【Q】どのように人を育てるのか?
2018.07.24 Tuesday
+++vol.050 2018年2月6日配信号+++
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください
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【Q&Aコーナー専用フォーム】
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https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI
※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。
※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●【Q】どのように人を育てるか?
ラジオネーム:ラス・コリナス(男性)
お住いの地域:海外
Q.
テキサス在住のラス・コリナスです。
私は教育機関で働き教える仕事をしていますが、
陣内さんの教育論を聞きたいです。
特に、「クラスの中でどのように人を育てるか」
ということを、陣内さんが教育者なら、
どのようになさるか知りたいです。
教会や学校で教える働きもする、
という広い意味では「教育者」である、
陣内さんに聞きたいです。
A.
ラス・コリナスさん、
ご質問をありがとうございます。
教育というものはたいへん広い概念ですので、
「人を育てる」ということといっさい関係の仕事など、
世の中には存在しないと言って良いほどです。
私もそのご多分に漏れず、
普段教会で話すメッセージや、
インタラクティブな形のワークショップなどを通して、
私は広義には「教育」に関わる仕事をしています。
また、このメルマガ発信も、
ものすごーく広い意味では「教育」の範疇でもあります。
私の「人生のメンター」のひとりである、
ボブ・モフィット氏は「第二の家は空港」みたいな人で、
一年の半分以上は国外にいる宣教師ですが、
彼はいろんな面倒を避けるために、
出入国カードの職業欄には「Teacher」と書く、
と言っていました。
「嘘じゃないしね」と笑。
じっさい彼はイスラエルの大学で、
成人教育の博士号を取っています。
ラス・コリナスさんのご指摘のとおり、
ですから私もまた「Teacher」のひとりです。
ただし、「クラスルームでの教師」という、
プロフェッションに関しては、
私は専門的な教育を受けたこともないですし、
実務経験もありません。
ですから、私がそれらについて、
ラス・コリナスさんに教示するというのは、
もはや「釈迦に説法」、「キリストに垂訓」、
もしくは「Zeebraにラップバトル」なわけです。
しかし、私のしている「教育」と、
ラス・コリナスさんの携わっている教育現場とで、
「要素が共通」するかもしれない抽象概念の領域が、
少なくとも二つあるかと思われます。
ひとつは、「スキルとしての講義」、
もうひとつは、「クラスでの学習のダイナミズム」です。
前者が「講義型のスタイルにおける技術」で、
後者が「実習型・ハンズオンにおける技術」です。
前者と後者はかなり違う技術が要求されます。
一方的にしゃべる講義が上手な人が必ずしも、
学習のダイナミズムが起きる場を作る、
良いファシリテーターとは限りませんし、
逆もしかりです。
私はここ10年、零細な活動をしていることが幸いして笑、
基本的に、何から何まで、
全部自分でやらなければいけませんので、
「全部」できます。
人は零細な活動を続けると器用貧乏になるのです笑。
なので、まずは「トークスキル」といいますか、
与えられた時間において自分が話すことで、
大切なことが相手に伝わるための技術を紹介します。
これは牧師ならば毎週日曜日にしていることですし、
高校教師なら毎週の授業で何十回も繰り返しています。
私の前職の市役所職員ですら、
「衛生講習会」などの形で、
市民に食育や食品衛生のイロハを分かり易く説明する、
という業務がありました。
そのサイズが5分なのか30分なのか60分なのか90分なのか、
参加者がお金を払って授業を受ける生徒なのか、
自発的に礼拝に参加している老若男女のクリスチャンなのか、
そこに来ることを苦痛と感じている、
半強制的に集められた飲食営業者なのかで、
これまたまったく組み立て方は違ってきます。
なので、「序論・本論・結論」といった構成の仕方とか、
話すときに気をつける「間」や「テンポ」、
笑いを入れ込むとか、身近な経験に引きつけるとか、
そのあたりのことはここではあえて立ち入りません。
ひとつだけ、おそらく教育に携わる人でも、
多くの人があんまり意識していないけれど、
私が10年以上の経験から大切だと気がつくようになった、
「なるべく意識するようにしている要素」をご紹介します。
これはラーメン屋でいうと「秘伝のスープ」でして、
本当はあまり教えたくないのですが、
私はもう次の秘伝のスープの開発に移っていますので、
特別に今日はは紹介しちゃいます笑。
それは構成にかなり深く関わってきますが、
ゴール地点(結論)で、
かならずスタート地点(序論)に戻ってくる、
というループ構造です。
これを文章で説明している「話し方の本」を、
私は目にしたことがありませんが、
私はこの10年、こういったことを意識して、
「発話」するようにしてきました。
文章を書くときも、
学校で講義するときも、
礼拝でメッセージを語るときも、
教会でセミナーをするときも、
4日間のワークショップをデザインするときも。
この「ループ構造」というのは、
本当はループではありません。
閉じた円環というより、
「上に上るらせん構造」と言った方が正確です。
どういうことか?
