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べてるの家の「非」援助論

2017.10.12 Thursday

+++vol.009 2017年4月18日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のエスプレッソショット

私は、一年間に300冊ほど本を読みます。
(ちなみに作家の佐藤優さんは月に500冊読むそうですので、
 私の年間読書量は佐藤さんの3週間分ぐらいです笑。)

読む本のほとんどは図書館で借りますが、
図書館に蔵書のない本はAmazonのKindleで買ったり、
専門書などは書店で購入したりします。

読書スタイルは、常時5〜10冊ぐらいを並行して読み、
ジャンルは多種多様で、
「乱読」に近い読み方をしています。

また、信頼する友人に勧められた本は、
なるべく必ず読むようにしています。

日常的に書籍を読むようになった大学生時代以降、
読書の記録はぜんぶ一冊の大学ノートにしてきました。

2014年から情報の集積を、
大きくデジタル方向にシフトして、
「読書ノート」をEvernoteに取るようにしていて、
現在そのファイル数は1000を超えています。

「私のEvernote蔵書のなかで、
 この本は良かった」
という本を厳選して、みなさんにその本を、
「コーヒーの高圧抽出」のような形でシェアするのが、
このコーナー。

いわば読書のエスプレッソです。

私のEvernoteの読書ノートから引用しつつ、
読者の皆様に毎週、選りすぐりの一冊を紹介し、
「本なんて読む時間ねぇよ!」という方にとっては、
時間短縮のツールとして、
「本が大好き」という方にとっては、
「読書を通した豊かな対話」のような、
ひとときを味わっていただくコーナーとして、
楽しんでいただけたらと思っています。

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

よく考えてみますと、
この「本のエスプレッソショット」は、
「初めて」なのです。

じつはこのメルマガを二月の後半に始めるに先立って、
一ヶ月ほど「パイロット版」を、
私の友人知人の10名ぐらいの方々に送っていまして、
そのなかで二度、「本のエスプレッソショット」のコーナーをしました。

そこでは以下の二冊の本を紹介しました。

この「パイロット版」は「幻のメルマガ」であり、
半年後ぐらいに公開予定の「メルマガバックナンバーサイト」に、
もしかしたら掲載するかも知れないし、
掲載しないかも知れない。

でも、過去二回のこのコーナーで、
何を紹介してきたかだけはお知らせしておきます。

以下がその本です。


●第一回:WORK SHIFT

著者:リンダ・グラットン
出版年:2012年
出版社:プレジデント社

http://amzn.asia/4seLSIb




●第二回:「君たちが知っておくべきこと」

著者:佐藤優
出版社:新潮社
出版年:2016年

http://amzn.asia/9wTSOKP



、、、リンダ・グラットンの本は、
今話題の「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」の、
一つ前に彼女が書いた本で、
長寿化にともない、現役期間が、
ひとつの産業の寿命を超えるという、
大きな社会構造の変化を迎える。

とすると、人は生涯ひとつの会社で働いたり、
生涯ひとつだけの仕事をして生きていく、
ということは少なくなり、
複数のキャリアを人生の時期別に、
あるいは並行して渡り歩いていく、
というのが主流になるだろう。

そのような時代に備え、今私たちは何をしたら良いのだろう、
という本です。


佐藤優さんの本は、
佐藤優と、おそらく「全国でもっとも賢い高校生の集団」
である兵庫県にある灘高校の生徒が語り合う、という内容。

ノブリス・オブリージュ(エリート層の責務)の感覚が、
失われているのが今の日本の地盤沈下を招いている、
という佐藤氏の危機感から、
彼は灘校生と対話をするオファーを承諾します。

