陣内俊の読むラジオ archive
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アーカイブページをnoteに引っ越しました。
500円のマガジンを購入いただくことで、
シーズン3の過去記事のすべてをお読みいただけます。
是非ご利用ください!
1本10円未...
当サイトを楽しんでくださったすべての皆様へ。
2020年12月から始まったシーズン3から、
アーカイブページをnoteに引っ越しました。
500円のマガジンを購入いただくことで、
シーズン3の過去記事のすべてをお読みいただけます。
是非ご利用ください!
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陣内俊
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大切なお知らせ
2021-03-15T11:36:36+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(3〜1位)
第120号(最終号) 2019年12月31日配信号
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■3 2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(3〜1位)
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Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりまし...
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■3 2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(3〜1位)
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Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車やバスや新幹線で、本を読む代わりに、
タブレットで映画を観るようになって、
飛躍的に映画を観る本数が増えました。
映画は小説と同じで「他人の靴を履いて人生を歩く」、
という「疑似体験」を与えてくれます。
本と同じくランキングはあまり好きじゃないので、
年に一度だけの特別企画です。
「今年読んだ本」と同じく、
前編で10位〜8位、中編で7位〜4位、後編でベスト3を紹介します。
皆様の映画選びのお役に立てれば幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●第3位 ワンダー 君は太陽
鑑賞した日:2019年8月10日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(399円)
監督:スティーブン・チョボルスキー
主演:ジュリア・ロバーツ他
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/FHfpvpT9
▼140文字ブリーフィング:
こちらは凄い映画でした。
遺伝的に「顔が変形している」主人公オギーを巡る物語です。
ただの「障害者」によるお涙ちょうだい映画だと思って鑑賞すると、
吹っ飛ばされます。
「障害」をめぐり、
本人の視点、姉の視点、本人の友達の視点など、
複眼的に同じ出来事を追っていく構成になっている、
「ナラティブアプローチ」の話なのです。
「よにでしセミナー」で養われる、
「複眼的視角」「批判的思考力」などを、
この映画を観ることで養うことができます。
そして最後のシーンは、
普通に涙を流して泣きました。
(235文字)
●第2位 トイストーリー4
鑑賞した日:2019年11月9日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:ジョッシュ・クーリー
主演:トム・ハンクス
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/sTAkrkY2
▼140文字ブリーフィング:
こちらもヤバイぐらい面白かったです。
見た後にずっと考えてしまう。
「ピクサー脚本、どんだけすげーんだ」
と、ため息がでます。
『トイ・ストーリー』って、
バズとウッディというおもちゃの話でもなければ、
子ども時代のおもちゃって懐かしいよね、
というような話でもありません。
バズとウッディというのは、「比喩」なのです。
何の比喩かというと、
「子育て中の親」であり、
「消費者に飽きられない努力をするクリエイター」であり、
「事業環境の変化に変化を迫られる労働者」の比喩です。
見る人によって見え方は違いますが、
本作では「親」としてのウッディの側面が、
非常に強く出ました。
「空の巣症候群」という言葉があります。
子どもが大学生になったり社会人になり、
自分の家を離れて独り立ちしていくとき、
子どもを育て終わった夫婦は、
「やけに広くなった家」に戸惑う、
という状態です。
そのときというのは多くの夫婦はちょうど、
「中年の危機」と呼ばれるライフステージとも重なっていて、
「自分たちは誰からも必要とされないのでは?」
「さて、私たちはこれからどうやって生きていけば?」
という「虚空に投げ出されたような」状態になる。
その「魂の危機」を、どうやって切り抜け、
そして未来を拓いていくことができるのか?
というのは古くから文学のテーマにもなってきた大問題です。
トイストーリー4を見るとき、
それを追体験し、
説教くさくない形で、
そのヒントをつかむことができるようになっている。
分厚い思想書を読むより、
もしかしたら濃密な学びになるかもしれません。
動画でも解説しましたので興味あるかたはこちらをクリック↓
https://youtu.be/llK5hyxx0SQ
(701文字)
●第1位 ジョーカー
鑑賞した日:2019年10月30日
鑑賞した方法:TOHOシネマズ新宿にて鑑賞(1900円)
監督:トッド・フィリップス
主演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ他
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
▼140文字ブリーフィング:
予測できていたと思いますが、
注目の第一位は『ジョーカー』です。
この映画は、見終わった後、
ずっとこのことについて考えてしまう映画でした。
ジョーカーはピエロのメイクをしていますが、
ピエロって口は笑っているメイクなのに、
片方の目に涙を描くじゃないですか。
あれって、「人を笑わせるピエロが、
近くで良ーく見ると、実は泣いている」
っていう意味なんですよね。
つまり「両義的」なのです。
「笑い」と「涙」なんですよ。
この両義性が、
社会全体であったり、
人の人生であったり、
「正義とは何か」であったり、
そういった現代世界の諸々を、
「批判する」という上で、
非常にうまく働くんですよね。
ここでいう「批判」はちなみに、
英語の「クリティカル・シンキング」の「批判」であって、
日本語における「非難」と混同される意味の批判ではありません。
あれは誤用なのですが、誤用が多数派になると、
言葉そのものの意味も変わるので、
批判は非難の意味に飲み込まれるようになるのかもしれません。
まぁ、「批判」という概念自体が、
日本語にするのが難しいという事情もありますが。
いずれにせよ「批判」は大切です。
「批判なき選挙・批判なき政治」という、
信じられないキャッチフレーズを選挙に使った、
自民党の某議員がいますが
「批判」なくして社会の前進はないのです。
「批判なき政治」って、
「それは独裁ってこと?」ってなりますからね。
話がそれました。
とにかく『ジョーカー』は、
笑っていながら泣いている、
というメイクからして、
「批判的」に働くのです。
社会の「トリックスター」として存在することで、
社会全体を批判的に眺めるための、
「装置」になっている。
本作中でも語られる、
チャップリンの名言に、
「人生はクローズアップでは悲劇だが、
遠くから眺めると喜劇だ」
というのがあります。
それぞれの人生の苦悩や辛酸というのは、
主観的には悲劇なのですが、
それを遠くから見る人からは、
喜劇に見える。
それは「分断の時代」といわれる現代社会に生きる、
私たち一人ひとりのことでもある。
苦悩と辛酸を舐める他者を、
ネットで「自己責任」と揶揄する我々は、
他者の悲劇を喜劇として消費する側にもなり得る。
この映画は見る私たちに、
そのような事実を突きつけるようになっている。
だから、ずっと考えちゃう。
そういう映画でした。
こちらも解説動画をアップしてますので、
興味がある人はこちらをクリック↓
https://youtu.be/1JS8HGYhI_U
(1,009文字)
●番外編
ここからは、惜しくもベスト10入りを逃した、
それでもかなり面白かった本を紹介していきます。
文字数が際限なく膨らむのを防ぐため、
こちらは有名無実と化している「140文字」の制約を、
きっちり守りつつ。
●アリー スター誕生
鑑賞した日:2019年7月13日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:ブラッドリー・クーパー
主演:ブラッドリー・クーパー、レディ・ガガ
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/v_cEChzph
▼140文字ブリーフィング:
普通に泣きました。
歌手のレディ・ガガが「演技」で、
俳優のブラッドリー・クーパーが「歌」で、
観客を魅了するというねじれ構造が素晴らしかった。
エンタテインメントという意味では同じですが、
それぞれアウェイで闘うという緊張感が、
映画全体に良い「ゆらぎ」を与えていた気がします。
(134文字)
●万引き家族
鑑賞した日:2019年4月6日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)
監督:是枝裕和
主演:リリー・フランキー、樹木希林、松岡茉優、安藤サクラ他
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://rebrand.ly/539b0
▼140文字ブリーフィング:
「伝統的家族像」ではもはや、
家族というものを維持できなくなってきている、
多様化する現代社会に、
どうすれば「家族」をそれでも構築できるのか?
という問題設定を是枝監督ってずっとし続けてるんですよね。
本作はその集大成という感じでした。
安藤サクラの涙が、その答えになっていると思うし。
(138文字)
●シッコ
鑑賞した日:2019年4月10日(インドへの飛行機の中)
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:マイケル・ムーア
主演:マイケル・ムーア(ドキュメンタリー)
公開年・国:2007年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2Z6qt2v
▼140文字ブリーフィング:
米国の医療制度の矛盾がよく分かります。
マイケル・ムーアって天才かも、って思います。
社会問題のことを、
こんなにもエンタテインメントとして面白く語れる人は、
ほかにいないんじゃないかと。
彼のヒップホップ的サンプリング手法は、
名人の域に達しています。
最近見た『華氏911』も最高でしたし。
(140文字)
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陣内が観た映画ベスト10
2020-05-05T09:23:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(3〜1位)
第120号(最終号) 2019年12月31日配信号
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■2 2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(3〜1位)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられ...
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■2 2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(3〜1位)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜8位まで、
中編は7位〜4位まで、
後編はベスト3のカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●第3位 遅刻してくれてありがとう 常識が通じない時代の生き方(上・下)
読了した日:2019年2月4日
読んだ方法:Amazonで電子書籍購入
著者:トーマス・フリードマン
出版年:2018年
出版社:日本経済新聞社
リンク:
http://amzn.asia/d/7GBnUZJ
▼140文字ブリーフィング:
本書はある方から勧めていただき、
Kindleで電子書籍を購入して読みました。
2018年にタイに行ったときに読んでた記憶があるので、
足かけ2年にわたってちびちびスルメを味わうように読んだ本です。
著者のトーマス・フリードマンは、
「フラット化する世界」を書いたことで有名な、
ピューリッツァー賞を3度も受賞している文筆家です。
知の巨人ですね。「アメリカ版・立花隆」と考えてもらって、
だいたい間違ってないんじゃないかな。
本書をひとことで定義するのは非常に難しいのですが、
「現代という時代」についての長大なエッセイ、
と考えてもらってかまわない、
と著者は本書のなかで述べています。
「今後5年から10年、
アイディアの『核』となりそうだぞ」
という着想をいくつも私は本書から得ました。
そのなかからいくつかご紹介しす。
まず前提として著者は、
現代を「加速の時代」と定義します。
そして加速の時代には、
「(これまでの)常識が通じない」と。
これが本書サブタイトルになっています。
→位置No.56
〈かつて、ドイツの金属加工職人で
印刷業者のヨハネス・グーテンベルクは、
ヨーロッパで革命的な印刷技術を発明し、
それが宗教改革への道を拓いたが、
それ以降、現在の状況に匹敵するほどの
事態はなかったと言えるだろう。
地球上の3つの大きな力
――テクノロジー、グローバリゼーション、気候変動――が、
いまはすべて同時に加速している。
その結果、私たちの社会、職場、
地政学的要素が変容しつつあり、
新しく捉え直す必要が生じている。〉
、、、何が現代をして、
「加速の時代」たらしめているのか?
それは、
・テクノロジー
・グローバリゼーション
・気候変動
この3つが同時に加速しているからだ、
と著者は言っています。
そしてその変化というのは、
「グーテンベルク以来の衝撃」なのだと。
そのような時代にそれでは、
私たちはどのように生きれば良いのか?
まず「安定とは何か?」の、
コンセプトが変わるだろう、
と著者は言います。
→位置No.699
〈テラーによれば、
イノベーションのサイクルがますます短くなり、
適応の時間がますます減るなかで、
私たちが今経験しているのは要するに
「絶え間ない不安定と、たまの不安定の違いだ」。
静止した安定の時代は過去のものだ、
とテラーは付け加えた。
だからといって、
新たなかたちの安定が得られないわけではないが、
「あらたなかたちの安定は、
動的な安定にならざるを得ない。
自転車に乗っているときのように、
じっと立っていることは出来ないが、
動き出せばかなり楽になる安定のかたちがいろいろある。
私たちにとって自然な状態とは言えない。
しかし、人類はそういう状態の中で存在することを、
学ばなければならない」。
私たちはみんな、
自転車に乗るコツを覚えなければならない。
テラーはいう。
それができたら
「曲がりなりにも私たちはまた平静になるだろうが、
それにはかなり再学習が必要だろう。
いまの私たちが、
子どもに動的安定の訓練を
施していないことは明らかだ」。〉
、、、「加速の時代」の安定は、
これまで私たちが考えてきた安定ではないのです。
社会全体が安定しているときの安定は、
「静的(スタティック)な安定」です。
つまり、頑丈でどでかいビルを建て、
その中に守られていることをもって、
「安定」と我々は呼んできたし、
ここでも指摘されているように、
いまだに私たちは子どもたちに、
「静的な安定こそが安定だよ」と、
教え続けているのです。
それはつまり、
「良い大学を出れば安心」
「大きな会社に入れば安心」
「公務員になれば安心」
みたいなやつです。
しかし、
社会全体が不安定な現代では、
本当の安定とは、
「動的(ダイナミック)な安定」
にならざるをえない、
とここで指摘されています。
逆に「静的安定」は「停滞という最大のリスク」になる。
「どでかいビル」はそれ自体が不良債権化するかもしれないし、
「ビルごと倒壊」するかもしれない時代なのです。
「動的安定」とはそれでは、一体何なのか?
それはつまり、自転車をこぎ続けているような安定です。
漕いで進んでいる自転車は、
「静止画では不安定だが動画では安定している」のです。
これからの時代を生きる私たちは、
「自転車のこぎ方を学ばなければならない」。
このアイディアは、
私自身の生き方にとっても、
とても大切なアイディアであり続けています。
では、そのような時代に、
「仕事」はどう変わるのか?