T.S.エリオットという作家がこういう言葉を残しています。
「我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所を初めて認識することである。」
ここでエリオットが言っているのは、
もっと一般的な言葉では「再定義」と言います。
「再定義」というのは、
「今までAというものはこういうものだと思っていたが、
実はそうではなく、こういうものだったのか!」
という再発見です。
物語で言うとメーテルリンクの「青い鳥」や、
「オズの魔法使い」がこの構造になっています。
パラダイム(視点)が変わることで、
最初に見ていたものが別の見え方をするようになる、
というのが「再定義」と共に起きることです。
パラダイム転換によって、
同じものが別の見え方をするようになる、
ということを最も綺麗に説明した人の一人は、
「7つの習慣」の著者スティーブン・コヴィーです。
彼はその著書の中で、「パラダイム転換」とはこういうものだ、
という例話を紹介しています。
《あなたはある日、地下鉄に乗っていた。
ある駅で2人の小さな男の子を連れた30代ぐらいの男が乗り込んできた。
2人の男の子はギャーギャーとはしゃぎ回り、
つねりあいを始め、片方が大声で泣き始めた。
周囲の乗客たちは明らかにその親子に迷惑をしていたが、
男は乗り込んでから子どもたちなどいないかのように、
ずーっと窓の一点を見つめていた。
その車両に乗っている全員が、
男に非難の目を向けているのは明らかで、
子どもたちの声は大きくなるばかりだった。
あなたは使命感と義憤を覚え、
意を決して、なるべく慇懃に男に話しかけた。
「たいへん失礼ですが、
あなたの二人のお子さんが騒いでいて、
他の乗客の迷惑になっているようです。
なぜ注意なさらないのですか?」
男はあなたに答えた。
「すみません。
たった今、この子たちの母親、
あ、つまり私の妻が天国に行くのを、
病院で看取った帰り道でしたので。
この子たちも不安定になっていますし、
私もちょっと、呆然としていました。
たいへん失礼しました。」
あなたの男への非難の視線は消え、
とっさにあなたは言った。
「それは何も知らずに失礼しました!
