ではなくて、
早くから叙事詩的な英雄物語を描いてきたハリウッドは、
そういうことに意外と敏感だ。
《マトリックス》とか、色々ある。」
洋子は、椅子の背に軽く体を預けて腕組みした。
そして、具体例を二、三思い浮かべて頷いた。
「リチャードとも、そういう話をずいぶんとしたのよ。
グローバル化されたこの世界の巨大なシステムは、
人間の不確実性を出来るだけ縮減して、予測的に織り込みながら、
ただ、遅滞なく機能し続けることだけを目的にしている。
紛争でさえ、当然起きることとして前提としながら。
善行にせよ、悪行にせよ、人間ひとりの影響力が、
社会全体の中で、一体何になるって。」〉

、、、現代という時代は、
「覚醒した主人公が運命を変える英雄となる」という、
舞台用語で言う「エピファニー」を契機とするような物語が、
非常に語りにくくなっている時代です。
「大きな物語」が終焉し、人々が時代の激流の中で、
自らの主体性というものの無力さを日々感じている現代において、
「一人の英雄の覚醒が歴史を変える」という物語は、
空々しく響くしリアリティを伴いません。

そのような時代に、それでもなお意味や希望を語る、
というのはどういうことなのか、
ということを「現代の詩人たち」である、
ミュージシャンや小説家や映画監督はもがいています。

私もまた、現代という時代に、
キリスト教の普遍的なメッセージを発信するひとりとして、
同じことで格闘していますから、
本書のような小説を読むことは非常に有益でした。



▼▼▼「オールド・テロリスト」村上龍
http://amzn.asia/i4L4SMS

私は村上龍の長編小説はほとんどすべて読んでいます。
これまで「ベスト」は、
「コインロッカー・ベイビーズ」か、
「半島を出よ」か、
「希望の国のエクソダス」か、
「愛と幻想のファシズム」のいずれかだと思っていました。

この「オールド・テロリスト」は、
純粋に面白さだけで言えば、
もしかしたらこれらを凌ぐかもしれないと感じました。
とかく村上龍のファンというのは過去作品を美化する傾向にあり、
「村上龍はもう長編を書くエネルギーがなくなってしまった。」
「彼はもう終わった。」
などの批判的な声がネット上にも散見されますし、
私も「半島を出よ」を最後に、
長編小説の著者としての彼は、
もう面白いものが書けなくなってしまったのか、
と思った時期もありました。

しかし、「オールド・テロリスト」はすごかった。
「まだこれほどのものが書けるのか」と驚きました。
タイトルのとおり老人たちがテロリストとなる話しなのですが、
彼らが語る「日本近現代史」はリアルであり、
そして今の日本はやはり「彼らが作ってきた日本」だったのだ、
と再認識させられます。

何よりエンターテイメントとして優れており、
序盤からいきなり「もっていかれ」、
その緊張感が弛むことなく最後までピークのまま読ませます。
さらに、村上龍の小説独特の、
「ドラッグ・セックス・バイオレンスの過剰」うち、
最初の二つは殆どなくなり、バイオレンスすらも、
必要最小限しか描かれていません。

なぜか世間的にはあまり注目されていませんが、
村上龍の最高傑作の一つであるのは間違いないと思っています。



▼▼▼「黒い家」貴志祐介
http://amzn.asia/dDwnxnS

最後のこれは読む人を選びます。
ホラーとかグロテスクとかが苦手で、
犯罪映画を観た夜は寝れなくなる人は読まない方が良いです。
私はそういったものにさほど影響を受けませんから、
小説内で人体切断の描写が出てきて、
「おぉぉーー、こえーーー!!」
と思いながら本を閉じた次の瞬間、
魚と卵かけご飯を食べながら
テレビでアメトーーークを観て大笑いできます。

そういう人には自信をもってお勧めします。

ジャンルで言うと「サイコホラー」に属しますが、
心霊現象とかお化けが出てくるわけではありません。
「サイコパス」がテーマです。

貴志祐介は伊藤英明主演で映画化された、
「悪の教典」の作者でもあるのですが、
「サイコパス」を描くのがめちゃくちゃ上手です。
「サイコパス」とは人の気持ちが分からない人格障害のことで、
彼らには罪責感がないので、
自分がドーナッツが食べたいときに、
目の前にドーナッツを持った人が現れたとして、
「こいつを殺してドーナッツ食べたいなぁ」と心から思っています。
殺さないのは面倒なのと警察に捕まるのが嫌だからであって、
罪責感があるからではありません。
「本当は死んでくれたらいいんだけどなぁ」と、
本心から思っています。

