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バラナシからの手紙

2019.09.05 Thursday

★第88号 2019年4月23日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 紀行文「バラナシからの手紙」

仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。

紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問したときに、
そこで体験し、考え、触れ、見たことを、
報告するという、そのままの内容。

離れたところから絵はがきを送るように、
海外や国内各地から皆様に、
お手紙を送らせていただきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼バラナシに着きました。

、、、と、いうわけで、
(どういうわけなのか分かりませんが)、
バラナシにいます。

さすがに疲れも貯まってきました。
ずっと下痢ですし。

下痢か、酷い下痢かのどちらかです笑。

先週は土曜日までデリーにおり、
土曜日に国内便でバラナシに移動しました。
飛行機はやはり楽ですね。
デリー→バラナシ間の夜行列車は、
11年前に乗りました。
往復だから2回。

あれはかなり大変な経験でした。
大きさで言うと、
古ーい病院とかにある、
大人がちょうど座れるぐらいの、
「長方形のソファのようなもの」がありますよね。
120センチ×40センチぐらいの。
それが「ベッド」です。
これが、二段になってます。

▼参考画像:インドの夜行電車の二段ベッド
http://livedoor.blogimg.jp/rekusan/imgs/9/1/91d4b215dda7d5536a49-L.jpg

私はこの二階に寝たのですが、
高さは60センチぐらい(?)で、
まぁ、狭いわけですよ。
しかも、スーツケースを身体に結びつけないと盗まれるよ、
と言われていたので、隙間においたスーツケースと、
自分の足を結びつけ、いろんな意味で囚人のような状態で、
13時間ぐらいだったかな、
電車に揺られました。
(駅には荷物と身体を結びつけるための、
 「鎖」が売っていました。マジで。
 奴隷船にでも乗るのか俺はこれから、
 と思いましたから笑)

朝起きたら当然身体はバッキバキです。
当時、iPod nanoで、
aikoを聞いていたのを覚えています。
なぜaikoだったのか謎ですが、
多分今の状況となるべくかけ離れた音楽を、
身体が欲していたのでしょう。

デリーに戻ったとき、
たまたま会った日本人のバックパッカーと会話し、
彼も同じ夜行列車に乗ったという話しで盛り上がりました。
夜行列車ではなんか「売り子」さんみたいな人がいます。
日本の新幹線のあれとは似ても似つかない。
謎のおじさんが食べ物を持って、通路を歩いては、
「モモ」と呼ばれる春巻きみたいなやつを、
ひとつ5ルピー売っていきます。
衛生上の理由から私は怖くて買えなかったのですが、
彼もあれが気になっていて、
そして夜行列車の「一階席」で寝たそうです。
朝起きると、口に「モモ」が入っていることに気づき、
眠い目をこすると売り子のおじさんが仁王立ちしており、
「5ルピー」と請求してきたという。
名前も忘れちゃったけど、
久しぶりに日本語で話したのもあり、
二人で爆笑しました。

これだからインドはやめられない。

2008年7月のことです。

話しを戻しましょう。
その朝、私は夜行列車の極狭二段ベッドで、
バラナシの駅に着きました。
たくさん駅に止まるのですが、
当然「車内放送」なんて気の利いたものはありません。
液晶画面なんて望むべくもない。
薄暗い朝日のなかで、
降りる人は黙々と降りていきます。

どこが「バラナシ駅」なのか?

それは、景色を見ればわかるでしょう、
ということです。

いや、分かるわけないやんけ!

