カテゴリー

検索

便利な「検索」機能の使い方

上の検索バーに、「vol.○○」あるいは、「●年●月●日配信号」などと入力していただきますと、カテゴリ別だけでなく配信号ごとにお読みいただけます。

また、ブログ記事のアップロードは時系列で逐次していきますが、「カテゴリ別」表示をしますと、「Q&Aコーナー」だけを読む、あるいは「先月観た映画」のコーナーだけを読む、などの読み方が可能です。

スマートフォン

この他の活動媒体

●9年間続くブログです。↓
陣内俊 Prayer Letter ONLINE

●支援者の方々への紙媒体の活動報告のPDF版はこちらです↓
「陣内俊Prayer Letter」 PDF版

陣内が先週読んだ本 『ヒキコモリ漂流記』他12冊

2018.12.17 Monday

+++vol.052 2018年月14日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 陣内が先週読んだ本 
期間:2018年7月第四週〜8月第二週 7月22日〜8月11日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。



●数学を使わない数学の講義

読了した日:2018年7月24日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:小室直樹
出版年:2005年
出版社:ワック出版

リンク:
http://amzn.asia/ijBzMPl

▼140文字ブリーフィング:

小室直樹は、橋爪大三郎とか宮台真司などの「師匠」である、
「知の巨人」といいますか、「大知識人」です。
東大の教授をしていました。
彼の書くものを2年前ぐらいから読み始めました。
どれも面白いですが、
『日本人のための憲法原論』
『日本人のための宗教原論』
の2冊が特にオススメです。

彼の主張はこのようなものです。

今の日本を近代国家たらしめている、
「立憲主義」とか「民主政治」とか、
「法の支配」とか、「契約の概念」とか、
そういったことは全部、
西洋の一神教(具体的にはユダヤ・キリスト教)から生まれている。
ところがそもそも日本にはその、
一神教的コスモロジー(宇宙論)という前提がないため、
制度だけを「和魂洋才」的に採り入れても、
上手く機能しない。

こういったことを小室さんは、丁寧に説明してくれます。
古くは山本七平や丸山真男が語っていたことですが、
この論は未だに有効です。
日大や日本ボクシング協会、
そして自民党や財務省・文科省の問題に共通するのは、
「ガバナンス問題」です。
「ガバナンス」とは直訳で「統治」ですが、
「その組織の意志決定の透明性や公平性を担保するための、
 一連の制度的構造」がもっと精確な使われ方です。
毎回この長い説明をするのが面倒なので、
「ガバナンス」と一言で言うのは便利です。
カタカナ英語は何でも使えばいいわけではないですが、
こういった、日本語にはない言葉は、
やはりカタカナ英語が便利です。
「インテグリティ」などもそうですね。

話しがそれましたが、
この「ガバナンス問題」も、
広い意味で小室直樹が指摘している、
「一神教に基づく契約の概念・性悪説・法治主義」
が浸透していないところに、
「理事会」「定款」「評議委員」などの、
民主的な意志決定機構を準用すると、
アジア的な「人治政治」が、
制度を呑み込んでいき、
「ひとりのボス(及びその取り巻き)」が、
すべてを牛耳る状況を誰も止められない、
ということになる。

、、、で、この本。

先に紹介した2冊ほどにはオススメではないですが、
小室直樹は立憲主義や契約の概念などをさらにさかのぼると、
「そもそも」数学に行き着く、と主張します。
数学的センス(論理的思考)こそが、
実はこういった「西洋の制度」の通奏低音にはある。
ユーグリッドの「原論」だとか、
アリストテレスの論理学ですね。
小室先生は、人生をかけて日本人に呼びかけたのだけど、
あ、こりゃ聞いてもらえないわ、と思ったのでしょうね。
「西洋の一神教とか、もういいです。
 理解しなくても。
 でも、少なくともこれをまず理解しましょうよ。
 それは『数学』です。
 数学なら分かるでしょ。
 数学的(論理的)に思考するって、
 こういうことですよ。」
と、幼稚園児に語るような気持ちで、
この本を書いたのだろう、と私は心中を察します。

、、、「数学と社会、何の関係があるんだよ!!」
と思われる方もいるかもしれません。

、、、大ありです。

「数学的(論理的)思考」ができるかどうかが、
今の日大やボクシング協会や「モリカケ問題」のような、
「ガバナンスの破綻」に対抗する「知的ワクチン」だからです。

、、、なぜ?

それはこの本を読めば分かります。
(1,225文字)



●シュタイナー教育入門 現代日本の教育への提言

読了した日:2018年7月24日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:高橋巌
出版年:1984年
出版社:角川選書

リンク:
http://amzn.asia/44qo8I1

▼140文字ブリーフィング:

この本は、前半が特に面白かったです。
「シュタイナー教育」という、
「子どもの内発的学習意欲」を育てる教育思想があるのですが、
これを、古代ギリシャから現代にまで至る、
「教育史」のなかに、
本の半分を割いて位置づけるところから始まります。

ラーメンの本が、
「そもそも人類が小麦を食べ始めたのは、、、」
という書き出しで始まるようなものです。
私はこういう「そもそも論」から語り起こす本が大好物ですから、
序章を読んだ段階で「期待できる」と思いました。

著者の高橋さんが指摘しているのは、
シュタイナー教育とは、
「ローマ的な思想に基づく近代知識教育」から、
「古代ギリシャ的思想に基づく包括的教育」への、
「復古運動(ルネッサンス)」なのだ、ということです。

教育における、
ローマ的なるものと、ギリシャ的なるもの、
この対比が面白かったので引用します。

→P37 
〈ギリシアの場合には、
七歳から、十四、五歳まで体育教師の下で体育を学んだのですが、
ローマでは十五歳から二十歳の頃に
集中的にレトール(弁論教師)によって
レトリックが学ばれることになります。