なにか助けられることはありますか?」》
「あなた」が最初に男に向けていた非難の視点が、
パラダイム転換によって「深い同情の気持ち」になりました。
これをパラダイム転換と言います。
私が何かを話すとき、
「再定義」を意識している、
というのは、こういうことが聞いている人の内面で起きるように、
構成を考える、ということです。
これを私が着想したのは実は、
「映画鑑賞」からです。
映画の構成っていうのはとても勉強になります。
多くの映画で使われる手法なのですが、
まずド頭にあるシーンを流します。
たとえば、そうですね。
身なりの良い主人公が橋の上から、
身を投げようとしているシーンとしましょう。
観客は思います。
「この順風満帆に見える人が、
なぜ身投げなどしなければならないのだ?」
このシーンはなるべく違和感を与えるようなものであったほうが、
より効果的です。観客の心に「ひっかかり」を与えるためです。
そのシーンの後に「タイトルコール」ですね。
そして、何の関係もないシーンが始まります。
90分ほど、めくるめく人間ドラマが繰り広げられ、
観客は主人公に完全に感情移入しています。
映画のラストシーンに近いところで、
最初の「身投げシーン」につながります。
もはや観客はそんなシーンが最初にあったことなど、
忘れかけているころに。
そのとき観客は「既視感(デジャヴュ)」を覚え、
そして最初に見た時と今見ているのとで、
その「身投げ」の意味がまったく変わっている、
というのを発見するわけです。
観客の中で「再定義」が起きているのです。
映画の構成で非常に多く使われる技術ですが、
私は自分が話すときにこの技術をよく応用します。
、、、で、私はこれを経験的に自分なりに「開発」したわけですが、
それを「根拠づけられ、確信を深められる」体験をその後にしました。
英語で言う「アファメーション」を与えられたのです。
ひとつめは、先ほど登場したボブ・モフィット氏です。
彼は成人教育の博士号をイスラエルの大学で取った、
と書きましたが、彼に一度私は聞いたことがあります。
「成人教育において一番大切なことは何ですか?」と。
彼は言いました。
「それは、『自分で発見すること』だ」と。
「成人教育と幼児教育の一番の違いは、
成人は一方的に知識を詰め込まれても学ばず、
『自分で発見した、自分でつかみ取った』と思うものだけを学ぶ。
そのときに大切な概念は『再定義』なんだ」と。
私は「我が意を得たり」と思ったわけです。
自分のしてきたことは間違ってなかった、と。
もうひとつは、聖書です。
本田哲朗というカトリックの神父は、
「悔い改め」というギリシャ語が多くの場合、
誤訳され間違って解釈されている、
とその著作に書いています。
イエスは「悔い改めなさい」と言って宣教を始めました。
その「悔い改め」と訳されているギリシャ語は、
「メタノイア」と言います。
本田神父によればこの言葉には、
よく誤解されているような
「自分のしたことを悔いて、更生して正しい生き方をする」
というような意味は「まったく」ないそうです。
そうではなく「メタノイア」の直訳は、
「視点の転換」なのだ、と。
今までAだと思っていたものが、
実はAではなく別の意味だったのだ、
と物事を別の視点で見始めることを、
「メタノイア」というのだ、と。
だからイエスが「悔い改めなさい」と言って宣教を開始したとき、
それは先ほどのスティーブン・コヴィーの例話のような、
「視点の転換」を呼びかけていたのだ、と彼は言っています。
なので、隣人愛に関しても
「人に優しくなりなさい」という道徳的な教えではないのだ、と。
そうではない。
「神の視点で、あらゆる物事を見るようになりなさい」
というのが「メタノイア」の本来の意味だから、
「神の視点で、今目の前にいる貧しい人を見なさい」
というのがイエスの言われたことなのだ、と。
本当に神の視点で世の中を見たら、
あなたの心は傷ついた隣人のために張り裂けないはずがない、
というのがイエスが本当に言われたことの意味なのだ、と。
「再定義」と「メタノイア(悔い改め)」は、
言葉においてかなり近い概念です。
これも「自分のしてきたことは間違ってなかった」
というアファメーションのひとつになりました。
では、具体的に、どうやって「円環構造」を作るのか、
ということですが、これは「結論」から組み立てます。
たとえば、そうですね。
「話すときに構造が大切だ」
という「結論」があったとします。
その結論から「ちょっとずらした導入」を考えます。
エリオットは、
「我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所を初めて認識することである。」
と言いましたね。
「最後にそこに帰ってくる場所」を、
結論から逆算して設定するわけです。
この場合、そうですね。
めちゃくちゃ下手な構成のアメリカンジョークみたいなのを、
紹介しても良いでしょう。
構成がぐだぐだなので、「パンチライン」が、
まったく機能せず、鬼のようにスベります笑。
「ちょっと冒頭からスベっちゃいましたけど、、、
気を取り直して、授業を始めます。」
といって講義が始まります。
内容はきわめてまっとうな発話の構成だとか、
話し方の技術の話をします。
当然、構成の重要性も指摘します。
授業の最後に、
「そういえば一つジョークを思い出したんだけど、、、」
といって最初のジョークを、
完璧な構成で披露するわけです。
「このように『構成』っていうのは、
とても大切なんだよ。」
といって授業を閉じる。
こういった感じですね。
(もちろんクラスの雰囲気だとか、
自分のキャラクターだとか、
そういった要素が相まって成立するものですから、
具体的な適用はこのままやればOKというわけではありません)
、、、と、ここまで書いたところで、
「グループの学習のダイナミズム」を説明する文字数が、
足りなくなりました笑。
相変わらず構成が下手ですね笑。
これに関しては最近読んだ本が非常に参考になりましたので、
そちらを紹介して、
エッセンスだけを要約したものを紹介することにとどめます。
もっと詳しく知りたいという人は、
次期読むラジサロンに参加するか、
もしくは「Q&Aオーナー」に、
「もっと教えて」とご質問下さい。
▼参考リンク:『なぜ人と組織は変われないのか?』ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー
http://amzn.asia/gkXvA1i
この本のまとめを、私のEvernoteメモから引用します。
《組織のリーダーはどのように道を示すべきか
1.大人になっても成長できるという前提に立つ:
メタ視点、思考様式の変容
2.適切な学習方法を採用する:
そのトレーニング(学習)はオンジョブ的か?
