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陣内が先週読んだ本  2019年 6月6日〜24日 『わたしの信仰』他

2019.11.19 Tuesday

第097号   2019年6月25日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 陣内が先週読んだ本 
期間:2019年 6月6日〜24日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル

読了した日:2019年6月9日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:宮台真司
出版年:1998年
出版社:ちくま文庫

リンク:
https://bre.is/iuPjA28f4

▼140文字ブリーフィング:

先日、押井守監督の、
『うる星やつら ビューティフルドリーマー』という、
いまだに語り継がれているカルト的人気のある映画を観たのですよね。
その「余韻」がまだ残っていまして、
ラジオかなんかで宮台真司が、
「ビューティフルドリーマー」について語っている本がある、
というのを知り、手に取りました。
結果、『ビューティフルドリーマー』のことが、
ちょっとしか触れられていなくてがっかりはしたのですが、
これはこれで面白かった。

ビューティフルドリーマーは1984年の作品で、
本書が書かれたのはオウム真理教による地下鉄サリン事件の直後です。
当時の日本社会はショックを受けました。
「なぜ高学歴の若者たちが、
 新興宗教にハマり、
 毒ガスまで使った狂気の沙汰に加担したのか?」
という議論が侃々諤々となされていた。

この本は宮台真司なりの、
その問いに対する「アンサー」です。

私は日本の社会はあの問題に、
結局のところ十分に向き合わなかったと思っている。
「考え抜くこと」を社会全体で回避してしまった。

むしろ
「あれは『あちら側にいる』狂人たちのしたことで、
『こちら側にいる』善良なる一般大衆は被害者だ」
という分かりやすい物語に「まるめて」しまった。

そう。

1945年に、
「あの戦争は暴走した軍部と、
一部の狂信的な愛国者がしたことで、
私たち一般市民は被害者だ」
という物語にまるめたのと同じく。

しかし、
その歴史を十分に咀嚼せずに、
消化不良のまま「やり過ごす」と、
歴史は反復します。

ああいう問題を何年もしつこく考え続ける、
という人はこの社会では「辛気くさい人」
として敬遠されます。
ほんの少しの人しか、
ああいった問題に向き合い続けません。
村上春樹や河合隼雄や養老孟司など、
一部の思想家たちは例外的な人で、
大多数の人は問題を「風化」させた。
マスコミも政治家も消費者もビジネスマンも、
「分かりやすい物語」に還元することで、
応急処置的に社会を前に進めようとした。

そのしっぺ返しは、
いつか必ず別の形で日本社会に大きなマイナスをもたらす、
と私は「予言」します。
不吉なことを言う辛気くさい男、
と言われてもかまわない。

絶対にそうなりますから。
歴史は繰り返すのです。
一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。

宮台真司さんは社会学者として、
彼なりにあの問題に向き合い、
彼なりに答えを出しました。
それが、「終わりなき日常を生きよ」
というメッセージです。

ギリシャ神話に「シュシポス神話」というのがあります。
神罰を受けたシュシポスは思い岩を塔の先端まで運びます。
塔の先端まで運ぶと、その岩は元の位置に転がり落ちる。
労働してはその成果が台なしになり、、、
という終わりなき繰り返しを、
永遠にすることが、シュシポスへの神罰でした。

「終わりなき日常」とは、
「シュシポスの呪い」を生きることです。
90年代の日本は、
戦後の復興を終え、
「政治の時代」が過ぎ去り、
バブルの狂乱も過去のものとなり、
「終わりなき日常」が続くように思われた、
そういった時代でした。
「ビューティフルドリーマー」は、
実はシュシポス神話をめぐる話しなのです。

宮台氏の文章を引用しますと、
そのような終わりなき日常を、
欠落を抱えたまま生きねばならない、
それを「肯定」する強さと覚悟を、
我々は持たねばならない、
それが彼の結論になります。

「終わりなき日常を肯定する」。
私も同意します。
その「肯定の意味」は、
私の場合はキリスト教的なものに根ざすわけですが。

宮台氏は「終わりなき日常」に耐えられない人々が、
「宗教」や「恋愛」に逃避するのだ、と言います。
文脈的に分かっていただけると思いますが、
この定義によれば、
私が「キリスト教」というときそれは宗教ではなく、
私が「消費主義」というときそれは宗教です。
宮台さんは「恋愛」も宗教たり得ると指摘する。

