カテゴリー

検索

便利な「検索」機能の使い方

上の検索バーに、「vol.○○」あるいは、「●年●月●日配信号」などと入力していただきますと、カテゴリ別だけでなく配信号ごとにお読みいただけます。

また、ブログ記事のアップロードは時系列で逐次していきますが、「カテゴリ別」表示をしますと、「Q&Aコーナー」だけを読む、あるいは「先月観た映画」のコーナーだけを読む、などの読み方が可能です。

スマートフォン

この他の活動媒体

●9年間続くブログです。↓
陣内俊 Prayer Letter ONLINE

●支援者の方々への紙媒体の活動報告のPDF版はこちらです↓
「陣内俊Prayer Letter」 PDF版

陣内が先週読んだ本 2018年8月12日〜25日

2019.01.01 Tuesday

+++vol.054 2018年8月28日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 陣内が先週読んだ本 
期間:2018年 8月第三〜四週 8月12日〜25日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●僕に踏まれた町と僕が踏まれた町

読了した日:2018年8月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:中島らも
出版年:1997年
出版社:集英社文庫

リンク:
http://amzn.asia/3oWq4jR

▼140文字ブリーフィング:

私の弟のオススメで読んだ本です。
中島らもという人は、
めちゃ頭が良く、文章が上手です。
彼は「文章を書く天才」の部類でしょう。
彼は「文章を書くのが面倒だった」と書いています。
それは文章が出てこないのではなく、
文章は常に脳内で完成しているのだそうです。
供給過剰なほどに。

それを、手を動かして、
「具現化するという単純作業」が、
たまらなく面倒くさくて、
だから酒を飲まなければ文章を書けなかった、
と書いています。

私は天才ではないので、
文章を書くのは苦労します。
文章を書くという創造的な行為は、
私にとっては、脳が最も良い状態のとき、
1日2時間が限度です。

でも、天才には天才なりの苦労があるのでしょう。
彼はアル中と躁鬱病を煩い、
52歳で夭折してしまいました。
惜しい才能です。

ふたつ、彼の文章が上手だ、
ということを示す文章をご紹介します。


→P73 
〈僕のいた高校は一学年がだいたい百四、五十人いる。
そのうち百人ぐらいが東大に行き、三、四十人が京大に行く。
考えてみれば化け物みたいな学校だ。

そしてそのすみっこのほうに、十人ぐらいの「落ちこぼれ」がいる。
この連中はとうに受験をあきらめて、
某部室にたれこめてはたばこを吸ったり酒を飲んだり、
シンナーを吸ったりマルキシズムについて議論したり、
セックスについて見栄の張り合いをしたりしていたのだ。

そのようすはちょうど高価なワインのびんの透明な底に沈んでいる、
ほんのすこしの澱(おり)を思い出させた。〉



「灘校という高級ワイン」の澱(おり)という譬えは秀逸です。

もう一箇所を引用します。
これは彼の予備校時代の友人が、
自殺したことを懐古して書いているものです。

→P193 
〈そしてある日、彼はタヌキを見たというその田舎の家で、
自分の命を絶った。
致死量の睡眠薬を飲んでガスを放ったうえに手首を切る、
という覚悟の自殺だった。

あれから18年が過ぎて、
僕たちはちょうど彼が亡くなった歳の倍の年月を生きたことになる。
かつてのロック少年たちも今では、
喫茶店のおしぼりで耳の穴をふいたりするような「おっさん」になった。
そうした軌跡は、かっこうの悪いこと、
みっともないことの連続で、
それに比べて18で死んでしまった彼のイメージは、
いつまでも18のすがすがしい少年のままである。

自分だけすっぽり夭折するとはずるいやつだ、と僕は思う。
薄汚れたこの世界に住み暮らして、
年々薄汚れて行く身としては、
先に死んでしまった人間から嘲笑されているような気になることもある。

ただ、こうして生きてきてみると分かるのだが、
めったにはない、何十年に一回くらいかもしれないが、
「生きていて良かった」と思う夜がある。
一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、
あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。

だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。

生きていて、バカをやって、
アル中になって、醜く老いていって、
それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、
そうやって生きていれば良かったのに、と思う。
あんまりあわてるから損をするんだ、わかったか、とそう思うのだ。〉




