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【Q】続けることが苦手です

2017.10.26 Thursday

+++vol.011 2017年5月2日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】「続ける」ことが苦手です

ペンネーム:クレイジーでもなくジャーニーでもない(女性)
お住いの地域:香川県

A.

いつもメルマガを楽しみにしています。

私は「続ける」ことが苦手です。
というよりも、ちょっとしんどいけど自分のためになること、
向上するためのことを続けるのが苦手です。

緊急じゃないけど重要なことが苦手なのです。
やった方がいいことはわかっているのですが…。
夕方仕事から帰ってきて夕食を作り、
子ども達をお風呂に入れて寝かせる。
という一連のことが終わって、
寝るまでの残り2時間くらいを有意義なことではなく、
テレビを見たり、何度も読んでる好きな本を読んだり、
ゲームをしたりして過ごします。生産性はないです。

このままではいけない!と思い、
友人にコーチングをお願いして夜にエクササイズを始めました。

これまで3日坊主にもならなかったのが、3日続いています。
なんとか続けたいと思ってます。

考えてみると、
子どもの頃から夏休みの宿題の面倒くさいやつは後回しにして、
ギリギリまでやらなかったタイプです。

続けるために、できない言い訳ばかりするのではなく、
何かモチベーションを上げる方法というのはありますでしょうか。



A.

「クレイジーでもなくジャーニーでもない」さん、
ご質問ありがとうございます。

なかなかジャーニーなペンネームですね(笑)。
勝手に省略して(笑)、
「クレジャーさん」と呼ばせていただきます。

さて、ご質問の件ですが、
私も夏休みの宿題は最後の2日間ぐらいでやっていました(笑)。
いちど「踏み倒した」こともあります(笑)。

夏休みの宿題を「頑としてスルー」していたら、
途中から「これは冬休みまで粘ればイケるのではないか」
と思い始めた。

結果、踏み倒した(笑)。

というのも私は小中学生のころ、
「宿題というのは右手の運動だ」
という持論を持っていまして、
「もはや自明なこと」を、
なんでもう一度繰り返さなければならないんだろう、
といつも思っていました。

私は中学までは授業を一回聞けば、
だいたいのテストで90点〜100点取れました。
(すみません、これは自慢とかそういうんじゃなく、
 もう、そうだったんだから仕方がない。
 「靴のサイズが28センチもあった」みたいな話と、
 あまり変わらない話と思ってくれれば幸いですし、
 私自身も心からそう思っています。)

、、、話を戻しまして、
もうすでに教科書の内容は理解しているのに、
それをなんでまた手を真っ黒にして
「反復」する必要があるのだろうと、
心から宿題を無意味に感じていたわけです。

宿題というのは知的に意味がないのだから、
その本質は右手の運動である。
   ↓
右手の運動だったら、私はキャッチボールや、
プラモデル作りによってすでに終えている。
   ↓
よって私は宿題をやらなくて良い。
   ↓
なんだったら、無意味な宿題を一律に出す、
学校の方こそ、その思考停止を反省すべきである。

、、、というロジックによって、
私は宿題を踏み倒していたわけです。

私が先生ならそんなガキは、
一回暴れ馬にロープでくくって、
運動場を引きずり回してやりたいぐらい、
ムカつく奴だったと、今は思うのです。

クラスで一番宿題やらない奴が、
クラスで一番テストの点が良いんですから。

なんていうか、当時の私は、
「学校」みたいなものを、
なめ腐っていたわけです。

だからやらなかった。

今となっては、
過去の自分のその腐った心根を、
心底反省しており、
謝罪と後悔と慚愧の念に堪えません。

お父さん、お母さん、
学校の先生、文部省(当時)、
日本政府、福沢諭吉、
ベネッセコーポレーションの皆様、
ジャポニカ学習帳を作っていた工場の人、
購買のおばさん、
グラウンドの隅で飼育されていたウサギ、
私に観察されるのを待っていたアサガオ、
その他諸々の、諸先輩方、関係各位に、
痛切なお詫びをいたしたい。