(カッコつきの)「宗教」は、
マルクスが指摘したとおり、
今も昔も「阿片」なのです。


→P160 
〈ここで問題になるのは、
宗教は、サブカルチャーとは違って、
恋愛と似ているということである。

「セミナー渡り鳥」のBは、宗教と恋愛は、
ともに癒しの機能を持つと述べていた。
それは、社会システム理論の立場からは、
つぎのように言い直すことができる。
宗教も恋愛も、「全面的包括欲求」に応えうると言う点で、
機能的に等価なのだ。

自分はダメだと思っていると、
宗教やセミナーが
「そんなあなたでも救われます」と受け入れてくれる。
同じように、恋愛すれば「そういう君が好きだったんだよ」
「そういうあなたが好きなの」と受け入れてもらえる。
 (中略)
「終わらない日常」のなかを、
欠落を抱えたまま生きなければならないとき、
そういう自分を「全体として」肯定出来るチャンスは、
宗教と性にしかない
――『サブカルチャー神話解体』で
私もかつてそのように分析したことがある。〉
(1,955文字)



●呪われた部分 全般経済学試論 蕩尽

読了した日:2019年6月10日
読んだ方法:図書館で狩生

著者:ジョルジュ・バタイユ
出版年:2018年(フランス語初版1949年)
出版社:ちくま文芸文庫

リンク:
https://bre.is/V4DvoFbZu

▼140文字ブリーフィング:

2月に山田風音君に会った時に、
最近読んで面白かった本として教えてもらいました。
去年読んだ、『暇と退屈の倫理学』でも引用されていて、
ちょっと興味があったのですよね。

この本は「古典」に分類しても良いほど、
色々なところで引用される本です。
古典としては珍しくないのですが、
難解で、正直、
5〜6割ぐらいしか理解できませんでした笑。
でも、これぐらいの理解度の本って、
後々ボディブローのように効いてくるんですよね。
経験的に。

ちなみに「呪われた部分」というのは「三部作構想」だそうで、
第一部「蕩尽」
第二部「エロティシズム」
第三部「至高性」だったのだそう。
第三部はついぞ書かれることがなかった。

実は「蕩尽」や「エロティシズム」や「至高性」
が、「呪われた部分」なのだ、
というのがバタイユのいいたいことではなく、
これらが「呪われていること」に、
異を唱えるというのがバタイユの主張です。
では、これらを「呪われた部分」たらしめているのは何か?

それが近代合理性であり、
古典派経済学なのだ、
という立論になります。

バタイユはニーチェに影響を受けています。
誤解されていますが、
ニーチェはキリスト教を破壊しようとしたのではなく、
「超えていこう」とした人です。
彼はキリスト教のなかにある欺瞞性を超えて、
「超キリスト教」を目指したのです。
逆だと勘違いする人が多いですが、
ニーチェは宗教を否定した人でなく、
誰よりも宗教的であろうとした人です。

ニーチェがキリスト教に対してしたことを、
バタイユは経済学に対してしたかったのかもしれない、
と私は本書を読んで思いました。

経済学は「利益を次の利益のために投資する」
ことによって社会を富ませていくことを旨とします。
しかしバタイユは、
利益を「どのように蕩尽するか」こそが、
社会の性質を決定づけ、
文化を形成するのだ、と言います。

引用します。

→P164 
〈この場合、真の理由に到達するためには、
まず経済の全般的な法則を知っておく必要がある。
一個の社会は常にその存続に
必要な分以上のものを生産するという法則だ。
社会は余剰を持つということである。
社会の在り方を決定しているのは
まさにこの余剰を社会がどう使うかなのである。〉

→P168 
〈その意義とはすなわち、
全体主義的な修院制度が、
閉ざされた体制の成長を停止せねばならないという
必要性に応えていたということだ。
イスラムは余剰全体を戦争に差し向けた。
近代世界は産業施設に差し向けた。
同様にラマ教は瞑想生活に差し向けた。
感性的人間が世界の中で自由に戯れることに、
余剰を差し向けたのだ。〉


