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私の半生記 〜久米川さんとの9年間〜

2017.11.16 Thursday

+++vol.014 2017年5月23日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週の「ブログでは言えないこと」【拡大版】
愛知県にて回想する私の半生記 〜久米川さんとの9年間〜
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼ICBCという教会▼▼▼

メルマガ読者のみなさま、こんにちは。
先週からお伝えしていましたとおり、
私は現在愛知県に来ています。

蒲郡にあるこちらの教会で宿泊しています。

▼国際クリスチャンバプテスト教会
http://www.icbc.net/

こちらの教会は、
私が24歳で豊橋市に就職してから、
30歳で退職してNGOの仕事を始めるまで、
6年間、毎週2、3回は通っていた場所であり、
いわば私の「サードプレイス」でした。

職場、自宅の往復以外だと、
だいたい教会にいるか、
教会の友だちとファミレスにいるか、
教会の小グループのあつまりで、
誰かの家に数人〜十数人で集まっていた。

私は当時「聞き屋ボランティア」という、
街角で人の話を聞くボランティアもしていましたから、
週に2回は教会の仲間と豊橋駅で夜遅くまで、
人々の話を聞く、ということもしており、
そういった活動のミーティングもありました。

また、私は教会学校のスタッフもしていましたから、
子どもに教えるメッセージの準備だったり、
「のりのりマン」というヒーローに扮して、
猿の着ぐるみを着た相方とやる、
「ショートコント」の練習もした。

当時の私のスケジュールは、
3ヶ月先まで常に土日は埋まっており、
ウィークデーの5日間のうち夜の3日〜5日は、
何かのミーティングとかで埋まっていた。

7時45分に職場で白衣に着替え、
17時に私服に着替える続く、
肉体労働を含む仕事もしていますから、
相当に忙しかったと思うのですが、
「忙しい」と感じなかった。

本を読むのは当時から好きでしたから、
休日の半日が空いたりすると、
漫画喫茶に本とノートを持参して、
6時間とかむさぼるように本を読んだ。

睡眠時間は当時から長い方でしたから、
毎日7時間ぐらいは寝ていたと思います。
(今は病気のこともあり、
 必ず8時間以上寝ることを、
 自分への義務として貸しています。
 「十分な睡眠は神への礼拝」ですから。)

でも聞き屋ボランティアやミーティングなどで、
明け方の3時とか4時まで教会などにいて、
2時間ほど寝てからそのまま仕事に行って、、、
というときもありました。

ときどき「身体がきついな」とは感じましたし、
「毎日けっこう大変だな」と思ったこともありましたが、
今振り返ると、「楽しかった」という思い出でしかない。
夢中で仕事をし、夢中で教会の活動をしていました。

仕事も教会の活動も、
どちらも同じく神に対する礼拝ですから、
両方とも「これは祈りだ」と思って、
主に捧げていました。

それが私の青春でした。

ここICBCは、そんなわけで、
私の「青春」が詰まっている場所でもある。

社会人として最初の6年間を過ごしたこの教会には、
言葉では言い尽くせない大きな思い入れがあります。



▼▼▼私の9年間と、ICBC▼▼▼

いまはゲストルームに泊まらせていただいていますが、
ここを含め、一階、二階、三階、すべての部屋、
すべての廊下、すべての踊り場、すべてのトイレ、
キッチン、駐車場、小さな庭、いちばん近いコンビニ、
そういった場所に「思い出の残り香」がある。

「あーそうそう、
 この部屋で○○くんと、
 夜中まで話したなぁ」とか、

「このカフェテリアで、
 ユース(十代)の子たちと卓球してるとき、
 あんな『奇跡の事件』が起こったなぁ」とか、

「友だちの●●くんの結婚式のときは、
 駐車場のこの位置に車を留めて、
 駐車場係をしたなぁ」とか。

今日は少々、私の思い出話におつきあいいただきます。

「興味ねぇよ!」という方は、
どうぞ読み飛ばしてください笑。

、、、2008年にICBCと豊橋市を離れて最初の一年は、
私は「インターン」のようにして、
インドとエチオピアに行きました。

当時の国際援助団体の事務所は東京にありましたから、
生まれて初めて東京にひとり暮らしをし、
海外→東京→海外→東京→全国の教会など→東京→、、、、
みたいな生活が、6年ほど続きました。

