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本のカフェ・ラテ『AI VS 教科書が読めない子どもたち』(後編)

2019.05.23 Thursday

+++vol.074 2019年1月15日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼久々の、「本のカフェラテ」です。▼▼▼

さてさて。
お待たせしました。
去年の11月20日に、
「後編をお楽しみ」
と言ったきり、2ヶ月放置していた、
本書のカフェ・ラテ(後編)をやります。

さっそく行ってみましょう。


●『AI VS 教科書の読めない子どもたち』

読了した日:2018年5月2日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:新井紀子
出版年:2018年
出版社:東洋経済新報社

リンク:
http://amzn.asia/cbeiDq8


▼▼▼東大ロボはどうして「常識の壁」に阻まれるのか?
AIが理解できるのは基本的に「四則演算」であって「意味」ではないから

→P107 
〈私がどこにいても、
勤め先の神保町までの行き方を教えてとお願いすると、
スマートフォンはすぐに教えてくれます。
頂き物の松茸をおいしく料理する方法だって、なんでもこいです。
ですから、スマートフォン、
つまりAIは私たちの質問の意味を理解し考えてから、
答えを教えてくれているのだと思っている人も多いと思います。

けれど、AIは意味を理解しているわけではありません。
AIは入力に応じて「計算」し、答を出力しているに過ぎません。
AIのめざましい発達に目が眩んで忘れている方も多いと思いますが、
コンピュータは計算機なのです。
計算機ですから、できることは基本的には四則演算だけです。
AIには、意味を理解できる仕組みが入っているわけではなくて、
あくまでも、「あたかも意味を理解しているようなふり」をしているのです。
しかも、使っているのは足し算と掛け算だけです。

AI(コンピューター)が計算機であると言うことは、
AIには計算できないこと、基本的には、
足し算と掛け算の式に翻訳できないことは処理できないことを意味します。
ですから、AI研究者は、世の中のあらゆることを、
たとえば、画像処理をするための方法を、
質問に応答する方法を、
あるいは英語を日本語に翻訳する方法を数式で表そうとして、
日々、頭をフル回転させているのです。

→P117 
〈論理、確率、統計。
これが4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。
それが、科学が使える言葉のすべてです。
次世代スパコンや量子コンピューターが開発されようとも、
非ノイマン型と言おうとも、
コンピューターが使えるのは、この3つの言葉だけです。

「真の意味のAI」とは、
人間と同じような知能を持ったAIのことでした。
ただし、AIは計算機ですから、数式、
つまり数学の言葉に置き換えることの出来ないことは計算できません。
では、私たちの知能の営みは、
すべて論理と確率、統計に置き換えることが出来るでしょうか。
残念ですが、そうはならないでしょう。〉


、、、AIの「シンギュラリティ論争」については、
前編で説明しました。
「2045年問題」とも言われています。
AIの進歩がある臨界点(シンギュラリティ)を迎えると、
人間の頭脳はAIによって「超克」され、
人類は歴史の新たなフェイズに入るであろう、
という未来予測です。

これを熱烈に支持する人々と、
「いや、それは言い過ぎだ」と言う人で、
立場が二分しているわけです。

面白いのは、新井さん含め、
プログラミングやコンピュータの中身を知っている人ほど、
「後者」に意見が傾いているということですね。

これは再生医療にも言えます。
医学の知識がある人ほど、
「人間が死ななくなる理想郷」は、
幻想に過ぎないことを知っています。
医学の知識があれば、
「再生医療は限定的な技術」であることが分かるからです。

コンピュータの中身を知っている人は、
なぜシンギュラリティ論争において、
技術の限界を指摘するのか?
それは、引用箇所でも新井さんが言っているように、
彼らが、コンピュータの本質は、
どこまで行っても「計算機」である、
ということを知っているからです。

ところが再生医療に関してもAIに関しても、
私たち一般市民が目にする報道は、
「その技術は限定的だ」という内容よりも、
「世界は様変わりするぞ!!!」という、
過激な内容が多い。

なぜか?

