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ビートたけしと松本人志 【後編】

2018.05.30 Wednesday

+++vol.042 2017年12月12日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論
「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。
独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼ビートたけしと松本人志(後編)▼▼▼

先々週、たけしと松ちゃんに関する「私論」を展開しました。
結論を先に言うと、「笑い」に特化するならば松本に敵うものはないが、
「タレント・文化人」として考えたとき、
松本はたけしに永遠に追いつけない、という話をしました。

、、、で、なんでこの話を書こうと思ったかと言いますと、
先日、愛知県で知り合いの牧師と「休みの日(月曜日)」を利用して、
釣りに行ったのです。

その先生は私より年下の30代の牧師で、
以前から何度か食事をご一緒したことがあったのですが、
「質問カード」を使って夫婦同士4人(+子どもたち)で食事したとき、
先生が
「休日に何でもして良いと言われたら魚釣りに行く」
みたいな話をされたわけです。

、、、先生はめちゃくちゃ魚釣りが好きで、
魚釣りの魅力を熱く語り始めました。
私は実は、人生で魚釣りにハマったことがありません。
多分10回ぐらいは、友達の影響や人に誘われて、
行ったことがあるのですが、「何が楽しいかわからない」。
餌を触るのが気持ちわるいとかそういうことじゃないです。
私は獣医ですから、数百匹単位の、
「寄生虫の動く茹でたてパスタ」を、
素手でわしづかみしたこともありますので。

生き物を触るのは私の職業ですから全然大丈夫。
私が魚釣りにハマらないのは、なんていうのかなぁ、
30分ぐらいすると、「飽きる」んですよね笑。

本とか読みたくなっちゃう。

、、、で、先生は言いました。
「じゃあ陣内さん、今度愛知に来られるとき、
 月曜日が空いてることがあったら、
 是非一緒に行きましょう。
 釣りの魅力を味わわせますから。
 道具は全部用意してますので。」
、、というようなやりとりがあり、
なんだかんだで1回流れたりして、
今回、1年半越しぐらいの約束が、
やっと果たされた、という成り行きでした。

、、、で、私と先生は11月の浜名湖畔で、
鳥の鳴き声を聞いたり、
遠くを過ぎゆくジェットスキーヤーを見ながら、
まる一日釣りを楽しみました。

片道1時間半のドライブを楽しみ、
途中、トラックの運転手が立ち寄るような、
地元の食堂(ライス爆盛り)に立ち寄って、
魚フライ定食を食べ、餌を買い、
海に釣り糸を垂らしました。

、、、半日間。

全部で10匹ぐらいの小魚が釣れました。

結果、どうだったか?

釣りの魅力は、やはりわかりませんでした(爆死)。
なんでしょうね。
体質に合わないんでしょうね。

I先生が途中で言った一言で、
私は自分が釣りに向かない理由を悟りました。
「釣りって言うのは見た目とは裏腹に、
 短気な人のほうが上手なんです。
 待てない人のほうが巧い。
 いろいろ試行錯誤するから。」

、、、なるほどね。

私は「短気とは逆」です。
いくらでも待てちゃいます。
たとえば電車でも、
「乗り換えた方が早く着く」場合でも、
乗り換えません。
各駅停車に乗り続けます。
待つことに何のストレスも感じませんから。
「ゆっくり行こうぜ」と思います。
車の運転も近道を探すことに興味はない。
だって、いくら急いでも、
1日早く着いたりはしないでしょ、
と思いますから。
せいぜい30分ぐらいのものです。
30分早く着くために、
「あくせく」することのほうが損だ、と思います。
健康に悪いぜ、と思う。
全然、待てます。
待っている間、考え事をしたりするのも楽しいですから。
逆に、世の中で一番嫌いなのは「急かされる」ことです。
あんまり些細なことで何度も急かされると、
そのときの虫の居所によっては、
「うるせぇな、黙って待ってろ!!
 そして、死ね!
 救われた後に、死ね!」
と、心の中で思います(優しい)。
誤解なきように申し添えますと、
私は「仕事」は早い方ですし、
できることなら仕事が早い人と働きたいと思っています。
「仕事以外の領域」に、「早いことは良いことだ」、
という脅迫的な価値観を持ち込まれるのがキライなのです。
なんだか人生が侵襲されるような気持ちになりますから。
もっと味わおうよ、待つことも含めて人生を、
と私は言いたいわけです。
、、、と考えると私の主張は一貫していて、
仕事が早いのは人生を味わいたいからです。