、、、おい、聞いてるか。
おっさんになると分かるぞ。
ゴミクズみたいなこの世界で、
醜く老いていくばかりの我が身だが、
めったにはないけれど、
それでも何十年かに一回くらい、
「生きていて良かった」と思う夜があるぞ。
そんな瞬間を額縁に入れてときどき眺めたりして、
生きていれば良かったのに、、、。

これを弔辞かなんかで読まれたら泣いちゃいますね。
「世界は素晴らしい!
 あなたは価値がある!!
 死んじゃだめだ!!」
といった、押しつけがましく薄っぺらなメッセージにはない、
哀愁と深みがあります。
(1,510文字)



●歳を取るのも悪くない

読了した日:2018年8月14日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:養老孟司 小島慶子
出版年:2018年
出版社:中公新書ラクレ

リンク:
http://amzn.asia/00CIEC5

▼140文字ブリーフィング:

養老さんの本は、新刊が出るとほぼ必ず読みます。
こちらは元TBSアナウンサーの小島慶子さんとの対談本。
小島さんは30代でTBSを退社して、
無職の夫と共にオーストラリアに移住しました。
養老さんは57歳で東京大学の教授を早期退職し、
その次の日、何の収入を得る手段もなかったそうです。
でも、二人ともちゃんと生きてますし、
むしろ彼らがそういった選択をしたことで、
人生は豊かにされ、世の中を益しているようにも見える。

「不確実性の中に飛び込む勇気」を持つ二人の話しからは、
日本の組織と個人のほどよい関係性とはどんなものか、
みたいな話しが透けて見えます。

2箇所引用します。

まずは、年寄りの「世の中への怒り」と「生への執着」は、
ちゃんと生きてこなかったこのとの結果だ、
という養老さんの指摘から。


→P22 
〈養老:年寄りが世の中に八つ当たりしたくなるのは、よく分かります。
もう、自分はどうでも良くなっちゃっているからね。
だから、どんな人間だと思われようがかまわなくなる。
そうすると、自分の事より怒りの方が大きくなるのでしょう。
世の中、なんとなく気にくわない。
いらいらして、毎日を暮らす。
何に向かって怒っているのか、
たぶん自分でもわかっていないんじゃないかな。
そういう人たちを見ると、僕は、生きそこなっているなあと思います。

小島:生き損なっている?

養老:そう、生き損ない。
これまできちんと生きてこなかった人、
一生懸命、真剣に生きてこなかった人のことです。
何かにつけて文句ばかり言っている人は、
こんなはずじゃなかったっていう気持ちを常に抱えていて、
それを人のせいにする。
そういう性質の人が、現代社会ではますます増えていると思う。

小島:自分は誰かのために、
長年我慢させられてきたという気持ちがあるのかも知れません。
じっと耐えてきたのに報われないというやるせなさが、
世間への八つ当たりになってしまうのかも。

養老:それもあるでしょう。
だから、あまり我慢はしちゃいけない(笑)。
まあ、自分が上手く行かないのは人のせい、
会社のせい、世の中のせい、で片付けちゃう方が楽だからね。
いまいる環境の中できちんと生きていれば、
自分一人で生きているわけじゃないことなんか、すぐわかるはずです。
そうしたら、なんでもかんでも世の中のせいにして、
当たり散らすような年寄りにはならないですよ。
それに、本気で生きていれば、
「死にたくない」って繰り返すようなこともない。
その場その場を一生懸命生きてきた人は、
死ぬことが怖くないからね。
自分の人生を先送りしてきた人は、
いつまでたってもこの世に未練がある。

小島:周囲への感謝があれば、寛容になれるんですね。
それにしても、そのときそのときを本気で生きるというのは、
意識しないと難しいですね。
いくつになっても将来設計にばかり気を取られて、
肝心の”今この瞬間”はないがしろにしてしまう。

養老:明日のために今日を犠牲にして、
将来のために現在を犠牲にしていたら、
保険をかけているような毎日しか送れないでしょう。
その途中で死んだら、どうすの?

