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永久保存版・陣内が読んだ本ベスト10(前半) 2018年版

2019.04.23 Tuesday

+++vol.070 2018年12月18日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 2018年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(前編)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜6位まで、
後編は5位〜1位までのカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::


●第10位 AI VS 教科書が読めない子どもたち

読了した日:2018年5月2日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:新井紀子
出版年:2018年
出版社:東洋経済新報社

リンク:
http://amzn.asia/cbeiDq8

▼▼▼コメント:

こちらは現在、
「本のカフェ・ラテ」にて解説中(後編は年明けの予定)の、
「今年面白かった本」です。

いろんなところで引用・解説・紹介されているので、
この本について聞いたことない、という人はあまりいないのでは?

AI(人工知能)は、第四次産業革命を起こす誘因となる、
とも言われている「破壊的イノベーション」なので、
それが社会の有様をどう変えてしまうのか、
戦々恐々としている人も多いため、
その不安に付けいるようにして、
有象無象の言説が飛び交います。

今後も飛び交い続けることでしょう。

大きな変化が起きるとき、
「変化に乗り遅れるな!」
と煽る意見と、
「変化など起きない」
とうそぶく意見の両極が注目を集めがちですが、
本当に有用なのは中庸な意見です。

人工知能の研究者でもあり、
数学というバックボーンをもつ新井さんの意見は、
まさに中庸なもので、
これからの時代を生き残るために有用なヒントに満ちています。

頭に血が上った人々が言うように、
「AIによって今ある仕事の8割はなくなる!!
 人間の仕事はAIにより駆逐される!!
 変化に乗り遅れるな!!
 (具体的方策なし)」
ということは起きません。

しかし、
「人工知能などコンピュータの延長でしかない。
 変化は起きない。
 粛々と今の仕事を今までのように続けて行けば良い」
というほどのんびりもしていられません。

控えめに言っても、
人工知能の性能がある分水嶺を超えたとき、
「労働の在り方」は様変わりするでしょう。

現在私たちが目にしている、
案外多くの仕事が、
「汽車で石炭をくべる人」とか、
「話したことをワープロで筆記するタイプライター」とか、
「駅で切符を切る駅員」とか、
「電話交換手」などのように、
過去のものになる可能性があります。

「昔、電話交換手っていう仕事があったのよ」
とおばあちゃんが孫に話して聞かせるごとく、
未来において私たちがおじいちゃん、
おばあちゃんになったとき、
「昔、コンビニ店員っていう仕事があってね、、、」
という話しをしているかもしれない、ということです。

私がこの本を含む、
労働の未来予測に関する良書で知った最も大切なことは、
大きな変化が起きる時代において、
「今の若者が未来にする仕事にはどんなものがあるか、
 まだ私たちはその名前すら聞いたことがない」
ということです。

「未来においてこの仕事が安定するだろうから、
 この技術を磨いとけ!」
という思考法自体が、
現在という「過ぎ去りつつある時代」の枠組みでしか、
物事を考えられていないことの証左なのです。

だって、20年前の誰が、
「YouTuber」という仕事を予測出来たでしょうか?
あるいは「プロゲーマー」という仕事を?
「自宅をホテルにする」という業態を?

では私たちは途方にくれ、
「出たとこ勝負」で対応するしかないのか?

そうではない、というのがこの本を読むと分かります。

「まだ聞いたこともない職業」が何かを予測するのは不能ですが、
「まだ見ぬ職業に必要な資質」を予測することは出来ます。
それは「AIには代替不能な人間の能力」です。

それは何か?

タイトルにあるとおりです。
それは端的に「教科書が読める」ということです。
「読む力」を磨くことです。

佐藤優さんは、
「書く力、話す力、聞く力」が、
「読む力」を上回ることはない、
と言っています。

文章を読みその意味を把握する能力、
これを身につけることが、
日本という国家が生き延びるために必須の力だ、
というのが新井さんの主張です。

「じゃあ、数学は必要ない?」

違います。

「数学は論理」です。
そして「言葉も論理」です。

数学は「読む力」の基礎を形成します。
新井さんはそもそも数学者ですから。

この続きは、
「本のカフェ・ラテ」の後編で。
お楽しみに。



●第9位 キリスト教の精髄

読了した日:2018年6月14日
読んだ方法:Amazonで書籍購入

著者:C.S.ルイス
出版年:1977年
出版社:新教出版社

リンク:
http://amzn.asia/c1yyvHG

▼▼▼コメント:

これはねぇ。
不朽の古典的名作ですが、
今まで読んだことなかったんですよね。

2018年の夏休みに読みました。

フリーランスなので毎年2週間ほど、
夏休みを取ってます。
これをやらないと「持たない」ことが分かったので。
世間の夏休みとは、わざとちょっと外して。
そうするといろいろと安価になりますから。
「逃避先」は様々なのですが、
たいていは人がほとんどいないような場所で、
たいていは安いウィークリーマンションに泊まります。
そしてビール片手に、朝から晩まで、
「この一年読みたかったけど読めなかった本」を読む、
というのが私の夏休みスタイルです。
気が向いたらレンタカーで近くに出かけ、
家族でピクニックをします。

なんか、こう書いていると、
欧州の人の夏休みみたいですが、
そんなに優雅なものではありません。
お金があんまりないですから笑。
ほとんど自炊しますし。

、、、で、
読んだ一連の本の中の一冊です。

結果、どうだったか?

「なんで今まで読まなかったんだ!!」
と後悔しました。

もっと早く読んどきゃ良かった。

マジで。

素晴らしい、の一言に尽きますね。
「現代のC.S.ルイス」と言われている、
ティモシー・ケラーという牧師がいます。
21世紀を代表するキリスト教知識人ですね。

彼の本には様々な言葉が引用されますが、
3回に2回がC.S.ルイスの引用で、
ルイスの引用のうち3回に2回が、
「キリスト教の精髄」の引用です。

今年はある本を読んだことで、
ティモシー・ケラーにドはまりしまして、
日本語で読めるケラーの本はほとんどすべて読んだ私が言うのだから、
間違いありません。

ケラー師は自分でも言ってます。
「信徒に言われるんだ。
 先生はメッセージの準備が足りないと、
 ルイスの引用が多くなるから分かる。
 私は意識しないとルイスの頭で考えてしまうほど、
 ルイスの言葉が自分の血肉となってるんだ」と。

、、、ケラー師の言う意味も分かります。
それほどルイスの言葉は名言が多い。

「キリスト教の精髄」はその中でも、
最も密度の高い書物でした。

よって、ここで概説することは当然不可能です。
いつか「本のカフェ・ラテ」でやらなきゃですね。

ひとつだけ「ハイライト」箇所を引用します。
「行い(善行)か信仰か」問題というのがあります。
「ヤコブ書」か「ローマ書」か問題、
と言い換えても良い。

ルイスは明快にこう答えます。

→P229〜230 
〈クリスチャンたちは、
クリスチャンを天国に連れて行くのは善行か、
それともキリストへの信仰か、ということでたびたび議論してきた。
わたしはこういうむずかしい問題について語る資格は全くないが、
あえて言わせていただけば、その問題は、
ハサミの二枚の刃のうちどっちの方が大切かと問うようなものだ、
という気がする。

真剣な道徳的努力があってこそ、
初めてわれわれは「タオルを投げる」ところまで行き着くのであり、
キリストへの信仰があって初めて、
そこへ行き着いたあとの絶望から救われるのである。
さらにまた、キリストへの信仰から、
善行は必然的に出てくるのである。〉



●第8位 フロー体験 喜びの現象学

読了した日:2018年8月9日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:M.チクセントミハイ
出版年:1996年
出版社:世界思想社

リンク:
http://amzn.asia/cISEtv2

▼▼▼コメント:

これも、「もっと早く読んどきゃ良かった」本の一つですね。
Kindleでダニエル・ピンクの、
『モチベーション3.0』という本を読みました。
これは以前に「読んだ本」コーナーで紹介したはずです。
チクセントミハイの『フロー体験 喜びの現象学』は、
ダニエル・ピンクが論理的下敷きにした、
「定本」です。

