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時事ネタ『吉本問題』について

2019.12.23 Monday

第101号   2019年7月23日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼今週は休刊のつもりだったのですが、、、▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
実は今週、メルマガは休刊するつもりだったのですよね。
執筆時間が全然取れなかったので。
3回目ぐらい(?)の休刊かぁ、
というつもりでいたんです。一週間。

そういう週もあります。

そもそもロングスリーパーな私は、
毎日9時間〜10時間寝ているので、
他の人よりも2〜3時間、1日が短いのです。
そのぶん、スマホを持たないことにより、
1〜2時間ぐらい「稼いでいる」のですが、
それでもやはり、
6時間とか7時間睡眠で大丈夫な人よりも、
「人生が短い」と思っています。
私に与えられた時間は、他の人よりも短い。

だから、
「無駄なことをしている暇はない」のです。
「人生は短い。
 そんな暇はない。」
と思うことが、私は多分他の人よりも多い。
あれもこれもできない。

だから、レーザービームのように、
自分が本当にすべきこと、
自分にしかできないこと、
そして自分がしていて生き生きすること、
それによって社会の役に立つこと、
そういったことに集中したいと思っています。

SNSの「いいね」を数える時間はありません。
メッセンジャーアプリで即レスする時間もありません。
そもそも「通知」が嫌いなので、
なるべく人にはアカウントを教えません笑。
Facebookでそんなに仲良いわけでもない人の、
近況をチェックする時間もありません。
面白くもないテレビを見る時間もありません。
社交場に行って、どうでもいい人の、
面白くない話を聴く時間もありません。
名刺を100枚交換して、
2回目に会う人はそのうち1人、
というような人間関係構築をする暇もありません。

私は家族と大切な友人と、
濃密な交わりを過ごすことに、
短い時間のすべてを使いたい。

教会と社会に自分の能力を還元し、
世の中に自分が生かされていることへの感謝を、
神に対して表現することに、
短い時間のすべてを注ぎたい。

そんなわけで、
「短い人生」の一部を使って、
執筆に当てるほどには、
このメルマガは重要なものなのです、私にとって。
わりとFVIの「預言的な働き」の、
とても大切な場所を占めているとすら思っている。

それでも執筆時間が取れない、
ということはあります。
年に何度かは。

先週めでたく100号を迎えたことだし、
まぁ、一週間ぐらい、休んでもいいかな、
と思っていました。

しかし、
なんか、これは今書いとかなきゃな、
ということができたので、
本日、火曜日の午前中に、
急いで書いています。
他にもすることがあるので、
1時間以上は書きません。

でも、なんか、
これは書かなきゃ、と思ったので。

そうです。

吉本のことです。
そっちかい!
という人もいるかもね笑。

参院選じゃないんかい!って笑。
参院選についても、もちろん語りたい。
二階幹事長の「安倍首相四選」発言について、
特に語りたいし、問い詰めたい。
でも、まぁそれは別の機会に譲りましょう。

なぜ吉本のほうなのか?
陣内はバカなのか?

そうかもしれませんが笑、
そうじゃないんです。
この問題って、
現在の日本社会の膿といいますか、
病理が濃縮されていると思うんですよね。

私は獣医ですが、
なかでも「病理学」という分野は特殊で、
死んだ動物しか相手にしません。
なかでも珍しい死に方をした牛は、
その死体にたくさんの情報が含まれている。
一体の解剖から、
臓器の写真を撮り、
組織切片を作り、
様々な染色を施し、
あらゆる角度から分析する。

尊い命をもって牛が教えてくれたその「情報」は、
獣医学という学問を前進させ、
よりよい明日のために、
大切な考察を与えてくれます。

吉本は「死体」ではありませんが、
今この組織が経験していることは、
病理解剖することで私たちが貴重な情報を得られる、
そういった「サンプル」だと思うのですよね。
なので、私なりの角度で語ってみたくなりました。

というわけで質問カードは割愛し、
さっそく本編にいきましょう。
「モリカケ問題」以来の、
「今週の時事ネタ」のコーナーです。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 今週の時事ネタ