そう思っているわけであります。

、、、そんな私ですから、
クレジャーさんの言わんとすることは、
痛いほどよく分かります。

私は上記のように「なめ腐っていた」だけでなく、
やはり「ものぐさ」で怠け者で、
そして「未来の達成感より、現在の快楽」を求める、
そんなタイプの人間と自認しています。

さらにクレジャーさんのように健康な危機感をもって、
「それを治さなきゃなぁ」という気持ちがあったのは、
もはや過去の話で、最近はわりと、
「明日出来ることは今日しない」
というトルコのことわざがむしろ大好きで、
座右の銘にしようかと思うぐらいの人間だったりします。

ですから、もうなんていうか、
クレジャーさんはどちらかというと、
「ダイエット法」を、
ブラマヨ小杉に聞いているようなところがあるのです笑。

、、、さて、しかし。

しかしです。

この質問は、わりと深いところに根があったりします。

まず、私は上記のようにものぐさですから、
「自分の意志の力」みたいなものを、
本能的に信頼していないわけです。
実はその傾向は、私が高校生のときにすでに現れています。

中学生のときまで先ほど申しましたように、
私はのらりくらりと、「適当に」過ごしていました。
勉強は全然しないけどクラスではテストの点が一番良い。
高校受験は私立の名門などにはチャレンジせず、
地元の公立進学校ですから、勉強せずとも入れる。

だから中学3年生のときは、
勉強できない友達を集めて「陣内塾」を開き、
彼らが志望校に行けるように「テストの点の取り方」を、
指南して感謝されたりしていました。

何やってるんだよ!という話ですが笑。

しかし高校に入りますと、
友人たちはみな高専や工業高校や商業高校に行ってしまい、
あまり友達になる人が周囲にいない。

バスケ部に入りましたが、
運動神経がそこまで良いわけでもないので、
あまりパッとしない。

成績も、高校に入ると授業だけで点を取れる段階は過ぎて、
学年で3分の1に入れるか否か、みたいな感じになってくる。

なんだかつまらないなぁ、
勉強する意味ってなんだろう、
生きてるってなんだろう、、、
みたいな時期がしばらく続き、
私はある日、思いました。

「よし、勉強しようじゃないか!」

9年間以上「スルー」してきた「タメ」というのは、
思いの外大きく、ひとたび勉強をはじめると、
私は「カムバック時のロッキー・バルボア」かのように、
火がついたような猛勉強をはじめました。

しかしその「ロッキーのトレーニング」の前に、
当時高校2年生だった私が、
最初にしたことは何だったか。

それが今日のポイントです。

それは、「勉強同好会」という、
非公式のサークルを作ることでした。

成績はどうでも良いので、
1.そのときクラスで良く休み時間に話していた人
2.良い大学に入りたいという純粋な願いを持つ人

という二つの条件でヒットした二人を、
私は「勉強同好会」に誘いました。
濱田くんと森田くんといいます。
(確かそうでした。)
二人とも学年の順位は当時、
下から3分の1ぐらい。
私は上から3分の1ぐらい。

まぁ、そこまでの大きな差はない。
でも、ポイントはそこではありません。
では何がポイントなのは後から説明します。

「俺はこの夏から勉強をすることに決めたんだ。
 ついては仲間が欲しい。
 非公式の勉強同好会を作って、
 休み時間とかに問題集を解いたり、
 テストの攻略法を教えあったりしようぜ」
と、私は濱田君と森田君を誘いました。
真顔で言うと「引かれる」ので、
やや冗談がかって、
「悪ノリ半分・真面目半分」ぐらいで。

私たちは特別なことをしたわけではありません。
しかし、高校3年生になるころには、
私は学年で5位以内に入るようになり、
森田君濱田君も上位3分の1とかに入るようになりました。

その後私は滑り止めすら受けることなく、
国立大学の獣医学科に現役で合格しました。
あまり知られていないですが、
帯広畜産大学の獣医学科というのは結構「狭き門」で、
偏差値は医学部なみです。
東大京大を除けば、
旧帝国大学の工学部などよりも高いです。
前期も後期も、受験倍率は12倍前後でした。