あ、ここで私の読書論を少し。

ある程度本を読む習慣がある人に対して、
差し出がましいとは思いつつひとつ助言を。
何か面白い本に出会ったとき、
その「定本」にもあたることを強くオススメします。

人間は「ゼロ」から何かを創造することは出来ませんから、
新しく見えるものでも、
常に何かを参照しているものです。
本でも映画でもマンガでも。

たとえば北野武の『アウトレイジ』は面白いですが、
深作監督の『仁義なき戦い』や、
スコセッシの『グッド・フェローズ』を、
「現代的に再解釈」したものでもあります。

ここで大切なのは、
『アウトレイジ』に感動したあと、
『仁義』も『グッド・フェローズ』も見ることです。
そうすることで理解に奥行きが生まれます。

これを「川を遡る」と、
私は表現したいと思います。
下流で何か面白いものを見つけたら、
上流に遡るのです。

そしてたどり着くのが「定本」と言われる本です。
これを読んでおくと、
その分野に対する理解の基礎が形成され、
「その分野に関する知識」が、
「その分野に関する見識」に変わります。

いつも最新の知識ばかり追い求めて、
古典や定本をあたらない人は、
川の下流でバシャバシャ遊び続けているだけです。
世の中の変化は激しいですから、
やがてその下流は干上がるでしょう。
そういう人って、
たいてい今度は次の下流で遊び始めるのですが笑。

上流に行った人だけが、
「新しい流れ」を作ることが出来るのです。


、、、何の話し?


そう。

チクセントミハイ。

「ゾーンに入る」という言葉は、
スポーツなどの分野で使われ、
もう一般層にまで認知された言葉と考えて良いでしょう。
この言葉の元ネタは、
チクセントミハイの『フロー体験』です。

チクセントミハイは広範囲で綿密な調査の結果、
スポーツ、ビジネス、学問、執筆、技術職など、
あらゆる分野の「一流」と「超一流」を調べます。

すると面白いことが分かった。
「一流」の人のなかには、
「お金のため」にやっている人がいるが、
「超一流」で、お金のためにそれをしている人はいなかったのです。

「超一流」の人は
(超一流ですから多くの場合金銭的報酬も大きいのですが)、
「それをすること自体が喜びの源泉だから」、
その行為をしているのだ、と語ったのです。

たとえばバスケの超一流選手ならば、
「僕は金のためにバスケをしていない。
 バスケをしないことは僕にとって苦痛でしかない。
 バスケをしている瞬間、僕は生きていると感じる。
 お金はその副産物でしかない。」
という風に。

これをチクセントミハイは、
「自己目的的経験」と名づけました。
「それをすること自体が目的であるような行為」のことです。

するといろいろ面白いことが分かってきた。
「自己目的的経験」に「楽なもの」はない、
ということです。
つまり、ビーチで寝そべってカクテルを飲む、
といった経験が自己目的的経験になることはありません。

自己目的的経験はいつも困難を伴います。
その困難を乗り越えるプロセス自体が、
超一流の行為者に快感(喜び)をもたらす、
というのです。

チクセントミハイは彼らにインタビューを重ね、
彼らが「自己目的的経験」をしているときに、
よく使う言葉を見つけました。

それが「Flow(フロー)」でした。
まるで流れているような感覚。
忘我の境地。

この「フロー」がフロー体験となり、
なぜか日本ではフローよりも、
「ゾーン」という変形した表現が流布しましたが、
一般用語として定着しました。

この本もここで内容を説明するには豊穣すぎるので、
一箇所だけ引用します。

→P3 
〈オーストリアの心理学者ビクター・フランクルは
彼の著書『意味の探求』(Man's Search for Meaning)の序文で、
このことを見事に言い表している。
「成功を目指してはならない――
成功はそれを目指し目標にすればするほど、遠ざかる。
幸福と同じく、成功は追求できるものではない。
それは自分個人より重要な何ものかへの
個人の献身の果てに生じた予期しない副産物のように
・・・結果として生じるものだからである。」〉


▼参考リンク:『モチベーション3.0』ダニエル・ピンク
http://amzn.asia/ctTEOsm



●第7位 イマジン

読了した日:2018年6月23日
読んだ方法:Amazonで書籍購入

著者:スティーブ・ターナー
出版年:2005年
出版社:いのちのことば社

リンク:
http://amzn.asia/9tbG4iX

▼▼▼コメント:

この本は昨年の「よにでしセミナー」で出会った、
山田風音君から教えて貰いました。
今年は彼からかなり良書を教えて貰いました。

こういう友を持つということは、
金銭に換算すると、
「月給が5万円上がる」ぐらいの価値があると、
私は思っています。

マジで。

、、、でこの本ですが、
スゴイ本でした。

文字数が足りなくなってきたので、
詳しくは説明しませんが、
「キリスト」という言葉を語ることだけが、
キリスト教を伝えることではない、
という私の考えに確証を与えてくれた本です。

この本は芸術に関する本です。
彼がこの本で言っているのは、
「宗教的な題材を取り扱った映画(小説・絵画・音楽・文章)だけが、
 キリスト教の映画(小説・絵画・音楽・文章)ではない。
 キリスト教的な視点で(キリストという言葉を使わずに)、
 世俗的なことを取り扱った映画(小説・絵画・音楽・文章)こそ、
 この世の腐敗を食い止める本当の『地の塩』としての芸術なのでは?」
ということです。

「イエスをあがめます」という歌詞をぶち込むことだけが、
キリスト教音楽の作詞方法ではありません。
たとえば失恋の悲しみを、
キリスト教的な慰めと希望を織り交ぜながら歌うなら、
それは「キリスト的な音楽」です。
「宗教的な絵」だけがキリスト教絵画ではありません。
たとえば夜の東京の街並みを、
愛と赦しという視点から描くならば、
それはキリスト的な絵画になります。

「オンラインサロン」を開催したときは、
参加者に読書ノートをシェアしようと思ってます。

、、、あと、
たぶんこの著者、
私の「知り合いの知り合い」です。
スイスに「ラブリ共同体」という、
学びの場があります。

日本で言うと何だろう?
「松下村塾」とか、
武者小路実篤の「新しい村」とか、
そんな感じの学習共同体なのですが、
60年代アメリカの「ジーザスムーブメント」の時代に、
多くの若者がそこを訪れ、
フランシス・シェーファーという、
ラブリ共同体の主催者で哲学者の思想を受け取り、
世界各地に散っていって様々な働きを展開しました。

私のメンターのボブ・モフィット師と、
ダロー・ミラー師はその時代、
ラブリで出会っています。

年代から考えると、
著者のスティーブ・ターナーも、
同じ時期にラブリにいたはずなんですよね。

読みながら、
「なんかボブやダローのメッセージに似てるなぁ」
と思ったら「さもありなん」でした。

「ラブリ」って凄いなぁ、
と改めて思った次第です。



●第6位 中動態の世界 意志と責任の考古学

読了した日:2018年4月9日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:國分功一郎(1974年生まれ 高崎経済大学准教授)
出版年:2017年
出版社:医学書院

リンク:
http://amzn.asia/1bx4MGT

▼▼▼コメント:

この本は2017年に出版された本の中で、
最も重要な一冊です。

小林秀雄賞を受賞していたり、
様々に引用もされてますので、
耳にしたことのある方も多いのでは?


→P34 
〈これはフランスの言語学者、
エミール・ヴァンヴェニストが指摘していることが、
ひとたび能動態と受動態を対立する言語に慣れ親しんでしまうと、
この区別は必須のように思われてくる。
日本語の話者であっても事情は変わらない。
この区別を知ってしまうと、
行為は能動か受動のいずれかであると思わずにはいられない。
それ以外は思いつくことすら難しくなってしまう。

しかし、同じくヴァンヴェニストが指摘しているように、
実は多くの言語が能動態と受動態という区別を知らない。
それはいかなる言語にも見出される普遍的な区別ではないのだ。
それどころか、この区別を根底に置いているように思われる
インド=ヨーロッパ語族の諸言語においても、
この区別は少しも本質的なものではない。
その歴史的発展において、
かなり後世になってから出現した新しい文法規則であることが分かっている。

バンヴェニストは更に興味深い事実を伝えている。
能動態と受動態の区別が新しいものであるとはどういうことかというと、
かつて、能動態でも受動態でもない
「中動態 middle voice」なる態が存在していて、
これが能動態と対立していたというのである。
すなわち、もともと存在していたのは、
能動態と受動態の区別ではなくて、
能動態と中動態の区別だった。〉