、、、古典派経済学は、
「生産」を経済の主旋律だと考えます。
そうすると人間の本質は歪められ、
人間性さえも「生産のための手段」に還元されてしまう。

そうではなく、経済の主旋律は、
「蕩尽」や「浪費」なのではないか?
つまりなんら生産性に寄与することのない消費や贈与こそが、
文化を形成し、人間を人間たらしめてきたのではないか?
「社会がどのように余剰を蕩尽するか??」
を考えることこそ、経済学者はしなきゃいけないんじゃないのか?
といった問いをバタイユは発しているわけです。
今は半分ぐらいしか理解してないけど、
今後もじわじわと「効いてくる」予感がします。
(1,296文字)



●わたしの信仰

読了した日:2019年6月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:アンゲラ・メルケル
出版年:2018年
出版社:新教出版社

リンク:
https://amzn.to/2EMwuJ8

▼140文字ブリーフィング:

面白かったです。
私はメルケルについて何も知らなかった、ということが、
この本を読んでよく分かりました。

まずメルケルのお父さんは東ドイツの牧師だったのだ、
というのを本書を読んで初めて知りました。
それからメルケルは物理学の学位を収めた、
理系のエリートから政治家に転身した異色の経歴を持つ人です。
(これはなんとなく知ってました)

そして彼女は、
「キリスト教的な政治家であろう」
と意識的にしている、
もしかしたら現代の世界で、
唯一の国のリーダーかもしれません。

いくつかの箇所を引用しながら、
説明していきましょう。

「政治」というのは、
「何か支えがある人」にしかできない、
と彼女は言っています。
彼女にとっての支えとはもちろん、
信仰であり、神の存在です。

→P37〜38 
〈というわけで、ほんのいくつかではありますが、
わたしにとって決断を下すのが難しい、
あれこれ考えなくてはいけない例をご紹介しました。
しかしわたしは同時に、ためらっていてはいけない、
決断を下さなければいけないと言うことも分かっています。
その際、いくつかのイメージや考え、
信仰についての問いは、責任をもって決断し、
その決断を守るための重要な方向付けとなり得ます。
決断の中には、数年経って始めて
それが正しかったと分かるようなものもあるからです。
そのときが来るまでは耐え抜いて、
批判や議論にもしっかり応じていかなければなりません。
それは、支えがある人間にしかできないことです。〉


、、、次に、メルケルが、
「教会とはどうあるべきか」
について論じている箇所。

→P66 
〈何故ならドイツは、
本当に人々のための教会として存在する教会を必要としているからです
――それは、人々にとって神を身近にするような教会です。
それは預言者のように警告する任務とも重なります。

というのも、
残念ながら相変わらず次のような傾向が見られるからです。
多くの福音主義のキリスト者が教会を離れ、
教会なしでもキリスト者として生きていけると考えています。
でも、それは幻想ではないでしょうか?〉


、、、彼女の教会観に、
私も同意します。

また、「子どもが、きみに尋ねるなら」
という歌の歌詞を引用しながら、
国のどの領域においても、
社会は「何のために人生があるのか」という問いを、
はぐらかしてはならないのだ、という確信を語ります。

→P73〜74 
〈「きみの子どもが明日、きみに尋ねるなら・・・」
というのが、「申命記」6章20節からとられた
今回の教会大会のモットーです。
今年の教会大会のテーマソングを作った
シンガーソングライターのハインツ・ルドルフ・クンツェさんは、
ぴったりの歌詞を書いてくれました。

「もし君の子どもが明日、きみに尋ねるなら、
 ぼくたちは何のためにこの世にいるのかと、
 その子が不思議に思い始めるなら、
 何が大切なのか、知りたいと思うなら・・・・
 答えをはぐらかしたりしないでくれ、
 たとえ答えるのがどんなに難しくても」

これが私たちの使命です。
キリスト者として――教会でも政治の場でも、
職場や家庭でも――こうした問いの答えを
はぐらかすことは許されません。
わたしはこのことを、
政治家として自覚しつつ申し上げます。
これは、神と人の前で果たすべき責任なのです。

共に新しい道を進む勇気を持ちましょう!
一緒に進んで行くことが重要です。
キリスト者として、
わたしたちはいずれにせよ勇気を持つことができます。
なぜならわたしたちの行く先には、
「正義の太陽」が約束されているのですから。
(2005年5月、ハノーファーにおける
第30回福音主義教会大会における講演)〉