今週の「時事ネタ」のコーナーです。

実はブログに限界を感じメルマガをはじめた
理由のひとつはここにあります。
べつに私は「炎上」するほどの影響力があるわけではないのですが、
この手の話題というのは、英語で言うなら「Touchy」であり、
何気ない「意見の表明」が、ある読み手にとっては、
神経を逆なですることになりかねない。
逆にある受け手にとってその「意見の表明」は、
「これこそ自分の政治信条の代弁だ」みたいになって、
変な形で拡散されたり、「シンパ」のように思われたりしかねない。

だからこそ「政治の話はタブー」なのでしょう。

有吉弘行が、父親から唯一言われたアドヴァイスが、
「人気商売をするにあたって、
 政治の話と宗教の話はぜったいするな」
だったと彼は著作に書いていました。
彼はそれを忠実に守っているように見える。
そして成功しているように見える。
私も非常に限定された意味においては、
「人気商売」的な側面もありますから、
本当に「成功」したければ、
ここには立ち入らないのが「正解」です。

私は教会に関する仕事をすることが多いですが、
教会でも多くの場合「政治の話はタブー」です。
読者の皆様の多くは会社などで働いておられると思いますが、
職場でも「政治の話はタブー」と推察されます。
学校に行っている人ならば、
「学校でも政治の話はタブー」でしょう。
近所づきあいをしている人なら、
「地域社会でも政治の話はタブー」でしょう。

、、、とすると、
今の日本社会で、政治の話がタブーでない場所って、
どこにあるんでしょう?

なんと、現実世界にはそんな場所はないのです。
ではどこに、「政治の議論」はあるのか。
じつはインターネットです。
そして端的に言って、インターネット上の「政治の話」は、
悪臭が漂い、魑魅魍魎が跋扈する危険な領域であり、
首を突っ込むと、あなたの首ごと強烈に腐敗します。
または耳や鼻を持って行かれかねない。
いつか説明しますが、「あの界隈」は非常に危険なので、
首を突っ込まないのが正解です。

そうすると、ハーバーマスのいうような「公共圏」で、
政治について開かれた議論を安全に聞くことは、
まず不可能ということになる。
そして良識的な人が沈黙すると、
やがて非常識な人の声が相対的に大きくなる。
クレーマー問題がそうですね。
「ノイジーマイノリティ効果」とでも呼べる。
、、、だとすると、良識的な人が、
ときにはリスクを背負い、ある種の覚悟をもって、
「何の得にもならないけれど」発言しなければならない。
有吉弘行には鼻で笑われるでしょうが、
私はそう考えます。
その「発言」をする場所として、
メルマガを発行することにした、というのも、
このメルマガを刊行する一つの理由です。

じゃあ私が「良識的な人」なのかどうか?
それはお読みいただいて、
その判断は読者のあなたに一任いたします。
ちなみに私はフランスの思想家ヴォルテールの、
次の言葉をたいせつにしています。
「私はあなたの意見に反対だが、
 あなたがそれを言う権利は死んでも守る。」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼論点は二つある。▼▼▼

早速今回の吉本興業の問題を振り返りましょう。

まず、この問題には論点が二つあります。
「フタコブラクダ型の問題」になっています。
ひとつめは、宮迫さんたちが、
反社会勢力、具体的には振り込め詐欺グループの、
パーティに出席し事務所を通さない報酬をもらったことの是非、
といういわゆる「闇営業問題」です。

ふたつめは、宮迫と亮の会見によって明らかになった、
吉本興業の「隠蔽体質・ブラック企業疑惑」ですね。
土曜日に宮迫さんたちが会見し、
それを受けて松本人志が吉本本社で社長・会長と直談判し、
日曜日の朝にはワイドナショーが生放送され、
それを受け昨日(月曜日)に岡本社長が会見をしました。
最初の会見の論点は、
「闇営業問題」であり、
宮迫と亮がどう責任を取るのか、というところにありました。
2番目の会見の論点は、
「吉本という企業の体質/
 タレントと事務所のパワーバランス/
 テレビ業界と芸能事務所の暗黙ルール」
というあたりにあります。