ある種のサイコパスは知能指数が非常に高いですから、
本当に人を殺して自分の欲しいモノを手に入れ、
なおかつ自分は罪をかぶらないように細工して、
犯罪を重ねる人もおり、
「シリアルキラー」と言われる世界中の連続殺人者の多くは、
こういった「サイコパス」の症例です。

私は「サイコパス」にわりと興味があり、
実話ものもフィクションものも含めると、
20冊はくだらない「サイコパスもの」を読んできましたし、
10本以上の「サイコパスが出てくる映画」も観てきました。

結論として「黒い家」に出てくるサイコパスを超える恐怖は、
味わったことがありません。
楽しそうにサイコパスを語る私を、
「ヤバイ趣味」と思われるかもしれませんが、
サイコパスを知ることで学べる大切な真理があります。

それは、
「世の中には怖いものがたくさんある。
 幽霊、戦争、放射能、新型ウィルス、貧困、犯罪、、、。
 、、、しかし、世界でもっとも怖いものは『人間』である」
という真理です。

「人間の中に巣喰う悪」に比べれば、
幽霊なんて鼻くそほども怖くありません。
そして同じ人間のひとりとして、
その「悪」は自らと地続きです。
「自分が一番怖い」ということを本当に知った時、
私は世の中のほとんどすべてのものが怖くなくなりました。

いや、本当に。




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【Q】結婚前に読むべきオススメの本は?

2018.03.08 Thursday

+++vol.030 2017年9月19日配信号+++

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■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
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ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

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●【Q】結婚前に読むべきおすすめの本は?

ラジオネーム:ショウ(男性)
お住いの地域:静岡県

Q.
はじめまして、浜松の教会に通うクリスチャンでショウと言います
いつも楽しく、そして考えさせられながら、読んでいます
毎週のメルマガを通して、自分の中でも
疑いながら考える癖を持つことが出来てきました

今回は質問があり、メッセージ送らせて頂きました
私は来年3月にクリスチャン女性と結婚する事になりました
以前俊さんが紹介してくださった、
YouTubeのメッセージも面白かったですが
他に結婚を前にしてのアドバイスや本の紹介をして頂けると嬉しいです

よろしくお願いします


A.

ショウさん、来年3月にご結婚されるとのこと、
まずはおめでとうございます。
2人のご結婚の祝福を心よりお祈り申し上げます。

そして、ご質問ありがとうございます。
メルマガに関してさまざまなフィードバックをいただくなかで、
「疑いながら考えるクセを持つことができました」
というフィードバックは一番嬉しいかもしれません。

先週のオープニングトークでも少し触れましたが、
このメルマガの狙いの一つは、
「批判的に考えること」「複数の視点で物事を見ること」
が、毎週読むことによって習慣化されていくことだからです。
書く私自身も自分の思考を言語化する過程で、
「批判的に考え、複数の角度からものを見る」ということを、
いちばんに意識して書いていますので、
読者の皆様と共に「批判的思考力」を鍛えるというのが、
このメルマガの隠れた狙いです。

言及してくださったのは、
こちらの動画ですね。

▼参考動画:「結婚前の信仰者が知っておくべき恋愛・結婚に関する25のこと」
https://youtu.be/m9T1C7ug9CY

ちなみにこちらの動画は昨年の春に愛知県の教会の中高生会のために、
私と妻が話したセミナーを動画にしたものです。
そのときの参加者は8人(ぐらい)でしたが、
この動画の再生回数は1,200回を超えています。

8人に向けて話した話しが1,000回以上視聴されているのです。
FVIのYouTubeチャンネルは2015年に開設しましたが、
情報拡散のレバレッジ(てこ)の力を実感しております。
今後もYouTubeチャンネルは充実させていきたいと思っていますので、
是非チェックしておいてください。

、、、結婚を前にしてのアドバイスや、
おすすめの本を教えてくださいというご質問についてですが、
私の結婚の役にたったいくつかのアドヴァイスと、
役に立った何冊かの本をご紹介いたします。

まずはアドヴァイスから。

結婚前、たしか2011年にアメリカに行った時、
私はダロー・ミラーという方とお会いしました。
彼は私たちのNGO「声なき者の友の輪」と同じような働きを、
20年前から米国を本拠地に世界各国で行っている、
Disciple Nations Allianceという団体の創始者のひとりで、
「聖書的世界観」というテーマをライフメッセージとして、
「預言的」な働きをしている人です。
現在の私の思考を形成している原因のひとりと言えます。

