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【Q】使徒パウロの思想とは?

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】使徒パウロの人生を知るには?

ラジオネーム:ターコイズブルー(女性)
お住いの地域:愛媛県

Q.

陣内さん、こんにちは。
今までにも何度か質問に答えて頂きましたが、また質問させてください。
私は、プロテスタント、カトリックに関わらず、
教会に行きたくてもなかなか行く機会を作れず、
独学で聖書やキリスト教の勉強をしていますが、
パウロの言葉にとても惹かれます。
間違って学んでいたらすみませんが、死と復活の概念、
また、信仰による生き生きとしたエネルギー、
信仰希望愛の秘儀の教えなどなど、読んでいて、
「ものすごく深いのに身近で役に立つ言葉」に、
ハッとしますし、また私も生活を頑張ろう、と、勇気付けられます。

そんな訳で、質問の趣旨は、「パウロ読本」的な
お勧めの本がないか、ということなのです!
パウロをここまで変えた(ユダヤ教徒からキリスト教徒へと)、
イエス・キリストの教えの真髄のようなものから、
パウロの人生が読み解けるような本があれば、
少しずつ読み進んでとても役立てられると思います。

楽あれば苦ありな生活を、
誰もが送っていると思いますが、
私にとって今一番心に響くのは、
祈ることや神様に依り頼むことなので
(そして前述のようにパウロが好きです)、
ぜひともよろしくお願いします。


A.

ターコイズブルーさん、
以前も、読書や名言について、
ご質問下さいましたね。
今回もご質問、ありがとうございます。

使徒パウロについてのお勧めの読本、
ということですが、正直なところ、
「脳内検索」をしてもヒットしませんでした。
そして、「使徒パウロの思想」を知るのにはこれが良い、
という代表的な著作についても、私は寡聞にして知りません。
誰か知っている人がいたら教えて下さい笑。

おそらくそれには理由があって、
パウロという人はその思想を把握するには、
人類に与えた影響があまりにも大きすぎるからではないかと、
私は思っています。

純粋に宗教史的に語るなら、
キリスト教の「教祖」はイエス・キリストですが、
その「開祖」はパウロであり、
これに異論を唱える歴史家はいません。
これはギリシャ思想の「始祖」はソクラテスだけれど、
その「開祖」はプラトンなのと同じです。

実際イエス・キリストという人は(ソクラテスもそうですが)、
自ら「書いたもの」をいっさい残していません。
「イエスの人生と口述によるメッセージ」という一次情報を、
口承で伝えた弟子たちによる「1.5次資料」があり、
それを最初に「包括的に体系化した」のがパウロでした。
それのみならず、
パウロは復活のイエスと直接に邂逅しています。

さらにパウロは当時の世界で五本の指に入る知識人であり、
ユダヤ教のとりわけ熱心な派閥の有望な若手指導者でもありました。
そういった特殊で多様な背景が、
「パウロのキリスト観」を形成し、
その言説が普遍性と伝達性の高さを獲得したわけです。

パウロが人類にもたらしたものは甚大です。
甚大すぎて、語りえないわけです。
あまりに大きなものを、人は語る事ができませんから。
「象を触る複数の盲人の話」という比喩がありますが、
私たちに出来るのはせいぜい、彼の思想を、
「これは柱のようなものだ」
「これは壁のようだ」
「これは絨毯のようだ」
「いや、ホースのようなものだ」
「いやいや、綱引きのロープだ」
と手探りすることぐらいです。
パウロの思想を一息で把握することは不可能で、
「象を触る盲人たち」のように、
延々と議論をするので精一杯なのです。

数ある歴史の「もし」の中に、
「もしパウロがいなかったら」というのは、
最大の「もし」の一つです。

それを考えることにさほど大きな意味はないのですが、
「もしパウロがいなかったら」、
キリスト教はキリスト教ではなかった可能性が大きいです。
おそらく現在、カトリックもプロテスタントも世界に存在しません。
今キリスト教として知られる宗教は、
「ユダヤ教のセクトのひとつ」として、
ローマ帝国の中で点々とくすぶり、
やがてユダヤ教の主流派に圧殺されていた可能性が高い。
パウロがいなければ2000年後の現在、
キリスト教は残っているかどうか分かりません。
つまり、キリスト教という、
「ユダヤローカルなセクト(当時)」を、
現在の「ユニバーサル(普遍的)」な宗教に変容させた張本人が、
パウロなのです。

念のため付言しますと、
これは信仰者としての「(不)信仰の表明」ではなく
冷静に「歴史」というものを分析した、
仮説形成にもとづく推論です。
そして、歴史は結果主義ですから、
「仮説」に意味はありません。
私の信仰は「キリストの教えは真理だ」、
というところにありますのでご安心を笑。

、、、というわけで、
パウロについては、私の力量を超えます。
ターコイズブルーさん、すみません。
今の私にはこの質問は回答不能です笑。

ただ、ターコイズブルーさんのおっしゃる、
使徒パウロの生き方やその言葉に深く励まされ、
人生を鼓舞されているのは私も同じです。
そして使徒パウロへの興味を私は、
ターコイズブルーさんと共有しています。

今年の春、N.T.ライトという人の、
「使徒パウロは何を語ったのか」という本を買いまして、
この質問を頂いた次の日から読み始めました。
「そういえばあの本買ったまま読んでなかったなぁ」と思い。
、、、で、まだ読了していないのですが(してないんかい!)、
大胆にもご紹介します。

▼参考リンク:「使徒パウロは何を語ったのか」N.T.ライト
http://amzn.asia/afKRmkm

この本は神学書ではありせんが、多少専門的な本で、
カジュアルな本というよりちょっとハードな本です。
、、、で、神学者としてのライト師は、
近年のパウロ研究が、
「ユダヤ教を否定するギリシャ思想的なパウロ」という、
近代神学が生んだ「誤解」から振り子が逆に振れてきている、
という分析をしています。

詳しい説明を省きますが、
特にプロテスタント教会は、
そもそもマルチン・ルターからしてそうなのですが、
「ユダヤ教的なるものを否定する」という悪い癖があります。
それが後に、
「ドイツのプロテスタント神学者が
ナチズムとホロコーストを論理武装という形でサポートした」
というキリスト教の黒歴史の伏線にもなっています。

しかし教会はそのような「反ユダヤ史観」を反省し、
近年のパウロ研究者たちは、
「徹頭徹尾ユダヤ教徒としてキリストの希望を語ったパウロ」
という新しいパウロ像を描きはじめており、
ライト師もそちらをサポートしています。

パウロはユダヤ教からキリスト教に「改宗」したわけではない。
パウロはユダヤ教徒として「弁証法的に保存的止揚」された、
「ユダヤ教’」を信じるようになった。
彼は真にユダヤ教徒のアイデンティティを保ったまま、
「ユダヤ教の(本当の)良き知らせ」を伝える使者となった。
それを後の人は「キリスト教」と呼ぶようになったのだ、
という立場です。

私もこちらを支持します。


、、、もう一冊。
記憶力の悪い私のEvernoteの読書ログで、
「パウロ」と検索してヒットした中からの一冊を。
遠藤周作の「キリストの誕生」という本です。

▼参考リンク:「キリストの誕生」遠藤周作
http://amzn.asia/5faGRyq

この本は「最初のクリスマス」という意味のキリストの誕生ではなく、
イエスがいかにして「キリスト」となったのか、
「キリスト」という概念がいかにして誕生したのか、
という遠藤周作のひとつの仮説です。

ですからこの本では、
生物学的にキリストを産んだのはマリヤだが、
「キリストという概念」をこの世に生みだしたのは、
12弟子やパウロである、という見解のもとに、
遠藤周作の思索が展開されます。
この本の隠れたテーマは「神の沈黙」であり、
映画化もされた遠藤の代表作「沈黙」の、
すぐれた解説書としても読むことができます。

一部引用します。


〈ポーロの死がもし、
そのようなあわれきわまるものだったら
生き残った彼の仲間は何と叫んだであろうか。
なぜ、あれほど福音を人々に伝えるため生涯を捧げた男に、
神はこんな惨めな死を与えたのか。

なぜ、神は彼を助けず、
彼に栄光ある死に方をさせず、
犬のように死なせたのか。
なぜ。なぜ。

人々はその謎に沈黙する。
彼は語らなかったのではなかった。
語れなかったのである。

それはイエスの無残な処刑から衝撃を受けた弟子達が
「なぜ」と叫んだときと同じ状況だった。
「彼はなぜ、そんなむごい死を神から与えられたのか。」
イエスの死が弟子たちに突きつけた同じ疑問、
同じ課題が再びポーロの仲間にも与えられたのだ。
、、、「ヘブル書」はこのように
ペトロとヤコブという指導者を殺された直後の
原始キリスト教団の信仰的危機を我々に伝えている。
この信仰の危機という60年代の教団の状況を考えて初めて、
我々はなぜ使徒行伝がポーロの死について語れず、
ペトロの死について語れず、
ヤコブの死にも默していたのかの秘密を解くことが出来るのだ。

、、、もちろん、この謎の前にひるみ、
疲れ果てて脱落する者も出た。
しかし残った者はそこから信仰の意味をつかんだのである。
不合理ゆえに我信ずというこの信仰の形式が
原始キリスト教団を組織的衰弱から防ぎ、
その活力を与えたのだと私は考える。
なぜなら、ひとつの宗教は組織化されるだけでなく、
神についての謎をすべて解くような神学が作られたとたん、
つまり外形にも内面にもこの人生と世界について
疑問と謎がなくなった瞬間、
衰弱と腐敗の坂道を転がっていくのである。〉

、、、宗教が「不合理性」「謎・疑問」を排除し、
きれいに物事を説明し整理され固定した教理を持つと、
その宗教は衰退を転げ落ちる、という遠藤の分析は白眉です。

私も遠藤周作にこの点において同意します。
私も、パウロという人の魅力は、
その「多層性」「多声性」にあると思うからです。
パウロというひとりの人の中に、
いつも複数の声があって、
それが弁証法的な葛藤を続けている。
だからこそ彼の思想は動的(ダイナミック)で、
読む者をこれほどまでに突き動かすのだと、
私は考えています。

なんだか生煮えの答えですみません。
これに懲りずにまたご質問をお寄せ下さったら、
嬉しく思います。




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【Q】「地域社会」と「離れた地域」は何が違いますか?

2018.05.03 Thursday

+++vol.038 2017年11月14日配信号+++


●【Q4】「地域社会」と「離れた地域」は何が違いますか?

A.

まず「復習」から入ります。
「4種類の仕える人々」に、
バランス良く仕えましょう、という話しを、
10月22日にさせていただきました。
「家族」「教会」「地域社会」「離れた地域」です。
家族には愛を示せるが教会員には関心がない、
あるいは職場では人々に仕えているが、
家庭内では憮然とした態度で気を遣わせる、、、
というのは神の意図した「愛する人のライフスタイル」とは言えません。
これに「被造物」を加えて、
5つの領域をあわせて考えることで、
神が創られたこの世界と社会に神の国を実現する、
「愛の種を蒔く人」となっていきましょう、
というのが私のメッセージでした。

ご質問の「地域社会」というのはですから、
家族でも教会(クリスチャン)でもない、
普段私たちが接する人々です。
その人の職業や年齢、性別などによって異なりますが、
働いている社会人ならば職場の人々や仕事上の関係者が含まれますし、
学生ならばクラスメイトや先生、学校関係者や塾・部活の友達が含まれます。
主婦ならば地域のママ友や町内会、ボランティアサークルへの参加なども、
地域社会への奉仕に入るでしょう。

「地域社会」とのつながりがまったくない場合は、
自ら主体的にそういったつながりを作って行くことも、
愛の種まきのひとつです。
自分の家に人を招いたり、
自ら出かけていってボランティア活動をすることも考えられます。
私たちキリスト者は「世に出て行って」「浸潤して」いくときに、
パン種がパン生地に浸透して作用するように、
世の中を変革していきます。

クリスチャンは塩気をもたらす塩ですが、
もし塩が袋にどっさり入ったままだと、
作用のしようががありません。
私たちは袋から出て、まき散らされる必要があるのです。

次に「離れた地域」についてです。
「愛の種まき」の着想元である、
書籍「もしイエス様が市長だったら」によりますと、
「離れた地域」というのは単純に「国外」と書かれています。
それは「全世界に出て行き、、、」というイエス様の大宣教命令の、
「地理的な広がり」から来ているアイディアです。

国外の人々のために一貫して愛の実践を行うことができたら、
それは聖書的なことですし、素晴らしいことです。
しかし、私は10年間「愛の種まき」を日本で啓発・訓練してきて、
「離れた地域」を海外に限定するのは、
日本とアメリカでは文脈が違うのではないか、と思うようになりました。

「もしイエス様が市長だったら」を書いたボブ・モフィット氏は、
アメリカ人ですから英語を話しますし、
最初に想定されていた読者も英語話者です。
英語というのは世界で最も普及した言語ですから、
英語話者にとって「他の国に仕える」という参入障壁は、
日本人の私たちよりもはるかに低いわけです。
英語話者ならば他の国の宣教団体や慈善団体のサイトもそのまま読めますし、
他の国の友達にメールや手紙を出すのも母国語でできます。

しかし、日本人が海外のことを知ろうとしたり、
海外の友人(そもそもそれを作るのに言語障壁があります)に、
手紙やメールを出すのは多くの場合簡単なことではありません。

ですからそういった所与の条件の違いを加味して、
「離れた地域」を、日本で教える際に私は、
「海外の人」に限定せず、
「自分が住む都道府県外の国内の人」も加えるようにしました。
(ボブ・モフィット氏とも相談の上そうさせていただいています。)

厳密な線引きは不可能ですし、する意味もありませんが、
首都圏は交通網によってつながっていますから、
埼玉県に住む人ならば「関東圏外」ぐらいを想定するのが適切かと思います。
たとえば熊本地震の被災者へ支援物資を送ったり募金をすること、
九州に住む高校の同級生に手紙を書くこと、
東北の震災に遭われた人々のために時間を取って祈ること、
他県で行われている知事選のことを調べ、
神の御心が行われるように祈ることなどは、
すべて「離れた地域」の人々への愛の実践に含まれます。

また、「海外は難しい」と最初に言いましたが、
私たちがクリエイティブに柔軟に考えれば、
そこまで非現実的なことではありません。
たとえばコンビニのレジ横には募金箱が置いてあります。
そこにいつもなら1円玉のおつりを入れていたけれど、
今日は50円玉を入れる、というのは立派な海外への愛の行為です。
なぜならその募金の行き先には海外への植林活動や、
海外の慈善団体の寄付などが含まれるからです。
また、YWAMなどの宣教団体が出している、
「未伝地域のための祈りのカレンダー」などは、
日本語にも翻訳されており入手可能です。
こういったものを用いて毎朝祈ることも、
「海外への愛の実践」に含まれます。

コツは、「柔軟に、大きく考え、そして小さく行動する」ことです。
私たちは多くの場合「大きく行動しよう」と志し、
その結果、皮肉なことに視野は狭まってしまうのです。
「宇宙大に考え、からし種のように小さく行動する」
というのを体得すると、仕事の仕方から社会への関わり方まで、
あらゆることが変わってきます。
御参考にしてくだされば幸いです。



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【Q】「必要を見つけられない」場合、どのように愛の実践を計画するか?

2018.05.03 Thursday


●【Q3】「必要を見つけられない」場合には、計画するのを待った方が良いでしょうか?

A.

私が13年前に「愛の行動の3ステップ」を、
ボブ・モフィット氏が講師を務めるセミナーで始めて知ったとき、
モフィット氏は参加者全員にチャレンジを与えました。

複数日にわたるセミナーでしたので、
夜のセッションが終わってから翌朝の朝のセッションまで、
約13時間ほどの時間があったのですが、
モフィット氏は参加者の私たちにこう言いました。
「明日の朝、ここに来るまでに、
 ひとつ、愛の実践をしてから来てください。
 それを終わらせるまではここに集まらないでください。」

その後、私を含む参加者は悩みました。
夜の街に繰り出し、倒れた自転車がないかどうか探す人、
教会の掃除を始める人、やおら親戚に電話をかけ始める人、
便せんに何か手紙を書き始める人、
会場に残り、とりなしの祈りのリストを手に祈り始める人、
他の参加者に謎の夜食の差し入れをする人、、、、
その様子はおかしく、楽しくもありましたが、
参加者は神に祈り、今まであまりしたことのないことをする、
という戸惑いや恐れの表情も見られました。

そのとき私が何をしたか今ではハッキリ思い出せないのですが、
たしか離れたところに住む姉に久しぶりにメールを打ったとか、
そんなことだったと記憶しています。

実行したこと自体も良い思い出ですが、
それよりも何よりも、私が未だに忘れ得ない、
新鮮に焼き付いている記憶は、
モフィット氏が、
「必要を神が示してくださるよう、静まって祈りましょう」
と導かれた5分間の静まりの時間のことです。

そのとき私は驚愕しました。
なんと、私は「自分の周囲の必要を示してください」と祈ったときに、
はじめて「あること」に気付いたのです。
その「あること」とは、
「自分は、自分の周囲の人の必要どころか、
その近況や状況すら知らない」
ということでした。

私は離れたところに住む祖父母が、
今どんな気持ちで生活していて、
どんな必要を抱えているか知りませんでした。
私は毎日顔を合せている職場の上司の家族構成、
家庭内の悩み、健康上の問題、個人的な葛藤をまったく知りませんでした。
私は自分の隣の部屋に住む人の名前も知りませんでしたし、
自分の教会の牧師が今何に悩んでいるかも知りませんでした。

この5分間が突きつけた「真実」は私の心をえぐりました。
その真実とは、
「自分はいままでクリスチャンとして10年間、
 『愛する』ことが一番大切だと語る宗教に帰依してきながら、
 朝起きてから夜寝るまでの時間の99パーセント以上を、
 『自分のことしか考えずに』生きてきた」
という事実でした。
大げさにいえば心臓が止まりそうになるようなショックがありました。

しかし、あのときのショックこそが、
その後13年間「愛の訓練」を続けるモチベーションになっていますし、
私の人生の変革の始まりでした。

実は、私たちの周囲に「必要」は溢れています。
私たちは「必要の海」のなかで生活していると言って良いです。
職場の同僚は人知れず泣いているかもしれませんし、
近所の人は、明日自殺することを考えているかもしれません。
あなたの親族のなかには身体的な病を抱えた人がいるでしょうし、
あなたの住む町にもきっとホームレスの方がいます。
人間側からのケアがなければ消滅してしまう森林や、
絶滅してしまう種が今この瞬間もありますし、
あなたの教会の牧師は「牧師をやめたい」と、
毎週思っているけれど誰にもそれを言えないかもしれません。

この現代世界に生きていて
「私は大丈夫、必要などない」
などと言える人はほとんどいないと言って良いでしょう。

「必要が見つからない」
というとき、可能性が二つあります。

それは、「自分自身の必要」のことを、
99.9パーセント考えているから、
その心配に心が満たされていて、
透過性のないサングラスをかけた状態になり、
目の前の人の痛みすら分からないとき。

そのときは、「自分から目を離す」
という、「信仰の命がけの跳躍」をしてみましょう。
きっと新しい世界が開けてくるはずです。

注:何らかの大きな病気や問題を抱えている場合は、
 ぜひそのまま安静にしてください。
 むしろ、今はだれかに助けてもらう時期です。
 回復したら誰かを助けてあげましょう。
 神様は重病人に出勤するよう迫るような方ではありません。

もうひとつの「必要が見つからない」可能性は、
「必要がありすぎて特定出来ない」場合です。

そのときは神様に祈りましょう。
私たちクリスチャンは「世の中のすべての問題を解決する」
ために召されたのではありません。
私たちは「神の御心を行う」ために召されました。

10,000個ある必要のなかから、
「神様、今週、私がなすように神様が選んでおられる、
 特定の必要を示してください。」
と祈ってみてください。
そして、「自分にできる一番小さなこと」を、
勇気と信仰をもって実行してみてください。

往々にして、一つの愛の行動が、
次の必要への扉を開いてくれます。
神様からの「新たな愛する力」とともに、、、。
神様は「愛の種を蒔く人」に、
「次の種」を分け与えてくださるのです。



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【Q】「愛の種まきプロジェクト」に共同体として取り組むためには?

2018.05.03 Thursday

+++vol.038 2017年11月14日配信号+++

●【Q2】「愛の種まきプロジェクト」に共同体として取り組むためにどんなことができますか?

A.

共同体でも取り組むことができる「愛の種まき」を、
基本的には個人で行う、というよりも、
本来的に共同体で取り組むようにデザインされた「愛の種まき」ですが、
状況によっては個人でも取り組むことができますよ、
と考えた方が良いかと思います。

「愛の種まきプロジェクト」のもともとのアイディアは、
「If Jesus were Mayor(もしイエス様が市長だったら)」という、
私が現在翻訳中(途中までFVIのホームページで無料講読可能)の、
書籍から取られています。

私はこの本の著者のボブ・モフィット氏に13年前に出会い、
彼とのメンター・メンティー関係のなかから、
過去10年の私の宣教の働きも導かれてきました。

私は10年ほど前にまだ公衆衛生獣医師として市役所に勤めていた時代、
1年半、毎週「愛の種まき」の取り組みをレポートにしてモフィット氏に送り、
それに対してモフィット氏がフィードバックと指導をする、
という個人的なメンタリングを受けました。

その後、小グループで取り組んだり、
私自身がメンター(コーチ)となって、
他の小グループにフィードバックしたり、
妻と共に取り組んだり、様々な形で、
「愛の種まき」に取り組んできました。

現在私は戸田福音自由教会の横山牧師と、
1対1で「愛の種まき」に取り組んでいます。
毎週レポートをやりとりし、フィードバックし合っていますので、
私は今週の横山先生の予定を常に知っていますし、
横山先生のチャレンジしている個人的な「愛の種まき」の内容も知っています。
横山先生もまた、私が今週どこにいて何に取り組んでいるかを知っています。
お互いに報告責任とフィードバックを与え合う、
アカウンタビリティパートナーになっているわけです。
これを始めてから半年以上が経過していますが、
確実に言えるのはもし「アカウンタビリティパートナー」がいなければ、
私も横山先生も最初の2ヶ月(かもっと早い段階)で、
この取り組みをやめてしまっただろうということです。

毎週自分の予定に加えて「他者に仕える」という予定を実行するのは、
楽なことではありません。
「やっと今週の実践が終わった。」と思うと、
すぐに来週の愛の行動の計画を始めます。

「あぁ、しんどいなぁ」と思うことも多々あります。
当たり前です。
「全てを与え尽くしたイエス様に似せられる」プロセスが、
「しんどくないわけがない」ですから。
イエス様も「私に従うのは楽ではない」と、
何度も釘をさしています。

、、、その「しんどいなぁ」の後で、
「やめちゃおうか」と、
「でも、続けよう」の二択を分けるものは、
「横山先生もがんばっているし」という、
仲間の存在の有無です。

そもそもキリスト者のすべての歩みというのは、
「共同体で」なされるように神は意図しています。

アフリカの諺に
「早く行きたいなら、一人で行きなさい。
 遠くまで行きたいなら、一緒に行きなさい」
というものがあります。

もし「遠くまで」イエス様に似せられたいと願うなら、
セルグループ、パートナー、牧師、教会リーダー、離れた場所にいる信仰の友、
あらゆる手段を有効活用し、「一緒に」歩まれることを、
強くオススメします。


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【Q】お気に入りの文具

2018.05.03 Thursday

+++vol.038 2017年11月14日配信号+++



●【Q1】好きな文具・お気に入りの文具

ラジオネーム:北国のぷーさん(男性)
お住いの地域:北海道

Q.

よにでしセミナーに参加しました。
良い機会をありがとうございました。
セミナー後は何気ない日常生活の出来事を
「本当にそうか?」と一段深く考えることが多くなり、
「批判的視点」が少しクセになったような感じです。
今は日常生活のモヤモヤ感を楽しんでいる最中であります。笑

そして俊君のQ&Aコーナー、いつも楽しみにしてます。
どんなシンプルなテーマでも幅広い知識と深い見解で切り込んでいくので、
いつもすごいなぁと思います。
なかでも僕が特に好きなのは「くだらないテーマ」に
真剣に答えているうちにいつの間にか深い話になっているパターンの時です。
なのであえて普通の質問をしてみたいなーと思いました。

【質問】
よにでしセミナーでもらったボールペン、最高です。
シーンを選ばない渋い黒、マットなさわり心地、細めでなめらかな書き味、、、
良いものいただきました。
俊君は好きな文房具・お気に入りの文房具はありますか?


A.

