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ゲームについて

2017.09.28 Thursday

+++vol.007 2017年4月4日配信号+++

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■1 今週のオープニングトーク
ゲームについて
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼「脳を休める」技術としてのゲーム▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週の後半は1ヶ月半ぶりぐらいの、
「あんまり何にも予定がない週」でしたので、
本当にゆっくり過ごしました。

妻からも「そろそろ何もしない日を、
何日か連続でとらないと危ないよ」と、
助言されていたので、このタイミングで取れて良かったです。

5月はけっこう忙しいスケジュールになりますので、
4月はそれに備えてエネルギーを貯める月にできればと、
考えています。

、、、で、
さて、何もせずに休むといっても、
けっこう久しぶりのことだったので、
何をして良いのか分からず。

燃え尽きになって療養したことで私が得たことのひとつは、
「脳を休ませる」という技術でした。

昨年一年間、自分自身の病気療養体験をふまえ、
精神疾患患者のリハビリ施設などでも講演する機会があり、
毎回「質疑応答」の時間を持っていました。

たぶん、今年もそんな機会は何度かあることでしょう。



▼▼▼質疑応答と「具体と抽象」▼▼▼

話は少しそれますが、
実はこのメルマガを開始しようと思ったひとつのヒントが、
その「質疑応答」の時間でした。

参加者は自分や親しい人が病気の当事者なので、
「切実な必要」を抱えています。

私の病気療養体験はその方々にとって、
参考になることもあれば、
ピンポイントでは役に立たないことも多い。

しかし、そのあとに「質疑応答」の時間を持つと、
講師である私も予想していなかったような、
驚くほど有意義なやりとりが生まれるのに気づきました。

これは「具体と抽象」という話に関係があります。

▼「具体と抽象」細谷功
http://amzn.asia/b0PHpCX

この本は「具体と抽象」について非常にわかりやすく、
簡潔に説明されているので、
「具体と抽象」の教科書としてお勧めです。

「具体と抽象」という視点を持つことが出来るようになると、
世の中のいろんな「かみ合わない議論」が、
どうしてかみ合わないかが分かってきますし、
仕事が出来ない人が、どうして仕事が出来ないかが分かってきます。

議論がかみ合わない理由も、
仕事が出来ない人が仕事が出来ない理由も、
多くの場合「抽象度が違う話を混同する」というところに、
原因があることが多い。

たとえば、
「戦争は悪だ。」
という話と、
「憲法9条は変えた方が良い」
という話は、抽象度が違う世界では共存しますが、
具体的な議論としては矛盾と感じられます。

整理しますと、
「戦争は悪だ。平和を維持しなければならない。」
これは抽象度の高い話です。

一方で歴史を調べると、
「絶対平和主義=パシフィズム」こそが、
戦争を引き起こしてきたのであり、
「軍備による力の均衡」こそが、
戦争を回避し、平和を維持させてきた、
という分析も成り立つし、
これにはかなりの説得力がある。

だから具体的な議論としては、
「9条は改正したほうが良い」
という結論も「あり」だし成り立つ。

ところが、
「抽象度の差が分からない」人からすると、
この議論は永遠にかみ合わないことになる。

(私はちなみに、「護憲的改憲論者」というような曖昧な立場です。
 憲法が錦の御旗だとも、「憲法が平和を守る」とも思いませんが、
 改憲すると安全になる、というのもナイーブすぎると思っています。
 国家は暴力装置なので、武力は外部にも向きますが、
 内側にも向きます。

 仮想敵国も脅威ですが、
 国民にとっての現実的なもう一つの脅威は、
 じつは国家そのものです。
 国家がセコムとは違うのはその点においてです。
 国家を警備会社かなにかと勘違いしているのが多いのは、
 きっと日本が長いこと平和すぎたからでしょう。

 有史以来、日本国家が殺してきた外国人の数より、
 日本国家が殺してきた日本人の数のほうが圧倒的に多い。
 その点を踏まえて日本の安全保障の話は、
 慎重かつ大胆に行う必要があるかと私には思えます。
 ひとつ言えるのは、改憲にせよ護憲にせよ、
 「断定」する人とは話が合いません笑。)