もちろんローマでも七歳からの教育があります。
しかし、そのときには何を学ぶかというと、
読み方、書き方、計算、暗誦などです。
基本的には今の教育と同じ教育をローマからするようになるのです。

このことをどう考えたら良いかというと、
ローマの時代に人間の意識にかなり大きな変化が生じまして、
もはや、ギリシアのように、
肉体と魂が一つだという考え方が成り立たなくなってしまったのです。
ですから魂そのものを教育しようと考えるようになるわけです。
肉体だけが発達しても魂は発達しない、
という一種のペシミズムが興ってくるのです。

それにはキリスト教の影響も考えられます。
キリスト教は、肉体と魂を分離させるのに、
非常に大きな役割を果たしました。
肉体の思想と霊の思想は、はっきり違うと考えたのです。

肉体が発達すると、エゴイズムが強くなり、神の国から遠くなる、
という考え方も出てきますから、
魂そのものを純粋に育成しなければいけないと考えるようになってくるのです。
そして魂は肉体の影響をできるだけ受けずに済むように、
そして肉体を支配できるようにという考え方が、
中世、またはローマから出てくるわけです。

最初ローマは功利主義の立場から、
社会生活を有効に営むのに、
魂が肉体をどう支配したら良いか、と考えるのですが、
中世になるともっと宗教的になります。
神の国を実現するために、
魂が肉体をどう支配すれば良いかと考えますから、
今度は肉体に対しては禁欲とか、
苦行とかが問題になってくるわけです。
方向が逆転するわけです。〉



、、、高橋さんがここで言っているのはつまり、
ギリシャにおいては教育は「心と体はひとつ」という前提に基づいていた。
ローマにおいては教育は「心と体が別々」という前提に変化した。
ということです。
この前提の違いによって何が変わったか?
ギリシャでは、「体育」と「無意識の教育」が優先されました。
「体育」と言っても軍隊のような体育ではなく、
踊りや歌や武道です。

ところがローマではキリスト教の「霊肉二元論」の影響もあり、
「肉体は意識の支配下に置かれるべし」と変わりましたから、
「知識偏重教育」になるのです。
「正しい知識を詰め込みさえすれば、
 自然に正しい行動をするようになるだろう。」
ということです。
ここでは、ギリシャの教育にあった、
歌や踊りなどの「遊び」の概念は排除されます。

、、、さて、近代の教育はどちらに近いか。

そうです。
お察しのとおり、ローマに近いのです。
これは近代教育の出自を考えれば分かります。
近代産業国家は、工場で働く労働者や、
自国の軍隊の兵士となる人材を、
安定的に供給する必要があった。
彼らには同じことばを喋って貰わないと困るし、
四則演算ができて貰わないと困る。
また、上の身分の人に従属するという行動規範も欲しい。

、、、そうして作られたのが私たちの知る「学校」です。
学校の体育座りやランドセルは軍隊から来ていますが、
それはそのはずなのです。
だって、作られた理由がそうなのですから。

シュタイナー教育は、
「近代のローマ的教育」から、
「ギリシャ的な包括的教育」への復古運動だ、
というのはそのような意味においてです。

リベラルアーツ(一般教養)というアイディアも、
実は専門知識教育を重視するローマ的なものと比較すると、
包括的であり、「ギリシャ的」です。
日本の現政権はリベラルアーツ的なものを嫌悪し、
専門知識教育に大きく舵を切っています。
無意識でしょうが、今の政権は、
とても「近代産業国家的」なのです。
明治の「殖産興業・富国強兵」への、
「先祖返り」が起きています。

あくまで個人的な意見ですが、
この動きには私は、断固反対します。
理由は、長期的にはこの傾向は、
国力を衰退させるからです。

これからの時代は
「こういう人材を作ると国が富む」という、
方程式に当てはまらないような「珍種」をいかに多く生むかが、
イノベーションの種を蒔くことになり、
生き残りにつながるからです。
だから昨今の文部省(と官邸)の腐り具合には、
本当に辟易としているのです。

本当に「クソ食らえ」と思います。
もう一度言います。
「クソを、食らえ。」
(2,111文字)



●モチベーション3.0

読了した日:2018年7月27日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入

著者:ダニエル・ピンク
出版年:2015年
出版社:講談社

リンク:
http://amzn.asia/ctTEOsm

▼140文字ブリーフィング:

この本は有名なのでご存じの方も多いかもしれません。
各所で引用されています。
人間の「働き方の歴史」を考えた時に、
古代から中世、近世にかけては、
農業を中心とする世襲制の職業的身分制度があったため、
「人間の働き方」は、長いこと変わりませんでした。
弥生時代の労働と、鎌倉時代の労働は、
さほど大きくは変わらなかった、ということです。
この時代の「仕事の動機付け」を、
「モチベーション1.0」としましょう。

産業革命はすべてを変えました。
農家や靴職人のような働き方は人口の1割以下になり、
二次産業(工場での仕事)や、
政府に代表される官僚(テクノクラートとビュロクラート)のような、
「ある時間内に規定の仕事を規定のやり方でする」
という働き方が主流になった。
この時代に、「仕事の動機付け」はバージョンアップした、
と著者は話しを進めます。
「モチベーション2.0」です。
これは、一言で言うと、「アメとムチ」です。
怠惰な労働者や効率の悪いホワイトカラーには懲罰を、
勤勉な労働者や生産性の高いホワイトカラーには金銭的報酬を、
ということです。

実は今、「産業革命以来の労働革命」が進行中なのでは?
というのは、多くの人が指摘していることですが、
著者ダニエル・ピンクもそれを支持します。
そして、産業革命以降、200年ほど続いた、
「アメとムチ」の動機付けが、
21世紀以降の世界では通用しなくなるどころか、
むしろ仕事にとってマイナスになるのでは?
という指摘をしているのが本書です。
この時代には「モチベーション3.0」が必要なのでは?
ということです。

それはいったいいかなるものなのか?