この本で驚くのは灘高校の生徒たちの、
「質問の質の高さ」です。
「地頭の良さ」って、あるんだなぁ、
というのがよくわかります。

また彼らが能力を世の中のために使う、
という感覚をもって人生を歩んでくれるとしたら、
それは日本にとってとても頼もしいことだと感じます。


、、、さて、今日ご紹介する本は、
以下のタイトルです。



●べてるの家の「非」援助論

著者:浦河べてるの家
出版社:医学書院
出版年:2002年

リンク:http://amzn.asia/hLAcuW1


▼▼▼「べてるの家」に出会った2015年▼▼▼

先週のメルマガで、
「来週は久しぶりに本のエスプレッソショットをやります」、
と宣言したは良いけれど、
「さて、何を紹介しよう」と、
思いあぐねていました。

けっこうこの「本のエスプレッソショット」をやるのは、
労力がかかるのです。

「高圧抽出」というのは比喩ですが、
じっさい一冊の本を、数千字ぐらいで、
他者に紹介する、という作業は、
脳にとってはけっこうな労働です。

夏休みの読書感想文を思い出してもらえば、
なんとなく想像していただけるのではないでしょうか。
「読書感想文」と聞くだけで
吐き気を催す人もいると聞きます笑。

、、で、
紹介したい本はいろいろあるのですが、
敢えて今日、この本を選んだのには理由があります。

それは何を隠そう、
私はこの本の「著者」である、
「浦河べてるの家」をじっさいに訪問したことがあり、
そして、浦河べてるの家の創始者である、
向谷地生良さんと、川村敏明先生に、
お会いしてお話したことがあるからです。

2013年から病気療養してからというもの、
私はめっきり名刺を交換する機会が減りました。

「なるべく新しい人と知り合わない」
というモットーで生活していましたから笑、
年間に名刺を交換したのは、
一昨年(2015年)でいえば3枚ぐらい、
昨年(2016年)でいえば8枚ぐらいです。

100枚名刺を刷ると、
私の場合10年以上もつ、
ということになる笑。

で、一昨年の3枚の名刺のうち2枚が、
向谷地生良さんと川村敏明先生だったわけです。

つまり2015年は私にとって、
「べてるの家イヤー」だった、
と言っても過言ではない。



▼▼▼2015年春の友人との再会▼▼▼

2015年の春はまだ、
私は病気療養中で、2種類のカウンセリングを受けつつ、
自宅でひたすら何も出来ず休む、
という日々を送っていました。

朝起きる気力も、コーヒーを淹れる気力もなく、
人と2時間話すと、その次の3日間は寝込むほどに疲れる、
というような状態です。

そんな2015年の春、
小児科医で北海道で病院の理事長をしている、
私の友人が、東京出張のついでに1年半ぶりに、
私に会いに来てくれたのです。

友人と妻と私の3人で、
焼肉屋に行き、いろんなことを話しました。

注文が届く前に、
焼き肉屋のトイレで泣いたのを覚えています。
「ちょっと、泣いてくるわ」
と私は席を立ちました。

「この人がどれだけ私たち夫婦のために祈ってくれ、
 心配していてくれたか。そしてどんな気持ちで、
 『それでもなお』私の友であることを選んでくれているか。」
ということを考えた時、
ありがたいやら、申し訳ないやら、
うれしいやら、もったいないやら、
かたじけないやら、気後れするやら、
穴があったら入りたいやら、
安心するやら、感激するやら、
情けないやら、でもやはり嬉しいやら、
なんか感情の交通整理が間に合わなくて、
涙腺のダムは決壊し、
それらは涙となって溢れました。

顔を洗って席に戻り、
1時間半か2時間ぐらい話をしました。

「約2年間、足踏みをしていた自分」と、
「2年間、進み続けた友人」という精神的ギャップがありますから、
再開した時「あぁ、俊君は終わってしまったな」
みたいに思われたり、まったく会話がかみ合わなかったり、
話している途中に自分がパニックに陥ってしまったらどうしよう、
という不安で、前日は眠れませんでした。

焼肉屋で何を話したか思い出せませんが、
その会話から、前日の心配は全部杞憂で、
私が「終わろうが終わるまいが」
会話が成立しようがしまいが、
社会的な意味で前進しようが足踏みしようが、
関係なくその友人は私の友人でいてくれているんだ、
ということが言葉ではなく伝わってきて、
胸が熱くなりました。

友人は障害児医療に携わっていますので、
障害を持つ方と接することが多いのですが、
障害を持った当事者の方の言葉として、
「障害者は生きているだけで社会変革なんだ」
という言葉を教えてくれました。