→P120
〈おそらく、いまに至るまでわれわれを支配している思考、
ギリシアに始まった西洋の哲学によって
ある種の仕方で規定されてきたこの思考は、
中動態の抑圧のもとに成立している。
デリタはこの点について、無根拠な推論を書き付けているだけだが、
これは歴史的、哲学的に研究されねばならない。
そしてそれを研究する際、
バンヴェニストの残した業績が持つ意義は計り知れないのだ。〉


、、、上記二箇所の引用で、
「中動態」という意味がなんとなく分かっていただけたでしょうか。
「受動態」でも「能動態」でもなく、
「中動態」というものがかつてあった
(今も様々な形で残っている)というのが、
この本の語りたいことです。

私は北海道に6年間住んでいましたので、
「北海道弁」も理解できます。
「岡山弁」「三河弁」「北海道弁」「標準語」を、
私はマスターしている、
「方言クワドリンガル(四つの言語の使い手)」なのです。
転勤族の数少ない強みですね。

、、、で、その北海道弁のなかに、
「鍵がかからさる(鍵がかかった状態になっている)」
「米が炊かさる(米が炊かれた状態になっている)」
「ボタンが押ささる(ボタンが押された状態になってしまう)」
といった言い回しがありますが、
これは「中動態」そのものです。

「何かが●●された状態になる」
ということを言っているのですが、
そこに「行為者」は前景化せず、
半透明にされているからです。

米が自分で水浴びして、
炊飯器にダイブして、
ボタンを押して、
「自ら炊かさる」わけはないのです。

誰かが炊いたはずなのです。

しかし、「誰が炊いたのか」は、
ここでは前景化しない。
行為者の自由意志や責任は言及されません。
これが「能動態」でも「受動態」でもない、
「中動態」の具体例です。

それと私たちの生活と、
何の関係があるのか?

めちゃくちゃあります。

一つ言っておかなければならないのは、
この本、かなり難解です。
出てくる言葉が難解というよりも、
ここで取り扱おうとしている内容が、
私たちがそこで生まれ生活する「近代の世界」の、
最も根底にある前提を脱構築するものだからです。

私たちの社会は、
「自由意志」とか「責任」とか「行為主体」
といったものを大前提に設計されています。
民法も刑法も商取引も契約も、「キリスト教信仰」ですら、
「自由意志」「行為主体」という大前提のもとに構築されています。

しかしこの本では、
そもそも「能動態」という、
「行為を行為者に帰属させる文法」が、
人類の長い言語史を見たとき、
わりと最近の「発明品」なのだ、
ということを綿密に調べていくのです。

つまり、古代世界で人間は、
「能動と受動」という世界観で生きていなかったのではないか?
ということです。
「中動と受動」だけがあった。

そのような世界では、
「私があなたに●●した」
「あなたは私に●●された」
という受動・能動関係はそもそも構築不能です。

ただ、「こうなった」という事実だけがある。
人間の自由意志はそのなかでは相対化され、
そもそも前景化しません。

「能動・受動」という言語体系をもとに築かれた、
現代の思想・哲学、ひいては社会システム全体が、
実は近代の人間の「生きづらさ」を引き起こしているのではないか?

というのが著者の仮説です。

この本は不思議な本で、
冒頭に、アルコールや薬物などの依存症患者の「語り」が、
何の脈略もなく掲載されており、
その内容について本編で触れられることはありません。

しかしこの本を読み進めていくと、
冒頭の語りのなかに、
「能動・受動という世界観による生きづらさ」
がモロに現れていることに気づくのです。

依存症患者というのは、
アルコールやセックスや自傷行為や薬物、
「それ自体」の犠牲者ではありません。
むしろ「現代社会の生きづらさ」が、
彼らをして依存症の状態に留まらしめている(使役形)、
というのが本当のところです。

なので「禁酒法」を作っても、
ドラッグを厳しく取り締まっても、
依存症はなくなりません。

大切なのは、現代社会の「生きづらさ」
の正体を解きほぐし解明していくことです。
その中に彼らを(ひいては社会全体を)救済する、
アイディアのヒントが埋まっているかもしれない、
という著者の視点に私も同意し、
それを試みている本作に敬意を抱きます。

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