それは報道する人、
つまり新聞記者やマスコミ関係者が、
基本的に「文系」だからです。
彼らは理系の専門家から、
「再生医療」や、「AI=計算機」
という説明を聞きますが、
基礎的な知識が欠如しているので理解できていない。
小保方さんのSTAP細胞がいまだにある、
と言っている人がこれだけいる、
というのは「マスコミの科学音痴」によると、
私は思っています。



【現代のAI礼賛のシンギュラリティ論者と、
15世紀の占星術によるグランドセオリーを希求したハプスブルク家の相似】

→P109 
〈中世には、アラビア半島を経由して
インドの数学がヨーロッパに伝わっています。
貿易が盛んになると、
商取引で合理的なアラビア数字が使われるようになり、
計算が飛躍的に速くなりました。
そして、計算技術の向上は天文学の発展に大きく寄与しました。

その天文学の中心地フランスでとんでもないことが起こります。
15世紀のフランスで2人の教皇が互いに正統性を主張した、
「教会大分裂(シスマ)」と呼ばれるカトリック史に残る大事件です。

パリ大学の教員たちはどちらを支持するか二者択一を迫られました。
少数派だったドイツ系の教員たちはパリ大学を去らざるを得なくなります。
そんな彼らに、ウィーンのハプスブルク家が手をさしのべました。
しかし、天文学者としてではありません。
占星術者として招かれたのです。
天候が農作物の作柄に影響を及ぼし、
作柄は国勢を左右しますから、
統治者のハプスブルク家にとって占星は一大関心事でした。
当時の人々は太陽も星も月も雲もみな同じ場所にあるものと捉え、
太陽や月、星の観測データを収集・分析すれば
天候や作柄が予測できると考えていました。
大気圏と宇宙空間の別を知らない当時としては、
無理からぬことでしょう。

それはともかくとして、
ドイツ系の天文学者を多数受け入れたことで、
中世のウィーンで占星術が花開くことになります。
現代において「真の意味のAI」が
待望されている状況と酷似しています。

当時の天文学者たちは膨大な
「天文ビッグデータ」を計算する必要に迫られます。
占いを外せば命に関わるでしょうから、
必死だったに違いありません。

その過程で生まれて、現在も使われているものがあります。
3.14のような十進小数表示です。
それ以前は、古代バビロニア時代から
営々と六十進法の分数を使っていました。
それでは計算効率が悪くてしょうがない。
膨大な計算の必要に迫られて意図せずに十進小数が生まれたのです。
十進小数まで開発して計算にいそしんだ彼らには気の毒ですが、
中世の「ビッグデータ占い」は理論的に誤りでした。

今では誰もが知ることですが、
年間降雨量の予測のために遙か彼方の星を観測するのは、
宝くじの番号から当たり外れを
予測するのと同じくらい無駄なことです。
中世のビッグデータ科学の成果は、
近代科学の登場によって完全に上書きされることになりました。

天文ビッグデータを用いることで、
その年の作柄から、生まれた皇子の運まで、
すべてを予測したいと熱望したハプスブルク家の姿は、
私には、数学とは何かを理解せずに
「ビッグデータでAIが実現できる」と
信じる人々の姿に重なって見えます。〉


、、、これも先ほどの話しと同じです。
ディープラーニングが、、、とか、
ビッグデータが、、、とか、
横文字のバズワードを並べて、
AI時代の到来を興奮気味に語っているほとんどの人は、
「AIは基本的に四則演算である」
という本質を掴んでいません。

そうすると彼らの未来予測は当然外れ、
天気を読み間違えた農家のごとく、
「今、何をすべきか」を見誤ります。



【東大ロボの伸び悩みの本質は:
「AIは本質的に数学であり、
 意味を取り扱うことが出来ない」ということ】

→P119 
〈数学が発見した、
論理、確率、統計にはもう一つ決定的に欠けていることがあります。
それは「意味」を記述する方法がないと言うことです。
数学は基本的に形式として表現されたものに関する学問ですから、
意味としては「真・偽」の2つしかありません。