3.誰もがうちに秘めている成長への欲求をはぐくむ:
「よい問題」とは、それを通して成長できる問題である。
全員が取り組んでいる問題は、
それによってその人が成長できるような問題か?
4.本当の変革には時間がかかることを覚悟する:
変革には時間がかかる
5.感情が重要な役割を担っていることを認識する
6.考え方と行動のどちらも変えるべきだと理解する:
洞察思考のアプローチと
行動変容思考のアプローチの二者択一は、
両方正しくない。
二つのアプローチを一体化させることが大切。
7.メンバーにとって安全な場所を用意する:
「試練と支援」をセットで与える。》
不親切きわまりないですが、
これ以上解説は加えません。
しかしこの本を読んで、私は昨年11月に開催した、
「よにでしセミナー」との類似性に驚きました。
中途半端な回答になってしまいましたが、
「教える」ことについての話でした。
ご参考までに。
↓記事に関するご意見・ご感想・ご質問はこちらからお願いします↓
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このブログでは過去6ヶ月前の記事を紹介しています。
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ラジオネーム:ラス・コリナス(男性)
お住いの地域:海外
Q.
テキサス在住のラス・コリナスです。
私は教育機関で働き教える仕事をしていますが、
陣内さんの教育論を聞きたいです。
特に、「クラスの中でどのように人を育てるか」
ということを、陣内さんが教育者なら、
どのようになさるか知りたいです。
教会や学校で教える働きもする、
という広い意味では「教育者」である、
陣内さんに聞きたいです。
A.
ラス・コリナスさん、
ご質問をありがとうございます。
教育というものはたいへん広い概念ですので、
「人を育てる」ということといっさい関係の仕事など、
世の中には存在しないと言って良いほどです。
私もそのご多分に漏れず、
普段教会で話すメッセージや、
インタラクティブな形のワークショップなどを通して、
私は広義には「教育」に関わる仕事をしています。
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ボブ・モフィット氏は「第二の家は空港」みたいな人で、
一年の半分以上は国外にいる宣教師ですが、
彼はいろんな面倒を避けるために、
出入国カードの職業欄には「Teacher」と書く、
と言っていました。
「嘘じゃないしね」と笑。
じっさい彼はイスラエルの大学で、
成人教育の博士号を取っています。
ラス・コリナスさんのご指摘のとおり、
ですから私もまた「Teacher」のひとりです。
ただし、「クラスルームでの教師」という、
プロフェッションに関しては、
私は専門的な教育を受けたこともないですし、
実務経験もありません。
ですから、私がそれらについて、
ラス・コリナスさんに教示するというのは、
もはや「釈迦に説法」、「キリストに垂訓」、
もしくは「Zeebraにラップバトル」なわけです。
しかし、私のしている「教育」と、
ラス・コリナスさんの携わっている教育現場とで、
「要素が共通」するかもしれない抽象概念の領域が、
少なくとも二つあるかと思われます。
ひとつは、「スキルとしての講義」、
もうひとつは、「クラスでの学習のダイナミズム」です。
前者が「講義型のスタイルにおける技術」で、
後者が「実習型・ハンズオンにおける技術」です。
前者と後者はかなり違う技術が要求されます。
一方的にしゃべる講義が上手な人が必ずしも、
学習のダイナミズムが起きる場を作る、
良いファシリテーターとは限りませんし、
逆もしかりです。
私はここ10年、零細な活動をしていることが幸いして笑、
基本的に、何から何まで、
全部自分でやらなければいけませんので、
「全部」できます。
人は零細な活動を続けると器用貧乏になるのです笑。
なので、まずは「トークスキル」といいますか、
与えられた時間において自分が話すことで、
大切なことが相手に伝わるための技術を紹介します。