小島:ああ、それが生き損なうということですね。

養老:この歳になるとよくわかりますが、
人間は必死で生きているときが一番幸せですよ。
毎日がつまらない人は、
他でもない自分自身が
退屈に暮らすことを選んでいるのだと思った方が良い。〉



、、、私は今でも、
「10年前、公務員を辞めていなかったらどうなっていただろう、、、」
とときどき夢想することがあります。
確言はできませんが、
多分養老さんの言うところの「生き損なって」いたと思います笑。

きっと今の10分の1も努力してないし、
(だって努力する必要ないですから)
その結果、肉体も精神も中年太りをし、
いつも(自分がぶらさがっているところの)、
市役所という組織の悪口を言い、
社会に不満を言い、政治に文句を言い、
教会の文句を言い、他人の文句を言っていた気がする。

いや、本当に。

それだけこの10年は必死で生きてきたし、
今も、この瞬間も、「生きるのに必死」です。
誰かに文句を言う余裕などないし、
養老さんの言うように、
思い残しはいつもありませんので、
いつ死んでも本望です。

良い人生を生きてるなぁ、
いや、生かされてるなぁ、
と、最近思うことが多くなりました。

次にもう一箇所。
組織に守られると「安全、安心」を得ますが、
それと引き換えに「学習と成長」を失う、
と養老さんが指摘しているところを引用します。


→P29〜30 
〈小島:、、、それにしても、
かつては若者の悩みだった”どう生きるか”という問題について、
なぜ現代は中年が悩むようになってしまったのでしょうか?

養老:それだけみんなが不安を抱えるようになったと言うことでしょう。
必死で生きている時は、その過程でいろいろなことを覚えるでしょ。
覚えなきゃ生きていけないから。
でも、安心、安全で安定した状況に置かれると、人は学習しない。

現代は、都市化されていく中で、安全に安心に暮らすことを基準にして、
同じ事の繰り返しをよしとしてきた。
そうすると、歳を重ねても人間が育っていかない。
だから、人生をいかに生きるべきか、とか、
人類の将来はどうなるのか、とか、
いつまでたっても自分なりに考えることができない。
ずっと人々が考え続けていたことが、
表面に出てきちゃったって事じゃないでしょうか。

でも、ここであらためて考えてみるのもいいですよ。
人生とは何か、生きるとはどういうことか、考えてみるのは楽しいですから。
人間は、考えたくないことは考えなくなりがちで、
東京って、その典型だと思う。
僕は、だいぶ前から東京という都市は健康じゃないと思っているの。
それが会社を辞めたら不安だ、老後が不安だ、
という話しにつながっていくのかな、と。
そりゃあ、不安でしょ。
どう生きれば良いのか、わからないわけだから。〉



、、、「安全・安心」と、
「成長・学習」はトレードオフです。
動物園の檻の中で餌を与えられるだけの動物は、
サーカスで「働いている」動物より平均余命は短いそうです。
大きな組織に守られて「一生安泰」な人って、
動物園的な人生を自ら選んでいる。
それが悪いとか良いとかいう価値判断はできません。
しかし、「トレードオフだ」ということは知った方が良い。

私は市役所を辞めなければ、
それを知るのが60歳を過ぎてからだった気がします。
今考えるとぞっとします。
早いところジャングルに飛び出し、
野生動物になっていて良かった。
もちろん「ここ」には、予期せぬ危険もあるわけですが、
「緩慢な死」よりは「リスクと隣り合わせの生きる実感」を、
私は貴重だと思うので。

繰り返しますがどちらが良いと考えるかは、
その人によりますし、
私は「安全で緩慢な死」を選択することを、
まったく悪いこととは思いません。
ただ、「トレードオフの事実」だけは知っておいたほうが良い、
という話しです。
そうしないと、「不機嫌な老人」になっちゃうから。
(2,802文字)



●多動力

読了した日:2018年8月16日
読んだ方法:央君から引き受ける

著者:堀江貴文
出版年:2017年
出版社:幻冬舎

リンク:
http://amzn.asia/9rtNbuZ

▼140文字ブリーフィング:

「究極の合理主義者」の話しです。
論理的で明晰な言葉で語られていて、すべて納得できます。
完璧な論理体系であり人生論・仕事論です。

、、、しかし、ひとつ問題があります。

まったく羨ましくないことです。
彼は毎日、美味しいものだけを食べ、
1ミリも「我慢」をせず、
ホテル暮らしだから掃除や洗濯といった無駄な時間がないと言います。
着た服は毎日捨てていくので洗濯しない。
ファーストクラスで海外に行って美味しいものを食べ、
日本に帰ってきたその日にフルバンドで演奏してもらうカラオケ屋さんで、
カラオケを歌い、そのあと高級寿司店などをはしごして、
4次会ぐらいまで飲む。
毎日がそんな調子で「楽しいこと」以外何もなくなる。
みんなが楽しくないのは、「我慢教」に洗脳されているからだ、
というような話しです。

すばらしい!
御意!