「ソクラテスは人である。
人は皆死ぬ。よって、ソクラテスも死ぬ」
のようなことしか演繹できないし、
意味はわからないと言うより表現できないのです。

いかがでしょうか。

少しは、数学とは何かにつて、
理解する助けとなったでしょうか。
数学は、論理的に言えること、確率的に言えること、
統計的に言えることは、実に美しく表現することが出来ますが、
それ以外のことは表現できません。

人間なら簡単に理解できる
「私はあなたが好きだ」と
「私はカレーライスが好きだ」の本質的な意味の違いも、
数学で表現するには非常に高いハードルがあります。

これが、東大ロボくんの成績が
伸び悩んでいる根本的な原因だと言えるでしょう。
本章の最初に、
いまのAIの延長では偏差値65の壁は越えられないと申し上げたのは、
このような理由があるからです。〉


、、、著者の新井紀子さんは、
「東大ロボ君」という国家プロジェクトに、
長年携わってきました。
それは、「AIが東大入試に合格する」
という目標を掲げてスタートしたプロジェクトです。
新井紀子さんの結論は、
今の技術の延長線上に、
「AIが東大合格する未来はない」
ということです。

しかし、東大ロボはすでに、
MARCH(明示、青山、立教、中央、法政)
には合格できます。

東大とMARCHを分けるものは何か?

そこに「人間の頭脳とAIの質的な差異」があり、
そこを磨いていくことこそ、
AIが多くの仕事を奪う未来
(これについては新井さんも肯定しています)に、
今の子どもたちが「やる仕事がなくならない」ために、
するべきことなのだ、ということです。

では、その「質的な差異」とは何か?

それは「意味の把握」です。
AIは計算機であり、
その本質は四則演算だ、と先ほど述べました。
つまりそれは「数学」です。

数学が取り扱うことが原理的に出来ない領域が、
「意味」なのだというのが新井さんの指摘です。

「いやいや、
AIが小説を書いたって、
ネットニュースで見ましたよ!」

違います。

あれは、膨大な「ストーリー」を、
ビッグデータ的に集めさせて、
その「最大公約数」を、
アルゴリズムに語らせただけです。
そこに「意味」は介在していません。

「意味の把握」が最初にあり、
そこから物語を演繹する、
人間の創作活動とは、
本質的にまったく違います。

AIによって仕事を奪われる職業、
というのをオックスフォード大学が、
ランキングしていますが、
その上位に銀行の窓口業務などは入っていますが、
「小説家」が入っていないのはこのためです。

▼参考リンク:オックスフォード大学の「なくなる仕事リスト」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/40925


小説家は先週号で紹介した、
ロバート・ライシュの言うところの、
「シンボルアナリスト」です。
今後も彼らの仕事はなくならないし、
その価値は上がることはあっても下がりません。
「意味を取り扱う仕事」が、
今後も人間の手から奪われることは、
(1000年単位だとそれは分からないが、)
少なくとも100年単位ではありません。
だから「意味を把握する訓練」をしましょう、
というのが本書のタイトルに現れているわけですね。


【機械翻訳がどの程度の精度なのか?
「便」の話はめちゃくちゃ面白い】
→P141〜142 
〈AI関連各社が激しい競争を繰り広げている分野がもう一つあります。
機械翻訳です。
外国語が苦手だと思っている人が多い日本人には、
まさに夢のアイテムで、
すでに多くの人が利用しています。

ですが、日常会話や、
ちょっとした翻訳の助けにはなっても、
厳密さが求められる、
たとえば、電気製品のマニュアルだとか、
契約書、学術論文などでは全く実用に耐えるレベルではありません。

とは言え、
前世紀にはほとんど使い物にならなかった機械翻訳の精度は、
2000年代に入ってずいぶん改善されました。
それでも、実力はまだまだという印象でした。
2014年にグーグル翻訳の精度を試してみたことがあります。
 
