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地獄に行ってきた話

2018.02.08 Thursday

+++vol.026 2017年8月22日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
地獄に行ってきました。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼先週、先々週のはなし▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週はメルマガ開始以来、
はじめての「休刊」とさせていただきました。

というのも、「休刊のお知らせ」でお伝えしましたとおり、
体調を崩して自宅で療養する以外、
ほとんど何もできなかったからです。

私は2013年12月からまる2年、
バーンアウト(燃え尽き症候群)による鬱状態で、
病気療養をしたという過去があります。
そのときの詳細はここでは割愛しますが、
回復期に支援者の方々に書いた、
2通の手紙に私の経験を詳しく掲載しています。

▼参考リンク:2015年3月の手紙
http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2015_03.pdf

▼参考リンク:2015年12月の手紙
http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2015_10.pdf


、、、いったいどこから説明していいやら、
気の遠くなるような話なので、
ほんとうは語らねば理解していただけない、
「詳しい経緯」は割愛します。

とにかく2年間の療養生活というのはけっこう過酷で、
死なずに生きてこの世界に帰って来られたことが、
「運が良かっただけ」と自分では思っています。
それと、神と人の助けがあったからだ、と。

それだけです。

あまり認識されていませんが、
それほど、鬱病の「致死率」は高いのです。

なぜ私が「生還」できたのか。

「私が地獄から帰って来られた理由」は、
じつは私の側にはいっさいありません。

本当に。

戦争の激戦地から、
なぜか弾が自分には当たらず、
死なずに帰還した人にも似ています。

その後の人生で当時の体験を語るということが、
非常に辛いことだということも含めて似ています。
上記リンクの2通の手紙は、
それぞれ書くのに3ヶ月ほどかかっています。

地獄を思い出しながら書くので、
書きながら嘔吐感というか、
「えづく」感じを覚えながら書きました。
1日1行だけ書いて、力尽きてしまい、
その後3日は書けないということも、
多々ありました。

鬱病に罹患する人は多いですが、
当事者による闘病記はそれほど多くはない、
というのは「そういうことか」と思いました。
地獄から生還した人は、
地獄を振り返りたくないのです。
当時の感情が蘇ってきますから。

戦争体験者が人生の終末に、
「じつはノルマンディ上陸作戦で、
 たくさんの敵兵を撃った、、、
 私はこの手で人をたくさん殺した、、、
 私はこの目で仲間がたくさん死ぬのを見た、、、」
という「告白」をするというストーリーの映画が、
洋の東西を問わず沢山存在しますし、
じっさいそういうことって多いと思います。

それも同じ理由です。

語りたくないのではありません。
あまりにも苛烈な体験は、
本人に「メンタルブロック」がかかって、
語る事ができないのです。

ヴィトゲンシュタインの意図とは違う引用ですが、
「語りえないことについては、
 沈黙するしかない」わけです。


▼▼▼「語りえぬことを語る」ことを選んだ理由▼▼▼

、、、では、
なぜ、私が「語りえぬことを語る」事を選んだのか?
それは、闘病中の経験にあります。

闘病中、私はまったく祈ることができませんでした。
「祈る」という行為は、
「自分が神から見捨てられた」ことを、
確認する作業に他なりませんでしたから。

これは祈りの態度とか姿勢が間違っているとか、
そういった精神論の話しではありません。

単純に病気の症状です。
脳梗塞で意識不明な人が、
祈れないのと同じであり、
足を複雑骨折した人が歩けないのと同じです。

鬱病と信仰を「精神論」で結びつけるのは、
端的にいってまったくの誤りです。
それは病気の当事者を死へ追い込む行為ですから、
本当にやめた方が良い。

私は最初それでも「祈ろう」とか、
「聖書を読もう」とかがんばっていましたが、
そういった努力は危険だからただちに辞めるように、
というカウンセラーのアドヴァイスによって、
発病後3ヶ月ほどで祈るのを(祈ろうとするのを)辞めました。

