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私のゲーム論 第一回

2017.08.22 Tuesday

+++vol.008 2017年4月11日配信号+++

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■2 私のゲーム論

新コーナー・「私のゲーム論」です。
正直、話題が持つのかどうか不明ですが、
見切り発車で始めて見たいと思います。

このコーナーはシンプル。
陣内俊が「ゲームについて語る。」
それだけ。

私は普段、ゲームはあまりしませんが、
時々、「ゲームのモード」になることがあります。

18歳で据え置き型のゲーム機を「卒業」してから、
20年のブランクを経て、病気療養中に、
「脳を休める手段」としてゲームを再開しました。

そうしたら案外、ゲームっていうのは、
そこから今の世相が見てて来たりして、
面白い世界なのだと気付きました。

そんな私がゲームについて語ります。
「ゲーム感覚」で聞いていただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼私の病気療養▼▼▼

私は2013年から2年間、
燃え尽き症候群に伴ううつ状態と診断され、
自宅療養していました。

よく生きてこの世に帰ってこれた、
と今は自分でも思います。
神の恩寵と、そして多くの人の祈りのおかげです。

鬱病というのは、脳の疲労がその本質であり、
その疲労の蓄積が不可逆的で
回復不能なレベルにまで達してしまうと発症します。

療養中はだから「自己同一性」みたいな部分も、
おかしくなります。

つまり、自分が自分でなくなっていく。
これが一番怖かった。

「病気である自分を把握する自分」もまた、
セロトニンの枯渇によってダメージを受けているので、
冷静に自分のおかれた状況を分析できない。
性格まで変わってしまう。
人が怖く、被害妄想に陥り、
罪責感と自罰感情、
鉛のような羞恥心に、
意識のある間さいなまれ続ける。

「あぁ、これは死ぬ人がいるな」と思いました。

鬱病の自殺念慮に対して
「命を粗末にするな!」みたいなアドバイスは的外れです。
なぜなら彼または彼女は、
「高層ビル火災で、煙と炎に背中を焦されている人」
と同じだからです。

その人に「飛び降りるな!命を大切に!!」
というアドバイスは、「ちょっと違う」。

熱いし、苦しいし、皮膚がただれているその人が、
高層ビルからの窓から下に飛び降りる時、
「生きることから逃げているから」
そうしているのではなく、
あまりにも熱く苦しく痛いから、
生存本能の発露として飛び降りるのです。