と思い、
真向かいに座っていたシーク教徒(ターバン巻いてる人ね)に、
「バラナシはどこか教えてくれますか?」
と頼むと、彼は次の次の次だ、と教えてくれました。

早朝のバラナシの駅で私が会った人物、
その人こそ、その後11年にわたり、
国は違えど「親友」のように思い合うことになる、
バルーさんその人でした。

あそこで過ごした2ヶ月間は、
私の人生を変えた2ヶ月間でした。
かなりいろんなトラブルに見舞われ、
身体の中に細菌が入って血液に乗って広がり、
地元の病院で治療を受け、
カメラを盗まれ、
パソコンのACアダプタが煙を上げて壊れ、
毎秒体調が悪く、
気温は45度を超え、
エアコンもなかったけれど、
それでもあの2ヶ月ほど後の私の人生に影響を与えた期間は、
あまり多くはありません。

毎朝、バルーさんと語り合いました。
昼は彼のバイクの後ろに乗り、
彼の様々な働きの補佐をしました。
彼の様々な働きというのは、
本当に様々な働きで、
保健師でもあった彼は、
村々を回って衛生指導をし、
井戸掘りプロジェクトを推進し、
トイレの建設に携わり、
開拓した40の教会の牧会をし、
路上で「伝道メッセージ」を語り、
自分のはじめた学校で教え、
女性のための識字教育のリーダーとともに村を訪問し、
40の教会のリーダーたちを励まして歩いていました。

「もしイエス様が市長だったら」
という本があります。
私のメンターのボブ・モフィット師の著作で、
もうちょっとで書籍化され、
皆様にも買っていただけるようになる予定です。
いましばらくお待ち下さい。

その本に引きつけるなら、
「もしバラナシの農村地帯で、
 イエス様が市長だったら、
 それはバルーさんになるなぁ」
と私は彼のバイクの後ろに乗りながら思ったのです。

夜もご飯を食べながら、
毎日彼と語り合いました。

彼もいろんなことを語りましたが、
私もまた自分のことを語り、
日本のことを語り、
宣教に対する情熱を語り、
教会に対する思いを語りました。

当時私は独身でしたが、
結婚に関することも語り合いました。
バルーさんが銀行に行く日などは、
私はバルーさん宅で、
二人の就学前の子どもたちと遊びました。
上の子が男の子、下の子が女の子です。
日本から持って行った折り紙で、
手裏剣をつくって遊んだり、
ドラゴンボールの「カメハメハ」を教え、
カメハメハの打ち合いをしたりしました。

彼らもまた私にインドの遊びを教えてくれました。
「シャッティマーン」という、
インドの仮面ライダー(注:首から上はおじさん)を、
彼らは私に見せてくれました。

政治についても語りました。
インドの政治の仕組みと問題、
日本の政治の仕組みと問題。
経済のこと、家族のこと、
教育のこと、そして何より、
私もバルーさんも、それぞれに自分の、
「安定した最初の職業」を後にし、
「神から呼ばれた」ことを信じ、
その召命に従って歩む、
という信仰の歩みの在り方が似ていました。

バルーさんは年齢では私の2つ上です。
同世代のバルーさんと私の心は、
その2ヶ月に、
「心の深い部分で結びついた」のです。
彼とは何もかも違うようでいて、
何かその「何もかも」をはぎ取ったら、
とても似ているものを共有している、
という感覚がお互いにありました。

バルーさんが日本人だったら、
私のような生き方をしていたかもしれないし、
私がインド人だったら、
バルーさんのように歩んでいたかもしれない、と。


▼▼▼バラナシ空港にて

先週の土曜日、
私は非常に快適な、
デリー→バラナシの移動をしました。
今回は飛行機でした。

飛行時間は1時間半。
嘘みたいにすぐに着きました。
嘘みたいに快適でした。

40歳を超えた人間には、
夜行列車は苦行です。
「その後の健康ダメージ」で、
飛行機代がペイするので、
飛行機で行くのが吉です笑。

バラナシ空港のゲートで、
バルーさんを見つけました。

感動したのですけど、
ちょっと現実なのか分からないような、
ふわふわとした気持ちを覚えました。

彼は当時と何も変わっていません。
話し方も、髪型も、献身の情熱も。

ただ、私も彼も、
いろんなことが変わりました。

私は当時は援助団体のスタッフでしたが、
今は違います。
私は当時独身でしたが、
今は結婚して子どもがいます。
当時私は「真っ白なキャンパスに夢を描くような」、
転職してばかりの「まっさらな状態の30歳」でしたが、
現在の私はバーンアウトを経験し、
自分の身をいたわりながら、
当時考えていたのとはまったく違うかたちの、
それでもとてもいとおしく思えるかたちの、
自分の働き方を見つけつつあります。