約2年間それは続きました。

ですから当然、
「神から語られる」というようなことはないわけです。
そもそもそんな経験があるということは、
病気じゃない証拠ですから。
「(前向きな気持ちというような意味の)信仰」が、
脳の器質的変化によって不能になるのが鬱病ですから、
「信仰によって鬱病が治る」というのは、
そもそも語義矛盾です。
「消化によって腸捻転が治る」
と言っているのと同じです。

、、、で、私は「神と断絶」された状態に、
2年以上いたわけですが、
そのなかで例外的に1度だけ神が私に語ったな、
と思ったことがありました。

それは2014年夏、病気の最もひどいとき、
こういった寄付によって支えられている、
キリスト教の働きを続けていくのは、
寄付をして祈ってくださる人に対して、
あまりに申し訳がないと感じ、
別の仕事を探そうと転職サイトなどを調べていたときでした。
(そのときは外出してもしゃがみこんで動けなくなるほど、
 対人恐怖の症状がありましたので、
 仮に申し込んだとしても面接もできない状態でしたが、
 そんな客観的な判断すら当時はできません。)

私は2008年に市役所の仕事を辞めて、
「きっと大変な人生になるだろう」ことが容易に予測できる、
「あまり多くの人は歩まないでこぼこ道」を行く、
と決めたとき、当然ですが神に祈りました。
GWと正月を利用して、2度、
断食祈祷院で一週間の断食もして祈りました。

、、、で、2008年に「この道」を行くことを決めました。
それは「召命感」がやはりあったからです。
神が私をお造りになった目的を果たすのに、
市役所を辞めて専門的な宣教の働きの世界に飛び込むことが、
プラスになるというのが、死ぬほど悩み祈った末に、
私が出した答えでした。

それからの5年間は、
たしかに大変でしたが、
「今、私は神の召された道を歩んでいる」
という確かな手応えを日々感じていました。

それは経済的な安定にも、
良いクルマに乗ることにも、
良い服を着ることにも、
良い家に住むことにも、
何ものにも代えがたい喜びでした。

しかし2013年に病気になって、
その「喜び」というか「確信」は、
揺らぎました。

揺らいだというより、吹き飛びました。
仕事することができず、
祈ることもできず、
それどころか、かつて自分にできていた、
あらゆることができなくなったとき、
「本当にこの道は、
神が歩むようにと言われた道だったのだろうか?」
と思ったのです。

、、、というよりも、
市役所で働いていたときも含め自分は今までずっと、
神の召命にお応えしたいという一心で歩んできたけれど、
その道から転げ落ちてしまったのではないか、
という挫折感の方が強かったかも知れません。。

神が用意された道は遙か遠くに見え、
そこを今も歩んでいる「かつての同労者たち」を、
私は遠目に見ている。
「俺はもう歩けなくなったから、
 もう俺のことは忘れて、
 先に行ってくれや。」
そういう気持ちも強かったかも知れない。

なんせ私には「30代後半」はありませんから。
病気の前後を含めたらそれぐらいの期間を、
世間でいう「棒に振って」いますから。

、、、で、私は思ったのです。
「よし、もう一度、
 分岐点に戻ろう」と。
世間の同世代とは10年遅れの再スタートになるが、
とにかく別の仕事を見つけ、
そこで働いて生きるところから始めよう、と。
先ほども申しましたように、
当時はそんな健康状態ではなかったのですが。

、、、ちょうどその頃、
神が私に、2年間の療養生活で唯一、
語られたのです。

「違う」と。

「そうではない。
 あなたのいる場所は『道』から断絶していない。
 あなたが今、病気になり、
 何もできず、もだえ苦しみ、
 敗北感と苦渋を味わっている、
 その場所こそが、
 私があなたを召し出した道の真ん中なのだ。
 病気で何もできないあなたはいま、
 私の召命の真ん中にいる」と。

、、、その当時は神が言われている意味が、
私にはまったく分かりませんでしたが、
その後、徐々にあの言葉が本当に神からのものだったと、
私は確信するようになりました。

すこし回り道をしましたが、
多くの人が語る事を選ばない病気の経験を、
私が敢えて語る理由は、
あのときの神からの語りかけにあります。
ですから私にとって病気の体験を語ることは、
「神を語る」ことに他ならないのです。