、、、ドイツもまた、
日本と同じように高齢化しています。
2019年にドイツは年金支給年齢を67歳に引き上げます。
しかし次に引用するような、
「長期的な社会観」を、
国のリーダーが提示している状態というのは、
日本における「世代間分断」とは、
かなり違うということが分かります。

→P167〜168 
〈ですからわたしは、
多くの皆さんもおそらくご存じのグリム童話で
話しを締めくくりたいと思います。
年取ったおじいさんと孫の話です。

老人が震える手でいつもスープをこぼすので、
息子とその妻は老人を食卓から追放します。
老人をストーブの裏の片隅に座らせ、
ほとんど食べ物を与えません。
彼がスープ皿を落として割ってしまうと、木の鉢を押しつけます。
すると小さな孫が登場するのです。
この子がある日、小さな木のえさ入れを作ります。
「何のためだ?」と父親が訊きます。
「お父さんとお母さんが年取ったときのためだよ」と少年は答えます。
このことばが両親の目を開くのです。
それ以来、おじいさんはふたたび食卓に着けるようになりました。

ドイツの社会もそのようであってほしいのです。〉


、、、メルケルはキリスト教が大切なのだ、と言います。
しかし、ヨーロッパは多元主義化し、
プロテスタント、カトリック、イスラム、などなどの、
様々な宗教文化的背景を持つ人々が共存せねばなりません。
「キリスト教が大切だ」というのがそんなにシンプルな話しではない。
しかし、
「キリスト教に基づいた、
他者を尊重し、認める寛容」は、
他宗教の人々にも開かれた社会を提供する。
多元主義の社会で宗教的寛容を実現しながら、
教会、家族、地域という網の目によって、
なおかつ社会がまとまっていく、
という二律背反は不可能ではないのだ、
ということをメルケルは言っていて、
私もその可能性に賭ける以外ない、
と思っています。

「リバタリアニズムとコミュニタリアニズム」、
グローバル主義者と国家主義者、
自由貿易論者と孤立論者の、
終わりなき不毛な議論を超えて、
私たちは第三の道を探すことができる、
と信じているところに、
メルケルの信仰の凄みがあります。

これを読むと、
「イスラムを追い出す!」
という思想の薄いこと薄いこと。

「訳者あとがき」にて、
本書への私の感想がほぼすべて言い尽くされているので、
それを引用したいと思います。

→P247〜248 
〈そのような(右翼主義政党AfDの台頭、イギリスのEU脱退、
トランプ政権の誕生など)難局において、
メルケルはどんなことを考えながら政権運営をしているのか、
という疑問にこの本は答えてくれる。

もちろん、キリスト教的な視点に立って行われた
スピーチを中心に集めているので、
具体的な政策への言及は少ないが、
信仰を通して、人としての彼女の在り方が見えてくる。
キリスト教的な人間観に基づき、
あらゆる人(ドイツ人だけではなく)の尊厳を守ろうとし、
「被造物」に対する責任を全うしようとする姿勢。
自分たちの世代だけでなく、
次世代の繁栄にも配慮した資源の使い方や環境保全を提言し、
グローバル化、デジタル化の流れの中で
取り残されていく人がいないように気を配り、
人口変動と高齢化の波にも対処すべく努力を続ける誠実さ。

こうした多くの政治的課題は日本にも当てはまるところだが、
ドイツでは社会的市場経済を重視して
共生と福祉を行き渡らせようとしており、
彼我の違いを感じずにはいられない。

今回、本書の翻訳のお話をいただき、
メルケルの信仰と向き合う機会を得て、
彼女に対する尊敬と親愛の気持ちが増した。
聖書の講解からはたくさんのことを教えられたし、
ヨーロッパの社会と文化の根底にキリスト教があることを、
あらためて認識せずにはいられなかった。〉
(2,956文字)



●探求する力

読了した日:2019年6月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:市川力(東京コミュニティスクール校長)
出版年:2009年
出版社:知の探求社

リンク:
https://bre.is/3OIjbR_u-

▼140文字ブリーフィング:

先日読んだ、
『英語を子どもに教えるな』の著者による本です。
あの本がすごーく面白かったので、
市川さんはいったい、今何をしているのだろう?
今もアメリカで日本人の子どもの塾で働いているのだろうか?
興味が湧いたので検索してみると、
なんと彼は学習塾を辞めて、
2000年代に日本に帰国し、
私塾的な学校を創設し、
現在東京の中野にある、
「コミュニティスクール東京」の校長をなさっています。
(いまは理事長とかかもだけど)