これは牧師ならば毎週日曜日にしていることですし、
高校教師なら毎週の授業で何十回も繰り返しています。
私の前職の市役所職員ですら、
「衛生講習会」などの形で、
市民に食育や食品衛生のイロハを分かり易く説明する、
という業務がありました。
そのサイズが5分なのか30分なのか60分なのか90分なのか、
参加者がお金を払って授業を受ける生徒なのか、
自発的に礼拝に参加している老若男女のクリスチャンなのか、
そこに来ることを苦痛と感じている、
半強制的に集められた飲食営業者なのかで、
これまたまったく組み立て方は違ってきます。
なので、「序論・本論・結論」といった構成の仕方とか、
話すときに気をつける「間」や「テンポ」、
笑いを入れ込むとか、身近な経験に引きつけるとか、
そのあたりのことはここではあえて立ち入りません。
ひとつだけ、おそらく教育に携わる人でも、
多くの人があんまり意識していないけれど、
私が10年以上の経験から大切だと気がつくようになった、
「なるべく意識するようにしている要素」をご紹介します。
これはラーメン屋でいうと「秘伝のスープ」でして、
本当はあまり教えたくないのですが、
私はもう次の秘伝のスープの開発に移っていますので、
特別に今日はは紹介しちゃいます笑。
それは構成にかなり深く関わってきますが、
ゴール地点(結論)で、
かならずスタート地点(序論)に戻ってくる、
というループ構造です。
これを文章で説明している「話し方の本」を、
私は目にしたことがありませんが、
私はこの10年、こういったことを意識して、
「発話」するようにしてきました。
文章を書くときも、
学校で講義するときも、
礼拝でメッセージを語るときも、
教会でセミナーをするときも、
4日間のワークショップをデザインするときも。
この「ループ構造」というのは、
本当はループではありません。
閉じた円環というより、
「上に上るらせん構造」と言った方が正確です。
どういうことか?
T.S.エリオットという作家がこういう言葉を残しています。
「我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所を初めて認識することである。」
ここでエリオットが言っているのは、
もっと一般的な言葉では「再定義」と言います。
「再定義」というのは、
「今までAというものはこういうものだと思っていたが、
実はそうではなく、こういうものだったのか!」
という再発見です。
物語で言うとメーテルリンクの「青い鳥」や、
「オズの魔法使い」がこの構造になっています。
パラダイム(視点)が変わることで、
最初に見ていたものが別の見え方をするようになる、
というのが「再定義」と共に起きることです。
パラダイム転換によって、
同じものが別の見え方をするようになる、
ということを最も綺麗に説明した人の一人は、
「7つの習慣」の著者スティーブン・コヴィーです。
彼はその著書の中で、「パラダイム転換」とはこういうものだ、
という例話を紹介しています。
《あなたはある日、地下鉄に乗っていた。
ある駅で2人の小さな男の子を連れた30代ぐらいの男が乗り込んできた。
2人の男の子はギャーギャーとはしゃぎ回り、
つねりあいを始め、片方が大声で泣き始めた。
周囲の乗客たちは明らかにその親子に迷惑をしていたが、
男は乗り込んでから子どもたちなどいないかのように、
ずーっと窓の一点を見つめていた。
その車両に乗っている全員が、
男に非難の目を向けているのは明らかで、
子どもたちの声は大きくなるばかりだった。
あなたは使命感と義憤を覚え、
意を決して、なるべく慇懃に男に話しかけた。
「たいへん失礼ですが、
あなたの二人のお子さんが騒いでいて、
他の乗客の迷惑になっているようです。
なぜ注意なさらないのですか?」
男はあなたに答えた。
「すみません。
たった今、この子たちの母親、
あ、つまり私の妻が天国に行くのを、
病院で看取った帰り道でしたので。
この子たちも不安定になっていますし、
私もちょっと、呆然としていました。
たいへん失礼しました。」
あなたの男への非難の視線は消え、
とっさにあなたは言った。
「それは何も知らずに失礼しました!