北国のプーさん、ご質問ありがとうございます。
また、よにでしセミナーに北海道から遠路はるばるご参加いただき、
本当にありがとうございました。
北国のプーさんの誠実な人柄と仕事や家族、教会に対する、
真摯な姿勢を観るときに、頼もしく感じ、尊敬の念を覚えます。
食事や風呂の時間に「メルマガ読んでますよー」と、
内容について触れたりしてくれて、本当に嬉しかったです。
日頃あまりそういうのって多くないので。
「あぁ、届く人には届いているんだ(遠い目)」となり、
「また来週も書こう」と思うわけです。

ご質問の件ですが、
まず、よにでしセミナーのボールペンは、こちらですね。

▼参考画像:よにでしセミナー刻印ボールペン
https://goo.gl/yJXzjM

「Yonideshi 2017」と刻印された、
世界で15本しかない限定ボールペン(非売品)です。
これ、かなりいいですよね。
4色ボールペンがついていて、
しかもシャーペンもついている。

ノベルティを考えるとき、
やはり「世にあって弟子である」ことを思い出せるように、
職場で使えるようなものがいいよね、という話になりました。

、、、で、(私が会議後に考えたのも含め)挙がったのは、
1.文鎮
2.しおり
3.タンブラー
4.(最後に)ボールペン

でした。
実は第一候補はタンブラーだったのですが、
値段が高すぎるのと、最小ロットが36個なので却下。
しおりも小ロットだと一個2,000円という高値で却下でした。
最後にボールペンを見つけました。
機能的にも申し分ないし、
しかも、ボールペンって殆どの仕事で使うじゃないか。

ボールペン(シャーペン)をまったく使わない職場って、
日本にあるんでしょうか?
お笑い芸人だって、TV収録のアンケートで使います。
海女さん?
、、、多分「潜った時間や回数の記録」のために使います。
大工?
依頼人のサインをもらうときや、
木に線を引くときに使います。
靴職人?
、、、うん、使います。

ラッパー?
絶対使います。
書きながら確認しないと、
きれいな韻を踏めませんから。

清掃員?
絶対使います。
チェックリストにチェックするときに。

うん、あらゆる職業でぜったい使うな。
ボールペンは。

、、、余談でした。
とにかく、これはいい!
ということであわてて注文したわけです。

いやぁ、文鎮にしなくてよかったぁぁあああぁ〜!
と、織田裕二バリに叫びたい気持ちです。

、、、で、このボールペン以外で、
私の好きな文具、お気に入りの文具について語ってみます。

そうですねぇ。

特にないです(沢尻エリカ以来の衝撃!!)。

、、、というのもアレなので説明しますと、
まず、私は10代〜30代前半までは、
かなり文具に凝りました。
文具マニアとは言わないまでも、
かなりこだわっていた方だと思います。

私が20代〜30代前半のころ一番使った文具は、
2種類あります。
ペンと紙、シンプルです。

1.zebraボールペン

ゲルインクボールペンは各社のものを使いましたが、
zebraのサラサが私には一番合っているみたいです。
今は手帳にくっつける細い筆箱に、
こちらを入れています。

▼参考リンク:サラサ4
http://amzn.asia/byR7UfZ

これはもう生産終了らしく、
価格が高騰しています。

▼参考リンク:サラサ3
http://amzn.asia/63ibTcG

壊れたらこちらを使おうと思っています。
4色が3色になりますが、まぁいいかな、と。


▼参考リンク:サラサクリップ0.4
http://amzn.asia/cxHW3OA

生涯、一番握っている時間が長かった「ペン」は多分これ。
獣医師国家試験の勉強のときも、
市役所職員のときも、
インドにいたときも使っていました。
インドにはこれと「替え芯10本セット」を、
荷物に入れていました。
その頃は人生で一番手書きのノートを使っていたので。



2.コクヨCampusノート

そして、コクヨのキャンパスノートにはお世話になりました。

▼参考リンク:コクヨキャンパスノートB5 100枚綴り
http://amzn.asia/j7Q7gx3

この25歳〜35歳にかけての10年間は、
100枚綴りのこのノートを年間3〜4冊は消費していました。
読書のメモをとったり、人との会話をメモをとったり、
人と会話するときにホワイトボード代わりに使ったり、
会議のメモ、「自分会議」のメモ、
新しいプロジェクトの着想をメモ、
面白いドキュメンタリー番組のメモ、
などなど。

私は「メモ魔」なのです。

、、、という二つを紹介しましたが、
30代後半になって(もうすぐ40代になりますが)、
私はあまり文具にこだわらなくなりました。

お客さんが目の前にいる仕事だったり、
職場で特殊な文具を使わなければならない場合は別ですが、
(以前私がいた職場では「耐水紙」という、
 びしょ濡れになっても書ける紙を使ってました。
 これがすごいんだ。)
特にプライベートな用途で使う場合というのは、
文房具の役割って「知的生産」に尽きると私は思っています。
情報のインプットと情報のアウトプットです。

つまり、「脳を外在化する」のが、
文房具の機能だと思われます。

頭で考えていることを外部に一回出して、
概念操作を加え、新たな着想を得たり、
アウトプットとして言語化、商品化、提案化することが、
文房具の「仕事における役割」だと思います。

陸上選手の足にとってのスニーカーとか、
野球選手にとってのミットにあたります。
つまりあくまで「身体の一部としての脳の補助具」が、
文房具なわけです。

そういった意味では、
パソコンというのは「脳の外在化」に他ならないわけです。
私は30代後半からけっこう「デジタル方向」に、
そういう意味ではシフトしたように思います。
クラウドや同期機能がかなり使いやすくなり、
無理しないでもアナログガジェットに匹敵する
便利さを享受できるようになったのが、
たぶん2013年ごろだったように私は感じています。

なにより「Evernote」の登場が大きい。
私のなかで新型iPhoneなんかよりよほど大ニュースです。
私の知的活動は「Evernote前とEvernote後」に分かれると言ってもいいぐらい。
そもそも、このメルマガはEvernoteがなければ、
始めようと思っていないはずですし、
続けることが不可能です。

1年半前に私が「メルマガやってみようかな」と思ったのは、
2014年ぐらいから付けていた、
自分のEvernoteの「読書メモ」が600冊ぐらい貯まってきて、
「何かこれを発展させてアウトプットしたいなぁ」と、
ぼんやり考えていたところから始まりました。

私は記憶力が良い方ではないので、
読んだ本なんてタイトルすら覚えていないことが多いです。
読んでいるうちに「既視感」を覚えてきて、
なんのことはない、昔読んだことのある本だった、
なんてことは年に何度かあるぐらいです。

しかし、Evernoteに読書メモをとるようになって世界が変わりました。
ある著者の本を買ってきたら、検索バーにその著者の名前を入れます。
そうすると過去に読んだその著者の本がずらっと並ぶ。
そのとき自分が抜粋したセンテンスとともに。

知識の有機的連なりの精度とスピードが格段に上がったわけです。
しばらくは友人と読んだ本について語り合うときに、
その読書メモを使ったりしてたのですが、
しばらくして、「これってもったいないよな」と思った。
これを「社会に還元」しないと、何か悪いことをしているような、
そんな感覚を覚えた。

それで、いろんなことを検討した結果私が選んだメディアが、
メルマガだったわけです。

メルマガだけではなく、
私がやっているもうひとつのブログも、
Evernoteの賜物です。
今は「デボーションブログ」化していますが、
それができるのもEvernoteで毎朝聖書を読んだ記録をしているから。
このブログはちなみに来年ぐらいにデボーションから別の方向に、
シフトすることを考えています。

また、私が様々なところでするメッセージや講演やセミナーも、
Evernoteという「情報の腐葉土」から出てきた産物です。
要するにEvernoteは私のインプットの許容量と精度を上げ、
さらにアウトプットの奥行きやポテンシャルを、
格段に高めてくれたのです。

、、、ですから現在私の使っているデジタルガジェットは、
すべて「Evernoteの補助器具」と言っても良い。
極論すれば私にとってデジタルガジェットは、
Evernoteというエコシステムを補強する道具なのです。

紹介していきます。

▼参考リンク:レッツノートRZ4
https://goo.gl/uW9tzM

(*ビックカメラなど店頭ではレッツノートって、
 20万超えててビックリしますが、
 ネットショップで「1年型落ち」を買えば、
 12万円ぐらいに収まります。
 もちろん安くはないですが、だいたいMacBook新品と同じぐらい、
 という、穏当な価格になりますので購入をご検討の方は御参考に)

レッツノートは2007年に初めてR8というモデルを買い、
それから10年、「逃れられない」ほどに使い倒しています。
現在「三代目」。

デジタルガジェットって、お金をけちって、
その結果短期間に買い換えを繰り返すよりも、
良いものを買ってそれを長く使った方が、
あらゆる意味でコスパが良いです。
こういうところで1万円、2万円をケチって、
早めに寿命が訪れて、次の安物を買う、というのは、
「安物買いの銭失い」の典型ですね。
私も経験がありますが。

FVIは零細団体なのでパソコンは経費では落ちず、
全部、自分の家計から自腹購入です。
(過去に一度「私のPCのために」という名目で献金してくださった、
 守護天使のような人がかつていたときは例外ですが。
 本当に天使だったのかもしれません。)

話がそれました。
自腹だから、というのもおかしいですが、
とにかくパソコンに無駄なお金は使えません。
だからこそ、良いものを買います。
イヴォン・シュイナードの言葉を借りれば、
「貧乏人には安物を買っている余裕などない」のです。

レッツノートは、ホントに外さないです。
現在使っているRZ4は、
過去最高の使い心地かもしれません。
とにかく軽いです。
初代iPadより軽いんですから。


▼参考リンク:Sony7インチタブレット
http://www.sony.jp/tablet/products/Z3/

私はスマホを所有していませんが、
「通話のできないスマホ」としてタブレットを所有しています。
Evernoteの真価を発揮するのが、
この「タブレットとPCでの同期」ですね。
PCで入力した読書メモ、映画メモ、レシピ、デボーション等を、
出先で見られるコイツは縁の下の力持ちです。


▼参考リンク:ポメラ
http://www.kingjim.co.jp/pomera/dm100/

去年、自分への誕生日プレゼントとして買ったのがこちら。
「入力マシン」です。
簡単な話「小さなワープロ」ですね。
喫茶店などで長時間執筆作業をするとき、
パソコンだとどうしても、
メールチェックしたりヤフーニュース見たり、
ネット上の面白くもない記事を読み始めたり、、、
という誘惑に遭遇しがちです。

これはプロの作家とて同じらしく、
佐藤優や羽田圭介など、
多くの「物書き」がポメラの所有を公言しています。
「書くことしかできない」状態に自分を追い込む道具として、
ポメラは活躍してくれます。

書いたテキストはもちろん、
あとでEvernoteにぶち込みます。


、、、とここまで、
デジタルガジェットについて語ってきましたが、
デジタルだけでは当然不十分です。
グーグルカレンダーのスケジュール管理は便利ですが、
これに一本化する勇気はまだ私にはありませんし、
Evernoteは便利ですが、
複雑な概念操作を図式化したり、
マトリックスを作ったり樹形図やロジックツリーを描く、
というときに、手書きにまさるものは、
あと10年は出てこないと私は踏んでいます。

どれだけ技術が進んでも、
「紙と鉛筆(ペン)」は、
やはり最強の文具なのです。

そういった「デジタルを補完アナログ」として、
私はこちらを携帯しています。

▼参考リンク:コクヨ・キャンパス手帳(セパレート)
http://www.kokuyo-st.co.jp/stationery/campusdiary/lineup.html#campus_diary

これでスケジュール管理をし、
同じバインダにとじてあるA5のリングノートに、
「礼拝の説教のメモ書き」をし、
「様々な会議のメモ」を書き、
そして「自分会議」をします。

さらに「これは」というノートは、
Evernote(出た!)のカメラ機能で撮影し、
それを「文書形式で保存」しておきます。
そうするとあとで検索できる。

すげー時代です。

、、、というわけで、
私の文房具の旅というのは、
「デジタルとアナログの弁証法」であり、
そして知的生産にまつわる物語、なわけです。

、、、そういった、
「知的生産性」に関する良書を、
詳述しませんが何冊かご紹介します。
私の上記の「実践」は、
こういった本からの応用です。

▼参考リンク:「あなたを天才にするスマートノート」岡田斗司夫
http://amzn.asia/3LI0JDt

▼参考リンク:「知的生産の技術」梅棹忠夫
http://amzn.asia/2eCw0Om

▼参考リンク:「僕らが毎日やっている最強の読み方」池上彰×佐藤優
http://amzn.asia/7gxGikR


、、、御参考に。


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【Q】「神様の方法」とは?

2018.04.26 Thursday

+++vol.037 2017年11月7日配信号+++


●【Q2】「神様の方法」とは?

「自分の方法」ではなく「神様の方法で」とありますが、
どうやってそれが「神様の方法」だと判断すればいいでしょうか?
祈っていれば確信が与えられるのでしょうか?
確信が持てないうちは、まだ実行に移さない方がいいですか?


▼▼▼陣内からの回答:

あらゆる「神の導き」に言えますが、
「100%の確信」というものは基本的にありません。
私も「100%確信して」何かを行ったことは一度もありません。

イザヤ・ベンダサン(山本七平)の「日本人とユダヤ人」によると、
ユダヤ人は多数決の際「全員が一致」した場合、
その結論は棄却されるそうです。
(全会一致を良しとする日本の合議とは真逆ですね)
それは彼らが「全能なのは神だけ」という前提を持っているため、
人間全員が一致するような結論は何か間違っているに違いない、
と考えるからです。

同じように「100%御心だと確信していること」というのは、
不完全な私の「主観」が多分に反映されていることが濃厚ですから、
疑ってかかった方が良いです。

では何が「神の御心なのか?」。

それは、小さな決断をするときでも、
「自分はこうしようと思いますが、
 神様はどう思われますか?」と祈る習慣を持つこと、
それ自体は、間違いなく神の御心です。

神の御心というのは個別具体的な「正解」を与えるものではなく、
「私たちの生き方」という大きなスタンスにこそあります。
そして、ひとつひとつの愛の実践をする前に、
「これは神様の御心ですか?
 それとももっと別の方法を神様は用意しておられますか?」
と神に聞くということ自体が、神の御心に沿って生きる訓練です。

「完璧に確信しなければ何もしない」のではなく、
「こう語られているような気がする」ことをやってみてください。
そうやって試行錯誤する中で、
「トライアンドエラー」を繰り返して行くと、
3割だった「打率」が7割になり、何年も続ければ9割になるかもしれません。
しかし私たちは人間ですから99%はあっても100%はありません。
「自分が100%」だと思ったときは、
逆に「何かおかしいのでは?」と思いましょう。


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【Q】「愛の実践」には気持ちが伴わなくて良いの?

2018.04.26 Thursday

+++vol.037 2017年11月7日配信号+++


▼▼▼愛の種まきプロジェクトとのコラボ企画▼▼▼

先月末より埼京のぞみチャペル(戸田市)の、
20周年の取り組み、
「愛の種まきプロジェクト」に、
微力ながらご協力させて頂いています。
プロジェクトチームの皆様の主催する、
「愛の種まきプロジェクトメールマガジン」に、
私も寄稿させて頂いており、
私は「Q&A」コーナーを担当しています。
「隣人を愛するための小さな愛の実践」に関して、
寄せられた様々な質問に私がお答えする、
という格好になっていまして、
プロジェクトチームのご了承をいただいて、
今週から数週間にわけて、
「読むラジオ」にその原稿を転載させていただきます。


●【Q1】「愛の種まき」に、気持ちが伴わなくてもいいの?

自分が苦手なタイプの人に思い切って行動を起こしてみた
(孤立していたので声をかけてみた)のですが、
正直、心は伴っていませんでした。
表面的に思えるのですが、それでもやった方がいいのでしょうか?
また、相手の反応にイラッときてしまって、
喜びどころか「やるんじゃなかった・・・」と思ってしまったのですが、
何が間違っていたのでしょう?


▼▼▼陣内からの回答:

スティーブン・コヴィーの「7つの習慣」に、
「愛は動詞である」と書かれています。
現代社会は映画も音楽も小説も、
「愛は感情である」という前提で作られていますから、
私たち信仰者も知らないうちにその影響を受けがちです。
しかし、コヴィー氏が言うように「愛は動詞」です。

もし愛が感情であるなら、
イエス様が言われた「敵を愛しなさい」という命令は、
論理的に破綻していることになりますが、愛が動詞であると考えれば、
「敵を愛する」という命令は実行可能です。

ですから質問者様の実践は何も間違っていません。
それどころか、もっとも神様から喜ばれるタイプの実践です。
というのは、愛の行動の結果「感謝された」としたら、
その喜びは神に従った喜びなのか、
人から認められた喜びなのか不明瞭だからです。
しかし何も肯定的な応答が返ってこなかったとしても、
「神様に示された愛の行動を行えた」ということを喜ぶとしたら、
それはイエス様が味わわれた喜びと同じだからです。

「Hurt people hurt people」という英語のフレーズがあります。
「他者を傷人つける人というのは傷ついた人なのだ」というような意味です。
声をかけた相手が「苦手なタイプ」であり、
その反応も「人をいらっと」させるものであるのは、
その人が「傷ついた人」だからである可能性が高いです。

イエス様は「金持ちでなくお返しのできない貧しい人に施しなさい」と、
弟子たちに教えられましたが、
感情の世界で「金持ち」とは誰からも愛される「感じの良い人」であり、
感情の世界で「施しのできない貧しい人」とは、
「できれば普段あまりお近づきになりたくないような人」です。

質問者様の今回の実践は、そのような意味でも、
イエス様の御心に沿う素晴らしい実践です。
相手から「ありがとう」が返ってこないときは、
天の父からその人の代わりに「ありがとう」が発せられています。
その声に耳を澄ましてみましょう。
「人からでなく天からのアファメーション(承認)」
が聞こえるようになると、人生が変わります。



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【Q】textが添付される?

2018.04.19 Thursday

+++vol.036 2017年10月31日配信号+++


●【Q】テキストが添付される?

ラジオネーム:のりボー(男性)
お住いの地域:東京都

Q.

メルマガ添付のtextは何に使うのでしょうか?


A.

ちょっと今回は実務的なことで、
のりボーさんから上記のような質問が届きましたので、
取り上げさせていただきます。

▼参考リンク:hetemlインフォメーション
https://heteml.jp/info/detail/id/1697

基本的にこのメルマガに添付ファイルを付けることはありませんので、
解凍が必要なファイルなどがメルマガに含まれていたら、
それはスパムメールであって偽物ですので、
決して開かないでください。

もしくはメーラー(Outlookなどのメールソフト)の設定上、
ある一定量のメールやHTML形式のメールの場合、
Textファイルで添付されるというような仕様があるのかもしれませんが、
すみません、具体的にそのようなことがあるのかどうか、
といったことは把握していませんので、
ご自身でお調べになっていただけますと幸いです。

もうひとつ、技術的な質問を頂いたついでなので書きますと、
何度も「入会」される方がいらっしゃいます。

ちょっとその意図が私にも分かりかねるのですが、
可能性としては
1.退会したい
2.入会したがメールが届かない

という二つの可能性があります。
退会したい場合は、
フォームから「退会する」というチェックボックスを押して、
お送りください。
(入会フォームと退会フォームが同じで、
 多少ややこしくなっているかもしれませんので、
 混同されていたらすみません)

また、入会したがメールが届かないと言う場合は、
特に携帯のドメインで多い事例ですが、
・URLのリンクがあるメールを拒否する
・パソコンのドメインからのメールを拒否する
・長文のメールを拒否する
などが初期設定になっている場合がありますので、
そういった設定を解除していただく必要があります。

まぁ、届いていない人はそもそもこれを読めないわけなので、
「何言ってんだ」という感じですが笑、
周囲に届かない人がいたら教えてあげてください。

ご理解のほど、よろしくお願いします。



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【Q】ベスト映画を教えて下さい

2018.04.12 Thursday

+++vol.035 2017年10月24日配信号+++

●【Q】ベスト映画を教えてください

ラジオネーム:一番搾り(男性)
お住まいの地域:福岡県

Q.

陣内さんこんにちは。
趣味が映画鑑賞の40代会社員です。
唐突ですが陣内さんのなかで「ベスト映画」は何ですか?
「ベスト映画」をいきなり聞くというのは愚問というのは知っていますので、
「今までに2回以上観た映画」を中心に教えていただけますと嬉しいです。
ちなみに私が2回以上観た映画には、
「ファイトクラブ」
「パルプフィクション」
「羊たちの沈黙」
などがあります。


A.

一番搾りさん、ご質問ありがとうございます。
私が今までに2回以上観た映画は、
かなりの本数があると思うのですが、
パッと思いつくやつを5本挙げます。

1.スタンド・バイ・ミー

これは私の「人生ベスト映画」かもしれない。
何度観ても良いですね。
6回ぐらいは見ているんじゃないかな。

見るたびに思います。
「この映画は完璧だ」と。

上映時間はけっこう短くて確か90分ぐらいです。
この映画は足すことも引くこともできません。
足したり引いたりした人はのろわれます(ウソです)。
聖書の「黙示録」のくだりみたいですね笑。

説明不要ですが、素晴らしい。
何もかも。
「あの少年時代の友情、
 あどけなさ、輝き、無垢さ、、、」
英語ではこれを一言で、
「アドレセンス」というのですが、
その「アドレセンス」を、
完璧な形で真空パックしたのがこの映画です。

かつて(今もあるのかな?)、
「富士山山頂の空気が入った缶詰」という、
意味不明な商品が売られていたことがありましたが、
スタンド・バイ・ミーは、
「少年時代のアドレセンス」を、
本当に缶詰にしてしまった奇跡の作品です。

今は亡きベン・E・キングの歌う主題歌も、
完璧です。

原作者スティーヴン・キングが、
「人物設定」をした時点でこの映画の勝利は決まっていた。

ぜんそく持ちの主人公はちょっと体が弱いですが、
頭が良く文学的センスを持っていて、
後に小説家になります。
ガキ大将は腕っ節が強く大人になると警察官になります。
(そして彼の後日談には泣けます。)
近眼で乱視の「ちょっとヤバイ奴」は、
家庭がめちゃくちゃ複雑で虐待を受けています。
太っちょのいじめられっ子は、
頭も性格もあまり良くないけど憎めない奴です。

「ジャイアン、のび太、スネ夫、しずかちゃん」
というカルテットに匹敵する、
パーフェクトバランスの人物設定です。
あの映画において「死体を見に行く」とか、
実はどうでも良いのです。

この4人が一緒に旅をして、
トラブルに遭遇し、
じゃれ合い、ふざけあい、
夜には互いに弱さを告白し合い、
そして旅によって「大人になる」という、
イニシエーションを経験する、
そういう「巡礼の旅」なのです。
それを疑似体験できる名作です。

メルマガ読者でスタンド・バイ・ミーを未見の人がいたら、
その人は人生を損している、もしくは、
「まだそんな楽しみを先に取っておいている」
という意味で人生を得していると思いますので、
ただちに鑑賞しましょう笑。


▼参考リンク:「スタンド・バイ・ミー」
http://amzn.asia/3VK7Br7



2.素晴らしき哉、人生!

これも4回ぐらいは見ていると思います。
家にDVDが置いてあるだけでなく、
プレゼントできるように複数所有しています。
この映画はクリスマスの日に観ると格別です。

そもそもこの映画を知ったのは、
以前行っていた愛知県の教会の「のぶさん」という牧師が、
毎年クリスマスの日に教会でこの映画の上映会をしていて、
それに参加したのがきっかけです。

のぶさんはこの映画が好きすぎて、
誰ひとり参加者がいなくても意に介さず、
教会のプロジェクタで礼拝堂にこのDVD映像を投影し、
ひとりで涙を流しながらこの映画を観る、
そうクリスマスを過ごすと決めていたのです。

私もあるとき「のぶさんがそんなに言うなら見てみようじゃないか」
と「仕方ないから付き合う」つもりで上映会に参加しました。

、、、結果、まんまと泣きました。

「人間が生まれてきた意義」について考えさせられ、
そしてそれを肯定する、人生賛歌です。
同じテーマでは黒澤明の「生きる」も良いですが、
私はこちらのほうが好きかな。

金融関係の仕事をしている人は、
この映画は余計にぐっと来るのではないでしょうか。
温かい手で「生きろ」と背中を押してくれるような、
そんな映画です。

この映画も未見の人がいたら、
人生を損している不幸な人か、
楽しみがまだ残されている幸せ者のどちらかなので、
DVD(安!!)を購入してただちに見ましょう。

▼参考リンク:「素晴らしき哉、人生」
http://amzn.asia/bB0QPIl



3.ストレイト・ストーリー

デヴィッド・リンチの名作です。
「ゆっくりと、おじいさんが、
 別のおじいさんに会いに行く」
という映画です。
(改めて文字化すると、
 なんなんだこの映画は、という感じですが笑)
筋書きだけ言うと死ぬほどつまらなそうなのですが、
これがいいんだ。

病気中、「音が派手だったりストーリーの起伏が激しかったり、
元気でバリバリ仕事している人の話が出てくる映画」は、
神経に障って落ち込みが激しくなるので見られませんでしたが、
この映画は「セラピー」のごとく、繰り返して見ました。

DVDを買って。
だから10回以上は見ています。

主人公の老人「アルヴィン」の表情と、
アメリカの田園部の自然の風景を見ているだけで、
なんとも言えない幸せで穏やかな気持ちになれます。

先ほど「セラピー」と言ったのはただの比喩ではありません。
主人公は州をまたぐ120キロメートルの「巡礼の旅」を、
改造した芝刈り機で達成するのですが、
その途中、彼の前には家出中の不良少女、
日々の生活に疲れ切った働く女性、
田舎の日常に満足した中産階級の人、
第二次世界大戦のトラウマを50年以上引きずる老人、、、
などアメリカの「群像の一部」としての何人かの個人が、
アルヴィンと出会います。

アルヴィンはとくに気の利いたことを言うわけではありません。
ただ、そこにアルヴィンとして存在するだけです。
しかし不仲の兄弟と会って和解するために、
芝刈り機で巡礼の旅をするアルヴィンじいさんに「触れ」るとき、
人々は何かを発見していきます。
それはとても小さな変化なのだけど、
重要な変化です。

「芝刈り機で旅をするおじいさん」という、
「日常ならざるものの存在」が、
「日常のなかにスタックした人々」を、
文字通り轍(わだち)から外し、
本来の道筋に戻していくのです。

この映画を未見の人は人生を、、、、
もういいか。

見ましょう。


▼参考リンク:「ストレイト・ストーリー」
http://amzn.asia/5koBq3F



4.エンディング・ノート

これはすごかったですね。
人生ベスト号泣映画です。
涙腺崩壊とはこのことです。

監督は砂田麻美さんといって、
是枝裕和監督の「弟子」をしていた人です。
ですからこの映画には是枝監督も少し関わっています。

ドキュメンタリー映画です。
内容は、、、言えません。
とにかく観ましょう。

この映画を観て泣かない人って、
たぶん日本には蛭子能収と東野幸治の二人だけだと思います笑。
もしこれを見て泣かなかったら、
サイコパスの資質ありと考えて見なして大丈夫です。

▼参考リンク:「エンディングノート」
http://amzn.asia/9b4xRGw


、、、という感じで、
複数回観た映画を4つご紹介しました。
他にも、

5.シン・ゴジラ
6.パーフェクト・ワールド
7.バッファロー66’

というラインナップを書いたのですが、
今日は文字数の関係で割愛!
全部名作です!

質問者様は映画好きなので、
全て観ているかもしれませんが、
もし未見のものがありましたら、
観て絶対に損しない作品ばかりですので、是非。

御参考に。



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【Q】キングオブコント2017について

2018.04.05 Thursday

+++vol.034 2017年10月17日配信号+++


●【Q】キングオブコント2017について

ラジオネーム:お笑いウォッチャー(男性)
お住まいの地域:三重県

Q.