わずか2日間で、
世間の「批判の的」は、
宮迫さんから、
一気に岡本社長にシフトしました。

宮迫と亮は、
どれだけ確信的だったか分かりませんが、
見事に「論点をずらす」ことに成功したのです。
これを意図的にやったとしたら天才ですが、
多分意図的じゃないです。
「世論」って気まぐれなので、
「このようにコントロールしよう」
と思ってできるものではないからです。

とにかく、2日間で、
論点はスライドしました。
1.闇営業の是非
2.吉本の企業体質
1から2へと、論点がずれたわけです。


▼▼▼いや、論点は三つある。▼▼▼

ここでもうひとつ論点が出てきました。
これは「メタレベル」の論点です。

どういうことか?

1から2へ、論点がスライドした背景に、
今の日本の「世論」の気まぐれさと、
その傾向があるわけです。
宮迫と亮の会見までは、
「宮迫憎し」という大衆心理があったわけです。
嘘をついたのがいけない。
不倫疑惑のときから嘘をついていた。
100万円をもらって覚えてないとかあり得ない。
他にも「黒い交際」があるのではないか。

自分が詐欺被害者でもあるかのように、
(なぜか)詐欺被害者を代弁して、
彼らを糾弾する論調が多かった。

どうしてそうなるのか?
現代の日本で「最強の正義の根拠」は、
「被害者」だからです。
「被害者が一番強い国」だから、
被害者じゃない人が、
「被害者はどう思うと思ってるんだ!」
と、虎の威を借る狐のように、
「代弁型正義」を振り回す。
これが昨今の日本の悲しいところです。
一神教的な世界では起こりえない状況です。
「絶対的な正義の尺度=超越的な神」がいる世界では、
「被害者かどうか」ではなく、
「あなたが神の前に正しいかどうか」が大切ですから。
ルース・ベネディクトが言った、
「罪の文化と恥の文化」の違いです。
恥の文化の日本には「正義の根拠」が、
被害者性ぐらいにしか求められないわけです。

話が多少それました。

とにかく、
会見前の状況は、宮迫という人気芸人が、
袋だたきにあって、
「凋落」していく、
それを見るのを世論が「楽しんでいた」きらいがあります。
ベッキーの不倫騒動以降、
ワイドショーのネタは「こればっか」です。
他にねーのかよ、と思う。
でも、これはワイドショーがバカだからじゃないんです。
それを見る人が多いから、
彼らは資本主義の原理に基づいて、
視聴率が上がるものを創り続けているだけなので、
「視聴者がバカ」だからこうなるのです。

つまり「一番見たいものは集団リンチ」
という、異常な社会状況になっている。
この背景には長く続く実質賃金の地盤沈下、
雇用の不安定性、福祉の維持困難など、
今の日本のあらゆる社会階級の人間が、
「生きづらさ」を抱えていることと関係があります。

「生きづらさ」というフラストレーションに対して、
「生きづらさを取り除く」という原因療法とは別に、
「対症療法」も存在します。
それは、フラストレーションに対するカタルシスを与える、
という方法によってなされます。
「溜飲を下げる」というやつです。

このときに「サンクション」という概念が、
役割を果たします。
サンクションとは「制裁」を表す英語ですが、
辞書でこのように定義されています。

「社会的規範から逸脱した行為に対して加えられる
心理的・物理的圧力をいう。社会的制裁ともいう。
それは単なる嘲笑(ちょうしょう)といった程度のものから
死に至るまでのものを含む。」

まさにベッキー以降の、
ワイドショーの状況です。
ワイドショーは今、
「サンクション劇場」になっているのです。

この「サンクション」がなぜ劇場化するのか?
サンクションの現場には、ある感情が伴います。
それは「シャーデンフロイデ」という感情です。
ドイツ語で「他者の不幸を見て得られる喜びの感情」を意味します。

今の世界では、
政治家もサンクションを利用し、
「外敵を作る」ことで票を得ます。
原因療法、つまり人々の生きづらさを取り除くよりも、
対症療法、つまり人々の溜飲を下げることのほうが、
簡単だからです。

