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骨を拾う

2019.01.08 Tuesday

+++vol.055 2018年9月4日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
骨を拾う
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼ブログ記事を掲載します▼▼▼

今回は、久しぶりに書いた、
「ブログ記事」を掲載します。

▼参考リンク:「陣内俊Prayer Letter」
https://ameblo.jp/shunjinnai-kingdomcome/

ブログとメルマガって、
ちょっと違うんですよね。
佐藤優が「文体は思想だ」って言っているのですが、
文体が変わると、「人格」もちょっと変わります。
メルマガでは一人称を「私」にしています。
これはメルマガを開始した理由が、
「ブログとは違う内容のことを書きたい」と思ったから、
敢えて文体を変えるために一人称を変えたのです。

今回はブログ記事なので、
一人称は「私」ではなく「僕」です。

内容も、
いつものオープニングトークとは違うと思います。
文体が違いますから。

あと、最初に言っておきますが、
この記事「長い」です。
マジで長い!

「シーズン2」は分割送信はやめようと思ってたのですが、
文字数オーバー(1通30,000字以内)につき、
今回はやむなく分割送信になってます。
反省しない男!
どうしても長くなっちゃうんです。
30分番組が1時間番組になっちゃいました。
ラジオでいえば、今回はスペシャルということで笑。

お時間のない方、
長い記事を読むのが嫌いな方は、
どうぞ躊躇なく、
今回のオープニングトークは飛ばして、
2通目の「陣内が先月観た映画」から読んで下さい。

では、ブログ記事を収録いたします。
(ブログ更新は本日18時の予定)



▼▼▼ブログ記事「骨を拾う」▼▼▼

どうも僕です。
久しぶりのブログ更新です。

更新が滞っていたのは、
特に深い理由はないのです。
なんとなく「ブログな気分」ではなかった、
というだけで。

たしか今年の3月のことだったのですが、
週に1、2回はブログを更新する流れができていたとき、
出張中のどこかのカフェで、
1時間近く「不確実な世界で生きる(確か)」というタイトルで、
ブログ記事を書きました。

なんだかそのときは「上から文章が降りてくる」かのように、
筆が進みまして、1時間ひたすら、
この数ヶ月考えていたこと、
みたいなことを書いたんです。
確か「ハイゼンベルクの不確定性原理」から、
なぜ今の社会では我々は生きづらいのか、
みたいな話しにまで飛びまして、
それはそれは、
「ブラジルで蝶が羽ばたけば、
 テキサスで竜巻が起こる」
みたいな勢いのある文章が書けたのです。

そんな奇跡みたいな瞬間が、
凡庸な才能を持つ僕にも、
年に一回ぐらいは訪れるのです。

ところが。

そんな奇跡みたいな瞬間というのは往々にして、
マイナスの奇跡みたいなこともセットで起きるものでして、
さて、このブログ記事を更新して、
カフェを後にしようか、と思った瞬間、
なんの不手際か、
オンラインで編集していたその記事が、
あっけなく消えてしまいました。

それ以来ですかね。

半年ほど、このブログは更新してません笑。

深い理由、
ちゃんとあるじゃねーかよ!
っていうね笑。


さて。

そんな余談はさておき、
深い心の傷を負った僕は、
子どもに石を投げられた野生動物が、
しばらくその場所に寄りつかなくなるように、
ブログ近辺から遠ざかっていたわけですが、
久しぶりに、なんだか「ブログな気分」になったのです。


といいますのも、
先日僕は北海道に行っておりました。

そのとき、
「あぁ、なんだかこれは書いておきたいなぁ」
と、ふと思った次第なのです。

北海道ではとにかく、
いろんな人のご厚意に与り、
とても楽しく過ごしました。
美味しいものをいただいたり、
美味しいものをいただいたり、
美味しいものをいただいたりしました。

ラーメンだとか、お寿司だとか、
インドカレーだとか、美味しいコーヒーだとか、
お魚料理だとか、ホタテの焼いたやつだとか、
何を食べても美味しくて、幸せな気持ちになりました。

前半は札幌に、
後半は道東と旭川に行ったのですが、
道東と旭川へは、
友人が車を貸してくださいまして、
それでかなりの長距離をドライブさせていただきました。
なんと、
「ETCも使って良いよ、
 FVIへの献金ということで」
と言っていただき、
高速道路を使って僕は、
久しぶりに道東にドライブをしたのです。

ブログを読んでくれている人は知っているかもですが、
僕は大学時代の6年間を道東の帯広市というところで過ごしました。
道東のなかでも「十勝」というのが僕の過ごした場所です。
今回は「共働学舎」というキリスト教の理念に基づく、
牧場を経営しながら障がい者のコミューンを形成するNPOを、
見学させていただきました。

