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陣内が先週読んだ本 2019年 1月6日〜19日 『ファシスト的公共性』他

2019.06.02 Sunday

+++vol.075 2019年1月22日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 陣内が先週読んだ本 
期間:2019年 1月6日〜19日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●越境芸人

読了した日:2019年1月8日
読んだ方法:Amazonで書籍購入

著者:マキタスポーツ
出版年:2018年
出版社:東京ニュース通信社

リンク:
http://amzn.asia/d/dTq6PnV

▼140文字ブリーフィング:

私の一番好きなラジオ番組に、
「東京ポッド許可局」というのがあります。
そもそも、このメルマガを書こうと思った、
「きっかけ」のひとつと言っても良い。
「東京ポッド許可局」は、
マキタスポーツ、プチ鹿島、サンキュータツオという、
元オフィス北野の3人の芸人が、
ルノアールに集まってICレコーダーにその会話を録音し、
ポッドキャスト配信しはじめたところから始まります。
今はTBSラジオがそのコンテンツを「買い」、
スポンサーもついている人気番組になっています。

病気療養から復帰して間もない頃、
「この感じ」を私はやりたいなぁ!
と心から思ったのです。

そしてポッドキャストを最初は考えたのだけど、
まずは「ラジオのようなメルマガ」として始めてみて、
ゆくゆくは本当にラジオ番組が出来る素地を作ろう、
と思い、2年前に始めたのがこのメルマガなのです。

、、、なので、マキタスポーツは、
このメルマガの「生みの親」と言っても過言ではない(過言か?)。

そんなマキタスポーツさんが、
「世の中のあれこれ」について語っています。
まるで東京ポッド許可局を聞いているように読めるこの本、
私のメルマガを面白いと感じる人は、
楽しめること間違いなしです。
オススメです。

、、、これでは何が面白いか、
まったく伝えたことにならないので、
私なりにマキタスポーツさんの「持論」の、
何が凄いかを端的に語ってみたいと思います。

まず、彼は「言葉の解像度」と、
「言葉の精度」がハンパないです。
地頭の良さが突出しています。
言葉のストック量がすごいというより、
まさに「越境的に言葉を選ぶセンス」が凄い。
その手際はまさに一流の料理人のそれで、
「えー、イタリアンにわさび使っちゃうわけ?」
みたいな、「この話題なら通常空けない引き出し」から、
言葉をチョイスして上手に料理することにおいて、
彼は突出した才能をもっています。

なので、この本を読むとき、
芸人が芸能や時事ネタを語っているだけなのに、
「近眼の人がメガネをかけたような」、
「世界を見る解像度」がぐっと上がる感じがあります。
「言葉の8Kテレビ」なわけです。
「言葉のブラウン管テレビ」の人は、
きっとついて行けない。
何が凄いか分からないレベルです。
「デジタル放送」レベルの人なら、
そのすごさが体感できます。
「マキタメガネ」恐るべし。

私はまだ自分を「4Kレベル」と自己診断しています。
自分がやりたいこととも被っているので、
「うらやましいなぁ」と思っています。

いろいろ紹介したい実例があるのですが、
一箇所だけ、「香川照之が顔面アスリート」
というくだりを紹介します。

→P162 
〈香川照之さんの「顔」はどうでしょう。
香川さんの場合、僕が感じるのは”顔面のアスリート性”です。
とにかく顔のフィジカルが凄い。
顔のシルク・ドゥ・ソレイユ、
顔芸オリンピック・・・なんでもいいんですが、
肉体としての「技芸的顔面力」が尋常じゃありません。

見る側に解釈の余地を与えない、芸の力で、
都度こちら側が黙らされて観賞するしかないほどの迫力があります。
顔芸の歴史は香川照之以前と以後で語られるべきですし、
「競技としての顔」という領域へわれわれを連れて行ってくれました。

もはやニュートラルな造形としての香川照之がイメージ出来ないわけで。
そのエクストリームな顔面力は何よりも雄弁ですが、
無限が0、すべての色を混ぜ合わせると黒になるように、
そこはかとない「無」が転がっています。