そんな「ゆっくり行こうぜ」な私ですから、
もしも私が「イラチ」な大阪人と結婚したら、
早々に離婚しているかもしれません。
「もう限界です。
 私は先に行きます。」
という書き置きを残されて。
、、、まぁ、追いかけませんけど笑。

、、、そんなわけで、
やっぱり私は釣りには向かないことが判明しました。
しかし、釣りの魅力は分かりませんでしたが、
釣り糸を垂らしながら楽しい会話をすることの魅力は分かりましたし、
うららかな初秋の日に、人気のない道をドライブしながら、
人生について、仕事について、家族について、
気張らない会話をすることの楽しさは、めちゃくちゃ分かりました。

なので、またI先生に釣りに誘われたら私は二つ返事で、
「行きましょう!是非!」と言うことでしょう。
先生は魚釣りを、私は屋外で過ごす穏やかな時間と、
遠くを見つめながらする人生についての対話を楽しみにして。
こういうのを「同床異夢」といいます。



▼▼▼「人生で大切なことはお笑いから学んだ」▼▼▼

、、、で、何の話をしてたんだっけ?
そう、お笑いの話です。

先生と浜名湖に行って帰ってくるドライブがてら、
そして釣り糸を垂らしながら、
同世代の私たちは6時間以上、様々なことを語り合いました。

、、、で、話題の中心が「お笑い」だったのです。
先生が釣りの話をした先ほどの「質問カード」のとき、
私は殆どの時間「有田哲平の魅力」について語りました。

、、、で、先生もお笑いがけっこう好きなことが判明しましたので、
行きすがら、気がつくと、牧会、説教、ミニストリー、人生など、
私たちに共通するキリスト教の働きのあらゆることに関して、
「陣内さん、これをお笑いで語るならどうなりますか?」
と先生が私に質問し、私がそれに答える、
という「文法」が出来上がってきました。

先生も私の語るお笑い用語を理解する、
「お笑い的教養」のある人でしたので、
もう、「伝わる伝わる」。
こういうときの小気味よい会話って、
本当に気持ちいいですよね。

脳と脳に電極をつなげて、
エッセンスをやりとりしているような、
そんな「伝導率の高さ」は愉悦でした。
私が「つまりお笑いでいう『つかみ』というのは2種類あって、、、」
というと先生が
「なるほど、それは先ほどの教団のキャンプの状況だと、
 こういうことですね!」
「そうそう!その通りです。
 シュールをやるメリットもらりますがリスクもありますから、
 初見の場合絶対ベタのほうが良いんです。
 シュールは『振り』が十分効いてから徐々に入れていくのが良い、、」
「そっかぁ、確かに。
 あの先生の最初のつかみの構造が分かりました!
 次に応用してみます!」
と、もう、プラトンとアリストテレスのごとく、
私と先生は「お笑いという教養」に基づき、
人生や教会や働きについて語りあったのです。

その話をしながら、
私は案外「人生で大切なことはお笑いから学んだ」
と言えるのではないか、
と半ば本気で思ったのです。

、、、いや、マジで。

一時期脳科学者の茂木健一郎氏がテレビで二言目に、
「それを脳科学的に語るなら」といって解説していましたが、
私は多分、森羅万象あらゆることを、
「それをお笑いで語るなら」という切り口で語れます。
先生と会話しながら、「俺って結構すごいかも」と思いました笑。
、、、「どこがだよ!」と思っている人が大多数でしょうが。
いったい何の役に立つんだ、と。
はい。何の役にも立ちません。
、、でも、教養というのはすぐには役に立たないところに、
その価値があるのですよ。
これは本当に。

、、、そのとき運転してた先生が不意に、
「ビッグクエスチョン」を投げかけてきました。
それが、
「ビートたけしと松本人志って、どうなんでしょうね。」でした。

、、、ふつふつとこみ上げる喜びが
顔に出すぎないように気をつけながら、
私はいいました。
「ふふん、、それはなかなか良い質問ですね、、、」
と言って話し始めたことを、
メルマガに書いてみよう、と思ったのが、
この記事(前編・後編)の背景です。

、、、なげー前置き(笑)。



▼▼▼北野武と松本人志の生み出してきたコンテンツ▼▼▼

松本人志とビートたけしを語る場合、
最初に上がる話題は「映画」です。

なぜか?

