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デリーからの手紙

2019.08.29 Thursday

★第87号 2019年4月16日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 紀行文「デリーからの手紙」

仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。

紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問したときに、
そこで体験し、考え、触れ、見たことを、
報告するという、そのままの内容。

離れたところから絵はがきを送るように、
海外や国内各地から皆様に、
お手紙を送らせていただきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼久しぶりの紀行文▼▼▼

いつ以来だろう?
多分1年以上ぶりです。

過去にはバギオ(フィリピン)、
伊那市(長野県)からお送りした記憶があります。
今回はインドです。

デリーに着いたのが先週の水曜日でした。
いろいろとYouTube放送(およびポッドキャスト)で、
話してきたので、さてメルマガには何を書こうかなぁ、
と思案しているところです。


▼▼▼リープフロッグ現象

まず、YouTubeでも話しましたが、
「リープフロッグ現象」から。
ウィキペディアの定義をご紹介します。

〈リープフロッグ型発展
(リープフロッグがたはってん、英:Leapfrogging)とは、
既存の社会インフラが整備されていない新興国において、
新しいサービス等が先進国が歩んできた技術進展を飛び越えて
一気に広まること。
リープフロッグ現象ともいう。

一例として、多くの新興国において
固定電話の普及を待たずに
携帯電話およびスマートフォンが急速に普及したことが挙げられる。
また、中国におけるフィンテックの進展においても言及される。

アメリカや日本などでは、新しいサービスが出ても
既存サービスとの摩擦が起こり、法律の修正が必要になるため、
浸透までに比較的長い時間が必要になる。
一方、中国は既存の社会インフラや
法律の整備が十分に進んでいなかったことから、
電子決済、タクシー配車サービス、
シェア自転車などの新しいサービスが急速に浸透した。〉


、、、リープとは「飛ぶ」、
フロッグとは「カエル」という意味です。
つまりカエルが飛ぶような発展、
という意味になります。

新興国が「近代化」するとき、
カタツムリのように地を這うのではなく、
カエルのように飛ぶのです。

そして多くの場合、
その着地点は、先進国をすら「飛び越えて」しまう。

なぜか?

ウィキペディアの説明にもあるとおり、
先進国には「既存の古いインフラ」があるからです。
ブラウン管テレビ、公衆電話、固定電話、現金、タクシー業界、、
これらの存在は、「次に来る未来のサービス」のまえに、
得てして立ちはだかるのです。
それらを取り巻く各種のサービスに従事している人がいる。
業界団体がある。
そこに利益を誘導することで票をかせいでいる政治家がいる。
ということは当然「規制」がある。

だから、革新的な技術やサービスが現れても、
それが社会に浸透するまでには、
10年から数十年の年月を要するわけです。

ところが新興国にはそもそも、
ブラウン管テレビ、固定電話、(信頼出来る)現金、
タクシー業界などというものがなかった。
なので「抵抗勢力」など最初からない。
だから液晶テレビ、スマホ、電子決済、ウーバーなどが、
瞬時に広がるのです。

その結果、新興国の社会の様子は、
先進国の人間から見て、
「私たちの未来がそこにある」という状態になる。
これは相当に倒錯した状態です。

でも、今私がインド(デリー)で目にしているのは、
まさにそのような状況です。

正直に申し上げて、
陳腐な表現を使わせて抱くなら、
私は今、完全に「浦島太郎状態」です。

認知が現実に追いついていません。

この11年でデリーに起きた変化というのは多分、
日本が1950年代から2000年代とか、
もしかしたら50年ぐらいかけた変化のように思えるからです。
そしてある部分においては、
デリーの生活の先進性は日本をすら追い越している。

私の目の前で話しているのが、
11年前の2008年に出会った人々の、
大人になった息子や孫たちならば、
まだ私は正気を保っていられたかもしれない。
しかし私の目の前にいるのは、
見た目もほぼまったく変わらない、
あたかも「3ヶ月前にあったばかりにすら感じる」、
10年来の友人たちなのです。