▼▼▼脳が壊れた▼▼▼

、、、という前置きをしておいて、
本題に移りたいと思います(やっと!)。

先週のメルマガで「体調が悪い」と言ったのは、
ひどい下痢を患っていたとか、
マラリアに感染していたというものではありません。
8月11日から10日間ほど、
鬱の症状が再発していたのです。

多くの人が誤解していることですが、
鬱の発症は「精神的に落ち込む」こととは違います。
「最近落ちてるんだよね」とか、
「メンタルがやられてるんだよね」という、
精神的なアップダウンの延長にあるものではありません。
「精神的に弱い人が鬱になる」というのも壮大な誤解ですが、
この「アップダウン論」も誤解です。

鬱病は脳のセロトニンの低下や、
活動の器質的不調から来る諸症状ですから、
「メンタル」という言葉で表わされるような、
精神的なものではありません。
そこに「連続性」はありません。
「別もの」です。

風邪とマラリアが違うように、
便秘と腸閉塞が違うように、
メンタルな落ち込みと抑鬱症は違います。

、、、で、
今回鬱の症状が久方ぶりに「戻ってきた」わけです。
「8月11日から」と、特定できるのはそういう理由です。

ほんとうはもう少し「シームレス」に、
たとえば7月後半ぐらいから、
何かの兆候があったのだと思います。
しかし、それに「本人が自分で気付く」ことは、
本当に難しいです。

私は病気を経験していますので、
そういった「サイン」にはアンテナを立てています。
何か兆候があれば見逃さず、予防的にしっかり休むためです。

しかし今回はその予兆に気づけず、
8月11日に、いきなり症状が襲ってきました。
朝起きたら39度の熱があったみたいな話しで、
その日から「あの悪夢の症状」が戻ってきたのです。
背筋の凍る話しです。
「朝起きたら地獄にいた」わけですから。

具体的に言いますと、
「脳が壊れた」ような感じです。
まず、前日まで1日1冊ぐらいのペースで、
楽しんで読んでいた本がまったく読めなくなりました。
内容がまったく頭に入ってこない。
文字を目で追うと頭がくらくらして吐き気のようなものを覚える。

おかしいなぁ。

そして気力がゼロになります。
朝、コーヒーを淹れる気力がない。
おかしいなぁ。

それどころか、朝布団から起きる気力もない。
おかしい。

ルーティーンを始めようと思うのだけど、
メールに返信どころか、PCを立ち上げるのが怖い。
というより椅子に座るのが怖い。
追い詰められるから。
書斎に入るのが怖い。

、、、かといって居間にいるのも怖い。
平日の真っ昼間に俺は何をしているのだ、、、
という罪責感や後ろめたさに押しつぶされるから。

逃げるように布団に戻る。

しかし、居間にいる以上につらい。
「平日の真っ昼間におまえは何をしているのだ」
という声は書斎から離れるほどに大きくなる。
かといって書斎に座っても、
蛇に睨まれたカエルのごとく何もできない。

体がこわばるだけで、
「仕事にとりかかる助走」
すらもエネルギーの枯渇により不能になる。

おかしいなぁ。

そういえば、景色が暗く見える。
太陽の光が皮膚に刺してくるようで痛い。
外に出ると人々の話し声が耳に刺さって怖い。
人とすれ違うのが怖い。
、、、いや、人が怖い。

昨日までそんなことなかったのに、
おかしいな。

やばいかもしれない。
2年前の地獄が、目の前にフラッシュバックする。
そういえば、将来の展望が真っ暗に見える。
昨日までそんなことなかったのに。
もうすぐ子どもが生まれてくるというのに、
俺は親になんてなれないに違いない。
俺の将来は真っ暗に違いない。
希望という感情が思い出せない。

、、、動揺し、動転する。

やばいかもしれない。

妻が「うつきくん(我が家では病気のことをそう読んでいる)が、
久しぶりに帰省したのね。
お手柔らかにね。」
と言って、いろんな予定をキャンセルしてくれる。
「はい、しっかり休んで。」
と妻は笑顔で言う。

