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鬱の「発作」について その2

2020.01.27 Monday

第106号  2019年9月24日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼ちょっと良くなってきた▼▼▼

8月12日。

今回の鬱症状が戻ってきた日の日付まで、
私は覚えています。
口笛を吹いて歩いていたら、
横っ面をひっぱたかれるような暴力性で、
何の前触れもなしに、
病気に襲われました。

マジで油断していたので、
今回は相当に動揺しました。
やるべきことがたくさんある中で、
まったく身体と思考が動かなくなるので、
足止めを食って本当に焦りましたし、
腹も立ちましたし、
情けないし悔しいし、
涙が出ました。
いつまで続くかも分からないので、
これも本当に辛い。
「また、あと2年とかだったらどうしよう。」
とか思うと本当にぞっとするわけですよ。
辛い日々でもあり、
恐怖に震える日々でもあります。

そんな先週の金曜日、9月20日のことです。
東京が突然涼しくなったあの日、
午前中、私は久しぶりにコーヒーを入れました。
そのエネルギーがあったから。
そして聖書を開き、
デボーションをしました。
鬱状態で聖書を開いたときの、
なんとも言えない追い詰められ感が、
嘘みたいになくなってたから。
そして、1ヶ月ぶりぐらいに、
部屋と机の掃除をしました。
そのエネルギーがあったから。
そんで、たまっていた仕事に着手しました。

午前中は集中力が持ちました。
「お、これは行けるかもしれない」
と思い、午後も本を読んだりしようとしましたが、
それは叶いませんでした。
内容が頭に入ってこない。

それから5日が経ちますが、
現在は、午前中は思考力が戻ってきます。
仕事も出来ています。
8月12日以前の水準にはほど遠いですが、
でも、ちゃんと思考も動くし、
まともにモノを考えることが出来る。
ネガティブ思考の重力もなくなったし、
身体と脳みそに鉛のおもりがついている感覚もない。
なぜか本だけは今も読めないのだけど。

鬱症状のときって、
ハエ取り紙の上を歩いてるような身体の重さがあり、
水中で会話するような苦しさと意識の混濁があるのですが、
少なくとも午前中は地上をちゃんと歩けていて、
地上で会話を出来るようになってきている。

これはいいぞ、
というわけで、
オープニングトークを書いています。

ただ、夕方になると、
ちょっと症状がまだ戻ってきます。
鉛が戻ってくる。

特に面白いとも思えない、
ゲームをして時間をやり過ごしたりしています。

今の健康状態はそんな感じです。
総じて、かなり回復した、
と言って良いでしょう。

ただ、
何のために1ヶ月を「えぐり取られなければ」ならなかったのか、
なぜ私はこんなハンディキャップとともに、
生きていかなければならなくなったのか、
その理由については分かりません。

2年間の療養を経て、
なんか病気と上手く折り合いを付けられたと思ったし、
病気と「和解」したつもりでいたのだけど、
やはりじっさいに症状が戻ってくると、
マジで地獄だし、
それ以上でもそれ以下でもない、
という気がしてきます。

無性に腹立たしいというか、
やるせないというか、
憤懣やるかたないというか、、、。

でも、きっと意味があるのだろうな、
とは思っています。

北海道の「べてるの家」の当事者のひとりが、
「精神分裂病は僕の天職です」
って言ってるんですが、
その領域には私は達していない。
病気との和解は、
私が思っていたほどには、
まだ達成されていなかったようです。

、、、でもね。

今朝、創世記33章を読んだんですよね。
ヤコブとエサウが和解するシーン。
聖書を読み慣れている人には、
説明する必要はないと思いますが、
ヤコブは20年ぶりに兄エサウに会います。

最後に彼の顔を見たとき、
エサウはヤコブに殺意を持っていました。
ヤコブが父の祝福を欺して奪ったからです。
母のリベカは兄弟殺しを避けるため、
ヤコブをラバンの元へと送ったのでした。

そんでいろいろあって、
ヤコブは20年後、
2人の妻と12人の子どもたちと、
多くの家畜と財産と奴隷を引き連れ、
父の家に向けて旅立ちます。

そんで、いよいよ兄エサウと対面する。
緊張しますわ、そりゃ。

まだ殺意があるかもしれないですから。

出会った瞬間殺されるかもしれないですから。
「明日が俺の命日になるかもしれない」
とヤコブは思ったわけですよ。

そんで、ヤコブは生まれながらの謀略家ですから、
いろいろ考えて作戦を練るわけですよ。
まず、「贈り物隊」っていうのをつくるわけです。
そして、その贈り物によって、
エサウの気持ちを軟化させて、、、
って思うわけですよ。

それでもヤバかった場合のために、
隊列を組んで、
贈り物隊→妻たちの部隊→自分
っていう風に、
自分がしんがりになって、
襲われても自分の命だけは助かるように考えたりするんですわ。

いや、マジで。

ヤコブってそういう奴です笑。
そういうところがある。

ところが、
かの有名な、「ヤボクの渡し事件」
っていうのが起きるんですわ。

「明日が命日かもしれない」夜、
彼は神と格闘するのです。
ヤコブは天使だと思っていたけれど、
それは神ご自身だったんです。

ちなみに余談ですが、
この「ヤコブと神との取り組み」こそが、
世界中に散らばった、
「相撲」のルーツという有力な仮説があります。
「相撲」って、ヘブル語の「シュモー(彼の名)」
から派生したかもしれない、という説。

沖縄相撲やモンゴル相撲など、
そもそも相撲は西側から伝来した可能性が高く、
西アジアでは創世記の物語は古代に語り継がれていたはずで、
地理的にもあり得ない話ではありません。