それが、私が発病してから1年半ぶりに、
手帳にとった「メモ」でした。

当時の私はコンビニに行くことすら恐怖で、
電話がくるとパニックに陥り、
まともな社会生活を送ることなどほど遠い、
いわば「障害者」みたいなものでしたから、
その言葉は私に重く響き、その後の病気の回復の、
「マスターピース」になりました。



▼▼▼「べてるの家」と回復への道▼▼▼

焼肉屋で友人が教えてくれたもう一つのことが、
「べてるの家」のことでした。

「俊君は『べてるの家』って聞いたことある?」
と友人は言いました。

私はよく知らなかったので、
「いや、知らないなぁ」と答えました。

そこから彼は、北海道の浦河に「べてるの家」という、
有名な精神疾患の当事者による施設があること、
その取り組みは先進的で、「病気というものとの付き合い方」を、
根底からひっくり返すような概念がそこにはあること、
また「近代」という時代の先にあるものを、
「べてるの家」は示しているように思えること、
そして「べてるの家」の創始者の川村敏明先生の息子さんが、
彼の病院で働き始めたことなどを教えてくれました。

それから家に戻り、
「べてるの家」の書籍をAmazonで購入し、
あるいは図書館で予約し、そして読み始めました。

これまで私が読んだ「べてる関係」の本には、
以下のものがあります。

▼「精神障害と教会」向谷地生良
http://amzn.asia/dGNiF3E

▼「安心して絶望できる人生」向谷地生良
http://amzn.asia/croPkMn

▼「技法以前」向谷地生良
http://amzn.asia/aGMjKM9

▼「行き詰まりの先にあるもの」富坂キリスト教センター(編)
http://amzn.asia/0arTiRY

▼「べてるの家の『非』援助論」浦河べてるの家
http://amzn.asia/aiGJU8s

▼「降りていく生き方 『べてるの家』が歩む、もうひとつの道」横川和夫
http://amzn.asia/dZEmtBX


、、、そこには、私が、
「もしかしたら自分が病気になったのには
 こういう意味があるのではないか」
と、薄々考えてきたことが、
明確に言語化されているように思えました。

それを一言で表現するのは至難の業なのですが、
敢えて言うのなら、いままで「自分が病気になった」ということが、
「歩いていて地雷を踏んだようなもので運が悪かったのだ」
と心のどこかで思っていた。
それが実は、「地雷を踏んだのではなく、宝くじに当たったのだ」
と思うようになった、という変化です。

「べてるの家」の思想は、
その思いに輪郭を与えてくれ、
そして確信に至らせてくれたように思います。

神さまが「誰にこの、病気という宝物をあげようかな」
と、天から地上を見下ろしていらっしゃる。

その「当選確率の低さ」というのは、
年末ジャンボ宝くじの比ではなく、
何万人とか、何十万人にひとり、という割合かもしれない。

そしてその当選金額もまた、
年末ジャンボ宝くじの比ではなく、
金銭には換算できないが、換算したとしたら、
何億円なんておいうものではない、という風に、
私には思えたわけです。

「なぜ病気が宝なのか」
という理由はいろいろありますが、
ひとつだけ挙げます。

ダミアン神父というハンセン氏病患者のケアをしていた、
有名なカトリックの司祭がいまして、
その人はハンセン氏病患者から、
「神父にはらい病の辛さはわからない」
と言われたことをずっと心に留めていました。

ある日、ダミアン神父は、
自分の皮膚の感覚がなくなっていることに気がつきます。
これはらい病に感染した兆候です。

その時、神父は悲しむどころか喜んだ、
という話があります。

なぜか。

そのとき初めて、
「あなたたちらい病患者は、、、」ではなく、
「私たちらい病患者は、、、」と、
呼びかけることが出来たからだ、
という記録が残っています。

私は「声なき者の友の輪」というNGOの創立に関わり、
「声なき者の友」として生きることが、
イエスの愛の実践であり、現代の信仰者の、
もっとも大切な使命だ、という啓発活動をしてきました。

自分自身が、「声なき者のひとり」
となった2年間の経験というのは、
私の目指す生き方から考えたとき、
「高価な宝」以外の何でもありません。

、、、さらに、実のところこの「メルマガ」もまた、
病気という宝くじの「副賞」みたいなものです笑。

2013年に発病せず療養していなければ、
メルマガを始めようなんていうアイディアは私にはなく、
また書くための「素養」というか「思想の奥行き」のようなものも、
持ち得ていなかったと思います。

