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【Q】助けになった妻の言動

2020.02.11 Tuesday

第108号  2019年10月8日配信号

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■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】妻の言動

ペンネーム:ぞうママ(女性)
お住いの地域:埼玉県

Q.

陣内先生
良かった!
またメルマガを拝読できて嬉しいです。
でもお大事に。

私は陣内先生の奥様のお人柄に大変興味があります。
私も鬱の経験者ですが、鬱って家族も辛いなあ、と思います。
陣内先生が幾度となく触れている、
鬱の時、素晴らしいと感じた奥様の言動ベスト3が知りたいです。


A.

ぞうママさん、ご質問ありがとうございます。
妻の支えがなければ、
私は鬱を乗り越えることは出来なかったでしょう。

ベスト3にまとまるかどうか分かりませんが、
思いつくものを紹介していきます。


▼▼▼「休んでグッジョブ」

他でも語ってきていますが、
私は鬱症状で2013〜2015年の2年間、
何も出来なかったときがありました。

あのときはマジでひどくて、
通院もしたしカウンセリングも受けました。
カウンセラーは「4、5年かかると思った」
と後で教えてくれました。

鬱の初期というのは誰しも、
「健康バイアス」みたいなのが強く働くと思うんですよね。
正確には「正常性バイアス」という心理学用語なのですが、
人間は何かの異常に見舞われると、
それを「否認」する本能があると言われています。
大災害のとき逃げ遅れたり、
交通事故で死ぬ人の、
応急処置が遅れたりするのって、
この「正常性バイアス」によります。

つまり、私たちは、
「異常な何かが起きている」
ということを、無意識に否定する傾向があるのです。
実際には異常な何かが起きているのに。

鬱に見舞われた人ってたいてい、
「数週間単位で治る」と思います。

今は何らかの理由で、
活動が出来なくなっているだけだ。
2週間も経てばゼッタイに元に戻る、
と思うのです。
じっさいにそんなはずはないのに。

鬱は認知にダメージを与えますので、
「それが正常性バイアスである」
というメタ認知も働きません。
なので、本気でそう思う暴走を止められない。

そうすると、偏執狂的に、
鬱のときに一番やっちゃいけない、
「努力」をし始めるんですよ。
私の場合、鬱の初期に、
毎日1時間聖書を読んだり(苦しくて泣きながら)、
毎朝ジョギングしたり(つらくて泣きながら)、
とにかく何かしてないと落ち着かないけど、
何か意味のある活動をするエネルギーはないから、
ただひたすら部屋をぐるぐると歩き回ったりしました。

カウンセラーのアドバイスもあったのだけど、
その「努力」をやめることが出来たのは、
「もがく力」も燃え尽きた時でした。
スペアタイヤがパンクした、みたいな。
私は「二段階に燃え尽きた」のです。

そうすると「休む」以外のいっさいのことが出来ないので、
まぁ、当然休むしかないわけですよ。

ところがやっかいなことがあります。

鬱を患う人というのはたいてい、
真面目な性格の人が多いので、
「休む」ということに罪責感を覚えるのです。
それも、とても強く。

「世間は働いているのに俺は休んでいる。
 俺はなんて駄目な人間なのだ!」
って、ずっと思うんですよ。

そんなとき救われたのは、
妻の「今日も休めてグッジョブ」という言葉でした。
1日、生産的なことは何も出来ません。
というか、年単位で生産的なことが何もできない。

そのような1日、1日を、
働き盛りの人間が過ごすというのは、
結構な「生き地獄」だと私は思います。
人によっては「働かなくて良いなんてラッキー♪」
と思うかも知れませんが、
そもそもそういう性格の人は、
鬱になることはまずないので、
安心してください。

妻が「休むことが今のあなたの仕事。
今日もしっかり休めた。
グッジョブ!」
と毎日言ってくれたことが、
どれだけ回復を早めたか分かりません。



▼▼▼鼻歌と笑顔

私の闘病の2年間、
もし妻も辛く落ち込んでいたら、
「自分は妻を落ち込ませてしまっている!」
という罪責感に私は堪えられなかったでしょう。
社会人としてだけでなく、
夫としても失格だ。
終わってる、、、。と。

妻はじっさい、きっと辛かったと思います。
当たり前じゃないですか。
でも、病気の間、
私の前で決して辛いということを表しませんでした。
神の前にだけ表していたのでしょう。

私が寝ていると(ほとんどの時間寝ている)、
妻は隣の部屋で賛美歌の鼻歌を歌っているのです。
私が起きると、妻は笑顔でした。
これによってどれだけ救われたか分かりません。



▼▼▼俊君の分も礼拝してくる

病気になると、
「人と会う」というのが、
一番の負担になります。
少なくとも私の場合。

クリスチャンのカウンセラーからも、
「礼拝には行かない方が良い」
と早い段階で言われて、
私は2年間礼拝を休みました。

しかし、礼拝に出席しないことって、
でも罪責感を伴うじゃないですか。
「真面目なクリスチャン」じゃないような気がして。
私は毎週日曜日、妻が礼拝に行くのを見送るのですが、
「一緒に礼拝に行けなくてごめんね」とか、
「礼拝に行けない自分は駄目な人間だなぁ」
という意味のことを漏らすと妻は必ず、
「俊君の分も私が礼拝してくるから、
 俊君は家でしっかり休んでて」
と言ってくれました。