陣内さんこんにちは。
いつも面白い文章をありがとうございます。
私は地方在住のお笑い好きで、
年に一度はお笑いライブに行きます。
職場には私と同じ熱量でお笑いのことを語れる人はいませんので、
陣内さんが時々お笑いを語ってくれると、
「同志」に出会った気持ちになり嬉しいです。

私も「ダウンタウン信者」で、
過去の「ごっつええ感じ」のDVDを未だに見ていますし、
「ビジュアルバム」も持っています。
一番好きな若手の芸人はちなみに、
「笑い飯」です。

、、、さて、お笑い知識人の陣内さんに質問ですが、
今年のキングオブコントはご覧になられたでしょうか?
もし見られていたら、陣内さんの目から見た、
キングオブコント2017の「総評」をお聞かせいただけたら嬉しいです。


A.

お笑いウォッチャーさん、
ご質問ありがとうございます。
私も同志に出会えて嬉しいです笑。
メルマガをやっていて良かった、と思います。

キングオブコント2017、もちろん観ました。
「にゃんこスターの衝撃」ばかり語られていますが、
今回の大会はそれ以外にも見所が沢山あったと思います。

▼参考リンク:キングオブコント2017
http://www.king-of-conte.com/2017/

まず、優勝した「かまいたち」に関しては、
文句なしですね。
「完全優勝」と言っていいと思います。
文句なしに一番面白かった。
すでに大阪では売れっ子の彼らはトーク力もあるし、
東京でもちゃんと売れるのではないでしょうか。

一発目のネタをやった後の採点後、浜ちゃんとの絡みの、
「え、、、ごめんなさい。
 まだ状況がよく分かってないんですけど、
 、、、これは『優勝』ということでいいんでしょうか?」
→浜ちゃん殴る
の絡みとか最高でしたね。

「わらふじなるお」の「ダル絡み」とは天地の差ですね。
ああいうウザい絡みは観ていていやーな気分になります。
あとで浜ちゃんにしこたま怒られたらいいのです笑。

ちなみに私は「かまいたち」が去年やった「給食費」というネタが、
一番好きです。
(私の妻もこのネタが一番好きです)

▼参考動画:かまいたちネタ「給食費」
https://youtu.be/hE3ZdZ7SLHs

、、、あと、あまり誰も言わないですが、
今回のキングオブコントの最大の功労者は、
アンガールズだと私は思っています。

アンガールズなんて、もうテレビに出まくっているわけだし、
ああいう賞レースに出ることは、
「ハイリスクローリターン」なわけです。
だだスベりするかもしれないし、
同じ事務所の後輩に完膚なきまでに負ける可能性もある。
良いことなんて1つもないわけです。

でも、彼らが出て、なおかつちゃんと笑いを取って、
大会を盛り上げたことで、今回の大会が「締まった」わけです。
バナナマンの設楽さんもラジオで、
アンガールズの功績を指摘していました。
バナナマンも10年前にキングオブコントに出ていますから、
そういう実感はことさらにあるのでしょう。

あと、毎回面白いなぁ、、、と思う、
キングオブコント常連も面白かった。
「アキナ」のサイコパスネタも面白かったです。
審査員では松ちゃんと設楽さんがこのネタにかなり高い評価をしていましたが、
その理由は彼らもまたサイコパスコントの作り手だからです。
松ちゃんなら「キャシー塚本」がいるし、
バナナマンのライブなんて、「サイコパスの見本市」です。

あと、「さらば青春の光」は毎回面白いですね。
彼らは芸能事務所に所属せず、
スタンドアローンで芸能活動をしている猛者で、
「お笑いに魂を売った」がごとく、
全国ライブツアーを毎年敢行して、
ネタを書きまくり、場数を踏みまくり、
腕を磨きまくり、賞レースでも毎回爪痕を残しています。
道場に所属せず野山で腕を磨いた宮本武蔵のようでカッコいいです。
「さらば青春の光」の森田の性格は最悪で、
「クズ人間」ということで有名ですが笑。
天は二物を与えないわけですね笑。

、、、キングオブコント2017には出ていませんが、
あと2、3年で確実にブレイクしそうだと思うコント師を挙げるなら、
私は「しゃもじ」「タイムマシーン3号」「ジェラードン」「ネルソンズ」
あたりに注目すべきだと思います。

先日「しゃもじ」の沖縄弁のネタを観て、
久しぶりに1人で声を出して笑いました。

、、、御参考に(?)



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【Q】ミスチルのマイナー曲

2018.03.29 Thursday

+++vol.033 2017年10月10日配信号+++


●【Q4】ミスチルのマイナー曲

ラジオネーム :ぼこ (男性)
お住いの地域:東京都

Q.

いつも愉悦に興じる空間として
拝読している東京在住のサラリーマンです。

陣内さんの中で, Mr childrenのマイナーな曲で挙
げるとすればどの辺りでしょう。
因みに私はSunrise, 掌, ポケットカスタネット,
ロードムービー, arrive, another mind, 旅人, fanfareあたりです。
これらの歌詞の中には時代を解く意味深なものが
あるように思います。よろしくお願いいたします。


A.

ぼこさん、ご質問ありがとうございます。
文面から拝察するに、相当にミスチル好きですね。
私も好きですので、ぼこさんとは小一時間、
この話題で盛り上がれそうです笑。
ぼこさんが挙げられた曲目のうち、
another mindは知らなかったです。
(多分聞いたことあるけど認識していない。)
ぼこさんの方が詳しいかもですね。

ミスチル好きな人って、
3種類ぐらいに分かれる気がします。
「クロスロード」とか「イノセントワールド」の初期が良かった、
という人、
「終わりなき旅」「Everything」あたりの中期が好きな人、
そして、
「放たれる」「365日」などの、わりと最近のミスチルが好きな人です。
なんか、「村上春樹論」とか、
「ドストエフスキー論」みたいですね。
それだけミスチルはキャリアが長いということなのですが。

私はちなみに「中期」が好きです。
最近のミスチルも聴きますが、
最高の名盤は「深海」か「ボレロ」の2枚だと思っていますので。

「深海」の、
「So Let's Get Truth」とか、
「ボレロ」の、
「タイムマシーンに乗って」「ALIVE」は、
めちゃくちゃ好きですねぇ。
「キングオブJ-POP」のミスチルが、
ポップどころか「実存的苦悩」みたいな袋小路で迷っていたあの時期は、
桜井和寿の健康には良くなかったのでしょうが、
聴く人々には滋養に満ちた「文学的果実」をもたらしたと思っています。

「侵略の罪を 敗戦の傷を あざ笑うように、
 足並みそろえて 価値観は崩壊していく」(byタイムマシーンに乗って)とか、
ミュージックステーションで歌えないレベルですから笑。
今なら自民党の幹部から怒られてお蔵入りになると思います笑。
テレビ局の社長の首が飛びます笑。

ミスチルが上手なのは、
「団塊ジュニア以降の世代の、
 実存的苦悩をいったん引き受けて、
 それに時代的な意義づけと色づけを行い、
 合気道みたいな形で最後に、
 『希望(めいたもの)』に昇華する」
という「職人芸的な手際」ですね。
「詩人」だからこそできる、
他の人に真似できない芸当だと思います。

10年ぐらい前にロッキン・オン・ジャパンという雑誌で、
「中島みゆきの正統な継承者は桜井和寿だ」って書いてあって、
なるほどねぇと感心したのを覚えています。

昨年ノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランは、
日本だと中島みゆきと吉田拓郎と松任谷由実と、
長渕剛と桑田佳祐と大滝詠一を合せたような存在です。
「時代を代弁する詩人」という意味で、
そういった世代のミュージシャンたちがいました。

現在の日本の「詩人性」を引き受けているのは、
ミスチルでありBUMP OF CHICKENであり椎名林檎であり、
RADWIMPSであり宇多田ヒカルです。

5年ほど前から特に、
病気になった影響もたぶんあるのですが、
私は邦楽をあんまり聴かなくなりました。
特にミスチルより新しいやつは殆どキャッチアップできてません。

RADWIMPSはまだギリギリ「意味が分かり」ますが、
KANA-BOONとか、
セカイノオワリとか、
ゲスの極み乙女とか、
マジでよく分からん。
全部やたらとキーが高いし。
(おっさん全開な意見ですみません。)

、、、でも、この夏頃から
「クリープハイプ」はいいな、
と思って聴き始めました。
あれもイカれたぐらいキーが高いのですが、
聴いてると高いだけじゃない味わいがある。
ヴォーカルの尾崎世界観の書く詩は文学的味わいに満ちています。
「百円の恋」という映画の主題歌を聴いてから彼らに興味を持ち、
尾崎世界観の書いた小説も読みました。

彼らはなかなかの逸材なのではないか、
と私は思っています。

、、、あと、
ミスチルのマイナー曲、他にも思い出しました。
「独り言」「1999年、夏、沖縄」
「fake」「REM」あたりも好きです。

それと「ファスナー」も名曲だと思います。
スガシカオはこの曲を聴いて「やられた!」と思った、
とどこかに書いていました。
ぼこさんは恐らくご存じかと思いますが、
後にスガシカオのアルバムの中で、
桜井和寿とスガシカオのデュエットで、
「ファスナー」を歌っていますね。
あれも良いです。

「隔たり」という歌も好きです。
歌詞はやたらと生々しくエロいですが笑、
メロディーは甘くて美しい。

それから「SENSE」というアルバムに入っている、
「ロックンロールは生きている」と、
「擬態」は良い曲だと思います。
「擬態」もスガシカオがブログで、
「すごい曲」と言っていたのを読みました。
桜井さんとスガシカオはお互いに新しいCDが完成すると、
無言でお互いのポストに入れておく間柄だそうです。
なんかほほえましいですよね。
アルバムの一曲目(イントロの次だと二曲目)は、
基本的に名曲揃いですよね。

「It's a wonderful world」収録の、
「one two three」も良いですね。
アントニオ猪木の「道」をサンプリングするあたり、さすがだし、
映画「ショーシャンクの空に」への愛も感じます。
15曲目の「It's a wonderful world」も好きです。

桜井和寿は異常に器用で、
あるときは桑田佳祐の、
「音節をこれでもかと詰め込み、
 子音を基調として日本語が英語に聞こえる」
歌い方をするし、
あるときは長渕剛になりきれる。
(so let's get truthは完全に長渕です)
あと、吉田拓郎にもなれます。
「友とコーヒーと嘘と胃袋」は、
完全に吉田拓郎です。
多分意図的に「オマージュ」としてやってるのでしょうが、
ああいうことをできるミュージシャンってあまりいないと思います。

、、、というミスチル、J-POP論でした。
J-POP論、面白いね。
またやりたいです。


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【Q】ファシリテーター本

2018.03.29 Thursday

+++vol.033 2017年10月10日配信号+++

●【Q3】ファシリテーター本

ラジオネーム:だちゃま(男性)
お住いの地域:埼玉県

Q.

いつもメルマガ楽しみにしています。
このメルマガを聴く(読む)ようになってから、
毎月本を読むようになりました。
本当に感謝しています。
是非、ファシリテーターに関するお勧めの本を教えて下さい。
宜しくお願いします。



A.

だちゃまさん、ご質問ありがとうございます。
ファシリテーターに関するおすすめの本
ということですが、実はこの分野で「良い本」って、
少ないんですよね。

私はセミナーデザインをし、
ファシリテーションをするというのを、
この10年間ほど仕事の一部にしていますから、
非常に関心のある分野なのですが、
あまり良い本に出会っていない。
というより、この分野に関する本自体が、
非常に少ないのです。

逆に誰かにお勧めのテキストを教えていただきたいぐらいです笑。
メルマガ読者の方でもし心当たりがある方がいたら、
メッセージにてお教えください(マジで)。

数少ないなかでも、
私が読んで、「役に立った」と思ったのはこちらです。

▼参考リンク:オープン・スペース・テクノロジー
http://amzn.asia/gW0KNYq

読んだのはずいぶん前で、
キリスト教関連のグループファシリテーションをしていた、
私の友人がプレゼントしてくれました。
Amazonの書籍紹介を観るとこうあります。

〈オープン・スペース・テクノロジーはとてもシンプルなアプローチです。
テーマに関係するすべての人に招待状が送られ、
関心のある人々が一堂に集まります。
そして、主体的に議題を生み出し、
複数箇所で同時に話し合いのセッションを開くことで、
それぞれの課題に取り組みます。
参加者は互いに情熱と責任をもって話し合いに参加し、
本音の対話を行い、問題を共有し、
解決に向けてアクションプランがスピーディーに生成します。
本書は、オープン・スペース・テクノロジーの実践ガイドとなっています。
話し合いを行うための会場準備、
場づくり、ファシリテーション等について詳しく解説しています。〉

「そもそもファシリテーションとは何か」という話題に終始し、
具体的方策が何も語られない「がっかり本」が多い中、
具体的な手法について説明してくれる本書は有意義でした。
現在の私も取り入れている手法がたくさんあります。

、、、著者たちを擁護するわけではないのですが、
「ファシリテーションの分野の良書」が少ない理由は、
じっさいにやっている私には、なんとなく分かります。
この分野ってけっこう、
「職人的技術」によるところが大きいんですよね。
言語化するのが非常に難しい。
「絶対ウケをもらえるお笑いの教科書」だとか、
「絶対ヒットが打てるバッティングの教科書」
なんていうのは原理的に書くのが難しいのと似ています。

ファシリテーションスキルの言語化、体系化は難しいです。
もちろん方法論的に「ポストイットの使い方」とか、
「時間配分の原則」とか「グループの人数配分」とか、
「全体の構成をどうするのか」とか、
「どの位相までの問題設定を行うのか」とか、
そういったことまでは言語化できるのですが、
「ファシリテーターはディスカッション中にどこにいたらいいか」
とか、「どんな視線を投げかけたら良いか」とか、
そういうのは非常に言語化が難しい。

いわば「場の空気を支配する」ということに似た技術が必要です。
この「支配する」というのも正確ではなくて、
その場にいる人々の知的な「潮の流れ」や「風向き」みたいなのがあって、
そこに最小限のインプット(もしくはインプットしないこと)を通して、
「合気道」的に参加者の力を利用しながら、
設定された結論を遙かに凌駕するようなシナジーを生み出す、
ということですから。

本当に職人技です。
私もいつも上手くいくわけではなく、
トアイアンドエラーを繰り返しながら、
「体得」してきたとしか表現できません。
言語化し体系化するというのは私の能力を超えます。

、、、ただ、
私に言えることが二つあります。

ひとつめはグループファシリテーションって、
「1人の脳内のシナジーを多数で起こす」
という「脳の外在化」なので、
特にファシリテーター自身が「思考の技術」を、
沢山持っていることは必要です。

そういう意味で、「思考法」の本はかなり役立ちます。
「ブレーンストーミング」とか「KJ法」とか「マインドマップ」とか、
いろいろあるのですが、その手の本以上に役立ったのが、
「説明上手になる本」という本です。

▼参考リンク:「説明上手になる本」高嶌幸広
http://amzn.asia/0ixvT4s

この本は私が大学生のときに買って読んだ本で、
20年以上手もとに置いて時々読み返しています。
私は神学校で「説教学」みたいな訓練を受けていませんが、
私が人前で話す「方法論」の9割はこの本から学びました。
この本の良い所は「プレゼンの方法」を説明しているようでいて、
そのまま「思考法」の説明になっているところです。

ファシリテーションスキルの半分は、
ファシリテーターの「思考法」の「球種の多さ」に依存します。
「考える方法」の引き出しをどれぐらい持っているかです。
それを「教え」るのではなく、
それを利用して先ほどの比喩でいうなら、
「議論の潮目」の真ん中で舵を切るわけです。
「説明上手になる本」には、
「KJ法」やブレーンストーミングを通して、
自分の脳内でシナジーを起こすための思考法が
訓練できる素材が詰まっています。
けっこうおすすめです。

もうひとつは、
ファシリテーションスキルの「もう半分」なのですが、
それは「対人感性力」と言われる、
「話しや空気の流れを読む力」です。
アメトーークなどの「ひな壇トーク番組」で、
上手な司会者というのは「サッカーを上から見ているように」
「今、会話がどこに向かっていて、 
 誰が誰にパスをして、
 そのパスを誰がスルーして、
 その後誰がドリブルでボールを運んで、
 そして誰がシュートしたのか」
ということが全部「見えて」います。

「ひな壇」の左前前列に座って、
ひな壇の中で「司令塔」の役割を果たす人を、
「裏回し」と言いますが、裏回しができる芸人もまた、
「ボールの流れが全部見えている」必要があります。

実はオープンディスカッションのファシリテーターって、
この「裏回し」をする人なんです。
だから、あの手のトーク番組を「回す」人を観察すると、
ファシリテーションの参考になります。

彼らはマジでスゴイですから、
真似することはできませんが、
タイガーウッズのスウィングを観ることが
ゴルフの練習に役立つのと同じで、
とんでもなく対人感性力の高い芸人の司会を観ることは、
司会やファシリテーションの技術向上のために参考になります。

私は上田晋也をよく観察しています。
彼の「さばき方」はすごすぎます。
「オープンエンドな質問をすること」
「宙に浮いた参加者の発言を『処理』しつつ、
 次につながるように救うこと」
「自分の側にも知識を蓄えて、
 発言にいつでも、
 『いろんな種類の火をくべられる』ようにしておくこと」
「質問のストックを各種取りそろえておくこと」
なにより、
「参加者のことが全部頭に入っていること」など、
勉強になることばかりです。

、、、御参考に。



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【Q】「いのフェス」の動画

2018.03.29 Thursday

+++vol.033 2017年10月10日配信号+++


●【Q2】「いのフェス」の動画

ラジオネーム:miyoung(女性)

Q.

いつも楽しく拝読させて頂いています。
以前本の紹介をしたmiyoungです。
陣内さんが本当に本を読んでくださり、
メルマガで感想を書いてくださったことに
誠実さを感じました。ありがとうございました!

今回は本ではなく、動画の紹介です。
「信じるものは救われる?」という動画なのですが、
見たことありますか?

社会学者の宮台さんと
はれさく神父が対談する企画でとても面白いです。
赤ちゃんが産まれたら、
こんなものをオチオチ見ている時間もなくなると思うので、
是非今のうちに!見てみてください。

はれさくさんの言っていることは大体いつも同じなので、
そんなに目新しい所はないのですが、
私は宮台さんの視点が面白かったです。
嘆きのピエタという映画から、
人は人に見られてないとダメなんだ、っていうところが、
陣内さんの「共同体の創出」というメッセージのテーマと
重なるような気がしました。

またプロテスタントはご利益的、
という宮台さんの指摘に対して、
陣内さんはどう考えるのか意見を聞いてみたいです。

その1
https://www.youtube.com/watch?v=SgvbysxCb2o&t=1070s

その2
https://www.youtube.com/watch?v=dNICTl652Rk&t=21s


A.

miyoungさん、ありがとうございます。
「その他のご意見」ということでメッセージを受け取っていたのですが、
Q&Aコーナーで取り上げさせていただきます。
また、メッセージをずいぶん前にいただいていたのですが、
お答えするのにこんなにも時間がかかってしまいましたことを、
お詫び致します。

実はご紹介いただいた動画は、
8月31日に観ました。
miyoungさんはもしかしたらお気づきかもしれませんが、
この動画で興味を持ち、
先週「読んだ本」コーナーで紹介した、
宮台真司さんの映画評の書籍を読んだり、
「先月観た映画」で紹介した、
「嘆きのピエタ」をレンタルして鑑賞したりしました。

▼参考リンク:「正義から享楽へ」宮台真司
http://amzn.asia/9qXlDxw

▼参考リンク:「嘆きのピエタ」
http://amzn.asia/9UM2v6b


、、、というわけで8月31日に、
ご紹介いただいた「いのフェス」の動画を、
興味深く見させていただきました。
翻訳作業などの「脳内自動運転」でできる仕事をしながら、
ラジオを聴くのは私の習慣ですから、
このYouTube動画を教えてくださってありがたかったです。
翻訳作業もはかどりました。
(基本的に私はシングルタスク人間で、
 「ながら」はいっさいできないですが、
 ラジオ+翻訳は数少ない例外です。
 ラジオ+読書は脳内がバグります笑。)

、、、で、けっこうな「長さ」のある、
2人の論客の対話を網羅的に概説する、
というのは私の力の及ばぬところですので、
この動画を見ながら私がとった、
Evernoteのメモを以下にそのまま収録します。
晴佐久神父の発言と、
宮台真司氏の発言で、それぞれ箇条書きにしてあります。

【晴佐久】
・あなた(無神論者)が必要ないと思うような救いなら、
 それは「救い」とは言えない。
・あなたが存在しないと思うような神なら、それは神ではない。
・第二バチカン公会議「教会の外に救いなし」という原則は変わりない。
しかしそれは、「地上のすべての人がカトリック教会に属している」、
という意味においてである。
(よって「狭義の教会」の外にも救いがある)
・この第二バチカン公会議の「福音の広さ」を知ったことが、
 晴佐久神父が神父になろうと思ったきっかけだった。

【宮台】
・海外で人気がある石井隆の映画を観て、
日本人は「救いがない」と評するが、それがとても日本的。
どういう意味かと言えば「救い」が世俗的であるという意味において。
・こういう救済観は、アメリカの福音主義の「千年王国説」にも通ずる。
・日本でキリスト教が拡がらない背景というのは
「世俗主義」にあると宮台氏は感じている。
・利他的であること自体が目的なのか、
神からのご褒美を期待して利他的であるのかというのは
宗教社会学的に、ふたつに大別される。
・イエスの福音の本質は「神は分け隔てしない」ということだった。
・吉本隆明、橋爪大三郎、小室直樹について言及。
彼らはプロテスタントの影響が強いためにキリスト教を誤解している。
マグダラの女の箇所から、「イエスは内面を重要だと言った」
というのがキリスト教の真髄だと言うがそれは違うと宮台氏は批判する。
聖書が「内部矛盾しているというまさにそのこと」が、
キリスト教の本質だというのが宮台氏の意見。

、、、こんなメモを見て、
「あぁ、きっとこんな話し合いがなされていたんだなぁ」
という対話内容を脳内で再構築できる人は天才だと思います。
興味を持った方は動画を観て(聴いて)みてください。

、、、話しを極力シンプルにするために、
ここではmiyoungさんが質問のなかで言及されている、
「プロテスタントは御利益的かどうか?」という一点に絞って、
私の意見を述べたいと思います。
端的にいって私は宮台さんの指摘に完全に同意します。
ネットスラングでいうところの「それな!」です。

日本でキリスト教が拡がらない理由として、
日本の「世俗主義」を宮台さんは挙げています。
日本人が描いている「救い」の定義自体が、世俗的だと。
良く「日本人に超越性は理解不能だ」という言説を耳にしますが、
同じことを別の言葉で言っていると思います。

つまり、「何か自分に良いことが起こる」ことを、
救済だと思っており、
「自分という閉じた円環」の外とつながる救済、
つまり「超越性」を理解できない。

「神に従うと良いことがありますよ」
というのは世俗主義でありご利益的です。
「神に従うということ自体が既に報いです。」
と考えるのが超越性とつながった信仰です。
「この世」や「自己利益」、「自分という円環」では、
それは説明不能な救済だからです。
神に従った結果、何も「良いこと」などなかった。
それでも神に従うことには価値がある、
と考えるのがキリスト教の本当の救済だと私は考えます。

、、、この先が大事です。
「あの世で良いことがあるから」というのは実は違うのです。
「現世利益」じゃだめで「来世利益」なら良いというのは、
本当の意味の超越性ではありません。
(宮台氏がアメリカ福音主義の、
 「千年王国説」を批判しているのはまさにそこですね。)

だって、「定年後のゴルフ三昧の日々を夢見る人」というのは、
「快楽主義者(英語でヒードニスト)」の考え方です。
つまり「楽しんだものが勝ち」という哲学ですね。
殆どの人が気付いていないことなのですが、
「この世では最後の最後まで神のために犠牲的に仕える。
 、、、死んだら天国で最高に良い思いができるから。」
というのも実は同じことなのです。

だって、現在40歳の前者の「定年退職ヒードニスト」は、
25年(30年?)後の定年のあとの楽園を待ち望み、
後者の「死後ヒードニスト」は、
死んだ後(40〜50年後)の楽園を待ち望んでいるという、
それだけの差だからです。

「楽しみの時期」が20年ばかり後ろにずれだだけで、
本質的な思考形態は、なんと同じなのです。
「ルックス的」には真逆に見えますが、
究極的には「快楽主義的」であり「ご利益主義的」という意味で、
両者は実は、同じです。

聖書の救済の本質は、
「たとえ何の報いがなかったとしても、
 それでも神に従う。
 それ自体が報いである。」
ということのなかにあります。
(もちろん「報い」は約束されているわけですが、
 報いがあるから神に従うのではなく、
 神を愛するから神に従うのです。
 宮台さんも指摘しているように、
 この差は大きいです。)

おまけですが、もし私が動画の対話のような、
「キリスト教を考える」という座談会に参加したとしたら、
プロテスタント(福音派)の三つの脆弱性を指摘すると思います。

1.反知性主義
2.御利益主義
3.朱子学的な側面(実践の欠如)

2のご利益主義は先ほどから説明しているとおりです。
「神を信じると金持ちになって病気も治って、
問題が解決して仕事で成功するよ、、」
みたいな福音というのは、端的にいって福音ではありません。
そういうのは漫画週刊誌の裏表紙に載っている、
「札束の風呂に入って美女を侍らせる、
 パワーストーンの広告」と本質的に同じです。
救済はそんな安っぽいものではありません。

1と3の詳細には立ち入りませんが、
このふたつは矛盾しているようだがそうではない。
「まったく何も知らない人」と、
「めちゃくちゃ知っている人」は、
何かを実践する傾向にある。
「中途半端に物事を知っている人」が一番何もしません。
(さらに言えば、「まったく何も知らない人の実践」には、
 突き抜けられない見えないガラスの天井があります。)

「反知性主義」を少し説明しますと、
「信仰があれば良いんだ、
 知識は信仰の邪魔をする」とか、
「聖書だけを読めば良いんだ。
 そのほかの知識は信仰のノイズになる」
みたいなのって、ハッキリ言ってウソです。
そんなわけがないじゃないですか。
そういう言説で良く引用されるのは、
新約聖書の「知識をちりあくたと思っている」という言葉ですが、
これを発言したのが誰かを考える必要があります。

そうです。パウロです。

パウロって、当時の世界の5本の指に入る知識人です。
そしてパウロという知識人が初代教会の指導者でなかったら、
キリスト教は2000年後にも「ユダヤ教のセクトのひとつ」の域を出ず、
世界宗教になることは決してありませんでした。

繰り返しますがパウロというのは今の世界なら、
ユルゲン・ハーバーマスとか、
インマニュエル・トッドとか、
ウルリッヒ・ベックといった「知の巨人」です。
日本なら佐藤優とか立花隆みたいな人がパウロです。
その人が「知識をちりあくたと思っている」と言っているのと、
「中高生の頃から勉強は嫌いで、本って殆ど読まないんです。」
みたいな人が言う「知識なんて必要ないよ、信仰さえあれば」は、
位相が違うのです。

イチローが言う「最後には練習って言うのは大事じゃないんだ」
と、野球初心者の「練習は必要ない」はまったく違います。
東大生の言う「勉強なんて社会に出れば役に立たないことが多いよ」
と、勉強アレルギーの人の、
「勉強なんて役に立たないよ」は違うのです。

私は知の深さ広さで、
パウロの足下にも及びませんから、
今後も勉強を続けるつもりです。
私はすべての読書は「聖書の脚注」だと思って読んでいます。
神を知るために勉強しまくることは、
まったくもって霊的な行いですが、
プロテスタント教会(特に福音派)の知識軽視(反知性主義)は、
自らの社会における影響力を減殺する、
いわば「社会的自殺」に等しいと私は思っています。

、、、3の、
「朱子学的側面」というのは、
反知性主義と矛盾するようですがそうではありません。

かつての江戸時代の「儒学」には、
「朱子学」という知識を重視するグループと、
「陽明学」という実践を重視するグループがありました。
朱子学はスノッブで、「象牙の塔」のような、
世間と乖離した学問的ヒエラルキーを生みました。
それは江戸幕府を安定させるのには一役買いましたが、
最後に江戸幕府を転覆させた「水戸学」などは、
陽明学の系譜です。
(松下村塾の吉田松陰は陽明学を学んでいました)

陽明学というのは
「知って行わざるは、すなわち知らざるがごとし」
という「知行合一」に要約されます。
非常に実践的なのです。
だから江戸幕府という体制にとっては脅威だった。

今のキリスト教が独裁者や腐敗した体制にとって、
「(良い意味で)脅威」となっていないのは、
「知行合一」のセンスがないからだと、
私は思っています。

、、、色々書きましたが、
宮台氏は名前は知っていましたが、
今までしっかり読んだことはありませんでした。
miyoungさんのご質問によっていろいろ勉強になりました。
今は東浩紀と宮台真司の共著、
「父として考える」を、Kindleに入れて読んでいます。
miyoungさん、良い質問をありがとうございました。



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【Q】おすすめの援助団体は?