まず、現代の労働革命とは何なのか?
から解説しましょう。
それは一言で、仕事が「アルゴリズム的なもの」から、
「ヒューリスティック的なもの」へと変遷してきている、
ということです。

引用します。


→位置No.549 
〈行動科学者は、仕事と勉強を、
「アルゴリズム」(段階的手法またはルーティンワーク)と
「ヒューリスティック」(発見的方法)の二つに分類することが多い。

アルゴリズム的な仕事とは、
一つの結論に至る一本の道を、
実証された指示に従ってたどる類の仕事だ。
つまり、解決にはアルゴリズムが存在する。

ヒューリスティックな仕事は逆だ。
解決にアルゴリズムが存在しないからこそ、
可能性を試行錯誤して新たな解決策を考案する必要がある。

スーパーの仕事は、たいていアルゴリズム的な仕事だ。
ほとんど同じことを、何度も何度も一定の方法で行う。
広告キャンペーンの企画は、大概ヒューリスティックだ。
何か新しいアイディアを生み出さなくてはならない。〉



、、、アルゴリズムとヒューリスティックの違い、
ご理解いただけたでしょうか?
「計算ドリル」はアルゴリズムです。
「クラスで協力して演劇を作る」はヒューリスティックです。
「センター試験」はアルゴリズムで、
「実社会で生き抜く」はヒューリスティックです。
前者は正解へのパターンがひとつですが、
後者の「正解」は無数にあります。
前者は「解答」があり、
後者には「答え」がありません。

、、、で、「ポスト近代工業社会」である現代では、
仕事はますますアルゴリズム的なものから、
ヒューリスティック的なものに置換されていくだろう、
と著者は言っています。
私もそうなるだろうな、と思います。

なぜか?

アルゴリズムは、人工知能が最も得意とするところだからです。
これらはAIに代替可能です。
しかし、ヒューリスティックな仕事は、
その原理からしてAIに代替不能です。
コンピュータというのは0と1の二進法ですから、
「0と1の間に無数の正解がある」、
ヒューリスティックな世界は、
AIには見えないのです。
このへんのことは、新井紀子さんの、
『AI VS 教科書の読めない子どもたち』
という本に詳しいです。
(この本、AI関連の本ではバツグンに分かりやすく内容も濃いです。
 AIに興味ある人には、是非オススメです。)

▼参考リンク:『AI VS 教科書の読めない子どもたち』
http://amzn.asia/cbeiDq8


、、、話しを戻します。
では、何が問題なのか?
世の中はヒューリスティックな仕事を、
今後ますます必要とするようになるが、
企業や国や官僚は、
いまだに「モチベーション2.0」の呪縛から抜け出せていない、
ということにあります。

労働者はもはや「モチベーション2.0」では動かないのに、
経営者や国家は、「人間はアメとムチで動くに違いない」
という思い込みを捨てられない。
ヒューリスティックな仕事に必要なのは、
新しいタイプの動機付け、
つまり「モチベーション3.0」なのです。

引用します。

→位置No.570 
〈ハーバード・ビジネススクールのテレサ・アマビルなどの研究者は、
外的な報酬と罰――つまりアメとムチ――は、
アルゴリズム的な仕事には効果を発揮するが、
ヒューリスティックな仕事には、
むしろマイナスに作用する恐れがあると気づいた。

この種の課題――新たな問題を解決したり、
独創性に富んだ製品を創造することなど――は、
ハーロウの唱えた第三の動機付けに頼るところが大きいからだ。
アマビルはこれを、創造性に関する〈内発的動機付けの法則〉と呼び、
「内発的動機付けは創造性につながり、
統制された外発的な動機付けは創造性を奪う」と主張した。
言い換えれば、〈モチベーション2.0〉の核となる信条は、
現代経済が依存するヒューリスティックな、
右脳的な仕事に”有害”な影響を及ぼしかねないと言うことだ。〉



、、、どうでしょう。
これは実験によって立証されています。
「ローソク問題」というのがあります。

▼参考リンク:ローソク問題
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PARM/20160831/20160831223740.jpg

机の上にマッチ箱、マッチ、画びょう、
ローソクが置いてあります。
問題は
「これらの道具を用いて、
 ローソクが机に付かないように、
 ローソクに火を付けてください」
というものです。

、、、皆さんも考えてみてください。

このタイプの問題は「アルゴリズム」ではなく、
「ヒューリスティック」です。

考えてみた方に、
「答え」をお見せします。

▼ローソク問題解答
https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PARM/20160831/20160831212106.jpg



、、、「なーんだ」と思うでしょ。
そうです。
この手の問題は、
「なーんだ」と思うのです。
でもその「ワンアイディア(ひらめき)」が、
問題を解決する。
そのひらめきはアルゴリズム的な努力によっては得られず、
ヒューリスティックなひらめきによってもたらされる。

「コロンブスの卵」は、
ヒューリスティックの話しなのです。

、、、ここからが大切なところです。
本書に、プリンストン大学の心理学者、
サム・グラックスバーグが行った実験が紹介されています。
彼はこの「ローソク問題」を二つのグループに解いてもらい、
解決までの時間を計りました。

ひとつめのグループ(グループA)には、
「この実験は、この種の問題解決に、
 通常どのぐらいの時間がかかるかの調査のためです」
と伝えました。
もうひとつのグループ(グループB)には、
「かかった時間が上位25%に入っていたら、
 賞金として5ドルが、
 グループで1番早かったら、
 20ドルが与えられます。」
とアナウンスしました。

つまりグループAとグループBの違いは、
「金銭的なインセンティブの有無」です。

実験結果はどうなったと思いますか?