本人は脳が壊れていますから、
冷静に判断できませんし、
この地獄が永遠に続くと思っていますから、
妻が冷静でいてくれるのは本当に助かります。
すごい人です。

、、、結局私は、
お盆をはさんで約10日間、
ほぼまったく家から出られず、
昼夜逆転し、一日10時間眠り、
起きている間はテレビゲームをするか、
もしくはラジオを聞いて「破壊的思考を停止」させ、
「空白の10日間」を過ごしました。

食欲も低下し体重は2キロ以上減りました。
本はそのあいだ、一冊も読みませんでした。
パソコンも1週間ぐらいは放置しました。
よって、メルマガも書けませんでした。
これが、この10日間の私の、
「地獄へのサマーツアー」の概要です。

「脳が壊れた」という表現は、
鈴木大介さんという人の著書から借りました。
彼はフリーライターという仕事のストレスと激務で、
脳梗塞を患った経験を本にした人で、
この本から私は非常に多くを学びました。

鬱病と脳梗塞は違う病気ですが、
脳の器質的変調を原因として、
感情、判断、記憶、活力などの、
脳の意識機能が変調を来たす、
という意味では驚くほど似ています。

めちゃくちゃ「分かる」のです。
とても良い本でしたので興味ある方は是非。

▼参考リンク:「脳が壊れた」鈴木大介
http://amzn.asia/4ZGfKj8

多少寄り道になりますが、
鈴木大介さんのこの本から、
一部引用します。

〈ですが、僕の仕事は取材記者です。
しかもその取材執筆のテーマは一貫して、
主に社会的に発言の機会を与えられていない弱者を取材し、
彼らの声なき声を代弁するというものでした。
そんな僕にとって、高次脳を負うということは、実は僥倖でもありました。
、、、(中略)、、、
それは鬱病や発達障害をはじめとして、
パニック障害や適応障害などの精神疾患・情緒障害方面、
薬物依存や認知症等々を抱えた人たち。
僕がこれまで取材で会ってきた多くの「困窮者たち」の顔が、
脳裏に浮かびました。
、、、(中略)、、、
そんなかつての取材対象者たちを思い浮かべると同時に、
僕は猛烈な後悔に襲われることになりました。
というのも、「その辛さ」は
健常だった僕が想像していたものよりも遙かに大きく、
長引くもので、取材記者としての僕は本当にそれを
「分かったふりをしてきただけ」だったということに気づかされたのです。
さらに当事者自身がどう辛く感じているのかは、
言語化が極めて難しく、他者にその辛さを説明することが
困難なのだと言うことも痛感しました。
これでは、仕事を失うことも有るでしょうし、
家族の理解がなければ家族崩壊も容易に招いてしまうかも知れません。
なにより苦しいのに分かってもらえないというのは、本当に辛い経験です。
、、、(中略)、、、
ならばこの経験は、
そうして面倒くさくて語る言葉を持たない
社会的弱者の代弁者になりたいと思い続けてきたぼくにとって、
僥倖に他ならないのではないか。
41歳の若さで脳梗塞をやり、
この当事者感覚を得つつ、感じ、考え、書く能力を
喪失せずに済むなどという経験は、望んで得られるものではない。
ならば書くのが僕の責任だ。
彼らに変わってその不自由感や苦しみを言語化するのが僕の使命だ!〉

、、、彼のこの告白は、
いまの私が感じていることと、
驚くほど重なる部分が多いのです。



▼▼▼メビウスの輪の上を歩く蟻▼▼▼

、、、というわけで、
私は10日間ほど地獄に行ってきました。

日本の世間ではお盆というのは、
「彼岸(あの世)から此岸(この世)に、
 魂たちが一時的に帰省するシーズン」
ということになっています。

しかし私はお盆に、
逆に「向こう側」に帰省していたわけです(笑)。

じつは2015年12月に仕事に復帰してから、
このように一週間以上の単位で体調を崩し、
鬱の症状が戻ってきたのは今回が3度目でした。
いちどは2016年の夏ごろ(たしか今頃)。
もういちどは2016年の年末から今年の年始にかけて。
そして今回です。