「笑い」だとか「テレビコンテンツ」で比較するのは難しいからです。
関西と関東で笑いの文法がまず違いますから、
その笑いを比較するのは実はあまり意味がありません。
なんていうか、
アメフト選手とラグビー選手の「巧さの比較」みたいなものです。
同じ「笑い」であっても、尼崎の笑いと浅草の笑いでは、
競技自体が異なりますから、比較困難です。

次に「テレビコンテンツ」という意味でも優劣付けがたい。
二人とも、同じぐらい、
オリジナルなコンテンツを生み出してきているからです。
今週の「読んだ本」で紹介する、
北野武の「ラストシーン」でも本人が語っていますが、
現在のバラエティ番組の「元ネタ」の殆どは
たけしが作ったといっても過言ではありません。

たとえばダチョウ倶楽部や出川哲朗の
「リアクション芸」の土台を作ったのは彼です。
あれは「元気が出るテレビ」の熱湯コマーシャルの系譜ですから。
ついでに言えば「元気が出るテレビ」には、
今のテレビバラエティのあらゆるアイディアの鋳型があります。
「ドッキリ」もそうですし、スタジオでVTRを見ている人を移す、
「ワイプ」の考え方の原型もここにあります。
この番組から取られたアイディアだけで、
何本も現代の番組が作れる、とたけしは言っています。

また、カズレーザーなどが活躍する、
多くの「教養型クイズ番組」がありますが、
あれはビートたけしが趣味で中学入試の数学の問題を解いていて、
「これ、番組にしたら面白いんじゃないか?」と思いついたのを、
「平成教育委員会」というフォーマットにしたところにそのルーツがあります。

「SASUKE」という、障害物を乗り越えて、
身体能力の限界に挑む番組がありますが、
あれの原型はたけしが「テーマパークをそのまま番組にしちゃおっか」
と言って始めた「風雲!たけし城」が初めてやったことです。
ちなみに「たけし城」は今では日本国内より世界でのほうが知名度が高い。
インドで私は知り合いから、
「日本のテレビと言えば『ドラえもん』と、
あと、、、あれだよね、あれ。
『Takeshi Caltle(タケーシ・キャッソゥ)』!
あれが面白いんだ。インドで大人気だよ!」
と言われて2秒後に返答しました。
「あー、たけし城ね!」

あと、「俺たちひょうきん族」は、
著書の中でたけしはあれは「THE MANZAI」の移動型なんだ、
と言っています。テレビで毎週漫才をするのでなく、
演者固定で、キャラを変えてコントを見せる。
あれは日本ではまだ誰もやってことのないものだったのです。
その後とんねるずやウッチャンナンチャンやダウンタウンが、
名作コント番組を作りますが、そのフォーマットを作ったのはたけしです。

とにかくビートたけしという人は、
80年代以降の日本の「テレビを作った人」と言っても良い。
それほどの影響力があります。

一方松本人志も負けていません。
現在テレビで活躍する40歳以下のお笑い芸人の、
2人に1人ぐらいは「ごっつええ感じ」を見て、
ダウンタウンに憧れて芸人になっています。
もはやあれは「古典」なのです。

さらに松本人志は「笑い」を見せるフォーマットを、
貪欲に「発明」してきました。

松ちゃんが90年代にやっていた、
「一人ごっつ」は大喜利をショーにするという意味で、
現在の「IPPONグランプリ」や「ダイナマイト関西」の原型です。

また、「すべらない話」「笑ってはいけないシリーズ」
などの意欲的なフォーマットを造り続けていますし、
最近では「ドキュメンタル」というとんでもないものを発明しました。
あれは「笑いのアルティメットファイト」であり、
見ているだけでヒリヒリします。

これらのコンテンツが私は大好きですし、
今後も彼が何をして私たちを楽しませてくるか、
いつもわくわくしています。

以上の理由から松本人志とビートたけしは、
「テレビのお笑いタレント」という枠組みのなかでは、
甲乙付けがたいのです。



▼▼▼「教養」の差▼▼▼

しかし、「甲乙がついちゃう」分野が二つあります。
ひとつは「映画」、もうひとつは「コメンテーター」です。
結論から言うならば「甲」がたけし、「乙」が松本であり、
この順列が入れ替わることは今後もないでしょう。
その理由を説明していきます。

