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うつ病の「発作」について

2020.01.20 Monday

第105号   2019年8月27日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼うつ病の「発作」について▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週は体調不良のため、
メルマガを発行することができませんでした。
ご心配をおかけいたしました。

まぁ、体調不良でメルマガを発行できなかったことって、
初めてではないのですよね。
たしか2017年の8月にも、
体調が悪くなって休刊しました。

2013年末から2年間、
私は燃え尽き症候運によるうつ病を煩い休職しました。
その療養のことも、このメルマガに何度か触れてきました。
2015年12月に「寛解」して、
2016年1月から仕事に復帰しました。

それから3年が経ちますが、
この間、何度か「症状」が戻ってきて、
長いときは1ヶ月ぐらい、
短いときは1週間ぐらい、
「期間限定」ではあるけれど、
鬱の症状が戻ってきたことがありました。

不思議なことに、
症状が戻ってくる「時期」には一定の法則がありました。
それは「お盆」「正月」「GW」です。
つまり世間が休んでいるときなんですよね。

けっこう誤解している人が多いですが、
うつ病というのは認知(脳)の不具合であると同時に、
身体の不具合でもあります。
脳の働きに影響を与える脳内物質に、
器質的な変化が起きているのが原因なので、
その症状の基礎はあくまで「身体」にあります。

養老孟司がよく言っているように、
「身体」は「自然」に属するので、
脳によってコントロールすることは不能です。
意思の力で腎臓病になれる人がいるでしょうか?
逆に意思の力で腎臓病を治せる人は?
そんなことは不可能です。

「身体」は意思の力でコントロール不能なのです。
ですからうつ病もまた、
意思の力ではコントロール不能です。
ところが「身体」の都合で、
暴力的に、誰にでも襲ってくるうつ病ですが、
その症状は「認知」に現れます。

だから「うつ病は認知が引き起こす」
という間違った推論が蔓延しているのです。
「認知行動療法」が、
その根本に抱えている誤謬はここにあります。

うつ病は「認知の矯正」によっては治せません。
だって器質的な変化がその基礎にあるのだから。
「気の持ちようが悪かったからうつ病になる。
 気の持ちようがよくなればうつ病は治る」
という暴論を振り回す人は、
「腸捻転を気合いで治療する」
といっているような危うさを秘めています。

下手したら死ぬ人が現れる。
これは危ない。
私はこれを何度でも言います。

、、、話を戻しましょう。

うつ病に「根治」はありません。
椎間板ヘルニアをやった人が、
生涯にわたって腰痛と付き合い続けるのと同じで、
うつ病を一度患った人は、
生涯にわたり鬱症状と上手に付き合いながら
生きていくことになります。
「俺は根治した」と言っている人は非常に危険です。
その思い上がりこそが身体に無理を強い、
次のうつ病を引き起こし、
そして「自分は健康だという思い上がり」と、
病気になったときの「落差」というのは、
破局的な結果をもたらす原因になりますから。

バナナマンの日村さんがラジオで昔言ってたのだけど、
彼はハンカチにうんこの刺繍をして、
持ち歩いているそうです。
というかドSの設楽さんに持たされているのだけど笑。
その「うんこのハンカチ」の意味は何かというと、
それを観るたびに、一日何回も、
「おまえはうんこのような存在なんだぞ。
 思い上がるなよ。
 いいか、人がちやほやしたとしても、
 おまえはうんこだということを忘れるな!」
という自分への戒めのためなんだそうです。

うつ病を経験した私も、
そのような気持ちでいなければいけません。
「いいか、お前は健康なみんなの仲間だなんて、
 思い上がったら駄目だぞ。
 お前はいつでも破局のリスクを抱えている。
 頑張りすぎるなよ。
 大量の仕事を安請け合いしたりするなよ。
 自分は人の半分ぐらいしかキャパがないことを、
 いつだって忘れるなよ。
 人がほめてくれても浮き足立つなよ」
と、自分を戒める必要がある。
私も「心にうつ病の刺繍のハンカチを持つ」
必要があるのです。

ことほどさように、
うつ病には「根治」はなく、
「寛解」しかありません。

寛解したうつ病が「戻ってくる」のは、
だから当たり前のことなのです。
それが私の場合、世間の大型連休と重なる傾向にある。

その原因について私なりに自己分析しますと、
多分世間が休んでいるときに、
無意識の領域とつながっている「身体」が、
「症状を出すなら今だ」というように、
いろんなストレスや疲れを
顕在化させるのだろうと思うんですよね。

そんな気がしてならない。

「今だ、休め!」って。
これもよく言われるのですが、
鬱症状というのは「休め!!!!」という、
身体(器官としての脳)からのSOSサインです。
警報器が鳴り響き、
「休め!!」
と身体がメッセージを発してくれているのです。

