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3.11の震災について

2017.09.14 Thursday

+++vol.005 2017年3月21日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週の「ブログでは言えないこと」
3.11の震災について
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼2011年3月11日のこと▼▼▼

去る3月11日には、「震災後6年間が経った」、
という報道がテレビ各局でなされましたし、
各地で震災を覚えるイベントが開催されました。

2011年3月11日、
私はエチオピアにいました。

砂埃舞うエチオピアのアジスアベバ市内を、
10ブル(40円ぐらい)の乗車料を払い、
時刻表もバス停も、
「かつて座席があった場所」に、
シートが残っているかどうかという保障もない、
「乗り合いタクシー」に乗っていました。

ラジオからアムハラ語で、
「ヤーパン、ヤーパン」と繰り返す声が聞こえます。
ヤーパンは日本のことなので、日本で何かあったのだと思い、
隣の比較的身なりの良い紳士に英語で話しかけてみました。
思った通り英語が分かる人だったので、
「私は日本人です。
 ラジオで日本と言ってるみたいだけど、
 何かあったのですか?」
聞いてみますと、
「なんか大きな地震があったみたいだ。
 100人ぐらい死んだ、と言っている。」

次の日、蠅が飛び交う地元のカフェで、
一杯40円のマキアートを飲みながら、
「アルジャジーラ」のニュースを見て、
私は言葉を失いました。

死んだのが100人というオーダーではないのは、
一目瞭然でした。

人が流されているのではなく、
街が流されている光景が、
そこには映っていました。

しばらくその場で動けませんでした。

メールも48時間ぐらいは通じず、
NHKの公式サイトと、CNNのサイト、
それからアルジャジーラのテレビ放送を見て、
ただただ何も出来ない自分を突きつけられる数日でした。

その後1週間ほど私はエチオピアに滞在しました。

その間、多くのエチオピアの仲間たちが日本のために、
涙を流して祈ってくれましたし、
彼らの給料の水準からしたら考えられないほどの金額の献金
(一人ひとりが月給の半分から一ヶ月分)を差し出し、
東北に住んでいる人々に何か届けて欲しい、とお金を託されました。

帰ってきてすぐに私はFVIの活動として、
福島に通うようになり、
それから2013年に燃え尽きで倒れるまで、
「福島」はFVIの働きの根幹をなすようになりました。

2010年に創設されたFVIは元来、
災害支援を働きとする想定はしていませんでしたが、
あの状況のなかで、私たちはそのように「導かれた」と、
今では思っています。



▼▼▼FVIの6年間の活動▼▼▼

福島でのFVIの働きは「福島未来会議」として結実し、
1〜5まで、合計5回の、さまざまな切り口からの、
福島における支援活動をしてきました。

福島未来会議2、3は福島に関わりたい若者たちの集いで、
福島や日本の未来について考え、自分たちの生涯をどのように、
「使って」生きていくのか祈り考えました。

そこで知り合った若者のカップルが3組、結婚に導かれ、
福島を始め、全国各地で地域に仕える働きをしています。

また福島未来会議5はアーティストが
「福島を描く」という企画ですが、
その働きは今でも継続されており、
今月も東京都心でアート展が開催されました。

また、2015年からは、
福島県内で「放置牛」のお世話をする働きをFVIは応援しており、
(社)「ふるさとと心を守る友の会」の代表の、
谷咲月さんとの2年前の出会いから、
今も断続的に支援を続けています。

大々的なサポートは出来ないにしても、
小さいながらも「自然界をケアする」働きをしている、
福島の現場で格闘する人を応援しています。

▼(社)ふるさとと心を守る友の会
http://ameblo.jp/friends-humane/

▼【動画】未来への教科書
〜帰還困難区域で生き続ける牛たちのために〜
https://www.youtube.com/watch?v=BaUwkpPdk0g


私は途中、2年間ぶったおれ、
現場を離れていたわけですが、
FVIの働きはその間も続いていたわけです。

戦線離脱した兵士のようなもので、
その戦争が勝利だとしても敗北だとしても、
戦況が良くても悪くても、
私にとって震災支援活動とは、
トラウマになるような怪我を負った現場にも似ていて、
何かそれについて真正面から考えることから、
無意識に逃げているようなところがあります。



▼▼▼屈託ある6年間▼▼▼

それでもやはり、FVIが、そして私が、
2011年の3月以降、福島でいったい、
何が出来てきたのだろう、と今でも考えます。

ときどき考える、というよりも、
いつも考えています。

無意識に逃げながら、
なんていうんだろう、
同心円をぐるぐると回るようにして、
横目に「中心であるところの3.11」を見ながら、
私は周辺を回り続けているのです。