バルーさんにも大きな変化がありました。
実は、私たちが援助団体を離れ、
「声なき者の友の輪」を立ち上げたことと、
バルーさんの人生は無関係ではありません。
それは直接的な影響でした。
つまり、私がかつて属していた援助団体が、
バルーさんたちの働きの援助をカットしたため、
彼らは資金的に行き詰まったのです。

2012年のことでした。

そのときバルーさんは祈りました。
すると、「あなたこそがつまずきの石だ」
と神から語られたそうです。
そして彼はその団体を去りました。
するとその直後、
バルーさんが育て上げた、
40の教会と地域への包括的な奉仕を含む働きを、
他の団体が援助したいと申し出てくれ、
バルーさんが育てた次のリーダーが、
資金的に心配することなく活動を続けられるようになったそうです。

さて。

次はどうしよう。

バルーさんは、
「自分の人生は神のものなので、
 次にするべきことが、
 どんなことだったとしても、
 それに従うだけだ」と考えていました。

そんな折、
他の州で行われたある集まりで、
自分の経験を分かち合ったところ、
そこに来ていたある団体の方が、
「一緒に働かないか?」と声をかけてきました。
なんとその時点で、その「団体」には、
その人ひとりしかスタッフがおらず、
立ち上げた直後だったそうです。
内容は、諸事情によりあまり詳しくは立ち入れないのですが、
「リーダーを育てる」という働きです。

今バルーさんはその働きをしています。

現在インド国内各地に10名の、
バルーさんのような人がいます。
これまでの7年で、
バルーさんはインドのほとんどすべての主要都市を巡り、
何万人という人に向けて語り、
大きな団体の人材育成を請け負い、
そして数多くのリーダーたちを育ててきました。
彼はもはや「有名人」の域だそうです。
インドの教会ではけっこう知られている。

私はその話を聞きながら、
驚くと共に、
「まぁ、そうなるだろうな」
と思いました。

11年前に彼を見た時に、
彼の何が凄いかっていうと、
それは女性も男性も、
中流カーストの人も、
被差別部落出身者も、
彼を信頼しており、
そしてその信頼関係を土台に、
彼は「人の可能性を引き出して、
その人が能力を開花させる」という意味の、
リーダーシップ養成において、
卓越していることだ、というのが、
私の分析だったからです。

この場合の「リーダー」っていうのは、
別に偉くなることではありません。
聖書的なリーダーというのはむしろ、
「しもべ」のイメージです。
目立たず人に仕えている人。
この人が聖書的な意味のリーダーです。

福音書を読めばそう書いてあります。
あと、ヘルマン・ヘッセの、
『東方巡礼』という短編小説を読むと、
この意味が深く理解できます。

バルーさんが今しているのは、
バラナシの田舎でしていたことを、
全国規模で(最近ではインド国外にも)、
しているだけなのです。

「小さな事に忠実な者は、
 大きな事を任される」
と聖書は言います。
神様はバルーさんの田舎での働きを観ておられ、
「この人はもっと広く用いられるべきだ」
と「リクルート」されたのだろうと思います。

私はだから、
小劇場で抜群に面白いネタを披露していた芸人が、
M-1で優勝し全国区になり、
今はレギュラー番組を多数抱えている。
そういう軌跡を観ているような感じで、
「まぁ、そうでしょうね」と思います。

さて。

私はどうか?

私の11年はどうだったのか?