でも、問題は、不思議なことに、
「彼になりたい」と1ミリも思わないことです。
何一つ羨ましくない。

いや、マジで。

「完璧な肉体理論をもつ、
超絶筋肉のボディビルダーの、
非常に勉強になるトレーニングや栄養の話を、
納得し、うなずきながら聞いたが、
では最後に、自分があの体型になりたいかと聞かれれば、
できればなりたくない。」
と思うのとちょっと似ています笑。

一つだけ、彼が「教養が大事だ」
と力説しているところがあり、
そこだけはとても納得しましたので引用します。

→P117 
〈原液*を作るようになれと言ったはいいが、
やみくもに走り回っても「原液」になるものは作れない。
 では、いかにしたら原液を作れるようになるか。

 それは「教養」を身につけることだ。

 教養とは、表面的な知識やノウハウとは違い、
 時代が変化しても変わらない本質的なことを言う。
 僕は疑問に思うことは、とことんまで徹底的に掘り下げる。
 (中略)
 「教養」という幹なるものがあれば、
 枝葉となるさまざまな事象はすべて理解できる。
 2016年の9月に発刊された『サピエンス全史』は上下巻で分厚いが、
 教養を体系的に身につけるための格好の良書だ。
 現在人類であるホモ・サピエンスが、なぜホモ属の中で唯一生き残り、
 繁栄することができたのか。
 本書ではその疑問に対して丁寧に解説している。
 (中略)
 僕は「原液」となる、
 時代の一歩も二歩も先のビジョンを提示しているが、
 それはシステムの本質と歴史の変遷を追った
 深い教養を身につけているからできることなのだ。
 教養なき者は「今」という時代の変化に振り回され、
 目の前の仕事をこなす歯車で終わってしまう。
 反対に「教養」があれば、
 ジャンルを横断する「原液」となるものを生み出すことができる。
 
 急がば回れ。
 
 表面的な情報やノウハウだけを身につけるのではなく、
 気になった物事があれば歴史の奥まで深く掘って、
 本質を理解しよう。〉

*彼が「原液」と呼んでいるのは、「情報の原液」のことです。
カルピスの原液のような。
前章で彼は、人間には情報の原液を作る小数の人間と、
他人の原液を薄めて売る多数の人間の二種類がいる。
前者になれ、ということを書いています。

、、、彼が考える教養と、
私が考える教養がまったく同じものかどうかは不明ですが、
「教養が大事だ」という意見には同意します。
「面白いコンテンツ」を作るには、
最新のものを追いかけたらダメです。
必ず二番煎じになりますから。
そうじゃなく、「古典」を読むのが最短ルートです。
(1,368文字)



●さらば、GG資本主義

読了した日:2018年8月17日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:藤野英人
出版年:2018年
出版社:光文社新書

リンク:
http://amzn.asia/3ySIqpX

▼140文字ブリーフィング:

著者の言う「GG」とは、
「ジージー」つまり、「ジジィ」、
要は「高齢者」のことです。

高齢者を「ジジィ」と呼んだら、
ポリティカリーにコレクトではない、
と彼は判断したのでしょう笑。

彼の判断は正しい。

要するにこの本は、
ますます高齢化する日本の社会が、
若い人々の活躍を妨げている、ということを指摘しています。
日大アメフト部問題で注目された田中英寿理事長なんかは、
まさに「そういうこと」ですよね。

この本、最初のほうと最後のほうは面白かったのですが、
真ん中あたりは著者の投資会社の宣伝みたいになっていて、
正直トーンダウンしてます。
最初は日本社会を論じている本かと思ったら、
会社のミッションステートメントのコマーシャルを見せられたような、
複雑な気分になりました。

「プロフェッショナル 仕事の流儀」みたいな、
ドキュメンタリー番組かと思ったら、
最後まで観ると青汁の宣伝だった、
みたいなパターンと似ています。

、、、というわけで、
この本、最初の章はとても面白いです。

二つ引用します。

「待っていても順番は来ない」話しと、
統計から観る「GG資本主義」。


→P10〜11 
〈高齢化社会と成長との関係性について考える上で、
非常に示唆的だなと思ったエピソードがあります。

私のベンチャーファイナンスの先生である、
斉藤惇さんとお話ししたときに、聞いた話です。
斉藤さんは野村證券の副社長、
東京証券取引所グループの社長などを歴任された
辣腕の実業家で、年齢は70代後半。