古舘伊知郎さんの凄すぎる喋くりの奥に、
壮大な「無口」が横たわっているように。

しかし、そのこと自体が香川さんの「顔」であり、
その意味で、そのジャンルで一位の顔の完成度です。〉


、、、すごくないですか??
「顔面シルク・ドゥ・ソレイユ」。
「和牛とウニのカルパッチョ」みたいなもので、
普通は合わせないわけですよ。
「顔面」と「シルク・ドゥ・ソレイユ」を。
さらに香川照之の顔面の向こうにある「無」と、
古舘伊知郎の多弁の奥の「無口」を対比させる、
「思考のスライド力」。
言葉のセンスって、こういうことなんですよね。
(1,650文字)



●ファシスト的公共性 総力戦体勢のメディア学

読了した日:2019年1月11日
読んだ方法:義理の兄から誕生日プレゼント

著者:佐藤卓己
出版年:2018年
出版社:岩波書店

リンク:
https://goo.gl/Lutsqp

▼140文字ブリーフィング:

これは凄い本でした。
今年に入って最も没入した本です。
今イギリスにいる義理の兄から、
「誕生日プレゼント」として、
Amazon経由で贈っていただきました。

妻の両親、祖父、
きょうだいら総勢で行く、
ここ数年恒例の「お正月休みの家族1泊旅行」では、
私は部屋で、電車で、夢中になってこの本を読んでいました。

この本の要点は何かというと、
戦前の「ナチズム」や「ファシズム」は、
現代の「メディア論」と、
断続しているのではなく連続しているのだ、
という話しです。

これを、「それはどういう風に連続しているのか」を、
著者は丁寧に資料をひもときながら、
実証的に示していきます。

「プロパガンダ」という言葉を最初に使ったのは、
レーニンでした。
また「煽動(アジテーション)」という言葉と、
「プロパガンダ」という言葉はどう違うか、
ということをレーニンは言っています。
これは「共産主義革命」の文脈で語られています。

レーニンにおいて「エリートに影響を与える」
という意味で使われていたプロパガンダを、
「民主化」したのがヒトラーだったのです。
これはヒトラー自身が「わが闘争」で書いています。
引用します。

→P52
〈「宣伝はすべて大衆的であるべきであり、
その知的水準は、宣伝が目指すべきものの中で
最低級のものが分かる程度に調整すべきである。
それゆえ獲得すべき大衆の人数が多くなればなるほど、
純粋の知的高度はますます低くしなければならない。
しかも戦争貫徹のための宣伝の時のように、
全民衆を効果圏に引き入れることが問題になるときには、
知的に高い前提を避けるという注意は、
いくらしてもじゅうぶんすぎるということはない。」
(ヒトラー1973上)〉


、、、ヒトラーは、「プロパガンダの民主化」を果たした、
メディア学における革命児だったのです。
多くの人は「独裁者としてのヒトラー」という、
「戦後世界が作ったヒトラー観」しか知りません。
しかし資料をひもといてみますと、
ジョージ・オーウェルの「1984年」の、
ビッグ・ブラザーとは違い、
ヒトラーは人々に「黙れ」と言ったのではないことが分かる。

そうではなく、ヒトラーは民衆に、
「叫べ」と言ったのです。
引用します。

→P58〜59 
〈ナチズムは大衆に政治的公共圏への参加感覚を与えたのであり、
この参加感覚こそ、そのときどきの民主主義理解なのである。
何を決めたかよりも、
決定プロセスに自ら参加したと感じる度合いこそが
民主主義にとっては決定的に重要である。
その意味でのみ1989年以降の東欧社会主義圏崩壊も
民主主義的な「国民革命」だったのであり、
ナチズムの国民革命だけを疑似革命と呼ぶ必要はない。

ヒトラーは「黙れ」といったのではなく「叫べ」といったのであり、
利益集団型民主主義のワイマール体制に対して
参加型民主主義の国民革命を対置した。

こうした大衆運動において参加と動員の区別が
容易だと考えることは出来ないだろう。
メーデー行進なら参加であり、
外国人排斥デモなら動員という
分析のダブルスタンダードを認めるべきではない。