2013年の冬に「燃え尽き症候群」に伴ううつ状態になり、
2年間、完全に活動を休止して療養しました。

復帰後の1年間(2016年)は、
半分休養、半分活動みたいな感じで、
おっかなびっくり、活動をはじめました。

今は、完全には体力は戻ってきていませんが、
驚くほどいろんなことができるようになりました。
そうして考えてみると私が愛知県を離れてから、
もはや9年もの歳月が経つのです。

改めて思い出してびっくりしています。
「もう9年が経ったのか」と。

、、、その9年間にも断続的にICBCを訪れており、
今回の訪問もそのような訪問のひとつです。

帰ってくるたびに感じるのですが、
やはり私の信仰だとか人格形成だとか、
あと現在も続いている「友情という人間関係資本」だとか、
そういったものの核となるような大切な「何か」は、
ここで培われたんだよなぁ、ということです。

先ほど2008年以降、
つまり30歳で「第二の人生」を歩み始めることを決めてから、
9年間の激動の人生を歩んできた、という話をしました。

私の「キャリアパス」は、
ほとんど誰も通らないような「パス(小道)」なため、
「何その道?、、、道なのそれ?」という感じで(笑)、
私のことをあんまり知らない人からは、
あんまり「カタギの人間」だと思ってもらえません。

いぶかしげに見られることもしばしばです。

でも自分では神の召しに応答して、
その時、その時を歩んできた、という自覚があり、
そして私の「召しに応答する人生の歩み」は、
現在では「第三の人生」みたいな段階に、
突入していると思っている。

ですから当然、9年間でいろんなことが変化しました。

住む場所もえげつないほど変わりましたし、
「一月に自分のベッドで寝るのは3日間ぐらい」、
みたいな日々も過ごしました。

朝起きて、「ここがどこか」を考えるのに、
数十秒を要するという笑。

思ってもみなかったような病気にもなりましたし、
そして、結婚もしました。

「転がる石にコケは付かない」ということわざがあり、
ボブ・ディランは「Like a Rolling Stone」という歌で、
それを歌っています。

私の9年間は振り返るとまさに、
「転がる石(療養した2年間も含む)」
そのものでした。

その9年間、それでも、
私は年に何回かは愛知県に来ました。

そのたびに、
パソコンでいうと、「ホームポジション」に、
指が載ったときのような、
あるいはテニスや卓球やバドミントンなどで、
相手の球を拾いに拾って振り回されたあと、
本来の自分の立ち位置に戻り、
中腰の構えで球を待つときのような、
「心の正位置」にもどされるのです。

「あぁ、そうだそうだ、
 おれの大切な部分は、
 ここで形成されたんだった。」と。

人は「振れ幅」が大きくなればなるほど、
「しっかりしたぶれない軸」が必要になります。
「軸のない転がり」は、本当の根無し草であり、
それはどこへも行き着きません。

私が「転がり続けられた」のは、
やはりこの教会があったからだなぁ、
と、毎回確認するのです。

ICBCの人たちや、今回も訪問する、
豊川の教会の人たちが、
祈ってくれている、信じてくれている、
と思うと、「そうだ、がんばろう」と思うのです。

先月ぐらいから言い続けている、
「トレリス」ともニュアンスが似ていますが、
私が私であることの理由は、
愛知県蒲郡市という、
この小さな町の、山の上にある、
みかん畑に囲まれた、
「普通でないハートをもった普通の人々」による、
素晴らしい教会に負っているのだなぁ、
と感じています。



▼▼▼セルフサポートという活動形態▼▼▼

教会には来ていませんが、
じつは、病気の期間も年に一度、
愛知県に来ていました。

途中、新幹線から降りて、
駅のトイレの前で、
座り込んで呼吸を落ち着けたりしながら、
病気の症状が一番苛烈だったときも、
妻に付き添われ私は蒲郡に来ました。

その目的は、
「陣内俊を支える会」の代表をしてくださっている、
久米川さんと会うためでした。

2008年に国際援助団体に入って、
2010年にその団体の事務所の組織改編で、
いってみれば「消滅」し、
私は志を同じくする3名で、
「声なき者の友の輪」(FVI)という、
団体の設立に関わりました。

その間、私は一貫して自分の「給料」というのは、
団体や組織には負っていません。

自らの活動に賛同し、
祈って経済的にも支援してくださる支援者の皆様の、
支援金でサポートしていただき、生活してきました。

これを宣教師なんかの世界では、
「セルフサポート」といます。
「サポートレイズをする」とも言われます。
自分でサポート(支援)をレイズ(起こす)して、
活動をする形態のことを言います。