だからテレビやラジオやさまざまな媒体で、
「震災のあった東北を支援するために、
 6年目の東北に旅行に行きました!
 みなさん、観光も立派な支援です。
 あの日を私たちは忘れません!
 あの日を覚えて防災対策をしましょう!
 東北の物産を買いましょう!
 ついでに熊本の物産も買いましょう!」
みたいな屈託のない「チャリティ宣言」を聞くと、
私はなんだか、胸の奥が「キューーン」とうずくのです。

その屈託のなさが羨ましくもあり、
真正面からそれを語れず、
横目に見ながらうじうじ考え続けている自分が、
どこか後ろめたくもあり、
そして、じっさいに被災した人からすると、
「さわやかチャリティ」のタレントも、
「うじうじ考え」の私も、
同じように「非・当事者」なのです。

、、、そんな「屈託した」事情があり、
私は2013年の発病以降、
震災についてあまり直接的に多くを語らなくなりました。



▼▼▼「考える」人▼▼▼

、、、それでも、
何度も戻ってきますが、
やはり私はこれについて考えているわけです。

それほどまでに、東日本大震災は、
私の人生に影響を与えた、ということでしょう。

先週、「養老孟司の人生論」という本を読んでいて、
養老さんがこんなことを書いているのを読んで思いました。
「あぁ、この人は私と考える方法が似ている」。

→P71 
〈じつは私は、ものごとの理解が遅いんです。、、、
 いまでも他人のいったことを、一年間考えたりするんです。
 だから、ただいま現在のことを、
 あれこれ議論するような会議は、徹底的に苦手です。
 、、、
 答えは自分なりにわかっていることもあるんですよ。
 でもそれが言葉にならない。
 そのときは、まだ他人に上手に伝えられないんです。
 ある問題について、その周囲を出来れば全部、考えようとする。
 私にはそういう癖があるんです。それからなにか言う。
 だから本がたくさん書けるんだと思います。
 本には、これまで考えてきたことを、
 ゆっくり書くんですから、それが可能です。
 でも対象がいま生じていることだと、
 それに対して適切に返事が出来ないんです。
 今の状況をかいつまんで、端的に反応し、表現する。
 それができません。だから政治の議論が苦手なんですよ。
 周囲の問題を含めて、一応自分なりに全部考えて、
 それから返事が出てくるんですから。
 、、、みんなのいうことを聞いて、
 自分なりの意見を作る。
 それにやたらと時間がかかるんですよ、私は。〉

養老孟司さんの本を、
私は社会人2年目あたりから読み始めて、
以来この15年間で、出版された養老さんの主要な著作の、
たぶん8割〜9割は読んできています。

つまり彼の本だけで30冊〜50冊ぐらいは読んでいる。
このセンテンスを読んで、なぜ養老孟司の本を、
私はこれほどまでに読み続けてきたのかという謎が、
解けたように感じました。

それは、養老さんの「考え方の癖」と、
私の「考え方の癖」が似ているからです。
つまり「脳の作り」が似ている。

だから彼の文体は、私にとって「自分の体液」のように、
吸収が容易なわけです。

その「構文」があらかじめこちらにありますから、
そこに単語を当てはめていけば良い。

「間取りがまったく同じ家への引っ越し」
みたいなもので、彼の思想は、私の脳内に、
やけに「収まりが良い」のです。

だから養老さんの本を読むことは私にとって「快感」なのです。
いちいち納得がいくし、いちいち腑に落ちる。

もちろん、ベストセラー作家で、
東大名誉教授の養老さんと私では、
「頭の良さのスケール」はまったく違うわけで、
「似ている」とかいうのは、
非常に不遜きわまりない失礼な話なのですが(笑)、
それでもやはり似ているのです。

養老さんが本田圭佑、
私が「じゅんいちダビットソン」、
または、
養老さんがイチロー、
私が「ニッチロー」
と考えていただければ良いかと思います。

そのスケールや偉大さはさておき、
やはり「似ている」のです。
ちなみに養老さんは自分のことを「永遠の昆虫少年」
と言っていますが、私もかなり重度の「昆虫少年」でした。



▼▼▼愚鈍な考え手▼▼▼

話を震災に戻します。
養老さんは先の本のなかで、
「自分は考えるのに非常に時間がかかる」と、
おっしゃっています。

まるで壊れた蛍光灯のようだと。
「いまごろそんな話してるの?」とよく言われると。
なにせ養老さんは、40年前の東大紛争のことを、
2004年に「やっと答えらしきものが見えてきた」
と本にするぐらいですから。

私は養老さんのこの話を先週読み、
私の震災に対する態度と、
養老さんの東大紛争に対する態度は、
よく似ていると思いました。

養老さんですら、東大紛争の答えは、
40年経ち、自分が東大を退官してから浮かんできたのです。
きっと震災についての私の考えは、
与えられた寿命内では終わらないのではないかと思っています。