彼は、こんなふうにいっていました。
「私は40代のころ、自分が前に出ようとしたら先輩たちから止められた。
『君はまだ若いから、年長者を立てなさい。
そのうち順番が回ってきたら、主導権を握れるから。』
というのが、先輩たちの言い分でした。
そういうものかと思って順番を譲り、待っていてどうなったか。
いま私は70代ですが、
まだ80代のみなさんがお元気で現役として残っています(笑)。
藤野君、これが高齢化社会というものですよ。
待っていても順番は回ってこない。
だから、チャンスがあれば主導権を奪取しなさい。」

70代になってなお先輩が君臨する社会。
考えただけでぞっとしますね。
言ってみれば体育会系の部活で先輩にしごかれて
「1年我慢すれば3年生が出て行く」と思ってがんばったのに、
何年経っても先輩たちは出て行かない――そんな状況です。〉



→P18〜19 
〈高齢者が経済の真ん中に居座り、
牛耳り続ける「GG資本主義」。
データをひもとくと、至る所にその影響力が見て取れます。

例えば、会社を動かすトップ。
日本企業の社長の平均年齢は近年上がり続けていて、
2017年時点で、59.5歳。
調査を始めてから最も高い数字で、
90年以降に比べて平均年齢は5歳も高くなっています。
さらに年齢構成を見ると、60歳以上が全体の約半数を占めています。
日本における女性社長の割合はわずか7.69%ですから、
日本の会社の半分近くが「還暦を過ぎた男性」によって
動かされていることが分かります。

経済の主体は、会社だけではありません。

われわれ個人が生活の中で行う「消費活動」も
大きなインパクトを与えます。
会社とは詰まるところ、モノ・サービスを提供して、
顧客に買って貰うことで成り立っている。
消費者がお金を使わなければ、事業活動は回っていきません。

実は、消費で存在感を放っているのも、60歳以上です。
結婚して家を構えたり、交際費に使ったりする
働き盛りの人々が一番消費していそうですが、
2015年の消費シェアに占める30〜39歳の割合は、わずかに9.9%。
40〜49歳ですら、19.8%でしかありません。
29歳以下となると1.5%で、統計上の存在感はほとんどありません。

一方、60歳以上は47.8%にも上ります。
世の中の消費の約半分が60歳以上によって行われているって、
少し意外な結果ではないでしょうか。

調べていくと、それもそのはず、と思わせるデータがありました。
各資産の保有者の割合を年代別に見ると、
60歳以上の保有率が金融資産で68.8%、
土地保有で56.4%という、非常に高い数値です。〉



、、、凄いデータ&凄い話しですよね。
先ほどの日大の田中理事長の話ですと、
あれはアメフト部の内田前監督が、
「待っていれば順番が回ってくる」と思ったら、
途中でポカをして「トカゲのしっぽ切り」にあったという話しですね。
田中理事長は安泰(!!)という。
ホラーのような話しです。
この「出世の椅子取りゲーム」は、
人口減少社会では、悪いことは言わないので、
始めから参加しないのが「吉」です。
現在の70代、80代までが、
「ネズミ講で本当に儲けられる最後の世代」であり、
60代以下は「カモ」と思ったほうが良い。
早く「野生動物」になりましょう笑。

終盤で著者は自らが投資している企業の中で、
若い経営者が成功している場合、
それは「仕事とは穴を埋めること」という概念を持つ人に多い、
と指摘しています。
これは養老孟司が別の本でまったく同じ事を言っていました。
「仕事とは、山をつくることだと思っている人が多いが違う。
 仕事というのは、穴を埋めることなんだ」と。
私も本当にそう思います。
仕事というのは基本的に「社会の雪かき」なのです。


→P166〜167 
〈これまで多くの成長企業の経営者を見てきましたが、
塔を建てたと言うより、
「穴を見つけて、穴を埋めた」人のほうが多いのです。

「なんでこんなところに穴があるんだろう?
これを埋めたらもっとスムーズに通れるのにな。
それならいっそ、自分で埋めちゃおうか」といった感じです。

余っているところから砂を持ってきて、
スコップを入れてガサッと入れていく。
それがビジネスというものの本質です。
まずは気づいた穴から埋めていって、
そのうち世界中に空いているたくさんの穴を埋めて、
世の中のためになっていく。
それが私のイメージする成長企業です。〉
(2,388文字)