2時間ほどかけて、
丁寧に農場、牧場、牛舎、チーズ工房、
生活スペースなどを見せていただきました。
彼らの理念というのは、
「現代の世界で生きづらさを抱える障がい者というのは、
 未来の世界の生き方を伝える預言者なのだ」
というものです。
この信念に基づき、
彼らは一緒に生活をし、
一緒に農作業をして暮らしています。

ジャン・バニエの
「ラルシュ共同体」だとか、
北海道浦河にある、
「べてるの家」などの実践に通ずるものがあり、
とっても勉強&参考になりました。

僕もいつか、ああいった活動に加わるのだろうか?
それは神のみぞ知るのですが、
なんというか、今、こういうものを見ておいた方が良い、
という直観が働いたので見学に行った次第です。

その日は芽室町というところにある、
国民宿舎(!)に宿泊しました。
国民宿舎、っていう響きがもう、昭和ですよね。
そんな昭和な施設に、昭和な気分で宿泊し、
昭和な気持ちで次の日は旭川に向けてドライブを楽しみました。

僕にとって十勝は、
「かつてホームだった場所」なので、
めっちゃくちゃ懐かしくて泣きそうになりながら、
やたらと直線な道を、
時速70キロぐらいで丁寧に走りました。
車内エアコンの穴からこぼれてくる、
十勝の牧場の、酪農家曰く「田舎の香水」を嗅ぎながら。
(あ、要は牛糞の臭いのことね)

、、、で、
清水町・鹿追町と言われる当たりにさしかかったとき、
僕はひとつのことを思い出したのです。

これは、どこから説明しようかな。

僕は16年前に大学を卒業してから、
たしか5年目(?)に開催された同窓会には参加しましたが、
それ以来は一度も同窓会というものに参加していません。

なんていうのかな。

僕の同級生40名は当然みんな「獣医師」でして、
僕はそのなかでも「首席入学」でしたから、
ちょっと一目置かれていたのです。
入学してから3ヶ月の間限定でしたが。
3ヶ月後には、高校で生物を履修しておらず、
さらに数学や英語は得意だが、
暗記科目が絶望的に苦手、
という、獣医学科にとってはハンディキャップしかない、
自らのスペックのクソさが露呈しまして(笑)、
クラスでも勉強のできない筆頭にあげられるまでになりました。

再試験、再々試験、再々再試験などになると、
だいたい10名→5名→3名みたいな感じで人数が減っていくのですが、
たいてい僕はその中に残っていたのです。
Zeebra風に言うならば、
「頭悪そうな奴はだいたい友達♪」
だったのです笑。

、、、話しを戻しましょう。
なぜ、僕が同窓会に参加してこなかったか。
そして(今のところ、今後も多分)参加しないのか。

それはねぇ。

やはり、「獣医師」というのは職能集団でして、
「獣医師である」ということが絆になっています。
なので、僕は10年前に「獣医師を実践する」という、
職業から足を洗ってしまって、
NGOとかキリスト教の仕事をしていて、
もう同級生からしたら、
「もうマジでアイツなんなの?」
と思われてるだろうなー、
きっと顔を合わせても、
何しゃべっていいかわかんないだろうな、向こうが。
場の空気を乱すのもあれだから、
ちょっと参加するのは遠慮しておこう、
となるわけです。

あと、5年前に大きな病気をしたことも大きい。
2年間鬱病で社会的には「死んで」いましたから。
「一回死んでいた人」って、
多分向こうからすると、
何しゃべっていいか分からなくて気を遣うだろうなぁ、
きっと戸惑わせるだろうな、
気を遣わせるだろうな。
だから、参加は遠慮しておこう、
となるのです。

僕はだから、
「2重のスティグマ」を抱えていまして、
同級生を自分が困らせてしまうのではないか、
という恐れから、同窓会を敬遠しています。
あと、「病気の経験」も、
「獣医師をしていない」という物珍しさも、
自分の側にもそれなりに負担だったりします。
相手と「半音ずれる会話」しかできなかったりするだろうから、
そうすると、自分がへとへとに疲れてしまうだろうなぁ、
というのも想像できるのです。

特に病気で体力が落ちているので、
大人数のところで、
病気の事実も、獣医じゃなくて、
何やってるか分からない職業だということも、
いろいろ埋めるべきギャップがある状態で、
コミュニケーションを成立させる。

、、、脳内シュミレーションの結果、
「GAME OVER」という文字が浮かぶのです。
「あ、無理だわそれは」と。

2人、3人ぐらいの、
同窓生の集まりみたいなものなら、
なんとか対応できるかもですが、
20人とかなるともう「パニック」でしょうね。
病気を再発します。
なので、同窓会は行きません。