養老さんも私も、考えることに対して「しつこい」のです。
いつまでもいつまでも、世の中の99%の人が、
「そんな昔のこと、いまでも考えてるの?」
というようなことを、私はずーっと考えていたりします。

「10年前に口に入れたガムがまだ口に入ってる」
みたいな感じで、私はある一つの「問い」を、
ロングスパンで考え続けられますし、
それを辞めることは出来ません。
それが「脳の作り」なんだから仕方ない。

だからめっぽう実務には弱い笑。
ビジネスではぜったいに成功しないし、
起業家にも経営者にも向かないし、
すぐに役に立つようなセミナーは出来ない。

社会の足を引っ張るような人間です笑。

でも、トラック何周も遅れていると、
あるとき自分が先頭を走っている、
ということもあるように、
こういう考え方をする人、というのが、
社会には少数ですが必要、と私は今は思います。

だからこうしてメルマガなんぞ発行したりしているのです。



▼▼▼思考の円環▼▼▼

ここまで書いて終わると、
何か質問から逃げたようになってしまいますが、
私は今も震災について、福島で起きたことについて、
その後の日本について、考え続けています。

それが今私が震災について言えることになります。
本当に逃げているみたいで申し訳ないですが。

「思考」は「円環」となったときに、
はじめて言語化し、体系化したアウトプットが可能になる、
というのが私のイメージなのですが、
こと震災に関しては、まだ「円環が閉じていない」というわけです。

それでも震災支援の現場にいる間は、
活動について報告の義務もありますし、
そういった話を求められたりもしますから、
2013年に発病するまで、
何度か震災について国内でも海外でも語りました。

しかしそれは思考の「断片」であって、
話せば話すほど自分がばらばらになっていくような感覚を覚えながら、
それでも話した記憶があります。
話すたびに、その夜は自己嫌悪というか、
大きな宿痾を背負ってしまったような感覚にさいなまれ、
だんだん夜眠れなくなっていきました。

自分でも分かっていないことを、
他者に伝えるということが、これほどつらいことか、
と当時は思いました。

今なら、私は何と説明するのだろう?

何かを言う意志がないわけではありません。
何かを言う意志があるからこそ、
去年はチェルノブイリを観に行ったり、
今も避難区域の放置牛の支援をしたりしているのです。
震災がらみ、福島がらみ、原発がらみ、エネルギーがらみの書籍も、
この6年間で少なくとも100冊以上は読んできました。

それでも、それが言葉になるのには、
まだまだかかりそうです。

「閉じてない円環」から何が生まれたかをひとつだけ言うならば、
私は震災支援をするようになって、つまり福島に関わるようになって、
以前にもまして「物語」の重要性を認識するようになりました。
「大きな物語」が脱構築され解体されたポストモダン世界において、
「物語を紡ぐ」ということの持つ意味について、
多くを考えるようになりました。

去年教会の講壇でさせていただいたいくつかのメッセージは、
その結実と言えるかも知れません。

▼「私」という名の物語
https://www.youtube.com/watch?v=2sETXRoZbAU&t=2s

▼預言的な教会とは何か
https://www.youtube.com/watch?v=YUqJc2wNv8w

このあたりですね。




▼▼▼書くことと思考の再起動▼▼▼

、、、書くことは考えることだ、
と先週メルマガの中に書きましたが、
メルマガを書くようになって、
また私の「思考という内燃機関」が、
動き出したように感じています。

この流れでこの喩えは、
もう「悪意」と捉えられかねませんが、
「原発が再稼働するように」、
私の思考は再稼働しつつあります。

(、、でも、言わせていただければ、
 ちょっと意図的です。
 原発だとか核分裂という科学技術に、
 「悪の属性」をつけることに、
 私は2011年から一貫して反対しています。
 悪は技術を利用する人間の側にあるのであって、
 科学技術は価値中立的なものです。
 価値中立的なものに悪の属性をつけると、
 外部に投影された内面の悪が盲点になって、
 逆に目の中の梁が見えなくなります。
 「お金が悪だ」と思っている人ほど、
 実は脇が甘く、お金の罠に陥りやすいです。
 聖書によれば、
 「お金を愛すること」が悪なのであって、
 お金は価値中立的です。
 原発をはじめとする科学技術も同じです。)

、、話を戻しますと、
メルマガを続けている間に、
どれほど思考が「前進」するか、
それは未知数ですが、私はこれからも、
あの震災とは何だったのか、について、
考え続けるでしょう。

こうしてメルマガを書いているということが、
その「答え」のひとつなのかもしれません。

、、当たり前ですが付言しますと、
6年前に災害の犠牲になった方々に哀悼の意を表し、
そして今も日常を取り戻せない人がいるのなら、
一日も早く平穏と安堵が戻りますようにと、
メルマガ読者の皆様と心一つにして祈っています。






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