アメリカ人の問題を解決するよりも、
「メキシコ人からアメリカを守る」と言った方が、
コストが安いからトランプはそう言ったし、
それは成功しました。
原因を取り除くには痛みが伴いますが、
症状を取り除く麻薬は快楽をもたらすからです。
韓国政府は国内政治のあまりの混乱に、
それを覆い隠すために、
「日本憎し」という外敵を作ることで、
国民の溜飲を下げさせ政権を延命させます。
これはもはや韓国の慢性的な病になっています。

日本の政治もそうですね。
昨今の日本で保守の政治家が勝ち続けている理由は、
彼らが基本的にはサンクションを満たすからです。
「外敵から日本を守る」という方向性のほうが、
「社会保障制度を見直す」という方向性よりも、
集票効率は良いに決まっているのです。
排外主義的な政党が世界で人気なのには、
こういった理由があります。

マスコミも、
「シャーデンフロイデがよく売れる」
ことをよく知っていますから、
すべての報道が「ベッキー化」するわけです。
今回の宮迫さん問題も、
シャーデンフロイデの格好の餌食になったのです。
芸人として成功し、
きっと良いお金を稼いでいた「成功者」が、
落ちるところまで落ちる、という「見世物」を、
世間は楽しんでいた。

ところが2日間で状況は一変します。
どう一変したのか?

それが1→2への論点のシフトです。
つまり「サンクションの対象」が、
芸人から芸能事務所へと移ったのです。
これを「手のひら返し」だと批判する人もいます。
私も手のひら返しだと思います。
しかし、世論が賢かったためしなんて、
今まで一度たりともないわけですから笑、
私は今さら腹も立ちません。
「まぁ、そうなるでしょうね」というだけです。
いっさいの価値判断を留保します。
世論は自然現象と同じですから、
「昨日晴れてたのに、
 今日雨じゃねーかよ!」
と怒っても仕方ないのです。
世論は気まぐれです。
そして論理なんてありません。
ただただ、そういうものとして受け入れるしかありません。

受け入れた上で、
自分はそれに巻き取られないように、
「自分の頭で考える」という習慣を身につけ、
世間の空気に流されないように、
思考の足腰を鍛えておくしかありません。

エーリッヒ・フロムが、
ナチズムという空気に人々が流された果てに、
『自由からの逃走』で書いたのが、
まさにそういうことです。

ところが今の日本で、
「思考の足腰を鍛えよう」としている人は、
たぶん人口の5%ぐらいで、
95%ぐらいの人は、
世間の空気という暴風に吹き飛ばされている。
もしくは吹き飛ばされていることにすら気づいていない。

現在の日本でナチズム的なるものが吹き荒れても、
私はまったく驚きません。
そのとき私はボンヘッファーのように、
この世から消されるでしょう。
「サンクション」の餌食となって。


▼▼▼私が論じるのは「二つ目」。▼▼▼

ここまでの議論を整理するとこうなります。
論点は3つある。
1.闇営業の是非
2.吉本興業の体質
3.世論の「シャーデンフロイデ問題」

私が論じたいのは「2」です。

時間がありませんから簡潔に。

私はいつも仕事しながらラジオを聴いているので、
宮迫と亮の会見も、
岡本社長の会見も、
両方ともYouTubeの生放送で、
全部ではないにしても、
仕事をしながらではありますが、
1時間ぐらい「視聴」しました。
ワイドナショーも録画して、
久々に見ました。

1→2へと論点がスライドし、
サンクションの対象が、
宮迫から岡本社長へと、
移っていく様子をリアルタイムで目視したわけです。

ひとつ言えるのは、
宮迫に対するサンクションと、
岡本に対するサンクションは、
質的にも量的にも次元が違う、
ということです。

前者は「ベッキータイプ」であり、
後者は「日大アメフト部タックル問題タイプ」
と整理できます。

つまり、宮迫へのシャーデンフロイデは、
「成功した個人が凋落するのを見る喜び」であり、
岡本社長へのシャーデンフロイデは、
「大きな組織からの抑圧に対する怒りから来る、
 社会構造に向けた憤り」なのです。