みんなのことは、嫌いじゃないです。
むしろ、大好きなのだけど。
わりと頻繁に、あの子はどうしてるかなぁ、とか、
あいつは何してるかなぁ、とか考えるのだけど。


、、、さて。

時間を戻しまして、
先週の火曜日、
僕は十勝地方をドライブしていました。
清水町・鹿追町というところにさしかかったとき、
そんな同級生のひとりのことを思い出したのです。

獣医科の大学というのは、
4年生で「研究室」というものに所属します。
その「研究室」が、医学部卒業後の研修の、
「外科」「内科」「小児科」などの分野の分岐に似ているところがあります。

帯広畜産大学の場合、
小動物臨床に行きたい人は内科学教室とか、
基礎研究系に行きたい人は生理学教室とか、
大動物臨床の場合は繁殖学・外科教室とか、
そんなふうになんとなく決まっていました。
(もちろん内科を卒業して大動物も「あり」なのですが、
 研究室が就職前の「ギルド」の役割を果たしていたのは事実です)

、、、で僕は大動物志望でしたので、
繁殖学教室に所属しました。
繁殖教室というのは、
かなりの「変わり者の集まり」という触れ込みがありまして、
実際所属してみるとそのとおりでした笑。

大学にかれこれ11年ぐらいいる先輩とか、
当時僕が22、23歳ぐらいのとき、
28歳の「同級生」がいたり、
先生が「生存確認」をしなければならないほど、
「やばめの人」がいたり、
突如消えたかと思うと、
3ヶ月インドを旅して帰ってくる同級生がいたりしました。

その繁殖学教室に、
「スーパー優等生」がいました。
その子は聞くところによると、
入学時には僕に次ぐ成績でした。
「陣内君が入学式に来れなかった場合、
 あなたが新入生代表の挨拶して」
という電話が学生課からあったと聞きましたから。
彼女は一歩目からつまづいた僕とは違い、
すべての単位で一発合格をし、
「優」の成績を収めました。

僕が、
「頭悪そうな奴はだいたい友達」
だとしたら、彼女は、
「頭良さそうな奴はだいたい友達」
でした。

何度か再々再試験の前とかに彼女に、
「ちょっと悪いんだけど、
 ノートなぞ貸してもらえるかな?」
と無心したこともあります。
ろくに授業に出てない自分が悪いのは分かってますから、
あり得ないほどの低姿勢で。

彼女はゴミクズを見るような目で僕を見、
そして、寛大なことに、
いつもノートを貸してくれました。

また、繁殖学教室には、
「朝の農場」という、
お盆も正月も休みのない作業があります。
僕達繁殖教室の4年と5年の全部で7名ぐらいが、
帯広畜産大学が飼っている乳牛約150頭の、
「種付け」を担当していたのです。

乳牛(ホルスタイン)は牛乳を出すのですが、
人間と同じく、子どもを産まない限りお乳は出ません。
ですから、子どもが生まれない期間が1年以上続くと、
お乳が出ない期間が生まれます。
そうすると農家はその期間の水・飼料・農場のメンテナンス費など、
すべてが「捨て銭」になります。
なので、経営が上手な酪農家というのは、
ホルスタインを上手に途切れなく妊娠させる酪農家でもあるのです。

知ってました?

「知るかよ」という話しですよね。
僕も高校生までは知らなかったですから。

、、、で、
僕達繁殖学教室は、
帯広畜産大学の乳牛の、
繁殖時期を管理し、
その卵巣や子宮の状況を、
直腸検査やエコー検査という検査手技で調べ、
そして「人工授精」という方法によって、
乳牛を妊娠させる、という仕事をしていたのです。
人工授精で使用する「凍結精液」というのは、
だいたい一本3000円〜5000円しますから、
一回「外す」と、それだけの損失が出ますし、
卵巣のサイクルが1周する約20日〜28日間を、
一回「外す」と、日数×一頭当たり牧場維持費の損失が出ます。

そんな重大な役割を、
7名ぐらいの学生が一手に担っていたのです。

今考えると凄いなぁと思います。

、、、で、この「牧場での作業」は、
当然のことながら朝が早い。
授業が始まる8時半にはすべての作業&着替えが
終わっていなければならないので、
毎朝6時半に農場に集合して作業をしました。
ということは繁殖学教室に入った時点で、
2年半は「朝5時起床」が運命付けられていたのです。

ところが僕は、
めっぽう朝が弱い。

良く寝坊しました。

農場の作業は土日も正月もお盆も関係ありません。
「牛の発情」は待っていてくれませんから。
週7日間の朝6時半集合のうち、
僕が本当に6時半に農場に集合できたのは、
週のうち4日〜3日で、
残りの日は30分遅刻だとか、
あと、2週間に1回ぐらいは、
「現れない」日もありました。

