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陣内が先週読んだ本 2017年12月第二週 『身体知性』佐藤友亮 他4冊

2018.06.06 Wednesday

+++vol.043 2017年12月19日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■4 陣内が先週読んだ本 
期間:2017年12月第二週 12月10日〜16日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●貧乏はお金持ち

読了した日:2017年12月12日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:橘玲
出版年:2009年
出版社:講談社

リンク:http://amzn.asia/8q78eah

▼140文字ブリーフィング:

最近橘玲さんの本を3冊ほど立て続けに読みました。
ずっと面白かったのですが、この本だけはクソでした。
前半は面白かったです。
エンロンの不正の話しなども面白かったし、
アメリカに「マイクロ法人」を立ち上げる
フリーエイジェントが3000万人いるし、
これからの日本でもそういう人は増えていくだろう、という話も、
私自身がある種のフリーエイジェントに近いですから
参考になる点も多かったです。

しかし、後半はクソでした。

ほとんどが「節税」の話しで読んでいて不快になりました。
マイクロ法人を立ち上げ家計と会社の会計を連結させることで
国家に税金を払わないどころか補助金までもらえる、
というようなクソみたいな話しです。
サザエさんをモチーフに、
マスオさんが「株式会社フグタ」を作ると、
磯野家はいろんなものを経費で落とせるので収入が増えて、
さらには国から補助金をむしり取れる、
などのシミュレーションも不快でした。

もし日本の全員がそれをしたら国家は破綻し、
道は穴ぼこだらけになり、治安は悪化し、
いつか「警察からの保護と上下水道は金持ちの贅沢品」になるでしょう。
「自由は大切」だし、国家や組織にぶらさがるのではなく、
自分で自分の人生を設計していくのだ、というところには共感します。
そして私も将来、いずれかの時点でマイクロ法人を作るかもしれませんが、
彼と私とでは思想的な根本が違うのが確認できました。
この本に全く書かれていない大事なことは
「じゃあ、何をしてお金を稼ぐのか」という部分です。
社会に貢献する、という視点は皆無です。
彼は、土地を転がしたりFXや株で儲ける利ざやとしての金融資本と、
「社会に役立つ労働によって稼いだお金」が本質的に異なる、
というマルクスやアダム・スミスの基本である、
「労働価値説(価値の源泉は労働にある)」を押さえていないので、
議論が空転しています。
私のオールタイム・ワースト本、
「金持ち父さん貧乏父さん」と同じニオイを感じました。
(628文字)



●変態する世界

読了した日:2017年12月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ウルリッヒ・ベック
出版年:2017年
出版社:岩波書店

リンク: http://amzn.asia/4xr8UJt

▼140文字ブリーフィング:

ウルリッヒ・ベック氏は、
現在世界に生きている「知の巨人」のひとりです。
私は2011年3月11日の震災発生以降、
2年ほど福島に定期的に通っていました。
そのときに友人を通してベック氏の書いた、
「危険社会」という本を知り読みました。
「危険社会」をベック氏が書いたのは、
ソ連邦が管理していたチェルノブイリ原発の事故が、
ドイツの人々の健康を脅かし政策決定に影響を与える、
という現実に直面したとき、
「もはや私たちの暮らす世界は『国民国家』という単位では、
 とらえきれなくなっているのではないか」
という疑問を抱いたことが契機でした。

「危険社会」は福島原発事故後に世界が直面したことを、
まったくなぞっているような「予言的な本」であり、
ベック氏も私の記憶が確かなら震災後日本に来て提言をしています。
この本はそれからさらに5年間、ベック氏が何を考えたか、
という足跡です。
ポイントは、「国民国家という枠組み」どころか、
私たちが「世界を捉えてきたその方法がことごとく無効になってきている」
というのが現代世界の現状であり、その理由は、
今、世界が「変態(メタモルフォーゼ)」しているからだ、
というのがベック氏の指摘です。
幼虫がサナギになり、そして蝶になる、
という「変態」です。
引用します。