日本にはいろんなキリスト教の宣教団体がありますが、
私の知る範囲で言いますと、
CCC(キャンパスクルセードフォークライスト)だとか、
YWAM(ユース・ウィズ・ア・ミッション)だとか、
そういった団体も、スタッフや宣教師の方々は、
セルフサポートで活動しています。

英語では、
「フェイス・ミッション(信仰による宣教活動)」
とか言われていまして、
アメリカなどはそういう活動形態は、
そこまで珍しいことでもないし、
むしろ誇らしげに語られる節すら有る。

「人間的な方策にではなく、
 ただ備えてくださる神のみに寄り頼んで活動する、
 なんという信仰の勇者なのだ」というわけです。

、、、しかし9年間実体験してきた私が思うに、
日本ではすこし事情が違う。

まず前提として日本にはそういった、
「サポートレイズをする宣教師」みたいなのが、
ステレオタイプになっておらず、
まったく一般的ではないので、
わりと「きょとん」とされます。

それから日本には「寄付文化」が根付いておらず、
何かの活動に「年に一度でも寄付する」という人の母数は、
全人口のおそらく3%を割ります。

これは統計的にも実証されており、
日本人が年間に平均寄付する金額は2,500円、
アメリカ人が年間に寄付する平均は135,000円、
日本はアメリカの100分の1です。
日本人は「世界一寄付しない民族」なのです。

しかしキリスト教徒に限定すると、
その数は私の体感としては、
「日常的に寄付をする人」が、
80%を上回ります。

、、、ということは日本で、
「他者に寄付をする習慣がある人」の、
3人にひとりはキリスト教徒だ、
という計算になりますが、
それは私の実感とそれほど離れてはいません。

日本はキリスト教徒の相対数のわりに、
その影響力は釣り合わないほど大きい、
と言われています。
(医療、教育、福祉、言論の世界で特に)

私はその理由のひとつは、
こういうところにあるのだろうと見立てています。

、、、話を戻しますと、
日本には寄付文化もなければ、
「セルフサポートで活動するキリスト教関係の人」も、
あまり多くはありませんので、
アメリカのように「誇らしげ」という態度では、
まったく通用しません。

それとはむしろ真逆です。

日本の「フェイス・ミッション」は、
どちかというと、何となーく、
後ろめたいというか、恥ずかしいというか、
心苦しいというか、肩身が狭いというか、
いつも、
「なんかごめんなさい、
 戸惑わせてしまって」
と言いながら生きているような感じです。

「あなたは社会人なの?
 牧師なの?
 宣教師なの?
 NGOのスタッフなの?

 、、、なんなの?」

「すみません。
 サポートレイズといって、
 こういう活動形態がありまして、
 自分の活動資金は賛同者による、
 支援金でまかなっていまして、、、
 ごにょごにょ、、、」

「は?
 だから何なの?
 人から金をかすめ取っているということ?」

「いや、支援者の皆様は、
 自発的に応援してくださっていて、、、」

というやりとりのあと、

「そうですねぇ。
 まぁ昔の日本で言うなら、
 お坊さんの托鉢みたいなものでしょうか。
 いわば『乞食坊主』です」
というと、やっと納得してもらえたりします。

そしてその人は、もう私に興味がなくなる(笑)。
その後二度と話しかけては来ません(笑)。

こういうのは、けっこうな回数経験しています。

これはあくまで私の個人的な実感であり、
同じような活動形態をしながら、
「まったくそうでない」という人もいるとは思いますが。

、、、

さらに、日本にはやはり、
それが公務員だろうが自営業だろうが、
会社員だろうが公益法人だろうが、
教師だろうが牧師だろうが医師だろうが、
お笑い芸人だろうがデスメタルミュージシャンだろうが、
「その仕事で誰かやどこかからおカネをもらっている」
ということをもって「一人前」と見なす傾向があります。

何らかのサービスを提供し、
その対価としておカネをもらう。

当然のことです。

それはまっとうな生き方です。

しかしその公式を裏返すと、
私の生き方は「まっとうでない」
ということになる。

私の場合「出資者と受益者」が一致していないため、
私の働きへのサポートは、
「サービスの対価」としてではない。

よって「まっとうではない」と認定される。

そしてそう強く信じる人に、
雄弁に反論するほどの胆力も気力も、
私にはありませんし、
そして反論が徒労に終わらない、
という確信も持てません。

なので、私は多くの場合、
押し黙ってしまう。

そして、
「分かる人は分かってくれているから大丈夫」
と心のなかで思う。

「妻は分かってくれているから大丈夫」と。

「私は神にあって確信がある。」と。

それがすべてじゃないか、と。

逆にお堅い仕事をして、
しっかりと給料をもらっていて、
しかしそこに神にあって確信がなく、
いつも愚痴を言いながら仕事しているのなら、
聖書によればそれは「罪」ということになる。