●フィルターバブル インターネットが隠していること

読了した日:2018年8月21日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:イーライ・パリサー
出版年:2016年
出版社:ハヤカワ文庫NF

リンク:
http://amzn.asia/gv3u0x3

▼140文字ブリーフィング:

この本は、くっそ面白かったです。
ネット社会の本をこの数年わりと読み漁っていますが、
けっこう毎回引用されるので、
興味をもって手に取りました。

内容が豊富すぎてここで全部解説できませんが、
著者の言う「フィルターバブル」とは何か、
ということだけ解説しておきます。

それは、私たちの日々観ているインターネットというのは、
2009年を境にその性質が変わった、というところから始まります。
この年の12月にグーグルがポリシー変更をしました。
多くの人はそれを見逃しましたが、
これはインターネットの在り方を本質的に変えてしまうほどのものだった。
私たちが検索した単語、クリックした履歴、
閲覧したページやそのページに留まった時間、、、
そういったものがすべて検索サイト(やAmazon、楽天)
に「フィードバック」されるようになった。

これを「フィルター」と呼びます。
そしてフィルターは私たちがインターネットを使えば使うほど、
「私たちに最適化されたフィルター」となる。
つまり、インターネットが、
「私たちが見たいものを先回りして、
 それを見せてくるようになる」わけです。

このプロセスは「再帰的」と言いまして、
無限のポジティブフィードバックのループをもたらします。
そうすると私たちは、
「自らの価値観という泡」の中に閉じ込められてしまう。

これが「フィルターバブル」です。

この「フィルター」から自由でいられる個人は、
たぶんこのメルマガ読者のなかにはいません。
パソコンを一からプログラムできるぐらいの知識があれば、
私たちの行動を追跡し、情報を吸い上げるシステムから、
「脱獄」できますが、そんな人はとっくに、
インターネットの中の世界で働いていますから。

私がかなりショックを受けたのは、
「グーグル検索の結果は、
 検索者によって異なる」ということです。

知ってました??

ヒット件数すら異なるのです。
保守派の思想を持つAさんと、
朝日新聞を購読するBさんとで、
「安倍晋三」を検索した場合、
最初に出てくるページが違うのはもちろんのこと、
「ヒット件数」にまで差が出てくるのです。
これは、かなりショックです。

インターネットは「世の中を見ている」のではなく、
「世の中を見る自分のメガネ」を観ている、
と考えた方が、これからは良さそうです。

以上説明したようなことが、
以下の引用に書かれています。

→P13〜15 
〈2009年12月4日、
グーグルの公式ブログに登場した一文に
注目した人はほとんどいなかった。
 (中略)
この日の朝から、
グーグルは57種類もの「信号(シグナル)」
――ログインの場所や使っているブラウザーから
過去に検索した言葉まで――を使い、
各ユーザーがどういう人物で
どういうサイトを好むのかを推測するようになった。
ログアウトしても検索結果のカスタマイズが行われ、
そのユーザーがクリックする可能性が高いと
推測したページが表示されるのだ。

グーグルの検索は誰に対しても同じ結果を返してくると思う人が多い。
つまり、グーグルの有名なページランクアルゴリズムによる結果
――他ページからのリンクを基準にした権威ある検索結果だ。

2009年12月以降は違う。

いま、返ってくる検索結果はあなたにぴったりだと
グーグルのアルゴリズムが推測したものであり、
他の人はまったく違う結果となっている可能性がある。

規格品のグーグルというものはなくなったのだ。

この結果、大きな違いが生じていることは簡単に確認出来る。
2010年春、メキシコ湾原油流出事故まだ収まっていない頃、
友人二人に「BP」の検索をして貰った。
ふたりは似たようなレベルの教育を受けた左寄りの白人女性で、
米国北東部に住んでいる。

だが、検索結果は大きく異なっていた。
片方が見たのはBPの投資情報、もう片方はニュースだった。
片方は1ページ目に流出事故に関するページへのリンクが含まれていたが、
もう片方はBPの広告以外関連する情報はなかったのだ。

ヒット数さえも大きく異なっていた。

片方は1億8000万、もう片方は1億3900万。

東海岸に住む革新的な女性同士でもこれほど結果が違うのなら、
テキサス州に住み共和党を支持する老人や、
それこそ、日本の会社員とではすさまじい違いになるはずだ。

パーソナライズされたグーグルで「幹細胞」を検索した場合、
幹細胞研究を支持する研究者と
反対する活動家では正反対の結果になるかもしれない。
「気候変動の証拠」でも、環境運動家と石油会社役員では
まったく違う結果になるかもしれない。