、、、引用します。

→位置No.800
〈インセンティブを提示されたグループは、
もう片方のグループと比べてどのくらい早く解いたのだろうか?
平均すると、実はほぼ三分半長くかかった。
もう片方のグループより、三分半遅かったのだ
(ビジネスパーソンにこの結果を伝えると、
必ずと言って良いほど、
ショックのあまり大きく息をのむ音が聞こえる)。〉



、、、金銭的インセンティブは、
ローソク問題を解くに当たって、
効率性を上げるのではなく、下げたのです。
金銭的報酬のないグループAよりも、
金銭的な報酬を示されたグループBのほうが、
3分半も長くかかってしまったのですから。

その理由は何か?
これも引用します。


→位置No.810
〈〈モチベーション2.0〉の中心となる信条とは相反して、
思考の明晰さと創造性の向上を意図したはずのインセンティブが、
かえって思考を混乱させ、創造性を鈍らせたのだ。
どうしてなのだろう。
報酬には本来、焦点を狭める性質が備わっている。
解決への道筋がはっきりしている場合には、この性質は役立つ。
前方を見据え、全速力で走るには有効だろう。

だが、「交換条件付き」の動機付けは、
ロウソクの問題のように発想が問われる課題には、
まったく向いていない。

この実験結果から分かるように、広い視野で考えれば、
見慣れたものに新たな用途を見つけられたかもしれないのに、
報酬により焦点が絞られたせいで
功を焦ってそれができなかったのである。
既存の問題を解決するのではなく、
新しいことを次々と応用する必要がある課題に対して、
これと似たような現象が起こるようだ。〉



、、、さて、
これからの社会では、
「解決の道筋がはっきりしている問題を解くような労働」と、
「新しいことを次々と応用する必要があるような労働」の、
どちらが大切になってくるでしょうか?

もちろん後者です。

前者はいわゆる「コスト部門」と呼ばれる、
企業でいうと人事部、総務部、経理部などの、
ホワイトカラーの労働です。
これらの部門は近未来に人工知能によって駆逐されます。
では、人間が働く領域はどこに残されるのか?
それが「ロウソク問題を解くような労働」なのです。

そして、「アメとムチの動機付け」は、
逆に効率性を下げてしまうということが分かった。
では、どうすれば良いのか??

文字数が足りなくなってきたので、
キーワードだけご紹介します。
1.自律性(仕事それ自体を楽しむ)
2.マスタリー(熟達)
3.自己を超えた目的
です。

本書は親切にも、
本書の内容を短く他者に伝えるためのまとめを、
ツイッター用のサイズと、
カクテルパーティー向けのサイズに、
要約してくれています。
それを引用したいと思います。

→位置No.3288 
・ツィッター向けのまとめ
「アメとムチは前世紀の遺物。
〈モチベーション3.0〉によると、
21世紀の現場では、〈自律性〉〈マスタリー〉〈目的〉へと
アップグレードが必要。」

・カクテルパーティー向けのまとめ
「モチベーションの話となると、
科学の知識とビジネスの現場にはギャップがある。
ビジネスにおける現在の基本ソフト(OS)は、
外部から与えられているアメとムチ式の動機付けを中心に構築されている。
これはうまくいかないし、有害な場合も多い。
アップグレードが必要なんだ。
科学者たちの研究成果がその方法を示している。
この新しいアプローチには三つの重要な要素がある。
一つは〈自律性 オートノミー〉
――自分の人生を自ら導きたいという欲求のこと。
二番目は〈マスタリー(熟達)〉
――自分にとって意味のあることを上達させたいという衝動のこと。
三番目は〈目的〉
――自分よりも大きいこと、
自分の利益を超えたことのために活動したい、
という切なる思いのことだ。」
(4,402文字)



●暴力の世界で柔和に生きる

読了した日:2018年7月28日
読んだ方法:Amazonで書籍購入

著者:スタンリー・ハワーワス、ジャン・バニエ
出版年:2018年
出版社:日本基督教団出版局

リンク:
http://amzn.asia/ayp6MRd

▼140文字ブリーフィング:

この本もすごかったです。
年間ベスト10に入る可能性が高いですね。
ジャン・バニエは「ラルシュ」という、
障がい者のためのコミューン
(共同生活をする相互扶助の共同体)を始めた、
フランス系カナダ人で、ヘンリ・ナウエンや、
ジェームズ・フーストンらとも交流のある、
「知る人ぞ知る思想家であり実践家」です。

彼の「人間になる」は名著です。

▼参考リンク:『人間になる』ジャン・バニエ
http://amzn.asia/dKH8ffP

共著者のスタンリー・ハワーワスは、
現代アメリカの最高の神学者のひとりです。
この本を読んで知ったのですが、
ハワーワスはこれまでバニエに会ったことがなかったけれど、
自らの神学を構築する上で、「ラルシュ共同体」の実践と、
バニエがしていることというのは、
とても大切な「カギ」を握っていると直観しており、
彼はいろんな場所でラルシュについて書いてきたそうです。

ハワーワスは、ラルシュの実践を、
「神学的に言語化」するということを、
人生の使命のひとつと思っている節があり、
本書はそのような両者が交互に章を記すという、
非常に面白い試みです。