もしあの「勉強同好会」がなければ、
私はそもそも「国立大学の獣医学科」を志望するような、
射程範囲にいなかった可能性が高い。

牛や馬の生態も、
帯広の空の高さも知らず、
私は今とは全く違う人生を歩んでいたかもしれない。

しかし「勉強同好会」が、
私の成績を押し上げてくれたおかげで、
私は今の私になりました。

、、、さて、ここからがポイントです。

では、「勉強同好会」の、
活動内容とはいかなるものだったのか。
創始者かつ「会長」として、
私は、濱田くんこと濱ちゃんは、そして森田君は、
いったい何をしたのか。

、、、実は、特に何もしていません(笑)。
強いて言えば休み時間に、
「俺たちって勉強同好会だよなー」
「そうだよなー」
と確認し合うことぐらいです。

あと、弁当を食べながら、
「おい会員、最近勉強はどうだ?
 何か良い参考書とかあった?」
ぐらいの会話をするだけです。

しかし、それが致命的に大事なのです。
特に私のような「意志の力」が弱い人間は。

あぁ、だから私は、
あのとき「勉強同好会」を作ったんだ、
と、20年越しに「その理屈を納得」したのは、
じつは最近のことです。

それについて今から説明します。
この一週間、私はわりと、
気がつくとこのことを考えていました。

いろんな情報が散らかっているので、
上手いこと整理できるかどうか分かりませんが、
なるべくわかりやすく説明を試みてみますので、
どうかおつきあいください。

まず、
昨年、一年間で私が読んだ「信仰書」の中で、
非常に印象に残った2冊を紹介します。

(*信仰書、というのは、
 キリスト教徒が自らの信仰生活をおくる上で、
 実用的に役に立つことを学ぶ書物のジャンルです。
 一般書店では買うことが出来ず、
 「神学書」とも違う位置づけの本を総称します。)


、、、まず1冊目が、
ケン・シゲマツという、
日系カナダ人の牧師が書いた、
「賢者の生活リズム」という本です。

▼参考リンク「賢者の生活リズム」ケン・シゲマツ
http://amzn.asia/1XlROsh

この本は義理の兄から教えてもらいました。
著者は、義理の兄がカナダ留学中に
通っていた教会の牧師です。

この本の中でシゲマツ牧師は、
「信仰者の健全な生活の在り方」というものを、
私たちはどのように構築していけるのだろうか、
という問いを措定しています。

そしてこの本の中で彼が提案しているのが、
「トレリス」という概念です。

「trellis」というあまり聞き慣れないこの英単語は、
日本語では、
「つる植物を上にはわせるための四角、
またはダイヤ状の縦の格子(こうし)垣」
というのが辞書的な意味です。

日本ではあまりそれに当てはめる固有名詞がないんです。
普通に「柵」とか、「(例えば)ゴーヤの網」とか、
状況に応じて、言い分けていますが、
決まった言い方はありません。

英語では「蔓状の植物を這わせる垣または柵」に、
名前がついていて「トレリス」と呼びます。

以降、トレリスというそのままの言葉で、
説明していきます。

シゲマツ牧師がトレリスという言葉で表現している、
「格子を形成する棒」は、では何なのか?

格子ですから縦軸と横軸があるわけですね。

▼縦軸
・安息日
・祈り
・みことば

▼横軸
・関係
・回復
・みことばの実践

これがシゲマツ牧師の提案するトレリスで、
絵にすると以下リンクのようになります。

▼参考リンク:「トレリス」の図(英語)
http://www.plymouthchristiancentre.org/filerequest/2506

図のように3本の縦軸の棒と、
3本の横軸の棒を交差させますと、
「交点」は9つできます。

その交点ひとつひとつに一章ずつ割いて、
本書では丁寧に説明されています。
ちなみに9つの交点とは、
横軸の、
「関係」なら「友情」「セックス」「家族」
「回復」なら「身体のメンテ」「遊び」「お金」
「みことばの実践」なら「仕事」「正義」「証」
という風に。
それぞれが縦軸にも対応している。