『英語を子どもに・・』を読んで、
この人はきっと、学習塾で受験対策を教えることでは、
満足しない人だろうな、と直観したのですが、
その直観は的中しました。

彼は「学ぶとは何か」ということの求道者であり、
それを口で言うだけではなく、
実際に自分のフィールドを持って実践していたのです。
教育批判は簡単ですが、
「じゃあ、どうすればいいんだ」
という問いへの答えを自分で模索していく、
というところまでする人は本当に少ない。

新しい時代の「学び」を創出していくために、
何かを言うだけでなく実践を通して語っている、
「預言的生き方」をしている市川氏に共鳴を覚えました。

具体的にでは、
「東京コミュニティスクール」では、
どんな教育がなされているのか?
この本を読んで下さい、としか言いようがないです。

市川さんがアメリカで知った、
「プロジェクト」という学習スタイルをベースに、
「テーマ学習」という探求型の、
分野(教科)横断的グループ学習の手法を、
市川さんは編み出し、実践しています。
真にクリエイティブな人物だと思いました。
尊敬します。

「知識基盤社会」と著者が言っている、
いわゆる「第四次産業革命後の世界」において、
「何かを知っている」ということの価値はゼロに近づきます。
「事務処理能力が高い」の価値も下がる。
この二つでAIと競争して勝てる人類は皆無になりますから。

そうではなく、
「良い問いを発する能力」や、
「一緒に問題を解決していける能力」や、
「既存のまったく関係ない知識を縦横無尽に組み合わせ、
 新たな知的生産ができる創造性」が、
知識基盤社会の人材のコアコピテンスになる。

そのような人材がゴールであるなら、
教師の役割も当然変わるわけです。
そういったことを、市川さんは意図的にしています。

→P242 
〈これまでの教育において、
「教育」と「子ども」との関係は、
「教える人」と「教えられる人」という一義的なものであった。
「教員」は「知っている人」「できる人」であり、
「子ども」は「知らない人」「できない人」なので、
「知っていること」「できること」を子どもに伝達することが、
教員の役目だった。

しかし、知識基盤社会においては、
知識を獲得するだけではどうにもならない。
知識の信頼性、正統性を判断し、
問題状況の解決に役立つ知識を選び取り、
活用していく力が求められる。
したがって、教員の役割は、
既存の知識を整理して伝達することではなく、
知識を吟味する力、
知識を活用して新たな知を生成する力を育成する事へと変貌する。
教員は、既存の知を手がかりに新たな知を生成する道を
子どもと共に歩む同行者となるのである。〉
(1,268文字)



●宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体 下

読了した日:2019年6月13日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ブライアン・グリーン(青木薫訳)
出版年:2009年
出版社:草思社

リンク:
https://bre.is/XgsRsXKvH

▼140文字ブリーフィング:

めっちゃくちゃ面白かったです。
ひも理論、マルチバース論、
ワームホールによるタイムトラベル、
量子タングリングによる瞬間移動の可能性など、
わくわくする内容で、一気に読みました。
宇宙は1兆年に一度二つの「膜」の衝突によってできるという、
循環時間理論(サイクリック宇宙論)も面白かった。

ニュートン以来、
物理学が明らかにしたこの宇宙の実像は、
私たちの「直観」を次々と裏切っていきました。
宇宙は「9次元」かもしれない、
というのもその最たるものでしょう。
私たちの宇宙(3次元空間)は、
より高次の次元の「投影」かもしれないのです。

どういうことか?
次数をひとつ下げましょう。
私たちはマンガ「ドラえもん」の、
コミックのページ上の「2次元ののび太」や
「2次元のドラえもん」かもしれないのです。

2次元の住人には、
3次元空間(立体的奥行きや高さという概念)は、
知覚できません。
マンガの中ののび太やスネ夫に、
そのコミックを読む私たち3次元の人間が知覚できないのと同じく、
私たちはこの宇宙を織りなす9次元空間を、
「感知」できません。

しかし、高速加速器による実験によって、
「追加次元」の実在が証明される、
一歩手前まで人類は迫っていますし、
理論物理学の様々な謎が、
「追加次元」を想定すると、
とてもきれいに着地できる、
という状況証拠も見つかっている。