マジで余談でした。

、、、で、「ヤボクの渡し事件」ですよ。

その晩、夜通し神と格闘したヤコブは、
神に「もものつがい」を打たれます。
ヤコブは負傷したわけです。
そんで神は、「あなたは神と戦って勝った」と言って、
「イスラエル(神は戦う)」という新しい名前を、
ヤコブに与えます。

旧約聖書において、
「名前が変わる」というのは、
その人の性質や立場が変わる、
ということを意味します。

その証拠に翌朝ヤコブは、
当初の「贈り物とかいろいろ作戦」を、
すっかり忘れたかのように、
自分が一番先頭に立って、
エサウに会いに行きます。

20年間エサウにもいろいろあったのでしょう。
あの殺意は嘘のように消えており、
二人は抱き合って再会を喜び合います。

、、、で、
エサウは、ここから一緒に旅を続けて、
一緒に故郷に帰らないか?
とヤコブに提案します。

今朝私が読んだのはこの箇所でした。

ヤコブはその申し出を断るんですよね。
その理由が面白い。

創世記33章13〜14節

あなた様もご存じのように、
子どもたちは弱く、
乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。
一日でも、ひどく追い立てると、
この群れはすべて死んでしまいます。
あなた様は、しもべより先にお進みください。
私は、前を行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、
ゆっくり旅を続け、あなた様のもと、セイルへ参ります。


、、、ようするにヤコブは、
「一番遅い子どもや仔牛、子羊に合わせて、 
ゆっくり旅をしますから、
お兄さん、どうぞ先に行っててください」
って言ってるんですよね。

これって、
イスラエルという新しい名前と性質によるのもあるけれど、
実はヤコブが「負傷」したことも、
関係あるんじゃないのかなぁ、
と今朝思ったわけですよ。

そもそもヤコブは、
「早く歩けない身体」になってたんじゃないかって。

最も遅い人の歩調に合わせる、
っていうのは、
現代世界ではあまり歓迎されないし、
ビジネスの世界なんかだと、
「そんな甘い考えじゃ生き残れない」
とか言って、切り捨てられるのが落ちでしょう。

もっと早く、
もっと強く、
もっと賢く、
もっと先へ、
という強迫観念によって、
社会全体が駆り立てられているので。

健康なときの私は、
わりとそういう環境の中で、
ある部分では立ち回れちゃったりします。
あんまり立ち回れなていことも多々ありますが笑。

しかし、病気を抱えていることで、
びっこを引いて歩くヤコブみたいに、
決定的に、健常者と旅行するのが不可能になり、
「一番遅い人と一緒に、
 俺はゆっくり行くわ」
っていう視点を獲得したりする。
私にとっての鬱症状とは、
ヤコブにとっての「もものつがい」なんではないかと、
今朝思ったわけです。

ヤコブにとっての新しい名前が、
「神は戦う(イスラエル)」だったのも、
けっこう示唆的です。

ヤコブって、
生涯、「策士」なんですよね。
謀略を巡らし、
自分の有利に事を運ばせるのが、
抜群に上手い。
そういう立ち回りの狡猾さが、
彼を特徴づけています。
彼の名前(かかとをつかむ者)っていうのが、
それをよく表しています。

それが「神は戦う」になった、
っていうのはパラダイム転換なんですよね。

俺がやるんじゃなく、
神がやってくださる、
ってことですから。

ヤコブは、それによって今まで生き抜いてきた、
自分の最大の長所であり、
そして短所でもある、
「狡猾な謀略家」という部分を、
神によってパラダイム転換されるわけです。
その象徴が、「もものつがい」なんですわ。

私もまた、
自分の最も強い長所というのは、
「論理的思考力」だと思っています。
しかも、垂直方向のそれは、
けっこう自信があって、
あまり誰かに負ける気はしません。
これを自分を利するためだけに使ったら、
多分バチが当たると思うので、
こんな仕事をしているぐらいですから。

ところが、ヤコブの例を見ても分かるように、
実は最大の長所というのは同時に最大の短所でもあるので、
神はその人を「内的な外科手術」みたいなことを、
する必要があったりするんですよね。
特に俺みたいに、
神に特別愛されちゃってる人間は笑。

鬱症状というのは、
まさに「論理的思考力」が、
破壊されます。
脳のCPUがぶっこわれる感じなので。
感情や思考の道筋を御することが出来なくなる。
脳みその手綱を握ることが出来なくなる。
コントロールを完全に失う。

そんなことをヤコブの話を読みながら、
考えたわけです。

、、、とにかく病気の1ヶ月、
私は完全に歩みを止めました。

何も得ていません。
失ったものはあります。
「自信を失った。」
それだけです。
あと、自己評価が著しく下がりました。
(心理学とかの自己肯定感、
 とかとは違います。
 単純に自己成績表が下がったというだけです。
 それは当たり前です。)

でも、まぁ、
私が頑張ろうが頑張るまいが、
有能だろうが無能だろうが、
神がやってくださることと比べたら、
「誤差」みたいなもんなんだよなぁ、
という達観みたいなものを、
ちょっとだけ学べた気がします。

私が「95点から5点になっちゃったよぉおぉぉ〜」
と泣いていたとしても、
実は「神がしてくださる部分」というのは、
1億点ぐらいあって、
1億95点と、
1億5点ぐらいの差しかないのでは?
みたいなことです。

どこまで伝わってるのか分からないけれど。

病気という濃霧の中を抜けて、
ちょっとだけ視界が良好になってきたところで、
そんなことを考えていました。

とにかく言えるのは、
私の妻は素晴らしすぎる、
ということですね。
妻の徹底した神への信頼と励ましとサポートがなければ、
濃霧の中から脱出できてませんから。
神様には天国に行ったら、
私ではなく妻に、
何らかの賞を上げてほしいです。

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