著者は、「仕事は探すもの」から、
「仕事は作るもの」になるだろう、
といいます。
→位置No.5423
〈だから私はいつも娘たちに言い聞かせる。
私が大学を卒業したときには、
職を探さなければならなかった
――それをもう40年近く続けてきた。
でも、これからは、娘たちは職を作り出さなければならない。
そして、変化のサイクルのたびに、創り続けなければならない。〉
、、、オックスフォード大学の、
「消滅する仕事ランキング」の話をするまでもなく、
今後30年で、仕事を巡る環境は激変します。
今の子どもたちは、
「仕事を選べない」のです。
「仕事を選んでいられない」
という意味ではありません。
そうではなく、
別の理由で「選択」が不可能なのです。
なぜか?
彼らは、
彼らの多くが将来就く仕事の名前を、
今はまだ知らないからです。
彼らが大人になったときに就く仕事の多くは、
現在、まだ存在すらしていないのです。
30年後の彼らは、
私たちが今はまだ耳にしたことのない職業に
就いているいる可能性が高いとフリードマンは言います。
200年前の社会人が、
現代の私たちの職業を予想できなかったのと同じように。
「どんな仕事に就きたい?」
はだから、
「大人がしてはいけない子どもへの愚かな質問」
だとフリードマンは言います。
では正しい質問は何か?
「大人になったらどんなふうになるか?」
「大好きなことは何か?」
「大好きなことを生産的にするのに、
どうするつもりか?」
私たちは子どもにこう問うべきなのです。
彼らは自分たちがこれからする仕事を、
「選ぶ」のではなく「創る」必要があるからです。
本書の構成はユニークで、
上巻では今挙げたような、
激変する「加速の時代」に、
私たちはどのように生きるか、
という示唆が続きますが、
下巻の8割ぐらいは、
著者が生まれ育ったミネアポリスの、
セントルイスパークの話になります。
未来の話をしていたかと思うと、
突然「過去の話」になるのです。
そして、彼は、
「多元的共存を実現するコミュニティ」が、
どれほど大切か、という結論に着地します。
現代のアメリカは危機に立っている。
それを救済するのは、
猛々しいナショナリズムでもなければ、
ユートピア的な社会主義でもない。
そのどちらでもなく、
「足腰の強い中間共同体」が必要なのだと著者は言います。
そのような中間共同体たるコミュニティが、
「多元的共存」を実現する。
多元的共存から人は新たなアイディアを生む、
というのは歴史の必然であり、
そこから私たちは前進していくのだ、
というのが著者のメッセージです。
トランプでもサンダースでもないんだよ。
ようはコミュニティだよ、バーカ、
ってことです。
私も賛成します。
引用します。
→位置No.5075
〈だが、トランプが就任式で述べたディストピア演説は、
そういう実像とはかけ離れていた。
トランプは、アメリカは膨大な
“大虐殺”に捕らえられた国だと表現した
――「錆び付いた工場が墓石のように散らばっている」光景が、
強権を振るう男を求め、
”アメリカ・ファースト”の方針の下、
盗まれた雇用を国際社会から取り戻せと叫んでいるのだ、と。
あまりにもショッキングな演説だったので、
就任式の舞台にいたジョージ・W・ブッシュ元大統領が
周囲の人間に「ほんとうに不気味なたわごとだ」と
ささやいたと伝えられている。
ブッシュに同感だ。
アメリカでコミュニティの没落が
蔓延しているというトランプの意見は正しい。
しかし、繁栄しているコミュニティも豊富に存在することを、
トランプは見落としている
――ワシントンDCで強権を振るう人間のおかげではなく、
地元レベルに強力な指導者がいるからだ。
それだけではなく、アメリカが、
東海岸および西海岸
(勃興し、現代化し、多元的共存を実現し、
グローバル化している)と、
そのあいだの内陸部
(雇用が消滅し、薬物中毒がはびこり、
トランプに1950年代に戻してもらうことをだれもが期待している)に
分断されている国だという突拍子もない考えは、
まったくの的外れだ。
私はアメリカ各地を旅した観点から、
大きな分断は東西海岸と内陸部の間にあるのではないと断言する。
分断は、強力なコミュニティと弱いコミュニティの間にある。
東海岸にも西海岸にも弱いコミュニティはあり、
アパラチアにも栄えているコミュニティはある。
その逆のことも言える。
大事なのはコミュニティだ、馬鹿だな
――地理じゃあない(It's the economy, stupidのもじり)。
セントルイスパークとミネアポリスは、
たまたま私が知っている場所なので、
本書で大きく取り上げた。
だが、ここ数年の旅で、
ほかにも数多くの繁栄している地方があることを、
私は知った。
だから、その裏付けを取るために、
2017年5月、私はアメリカ内陸部を4日かけて車で旅行した
――インディアナ州オースティンからはじめて、
ケンタッキー州ルイビルへと南下し、
アパラチアのくねくねとした道路を走って、
最後にはテネシー州のオークリッジ国立研究所まで行った。
この旅行をもとに、
私は《ニューヨーク・タイムズ》に長いコラムを書き、
現在のアメリカには栄えているコミュニティと
落ち目のコミュニティが、
不規則な模様をなして混在していると力説した。
*"It's the economy, stupid"
(日本語訳:ようは経済だ、バーカ)は、
アメリカ合衆国の政治において
ビル・クリントンがジョージ・H・W・ブッシュに対して
勝利を収めた1992年アメリカ合衆国大統領選挙の最中、
広く使われた言い回しである。〉
(3,917文字)
●第2位 衰退の法則 日本企業を蝕むサイレントキラーの正体
読了した日:2019年3月20日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:小城武彦
出版年:2017年
出版社:東洋経済新報社
リンク:
https://goo.gl/GwQxjK
▼140文字ブリーフィング:
産業再生機構に勤務していた著者が、
「破綻する日本企業には、類似点が多い」
という問題意識を検証するために
東大大学院に入り直して博士論文を書いたものを
一般向けにリライトしたのが本書になります。
これがすこぶる面白くって、
丸山眞男の「たこつぼ」の概念を、
さらに一歩踏み込んで、
そのメカニズムにまで立ち入り、
その自己理解を一歩進めた感じの内容です。
「組織」に興味がある人は必読です。
本書は企業に関しての分析ですが、
教会もまた組織という一面をもちますので、
教会運営にも非常に参考になるはずです。
どういうことか?
「日本人が複数集まるとこうなりがち」
という「クセ」があるんです。
それは文化的要因に根ざしているので、
一般企業でも教会でもその傾向は類似しています。
ではその「クセ」を補強し、補完し、
なるべくそのマイナス面を打ち消しつつ、
プラス面が発揮されるように、
どのような介入を行えば良いか、
というのが本書の内容になっています。
これには「事業環境の激変」という、
大きな外部要因があるんです。
日本の組織が陥りがちな「クセ」っていうのは、
「事業環境が安定した状態」では、
けっこうメリットになることも多かった。
しかし事業環境が激変するとき、
その「クセ」はマイナスにしか作用しない。
そういう感じです。
運動会の種目が「綱引き」のときは、
相撲取りは有利なのですが、
種目が変わって「平均台渡り」になると、
相撲取りは不利です。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代の日本企業って、
相撲とりっぽいんですよね。
「やることが決まっていて、
それをいかに効率化するか」
ということにおいて、日本は実際世界一だったのです。
ところが現代社会は、
「そもそもやることが決まっておらず、
昨日の成功は今日、忘れなければならない。
日々、何か新しいことを
生み出していかなければならない」
という状況になると、
その「強み」が今度は「弱み」になる。
こういうことが同時多発的に起きているのが、
過去20年の日本の経済停滞の正体なのです。
ほら。
教会にも関係あると思うでしょ。
めちゃくちゃたくさんメモしたので、
網羅的に説明することはここではあきらめます。
たとえば「意志決定」ひとつを取り上げましょう。
日本型破綻企業の意思決定の特徴は、
それが「予定調和的」だということです。
引用します。
→P73〜74
〈以上が破綻企業に共通する意思決定プロセスの特徴である。
破綻企業の取締役会や経営会議は、
1.侃々諤々の議論、
「ガチンコの議論」が行われることはなく、
2.役職上位者や有力者の意見に過度に同調する傾向が見られ、
3.全会一致で決議されるのが通例であり、
4.出席者間に暗黙の相互不可侵の合意が存在するため、
部分最適の議論が大半を占めている。また、
5.対立を生じさせかねないPDCAは巧みに回避されている。
破綻企業の経営陣の意思決定プロセスには、
こうした「予定調和的色彩」がきわめて強く表出している。
こうした意思決定プロセスが、
後に破綻企業にとって
致命的なダメージを与えることになるのである。〉
、、、いかがでしょう?
日本で3年以上社会人をしている人で、
上記1〜5に心当たりがない、
という人は皆無なのではないでしょうか?
そして、このような組織文化の、
「できるヤツ」は、
今の時代に本当に必要な、「できるヤツ」と、
かなり違ってくると著者は分析します。
再び引用します。
→P77〜78
〈インタビューを通して、
浮かび上がってきた破綻企業の
「できるヤツ」の条件は、次の三つである。
1.自分の意見を控え、経営陣、
特に有力者の考えを忖度し、
その実現に向けて社内を調整する能力が高いこと
2.派閥・学閥・本流部門など、
強い政治良くを有する集団に所属すること
3.出過ぎず、気が利くこと〉
、、、どうでしょう。
「こういう人が出世する組織は破綻する」
と著者は言っています。
ではどんな組織が生き残るのか?
この逆です。
トップに対しても正論を言える人、
「波風を立てでも」必要な施策を主張できる人、
派閥、学閥などの政治に「興味ない」人、
そういったこと抜きに本当に大切なことを敢行できる人、
空気をあえて読まず、必要なことを発言できる人。
こういう人が評価される組織文化がある企業は、
不景気の中でも確実に業績を伸ばしている、
と著者は分析していきます。
そんな文化を創るにはどうすれば良いのか?
それは大企業と中小企業で違うのですが、
それぞれに具体的な提言を著者は続けます。
めちゃくちゃ面白そうでしょ?
この先が聞きたい人は、
お手数ですが私に直接聞きに来てください。
ここでは残念ながら文字数オーバーです。
(1,875文字)
●第1位 神は何のために動物を造ったのか 動物の権利の神学
読了した日:2019年3月29日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:アンドリュー・リンゼイ
出版年:2001年
出版社:教文館
リンク:
https://goo.gl/ygiKHH
▼140文字ブリーフィング:
いよいよ注目の第一です。
これは、3月に本書を読み終わった時点で、
もうすでに決まっていました。
「これが今年の本、第一位だ」と。
著者はイギリスの神学者、
アンドリュー・リンゼイという人です。
日本語の題名は「神は何のために、、、」ですが、
英語原題はズバリ、
「Animal Theology (動物神学)」です。
3年前から私は帝京科学大学の非常勤講師をしています。
とは言っても年に2度の特別講義(とレポート採点)をするだけで、
収入も単発のアルバイト程度(かそれ以下)なのですが、
私にとってその収入以上に魅力的なのが、
「教えるからには学ばねばならない」
という状況に自分が置かれ、
この分野の自分の知識の地平線が広がり続けていることです。
これは「換金不能」な価値です。
どういうことか?
私が担当している講座の名前は、
「動物国際事情」です。
私は獣医師であり、
加えてNGOの活動で海外の社会について知っている、
という二つの要素を持つ珍しい人間なので、
その私に是非、という形で、
同大学の教授をしている知り合いの方が、
私に依頼してくださったのが、
私がこの授業を担当するようになったきっかけでした。
そんで、
昨今の大学というのは、
授業の組み合わせがテトリスよりも複雑なんですよね。
授業を構成している教授陣ですら、
すべてを把握出来ないほど複雑になっている。
講師にとってそれが何を意味するかというと、
「前期と後期」および、
「去年と今年」で、
毎回、すべての学生が入れ替わるとは限らない、
ということが起きます。
そうすると講師は、「毎回違う話をする」
必要が生じる。
もちろん同じ授業なのですから、
同じことを話しても良いのですが、
私は大学生のとき、
「この先生、もう30年ぐらい、
同じ教科書を使って、
同じ授業用のノートを使って、
そして90分間それを読み上げる、
という授業をしてるんだろうなー」
という先生が何人かいて、
その授業がすこぶる退屈でした。
「これだったら自習してた方がいいわ」と。
逆に楽しい授業というのは、
その先生自身が、
その授業の内容に対して熱を帯びている授業でした。
その先生自身が「発見する喜び」に満ちていて、
知的好奇心が発露している。
そんな授業はワクワクしました。
願わくば私も、
後者でありたいわけじゃないですか。
なので毎回、
自分なりにこのテーマについて、
新しく何か発見した状態で臨みたい、
と思いまして、この三年ほど、
「動物」「世界」「思想」といったキーワードの本を、
定期的に読み続けています。
さらにこの授業は、
ほぼ100%キリスト教徒ではない学生たちに、
「聖書の言葉を使わずに、
聖書的世界観を伝える」
というまたとないチャンスでもある。
私にとってこれらの「制約」が、
とてつもなく知的なメリットをもたらしてくれるわけです。
、、、という前置きが長くなりましたが、
先ほどと同じ理由で、
到底網羅的に説明できるボリュームではありませんので、
ここでは目次を紹介して本書の概要を、
なんとなくつかんでいただくと同時に、
特に印象的だった箇所を2箇所抜粋して解説するにとどめます。
【目次】
第一部 神学的原理の確立
第1章 畏敬、責任そして権利 P20
第2章 弱者の道徳的優先権 P64
第3章 僕の種としての人間 P93
第4章 動物のための解放の神学 P122
第5章 動物の権利と寄生的本質 P145
第二部 倫理的習慣に挑戦する
第6章 非神的犠牲としての動物実験 P174
第7章 反福音的捕食としての狩猟 P205
第8章 聖書的理想としての菜食主義 P223
第9章 動物の奴隷化としての遺伝工学 P243
、、、本書のような著作が出版されることからも分かるように、
今でこそその潮流は変わりつつありますが、
キリスト教会はその2000年の歴史のなかで、
お世辞にも「動物を大切にしてきた」とは言えません。
むしろその逆で、「聖書」を盾に、
動物を人間の意のままにするということのほうを、
むしろ推し進めてきた。
これは聖書を盾に奴隷制度を肯定してきた歴史と同じで、
聖書自体は動物は人間のために存在する、
という人間中心主義を肯定していません。
リンゼイが後に言うように、
むしろ人間は動物に奉仕する事が、
神のご性質を表すことなのに。
ではその「歪んだ人間中心主義」の、
思想的源流はどこにあるか?