「信仰によらないことは全部罪」と、
聖書には書いてあるから。



▼▼▼奇跡の人▼▼▼

、、、誰に何と言われようと、
9年間セルフサポートを続けていた、
ということの背景には、
私の神に対する確信があります。

逆に、そうじゃなきゃやってられません。

振り返ってみると、
9年間セルフサポートで活動を続けてこられた、
ということが「奇跡」に他ならず、
私は自分の人生という奇跡をいつも目撃している。

「フェイス・ミッションです!(どうだ、すごいだろう)」
と言っているアメリカ人をはじめ、
海外の人々に、同業者としてけっこう会いますが、
日本という「どアウェイ」の中、
9年間活動してきた私以上の
「フェイス」ミッションはないという自負も、
心のどこかにはある。

あなたたちが考えているより、
日本でこれを続けるのはかなり難しいんだぜ、
分かっては貰えないだろうけど、、、と。

日本でこういった働きを続けるというのは、
南国ではなく、
シベリアでかき氷屋を成功させた、
みたいなものなので、
誇りをもって良い(笑)と。

市場の小ささをなめるなよ、と笑。

何を誇っているのか、
もうまったくわかりませんが笑。

そんなわけで「神の奇跡」を呼び物にするような、
キリスト教の「集会」には私はあまり心惹かれません。
、、、だって、私自身が生きる奇跡なのだから。

、、、で、この「奇跡」が続いている限り、
神がこういう形態で活動することへの、
私へのアファメーション(認証)を与えてくださっている、
ということのサインだと考えています。

もし、今後、支援が続かない、
ということが起きたらどうする?

そのときのことは考えてあります。

当然じゃないですか。

そりゃあ考えますよ。

毎月そんなのの連続ですから(笑)。

今月はさすがにヤバいんではないか、と。

、、、そのときは、
「こういう形態」で働くというのは、
ここまでだよ、という神からのサインと、
私は受け取ることに決めています。

だから、何か仕事を探します。

私の召命は活動「形態」にはありません。
活動「内容」にあります。

新しい仕事を探して、
自分の生活費を稼ぎながら、
活動「内容」である、
メルマガの発信であったり、
海外のNGOへの献金や祈りであったり、
何らかのボランティア活動への参加だったり、
教会での証やメッセージだったり、
そんなことをします。
(投資できる時間とエネルギーはたぶん、
 今の10分の1以下になりますので、
 海外には10年に1度しか行けず、
 メッセージは年に一回、
 メルマガも3ヶ月に一回配信、
 とかになるかもですが笑)

その「新しい仕事」では、
たぶん、自由に公に情報を発信できないような、
「大きな組織への所属」はできないでしょう。

公務員や大企業の社員になったら、
本名でブログすらできないでしょうから。

、、、生活費の安い地方に引っ越し、
そして清掃員みたいなことをしながら、
細々と生活をし、そしてメルマガを書き続けます。

メッセージも発信し続けます。

それが私の「使命」だと思っていますから。

サポートレイズをしたことのある人は
同意してくれると思いますが(あんまりいないか)、
「サービス」の対価としておカネを得るよりも、
サポートレイズによって活動を続けるほうが、
実は「キツい」です。

逆だと思っている人が多いですが。

やってみると分かります。

作業という意味だけでなく、
情動、体力、気力、勉強量、アウトプット量、、
さまざまな意味での「労働の熱量」が、
同じ10万円に対する量としては、
「通常の労働」の1.5〜2.0倍という感じです。

だから私は手取りの給料は前職の半分ぐらいですが、
前職のときよりもこの9年間「労働の熱量」は高い。
、、、なんせ、「燃え尽き」たぐらいですから笑。

若い人にサポートレイズは、
正直、まったく勧めません。

大変すぎるから。

もしそうしなくてもやれる内容なら、
他の道を探した方が絶対に良い。

万策を考えた後で、
「それでもこの活動形態でないとできない」
という段階になったら、初めて可能性を検討すると良い。

生死の境を彷徨った私はそうアドバイスします。



▼▼▼クラウドファンティングとしての人生▼▼▼

ではどういう場合に、
「サポートレイズ的なるもの」によってしか、
実現できない使命があるのか?

