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永久保存版・陣内が観た映画ベスト10(後半)2018年版

2019.05.01 Wednesday

+++vol.071 2018年12月25日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 2018年版・陣内が今年観た映画ベスト10(後編)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車やバスや新幹線で、本を読む代わりに、
タブレットで映画を観るようになって、
飛躍的に映画を観る本数が増えました。
映画は小説と同じで「他人の靴を履いて人生を歩く」、
という「疑似体験」を与えてくれます。
本と同じくランキングはあまり好きじゃないので、

年に一度だけの特別企画です。
「今年読んだ本」と同じく、
前編で10位〜6位、後編で5位〜1位を紹介します。
皆様の映画選びのお役に立てれば幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●第5位 三度目の殺人

鑑賞した日:2018年5月19日
鑑賞した方法:Amazonでレンタルストリーミング 500円

監督:是枝裕和
主演:福山雅治、役所広司、広瀬すず他
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
http://amzn.asia/eCkwlne

二度目の観賞 2018年10月11日
Amazonプライム特典にて

▼▼▼コメント:

これは最近解説したばかりなのですが、
やはり凄い映画だと思いました。
二回見ましたけど、
二回目で確信したのは、
この映画は「キリストの赦し」の映画です。

小鳥の墓の十字架、
殺人現場の人型の十字架、
雪で遊ぶシーンの十字架状に寝そべる姿、
ラストシーンの「十字路」。

「十字架」がこの映画を読み解く鍵です。
この「十字架」には、
「その人が負うべき十字架」という意味と、
「赦し」という意味が込められています。

役所広司は広瀬すずを救おうとし、
その罪を自らの身に背負います。
彼は「救済者」であり、
司法制度全体がポンテオ・ピラトや、
ユダヤの大祭司のメタファーになっています。

死刑判決を受け、
なかば満足そうに裁判所を出て行く役所広司と、
彼が「その命を捨ててかばった」広瀬すずが、
一瞬目があうシーンがあります。
あれは、ペテロとイエスを意識しているはずです。

是枝監督はキリスト教の素養があり、
それを現代の物語として語り直す資質をもった、
日本の映画監督としては希有な存在です。

はやく「万引き家族」が観たいなぁ。



●第4位 カメラを止めるな!

鑑賞した日:2018年8月18日
鑑賞した方法:TOHOシネマズ新宿で劇場鑑賞

監督:上田慎一郎
主演:濱津隆之、真魚 他
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
http://kametome.net/index.html


▼▼▼コメント:

今年映画館で観た2本の映画のうちの1本。
もう一本は最近解説した、
『パウロ 愛と赦しの物語』です。

Amazonビデオで有料配信されてから、
500円払ってもう一度観ました。
妻にも見せたかったので。

「多分今の状態で観ても面白くないかもよ」と、
思いっきりハードルを下げた状態で、
観て貰いましたが、
妻はそれでも「面白い」と言ってました。

とにかく、あんなに映画館が、
ドカンドカン受けている映画は初めてでした。

それだけで、凄いことです。
いろいろ文句言う人もいますが、
東京の映画館を「なんばグランド花月」並みに、
笑い声で満たすことに成功した映画監督が、
かつていたでしょうか?
そしてこれからいるでしょうか?

それだけで偉大な達成です。

手放しに誉めて良い。

実はこの映画、
ルックスとは違って案外深いです。
一人の男が矜持を取り戻す、
男の人生の物語であり、
家族の回復の物語です。

詳しくは言えませんが、
「メタ・メタ・メタ構造」ともいえるエンドロールのカットは、
監督の自分自身へのエールにもなっています。

子どもがいる人、
特に娘がいる人は、
最後、泣いちゃう可能性大ですね。






●第3位 哭声 コクソン

鑑賞した日:2018年8月1日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:ナ・ホンジン
主演:クァク・ドウォン、ファン・ジョンミン、國村隼他
公開年・国:2017年(韓国)
リンク:
http://amzn.asia/0oOmcZv

▼▼▼コメント:

この映画もメルマガにて解説済みですので、
それをもう一度繰り返すことはしません。
過去記事をご参照下されば幸いです。

、、、この映画、好き嫌いがハッキリ分かれるでしょうね。
大好き:5%
大嫌い:95%
ぐらいで笑。

、、、分かれてねぇじゃねーかよ、っていうね笑。

それぐらい「クセが凄い(copylight千鳥ノブ)」映画なのです。

私は「大好き派」でして、
2回も観てしまいました。

韓国のある田舎の村で、
人が「悪魔に憑かれ」たようになり、
その人が猟奇的な殺人をして、
本人も自殺する、
という事件が多発します。

主人公はその事件を追う刑事です。

この映画は、ジャンル分け不能です。
ホラーはホラーなんですよ。
もうめちゃくちゃ怖いですから笑。
不気味さ、禍々しさがとにかく凄いです。

でも、サスペンスの要素ももちろん。
事件を「解いていく」わけですから。
謎が謎を呼び、、、という要素がある。

さらにはどことなくおかしみがある。
コメディ要素も混ざっている。
そして「霊媒」です。
『エクソシスト』という古典的除霊映画がありますが、
あれの発展形ですね。

そして最後に、この映画は、
「宗教映画」です。
もっと言えばキリスト教の映画です。
そしてもっと言えば、神学の映画、
さらに言えば神学の中でも「神義論」に関する映画です。

「正しい神がなぜこの世に悪が存在することを許すのか?」
という問いに関する、ナ・ホンジン監督なりの、
答え(というよりも葛藤の道のり)がこの映画に通底しています。

この映画は聖書の引用で始まります。

「なぜうろたえているのか。
どうして心に疑いを起すのか。わたしの手や足を見なさい。
まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。
亡霊には肉も骨もないが、
あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

キリスト教徒には分かるのですが、
これはキリストの言葉、
それも十字架にかかり、
3日目に復活した後のキリストが、
弟子のトマスに言う言葉です。

ナ・ホンジン監督は牧師になろうとして、
神学校に行ったことがあります。
そこから「映画監督」に進路を変更した。
そして「映画」というフィールドで、
「神学の続き」をしている。

まったく同じような経歴を持つ映画監督に、
「沈黙」を撮ったマーティン・スコセッシがいます。
彼もカトリックの神父になろうとしたが、
映画監督となり、自分は映画という現場で神学している、
と自分で言っています。

「キリスト教映画」とは、
「キリスト」とか「信仰」とか「教会」という言葉が、
出てくる映画のことではありません。

そうではなく、何を題材としたとしても、
「その切り口が神学的であるような」映画のことです。

先週の読んだ本ベスト10に登場した、
『イマジン』で語られていたことです。



●第2位 イコライザー

鑑賞した日:2018年12月8日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典

監督:デンゼル・ワシントン、クロエ・グレース・モレッツ、
主演:アントワ・フークワ
公開年・国:2014年(アメリカ)
リンク:
http://amzn.asia/d/hDfpHz6

▼▼▼コメント:

これは、1位〜5位のなかで、
唯一、当メルマガで観解説の映画です。
観たのが最近ですから。

これは、やられました。

私は「ドンパチ映画」って、
あんまり好きじゃないんですよね。
「暴力」が好きじゃないわけじゃない。
だって「アウトレイジ」大好きですから笑。

そうではなく、
「爆発→銃撃→カーチェイス→銃撃→殴り合い→決着」
みたいな判で押したような展開を見せられると、
「それ、もう2万回観たわ。
 もうお腹いっぱいだわ」と思っちゃう。

「もう2万回観た」ことを、
なんでもう一回、
莫大な予算をかけてやろうと思えるのだろう。

、、、作り手はどんだけバカなんだろう(失礼)?

とか思ってると、
内容が頭に入ってこなくなり、
潮が引くように映画から関心がなくなっていきます(当社比)。

もちろん、あの「おきまりのシークエンス」が、
「最高にアガる」という人が一定数おり、
そしてそちらのほうがむしろ多数派だからこそ、
火薬、銃撃、カーチェイス、殴り合い映画は、
量産されてきたし、これからも量産されるのでしょうけど。

、、、でこの映画、
「火薬、銃撃、殴り合い映画」です(爆死)。
(カーチェイスは確かなかったと思います。
 あったけど私がカーチェイスがあまりに嫌いなので、
 記憶から消去してるだけかもしれないけど笑)

つまり、普段の私なら、
まったく食指が動かないようなジャンルの映画です。

それなのに、例外的に良かった。
突出して良かった。

この手の映画にここまで感動した最後の思い出は、
小学生のときにみた「ダイ・ハード」の第一作目以来です。

じつに30年ぶりに、
このジャンルの映画で、
凄いのを観ちゃった。

『ダイ・ハード(一作目)』がなぜあの手の映画の中で、
突出している(と私が思う)かというと、
やはりマクレーン刑事(ブルース・ウィリス)の魅力なんですよね。
妻と上手く行かず、
「最低なクリスマス」を過ごす男に、
最低な災難が降りかかる。
それを彼がアクションと知恵を用いて、
切り抜けていき、
大規模なテロ事件を解決するわけですが、
マクレーン刑事の「人となり」が魅力的であり、
それがアクションとちゃんと結びついているので、
「必然」があるわけです。
「外にいる名も知らぬ黒人警備員」との、
「無線のやりとり」もウィットに富んでいますし。