また、自分が生まれたことの、
時代的意義や使命に対するひとつの確信を、
私は持っていまして、それがメルマガ執筆の動機なのですが、
それが「確信」として結晶化したのも、
療養中の「サナギの期間」においてでした。

、、、その後の半年間も病気の症状と付き合う日々でしたが、
それまでは「戦い」だったものが「和解」に変わりました。
苦しさは変わらないのですが、「病気という宝」を、
神が下さったのだから、その宝をとことん味わおう、
という気持ちでその症状を味わうようになった。

「私が病気と和解する」のを待っていたごとく、
役割を終えて「病気が旅立つ」かのように、
そのころから病気の症状は弱まり、
回復の兆しが見えてきました。



▼▼▼向谷地さんとの出会い▼▼▼

その年の12月に私は活動に復帰し、
現在に至ります。

活動再開の前の月の11月に、
私は友人を訪ねて、妻と二人で北海道の札幌を訪問しました。

友人はそれに先立ち、
私が病気療養の経験を綴った、
ふたつの文章を、「べてるの家」の創始者の、
向谷地生良さんに渡してくれて、
「もし11月にお時間が取れるのなら、
 これを書いた私の友人の陣内俊君と、
 会って話してあげていただけませんか?」
と尋ねてくれました。

送った論考と手紙というのが以下の二つで、
FVIのホームページからも閲覧可能です。

▼論考「中空構造日本の新世紀」(2015年6月)
https://drive.google.com/file/d/0B3HrFmMyrAJLU3h3RG5CRzU0eEk/view

▼2015年12月の「手紙」
http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2015_10.pdf

そんな忙しい「有名人」が、
どこの馬の骨かもわからない私と会ってくれるんだろうか、
と半信半疑でしたが、出発の1週間前ぐらいに、
向谷地さんの携帯に電話してみると、
なんと、つながったのです。(当たり前か)

で、
私はしどろもどろになりながら、
「友人で札幌の小児科医の○○先生から、
 メールがあったと思うのです。
 覚えてらっしゃるかどうかわかりませんが、
 そこに二つの文章が添付されていたと思います。
 私はそれを書いた陣内という者でして、
 自分の燃え尽きとうつ状態からの回復に、
 べてるの家の思想がとても大きなヒントを与えてくれました。
 先生には感謝していまして、、、」
みたいなことを話しますと、
向谷地さんはなんと、
「あぁ、あれは読ませてもらいました。
 陣内さんの文章は私の考えていることを、
 言語化してもらったような感じがして、
 普段自分がしていることを理解する上で、
 非常に勉強になりましたよ!」
とおっしゃってくださいました。

「、、、それで、
 メールでも申し上げたのですが、
 実は来週北海道に行く予定がありまして、
 そのときに1時間でも先生とお話させていただくことは、
 出来ないかと思っていまして、、、」
というと向谷地さんは、
「、、、え?そうなの?
 うん、だったら●曜日と●曜日の午後なら、
 大学の研究室にいるから大丈夫だよ」
と言われました。
(後で知りましたが向谷地さんは、
 基本的にメールよりも電話派で、
 メールの返信はあまり期待できないという、
 恐ろしく忙しい人のひとつの類型なのだそう)

で、一週間後、
札幌の友人宅に泊まらせていただきながら、
車も貸していただき、石狩郡当別町という、
札幌からかなり離れた場所にある、
向谷地さんが教えている大学を訪ねました。

大学の研究室で1時間半ぐらいいろんなことをお話したのですが、
覚えているのはまず、向谷地さんがめちゃくちゃ忙しいこと。
一週間のうち2〜3日は浦河、2〜3日は北海道医療大学、
1日〜2日は東京、そして年に何度かは海外にいるそうです。