私が考える「そういった使命」とは、
こういうことになります。

、、、、世の中には、数は少ないけれど、
「いまだサービスとなっていないもの」があり、
そういうものへの先行投資としての、
いわば「クラウドファンディング」のような形でしか、
結晶化しない「価値」というのがある。

「市場」や、「既存の法体系」という土地には、
咲かない花があるのです。

そういった既存の枠組みによっては咲かない、
「未来の花」を咲かせるための投資は、
「サポートレイズ」によってしか実現できない。

価値が換金されるまでに「数十年」なら、
株式会社としてファンディングしてもらえば良いのです。

しかしマネタイズされるのは100年以上先、
といような「先行投資」となると、
「(当事者が生きている間に)見返りのない投資」
ということになるので、
それは「寄付」という形態を取る。

150年前に日本にはじめて来たプロテスタントの宣教師は、
フルベッキ、そしてヘボンと言います。

彼らは赤痢や腸チフスによって死ぬリスク、
侍に斬首されるリスク(じっさいにそういう事件があった)、
そういったあらゆるリスクと「人生をかけたコスト」を背負って、
日本に来た。

それを本国でサポートした大勢の人がいた。
今の現金価値ならば、何十億というおカネが使われていた。
彼らは「最高の教育を受けたエリート」でしたから。

実は、彼らの日本人への宣教の
「目に見える実」は多くはないのです。
はじめての受洗者が出たのは、
日本に着いてから6年後でした。

生涯でも数十人です。

しかし、100年先に時代を早送りすれば、
彼らの築いた「大学」が東京の一等地に立っており、
彼らの思想は日本社会を非常に富ませています。
数十億の投資は、数千億や数兆という、
マネタイズ不能なほどの価値を日本に与えている。

そういった投資は、
株式会社によってはできません。

こういう「高山植物」を咲かせるためになら、
「ファインドレイジング」をする価値があると、
私は考えます。

こういうのが
「そういった形態によってしか実現できない使命」です。

それ以外は、たぶん別の道を探した方が、
本人のためにも、社会のためにも良い。

、、、話を戻します。

高山植物のように珍しい花というのは、
その性質上、そこに価値を見いだし、
「先行投資」してくれる人の数は多くはない。

しかし私の場合それでも、
「陣内俊がこの時代に生きていて、
 そしてフルタイムで今みたいな活動をすることによって、
 生み出される『価値』に投資したい」
と考えてくださる方が一定数いる。

それはFVIというNGO団体も同じですが。

そういう「先行投資」の結実が
このメルマガだったりします。

全国にいる一部の方々の
「クラウドファンディングによる投資」のおかげで、
読者のみなさまは無料でこのメルマガが読めている。

だからメルマガ読者のみなさまが、
もし一瞬でも「このメルマガがあってくれて良かったなぁ」
と思ったとしたら、どうか著者の私ではなく、
「陣内俊を支える会」やFVIを通して、
私の活動に支援をしてくださっている方々に、
感謝してください。

このメルマガは「Wikipedia」みたいなもので、
この「情報という恩恵」は、
名前も知らない全世界に散らばる篤志家によって、
実現し、享受しているのです。

そんな、
「人生というクラウドファンディング」
をしている私ですが、
その「大もと」を辿ると、
2007年にさかのぼり、
そしてICBCの久米川さんに行き着くのです。

このメルマガに限らず、
私の活動の少なくとも40%ぐらいは、
常に久米川さんに負っています。

、、、やっと帰ってきた。

、、、我ながら、
えげつないぐらい脱線しました。
東海道線が石川県まで行った、
みたいな脱線の仕方でした笑。

ここからは「本線」に戻ります。



▼▼▼久米川さんという恩人▼▼▼

、、、2007年の秋に私は、
「来年の春からこの国際援助団体を通して宣教活動をする」
と決意をし、大阪に面接に行きました。

そこで、「給料は出ないよ」と言われた。
「自分でサポートを募って、
 それで毎月これぐらい集めてもらって、
 それで生活してもらいます。」と。

そのときは良く事情が飲み込めておらず、
「はい、わかりました」とだけ言いました。

「オッケー、そういうことね。」と。

私はそれまでに3年以上悩み考え、祈り、
たくさんの人々に相談しつくしていました。
ひとり暮らしの家を引き払い、
不安定になるだろう向こう数年間のために、
貯金もしました。