その次の日の、
研究室に行くのの辛いこと辛いこと。
「針のむしろ」とはこのことです。
全員で7名と言いましたが、
そのうち2人ぐらいは「生存確認組」で、
あと1人〜2人は帰省していたり、
実習だ部活の遠征だで都合が悪いので、
実質は3人〜4人で切り盛りしているのです。

そのなかで、「1人欠席」はけっこう応える。
僕はそんななか、わりと遅刻・欠席を多くして、
穴を空けては研究室で、
「昨日は、ごめんね。」
と気まずい挨拶をするのでした。

そんなある日、先ほどの優等生、Kちゃんが、
「チッ」と舌打ちするのを僕は聞きました。
人間、自分に向けて舌打ちがされるのを聞くって
なかなかないものですが、
あのときは「チッ」って聞こえたのです。
ハッキリと。

「ホントスミマセン。
 使えなくて。」
まぁ、能力ではなく心がけの問題ですので、
もう、「誠実さ」とかそういうところが問われてくるのです。
僕は信仰者だと自称しながら、
そんな体たらくをさらして、
Kちゃんに舌打ちされながら農場作業をしておりました。

あ、そうそう。
ご紹介が遅れました。
先ほどからの優等生の繁殖教室の同級生、
さしあたりここでは、Kちゃんと呼びます。
実際はまったく違う名前です。

すべての単位で「優」を取るKちゃんは、
僕の記憶している限りでは、
2年半の間、一度も農場作業に遅刻しませんでした。

完璧に作業をしました。

そして、彼女は農場で作業するだけではなく、
酪農家のところでバイトもしていました。
実習と同じことをアルバイトでもする。
それだけ、動物が好きだったのです。

僕は実習では毎日つなぎを着、
ウンコの臭いにまみれていましたから、
せめてバイトはクリーンが良い、と、
家庭教師のバイトを2〜3つかけもちしていました。
自分にできるもっとも効率の良い稼ぎ方をするという、
Kちゃんに比べると風上にも置けない心根です。

もちろん一生懸命やりましたし、
人に何かを教えるのは僕は得意なので、
もれなく生徒の成績は上がりましたが。

しかしながら、
そんなKちゃんに農場でいつも怒られ、
ゴミクズを見る目で再々再試験を助けられ、
遅刻しては冷ややかな視線を浴びせられ、
研究室の仲間とくだらない冗談を言っては「死ねば?」という、
声にならない非難の声を浴びせられながら、
僕はどこかKちゃんのことを「危うい」と感じていました。
「どの口が言うんだよ」という話しですが、
それでもやはり、そう思ったのです。

勉強も完璧、
農場実習も完璧、
何もかも完璧でした。
しかし、どこかいつも自分と人を追い詰めるような、
そんな空気感からは、
ある種の危うさを感じました。

聞けば、たしか四国の方に住むという、
Kちゃんの実家の両親は学校の教師だそうです。
世の中の「模範的な態度」「厳しい規範」を、
あまりにも深く内面化し、
その「最も模範的な位置」にいないと不安であるような、
それが彼女を駆り立てているような、
そんな雰囲気を感じて、どこか心配でした。

僕はわりと真面目(!)とはいえ、
けっこうこういう感じですから、
ゆるいところはゆるいのです。
不真面目な部分を自分の中にかなり多く持っています。
Kちゃんは何度か僕に、
「じんじん(当時クラスメートからそう呼ばれていました)は、
 いいなぁ。
 人を傷つけないから。」
としみじみと言いました。

僕が主催していた、
聖書研究サークルにも、
何回か参加してくれました。
そのときは僕の友人の留学生たちと話し、
普段は見せないような笑顔を見せたりしてくれました。
そんなとき僕は、ホッとしました。
「あぁ、こんな風に笑うんだ。」と。

そうです。

彼女はほとんど笑わなかったのです。
家にテレビとかなかったんじゃないかな。
極度に、非常に、とても、彼女は真面目でした。
その「真面目」のネジを締めすぎて、
ねじ山が壊れて結果的に崩壊してしまうのではないか、
と思うぐらい、それほどに真面目な彼女が、
僕はいつも心配でした。

僕は農場実習に遅刻した朝も、
毎朝神に祈る、という習慣は持っていました。
Kちゃんからすると「祈る前に農場来いや!!」
という話しですが。
そして、ごもっとも、です。

でも、その祈りの時間、
僕は毎日、クラスメートや研究室のメンバーのために、
祈っていました。
その習慣は就職してからは職場の同僚のために、
今も教会のメンバーや家族のために祈る、
という形で継続されています。