ヒトラーは動員する独裁者ゆえにではなく、
参加を求める民主主義者ゆえに支持されたと言えようか。
(中略)
その意味で、ファシスト的公共性は非自由主義であっても、
反民主主義ではない。〉


、、、ヒトラーは独裁者ゆえにではなく、
民主主義者ゆえに支持されたのです。
「ヒトラー的なるもの」と、
「民主主義」を対極に置くことを前提とする、
「戦後民主主義的歴史観」というメガネを外してみると、
実は戦前と戦後は地続きで、
「プロパガンダ」を「メディア学」と言い換えたに過ぎない、
ということがだんだん分かってきます。

その証拠に、ナチにおいてプロパガンダを研究していた研究者が、
後に米国に渡りルーズベルト政権の「メディア学」に貢献し、
そのラジオ放送の効果によって国民の支持率を上げる、
といったことに関与しています。

日本は戦前、戦中はナチにプロパガンダを学び、
戦後はアメリカから「メディア学」を学びますが、
それが「地続き」であることは隠蔽され、
「戦前と戦後はまったく違う前提に立った
 別の二つの世界に生きている」
という「1945年リセット史観」という幻想を、
日本の人々は持っています。

これを著者は、
「過去からの密輸」と呼んでいます。

これと現代の日本の、
何が関係あるのか?
めちゃくちゃあります。

そもそも「情報」という言葉の語源を、
私たちは忘れている、と著者は言っています。
「情報」は戦争用語です。
「敵情についての報告」という意味です。

つまり、国が自国の社会や国際社会に向けて、
発信する情報というのは、
「戦争と地続き」なのだというのは、
戦前の常識だったし、
それは今も変わっていない、
というのが著者の指摘です。

そこで思い出すのが、
昨今の「日本文化の発信力を高めるというブーム」です。
近現代史をひもときますと、
日本が「ニッポンって素晴らしい」と、
自国や国際社会に向けて発信するときというのは、
国力が衰退しているときです。

2000年代あたりから続くこの傾向は、
戦前にも見た光景と非常に良く似ているのです。
引用します。

→P257 
〈日本文化の発信力を高める政策は今日盛んに論じられている。
日本が明示に開国して以来、何度目かのブームと言って良いだろう。
重要なことは、対外文化政策が日本社会で強調される時期には
一つの特徴があるということである。

それは、日本人のアイデンティティにおける危機感、
ないしは国力衰退への不安が高まった時期だと言うことだ。
それゆえ、対外文化政策はありのままの自己表出という以上に、
過大な効果を狙った自己演出として企図されがちだった。

本章では対外文化政策が講義にプロパガンダ政策、
すなわちマス・コミュニケーション政策であることを前提とした上で、
戦前の「思想戦」や「情報宣伝」を含む
「文化政策」の失敗から何が学べるかを改めて検討したい。〉


、、、著者は、日本文化の発信力を高める、
という昨今のトレンドが「戦争に向かうから危険だ」とか、
それ自体がセンスがないからやめた方が良いとか、
そういうことを言いたいのではありません。

もし、日本のマスコミや政府や日本国民が、
「メディアの在り方(概念)」が、
実は戦前と地続きであり、
それは「ファシスト的公共性」に依拠していることに気づかないならば、
伝える「内容」ではなく「方法=戦略」において、
過去の失敗の教訓をまったく生かすことが出来ない、
ということになってしまうのではないか、
ということを指摘しているのです。
(2,622文字)



●反・進化論 スパゲッティ・モンスターの福音書

読了した日:2019年1月11日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ボビー・ヘンダーソン
出版年:2006年
出版社:築地書館

リンク:
http://amzn.asia/d/9jVcDRY

▼140文字ブリーフィング:

これは、「悪ふざけ本」ですね。

アメリカの南部は「バイブルベルト」と呼ばれ、
「根本主義的キリスト教徒」が支配的で、
これらの人々が共和党の「票田」になっています。
この傾向はレーガン大統領のときに始まったとされ、
ブッシュ(子)のときはモロにそうでした。
トランプ大統領の場合、
彼は共和党の主流派からも嫌われているため、
厳密には同じとは言えませんが、
トランプが「プロ・ライフ(堕胎禁止)」や、
「同性婚の禁止」
「銃規制への反対」などの主張により、
南部の州の票を獲得したことを考えると、
彼もまた「この流れ」の一環です。