なにか助けられることはありますか?」》
「あなた」が最初に男に向けていた非難の視点が、
パラダイム転換によって「深い同情の気持ち」になりました。
これをパラダイム転換と言います。
私が何かを話すとき、
「再定義」を意識している、
というのは、こういうことが聞いている人の内面で起きるように、
構成を考える、ということです。
これを私が着想したのは実は、
「映画鑑賞」からです。
映画の構成っていうのはとても勉強になります。
多くの映画で使われる手法なのですが、
まずド頭にあるシーンを流します。
たとえば、そうですね。
身なりの良い主人公が橋の上から、
身を投げようとしているシーンとしましょう。
観客は思います。
「この順風満帆に見える人が、
なぜ身投げなどしなければならないのだ?」
このシーンはなるべく違和感を与えるようなものであったほうが、
より効果的です。観客の心に「ひっかかり」を与えるためです。
そのシーンの後に「タイトルコール」ですね。
そして、何の関係もないシーンが始まります。
90分ほど、めくるめく人間ドラマが繰り広げられ、
観客は主人公に完全に感情移入しています。
映画のラストシーンに近いところで、
最初の「身投げシーン」につながります。
もはや観客はそんなシーンが最初にあったことなど、
忘れかけているころに。
そのとき観客は「既視感(デジャヴュ)」を覚え、
そして最初に見た時と今見ているのとで、
その「身投げ」の意味がまったく変わっている、
というのを発見するわけです。
観客の中で「再定義」が起きているのです。
映画の構成で非常に多く使われる技術ですが、
私は自分が話すときにこの技術をよく応用します。
、、、で、私はこれを経験的に自分なりに「開発」したわけですが、
それを「根拠づけられ、確信を深められる」体験をその後にしました。
英語で言う「アファメーション」を与えられたのです。
ひとつめは、先ほど登場したボブ・モフィット氏です。
彼は成人教育の博士号をイスラエルの大学で取った、
と書きましたが、彼に一度私は聞いたことがあります。
「成人教育において一番大切なことは何ですか?」と。
彼は言いました。
「それは、『自分で発見すること』だ」と。
「成人教育と幼児教育の一番の違いは、
成人は一方的に知識を詰め込まれても学ばず、
『自分で発見した、自分でつかみ取った』と思うものだけを学ぶ。
そのときに大切な概念は『再定義』なんだ」と。
私は「我が意を得たり」と思ったわけです。
自分のしてきたことは間違ってなかった、と。
もうひとつは、聖書です。
本田哲朗というカトリックの神父は、
「悔い改め」というギリシャ語が多くの場合、
誤訳され間違って解釈されている、
とその著作に書いています。
イエスは「悔い改めなさい」と言って宣教を始めました。
その「悔い改め」と訳されているギリシャ語は、
「メタノイア」と言います。
本田神父によればこの言葉には、
よく誤解されているような
「自分のしたことを悔いて、更生して正しい生き方をする」
というような意味は「まったく」ないそうです。
そうではなく「メタノイア」の直訳は、
「視点の転換」なのだ、と。
今までAだと思っていたものが、
実はAではなく別の意味だったのだ、
と物事を別の視点で見始めることを、
「メタノイア」というのだ、と。
だからイエスが「悔い改めなさい」と言って宣教を開始したとき、
それは先ほどのスティーブン・コヴィーの例話のような、
「視点の転換」を呼びかけていたのだ、と彼は言っています。
なので、隣人愛に関しても
「人に優しくなりなさい」という道徳的な教えではないのだ、と。
そうではない。
「神の視点で、あらゆる物事を見るようになりなさい」
というのが「メタノイア」の本来の意味だから、
「神の視点で、今目の前にいる貧しい人を見なさい」
というのがイエスの言われたことなのだ、と。
本当に神の視点で世の中を見たら、
あなたの心は傷ついた隣人のために張り裂けないはずがない、