僕はそして、
特にKちゃんのために祈りました。

何かいつも内面に大きな不満というか、
怒りというか、やり場のない深い悲しみというか、
そんな言いようのない感情を抱えていて、
それを必死で押さえ込んでいるような、
勉強やバイトや農場作業という形で、
「良い子」でいなければ自分が崩壊してしまうという恐怖と、
いつも戦っているような、
そんな彼女がいつか、
「自分は不真面目でも受容されている」
「自分はありのままで愛されている」
という感情を味わって欲しい。
そう心から願いました。

そのような「自分は愛されている」という感情は、
僕にとっては、信仰をもったときに、
神がくださった恵みとして与えられたので、
どうか彼女もそのような恵みに、
与ることができますように、と。

今はきっと苦しいだろうなぁ。

いや、彼女はずっと苦しかっただろうなぁ。

そう思ったからです。

なぜそう思うのか。

心当たりがあるからです。

僕の両親は典型的な「教育ママ」ではありませんでしたが、
それでも、住んでいた地区が全員学歴高めの地区で、
学業の競争が激しい地域だったので、
やはりその親同士のせめぎ合いといいますか、
「自分の成績を親はかなり気にしている」
という雰囲気は、子どもはバカじゃないから気づいちゃうのです。
そして、運良く勉強が好きに生まれた10人に1人ぐらいの、
ラッキーな逸材を除くと、
全員が「自分はダメだ」と思い始めます。

勉強の競争とはそういうものです。
だって、常に上には上がいますから。

僕のように早いところドロップアウトし、
母親に教科書を投げつけ、
意味もなくタバコを吸い、
意味もなくカマキリハンドルの自転車にまたがり、
意味もなく改造された学生服を着、
ブルーハーツと尾崎豊を聞き、
部屋にジェームス・ディーンのポスターを貼り、
矢沢永吉の「成り上がり」を読み、
「大人たちに褒められるようなバカになってたまるか!」
と反抗できた人は、実は「運が良い」のです。

そうなれない人もいる。
そうなれない人もいるのを、
僕はイヤと言うほど見てきました。
僕の友人にも、もっと近い身近にも。

そうなれない人はどうなるか。
あるときに、自分であることを辞めます。
考えることを合理的にストップします。
そして「勉強マシーン」になります。
そして優等生になる。
模範的な生徒になる。
大人に褒められる。
褒められるとさらにそれが万力のように、
ぎりぎりと「真面目でなければならない」という強迫観念を強める。
この無限のポジティブフィードバックにより、
「ある種の優等生的な人間」が生まれます。

経験的に、女性のほうがこうなりやすく、
男性の場合、また違った現れ方をする感じがします。

職場ならば「お局(おつぼね)」的な人になるし、
学生ならば、そう、Kちゃんのようになります。

Kちゃんの周りにいると、
いつも何か「自分はダメだ」と言われているような気がしました。
何か不完全な自分が責められているような気持ちです。
きっとそれは僕だけじゃなく、
研究室の他のメンバーが、
同じ事を言うのを何度か聞きました。

でも、僕はいつも思っていました。
僕が思っているのの10倍、
24時間、Kちゃんは自分自身を責め続けているのではないか?と。

根拠があります。
まず、彼女はおそらく摂食障害でした。
これはいくつかの徴候から、
かなりの確率で当たっています。
彼女の体重は30キロ台だったと思いますし、
彼女が美味しそうに健全な食事をするのを、
同じ研究室であれほど長い時間を過ごしていながら、
ほとんど見たこともなかったですから。

また、彼女には自傷癖がありました。
これもおそらく当たっています。

周囲はそんなこと分かっているのだけど、
でも、誰も何もしてあげられなかった。
僕は大学の時のもう一つのあだ名(陰口)が、
「預言者」でしたから笑、
ときどき、ホントに年に何度かなんだけど、
めちゃくちゃ切羽詰まった状況に陥った人から、
「じんじん、実は、、、」
と打ち明け話をされ、
「祈ってもらえるかな?」
と依頼されることがありました。

今考えれば、
それだけ「秘密を守る」と信頼され、
「アイツが祈ると何かあるかもしれない」
と思われていたと言うことですから、
凄いことです。
僕は「クラスの祭司」だったのです笑。

1回か2回、
Kちゃんのために祈ったことがあります。
留学生のフィリピン人の信仰者と一緒に。
涙が出ました。

なぜかは分からないけれど。

神がどんな気持ちで、
彼女のことを思っているかと思うと、
理由の分からぬ涙が出ました。

、、、

時は経ち、6年生にもうすこしでなるというとき、
僕の父親が癌で他界しました。
そのとき、2週間ほど農場作業を休みましたが、
そのときはもちろん「チッ」とは言われませんでした。
「じんじん、もう2週間ぐらい休んで良いんだからね。」
と彼女は言ってくれました。