2018.03.29 Thursday

+++vol.33 2017年10月10日配信号+++

●【Q1】おすすめの援助団体は?

ラジオネーム:夫は家電クリスチャン(女性)
お住いの地域:東京都

Q.

こんにちは。

いつも配信を楽しみにしています。
私は二児の母です。
突然ですが、どこかの団体または個人を継続的に支援したいと考えています。
方法は募金という形をとりたいと考えています。

栄養失調のために母乳が出ず、
目の前で子どもを失うという母親の話を聞いたことがあります。
私がその母親だったら、
なぜ誰も我が子を助けてくれないのだろうか…と、
怒りと悲しみに打ち震えるとともに、
我が子をこのような辛い目に合わせてしまった原因は自分にあるのだ…と、
自分を責める続けるだろうと思います。

貧困の中にある親や子どもを支援している団体または個人で、
陣内さんの「推し」団体または「推し」個人がいたら教えてください。
あるいは、支援先の調べ方や、こういうところに注目したら良いという
ポイントなどがあれば教えてください。


A.

ご質問ありがとうございます。
「自分がその母親だったら、、、」という視点が素晴らしいですね。
国際援助とか弱者救済を考えるときに、
「鳥の目」と「虫の目」のどちらを持てるかが、
その人のスタンスを決めると私は考えるからです。

物事には「俯瞰する鳥の目」と、
「当事者のひとりとしての虫の目」のふたつがあります。
とかく私たち先進国に住む人間はいろんな情報が手軽に手に入りますので、
「貧困?そりゃしょうがないよ、世界経済にはひずみもあるからね」とか、
「1人や2人を救済しても原因の根っことなる政治が変わらなきゃ、
 何も意味がないよね」
みたいな形で冷徹に物事を語りがちです。
(多くの場合したり顔で)

しかし、弱者に手をさしのべるときに必要なのは、
鳥の目ではなく虫の目だ、というのが私の意見です。
つまり、「全体として物事がどうなっているかは知らないが、
今、ここに、目の前に(あるいは地球の裏側に)苦しむ1人がいる。
その人にとっては自分が助けるかどうかは重大な問題だ」
と、「自分を当事者の立場において」考えられるかどうかです。

海辺で干上がる何十万のヒトデを、
一匹一匹海に戻す少年の話は有名です。
おじさんはその少年に
「おい、冷静になれ。
 お前のしていることは問題解決にはなってないよ。」
と言いますが、少年は言います。
「そんなことは分かってるよ。
 確かにそうかもしれない。
 でも、今僕の手の中にいるこの一匹のヒトデにとっては、
 僕が海に帰してあげるかどうかは重大な問題だと思うんだ。」

おじさんは鳥の目を持ち、
少年は虫の目を持っています。
願わくばおじさんがその権力で月を動かし、
満ち潮を作り出してすべてのヒトデを救ったらよいのですが、
多くの場合問題を抜本的に解決する人は、
鳥の目を持った「したり顔の評論家」ではなく、
この物語の「少年」のような素朴なコンパッションを持った人です。
マザー・テレサもガンジーもキリストもそうですね。

前置きが長くなりましたが、
NPOやNGOを選ぶ基準として、
最低限の条件は、そのNPOなりNGOが、
監査を受けた決算を一般公開していることです。

非営利の活動を行うと言うことは、
支援してくださる人々から託されたお金を運用して、
「企業にも行政にもできず、個人レベルでは達成できない」、
公益に資する活動を行うわけですから、
最も大切なのは、「お金の流れが公明正大」であることです。
英語で「クリスタルクリア」といいます。
ガラス張りにして、「このようにお金が使われました」
ということを公開していることは、
その団体が信用に値するかどうかのリトマス紙です。

私はNGO団体で働いていましたので分かりますが、
それでも結構、「決算書」というのは、
「ウソではないけれど、ある印象を与えるために『いじる』」
ことが可能です。
また、そのNGOの「ガバナンス」に問題があるけれど、
それが表には出てこないということも多々あります。
(だって普通、そういうのは表にだしませんよね笑)

けっこうおすすめなのは、
信頼できる知り合いが直接関与しているNPOなりNGOがありましたら、
その団体を通してご支援するのが良いかと思います。
知り合いならば表に出てこない活動の実態を教えてくれますから。

、、、で、
ご質問の件ですが、
正直な所、私はあまり援助団体について明るくないんです(笑)。
言い訳をするわけではないですが、
自分自身が援助団体で働いている人ですら、
自分が働いている援助団体以外については、
あまり詳しくないはずです。
「タコツボ」と言ってしまうのは乱暴かもしれませんが、
けっこう組織というのは「同業他社」のことを知らないです。

、、、なので非常に母数が少ない中からですが、
以下の働きをご紹介できます。
まず私たちの団体(FVI)がありますね(笑)。
私たちも海外のパートナー団体を支援しています。
現在はエチオピアやウクライナ、バングラデシュなどで、
その文化独自の社会的課題に対して取り組んでいる、
「声なき者の友」たちを支援しています。
(それらの働きは物質的社会的に貧しい、
 抑圧された人々の福祉に寄与します。)

以下のリンクからFVIの海外での働きの紹介ページに飛びますと、
活動内容を知ることができます。
郵便振替口座で、空白欄に「エチオピア指定」などと記入いただけますと、
その献金は海外での働きの支援に全額使われます。
(FVIは監査された年次会計を毎年、
 ホームページで公表しています。)

▼参考リンク:FVI「声なき者の友」の輪 海外での働き
http://karashi.net/project/world/program_02/index.html

、、、それから私が先週「小遣い1万円の中の10分の1」から、
1,000円の支援金を贈った団体がこちらです。

▼参考リンク:「シロアムの園」
https://www.thegardenofsiloam.org/

▼参考リンク:「ケニアの障害者に送迎車両を」
https://goo.gl/B6GrQ8

、、、これはカズコさんという、
日本人のキリスト教徒で小児科医の女性が、
ほぼ1人でやっている小さな団体です。
私は小児科医の友人を通してこの働きを知りました。
開発途上国では、日本の明治時代にそうであったように、
障害者というのは地下室で鎖をつけて「監禁」される、
などの非人道的な扱いがされており、
それが悪いことだという社会通念もありません。
(じっさい明治時代には、
 精神障害者は小さな部屋で動けないようにしなければならない、
 という法律が実在しました。
 開発途上国の障害者に対する考え方も、
 似たようなところがあります。)

長いこと地下室に監禁された障害をもつ子どもたちは、
太陽光がないのでビタミンDを合成できず、
くる病になってしまうこともあるそうです。
カズコさんは日本人医師として、
ケニアの障害児たちが尊厳ある生活ができるように、
現地で奮闘しています。


、、、もうひとつは里親制度です。
2013年から私たち夫婦は「里親制度」によって、
「アミラ」というニューヨークに住む、
黒人の孤児の女の子を支援しています。
メトロミニストリーズという、
ビル・ウィルソンという牧師によって始められた働きの、
日本支部を通して支援しています。
支援金から聖書や小学校の教材や文房具などがまかなわれ、
年に数回、本人から手紙と写真が送られてきます。

この団体に個人的知り合いはいませんが、
私は20代のころ、
ビル・ウィルソンという人の本を読んだり、
講演会を聴いたりしていました。
その経験は、現在私がキリスト教のNGOで働いていることの、
原因の何割かを占めます。
妻も2013年にウィルソン氏が日本に来たときの講演会に参加し、
感銘を受け、里親制度に参加することを夫婦で祈って決めました。

▼参考リンク:メトロミニストリーズの里親制度
http://metrojapan.seesaa.net/category/13642055-1.html


、、、さらにさらに言えば、
「支援金を送る」以外にも、
困窮した人々に仕える方法が沢山ありますので、
いくつかご紹介します。

まず、これは多少ハードルが高いのですが、
何らかの団体を通して海外にスタディ・ツアーに、
一度行かれると、ものすごーく色んなことが変わります。
(質問者様がもし、
 既にツアーに参加したことがあったら、
 適当に聞き流してください。)

ネットやテレビ番組で目にする「貧困」と、
現実の世界で、自分の目で見る「貧困」は意味が違います。
じっさいに海外で援助団体の活動現場を見た人は、
けっこうな確率でその後の人生が変わります。
それは何も宣教師になるとか海外に移住するとか、
そういうことだけでなく、
日本で生活し、仕事をしながらも、
「それが当たり前でない」ということを、
心の奥底で知りながらそうするようになります。
それはまさに「世界観の転換」で、
ライフチェンジングな出来事です。
本や映画やテレビやネットでは、同じことは起きません。

ちなみに私の妻も日本で幼稚園の先生をしながら、
いつか海外で貧しい人々に奉仕したい、
という願いを持ち続けていました。
それが私と妻の結婚の「遠因」なのですが、
妻のその「考え」は、中学生のときに、
家族でメキシコ旅行に行ったときに車窓から、
スラム街の人々の生活を見たときから芽生えました。
その時間はきっと1時間とかそこらですが、
それですら1人の人生を変えるインパクトがあったということです。


、、、おまけのおまけですが、
支援するつもりのお金を人に託すのではなく、
「自分で使う」ということも、
ひとつの挑戦です。
こちらもハードルはけっこう高いですが、
やる価値があります。
(FVIが他の援助団体と趣を異にするのはこの点で、
 変革のためにお金だけでなく、
 小さくても良いからアクションを起こしていこうよ、
 というのが私たちのメッセージのひとつです。)

たとえば日本国内にいる生活困窮者の人々に、
直接仕えるということを始めて見る。
私の知り合いのある方は、
おにぎりとお味噌汁を自宅で作り、
池袋に「突撃」しました。
そして出会うホームレスの方々にご飯を振る舞っていった。
定期的にそういうことをしていると、
ホームレスの方々に信頼されるようになり、
様々な形で生活支援をするようになっていった。
行政ではどうしても届かない領域がありますから、
そういった支援はたいせつな意味があります。
その働きは今も私たちの教会でメンバーたちによって続けられています。

また、海外の方々に仕えるのに、
日本に既にいる海外の人々に仕える、
というのもひとつの方法です。
こういうのを「ディアスポラ」の働きと言いますが、
ときには最も効果的な国際貢献になり得ます。

私がいまキリスト教徒になっているのは、
35年前に、シカゴ郊外に住んでいたアメリカ人の家族が、
日本人の私たち家族を家に招き、親切にし、生活の手ほどきをし、
一緒に祈り、遊び、「隣人」となってくれたからです。
35年後にその子どものひとりが、
日本国内の様々な教会に仕える働きをするようになるとは、
彼らは夢にも思わなかったに違いありません。
長期で日本に滞在する宣教師でも、
「最初のクリスチャンの実」を観るのに、
何年もかかったりしますから、
彼らは国外に長期で派遣される宣教師と同じ働きを、
シカゴ郊外にいながらしたことになります。

逆に私たちが近所に住む外国人に親切にするなら、
それは未来の世界宣教になる可能性があります。
アジアからの留学生や労働者や研修生、
アフリカからのビジネスマン、
南米からの移住者、、そういった人が周囲にいるならば、
それは「最も身近にある国際貢献のチャンス」です。

、、、長々と書いてきましたが、
夫は家電クリスチャンさんが、
神からの憐れみの心に背中を押されてした行動が何であれ、
神はそれを喜んでくださいます。
「それが効果的かどうか」という視点も大切ですが、
「信仰によって犠牲的に与えた」ということ自体が、
既に大きな奇跡であり、「神の業」です。

、、、御参考に。



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【Q】おすすめの娯楽小説は?

2018.03.15 Thursday

+++vol.031 2017年9月26日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

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質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
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●【Q1】おすすめの娯楽小説は?

ラジオネーム:かたつむり(女性)
お住まいの地域:長野県

Q.

いつも楽しみにメルマガ読んでます。
毎週火曜日の楽しみが増えました。
以前は夜寝る前、
スマホで下らないサイトを見ていたのですが、
このメルマガを読むようになって、
寝る前の時間が充実したインプットの時間になっています。
(ブルーライトが睡眠には良くないかもですが、、、(^_^;)

多種多様な本を読んでいる陣内さんに質問ですが、
純粋に「楽しむための小説」で、
この数年間でいちばん面白かったのは何ですか?

私の数少ない趣味はお気に入りのカフェで小説を読むことなので、
次に読む本の参考にしたいです。
ちなみに私は東野圭吾や湊かなえが好きです。
普段読まない本も知りたいので、
東野圭吾と湊かなえ以外で教えてもらえたら嬉しいです。


A.

かたつむりさん、ご質問ありがとうございます。
東野圭吾と湊かなえは私も好きです。
東野圭吾では「白夜行」が、
湊かなえでは「告白」がベストと思います。

この数年間で一番面白かった娯楽小説、
ということですが、思い浮かぶ本が3冊あります。
そのうち1冊は「読む人を選ぶ」本なので、
おすすめできるかどうか微妙ですが。

まずは「それ」ではない2冊のほうから。

▼▼▼「マチネの終わりに」平野啓一郎
http://amzn.asia/f4P7avH

一冊目は「マチネの終わりに」です。
かたつむりさんは読書好きとのことですので、
既にお読みかもしれませんが、
もし未読でしたらダントツにおすすめします。

この小説は去年の11月に読みました。
とにかく面白く、2日間ぐらいで一気に読みました。
物語の「軸」は恋愛で、
「映画化必至」という感じの、
王道の恋愛と人生ドラマが語られています。

しかしこの小説が独特なのは、
その「軸」をとりまく「背景」の豊かさと、
いわゆる「今の時代の精神」のようなものを言語化する技術です。
2001年の同時多発テロ、イラク戦争、
リーマンショック、東日本大震災といった、
00年代〜10年代前半、21世紀初頭の「人類的激動」を、
上手に切り取りそのなかで翻弄される主人公たちは、
「ポストモダン」を生きる我々の実存的な苦悩を代弁しています。

以下に私のEvernoteの「読書メモ」から引用します。

〈非常に上手だと思う。
「主体なきポストモダン時代の主人公」の
描き方のサンプルのような小説だった。
主人公たちは時代に翻弄され、作中にも言及される、
「運命劇」の主人公として振る舞う。
主役は「英雄の覚醒」ではなくあくまで「時代」が主人公で、
「役者」たちは添え物として機能する。
20世紀の物語は逆で、
「人間が未来をつくる物語」の添え物として「時代」があった。〉

、、、「その時代に語られる物語の類型」は、
その時代の思想の潮目を観察するのに適しています。
「近代は性格劇だったのが、
 現代は運命劇になりつつある」と、
作中で登場人物の映画監督が語りますが、
それは「マチネの終わりに」という作品自体の説明になっている、
というフラクタル構造を持たせています。
引用します。

→P371 
〈「けれども、脚本はなかなか進まない。
ーー教科書的な話だが、悲劇について、
古典悲劇が運命劇に対して、近代の悲劇は性格劇だと言われるだろう?」
「ええ。」
「オイディプスが実の父を殺し、母を娶ってしまったのは、
避けようのない運命だった。
しかし、オテロの過失は、彼の激情的な性格に起因している。
あんなに単細胞で、怒りっぽくなければ、
ハンカチ一つでデズデモーナを殺すこともなかっただろう。
もちろん、実際にはもっと複雑だが、・・・」
「ええ、勿論。」
「だが、・・・人間は結局、もう一度、
運命劇の時代に戻っているのではないかと近頃よく思う。
”新しい運命劇”の時代なのかもしれない。
私のような小説的な映画ではなくて、
早くから叙事詩的な英雄物語を描いてきたハリウッドは、
そういうことに意外と敏感だ。
《マトリックス》とか、色々ある。」
洋子は、椅子の背に軽く体を預けて腕組みした。
そして、具体例を二、三思い浮かべて頷いた。
「リチャードとも、そういう話をずいぶんとしたのよ。
グローバル化されたこの世界の巨大なシステムは、
人間の不確実性を出来るだけ縮減して、予測的に織り込みながら、
ただ、遅滞なく機能し続けることだけを目的にしている。
紛争でさえ、当然起きることとして前提としながら。
善行にせよ、悪行にせよ、人間ひとりの影響力が、
社会全体の中で、一体何になるって。」〉

、、、現代という時代は、
「覚醒した主人公が運命を変える英雄となる」という、
舞台用語で言う「エピファニー」を契機とするような物語が、
非常に語りにくくなっている時代です。
「大きな物語」が終焉し、人々が時代の激流の中で、
自らの主体性というものの無力さを日々感じている現代において、
「一人の英雄の覚醒が歴史を変える」という物語は、
空々しく響くしリアリティを伴いません。

そのような時代に、それでもなお意味や希望を語る、
というのはどういうことなのか、
ということを「現代の詩人たち」である、
ミュージシャンや小説家や映画監督はもがいています。

私もまた、現代という時代に、
キリスト教の普遍的なメッセージを発信するひとりとして、
同じことで格闘していますから、
本書のような小説を読むことは非常に有益でした。



▼▼▼「オールド・テロリスト」村上龍
http://amzn.asia/i4L4SMS

私は村上龍の長編小説はほとんどすべて読んでいます。
これまで「ベスト」は、
「コインロッカー・ベイビーズ」か、
「半島を出よ」か、
「希望の国のエクソダス」か、
「愛と幻想のファシズム」のいずれかだと思っていました。

この「オールド・テロリスト」は、
純粋に面白さだけで言えば、
もしかしたらこれらを凌ぐかもしれないと感じました。
とかく村上龍のファンというのは過去作品を美化する傾向にあり、
「村上龍はもう長編を書くエネルギーがなくなってしまった。」
「彼はもう終わった。」
などの批判的な声がネット上にも散見されますし、
私も「半島を出よ」を最後に、
長編小説の著者としての彼は、
もう面白いものが書けなくなってしまったのか、
と思った時期もありました。

しかし、「オールド・テロリスト」はすごかった。
「まだこれほどのものが書けるのか」と驚きました。
タイトルのとおり老人たちがテロリストとなる話しなのですが、
彼らが語る「日本近現代史」はリアルであり、
そして今の日本はやはり「彼らが作ってきた日本」だったのだ、
と再認識させられます。

何よりエンターテイメントとして優れており、
序盤からいきなり「もっていかれ」、
その緊張感が弛むことなく最後までピークのまま読ませます。
さらに、村上龍の小説独特の、
「ドラッグ・セックス・バイオレンスの過剰」うち、
最初の二つは殆どなくなり、バイオレンスすらも、
必要最小限しか描かれていません。

なぜか世間的にはあまり注目されていませんが、
村上龍の最高傑作の一つであるのは間違いないと思っています。



▼▼▼「黒い家」貴志祐介
http://amzn.asia/dDwnxnS

最後のこれは読む人を選びます。
ホラーとかグロテスクとかが苦手で、
犯罪映画を観た夜は寝れなくなる人は読まない方が良いです。
私はそういったものにさほど影響を受けませんから、
小説内で人体切断の描写が出てきて、
「おぉぉーー、こえーーー!!」
と思いながら本を閉じた次の瞬間、
魚と卵かけご飯を食べながら
テレビでアメトーーークを観て大笑いできます。

そういう人には自信をもってお勧めします。

ジャンルで言うと「サイコホラー」に属しますが、
心霊現象とかお化けが出てくるわけではありません。
「サイコパス」がテーマです。

貴志祐介は伊藤英明主演で映画化された、
「悪の教典」の作者でもあるのですが、
「サイコパス」を描くのがめちゃくちゃ上手です。
「サイコパス」とは人の気持ちが分からない人格障害のことで、
彼らには罪責感がないので、
自分がドーナッツが食べたいときに、
目の前にドーナッツを持った人が現れたとして、
「こいつを殺してドーナッツ食べたいなぁ」と心から思っています。
殺さないのは面倒なのと警察に捕まるのが嫌だからであって、
罪責感があるからではありません。
「本当は死んでくれたらいいんだけどなぁ」と、
本心から思っています。

ある種のサイコパスは知能指数が非常に高いですから、
本当に人を殺して自分の欲しいモノを手に入れ、
なおかつ自分は罪をかぶらないように細工して、
犯罪を重ねる人もおり、
「シリアルキラー」と言われる世界中の連続殺人者の多くは、
こういった「サイコパス」の症例です。

私は「サイコパス」にわりと興味があり、
実話ものもフィクションものも含めると、
20冊はくだらない「サイコパスもの」を読んできましたし、
10本以上の「サイコパスが出てくる映画」も観てきました。

結論として「黒い家」に出てくるサイコパスを超える恐怖は、
味わったことがありません。
楽しそうにサイコパスを語る私を、
「ヤバイ趣味」と思われるかもしれませんが、
サイコパスを知ることで学べる大切な真理があります。

それは、
「世の中には怖いものがたくさんある。
 幽霊、戦争、放射能、新型ウィルス、貧困、犯罪、、、。
 、、、しかし、世界でもっとも怖いものは『人間』である」
という真理です。

「人間の中に巣喰う悪」に比べれば、
幽霊なんて鼻くそほども怖くありません。
そして同じ人間のひとりとして、
その「悪」は自らと地続きです。
「自分が一番怖い」ということを本当に知った時、
私は世の中のほとんどすべてのものが怖くなくなりました。

いや、本当に。




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【Q】結婚前に読むべきオススメの本は?

2018.03.08 Thursday

+++vol.030 2017年9月19日配信号+++

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■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

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●【Q】結婚前に読むべきおすすめの本は?

ラジオネーム:ショウ(男性)
お住いの地域:静岡県

Q.
はじめまして、浜松の教会に通うクリスチャンでショウと言います
いつも楽しく、そして考えさせられながら、読んでいます
毎週のメルマガを通して、自分の中でも
疑いながら考える癖を持つことが出来てきました

今回は質問があり、メッセージ送らせて頂きました
私は来年3月にクリスチャン女性と結婚する事になりました
以前俊さんが紹介してくださった、
YouTubeのメッセージも面白かったですが
他に結婚を前にしてのアドバイスや本の紹介をして頂けると嬉しいです

よろしくお願いします


A.