3人の重要人物がいます。
アリストテレス、
アウグスティヌス、
トマス・アクィナスです。
引用しましょう。
→P37〜39
〈もしもこの見解の哲学的基礎を求めるなら、
アリストテレスがその源であるということを発見しても
我々は驚かないかもしれない。
「ある物を、それが造られている
目的のために使うことは罪ではない」
とアクィナスは答える。
「さて、事物の秩序は、不完全なものは
完全なもののためにあるように造られている。
それは創造の過程においても、
自然は不自然から完全に進む・・・
それゆえに、動物の善のために植物を使うこと、
人間の善のために動物を使うことは律法に反することではない。
アリストテレスが言うように」。
動物に関するトマスの思想において支配的なのは、
自然の「事物の秩序」に訴えることである。
この解釈は聖書に言及することによって強化されるが、
あくまでもそれは結果論的、第二義的にでしかない。
アクィナスは、人間のために
食物を与えることに関心を持つ
創世記1:29と9:3を引用するが、
アリストテレスとアウグスティヌスにしたがって、
自然の摂理的計画であるとする。
前に挙げた三つの反対に対して、
アクィナスは次のように簡単に答える。
最初の反対――神は存在する全ての生物を
保とうとされていること――にたいして、
アクィナスは次のように主張する。
「動物と植物への神の支配は彼らのためではなく、
人間のために保持されている」。
それゆえに、
「アウグスティヌスが言っているように
・・・彼らの命も死も我々の使用の支配下にある」。
第二の反対――命は人間と動物に共通である
――という反対に対して、
アクィナスはほとんどまったくアリストテレスから
取られたような文で答える。
文全体を引用する価値がある。
「物言えぬ動物と植物は
運動を引き起こす理性的生活を欠いている。
彼らは言わば自然の衝動によって動かされている。
それは彼らが生まれながらにして奴隷化されており、
他者の使用に供されるという印なのである。」
第三番目の反対――他人の牛を殺すことは
モーセの律法に反するという反対――にたいして、
アクィナスは次のように答える。
旧約聖書において議論されているのは
人間の所有物として考えられている牛の命だけである。
他人の牛を殺す行為は
「殺害の罪の類いではなく、盗みの罪である」。
要約。
三つの要素が動物の生命の地位に対する
アクィナスの見解を特徴付ける。
第一、動物は非理性的であり、
心も精神も所有していない。
第二、彼らは彼ら自身の本質と神的摂理によって
人間の目的に仕えるべく存在する。
第三、彼らはそれ故に彼ら自身の中に
道徳的地位を持っていない。
何らかの人間的利益が関与すれば
――たとえば、人間の所有物として――別である。
(中略)
彼は『神学大全』のなかで議論している。
「神の摂理によって、
動物は自然の秩序の中で人間の使用のために意図されている。
ゆえに、人間が動物を殺したり、
またはどんな他の方法であっても
使用するのは悪いことではない」。〉
、、、トマス・アクィナスの『神学大全』の影響力は絶大で、
西洋キリスト教社会全体が、
この「低次の被造物である動物は、
高次の被造物である人間の益のために存在する」
という思想に基づき社会を構築してきました。
私が嫌悪する「スポーツハンティング」などは、
その思想を煮染めたようなものです。
しかし、リンゼイはそのような考え方に異を唱えます。
人間には「人権」がある。
それが黒人奴隷にもあることを西洋社会が発見したのは、
ほんの200年ほど前のことです。
それから200年経ち、私たちは
その「権利の環」を動物にも広げるまでに、
成熟すべきなのではないか?
それが「僕であるキリスト」に、
似せられていく道なのではないのか?
人間でいうところの「人権」を、
著者は動物では「神ー権」と表現しました。
引用しましょう。
→P56〜57
〈それゆえに、私は次のことを提案したい。
すなわち動物の「神ー権」(theo-rights)という
私の用語の土台となるキリスト教的基盤が存在し、
それは畏敬と責任という同じ考えに通じるものであるが、
これは伝統が今よりよい時代に結合したものである。
この提案の中心には、
我々は創造にたいする神中心の考えが必要であるという確信がある。
これには4つの側面があるが簡単な説明が必要であろう。
まず最初は、被造物は神のために存在するということである。
もし、「被造物はなんのためにあるのか」、
あるいは、「なぜ動物は存在するのか」
という質問がなされるとすれば、
満足すべき答えはたった一つだけである。
被造物はその創造者のために存在する。
人間中心主義が長い間続いたために、
この単純で、しかも根本的な点が
ほとんどまったく曖昧になってしまっているのである。
以上から帰結することは、
動物は人間の目的としてだけ
見られてはならないということである。
この神学を把握するカギは、
一般的になってしまっているが、
しかも大変間違っている見解、
すなわち、動物は人間との関係において
まったく手段的存在であるという見解を捨てることである。
人間は被造物の中では独特の重要さを持っているが、
そのことから、被造物の中の全てのものは
我々のために造られたとか、
我々を喜ばすためにあるとか、
我々の楽しみこそ
神の主要な関心事であるとかいうようなことには帰結しない。
我々は神の主要な関心について
絶対的な主張をすることに慎重である必要がある。
この点がジェイムズ・ガスタフソンによって明確に指摘されている。
「神は『人間の味方である』としても、
神は創造の主要な目的として
人間に味方しているのではないかもしれない。
神の主要な目的は人間の救いではないかもしれないのである」。〉
、、、「人間中心主義」というレンズで、
聖書を読むことを私たちはやめる時期に来ています。
そのとき、世界は本当の意味で「変わり」ます。
「白人中心主義」というレンズで聖書を読むことをやめたとき、
世界が本当に変わったように。
動物が人間のために存在するのではない、
人間は動物にむしろ仕えるべきだ、
という、著者の「仕える種」としてのビジョンに、
私も強く賛同します。
著者が引用している、
チャールズ・スポルジョンの言葉に、
本書の神学的思想が凝縮されていますので、
最後にそちらを味わってください。
→P6〜7
〈要するに、我々は被造物の内部において、
仕える種としての新しい道徳的ヴィジョンを必要としている。
それは動物だけでなく、
我々自身をも人間の暴力から救い出すのに役立てるためである。
キリスト教信仰は、
世界の他の存在をいかに扱うかについて、
真に異なった存在――積極的相違――とならなければならない。
有名なバプテストの説教者、
チャールズ・スパージョンはかつて、
ローランド・ヒル(同時代人)の考えを
さらに説明してこう言っている。
「もし彼の犬あるいは猫が、
飼われているそのことによって幸福でないとすれば、
その人はキリスト者ではない」と。
そしてコメントした。
「信仰の真偽はそれによってわかる」〉
(4,594文字)
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陣内が今年読んだ本ベスト10
2020-05-04T09:22:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=469
2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(7〜4位)
第119号 2019年12月24日配信号
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■3 2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(7〜4位)
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Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車...
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■3 2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(7〜4位)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車やバスや新幹線で、本を読む代わりに、
タブレットで映画を観るようになって、
飛躍的に映画を観る本数が増えました。
映画は小説と同じで「他人の靴を履いて人生を歩く」、
という「疑似体験」を与えてくれます。
本と同じくランキングはあまり好きじゃないので、
年に一度だけの特別企画です。
「今年読んだ本」と同じく、
前編で10位〜8位、中編で7位〜4位、後編でベスト3を紹介します。
皆様の映画選びのお役に立てれば幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●第7位 『葛城事件』
鑑賞した日:2019年1月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:赤堀雅秋
主演:三浦友和
公開年・国:2016年(日本)
リンク:
http://amzn.asia/d/bURhe3A
▼140文字ブリーフィング:
これは面白かったです。
三浦友和の「怪演」でしたね。
ヤバかった。
秋葉原の殺傷事件、
池田小学校の詫間容疑者、
神戸の「酒鬼薔薇聖斗」事件、
こういった無差別殺傷事件というのは、
平成に幾度も繰り返されました。
こういう事件があるたびに、
「家族は何をしていたんだ!?」
という流れになるのを、
私は良いとは思いません。
それが行き着く先には、
「家族連帯責任論」みたいのが出て来て、
追い詰められた家族は自殺をしたりする。
あと、元事務次官が息子を殺傷した練馬の事件のように、
追い詰められた親が子どもを殺傷したりする。
「親が子どもを作る」というのは事実ですが、
それは事実の半分です。
親に何の落ち度もなくても、
子どもが凶悪犯になることはあり得ます。
ある種の凶悪殺人犯って、
脳に何らかの器質的な異常があることもわかっている。
それを踏まえずに家族ばかり追求すると、
「あの人が障害者なのは、
親が何か罪を犯したのでしょうか?」
という、ヨハネ9章でイエスが完全に否定している、
「因果応報論」に陥ってしまう。
これは本人もその家族をも追い詰める行為です。
、、、という前置きをした上で、
それでも「機能不全家族」がときに、
「モンスター」を生んでしまうことがあるのもまた事実。
秋葉原の殺傷事件の青年は、
大人から褒められたことが一度もなかったと言いますし、
池田小学校の詫間容疑者は幼少期に虐待されていたといいます。
そんな「機能不全家族」が、
どのように凶悪犯を「生む」のか、
それを架空の物語で描き出したのが本作です。
これを観ると、ダガーナイフで殺人をする息子より、
団塊の世代のその親の葛城氏(三浦友和)のほうが、
もっともっと恐ろしいことがわかる。
男尊女卑、DV、無駄に高いプライド、
二言目には「日本人のほこり」、
正論で人をなじる、能力が低い、、、
などの「駄目な団塊世代」を煮詰めたような葛城氏が、
「家族の力学」を崩壊させ、その結果長男は自殺し、
引きこもりの次男は無差別大量殺人の犯人となっていきます。
この映画を鑑賞中、
「家族という地獄」という言葉が
ずっと心に響いていました。
長男にとっては自殺することが、
次男にとっては犯罪を犯して刑務所に入ることのほうが、
「この地獄のような家族」のなかにいるよりは、
マシだったんじゃないかとすら、
不思議と思えてくるのです。
その「地獄の創造主」は、
三浦友和演じる葛城家の「父」なのですが、
マジでこの人物は、
思い出すだけで胸くそ悪くなります(つまり映画として最高)。
(1,010文字)
●第6位 『シェフ 三ツ星フードドラックはじめました』
鑑賞した日:2019年1月10日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ジョン・ファブロー
主演:ジョン・ファブロー
公開年・国:2014年(アメリカ)
リンク:
http://amzn.asia/d/3MdNVbc
▼140文字ブリーフィング:
アベンジャーシリーズの怒濤のヒットの「皮切り」となった、
『アイアンマン』第一作の監督である、
ジョン・ファブローが監督かつ主演している映画です。
なので豪華脇役が凄いです。
スカーレット・ヨハンソンとか、
ロバート・ダウニー・Jrらがちょい役で出演しています。
この映画は、
料理シーンがとにかくセクシーです。
色、音、質感、手さばき、
料理のシーンだけで、
マジでずっと観ていられる。
食べ物が全部、
本当に本当に美味しそうで、、、。
「飯テロ映画」です。
減量中の人は観ない方が良いと思います。
それだけじゃなくて、
「三つ星レストランのチーフシェフ」の主人公が、
立場は安定しているが、
オーナーの都合で流行に迎合的なものをつくらされたりして、
「自分のやりたい料理」を追求できないことを不満に、
そこを「退職」し、
フードトラック(屋台)で全米を旅しながら、
クッソ美味い料理を人々に提供しつつ、
息子やお客さんとの交流を深める、、、
というのは、実は彼自身の話でもある。
ジョン・ファブローは、
アイアンマンというビッグバジェット(大予算映画)を、
成功させてしまったことで、
皮肉なことにどんどん自分がやりたいことができなくなっていきます。
いろんなプロダクションやスポンサーの言うことを聞く、
中間管理職みたいになっていく。
彼は「自分の撮りたい映画を撮る!」
っていって、半ば自主制作みたいな形で、
自分が主演して本作を撮ったのです。
つまり本作は、彼にとっての「フードトラック」
そのものなんですよね。
素晴らしい映画でした。
物作りをする人は、
きっと心と胃袋が熱くなることでしょう。
(638文字)
●第5位 『ヘレディタリー 継承』
鑑賞した日:2019年5月8日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)
監督:アリ・アリスター
主演:トニー・コレット
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2Y0AQ6Z
▼140文字ブリーフィング:
私が私淑する、ライムスター宇多丸が、
「2018年年間映画ランキング」で、
第一位にこれを選んでたので、
「そりゃ観るっしょ!」
というわけで鑑賞しました。
ホラー映画の新たな金字塔が出来た、
と宇多丸さんは言っていますが、
それは正当な評価だと思います。
過去の作品のホラー技法を備えつつ、
自分のものとして昇華しています。
ホラー映画は新しい領域に突入した感じがします。
実はこの映画自体が、
監督自身のセラピーになっている、
と監督は別の場所で語っているそうです。
そして映画の主人公の女性は、
「箱庭を作ることで自分を癒やす」人です。
先ほどの『シェフ』もそうですが、
現実世界と作品が、
そんなふうに入れ子構造になっている作品が、
どうやら私は好きなようです。
とにかく度肝を抜かれ、
思わず2回観ちゃいました。
脚本がすごーく良くできています。
ちなみにAmazonレビュー平均はあまり良くない笑。
私はだからAmazonレビューを信頼していません。
あの手のものにあまり重きを置くと、
「自分が何が好きか」がだんだんわからなくなってきます。
自分の感覚を信じた方が吉です。
経験的に、
「5」と「1」の評価がすごーく多くて、
平均すると3前後ぐらいの評価になっている映画が、
私が一番好きなタイプの映画に多い感じですが、
それもまた頼りにするとハズすことがあるというね笑。
話がそれましたが、
この映画、観た後に最悪な気分になります(褒めてます)。
(596文字)
●第4位 『サーチ Search』
鑑賞した日:2019年3月9日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル視聴(399円)
監督:アニーシュ・チャガンティ(インドネシア人監督)
主演:ジョン・チョー
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://goo.gl/XJzKax
▼140文字ブリーフィング:
この映画は、単純にめちゃくちゃ面白かったです。
「ユージュアルサスペクツ」という、
サスペンス映画の名作があります。
観てないという人はまさかいないと思いますが笑、
もし観ていなければ今すぐに観ましょう。
あれは本当に名作なので。
本作は、「全篇ユージュアルサスペクツ」
という感じです。
観たことある人には何のことか分からないでしょうが、
「ユージュアル・・」観たことある人には分かると思います。
「マジで!そんなことできるの!?」
って思うでしょ。
できるんです。
この映画は、
「人生のすべてが『記録』されるSNS世代」
というギミックを使うことで、
観る人を本当にハラハラさせ続けることに成功している。
あと、ネット社会というのが、
「複数の文脈を引き受ける」ということなんだ、
というのもよくわかります。
すべてがパソコンの画面内で進行する、
という思い切った演出をすることで、
「我々はこういう時代に生きているんだ」
ということをよりよく知らせてくれる作品でもあります。
予算は低いはずなのですが、
ビッグバジェット映画以上にハラハラできます。
ワンアイディアでここまで面白くする。
私が映画監督だったら、
こういう作品を作ったときが、
一番「気持ちいい」だろうなーと思いながら観ました。
(518文字)
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陣内が観た映画ベスト10
2020-04-28T09:21:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=468
2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(7〜4位)
第119号 2019年12月24日配信号
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■2 2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(7〜4位)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なも...