過去にYouTubeで私は、
「シャーデンフロイデ」について話しています。

▼参考リンク:ひとりビブリオバトル『シャーデンフロイデ』
https://youtu.be/dZ6InVgRQXg

この動画でも言っているとおり、
私たちはシャーデンフロイデという感情が、
自分にもあるのを自覚し、
そしてそれに流されないように気をつけねばならない、
と自戒していますから、
前者のシャーデンフロイデに、
まったく感情移入できません。

いや、したくない。
したらダメだ、と思う。

姦淫の現場で捉えられた女性に、
石を投げる群衆のひとりに、
私はなりたくないから。

しかし、後者の、
「社会構造に向けた憤り」に関しては、
私はかなりの部分で共感し同意する。
もちろん内部にいる人間にしかわからない、
岡本社長なりの内在的論理があり、
そして彼なりの正義があるのでしょう。
問題解決のために奔走した1ヶ月だったというのは、
宮迫たちと同じで本当なのでしょう。

しかし、宮迫と岡本の間に、
決定的に、質的に異なる要素があります。
それが「組織に守られリスクを取らない人間」か、
「個人としてリスクを取りながら生きている人間」か、
という違いです。

前者は芸能プロダクションで、
後者がタレントです。

前者は球団やプロ野球連盟で、
後者がそれぞれの選手です。

今まで一度でも会社を辞めて、
独立したことのある人なら、
全員が激しく同意してくれると思うのですが、
日本社会における、
組織の強さは異常であり、
個人の弱さは異常です。

パワーバランスがあまりにも違いすぎる。
村上春樹は、
エルサレムの大学でのスピーチで、
『卵と壁』について語りました。
生卵は壁とぶつかるといつも壊れる。
どちらが正しかったとしても、
私はいつも卵の側に立ちたい、
と村上春樹は言いました。

壁とは「システム」です。
卵とは「個人」です。
システムは、
巨大企業、中央官庁、学問の象牙の塔、
宗教組織ならば「教団」、
そういったものを指します。

個人は「生身の個人」を指します。

宮迫と亮の会見は人の心を動かし、
岡本の会見は人の心を逆なでした。

なぜか?

それは、宮迫と亮の会見が「生卵の声」であり、
岡本の会見は「システムの声」だったからです。

岡本社長は、
「1年間の報酬50%カット」
ということで、責任を取るとする、
と言いました。
日大アメフト部問題の「大人たち」と同じで、
自分の立場は安泰です。
50%カットされた報酬の額は、
多分普通の会社員の年収よりはるかに多いでしょう。

芸人はどうでしょう?

解雇されたら、
彼らの人生はどうなるのでしょう?
たけしやさんまや松本人志や太田光が怒っているのはそこです。
芸人は「裸一貫で、あらゆるリスクを負って」芸人しているのです。
芸人から舞台を取り上げるのは、
会社組織に守られた人間の「降格や減給」といったリスクとは、
同じテーブルに並べることのできないほど大きなリスクなのです。
両者では、
リスクのレベルが違いすぎます。
なので当然、「腹のくくりかた」が違う。


▼▼▼「フラジリスタ」と「反脆弱性」▼▼▼

ナシーム・ニコラス・タレブは、
『反脆弱性』という本のなかで、
こんなことを言っています。

▼▼▼アポロン的なるものディオニュソス的なるもの
→位置No.340 
〈私は、ニーチェが『悲劇の誕生』で
取り上げている中心的な問題を理解するまでに、
ずいぶんと時間がかかった。
彼は「アポロン的」と「ディオニュソス的」の
ふたつの概念を提唱している。

アポロン的なものとは、安定していて、
バランスがとれていて、合理的・理性的・自制的なものを指す。
一方、ディオニュソス的なものとは、
あいまいで、直感的・野性的・自由奔放で、理解しにくく、
身体の内側から湧いてくるようなものを指す。