認知が追いつかない。

私はラージさんという、
私たちのパートナーに聞きました。
「この10年のインドの変化っていうのは、
 日本だったら30年以上かかる変化です。
 これだけ短期間に社会が変わるというのは、
 文化的衝撃はけっこう大きいんじゃないですか??」
ラージさんは言いました。
「確かにそうかもしれない。
 特に低い社会階層の人にとっては大変だ」。

そうなのです。
社会が発展するというのはつまり、
便利になるということです。
日本人はそれをよく知っています。
しかしながらそれは物事の一側面に過ぎない。

社会が便利になるということは、
「中産階級以上の人にとって」便利になるということです。
この10年で当然物価も上がっており、
食事の値段からすると、
だいたい2〜3倍ぐらい上がっています。

しかし、インドの変化は、
「社会が一様に」変化したのではありません。
リープフロッグ現象はモザイク状に起きています。
つまり、日本以上に近代的な光景があるかと思えば、
次のブロックには10年前とまったく変わらないスラム街がある。

貧困層は物価が2倍になった分、
以前よりも生活は苦しくなります。
また、富む人と貧しい人の格差は当然広がり、
心理的な抑圧は高まります。

多くの社会学的研究が示しているのは、
人が「自分は貧しい・惨めだ」と感じる度合いというのは、
「絶対的な貧困」よりも
「相対的な貧困」のほうが大きいのです。

どういうことか。

たとえば私たちの祖父母を考えてみましょう。
私の祖父の家はくみ取り式便所でした。
家は当時の基準としては小さくはないものの、
現在から考えればとても古く、
床もみしみしと音を立てたりするし、
すきま風が入ってきたりもする。

祖父の家に子どもの頃に行く度に、
くみ取り式便所が怖かったのを思い出します。
しかし、祖父の世代の中では、
祖父はまったく自分を貧しいとは感じなかったでしょう。
周りも似たようなものだったから。

しかし、祖父が昭和のころのその生活のまま、
2019年の東京にタイムスリップしたと考えましょう。
家は建て付けが悪く、
くみ取り式便所で、
裸電球の四畳半の部屋がある。

祖父がもし若いまま現代の東京で、
その生活を続けなければならないとしたら、
それはけっこうキツイ経験です。

人は「自分の絶対的な経済状況」よりも、
「相対的な経済状況」によって、
より追い詰められるのです。

そう考えますと、
10年前のインドには、
(日本やアメリカの基準での)
中産階級はまだ多くはなかった。
彼らは特権階級であり、
「特別な人たち」と思われていた。

だから、多くの「それなりに貧しい人々」は、
貧しいけれどそれなりに幸せだった。
しかしこの10年で状況が変わり、
社会の何割かの生活は一気に改善し、
一部の人が日本でいえば50年分ぐらい、
「取り残された」。

これはかなりキツイことです。

おそらく同じような発展を経験した、
中国やロシアや東南アジア諸国などでも、
似たような状況が起きていると予想されます。

こういうことを言うと、
「コミュニスト」と誤解されそうなので付言しますと、
私は経済発展を否定しているのではありません。
経済発展は社会に恩恵をもたらします。
私は10年前にインドに来たときよりも、
停電・断水の心配に患わされることなく、
食中毒や窃盗や感染症の不安も少なく、
地下鉄も利用できるという便利さを享受している。

しかし経済発展は必ず格差を拡大し、
その格差によって社会に分断がもたらされる、
という現代の世界に普遍的な現象もまた、
指摘しておくべきだと思うのです。

実はこの分断に対する効果的な対処を、
まだ人類は見つけていないのです。
「GAFA 四騎士が創り変えた世界」という本のなかで、
著者のスコット・ギャロウェイは、
「現代はビリオネア(億万長者)になるのが、
 歴史上最も簡単で、
 ミリオネア(百万長者)になるのが、
 歴史上最も難しい時代だ」
と言っています。