→P9 
〈世界の蝶番が外れてしまっている。
多くの人々が考えるように、このことは、
この言葉(unhinged)の持つ二つの意味で正しい。
つまり、世界は“継ぎ目が外れ”ており、”狂ってしまった”のだ。
私たちはあてどなくさまよい、混乱し、
「これには賛成、あれには反対」と議論している。
しかしながら、あらゆる対立を超えて、
また国や地域を問わず、大方の人が合意できる意見が一つある。
それは、「私はもはやこの世界を理解できない」というものだ。
本書の目的は、「なぜ私たちは、もはや世界を理解できないのか」を理解し、
説明を試みることだ。
そのために「変化・変動(change)」と
「変態(metamorphosis)」を区別することにする。
より正確には、「社会における変化」と「世界の変態」の区別だ。〉

、、、ベックは本書で世界の変化、
つまり(原発事故などの)リスクのグローバル化や代理母、
国際的な「格差の拡大による新たな階級の形成」、
ネットネイティブ世代の出現と旧世代のティラノサウルス化、
気候変動などにより、
「方法論的ナショナリズム」から「方法論的グローバリズム」へと、
人びとはシフトしていくだろう、という未来予測をしています。
具体的にはそれは国家の民主主義から、
都市のグローバルな結びつきによる民主主義へ、といったような方向です。

この本のまえがきで、
ベック氏が2015年に心臓発作で他界したことを私は知りました。
この本は彼の妻らが死後に彼の原稿をまとめた遺稿です。
よく知られた名作・カフカの「変身」の英語タイトルは、
「メタモルフォーゼ」であり、2015年はちょうど、
「変身」出版から100周年記念でした。
ベックの構想は、100年越しのカフカへのオマージュとして、
本書を書くことだったかもしれない、
と訳者はあとがきで推論しています。
(1,286文字)



●身体知性

読了した日:2017年12月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:佐藤友亮
出版年:2017年
出版社:朝日選書

リンク:http://amzn.asia/iHuP5gV

▼140文字ブリーフィング:

めちゃくちゃ面白かったです。
医者であり合気道の先生でもある著者が、
医学という領域で「西洋の分析的知性」と、
「東洋の統合的知性」の融合を試みています。
西洋医学の本質は「科学的態度」であり、
それが医学をここまで発展させ死亡率を劇的に下げ、
人の幸せに貢献してきたのは疑いようがない。
しかし、西洋医学がもつその分析的性質は、
「患者の身体をダイナミックで有機的な現象」と観る東洋的な視点から遠ざけ、
「患者の身体をパーツの寄せ集めと検査数値の集合」と観る、
近代医学が抱える数多くの矛盾の原因となっている、と指摘しています。
アントニオ・ダマシオら「神経生理学者」による最新の科学的知見は、
身体の機能というのは各臓器個々の働きではなく、
臓器間の有機的なつながりによってもたらされる、
という「東洋的な」概念を裏付けています。
つまり、脳の記憶やら分析やらという機能は、
肝臓や胃腸などの臓器と連動している、というわけです。
「肝臓移植した患者の性格が変わる」というのは、
現場の外科医の間では以前から噂されていたのですが、
ダマシオらの研究はそれを裏付ける証拠を与えています。
これは「ソマティックマーカー仮説」と呼ばれる
有力な学説として知られています。
一カ所だけ引用します。

→P48〜49 
〈肉眼解剖学が、「科学」から「知識」へと変化したことは、
西洋医学の身体観の変化を端的に現しています。
解剖学を知識として理解すると言うことは、
身体各部位を固定化した概念にはめ込むと言うことです。
これは、人間の身体を、部品、パーツの集まり、
ととらえることにつながっています。
身体を部品として扱うことは、
多くの人を対象として均質に品質が整えられた医療を提供する上では有用です。
しかしこれは、医学・医療が科学(サイエンス)の範疇を逸脱し、
工学(エンジニアリング)の世界に踏み込んでいることを意味します。
半ば揶揄的に、そしてインパクトを強くするために用いられてきた、
「人間ドック」という言葉は、今や当たり前に使われるようになっています。
身体を部品の集まりと見なすことは、
すでに医師だけが行っていることではなく、
広く一般社会に浸透していると言っても良いでしょう。
西洋医学が、科学的態度よりも知識を重視するようになったことの善し悪しを、
一概に結論づけることは難しいです。
ただ、西洋医学の特徴である分析の追求は、
医学における情報量を莫大に増やし、
情報と知識の蓄積に、より大きな価値が置かれる傾向をもたらしました。
本来、分析とは、医師が科学的態度を取るために利用するものでした。
しかし現代の西洋医学では、
分析の追求によって膨大になった情報や知識が、
医師の科学的態度を呑み込みつつあります。〉
(1,116文字)