松本人志はこれまで、
「大日本人」
「しんぼる」
「さや侍」
「R100」
という4本の映画を撮っています。

私は「松本信者」ですから、
最初の3本は映画館で鑑賞しています。
、、、信者の私はその認知的バイアスと、
「サンクコスト問題」により、
「面白かった」と自分を言い聞かせていました。
お金と時間を払って映画館に見に行った、
自分が天才だと思っているカリスマの映画を、
「面白くなかった」と私は認めることが出来ずにいたのです。
私は冷静さを失っていました。

しかし、今なら分かります。
素人の能見さんが良い味出してた
「さや侍」を除けば、彼の映画は、
映画として良く出来ている、とはお世辞にも言えない。

大胆にも宣言しましょう。
彼はコント師としては超一級品ですが、
映画作家としては二流以下です。

対する北野武の映画は名作がごろごろあります。
彼はコント師として一級品であり、
映画作家としては超一級品なのです。
じっさい、現在世界の第一線で活躍する映画監督には、
北野武のファンが数多く存在しており、
彼らに「北野武の本業はコメディアンだ」と言っても信じてくれません。
「冗談はよしてくれよ。
北野監督がコメディアンなわけないじゃないか。」と。
これは本当の話です。

そして北野監督が「発明」した映画的表現の多くは、
世界中の映画作家に影響を与えています。
「キタノブルー」と言われる乾いた切なさのタッチや、
何の前触れもなく突然人が死ぬという「死のリアリティ」、
彼独特の大胆な編集手法など。
ちなみに著書でたけしはこれを「素因数分解法」と名付けています。
つまり、
「銃を発砲」→「Aが死ぬ」→「銃を発砲」→「Bが死ぬ」
→「銃を発砲」→「Cが死ぬ」→「銃を発砲」→「Dが死ぬ」
と普通の監督ならば撮るシーンを、
北野監督は、
「銃を持って歩く男がいる。」
→「AとBとCとDが撃たれて死んでいる」
→「男の銃から白煙が上がっている」
というシーンに「編集」します。

数学です。

AX+BX+CX+DX=X(A+B+C+D)
ということです。

松本と北野武の差は何か。

いろーんな枝葉を大胆に切り落として、
きわめて乱暴に断定してしまうならば、
それは「教養の有無」です。

北野武には「教養」があり、
そして松本人志には、認めるのは悲しいですが、
「教養」がないのです。

松本は無意識下で北野武になりたいと思っており、
彼の「地頭」はとてつもなく良いですから、
きっとその差が「教養」にあることも分かっています。
松本人志は休みの日に美術館に行ったり、
様々な演劇を鑑賞したり、古典落語を聞いたりしており、
文化・芸術方面の造詣を深めていることが知られています。
それはきっと「北野武になりたいが、教養が足りない」
という本人も認めたくない抑圧の表出だと私は分析しています。

しかし、問題がひとつありまして、
「教養」というのは美術館巡りや古典演劇鑑賞によっては、
残念ながら構築できません。
さらに言えば、「教養」というのは、
5年やそこらで構築できません。
数十年間をかけて形成されます。
それは義務教育や高校教育、大学教育でその土台が作られ、
さらにそれから社会人になった後、学びを続けたか止めたかで、
10年後、20年後に大きな差となって現れます。
40を過ぎたころには二人の人の教養レベルの差というのは、
もはや逆転不能になっています。

これは「学歴」とか「偏差値」の話とは無関係です。
「有名大学を卒業した教養のない人」もいますし、
「大学を中退した教養のある人」もいます。

「北野武は大学を中退した教養のある人」の代表です。
彼の本を読めば分かりますが、彼の地頭は究めて優秀です。
彼のお兄さんは東大卒ですが、彼もその気になれば入れたでしょう。
また、北野武は先程来私が語っている数学だけでなく、
理論物理学、天体学、化学、日本や世界の歴史、政治や経済、
東西の古典的小説や戯曲について、非常に博識です。

それらの教養は全部、「エキス」となって、
彼の映画に抽出されるわけです。

一方松本人志の教養は、
義務教育と高校教育の「土台」からして怪しい。
そして彼はあまり本を読みませんから、
社会人になってからの「教養の蓄積」も、
底が知れているわけです。

その結果として彼の映画は「スカスカ」になる。
本人がどれだけ理解しているか分かりませんが、
北野武と松本人志の映画の「差」は、
「教養の差」に他なりません。

ビートたけしは著書で何度も書いていますが、
本当は理系の科学者になってノーベル賞を目指したかったそうです。
しかし大学に入ってすぐに「アカデミックな世界」とは、
自分は肌が合わないことを直観し、大学を中退して、
浅草演芸場のエレベーターボーイになります。
そこでたまたま、師匠に目を付けられたのが、
「芸人・ビートたけし」のキャリアのはじまりです。