これを立ち入って説明しますと、
「本のエスプレッソショット」のコーナーが出来ますので、
ここでは割愛しますが、
ポイントは「トレリス」という概念です。

トレリスというのは「構造」です。

つまりシゲマツ牧師が言外に言っているのは、
「意志の力とか根性とか努力とか気合い」ではなく、
「構造」こそが人の生活を変えるのだ、
ということです。

これを覚えておいてください。
「トレリス」(構造)です。


、、、そして2冊目が、
ジェームズ・スミスさんという人が書いた、
「エクササイズ」という本です。

▼参考リンク:「エクササイズ」ジェームズ・ブライアン・スミス
http://amzn.asia/6cXXMTY

この本を翻訳したのは、
FVIの正会員としていつもご尽力いただいていて、
大変お世話になっている、神奈川県にある、
カンバーランド長老教会高座教会の主任牧師、
松元雅弘先生です。

この本から引用します。

→P29 
〈私たちは単に「自分は変わりたい」と
 宣言することによっては決して変わることが出来ません。
 そのためにはまず、私たちが思うこと(私たちの物語)、
 そして何をどのように練習するか(霊的訓練)、
 そして誰とかかわりを持つのか(社会的文脈)
 について吟味しなければならないのです。
 もしこうした事柄を変えるならば
 ーーもちろん、変えることが出来るのですが、
 ーー変化は自然な形で起こってきます。
 そのことこそイエスがいわれた
 「わたしのくびきは負いやすい」(マタイ11:30)
 ということの意味なのです。〉

、、、ここでスミス牧師が
言っているのはこういうことです。

私たちは意志によっては変わることが出来ない。
そうではなくて、
「心の中の物語の語り替え」(心的)、
「具体的で身体的な訓練」(身体的)、
「社会的な文脈の組み替え」(社会的)、
という、「構造の変化」が私たちを変えるのだ、
と言っているのです。

先ほどのシゲマツ牧師のトレリスの話と、
驚くほど似ているのにお気づきでしょうか?

つまり、最近出版された、
この卓越した2冊の「信仰書」は、
共通した「人間観」を持っており、
ある種の前提を共有しているということです。

その前提とは何か?

それは「自由意志の力」というものへの、
深い疑いです。

これは、最新の脳科学の知見によって、
社会全体の「人間観」が変わってきた影響が大きいと、
私は見立てています。

つまり「自由意志神話」が崩壊したわけです。

どういうことか。

西洋社会はデカルトの「近代的自我」以降、
「自由意志神話」というものに、
深く影響を受けてきました。

「他の誰でもないこの私」という確たる「自我」があり、
「他の誰のものでもない自由意志」によって、
私は他の誰でもない私の未来を切り拓いていく。
「意志のあるところに道が出来る。」
すべては「私」次第。
大事なのは強い意志を持つこと。

そういった「神話」が、
西洋の近代社会には共有されていまして、
特にアメリカでその傾向が強く、
日本の福音主義の教会というのはアメリカの風を、
真正面に受けます。

ですから20世紀に出版された、
(特に米国発の)信仰書というのは、
「自由意志神話」を前提とするものが多かった。

「あなたの信じたとおりにあなたになる。」
「ポジティブな告白をすればポジティブなことが起こる」
「主にあって努力をし祈った結果、卓越した成功を手にした」
「教会は爆発的に成長した、、、
 それは一人の男の決断と不屈の精神から始まった、、、」
みたいな「物語」です。

そこには「大木」のように確固たる「意志」
(それを「信仰」という言い換えをすることが多い)
を持つ「信仰者」が、その意志を働かせた結果、
運命や未来を動かしていく、、、みたいな話です。

真理は多義的ですから、
じっさいそういう側面が信仰にはあります。
アブラハムの「行き先を知らず旅する」という決断に、
私たち人類の信仰は負っているわけですし、
おそらくノアの不屈の精神によって、
方舟は作られました。

しかし、「それだけじゃないぞ」ということに、
特に21世紀になって、人々は気づきはじめた。

これは脳科学の発達と大いに関係があります。

人間の意志というのは以前、
「木」のようなものだと思っていたけど、
脳科学の知見によって分かってきたのは、
実は人間は、「ツタ」に近いんだ、というのが、
その要約です。

人間の在り方や成長というのは、
「構造や環境」によって規定される部分が大きく、
「意志の力」というものの占めるウェイトは
思っていたほど大きくはないんだ、ということが、
脳科学研究の結果、分かってきたのです。