「図書館の前で待ち合わせをしませんか。」

ビッグデータ上の統計的機械翻訳を
採用しているグーグル翻訳は次のように翻訳しました。
 
「Do not wait in front of the library.
(図書館の前で待たないで下さい)」

入試なら零点です。

機械翻訳ではヤフー翻訳も有名ですが、
2014年までは精度に大差なく、
たとえば、日本語で書いたビジネスメールを
機械翻訳でスワヒリ語に訳して送信するという勇気は湧きませんでした。
尾籠な話で恐縮ですが、
「明日はどの便に空席がありますか?」の
「便」をグーグル翻訳が誤訳してしまい、
大恥をかいた日本のビジネスマンがいたという話も
聞いたことがあります。〉
 

、、、自動翻訳機が、
実用レベルになってきたのは、
凄いことだと思います。
いっさい英語を話せない人にとっては、
海外旅行体験が、ずいぶん快適になることでしょう。
また、たとえばフランスのような、
あんまり英語を話してくれない国に行ったとき、
自動翻訳機に救われるシーンも多くなることでしょう。

しかし、
機械翻訳の限界も、
われわれは知っておく必要があります。
機械翻訳の限界は、
先ほど指摘した「意味の把握の不能」にあります。
機械は「便(ウンコ)」と、「便(どの飛行機か)」の、
違いを把握することが出来ません。
「ディープラーニング」によって、
ある程度までは、文脈依存性の法則を学び、
精度を上げることは出来るでしょうが、
微妙なニュアンスを伝えるところまでは、
現在の技術と同じ地平にはない、
ということが分かると思います。

100年後も、
大統領同士の会話には、
有能な通訳が付き添い続けているはずです。


【大規模な「読解力調査」からわかったこと】
→P227 
〈全国2万5000人を対象に実施した
読解力調査でわかったことをまとめてみます。
・中学校を卒業する段階で、
 約3割が(内容理解を伴わない)表層的な読解もできない。
・学力中位の高校でも、
 半数以上が内容理解を要する読解は出来ない。
・進学率100%の進学校でも、
 内容理解を要する読解問題の正答率は50%強程度である。
・読解能力値と進学できる高校の偏差値との相関は極めて高い。
・読解能力値は中学生の間は平均的には向上する。
・読解能力値は高校では向上していない。
・読解能力値と家庭の経済状況には負の相関がある。
・通塾の有無と読解能力値は無関係
・読書の好き嫌い、科目の得意不得意、
 一日のスマートフォンの利用時間や
 学習時間などの自己申告結果と基礎的読解力には相関はない。〉


、、、先ほどから、
「AIは本質的に計算機だ」という話しをしています。
とすると、現代を生きる子どもたちが、
「AIに仕事を奪われない」ためには、
「計算機に代替不能な能力を研鑽する」ことが、
取るべき戦略になるわけですね。

そして、その「計算機に代替不能な能力」は、
「意味の把握」である、と新井さんは指摘しています。

ところが、前編でご紹介したように、
現代の子どもたちの「読解能力」をテストしたところ、
これがすこぶる振るわない。

前編で解説したことを繰り返しますと、
こういう問題がありました。

「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、
 大名には沿岸の警備を命じた。」

上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。
「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。

「1639年、ポルトガル人は追放され、
 幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。」


、、、これはYESかNOの二択問題であり、
コインを投げた場合の正答率は50%です。
加えて、「幕府」「警備」などの言葉の意味が分からなくても、
文章の構造を抑えることができれば、
正解することのできる問題です。

にもかかわらず、日本の中学生の、
この問題の正答率は55%(!!)だったのです。

つまり、中学生たちは、
たった1行の文章が、
いったい何を言っているのか、
その意味を把握出来ていない、
ということです。

驚愕じゃないですか?