追加次元という概念がどこから出てきたかというと、
「超ひも理論」という、
量子物理学と古典物理学の統一理論になるかもしれない、
という20世紀に台頭した有力な仮説から出てきました。
その部分を引用します。

→P155 
〈最先端の実験で裏付けられた従来型の理論では、
電子とクォークは、空間的な広がりを持たない点としてイメージされる。
したがってこの立場では、電子とクォークが終着点である
――電子とクォークは、自然界のマトリョーシカ人形を
順番に開いていったときに、
物質のミクロな構造の最後に出てくる一番小さな人形なのだ。

ここでひも理論が舞台に登場する。
ひも理論は、電子とクォークは
大きさがゼロの点状粒子ではないと主張して、
従来のイメージに異議を申し立てる。
ひも理論によれば、
従来型の点状粒子モデルは一つの近似であり、
いっそう精緻なイメージによれば、
それぞれの粒子は、
「非常に小さな繊維状のエネルギー(それを「ひも」という)が
振動している状態」として記述されるのだ。
振動する繊維状のエネルギーに厚みや幅はなく、
あるのは長さだけなので、ひもは一次元である。
しかしひものサイズはきわめて小さく、
原子核の100分の1の10億分の1の10億分の1
(10のマイナス33乗センチメートル)ほどなので、
最新鋭の加速器を使ってさえ点状にしか見えない。〉


、、、電子のスピンや、
クォークの性質を決定づけているのは、
「ひもの振動」かもしれない、
というのがひも仮説です。
そしてその「ひも」は、
3次元空間ではなく、
9次元空間に存在する。

宇宙の実像は、
私たちがイメージしているものとは、
まったく違います。
すごくないですか?
(1,244文字)



●明るい夜に出かけて

読了した日:2019年6月14日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入

著者:佐藤多佳子
出版年:2016年
出版社:新潮社

リンク:
https://bre.is/pzPh9jhVZ

▼140文字ブリーフィング:

私は『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』のファンです。
うつ病療養中、寝る前にこれを聞きながら寝ました。
2人のくだらない会話を聞いていると、
鬱の自己批判・自罰思考の暴走が抑えられ、
知らないうちに眠りについています。

病気から回復した今もその習慣は残っていて、
『くりぃむオールナイト』が、
私の子守歌になっています。
どんな睡眠導入剤よりも良く効く。
(導入剤、飲んだことないですが笑)

2016年に山本周五郎賞を受賞している本作、
『明るい夜にでかけて』は、
くりぃむオールナイトのことが書かれてる、
と聞いていたので、それが理由で読みました。
じっさいに話しの軸となるのは、
『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』なのですが、
主人公がラジオの深夜番組にネタを投稿して、
読まれては興奮し、番組のノベルティを収集する、
「はがき職人」になったきっかけが、
くりぃむオールナイトの、
「ツッコミ道場、たとえてガッテン!」
だった、という設定になってます。

たぶんメルマガ読者の10人に9人は、
「ラジオなんて今時聞いてる人いるの?」
ぐらいな感じだと思います。
ラジオの聴取率って、1%いけば大ヒット番組、
というぐらいなので、市場はテレビの10分の1です。

でも、私はラジオが大好きです。
同じラジオのリスナーだと知ったら、
いろんな大人の事情を乗り越えて、
「心の友よ!」っつって、
抱きしめてあげたいぐらい笑。

なんでしょうね。
ラジオって、「親密なメディア」なんですよね。
親密/親密じゃない
愛がある/愛がない
でマトリックスを作るとこうなる。

       親密    親密じゃない
愛がない  ネット    テレビ     
愛がある  ラジオ    書籍

こういう感じになるんじゃないかな。
「親密で愛があるメディア」である、
ラジオという媒体が私はとっても好きなのです。
まぁこれは、
ラジオリスナーにしか分かってもらえないでしょうが。

当メルマガのタイトルに「ラジオ」が入っているのは、
偶然じゃないんです。
ラジオのようなメディアを、
私は作り出したかったのですよね。
いま、初心に立ち返りました。