調べ物をするとき、
ほとんどの人は検索エンジンを不偏だと考える。
でも、そう思うのは、自分の主義主張へと
少しずつ検索エンジンがすり寄っているからなのかもしれない。
あなたのコンピューターのモニターは
マジックミラーのようなものになりつつある。
あなたがなにをクリックするのかが
鏡の向こうからアルゴリズムに観測され、
自分の興味関心を映すようになっているのだ。

前述したグーグルの発表は、
情報を消費する方法について
水面下で大きな変化が始まったことを意味している。
パーソナライゼーションの時代は
2009年12月4日に幕を開けたと言えるだろう。〉



、、、いかがでしょう?
ぞっとしませんか?

私はぞっとします。
情報源がインターネットだけになったとき、
私たちはどうやって「公正な議論」をするのでしょう?
ある人の検索結果では、
「南京虐殺はひどかった」となっており、
ある人の結果では、
「あれは史実ではない」となっている場合、
その二人はどうやって議論すれば良いのでしょう?

アメリカには未だに、
「オバマがイスラム国の創始者だ」
というトランプが言ったデマを、
信じている人が一定数いるそうですが、
インターネットだけが情報源の場合、
彼らがその事実誤認を訂正する機会は永遠に訪れません。
(2,349文字)



●貧乏も宝物

読了した日:2018年8月22日
読んだ方法:山田風音くんにいただく

著者:ライフストーラー企画(山田シマ子)
出版年:2018年
出版社:ライフストーラー企画

リンク:
https://life-storier.com/

▼140文字ブリーフィング:

先週、私の家に山田風音くんという青年が宿泊してくれました。
彼と最初に出会ったのは去年、伊勢志摩で開催された、
「よにでしセミナー 第一回」においてでした。
彼は「ライフストーラー企画」という会社を立ち上げた、
若手起業家(アントレプレナー)です。
上記リンクのホームページを観ていただければ分かりますが、
この会社は、人の人生のストーリーを聞いて、
それを本にして出版するというサービスを提供しています。
特にクリスチャンの場合、
それこそが「福音の物語」になります。
私もこの会社を応援していますので、
ちょっとでも力になれればいいなーと思っています。

3月に名古屋に立ち寄ったときに、
一冊目の「本」のサンプル(試作品)をいただいていて、
彼が泊まりにくるので読んでおこう、と思い読みました。
(ちなみにこの本、非売品です。
 依頼者によって冊数は異なるのですが、
 依頼者が周囲の人に配ったり売ったりするのは、
 依頼者にお任せし、
 本を指定冊数納品するのがライフストーラー企画の仕事です)

この本の「著者」は山田シマ子さんという女性ですが、
戦後の物のない時代のリアルな生活の様子だとか、
当時の結婚の在り方とか、
日本が右肩上がりに成長していく時代の空気感だとか、
あまり他では聞けない話がたくさんあります。
しかし、もっとも強く感じたのは、
「普通の人生」などない、ということです。

街行く人、人、人は、
記号のように私たちの前を通り過ぎていきますが、
どの一人をピックアップしても、
もし私たちが時間をとって耳を傾け、
山田君がしているようにストーリーに起こすなら、
きっと「特別で唯一の、他にはない人生」に、
私たちは驚くんじゃないか、そう思わされました。

この仕事をするとそういう意味で、
「世界観」が変わりそうです。
終盤の、著者が自分の人生を振り返っている一節を引用します。

→P55〜57 
〈神様を信じていてよかったことは、
頼れるお方がいるっていうことかな。
安心できるっていうか、平安を与えてくれるお方。
不安がないわけじゃないけど、
でも祈ることができるっていう安心感、
神様にいつも守られているっていう安心感。

あと信仰を通して家族がひとつにまとまってきたかなとも思う。
それも、信じて生きることの大きな祝福だと思う。
子どもたちとの関係にしても夫婦の間にしても、
共通のものをもっているわけでしょう、
教会へ行くとか神様との関係を持つとか。
孫たちもそうやって教会につながっていてくれるから、
暗黙の家に共通のものがあるなあっていう安心感があるよね、
別に家で聖書の話しをするわけじゃないけれどもね。