優しい人なのです。

さらに時が経ち、
僕達クラス40名は獣医師国家試験というハードルを超え、
各々就職していきました。
北海道で大動物臨床の獣医師になる者、
研究者になる者、
動物病院に就職する者、
実家の動物病院を継ぐ者、
地元に帰って公務員になる者、
様々な道を、それぞれが選びました。

僕は愛知県で公務員として働く道を選びました。
多分、父親が死んだことと無縁ではありません。
北海道で大動物をやる、というのが当初の計画でしたから。

Kちゃんはというと、
彼女は清水町か鹿追町というところにある、
「S牧場(都合により匿名)」という、
個人経営の酪農家のところに就職しました。
たぶん有限会社みたいな形の経営で、
わりと大規模だけど、
数名の従業員はほとんど住み込みの家族経営というところ。
彼女が学生時代バイトしていた農場でした。

彼女はほとんど首席みたいな成績で卒業しながら、
なんと「獣医師免許を使わない」職場を選んだのです。
おそらく卒業時点では、
彼女は最も変わったキャリアを選びました。
(現在は僕が一番変わっている思いますが笑)

彼女がなぜそのような選択をしたのか、
ついぞ聞く機会はありませんでした。
社会人になって最初の同窓会が、
たしか5年目に開かれたのですが、
そのとき彼女は十勝温泉の大広間で、
ベロベロに酔って僕のところに来ました。
そして言いました。

「じんじん、
 父親が今年死んだ。
 あのとき、じんじんはこんな気持ちだったんだね。
 それなのにあんなにきつく当たってごめんね。」

僕はまったく「きつくあたられた」という記憶はないし、
むしろ農場作業を遅刻してごめん、
とずーっと2年以上思い続けていたわけなので、
まったくピンと来ず、
「いやいや、きつく当たられてないよ。
 全然優しかったじゃんか」
みたいな会話を交わしました。

当時も彼女は、S牧場で働いていました。

それから2008年に僕は、
獣医師の職場を退職し、
海外の開発援助をするNGOの仕事をするようになりました。
記憶によればその最初の年か、その次ぐらいに、
Kちゃんは自殺しました。

「S牧場」の住み込み従業員用の離れで、
首を吊って死んでいるのを、
牧場主のSさんが発見したと、
僕は帯広時代の別の知人から聞きました。

彼女が何に追い詰められていたのか、
どうしてそこまで追い込まれていたのか、
今となっては知る術もありません。
誰か近くに相談できる人がいなかったのか?
なぜ、彼女ほど有能で頭の良い人が、
酪農家の敷地内の小さなプレハブ小屋で、
ひっそりと自死しなければならなかったのか、、、。

当時は自分自身も激動の日々を過ごしていたこともあり、
それについてじっくりと「消化」する時間もなく、
時は過ぎました。

気がつけば「あれ」から10年が経ちます。
その間、僕は結婚し、病気になり、
病気から回復し、そして子どもを授かりました。

そんな先週のことです。
彼女が卒業後の7年ほどを、
酪農家に住み込み従業員として過ごした、
S牧場がある鹿追町近辺をドライブしたのは。

「人の死」というのは、
それが突然であればあるほど、
それを受け容れ、咀嚼し、そして「腑に落とす」には、
長い時間がかかるものです。

僕の父が52歳で他界したのは2000年のことですが、
自分の中で父が「本当に死んだ」のは、
2008年のある日のことでした。
父が亡くなった名古屋大学付属病院前の、
鶴舞公園を歩いているとき、
不意に「そこに父がいる」ような気がして、
そのとき、父が死んだことについて、
僕は初めて涙を流して泣いたのです。
そのとき、本当の意味で、
僕の中で父は死に、
逆説的だけれど、
そのときから、
「僕の中で父が生き始めた」
と言う風にも思ったりします。

先週、十勝地方をドライブしているとき、
Kちゃんが「そこにいる」ように僕は感じました。
念のため言っておきますと、
これは「心霊とかオカルトの類い」の話しではありません。
そうではなく、鹿追町の牧場の風景を見ながら、
10年前までそこで働いていた彼女のことを思い出したとき、
繁殖学教室で交わした会話、
同窓会での彼女の父の死の告白、
そして、知人から聞いた突然の訃報、
そういった「Kちゃんにまつわる記憶の輪郭」が、
すぐ傍にあって、手に取って触れるような、
そんな不思議な感覚を味わった、ということです。

言葉にするのは難しいですが。

水木しげるや、やなせたかしといった、
戦中世代の伝記を、
僕はこの数年で立て続けに読みました。
彼らに共通するのは、
「戦争に行って帰ってきてから、
 彼らは変わった」ということです。

どのように変わったか?