▼参考リンク:Disciple Nations Alliance
http://www.disciplenations.org/

2008年に香港で彼に始めて会った時、
私が5分ぐらい英語で話したスピーチを聞いて、
「君は良い質問を問うている。
 問い続けろ。
 そして考え続けろ。
 疑問を抱き考えるのを止めてはいけない。」
と励まして下さいました。

その数年後の2011年にアリゾナでダローと話した時、
なかなかこんな機会はないと思い、質問しました。
「結婚生活を良いものにするために、
 大切なことは何かありますか?」と。

するとダローはこう言いました。
世間は「50:50」とか、「give and take」というが、
それでは上手く行かない。
結婚生活では正しい比率は「100:0」だ。

つまり自分が「0」で、
相手が「100」。
これで丁度良いんだ、というわけです。

この言葉は本当だと思います。

人間というのはみな、
「自己中心バイアス」を持っています。
自分の口の中の唾は汚いと思わないけれど、
シャーレの上に吐いた唾は汚いと感じる。
これは生理学的なレベルの、
「自己中心バイアス」です。
同じ物質であっても、自分の中にあるものはきれいだ、
という脳の認知バイアスが働いているわけです。

だから人間は、
「自分がしてあげた良いこと」や、
「自分がされた迷惑なこと」はいつまでも忘れず、
「自分が他者からしてもらったこと」や、
「自分が他者に迷惑をかけたこと」は、
きれいさっぱり忘れてしまいます。

だとするなら、
「50:50だな」と自分が感じているとしたらそれは、
確実に自分が迷惑をかけた分量が多く、
相手が我慢した分量が多いはずです。

「100:0だな」と自分が感じているときにはじめて、
客観的なレベルで「50:50」なわけです。
それでようやく維持できる。
それが夫婦関係だ、とダローはあのとき、
若い日本人の私に教えてくれたのです。

ですからここでのアドヴァイスは、
「相手がお姫様で自分が給仕だと思って仕えましょう」
ということになります。

聖書にも「キリストが教会に自身を捧げたように」
夫は妻を愛するべきである、とあります。
キリストが教会にしたことは「100:0」です。
ダローのアドヴァイスはだから、
まったくもって聖書に即していたのです。


もうひとつのアドヴァイスは、
「一緒に祈る」ということですね。
「一緒に祈る夫婦は離婚しない」
というのは統計的にも現れています。

以前私はこのことをブログに書きましたので、
以下に引用します。

〈聖書の真理は、
「教会用語」を使わずに説明可能である、
というのが、ぼくの一つの信念になっています。

リック・ウォレン牧師も、
ぼくに同意してくれるでしょう。
彼のメッセージにも、
専門用語は一切出てきません。
彼は山程の専門用語を知っているはずなのに。
そのリックのメッセージを聞いていて、
最近驚くべき統計に出会ったので紹介します。

アメリカでは、
すべての結婚のうち、
2.5組に1組が離婚に終わるそうです。
ここまではまぁ、
「そうだろうな。」
という話です。
何度も聞いてきた話です。
日本もその後を追っているので、
そこまで変わらない数字だろうと思います。
この統計に、
ひとつの条件を付け加えます。

「教会の礼拝で出会ったカップル」
という条件を加えると、
離婚の確率は一気に下がります。

「50組に1組」
というのがその割合です。
この統計に今度は、
もうひとつ条件を付け加えます。

そのカップルが、
毎週礼拝に一緒に出席し、
定期的に一緒に聖書を読み祈る、
という習慣を有していた場合、
この統計はどうなるか。

そのようなカップルが離婚する確率は、
「1,050組に1組」
だそうです。

驚きの数字です。

ぼくは自分が経験したことしか話せませんが、
夫婦が共に神を敬い、
自分の人生を神に捧げている場合、

その結婚は、
本当にすばらしいです。
筆舌に尽くしがたい。

「神なき世界」に、
「素晴らしい結婚」を想定するのは、
土台からして難しいとぼくは考えます。

結婚という制度を設計したのが神だから、
当然、そうなのです。
このためだけにでも、
クリスチャンになる価値がある、
とぼくは思います。〉

、、、いかがでしょう。
統計によると日本の平均的な夫婦が離婚する確率は、
3分の1です。

一方、アメリカの統計になりますが、
「一緒に祈る習慣のある夫婦が離婚する確率」は、
1,000分の1以下です。

一緒に祈らない理由が見つかりません。
けっこう重要なのは、
「結婚前から」一緒に祈る習慣を持つことです。
結婚して2年ぐらい一緒に祈る習慣がなく、
突然「じゃあ祈ろうか」と言っても難しいです。
照れてしまいますから。