●ポストモダン科学と宇宙論

読了した日:2017年12月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:S.トゥールミン
出版年:1991年
出版社:地人選書

リンク:http://amzn.asia/8LVhkmX

▼140文字ブリーフィング:

学術的な内容で、わりと「難解な」部類に入る本ですが、
内容は非常に興味深く面白かったです。
現代は「科学が神話(宗教)を駆逐した」と言われるが、
それは本当か?という話です。
現代の合理主義は「私たちは神話に支配されていない」と誇らしげに歌うが、
実は彼らがよって立つ「科学」こそが神話に他ならない、
という「ミステリー小説で犯人が著者だった」という、
よくある大オチに近いのではないか、
と著者は分析します。
そして「進化論」「重力」「不可能性定理」「素粒子論」
などの科学用語が「神話的に」つかわれるとき、
つまりそれらの言葉が例えば社会学、経済学などの分野で使用されるとき、
それらは「神話」として機能している、と。

「あとがき」で著者が語っているのは、
近代科学的宇宙論が無効になった現在、
再び「全体を語る」ことの必要性です。
これは「非分析的な知性」によって物事を統合する、
という「身体知生」の話にも通じます。
これは西洋医学が近代科学の落とし子であることを考えれば
当然といえば当然なのですが。
そう考えると「ポストモダン医学」は東洋と西洋の融合、
分析と物語の統合、といったものになるかもしれないなぁ、
と思いながら二冊の本を読みました。
(502文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

陣内が過去一週間に読んだ本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:「身体知性」

コメント:
この本は面白かったです。
自信をもっておすすめできます。
特に医療や介護や福祉に従事している方は、
多くのインスピレーションを得られるに違いありません。
最後の章はなんと、私も見学に訪れたことがあり、
このメルマガで何度も語ってきた「べてるの家」の話です。
「身体知性」とベテルの家、何の関係があるの?
と思われるかもしれませんが、関係あるのです。
引用します。

→P176〜177 
〈「ところが次第に不眠がちとなり、
身体がこわばったかと思うと、
突然大声を上げて掴みかかってくるようになった。
壁をたたき、ガラスを割った。
(中略)入院させる度に、
私たちは自らの対応に落ち度があるのではないかと自責の念にとらわれていた。
私たちは無力だった。
そんなくりかえしの毎日を過ごしながら、
相変わらず言葉を失い、体は固まり、口は渇き、
やせていく彼のまえにへたり込むように座っていた私は、
自分自身の鬱々とした感情を吹き払うように、
『潔どん!歌でも歌おうか!』と声をかけていた。
すると、彼は自分の中に何かを探そうとでもするかのように、
ゆっくりと目を閉じ、もがくように口を動かした。
『いつくしみふかき ともなるイエスは 
 われらのよわきを しりてあわれむ・・・』
彼が歌った!
それは信じられない光景だった。
ことばを失った彼が、愛唱の賛美歌を口ずさんだのだ。」
(『「べてるの家」から吹く風』)
向谷地氏は、この歌を聴いて「涙が止まらなかった」と書いています。
そしてこのときに
「彼らの悩みを共に悩み、共に挫折し、共に戸惑い、
無力の中でただ祈るしかない悩み多い教会の現状の前にひれ伏したとき、
そこには『悩む教会』という新しい可能性と希望が与えられた」としています。
、、、私には、そのように人の心を揺さぶることが出来るのが身体の力であり、
賛美歌の力なのだと思われます。
賛美歌とは「祈り」の身体的行為であり、
祈るという振る舞いの中に、
自分とは異なるもの(神や他者)とつながる力が宿っているのでしょう。
何を祈るかという内容(意味)ではなく、
祈るという身体的行為そのものに力があります。
、、、私は、早坂氏が賛美歌を歌ったときに
この「べてるの家」が生まれたのだと思います。
身体は、「個」を超えて行為を表現するときに不思議な力を発揮するようです。
これはもはや、身体知性という言葉では
包括しきれない身体の持っている力なのでしょう。〉



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