大人は「驚愕」と言うかもしれませんが、
大人も似たようなものかもしれません。
「正答率が55%だったんですよ
 (ヤバくないですか?)!!」
と新聞記者に新井さんが伝えたところ、
新聞記者は「え?何が?
平均点55点って、そんなに悪くないですよ」
と答えたエピソードがこのあとに紹介されますから。

新聞記者は、
「二択問題の正答率が50%」の意味が、
「100点満点のテストなら0点の近似値」
という統計学がまったく分かっていません。
中学生と似たようなものです。

、、、新井さんはこのことに危惧を覚え、
独自の「読解力調査」というテストを考案し、
行政と協力して、全国で大規模調査に乗り出します。
その結果分かったのが、上の引用に挙げた事項でした。

中でも意外だったのが、
家庭の経済状況と、読解力の関係は、
わずかだが「負の相関」があった、
ということ(普通は逆を予想します)や、
塾に行ったかどうかや、
スマホや読書時間や勉強時間は、
読解力にまったく関係がないことでした。

、、、ここから分かるのは、
私たち大人(親や学校の先生や塾講師)が、
「子どもの学力向上」のために、
資本や時間を投下して行っていることの、
ほぼすべては、
「子どもの読解力向上」に、
資するところがほとんどない、
ということです。

にもかかわらず、
最難関高校(および大学)への入学率と、
読解力には、きわめて強い相関がある。

さらに言えば、
将来AIによって代替不能な仕事ができるかどうかと、
読解力は、致命的な関係がある。
「それがすべてを握っている」と言っても良い。

「社会が本当に必要とする能力」と、
「大人たちが組織的に、
子どもに身に着けさせようとしている能力」
の間に、大きな乖離がある、というのが、
この調査結果から分かったことです。

めちゃくちゃざっくりとした、
乱暴な言い換えを、
私なりにしたいと思います。

学校や塾や教育ママは、
子どもの「アルゴリズム処理能力」の向上をもって、
「学力」と思っています。
それは計算の速さ、正確さ、暗記力の向上です。

しかし、社会が本当に必要とする能力は、
「ヒューリスティック的な能力」です。
これは「問題解決能力」「問いを発する能力」
などで、「意味の把握」がその前提になります。

前者の能力は、
コンピュータが最も得意とし、
後者の能力は、
今後100年はコンピュータが人間に追いつくことはない、
と言われている能力です。

私たちが考える「教育」は、
何か大きな間違いを犯している可能性が大です。



【AIに代替不能な「読解」をすっとばして
 暗記や分析などの能力を磨く愚】
→P232 
〈「係り受け」や「照応」の正答率が9割を超えても、
それ以外のタイプの問題の正答率が5割を下回るケースが頻繁にあります。
有名私大に大勢進学させている高校でも、
推論のランダム率が4割を超えるということすらあります。

表層的理解は出来るけれど、
推論や同義分判定などの深い読解が出来ない場合、
文章を読むのは苦手ではないのに、
中身はほとんど理解できないと言うことが起こりえます。

コピペでレポートを書いたり、
ドリルと暗記で定期テストを乗り切ったりすることは出来ます。
けれどもレポートの意味や、
テストの意味は理解できません。

AIに似ています。
AIに似ていると言うことは、
AIに代替されやすい能力だと言うことです。

私が最近、もっとも憂慮しているのは、
ドリルをデジタル化して、
項目反応理論を用いることで
「それぞれの子の進度に合ったドリルをAIが提供します!」
と宣伝する塾が登場していることです。

こんな能力を子どもたちに重点的に
身につけさせることほど無意味なことはありません。
問題を読まずにドリルをこなす能力が、
もっともAIに代替されやすいからです。〉


、、、これは先ほどの話しの続きですね。
東大、京大などの、
超難関大学を除けば、
「大学(高校)受験に最適化」すればするほど、
子どもたちの「意味を把握する力」は衰える、
という恐ろしい状況が生み出されています。

本書の最初に新井さんは、
アメリカの「大恐慌」に触れます。
あれは、オートメーション化によって、
「第二の産業革命」が起きたときに、
労働市場(とそれを支える教育)が、
変化に対応できなかったから起きたのだ、
と分析しています。

どういうことか?