というのがイエスが本当に言われたことの意味なのだ、と。
「再定義」と「メタノイア(悔い改め)」は、
言葉においてかなり近い概念です。
これも「自分のしてきたことは間違ってなかった」
というアファメーションのひとつになりました。
では、具体的に、どうやって「円環構造」を作るのか、
ということですが、これは「結論」から組み立てます。
たとえば、そうですね。
「話すときに構造が大切だ」
という「結論」があったとします。
その結論から「ちょっとずらした導入」を考えます。
エリオットは、
「我々のすべての探求は、
最終的に初めにいた場所に戻り、
その場所を初めて認識することである。」
と言いましたね。
「最後にそこに帰ってくる場所」を、
結論から逆算して設定するわけです。
この場合、そうですね。
めちゃくちゃ下手な構成のアメリカンジョークみたいなのを、
紹介しても良いでしょう。
構成がぐだぐだなので、「パンチライン」が、
まったく機能せず、鬼のようにスベります笑。
「ちょっと冒頭からスベっちゃいましたけど、、、
気を取り直して、授業を始めます。」
といって講義が始まります。
内容はきわめてまっとうな発話の構成だとか、
話し方の技術の話をします。
当然、構成の重要性も指摘します。
授業の最後に、
「そういえば一つジョークを思い出したんだけど、、、」
といって最初のジョークを、
完璧な構成で披露するわけです。
「このように『構成』っていうのは、
とても大切なんだよ。」
といって授業を閉じる。
こういった感じですね。
(もちろんクラスの雰囲気だとか、
自分のキャラクターだとか、
そういった要素が相まって成立するものですから、
具体的な適用はこのままやればOKというわけではありません)
、、、と、ここまで書いたところで、
「グループの学習のダイナミズム」を説明する文字数が、
足りなくなりました笑。
相変わらず構成が下手ですね笑。
これに関しては最近読んだ本が非常に参考になりましたので、
そちらを紹介して、
エッセンスだけを要約したものを紹介することにとどめます。
もっと詳しく知りたいという人は、
次期読むラジサロンに参加するか、
もしくは「Q&Aオーナー」に、
「もっと教えて」とご質問下さい。
▼参考リンク:『なぜ人と組織は変われないのか?』ロバート・キーガン、リサ・ラスコウ・レイヒー
http://amzn.asia/gkXvA1i
この本のまとめを、私のEvernoteメモから引用します。
《組織のリーダーはどのように道を示すべきか
1.大人になっても成長できるという前提に立つ:
メタ視点、思考様式の変容
2.適切な学習方法を採用する:
そのトレーニング(学習)はオンジョブ的か?
3.誰もがうちに秘めている成長への欲求をはぐくむ:
「よい問題」とは、それを通して成長できる問題である。
全員が取り組んでいる問題は、
それによってその人が成長できるような問題か?
4.本当の変革には時間がかかることを覚悟する:
変革には時間がかかる
5.感情が重要な役割を担っていることを認識する
6.考え方と行動のどちらも変えるべきだと理解する:
洞察思考のアプローチと
行動変容思考のアプローチの二者択一は、
両方正しくない。
二つのアプローチを一体化させることが大切。
7.メンバーにとって安全な場所を用意する:
「試練と支援」をセットで与える。》
不親切きわまりないですが、
これ以上解説は加えません。
しかしこの本を読んで、私は昨年11月に開催した、
「よにでしセミナー」との類似性に驚きました。
中途半端な回答になってしまいましたが、
「教える」ことについての話でした。
ご参考までに。
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- 2018.07.24 Tuesday
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