私はキリスト教徒ですし、
根本主義的な流れの人々とも親しいし、
彼らの中には「信じられないほど素晴らしい人々」
がいるのも知っています。

しかし、大きな流れからすると、
「ちょっとついて行けない」と思うことも多々あります。
ぶっちゃけた話し、私がアメリカ人なら、
民主党支持者になると思いますので。

南部の州では「キリスト教原理主義者」の、
政治力が強いため、
「進化論を教えることを禁止すべし」
と考える人までいます。
こういった政治圧力によって、
いくつかの州では、
「インテリジェント・デザイン論」を、
進化論と一緒に教えなければならない、
という法律が制定されました。

ブッシュ(子)政権のときです。

これに対する「皮肉をこめた批判」が、
ボビー・ヘンダーソン氏のこの本で、
これまで何度か複数の本で目にしてきたので、
手に取った次第です。

結果、思っていたほどは面白くなかったかな。
ただ、「因果関係と相関関係は違う」とか、
「結論を決めてそれから証拠を集める」というのは、
「科学」と呼べない、とか、
つまり「科学とは何か」の批判としては、
結構上手に機能しています。

この本は、昨年の「読んだ本ベスト10」の、
「創世記一章の再発見」という、
神学者のジョン・ウォルトン氏が書いた本を読むと、
よりよく理解できます。
というより、そちらを読めば十分です。

「訳者まえがき」だけが面白かったのでご紹介します。


〈2005年、アメリカ・カンザス州の教育界は揺れていた。
同州の教育委員会が、公教育において
進化論とインテリジェント・デザイン(知的デザイン)説を
同等に教えなければならないという決定を下そうとしていたのである。

インテリジェント・デザイン――以下IDと表記――とは、
生物の複雑さは進化論では説明出来ず、
したがって「なんらかの知的存在」がデザインしたのだとする説である。
これだけを見ると、キリスト教の「天地創造説」と変わりないように見える。
しかしID論者は「知的存在」がキリスト教の神であるとは
(そしてないとも)明言せず、
IDは宗教ではなく科学的仮説であると主張する。

そして、進化論もまた同じように未証明の仮説に過ぎないのだから、
理科の授業でIDと進化論を平等に教え、
どちらが正しいかは生徒に判断させるべきだと訴えているのだ。
ID論は宗教右派を中心とする保守層の支持を受け、
ジョージ・ブッシュ大統領も2005年8月に
「教育の役割は人々を異なる考え方に触れさせることである」と述べて、
公立の学校でIDと進化論を共に教えることに賛意を示している。

言うまでもなくこの動きに対して、
「これは科学ではない」と、
科学者や教師を中心に強い反対が巻き起こった。
その論争のさなかに立ち上がったのが、
本書の著者であり「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」の預言者、
ボビー・ヘンダーソンであった。

不毛な論争に終止符を打つべく、
ヘンダーソン師は公開質問状(111ページ参照)を
カンザス州教育委員会に送り、
「空飛ぶスパゲッティ・モンスターによる地球創造説」も
進化論やIDと一緒に公立高校で教えることを提唱した。

先に述べたように、
ID理論では「知的なデザイナー」の素性を明らかにしていない。
しかしヘンダーソン師は、実証的な証拠によって、
空飛ぶスパゲッティ・モンスターこそがデザイナーであることを論証した。
その上で空飛ぶスパゲッティ・モンスター説も、
可能性が否定できない以上、進化論やIDと平等に
学校で教えられるべきであるとヘンダーソン師は主張している。
同時に師は、ウェブサイト上で布教活動を初め、
現在スパモン教は全世界に1000万人(主催者発表)の信者を擁している。〉


、、、まぁ、悪ふざけなわけですよ。
真面目なキリスト教徒の中には、
激怒する人もいるかもしれません。
「神を侮辱する彼は地獄に落ちるべきだ」と。

しかし、悪ふざけには、
軽く受け流すのが適切な対処法です。
ギャグで来てるのだから、ギャグで対処しなきゃ。

、、、このギャグのなかに、
実は「科学とは何か」「神とは何か」に関する、
多くの人が誤解しているボタンの掛け違いが含まれています。
ヘンダーソン氏がどれぐらい自覚的か分かりませんが、
彼の問題提起はけっこう「真を食ってる」のです。

どういうことか?