自分が使命と考えるものに向かって、
自分が一歩前に「踏み出すかどうか」では、
もはや迷っていなかったので、
「よし、やろうじゃないか」とだけ思いました。

、、、翌日、私は原因不明の高熱を出しました。

風邪でもないのに39度の熱が出た。
まる2日間。

たぶん論理を超越して、
身体が反応したのだと思います。

それがどれほど大変だろうことか、
ということに対して。

、、、その秋から私は、
自分の教会であったり、
自分の友人の教会であったり、
友人の友人の教会であったり、
そういったところに週末に出向いていき、
そして「私には海外の援助団体を通して、
こういった活動をしたいという夢があります。
もし『これは私の使命の一部でもある』と感じ、
夢を共有してくださる方がいたら、祈ってください。
そして毎月少額でも良いので、
支援を検討していただけたら幸いです。」
と言って回りました。

これを宣教師の業界用語で、
「デピュテーション」と呼ぶことは、
ずいぶんと後になってから知りました。

、、、で、4ヶ月間で70名の方が、
「よし、応援しようじゃないか」と、
手を上げてくださいました。

、、、それは良いのだけど、
4月から集まるその支援金を、
どうするの?という問題が残っている。

まさか私の個人口座に振り込んでもらうわけにはいかない。
「公共性のあるお金」だから、「使う人」と、
「管理する人」が別々でなければ信頼してもらえない。

でも、そんな銀行口座を作ろうにも、
「団体の規約をもつ公人格」でなければ作れない。
私がその代表をするわけにもいかないし、
そもそも来年は殆ど海外にいるはずだから、
管理などできるはずもない。

、、、ということで、
支援会「陣内俊を支える会」というものを、
担ってくださる方を探さねばなりませんでした。

ICBCのメンバーのなかで、
誰にそれをお願いできるだろう?
と少し考えて、直観的に、
「久米川さんしかいない」と思いました。

久米川さん(通称くめさん)は、
「誠実と信頼が服を着て歩いている」
というような方で、人を安心させる語り口、
ぼくとつだけれど力のある言葉、
そして何よりも「神が何とかしてくださる」という信仰。

、、、この人以外いない、と思い、
ある日の仕事後の夜に、
国道沿いにあるレストランにお呼び立てし、
そして私のこの数年考えてきたことや、
新しい団体のこと、そしてその団体の活動形態は、
海外スタッフはセルフサポート形式であることを話しました。

そしてそのためには「支援会」を立ち上げねばならないこと、
それをお任せできる方として、
久米川さん以外考えられないと思っていることを、
私は語りました。

結果的に引き受けてくださったので、
今の私があるわけですが、
じつはこの話にはもう「ひとひねり」あります。

久米川さんと愛知県の国道沿いのレストランで、
味噌カツ定食を食べながら話し合った10年前のあの夜、
じつはメールのやりとりのなかで久米川さんは
「わしも俊君に話したいことがあったから丁度良い」
とおっしゃっていました。

「何のことだろう?」
と思いながらファミレスで、
久米川さんからの話をまず聞こうと思い、
「くめさんが言われていたあれは何でしょう?」
と聞きました。

すると、くめさんが語ったのは、
「ICBCの未来」のことでした。

ICBCという教会はかなり山あり谷ありの教会でして、
2002年以降に私が通うようになった以前の姿については、
ここでは割愛します。

しかし私がいた6年間にもいろんなことがありました。
ICBCの場合特に「若い人々が集う活気ある教会」を、
目指していましたし、そのような教会として知られてもいました。

しかし2007年当時、
教会にはいろんなことがあり、
少し活気がなくなって来ていた。
若い人の人数も勢いも、低下していた。

少なくともくめさんはそう見ていたし、
私もそれには同意する。

「、、、そこでだ、俊君。
 俊君に頼みというのは、
 今後10年ぐらいの教会の未来のことを考えたとき、
 やはり若い子達が楽しく活気をもって、
 活動しているというのがとても大切だとわしは思う。
 そういうことを考えていたとき、
 俊君のことを思い出した。
 やっぱり俊君みたいな人が、
 10代や20代の子達を引っ張っていって、
 そしてもう一度盛り上げてくれることが、
 教会の未来のために必要なことだと思っとる。
 俊君は聞き屋ボランティアとかで凄くがんばっていたし、
 今は仕事も忙しいとは思うが、
 もういちど立ち上がってくれないか?」

というのが、くめさんの、
「話したいと思っていた」ことでした。
このときの会話は、今でもなぜかハッキリ覚えています。

「同床異夢」とはまさにこのことで、
同じ会合に臨むにあたり、
くめさんは「今後のローカルな教会のこと」を考え、
私は
「ローカルな教会から巣立ち、
日本全体や世界のために、
奉仕することに挑戦してみたい」
と考えていた。