それは、
「一回死んできた」としか言えないような、
そんな変化です。
彼らは口をそろえて、
今生きているこの人生は「オマケ」みたいなもの、と言います。
だから、何も怖くない。
「死ぬこと以外はかすり傷」ぐらいに思っています。
いや、死ぬことすらたいして怖がっていないような、
そんな境地に彼らは生きていた、
というのがその伝記を読むと分かります。

なぜか。

もちろん、
戦地で死んでいてもまったくおかしくなかった、
ということもあるでしょう。
九死に一生を得たのだから、
この人生は「オマケ」なのだと。

でもね。

もう一つ、もっと重大な要素があるのです。
それは、彼らは戦地で「親友たち」を失っているのです。
これが、彼らを変えた最も大きな要素だというのは、
彼らが書いたものを読むと分かります。
「あいつも死んだ、
 あの気の良い男も死んだ、
 あの酒癖の悪い奴も死んだ、
 あの悪友も死んだ。
 、、、
 、、、
 俺は、生きている。」
という、狐につままれたような感覚というか、
「なぜ俺だけ死ななかったんだ?」
という宙に浮いた疑問というか、
そして名づけ得ない罪責感、
そして、そこはかとない「負い目」のようなものが、
彼らの後の人生を支配していた、
という風に僕は彼らの伝記を読みました。

パウロは「私はこの世界に大きな負債がある」
と新約聖書に書いていますが、
戦中世代の彼らもまた、
「あいつも死んだ、
 あいつも死んだ。
 生かされたこの俺は、
 このオマケみたいな人生を、
 世間に恩返しするために生きよう」
というすがすがしい諦念に包まれています。

ドライブしながらもう一つ思い出しました。

村上春樹が、「ノルウェーの森」を書いた動機を、
どこかで「あれは鎮魂歌だ」と言っていたことです。
あまり多くは語りませんが、
彼もまた、大学時代の友人や近しい人を、
複数人「自殺」という形で失っています。
そういう目で村上春樹の小説を読むと、
彼の小説の多くが、
「死者に手向ける言葉」
として紡がれているのが分かります。

Kちゃんは自死しました。
彼女の「農場での空白の7年間」を想像し、
大学での「いつも自分を責めているような研究室での彼女」
の記憶を辿るとき、僕は思ったのです。

なぜ僕じゃなかったのか、と。

僕とKちゃんは、多分、
その「生育歴」みたいなものが、
わりとよく似ています。

親が高学歴で、周囲から「良い子」であることを期待され、
「優等生であることは当たり前」だから誰も褒めてくれない。
周囲の不真面目な友達は要領よく楽しそうにやっているが、
どうやったらそんな生き方ができるのか、
「最も身近な親というロールモデル」が、
本質的に生真面目なので、
どうやったら上手く立ち振る舞えるのか分からない。

「自分は不十分だと責める」ことで成績を上げてきたので、
それが深く内面化しすぎて、自らを赦すこともできない。
完璧主義なので失敗が怖くて、
本当の意味で「社会という野生に出る」こともできない。
偏差値で高い値を出す以外の何の能力も訓練できなかったので、
社会に出て「偏差値以外にも大切なことがたくさんある」
と言われても、感覚としてそれが分からず、
フリーズしてしまう。

「そうでない」多くの「普通の人々」には、
想像もできない世界だと思いますが、
そんなかわいそうな人たちが、
日本には一定数いるのです。
「そういう世界」を深く知りたい、
という人は、佐野眞一の「東電OL殺人事件」、
あるいは柚木麻子の「ナイルパーチの女子会」を、
読んでみて下さい。
「生まれたときから酸素が薄い世界に暮らす、
 圧倒的な偏差値優等生の味わう地獄」を、
垣間見ることができます。

でもきっと、
「僕やKちゃんみたいな生育歴を持つ人間」
というのは、日本に案外たくさんいます。

その幾人かは僕のように運良く生き延び、
その幾人かは、Kちゃんのように自死を選び、
その幾人かは、精神病棟で入院しており、
その幾人かは40になった今も、
家から一歩も出られずにひきこもっているのではないか。

僕はただ単に、
運良く生き延びたに過ぎないのではないか。
そういう感覚を、僕は鹿追町をドライブしながら味わいました。
そして、思いました。

やなせたかしや水木しげるが、
文字通り戦友たちの「骨を拾った」ように、
村上春樹が自死した友人たちの物語を紡ぐことで、
象徴的に彼らの鎮魂をしたように、
僕もまた「Kちゃんの骨を拾う」立場にあるのではないか。

レイテ島の前線で、戦友と自分は2メートル離れた場所にいた。
その「場所が違った」だけで、
戦友は地雷を踏んで死に、自分は助かって、
戦友の見られなかった「戦後の日本の繁栄」を見ている。
そういった気持ちが戦中世代にはありました。