本作は「LINEでのコミュニケーションがリアルを凌駕する」、
スマホネイティブ世代の若者たちの群像劇ですが、
作者の佐藤さんは「おばさん(失礼)」なんですよね。
自身がラジオリスナーであることは公言していますが、
ツイッターやLINEをじっさいに使ってる人じゃないと、
書けない内容です。
かといって、「おばさんが背伸びしてる」感じでもない。
私はそこに一番驚きました。

最後にラジオリスナーなら、
「そうそうそうそう!これこれ!」
ってなる文章を二つ引用します。

→位置No.255 
〈どんな面白い話しでも、寝る。
今の俺は本当に好きなパーソナリティの番組しか聞かないから、
声を聞くと本当に安心する。
身体の力が抜ける。心の力も抜ける。
夜更かししてナマで聴いている時は、
めったに寝落ちしなかったけど、
仕事からの朝帰りで聞くラジオの録音は
睡眠薬のように劇的に効く。寝る。ひとまず、寝る。〉


→位置No.2137 
〈金曜日にラジオを聴くとき、
窓のカーテンを開けておく。
アパートの駐車場に面した真夜中の窓は、少しだけ明るい。

イヤホンから耳に落ちてくる、平子と酒井の声は近い。
同じ部屋にいるんじゃないかってくらいに近い。
この謎の距離感こそが、ラジオの生放送だ。
テレビじゃ絶対にない。
不特定多数のリスナーが聴いているのに、
アルピーと俺と三人でいるみたいな錯覚。〉
(1,402文字)



●天才はあきらめた

読了した日:2019年6月14日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入

著者:山里亮太
出版年:2018年
出版社:朝日文庫

リンク:
https://bre.is/6NipIuvei

▼140文字ブリーフィング:

「福山ロス」ってあったじゃないですか。
福山雅治結婚報道の翌日、
ファンだったOLがショックで会社休んだ、みたいな。
「山ちゃんロス」ってあると思うんですよね。
「非モテの公共財産」だった山ちゃんが、
蒼井優に奪われた。
俺、今日学校行かない、
ってう、非モテの「不毛な議論リスナー」は、
全国に1,000人ぐらいはいたんじゃないかな。
俺も今学生だったら山里ロスで、
部活ぐらいは休んだかもしれないですから笑。

そんなカリスマ、山里亮太の本です。
彼の半生記をつづる本作を読むと、
山里への尊敬と愛が深まります。
「ホントすごい人だな、この人」って。

親友の若林正恭による「解説」が、
私を代弁してくれてるので引用します。

→位置No.2337 
〈ぼくが初めて山里亮太を目撃したのは、
多くの皆さんと一緒でやはり2004年のM-1グランプリである。
相方の家で先輩芸人数人と集まって見ていた
中古のテレビデオのブラウン管の中に、
スカーフを巻いた彼は颯爽と現れた。

「皆さん、その怒りのこぶしは日本の政治にぶつけてください」

漫才冒頭の、このワンフレーズの衝撃でぼくは吹っ飛んだ。
本文にも書いてあったが、当時男女コンビは珍しかった。
そして、当時のM-1グランプリには
確かにお笑いマッチョイズムが蔓延していた。
そんな中、泥臭い掛け合いをひらりとかわす
ゆったり目のテンポと優しいツッコミはとても新鮮に映った。

しずちゃんしか使いこなせない
”人”が込められた言霊が放たれるやいなや、
その抜群のワードセンスと間合いでそれを拾っていく山里亮太。
初めて目にする「否定や注意の向こう側」のツッコミに、
何度も何度も度肝を抜かれた。

本当に真面目に、
標準語のツッコミの歴史は
山里亮太以前以後に分けられると思う。

その頃仕事が何も無かったぼくは、
彼のツッコミの虜になった。
YouTubeで「山里亮太、ツッコミ27連発」
という動画を繰り返し繰り返し何度も見た。
そのずば抜けた実力に、ぼくは彼を完全に先輩と思い込んでいた。
同期と知ったときの俺の絶望を知らないからこそ、
「天才はあきらめた」なんてナメたことをぬかせるのである。〉
(875文字)



●神に異をとなえる者

読了した日:2019年6月19日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:アベ・ピエール
出版年:2012年
出版社:新教出版社

リンク:
https://bre.is/GoPXU9CTM

▼140文字ブリーフィング:

「年の離れた友人」のように接して下さる、
米山さんという方がいまして、
その方のお家でいろんなことを話していた時に、
フランスの話しになり、
それでアベ・ピエールという神父がいてね、
と教えていただきました。
フランスでめちゃくちゃ人気があるそうです。

→P3〜4 
〈近年フランスのテレビ視聴者の投票で、
アベ・ピエールは歴史上最も功績のある
三人のフランス人に名を連ねました
(ドゴール将軍、キュリー夫人についで)。

彼がエマウス*の創始者であることは
すでに広く知られていますが、
それ以前に彼は何より「神に異をとなえる者」であり、
信仰者でありながら人間の惨めさや苦しみを
甘んじて受け入れることを拒み、
この世界が少しでも人間らしさを取り戻すために
生涯を賭した人でした。

*エマウス:1949年、アベ・ピエールが始めた生活共同体。
「恵まれない人々のために、恵まれない人々と共に」
をモットーに、ホームレスの人々との連帯を主な活動としている。
不用品をリサイクルして販売するという
独特な資金調達法でも有名になった。
その共同体運動はフランス国内に留まらず、
世界中に広がっている。〉


、、、宗教家でありながら、
「宗教という制度や政治性」とは違ったところで、
けっこうタブーにも切り込んで発言する。
正統派からは異端と言われるかもしれないが、
一般大衆にとって、本当に必要な宗教とは何か、
ということを追求している。
そういう感じの発言をする人です。
「カトリックの公式見解」や、
ヨーロッパの権威に反する発言も、
けっこう平気でしちゃうので、
たぶん「象牙の塔」で食ってる人には、
目の上のたんこぶなんでしょうが、
本当の宗教性というのはこういうことだろうなと思います。
「既存の正統派に喜ばれている」というのは、
(真の意味の)宗教性という意味で失敗している証拠、
と私は思いますから。

日本だと、晴佐久神父が好きな人とかは、
けっこうアベ・ピエール、好きだと思います。
(800文字)



●幸福優位 7つの法則

読了した日:2019年6月19日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ショーン・エイカー
出版年:2011年
出版社:徳間書店

リンク:
https://bre.is/2pzS6ErdS

▼140文字ブリーフィング:

ひとことでまとめると、
「成功したから幸せになる」というのは間違いで、
「幸せだから成功する」が正しい、
という内容です。
ハーヴァード大学で教えている著者が、
これを心理学的に実証していきます。
「幸せになるために成功する」は間違いです。
なので「幸せになるために」、
「受験刑務所」で猛勉強している小中校生は、
皮肉なことに幸せから全速力で遠ざかっていることになる。

これは戯れ言ではありません。
「受験戦争の勝者のあつまり」である、
ハーヴァード大学の学生たちがまったく幸せでないのを観て、
著者はこの研究を掘り下げようと思ったのですから。
順序が逆なのです。
「成功するために幸せになる」
これが正しい。
しかし、ここにもパラドックスがあって、
幸せはその定義上「何か実利的なことの手段」となった時点で、
「幸せ」をもたらさなくなります。
つまり、「何かのためではなく、ただ幸せである」
ということの「副産物」として、成功は与えられるのです。
「持っているもので満足しなさい」
という聖書の言葉は深いのです。
(411文字)


▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:『わたしの信仰』

コメント:

メルケルは、
牧師にもなれるぐらい、
聖書に精通しているということがよく分かります。
彼女を支えているのが神への信仰だということも分かる。
この数年、世界のリーダーの面々が、
なんか、キン肉マンでいう、
「悪魔将軍グループ」みたいになってきましたが、
メルケルは本当に少ない、
「正義超人グループ」のひとりです。
そんなドイツでも右翼政党が躍進しているのを観ると、
「正義超人」はさらに少なくなっていくのかもしれません。
キツイ世の中になってきました。
それでも信仰は死なないし、
信仰は負けません。
私はそう確信しています。


▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「山ちゃんおめでとう賞」

コメント:

山ちゃんへの「ご祝儀」ですね笑。
マジで山ちゃんは「努力の天才」です。
きっと何を仕事にしても、
成功していたでしょう。
そんな山ちゃんがお笑いの道を選んでくれたことを、
私は感謝しなければならない。
そのおかげでたくさん笑わせてもらってるし、
同世代の星として、「俺も頑張ろう」と、
思わせてもらってるのですから。

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