くめさんのこの話のあと、
「例の話」を持ち出すことは、
非常に気まずかったのを覚えています。

「くめさん、今の話を聞いた後に、
 非常に心苦しいのですが、、、
 実はぼくもくめさんにお願いがありまして、
 それは、、、」と。

要するにこの教会から旅立つということですから。

くめさんは最後まで私の話を聞き、
そして「陣内俊を支える会」を引き受け、
そして息子ほども年が離れた私を、
たぶん「本当に自分の息子だ」と思って、
心骨を砕いて奉仕してくださった。

ICBCだけでなく、県内の知らない教会に行って、
「こんな若者がいます。
 陣内俊と言います。
 世界のために奉仕したいと言っています。
 どうか祈り支援してやってください!」
と頭を下げてくださった。

私が病気で動けなかった2年間も、
まったく疑うことなく支援会を続けてくださった。
療養中2度くめさんにあったとき、
私はどんな顔をして相対していいのか分からなかった。

申し訳ないのと、情けないのと、
言葉にならない思いがあるけれど、
病気でうまく言葉にできないのと、、、

でも療養中の2年で二回、
妻と私とくめさんであったとき二度とも、
「生きててくれりゃあ、それでいいで。
 あと、わしはまったく疑っとらんでね。
 神が俊君をお選びになったことを。
 神がこの病気を経た俊君を、
 必ず用いてくださるという計画を、
 みじんも疑ったことがない。」と。

そしてくめさんの信仰のとおり、
「陣内俊はまったく活動していない」
ということを知ったうえで、
「陣内俊を支える会」には支援金が、
活動しているときと変わらず集まり続けました。

預言者エリヤが2年半、カラスに養われたという記事が、
旧約聖書にありますが、私はその奇跡を信じられます。
私もまた、違う文脈ですが同じ奇跡を体験しましたから。

そしてその奇跡というのは、
おそらく私の信仰にではなく、
くめさんの信仰に基づいているのだろうと、
私は思っています。

このときのことは何度思い出しても、
今の言葉でいう「ムネアツ(胸が熱くなる)」
すぎて、書きながら泣きそうになります。

私は「信じてもらう価値がないのに信じてもらった」
から、今生きていて、活動を続けている。

その「信じてくれた」人の代表的な人は、
私の妻をのぞくと、くめさんです。

もちろんそれに私の近しい友人や家族が加わりますが。

私が今有るのは自分の信仰によってではない。
だから、私は誰か「自分のことを信じられない」人の代りに、
神を信じてあげることが、残された人生において、
やるべき仕事の一つだと神に語られています。

「今度はあなたが、
 もはや信仰を持てない誰かのために、
 信じてあげなさい。」
そう語られているように思うのです。

、、、話が少しそれましたが、
くめさんは本当に、
そのようなわけで私の「親」です。

そのくめさんが、
年齢のこともあるから、
「支える会」のことを、
そろそろ次の世代にバトンタッチしたい、
とおっしゃったのは、昨年のことでした。

もちろん愛知県にある教会の支援者への、
レターの手渡しや印刷は喜んでやるが、
おカネの管理だとか、名目上の代表者は、
次の人に譲りたい、と。

さしあたって私の妻と、
そして妻の友だちの二人が、
くめさんのしてくださっていたことを、
引き継ぐことになりまして、
今回の愛知県訪問は、
そのその引き継ぎのためでもあります。

2007年のあのファミレスでの会話のあと、
「よし、やろう」と言ってくださったことを、
9年間、本当にやってくださった。

「やろう」「いいね」と言ってくれる人は沢山います。
しかし、それを「本当に」やってくれる人は、
多くはありません。

久米川さんはそのような人物です。
言葉と行動が一致している人物。

信頼と誠実を体現している人物。
それが久米川さんです。

久米川さんでなければ、
私は9年間、活動を続けてこれなかったと、
本当にそう思っています。

いくら感謝してもし足りません。



▼▼▼ある思考的実験▼▼▼

これは事後的な思考的実験に過ぎないのですが、
時々、こう考えることがあります。

あのファミレスの会話で、
「私がNGOに入って海外に行く」というプランAと、
「地元で社会人を続けながら、
 30代をICBCの若者をもり立てるために使う」
というプランBがあった。

もしあのとき、
私がプランBを選んでいたら、
どうなっていたのだろう?と。

映画「マトリックス」の、
青と赤の二つのカプセルのように、
あのとき私が「運命の分岐点」に立っていたとして、
逆を選んでいたらどうなっていたのだろう?と。

「10年間私がいたICBCは今とは違っていただろうか?」
「10年間、私がいなかったNGOは、
 何か違っていただろうか?」
「私自身は違っているのは分かっている。
 では、何が違っていただろうか?」と。