また、人質のひとりとなった妻が、
「正体不明のヒーロー(=マクレーン)」を、
「彼(夫)に違いないわ。
 人間をここまで激怒させられる人間なんて、
 彼以外いないもの。」
と呟くシーンなんて、最高です。

、、、で、『イコライザ』ですが、
私は『ダイ・ハード』の21世紀的アップデートとして観賞しました。
そして、『ダイ・ハード』を超えた、と。

この映画、冒頭で、
以下のマーク・トウェインの言葉が引用されます。

「人生で一番大切な日は生まれた日と、
 生まれた理由が分かった日」


、、、もう面白そうでしょ笑。

結果から言いますと、
主人公のロバート(デンゼル・ワシントン)は、
「ダイ・ハード」のマクレーン刑事を超えました(当社比)。

彼の人となりが魅力的なのです。
まず彼は不眠症であり強迫神経症です。
そして妻に先立たれた傷から立ち直っていない。
また、彼は大変な読書家で、
「読むべき100冊」という名著の、
92冊目の『老人と海』(ヘミングウェイ)を読んでいたりします。
また、彼の会話には、
『ドン・キホーテ』など、
知っている人には分かる、
「知的な引用」が多い。

「なにぃぃぃ!
 ヤツのIQは180だとぉぉぉ!!!」
というバカっぽい台詞で、
「主人公は切れ者だ」
ということを分からせるのではなく、
会話の中の「それとない引用」で、
台詞ではなく
「主人公は相当に頭が切れ、
 そして教養のある人らしい」
と観客に分からせる、というのはスマートな方法です。

アクションにも一工夫あります。
彼の過去はCIAの特殊工作員であり、
過去の任務の重大さゆえに、
「国家からもう死んだことにされた」人間です。
今はその過去を隠し、
ホームセンターで働きながら、
ひっそりと暮らしている。

その彼が、あるロシア人の少女を、
売春の元締めをしているロシアマフィア組織から救おうとして、、、
という、まぁ「コッテコテ」の設定なわけですよ。

これを面白くするのは結構難しい。

ところがこの映画に私は、
ぐいぐいと引きつけられ続け、
最後には「良い映画を観たぁぁ!!」
「ありがとう!!」
「最高だぁぁ!!」
と思わせられてしまったのです。

まんまとやられました。

まずアクションシーンが「面白い」。
ロバートの戦いの手法に、
「その場にあるものを使う」というDIY精神があり、
このギミックはどこか、「脱出ゲーム」のようです。
転がっているスパナや、
むき出しになっているコードや、
机の上にある紙とペン、
つまり視界に入っているモノを利用して、
この部屋を脱出して下さい、
というアレです。

あと、この映画、
音楽の使い方がとてもクールです。
アガるところではちゃんとアガるように、
選曲とボリュームがかなり考えられている。
まるでミュージックPVを観ているかのように、
ともすると単調になりがちな、
アクションシーンを楽しめます。

さらにこの映画は、
「勧善懲悪映画」です。
「半沢直樹的」と言いますか。

「完全なフィクション」だと全員分かっているけど、
正義が勝ち、悪が挫かれるところを観て、
人々が溜飲を下げ、カタルシスを味わうことが出来る、
という意味では、
「イコライザー=半沢直樹」と言って良いでしょう。
テーマも国も、何もかもまったく違いますが笑。

ただ、現代における勧善懲悪って、
めちゃくちゃ作りづらいはずなのです。

『ダイ・ハード』が作られた80年代ならば、
それは簡単でした。
まだ「東西冷戦期」でしたから、
アメリカ映画なら、「悪=ソ連(共産圏)」。
以上、終わり、です。

ダイ・ハードのテロ集団にも、
確か東欧だかソ連が絡んでいましたし、
『ロッキー2(3?)』の強敵もソ連出身でした。

悪VS正義

の二項対立が非常にやりやすかった時代なのです。

しかし、それはモダン=近代までの話し。
ポストモダン(近代が終わった時代)と言われる現代において、
「悪と正義の境界」は融解を始めます。

つまり何が正義で何が悪か分からない。
昨日まで正義の側にいたと思っていた人や組織に、
とてつもない巨悪が潜んでいても、
もう誰も驚かない。

昨日まで悪魔のように嫌われていた人や組織が、
実は組織的な情報操作によってそうされていたに過ぎず、
加害者だと思っていた人が被害者だった、
と聞かされても、もう誰も驚かない。