▼▼▼「具体と抽象」、仕事の話▼▼▼

話を戻しまして「具体と抽象」の話。

仕事の例で行きましょう。
ある人が職場の先輩に、
「会議の資料は3枚以内にしてくれ。
 おまえの資料は長すぎて何が重要かわからない。」
と叱られた。

次の会議で彼は、
「A4半分の資料」を作った。
しかしそこには必要なことすら書かれていなかった。

これは、この人が、
「わかりやすく優先順位をつけて」、
もっと言えば、
「読む人のことを想像して資料を作れ」、
という抽象的な命題として脳内翻訳することができず、
「資料を短く」という言葉の上での具体的な指示を、
そのまま馬鹿正直にうけとり、
「短くて分かりづらい資料」を作ってしまった、
というミスです。

彼は今度は先輩に怒られます。
「こんな短い資料で分かるか、バカ」

彼は混乱します。
「先輩は短い資料が良いのか、
 長い資料が良いのか、
 オレには分からん!」

しかし、先輩が言っているのは、
「長い、短い」という具体的な話ではなく、
「わかりやすく読み手のことを考えた資料」
という、抽象的な命題なのです。

仕事が出来ない人というのは、
往々にしてこの「具体と抽象の区別」が、
ついていない人が多い。

具体的な命令を抽象レベルを上げて「解釈」できない。
また、「抽象的な話」を具体的な実践に落とし込めない。

仕事が出来る人というのは逆に、
「具体と抽象」の使い手ですから、
抽象的な命令を具体化に落とし込んだり、
具体的な事例を抽象度を上げて学び取り、
他の事例に適用できたりする。

こういう人は
「1を聞いて10を知る」
という人です。

1というのは具体的事例。
その事例から抽象的な原則を導き出す。
ひとつの抽象的原則は、
10でも100でも適用可能ですから、
「1を聞いて100を知る」
ことも可能なわけです。

しかし具体と抽象の知的操作が不得意な人は、
ひとつの事例に直面しても、
その抽象度を上げて原則を引き出せない。

だから100の具体的経験をしたとしても、
ひとつも「抽象的な原則」を形成できない。
だからその人にとっては、101回目もやはり、
「具体的な初めての事例」になっちゃう。

「君子豹変す」という中国のことわざがあります。
これは悪い意味と誤用されることの多い、
本当は良い意味のことわざです。
「君子=賢い人、立派な人」というのは、
過ちと分かればただちにやり方を変えるのだ、という意味です。

このことわざは「抽象度の話」として解釈することも可能です。
「君子」は抽象度の高いところで物事を把握出来る。
だから具体的行動においては「豹変」するのだ、と。

「昨日はああしたのに、今日はこうした」
と言われるような人には、二種類います。
単に一貫性のない気分屋か、もしくは、
具体と抽象を往復できる「君子」です。

後者がたとえばコンビニの店長だとしましょう。
昨日は「おでんを切らすな」と怒られたのに、
今日は自分がおでんのことなど放っておいている。
あの店長はわけがわからない、とバイトは思います。
「あんな上司にはついていけない!」

でも、気温を観ると分かる。
昨日は小雨が降って最低気温が5度だけど、
今日は小春日和で快晴。

今日はむしろ、アイスと日焼け止めクリームが重要です。
店長は「顧客を満足させる」という抽象度で仕事してますが、
バイトは「個々の商品の在庫状況」という部分で仕事をしている。
だからバイトには店長の行動に、一貫性がないように見える。
しかし店長は一貫して「顧客の心を読む」という、
抽象度の高い仕事をしているわけです。

君子は豹変するのです。




▼▼▼具体と抽象の両岸から橋を架ける▼▼▼

、、、
「具体と抽象」というのは、
ことほどさように、仕事のうえでも、
議論のうえでも重要な知的操作ですが、
それを意識して行っている人は少ないです。

だからこそ、あなたがそれを「学べ」ば、
他者との差別化が可能です。

だから先ほど紹介した、
「具体と抽象」という本はオススメです。

、、、という「具体と抽象」の話ですが、
教会の説教でも、何かのセミナーでも良いのですが、
私に限らず、講師が不特定多数に語りかけるとき、
というのはある程度「抽象度を高める」必要があります。

抽象度の高い話でないと、
「適用範囲」が狭まるからです。

私の病気の話ならば、
「私は何ヶ月休職し、
 病院は○○という病院に行き、
 薬は○○という薬を飲み、
 朝は何時に起きて夜は何時に寝て、、、」
という話をされても、
それぞれに病状も違えば与えられた環境も違うわけですから、
それを聞いてもほとんどの人にとっては役に立たないばかりか、
同じ事をしたら害になる場合すらある。

さっきの「短い資料」と同じですね。

だから「抽象度を上げる」わけです。
「病気という『人生における歓迎されざるネガティブなもの』と、
 最初私がどう向き合い、そしてそれとの関係性がどう変化し、
 変化によって私の人生観、世界観にどのような違いがもたらされたか」
という話にする。