村上春樹が小説を書くとき、
その主人公が時々「村上春樹本人のように見える」
という指摘に、「村上さんのところ」の中で、
村上春樹はこう語っています。

→位置No.176
〈僕の小説に出てくる一人称の僕は、
 僕に似ているところもありますが、
 似ていないところの方がずっと多いと思います。
 そしてそれぞれの作品によって、
 似ているところ、似ていないところは
 少しずつ違ってくるような気がします。
 というか、それらの僕は
 「僕があるいはそうであったかもしれない可能性を持った僕」
 と考えてもらった方がいいかもしれません。
 英語で言う「仮定法過去完了」ですね。
 「The one I could have been,if...」というところです。
 そういう仮定法を試せるところが、
 小説を書くことの楽しみかもしれません。
 現実にはそんなことはできないから。〉

▼参考リンク「村上さんのところ コンプリート版」村上春樹
http://amzn.asia/cxr4DwW

、、、こういう、
「もしかしたら私であったかもしれない誰か」のことを、
「オルターエゴ」とも呼んだりします。

「もしかすると自分だったかもしれない自我」のことですね。

あのとき久米川さんの考えていたような、
「ワーキングユース」として、
愛知県に根を下ろし、もしかしたら家庭を持ち、
もしかしたら家を建て、そして、
もしかしたら今のICBCで、
私のようなゲストをもてなす側にいる自分は、
いったいどんなしゃべり方をして、
どんな会話をして、どんな教会での奉仕をして、
どんな休日を過ごして、どんな「人格」で、
そして何より大切なのは、
どんな神の国の貢献をしていただろうか?

そんな思考実験をこの9年間、
私は新幹線が豊橋に止り、
豊橋駅のホームを歩くたびにしてきました。
ICBCの礼拝で席に座りながら、
私の「オルターエゴ」は、
どこに座り、何に悩み、誰と週末を過ごし、
そしてそいつは今、幸せだろうか?と。

「そいつ」は今、
私のメルマガを読んでくれているだろうか?
読んでいるとしたら、いつ、どこで読み、
そして何を感じてくれているだろうか、と。

そしていつも思うのです。

「そいつ」が見たときに、
失望しないような歩みをしよう、と。

尊敬してもらわないまでも、
「そいつ」が、
「うん、この人のやっていることは意味があり、
 価値のあることだ。この人は信頼に値する。」
と思って貰えるような人間でありたいと、
いつも思いながら私は歩んでいます。

ユーミンの歌う、
「卒業写真のあの人」のように、
あのファミレスで赤いカプセルを飲んだ、
私の「オルターエゴ」は、
今の私の背中を、時々、遠くで叱っています。
時々、年に何度か、そいつが、
「いいじゃない、それ」と褒めてくれます。

そんなとき私は思います。

あぁ、この人生で良かったなぁ、幸せだなぁ、と。

あと、くめさんが10年前に託してくれた思いは、
今も私の中にありますから、ICBCを訪れるたびに、
何かこの教会のために役に立ちたい、と思っています。

恩返しというとおこがましいですが、
皆さんが祈り支えてくださったおかげで得た「何か」を、
還元することで、くめさんが言われたような、
「教会の未来」のために資することができたら、
法外な喜びだと思いながら。

今回は特に、私が20代のころにスタッフをしていた、
中高生会の「高校生」だった、
いまは32歳になる友人の結婚式でしたので、
当時の懐かしいメンバーとたくさん話しました。
私の中の「オルターエゴ」と、
今の私が久しぶりに重なり統合されるような、
不思議な楽しさを覚えました。

、、、この思考実験の「結論」はいつも同じです。

「青いカプセル」で正解だった。
あのとき「進む決断」をして良かった。

なぜならば、その先には、
私の妻がいましたから。

そのためだけにでも、
「転がる石のような9年間」は報われた。

それ以外にも、
全国、全世界にいる沢山の友人との出会い、
そしてこうしてメルマガを書いていること、
それらもやはり「大きな報い」です。
私は投資したものを何倍にも回収しているなぁ、
と感じています。

私の半生を書いていたら、
文字数制限に近づいてきました笑。

いつもの3倍ぐらいオープニングをやっていますが、
愛知という自分のルーツでそんなことを今日は考えました。

おつきあいいただきありがとうございました。




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