ひとつかみの「超優秀な人」が、
一世代前では考えられないような富を手中に収める一方、
その他大勢のなかで、
ひと世代前の中流の上級(アッパーミドル)に届くには、
血のにじむ努力をしなければならない。
しかも、頑張ったとしても、
そこに到達するかどうかもわからない、
という世界に私たちは生きています。
私たちの親世代にとって当然だった
「安定した雇用と中流以上の収入と、
 年々給料と地位が上がっていく状態」
というのは、私たち世代とそれ以下にとっては、
「血のにじむほどの努力をして、
 なおかつ運が良ければ手に入るかもしれないもの」
になっている。

世界は「芸人の世界」に近づいているのです。

巨万の富を得た松本人志のような成功者と、
数え切れないほどの「食うや食わずの芸人たち」と、
それすらも諦めた屍が無数に転がっている。

20世紀の中産階級を支えた、
工場労働とオフィスワークが、
ロボットと人工知能に置き換わる現在において、
ロボットと人工知能を富に変えられる、
ひとにぎりの「知的資本家」と、
膨大な数の「没落した中産階級」に、
社会は分断されます。

トランプ大統領の当選は、
このひとつの事実で簡単に説明できます。
「もういちど中産階級にならせてくれ!!」
という叫びを彼はすくい上げたのです。
しかし時代が巻き戻ることはありませんので、
彼がそれを成し遂げることは不可能です。
しかし少なくともトランプは、
「嘘であれ夢を見させてくれた」わけです。

厳しい現実を突きつけられるよりも、
彼らにとっては夢を見ることの方が大切だったわけですね。


、、、めちゃくちゃ話しがそれました笑。

でも、案外それてないんだなこれが。
現在インドは「総選挙」の真っ最中です。
次の与党が決まります。
そして次の首相も決まる。

5年の任期を終えたモディ首相と、
彼を擁する政党BJPは、
インドの「国家主義的政党」です。
ようするに「右翼」ですね。
日本の右翼の精神的支柱は国家神道ですが、
インドの右翼の精神的支柱は「国家ヒンドゥー教」
とでも言うべき宗教です。

このあたり、インド国外の人は理解するのが難しいのです。
日本における明治政治が道具として発明した
「国家神道」と、
自然信仰としての「(ほんとうの)神道」は別物です。
国家神道は統一の道具として「政治利用」され、
「ほんとうの神道」は逆に国家によって抑圧されました。
国家になびいた神主は生き残れましたが、
「廃仏毀釈」が吹き荒れるなか、
土着の信仰はひどい有様でした。

インドもそうです。
インド政府(BJP)が唱導する「ヒンドゥー教」は、
「ヒンドゥトゥヴァ」と呼ばれ、
「ヒンドゥイズム」とは違います。
ヒンドゥトゥヴァは、日本で言うところの国家神道であり、
ヒンドゥイズムは、日本の自然信仰としての神道です。
ヒンドゥイズムは多様性を尊重し、暴力を否定します。
ヒンドゥトゥヴァは、「インドはひとつになるべき」
と強固に主張し、時に暴力的ですらあります。
それをフックにして国民をまとめ上げるための道具なのです。
その「副作用」は、少数派や弱者への差別や排斥です。

ほら、日本と似てるでしょ。

つまりモディ首相は安倍首相的であり、
BJPは自民党右派的なのです。
モディ首相はトランプ的であり、
BJPは共和党右派的だと言ってもいい。

なぜそうなるのか?