そうすると、なんと、
病気をしたことのない人にすら響く。

これが「抽象化」の力です。

ところが、「抽象化」によって犠牲にされるものも、
当然出てくるわけです。

それは、個々の具体的な症状や、
参加者の家族関係、仕事の状況、
病院との付き合い方、休養中の具体的な過ごし方について、
ピンポイントで具体的なアドバイスを与えることは出来ない。

それをなんとかしたいなぁ、
と途中から思い始めまして、
去年の夏ぐらいから、1時間の私の講演のあとに、
10分間の休憩を挟み、その間にその場で回収した、
質問の紙切れを仕分けして、
病気の経験者としての私と、
「病気に寄り添う側」としての妻で、
時間の許す限り、質問に答えていく、
という方式にした。

そうすることで、
前半は「抽象」の側から具体的な聞き手に語り、
後半は「具体」の側から質問に答えることで、
抽象的原則へアプローチできる。

つまり、
前後半の2時間を使って、
「具体」と「抽象」の両方の側から、
橋を架ける、ということに成功したように思えたのです。

これには大きな手応えを感じました。




▼▼▼メルマガという落としどころ▼▼▼

、、、で、私は考えました。

私が今後、さまざまな形で情報発信していくうえで、
こういった「両方から橋が架けられるような対話」という形式は、
実現可能だろうか?と。

私は9年前からブログを書き続けていますが、
そこではなかなか難しいことは自明でした。

ブログで「対話」を試みているブロガーや有名人は、
何人かいますがことごとく失敗しています。
(何を成功とするかという定義にもよりますが)

読者が付和雷同して「右向け右」をする、
「ファンクラブのような内輪ウケの雰囲気」になるか、
もしくは「コメント主同士の場外乱闘」みたいになる。
もしくはその両方が起きている。
どちらにしても、それを見せられる側は、
あまり楽しいものではない。

うん、ブログは違うな、と。

で、講演会やセミナーも、
もちろん今後も要望があるかぎりは続けていきますが、
昨年の施設での講演みたいのは例外で、
ほとんどの場合は時間的な制約からも、
「モノローグ」におちいりがちである。
(それに意味がないとは言いません。
 そう思ってるからこそ続けているのです。)

では、どうしたら、
情報発信者として、
具体と抽象の両側から「橋を架ける」ような、
「有意義なダイアローグ」を、生み出せるか。

私がイメージしたのは「ラジオ」です。

ラジオという二世代前のメディアが、
じつはけっこう私の理想に近いことを発見した。

ラジオにはハガキが来ます。
以前はハガキ、10年前はFAX、今はメールとTwitterです。

テレビで「dボタンを押してください」みたいにして、
「双方向性」を生みだそうとしている、
「サムい生放送番組」を時々目にしますが、
じつはあんなの、ラジオが何十年もやってきたことです。

そういった意味では、
ラジオほど「ダイナミックな」メディアはないのです。

リスナーとパーソナリティの間に、
対話が生まれる。

パーソナリティが「具体的なエピソード」を語る。
リスナーがそれを抽象化し、「自分の具体」を語る。
それをさらにパーソナリティが受けて、、、
という「コミュニケーションのダンス」が生まれるのがラジオです。

というわけで、そうだ、ラジオやろう、
というのも良いのですが、体調のこともありますし、
参入障壁というか、やるとなると大がかりになりそうだったので、
もっともラジオに似ていて、しかも参入障壁の低いメディア、
として私が見つけたのが「メルマガ」だったわけです。

それから何種類かの有料メルマガと、
何種類かの無料メルマガをじっさいに登録してみて、
読みました。

それで確認しました。
「あぁ、これはラジオに似ているぞ」と。

それで、「これなら行けそうだ」と感じたので、
2月に開始しました。

私の目論見は、
いまのところ上手くいっているように見えます。
読者の皆様のおかげです。

、、、で、なんだっけ?

もともとは、「休む」ということを、
療養中に学んだ、という話をするつもりでした。
そこから、今週ゲームをしたよ、
という話に持っていき、
私のゲーム論を語るつもりだったのが、
文字数的にキツそうなので辞めます(笑)。

どんだけ話の構成下手だ、という(笑)。

「スベらない話」なら、
松本人志に共演NG出されるレベルです。

「ゲーム論」はまたいつかやります。

私の年齢になってゲームする人も、
あまりいないと思うので(笑)、
いつか語りたかったんですよね。

ゲームについての質問も募集しております。





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