僕とKちゃんは、
同じ戦場で闘っていたように、
一方的にかもしれないけれど、
そう思うのです。

僕が死んでもまったくおかしくなかった。
僕が統合失調症になり、閉鎖病棟にいても、
まったくおかしくなかった。
僕が大学時代に人知れず首を吊って死んでいるのを、
Kちゃんが発見する側だったとしてもおかしくなかった。

僕はなぜか、天の恵みに与り、
親や学校や世間の「優等生たれ・模範的であれ」という、
圧倒的な心理的なプレッシャーに「NO」ということができた。
「不良」のレッテルを貼られたが、
それは「命がけの抵抗」だった。
「あれ」があったから僕は信仰を持つようになり、
その信仰に根ざした、自分にしかできない仕事を見つけ、
信仰を共有する妻と子どもに恵まれ、
「自分は日本で最も恵まれた人間のひとり」
と今、Kちゃんのいない世界で、
僕は主観的には思っている。

でも、なぜ僕は、
「こちら側」にいて、
Kちゃんは「あちら側」に行ってしまったのか。

「Kちゃんが弱かったから」
では、決してない。
むしろ、Kちゃんは強すぎたのだと思う。
Kちゃんは「逃げたから」死んだのではない。
逃げなかったから死んだのだ。
そう僕は思っている。

僕は「ヘタレ」だったら生き残れたし、
弱かったから生きている。
嫌なことから逃げたから、今がある。

農場での作業を「バックレる」ふてぶてしさが、
Kちゃんにもあったなら。
授業をさぼり、再々再試験で、
教授の温情によって合格させてもらい、
胸をなで下ろす、
そんな不真面目さを、Kちゃんが持っていたなら。
牧場でいやなことがあったとき、
「このクソが!」と農場側に三行半をつきつけ、
あっさり高収入な仕事に転職し、
そんな自分を自虐したりできる不真面目さが、
もしKちゃんにあったなら、、、。

先ほども言ったように、
Kちゃん以外にも、
僕の周囲には、
病気やひきこもりや精神疾患など、
様々な事由により、
今は社会に出られなくなってしまった、
「かつてのスーパーウルトラ優等生たち」
を、ひとりならず知っている。

彼らの未来が明るくあって欲しい、
と、僕は誰よりも強く願う。

しかし、Kちゃんのように、
もはやこの世にいなくなってしまった「戦友」たちもいる。
僕にできることは、
せめて彼らの鎮魂を祈り、
「向こう側の世界での幸せ」を祈ること。
そうして象徴的に彼らの「骨を拾う」ことだと、
そう思う。

鹿追町をドライブしながら、
僕は気がつけば祈っていた。
祈りながら、僕は今、
Kちゃんの骨を拾っているのだ、
そう思った。

僕はなぜ生きているのか?

そんなことは分からない。
分からないけれど、
Kちゃんのような戦友の死も、
そして彼らの「生」も、
意味あらしめるために、
僕は「グリコのおまけ」みたいな人生を、
2年間の闘病を経て、
なお与えられているのだと思う。

「人間原理」という考え方がある。
いま人間が地球に生きていることは、
天文学に詳しければ詳しいほど、
「奇跡」というほかない。

地軸の傾き、
ビッグバンのときの水素原子の比率、
核力の係数、
宇宙を構成する数字のどれひとつが、
今とちょっとでも違っていれば、
地球に水は存在しないし、
よって人間も存在しない。

人間には意味があるのか?

科学はこれに答える言語を持たない。
しかし、人間がいまここにいる、
という奇跡は、何かを考えるきっかけにはなる。
カナダの哲学者ジョン・レスリーは、こう説明する。

あなたが死罪になり、銃殺刑に処されることになった。
刑執行の当日、20人の兵士が20丁のライフルを、
後ろ向きに立つあなたに一斉に狙撃した。
20発の発砲の音を、あなたは聴いた。
しかし、あなたは死ななかった。
すべての弾が外れたからだ。
あなたは思う。
「なぜ、私は生かされたのだろう?」
「人間原理」というのは、そういうことなのだよ、と。

僕もまた、
「なぜ、自分は生きていて、
 そして生を与えられ続けているのだろう?」
と思う。

心のなかで戦友の骨を手にしながら、思う。
「だとしたら、
もはや自分の人生とは、
自分だけのものではない」
と。

数年ぶりの十勝を運転しながら、
そんなことを考えた晩夏の日だった。



、、、という、
長い長いブログ記事でした。

最後までお読みいただいた方、
ありがとうございました。
こんな身の上話を聞かされても、
何の役にも立たねーよ、
というご批判は甘んじて受け容れます。
でも、こんな世迷い言を、
そっと心の引き出しのどこかにでも、
しまっていただければ幸いです。



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