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かなり良くなってきた

2020.02.03 Monday

第107号  2019年10月1日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼かなり良くなってきた▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
この1ヶ月以上ずっと、
「病状報告」みたいなオープニングトークが続いてきましたが、
これも最後になるかもしれません。

というのも、先週の半ばから、
かなり症状が緩和し、
健康が戻ってきました。

なんか「自分が帰ってきた」
という表現が一番近いですね。
自分が自分でない何かに乗っ取られていたのが、
元の人格がもう一度戻ってきた、みたいな感じ。

主観的な感覚の話をすると、
ずーっと、
脳の電源が切断されていて、
起動しない、もしくはネガティブな方向に暴走しかしない、
という状態から、電源が回復したような感じ。
エネルギーも戻ってくるし、
四六時中続く、鉛のように思考と心が重い感じがなくなります。
脳と心についた「鉛のついた鎖」がとれるような感じです。
眼球に真っ黒のコンタクトレンズを付けたように、
目に入るあらゆるものが絶望色に染まっていたのが、
「世界が色鮮やかさを取り戻す」という感じ。

「生きているって、
 こんなにも軽やかだったんだ!」
という気持ちになります。

90歳の老人が、
ある日起きたら20歳の肉体になっていた、
みたいなことが起きたら、
きっと今の私のように感じるのではないでしょうか。

仕事をしても辛くないし、
活動をしてもエネルギーの枯渇を感じないし、
身体や心や思考が「鉛の鎖」なしに動くので、
今までの仕返しかのように、
バリバリと仕事や活動をしたくなるのですが、
そこは抑えめでやっています。

何事も急激に変化させるのは良くない、
ということを知っていますから。
この時期というのは、
気まぐれに半日とか数時間とか、
症状が戻ってきたりしがちですので、
フルパワーで走ると、
そのときの落差で心が複雑骨折します笑。

最初はウォーキング、
そしてジョギング、
やがてランニング、
最後は疾走、です。

この1ヶ月半の経験は、
もうすぐ支援者の方に配送する、
紙媒体の「陣内俊プレヤーレター」の、
6〜9月号にまとめましたので、
興味のある方は是非読んでいただければと思います。
このメルマガの「7」に、
支援レターの受け取り方法が載っていますので、
新たにレターを購読したいという方はご参考にしてください。


▼▼▼「スティグマ」というもの▼▼▼

「スティグマ」って聞いたことあるでしょうか?
聞いたことあるけど、
良く意味は分からずに使い続ける言葉って、
外来語にはけっこうあるのですが、
スティグマもその一つでしょう。

ここでまず定義を固めておきますと、
ある疾患や特性などに付随する、
世間からの「差別感情」とか「偏見」を意味します。

ネットに載っている定義ではこうなってます。

スティグマ:
個人のもつある属性によって、
いわれのない差別や偏見の対象となること。
語源は、ギリシャ語で肉体上の徴(しるし)を意味し、
ギリシャ人が、差別対象となる奴隷や犯罪者の身体に
烙印(stigma)を押したことによる。


、、、端的に「烙印」をギリシャ語で言ったのが、
「スティグマ」だったんですね。

、、、で、鬱病って、
「スティグマ」の対象になります。

良く「鬱は心の病」とか、
「心の風邪」とか言われますが、
これがすでにスティグマだということを、
多分多くの人が無自覚なままだ使ってると、
私は思います。

私は自分が鬱を体験し、
鬱関連の本をこれまで200冊以上読んできましたが、
そもそも「鬱」と「心」を関連付ける、
カテゴライズの時点で、
医学的な誤りだと考えます。

なぜか?

鬱の生理的な原因は脳にあることが分かっており、
それは脳内伝達物質の異常という、
器質的な変化に基礎をおいているからです。

ところが、脳というのは、
心にも作用します。
脳は言うまでもなく、
感覚、思考、運動、記憶など、
あらゆることに関わります。
その「脳の作用」のひとつが「心」と我々が呼ぶものです。

椎間板ヘルニアになると、
それが胸椎だったら手がしびれ、
場合によっては手に激痛が走ります。
腰椎ならば脚に激痛が走ります。
私も経験したことがありますが、
椎間板ヘルニアによる脚の痛みって、
大人が「痛くて泣く」ぐらい痛いです。
尿路結石症などと並んで、
「三大疼痛」に数えられるぐらい。
神経に直接起因するので、
「脚が虫歯になった」と例えられますが、
まさにそんな感じです。

ここで質問ですが、
ヘルニアは脚の病なのでしょうか?
あるいは手の病なのでしょうか?
症状は手や足に出ています。
手や足に激痛が走るのですから。

でも、ヘルニアは手や足の病ではありません。
坐骨神経という、
脊椎から各身体に向かう神経が、
圧迫されることによる症状が、
手や足に出ているだけであり、
ヘルニアは「脊椎」の病であり、
脊椎の矯正や手術が、
根治の筋道になります。