オートメーション化により、
ブルーカラーの数は減り、
ホワイトカラーの数が増えました。
ところが学校は、
「良いブルーカラー」を生み出す方向で、
教育を続けた。
結果、社会は人手不足なのに、
街には失業者が溢れた、と。

20世紀、教育は、
良いホワイトカラーを生み出すことに最適化しました。
計算能力、記憶力、事務処理能力などです。

変化に適応したのです。

しかし、今の問題は、
21世紀になっても、
教育はいまだに「良いホワイトカラーを生む」
方向性を変えていないように見えることです。
「第三(第四という人もいる)の産業革命」により、
ホワイトカラーは、
かつてのブルーカラーと同じ運命を辿ることは、
おそらく間違いありません。

私たちの社会は大きな方向転換を迫られています。



【中学高校の授業でコンピュータプログラミングを、
 と言いながら指導要領から行列を外す愚】
→P249 
〈もうひとつは、学習指導要領についてです。
経済界に「中学高校の授業でコンピューターのプログラミングを」
との意見があることは紹介しましたが、是非は別として、
今後IT人材を増やしたいのならば、
高校で三角関数と微積分、そして行列は必須です。

機械学習も教科学習もシミュレーションも、
この3つがわからないとどうにもならないからです。
特に行列は欠かせません。

前著『コンピュータが仕事を奪う』に詳しく書きましたが、
グーグルのページランクは行列計算で出来ています。
ディープラーニングなどは、
そのものがまさに巨大な行列計算です。

また、音声認識からアマゾンの「おすすめ商品」の選択まで、
あらゆるところに出てくるのが行列です。
なのに、文部科学省は高校の指導要領から
行列を外してしまいました。〉


、、、多くの読者の皆様は、
高校数学で「行列」って習ったと思います。
文科省は「行列」を指導要領から外したというのです。
それなのに「プログラミング」を教えようとしている。
これは産業界からの要請です。

新井さんはこれの何が問題だと考えているのか?

それは「技術の表層」を教育し、
「技術の論理」を教育から外す、
という愚策についてです。

産業界は子どもたちが、
「表層的な技術(=プログラミング)」を身に着けてくれたら、
嬉しいに決まってます。

即戦力ですから。

しかし、「技術の原理」にあたる、
もうひとつ抽象度の高い「理論(=行列)」を、
文科省は外してしまった。

表層的な技術はすぐに陳腐化します。
しかし、抽象度の高い論理は、
一生役に立ちます。
数年前の政府の「文系学部軽視発言」にも通じますが、
日本政府はどんどん「金の卵欲しさに鶏を殺す」
という愚策を積み重ねているように思います。

慶応大学元学長の小泉信三さんの言葉に、
「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる。」
というのがありますが、
日本政府は、3年後のGDPには興味があるが、
今の子どもの50年後はどうでもいい、
と思っているように見えて仕方がありません。


【「何の仕事とははっきり言えないけれども、人間らしい仕事」が、
 AIに代替されることなく、残るであろう】
→P276〜277 
〈「ほぼ日」がメディアなのか、モノづくりなのか、
営業なのか、何なのか、よくわかりません。
たぶん、「総務」とか「会計」とか「商品開発」
のように名刺をみたら何をしているかわかるような仕事は、
何をしているかわかるが故に、AIに代替されやすく、
先細っていくと思われます。

けれども、
「何の仕事とはっきりは言えないけれども、人間らしい仕事」は、
AIに代替されることなく、残っていくのです。

「でも、糸井重里は天才じゃないか。
糸井重里しか生き残らないとしたら、
どうやって一億人が食べていくんだ」――。
そんな反論が聞こえてきます。
でも、大丈夫です。

似たような例はこの十年間にたくさん生まれています。
たとえば、汚部屋整理コンサルタントなんてどうでしょう。
散らかった部屋に行って、
どうして散らかってしまうのか相談に乗りながら一緒に片付けてくれたり、
整理の仕方を教えてくれたりする仕事です。
遺品整理も20世紀には聞いたことのない商売でした。
どちらも個別具体的な問題解決が求められますから、
AIにもロボットにも代替できません。〉