浦河と北海道医療大学は、
北海道在住以外の人には想像しづらいと思いますが、
なんていうんだろう、めちゃくちゃ遠いです。
車で5時間から6時間かかります。

本州で言うと、石川県の金沢と、
千葉県の浦安、みたいな感じでしょうか。

二拠点は二拠点でも、
ものすごい距離があるのです。
そこを毎週自分で車を運転して往復し、
東京にもほぼ毎週行きます。

東京(または大阪)や海外は、
「べてるの家」の哲学である、
「当事者研究」というメソッドを、
広めたり、実践現場をサポートしたりするのが目的だそうです。

もうひとつ印象的だったのは、
大学の研究室の壁一面の書籍のタイトルが、
「普段私が読んでいる本」と、
かなり近い、ということでした。

キーワードで言うなら、
ヘンリ・ナウエン、
カール・ユング、
ナラティヴ・セラピー、
アドラー、
東洋思想と西洋思想、
ロゴセラピーとヴィクトール・フランクル、
などなど。

本棚が類似している人というのは、
思想が類似している人ということですので、
私と向谷地さんはわりと、
同じようなことを考えてきたんだな、
ということを感じました。
(比較するのもおこがましいですが)

帰り際に、
向谷地さんはご自身の著書「精神障害と教会」を、
私たちに贈呈してくださり、サインを書いてくださいました。

サインにはこう書かれていました。
「今日も順調に問題だらけ」

この言葉が実は、
「べてるの家」の思想を凝縮して表わしている、
と言って良い。

その翌週に私たち夫婦はレンタカーを借りて浦河に移動し、
「べてるの家」を見学に行く予定にしていまして、
そのことを向谷地さんに告げますと、
「え?そうなの?」
と仰り、電話をしてくれた。

さらに友人の職場で働いている、
川村先生の息子さんからの連絡もあり、
浦河にいる向谷地さんの「盟友」、
もうひとりの創始者の精神科医、川村敏明先生にも、
お会い出来ることになりました。



▼▼▼「べてるの家」見学と川村先生との出会い▼▼▼

私たち夫婦は翌週、
札幌を発ち、十勝地方に移動しました。

私は大学時代を帯広市で過ごしましたが、
そのころは帯広札幌間の高速道路というものはなく、
日勝峠という山を越えて行かねばならず、
車で運転すると5時間(早い人でも4時間)かかっていました。

今はスムーズに行けば3時間を切ります。
すごい!

と思いながら十勝地方に入り、
そして日高の山を越え、
浦河にある「べてるの家」の見学をしました。

そうなのです、浦河というのは、
僻地の中の僻地で、
北海道以外の人にはこれもピンと来ないと思うのですが、
まず「帯広」というのが、札幌からしますと、
山をひとつ越えていますから僻地です。

東京に対する新潟とか福井みたいなものです。
浦河はその帯広から、「もうひと山脈」超えるのです。
海岸線からも行けますが、
いずれにせよかなりの距離を運転する。

つまりなんて言うか、能登半島の先端だとか、
あるいは佐渡島みたいなもので、
「僻地が二段構え」なわけです。

浦河という街は、
そんな地理的なハンディキャップだけでなく、
歴史的にもいろんな屈折を抱えています。

まず、アイヌ民族の方が多いです。
アメリカでインディアンの方の居住区は治安が荒れる、
という現象がありますが、それとよく似た事が起こる。

アイヌの人から見たら
江戸後期と明治初期に本州から来た「大和人」たちが
勝手に自分たちの土地を奪っていった。

仕事も生活も平穏も奪われ、蹂躙された。

そして大正・昭和の「近代化」が起こると、
彼らは自分たちの手を洗うかのように、
「人道と称する補助金漬け」みたいな形で、
自分たちを「救済」しはじめた。

しかしそのときはすでに時遅く、
アイヌの人たちは自らの言葉も伝統も生活基盤も奪われていますから、
その補助金ですることと言ったら、酒を飲んだりギャンブルをしたり、
ということぐらいしかない、みたいなことが起こる。

それだけでなく浦河は漁師町です。

これは本州でも四国でも沖縄でもそうですが、
漁師町は「荒れ」ます。

漁師というのはギャンブル性のある仕事であり、
しかも法外な金額が若いうちから手に入ったりすることが関係して、
統計的に漁師はパチンコなどのギャンブル依存症患者の率が高い。
さらに漁師と「酒」は分かちがたく結びついています。
そして半年間とか家を空けたりする漁師には「オンナ」の問題も多く、
離婚率も高かったりする。