本書についてはあと1万字ぐらい書けますが笑、
著しく文字数が足りなくなってきたので、
本書のなかで私がもっとも好きだった一節を引用し、
簡単に解説するにとどめたいと思います。
ちなみにこの箇所はバニエのパートです。


→P14 
〈数年前、わたしは「牧会ケア」の授業を担当していました。
それは、通信教育のプログラムで、
アバディーンで授業に出席している人以外は、
イギリス各地の電話口にいます。

そのような状況において、そのクラスは、
多様な背景と考え方を持つ人たちが参加していました。
そこに目が見えない人と、
重度の聴覚障がいのために手話通訳を介して話していた人がいました。
あるときの授業で、学生たちが
自分のさまざまな霊的(スピリチュアル)な
経験の分かち合いをしていました。

耳の聞こえない女性、アンジェラは、
彼女が見た夢について話し始めました。
その夢の中で、イエスに天の国でお会いしたというのです。
イエスとしばらくの間会話をしたのですが、
あのときの平安と喜びはそれまで全く経験したことがないものだった、
と彼女は語ってくれました。

「イエス様は、ほんとうにわたしが思い描いていたとおりの方でした」。
さらに、このように続けました。
「そしてね、イエス様の手話はほんとうにすてきだったの!」
アンジェラにとって、天の国の完全の中には、
自分の聴覚障がいが「治る」ということは入っていなかったのです。

むしろ、天の国は、彼女の現在の生活を制約している社会的、関係的、
そしてコミュニケーションの障壁がもはや存在しない場所でした。
それまでは「障がい」と呼ばれていたものが、
いまや社会の標準となったのです。
それまでは排除や不安や機会損失につながっていたものが、
いまや、イエスが彼女に語りかける、まさにその手段となったのです。
アンジェラの物語を聞くにつれて、
わたしたちの心は新たにされます(ローマ12:2)〉



、、、解説はほぼ不要だと思います。
「完璧な場所である天国」において、
アンジェラの聴覚障がいが「治っていなかった」
ということは私たちの世界観を揺るがします。

「私たちが思う完璧」と、
「神の完全」は違うのかもしれません。
「神の国」は、すべての障がい者が「いなくなる」のではなく、
障がい者が生きづらいと感じる「社会の側の病」が癒やされ、
障害(と勝手に人間が思ってるだけかもしれない)という名の、
「個性」(アンジェラの場合音ではなく手話で会話できるという)が、
輝く場所なのかもしれません。
(1,481文字)



●HUNTER×HUNTER 11〜35巻

読了した日:2018年7月27日
読んだ方法:ともおくんに借りる

著者:冨樫義博
出版年:1999〜2018年
出版社:集英社

リンク:
http://amzn.asia/fBNWBwf

▼140文字ブリーフィング:

ともおくんに借りていたHUNTER×HUNTER、
一気に読みました。1週間ぐらいで。
面白かったー。

数年ぶりに、漫画を一気読みしました。

HUNTER×HUNTERのすごいのは、
11巻以降のこの25冊が出るのに、
約20年かかっているところです。

同じ週刊少年ジャンプの、
たとえばスラムダンクは31巻ありますが、
連載期間は7年間です。

HUNTER×HUNTERの11巻が出たのは、
なんと私が大学三年生のときです。
35巻は今年出ました。

すごいペースです。
まぁ、漫画家は命を削って書いていて、
そのすさまじい競争ゆえに働き過ぎだと思いますので、
本当はみんなが富樫さんぐらいのペースでできるようになると、
「才能の枯渇」を防ぎ、
「才能の保存」につながると私は個人的に思います。
あまりのプレッシャーと激務で精神を病んだり、
自殺してしまう漫画家も少なくないと聞きますし。

めちゃくちゃ長いことかけて書いているという点以外では、
ストーリーテリングの巧さにも感服します。
冨樫義博は、「神」として、
「将棋のコマ」である登場人物を動かすのではなく、
「登場人物の内在的論理に入り込んで勝手に動くのを楽しんでいる」
タイプの作家だと思います。
物語が多声的で躍動感があります。

これはドストエフスキーの系譜であり、
村上春樹や井上雄彦が言っていたこととも似ています。
作家は登場人物を「召還」するのではありません。
登場人物たちが生きる世界に「降りていき」、
彼らの声に耳を澄ますのです。
そうすると、彼らが次に何を言うか、
何をするかが分かってくる。

漫画でも小説でも、
そういう「書き方」ができる作家は一流です。
(659文字)



●戦争と平和

読了した日:2018年7月28日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:百田尚樹
出版年:2017年
出版社:新潮新書

リンク:
http://amzn.asia/9kwd2rR

▼140文字ブリーフィング:

百田尚樹の最近のツィッターでの発言には辟易としています。
脳に虫がわいているのではないでしょうか笑。
しかし、彼の書いた「永遠の0」は面白かったですし、
彼のつくる「探偵!ナイトスクープ」は最高です。

私の考えは彼の思想性とまったく相容れませんが、
時々、彼の書いたものを読みます。
「彼に象徴される、ネット右翼的言説の背後に、
 どんな内在的論理があるのだろう??」
ということに興味があるからです。
いったん自分の意見は留保し、
相手の靴を履き、相手のメガネで世界を見るのです。

あらゆる問題についてこの態度が必要です。
「自分の考えをサポートしてくれる本」ばかり読んだり、
「自分の考えを支持してくれるウェブサイト」ばかり閲覧してくると、
思考回路が固定化され、考えが深まることがありませんから。

、、、というわけで、
百田尚樹が書いたこの手の本を、
今回も手にとったのです。

第一章は零戦とグラマン戦闘機を比較したりして、
日米の戦争思想(米国の合理性と日本人の言霊信仰的な非合理生)
の対比があって面白く読めました。
山本七平にも通ずるものがあります。