社会が分断しているからです。
分断した社会を今のところ効果的にまとめ上げているのは、
全世界において、
「仮想的を作り上げることに長けた国家主義者のみ」
という悲しい状況が、インドでも進行中なのです。
(じっさいにまとめ上げることに成功しているかどうかは、
 留保が必要ですが)

繰り返しますがこの「分断の状況」を、
「過激なナショナリズム以外で解決する」処方箋を、
現在の所だれも提言できていないし、
具現化できていない。
ここに現代世界の思想の行き詰まりがあります。

令和の時代には、
どうか日本が「その先の未来」を示すような、
方向を切り拓いてほしいと思うし、
私もそのように願いながら、
NGOの活動をしています。



▼▼▼地下鉄、SIMカード

、、、というようなハードな話しをしたので、
今度はソフトな話しを。
11年ぶりのインドで驚いた話しをいくつか。

まずは何と言っても地下鉄ですね。
聞けば地下鉄は2008年には既にあったそうです。
ただ、そのときは線は1本しかなかったらしいので、
使うチャンスがなかったということなのでしょう。
この10年間でどうなっているかというと、
もう、東京みたいになってます。

▼デリーの地下鉄マップ
https://bit.ly/2v3RdDd

凄いでしょ。
1本が、10年でこれですよ。
さらに「リープフロッグ現象」を思い出してください。
当然最初からプリペイドカード仕様、
つまりキャッシュレスですし、
落下防止用のドアは完備されていますし、
車両は最新式です。

言ってしまいますと、
東京の地下鉄より全然快適です。
地下鉄ってあまりみんな乗りたくないじゃないですか。
少なくとも私はあまり好きではない。
うるさくて、混雑していて、狭いからです。
うるさくて混雑していて狭い場所が、
私は大嫌いなのです。

静かで広くて人が少ない場所が私の好みです。

、、、インドの地下鉄は、
うるさいですよそりゃ。
電車の音はどこでも同じです。
でも、車内は静かです。
日本と同じぐらい静かです。

そして混雑していません。
信じられないことに、
地下鉄が混んでいないのです。
そして、広い。

まず車内が広い。
東京の地下鉄というのは、
掘るコストがめちゃくちゃ高いので、
車両は当然小さくなります。
JR中央線と地下鉄大江戸線を比べれば分かるように。
しかし、インドの地下鉄、これが広いんです。
車両は中央線よりも大きい。
そしてホームとか通路とかは、
もう「ここは空港か?」というぐらい広い。
そして混んでいない。

なんで混んでいないのかラージさんに聞いたところ、
地下鉄の価格が少し高く設定されているから、
比較的お金持ちの人以外は、
まだ地上のバスなどを使うからだそうです。
「高い」といってもどれぐらいかというと、
ある線の終点まで40分間乗って、
40ルピー(68円)ぐらい。
10日間なら1000円以内で、
余裕で市内を動き回れます。

そして、驚くべき事に、
ゴミ一つ落ちていない。
東京の地下鉄よりきれいかもしれない。
壁に書いてあるお知らせを見て、
理由が分かりました。
「NO SPITTING(唾はき禁止)」
罰金400ルピー、とあります。
もはや地下鉄はデリーの「治外法権」でして、
「清潔特区」になっています。
じっさい地上に出ると、
雑然としたデリーが広がっていますから。
(それでも10年前に比べるとめちゃきれいですが)

日本と違うのは、
地下鉄の改札の前に、
「手荷物検査」と、
「セキュリティチェック」があることです。
手荷物をコンベアに乗せ、
金属探知機で検査されます。
そしてセキュリティチェックは、
「男の列」と「女の列」に分かれています。
二つあるので空いている方に行こうと思って通ったら、
「お前はそっちじゃない」と言われました。
よく見ると「LADY」とある。
なんか、女子トイレに入ったような恥ずかしさでした笑。

あと、当然、
「乗り換え案内アプリ」もあります。
これもとても便利。

10年前ならばリキシャ(タクシー型バイク)の運転手と、
面倒な価格交渉をした後、
お金をごまかすためにわざと道をまちがえられ、
それに文句を言い、、、、
みたいなことを繰り返してやっと目的地に着いたのです。
この差はでかい。