その名も「デカルトの誤り」という有名な本があります。
この本を書いたのは神経科学者で、
「意識や理性」の働き、つまりデカルトの
「コギト・エルゴ・スム(我思うゆえに我あり)」の、
「我」というもの、つまり「意識や理性」は、
「脳」に還元出来ないということを発見するのです。

つまり、「脳だけを調べても理性のことは分からない。」
というのが彼の結論です。

▼「デカルトの誤り」 アントニオ・R・ダマシオ
http://amzn.asia/4ccxvNc


引用します。

→P379 
〈人間の心を包括的に理解するには有機体的視点が必要であり、
 また心は非物質的な思考(コギト)から生物組織の領域に
 移動しなければならないだけでなく、
 統合的な純身体と脳を有する有機体全体と関連づけられ、
 さらに物質的、社会的環境と
 完全に双方向的であらねばならない、、。〉

、、、つまり彼が言っているのはこういうことです。

よくSF作品などに、
「脳を培養液に浮かべて、
 そこに電極をつなぎ、
 ロボットの手足と接続させた、
 200年生きている男」
みたいな話が出てきますが、それは、
完全なるフィクションで、
脳科学的には、「あり得ない」ということです。

脳というのは、全身に張り巡らされた
神経全体からの入力があって、
はじめて動くように出来ている。

肝臓癌で生体肝移植をして「臓器の一部」が、
他者のそれと入れ替わった人の性格が、
手術後に微妙に変化することがあるということは
医療現場でずいぶん前から指摘されていまして、
ダマシオの論はそれを裏付ける格好になっています。

さらにそれだけではない。

全身の神経は、筋肉や皮膚や内臓の影響を受ける。
筋肉や皮膚や内臓は、外気温や湿度、
食べたものや飲んだもの、
緯度や経度、海抜や気圧、風景や音、
匂い、周囲の人の気配、動植物の有無、
電磁波、その他諸々と、「有機的につながっている」。

、、、とすると、
私たちの脳は身体の一部であり、
私たちの身体は「環境」の一部である。

だから私たちの脳はなんと、
環境の一部だ、ということになる。
比喩的な意味ではなく、
科学的な意味において。

デカルトの「近代的自我」はフィクションだった、
ということがこの本の結論で、
こう書いてくると、「環境決定論」に近づくのですが、
「環境決定論」「環境還元主義」が、
この本の結論ではありません。

ダマシオは
「だからこそ、理性が大切だ。
意識が感情や環境に強く影響を受けるということを自覚し、
それらを意図的に制御する理性を、
『それだからこそ』ちゃんと働かせる必要があるのだ」
というところに落とします。

また、それとは別に、
違う脳科学者らの最近の実験で、
最近分かってきた面白いことはさらに衝撃です。
これは西洋の「自由意志神話」に
致死的なダメージを与えるのに十分な、
画期的な発見です。

脳のニューロンの動きがコンマ1秒単位で
調べられるようになってきて、
新たに分かってきたことです。

今Aさんの目の前には、コーヒーとペンがある。
Aさんはペンではなくコーヒーを右手に取る。
Aさんは脳内で「コーヒーを取るぞ」と意識します。
なんとそれより0.5秒前に、脳内のニューロンはすでに、
コーヒーを取る動きを開始しているのです。

すごくないですか?

つまりAさんが「選択した」という「意識」は幻想であり、
ニューロンの決定を「追認」しているだけなのです。
ダマシオの言うようにニューロンは環境要因によって、
「理屈抜きに」意識に先駆けてすでにコーヒーを
選択しているわけです。

「喉が渇いているからコーヒーを選んだんだ」というのは、
「意識による後付けの理屈に過ぎない」というのです。

これは驚愕の事実です。

、、、こういった科学的知見を踏まえて、
近年ますます「意志の力」への信仰が薄れている。

それによってスポーツも勉強も「信仰書」も、変わってきた。
その現れが先ほどの「トレリス」なのです。

スポーツならば個人的なコーチをつける。
つまり、そう、ライザップですね。

タイガーウッズも個人的なコーチを雇用しますし、
NBAのレブロン・ジェームズにも、
彼をコーチする「チーム」があります。
これも「トレリス」です。

勉強ならば「周囲の環境が成績を決める」
とますます人々は思うようになってきている。

よく言われることですが、
地方の公立進学校でぶっちぎりの1位をキープした人より、
灘高校(東大進学率日本一の学校)の、
後ろから10番の人のほうが簡単に東大に入ります。