今や「白と黒」はなく、
「永遠にグラデーションの続くグレー(灰色)」だけがある。

そういう時代に私たちは生きています。

しかし監督のアントワーン・フークワは、
「『悪と正義』が相対化され脱構築された、
 ポストモダンの現代にも、
 それでも絶対的な悪、というものはやはりあるし、
 それでも絶対的な正義、というものもあるはずだ」
ということを言おうとしているのです。

これを現代に描ききるのは非常に難しいにもかかわらず。

これをやるときに、
「時代認識を80年代に巻き戻して」
それをやる、というのは不正解です。
それは単なる「アナクロニズム(時代錯誤)」ですから。

そうではなく、「限りなく続くグレーのグラデーション」
の中に、「きらめく白と黒」をつかまえて描ききらねばならない。

至難の業です。

これを実現するために、
設定に相当な仕掛けが施されています。

たとえば主人公(ロバート=デンゼル・ワシントン)が黒人であること。
民族多様性の時代に、もし主人公が白人なら、
この映画の持つ意味合いは「80年代的な正義」に後退してしまいます。

次に「悪」がロシアマフィアだが、
被害者もまたロシア人の少女であること。
「悪」を措定するのにロシアを使うのは、
『ダイ・ハード』の時代と変わっていないように見えますが、
主人公が命を賭けて救うのもまた、
ロシアから移住してきた不良少女のロシア人だ、
という設定にすることにより、
「アメリカ=正義、ロシア=悪」
という構図になるのを注意深く避けています。

さらに、ロバートは元CIAの特殊工作員という、
アメリカの「体制側」にいた人間なのですが、
ロバートがホームセンターで、
メンター的に何かとお世話をしている労働者は、
ヒスパニック系であり、
彼のお母さんが営むレストランから、
白人警察官が暴力を背景に不正にお金をむしり取り、
それをロバートが救う、
というシーンがあります。

このように、この映画では、
「悪と正義」は立場や出自や人種によって固定されておらず、
「相対化」さていれるのが分かります。
それでいてなおかつ、
「それでもやはり悪と正義はある」
というメッセージを伝えることに成功しているのです。

もう、「5億点(byライムスター宇多丸)」ですね。

さらにこの映画、「メンター、メンティー映画」としても優れている。
今の社会に失われた「人生のロールモデル(師匠)」を、
ロバートは職場やダイナーで、人々に示します。
『グラン・トリノ』や『空手キッド』など、
メンター・メンティー映画には良作が多いですが、
この映画はその意味においても秀逸です。



●第1位 スリービルボード

鑑賞した日:2018年11月1日
鑑賞した方法:アマゾンでストリーミング購入(400円)

監督:マーティン・マクドナー
主演:フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル
公開年・国:
リンク:
http://amzn.asia/d/0rMrj6D

▼▼▼コメント:

こちらも最近解説したばかりの映画です。
これもまた先ほどの『コクソン』と同じ意味において、
「キリスト教映画」なのです。

こちらのテーマは、
「赦し」です。
スリービルボード(3枚の看板)は、
「丘に立つ三本の十字架」の、
メタファーですから。

「赦し」のない世界に、
どうやって人は赦しをもたらすことができるか?
そういう問いに答える映画です。

詳しい解説は過去記事をご参照いただくとして、
この映画最大の魅力は、
「人は変わる」ということでしょうね。

誰一人として、
「キャラ」に固定されていない。

最初こういう人だと思っていたが、
実はこういう一面があった、
とか、
「この人はこうだ」と思っていたら、
「え、こんなこともするの?」
という一面があったりする。

それは単に人の多面性を現しているだけでなく、
「物語」が人を変えていく様子が分かるのです。
これこそが「現代の希望」だと私は思います。

養老孟司がこれまでの集大成として、
2011年に三冊の本を出しました。
私はKindleで全部買って読みました。
「養老孟司の大言論」シリーズ。
その三作目のタイトルがたしか、
「希望とは自分が変わること」
だったと思います。

希望は自分の外部にあるもの、
というのが世間の「認知された常識」です。
金持ちになる、
良い仕事につく、
世界一周旅行をする、
資産を築く、
などなど。

しかし、それは物事の一面に過ぎない。
希望とは必ずしもそうではない。
希望とは、「自分が変わる」ということなのだ、
というのを養老さんが言っていて、
「本当にそうだなぁ」と当時思ったし、
今も毎日実感しています。

希望がもし外部にあるのなら、
それは状況に依存します。
しかし希望が内部にあり、
それが「自分が変わること」そのものならば、
希望は状況に依存しません。

聖書に「いつまでも残るのは、
信仰、希望、愛」とありますが、
この希望は、内部にある希望のことです。


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