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■2 2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(7〜4位)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜8位まで、
中編は7位〜4位まで、
後編はベスト3のカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●第7位 『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』
読了した日:2019年6月4日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:J・D・ヴァンス
出版年:2017年
出版社:光文社
リンク:
https://bre.is/rIZEL4RNJ
▼140文字ブリーフィング:
「トランプ現象とは何なのか?」について、
多くの識者・知識人・テレビコメンテーターが、
様々なことを述べ、書籍も多数出版されていますが、
そのなかの「最良の書」は本書だと思っています。
どういうことか?
トランプ現象の背景には、
アメリカの衰退・貧困問題があります。
世の中に氾濫する「トランプ論」は、
それらを「鳥の目」で把握しようとするものですが、
本書はそれを、「虫の目」であぶり出そうとする作品だからです。
経済学者のマクロな分析からは見えてこない現実が、
アメリカンドリームを壊死させていることが、
本書を読むとわかります。
いったい何が白人労働者階級をして、
「米国で最も未来に希望を持てない人種」に、
閉じ込めているのか、ということを、
「外側からではなく内側から語る」わけです。
なぜ著者にそんなことができるのか?
著者こそは、「アパラチア」という、
アメリカで最も衰退する地方の出身者であり、
「経済的分析からは見えてこない、
衰退を内包する文化」を体験し、
なおかつその強力な重力から逃れ、
アイビーリーグの大学を卒業し、
「鳥の目」でアメリカを見られるようになった人だからです。
彼には「鳥の目」と「虫の目」の両方があるのです。
冒頭の部分を引用します。
→P14〜15
〈機会の平等について語るときには、
ここまで書いてきたような事実を忘れてはならない。
ノーベル賞を受賞した経済学者たちは、
中西部工業地帯の衰退や、
白人労働社会層の働き手の減少を心配する。
製造業の拠点が海外に移り、
大学を卒業していない若者が中流層の仕事に就くことは難しい、
というのが経済学者たちの主張だ。
たしかにそのとおり。私も同じ心配をしている。
だが、私が書こうとしているのは、それとは別の話である。
産業経済が落ち込む中、
現実の生活で人々に何が起こっているかをここに書きたい。
最悪の状況に、人々はどのように反応しているのか。
社会の衰退を食い止めるのではなく、
それをますます助長する文化とはどのようなものなのか、
そうしたことを書こうと思う。
タイル会社の倉庫で私が目にした問題
(無断欠勤や酷い勤務態度で次々と若者がやめていく)は、
マクロ経済の動向や国家の政策の問題よりも、
はるかに根が深い。
あまりにも多くの若者が、重労働から逃れようとしている。
良い仕事であっても、長続きしない。
支えるべき結婚相手がいたり、子どもができたり、
働くべき理由がある若者であっても、
条件の良い健康保険付の仕事を簡単に捨ててしまう。
さらに問題なのは、そんな状況に自分を追い込みながらも、
周囲の人がなんとかしてくれるべきだと考えている点だ。
つまり、自分の人生なのに、
自分ではどうにもならないと考え、
なんでも他人のせいにしようとする。
そうした姿勢は、
現在のアメリカの経済的展望とは別個の問題だと言える。
本書で焦点を当てるのは、
私がよく知っている人たち、
すなわちアパラチアに縁のある白人労働社会層である。
しかし私は、そうした人たちの方が
同情に値すると主張したいわけではない。
本書は、黒人よりも白人の方が
強い不満を抱いている理由を論じるものではない。
読者の皆さんには、本書を通じて、
人種というレンズを通した歪んだ見方をするのではなく、
「貧しい人たちにとって、
社会階層や家族がどのような影響を与えるのか」
を理解してほしい。〉
、、、アメリカの衰退は、
「台頭する中国に対し、
相対的に経済力が落ちている」
ことをもって、経済的衰退だという人もいます。
それは確かに正しい。
経済力の均衡は軍事力の均衡を意味し、
同時にそれはアメリカ一強時代の終わりの始まりであり
国際政治のパワーバランスを崩壊させるからです。
それは間違っていない。
しかし、内側から見たとき、
アメリカの衰退は、
実は「文化の衰退」なのだということが、
本書を読むとよくわかります。
→P230〜231
〈いずれも鋭い洞察に満ちてはいるものの、
私を悩ましていた問いに、
完全に答えてくれるわけではなかった。
うちの隣に住む女性は、
どうして虐待癖のある男と別れないのだろう。
彼女は何故、ドラッグに金を使うのか。
自分の行動が娘の人生をめちゃくちゃにしていることが、
どうしてわからないのだろう。
それらはすべて、その女性だけではなく、
私の母にも当てはまることだった。
なぜそんなことになるのか。
何年も後になってようやく分かったのは、
どんな本も、どんな専門家も、どんな専門分野も、
それだけでは現代アメリカのヒルビリーが抱える問題を、
完全には説明できないと言うことだ。
私たちの哀歌(エレジー)は、社会学的なものである。
それは間違いない。
ただし同時に、心理学やコミュニティや
文化や信仰の問題でもあるのだ。〉
、、、『誰もが嘘をついている』という書籍のなかで、
「もっと信頼に足るトランプ予測係数」は、
白人、ラストベルト、貧困層、プロテスタント、
プロライフ(人工中絶反対)、保守派、南部、、、
といった、メディアで言われているどれでもなかった、
と書かれています。
最も信頼できるトランプ予測係数は、
その地域において、
ネットで「ニガー」という言葉が
検索された頻度の高さだったのです。
ニガーとはちなみに黒人に対する蔑称です。
「構造的に追い詰められ、弱者となった白人」は、
「自分たちが底辺にいる理由」を外に探します。
「政府が悪い」
「宗教のリベラル化が悪い」
「民主党政権の社会主義的政策が悪い」、、、
いろいろあるのですが、
実は「責任をなすりつけ、
一時的に自分たちの痛みを和らげてくれさえすれば、
その理由は何でも良い」のです。
彼らは「手近なトランキライザー(鎮痛剤)」を求めています。
そして「オバマのようないまいましい富裕層の黒人」は、
彼らにとって格好のトランキライザーであり、
それを追認してくれるトランプもまた、
またもうひとつのトランキライザーだったのです。
著者も言っているように、
問題はトランプを非難することによっては解決しません。
文字通りにも比喩的にも、
「鎮痛剤」に手を出すほどに追い詰められた、
アパラチア地方の白人コミュニティのような、
「衰退するアメリカ」が、
西海岸と東海岸の「繁栄するアメリカ」と、
手を繋ぐことこそ大切です。
互いを理解しなければならないし、
互いに人的交流が必要です。
ところが構造的な問題により、
「格差が再生産」されるため、
衰退するアメリカ人の子どもは衰退するアメリカ人になり、
繁栄するアメリカ人の子どもは繁栄するアメリカ人になる。
アメリカはいまや「南北」で分かれているのでも、
プロテスタントと非プロテスタントで別れているのでも、
白人と移民で別れているのでもありません。
著者が語る、
「繁栄するアメリカ」と、
「衰退するアメリカ」という、
二つの国がアメリカ合衆国のなかに併存しており、
その両者の間に「底知れぬほど深い溝」があることが問題なのだと。
自らが「繁栄するアメリカ」の体現者でありながら、
「俺は衰退するアメリカ人の味方だぜ」という嘘をつき、
対立をあおることで大統領になったトランプには、
その溝を埋めることは不可能です。
「アメリカの傷」が治癒不能になる前に、
何かがなされなければならないのは確かだし、
日本もアメリカの後を追うようなことのないように、
私たちはよくよく社会を注視しなければなりません。
(2,882文字)
●第6位 『睡眠こそ最強の解決策である』
読了した日:2019年2月21日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:マシュー・ウォーカー(UCバークレー教授、睡眠コンサルタント、睡眠科学者)
出版年:2018年
出版社:SBクリエイティブ
リンク:
https://goo.gl/vfAv85
▼140文字ブリーフィング:
様々な「睡眠に関する本」を読んできましたが、
本書はその中でも歴代No.1でした。
「自分はショートスリーパーだから」
といって毎日6時間睡眠とか
それ以下で平気でいる人がいますが、
遺伝的にショートスリーパーである確率は、
12,000分の1以下だと言われていますので、
「その可能性はまずない」と考えて問題ありません。
だとするとほとんどすべての人の、
「適正な睡眠時間」は8時間前後です。
具体的には7〜9時間と言われていますが、
本書は8時間以上の睡眠を推奨しています。
睡眠時間がそれを割り込むとどんな悪いことがあるか、
本書には科学的な根拠に基づき、
膨大な証拠を挙げて紹介されています。
この本を読めば誰もが、
「睡眠時間について再考」するようになるでしょう。
いやいや、忙しくて寝れないんだよ、
という人は、まずスマホを捨ててください。
そうすると1日2時間「増えます」ので、
その分寝てください。
スマホを捨ててなお、
睡眠時間が全然確保できない人は、
是非転職をお考えになったら良いと思います。
命を削ってまで、人は職業にしがみつくべきではないので。
あなたの子どもにとっても奥さんにとっても、
あなた自身にとっても、
「あなたの収入」よりも、
「あなたの命」のほうがよっぽど大事です
私の父は52歳の若さで癌で他界しましたが、
振り返ってみると、
そのひとつの原因は「睡眠不足」だったかもしれない、
と私は思っています。
彼は働き盛りの30代、40代に、
毎日帰宅が深夜12時、1時、2時、
翌朝は6時に起きて仕事に行く、、、
というのを20年近く続けていたのです。
土日は土日でゴルフなどの、
仕事がらみの用事が入っています。
病気にならないほうがおかしい。
家族にとっての唯一の「救い」は、
父が仕事が「好き」だったことです。
彼は心から楽しんで仕事をしていました。
それがせめてもの救いで、
しかし楽しいからと言って、
身体の負担が減るわけではなく、
短時間睡眠を長年続けると、
癌、脳梗塞、心血管系疾患などのリスクが、
非常に高くなるという数々の証拠が見つかっています。
だから、どうかあなたの子どもが、
若くして親を失った私のようにならぬよう、
身体を大事にしてください。
それはつまるところ、
「たくさん寝てください」ということでもあります。
睡眠不足は、「ゴム紐を引っ張るようなもの」
と著者は言います。
いつか「パチン」と音を立ててゴムが切れるとき、
それは、あなたにとって、
「死の病の宣告」かもしれないのです。
→P10〜11
〈あなたはこの1週間、
自分は充分に眠ったと自信を持って言えるだろうか?
最後に目覚まし時計の助けを借りずに
すっきり起きた日を思い出せるだろうか?