付き合ってる時からできないことは、
結婚してもできないですから、
今からやっておくことをおすすめします。


、、、さらに、「おすすめの本」ですが、
3冊ご紹介します。

まず一冊目は、
「『なんでわかってくれないの?』と思った時に読む本」

▼参考リンク:「なんでわかってくれないの?」と思ったときに読む本
http://amzn.asia/bInAguA

これは妻と私が交際期間中に、
二人で読んで学んだ本です。
正確にはこの本に私が出会ったのは、
28歳のときであり、
妻と出会い付き合い始めたのが33歳のときですから、
5年前に私が読んで良かったと思ったコミュニケーションの本を、
二人で学びなおした、ということになります。

著者はトーマ・ダンサンブールという、
たしかデンマークの人で、
心理学の大家、カール・ロジャースの弟子です。

で、この本は本当におすすめで、
夫婦関係にかかわらず、あらゆる側面における、
「コミュニケーション」に役立ちます。
この本に書かれていることを実践すると、
仕事にも夫婦関係にも親子関係にも良い影響が及びますし、
また、「自分という人間を知る」ためにも役立つツールです。


2冊目は、「愛を伝える5つの方法」です。
これも結婚以外にも役立つ本でおすすめです。

▼参考リンク:「愛を伝える5つの方法」ゲーリー・チャップマン
http://amzn.asia/27hm59P

この本には、「人間はそれぞれに愛の言語を持つ」
ということが書かれています。
私がドイツ人に「愛している」と言っても伝わらないわけで、
「イッヒ・リーベ・ディッヒ」と言わなければ伝わりません。
逆に火星人が(もしいたとして)私に、
「愛している」という意味の超音波を送ってきても、
人類である私の鼓膜は感知することができません。

同じことが私たちの日常にも起きている、
というのがチャップマン氏が言っていることです。

愛の言語には5種類ある、と彼は言います。
1.肯定的な言葉
2.スキンシップ
3.贈り物
4.質の高い時間の共有
5.奉仕の行為
の5つがそれです。

Aさんの愛の言語が「贈り物」だとして、
Aさんに対して「すごいねー」と褒めても、
公園ピクニックに誘っても、
肩をもんであげても、
さほど嬉しくないかもしれない。
Aさんには「サプライズプレゼント」が一番嬉しいからです。

逆にBくんの愛の言語が「質の高い時間の共有」だった場合、
Bくんに洋服をプレゼントしても、
「すごいねー」と褒めても、
さほど嬉しくないかもしれない。
Bくんには、「公園で一緒にボートを漕ぐ時間」が、
もっとも嬉しい愛の行為だったりします。

問題なのは人というのは、
「自分だったら嬉しいこと」をしがちですから、
AさんとBくんが付き合った場合、
Bくんは公園ピクニックに誘いがちですし、
AさんはBくんにマフラーをプレゼントしがちです。

お互いの「愛の第一言語」が違いますから、
二人の「愛の行為」は最大の効果を挙げられないわけです。
オー・ヘンリーの短編に「賢者の贈り物」という有名な話しがありますが、
お互いの「贈り物」同士がすれ違い続けると、
「愛情貯金」の目減りが激しく貯蓄の効率が悪いです。

お互いの「愛の第一言語」を知ることが、
とても大切だよ、というのがチャップマン氏の主張です。
この本には「あなたの愛の言語」の、
「第一言語」と「第二言語」は何か、
ということを診断するチェックリストもついていまして、
もし読んでいなければ非常におすすめの一冊です。


最後は内田樹さんの「困難な結婚」。
こちらは以前にメルマガでも紹介したことがあります。
たしか「先週読んだ本」の中だったかな。

この本のメッセージはただひとつ。
「結婚とは困難ベースだ」ということです。

▼参考リンク:「困難な結婚」内田樹
http://amzn.asia/f2vTcww

、、、何カ所か引用します。

→P23-24 
〈だって、婚前にはどのような厳しいハードルをクリアーした人でも、
結婚後もその条件を満たし続ける保障がないからです。
「年収2000万円以上の人」というような条件で結婚相手を絞った場合、
ある年度にはその条件をクリアーしても、
それが次の年も続くかどうかは分かりません。
、、、そのときになって年収が急減したからと行って
「こんなはずじゃなかった」って言っても始まらない。
「あなた、病気になって収入が減ったなんて、約束と違うじゃない。
じゃあ離婚しましょう。」というようなことは言えません。
だって、話は逆だから。
病気になったり、失業したり、
そういう困難に直面したときに支え合うために人間は結婚するからです。〉