「盆と正月に向こう側に行く」
というのは本当に帰省のようです笑。
「うつきくん」は、盆と正月に我が家に帰ってくるようです笑。

きっとこれって偶然ではなく、
おそらく「世間が休んでいるとき」をねらって、
帰ってくるのではないかと私は睨んでいます。
というのも、抑鬱状態で仕事ができず、
療養しているときの辛さっていうのは本当に辛く、
インフルエンザを100としたら1000ぐらいに達する、
という人もいるぐらいなのですが、
その1000のうちの300ぐらいは、
「世間は仕事しているのに自分はできていない」
という自責感や劣等感、不全感だと思われるからです。

盆や正月など、世間が「帰省ラッシュで渋滞してます」
みたいなときというのは、その300が、
100以下ぐらいになってくれる。

そのときをねらって、
「ストレスや疲れなどの蓄積によって
 病気の再発を余儀なくされる脳内の部署」
みたいな無意識の領域が、
「いまだ!
 いまならストレスレベルが低く地獄に行けるぞ!」
とGOサインを出しているのではないかと、
私は邪推しているのです。

何の科学的裏付けもありませんが笑。

、、、じゃあ、
いまお前は「こちら側」に帰ってきたのか?
と聞かれたなら、「よくわかりません」
と答えるしかありません。
しかし、少なくとも言えるのは、
今こうしてメルマガ原稿を書けているということが、
「完全な向こう側」ではないことの何よりの証拠だということです。

もちろん万全からはほど遠いですが、
一昨日の礼拝には出席しましたし、
昨日からはコーヒーを淹れる気力も戻ってきました。

本はいまだに10分と読み続けられませんが、
きっとそれも嘘みたいに普通に戻るだろうという、
確かな予感があります。
去年の正月もそうでしたから。

鬱状態とそうでない状態は、
明らかに「連続性」はないです。
周波数のようなアップダウンとは違う。
しかし、「1」と「0」のデジタルな二進法とも違う。

「こちら側」と「向こう側」は、
明らかに違い、断絶しており、
うつ状態の自分は「自分ではない」というぐらい、
自己同一性が保たれないのです。
性格も思考力も思考パターンも何もかも変わります。
「脳が壊れる」わけですから。
しかし、「1」と「0」の間に、
「0.5」があるかというとそうでもない。

「あるとき気付いたら向こう側にいる」という感じに近いです。
うつ状態からの回復もおなじです。
「シームレス」なのですが、「0」から「1」になるのです。

「メビウスの輪」という位相幾何学的に興味深い、
三次元空間内の多様体があります。
作り方は簡単です。
1.紙で細長い帯をつくり、
2.片方の180度回転させ、
3.両端を貼り合わせる。
以上です。

▼参考画像:メビウスの輪
https://goo.gl/jj3rs2

、、、この「メビウスの輪」の上を歩いているアリは、
いちども「境界」をまたいでいないのに、
あるとき突然「裏」にいるのです。

精神疾患への罹患や回復というのは、
私はこれに似ていると思っています。
なので、私はいま「表」にいるのか「裏」にいるのか。
それは分かりません。
分かっているのは、数日前に裏にいたことと、
数日後にはおそらく表にいるだろうということだけです。



▼▼▼ゲームと昼夜逆転の「お盆休み」▼▼▼

、、、というわけでこの10日間ほどは、
知的生産性はゼロでした。
いや、生産性がゼロでした。

何のインプットもアウトプットもしていません。
何をしていたかというと、
妻のアドバイスに従い、
「ひたすら休んだ」だけです。

「ひたすら休む」というのは言うほど簡単ではありません。
この場合のひたすら休むというのは、
旅行に行くとか美味しいものを食べるとか、
レジャーを楽しむと言ったものではないのです。
だって、コーヒーを淹れるエネルギーもなく、
本を2行読む思考力もないのですから。