私も大きく変わりました。
30歳の私は、
仕事を辞めて宣教の働きに身を投じ、
潰れそうな不安と、大きな夢を同時に抱いていました。
私は結婚しておらず、
結婚もしておらず、
結婚すらしていませんでした。
非常に、確実に、結婚していなかったのです。

現在の私は結婚していて、
娘がおり、そして41歳になっています。
当時よりもさらに小さな団体で、
フリーランス的に働いています。
燃え尽きと鬱を経験し、
30代後半がまるごと、
「ふっとび」ました。
病気の前後含め5年ぐらいは、
本当に自分史から「なくなった」という感覚。
(ただ、それこそが私の最も大きな宝ものとなるのですが、
 それはまた別の話。)
今は病気で体力の落ちた、
自分の身体をいたわりながら、
ときどき怖々としながら、
でも今できることを、
ひとつずつ大切にこなしています。

芸人のメタファーに戻りますと、
彼は全国的にブレークしていますが、
私は「さらに地下に潜った」という感じです笑。
11年前はお互い地下一階でしたが、
現在バルーさんは地上はるか高く、
私は、「地下二階」っていうね笑。

賞レースにも参加するのをやめ、
なんか自費制作のDVDとか作り始めたりして笑。
ネタがどんどん前衛的になっていったりして笑。
完全に「地下芸人一直線」です。
ダウンタウン路線ではなく、
ラーメンズ路線ですね笑。
もしくは「みうらじゅん路線」笑。
しかもラーメンズほどのカリスマも才能も持ち合わせないという。

でも、それでいいのです。
そんなことは、友情に何の影響も及ぼさないし、
私たちが神に仕えるということにおいて、
そういった「外側の見た目」とか、
「世間的に考えられている成功の有無」は、
何の重要性も損なわないし、
まったく本質的なことではない。

先週の編集後記に書いたように、
「忠実だったかどうか」がすべてなのです。
かたやバルーさんは、
けっこうな「サクセスストーリー」と言って良いほどに、
素晴らしい用いられ方をしてきた。
私は「しくじり先生」で講義できるほどの、
「挫折と葛藤のストーリー」を歩んで来た。

お互い、話しを聞き終わった後、
「、、、うん。OK。よく分かった。
 、、、で、キミは忠実だったのか?」
これだけが私たちの共通の感心でした。
お互いの答えが「きっとそうだと思う」なのは自明なので、
私たちはお互いの歩みを喜び合ったのです。

「こういう部分」って、感覚的なものなので、
あまり言葉になりづらいのだけど、
バルーさんも私も、
「11年前に会ったとき、
 何かが俺たちを結びつけたんだよね」
とお互いに言い合っているとき、
その「何か」とは、
こういった「成功に関する定義」とか、
「コアにある何か」だったと、
今になって思えば分かります。
人生観とか価値観とか、
そういった言葉にも落とし込めるのだけど、
もっと「質感を伴った何か」なのです。
人と人を親友にするのは。

私の「親友」たちに、
唯一共通点があるとしたら、
この「質感」だと思います。



▼▼▼バルーさんの子どもたち

、、、さて、文字数もかさんできたので、
すこし角度を変えて話しましょう。
私が再会したのはバルーさんだけではありません。

バルーさんの奥さんと子どもたちにも再会しました。
彼らは当時たしか、7歳と4歳とかでした。
7歳の男の子と、4歳の女の子です。
今のインドの政治的状況を鑑み、
一応、子どもなので実名は伏せましょう。

仮にそうですねぇ。
「アシシくん」と、
「アディティちゃん」としておきましょう。
どちらもインドでポピュラーな名前です。
太郎くんと花子ちゃんみたいなものですね。

今アシシくんは18歳になっており、
アディティちゃんは15歳になっています。

ティーンエイジャーとなった彼らとの再会は、
けっこう感動的でした。

先ほど述べたとおり、
11年前に2ヶ月間バルーさんの家に滞在したとき、
私たちは毎日一緒に遊びました。

一昨日の日曜日、
私はバルーさんが牧師として奉仕している教会、
「オール・ネイションズ・チャーチ」にて、
礼拝のメッセージをしました。
イースターでもあったので、
キリストの復活に関するメッセージを。
英語で話すのはいつも緊張しますが、
バルーさんが通訳してくれ、
多くの人々が感銘を受けた、
と後で言いに来てくれるほど好評でした。

その後、教会の愛餐会がありました。
メニューはもちろんカレーです
あ、これ、日本の「もちろんカレー」とは違いますからね。
プレートにインディカ米とナンとカレースープを盛り付け、
手でこねこねして食べる「リアルガチのカレー」です。

私はアシシくんの隣にすわり、
手でカレーをこねこねしながら、
二人で思い出話を語りました。

ドラゴンボールの「カメハメハ」を、
教えてくれたよね、とか、
日本料理を作ってくれたよね、とか、
けっこういろんなことを彼らは覚えていました。

話しているとこちらもいろいろ思い出してきました。

そういえば「シャッティマーン」はまだ生きてるの?