もちろんそのすべての「例外」もあり、
家庭をしっかり守り、パチンコも酒もやらず、
お金にも堅実な漁師、という人もたくさんいるのは、
言うまでもありませんが、あくまで傾向として。

そんなことがあるので、
漁師町というのは、わりと、
「風紀がやんちゃ」になりやすいわけです。

稲作なんかとはメンタリティが違うわけですね。

浦河には「アイヌ」と「漁師」という、
二つの要素が重なっていますから、
なかなか問題は根深いのです。

しかも過疎地。

向谷地さんが約40年前に札幌の学校を卒業し、
浦河赤十字病院に赴任したころ、
浦河には根深く崩壊した家庭とアルコール、
さらに精神疾患の問題が横たわっており、
今挙げたような複合的な問題を抱え、
最後には精神を病んだ人が最後に入る場所が、
浦河で最大の建物、「浦河赤十字病院」の、
精神病棟だった、というわけです。

いわば「転落すごろく」という人生ゲームの、
「あがり」が、「赤十字病院精神病棟」だった。

向谷地さんは「これではまずい」と思い、
ソーシャルワーカーの常識を破り、
崩壊家庭の人々の家々を訪問し、
またアル中の人々を訪ね、
そして精神疾患で悩む人と、
教会の二階を借りて共同生活を始めたのです。

それが「浦河べてるの家」の始まりです。

それから本当に長い長い歴史があり、
今に至るのですが、初期の段階で、
「勝手な単独行動をするな」と、
赤十字病院のなかで「左遷」され閑職をあてがわれ、
社会的に「抹殺」された向谷地さんを支え、
そして志を同じくしたのが同病院の精神科医だった川村先生です。

川村先生は現在、
「浦河ひがし町診療所」という病院を、
ご自身で開設され、そこを拠点に、
浦河や襟裳など、半径50キロぐらいの、
過疎地に住む精神疾患の当事者の方々を、
訪問診療しています。

その診療所で18:00にお会いすることになっていたのですが、
川村先生はその日も襟裳のほうに住んでいる、
80歳を超えるおじいちゃんの精神疾患の患者さんのところに、
診療に行かれていて、悪天候のため帰り道が遅れ、
20分ぐらい診療所で待たせていただきました。

先生はなんと「軽トラック」で颯爽と現れ、
「話は聞いています、
 どうぞおかけください、、、」
と言われてから20時ごろまで、
ほとんど話しっぱなしでした。

ご自身の診療の話や、
浦河という地域の話、
「べてるの家」の苦労した過去の話、
赤十字病院での話など、
話は尽きず、あっという間の2時間でした。

向谷地さんはキリスト教徒であり、
「べてるの家」の「べてる」とはヘブル語で、
「神の家」を意味します。

また「べてるの家」は、
日本基督教団浦河伝道所にその起源があり、
現在もその浦河伝道所に行くと、
教会員の半数以上が「べてるの家」関係者で、
精神疾患の当事者も多ぜいいます。

私は日曜日には行けませんでしたが、
向谷地さんの言葉によると、
「にぎやかで良いですよ」とのことです笑。

川村先生はキリスト教徒ではありません。
お話のなかで先生は自分がなぜキリスト教徒にならないか、
ということを話してくださいました。

それは、先生が訪問される当事者の高齢者の中には、
たとえば90歳のおじいちゃんで、
10年前に死んだ奥さんの仏壇に、
毎日「今日あったうれしいこと」を報告するのを、
生きる支えにしておられる方がいる。

もし自分が「キリスト教徒」という旗色を明らかにすると、
そういう方々が自分の魂の「よすが」を、
先生と共有することに気が引けてしまうのではないか、
ということを考えておられるのです。

「でも、浦河教会の役員会なんかには、
 当事者の信者の方や、
 向谷地さんと一緒によく参加しましたよ。
 そこにいると、なんていうのかなぁ、
 そのテーブルの会議に、イエス様も参加してらっしゃる、
 というのが僕には感じられる瞬間があったんだよねぇ。」
と遠い目をしておられました。

本当の「クリスチャン」とはこういう人のことを言うのではないか、
と私は思いました。

キリスト教徒とは、キリスト教徒だと自称している人ではなく、
キリストをお手本として歩んでいる人だ、
と定義するのなら、
川村先生は明らかにキリスト教徒であり、
そして自分自身がはたしてキリスト教徒かどうか、
逆に問いかけられているように感じるのです。