、、、まぁ、リキシャも好きですけど。
あれは風情があって良い。

▼リキシャ
https://bit.ly/2UZ4Sdl


、、、地下鉄についてまとめますと、
日本の地下鉄は、
うるさくて狭くて混雑している。
インドの地下鉄は、
うるさいが広いから音もまだマシで、
広くて、清潔で、混雑していません。

インドの勝ちです。

あ、でも、インドの地下鉄のシステムって、
そのほとんどが日本の技術だそうです。
「だろうな」と思います。
じっさい利用してると、
「デジャヴュ」みたいに感じます。

それはおそらく、
車両の規格、ホームのドア、
様々なものの規格が、
日本のものをそのまま使ってることからくる、
「既視感」です。

、、、「懐かしい未来」が、
ここにはあります。


、、、あと、SIMカードもレンタルしました。
これを私の7インチタブレットに入れて使っています。
電話番号があてがわれ、通話できて、
さらに一日1.4ギガバイトのデータ通信が出来る。
これで30日250ルピー(400円)です。

安すぎる。

、、、というか、日本の通信料高すぎる。
日本のあの業界は暴利を貪りすぎです。
「クソ二年縛り」という、
ヤクザみたいなシステムものさぼっているし。
公正取引委員会にもっと怒られればいいのに。

、、、あと、
電気も止まらないし、
水も止まらないので快適です。
Wifiもあるし。

ここまでのところ、
すこぶる快適に過ごしています。
後半バラナシに行きますし、
今後何があるか分からないので、
あくまで「これまでのところ」
という留保付きで。


▼▼▼言葉もご飯の食べ方もトイレの入り方も「忘れた」11年間

あと、11年前にインドに来たとき、
私はヒンディー語を学びました。
10日間ぐらい、家庭教師に教えてもらったのです。
4ヶ月滞在するので、
挨拶だったり出来た方が何かと便利だろうということで。

学んで良かったのは挨拶が出来たからではなく
(それもあるかもしれませんが)、
インドの言葉を学ぶことで、
インドの人が「なぜこう考えるか」が、
よりよく分かるようになったからでしょう。

当時はわりと、
子どもと少し話したりするぐらい、
ヒンディー語を頑張って覚えたのですが、
11年の歳月を経て、
見事に「アンインストール」されていて驚きました笑。

私の脳はあんまりメモリ容量が多くないので、
こうやっていろんなことを忘れていくのでしょう。
あと、病気をしたことも大きいかな。
あの前と後とで、
かなりのことを私は記憶から失ったので。

あと、4ヶ月間、
当時はトイレの入り方もマスターしていました。
インドではトイレのあと、
左手で水をすくい、
それで「おしりを洗い」ます。
そのやりかたも板についていたのですが、
それも「アンインストール」されていました。
多分前回、帰りの飛行機でアンインストールされた模様笑。
けっこう最初の1週間は心理的抵抗を乗り越えるのが大変だったので。
元に戻るのも速かった笑。

今回は水道事情も改善され、
断水も起きず、
トイレの「フラッシュ」の勢いと安定性が、
もはや日本と変わらないので、
トイレットペーパーを使っています。

あとは、食べ方ですね。
インドの家庭料理を食べるときは、
プレートに載せられたお米、チャパティ、
数種類のカレー(日本人にはそう見えますが、
インドの人からすると全部違う料理です)、
それらを右手で「こねこね」します。
話しながらずーっと「こねこね」しています。

こねこねしたやつを、
手で口に放り込む。
すると不思議なことに、
スプーンで食べるより断然美味いのです。

マジで。

これも、上手に出来なくなっていて驚きました。
前回はスープなども器用に食べ、
なおかつあまり指の上の方が汚れない、
という高度なテクニックを体得していたのに、
それが上手に出来なくなっていた。

やはり私たちは「忘れる生き物」なのですね。
この20日間で、ご飯ぐらいは上手に手で食べられるように、
努力したいと思います笑。

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