ショウさん、来年3月にご結婚されるとのこと、
まずはおめでとうございます。
2人のご結婚の祝福を心よりお祈り申し上げます。

そして、ご質問ありがとうございます。
メルマガに関してさまざまなフィードバックをいただくなかで、
「疑いながら考えるクセを持つことができました」
というフィードバックは一番嬉しいかもしれません。

先週のオープニングトークでも少し触れましたが、
このメルマガの狙いの一つは、
「批判的に考えること」「複数の視点で物事を見ること」
が、毎週読むことによって習慣化されていくことだからです。
書く私自身も自分の思考を言語化する過程で、
「批判的に考え、複数の角度からものを見る」ということを、
いちばんに意識して書いていますので、
読者の皆様と共に「批判的思考力」を鍛えるというのが、
このメルマガの隠れた狙いです。

言及してくださったのは、
こちらの動画ですね。

▼参考動画:「結婚前の信仰者が知っておくべき恋愛・結婚に関する25のこと」
https://youtu.be/m9T1C7ug9CY

ちなみにこちらの動画は昨年の春に愛知県の教会の中高生会のために、
私と妻が話したセミナーを動画にしたものです。
そのときの参加者は8人(ぐらい)でしたが、
この動画の再生回数は1,200回を超えています。

8人に向けて話した話しが1,000回以上視聴されているのです。
FVIのYouTubeチャンネルは2015年に開設しましたが、
情報拡散のレバレッジ(てこ)の力を実感しております。
今後もYouTubeチャンネルは充実させていきたいと思っていますので、
是非チェックしておいてください。

、、、結婚を前にしてのアドバイスや、
おすすめの本を教えてくださいというご質問についてですが、
私の結婚の役にたったいくつかのアドヴァイスと、
役に立った何冊かの本をご紹介いたします。

まずはアドヴァイスから。

結婚前、たしか2011年にアメリカに行った時、
私はダロー・ミラーという方とお会いしました。
彼は私たちのNGO「声なき者の友の輪」と同じような働きを、
20年前から米国を本拠地に世界各国で行っている、
Disciple Nations Allianceという団体の創始者のひとりで、
「聖書的世界観」というテーマをライフメッセージとして、
「預言的」な働きをしている人です。
現在の私の思考を形成している原因のひとりと言えます。

▼参考リンク:Disciple Nations Alliance
http://www.disciplenations.org/

2008年に香港で彼に始めて会った時、
私が5分ぐらい英語で話したスピーチを聞いて、
「君は良い質問を問うている。
 問い続けろ。
 そして考え続けろ。
 疑問を抱き考えるのを止めてはいけない。」
と励まして下さいました。

その数年後の2011年にアリゾナでダローと話した時、
なかなかこんな機会はないと思い、質問しました。
「結婚生活を良いものにするために、
 大切なことは何かありますか?」と。

するとダローはこう言いました。
世間は「50:50」とか、「give and take」というが、
それでは上手く行かない。
結婚生活では正しい比率は「100:0」だ。

つまり自分が「0」で、
相手が「100」。
これで丁度良いんだ、というわけです。

この言葉は本当だと思います。

人間というのはみな、
「自己中心バイアス」を持っています。
自分の口の中の唾は汚いと思わないけれど、
シャーレの上に吐いた唾は汚いと感じる。
これは生理学的なレベルの、
「自己中心バイアス」です。
同じ物質であっても、自分の中にあるものはきれいだ、
という脳の認知バイアスが働いているわけです。

だから人間は、
「自分がしてあげた良いこと」や、
「自分がされた迷惑なこと」はいつまでも忘れず、
「自分が他者からしてもらったこと」や、
「自分が他者に迷惑をかけたこと」は、
きれいさっぱり忘れてしまいます。

だとするなら、
「50:50だな」と自分が感じているとしたらそれは、
確実に自分が迷惑をかけた分量が多く、
相手が我慢した分量が多いはずです。

「100:0だな」と自分が感じているときにはじめて、
客観的なレベルで「50:50」なわけです。
それでようやく維持できる。
それが夫婦関係だ、とダローはあのとき、
若い日本人の私に教えてくれたのです。

ですからここでのアドヴァイスは、
「相手がお姫様で自分が給仕だと思って仕えましょう」
ということになります。

聖書にも「キリストが教会に自身を捧げたように」
夫は妻を愛するべきである、とあります。
キリストが教会にしたことは「100:0」です。
ダローのアドヴァイスはだから、
まったくもって聖書に即していたのです。


もうひとつのアドヴァイスは、
「一緒に祈る」ということですね。
「一緒に祈る夫婦は離婚しない」
というのは統計的にも現れています。

以前私はこのことをブログに書きましたので、
以下に引用します。

〈聖書の真理は、
「教会用語」を使わずに説明可能である、
というのが、ぼくの一つの信念になっています。

リック・ウォレン牧師も、
ぼくに同意してくれるでしょう。
彼のメッセージにも、
専門用語は一切出てきません。
彼は山程の専門用語を知っているはずなのに。
そのリックのメッセージを聞いていて、
最近驚くべき統計に出会ったので紹介します。

アメリカでは、
すべての結婚のうち、
2.5組に1組が離婚に終わるそうです。
ここまではまぁ、
「そうだろうな。」
という話です。
何度も聞いてきた話です。
日本もその後を追っているので、
そこまで変わらない数字だろうと思います。
この統計に、
ひとつの条件を付け加えます。

「教会の礼拝で出会ったカップル」
という条件を加えると、
離婚の確率は一気に下がります。

「50組に1組」
というのがその割合です。
この統計に今度は、
もうひとつ条件を付け加えます。

そのカップルが、
毎週礼拝に一緒に出席し、
定期的に一緒に聖書を読み祈る、
という習慣を有していた場合、
この統計はどうなるか。

そのようなカップルが離婚する確率は、
「1,050組に1組」
だそうです。

驚きの数字です。

ぼくは自分が経験したことしか話せませんが、
夫婦が共に神を敬い、
自分の人生を神に捧げている場合、

その結婚は、
本当にすばらしいです。
筆舌に尽くしがたい。

「神なき世界」に、
「素晴らしい結婚」を想定するのは、
土台からして難しいとぼくは考えます。

結婚という制度を設計したのが神だから、
当然、そうなのです。
このためだけにでも、
クリスチャンになる価値がある、
とぼくは思います。〉

、、、いかがでしょう。
統計によると日本の平均的な夫婦が離婚する確率は、
3分の1です。

一方、アメリカの統計になりますが、
「一緒に祈る習慣のある夫婦が離婚する確率」は、
1,000分の1以下です。

一緒に祈らない理由が見つかりません。
けっこう重要なのは、
「結婚前から」一緒に祈る習慣を持つことです。
結婚して2年ぐらい一緒に祈る習慣がなく、
突然「じゃあ祈ろうか」と言っても難しいです。
照れてしまいますから。

付き合ってる時からできないことは、
結婚してもできないですから、
今からやっておくことをおすすめします。


、、、さらに、「おすすめの本」ですが、
3冊ご紹介します。

まず一冊目は、
「『なんでわかってくれないの?』と思った時に読む本」

▼参考リンク:「なんでわかってくれないの?」と思ったときに読む本
http://amzn.asia/bInAguA

これは妻と私が交際期間中に、
二人で読んで学んだ本です。
正確にはこの本に私が出会ったのは、
28歳のときであり、
妻と出会い付き合い始めたのが33歳のときですから、
5年前に私が読んで良かったと思ったコミュニケーションの本を、
二人で学びなおした、ということになります。

著者はトーマ・ダンサンブールという、
たしかデンマークの人で、
心理学の大家、カール・ロジャースの弟子です。

で、この本は本当におすすめで、
夫婦関係にかかわらず、あらゆる側面における、
「コミュニケーション」に役立ちます。
この本に書かれていることを実践すると、
仕事にも夫婦関係にも親子関係にも良い影響が及びますし、
また、「自分という人間を知る」ためにも役立つツールです。


2冊目は、「愛を伝える5つの方法」です。
これも結婚以外にも役立つ本でおすすめです。

▼参考リンク:「愛を伝える5つの方法」ゲーリー・チャップマン
http://amzn.asia/27hm59P

この本には、「人間はそれぞれに愛の言語を持つ」
ということが書かれています。
私がドイツ人に「愛している」と言っても伝わらないわけで、
「イッヒ・リーベ・ディッヒ」と言わなければ伝わりません。
逆に火星人が(もしいたとして)私に、
「愛している」という意味の超音波を送ってきても、
人類である私の鼓膜は感知することができません。

同じことが私たちの日常にも起きている、
というのがチャップマン氏が言っていることです。

愛の言語には5種類ある、と彼は言います。
1.肯定的な言葉
2.スキンシップ
3.贈り物
4.質の高い時間の共有
5.奉仕の行為
の5つがそれです。

Aさんの愛の言語が「贈り物」だとして、
Aさんに対して「すごいねー」と褒めても、
公園ピクニックに誘っても、
肩をもんであげても、
さほど嬉しくないかもしれない。
Aさんには「サプライズプレゼント」が一番嬉しいからです。

逆にBくんの愛の言語が「質の高い時間の共有」だった場合、
Bくんに洋服をプレゼントしても、
「すごいねー」と褒めても、
さほど嬉しくないかもしれない。
Bくんには、「公園で一緒にボートを漕ぐ時間」が、
もっとも嬉しい愛の行為だったりします。

問題なのは人というのは、
「自分だったら嬉しいこと」をしがちですから、
AさんとBくんが付き合った場合、
Bくんは公園ピクニックに誘いがちですし、
AさんはBくんにマフラーをプレゼントしがちです。

お互いの「愛の第一言語」が違いますから、
二人の「愛の行為」は最大の効果を挙げられないわけです。
オー・ヘンリーの短編に「賢者の贈り物」という有名な話しがありますが、
お互いの「贈り物」同士がすれ違い続けると、
「愛情貯金」の目減りが激しく貯蓄の効率が悪いです。

お互いの「愛の第一言語」を知ることが、
とても大切だよ、というのがチャップマン氏の主張です。
この本には「あなたの愛の言語」の、
「第一言語」と「第二言語」は何か、
ということを診断するチェックリストもついていまして、
もし読んでいなければ非常におすすめの一冊です。


最後は内田樹さんの「困難な結婚」。
こちらは以前にメルマガでも紹介したことがあります。
たしか「先週読んだ本」の中だったかな。

この本のメッセージはただひとつ。
「結婚とは困難ベースだ」ということです。

▼参考リンク:「困難な結婚」内田樹
http://amzn.asia/f2vTcww

、、、何カ所か引用します。

→P23-24 
〈だって、婚前にはどのような厳しいハードルをクリアーした人でも、
結婚後もその条件を満たし続ける保障がないからです。
「年収2000万円以上の人」というような条件で結婚相手を絞った場合、
ある年度にはその条件をクリアーしても、
それが次の年も続くかどうかは分かりません。
、、、そのときになって年収が急減したからと行って
「こんなはずじゃなかった」って言っても始まらない。
「あなた、病気になって収入が減ったなんて、約束と違うじゃない。
じゃあ離婚しましょう。」というようなことは言えません。
だって、話は逆だから。
病気になったり、失業したり、
そういう困難に直面したときに支え合うために人間は結婚するからです。〉

→P30 
〈いいですか、勘違いしちゃ駄目ですよ。
配偶者を選ぶときに絶対に観ておかなくちゃいけないのは、
「健康で、お金があって、万事うまく行っているときに、
どれぐらいハッピーになれるのか」のピークじゃなくて、
「危機的状況の時に、どれぐらいアンハッピーにならずにいられるか」
その「危機耐性」です。〉

→P241 
〈自分自身の人生が楽しいと、倦怠期は起きても、
それほど致命的なものにはなりません。
「倦怠している」人たちというのは、
ある種の自己倦怠を病んでいるからなのです。
自分で自分のありようにうんざりしている。
、、、他者に対する好奇心は、自分に対する好奇心に相関する。
これは指摘する人があまりいませんけれど、とてもたいせつなことです。
自分の中にどんな「未知の資質」が眠っているのか、
「未開発の資源」が埋蔵されているのか、
それに対して真剣な好奇心を抱いている人は、
まわりの人に「飽きたり」しません。
だって、自分が変わるごとに
目の前にいる他者の顔のありようも一緒に変わるからです。
自分が変われば、世界が変わる。そういうものなんです。〉

→P262 
〈結婚しているのに他の人を好きになっちゃったのですけど、どうしましょう
というような寝ぼけた質問をしてくる人に僕が申し上げたいのは、
そういう薄っぺらなことを平気で口にできるような人は、
元々結婚生活向きじゃないと言うことです。 
別に結婚しなくても良いじゃないですか。
誰を好きになっても、誰とセックスしても、
誰からも文句言われない気楽な生き方をすれば良いじゃないですか。
なんで「その上」結婚までしたいんですか?
僕にはそれがわからない。
結婚というのは最初に申し上げましたように
「病めるとき、貧しいとき」に
一気に路上生活者に転落しないためのセーフティーネットです。
安全保障です。
相手が病めるとき、貧しいときに支援するという
「社会契約」を取り結んだことによって、
相手もあなたが病めるとき、
貧しいときにお支えしますという事になっている。
、、、いいですか、ここが肝腎なんです。
自分が落ち目の時、です。〉

、、、引用しながら改めて気付きましたが、
P241の「倦怠とは自己倦怠である」は名言ですね。

私たちは何かに飽きるとき、
それは飽きている対象に飽きているのではなく、
その対象に向き合う自分自身に飽きているのです。
よって仕事でも結婚でも趣味でも、
「それによっていつまでもどこまでも、
 新たな自分を発見出来る」という才能のある人は、
「飽きることを知らない」人です。

仕事がとてつもなくできる人や、
結婚生活をいつまでも新鮮な気持ちで楽しめる人、
友情や絆をどこまでも深められる人というのは、
「自己探求力」のある人なのだというのは至言ですね。

「結婚は自分がイエスに似るためのファーム」だというのは、
私の中の結婚の定義のひとつですが、
この話しともどこかでつながっています。


おまけでもうひとつ。

2012年に結婚して間もないときに、
妻と私は札幌の教会が主催する、
「マリッジコース」という、
夫婦関係改善のための宿泊セミナーに出席しました。

これが非常に良くて、
ここで学んだことは今でも「生きて」います。
先ほど紹介した「愛を伝える5つの言語」もコースに含まれていましたし、
ここで習った「マリッジタイム」という夫婦の時間を定期的に取る、
という習慣は今も続いていて、結婚を豊かなものにしています。

▼参考リンク:グレースコミュニティ「マリッジコース」
http://grace-community.or.jp/marriage/

、、、さすがに札幌まで行って参加するのは難しいかもですが、
こちらから動画を見られます。

御参考に。





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【Q】働いてみたい企業

2018.02.15 Thursday

+++vol.027 2017年8月29日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
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▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
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::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】働いてみたい企業2位〜5位

ラジオネーム:トリッキーファウラー(男性)
お住いの地域:愛知県


Q.

こんにちは、トリッキーファウラーです。
いつもメルマガありがとうございます。
とても「刺激的で」毎回楽しみにしています。

さて、唐突ですが本題です。
ぼくだけではないかもしれませんが、
「カロリーハーフ」の「能力があれば働いてみたい企業はありますか」
に出てきた第2位〜5位の詳細が気になっています。
特に第5位の「琉球大学」。
ぜひきいてみたいと思ったので、
機会があればよろしくお願いします。


A.

こちらの記事ですね。

▼参考記事:「能力があれば働いてみたい企業」
http://blog.karashi.net/?eid=194

、、、今後質問コーナーなどで、
過去記事に関する質問が来たときは、
その都度「アーカイブブログ」に、
先行アップロードしていきたいと思っています。

過去記事なんて読んでる暇ねーよ、
という人がほとんどだと思いますので、
どういった記事だったかと言いますと、
オープニングトークの「質問カード」で、
「能力があれば働いてみたい企業は?」
という質問が出たわけです。

その私の答えは、
1位が北海道の六花亭、
そして2位以下については説明を端折りました。
(今日と同じですね笑)
私はどうやら文章については「尺が読めない」みたいです笑。

最後の所だけ引用します。

〈、、、さて、5つ挙げたのですが、
ここで説明する脳の活力が枯渇しましたので、
2位から5位までは、説明は割愛し、
列挙するにとどめます。
2.十勝毎日新聞社(帯広)
3.キングジム(またはコクヨ)(東京都)
4.YKK(富山県)
5.琉球大学(沖縄県)
、、、という感じです。
説明が中途半端ですが、
以上!!〉

、、、なんて不親切な終わり方なんだ、
と我ながら思いますよね。

トリッキーファウラーさんがご質問してくださいましたので、
2位以下の理由について説明していきたいと思います。



▼2位:十勝毎日新聞

私が6年間大学生時代を過ごした帯広で、
朝日、読売、産経、毎日、日経の5大全国紙よりも、
もうひとつの地方紙の北海道新聞よりも、
圧倒的なシェアと影響力を誇っていたのが、
「十勝毎日新聞」でした。

通称「かちまい」。

よく、
「世界的なニュースが駆け巡った日も、
 阪神の負けを報じるデイリースポーツ」
などと揶揄されるように、
デイリースポーツはブレない報道をすることで有名です。
サッカーワールドカップで日本代表が勝ち星を挙げた翌日、
すべてのスポーツ紙の本田圭介でしたが、
デイリースポーツの一面だけは、
「阪神の選手が結婚!」だったりしますから笑。

全国紙とデイリースポーツの一面が同じになったとしたら、
それは本当に、「真正の」全国ニュースなのだ、
ということを「時事芸人」のプチ鹿島さんも指摘しています。

▼参考リンク:「芸人式新聞の読み方」
http://amzn.asia/g1cJVOQ

、、、で、十勝において、
常軌を逸した講読率を誇る「かちまい」もまた、
「ぶれない」新聞なのです。

私は大学を卒業してから十勝地方に何度か訪れていますが、
そのときのひとつの楽しみは、ビジネスホテルのロビーや、
たまたま入った食堂などで、「かちまい」を読むことです。

最近私が覚えている「かちまい」の一面は、
「音更でトラクター展開催!」でした。

紙面には「ジョン・ディアー」やら、
「●●馬力で●●気筒のエンジン」が、、、やら、
推進方式がなんだらかんたら、、やら、
農業の専門用語がずらりと並んでいます。

ちなみにその頃、
重要な国家首脳が集まる国際会議が開催されていて、
全国紙の一面は当然そちらを報じていますが、
「かちまい」はぶれません。
十勝人にとってはどこか遠い世界の動向より、
トラクターの挙動のほうがたいせつなのです。

この「地元への振り切り」っぷりがすごくて、
古き良きローカル紙の郷愁をたっぷりのこした、
「かちまい」の記者をやったら、
きっと楽しいだろうなぁと、
1年に一回ぐらい思うことがあります。

、、、十勝に住めるし。

▼参考リンク:十勝毎日新聞社
http://kachimai.jp/



▼3位:キングジム(次点でコクヨ)

▼参考リンク:キングジム
http://www.kingjim.co.jp/

いまの時代、文房具のマーケットというのは、
生き残るのが非常に難しい分野です。

思い出してみれば、
職員室の向かいにあった小学校の「購買」で、
「学校認定のはさみ」を買ったとき、
確かその価格は600円とかしていました。

「なんという値段!」
と今は思いますが、
私たちの文房具の値段の常識を破壊したのは、
そう、「ダイソー」です。

かつて文房具専門店で、
500円から1,000円の間で買っていた文房具、
つまりハサミ、ホッチキス、分度器、パンチャー、
セロテープ、ボールペン、色鉛筆、、、
といった商品群の、「底値」が、
ぜんぶ「108円」になった。

しかも百均のハサミの切れること切れること、、、。

文房具メーカーにとっては悪夢です。
そのような時代にも生き残っている文房具メーカーというのは、
やはり生き残るだけの理由があるのです。

「キングジム」はそういった文脈で、
よく引き合いに出される企業です。
この会社は社員から出たアイディアを、
ほとんど「稟議にかけずに」荒削りの状態で商品にしてしまう。
「会議に次ぐ会議、決済に次ぐ決済」こそが、
イノベーションの最大の障害だということを、
多くの日本企業は認識しています。

地方自治体が時々打ち出す、
「死ぬほどダサい地域おこしイベント(ゆるキャラ込み)」を、
よく私たちは目にするのですが、
あれの戦犯は職員のセンスのなさではなく、
「役所の決済規定」にあります。

多くの組織はそれに気付いていて、
もっとボトムアップでイノベーションが起こるよう、
努力はしているのですが、なかなかそこから脱却できない。
「明日会社がなくなるかもしれない」という危機感がなければ、
そこまで大胆な組織改革はできないからです。
もっとも厳しい文房具メーカーにいるキングジムは、
大胆な組織改革によりイノベーションを殺さない工夫をしました。

▼参考リンク:キングジムのイノベーション
http://news.mynavi.jp/articles/2012/09/25/kingjim/

具体的にどうやってるかというと、
彼らは製造業の定石である「市場調査」をしません。
「ない市場」を作ることを目指しているからです。
「ない市場」を調査することに意味はありません。
かつてヘンリ・フォードが、
「なにが欲しいかと顧客にたずねていたら、
『足が速い馬』と言われたはずだ」
と言ったという話しがありますが、
「自動車」を観たことがない人は、
「より速い馬」しか思い描けないのです。

彼らは「自分だったら使いたい文具」を、
次々と商品化します。
そのうち10分の1が大ヒットすれば、
十分収益を上げられる、
という大胆なビジネスモデルです。

キングジムで最も有名な商品は、
一定規模のオフィスになら必ずある「テプラ」です。
、、、で、最近のヒットだと「ポメラ」ですね。

▼参考リンク:ポメラ
http://www.kingjim.co.jp/pomera/

これは、パソコンから
「文字を入力するという以外のすべての機能」を、
そぎ落としたマシンです。
パソコン、スマホ時代の敢えての
「ワープロへの回帰」です。

ね?

とんがってるでしょ?

製造業はすぐに「足し算」をしたがるクセがあるのですが、
引き算にこそ答えがあった。

現にこの「ポメラ」は、
執筆を仕事にする人のなかでじわじわと支持され、
多くの作家が愛用を公言しています。
じつは私もこれのひとつ前の型を所有していまして、
ブログ記事をこれで書いたりしています。

これの良いところは、
執筆以外何もできないところ。
パソコンならば集中力が切れたときに、
ネットサーフィンしたりメールチェックしたり、
YouTubeで動画を見始めたり、、、という誘惑があるのですが、
ポメラはストイックにアウトプットする以外何もできません。

こういった「とんがった商品」を作る製造業の企画部って、
相当に楽しいだろうな、と私は時々夢想するのです。
文具業界は特に面白いものが出てくるサイクルが短いので、
けっこう刺激的なのでは、、、と想像します。



▼4位:YKK

富山県にある超有名企業です。
ファスナー業界では、
国内の95パーセント、世界でも45パーセントのシェアを誇ります。
つまり世界中のファスナーの二つにひとつが富山のYKKの製品なのです。
すごくないですか?
あと、YKKはファスナーだけでなく、
窓やサッシなんかも作っています。

最近、義理の兄と話したとき、
じつは今の日本の(クオリティ・オブ・ライフという意味で)
「真の勝ち組」というのは、地元の進学校を卒業し、
地元の国立大学を卒業し、
地元の優良な製造業の大手に就職した人なのでは、
という話しで意気投合しました。

下手に(というと語弊がありますが)東大とかに入ってしまい、
迂闊に(というと語弊がありますが)、
一種国家公務員(官僚)なんかになってしまったりすると、
仕事は激務だし、官舎はボロいし、
若いときは地方公務員より薄給だし、
ストレスで病気になる確率も高いし、
転勤も多いし、家族はそのせいで疲弊するし、、、
というような状況です。

獣医師にも数は少ないですが国家公務員一種に合格し、
農林水産省で働く同級生や知り合いがいますが、
本当に、かわいそうになるぐらい大変そうです。
彼らがエリートなのは間違いないけれど、
これが、はたして本当に幸せと言えるのだろうか、
というわけです。

官僚嫌いのマスコミや、
反体制がポジションになってしまっている人は、
絶対に認めないでしょうが、
日本という国は優秀な官僚によって
支えられているのは間違いない事実です。
彼らはある意味、
「ノブレス・オブリージュ(高貴なるものの責務)」
としてがんばってくれているわけで、
ただただ、頭が下がるわけです。

しかし、「本人の幸福度」でいうと、
地方の国立大学を卒業し、
地方の名士みたいな企業に就職した人というのは、
最強の勝ち組なのではないかと思うのです。

豊かな自然があり、
都会のストレスにさらされず、
地元の国立大学というのは地方では「絶対的存在」ですし、
地元の優良企業もまた地方では尊敬されます。
物価を換算すれば、東京の一流企業の年収1,000万よりも、
地方の優良企業の年収600万円のほうが価値があると、
言えなくもない。

だって家賃からして、
倍ぐらい違うのですから。

そんな「日本で幸せに暮す理想のキャリアパス」の、
ひとつのモデルケースが、富山大学→YKKなのでは、
とイメージしたのです。

「俺たちの会社がなかったら、
 世界中の男の社会の窓は開きっぱなしだ」
というのは仕事をする「誇り」を、
このうえなく与えてくれることでしょうし。



▼5位:琉球大学

琉球大学は、
まず沖縄で生活してみたい、
という不純な動機がいちばんです笑。
沖縄の海にはそれほどの訴求力があります。
「この海を観ながら暮らせるなら、
 今の生活なんてどうなってもいいな。」
と思わせる何かがある。

沖縄への本州からの移住者は後を絶ちませんが、
だいたいそういう理由です。

、、、で、沖縄で私が仕事をするとなると、
獣医師として豚の診療をするか、
もしくは大学教授になるか、
ぐらいしかないのでは、、、と思ったのです笑。

スキューバダイビングできませんし、
ペンション経営みたいな才能はゼロです。
(そもそも経営者の才覚はゼロです)

じっさいに教えられる資質があるかどうかは別として
大学で教えることは興味があります。
弟が大学で教えていますし、
なんか「気質的」なものとして、
私は「良い製品を作る」だとか、
「一つの分野を追求する」ことに向いているようです。
私は「モグラ」なのです。

掘って掘って掘り続けるのが好きで、
関心の対象を「拡げる」ことに興味がありません。
だから経営者にはまったく向かないし、
社交も嫌いなので政治家にも向かない。
「誰の役に立つかも分からないようなこと」
を、ひたすらに考えたり対話し続けたりするのが好きです。
私はたぶんソクラテスの子孫なのです笑。

あと、私が琉球大学に関心がある理由は、
じつは、海「だけ」ではありません。
沖縄って、学問的にと言うか、
思想的に面白そうだな、
と前から思っているのもあります。

沖縄って、日本文化のようでいて、
じつは日本文化ではない。
少なくとも「大和」文化ではない。
だから沖縄の人は本州の人を、
「大和人(やまとんちゅ)」と言います。
自分たちのアイデンティティと、
大和人のアイデンティティが同じだと、
沖縄の人たちは思っていない。

(無知な)本州の人は「沖縄も日本だろ」と言いますが、
彼らにとってその言説はそう簡単に受け入れられない。
沖縄の歴史を知れば「それはそうだろうな」と思います。
何度、沖縄が日本に捨てられてきたか。
殴ったほうは痛くないですが、
殴られた方は痛みを忘れることができないのです。
何が言いたいかというと、
「沖縄人が考える沖縄人」と、
「沖縄以外の日本人が考える沖縄人」は、
じつは別々のものです。
認知が非対称なのです。

彼らには彼らの思想があります。
それがとても興味深い。

「文体は思想そのもの」です。
日本の俳句は「575」ですが、
沖縄の歌は「8886」だそうです。
「8886」を理解できなければ琉球の内在的論理を理解できない、
と久米島にルーツを持つ佐藤優氏は指摘しています。

今上天皇は「8886」の琉歌を学んでいたそうですが、
きっとそれは先の戦争で日本が沖縄の人にもたらした哀しみの責任を、
天皇家が今も深く感じ続けていることの現れでしょう。

ひるがえって自民党の議員や菅官房長官を観るとき、
彼らが「8886の論理」を理解しているようには見えません。
理解する意志があるようにすら見えない。

、、、沖縄を学ぶと、
あるいは「琉球大学から沖縄のメガネで」何かを学ぶと、
日本というものが、あるいは世界というものが、
より立体的に見えてくるのではないだろうか、
という強い知的好奇心が私にはあります。



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【Q】会議での発言について

2018.02.08 Thursday

+++vol.026 2017年8月22日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
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::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】会議での発言について

ペンネーム:まる(女性)
お住いの地域:山梨県

Q.