と私は彼に聞きました。
シャッティマーンというのは、
話せば長くなるのですが、
まぁ、日本でいうと仮面ライダーですね。
というか、もう、仮面ライダーです。
今なら絶対訴訟されるレベルで、
設定とか番組構成とか、
「完コピ」しています。

ただ、仮面ライダーと違う点がいくつかあります。

まず、ヒーローに変身する主人公が、
「おじさん」だということ。

▼参考動画:シャッティマーン変身前
https://bit.ly/2IzPo9Z

私はアシシくんに強く勧められ、
当時放送を何度か見ましたが、
しかもけっこうこの「おじさんパート」が長いんですよね。
かなり「おじさんで引っ張る」わけです。

あそこだけ観てるとかなりシュールです。
おじさんが歯を磨いたり、
おじさんが電話をしたり、
おじさんが昼寝をしたりするシーンが、
ひたすら映されるのですから。

何を見せられているんだろう、という感じです。

そして戦闘シーンになると、
いよいよ変身するのですが、
シャッティマーンが仮面ライダーと決定的に違うのがここです。
「顔面まるだし」

「仮面じゃないライダー」なのです。
あ、ライダーでもないか。
だからもう、何でもないのです笑。

おじさんが首から下だけ変身してますので、
もう、「コスプレおじさん」です。

▼参考画像:シャッティマーン
http://www.internationalhero.co.uk/s/shaktim.jpg


、、、で、戦闘シーンもなかなかのもので、
普通にデリーとかで撮影していると思うのですが、
空き地で撮影してると、
遠くで撮影に気づいて興奮している人が映り込んだり、
普通に風でレジ袋などのゴミが飛んで来ているのが、
映り込んだりしています。

なんと、現在はYouTubeという便利なものがあります。
当時もありましたが今ほどコンテンツは充実してませんでした。
YouTubeでシャッティマーンが見れます。
興味と、ありあまる時間がある方は、
見てみてください。

▼参考動画:シャッティマーン 第298話
https://youtu.be/1Vk2YxN01WM


、、、で、このシャッティマーンは、
当時非常に人気のある、
インドの子どもたちにとってのスーパーヒーローで、
木曜日の17時になると、
テレビの前に正座して待つ、
みたいな感じでした。
昭和の「力道山の試合」みたいなものでしょうか。
けっこう停電で見れないという憂き目にも遭いましたが。

バルーさんが教えてくれたのですが、
シャッティマーンは人気がありすぎて、
子どもたちが空飛ぶシャッティマーンの真似をして、
二階から飛び降りて足を骨折する、
という事故が多発して社会問題となり、
「真似して飛ばないように」という注意喚起が放送されたほど。


、、、で、
私は18歳になったアシシくんに聞いたわけです。
「シャッティマーンはまだ生きてるの?」
アシシくんは軽く笑いこう言いました。
「もう生きてないよ。
 、、、
 、、、
 あ、俳優さんはまだ生きてるけど。」

年齢というのは残酷なものです。
あれほど熱狂したスーパーヒーローも、
当時の子どもが大人となれば、
まぁ、そんなものですよね。

、、、という、バラナシの話しでした。
かなり偏った紀行文となりましたが、
今のところはこんなところでしょうか。

来週はどうなるんだろう?
バラナシの続きを書くかもしれないし、
何もなかったかのように「読んだ本」コーナーかもしれないし、
執筆時間が取れなければ「休刊」するかもしれません。

期待せずに楽しみにお待ち下さい。

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