川村先生は兄弟が(確か)4人いらっしゃるのですが、
大学まで出て医者をしているなんていうのは自分だけで、
他の兄弟に比べて、能力を含めあらゆる意味で、
「神さまに贔屓にしてもらってると感じてるんだよ」
とおっしゃいました。

文章にするのは難しいんですが、
その言葉の中に鼻にかけるとかそういうニュアンスは、
まったくありませんでした。

他の兄弟たちより自分がエライことなんて何もないのに、
神さまは私だけ医者にしてくれて、
「たくさんの幸せ」をくださってるように見える。

これだけ「えこひいき」されているのだから、
その「負債を返している」っていう意識が僕にはあるんだよね。
だから、精神疾患の人たちの役に立てる時、
うれしくってねぇ、、、
だって僕みたいな者が、誰かの役に立てるなんて、
うれしいじゃない、、、。

とまた遠い目をする。

使徒パウロは「自分には返さねばならない負債がある」
と書いています。
彼の宣教活動というのは、
「負債の返済」であって、
それをしなければ私は呪われるのだ、と。

川村先生はキリスト教徒ではないですが、
でもパウロのような方だ、
と私には映りました。



▼▼▼べてるの家の見学▼▼▼

その日の午後には「べてるの家」を見学しました。
そのすべてをここに描写することは叶いませんが、
いくつか印象的だったことを紹介します。

まず、「べてるの家」から数百メートル離れたところに、
べてるの家が経営する「カフェぶらぶら」というカフェがあり、
私たちはそこで食事をしました。

▼参考リンク「カフェぶらぶら」
https://tabelog.com/hokkaido/A0108/A010804/1038022/

厨房もホールも、
働いているのは精神疾患の当事者です。
統合失調症だったり鬱病だったり、
パニック障害だったり強迫神経症だったりします。

厨房を覗くと、料理を作りながら、
誰かが白い粉を飲んでいます。
何時間かに一度薬を飲む必要があるのです。

また、めまぐるしく人が入れ替わります。
人によっては「1日に働けるのは30分」
ということもありますので、
ローテーションが慌ただしいのです。

そこで私たち食べたのが、
その名も「幻聴パフェ」。

べてるの家では初期の段階から、
「幻聴」というものの存在を、
否定するのではなくそれと、
「とことん付き合う」というスタンスを選びました。

これは教科書に書いていることとは逆なんです、
と向谷地さんはおっしゃっていました。

教科書には、当事者が語る幻聴の内容に立ち入ってはならない、
むしろそれは相手にせず薬で症状を抑えるべきだ、と。

しかし、向谷地さんは「幻聴」とつきあい始めました。
たとえば、当事者の方が、「幻聴が夜に来て、
おまえは今すぐ裸で岬まで走れ。そうしないとおまえは死ぬ」
と言ってきたんです、と向谷地さんに電話をしてくる。

向谷地さんは、こういう。
「幻聴さんはどこから入ってきたのですか?」
「いつも換気扇から入ってきます。」と当事者。
「では、今週家の換気扇を空けておきますので、
 今度幻聴さんが来たら、向谷地が、
 家に来て下さいと呼んでいたと伝えてください」
という。
「わかりました。そうします。」と当事者。
「そうしたら、私は、もう○○さんを、
 裸で岬にやるようなことは辞めてください。
 せめて服を着る時間ぐらいはあげてください、
 と交渉しますから。」
という具合です。

これで当事者がだんだん変わっていく。
幻聴を遠ざけようとしていたときは、
症状は悪化する一方だったのが、
「幻聴さん」とつきあい始めた時、
症状が緩和する人が増え始めたのです。

「幻聴さん」はそんな経験から生まれたキャラクターで、
今や「べてるの家」を象徴するアイコンのようになっています。

「幻聴パフェ」には、
「幻聴さん」をかたどったクッキーが、
ソフトクリームの上に添えられている。

そんな風にして雇用を生みだし、
今やべてるの家は、
浦河市内に当事者も合わせると200名ちかくがおり、
パートなども含めれば100名以上の雇用を生み出している。

この雇用の規模というのは、
浦河という小さな町にとっては大きく、
おそらく1位の浦河赤十字病院、
2位の浦河町役場、
3位の浦河警察署に次ぐ、
第4位ぐらいの「働き口」となっています。