第二章は「永遠の0」に関する自慢話で、
第三章は、日本国憲法を変えた方が良いというアジテートと、
うすっぺらなGHQ批判です。

まったく話題に統合性がなくてびっくりしました。
第一章は面白いです。
第二章は喫茶店でやってくれ。
第三章に関しては、彼の憲法改正論については部分的に賛成できるが、
そもそも憲法が「どちらからどちらに向いているか」
という「憲法観」に関する議論はありません。
「立憲主義」の理解が彼にはあまりないようです。
残念でした。

憲法九条に関して言いますと、
今までで私が読んだ中で最も筋の通った憲法議論は、
小室直樹の理論と、井上達夫の「九条削除論」でした。
「憲法を聖典化」し、「神聖不可侵のものとする」みたいな、
極端な左派の言説に私はついていけないし、
逆に「九条があるから日本はすべておかしいんだ」みたいな、
櫻井よしこ的なぶっとんだ議論にもついて行けません。

まずはホッブスの「リヴァイアサン」とかから考えないと、
憲法は話し始められないと思うからです。
(872文字)



●関トレ

読了した日:2018年7月30日
読んだ方法:図書館で借りる(ななめ読み)

著者:笹川大瑛
出版年:2018年
出版社:朝日新聞出版

リンク:
http://amzn.asia/6TKMq6Y

▼140文字ブリーフィング:

関節を守る筋肉をピンポイントで鍛えると、
運動のパフォーマンスが上がる、という話です。
理学療法士の著者が論理的に解説しています。
正直、実践しようという気持ちに今のところなりませんでした。
興味深い話ではあるので、
今後スポーツをしていて故障などをしたら、
思い出して実践するかもしれません。
(141文字)



●ヒキコモリ漂流記

読了した日:2018年7月30日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:山田ルイ53世
出版年:2015年
出版社:マガジンハウス

リンク:
http://amzn.asia/gP1SrQy

▼140文字ブリーフィング:

著者は「髭男爵」というお笑いコンビの、
「髭の方」。山田ルイ53世です。
彼の書いた「一発屋芸人列伝」を先日Kindleで購入して読みました。
それが非常に面白かったので、こちらを手に取りました。
彼の半生を記した自伝です。

しょうもない親父、しょうもない母親、
しょうもないプライドだけが高く実力はない両親の元で、
しょうもないプライドとひねくれた心を持つに至った、
「何も持たない男」の魂の叫びがここにあります。
圧倒的な筆力に感動させられました。

西村賢太氏が芥川賞を受賞し、
映画化もされた『苦役列車』という小説があります。
本書は芸人が書く「苦役列車」とでも言えるでしょうか。

『苦役列車』も以前読みましたが、
こちらのほうが笑いがあって私は好きです。
両方とも何の救いもない話しなのですが、
こちらのほうは「笑い」が救済になっています。

漫画『最強伝説 黒沢』の黒沢は、
途中からキリストに見えてくるのですが
(この話しはいつか別のところでします)、
彼もそういうところがあります。
このギリギリの人生を、「自己相対化」できているのは、
本当にすごいことだと思います。。
地頭が良い人です。
文章も巧いし。

彼はあらゆるものに恵まれなかった人です。
ある意味、暖かい人々に恵まれた、
『ホームレス中学生』の田村裕よりも恵まれていないかもしれない。
しかし、それが彼をして、文章の天才たらしめたのかもしれないと、
この本を読むと思わされます。
彼のスティグマ(困難)こそが、
彼の生きる力の源泉になっています。
「アドラーのくる病」が、ここにもあります。

最後に「あとがき」から引用します。


→P256 
〈もう、四十歳。
 これまでの自分の人生を振り返ってみると、
 これはもう明らかに、弁解の余地なく、「失敗」している。

「中学受験に合格」
→「中学校で留年」
→「引きこもる」
→「苦し紛れに高校受験するも、不合格」
→「五年間、二十歳まで引きこもる」
→「大検取得」
→「大学合格」
→「二年足らずで失踪」
→「上京」
→「芸人として、下積み生活始まる」
→「借金で首回らなくなる」
→「債務整理」
→「やっと一回売れる!!」

・・・そして「今」である。
こんなに嫌なマスが多いスゴロクも珍しい。
「サイコロ」の方もおかしい。
こんなに出目に偏りがあって良いのだろうか?
ここ数年に至っては、サイコロ自体紛失した。
一向に、次のマスに進めない。

それでも、粛々と生きていくしかない。
別に悲観しているとか、諦めているとかそういうことでもない。
「そんな人生だな・・・」というだけだ。
お笑い芸人なんて仕事をしているのに、
これは致命傷だが、そもそも人間が苦手だ。

人間関係の一番の基本と言えば当然「親子関係」だが、
そもそもそこからして失敗している。
例えば、この二十年で考えても、両親に二回ぐらいしか会っていない。
(中略)
自分でもなぜそんな風になってしまったのか分からない。
ただただ、「そんな家族」だということだろう。〉



、、、ほらね。
救いがないでしょ。
「安っぽい救済」に逃げないところに、
私は尊敬を覚えます。
本当の救済は、安物の救済を拒絶するところから始まるからです。
(1,264)




●心が雨漏りする日には

読了した日:2018年8月3日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:中島らも
出版年:2002年
出版社:青春出版社

リンク:
http://amzn.asia/7SNH6MD

▼140文字ブリーフィング:

文字数が著しく足りなくなってきましたので、
ここからの解説は駆け足で行きます。

弟が中島らもの書くものが面白い、
と前から言っていたので、今回初めて手に取ってみました。
彼はアル中で躁鬱病を患っていました。
最後は泥酔して階段から落ちて52歳で死んでしまいましたが、
彼はIQが180あったそうです。
灘校出身の明らかな「天才」です。
頭が良すぎてそれが「生きづらさ」になり、
アルコールと躁鬱につながるというパターンです。
珍しいことではありません。

頭が良くなさ過ぎても「生きづらさ」につながりますが、
頭が良すぎても「生きづらさ」につながります。
あまり指摘されることがありませんが。

ベルカーブと呼ばれる「標準偏差曲線」というのがありますが、
そのちょうど真ん中ぐらいが一番生きやすいように、
世の中というのは設計されているものなので、
それは当たり前なのです。

太りすぎていても「生きづらい」ですが、
やせすぎていても「生きづらい」でしょ。
それと同じです。
身長140センチ台の男性は結構たいへんですが、
身長210センチ台の男性も結構たいへんなのです。

自分の子どもに天才であってほしいという親は、
子どもの本当の幸せを望んでいることになるのかどうか疑問です。
子どもが小錦のような体型だと、
それはひとつの「才能」ではあるけれど、
いろんな犠牲も出てくるよ、という話しです。
幸せだけを願うなら「ほどほどの頭脳」を望むのが「正解」です。
まぁ、子どもというのは親の願ったようにはならず、
神の願うとおりになりますから、
この議論自体がするだけ無駄なのですが笑。

彼は頭がずば抜けて良いので、
自らのアルコール依存症と躁鬱病を、
完全に醒めた視点で語ります。
これはなかなかできないことです。
引用します。

→P106 
〈ただ酒のほうは静かに再開されていた。
 人と一緒に楽しく飲む酒ではない。
食事がおいしく食べられるからとか、
ストレスを発散させるためという酒ではないのだ。
ただ酒のための酒。なんの目的もない酒である。

 自分一人で時間を潰すことができる能力のことを「教養」というと、
どこかに書いたことがある。
自説に従えば、おれには教養がないのだ。
酒を飲まなくてはどうにも時間を消費できない。
ひとりでいる時間には、
ウィスキーのボトルを手放せなくなっていた。〉
(720文字)



●我が一家全員死刑 福岡県大牟田市4人殺害事件 死刑囚 獄中記

読了した日:2018年8月6日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:鈴木智彦
出版年:2014年
出版社:コア新書

リンク:
http://amzn.asia/6WSHnyT

▼140文字ブリーフィング:

この本は映画化され、『全員死刑』というタイトルで公開されました。
映画は未見なのですが、ちょっと興味をもって本を手に取りました。

家族3人とその友人1名、
合計4人をつまらない理由で殺し、
一家四人全員が死刑になった北村家の次男(実行犯)の手記を、
著者がまとめ、解説を加えた、という構図になっています。

読んでいると怒りが湧くというよりも、悲しくなって来ます。
彼らには「良心」というものはありません。
彼らはサイコパス性をおびており、
一家四人全員が自分の都合と金のことしか考えていません。
このような「家族」が、日本には一定数いるのだろうと思うと、
地獄の深淵をのぞき込んだ気持ちになります。
「肝を冷やす」とはこのことです。
心霊写真なんかよりよっぽど怖いです。

この手の良心を持たぬ凶悪な人々に、
「地獄に落ちろ!」と言う人がいますが、
その心配は無用です。
もう既に、生きながらにして、
彼らは地獄にいるのだからです。
(381文字)



●あなたを天才にする スマートノート

読了した日:2018年8月8日
読んだ方法:Amazonプライム特典一ヶ月無料本(書籍も購入)

著者:岡田斗司夫
出版年:2011年
出版社:株式会社ロケット

リンク:
http://amzn.asia/3LI0JDt

▼140文字ブリーフィング:

「オタキング」こと岡田斗司夫さんは、
その人格といいますか、プライベートの素行は別として、
地頭の良い人です。
エヴァンゲリオンやジブリ作品を語らせたら、
彼は突出した面白さを持っています。

この本に書かれていることを私は、
半年ほど前から実践するようになりました。
文字数が足りないので詳述は割愛しますが、
この本で最も印象的であり、共感した箇所をご紹介します。
それは「脳内は工場ではなく農場だ」という話しです。

→位置No.1425 
〈これまでの思考法やノート術というものは、
効率的にインプットやアウトプットを行うものでした。
効率よく順列組み合わせをして
工業的にアイディアを生み出すという方法です。
確かにそのやり方で、仕事の効率や生産性は上がります。
しかし工業的な効率の追求のみを求める方法を続けると、
すぐに脳は涸れてしまうことになります。
無理をするので辛くなって辞めてしまう。
そして、また別のメソッドに飛びつくと言うことを繰り返してしまいます。

書店にいつもノート本や思考法本、
能力開発本があふれる理由、
そしてそれらが売れる理由がここにあります。

脳は一時的な効率追求で、確かに生産性は上がる。
だから効果があるとみんな思って、新メソッドに飛びつく。
しかし同時に、脳は工場ではない。
生産ラインを作るように思考プロセスは作れない。
だからみんな、身につけたはずの思考法が
いつの間にか上手く作動しないことに気づく。

「ははーん、耐用年数が過ぎたんだな。
どうれ、新型の海外製思考法でも導入するか」と考える。

違います。

「思考法が古くなって作動しない」ではなく、
あなたの脳内農場は「収穫物を促成栽培で作りすぎて、
涸れ地になっている」だけの状態なのです。
涸れ地はしばらく休ませると復活します。
別の作物を植えると収穫できることもある。