→P30 
〈いいですか、勘違いしちゃ駄目ですよ。
配偶者を選ぶときに絶対に観ておかなくちゃいけないのは、
「健康で、お金があって、万事うまく行っているときに、
どれぐらいハッピーになれるのか」のピークじゃなくて、
「危機的状況の時に、どれぐらいアンハッピーにならずにいられるか」
その「危機耐性」です。〉

→P241 
〈自分自身の人生が楽しいと、倦怠期は起きても、
それほど致命的なものにはなりません。
「倦怠している」人たちというのは、
ある種の自己倦怠を病んでいるからなのです。
自分で自分のありようにうんざりしている。
、、、他者に対する好奇心は、自分に対する好奇心に相関する。
これは指摘する人があまりいませんけれど、とてもたいせつなことです。
自分の中にどんな「未知の資質」が眠っているのか、
「未開発の資源」が埋蔵されているのか、
それに対して真剣な好奇心を抱いている人は、
まわりの人に「飽きたり」しません。
だって、自分が変わるごとに
目の前にいる他者の顔のありようも一緒に変わるからです。
自分が変われば、世界が変わる。そういうものなんです。〉

→P262 
〈結婚しているのに他の人を好きになっちゃったのですけど、どうしましょう
というような寝ぼけた質問をしてくる人に僕が申し上げたいのは、
そういう薄っぺらなことを平気で口にできるような人は、
元々結婚生活向きじゃないと言うことです。 
別に結婚しなくても良いじゃないですか。
誰を好きになっても、誰とセックスしても、
誰からも文句言われない気楽な生き方をすれば良いじゃないですか。
なんで「その上」結婚までしたいんですか?
僕にはそれがわからない。
結婚というのは最初に申し上げましたように
「病めるとき、貧しいとき」に
一気に路上生活者に転落しないためのセーフティーネットです。
安全保障です。
相手が病めるとき、貧しいときに支援するという
「社会契約」を取り結んだことによって、
相手もあなたが病めるとき、
貧しいときにお支えしますという事になっている。
、、、いいですか、ここが肝腎なんです。
自分が落ち目の時、です。〉

、、、引用しながら改めて気付きましたが、
P241の「倦怠とは自己倦怠である」は名言ですね。

私たちは何かに飽きるとき、
それは飽きている対象に飽きているのではなく、
その対象に向き合う自分自身に飽きているのです。
よって仕事でも結婚でも趣味でも、
「それによっていつまでもどこまでも、
 新たな自分を発見出来る」という才能のある人は、
「飽きることを知らない」人です。

仕事がとてつもなくできる人や、
結婚生活をいつまでも新鮮な気持ちで楽しめる人、
友情や絆をどこまでも深められる人というのは、
「自己探求力」のある人なのだというのは至言ですね。

「結婚は自分がイエスに似るためのファーム」だというのは、
私の中の結婚の定義のひとつですが、
この話しともどこかでつながっています。


おまけでもうひとつ。

2012年に結婚して間もないときに、
妻と私は札幌の教会が主催する、
「マリッジコース」という、
夫婦関係改善のための宿泊セミナーに出席しました。

これが非常に良くて、
ここで学んだことは今でも「生きて」います。
先ほど紹介した「愛を伝える5つの言語」もコースに含まれていましたし、
ここで習った「マリッジタイム」という夫婦の時間を定期的に取る、
という習慣は今も続いていて、結婚を豊かなものにしています。

▼参考リンク:グレースコミュニティ「マリッジコース」
http://grace-community.or.jp/marriage/

、、、さすがに札幌まで行って参加するのは難しいかもですが、
こちらから動画を見られます。

御参考に。





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【Q】働いてみたい企業

2018.02.15 Thursday

+++vol.027 2017年8月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
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※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】働いてみたい企業2位〜5位

ラジオネーム:トリッキーファウラー(男性)
お住いの地域:愛知県


Q.

こんにちは、トリッキーファウラーです。
いつもメルマガありがとうございます。
とても「刺激的で」毎回楽しみにしています。

さて、唐突ですが本題です。
ぼくだけではないかもしれませんが、
「カロリーハーフ」の「能力があれば働いてみたい企業はありますか」
に出てきた第2位〜5位の詳細が気になっています。
特に第5位の「琉球大学」。
ぜひきいてみたいと思ったので、
機会があればよろしくお願いします。


A.