生活の中でイエス様が一緒にいてくれるっていうか、
まぁ、家庭が幸せって言うことよ。
今のところ健康の心配もなくて、
お金の心配もせずにいい家に住ませて貰っているし。
私の子どもの頃は貧乏でいつもお金がなくって、
住む家もおんぼろで冬は寒くて夏は暑くて凄く大変だった。
それを思えば今は天国だよね。

こうやってインタビューして下さって
子ども時代のことをたくさん聞き出してくれたでしょ。
だから最近、自分の子どもの頃住んでいた家なんかを思い出すと、
よくもまあこんなところに住んでたなぁと思うんだわね。
同時にそういう子ども時代のことを思えば、
今はなんて幸せなんだろうと思うわけ。〉
(1,342文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:『フィルターバブル インターネットが隠していること』イーライ・パリサー

コメント:

この本は抜群に面白かったです。
先ほどのブリーフィングで、
「見たい世界しか観られなくなる」ことによる、
「民主主義の土台となる公正な議論」が不可能になる、
というリスクを挙げましたが、
他にもたくさんの「フィルターによる障害」が指摘されています。

二つ、ピックアップします。

一つ目は、「思いもよらぬアイディアとの遭遇がなくなる」ことです。

→P126〜127 
〈バージニア大学メディア学科の教授で
グーグルを専門に研究しているシヴァ・ヴァイディアナサンは、
『グーグル化の見えざる代償――ウェブ・書籍・知識・記憶の変容』
にこう書いている。
「学びというのは、その定義から、
自分が知らないこととの遭遇となる。
考えもしなかったこととの遭遇、想像もできないこととの遭遇、
理解などできないこと、とても楽しめないこととの遭遇となる。
なにか別のものとの遭遇――そのような異なるものとの遭遇となる。
インターネットを検索する人と検索結果との間に
グーグルが置こうとしているようなフィルターは、
そのような根源的な遭遇を検索者から隠してしまう」。〉


、、、もう一つは、
「問い」を生み出す能力の退化です。
これは先週のメルマガのQ&Aでも引用した箇所ですね。

→P127 
〈パーソナライズされた環境は
自分が抱いている疑問の解答を探すには便利だが、
視野に入ってもいない疑問や課題を提示してはくれない。
ここからは、パブロ・ピカソの有名な言葉が思い出される
――「コンピューターは役立たずだ。答しか与えてくれない。」〉


、、、最後に、本書の要約的なセンテンスを紹介します。

→P296 
〈本書で私は、あらゆるところにフィルタリングが
組み込まれるようになりつつあり、その結果、
インターネットにおける体験が変わりつつある、
また、最終的に世界自体が変わりつつあると訴えてきた。

その原因は、ユーザーがだれで、なにを好み、
なにを望むのかを判断する力を媒体が初めて持ったからだ。
コードによるパーソナライゼーションは
常にジャストフィットとは限らないが、
適切な広告を提示し、また、我々が読み、
閲覧し、聞く内容を調整して利益を持たせる程度には正確である

その結果、インターネットは圧倒されるほど
豊富な情報源や選択肢を提供してくれているというのに、
我々はフィルターバブルに包まれ、
その大半を気づかずに過ごしてしまう。

インターネットは自らのアイデンティティを育て、
さまざまなことをトライするチャンスを提供してくれているというのに、
パーソナライゼーションという経済性の追求は
個性を不変なものにさせようとする。

インターネットによって知識やコントロールが
分散する可能性があるというのに、実際には、
我々が何を見てどういうチャンスを手にできるのかといった選択が
かつてないほど小数の人の手に集中しつつある。〉



▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「ライフストーラー賞」:『貧乏も宝物』山田シマ子

コメント:

山田シマ子さんの人生に触れ、
じんわりと心温まりました。
風音くんはいま、
広島の被爆者の方のお話を聞いているそうです。
日本における「世代から世代への精神的な遺産の継承」という意味で、
ライフストーラー企画のような働きはとても大きな意味を持ちます。

とかく、土地や金融資産の遺産相続ばかりがビジネスになりますが、
「精神的な遺産相続」は本当はもっと大切なはずです。
お近くに本を出版してみたい方がいらっしゃいましたら、
ライフストーラー企画にご一報を。
一回目のインタビューのための、
インタビュアーの交通費は無料です(宣伝)。

この記事のトラックバックURL
トラックバック