つまり、たけしは「笑いを選んだ」のではありません。
たまたま笑いに出会っただけであって、
彼はどこの世界で何をしてたとしても、
その世界にへこみをあたえる(byスティーブ・ジョブズ)、
巨星のような才能を持ち合わせていたわけです。

一方、松本人志には「笑い」しかありません。
これは悪い意味ではなく、良い意味です。
彼は「遺書」や「松本」といった著書にも書いていますが、
「笑い」がなかったら社会で生きていくことはできなかっただろう、
と自分で言っています。
サラリーマンとしてもやっていけないし、
他のいかなる職業を選んだとしても、「適用不全」だと。
そういった「芸人」が私はちなみに大好きですし、
松本人志自身もきっとそういう芸人たちが大好きだからこそ、
芸人たちのための「スタジアム」を作ることで、
沢山の後輩たちをブレイクさせてきています。
自著で彼は「笑いに魂を売った」と自らを表現していて、
それは本当にそうなのだと思います。

お笑いに選ばれ、笑いに魂を売った、
「笑いの鬼神」なのが松本人志、
汎用性の高い天才が、
最初にたまたまお笑いを選んだのが北野武です。

この二つには優劣はありません。

生き方が違うだけです。

しかしひとたび、
松本人志が「映画監督」や「コメンテーター」に手を出すと、
その「教養の差」が露骨に出てしまう。
だから松本は笑いの世界だけでその才能を発揮するスターであって欲しい、
というのが私の願いです。
格闘の天才、アントニオ猪木が政治家に転身したとき、
多くの猪木ファンは離れましたが、
松本人志が(たぶんないとは思いますが)、
映画監督や文化人など、たけしの足跡を追い続けると、
あまり誰も得しないのではないか、
というのが私の見解です。

ご存じのとおり松本人志は、
2013年から「ワイドナショー」という、
情報番組のコメンテーターをしており、
そこで国内外の政治問題などについてコメントを加えることもあります。
私はこの番組をわりと好きで見ていて、
天才・松本人志が今の社会問題について
何を言うのか注目していたのですが、
正直な話、彼のコメントは「底が浅い」。
「基本的な知識が欠如しているために、
ソフトな国家主義者(右翼)になっている残念な人」
というのが日本には多分3,000万人ぐらいいますが、
松本人志もその部類です。

別に右翼が頭が悪く、左翼が頭が良いわけではありません。
「教養がないゆえに左翼になる」人もいれば、
「教養があるゆえに右翼になる」人もいます。

しかし松本の「右傾」は明らかに、
基本的な歴史、社会、政治、経済、法律などの、
知識の欠如がその根底にあります。
簡単に言いますと、
「なんか北朝鮮ムカつくなぁ。
 日本すごいんだぞ!!
 謝ってばっかりじゃだめだ!」
みたいな話で、構造的には、
トランプ大統領を支持し当選させた、
アメリカのブルーカラーの労働者と同じで、
きわめて感情的に「雰囲気で」発言しています。

実はこういう層が最も危険です。
同じ右翼でもちゃんと、八紘一宇とか、
明治政府の成り立ちとか、北一輝とか大川周明とか、
大正デモクラシーとは何だったのかとか、
その後に関東大震災があって、
なぜ陸軍は暴走したのか、とか、
吉田茂はマッカーサーとどんなギリギリの交渉をしたのか、
とか、そういったことを踏まえた上で、
なお「それでもナショナリズムは大切だ」と、
自覚的に右翼になっている人は安全です。

それが右派だろうが左派だろうが、
「知識と見識を踏まえた上で自覚的に」そうしている人は安全だし、
対話の対象になりますし、その対話は有意義です。
しかし、「理由はよく分からないが雰囲気で」右や左に、
「ただ傾いているだけ」の人は一番危ない。

ビートたけしは松本人志とは対照的です。
彼は現政権には批判的です。
それはちゃんと理由があって、
彼が「立憲主義とは何か」とか、
「民主主義の脆弱性はどこにあるか」とか、
そういった政治哲学の基礎的知識を持ち合わせているからです。
だから彼には「現政権の危うさ」が分かるわけです。
さらに彼は芸能界という、
「政治家に目を付けられて干されるリスク」
を抱えながら、かなり踏み込んだ批判も行う。