こちらの記事ですね。

▼参考記事:「能力があれば働いてみたい企業」
http://blog.karashi.net/?eid=194

、、、今後質問コーナーなどで、
過去記事に関する質問が来たときは、
その都度「アーカイブブログ」に、
先行アップロードしていきたいと思っています。

過去記事なんて読んでる暇ねーよ、
という人がほとんどだと思いますので、
どういった記事だったかと言いますと、
オープニングトークの「質問カード」で、
「能力があれば働いてみたい企業は?」
という質問が出たわけです。

その私の答えは、
1位が北海道の六花亭、
そして2位以下については説明を端折りました。
(今日と同じですね笑)
私はどうやら文章については「尺が読めない」みたいです笑。

最後の所だけ引用します。

〈、、、さて、5つ挙げたのですが、
ここで説明する脳の活力が枯渇しましたので、
2位から5位までは、説明は割愛し、
列挙するにとどめます。
2.十勝毎日新聞社(帯広)
3.キングジム(またはコクヨ)(東京都)
4.YKK(富山県)
5.琉球大学(沖縄県)
、、、という感じです。
説明が中途半端ですが、
以上!!〉

、、、なんて不親切な終わり方なんだ、
と我ながら思いますよね。

トリッキーファウラーさんがご質問してくださいましたので、
2位以下の理由について説明していきたいと思います。



▼2位:十勝毎日新聞

私が6年間大学生時代を過ごした帯広で、
朝日、読売、産経、毎日、日経の5大全国紙よりも、
もうひとつの地方紙の北海道新聞よりも、
圧倒的なシェアと影響力を誇っていたのが、
「十勝毎日新聞」でした。

通称「かちまい」。

よく、
「世界的なニュースが駆け巡った日も、
 阪神の負けを報じるデイリースポーツ」
などと揶揄されるように、
デイリースポーツはブレない報道をすることで有名です。
サッカーワールドカップで日本代表が勝ち星を挙げた翌日、
すべてのスポーツ紙の本田圭介でしたが、
デイリースポーツの一面だけは、
「阪神の選手が結婚!」だったりしますから笑。

全国紙とデイリースポーツの一面が同じになったとしたら、
それは本当に、「真正の」全国ニュースなのだ、
ということを「時事芸人」のプチ鹿島さんも指摘しています。

▼参考リンク:「芸人式新聞の読み方」
http://amzn.asia/g1cJVOQ

、、、で、十勝において、
常軌を逸した講読率を誇る「かちまい」もまた、
「ぶれない」新聞なのです。

私は大学を卒業してから十勝地方に何度か訪れていますが、
そのときのひとつの楽しみは、ビジネスホテルのロビーや、
たまたま入った食堂などで、「かちまい」を読むことです。

最近私が覚えている「かちまい」の一面は、
「音更でトラクター展開催!」でした。

紙面には「ジョン・ディアー」やら、
「●●馬力で●●気筒のエンジン」が、、、やら、
推進方式がなんだらかんたら、、やら、
農業の専門用語がずらりと並んでいます。

ちなみにその頃、
重要な国家首脳が集まる国際会議が開催されていて、
全国紙の一面は当然そちらを報じていますが、
「かちまい」はぶれません。
十勝人にとってはどこか遠い世界の動向より、
トラクターの挙動のほうがたいせつなのです。

この「地元への振り切り」っぷりがすごくて、
古き良きローカル紙の郷愁をたっぷりのこした、
「かちまい」の記者をやったら、
きっと楽しいだろうなぁと、
1年に一回ぐらい思うことがあります。

、、、十勝に住めるし。

▼参考リンク:十勝毎日新聞社
http://kachimai.jp/



▼3位:キングジム(次点でコクヨ)

▼参考リンク:キングジム
http://www.kingjim.co.jp/

いまの時代、文房具のマーケットというのは、
生き残るのが非常に難しい分野です。

思い出してみれば、
職員室の向かいにあった小学校の「購買」で、
「学校認定のはさみ」を買ったとき、
確かその価格は600円とかしていました。

「なんという値段!」
と今は思いますが、
私たちの文房具の値段の常識を破壊したのは、
そう、「ダイソー」です。

かつて文房具専門店で、
500円から1,000円の間で買っていた文房具、
つまりハサミ、ホッチキス、分度器、パンチャー、
セロテープ、ボールペン、色鉛筆、、、
といった商品群の、「底値」が、
ぜんぶ「108円」になった。