陣内さんこんにちは!
いつもメルマガを楽しく読ませていただいています。
今回は、
「参加メンバーとして、会議の雰囲気をよくする方法」
を知りたくてメールしました。

私は司会とか事務局でなく、参加メンバーとして
会議に参加することが多いのですが、
一部の人しか話さなくて他の人は沈黙・・・とか、
きつい言い方をする人がいて会議が緊張感に包まれる・・・
などのときに、もうちょっと柔らかく、
前向きな雰囲気に持っていけたらいいなぁと
思うことがあります。

それで、自分はできるだけ穏やかに、
積極的に発言しようと思っているのですが、
発言しているうちに緊張してしまい、
より会議の緊張感を高めてしまっている気がします!

そこで、いろいろな会議やミーティングに
参加したことがあると思う陣内さんに質問なのですが、
会議の雰囲気をよくするために気をつけていることとか、
こんな発言で会議が和んだとか、あるでしょうか。
アドバイスをいただきたく、よろしくお願いします!


A.

まるさん、ご質問ありがとうございます。
ご質問いただいてから、
この問題について考えをめぐらした結果、
背後に膨大な裾野が広がる大ネタだということに、
徐々に気付いてめまいがしました。

「膨大な問題」というのはまるさんのことではなく、
「抽象思考や論理的思考」を得意としない、
日本の文化と教育の根本的なところにあります。

キリスト教会だろうが社会一般だろうが学生同士だろうが、
私はこれまで膨大な数の「会議」に参加してきましたが、
その分野や文脈にかぎらず端的に言って、
日本人というのは会議が「ド下手くそ」です(失礼)。

なぜかというと、
日本人のなかに脳内にロジックツリー(論理の樹形図)を、
作りながら話す論理的思考を得意とする人がいないこと、
「ルールよりも空気が支配する」日本の文化、
「具体と抽象」の違いを意識しながら話せる人が少ないこと、
「会議の目的と終了時間」がまず最初に措定されていないこと、
などなど山ほど理由はあります。

そして、会議というのはMC(司会進行役)の力量に左右されますから、
日本人のなかに10人に1人(以下)いる、
論理的思考が得意な人がその会議に「参加している」
だけでは不十分です。
その人が進行役をしていなければ、
会議はだらだらと長いだけで中身のないものになるでしょう。

会議の目的は「情報の共有と合意形成」です。
この目的をバシッと押さえ、
ゴールを設定し、終了時間を意識し、
とりとめもない会話がだらだらと長く続かないようにし、
ロジックツリーでいう「枝葉」の話しからつねに「幹」に戻し、、、
ということができる人が司会進行をすると、
会議は充実したものになりますが、
そのような技術を持った人は、
はっきり申しまして多くありません。

ですから、
まるさんがMCになられた場合どうしたら良いですか、
という質問でしたら、「論理的思考力を養うこと」
というのがその答えになります。

そのための良書を2冊ご紹介しておきます。

▼参考リンク:「論理トレーニング」野矢茂樹
http://amzn.asia/41tZ82Z

▼参考リンク:「具体と抽象」細谷功
http://amzn.asia/gM5ZeM4


、、、しかし、まるさんの質問は「これ」ではありません。
参加者として会議をよくするために何ができるか、
というのがまるさんのご質問です。

正確には「場を和ませたり雰囲気を良くする」ために、
参加者として何ができるか、ということですが、
「何か面白いことを言う」というのは答えにはなりません笑。
会議にとって有益な発言だからこそユーモアが生きるのであって、
「会議を円滑にし、議論を有意義にする有益な発言」
が安定してできてはじめて、ユーモアや「雰囲気を良くする」
といった対人感性力的な要素も生きてくるわけです。

、、、以上を踏まえたうえで、正直に申しまして、
会議の質は進行役によって8割以上決まってしまいますので、
参加者にできることはほとんどないのです(ないんかい!)。

、、、ですが、
即効性のある、「けっこう使える小技」を、
敢えてひとつだけご紹介します。

それは、
「とても普遍的な話しか、
とても具体的な話しのいずれかをする」
というテクニックです。

説明します。

たとえば会議の内容が、
そうですねぇ、
「教会として町内のために何ができるか?」
といったようなテーマだったとしましょう。

いろんな意見が出ると思います。
いちばん不毛なのは、
何かの提案に対して、
「それをするとこんな文句も出ると思う」
みたいな「減点方式」で、「欠落」を探していく行為です。
これをやり始めるとムダに長いだけの消耗戦になります。
関係ない思い出話を始めるとか、
過去の成功談を話し始めるなんていうのは論外です。

参加者としてとても大切なのは、
「普遍的な視点」と「具体的な視点」を持ち込むことだと私は思います。
たとえば「月に一回町内を清掃してはどうだろう?」
という提案に対して、先ほどの悪い例なら、
「じゃあ誰が担当するんだ?」
「警察の許可はどうするんだ?」
「ゴミ袋の財源はどうするんだ?」
みたいなのをバシバシ言うことです。

これはロジックツリーでいえば「枝葉」なので、
「やるかやらないか」を決めてから、
あとで実務担当者が詰めれば良い話しなのです。
複数の忙しい社会人を拘束してする話しではありません。
壮大な時間の搾取になります。

では参加者として「掃除をしては?」に対して、
どんな有意義な意見が出せるか?

まず「普遍的な視点を持ち込む」というのはその一つです。
「町内の清掃ってどうなの?」という話しから、
一気に「普遍」に振り子を振ってみるわけです。

たとえば、
「それって、聖書でいうとどういう意味になるのでしょう?」
と言ってみる。
そうしたら、創世記の2章に神は人間に、
「地を管理せよ」と言っているのだから、
掃除というのはそれの実践に他ならないのではないか、
という話しができる。

あるいはニューヨーク市のジュリアーニ前市長が実践した、
「割れ窓理論」という社会学説がある。
それによれば、落書きや落ちているゴミが減ると、
それに比例して窃盗やレイプなどの反社会的行為も減る。
だとしたら教会が町内の清掃をしているというのは、
目に見えぬ世界のゴミも拾っている霊的な実践なのではないか、
という話しができます。

こういった発言は会議の熱を高め、
「だとしたら同じ原則でこんな実践もあるかもしれない」
といった発想を広げる効果があります。

次に、逆に「具体的な視点を持ち込む」というのも、
会議において有意義な発言です。

先ほどの例ですと、
「町内のゴミ拾いを月一回する」案について議論しているとき、
「そういえば最近、
 この近所でコンビニの弁当の食べ残しを、
 まるごと道に捨てている大学生を見ました。
 そのとき、何か心のなかにゴミを捨てられたような、
 いやーな気持ちになって半日ぐらい尾を引いたのを思い出しました。
 逆に誰かが無償でゴミ拾いをしているのを、
 第三者が見たら、心の中のゴミを拾ってもらったような、
 さわやかな気持ちになるかも知れないですよね。」
といったような、自分の半径2メートルの話しをするのです。
そうすると、宙ぶらりんだった議論が「足下」に帰ってきます。
それによって議論が深まります。

つまり、議論がいま参加者の上空5メートルぐらいを、
ふわふわ浮いていると仮に描きまして、
参加者が「思い切り普遍的な話しをする」ことは、
大気圏外からその問題を捉えることに似ており、
「思い切り具体的な話しをする」ことは、
上空5メートルを浮いている話しを、
参加者の手もとに引き戻して手にとって眺めさせる効果があります。
両方とも議論の奥行きと幅を増やしますから、
会議に「熱量」を与えることになり、
会議の雰囲気を良くすることにも、
結果的にはつながります。

ちなみに今回の私の「回答」は、
「もっとも個人的なことは、もっとも普遍的なことである」
という、心理療法の大家、カール・ロジャースの言葉に、
ヒントを得ています。
個人的な体験と普遍的原則の間に橋をかけるのが、
心理カウンセリングだとしたなら、
会議というのは「集合的カウンセリング」なのかもしれません。
(これが「普遍的な話し」です。)

、、、御参考までに。




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【Q】芸人の「脱ぎ」について

2018.01.25 Thursday

+++vol.024 2017年8月1日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
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※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】芸人の「脱ぎ」について

ラジオネーム:ちょっちゃん(女性)
お住まいの地域:東京都

あまりにも馬鹿げた質問かな、
となかなか聞くに聞けなかったのですが、思いきって。

以前お薦めされていたアマゾンプライムビデオの「ドキュメンタル」ですが、
とても面白い!と思って見ていくうちに、みんなが下着を脱ぎ始め…。
女性だからなのか、個人的に「パンツだけは履いていて〜」と、
思います。汚い、と本能的に(すみません!)
嫌悪してしまいます。脱がないで勝負しろよー!とも思います。

森三中の大島さんが脱がなくて本当にほっとしました。
なぜにあんなに脱ぐのか…!
ただ、宮川大輔に関しては脱いでも許せます。
そしてアキラ100%は好きなのです。
男性は大体にして脱げば笑えるものなのですか??


A.

ちょっちゃんさん、ご質問ありがとうございます。
質問をいただいた瞬間、
「これは是非答えたい!」と思いました笑。

「ドキュメンタル」観られたのですね。
もうそれだけで親近感を覚えます。

、、、、さて、ご質問についてですが、
「これは是非答えたい!」と思ったあと数日間、
つらつらと考えをめぐらせていたのですが、
驚くほど名案が浮かびません(笑)。

芸人が服を脱いだり下ネタを言ったりするというのは、
じつは芸人としては「反則だし、かっこ悪い」ことです。
小学校2年生の男の子は、間が持たなくなったとき、
とりあえず「ウンコ!!チンコ!!」と絶叫しておけば、
30分ぐらい爆笑してくれます。

プロの芸人が下ネタや裸で笑いを取るというのは、
そのレベルまで自分を貶めるということですから、
本当はめちゃくちゃダサいことなのです。

それはプロの水泳選手が犬かきをしているようなものであり、
プロのスキーヤーが「ボーゲン」で滑っているようなものです。

、、、では、何故それでも芸人は脱ぎ、
芸人は下ネタを言うのか、
という問いがここで生じるのですが、理由は二つあります。

まず、
「プロの芸人が小学校2年生の男の子のレベルの笑いを、
本気で取りに行っている」というのは、
状況によっては「一周回って」、
めちゃくちゃ面白かったりするからです。

アキラ100%はまさにそれですし、
とにかく明るい安村もそうです。
今となっては飽きられて意味合いが変わりましたが、
初期の小島よしおなんかもそうですね。

ただ、芸人本人も、「自分は一周回った芸をしている」
という自覚がありますから皆、危機感は半端ないです。
あくまでも「王道の笑いという刷り込み」の裏切りとしての、
「裸というベタ」というカードを切っているわけですから。
いつかはそこから脱出しないと長くは芸人を続けられないことは、
本人がいちばんよく分かっているわけです。

裸芸とリズム芸はそういう意味では「危険な手札」で、
大きな大きなリスクを背負いながら、
芸人達はそれでもそこに手を出す。

何故か。

それでも、「まずは地上波に出ない」ことには、
レースへの出場権すら得られないからです。
スタート地点にすら立てない。
キャリア20年以上で、一度も地上波に出たことない芸人なんて、
いまどきゴロゴロいるわけです。
だからどんな形であれ、
「まずはテレビに出る」ことを優先させる。
そういう戦略のツートップが、
「リズム芸」と「裸芸」です。
そういった背景を知りながら彼らを観ると、
なんともいえない悲哀が加わるのです。
だから「笑ってあげようじゃないか」と思うのです。
もう「親心」に近いですね。

芸人の「脱ぎと下ネタ」の2つめの理由は、
「芸人が芸人を笑わせようとするから」です。

特に男の芸人同士の場合ですが、
プロの芸人がプロの芸人を本気で笑わせようと思うと、
どうしても「裸と下ネタ」に頼ることになります。

なぜかというとプロの芸人は、
一般の人が笑うような洗練された芸では、
もはや笑えなくなっているからです。

24時間料理のことを考えている一流コックに、
フォアグラのソテーを食べさせても、
もう「美味しい!」というシンプルな感動はそこにはありません。
「ははーん、こういう手法もあるのか、、、」
という「分析」が先立ってしまう。
料理のプロが純粋に「美味しいなぁ」と思えるのは、
むしろ家に帰ったときに奥さんが用意している、
何の変哲もない「ひじき」と納豆ご飯だったりします。

芸人も同じで、
プロの芸人に対してすごいコントや漫才や、
話芸を見せても、心からは笑えません。
「その手があったか!」とか、
「さっきのあの『フリ』を効かせて笑いを取るとは、、、 
 思いつかなかったぁ!」
という、分析や反省や向学心が先に来てしまう。

では、プロの芸人が、
腹を抱えて笑う瞬間はいつか。
つまり芸人にとっての「ひじき」は何か?
それはわりと「裸と下ネタ」だったりします。

男子運動部の部室で、
部員の人気者の「トーク」は下ネタ多めですし、
部員の人気者はかならず最後はケツを出します笑。
プロの芸人もその瞬間だけは、
「ひとりの男の子」となって、
無邪気に笑うことが出来る。

「内村プロデュース」という番組がかつてありまして、
あの番組は「芸人の芸人による芸人のための」番組でした。
有吉弘行は後に著書の中で、
「あの番組のおかげで芸人を辞めずに済んだ」
と語っています。

あの番組は芸人同士がお互いを笑わせあう、
という企画が満載ですが、
当時準レギュラー的に出ていた有吉は、
10回のうち9回は全裸になっていました笑。
人気司会者となった今では想像するのが難しいですが。

、、、で、MCのウッチャンが、
子どものようにケラケラ笑うのは決まって、
芸人が服を脱いで裸になったときか、
放送禁止レベルの下ネタを言ったときでした。

そういうものなのです。

「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず」という、
さまぁ〜ずがフリートークをする30分番組も同じです。
大竹と三村が、本気でツボにハマって相手の発言に笑うときというのは、
相手が「ド下ネタ」を言ったときです。
お客さんはたいてい引いていますが笑。

、、、で、ドキュメンタルというのは、
企画の性質上、「芸人が芸人を笑わす」という構図になっていますから、
もうこれは、「下ネタと裸は不可避」ということになります笑。

、、、ただ、個人的には、
下ネタも裸も特に好きではありません笑。

どないやねん!

という話しですが。

私はさまぁ〜ず×さま〜ずの観覧席のお客さんの心境ですので、
ちゃんと「ドン引き」しています笑。

「下ネタに逃げるなよ。」
「裸に逃げるなよ。」

と思っています。
ドキュメンタルの場合は構造上仕方ないというところがありますから、
下ネタや裸の部分は「あんまり観ないようにして」、
やり過ごしています。

ミュージシャンのアルバムを買ったとき、
あんまり好きでない曲は飛ばして聴くように、
本を読みながら、さほど興味ない部分は読み飛ばすように、
お笑い番組のなかで、自分の好みに合わない、
度が過ぎた裸や下ネタが繰り広げられているときは、
脳内の入力スイッチをオフにするようにしています笑。

だから、ドキュメンタルは「前半戦」が好きです。
前半はまだ芸人達がそこまで追い詰められていないので、
下ネタ少なめ、裸少なめですから。

おそらく、ちょっちゃんさんと私は同意見のはずです。
でも、「骨が嫌だから魚は食べない」とか、
「種が嫌だから果物は食べない」
というのがもったいないのと同じで、
下ネタや裸が嫌だからお笑いをまったく観ない、
というのは、あくまで私の個人的な見解として、
人生を少し損しているなぁ、と思っています。

結局は、観るも観ないもその人の自由ですが、
本当に面白いお笑いは、人生を豊かにしてくれると、
私は個人的に思います。

もちろん、下ネタや裸への我慢が、
得られる豊かさに引き合わなければ、
ただちに観るのをやめることをオススメします。

御参考までに。


追伸:

「ドキュメンタル」でいちばん笑ったのは、
ダイアン津田のお母さんの写真のくだりと、
アントニーのお父さんの写真のくだり、
それから野性爆弾の川島の「フードのこし」のくだり、
あと案外「児島だよ!」「俺もだよ!」の攻防も好きでした。
とにかく、シーズン1もシーズン2も、
前半戦はすごかったですよね。
ジミーちゃんとフジモンはやっぱり重要だな、と思います。
(見た人しかわからない話しですみません)

追伸の追伸:

つい今しがた知ったグッドニュースが。
ドキュメンタル、シーズン3、8月2日からスタートします。
犬ならばおしっこ漏らすぐらい楽しみです。
今回は下ネタと裸少なめだと良いのですが、、、笑。





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【Q】「学校に床の間」の出典

2018.01.11 Thursday

+++vol.022 2017年7月18日配信号+++


●【Q】「学校に床の間」の出典

ラジオネーム:まる(女性)
お住いの地域:山梨県

Q.

こんにちは。いつもメルマガやブログを
読ませていただいています。ありがとうございます!
質問があり、またいつか機会がありましたら、
メルマガやブログ等で教えてください。

メルマガでの記載に
「安倍首相も参加している、というよりもその渦の中心にいる、
「日本会議」の議事録を読みますと、
「すべての公立学校に床の間を設けるにはどうすれば良いか」
というようなことが、真剣に話されている。」

とありましたが、
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html

のことでしょうか?
「日本会議の研究」を読んでみたのですが、記述がなかったので、
出典を教えていただけると幸いです。

キリスト教信仰にこれから関わってきそうなので、
情報を集めたいなぁと思っています。
質問ばかりですみません。
これからの働きも守られますように。



A.

こちらは先ほどと同じく、
ラジオネームまるさんのご質問です。

そうですね。
まるさんのご指摘されているリンクがそうです。

▼教育再生会議
http://www.kantei.go.jp/jp/kyouiku/1bunkakai/dai4/1-4siryou1.html

しかし私の書いた内容とは微妙に違っていて、
「おかしいな」と思い調べました。
私は「どこかで読んだ内容」を記憶していて書いたのですが、
調べましたら正確には間違っていました。
お詫びして訂正します。

じっさい「床の間を設けるにはどうしたら良いか」
という議事録があったのは、
日本会議ではなく自民党でした。
私が読んだネタ元は以下のとおりです。
手もとに本がないのでページ数までは
フォロー出来ませんでしたが引用します。

▼参考リンク:「すべての戦争は自衛意識からはじまる」森達也 
http://amzn.asia/1tDqy2q

〈自民党の議事録に「学校に床の間」を、
という発言が残されている。
本音は神棚を作るためだ。
安倍首相は、「神道政治連盟国会議員懇親会」の会長だ。〉

、、、ロビイ団体である日本会議ではなく、
自民党で話されていたとは改めて驚きです。
私が間違って書いた内容より、さらにぞっとする話しです。

同じ森達也さんの本には、
ナチス時代のドイツで生きたルター派の牧師、
マルティン・メーニラーのこんな詩が載っています。
引用します。

〈当初、ほとんどのドイツ国民と同様に、
メーニラーはナチスを強く支持していた。
しかしナチスによる迫害が教会に及ぶに至り、
これに強く抗議して最終的には強制収容所に送られた。
このメーニラーが戦後に書いた詩を引用する。

 最初に彼らが共産主義者を弾圧したとき、
 私は抗議の声を上げなかった。
 なぜなら私は、共産主義者ではなかったから。
 次に彼らによって社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、
 私は抗議の声を上げなかった。
 なぜなら私は、社会民主主義者ではなかったから。
 彼らが労働組合員たちを攻撃したときも、
 私は抗議の声を上げなかった、
 なぜなら私は労働組合員ではなかったから。
 やがて彼らが、ユダヤ人たちをどこかへ連れて行ったとき、
 やはり私は声を上げなかった、
 なぜなら私はユダヤ人ではなかったから。
 そして、彼らが私の目の前に来たとき、
 私のために抗議の声をあげる者は、
 誰一人として残っていなかった。〉

「●●を排除する」というタイプの言説や法律は、
「●●」のなかに自分が含まれていなくても危険です。
もし今の自民党右派の支持者が喜んで、
「自民党に反対する奴は逮捕できる法律を作れ!」といって、
それをやったとしましょう。

何年かあとに、クーデターか政権交代が起きて、
共産党が政権を取ったとします。
そのとき弾圧されるのは、
「かつてその法律を作った自民党支持者達」です。
自分が作った処刑台で自分が死ぬことになります。

大事なのは社会に処刑台を作らないことです。
それが多様性を許容する、
市民社会のあるべき姿だと私は考えます。

、、、日本会議がらみでは、
菅野さんや青木さんの本以外では、
以下のようなリンクが参考になります。

▼森達也「ポリタス」寄稿
http://politas.jp/features/3/article/307

▼籠池氏は日本会議の大阪支部長
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/12/post-6547.php

▼日本会議についての菅野さんのウェブ記事
http://diamond.jp/articles/-/91567

、、、先ほどのコーナーでも書きましたとおり、
「日本会議けしからん!」というだけの言説には、
社会を変える力はあまりありません。
そうではなく、真正面から「国を愛する」ことを考え、
「保守とは何か」「リベラルとは何か」「民主主義とは何か」を学び、
そして「このように生きる」という軸を持つことが大切です。

「作用・反作用の力学」で戦うと、
「作用」がなくなったとき逆に倒れ込みますから。

おそらくボンヘッファーは、
反作用ではなく、ヒトラー登場前から、
「このように生きる」という軸を持っていたと思われます。

、、、御参考までに。






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【Q】これからの日本でキリスト教信仰を持つこと

2018.01.11 Thursday

+++vol.022 2017年7月18日配信号+++


●【Q1】これからの日本でキリスト教信仰を持つこと

ラジオネーム:まる(女性)
お住いの地域:山梨県

Q.

陣内さんこんにちは。
陣内さんは、これから日本で
キリスト教信仰を持つのは難しくなると思いますか?

もしそうだとしたら、
今何をしておくべきだと思いますか?
私は自民党の憲法改正草案や内閣のメンバーを見ると、
日本では今後、「宗教ではなく、社会的儀礼や習俗的行為だよ」
という考えで、学校教育や一般社会の中に神道の考えや儀式が
入ってくる可能性があるのではないかと思っています。

国は宗教ではないと考えても、
キリスト教信仰とは相いれないところも、
もしかしたらあるかもしれません。

もしそうなったら私は、抵抗できる自信がないし、怖いなと思います。

戦中の日本も信仰を守り通すのは難しかったようですが、
何か過去から学んで、備えられることはないか・・・と思っています。
でもまだ何も見つけられていません。

今は、ただ日本のリーダーの働きが守られ、
神様を礼拝し、隣人に仕え、弱い人を大切にする国になるよう祈り、
また私もそのように歩めるよう祈っています。

陣内さんはどうお考えになりますか?



A.