大事なのは「たくさん寝ること」と、
そして「前頭葉を麻痺させること」だというのが、
私の2年間の療養の結論です。

自律的思考を野放しにしておくと、
それは金持ちの敷地内のドーベルマンのごとく、
自分の腕を食いちぎろうとしてきます。

具体的には絶え間ない絶望感、不全感、無力感、
罪責感、起死念慮、その他諸々の感情が、
自分を呑み込もうとしてきます。

ですから、何もせずにぼーっとしてはいけません。

しかし何かをしようにもその気力がない。
散歩をしようとしても対人恐怖で怖くて帰ってきてしまう。
本も読めない。
テレビも実はあまり見られません。
「世間とのつながりの断裂」を意識してしまいますから、
ときにテレビは劇物になります。

私が到達したのが「ゲーム」でした。
後の「私のゲーム論(アーカイブ)」でも語りますが、
ゲームをしている間、脳は活動を停止してくれます。
脳科学の研究によると、ゲームに没頭している人の脳というのは、
前頭葉の活動が優位に低下しているそうです。
つまり自律的思考がストップしている。
「無思考状態」になれるわけです。

2年前の鬱病療養中にこの法則を発見してから、
ゲームは私の「脳を休ませる」手段として定着しました。

唐突ですが私は「パチンコ規制論者」です。
「三店換金方式」は明らかな賭博行為であり、
それを警察が選択的にお目こぼししているのは、
法治国家としてあるまじき姿だと思います。
また、警察の天下り先にパチンコ関連業界があるというのは、
本当に「恥を知れ」というレベルです。
「カジノ法案」を通すと同時に、
パチンコを撤廃して、法律的な整合性を図ってもらいたい、
と常日頃から私は思っています。

あと、「パチンコマネー」の一部は、
北朝鮮にわたっているのは公然の秘密ですから、
「北のミサイル攻撃はけしからん」と言いながら、
昼間パチンコ屋にいっている右翼オジサンは、
言動がひき裂かれているのです。
だって、そのミサイルのスポンサーはあなたなのですから。
「愛国者」であるそのおじさんが本当にすべきは、
右翼的な政治家に投票することではなく、
ただちにパチンコをやめることです笑。

、、、それはそれとして、
日本はなぜ「パチンコ天国」なのか?

それは、パチンコが、
「おっさんの瞑想」だからだ、
というのが私の「大胆な仮説」なわけです。

つまり仕事でもパッとせず、
家でも居場所がなかったりするおじさんたちは、
最初は「多少のスリルとタバコを吸う場所」を求めて、
パチンコ屋に行くのですが、
それが常習化してくると目的が変わってくる。

「今の世の中の日常の不条理」を、
パチンコをして前頭葉が麻痺している間だけ、
おじさんたちは忘れることができる。
「脳内のニルヴァーナ」がそこに拡がっているわけで、
パチンコはだから、
かつての中国の「アヘン」のようなものなのではないか、
と私は思っているのです。

だから私のようなパチンコ規制論者が、
本当にパチンコを規制したなら、
かつての清国で起きたように、
「アヘン戦争」ならぬ「パチンコ戦争」が起きるかも知れない笑。

何の話しだっけ?

そうそう。

ゲーム。

ゲームは良いです。
世のおじさんたちは、
パチンコ屋で半日で10万円擦ったり平気でしてますから、
ゲームのハードとソフトというのは、
コストパフォーマンス的には最高です。

ゲームの場合、
同じ「脳の瞑想」をしながら、
いちど買ってしまえばランニングコストはかかりませんから。



▼▼▼スティグマと不全感を抱えて生きる▼▼▼

、、、というわけで、
もはやオープニングトークのレベルを超えて、
長々と病気の話しをしてきました。

今更いっても遅いですが、
あまり明るい話しではないので、
お気に召さない方はどうぞ読まずに飛ばしてください。

、、、こんな風に病気のことを私は書いていますが、
病気の当事者が病気のことを書くのは簡単ではないです。
「良く書けるようになったなぁ」と、
自分でも感心しているぐらいで笑。