しかも百均のハサミの切れること切れること、、、。

文房具メーカーにとっては悪夢です。
そのような時代にも生き残っている文房具メーカーというのは、
やはり生き残るだけの理由があるのです。

「キングジム」はそういった文脈で、
よく引き合いに出される企業です。
この会社は社員から出たアイディアを、
ほとんど「稟議にかけずに」荒削りの状態で商品にしてしまう。
「会議に次ぐ会議、決済に次ぐ決済」こそが、
イノベーションの最大の障害だということを、
多くの日本企業は認識しています。

地方自治体が時々打ち出す、
「死ぬほどダサい地域おこしイベント(ゆるキャラ込み)」を、
よく私たちは目にするのですが、
あれの戦犯は職員のセンスのなさではなく、
「役所の決済規定」にあります。

多くの組織はそれに気付いていて、
もっとボトムアップでイノベーションが起こるよう、
努力はしているのですが、なかなかそこから脱却できない。
「明日会社がなくなるかもしれない」という危機感がなければ、
そこまで大胆な組織改革はできないからです。
もっとも厳しい文房具メーカーにいるキングジムは、
大胆な組織改革によりイノベーションを殺さない工夫をしました。

▼参考リンク:キングジムのイノベーション
http://news.mynavi.jp/articles/2012/09/25/kingjim/

具体的にどうやってるかというと、
彼らは製造業の定石である「市場調査」をしません。
「ない市場」を作ることを目指しているからです。
「ない市場」を調査することに意味はありません。
かつてヘンリ・フォードが、
「なにが欲しいかと顧客にたずねていたら、
『足が速い馬』と言われたはずだ」
と言ったという話しがありますが、
「自動車」を観たことがない人は、
「より速い馬」しか思い描けないのです。

彼らは「自分だったら使いたい文具」を、
次々と商品化します。
そのうち10分の1が大ヒットすれば、
十分収益を上げられる、
という大胆なビジネスモデルです。

キングジムで最も有名な商品は、
一定規模のオフィスになら必ずある「テプラ」です。
、、、で、最近のヒットだと「ポメラ」ですね。

▼参考リンク:ポメラ
http://www.kingjim.co.jp/pomera/

これは、パソコンから
「文字を入力するという以外のすべての機能」を、
そぎ落としたマシンです。
パソコン、スマホ時代の敢えての
「ワープロへの回帰」です。

ね?

とんがってるでしょ?

製造業はすぐに「足し算」をしたがるクセがあるのですが、
引き算にこそ答えがあった。

現にこの「ポメラ」は、
執筆を仕事にする人のなかでじわじわと支持され、
多くの作家が愛用を公言しています。
じつは私もこれのひとつ前の型を所有していまして、
ブログ記事をこれで書いたりしています。

これの良いところは、
執筆以外何もできないところ。
パソコンならば集中力が切れたときに、
ネットサーフィンしたりメールチェックしたり、
YouTubeで動画を見始めたり、、、という誘惑があるのですが、
ポメラはストイックにアウトプットする以外何もできません。

こういった「とんがった商品」を作る製造業の企画部って、
相当に楽しいだろうな、と私は時々夢想するのです。
文具業界は特に面白いものが出てくるサイクルが短いので、
けっこう刺激的なのでは、、、と想像します。



▼4位:YKK

富山県にある超有名企業です。
ファスナー業界では、
国内の95パーセント、世界でも45パーセントのシェアを誇ります。
つまり世界中のファスナーの二つにひとつが富山のYKKの製品なのです。
すごくないですか?
あと、YKKはファスナーだけでなく、
窓やサッシなんかも作っています。

最近、義理の兄と話したとき、
じつは今の日本の(クオリティ・オブ・ライフという意味で)
「真の勝ち組」というのは、地元の進学校を卒業し、
地元の国立大学を卒業し、
地元の優良な製造業の大手に就職した人なのでは、
という話しで意気投合しました。

下手に(というと語弊がありますが)東大とかに入ってしまい、
迂闊に(というと語弊がありますが)、
一種国家公務員(官僚)なんかになってしまったりすると、
仕事は激務だし、官舎はボロいし、
若いときは地方公務員より薄給だし、
ストレスで病気になる確率も高いし、
転勤も多いし、家族はそのせいで疲弊するし、、、
というような状況です。

獣医師にも数は少ないですが国家公務員一種に合格し、
農林水産省で働く同級生や知り合いがいますが、
本当に、かわいそうになるぐらい大変そうです。
彼らがエリートなのは間違いないけれど、
これが、はたして本当に幸せと言えるのだろうか、
というわけです。