古代ギリシアの文化では、
このふたつがバランスを保っていたが、
ソクラテスがエウリピデスに影響を及ぼすと、
アポロン的なものの占める割合が高くなった。
ディオニュソス的なものは破壊され、
合理主義は過剰な高まりを見せた。
これは、ホルモンを注射して
身体の化学的なバランスを壊すようなものだ。
アポロン的なものばかりでディオニュソス的なものがないのは、
中国の言葉を借りれば、陽ばかりで陰がないようなものだ。〉


、、、読者の皆様はここで、
アポロン的なもの=システム(芸能事務所)
ディオニュソス的なもの=個人(タレント)
という概念の類似性に気づかれると思います。

ナシーム・ニコラス・タレブは、
アポロン的なもののことを、
別の箇所で「フラジリスタ」と呼んでいます。
フラジリスタとは何か?
タレブの定義によりますと、
「リスクをすべて外部に押しやり、
 自分(たち)の安定を至高の価値として保つ人々」です。

フラジリスタには、
大企業の役員、正社員、
象牙の塔の終身雇用された学者、
中央官庁や地方の公務員、
ある種の政治家などが含まれます。

なぜ彼が「フラジリスタ」と呼ばれるのか?
フラジリスタはフラジャイル(脆さ)から来ています。
つまりタレブは彼らのことを、
「脆弱なヤツら」と呼んでいます。

どこが?

と思うでしょ。
むしろ彼らは「最強」に見えますから。
「反脆弱性」を全部読むと分かりますが、
タレブがフラジリスタというとき、
彼ら自身が脆弱だという意味でもありますが、
彼らが「社会を脆弱なものにしている」
という意味合いを込めています。

金融工学モデルに基づき、
デリバティブ商品を売りまくり、
リーマンショックをもたらした、
ウォールストリートのトレーダーたちはフラジリスタです。
彼らがその後、満額の退職金をもらい、
今も涼しい顔でウォールストリートで働いているのは、
全世界が知っています。
彼らへの「サンクション」が、
ヒラリー・クリントンを落選させた、
というのも一つの見方として存在します。
民主党は金融業のシンパですから。

フラジリスタは常にリスクを外部に押しやります。
彼らが引き起こした脆弱さにより、
リスクを押しつけられたのは誰か?
リーマンショックによって傾いたGMを、
国庫資金で救ったことにより、
納税したアメリカ国民全員が、
損失を被りました。
あるいは金融業の手痛い失敗により、
資金が焦げ付いた地方の零細な事業主が。

東京電力もフラジリスタです。
彼らは誰もが知る「高給取り」です。
彼らがフラジリスタだったおかげで、
福島第一原発は事故を起こしました。
そのリスクは誰が取ったのか?
東電の社員ではありません。
福島県民全員と、
「高騰した電気代と復興税」によって、
その補填をし続けている、
日本の全国民が損失を埋め合わせています。

フラジリスタは常にリスクを外部に押しつけ、
自分たちは安泰であることを至上の価値とします。
皆さんもおわかりのように、
芸能事務所や大手メディアはフラジリスタです。
フラジリスタの至高の価値は「リスクを負わない」ことです。

岡本社長の会見があんなにも見るに堪えなかったのは、
彼がフラジリスタとして行動したからです。
YESかNOで答えて下さい、
と言われているのにもかかわらず、
質問に答えず、
もごもごと長い割に内容のない話をし続け、
はぐらかし続けた。
結論だけを言えば良いのに、
何が言いたいのか分からない、
言語的にも破綻した言い訳を繰り返した。
日大アメフト部のときと同じです。

彼らがなぜあのように振る舞うのか?
それは「壁の中で生活している」からです。

彼らは自分という個人を主語にして、
何かを語る事が出来ません。
彼らは「ポジショントーク」以外に何も語れない。
自分という個人を組織に売り渡すことで、
自らの安泰を守ってもらう、
という「互助会組織」が、
日本の企業文化ですから、
責任者の謝罪会見は、
いつも「似たようなグダグダ」になるわけです。

何が言いたいのか??