、、、で、私の場合、
それが大型連休と重なる。
ところが最後の記憶は2017年のお盆で、
それ以来うつ病の症状は出ていなかったのですよね。

「俺は治った」という思い上がりこそが、
最も危険なことを私は知っていますから、
「おまえは健康などではない。
 調子に乗るなよ。
 頑張りすぎるなよ。
 休みながらやれよ。
 思い上がるなよ。」
と普段から言い聞かせ、
前もって休むようにし、
動き回ったらしばらく立ち止まり、
人よりもかなり長時間の睡眠を取り、、、
という予防措置をしていたので、
それが上手くいっていたのだろう、
と私は思っていました。
ハンカチが自分を救ってくれていた、と。
結構俺も、危機管理ができてるじゃないかと。

ところがそれでもまだ、思い上がっていたのですね。

あれは2週間前、お盆の始まる週、
つまり8月12日のことでした。
いつものように朝のルーティンを終え、
デボーションをして、
仕事に移ろうとすると、何かがおかしい。

明らかに何かがおかしい。

先ほど鬱症状の再来には慣れている、
と書きましたが、その症状の辛さが減るわけではありません。
こんなもの、何度やっても慣れるわけがありません。
ヘルニアや痛風の痛さを何度経験しようが、
痛みが減るわけではないのと同じです。

で、「あ、やばい」と思いました。

「あいつ」が帰ってきた、と。

まず、考えられない。
頭に霧がかかったような状態になります。
思考はさび付いた機械のように動きが鈍くなり、
感情面では、心に重い鉛が括り付けられたように、
ずしんと心が重くなります。
感情を表す表情筋はこわばり、
笑顔が引きつり、表情が上手く表せなくなります。

まず最初にできなくなるのはアウトプットです。
高度な情報操作は不可能になります。
次に読書ができなくなります。
左脳を使った言語操作、情報処理ができない。
なので、私の生活にはほぼあり得ませんが、
この2週間、軽い小説を除いて、
ほぼまったく読書ができていません。
メルマガ執筆などできるはずもない。
だから、先週は休んだ、というわけ。

情報処理の回路が回らないので、
基本的に映画も観られません。
あと、テレビなどの気晴らしもあまり効果ありません。
感情の動きがおかしくなってるので、
すべてがネガティブにしか受け止められない。
楽しい番組を観ても苦しいし、
美味しい食べ物と食べても苦しい。
「楽しい、うれしい、幸せだ、希望がある」
という感情が、働かなくなります。

繰り返しますがこれは、
「気の持ちよう」とは関係がありません。
もちろん、信仰ともまったく関係がない。
「信仰があれば鬱にならない(直せる)」
などという寝言を言っている人は、
本当にこの社会から退場すればいいのに、
と思います。

ダルビッシュの言葉を借りるなら、
神龍(シェンロン)に願いを叶えてもらえるなら、
そういった「信仰マッチョイズム」を唱道する人たちが、
どうかこの世界から消えていなくなりますように、
と思います笑。

まぁ、冗談ですけど。

話を戻します。

「あいつ」が戻ってくると、
正常な思考回路はすべて遮断され、
あらゆることがネガティブに解釈されます。
何かをしようとすると、
「これは必ず失敗する」
という声が脳内に響き渡ります。
これを言うのは100回目ですが、
これは信仰があるとかないとか、
そういう話ではまったくありません。

関係がないのです。

信仰に満ちあふれた人がぜんそくになったら、
きっと息をするのが苦しくなると思います。
信仰があってもなくても同じことです。
信仰がある人が鬱になると、
必ずネガティブ思考が暴走します。
ぜんそくの「ゼーゼー」と同じですから、
それは気の持ちようとはまったく関係がありません。

安静にして適切な治療を受けるのが最重要です。

私は「あいつ」のことを、
「うつき」と呼んでいます。
妻が私の闘病中に、
私の病気のことを名付けてくれました。
絵本まで書いてくれました。

それによって私は、
「あいつ」と和解することを覚えました。
禁忌し、毛嫌いし、追い出そうとすればするほど、
症状が重くなるのが「あいつ」の特徴です。

「おぉ、帰省したか」
と、親戚の甥っ子を歓迎するような気持ちで、
受け止め、懐かしみ、抱きしめてあげるのが「吉」です。

とはいえ、
症状は苛烈なわけですよ。
やっぱり。
「死にてー」と毎日思います。
冗談とかじゃなく。
希死念慮も症状の一つですから、
「そんなこと思っちゃだめだ!」
みたいなのはまったくナンセンスですから、
これも言っておきます。
100回目ですが。

とにかく、
「生きるエネルギー」という川の水が、
ある日突然、水道のポタポタぐらいの水量になる、
みたいな感じです。
家庭の電力のアンペア数が、
ある日突然100Aから1Aになるようなものです。
豆電球一つでブレーカーが落ちる。

あー、うつきが帰省したなぁ。

そう思った日から、
私は2年間ご無沙汰していた、
据え置き型のゲーム機を引っ張り出しました。
うつ病の症状に対する、
いくつかある私の対処法の引き出しのひとつが、
「ゲーム」なのです。