浦河町もいまや「べてるの家」の経済効果は無視できず、
町を挙げてべてるの取り組みに協力している。

以前は「町の恥部」であった精神疾患が、
今は「名産品」になっている。

じっさい、「べてる祭り」という、
年に一度の当事者によるお祭りには、
道外のみならず国外からも参加者がおり、
700名が集まります。

「べてるの家」の見学者も、
国内外から後をたたず、
年間3000名の人が訪れると言います。

病気を超克することによって町おこしをしたのではなく、
病気を「売り出す」ことによって町を変革した。
それをいま、世界が学ぼうとしている。
近代が行き詰まる今、
「べてるの家」に何かヒントがあるのではないか、
と、東京大学の先生であったり、
海外の精神科医であったり、
多くの識者が注目している。

「べてるの家」はそういう施設です。



▼▼▼文字数オーバー(笑)▼▼▼

というところで、
今回のメルマガの総文字数制限を、
(いちおう3万字は超えないようにしてます)
軽くオーバーするペースですので、
「本のエスプレッソ」の要素は、
最小限にします。

相変わらず「時間配分」のみならず、
文字数配分が下手です笑。
生放送番組は絶対出来ないタイプ。

しかし、今話してきたことというのは、
本書「べてるの家の『非』援助論」の核のメッセージと、
そうとう重なる部分がありますので、
私の体験談をもって、
「本の要約」に代えさせていただきます(乱暴)。

最後に、
向谷地さんが書いている、
本書のあとがきを引用します。

→P251〜253
〈この本は誰かを助けようという
意図をもってつくられた本ではない。
もちろん誰かを批判したり、
何かを改善しようと計らっているわけでもない。
それぞれがそれぞれの仕方で
自分を語り継ぐという作業をしたにすぎない。

、、、この本に結論も結果もない。
すべては旅の途中なのである。
ただ願うとすれば、
この本に綴られた言葉と出会うことを通じて
津々浦々に多くの語り部が生まれることである。
語ることを通じて、
人と人とが新たなつながりを得ることである。〉


「べてるの家」の人間観が革命的なのは、
「精神疾患の当事者」を「治療すべき対象」と観るのではなく、
「現代という時代の預言者」と観ている、
というところにそのエッセンスがある、というのが、
私の理解です。

以下に私のEvernoteのこの本のページから、
「当事者たちの預言の言葉」を抜粋します。

・分裂病を誇りに思う。
・安心してサボれる会社。
・友人としての「幻聴さん」。
・苦労をとりもどすための商売。
・「病気を勝手に治すな」。
 人につながり、人にもまれ、出会いのなかではじめて、
 その人らしい味のある本当の回復がはじまる。
・当事者・松本寛さんの言葉:
 「つくづく思います。もし自分が分裂病にならなければ、
 いまごろは生きていなかったと。
 精神分裂病は、ぼくの天職です。」
・「弱さを絆に」弱さは触媒であり、希少金属である。
・「弱さはそれ自体ひとつの価値である」:
 弱さとは、強さが弱体化したものではない。
 弱さとは、強さに向かうための一つのプロセスでもない。
 弱さには弱さとしての意味があり価値がある。
・当事者たちのあゆみは「奪われた苦労を取り戻す」歩みそのものであった。

こういった「命がけで紡がれた言葉」は、
それによって多くの病人を構造的に生みだし、
じつは健康な人自身をも潜在的に傷つけてきた
「右肩上がりの物語」を脱構築する力があり、
「降りていく生き方」という新しい物語を紡ぐ当事者の彼らは
「21世紀を預言的に生きている」と言えるのではないか、
と私は思いました。

今回はフルボリュームというか、
ボリュームオーバー(笑)の、
てんこ盛りの内容になりました。
(その割には本自体の紹介にはなっていない 笑)

でも、「べてるの家」に関する、
私の考えを、こうして文章に出来たことは、
私にとって意義深いことでした。
おつきあいいただきました読者の皆様に感謝申し上げます。



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