「創世記一章の再発見」でも語られますが、
「神」は超越的であるゆえに、
「科学」が語る言語では、
そもそも神についてなにも語れないはずなのです。
「調べたけれど神の存在は確認されなかった」
という事実と、
「神は存在するかどうか」は、
まったく関係がありません。

「存在の位層」が違うからです。
マルクス・ガブリエルという人が、
「なぜ世界は存在しないのか」という本の中で、
現代の「実在論」について述べていますが、
「実在とは何か」という哲学まで下りていくと、
「科学VS宗教」という二項対立がいかに不毛かが分かります。
この「実在の位層の違い」を理解すると、
人は100%科学的でありながら、
100%宗教的である、
ということが出来るのです。
(2,284文字)



●「子供」の誕生 アンシャン・レジーム期の子供と家族生活

読了した日:2019年1月11日 とばし読み
読んだ方法:図書館で借りる

著者:フィリップ・アリエス
出版年:1980年
出版社:みすず書房

リンク:
http://amzn.asia/d/fMh6jOz

▼140文字ブリーフィング:

この本も複数の本で引用されていて興味を持ちました。
「やたらと登場するなぁ」と。
「一応」目は通したのですが、
難解かつ緻密すぎて、ほぼ、
「流し読み」して図書館に返しました。
私にはまだ早かった。

とはいえ、この本が言っている内容自体は、
けっこうシンプルです。
それはつまり、17世紀以前の「中世」において、
「子ども」という「ジャンル」が、
社会のなかに確立していなかった、
ということの実証です。

引用しましょう。

→P35 
〈ほぼ十七世紀までの中世芸術では、
子供は認められておらず、
子供を描くことが試みられたこともなかった。
だが中世芸術における子供の不在は器用さが欠けたため、
あるいは力量不足のゆえであるとは考えられていない。
それよりはむしろ、
この世界の中に子供期にとっての
場所が与えられていなかったと考えるべきであろう。〉


、、、著者は過去の絵画を調べ、
当時の人々が何を考えていたか、
当時の人々にとって「世界とは」何だったか、
を類推していきます。

すると、17世紀以前と以降で、
子どもの描かれ方が違うことに気づきます。
「以前」は、子どもは「小さな大人」として描かれている。
私たち現代人が考えるような、
「かわいらしく子どもらしい子ども」が、
概念として定型化するのは、
17世紀以降のことだ、ということを、
著者は実証していきます。

過去の絵画などから、
私たちが「近代のレンズ」で見ている諸事項を疑い、
当時のレンズで見ようとする試みは、
私の好きな日本の歴史家、
網野善彦とよく似ています。
彼は過去の絵画を「情報」と捉え、
その情報を分析することによって、
「百姓は農家ではない。」とか、
「河原者や、後のえた・ひにんは、
 鎌倉時代以前は差別の対象ではなく、
 むしろ神聖視されていた」
ということを発見しました。

一次資料にあたって常識を疑い、
従来の概念を覆すこの本は、
日本史における網野善彦の貢献とよく似ていると感じました。
(774文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:『ファシスト的公共性』

コメント:

これは面白かった。
「すぐに役に立つわけではないが、
 後々、じわじわ効いてくるんだろうな」
という本というのは、
読んでいるときから感覚で分かります。
本書はそのような本でした。


▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「言葉の解像度賞」:『越境芸人』

コメント:

マキタスポーツの、
言葉の解像度、
新しい概念を生み出すセンスは凄いです。
芸人のなかには、
「とんでもなく地頭がいい人」
というのが高確率でいますが、
彼もそのような一人でしょう。
勝てる気がしません。

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