鬱の場合はどうでしょう?
鬱もまた「心に激痛」が走ります。
心がマラリアに罹患したように、
四六時中、痛みと重さを訴えます。
心はもう動きません。

しかし、
ヘルニアにおける脚の痛みが、
坐骨神経に起因するのと同じく、
鬱における心の痛みは、
脳の器質的な変化に起因します。

ヘルニアが脊椎の病であって脚の病ではないのと同じく、
鬱は脳の病であって心の病ではありません。

しかし世間では、
「鬱は心の病」という言葉がいまだに広く流通していますから、
尿管結石と同じく誰しも罹患しうる、
鬱という病気になったというだけで、
「心が病になった人」という、
「烙印」を押されるわけです。

そう、「スティグマ」ですね。

なぜこれがスティグマなのか?

脳も他の臓器と同じく、
臓器の一つです。
尿路結石やヘルニアと同じように、
それが異常を来し、
病気になることは誰にでも起こりえます。

それはその人の人格や本質とは関係ありません。
「ヘルニア経験者」だということで、
他者から特別な目で見られることはあり得ません。
見られるとしたらそう見ているその人こそ
「変な人」というのが常識です。

ところが「心」となると話が変わってきます。
心というのは「臓器」とは位相の異なる、
定義や解釈が一定ではない、
「何かしらその人の本質」と結びついた概念です。

それが「病気になった」となると、
その人が本質において、
「何かしらの欠陥を抱えている」
という誤解を招きかねない。

実は鬱病当事者も、
それを取り巻く看護者も、
この「嘘」と「誤解」を、
すっかり信じて、
「自分は心の弱い人間なんだ。
 本質において欠陥を抱えているんだ」
と思い込んでしまうことが多いのです。
本人の場合鬱の症状で、
「思考がネガティブに強く向かう」
という状態なので、
余計そう思いやすいわけです。
それこそが鬱の回復を遅らせている、
とういう事実が見落とされています。

私が、鬱病に対する
「認知行動療法」に懐疑的なのはそこです。
認知行動療法の前提って、
「鬱は心(認知)の病」ってことなんですよね。
だから「心の持ちよう」を変えれば、
治るはず、と考えている。

でも、私に言わせれば、
これって椎間板ヘルニアで苦しむ人の脚に、
鎮痛剤を塗り込むのに似ていて、
ほとんど意味はないと考えます。

もちろんこれで「治った」という人に、
とやかく言うつもりはありません。
おめでとうございます、
と思います。

でもね。

「脳」を見逃すことの怖さっていうのもあって、
がんの治療のために、
霊媒師のところにいったり、
怪しげで高価な酵素を買ったりする人っているじゃないですか。
あれと「鬱の認知行動療法」って、
あんまり変わらないと私は思ってます。
唯一効果があるとしたら、
「休んじゃいけない」というマインドから、
「休んでいい」というマインドに、
認知行動療法で変わることが出来たなら、
それは間接的には効果があると思います。

脳の器質的異常という意味の鬱に、
エビデンスのある治療というのは、
現在のところ、
1.投薬(じっさい体質によっては劇的に効きます)
2.休養
だけだからです。

認知を変えることで、
「休養」が加速するならば、
それは意味がある、ということです。

しかし、認知行動療法のアプローチの落とし穴は、
やればやるほど、
「自分の心(認知)が悪い」
という自己糾弾に陥っていくことです。
「自己糾弾」になるのは当たり前なのです。
それは鬱の症状のひとつなのですから。
そう考えているのは、
患者ではなく「患者の病」なので、
それを変えさせようとするのは、
正直「幻と戦う」ようなものです。
「坐骨神経痛の脚に絆創膏」みたいなもんですわ。

なので私は、
世間のスティグマがちょっとでもなくなったら良いなぁ、
と思って、こういうことを当事者として、
発信し続けたいと思っているわけです。

事実、
私の発信によって、
「鬱が得体の知れない恐怖」から、
「付き合うことの出来る対象」に変わった、
という声を、
今まで複数いただいてきています。

そうですよね。

公園の池にいるのが、
「ネッシーかもしれない」ときと、
「巨大なナマズ」と分かったときでは、
ずいぶん対処のしやすさが異なります。

、、、それでもまだ、
鬱が心の病だと、
どうしても思いたい人は、
ご自由にどうぞ。

もし「心の病」というものがあるとしたら、
科学や医療の証拠を無視して、
そういった「決めつけをやめられない」
ことのほうなんじゃないの?

とだけは言い返しておきますが。