、、、AI時代に多くの仕事が消える。
「では、私たちはどうすれば良いんだ?」
という疑問は当然起きるでしょう。

じっさい、オックスフォード大学の、
「消える仕事ランキング」に入っている仕事を、
今現在している、という人もいるでしょう。

利権団体を作って抵抗しても、
「第四次産業革命」は止まりません。

私がAI関係の本を去年ぐらいから興味を持って、
複数読んできて学んだ一番たいせつなことは、
「未来に必要とされる仕事を、
 現在の私たちは今その名前すら知らない」
ということです。

今の子どもたちが将来する仕事は、
私たちがまだ耳にしたことすらない可能性が高い、
ということです。

しかし、
「将来する仕事」の性質は分かります。
それは、「AIには代替不能な付加価値」を、
社会にもたらすことができる仕事だということです。

そして、皆さんの仕事がどんな仕事だったとしても、
今現在しているその仕事のなかで、
そのような付加価値を社会にもたらすための能力を、
向上させることが出来る、
というのがもっと大切なことです。

たとえば私が今、
タクシー運転手だったとしましょう。

Uberの本格的な民主化
(タクシー会社を通さない民タク)や、
カーシェアリング、
そして自動運転技術によって、
数十年後に「タクシー運転手」という職業は、
過去のものになるかもしれない。

私は今何をすれば良いのか?
タクシーの業界団体を作って、
Uberの民タク化を阻止したり、
自動運転の規制を強めたりするよう、
政府に働きかける、というのも手かもしれません。

しかし、それは「悪手」と言わざるを得ない。
経済の原理により、
その試みは長期的には必ず負けますし、
何より社会を歪めます。
いまある社会の「歪んだ既得権」のほとんどは、
このように生まれてきたのですから。
これは後世に負の遺産を残すことになります。

、、、では、何をすれば良いのか?

今している本業の中で、
「AIに代替不能な付加価値」を、
加えることを考えるのです。

タクシーという業態は、
「ある場所からある場所に移動する。」
「移動時間が快適である。」
「対話や意思疎通がスムーズで心地よい。」
「運転手の対人サービスの質」
「運転手の土地勘」
などに因数分解されます。
このなかで、AIには代替不能な要素を特定する。
その技能において、業界の誰にも負けない技術を持つようになる。
そうすると、その先に、新しい業態が見えてきます。
自分で新しい業態を作らなくても、
「新しい業態」が勃興したときに、
その業態の若手を育成できる人材として、
社会にいつまでも必要とされることでしょう。

それって、例えばどんなこと?

これは「無数に考えられる」。

「土地勘」×「対人サービス」で、
「町歩きのソムリエ」みたいな業態が出来るかもしれない。
「移動空間の快適さ」×「対人サービス」で、
「動くカウンセリングルーム」という業態が出来るかもしれない。
「タクシードライバーとしての総合力」×「教える技術」で、
「一般人の相乗りの仕組み化」という民タク社会が訪れたとき、
そのドライバーが「人気の運転手」になれるような、
「民タクドライバーの学校」を開けるかもしれない。

タクシー運転手だけではありません。
たとえば、「街の本屋さん」は、
Amazon、そして電子書籍化の、
「淘汰圧」に勝てるでしょうか?

普通に考えたら勝てません。
しかし、岩田書店という本屋さんは、
「顧客とのコミュニケーション」×「本の知識」で、
新しいサービスを生み出しました。
応募者にカルテを書いてもらい、
処方箋のように、「本の組み合わせを調合」し、
その本が送られてくる、というサービス。
「1万円選書」と言います。
毎回7,000人が応募するほどの人気だそうです。

▼参考リンク「1万円選書」
https://www.fnn.jp/posts/00404880HDK


、、、タクシーにしても、
本屋さんにしても、
生き残る人々に共通するのは、
「アルゴリズム(AI)には代替不能」な要素を、
上手に自分の専門分野と組み合わせているということです。
そして何らかの「対人サービス」が必ずそこに含まれる。