たいていの人は、いずれかの答えが「ノー」になるだろう。
実際のところ、先進国にクラス大人の3分の2が、
健康に良いとされる8時間睡眠を確保できていない。
睡眠時間が6時間か7時間を下回る状態が続くと、
免疫機能が衰え、癌のリスクが2倍にもなる。
それに加えて、睡眠時間はアルツハイマー病を
発症するかどうかのカギも握る。
また、心血管病や脳卒中、
鬱血性心不全などを発症するリスクが高まる。
(中略)
以上のことを総合すれば、
睡眠不足は寿命を短くするということも容易に理解出来るだろう。
「眠るのは死んでからだ」という言葉もあるが、
この言葉通りの人生を送っていると、
睡眠不足で生活の質が下がり、
しかも早死にするという皮肉な結果になってしまう。
睡眠不足をゴム紐に喩えるなら、
永遠に引っ張り続けることは出来ず、
いずれ必ずパチンと跳ね返ってくるということだ。
悲しいことに人類は、
自分の意思で睡眠時間を削っている唯一の種族だ。
睡眠不足は健康や幸福感に悪い影響を与えるだけでなく、
社会や経済活動の妨げにもなっている。
現に世界保健機関(WHO)が、睡眠不足は
先進国の流行病だと宣言を出したほどだ。〉
、、、睡眠不足は、
「先進国の流行病」なのです。
逆に十分に寝ることは、
製薬会社が夢見ても永遠に果たすことができない、
「スーパー万能薬」でもあります。
引用します。
→P131
〈今のところはっきりしているのは、
睡眠こそが万能薬だと言うことだ。
身体の不調も、精神の不調も、必要なのは睡眠という薬だ。
この章を読み終わる頃には、
どんな熱心なショートスリープ信者も改宗していることを願っている。
(中略)
皮肉なことに、21世紀になって発見された睡眠の「新」事実は、
1611年に出版された『マクベス』の中ですべて語り尽くされている。
具体的には、第2幕第2場に登場する
「睡眠は命の宴の主菜である」という言葉だ。〉
→P191
〈とりあえずここでは、
アメリカ人起業家のE・ジョセフ・コスマンの言葉を紹介しておこう。
「絶望と希望を結ぶもっとも確実な橋は、
一晩ぐっすり寝ることだ」〉
、、、睡眠は「命の宴の主菜」であり、
「絶望と希望をつなぐもっとも確実な橋」です。
さらに睡眠は、
「身体的・知能的パフォーマンス」において、
「ドーピング」に近いような効果を発揮します。
アンドレ・イグダーラというNBAのバスケ選手が、
実験に協力していて、すごいことがわかっています。
→P160〜161
〈これらのチームに実際の睡眠指導をする前に、
私はアメリカのNBAが発表したデータを見せることにしている。
具体的には強豪ゴールデンステート・ウォリアーズの
アンドレ・イグダーラ選手の睡眠データだ。
図11は、イグダーラの睡眠時間とパフォーマンスの関係を表している。
【図11】
8時間以上の睡眠を取った場合と、
8時間未満の睡眠を取った場合の比較:
・プレー時間は12%上昇
・1分あたりのポイントは29%上昇
・スリーポイントシュートの確率は2%上昇
・フリースローの確率は9%上昇
・ターンオーバーは37%減少
・ファール数は45%減少〉
、、、上記のプレー時間、
1分あたりのポイント、
フリースロー確率の向上、
ターンオーバー、ファール数の減少を、
「別の二人のNBA選手」だと仮定しましょう。
NBA好きの私から言わせてもらうと、
「睡眠不足イグダーラ」と、
「睡眠十分イグダーラ」は、
年俸で多分5億円ぐらい違ってきます。
8時間以上寝るか寝ないかが、
「年棒5億円」の差をもたらすのです。
続いて身体的能力ではなく、
十分な睡眠は学業成績をも高める、
という証拠を見ていきましょう。
→P389
〈5000人以上の児童生徒を
長期にわたって追跡した日本の研究によると、
睡眠時間の長い子どもほど成績が良い。
被験者はそれより少ないが、
研究室のコントロールされた環境で実際に睡眠を観察した研究では、
トータルの睡眠時間が長い子ほどIQが高くなり、
成績優秀な子どもは、IQが低い子どもに比べ、
平均して40〜50分長く眠っていることが分かった。
一卵性双生児を対象にした研究を見ると、
睡眠の大切さがさらに良く理解出来る。
ルイビル・スクール・オブ・メディスンの
ロナルド・ウィルソン博士は、
1980年代に一卵性の双子に関する研究を始めた
(ちなみにこの研究は現在も続いている)。
数百組の双子を対象に、
幼少期から数十年にわたって追跡調査を行った。
とくに注目したのは、双子で睡眠時間に差があるケースだ。
睡眠時間の違いが発達にどのように影響するかを観察する。
10歳になると、双子で睡眠時間の長い方は、
短い方に比べ、
知性と学業成績がかなり優れているという結果になった。
読解力を測る標準テストで点数が高く、語彙も豊富だ。〉
、、、すごくないですか?
一卵性双生児のうち、
睡眠が長い方が、
睡眠が短い方よりも、
IQが高く、学業成績も上がるのです。
日本の経営者、吉越浩一郎さんが、
「寝ないなんて怠惰だ」
と言っている意味がよくわかります。
この本に関しては動画でも解説してますので、
興味ある人は是非ご視聴ください。
▼参考リンク:睡眠は最強の解決策である
https://youtu.be/JCbpVyzZFe8
●第5位 『ブラック・スワン(上・下)』
読了した日:2019年7月20日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ナシーム・ニコラス・タレブ
出版年:2009年
出版社:ダイヤモンド社
リンク:
https://bre.is/YBk9MLMu8
▼140文字ブリーフィング:
この数年で最もインパクトのあったビジネス書は、
タレブの『反脆弱性』でした。
それよりも前に書かれた本書は、
その副読本として優れています。
本書を読むと『反脆弱性』をよりよく理解できる。
まず、「ブラックスワン」とは何かから入りましょう。
「黒い白鳥」という意味ですが、
「白鳥が白い」と思い込んでいる人からすると、
「予期せぬ出来事」なわけです。
ヨーロッパのひとは実際長きにわたってそう思っていたのですが、
オセアニアを発見した際、
「黒い白鳥」を文字通り見つけます。
それ以来、「あり得ないような出来事」を、
「ブラック・スワン」と呼ぶようになります。
タレブはこの「ブラックスワン」の概念を、
ビジネスの世界に敷衍し、
「リーマンショックを予言した」ことで、
世界的な名声を得、
それまでプロパーな経済学者の中では異端とされていた彼が、
世界の識者から教えを請われるほどになるのです。
タレブのブラックスワンの定義とは、
それではいかなるものなのでしょう?
→P3〜4
〈この本で黒い白鳥(ブラック・スワン)といったら、
それはほとんどの場合、次の三つの特徴を備えた事象を指す。
第一に、異常であること。
つまり、過去に照らせば、
そんなことが起こるかもしれないとはっきり示すものは何もなく、
普通に考えられる範囲の外側にあること。
第二に、とても大きな衝撃があること。
そして第三に、異常であるにもかかわらず、
私たち人間は、生まれついての性質で、
それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道を付けたり、
予測が可能だったことにしてしまったりすること。
ちょっと立ち止まって、
この三つの特徴をまとめてみよう。
普通は起こらないこと、とても大きな衝撃があること、
そして(事前ではなく)事後には予測が可能であることだ。〉
、、、どうでしょう?
1.異常である。
2.とても大きな衝撃がある。
3.それにもかかわらず、
事後的に人々は「予測可能だった」と言い立てる。
この3つの条件を備えた出来事は、
21世紀になってから「頻度が増えている」
と思いませんか?
リーマンショックがまさにそうでしたし、
2011年の東日本大震災と、
福島第一原子力発電所の事故もそうです。
トランプ大統領当選もそうですし、
ブレグジットもそうです。
「ブラックスワン」が、
もはや例外的な事象ではなく、
「日常の一部」となるとき、
私たちは生き方を再考しなけれなならなくなります。
ブラックスワンが頻発する世界において、
「知識」は物事を誤らせる要因になる、
とタレブは言います。
もっと言うと、
「知識に基づく予測と統御」が、
ブラックスワンに対して最も脆弱な状態を作り、
破局的な被害をもたらすのだ、と。
原発事故以前の東京電力、
リーマンショック以前のアメリカの投資家などを、
考えるとわかりやすいでしょう。
彼らは知識がなかったからではなく、
知識に基づく予測と統御によって、
未来は予見可能だと考えたそのことにより、
社会を破局に晒したのです。
では、このような時代に、
私たちはどのように生きるのか?
タレブは取り得る戦略は、
「バーベル戦略」だと言います。
当メルマガでも何度も解説していますので、
詳述はしません。
動画を出しているので興味のある方はご参考に。
▼参考リンク:バーベル戦略とは何か
https://youtu.be/LYR3RCHVHv8
タレブの言うバーベル戦略とは、
可能な限り「超保守的かつ超積極的」になることです。
しかし多くの場合、
一般の人が「保守的であるべき」と考える部分では、
タレブは超積極的にリスクを取り、
一般の人が「積極的であるべき」と考える部分では、
タレブは超保守的にリスクを避けます。
その部分を引用します。
→P215
〈自分自身に関わることでも、
私は、あるときはものすごく保守的で、
そうでない時はものすごく積極的だ。
そういう人は珍しくないかもしれない。
でも、私が保守的になるのは他の人がリスクを取るところだし、
積極的になるのは他の人が用心するところだ。
小さな失敗はそれほど心配しない。
大きな失敗、とくに致命的になりそうな失敗はとても心配する。
投機的なベンチャー企業より、
「有望な」株式市場、とくに「安全な」優良株に不安を感じる。
後者は見えないリスクの代表だ。
前者は、変動が大きいのが最初から分かっているし、
投資する額を小さくして、
裏目に出た時の損を抑えることができるから、
不意を突かれて驚く事はない。
世に騒がれる華々しいリスクは、それほど心配しない。
たちの悪い隠れたリスクを心配する。
テロを心配しない。糖尿病を心配する。
はっきり見える不安だからと言う理由で人が普通に心配することよりも、
私たちの意識の外側にあって人の話に出てこない、
そんなことのほうを心配する
(もう一つ、私はあんまりあれこれ悩まないという方も告白しておく。
つまり、私は自分でなんとかできることしか心配しないようにしている)。
私は恥をかくことよりチャンスを逃すことの方を心配する。
結局、これは全部、
ちょっとした意志決定のルール一つに根ざしている。
良い方の黒い白鳥にさらされ、
失敗しても失うものが小さい時はとても積極的になり、
悪い方の黒い白鳥にさらされているときはとても保守的になる。〉
、、、先ほどの睡眠の話もちょっと関係があります。
私もタレブに倣ってバーベル戦略をとっていますが、
私が超保守的になるのは、
「睡眠不足を徹底的に避ける」というところです。
多くの人はこのリスクを平気で取ります。
私が逆に「積極的」なのは、
微量の放射能のリスク、
BSEや鳥インフルなどの流行性伝染病のリスク、
ワクチン接種の副作用のリスクなど、
恐怖をあおる形で報道される、
「極度に死ぬ確率の低いリスク」です。
こちらは多少リスクをとったとしても、
「生活が安定していること」のほうが大事です。
福島の事故では、放射能ではなく、
「入院生活のリズムが変わった」ことで、
多くの老人が命を失いました。
鳥インフルなどは私の専門分野なので、
全然大丈夫なときに世間が騒いでいたり、
ぜったいヤバいときに、
世間が騒いでいなかったりすることが、
本当に多くあります。
「派手に喧伝される『特別な事故や病』よりも、
睡眠不足や運動不足や栄養の偏りを恐れよ」
というのがタレブ的な姿勢です。
そんなわけで、
「リスクとどう付き合うか」は、
生き方の問題でもあります。
常識が通じない時代の生き方を、
私は自分の身をもって実験中です。
当メルマガを読むことで、
皆様のバーベル戦略にも、
何らかのお役に立てていただければ幸いです。
(2,580文字)
●第4位 『知性は死なない』
読了した日:2019年4月13日
読んだ方法:札幌のブックオフで購入(889円)
著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://amzn.to/2U6o988
▼140文字ブリーフィング:
こちらは、
訪れるといつも、
年の離れた友人のように接してくださる、
札幌の木村さんという方と、
「札幌の面白いカフェ巡り」にご案内いただいたとき、
ブックオフで「出会い頭」に買いました。
それを4月にインドに行く旅行鞄の中に突っ込んであったのです。
そして、人を5時間待つことがあったのですが、
(インドではわりと良くあることです)
その間に一気読みしました。
夢中で読みましたね。
そんで、今年の後半、約半年かけて、
当メルマガのコーナー「本のカフェ・ラテ」にて、
4回に渡って解説しました。
なので本書の内容は私の血肉となっています。
あの連載をどれだけの人が読んでくれたかはわかりませんが、
皆さんにも何らかのお役に立てたならばいいなぁ、
と思っています。
そんなわけなので本書の詳述は割愛します。
興味ある人は「本のカフェ・ラテ」を、
メルマガアーカイブブログとかで探してみてください。
大学准教授だった與那覇さんが、
うつ病を患い、
それによって魂の巡礼をした足跡を、
この本は追体験させてくれます。
本書は「うつ病って何?」
ということを知るのにも有用ですので、
そういった方にもお勧めです。
当事者として與那覇さんが、
「うつ病に関する10の誤解」を、
本書の冒頭で紹介しているのでそちらだけ引用しておきます。
【うつ病に対する10の誤解】
誤解1.うつは「こころの風邪」である。
誤解2.うつ病は「意欲がなくなる」病気である
誤解3.「うつ状態」は軽いうつ病である
誤解4.うつの人には「リラックス」をすすめる
誤解5.うつ病は「過労やストレス」が原因である
誤解6.うつ病に「なりやすい性格」がある
誤解8.うつ病は「遺伝する病気」である
誤解9.「カウンセリング」が重いうつ病に効く
誤解10.うつ病は「認知療法」でなおる
(732文字)
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陣内が今年読んだ本ベスト10
2020-04-27T09:19:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=467
2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(10〜8位)
第118号 2019年12月17日配信号
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■3 2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(10〜8位)
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Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車...