まるさん、ご質問ありがとうございます。
長らく回答するのが遅れまして、
お待たせしたことをまずお詫び申し上げます。

おそらくお気づきのように、
べつに狙ってそうなったわけではありませんが、
奇しくも今回の「最近したメッセージ」の内容が、
まるさんのご質問へのそのまま回答になっています。

ですから、まるさんが、
「今は、ただ日本のリーダーの働きが守られ、
神様を礼拝し、隣人に仕え、弱い人を大切にする国になるよう祈り、
また私もそのように歩めるよう祈っています。」
とおっしゃっているのは、まったくその通りであり、
私も同意見です。

だいじなのは、
「順番」だと思います。
それが愛国心だろうが金銭への愛だろうが、
伴侶や恋人や友達や会社や出世への愛だろうが、
「●●への愛」が、「神への愛」を上回ったとき、
それは偶像崇拝であり、そのような人生は脆弱な人生になります。

内村鑑三の「2つのJ」にはじつは続きがあります。

「自分は2つのJを愛する。
ひとつはジーザス・クライスト(Jesus Christ)であり、
ひとつはジャパン(Japan)日本である。
2つのJ−イエスと日本−そのどちらをより多く愛するか、
自分は知らない。
自分はイエス(Jesus)を信ずるが故に、日本人に憎まれ、
また余りに日本的であるが故に、
欧米宣教師に嫌われる。
しかし、私は2つのJ−イエスと日本−を失うことはできない。」

というのがこの発言のフルバージョンです。
彼は「日本とイエス、どちらを多く愛するか私は知らない」
と言っていますが、彼は自らの人生と行動を通して、
この2つには順番があることを示しています。

「内村鑑三不敬事件」という事件がそうです。
彼は時の政府が「教育勅語」などに基づいて要請する、
「天皇への最敬礼」を拒んだことが批判され、
教師の職を失いました。

▼参考リンク:Wikipedia 「内村鑑三不敬事件」
https://goo.gl/Zn8bip

まるさんの言われる「備え」は内村のこの実践からも学べますし、
聖書のなかでこの問題に対する最良のテキストは、
「ダニエル書」だと考えます。

ダニエルは時の為政者ネブカデネザルが、
「自らを礼拝せよ」と国民に強要したときそれを拒みました。
そして彼はその罰として燃える火の中に投げ込まれましたが、
そのときにこう言っています。

ダニエル書3章17〜18節
「もし、そうなれば、私たちの仕える神は、
火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。
王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。
私たちはあなたの神々に仕えず、
あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

、、、ダニエルは内村鑑三と同じように、
為政者が強要する「神としての国家への忠誠」を、
拒絶しました。

この話しの顛末は、おそらくまるさんもご存じのとおり、
神は奇跡をもってダニエルたちを救われたのですが、
「たとえそうでなくとも」私は国家を神としない、
というのがダニエルの決意でした。
じっさい歴史上、多くの人々がダニエルと同じ覚悟を持って、
「国よりも神」を選んだ結果、
ある人は斬首され、ある人は拷問にあい、
ある人は磔刑にされ、ある人は火で焼かれて命を落としてきました。

ヘブル人への手紙の著者はそのような人々を、
「雲のように私たちをとりまく証人達」と呼び、
今生きている信仰者を彼らは応援しているのだから、
「目の前におかれている競争を忍耐をもって走り続けよう」
と鼓舞しています。

、、、予見される未来において、
日本が戦前の「大日本帝国憲法」のようなものを復活させ、
私たちが信仰を持つと言うこと自体が違法になったり、
国家への忠誠心と神への忠誠心を天秤にかけられるような、
そんな社会になる、ということは、
「考えにくい」というのが私の個人的見立てです。
日本が国際社会の一員であり続け、
自由主義陣営のメンバーとして米国との蜜月を続けようとすると、
「戦前回帰」は自殺行為だからです。
日本はそこまでバカではないと(希望的に)私は思っています。

しかし、歴史というのはいつも「まさか」の連続ですし、
2012年のグロテスクな自民党の憲法改正草案を読むと、
彼らが「大日本帝国憲法的なるもの」を復活させたいのは明白であり、
あまり考えたくない未来が、
あながち荒唐無稽でもなくなってきているかも、
と思うこともあります。

そのようななかで、まるさんは、
「そうなったときに抵抗できる自信がないし怖い」
とおっしゃっていますが、
それでいいのではないかと私は思います。

逆に、
「そうなっても俺は神に従う。
国家に逮捕されても命を落としても、
絶対にイエス様に忠実に生きる」
と言っているような人ほど危ないのではないかと笑。
キリストの処刑前夜のペテロを思い出してください。

、、、私だって分かりません。
私は強くないですから。
だからこそ、ダニエルのように、
そして内村鑑三のように、
自分の良心に忠実であれるよう、
いつも神に助けを求めています。

その戦いはきっと既に始まっていて、
それは毎日のデボーションであり、
毎月の什一献金であり、
キリスト者としての小さな愛の実践であり、
職場や公共空間における自分の信仰の公表です。

その程度のことさえできない人が、
「命をかけてキリストに従う」ことが出来るとは、
とうてい思えませんから。

「キリストのために死ねる。
 でも什一献金はかんべんしてほしい」
あるいは、
「キリストのために命を捨てられます!
 でも職場で教会に行ってることをカミングアウトするのは、
 ちょっと難しいです。」
というのはもう、ギャグですから笑。

さて、このような問題について参考になる本を、
何冊か紹介します。

まず思い出したのが、
「たといそうでなくても」という本です。
私はこの本を大学生のときに読みましたが、
「信仰というのは命をかけてするものなのだ」という、
何かずっしりとしたものが心に残ったのを覚えています。
タイトルの「たといそうでなくても」は、
先ほどのダニエル書からの抜粋です。

著者はちなみに戦時中、
日本に侵略された朝鮮半島で、
神社崇拝が強要されたときに、
キリスト教信仰のゆえに投獄され、
5年間もの間拷問に耐えた人物で、
自らのことを「失格した殉教者」と呼んでいます。
彼はキリストを拒んだから失格したのではなく、
死んでいった沢山の仲間と比較し、
自分は「死ねなかった」から、失格殉教者と、
自分の事を呼んでいるわけです。

Amazonで見てみると絶版になっているらしく、
とんでもない値段になっています。
再版を待つしかないかもですね。
こういう本というのはなにげに、
教会図書室に、ときどきさらっと置いてあったりします。
あったら「ラッキー」なので読みましょう。

▼参考リンク:「たといそうでなくても」安利淑
http://amzn.asia/4kE8nj2


次にオススメしたいのは、
遠藤周作の「沈黙」ですね。
まるさんはなんとなく既読のような気がしますし、
この本については説明不要でしょう。
「ほんとうの信仰とは何なのか」を突きつけられます。

▼参考リンク:「沈黙」遠藤周作
http://amzn.asia/aFmPjQk


三浦綾子「母」。
これは実は、キリスト教の話しではありません。
小林多喜二という「蟹工船」の著者の話です。
「蟹工船」はプロレタリア文学として、
知られていることからも分かるように、小林は共産主義者です。
当時の日本では共産主義もまた国家によからぬ思想として摘発され、
刑罰の対象になっていましたから、
小林多喜二は見るも無惨なむごたらしい拷問を受け殺されました。
「母」とは小林多喜二の母の事です。
自らの良心に殉じて死ぬ息子を見る小林の母の姿と、
磔刑に処せられたイエスの母マリアを重ねる名作です。

▼参考リンク:「母」三浦綾子
http://amzn.asia/eB0NTTC


最後に「ボンヘッファーとキング」です。
ボンヘッファーは、ナチスドイツによって、
国の大多数の教会が「ナチスに賛同」する側にまわるなか、
ひとり抵抗の声をあげ最後はヒトラーに殺されました。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、
黒人の公民権のために戦い最後は暗殺されました。
この二人の足跡を辿ることで、
「自らの信念に殉じた生き方」から多くを学ぶことが出来ます。

▼参考リンク:「ボンヘッファーとキング」J.ディオティス・ロバーツ
http://amzn.asia/975I6BO

、、、御参考までに。





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【Q】文章を書くことについて

2018.01.04 Thursday

+++vol.021 2017年7月11日配信号+++


●【Q】文章を書くことについて

ペンネーム:ドンフライ(男性)
お住いの地域:東京都

Q.

俊さん
毎回圧倒的な情報量と内容のあるメールマガジンを”必死”に読んでいます。
しかし、軽いネタもあるのでなんとか”完走”できているような状況です。

私は文章書くのが下手で、
仕事でよく意味が分からんとか謎解きゲームだと不評買っています。
どうしてそんなにいろいろなネタが完結でたくさんかけるんですか?
昔から文章書くことをいっぱいしていたとか、
それとも実はものすごい労力と時間がかかっているんでしょうか。
どうやって読んだものを整理して表現しているのか興味がありまして、
よろしくお願いします。


A.

ドンフライさん、ご質問ありがとうございます。
まず言えますのは、ドンフライさんのご質問の文章、
これはまったく「謎解きゲーム」ではないので、
ご安心して大丈夫なのではないでしょうか、ということです。

質問の要点を言い得ていますし、
意味がハッキリわかる簡潔な文章です。

さて、ご質問の件ですが、
私がこのような文章を毎週書けますのは、
厖大な時間がかかっていると言えばかかっていますし、
かかっていないといえば、そこまでかかっていないのです。

説明します。

私は2008年に市役所の職員であることを辞めて、
NGOを通して国内外で活動する今のような働きを始めました。
社会人になって2002年から2007年の間、
私が毎月書いていた「文章」というのはたいてい、
起案分、報告文、通知文、学術報告論文といった、
いわば専門的な文章でした。

特に「役人の文章」というのは特徴があり、
「公文書の書き方のマニュアル」というのを新人は勉強し、
それに従って文章を書きます。

この文法になれるのに私は1年間かかりましたが、
慣れてしまえば簡単です。
役所の文書というのは没個性だとか、
それこそ暗号だとか言われますが、
「個性を出してはいけない」のが役人の文章です。

「誰が書いて誰が読んでも、
 解釈に幅がなく同じように受け取れる」のが、
公文書の勘所ですから、
「文体」にオリジナリティは必要ありません。
むしろオリジナリティは御法度です。
「自我」なんていうのは職場のロッカーで、
毎朝脱ぎ捨てるのが正解です笑。

、、で、そのような文章を、
上司に指摘されたり怒られたりしながら毎月書いていた、
というのが社会人の最初の6年間です。

このときの一ヶ月の文章量を「10」としますと、
単純に量だけの話しをするなら、
今は一ヶ月に「300」以上書いていると思います。
たぶん30倍ぐらいの文字数を常時書いている。

じゃあ、一足飛びにそこまで飛躍したかというと、
そうではありません。

2008年から私は、
「陣内俊Prayer Letter ONLINE」という、
支援者の方々への活動報告のブログを書き、
2013年に体調を崩すまでは、ほぼ毎日更新していました。

2008年から2013年までの5年間、
先ほどの単位だと毎月「100」ぐらい書いていた。
それは私にとって「文章を書くという行為の筋トレ」だった。

病気から回復して現在メルマガを開始しましたが、
もしブログを毎日書いていなければ、
この分量のメルマガを書き続けるという、
「言語運用」の基礎体力はついていなかったと断言できます。

このメルマガの文字数は、
以前ブログに書いていた文字数の3倍ぐらいはありますが、
それに割いている時間はブログのときと変わりません。

、、、もっと言えば、
役人だったときに勤務時間中に文章に向き合っていた時間数と、
今私がメルマガを書いたりすることで文章に向き合う時間数は、
たぶん同じぐらいです。

1週間に5時間〜10時間ぐらい、
総労働時間の4分の1とか5分の1ぐらいです。

じゃあなぜこういう「圧縮」が起きたのか。
なぜ文章を書くのが早くなったのか。

それは、こう言ってしまえば身も蓋もないのですが、
「たくさん書いた」からです。

料理をめちゃくちゃ早く手際よく作れる人は、
なぜそれが出来るかというと、
たくさん料理を作ったからです。

サッカーのドリブルがめちゃくちゃ早い人がなぜ、
それを出来るかというと、
グラウンドでボールを蹴った日々があるからです。

文章も原則としては同じです。
たくさん書いたら書いただけ上達します。

、、、それに加えて、
次のようなことを大切にしたらさらに上手くなりますよ、
というのを、いくつか挙げたいと思います。


1.たくさん本を読むこと

澤田昭夫さんの名著「論文の書き方」という本がありまして、
その本に、「書くこと」と「読むこと」というのは、
言語運用能力という意味でひとつの活動だ、という指摘があります。
引用します。

→P18 
〈「読み方」に続いて、
「話し方」「聴き方」についても簡単に触れました。
「論文の書き方」に関する本が、
「読む」、「話す」、「聞く」ことまでを扱うのは
奇怪に見えるかも知れませんが、そうしたのは、
この本の一つの柱になっているのが、
「書く」、「読む」、「話す」、「聞く」は根本的には同じ一つの
「ことば活動」の四つの働きだという考えだからです。
書く人、話す人、読む人、聞く人、この四人は、
たとえていえば、山の両側から二人で一組になり
一点に向かってトンネルを掘っているようなもので、
その作業原則は同じだからこそトンネルは一点で出会って貫通するわけです。
そうでなかったらトンネルは出会わない。
つまり、言葉は意思疎通の手段にならないわけです。〉

▼参考リンク:「論文の書き方」澤田昭夫
http://amzn.asia/6qjFs5m

、、、「読む」「書く」「聞く」「話す」というのは、
じつはひとつの活動の異なる側面なのだ、ということです。
そしてそのすべての基本になるのが「読む力」です。

佐藤優さんは「知の操縦法」という本のなかで、
ここからさらに「書く力」「話す力」「聞く力」が、
「読む力」を超えることはない、と言っています。
つまり「読む力」がすべての基本だと。

→位置No.11
〈「読む力」は表現力の基本だ。
「読む力」以上の「聞く力」「話す力」
「書く力」を持っている人はいない。〉

▼参考リンク:「知の操縦法」佐藤優
http://amzn.asia/68h3cVN

、、、言葉は「論理」ですので、
数式の比喩で現わせます。
「読む力」というのは、書かれた文字から、
論理構造を把握し、そこにある「数式」を取り出す行為です。

書く力はその数式(論理)を文字で再現する力であり、
話す力はその数式をオーラルに(口頭で)再現する力です。
(もちろん自分のアレンジを加えても同じです。
 いずれにせよ「脳内の論理」を、
 文字か音声で再現する能力が書く力、話す力です。
 「言語明瞭、意味不明」と言われるような
 支離滅裂な話し言葉や書き言葉というのは、
 そもそもその人の脳内に「論理という数式」が存在しない、
 もしくは定まっていないことによって起きます。)
、、、そして聞く力は耳で聞いた論理を把握することですから、
基本的に「読む力」を補完するものです。

こう考えると理解できますでしょうか。
つまりある文章を読んでその中の内在的論理を把握する力、
というのがその人の言語運用力の基礎体力となり、
そこから「書く、話す、聞く」が派生するのです。

本を読んで言語運用力を鍛えようとするとき、
「ちょっと難しくて全部は理解できない」という、
背伸びしたレベルの本を読むことをオススメします。

100%理解できる本というのは、
今の自分の能力の中で把握出来ているから、
それを読んでも「論理の筋トレ」にならないからです。

「自分には少し早い」ぐらいの複雑な論理に接することで、
その人の論理力は高まって行きます。


2.たくさん文章を書くこと

これは先ほど言ったとおりなので説明不要ですね。
サッカーが上手くなるコツは、
サッカーボールを蹴る事なのと同じで、
文章が上手くなるコツは、たくさん書くことです。


3.書いたものを「公開」すること

ただ「書く」よりも、
それを誰かに読んでもらった方が確実に上達します。
ブログなどはそういう練習をする格好の「場」です。
(もちろん職業上の守秘義務や服務規程に違反しない範囲で)

、、、芸能人はデビューから年月が立つと、
整形したわけでもないのに顔つきが洗練されていき、
同じ年齢の人よりも若々しく観られる人が多いです。

これは彼らが「人に見られる」職業だからです。

「人に見られる」ということによって、
彼らは自分の表情や体重や肌や声に自覚的になりますから、
その積み重ねが彼らの見た目を徐々に変えていくわけです。

文章も同じで、
「多くの人に読まれる」という、
「閲覧圧力(今私が作った造語です)」によって、
その人の書く文章はどんどん洗練され上達していく。

そういうものです。

試しに私が2008年に始めたブログの、
初期の文章を読んでみると、
今の私から見たら「下手すぎ」ます。

ひどい。

それだけ上達したということなのです。
それはとりもなおさず、
私の場合自分の身元を明かし、
不特定多数に自分の書いたものを「さらす」、
という「自己鍛錬」を10年近く続けてきたからです。


4.「文章を書くための本」から学ぶこと

文章力を磨くために参考になる本というのは、
古今東西たくさん出版されていまして、
たぶん私はこの手の本をこれまでに、
すくなくとも50冊は読んできているはずです。

その中でも最高だったのは、
2009年に弟に勧められて読んだ、
本多勝一の「日本語の作文技術」です。

他には友人に勧められた野矢茂樹の、
「論理トレーニング」も、「文章は論理だ」ということを知る上で、
非常に役に立ちました。

あと、山田ズーニーさんの、
「伝わる!揺さぶる!文章を書く」も良かったです。
この本を読むと最初の質問の「世間と半音ズレている人」は、
なぜ文章が上手になるのか、という理由が分かります。

この数ヶ月に限定しますと、
池上彰さんと読売新聞の竹内正直さんの、
「書く力」が参考になりました。

▼参考リンク:「日本語の作文技術」本多勝一
http://amzn.asia/15FcrJ2

▼参考リンク:「論理トレーニング」野矢茂樹
http://amzn.asia/iv9Gt89

▼参考リンク:「伝わる!揺さぶる!文章を書く」山田ズーニー
http://amzn.asia/7YH6Npv

▼参考リンク:「書く力 私たちはこうして文章を磨いた」池上彰 竹内正直 
http://amzn.asia/baCDGrH


5.スマホとSNSに依存しないこと

それから、編集と校閲が加えられていない、
ネット上のゴミ溜めのような情報に常時接していると、
「論理力」は、どんどん落ちていきます。
SNSに依存したりネットの掲示板を読む習慣を持つと、
文章はどんどん下手になっていくと考えて間違いないでしょう。

先ほどの佐藤優さんの「知の操縦法」から引用します。

→位置No.11 
〈一昔前まで、インターネットにアクセスできる人とそうでない人の間で、
情報空間に大きな差異が生じると言うことが言われた。
、、、むしろ深刻な情報格差は、
日常的に電子媒体を用いる人の間で生じている。

パソコンしか持っていない、
もしくはパソコンとスマートフォンを併用しているが、
主にパソコンを利用している人は「読む力」を維持することが出来ている。
これに対してスマートフォンしか持っていないか、
パソコンを持っていても使わずに
ほとんどスマートフォンから情報を得ている人の
「読む力」が落ちているとの感触を私は得ている。

それはスマートフォンを多用する人が、
LINEをはじめとするSNS、SMS(ショート・メッセージ・サービス)を
もっぱら利用することと関係している。
SNS、SMSでは、限られた語彙しか用いられず、
単文、体言止めが多い。
しかも絵文字やスタンプで感情を表現する。
ここで用いられているのは話し言葉だ。

学校や職場では複雑な日本語を用いていても、
日常的には簡単な話し言葉しか用いていないと、
急速に「読む力」が退化する。
「読む力」は表現力の基本だ。
「読む力」以上の「聞く力」「話す力」
「書く力」を持っている人はいない。〉

→位置No.909 
〈LINEで瞬時に返信することばかりしていると、
千語くらいの単語数でしかコミュニケーションをしなくなるので、
長いものや難しいものを読めなくなってしまうし、
他人に伝わる文章を書くことも出来なくなります。〉


6.Evernote

最後に、ドンフライさんのご質問中の、
「どうやって読んだものを整理して表現しているのか、、、?」
という点に関しては、もう、「Evernoteさまさま」ですね。

Evernoteを使い始める以前なら、
このメルマガは実現していないのではないかと思います。
私は記憶力は良いほうではありませんから、
「数ヶ月前にあの本で読んだあのセンテンス、、」というのを、
検索機能で一発で引っ張ってこれるEvernoteは私の第二の脳でであり、
すこぶる優秀な秘書です。

べつにEvernoteを必ずしも使わなくても良いのですが、
本を一冊読んだら、3行ぐらいでその内容をメモする、
という情報整理を習慣化すると、
「知的蓄積」の効率が非常に良くなります。
これは文章を書く訓練にも論理を把握する訓練にもなりますので、
非常にオススメな方法です。

御参考までに。





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【Q】「父になること」について

2018.01.04 Thursday

+++vol.021 2017年7月11日配信号+++


●【Q】「父になること」について

ラジオネーム:まるまる(男性)
お住いの地域:北海道

Q.

いつも楽しくメルマガ読んでいます。
10月にお子さんが生まれるとのこと、楽しみですね。
実は私も7月に第一子が生まれる予定なのです(同級生ですね!)。
そこで、「父になること」について質問させていただきます。

私は、妻の妊娠が発覚した時、「赤ちゃんを授かった!」
という喜びと共に妻とハグをしたその数秒後には
「これから何を準備すればよいのだろう」という
漠然とした不安のようなものが頭をよぎったことを覚えています。

具体的には、「家族を支えていけるのか」、
「今までと同じ時間の使い方では仕事はできないだろう」、
「大学院を卒業できるのか」、
「子どもに聖書の話をしてあげられるだろうか」
といったように、
「このままの自分でよいのだろうか」
という思いが強かったように思います。

しかし、妊娠がわかってからの約8ヶ月間、
自分はこれまでと同じように仕事をし、教会へ行き、
家のことをしてきたのが実際のところで、
自分の生活や考え方、信仰において、
何かが特別に変わったという感覚はあまりありませんでした。

相変わらず寝落ちはするし、
家事を手伝わなければと思っていてもできないこともあるし、
生活が以前と比べて整っているわけでもありません。
また、特に育児に関する本を読んで予習していたわけでもありません。
変わったところといえば、お腹の赤ちゃんと妻のために
手をあてて毎朝祈るようにしたことと、
あとは、どこからともなく「責任」と「覚悟」が
じわじわと増してきたと感じることです。

これまで私がしてきた「準備」といえば、
ピアノの発表会に向けての練習、受験勉強、
学会発表や日々の仕事の予習など、確かにその時は緊張するものの、
「それなりに準備をしていればある程度は対応できる」
という見通しがたつものが多かったです。

しかし、今回の子どもを迎えるという準備はそれらとは全く種類が違い、
「ここまでやったから大丈夫だろう」という感覚が全くないのです。
結婚する時も似たような感覚になりましたが、
今回は「一つの命を任される」というまた違った重みがあります。

完璧な準備というものはないとわかりながらも、
ここまでしてきた自分の備えがよかったのかどうかわからず、
自分が不完全な存在であることをひしひしと痛感して、
これから父になろうとしています。

自分のことでは色々と思うところはありますが、
赤ちゃんには生まれるその日まで安心してお腹の中で過ごし、
そして安心して出てきてほしいなと思っています。
「父になること」について陣内さんがどう考え、
何をしているのか、是非お聞かせ下さい。


A.

まるまるさん、ご質問ありがとうございます。
現在妊娠8ヶ月なのですね。
私の妻は現在7ヶ月ですから、
まるまるさんのおっしゃるとおり、
赤ちゃんの誕生日は近くなりそうですね。

先日私は自治体が主催する、
はじめてパパ、ママになる市民を対象にした、
「ファミリー学級」に妻と共に参加してきました。

▼参考リンク:西東京市「ファミリー学級」
http://www.city.nishitokyo.lg.jp/kosodate/bosi/ninsin/familyclass.html

出産までの栄養、歯磨きの仕方、
急に病院に行くときのタクシーの使い方、体調の変化、
産まれてからどのように周囲からサポートを受けるか、、、
などを丁寧に説明してくれてとても有益でした。

20名ほどの参加者があり、
皆さんもちろん妊婦さんなのですが、
私を含め男性も(全員ではないけれど)参加している。

そのなかで「参加した男性だけで」話し合いをする、
という時間が20分ほど設けられていましたが、
皆一様に、まるまるさんがおっしゃっているような、
「父親になることの実感のなさ」を語っておられました。

「タバコをやめなきゃなぁ」とか、
「もう今みたいな趣味は続けられないなぁ」とか、
そういう不安を口にしたりする方が多い。

あと講師の方が言われていたのは、男性は多くの場合、
「名前を考えている」とか「父になる心の覚悟」といった、
「観念的な」ものが多く、
生活実感を伴った話し合いがあまり出てこない、
というものでした。

確かに男性というのは、
「親になる実感」という意味において、
女性にかなうはずがないのです。

だって、自分の中に赤ちゃんがいるのと、
自分の体に変化がないのでは、
まったく違いますから。

「ファミリー学級」の講師の殆どは
自分も母親である女性でしたので、
栄養や歯科、産科的な専門的な内容以上に、
「母親としての経験」が行間からこぼれるのですが、
そちらのほうが講義そのものよりも、
私の場合、役に立ちました。

その「行間からこぼれる内容」というのはこれです。

「父親になる準備」の大部分というのは、
「子育てをする母親のサポートをする準備」である、
ということです。

講師の「先輩お母さん」は口々に、
「赤ちゃんが生まれてからは、
ご飯を作る、お風呂を入れる、買い物に行く、
洗濯をする、掃除をするといった、
一人の時は当たり前にできていたことができなくなるし、
寝られなくなる。
旦那さんが赤ちゃんをお風呂に入れてくれたり、
夜ご飯を用意してくれたりするだけでどれだけありがたいか」
ということをおっしゃっていました。

それは講師としての講義の内容というよりも、
ひとりの母親としての魂の叫びのようにも聞こえました。

これを聞きながら、
私は20年前に大学生として帯広に住んでいたとき、
帯広の「とかちプラザ」という市民ホールで開催された、
マケリゴットという先生による、
「子育て講演会」で聞いたことを思い出しました。

マケリゴット先生は滋賀県で33年間伝道牧会された、
イギリス人の宣教師です。
私は教会のHさんに誘われてその講演会に参加しましたが、
その講演会で聞いたフレーズは、20年経った今でも、
鮮明に私の脳内に焼き付いており、
自分が父親にならんとする今、
その言葉はさらに大きく私の中で反響しています。

その言葉というのはこれです。

「一人の男として、
 子どもに対してしてあげられる最高のことは、
 その子どもの母親を愛することだ。」

"The greatest thing a man can do
 for his children is to love their mother."