するとあなたは
「おお、やはりこの新型思考法が役に立ったのか!」
と解釈してしまう。

そしてまた、農地から促成栽培で収穫を急ぐ、
というサイクルに戻るわけですね。
ぶっちゃけ、だからいろんな自己啓発本やセミナーを受けても、
頭が良くならないんですよ。

脳は工業じゃないんだから。
もっと農業的に考えないとダメです。
身体的に、と言ってもいい。〉
(911文字)




●フロー体験 喜びの現象学

読了した日:2018年8月9日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:M.チクセントミハイ
出版年:1996年
出版社:世界思想社

リンク:
http://amzn.asia/cISEtv2

▼140文字ブリーフィング:

この本は「モチベーション3.0」の「定本」です。
文字数の都合で説明は割愛しますが、
めちゃくちゃ面白いです。
「モチベーション3.0」は10年後も読まれているかどうか不明ですが、
この本は10年後にも必ず読まれ続けているでしょう。
これが「定本」の威力です。
何か面白い本を読んだら、
その本が依拠している「定本」に当たる、
というのは「良い読書をするキモ」です。
「今流行っている本」の耐用年数は数年間ですが、
定本の議論を抑えておくと、
その知識の耐用年数は数十年単位ですから。
この本はいつか「本のカフェラテ」でご紹介したいと思います。
(261文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

書回した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:『フロー体験 喜びの現象学』M.チクセントミハイ

コメント:

これは年間ベスト10級に面白かったですね。
「フロー体験」という言葉の語源は、
チクセントミハイが「オートテリックな経験」と名づけた、
何かに夢中になって取り組む時の忘我の境地を、
それを体験した人々が「流れるようだ」と表現したことに由来します。
スポーツの世界で「ゾーンに入る」とか言われますが、
これもチクセントミハイのこの研究がルーツです。

面白いのは、人間が最も幸せを強く感じるのは、
南の島のリゾート地のビーチでカクテルを飲んでいる時や、
フランスの一流レストランでフルコースを味わっている時や、
休みの日に何もせずにテレビの前にいる時ではなかった、
という研究結果です。

そうではなく、多くの人が最も幸せを強く感じたのは、
ある課題に取り組む過程で、
我を忘れるほど夢中で取り組んでいるときでした。
キーワードは「自己目的的経験」と、
「内発的報酬」です。

引用します。

→P85〜86 
〈最適経験の基本要素は、それ自体が目的であるということである。
たとえ初めは他の理由で企てられたとしても、
我々を夢中にさせる活動は内発的報酬をもたらすようになる。
外科医は、
「手術がとても楽しいので、
私がやる必要のない手術でも引き受けるだろうね」と言い、
航海者は「このヨットのために多くのお金と時間を費やしますが、
それだけの価値があります
――帆走している時に感じることと比べられるものなどありません」と言う。

「自己目的的」(autotelic)という言葉は、
ギリシャ語の自己を意味するautoと目的を意味するtelosからきている。
それは自己充足的な活動、つまり将来での利益を期待しない、
することそれ自体が報酬をもたらす活動を言う。

儲けるために株の売買をすることは自己目的的な経験とはならないが、
将来の動向を予見する能力を証明するためにする売買は
――結果として手に入るドルやセントが全く同一だとしても――
自己目的的な経験となる。
子どもを良き市民に仕立てるための教育は自己目的的ではないが、
子どもたちとの相互作用を楽しむための指導は自己目的的である。

この二つの状況で生じるものは、
表面上は同一である。
違いはその経験が自己目的的である時、
人はその活動それ自体に注意を払うが、
そうでない場合にはその結果に注意の焦点を置くところにある。

我々が行うことのほとんどは、
純粋に自己目的的でもなければ外発的
(以下、外的な理由によってのみ行われる活動を指す)でもなく、
両者が混ざり合っている。
外科医は通常、人を助けること、金を稼ぐこと、
権威を得ることなどの外発的な期待から長い訓練に入る。
もし幸運に恵まれるなら、まもなく彼らは自分の仕事を楽しみ始め、
手術はきわめて自己目的的なものになる。〉



▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「芸人文学賞」:『ヒキコモリ漂流記』山田ルイ53世

コメント:

山田ルイ53世の筆力は相当なものがあります。
芸人の書いた本を私は定期的に読んでいますが、
芸人には「文豪」が本当に多い。
言葉を扱う職業だから、当然と言えば当然ですが。

芥川賞作家となった又吉直樹もそうですし、
数多くの著作をもつ北野武もそうです。
あと、若林正恭の、
『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』は、
昨年斉藤茂太賞というノンフィクションの賞を受賞しています。
ちなみに若林の『表参道のセレブ犬・・・』は、
昨年、書店で買って読みましたが面白かったです。
普段あまり本を読まない人でも読めるボリュームと写真の多さで、
かなりオススメです。
水道橋博士の文才もすごいです。
『藝人春秋』はすばらしい。
1も2も読みましたが、彼の文章は本当に読ませます。
劇団ひとりもすごい。
『陰日向に咲く』をどうか読んで下さい。
天才ですから。
いつか当メルマガで、
「芸人文豪ランキング」みたいな企画をしても、
面白いかもしれません。

、、、というわけで、
「芸人作家」は今後もどんどん増えて行くでしょう。
なぜなら芸人は言葉を扱う職業であり、
そしてある種の芸人は、
「社会に対する屈折した視点」を持っているからです。
両方、良い物書きの大切な資質です。

養老孟司もよく言っていますが、
社会と自分との間に「ズレ」があるといつも感じている。
その「ズレ」こそが文章を生むのです。
「まぁこういうものか」と、現実を丸呑みできるひとは、
あまりモノを書こうなどと思わないものです。

この記事のトラックバックURL
トラックバック