鬱病はあまりにその症状が苛烈で、
インフルエンザの10倍辛いとも言われます。

だから、「この苦しみから逃れられるなら、、、」
という一心で自死を選ぶ人も多い。

あまり一般的に認識されていませんが、
がんや心臓疾患に次いで、
鬱病は「致死率の高い疾患」です。

そしてそれが「精神論で片付くような問題ではない」
ということも一般的には認識されていません。

この問題については、
元自衛隊のメンタル教官の下園壮太さんが、
非常にわかりやすく解説しています。

▼『人はどうして死にたがるのか』下園壮太
http://amzn.asia/7EPAEQ8


、、、これは信仰の問題ですらない。
脳がダメージを受けている人に、
「信仰で頑張れ」と言うのは、
ハッキリ言ってナンセンスです。

全身麻酔を受けている人に、
「気合いで立て」と言っているのと同じです。
あるいは両足の大腿骨を骨折した人に、
「頑張れば歩けるはずだ」と。

キリスト教のある教会が、
「信仰と祈りで鬱は治る」
という本を出版していて驚愕したことがあるのですが、
この本を出版した人は100%、鬱病を経験していない。

そしてこの本を、
鬱病の当事者が見たら間違いなく、
死にたくなるだろうな、と思います。

だって、タイトルを裏返すとこうなりますから。

「あなたが病気なのは、
 あなたに信仰と祈りが足りないからだ。」

こういうのを、信仰による虐待と呼び、
これらは「キリスト教信仰の本質」とは、
何の関係もありません。
真逆と言っても良い。

ですからこういった「マッチョ信仰」からは、
距離を取るのが正解です。



▼▼▼社会が構造的に生み出す病気▼▼▼

鬱病は今や、WHOも、
「近未来に癌以上のメジャーな疾病になる」と予測しており、
ストレスの多い現代社会において、無視できない問題です。

社会の構造が生み出す病ですから、
個人の資質にそれを還元するのは的外れです。
その人が弱いから鬱病になったのではない。
むしろその人が「悩みから逃げない真面目な人」だから、
病気になっているのだ、という認識が必要です。

産業革命後の英国や欧州で、
炭鉱作業員はたくさん、ダイナマイトの爆発や、
一酸化中毒で死にましたし、
数多くの市民が煙突の黒煙で肺を病んで死にました。

それはその人たちが弱かったからそうなったのではない。

社会の構造が、死者を生んだのです。

現代の社会はストレスに満ち、先が見えず、
日を追うごとに忙しくなり、「すがる何か」もない。

そのような時代が構造的に鬱病患者を生み、
そして死者を出し続けている。

繰り返しますが、
「信仰によってこれを救える」
と考えるのは間違いです。

むしろ信仰というのは、
「病気をも包摂する視座の転換」において役立つものであり、
病気に対する予防接種やワクチンとは違う。

そもそもの話をすれば、
「信仰によって病気を超克できるはずだ」
に代表される「勝利主義的な発想」こそが、
鬱病を構造的に生みだし続けているのです。

話が逆なのです。

、、、では、どうすれば良いのか。
数百年後には、
人類はその答えを見いだしているかも知れないし、
まだ見えていないかも知れない。

「19世紀には炭鉱で死ぬ人や、
 黒煙で肺を冒されて死ぬ人が沢山いたらしいよ。」
と今の人々が語っているように、
「21世紀には、多くの人が精神疾患に陥り、
 命を失ったそうよ。そんな時代もあったのねぇ。」
と、23世紀の人は語っているかもしれない。

私に言えるのは、私に「解決の鍵」はない、
ということです。

社会の構造的な問題というのは、
その構造が作られたのと同じぐらいの長い期間をかけて、
改善していく必要がありますから、
「ストレスが人を殺す社会」の根本的治癒には、
あと100年ぐらいはかかるのではないでしょうか。

、、、その長い道のりの第一歩は、
「病気を個人の資質に還元しない」
というのが社会の常識になることだ、
と私は思っています。



▼▼▼鬱病治療の現場▼▼▼

さて、そんな鬱病なのですが、
当事者を悩ませる切迫した問題が、
「どうやって脳を休めるか」です。

昨年一年間、私は複数の場所で、
鬱病の当事者、またはその介助者を相手に、
「元当事者」として講演を行いました。

先週のメルマガにも書きましたが、
私がどのように「病気というネガティブなもの」と向き合い、
それが如何に私の「世界観」に変化をもたらしたか、
病気が「神の啓示そのもの」だった、というのはどういう意味か、
といような事をかたりました。

そして、「質疑応答」の時間をそこで持ちました。

当事者にとって切実な質問が、
回収された紙には書かれています。

自分が病気の当事者になってみてわかったことですが、
実は今の日本の精神医療の世界というのは、
現場がニーズにまったく追いついていない、
というのが実情です。

保険適用になる病院の精神科や心療内科は、
医師が少ないというより、患者が増えすぎて、
まったく「現場がまわっていない」状態です。

ですから、お医者さんが自分の話を3分聞いてくれたら、
その患者は「ラッキー」で、
ほとんどの場合は二言ぐらい会話をし、
あとは診断書とSSRI(セロトニン再取込み阻害剤)が処方される。