では、「対人サービス」は、
どのように磨くのか?
対人サービスの質において競争力を持つ人が、
もっている能力とは何か?
つまり、AI時代に生き残れる、
「マスターピース」とは何か?
それが「読解力」なのだ、
というのがこの本の「キモ」です。

、、、最後に、
本書の要約的なセンテンスを引用して、
2回にわたった「AI VS 教科書が読めない子どもたち」の、
「本のカフェ・ラテ」を終えたいと思います。


【本書の要約的センテンス】
→P241 
〈AIと共存する社会で、
多くの人々がAIにはできない仕事に従事できるような能力を
身につけるための教育の喫緊の最重要課題は、
中学校を卒業するまでに、
中学校の教科書を読めるようにすることです。

世の中には情報はあふれていますから、
読解能力と意欲さえあれば、
いつでもどんなことでもたいてい自分で勉強できます。

今や、格差というのは、
名の通る大学を卒業したかどうか、
大卒か高卒かというようなことで生じるのではありません。
教科書が読めるかどうか、そこで格差が生まれています。〉


、、、現代の情報格差は、
よく言われているように、
「ITガジェットを使いこなせるかどうか」ではない、
というのが新井さんの結論です。
そうではなく、「教科書が読めるかどうか?」
なのだと。

いくら最新のガジェットを使いこなせていても、
それが提供する情報の「意味」を把握し、
消化し、解釈し、「意味の付加価値」を加え、
「他の人にも伝わる意味」として発信できなければ、
社会に必要とされる人材となるどころか、
「フェイクニュースの拡散者」となって、
社会に迷惑を掛けることになるでしょう。

お金というのは、
「世の中の何かの問題を解決したり、
 困っている人を助けたり、
 誰かのニーズに応えた」
ことの対価です。

お金は後からついてくるのです。
逆ではありません。

なので私たちが考えるべきは、
「今、旨みのある業界はどこか」ではなく、
「未来において問題を解決出来る人材になるには」
です。


蛇足かもしれませんが、
最後にひとつ。


あとがきに新井さんは、
「何より、こんなちっぽけな私に、
 (中略)の出会いを用意してくださった神様に感謝します」
と書いています。

調べても新井さんがキリスト教徒だという
情報の裏付けは得られませんでしたが、
彼女は「人間社会を超えた何か」を信じていることは、
この文章から推測されます。

人間社会のことを本当に理解しようとすると、
人間社会を超えた何かを知らなければならない、
ということの好例ですね。

これは自分の経験からも裏付けられます。
私が、もし人よりも、
「社会のことをよく理解出来ている」としたら、
それはひとえに、私が信仰者であり、
それゆえに「超越的な視点」をもっているからに他なりません。
「ある系を概観するには、
 その系の中にいては分からない」のです。
銀河系の中から銀河系の形がわかりにくいのと同じで。

信仰者というのは、「社会という系」の外側にある、
「超越的な現実」を知っています。
本当の故郷が天にあることを知っているので、
「この世の生だけがすべてではない」
ということを知っている。
だから、信仰を持たない人よりも、
この社会のことを分析する上で、
格段に優位な立場にあると私は思っています。

それは「誇るため」ではありません。

そうではなく、
ちょっとでも社会を良くするためです。

人種差別の撤廃、
男女の平等、
市民権の獲得、
奴隷制度の廃止、、、、
といった社会におけるたいせつな変革の担い手の多くが、
リンカーン、津田梅子、キング牧師、
ウィルバーフォースなどの信仰者なのは、
偶然ではありません。
それは彼らが、「この世の閉じた系」を離れた、
超越的な視点からこの世界を見ることができたからです。

私は彼らのように大きなことは出来ないかもしれませんが、
信仰を持つひとりとして、
「社会を1ミリでも良くする」ために、
この世に今日も生を与えられている、
と思いながら生きています。

話しがそれました。

、、、というわけで、
新井さんを作ってくれた神様に感謝します。

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