官僚嫌いのマスコミや、
反体制がポジションになってしまっている人は、
絶対に認めないでしょうが、
日本という国は優秀な官僚によって
支えられているのは間違いない事実です。
彼らはある意味、
「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの責務)」
としてがんばってくれているわけで、
ただただ、頭が下がるわけです。

しかし、「本人の幸福度」でいうと、
地方の国立大学を卒業し、
地方の名士みたいな企業に就職した人というのは、
最強の勝ち組なのではないかと思うのです。

豊かな自然があり、
都会のストレスにさらされず、
地元の国立大学というのは地方では「絶対的存在」ですし、
地元の優良企業もまた地方では尊敬されます。
物価を換算すれば、東京の一流企業の年収1,000万よりも、
地方の優良企業の年収600万円のほうが価値があると、
言えなくもない。

だって家賃からして、
倍ぐらい違うのですから。

そんな「日本で幸せに暮す理想のキャリアパス」の、
ひとつのモデルケースが、富山大学→YKKなのでは、
とイメージしたのです。

「俺たちの会社がなかったら、
 世界中の男の社会の窓は開きっぱなしだ」
というのは仕事をする「誇り」を、
このうえなく与えてくれることでしょうし。



▼5位:琉球大学

琉球大学は、
まず沖縄で生活してみたい、
という不純な動機がいちばんです笑。
沖縄の海にはそれほどの訴求力があります。
「この海を観ながら暮らせるなら、
 今の生活なんてどうなってもいいな。」
と思わせる何かがある。

沖縄への本州からの移住者は後を絶ちませんが、
だいたいそういう理由です。

、、、で、沖縄で私が仕事をするとなると、
獣医師として豚の診療をするか、
もしくは大学教授になるか、
ぐらいしかないのでは、、、と思ったのです笑。

スキューバダイビングできませんし、
ペンション経営みたいな才能はゼロです。
(そもそも経営者の才覚はゼロです)

じっさいに教えられる資質があるかどうかは別として
大学で教えることは興味があります。
弟が大学で教えていますし、
なんか「気質的」なものとして、
私は「良い製品を作る」だとか、
「一つの分野を追求する」ことに向いているようです。
私は「モグラ」なのです。

掘って掘って掘り続けるのが好きで、
関心の対象を「拡げる」ことに興味がありません。
だから経営者にはまったく向かないし、
社交も嫌いなので政治家にも向かない。
「誰の役に立つかも分からないようなこと」
を、ひたすらに考えたり対話し続けたりするのが好きです。
私はたぶんソクラテスの子孫なのです笑。

あと、私が琉球大学に関心がある理由は、
じつは、海「だけ」ではありません。
沖縄って、学問的にと言うか、
思想的に面白そうだな、
と前から思っているのもあります。

沖縄って、日本文化のようでいて、
じつは日本文化ではない。
少なくとも「大和」文化ではない。
だから沖縄の人は本州の人を、
「大和人(やまとんちゅ)」と言います。
自分たちのアイデンティティと、
大和人のアイデンティティが同じだと、
沖縄の人たちは思っていない。

(無知な)本州の人は「沖縄も日本だろ」と言いますが、
彼らにとってその言説はそう簡単に受け入れられない。
沖縄の歴史を知れば「それはそうだろうな」と思います。
何度、沖縄が日本に捨てられてきたか。
殴ったほうは痛くないですが、
殴られた方は痛みを忘れることができないのです。
何が言いたいかというと、
「沖縄人が考える沖縄人」と、
「沖縄以外の日本人が考える沖縄人」は、
じつは別々のものです。
認知が非対称なのです。

彼らには彼らの思想があります。
それがとても興味深い。

「文体は思想そのもの」です。
日本の俳句は「575」ですが、
沖縄の歌は「8886」だそうです。
「8886」を理解できなければ琉球の内在的論理を理解できない、
と久米島にルーツを持つ佐藤優氏は指摘しています。

今上天皇は「8886」の琉歌を学んでいたそうですが、
きっとそれは先の戦争で日本が沖縄の人にもたらした哀しみの責任を、
天皇家が今も深く感じ続けていることの現れでしょう。

ひるがえって自民党の議員や菅官房長官を観るとき、
彼らが「8886の論理」を理解しているようには見えません。
理解する意志があるようにすら見えない。

、、、沖縄を学ぶと、
あるいは「琉球大学から沖縄のメガネで」何かを学ぶと、
日本というものが、あるいは世界というものが、
より立体的に見えてくるのではないだろうか、
という強い知的好奇心が私にはあります。



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