なぜか。

灘校という「トレリス」が優れているからです。
クラスで出回っている問題集が優れているし、
休み時間にかわされる「勉強法」の会話のレベルが高い。
公立高校の1位は孤高の大木のように生きなければなりませんが、
灘校の下位グループは、トレリスにもたれかかるだけで、
東大に入れる。

信仰書で言えば先ほど紹介した
「賢者の生活リズム」「エクササイズ」などは、
「自由意志神話の崩壊」のひとつの現れです。

人々は、「鉄の意志」というような話って、
どうやら半分はウソだったらしいぜ、
という空気を敏感に察知していますから、
20世紀に流行った「信仰の力(その内実は意志のちから)で、
あなたは何でもできるのだぁぁっ!!」というような、
マッチョな信仰書は減ってきているし、
そもそも売れなくなってきている。

、、、というわけで、
過去最長にひとつの質問に答えていまして、
もはや質問者様を置き去りにしていないか、
非常に心配なのですが(笑)、
このへんで結論を急ぎます。

めちゃくちゃ迂回ルートで伏線を回収しますと、
そう、私の「勉強同好会」は、
「お手製のトレリス」だったのです。

私の家は平均的なサラリーマン家庭でしたので、
私立の高校にも行かないし高価な学習塾にも行けない。
でも私は自分の自由意志の力を根本的に疑っていますから、
「構造」が必要だと、当時(無意識に)考えたのです。
それで「勉強同好会」を作った。

こういうことを私はけっこう今までもしてきましたし、
今現在も続けています。

まず、このメルマガがトレリスです。
100人の人が楽しみに(であってほしいなぁ)、
毎週メールを待ってくれている。

だからものぐさな私は、
毎週3万字の文章が書けるのです。

そうでなければ、毎週3万字は、
自信をもって言いますが、絶対に書きません。
1ヶ月に3万字も無理だと思います。

そして続かない。

また私は年間300冊ほどの本を読みますが、
これは私の友人に私以上に読む人がいまして、
その人が私の「トレリス」になってくれているから、
読めるのです。

私が「この本は相当に難解だぞ」という古典に挑戦する。
彼に「あの本ってあれだよね」と水を向ける。
彼の返しは「うん、確かにそうだけど、その著者が、
若い頃に書いたものを読むと、別の意味があるんだよね」
みたいなものだったとする。

そうすると、「俺まだまだ読めてねぇ!!」と思う。
この瞬間は、私の人生で最高の快感のひとつです。
伸びるべき「トレリス」がまだまだ残っているのを、
知ることが出来るからです。

余談ですが、大学院とか博士課程に進むことの、
理由の大きな部分は、授業にあるのでなく、
「トレリスに所属する」ことにあります。
ゼミの先生や学生が、さまざまな背景を持ちながら、
「知の高み」を目指している姿が、
自分を育てるトレリスになるのです。

私はブログを毎日更新していまして、
この1年半ぐらい、そこには「デボーション」という、
毎日聖書を読んで何を学んだかの記録が更新されます。

これは読み物としてはまったく面白くなく(笑)、
ブログのファンだった私の妻ですら、
読むのをやめてしまいました。

正直、いったい誰が読んでいるのか疑問です。
しかし、これはやる意味があるのです。
なぜならこれが、私の霊的生活のトレリスだからです。

ブログにデボーションをアップするようになって、
私のデボーション履行率は、50〜70%だったのが、
90〜100%にまで上がりました。

まさにライザップです。

他にも沢山のトレリスに囲まれて、
私たちは生きています。

教会の小グループはまさにトレリスそのものですし、
会社もトレリスです。
会社という「構造」があるから、
人は毎日安定して仕事が出来ます。

フリーランスになるとそれを痛感します。
トレリスを会社に外注していたのが、
自前で作らなければならなくなるというのは、
非常に大きな変化です。

「フリーランスの人が集まるシェアオフィス」が、
都内に沢山ありますが、あれは考えてみると不思議です。
折角フリーランスになったのになんでまた、
会社みたいな環境に戻るのだろう、と。
スタバでいいじゃないか、と。