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■3 2019年版・陣内が今年観た映画ベスト10(10〜8位)
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Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車やバスや新幹線で、本を読む代わりに、
タブレットで映画を観るようになって、
飛躍的に映画を観る本数が増えました。
映画は小説と同じで「他人の靴を履いて人生を歩く」、
という「疑似体験」を与えてくれます。
本と同じくランキングはあまり好きじゃないので、
年に一度だけの特別企画です。
「今年読んだ本」と同じく、
前編で10位〜8位、中編で7位〜4位、後編でベスト3を紹介します。
皆様の映画選びのお役に立てれば幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●第10位 『翔んで埼玉』
鑑賞した日:2019年6月23日
鑑賞した方法:マニラに向かう飛行機の中で観賞
監督:武内英樹
主演:GACKT、二階堂ふみ
公開年・国:2019年(日本)
リンク:
http://www.tondesaitama.com/
▼140文字ブリーフィング:
この映画はフィリピンに行く飛行機の中で観ました。
ちょっと気になってたのだけど、
飛行機で見つけて「ラッキー」って。
そんで、非常に面白かった。
東京と首都圏(千葉、神奈川、埼玉)には、
「都会、田舎ヒエラルキー」みたいなものがあって、
それが非常に複雑な「カースト」を形成している。
そこでは「被差別民」がおり、
「支配階級」がいる。
そして「マウンティング」も行われるし、
「出身地・居住地ロンダリング」も行われる。
「どこまで吉祥寺駅周辺やねん!
いや、西部新宿線のほうが近いやないかい!!問題」など。
そういった悲喜こもごもを、
とんでもなく味付けの濃いファンタジーで、
コメディーとしてエンターテイメント化するという、
非常に高度なことをしています。
欺されたと思って見てみてください。
面白いから。
新感覚ですね、これは。
イチゴ大福とか、
生ハムメロンとか、
明太子パスタとか、
そういうのを最初に発見した人は偉いと思うんですよ。
「翔んで埼玉」も、
「これが面白い」と思ったところが偉いと思います。
(432文字)
●第9位 『グリーンブック』
鑑賞した日:2019年7月2日
鑑賞した方法:マニラ→成田の飛行機で観賞
監督:ピーター・ファレリー
主演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/RPFhi0NWl
▼140文字ブリーフィング:
これは先ほどのフィリピンからの、
帰り道の飛行機のなかで見ました。
端的に素晴らしい映画でした。
アカデミー作品賞も納得です。
「グリーンブック」とはちなみに、
1960年代当時のアメリカの南部で、
「黒人でも泊めてくれるホテル」を
リストアップした冊子で、実在していました。
実際の黒人天才ピアノ奏者(シャーリー)と、
彼の運転手となったイタリア系の
ニューヨーカー(トニー)の友情の話です。
最初彼は黒人が使った自分の家のコップを
ゴミに棄てるほどの差別主義者だったのですが、
シャーリーとの道中、
だんだんと黒人差別をする他の白人に、
腹が立ってくるようになってきます。
トニーとシャーリーの変化っていうのがすごく良くて、
差別する側も差別される側も、
「人間を非人間化する社会システム」によって、
目が曇っているんですよね。
それを、「一緒に過ごす」ことが、
浄化していくっていう構図がすごく良い。
「差別主義者」の別名は「世間知らず」だと、
私は常日頃から思っています。
「中国人は、、、」
「韓国人は、、」
「黒人は、、、」
とか言う輩(やから)って、
中国にも韓国にもアメリカにも行ったことがなく、
中国人、韓国人、黒人の
個人的な知り合いがいない人が大多数です。
それって食べたことない料理が「不味かった」
って言ってるのと同じで、
とても頭の悪い行為です。
その意味で「偏見」とは、
自らの無知と経験の未熟さと、
視野の狭さをひけらかす行為です。
シャーリーもトニーもそういう意味で、
一緒に旅をする前は偏見にまみれていたのだけど、
彼らは同じ空気を吸うことで視野が広がり、
偏見という自分と他者を不自由にする
「目に見えない鎖」から自由になるんですよね。
それが見ていてすがすがしい。
さっきの「翔んで埼玉」も実は同じ構造があって、
「都心生まれ」と被差別階級の「埼玉生まれ」が、
同じ時間を過ごすことで、
お互いの偏見を溶かしていく物語でもあります。
誰もそう思ってないし、
こんなことを言ったのは世界で私が初めてだと思いますが笑、
「翔んで埼玉」と「グリーンブック」は、
同じジャンルの映画なのです。
(826文字)
●第8位 『ノーカントリー』
鑑賞した日:2019年3月6日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:コーエン兄弟(ジョエル・コーエン)
主演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン
公開年・国:2007年(アメリカ)
リンク:
https://goo.gl/7o9G6J
▼140文字ブリーフィング:
コーエン兄弟の映画が好きです。
この数年で立て続けに見ているのですが、
『ノーカントリー』は本当に、
めちゃくちゃ面白かったです。
大好きな映画の一本になりました。
コーエン兄弟ってユダヤ教徒なので、
「ユダヤ的世界観の匂い」が、
そこはかとなくする感じもとても好きです。
「世界の不条理性」っていうのがいつも入っている。
その「世界の不条理」を象徴する存在が、
この映画の場合、犯人のサイコパス、
アントン・シガーです。
サイコパスが登場する映画が私は大好物なのですが、
シガーはそのなかでも史上ナンバーワンでした。
彼の「ポンプの兵器」は一生脳にこびりつきます。
最高!
浦沢直樹の「モンスター」を思い出しました。
「彼を観たら人生が終わる」という恐ろしさ。
もう、震えますね。
最高にアガります。
フォー!!ってなります。
多分私もどこかぶっ壊れてると思うんですが笑。
現実世界でサイコパスに出会った場合、
ちなみに私は一目散に逃げます。
けっこう「鼻は効く」方なので、
私は「そういった人」の被害を、
あまり受けていないほうだと思います。
映画で予習しているのが、
功を奏しているのかもしれません笑。
(476文字)
]]>
陣内が先月観た映画
2020-04-21T09:18:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=466
2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(10〜8位)
第118号 2019年12月17日配信号
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■2 2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(10〜8位)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なも...
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■2 2019年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(10〜8位)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜8位まで、
中編は7位〜4位まで、
後編はベスト3のカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●第10位 ティール組織
読了した日:2019年11月16日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:フレデリック・ラルー
出版年:2018年
出版社:英治出版
リンク:
https://bre.is/DHKshut7
▼140文字ブリーフィング:
こちらは先週紹介したばかりなので、
記憶が新鮮です。
けっこうこういう「年間ランキング」って、
じつは「後半のほうが有利」なんですよね。
記憶に焼き付く度合いが強いわけで。
そういうバイアスを排除しようしようと思って、
今年1年間に読んだ本のなかから、
純粋に面白かった10冊を選んだつもりではいます。
『ティール組織』をなぜそれでも選んだかというと、
なんか、今後じわじわ内容が響いてきそうだなと、
直観しているからです。
「自己組織化」と「自主経営」がキーワードです。
この数年で読んだビジネス書的な本でダントツに面白かった二つが、
ナシーム・ニコラス・タレブの『反脆弱性』と、
ミハイル・チクセントミハイの『フロー体験』だったのですが、
この二つの内容を「組織」という共通項で因数分解すると、
『ティール組織』になる感じがします。
何のことかわからないですよね。
チクセントミハイは、
「内発的動機付け」を重視します。
産業構造が変わり、
仕事の内容が単純作業やアルゴリズム作業ではなく、
創造的・創発的なものになっていくとき、
その動機付けは「アメとムチ」ではなく、
「内発的」になるべきだと彼は論証するのです。
タレブは、「未来が読めない不確実な現代」において、
唯一の取り得るべき戦略は、
「バーベル戦略」だと言います。
つまりそれは、
「確実に業績を上げられること」と、
「実験的なパイロットプロジェクト」の、
組み合わせにあると。
内発的動機付けと、
バーベル戦略、
この二つを可能にする組織的な構造、
ということになると、
それは「ティール組織」になるのではないかと、
私は思ったわけです。
最後の部分で著者は、
組織がティールになるだけでなく
社会全体もティールになる未来を「予言」します。
いや、そのような未来を作っていかねばならない、と。
なぜか?
「経済成長」の「最後のボトルネック」である、
「環境負荷」がもう限界に来ているからです。
「ゼロ成長社会」は歴史の必然だと著者はいいます。
環境負荷を計算に入れてしまえば、
経済成長というのは、
「未来からの前借りをGDPと呼ぶ行為」だからです。
そして「自然界の生態系に似ているティール組織」は、
「本能」によってそれらを防ぐであろう、と。
最後に私の大好きな経営者のひとり、
patagoniaのイヴォン・シュイナードの言葉が引用されているので、
それを引用します。
彼のいっていることは、
私が今年の6月に参加した、
フィリピン・マニラでのGlobal Workplace Forumでの、
「Business is Mission」と全く同じでした。
→P333〜334
〈私はもう50年近くビジネスマンをやってきた。
自分を「アル中」あるいは「弁護士」であると
認めたがらない人がいるのと同じように、
私は自分が「ビジネスマン」なんて、
なるべくなら認めたくない。
私はこの職業を尊敬したことがない。
自然の敵となり、自然の文化を破壊し、
貧乏人から奪い、金持ちに与え、
工場からの排出物で地球を汚すという
批判を受けなければならないのは、まずはビジネスだからだ。
しかし一方で、ビジネスは食料を生産し、
病気を治し、人口を抑制し、人々を雇い、
大体において人々の生活を豊かにしてくれる。
そして、自分たちにとって大切なものを失わずに、
こうした善行を積み上げて利益を上げることも出来る。〉
(1,358文字)
●第9位 勝利者キリスト
読了した日:2019年10月30日
読んだ方法:山田和音君に借りる
著者:グスタフ・アウレン
出版年:1982年(原著初版1930年)
出版社:教文館
リンク:
https://bre.is/u2ubhgZb
▼140文字ブリーフィング:
こちらも最近紹介したばかりですね。
「贖罪論」の歴史をたどり、
「古典的贖罪思想」が、
現代によみがえる必要がある、
ということを論証している本です。
現代のキリスト教会で主流の贖罪論は、
カトリックもプロテスタントも、
「ラテン型」と呼ばれるものである、
というのはこの本を読むまで知りませんでした。
「ラテン型」の顕著な特徴は、
「論理整合性」です。
そして贖罪が「法律の類比」で語られることも、
この贖罪思想の特徴です。
曰く、
「私たちは神の前に有罪だ。
正しい審判者である神は、
有罪な者を無罪とすることはできない。
キリストは私たちの罪を十字架で、
『代わりに担って』くださった。
だから私たちは信じるなら、
神の前に無罪を宣言される。」
というやつです。
クリスチャンなら1万回ぐらい聞いたことがあるでしょう。
では「古典的贖罪思想」とは何か?
それは救済を、
「神と悪魔との戦い」の類比で語ります。
そこでは「論理整合性」や、
「法的な適合性」が若干犠牲になります。
つまり、神は「法を守る方」ではなく、
「法を超越される方」になるのです。
そして悪魔とその力の根拠である「罪と死」が、
神の愛の故に、キリストによって制服され、
私たちはその勝利にあずかるのです。
この「救済の物語」の違いは、
じつは私たちの信仰の質の違いにもなってくる。
良い神学書を読むと、
「世界が文字通り広がる」体験をします。
「自分が真理のすべてだと思っていたものは、
真理の一部に過ぎなかった」と。
つまり、神の広さ、高さ、長さ、深さを知るのです。
良い神学とは、それにより神を知り愛するようになる神学です。
「神学など必要ない」と、
豪語するクリスチャンがたまにいますが、
その人の信仰の天井はたかが知れているでしょう。
いずれ頭打ちになります。
理由は、深さがなくなるから。
薄っぺらいままの信仰で渡りきれるほど、
現在の信仰者を取り巻く現状は甘くないのです。
(661文字)
●第8位 量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突
読了した日:2019年1月26日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:マンジット・クマール(青木薫訳)
出版年:2017年
出版社:新潮文庫
リンク:
https://goo.gl/M2aRij
▼140文字ブリーフィング:
自然科学系の本とか、
物理学・数学系の本を読むのが大好きです。
本書はそのような本の中でも、
数年前に夢中になったサイモン・シンの、
『フェルマーの最終定理』に匹敵する面白さでした。
「量子論」ってじつは、
現代世界を読み解くのに「必須科目」のひとつなのですよね。
じっさい、現代の優れた創作物、
つまり映画や小説の中に、
量子論や多元世界を扱ったものが多いのは、
そういった背景があります。
『アベンジャーズ エンドゲーム』も、
量子論による多元世界が出て来ますし、
アカデミーのアニメ部門を総なめにした
『スパイダーマン スパイダーバース』は、
多元宇宙の話です。
「パラダイム」という言葉の生みの親、
科学史家のトーマス・クーンは、
「天動説から地動説への変化」
「ニュートンの古典力学から、
アインシュタインの相対性理論への変化」
をもって、「科学におけるパラダイムの転換」と表現しました。
パラダイムが変わるとき、
人々の「世界の見方」が変わります。
古典力学から相対性理論への変化は衝撃です。
「時間と空間は不変」から、
「時間と空間は相対的だ」に変わるのですから。
唯一変わらないのは「光の速度=c」だというのを、
アインシュタインは発見したわけです。
この発見がなければカーナビも使えないし、
ポケモンGOも、ドラクエウォークもありません。
人工衛星からGPS信号は、
「時間と空間のゆがみの補正」をしなければ、
正確な位置情報を知らせることができないからです。
「絶対時間・絶対空間」のパラダイムからは、
GPSは生まれないのです。
「量子論」とは、ではいかなるものか?