なぜか。

彼は個人事務所だからです。
松本人志が現政権の虎の尾を踏めば、
いくら松本といえどよしもとの本社から怒られます。
たけしの場合(太田光もそうですが)、
「自分が事務所」なので、迷惑をかけるのは自分だけ。
「自分のケツは自分で持って」いるから、
大胆な発言も可能なわけです。



▼▼▼2回死んだ男▼▼▼

もっと言えば、ビートたけしは、
おそらく「死」も含めて、
何も怖いものなどないのだと私には思われます。
彼は死ぬことをいっさい恐れていない。
むしろ彼の映画を観ると、そこから感じるのは逆に、
「死への憧憬」ですらあります。

考えてみるとそれもそのはずで、
ビートたけしは今までに二回「死んで」います。

一回はフライデー襲撃事件の時。
このとき彼は「謹慎」で済みましたが、
今なら一発退場で、二度と芸能界に帰ってこられないでしょう。
彼は暴行容疑で「前科一犯」ですから。

きっと襲撃の当日、
そのまんま東らと共に出版社のエレベーターを上りながら、
「もう芸能界も飽きたし、まぁいっか。
 十分稼いだし、楽しんだし。
 、、、次は何しよっかな。
 、、、でも全科一般は就職に不利だろうな、、、。」
などと冷静に考えていたはずです。
たけしには「そういうところ」があるのです。

さらに、もう一回死んだのは、
ご存じ「バイク事故」です。
あのときたけしは死んでも全くおかしくなかった。
そして事故から復帰の記者会見で顔面がぐちゃぐちゃになった、
ビートたけしを見て、日本人全員が、
「あぁ、たけしは終わった」と思った。
それほどにあの会見は衝撃でした。

たけしは暴行事件で社会的に死に、
バイク事故で生物学的に死にました。
しかし不死鳥のように彼は帰ってきた。

私も大きな病気をして、
死んでもおかしくなかったですから分かるのですが、
「死にかける」経験をした人の多くは、
「今生きている人生がオマケだ」と思うようになります。
だから、全部がプラスなのです。
生きているだけで、「ボーナスステージ」なんですから。
本来もうゲームオーバーのはずなのに。

そうすると、あんまり何も怖くなくなる。
たけしの生き方にも同じようなものを感じます。
ビートたけしの強さは、
「何にも執着しない」ということに尽きます。
彼はお金にも興味がないし、
良い暮らしをすることにも無関心。
権力にも感心がないし、
先程来言っているように「笑い」に囚われているわけですらない。
さらに、究極的には「生」に執着していない。

だから、彼は強いのです。

彼は著書で語っています。
映画を撮るときも本を書くときも、
自分でやりたいと思っているのではなく、
「何かもっと大きなものにやらされている」感覚があると。
彼は映画もお笑いも、賞やヒットを目指していません。
成功にも金銭にも名声にもまったく執着していない。
しかし、というよりも、「だからこそ」、
賞も取るしヒットもする、という逆説があります。

たけしが爆笑問題の太田に、
「お前はまだまだ俺に追いつけない。
お前には前科もないし、事故で死にかけたこともないだろう」
と冗談交じりに時々言うそうですが、
それは松本人志にも間接的に言っているのかもしれません。

たけしにとって、
社会的に死にかけ、生物学的に死にかけたこと、
つまり一度死んで復活したことは大きな転機でした。
本人も言うようにそのまま死んでいたかもしれないが、
結果的に二つの「死」は、
彼をそのたびにメタモルフォーゼ(変態)させました。
これがビートたけしの「凄み」です。
ちょっと「格が違う」のです。

最後に、たけしの弟子、水道橋博士が、
その著書「藝人春秋」でこんなことを書いています。

同書で博士は松本人志について一章を割いて書いています。
彼と松本人志は同世代で、
彼の才能にとにかく圧倒されたそうです。
その笑いに潜む「狂気」も、「優しさ」も、
殿(たけし)に似ている、と博士は思いました。

しかし、あるとき彼は、たけしが松本と自分を対比して
「でも、俺のほうがより凶暴で、俺のほうがよりやさしい」
と呟くのを聞いた、という文章でその章は締めくくられています。
「そうだ。殿のほうがはるかに凶暴で、
 殿のほうがはるかに優しい。」と。

博士が言う意味が、
今の私にはちょっと分かるのです。

以上、「松本人志とビートたけし」でした。
お読みいただきありがとうございました。

―完―



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