タレブが書いた本は、
「反脆弱性」です。
アンチ・フラジリティが英訳になります。
「アンチ・フラジリスタ」として生きることを、
タレブはこの本の読者に啓発しています。

なぜか?

21世紀が「不確実な時代」であり、
そのような時代は、
フラジリスタは必ず失敗するからです。
「壁の中で生活することのリスク」が、
ますます高まってきている。

私たちはどこかで「安定」を確保しつつ、
一方で挑戦し続けなければならない。
「リスクを冒さないことがリスクである時代」
に生きているのです。

ここが、20世紀と21世紀の一番の違いです。
20世紀というのは、
岡本社長的な生き方をしていれば、
本当に安泰だった時代です。
それには
「パイの拡大・人口ボーナス・二次産業主導型経済」
など、いろんな要素が絡んでいます。
とにかく20世紀は時代がフラジリスタに味方した。

21世紀の今、岡本社長的なふるまいは、
多くの論者が口をそろえるように、
「時代を読み間違えた」ふるまいとなります。
その背後にはインターネット、人工知能、
パイの縮小、人口オーナス、産業構造の転換があります。

私はやはり、
「リスクを取っているほうの味方」です。
私自身が「壁の外側」で生きているので、
きっと余計にそう思うのでしょう。

今回
1.闇営業の是非、
2.吉本興業の体質
3.シャーデンフロイデの問題

3つのうち、2について重点的に語りました。
1と3についても語るべき事はありますが、
またいつか、別の機会に。

さて。

ではどうすれば良いのか?

実は、社会を前に進めるのは、
「アンチ・フラジリスタ」です。
つまりリスクを取る人こそ、
「反脆い存在」へと社会を強くする。
イノベーションを起こす存在です。
起業家、芸人、芸術家、在野の活動家、
そういった人が不確実な時代に、
社会を前に進めるのです。

フラジリスタは彼らのイノベーションに寄生しているに過ぎない。
吉本興業が芸人の才能に寄生しているのであって、
芸人が吉本興業に寄生しているのではない。
価値の創出があって、富が生まれるのです。
逆ではありません。

人生をリスクに賭けて、
ゼロから1を生み出す芸人たちがいるから、
吉本興業が存在できているのです。

岡本社長はじめ、
吉本の上層部が勘違いしているのはそこであり、
彼らが「もっとも時代錯誤的な部分」はそこです。
そして会見により世間に彼らが見せたのは、
自分たちは本当にその失敗が分かった、という悔恨ではなく、
「勘違いし続けている」という事実であり、
時代錯誤的な企業であるということの露呈であり、
そして自分たちが時代錯誤なことというその事実にすら、
多分気づいていない、悲しくなるぐらい見苦しい、
フラジリスタ流の自己防衛でした。

この問題がどういう収束を見せるのか分かりません。
個人企業主のあつまりである芸人たちは、
雇用関係にあるわけではないので、
法律的に団体交渉権を持っていません。
「労働組合」が作れない。
しかし、プロ野球の「選手会」のようなものは作れるはずです。
ハリウッドの俳優たちも作っていますし、
NBAにもそういったものがあります。

そういった「職能による連帯」を作ることが、
私は急務だと思います。
「アンチ・フラジリスタ」の多くは、
宮迫さんらと同じく、
自分の人生をリスクに犯すことで、
自分たちの創造性を担保していることが多いので、
そのリスクを緩衝するような仕組みが必要です。
これって実は、ジャニーズの圧力問題ともつながってます。
「壁」が卵を押しつぶすのをこれ以上私は見たくない。

日本からイノベーションが死んでいくのを、
私はこれ以上見たくない。
「壁」には勝てないとしても、
卵のインキュベーターは作れる。
実は吉本興業の今回の問題って、
そういった社会のグランドデザインに関わる話です。

最後にひとつ。

会見のときに宮迫に、
「不倫の時はオフホワイトと言っていましたが、
 今回は何色ですか?」
と聞いたリポーターは、
とりあえず謝罪会見を開いて欲しい。
きっと彼(彼女?)もまたフラジリスタなのでしょう。

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