それだけです。

だから鬱病患者にとって心療内科と精神科は、
診断書の自動発行機、および、
SSRIの自動販売機の意味ぐらいしかもたない。

「あとは各自でなんとかしてください」
というような状況。

綿密なカウンセリングを受けるとなると、
保険非適用の心理カウンセラーや、
心理療法家を探すしかない。

しかしそういう世界って
相場があってないようなものですから、
30分1万8000円だとか、
1時間2万8千円だとか取られたりすることもある。

しかも、けっこう魑魅魍魎が跋扈する、
「ブラックボックス」的な世界なので、
探して行ったそのカウンセラーが、
何か怪しげなスピリチュアルな考えを持っていることもあったり、
まったく自分とは合わず、さらに追い込まれ、
症状を悪化させたりする。

私は二年間で、合計3人のカウンセラーにお世話になり、
それぞれに違った角度からアドバイスと助力をいただきました。
それがなければ回復までに、
何倍もの時間がかかっていたとだろうと思います。

、、、で、
鬱病の本質というのは、
何度も言いますように、「脳の疲れ」です。
だからSSRIは体質に合う人には「効きます」が、
それは解熱剤で熱が下がった、というのと同じで、
本質的な治癒とは違います。

では本質的な治癒とは何か。
先ほどの下園壮太さんを含め、
鬱病の「プロ」は口をそろえて言いますが、
「脳が休む」ことです。

それには時間がかかります。

そして時間だけでなく、
膨大な忍耐と、
暗闇で戦う、永遠かに思える日々と、
そして少しの工夫が必要です。



▼▼▼療養のジレンマ▼▼▼

話を戻しまして、
「当事者からの質問」ですが、
そこには、
「休職したほうが良いかどうか?」
「心療内科だけでいいのか?」
「職場の人に『カミングアウト』しても良いか?」
「薬以外で何が出来るのか?」
「回復期にどれぐらい『がんばったら』良いのか?」
などの内容があるのですが、
案外多かった質問が、
「どうやって休んだか?」
でした。

当事者としてこれは非常に理解できます。
鬱病というのはその病気の性質上、
「ダブルバインドの状態」を必ず経験するからです。

なぜか。

「鬱病気質」というのがわかっています。
まず「鬱病」というのは「尿管結石」とかと同じで、
どんな人もなる可能性のある疾病です。

ここはまず間違えないでいただきたい。

しかし、尿管結石になりやすい体質、
というのがあるのと同じように、
鬱病になりやすい気質、というのがある。

それは一言で言うと、
「真面目で優しく、周囲に気を遣える人」です。

元当事者の私が自分で言うのも、
なんか「アレ」ですが笑。

逆に言えば、
「自分のことしか考えず、
 人に迷惑をかけても何とも思わない人」
というのは、最も鬱病になりにくい。

、、、で、
鬱病になりやすい人というのは、
本質的に真面目で、しかも病気になってる時は、
「病根である自分の真面目さをなんとか抑えよう」
という、自己制御装置も壊れていますから、
とにかく「休めない」のです。

休職などの形で物理的には休んでいても、
精神的には一向に休まらない。

むしろ真面目なその人は、
「この欠落を穴埋めするために、
 快復後にさらに社会に貢献しなくては」
みたいなことを考えて、
勉強を始めてしまったり、
勉強を始めようとしてしまったりする。
(じっさいには低エネルギー状態だから、
 やろうとしてもできません。
 双極性障害の場合は別ですが。)

できようができまいが、
その人の脳は、仕事をしている時と同じぐらい、
あるいはそれ以上に、活動しているのです。
だから「休めていない」。

これが「鬱病のジレンマ」です。

部屋を冷やすためのエアコンが、
異常な熱を発してしまう、
みたいな状態です。

そんなこともあり、
「脳を休める」というのは、
切迫した必要なわけです。

私自身の経験からも、本当に、何も考えずに、
休めるようになったのは、療養開始から半年後でした。



▼▼▼「脳の休息」と「ゲーム脳」▼▼▼

、、、で、私が半年かけて見つけた、
「脳の休め方」が、ゲームだったわけです。

当事者に語る講演会では、
「その人それぞれに違うと思いますが私の場合、、、」
という話として話しましたが、
私にとって、ゲームは、「脳の休息」の手段だったのです。