それ以来私は、
礼拝するとき、
「誰か病気の人の分も、
 私は替わりに礼拝している」
と思うようになりましたね。
妻から大切なことを学びました。



▼▼▼ナラティブと絵本

精神疾患というのは、
「ナラティブの病」とも言われます。
アルコール依存症、統合失調症などは、
「物語」が引き起こす、という考え方で、
近年「ナラティブセラピー」という形で注目されています。

私は自分の経験から、
「個人」に基礎をおく「認知行動療法」よりも、
「社会・関係・家族」に基礎をおく、
ナラティブセラピーのほうが、
東洋文化の日本人には合っている、
と考えるようになりました。

、、、興味がある人は、
医学書院から出版されている、
『物語としてのケア ナラティブアプローチの世界へ』
という本が非常に良い入門書ですので、
参照してみてください。

▼参考図書『物語としてのケア』
http://amzn.asia/5pSpL8x

、、、で、
妻もこのナラティブアプローチを学んでくれて、
それを具体化してくれたのが、
療養中に描いてくれた、
オリジナルの絵本でした。

そこには「うつき」というキャラクターが登場して、
私を「虐めたり」するのですが、
妻がまずそのうつきと和解し、
私自身も受け入れ和解し、
これからは3人で仲良く生きていこう、
というような筋書きです。
回復期に、続編も描いてくれて、
そこでは「うつき」は、
私を休ませるという役割を終え、
自分の星に旅立っていくのでした、、、
という結末になります。

精神疾患の一番危ないのは、
「自分=病気」と、
本人が勘違いしてしまうことです。
そうすると病気を退治したいのに、
自分を退治してしまう。

そこで大切なのが、
「病気の外在化」と言われるプロセスです。
自分は病気そのものではない。
今自分がこう考えているのは、
病気の作用であって、
自分自身がこう考えているのではない、
という線引きが出来るかどうかで、
そのあとの予後がかなり違ってきます。

この絵本は、
「病気の外在化」のプロセスの助けになりました。
自分と病気を癒着させるのではなく、
切り離し、病気を乗り越える対象や、
歓迎せざる害悪や、
解決しなければいけない問題と見なすのではなく、
「必要なことを伝えに来たメッセンジャー」
として認識し、
そして病気と「和解」する契機を与えてくれたのが、
この絵本でした。


▼▼▼記録

あと、闘病の2年、
妻は「育児ノート」のような形で、
毎日私の体調、言動、食欲などを、
事細かにノートに記録してくれていました。

病気の時って、
自分が先月と比べてどうなったかなんて、
把握できません。
認知がダメージを受けているので、
「乾燥機でぐるぐる回りながら、
 自分の位置を把握する」
みたいな感じなので、
悪化しているのか良くなってるのか、
それとも平行線なのか、
それが分からないわけです。

「どんどん悪くなっていく。もうダメだ」
「もう半年も休んでるのに何も回復してない。
 きっと一生このまま廃人になるんだ」
という絶望的な気持ちになったとき、
妻がノートを見て、
「3ヶ月前はこんなことが出来なかったのに、
 今はこういうことが出来るようになっている。
 ちゃんと回復してるよ」
と教えてくれるわけです。

ノートがあるおかげで、
私の体調が悪くなる兆候とか、
良くなる兆候とかも把握してくれている。
すごいとしか言えませんね。


▼▼▼「励ましの手紙やメール」を、回復後に教えてくれる

2年間の療養中は本当に、
真っ暗な牢獄に閉じ込められていたような状態で、
外界との連絡を遮断していました。

入力も出力も出来ない。
「誰それがああした、こうした」
レベルの話も「聞こえる」と、
「自分は何も出来ない。
 置いてけぼりだ」
と思って絶望するので、
知ることも辛い。

誰かが自分に対して発するメッセージも、
たとえそれが励ましの言葉であっても、
受け取ることの出来る状態ではありませんでした。
「自分はその励ましに値しない。
 どうか自分のことなんて忘れてほしい」
という気持ちにとらわれていましたから。

なしのつぶてだと本当に心配させるし、
迷惑かけることもよく分かりますので、
必要な連絡は、
妻に頼みました。
「今体調が悪いので、、」
といろんな人に説明してもらっていました。

そうすると、
励ましのメッセージとかって、
いろんな形でやってきます。
2年間分の、そういった、
励ましの言葉を、
妻はストックしてくれていて、
私が回復してそれらを
受け止めることが出来るようになった頃に、
「実はあの人からもこういう言葉をもらってた」
というようなことを教えてくれました。

結構たくさんあげてしまいましたが、
まぁ、妻はすごい人なのです。
妻のおかげで私は働けています。
ありがたいことです。

私は世界一恵まれた男だと思いますし、
私の娘はすばらしい母親に恵まれて、
ラッキーだと思えよ、
と心で思っています。
俺もああいう母親に育てられたかった、
と思いますから。

あ、別に自分の母親をディスってるのではなく。
母親は母親なりに、
これ以上なく私を愛してくれたのですから。