ダメなのです。

人は「構造」がないと仕事が出来ない、
ということに、ノマドワーカーはあるとき気付く。
だからシェアオフィスなのです。

考えてみると、私たちの周囲は、
トレリスだらけです。

人間は「木」ではなく「ツタ」に近い。

それが分かってくると、
問題は「意志の弱さ」ではない、
ということに気がついたりします。

イチロー選手のような「鉄の意志」を称揚する文化というのが、
それでも日本社会には根強く残っていますから、
「意志に還元する傾向」はこれからもある程度続くでしょう。
しかし、人間は環境の一部です。

ダマシオが言うように、
「環境に還元するのも不正解」ですが、
「意志に還元するのも不正解」です。

そういう視点で聖書を読みますと、
イエスは「個人の意志」も重視しつつ、
あらゆる側面で「トレリス」を大切にしています。

弟子が12人いたのもそうですし、
2人ずつ派遣したのもそうです。
「教会」がそもそもそうですし、
神ですら「三位一体」なわけです。

「神の前にたったひとり立つ個人」という神話が、
いかに偏ったものの見方かが分かってきます。

、、、そういうあなたにも、
DNAを分けてくれた親がいるでしょう、と。
そのDNAは何億人という人々とつながっています。
私たちは大きな大きな有機体の一部なのです。


、、、クレジャーさんは、
すでに正しい方向に歩み始めているように、
私には見受けられます。

というのは、質問文中にありますように、
クレジャーさんが「友人にコーチングをお願いした」
と書かれていまして、それはトレリスに他ならないからです。

トレリスになってくれるよう頼めたり、
別に頼まなくても自分から勝手に「私淑トレリス」したり、
出来る友人や同僚や上司や家族がいる人というのは、
非常に幸せな人です。

人間が「ツタ」だと考えますと、
幸せな人生を過ごすのに必要なのは、
1億円の貯金ではなくこういった有機的なトレリスです。

トレリスは流動的なものですから、
上手く行かなかったら解消して、
また次のトレリスを見つけたら良いのです。

「ツタ」もめちゃくちゃ時間が経つと、
ぶどうや藤のように根元は「木」に近づきます。
その「木」は今度は誰か他の人のトレリスになります。

そうやって有機的に支え合って、成長し合う、
これはイエスが教会を「創造」したときの意図に近いと、
私は考えています。

それから、一日の終わりに、
好きな本を読んだりテレビをみたりゲームをしたりして、
何ら生産的なことが出来ていない、
とクレジャーさんは書かれていますが、
それはまったく気に病むようなことではないかと、
私には思われます。

人間には「生産性」という言葉など、
足蹴りにしてゴミ箱に放り込み、
徹底的に自堕落に好きなことをする、
という時間が必要です。

「エクササイズ」という信仰書の、
第一章の「霊的訓練」は、「十分な睡眠を取ること」ですし、
「賢者の生活リズム」のトレリスの交点のひとつは、
「遊び」です。

引用します。

→P179 
〈解放の神学の父グスタヴォ・グティエレスは、
健全な霊性は次の三つのことを通して
養うことが出来ると指摘しています。
それは、祈り、正義の活動、そして娯楽
(友情、おいしい食事やワイン、遊びなど)です。
私たちに回復力を与える生活のルールを作るためには、
遊びやレジャーの時間を加えるべきです。〉

、、、シゲマツ牧師はその遊びに
「生産性があってはならない」
「仕事に活かせるメリットがあってはならない」
「競技性があってはならない」
というような制約を設け、
「遊びに生産性という色気を出すな!」
「遊びを汚すな!!」
と警告しています(笑)。

時代は変わったのです。

トレリスや環境の変化の結果、
寝る前の2時間、本当は自堕落に過ごさねばならないのに、
どうしても●●(エクササイズや勉強など)をしちゃう。
それほどにエクササイズや勉強が楽しくなったら、
それは仕方ないので時々なら自堕落をサボって良し、
ぐらいで良いのではないでしょうか笑。

ご参考までに。



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