20年前に聞いたこの言葉は、
先ほどの「ファミリー教室」の講師の先輩ママの、
「行間のメッセージ」とも符号します。

お母さんとなった妻に肯定的な言葉をかけ、
面倒な家事を手伝い、料理を作り、
掃除をし、洗濯をし、やさしい言葉をかけ、
花を贈り、デートに誘い出す、
といった「愛の行為」ほど、
子どもの父親として素晴らしい行為はない、
というのは、多分真実なのだと思います。

、、、と考えますと、
まだ子どもと対面していない今から、
「父となること」は始まっており、
それは妻のために料理をし、掃除をし、
面倒な家事を手伝い、肯定的な言葉をかけ、
妻を楽しませ、妻のために祈り、妻と共に祈る、
というようなことだということになります。

まるまるさんの奥様は8ヶ月とのことですから、
お腹も大きくなり、「部屋の向こう側のもの取ってくる」
といった動作すらおっくうになっているころかもしれません。
まるまるさんが「フットワークを軽くし」、
何かを取って来てあげることはすでに「父としての行為」ですし、
一緒に歩いているときに「早すぎないかな」と聞いてあげることも、
「父になること」と地続きです。

幸いなことに、私は料理が大好きで、
トイレを磨いている時と料理をしているときが、
いちばん心が落ち着きますから、
他の「これからパパになる人たち」より、
一歩リードしていると(今んとこ)思っています。

、、、とか言ってられるのは今のうちだけで、
じっさい「その時」がきてみると、
まったく思ったように出来ないかもですが笑。

あと、先ほどの質問の「名言」にも似ていますが、
私がずっとたいせつにしているもう一つの言葉は、
「親はあっても子は育つ」というものです。

私の名言は「迷言」が多いのかも知れませんが笑。

通常、親は「なくても」子は育つと言いますが、
実は、親は「あっても」子は育つ、
が真実に近いのではないかと私は思うのです。

どういう意味かと言いますと、
私のような人間を親に持つというのは、
子どもにとって大変なことだと思うわけです。

いろいろ迷惑をかけるだろうなぁと。
害悪をもたらすだろうな、と。
傷つけたりするだろうな、と、
失敗もするだろうな、と。
親になる前からそう思います。

自分ほど不完全で未熟な人間はいないですから。

子どもにとっての最大のリスクファクター(危険因子)は、
「親である私自身」だと私は思っている。

子どもにとって最大の脅威は、
放射能でも化学物質でも細菌感染でも、
日本の教育システムでもネット社会でも、
ヒアリの繁殖でもない。

「私という父親」だと思う。

本当に。

意図的に傷つける事はもちろんないですが、
「愛だと思っていたことがプレッシャーになること」もあるし、
「しつけだと思ったことが暴力と感じられる」こともあるでしょう。
「かわいがったつもりが甘やかしたことになる」こともあるでしょうし、
「スキンシップが多すぎたり少なすぎたり」もするでしょう。
「親が何考えてるか分からない」と思われることもあるでしょうし、
「聞いてもないのに自分の考えを押しつけてくる」
と圧迫を感じることもあるでしょう。
「勉強を押しつけられた」と感じるかもしれないし、
「もっと勉強を教えてほしかった」と思われるかも知れない。
「親は完全主義すぎた」と思われるかも知れないし、
「親はいい加減すぎた」と思われるかも知れない。

子どもはデリケートですから。

それでも、にもかかわらず、
神が授けてくださる子どもには、
神がくださる生命力とたくましさがあるはずです。
なので私のような不完全な人間を父親にもったとしても、
「それでも」育つほどの力を、
神は与えてくださっている、そういう信仰があるのです。

だから、その「育つ力」をせめて邪魔しないように、
せめて妨害しないように、疎外しないように、
気をつけながら「付き合っていきたい」。
そう思うわけです。

だから、
「親はあっても子は育つ」。

神が育ててくださる。
「こんな親なのに、こんな素晴らしい子どもが、、、」
と周囲が言うように、神がしてくださるのではないかと、
私は神に期待している。
そういう意味です。

あと、私がとても頼りにしているのは、
妻のご両親です。

「いろいろ助けてもらおう」という意味ではありません。
もちろんいろいろ助けてもらうことは多いと思いますが。

しかし、もっと頼りにしているのは別の側面です。
妻の話を聞いていると、妻の両親、
つまり私の義理の両親は、
「親としての勘所」を押さえた方々です。
しかも「信仰者の親としての」勘所を押さえている。
そういう「ロールモデル」があるというのは、
本当に心強い。

「両親はこんなときこうしてくれた」
という話しを妻から教えてもらうことで、
間接的に「信仰者の子育てのイロハ」を、
私は学んでいると感じています。

私は妻と結婚する前に、
「自分が子どもだったらこの母親に育てられたいような人」
というのを結婚相手選択の条件に入れていましたが、
その通りの人と結婚したなぁと思います。
幼稚園教諭でもある妻は、
子どもの情操教育において全幅の信頼が置けます。

あと、まるまるさんの、
「毎日奥さんのお腹に手を置いて祈る」
というのは、すごく良いと思いました。
私の知っている友人の何人かの父親は、
毎日寝る前だったり学校に送り出すときに、
父親が子どものために祈るという習慣を持っています。
「父親は家庭の祭司である」ということの実践であり、
素晴らしいなぁと思います。

まるまるさんは産まれる前からそれをしている。
すごいと思います。
お子さんが10歳になっても毎日手をおいて祈り続けていたら、
素晴らしいですね。

もしかしたらこんな観念的なことを語っている私以上に、
まるまるさんはすでに自覚をもって、
「父親になって」おられるのでは、と思いました。

出産までの期間、無事守られますよう、
お祈り申し上げております。




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【Q】名言について

2018.01.04 Thursday

+++vol.021 2017年7月11日配信号+++

●【Q】名言について

ラジオネーム:ターコイズブルー(女性)
お住いの地域:愛媛県

Q.

こんにちは!
先日は質問に答えてくださり本当にありがとうございました。
「読書できない自分」を責める超真面目な一面があったのですが、
自己肯定できる良いきっかけになりとても役に立ちましたし、
嬉しかったです。重ねてお礼申し上げます。

さて、聖書を理解するための読書をされているという陣内さんですが、
私は最近マザーテレサがとても気になります。
また、そういった素晴らしい聖人たちの言葉にも、
励まされて生きられたら良いなぁなんて、思っています。

陣内さんも、たくさんの「好きな言葉」をお持ちだとは思いますが、
日常生活を送る上で、フッと思い出して、楽になったり、
救われたりする言葉をいくつかご紹介いただけないでしょうか?

そして、その言葉を好きな理由も、
合わせてコメント頂けるとなお嬉しいです。
(今までにたくさんメッセージをされたり、
書かれたりされた内容と被ってしまうのかもしれませんが)

あまり具体的な内容の質問ではないですし、
感想や要望のひとつとして受け取って頂いて全く問題ありません。

新コーナー、「名言集」みたいなのあったら面白いな、
とか、そんなノリです(笑)。
今日の夕方の配信も楽しみにしています。



A.

ターコイズブルーさん、ご質問ありがとうございます。
マザーテレサの言葉は、私もいつも励まされています。

我が家のトイレには何年も、
この本が置いてありました。

▼参考リンク:参考リンク:マザー・テレサ 日々の言葉
http://amzn.asia/hFU3N1g

この本は毎ページ「●月●日」というタイトルの、
「一日一章」方式でマザー・テレサの言葉が紹介されており、
トイレで読むのに適していました。

トイレで読むというのは
マザーを尊敬しているのか失礼なのか、
よく分かりませんが(笑)。

尊敬しているのです。

、、、あと、この本もよかったです。
私は鬱病療養の初期、脳がうまく働かず、
難しい本はまだ読めないときにこの本を読み、
励まされたことをよく覚えています。

▼参考リンク:マザー・テレサ 愛と祈りの言葉
http://amzn.asia/643f3C0

いくつか引用します。

「何かをくださいと神にお願いするとき、
同時に寛大に与える心もください、とお願いしましょう。」

「今や、貧しい人について語ることがひとつの流行になっています。
しかし残念なことに、貧しい人々と共に話すことを人々はあまり好みません。」

「貧困を作り出したのは神ではありません。
 私たちこそ、その張本人なのです。」

「持ち物が少なければ少ないほど、多く与えることが出来ます。
矛盾としか思えないでしょう。でもこれが、愛の論理なのですよ。」

「マザー・テレサ、あなたにとって共産党員とは何ですか?」
「神の子、私の兄弟姉妹に他なりません。」

「神が私に望んでいらっしゃるのは、
事業を成功させることではなく、
忠実に生きる事なのです。
神と相対して生きている時、
大切なのは結果ではなく、忠実さなのです。」

「イエスは最後の審判の審査基準をはっきり宣言なさいました。
それは私たちが貧しい人々に示した愛によって裁かれるのです。」

「私はすべての人、特に苦しんでいる人の中に、神を見ています。」

「誰もたずねてきてくれないことは、
老いた人々にとって一番耐え難い貧しさなのです。」

「黙って私の仕事をしばらく見たあと、
その(ヒンズー教徒の)人は言いました。
『あなたにそういう仕事をする力を授ける宗教は本物に違いない。』」

「ガンジーの言葉
『もしキリスト信者たちがその信仰に忠実に生きていたら、
インドにはヒンズー教を信じる者たちは
一人もいなくなってしまっただろう。』」

、、、深いですねぇ。

あと、去年読んだ「名言集」で覚えているのは、
FVIの正会員としてもお世話になっており、
シオンの群教会の牧師でいらっしゃいます、
吉川直美先生のこの本です。

▼ひと言でいいのです 吉川直美
http://amzn.asia/8uM4d84

いくつか引用します。

→P43 
〈真偽のほどは定かでありませんが、
こんな逸話が流布しています。
夏目漱石が英語の教鞭を執っていた頃、
「I love you」という英文を、
ある生徒が「我君ヲ愛ス」と訳しました。
すると漱石は、日本人はそんな言い方はしない、
「月が綺麗ですね」とでも訳しておきなさい、と教えたそうです。〉

→P112 
〈真の文明は 山を荒らさず 川を荒らさず 
 村を破らず 人を殺さざるべし 
 田中正造〉

→P134 
〈すべて正しく怒る者のみが正しく赦すことが出来る。
神の御名によって激怒する者のみが、
神の御名によって愛する者たり得るのである。 矢内原忠雄〉

この本のなかで吉川先生は、
柳田邦夫の「暗い時代の光の窓としての詩人の言葉」
というフレーズを紹介しています。

詩人によって紡がれた言葉は、
暗い時代に窓を作り、
そこから光と新鮮な空気を入れてくれます。
「この時代も捨てたものじゃない」
「人生は生きるに値するかも知れない」
まっ暗闇のように見える世の中で、
詩人の言葉は私たちにそう思わせてくれるのです。

即物的な利益はありませんが、
先ほどのお笑い芸人やJ-POP歌手にしても、
宗教家や哲学者にしても、
「目に見えない希望」を語れる人というのは、
社会に常に一定数必要だと私は考えます。

、、、ターコイズブルーさんのリクエスト、
「私の好きな言葉」ですが、
恥ずかしながらあまり人様に胸を張って、
紹介出来るようなものはありません笑。

聖書の言葉などはもちろん、
たくさんストックがあるのですが、
「そういうことじゃない」と思うので(笑)

パッと思いつくのはいくつかあります。
「恥ずかしながらオドオドと」紹介したいと思います。
(怒らないでください 笑)


▼「明日出来ることは今日しない」

、、、これはトルコのことわざです。
素晴らしいですね。
「待ったなしの改革!!」
「生き馬の目を抜くビジネスの世界!!」
「グローバル人材を育成する!!」
みたいなマッチョ思想へのアンチテーゼです。
「明日に延期できるようなことというのは、
 そんなに急いですることではないのだ」
という鷹揚な態度が、現代のぎすぎすした日本社会に、
必要なのではないかと(小声で)思うのです。
IT社長やグローバルマッチョ人間から、
フルボッコにされるので大きな声では言えませんが笑。


▼「どん底に堕ちたら、穴を掘れ」

、、、これはイタリアのことわざです。
燃え尽き症候群になり鬱病療養したとき、
この言葉はどんな聖書の言葉よりも(小声で)救いになりました。
今度はキリスト教徒からフルボッコにされそうなので、
大きな声で言えませんが笑。

「這い上がろう、這い上がろう」と、
私は病気の地獄を味わいながら思い続けたのですが、
「這い上がろう」という焦りの背景には、
「上の方が良い」という語られざる前提があります。

この言葉は「無意識の自明の前提」を疑わせてくれました。


▼「大切なことは向こうから来る」

私は20代のころビジネス書を読みすぎたためか、
「主体性神話」を深く内面化していました。
病気になり、2年間地獄を彷徨い、
違う自分になって社会に復帰したとき、
心の中に「あたかも以前からそこにあったかのように」、
ふわふわと存在するようになった言葉が、
この言葉です。

そうしたら作家の佐藤優さんも同じことを書いていて驚いた。
「大切なことは常に外部から来る」と彼は言っています。

彼の場合、東京地検特捜部に検挙され、
東京拘置所に512日間拘留された体験が、
「神からの啓示」だったのだと思います。
(彼はキリスト教徒ですから)

あの事件がなければ彼は今も外務省の職員であり、
作家になることは決してなかった。
しかし、特捜部の捜査員の顔をして、
神はある日家にやってきて、自分の人生をドラスティックに変えた、
というのが彼の原体験になったのです。

私の場合も同じです。
「病気という歓迎されざる来客」によって、
人生は一度壊滅しましたが、
その廃墟から最も大切な芽が芽吹いた。
「ノートに書かなきゃ覚えてられないようなビジョン」に、
人生をドライブする力はない、という諦念を私は得ました。
「たいせつなことは向こうから来る」
というのはそういう意味で私のモットーになっています。

しかしこのとき、
「能動的受動」というべき態度も必要です。

「果報は寝て待て」的に、昼寝をしてたらよいことが起きる、
という話しではないというのがポイントです。
「向こうから来た重要なこと」にいつでも対応できるよう、
日々「中腰」で生きているという感じでしょうか。

預言者イザヤの召命は外部からきましたが、
彼が「ここに私がおります。私を遣わしてください。」
と言えたのは、彼が「中腰」だったからです。

、、、秘密を明かしますと実はこのメルマガ執筆も、
私にとっては「中腰」の実践のひとつだったりします。

ターコイズブルーさんの、
「名言を紹介するコーナー」いいですね。
今月出会った「膝を打ったフレーズ」みたいなのを、
紹介していくような構成で。

検討してみます。


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【Q】笑いと芸術の関係性

2018.01.04 Thursday

+++vol.021 2017年7月11日配信号+++


●【Q】笑いと芸術の関係性

ラジオネーム:トリッキーファウラー(男性)
お住いの地域:愛知県

Q.

毎週楽しみしてます、初めましてトリッキーファウラーと申します。
(ゴルフと言えばMATSUYAMAがかなり注目を集めていますが、
米国のゴルファーであるRickie Fowlerの名前からペンネームを決めました。)
以前紹介されていた『本を読む本』や
『素数の音楽』などを購入して読んでいますが、
とても面白くためになっています。

私は教員をしていることもあり、
生徒たちに教える前にまず(今さらですが)
自分自身が本をどう読むかを学びたいという思いで読みました。

また、「読む力が話す、聴く、書く技術を超えることはない」
ということにもヒントを得て2020年以降大きく変わろうとしている
学校教育において何を優先すべきなのかを考えています。

さて質問コーナーは今がチャンス!
と聞いたので思い切って質問をしてみたいと思います。
それは、最近ではお笑い芸人が小説を書いて売れたりと
芸人さんたちの「芸術」への進出が目立っていうように思えますが、
お笑いと芸術との関係性について陣内さんのご意見を
お聞きできたらと思っています。

劇団ひとり、又吉、オードリー若林の文才にも触れていましたね。

なぜこの質問が出てきたかと言いますと、
先日ある小さな島を訪れた際、
立ち寄った喫茶店で鳥居みゆきの『夜にはぞっと深い夜を』を
読んだことが印象に残ったからだと思います。
(旅先で読んだ本はなぜか印象に残るとはこういうことなのかと思いました)
島で採れた梅を使った梅ソーダも確かに美味しかったです。
しかし彼女が秋田出身であることを知って
「そう言われれば秋田美人って感じだ」と思ったり、
彼女の表現力に「妄想」以上の迫力を感じたりしました。

陣内さんが紹介された中には北野武やさま〜ずもいたかと思います。
「お笑い論」の際には「笑いは理性を超えたところにある」
ということも話されていました。
そこで「笑いと芸術との関係性」についての
お考えを聞かせていただけたらと思います。



A.

トリッキーファウラーさん、
ご質問ありがとうございます。

小さな島の喫茶店で飲むその土地の梅ソーダ、いいですね。
ご質問から旅情を感じました。
どんな島だったんでしょう?
興味があります。

さて、ご質問内容の、「笑いと芸術との関係性」については、
私も普段から「なぜだろう」と考えていることでもあったので、
ご質問をいただいたときから、つらつらと考えていました。

あくまで私の個人的な見解ですが、
少なくとも2つの要因があるように思います。

ひとつは、「芸人の知性の高さ」です。
「頭の良さ」にはいろいろな種類がありますが、
もっとも高度な知性は「人を笑わせられる」ということだ、
というのが私の仮説です。

偏差値秀才になって東大に入学することも
ビジネスパーソンとしてめちゃくちゃ出世することも、
事業を立ち上げて金を稼ぎまくることも、
世界的な学術研究結果を遺すことも、
すべて難しいし「高度な知性」が要求されます。

しかし、これら以上に最も高度な知性を要求されるのが、
「(人を傷つけず)人を笑わせることだ」というのが、
私の持論です。

反論は受け付けます。

しかし、私が「マジでこの人頭良いなぁ!」
とため息が出るというのは、「すごい本」を読んだ時も、
サッカーの美しい戦術を観たときも、
政治家の狡猾で周到な外交戦略を目にしたときも、
ビジネスパーソンの優れた企業戦略を観たときもそうなのですが、
本当に本当に感嘆して「ため息」が出るというのは、
ある種のお笑い芸人が「人を見事に笑わせたとき」です。

「水曜日のダウンタウン」に引きつけるなら、
「あらゆる職種の中でお笑い芸人の地頭が最強説」
を私は唱えているのです。

しつこいようですが反論は受け付けます(笑)。

「地頭」というのは偏差値などに還元することのできない、
そのひとの「地の頭の良さ」を現す言葉ですが、
この「お笑い芸人地頭最強説」には、
根拠がまったくないわけではないのです。

私が「人の頭の良さ」を普段どこで観察しているかというと、
その人の学歴ではありません。
年収の多さでももちろんありません。
会話をしたときの素養や教養の深さももちろんありますが、
いちばんその人の「地の頭の良さ」が出るのは、
その人が「オシャレで優しくて、その場を救えるようなユーモア」を、
言えるかどうか、だったりします。

前にも話しましたが、
西洋社会では、「気の利いたユーモアで人を笑わせられる」
というのは、最高の教養の証明のひとつです。

学歴や年収は詐称できますし、
1時間ぐらいなら「知ったかぶり」で教養の低さを
ごまかせるかもしれませんが、
こればかりは詐称不能だからです。
ユーモアのレベルだけはどうしても、
「地の頭の力」が出てしまう。

いつも私が言っていることですが(え?知らない?)、
「笑いとは期待の裏切り」です。

「当然こうなるであろう論理的帰結」を、
裏切るところに笑いが起こる。
葬式で沈痛な顔をすることは「当然起こること」ですが、
葬式でおならを連発してしまうことは、「期待の裏切り」です。
お笑い芸人が「ネタ」を作るとき、
こういう公式を踏まえて作り込むわけですが、
複雑な論理の「当然の帰結」つまり正解が分かっているから、
彼らは「不正解」を意図的にネタに組み込み、
「期待の裏切り」を引き起こして笑いを生み出せる。

ということは彼らは、
数学で言うならば常に「正解を知っている」必要がある。
だから「正解とは違う、ななめ上の答案(=ボケ)」を、
生み出せるのです。

「笑いと芸術の関係」のひとつの秘密は、
「笑いに携わる人の地頭の良さ」が関係していると、
私は踏んでいます。

もうひとつの理由として私が考えるのは、
大多数のお笑い芸人は「世間とのズレ」と言いますか、
「何か自分がここにいることの違和感」
「世間に自分がハマっていない感覚」
を持っているという事です。

じつは私自身もそのような感覚を
小さい頃からずっと持っています。

「世間に私がいてもよいんだ」という、
当たり前のように世間の中に「居ることが出来る」人というのがいます。
そこに自分がいることをまったく疑っていない。
ごくごく自然に、そこに居ることが当たり前であるように、
その場に溶け込み、なじみ、「存在する」ことが出来る。

世間と「周波数」のようなものがぴったりと合っている。

それとは逆に、学校でも社会でもどんな集まりにいても、
談笑し、一緒に仕事することは出来たとしても、
心の奥の深い部分で、
「自分はここにいるべきではないのではないか」
「自分は何か異質な存在なのではないか」
という「実存的違和感」を抱えた人がいます。

喩えるなら
「自分は実は、たまたま地球人の形をした宇宙人なのではないか」
というような「世間との異質感」を常に抱えた人、
というのがいるのです。

前者のタイプには想像すらつかないかもしれませんが。

大丈夫です。

後者のタイプの人には、
前者のタイプの「ハマってる感」こそ、
想像すらつかないですから笑。

私の考えでは、
前者も後者もどちらが優れているわけでもなく、
違和感というのは心理的に治療した方が良い、
というものでもありません。

ただ、そういうものだと受け容れるものだと思います。

この考えを私が確信したのは、
「バカの壁」の著者で解剖学者の養老孟司さんが、
今私が書いたことと全く同じことを言っているのを、
「自分の壁」という本で読んだときです。

引用します。

→P81 
〈世間と言うものはすでにある。
でも、自分は世間と言うメンバー制のクラブの
メンバーシップを持っていない。
世間になじんでいる人の多くは、
自分がメンバーシップを持っていることに疑いを持っていない。
居心地の悪さを抱えているか、
自然と世間になじんでいるか。
どちらのタイプかで世の中の見方は変ってきます。〉

▼参考リンク:「『自分』の壁」養老孟司
http://amzn.asia/2qNzMLa

、、、養老さんも私と同じように、
小さい頃から「自分はこの世界のメンバーではないのではないか」
という「そこはかとない居心地の悪さ」を感じていた、
と告白しています。

そしてそれは80歳近くなった今もそうだ、と。

これを読んでから私は幾分心が楽になりました。
なんだ、「こういうもの」なんだ、と。

きっと今後遺伝学や脳科学が発達してきたら、
「このタイプ」には何らかの名前が付与されるかもしれませんし、
脳のニューロンの形が違うとかどこかの遺伝子が欠損しているとか、
そういった形質的な原因と結びつけられるかも知れませんが、
さしあたって、おそらく少数派である、
「世間というメンバーシップにハマらないタイプ」というのは、
ただの「傾向」です。

、、、大事なのはその原因がどこにあるかではなく、
その「結果」です。

どういうことか。

こういう「ハマらないタイプ」の人というのは、
普段は「見よう見まねで地球人と同じように」行動し、
適応しようと努力しているので、
他者以上に世間に馴染んでいるように「見え」ます。
特に成人以降はその傾向は顕著で、
このタイプの人は意図的に世間の振る舞いを学び吸収しますから、
「過剰適応」と言っていいほど馴染んでいる場合がある。

「地球人よりも地球人」なわけです。

しかし、このタイプの人は、
どうしても「結果的に」他の人と違うところがあります。

それは何か。

それは、「他の人よりいっぱいものを考える」ということです。
養老孟司さんはその代表例で、彼が「地球人タイプ」だったら、
間違いなくこれだけたくさんの本を書くことはなかったでしょう。
彼はいわば、自分が「世間と半音ズレている」感覚を、
いつも持っていたから、「なんでだろう?」と、
いつも考えていた。

だからこれだけ多くの著作を書くほどに、
ものごとを「考え続けた」わけです。
このタイプの人は実は、
「思考を止めることができない」仕様になっています。

その「考え」の副産物が、
養老さんの場合多くの著作であり、
そしてお笑い芸人の場合、
「お笑い芸人になる」ということになるのです。

説明します。

数ある職業の中、お笑い芸人を選び、
しかもそれを10年や20年、
売れていても売れていなくても「続ける」というためには、
「有名になりたい」「金持ちになりたい」「女にモテたい」
みたいな即物的なモチベーションだけでは不可能です。

5年間はそれで頑張れるかも知れませんが、
芸人を仕事にするというのは大変です。
収入は不安定ですし世間の風当たりも強い。
彼女の両親には会ってすらもらえない。
部屋も借りられないし、同窓会でも鼻で笑われる、
なんていうのはすべての芸人が経験していることです。

何十年もそれを仕事にするというのは、
即物的な動機では立ちゆきません。
「もっと深い実存的な動機(ドライブ)」が必要なのです。
それこそが多くの芸人にとって、先ほどの、
「世間と半音ズレているという感覚」
だと私は見立てています。

トリッキーファウラーさんの言っていた、
鳥居みゆきの「夜にはずっと深い夜を」は、
私は未読でしたので興味を持ち読んでみましたが、
これも「世間と半音ズレている」人でないと書けないものです。

また、オードリー若林の、
「社会人大学 人見知り学部、、、」を読んだ時も、
彼の「世間と半音ズレてる感」を強く感じました。

▼参考リンク「社会人大学 人見知り学部 卒業見込み」若林正恭
http://amzn.asia/ezq9Ygb

▼参考リンク:「夜にはずっと深い夜を」鳥居みゆき
http://amzn.asia/fe9RDlO

、、、この場合、
本当に半音ズレているかどうかではなく、
本人が「半音ズレている」と思っているかどうかが問題です。
若林にしても鳥居みゆきにしても、
「何で自分は大勢の人が振る舞うように、
 自然に振る舞えないのだろう?」
という劣等感にも似た違和感、
先ほどの言葉でいう「宇宙人感」を持っている。

そういう人はどうしても、
人より沢山考えてしまいます。
なんだったら、意識がある間は常に何かを考えている。

人生について、自分とは何か、
社会とは何か、生きるとは何か、
笑いとは何か、愛するとは何か、、、

、、、つまり「世間にハマらないタイプ」の人は、
「ナチュラルボーン哲学者」なわけです。

きっと100年前ならこの人々は文学をやったかもしれないし、
文字通り哲学者になったかもしれない。
芥川龍之介や三島由紀夫、夏目漱石、森鴎外、
あるいはスコット・フィッツジェラルドなど、
彼らの書いたものを読めば彼らが「半音ズレた」人であるのは明白です。

19世紀や20世紀に文学や哲学をした人々は、
21世紀の日本では多くの場合お笑い芸人になっている、
と私は見ています。

だから太宰治が1980年生まれなら、
いまは中堅芸人をしているかもしれない。

そんなの、もう「又吉直樹」じゃん!

って思ったあなたの見立ては正しいです。

そういうことなのです。

ジョンレノンがかつて、
「ベートーベンがいま生きてたら、
きっとロックンロールをやっていただろう」
と言ったというのを読んだことがあります。

「太宰治がいま生きていたら、
 きっと芸人をやっていただろう」
ということになります。

哲学性、文学性や芸術性というのは、
現代ではいわゆる「芸術プロパー」
「哲学プロパー」な世界にあるのではなく、
ポップカルチャーやサブカルチャーの世界にあります。

「半音ズレている」感でいえば芸人の他にも、
ある種のJ-POP作者がそうです。
彼らは現代の哲学者です。

Mr.Childrenとか、BUMP OF CHICKENとか、
椎名林檎とか、スガシカオとか、
彼らの歌詞は高度に哲学的であり文学的です。
「現代の詩人」「現代の宗教家」は、
芸術大学卒業生や宗教施設を探しても実はおらず、
演芸小屋やコンサートホールにいるのかもしれません。

御参考になったかどうか分かりませんが、
私が芸人と文学、芸人と芸術について考えているのは、
このようなことです。




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