「相対性理論」という物理学の体系が前提とする、
「宇宙は観測可能な実在からなる」という事実を疑うのが、
量子論です。
「観測するまで、光子などの微粒子は、
『AかBかどちらかの状態で存在している』」
というのです。
「シュレーティンガーのネコ」っていうやつです。
放射性同位体を使った思考実験の箱の中で、
ネコは「生きた状態と死んだ状態が半々に存在している」
というたとえで有名なやつ。
観測したときにはじめて、
位置や状態が確定する。
それまで光子や放射性同位体は、
「Aの可能性とBの可能性を、
数%ずつ含んでいる状態にある」というのです。
そして観測によってAと確定したとき、
その「確定」は、
何万光年も離れた粒子の状態に影響を与える、
というのです。
もはやSFの世界ですが、
これ、実験室での実験に成功しているのです。
そうすると、
影響を与えた光子と、
影響を受ける光子の間で、
「光の速さを超える速度で情報が伝達された」
ことになる。
そんな「ブードゥー教の魔術」みたいなことが、
世界に起こるはずはない、
といってアインシュタインはボーアに反対しました。
有名な「神はサイコロを振らない」という言葉は、
ここで生まれます。
しかしその後の数々の実験で、
「どうやら神はサイコロを振るらしい」
という証拠のほうが多くなってきた。
これは「実在とは何か」に関する、
20世紀までの前提を揺るがすことになります。
つまり、超微細な世界では、
物事は「確率に支配される」のであって、
「因果関係に支配される」わけではない。
これって実は、
さっき紹介したティール組織の話とちょっと関係がある。
量子論の世界から派生した物理学の分野に、
「複雑系の科学」があります。
複雑系というのは、
「アマゾンで蝶が羽ばたくと、
テキサスで竜巻が起きる」
という比喩が有名ですが、
「因果関係で説明できないことが証明されている」世界です。
「予測と統御」が成り立たない。
非複雑系は「機械の比喩」で語れます。
ジャンボジェットのようなもので、
ひとつのパーツの影響は、
因果関係で予測できる。
ところが複雑系は、
「ボウルいっぱいのスパゲッティ」のようなものです。
一本のスパゲッティを抜くと、
任意のもう一本に何が起きるか、
「誰も予測できないということが数学的に証明されている」
のです。
そこにあるのは「確率」だけです。
世界は今後ますます、予測と統御が成り立たなくなり、
確率が支配するようになる。
つまり「量子論的な世界」になるのです。
、、、だとしたら、
そこで有効な組織形態は、
「自己組織化・自己進化」できる形態になる。
予測と統御のパラダイムに基づく、
「リーダーシップ/マネジメント」という概念は、
無用の長物どころか、
足を引っ張るようになる、というのです。
実は社会や経済や政治の「思想」って、
物理学の世界でのパラダイムシフトが、
それに先行して起きることが多いんですよね。
自然科学と社会科学は繋がっていて、
互いに影響し合います。
自然科学のパラダイムシフトが、
多くの場合先行するので、
自然科学に詳しいと、
社会科学にも強くなります。
(1,891文字)
●番外編
ここからは、惜しくもベスト10入りを逃した、
それでもかなり面白かった本を紹介していきます。
文字数が際限なく膨らむのを防ぐため、
こちらは有名無実と化している「140文字」の制約を、
きっちり守りつつ。
●ファシスト的公共性
読了した日:2019年1月11日
読んだ方法:義理の兄から誕生日プレゼント
著者:佐藤卓己
出版年:2018年
出版社:岩波書店
リンク:
https://goo.gl/Lutsqp
▼140文字ブリーフィング:
現代は「ポピュリズムの時代の再来」
と言われています。
20世紀初頭のヒトラー、ムッソリーニらの台頭と、
同じ事が繰り返されている。
歴史は繰り返す、とヘーゲルは言いましたが、
それがじっさいに起きている。
本書は過去の事例を引きながら、
現代を再解釈させてくれる良書です。
(130文字)
●ぼぎわんが、来る
読了した日:2019年2月9日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:澤村伊智
出版年:2015年
出版社:角川書店
リンク:
https://goo.gl/eDGqu4
▼140文字ブリーフィング:
映画化されたことで本作を知りました。
本書を読んでから澤村伊智にちょっとハマりました。
スティーブン・キングがそうであるように、
ホラー小説って、じつは現実の社会の批判になっています。
澤村さんも同じで、彼は現代社会の機能不全家族を、
ホラーという容れ物によって批判しようとしています。
(138文字)
●死にがいを求めて生きているの
読了した日:2019年11月17日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:朝井リョウ
出版年:2019年
出版社:中央公論新社
リンク:
https://bre.is/ksgC8JDt
▼140文字ブリーフィング:
20代のときにこれを書いている、
朝井リョウさんの才能に驚愕しました。
1980年代以降生まれの人は特に、
彼が書いたものを読んだ方が良いと思います。
あと、1970年代生まれ以前の人々が、
現代の若者の皮膚感覚を知るためにも、
非常に有用な資料になります。
(123文字)
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陣内が今年読んだ本ベスト10
2020-04-20T09:16:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=465
陣内が先週読んだ本 2019年11月11日〜17日 『死にがいを求めて生きているの』他
第117号 2019年12月10日配信号
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年11月11日〜17日
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先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
とい...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年11月11日〜17日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●デジタル・ミニマリスト
読了した日:2019年11月11日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:カル・ニューポート
出版年:2019年
出版社:早川書房
リンク:
https://bre.is/UnFkokgz
▼140文字ブリーフィング:
Facebook、YouTube、Instagram、
Twitter、Tiktokなどは、
現代社会で巨大な富を生み出すと共に、
スマホというツールを通して、
我々から二つのものを奪います。
ひとつは「注意」、
もうひとつが「時間」です。
上記のビジネスモデルは、
「アテンション・エコノミー(注意経済)」
と呼ばれていて、
消費者が1秒でも多くそのコンテンツにとどまれば、
その秒数が収益につながる収益構造になっているため、
作り手のエンジニアは意図的に、
「行為依存」という中毒状態を、
消費者に望むようになります。
パチンコやたばこなどと同じく、
消費者がそれに依存すればするほど、
作っている会社は得をするのです。
引用します。
→P13
〈デジタル・ツールは
使わずにいられなくなるように設計されている。
しかもその行為依存を助長する文化的な圧力はすさまじく、
小手先の対処法では到底歯が立たない。
この問題を追及した結果、
私は次のような結論に達した。
必要なのは、自分の根本をなす価値観に基づいた、
妥協のない“テクノロジー利用に関する哲学”だ。
どのツールを利用すべきか、
どのように使うべきかという問題に明確な答えを提示できる哲学。
そして、選んだツール以外の一切を
無視できるだけの自信を与えてくれることも、
同じくらい重要な条件だ。
この二つの条件を満たす考え方は数多くある。
極端な例では、
ネオ・ラッダイト(ラッダイトは技術革新反対者のこと)が挙げられる。
新しいテクノロジーの
ほぼすべての利用を控えようと主張する人々だ。
これと対極に位置するのは、
自己定量化に熱中する人々だろう。
彼らは人生の最適化を目標とし、
生活のあらゆる領域にデジタル・デバイスを組み込む。
そういった多種多様な哲学を吟味するうち、
テクノロジー過多の時代をうまく渡っていきたい人々に
最適な答えとなりそうな一つが浮かび上がった。
私はそれを“デジタル・ミニマリズム”と命名した。
デジタル・ツールと付き合う上では、
”少ないほど豊かになれる”とする考え方だ。〉
著者は「注意」と「時間」を、
テック企業に搾取されないために、
「デジタルミニマリズム」を提唱します。
消費主義に人生を奪われないために、
モノをなるべく持たないようにする
「ミニマリズム」が発達したのと同じように、
これからの時代、
デジタル・ミニマリズムのような思想は、
私たちの心と人生を守る上で、
非常に重要な役割を果たすことになる、
と私は本書を読んで確信しました。
ちなみに私はデジタル・ミニマリストと言って良いでしょう。
なんせ、スマホを持ってないんですから。
その結果「注意」と「時間」を搾取されない。
だからこそ毎週こんな分量の文章を書けるのです。
「時間」を奪われるダメージは大きいですがそれ以上に、
「注意」を奪われることに私は耐えられません。
祈るにも考えるにも何かを生み出すにも、
「断片化した思考」は、
研いでいない包丁とおなじで、
何の役にも立ちませんから。
私は自分の能力を最大化するために、
スマホを拒絶しています。
しかしSNSなどを肯定する人々の中には、
「いや、人とつながるのは素晴らしいじゃないか!」
という人もいます。
それは否定しませんし、
私がSNSを「卒業」したけれど、
アカウントは削除していない理由もそこにあります。
しかし、スマホで1時間おきに
「いいね」をチェックするみたいな使い方は、
人をつなげるより、むしろ人を分断し、
孤独感を助長する、
という調査結果が出てきています。
引用します。
→P168
〈これは2017年に、
権威ある学術誌《アメリカン・ジャーナル・
オブ・プリベンティブ・メディシン》に掲載された。
プリマック率いる研究チームは、
選挙期間中の世論調査でランダムに
サンプルを抽出するサイト同じテクニックを使い、
19歳から32歳までの成人を全国代表サンプルとした。
そして被験者に対し一連の質問をして、
被験者自身が認識する社会的孤独(PSI)
――いわば孤独指数――を計測した。
また人気のあるソーシャルメディア・サービスを
11種類選び、それぞれの利用頻度と利用時間を尋ねた。
解答を集計したところ、
ソーシャルメディアを利用すればするほど、
孤独指数は上昇する傾向にあることが分かった。
ソーシャルメディアの利用頻度と利用時間が
多い方から4分の1までに属する被験者は、
少ない方から4分の1に属する被験者に比べ、
孤独指数はなんと3倍高かった。
年齢、性別、交際相手の有無、世帯収入、
学歴などの要員を調整した後でも結果は変わらなかった。
NPRの取材に応じたプリマックは、
この結果に驚いていると延べている。
「ソーシャルメディアなのですから、
社会的(ソーシャル)なつながりが強まると思うでしょう?」
しかし、データは明快だった。
そういったサービスを使って
”つながればつながるほど”、
孤独感は強まる傾向が認められる。〉
、、、SNSでつながればつながるほど、
私たちは孤独になります。
時間も注意力も奪われます。
私はデジタルなダイエットは必須だと思いますが、
まぁ、強制はもちろんしません。
各自が決めたら良いと思います。
ただ、ダイエットすると幸せになるよ、
というのは証言しておきます。
こちらの書籍はYouTubeでもご紹介していますので、
ご興味のある方は見てみてください。
▼参考リンク:デジタル・ミニマリスト
https://youtu.be/6Ef3rHFHdTI
(2,201文字)
●ティール組織 マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現
読了した日:2019年11月16日 後半3分の1の「実践」はながし読み
読んだ方法:図書館で借りる
著者:フレデリック・ラルー
出版年:2018年
出版社:英治出版
リンク:
https://bre.is/DHKshut7
▼140文字ブリーフィング:
これもかなり面白かったです。
ボリュームがすごい本なので、
後半の「実例」は流し読みしましたが、
前半の「理論」のところだけでも十分に面白い。
「組織のあり方」を、
石器時代まで遡って、
それらがどう「進化」してきたかを分析し、
そして現代社会に到来している、
「未来の組織形態=ティール組織」について語る本です。
それではまず、過去に組織はどう「進化」してきたか、
これを著者は「色分け」しながらこう説明します。
1.無色
血縁関係中心の小集団。
「自己と他者」「自己と環境」という区別がない。
2.マゼンダ(神秘的)
数百人の人々で構成される部族への拡大。
自己と他者の区別が始まるが世界の中心は自分。
物事の因果関係の理解が不十分で神秘的。
3.レッド(衝動型)
組織生活の最初の形態、数百人から数万人規模。
力、恐怖による支配。
マフィア、ギャングなど。
自他の区分、単純な因果関係の理解により分業が成立。
4.アンバー(順応型)
部族社会から農業、国家、文明、官僚統制の時代へ。
時間の流れによる因果関係を理解し、計画が可能に。
規則、規律、規範による階層構造の誕生。
教会、軍隊、官僚。
5.オレンジ(達成型)
科学技術の発展と、イノベーション、起業家精神の時代へ。
「命令と統制」から「予測と統御」。
実力主義の誕生。効率的で複雑な階層組織。多国籍企業。
6.グリーン(多元型)
多様性と平等と文化を重視するコミュニティ型組織の時代へ。
ボトムアップの意志決定。
多数のステークホルダー。
7.ティール(進化型)
変化の激しい時代における生命体型組織の時代へ。
自主経営(セルフマネジメント)、
全体性(ホールネス)、
存在目的を重視する独自の慣行。
、、、読めばわかるように、
通常我々が「組織」と呼ぶのは、
レッド以降です。
あえて現代の日本社会に落とし込むと、
・レッド=前時代的なワンマン社長中小企業
・アンバー=官僚・地方自治体的のような、
めちゃくちゃ「書類や決済」の多い組織
・オレンジ=能力主義の株式会社・多国籍企業
・グリーン=先進的なNPOや社会企業
(『世界でいちばん大切にしたい会社』に紹介されるたぐいの)
・ティール=まだ出てきていないが、あるとしたら多分、
周囲から「不可解な集団」と思われている。
この「ティール」というパラダイムが、
どれだけ異質か?