ゲームはひとつの逃げ穴になります。
知的な操作が働かない。
感情が動かない。
ネガティブ思考の溶鉱炉が暴走する。
楽しいことが楽しくなく、
うれしいことがうれしくなくなる。
コーヒーを入れる力も失われる。
聖書を読むのもつらい。
パソコンを開いても、仕事らしい仕事ができないので、
次第にパソコンを観るのもつらくなってくる。


▼▼▼ぜんそく発作とうつ病とゲームと

予定されていた奉仕などはこなしました。
お茶の水クリスチャンセンターで打ち合わせをしたり、
日曜日に教会でメッセージをしたりしました。
18日、25日の2回。
そういうときは、本当に神の助けがあり、
なんか、できるのです。
いや、させていただけるのです。
その翌日は使い物にならなくなりますが。

しかし、それ以外は基本的にゲームをしていました。
別に楽しいわけではないけれど、
ゲームを起動することで思考を麻痺させるために。
「とにかく休め」という身体からのサインなので。

あと、週に2,3回、ジムにも行きました。
身体を動かすことで何かが好転するかもしれない、と。
しかし、ジムで涙が出てくるんですよね。
そもそもジムで鍛え始めたのって、
病気で劇落ちした体力を、
すこしでも取り戻して、
生まれてくる子どもと遊んだり、
家族を養う労働に精を出したり、
そういうことが目的だった。

それなのに、今の俺は何だ。
いったい何なんだ。
病気の前にあまりに無力で、
悔しくて、情けなくなって、
デッドリフトのインターバルで、
ベンチに座っていたら涙が出てきました。
無力感や悔しさからか、
病気の症状からかは分かりませんが。

多分、両方です。

ジムの良いところは、
涙が出てきても、
汗だか涙だかわからないところですね。
タオルで顔を拭けば容易にごまかせる笑。

とにかくそんな感じで、
結構「追い詰められ感」があるんですよね。

仕事→できない
アウトプット→できない
読書→できない

みたいに、
できたことがどんどん潰されていって、
「コーナーに追い詰められる」感じというか。

その最後の最後のコーナーのひとつがゲームです。
ゲームって、前頭葉を麻痺させるんですよね。
だから、思考を停止させてくれる。
ネガティブ思考の暴走が止むんです。
あと、時間をすげー「食ってくれる」。
身体と頭を休ませ、
時間の経過を待つことが、
うつ病の万能薬なのですが、
その「時間を過ごす」ことが非常につらい。

みんなは働いているのに俺は休んでいる、、、。
このままでは俺の人生はどうなるんだ、、、。
とか思いながら、
罪責感と焦燥感に押しつぶされそうになり、
ぐっと手の甲を噛んで、
椅子に座って打ち震えている、、、、

みたいな時間が、
本当につらいのです。
本当に、本当につらい。

私は小学生のときぜんそくの発作を抱えていましたが、
ゼーゼーいいながら、
呼吸がつらいよー、
っていうこと以外何も考えられず、
椅子に座っている時間は永遠に思われました。

ところがぜんそくのときも、
一瞬、ゲームに夢中になれたりします。
そのときは2時間があっという間に過ぎる。

大人になっても同じ手法を使っています。

、、、とはいえ、
ゲームですらできない、
という極限状態になることもあります。

そのときは、
布団に横になり、
くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンを聴きます。
そうすると寝られる。

私は有田と上田にいつも救われています。

、、、今はどうか?

「ゲームの時期」は過ぎて、
できません。
ゲームのスイッチを押せないフェイズに入った。
読書?
できません。
できるわけないじゃないですか。

でも、昨日ぐらいから、
時間限定で、
普段の半分ぐらいですが、
仕事をできるようになりました。

嘘みたいに。

経験的にこの3年間、
短期の症状の再来は、
発症も嘘みたいですが、
治るときも嘘みたいに治ります。

そろそろ「うつき」も役割を終え、
自分の故郷に帰っていくころかなぁ、
と思いながら、
でも、「早く帰れや!仕事したいねん!」
という悪意は出さないように、
丁重にお引き取りいただく、
というような態度でいます。

「来てくれてありがとう」と。
俺に休みが必要なことを教えてくれてありがとう、と。
うつきは「神からの使者」だと思ってますから。
アブラハムが天使をもてなしたように、
私はうつきをもてなします。

そんなわけで、
うつきが今のところ半分帰っているので、
「いまだ!」と思って急いでメルマガ書いてます。

先週急に休刊して、
いろんな人にご心配をおかけしたので、
早く病状報告せねば、と思って。

そんなわけで、来週もどうなるかわかりませんが、
まぁ、そんな感じです。

別に大変じゃないわけじゃないけど、
大変なわけでもありません。

安心してください。

自分でも何を言ってるか分かってません笑。

そんな感じです。

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