私はこの分野に関して特殊技能をもっています。
誰かが博士号を授与してくれるんじゃないかというぐらい笑。

なぜ当事者が病気のことを書くのが難しいかというと、
単純に言語化の技術的なこともあるのですが、
たぶん大きな原因は書き手に「メンタルブロック」がかかるからです。

どういうことか。

作家の三浦綾子さんがこういう発言をしているのを、
「国を愛する心」という本で読みました。

→P104 
〈わたしは若い頃、肺結核を病んだ。
長い闘病の末、ようやく療養所を出ることが出来た。
が、社会人の仲間入りをすることは、ひどく不安だった。
体力がない。いつ再発するか分からない。
健康人たちのあたたかい受け入れも、
深い理解も期待できない。
不安だけがいつもつきまとっていたのだ。
そんなわけで、わたしたち療養仲間が話し合う時、
「われわれ前科者は、、」と決まって言ったものだ。〉

▼参考リンク:「国を愛する心」三浦綾子
http://amzn.asia/hUzRZ71


、、、大きな病気を患った人が自分のことを、
「前科者」のように感じるというのは、
本当にそのとおりです。

「いやいやそんなことないよ。」
と健常者の方(一度も当事者になったことのない、
もしくはその自覚がない)は言われるかも知れません。

しかし、病気の当事者にはそのように見えていません。
病気の当事者、そして元当事者は、
いつまで経っても「自分は社会人として十全ではない」という、
不全感をひきずります。

健常者と当事者のあいだで、
認知が非対称なのです。

精神疾患にしても肉体的な疾患にしても、
それが大きなものである場合、「完治」というのは少なく、
多くの場合「寛解」するだけです。
つまり、いつでも再発するリスクを抱えている。

保険会社はそのような人にリーズナブルな商品を、
紹介したくないでしょう。

会社の経営者は「長期病欠のリスクがあると分かっている人」
を、積極的に雇いたいとは思わないでしょう。
「実力」というのは、「能力×エネルギー(体力)」です。
いくら能力が高くても、体力がゼロになるかもしれない人というのは、
「実力がゼロである不良物件」である可能性があるのです。
怖くて一緒に仕事できないと思う気持ちはよく分かります。

未婚者ならば、結婚相手の両親に自分の病歴を隠すかも知れない。
その「隠したい気持ち」を誰が責められるというのでしょう?

「スティグマ」というのは、
病気などに伴う「ネガティブな烙印」のことを言いますが、
大きな病気をしたことのある人、
もしくは抱えて生きていかざるを得なくなった人というのは、
一生、十字架のように、「スティグマ」を背負います。

これは簡単なことではありません。

でも、私は病気になったことと、
病気の経験を語ることを選びます。
「十字架を恥としない」というのは、
私にとってこのことだと思っているからです。

人類の歴史を見ると、
本当に優秀な多くの人も病気になっています。
そして多くの「スティグマという十字架」を負った人たちが、
むしろ歴史を切り拓いてきたと言ってもいい。

だから、恥じることではない。

病気のことを話すと、
そっと距離を置く人もいます。
「こいつは終わった人間だ」という相手の心の声を、
聞くこともあります。

そういう人にはそう思わせておけばいい。

私は十字架を恥じない。
そう決めたので、
病気のことを積極的に言語化しています。

この「病気を言葉にする精神」を、
私は北海道浦河にある「べてるの家」から学びました。
彼らの「命がけの言語化」によって、
私は地獄から帰ってこられたという側面もありますから、
この記事というのは彼らへの恩返し(恩送り?)でもあります。

▼参考リンク:べてるの家の「非」援助論
http://amzn.asia/eV1zbK0

この本の「あとがき」に、
べてるの家の創始者の向谷地生良さんが、
こんなことを書いています。

〈この本は誰かを助けようという意図をもってつくられた本ではない。
もちろん誰かを批判したり、何かを改善しようと計らっているわけでもない。
それぞれがそれぞれの仕方で自分を語り継ぐという作業をしたにすぎない。
、、、(中略)、、、
この本に結論も結果もない。
すべては旅の途中なのである。
ただ願うとすれば、この本に綴られた言葉と出会うことを通じて
津々浦々に多くの語り部が生まれることである。
語ることを通じて、人と人とが新たなつながりを得ることである。〉

、、、私もまた当事者のひとりとして、
私の言葉を触媒として多くの語り部が生まれ、
人と人の新たなつながりが生まれることを願います。
私の話にもまた、「結論も結果も」ないですが。



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