鬱病の症状に「自殺念慮」があります。
「おまえは死んだ方がいい」みたいな「思念」が、
起きている間中頭に鳴り響きますから、
これを止めたい。

止めるためには部屋で体育座りをしても無駄です。

より大きくなる。

私の場合、「ゲーム」と「読書」をしている間だけ、
その「思念」を止める事が出来るのに気付いた。

今思えば、両方とも私にとって、
「思考停止のための装置」だったのです。

読書というのはその見た目と裏腹に、
「受動的に」読書している限りは、
思考は停止しています。

自律的に何かを考えると言うことをせず、
著者の論理の道筋を「なぞる」のが読書ですから、
「ミニ四駆サーキット」の上を走るミニ四駆のように、
私の脳内は自動操縦状態になる。

そうすると、「自殺念慮」はその間、
どこかに隠れてくれている、というわけです。

読書すら出来なくなった時私がやおら手に取ったのが、
そう、「ゲーム」でした。

岡田尊司さんという精神科のお医者さんが、
『脳内汚染』という本を書いています。

岡田さんは「ゲーム脳」という言葉を日本に広めた人でもあり、
彼は「長時間ゲームやインターネットに暴露された子ども脳」が、
どのような影響を受けるのか。
そして、それが彼らの発育にどのような悪影響を及ぼすか、
ということを医学者として分析し、
日本社会に警鐘を鳴らしています。

『脳内汚染』岡田尊司
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脳科学の知見でわかってきているのは、
テレビゲームをしている人の脳と、
昔ながらの遊び(トランプやコマ回し)をしている人の脳は、
明らかに違う、ということです。

何が違うかというと、
テレビゲームをしている人の脳というのは、
前頭葉という「思考・判断・創造性」を司る脳の働きが、
優位に低下して、血流が少なくなっている。

サーモグラフでいうなら前頭葉が青色になっている。
つまり「思考停止」状態にある。

昔ながらの遊びは、
前頭葉の活動は逆に活発化している。

岡田先生はだから、前頭葉の働きを抑える遊びを、
日常的に長時間する子どもの未来は危ない、
と言っているのです。

私もそれに全面的に同意します。

しかし、続きがあります。
鬱病の本質的な治療は「脳を休める」ことだから、
前頭葉は青い方が良いのです。

私は岡田先生の警鐘を逆手に取り、
利用したのです。

じっさい、特に面白いわけでもないゲームを、
ぼーっとしていると、自分の思考が停止していくのがわかります。

そんな風にして、私は療養中の数ヶ月間、
ゲームの世界にどっぷりつかりました。

それが私にとっての「休息としてのゲーム」との出会いでした。

じつは「大人になってもゲームを続けている有名人」には、
松本人志、有田哲平、養老孟司などがいます。

これらの人々は3人とも、私が心酔している、
「創造的な仕事をする知識人」です。

きっと養老先生は脳科学者でもありますから、
自分の知的活動の「バランス」を取る方法として、
ゲームを利用しているのではないかと邪推しています。

養老先生はロールプレイングゲームをするそうですが、
養老孟司が「ダーマ神殿で転職」しているのは、
じっさい想像するのは難しい笑。

、、、というところで、
紙面と私の体力がつきました笑。

結局、何一つゲームの話じゃないという。

鬱病についての話ですねこれは(自爆)。

これは「病気のコーナー」を別で立ち上げたほうがいいな。
そして「ゲームのコーナー」は、
二回目からが本番です。

次こそは、面白かったゲームソフトを紹介しますので、
お楽しみに。

、、、いつになるかはわかりませんが笑。




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