ティールの世界観に経つと、
リーダーシップやマネジメントという言葉自体が、
前時代的で不要なものになる、といいます。
→P474
〈今日の大規模な組織を支える
リーダーシップやマネジメントという思想は
組織としての成功に制約を与えている。
これは、16世紀、と17世紀に
封建制度という思想が
経済的な成功に制約を与えていたのと同じである
――ゲイリー・ハメル〉
、、、本書では世界中の組織を調査した著者が、
現代社会で未来を先取りしている、
「ティール組織」の実例をいくつか紹介します。
業界は本当に様々で、
看護師の集団から、医療組織、
機械の部品を作る工場から、
エネルギー企業まで多岐にわたり、
規模も数十人から数万人までばらばらです。
しかしその「組織の動き方」に、
共通するものがあることを、
著者は紹介していくのです。
ティール組織はときに中枢神経を持たないクラゲのようです。
現場で働く人数に対し、
「コスト部門」と呼ばれるホワイトカラーの部門が、
異常に小さい。
あり得ないぐらい小さい。
たとえば7000人の看護師を擁するティール企業の、
オランダの「ビュートゾルフ」のスタッフ部門には、
たった30名!しか働いていません。
その全員が看護師をサポートすることのみに献身していて、
彼らには何の決定権はないのです。
組織で働いたことのある人ならわかるでしょうが、
これは非常に「異常な事態」です。
なぜなら通常の組織では常に、
「コスト部門」が意志決定するからです。
それを言い表すビュートゾルフの看護師の言葉が、
脚注に引用されています。
→P119
〈官僚主義は、自分たちは必要な仕事をしていることを
(とりわけ実は必要ないのではないか、と思っているときほど)
証明しようと忙しく動き回っている人々によって築かれていく
――リカルド・セムラー〉
、、、フロリダにあるサン・ハイドローリックスもまた、
ティール組織のひとつとして紹介されます。
この会社は製造業ですが、
会議も文書仕事もありません。
理由は、「忙しくしている」ことに、
無駄な時間を過ごす暇はないからだ、といいます。
→P140〜141
〈サン・ハイドローリックスでは、
以上のすべての手順が徹底的に簡素化されている。
この複雑な状況をすべて理解して統制したいという経営陣は存在しない。
プロジェクトは有機的に、かつ非公式に起こる。
エンジニアはたいてい並行して複数のプロジェクトに携わっている。
彼らは、その時点で最も重要な仕事、
最も緊急な仕事、あるいは最も楽しい仕事は何かを考えながら、
自分の優先順位を常に調整し直す。
グーグルには、
エンジニアたちが毎週金曜日の時間をどう過ごすかを自由に決められる、
「20%ルール」として知られる慣行がある。
サンをはじめとする自主経営(セルフマネジメント)組織の場合、
基本的にこの自由時間が100%なのだ。
全体計画(マスタープラン)は存在しない。
プロジェクト計画ではなく、人員配置を心配する者もいない。
プロジェクト・チームは自然発生的に生まれ、
仕事が終われば解散する。
プロジェクトが時間通り、
あるいは予算通りに進んでいるかを誰も知らない。
なぜならば90%の人々は、文書でスケジュールを書いたり、
予算を立てたりすることを気にしていないからだ。
プロジェクト計画に関する手続きが
一切ないことで膨大な時間が削減される。
要するに、計画書の作成、承認プロセス、
進捗状況の報告、変更点の説明、
スケジュールの組み直し、再見積がないのだ。
もちろん、プロジェクトのための
経営資源を獲得するための政治的な動きも、
プロジェクトが予定通りに進まず、
また予算がオーバーしたときに
責任を押しつける相手を探す必要もない。
私がサンのリーダーの一人、カーステン・リーガルに、
同社の会議室がほとんど使われていないように見えますね、
と話したとき、彼女はあっさりとこう答えた。
「私たちは『忙しくしている』
ことに無駄な時間を費やしていないのです」〉
、、、ティール組織を理解するのに必要な二つの言葉があります。
これが前のパラダイムでいう
「リーダーシップ」と「マネジメント」に替わる言葉です。
その二つの言葉とは何か?
ひとつめは、
「自主経営」
もうひとつが、
「自己組織化」です。
なぜティール組織というパラダイムが、
「アンバー=順応型・官僚型」
「オレンジ=達成型・効率型」や、
「アンバー=多元型」に、
取って代わられると筆者が予測するのか?
それは、世界が「複雑系」になっていくからだ、
というのが筆者の回答です。
引用します。
→P354〜355
〈予測と統御という枠組みで働くと、
人は完全な答えを探したくなってくる。
もし将来が予測できるのであれば、
自分たちの仕事は、
予測できる将来にベストな結果をもたらす解決策を探し出すことになる。
入り組んだ(complicated)世界で予測をすることは有益だが、
複雑な(complex)世界ではあらゆる関連性が失われてしまう。
FAVIのジャン・フランソワ・ゾブリストは、
この違いを説明する比喩を見つけ出した。
ボーイング747などの航空機は
「入り組んだ」システムだ。
数百万の部品がスムーズに連携しないと動かないからだ。
しかし、あらゆる部品は精密に組み立てられているので、
一つの部品を変更すると、
それがどのような結果をもたらすかを予想出来る。
一方、ボウルいっぱいのスパゲッティは、
「複雑な」システムだ。
もちろん、数十の「パーツ」はあるだろうが、
たとえばボウルからはみ出ている
一本のスパゲッティの先を引っ張ると
何が起こるのかを予測するのは事実上不可能なのだ。
予測をすると、
自分が統制しているという安心感を得ることが出来る。
しかし実際には、私たちの生きている組織や世界は
スパゲッティのような複雑なシステムなのだ。
そのようなシステムでは、将来を予測することにも、
ベストの判断にたどり着くために
それまでのやり方を分析することにも意味がない。
習慣的に分析したところで、
自分たちは統制と予測をしているのだという幻想を抱くだけで、
エネルギーと時間を浪費しているに過ぎない。
進化型組織は、完璧な予測など出来ない複雑な世界と、
うまく折り合いを付けられる。
考えられる限りでベストの判断を明確に狙うわけではなく、
すぐに使える実行可能な解決策を狙う。
新しい情報が入ると、それに応じて判断は見直され、
どの時点でも改善が図られる。〉
、、、飛行機の機体には「予測と統御」が成り立ちますが、
ボウルいっぱいのスパゲッティには、
「予測と統御」が成り立ちません。
前者は「非・複雑系」で、
後者は「複雑系」だからです。
なぜそうなるのかも、
数学的に「証明」されています。
では、世界はどちらなのか?
現代の世界は間違いなく、
「複雑系」なのです。
だとしたら、
飛行機の機体を運営するような、
「マネジメントとリーダーシップ」ではなく、
生き物が自分をアップデートしていくやり方、
「自己組織化」と「自主経営」のほうが、
次の時代には主流になっていくのではないか?
という未来予測です。
世界にまだ数えるしかないティール組織が、
厳しい事業環境のなかで、
卓抜した業績を残し続けているのは、
彼らの戦略が時代にフィットしていることの、
ひとつの証拠だといえるでしょう。
(3,855文字)
●夜
読了した日:2019年11月17日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:エリ・ヴィーゼル
出版年:1967年
出版社:みすず書房
リンク:
https://bre.is/uVmfrCwq
▼140文字ブリーフィング:
何度も耳にしたことはあったのだけど、
やっと手に取って読みました。
エリ・ヴィーゼルはナチスの収容所を生き延びた人物で、
収容所の現実を小説として世に問い、
1986年にノーベル平和賞を受賞しています。
彼は経験なユダヤ教徒で神を信じていましたが、
ナチスの収容所での経験が、
「彼の中の神を殺した」といいます。
しかし彼の小説を読むとわかるのですが、
「神が死んだ世界をそれでも生きる彼」のなかに、
「信仰」という言葉では包摂できない、
さらに深い「信仰心」のようなものがあるのがわかるのです。
少年が収容所で絞首台に乗せられたとき、
ヴィーゼルのとなりにいた男が
「神はどこにいるのか?」と呟くシーンは忘れられません。
→P127〜128
〈三人の死刑囚は、
いちどきにそれぞれの椅子に乗った。
三人の首は同時に絞索の輪に入れられた。
「自由万歳!」と、二人の大人は叫んだ。
子どもはというと、黙っていた。
「〈神さま〉はどこだ、どこにおられるのだ」。
私のうしろでだれかが尋ねた。
収容所長の合図のもと、三つの椅子が倒された。
全収容所内が完全に静まりかえった。
地平線には、太陽が沈みかけていた。
「脱帽!」と、収容所長がどなった。
その声はかれていた。
私たちはというと涙を流していた。
「着帽!」
ついで行進が始まった。
二人の大人はもう生きていなかった。
膨れ上がり、青みがかって、彼らの舌はたれていた。
しかし三番目の綱はじっとしてはいなかった
――男の子はごく軽いので、まだ生きていた…。
三十分あまりというもの、
彼は私たちの目のもとで臨死の苦しみを続けながら、
そのようにして生と死の間を闘っていた。
そして私たちは、彼をまっこうから見つめねばならなかった。
私が彼のまえを通ったとき、彼はまだ生きていた。
彼の舌はまだ赤く、
彼の目はまだ元気が消えていなかった。
私のうしろで、さっきと同じ男が尋ねるのが聞こえた。
「いったい〈神〉はどこにおられるのだ」
そして私は、心の中で、
だれかの声がその男に答えているのを感じた。
「どこだって?ここにおられる
――ここに、この絞首台につるされておられる・・・」
その晩、スープは死体の味がした。〉
、、、神は、絞首台につるされておられる。
人間はこんなにも残酷になれるのだ、
ということを示したのがナチスの所業でした。
その残酷性は我々の中にも内在しています。
訳者は後書きで、
神を信じていた「エリエゼル(エリ・ヴィーゼルの本名)」と、
ナチスを生き延びたエリ・ヴィーゼルの間には、
「超えられない溝」があると言います。
その溝には600万人の死者たちがいると。
戦後に生まれた人間のなかで、
「いや、神はいるよ。
信じようよ!」
なんてこの人に言えるのは、
頭がすっからかんのバカだけだというのは確かです。
私は600万人の死を見ていないし、
少年が30分絞首台でつるされるのを見ていません。
見ていない私に言えることはありませんが、
エリ・ヴィーゼルのその「うめき」こそが、
私たちが未来に神を知るための、
細い糸になっているのは確かです。
彼のような人を「預言者」というのでしょう。
→P208
〈彼は今、幼少時の、
神秘に憑かれていた頃の自分に戻ることが出来ずにいます。
なぜならば、戦後のエリと幼年期のエリエゼル
(《神は我が祈りを叶え給えり》または《神は助けである》の意)
とのあいだに、墓に埋められなかった
600万人の死者たちがいるからです。
それに、収容所での第一夜に〈神〉を殺害されたエリエゼルは、
いわばその瞬間に〈神〉とともに死んだのです。
エリエゼルと〈神〉とが去った後、
彼の内面には底なしの空洞が残りました。
彼が果てしなく続けてきた、
その空洞との対話の最初の結実が『夜』なのです。〉
(1,511文字)
●死にがいを求めて生きているの
読了した日:2019年11月17日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:朝井リョウ
出版年:2019年
出版社:中央公論新社
リンク:
https://bre.is/ksgC8JDt
▼140文字ブリーフィング:
朝井リョウさんは、
映画『桐島、部活やめるってよ』
の原作者として認識していました。
映画があまりにも面白かったので、
文庫本を買ってはあったのですが、
今まで読んでなかった、っていうね笑。
買うと安心して読まないというね笑。
「積ん読」というやつです。
、、、でひょんなことから、
彼の長編小説を今回読んでみたんですよね。
まぁ、とんでもないですよ。
面白くて度肝を抜かれました。
彼は1989年生まれでまだ若干30歳!ですよ。
20代でこれを書くって、
もう、なんか、ため息が出ます。
嫉妬とかいうレベルじゃなく、
脱力してしまう。
あーあ、って。
天賦の才能、ってあるなぁ、って。
すげー書き手が出てきたなぁって。
具体的に何がすごいかを説明するのは困難ですが、
あえて言うと、
SNS時代の「強い嫉妬と自己愛ゆえの存在不安」
みたいなものを、
本当に上手に言葉として結晶化させている、という感じ。
今まで彼の小説で映画化されたのは、
『桐島、部活やめるってよ』と、
『何者』なのですが、
2本ともすこぶる面白いし、
彼の小説の雰囲気を損なってません。
彼の作品は映像化しやすいんだと思います。
これも彼がデジタルネイティブ世代なのと、
おそらく関係あるでしょう。
朝井リョウの文才に、
ちょっと、驚きましたね。
またひとり、天才が出てきたな、って。
(543文字)
●躁うつ病を生きる
読了した日:2019年11月17日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ケイ・ジャミソン
出版年:1998年
出版社:新曜社
リンク:
https://bre.is/WQGPJmpC
▼140文字ブリーフィング:
著者は躁うつ病の研究者であり、
同時に躁うつ病の患者、という珍しい本です。
彼女は自伝的に躁うつ病を軸に自分を語る。
詩的センスにあふれているが学術的な匂いもする不思議な書籍でした。
彼女は「躁うつ病と対決するのでなく、
躁うつ病をパートナーとして歩むことを選んだ」
といっていて、それが私の経験とも合致していて共鳴しました。
エピローグの4ページが素晴らしいのでご紹介します。
→P237〜239
〈ときどきわたしは自分に聞いてみる。
かりに選択できるなら、
わたしは躁うつ病であることを選ぶだろうかと。
もし炭酸リチウムがなかったら、
あるいはわたしに効かなかったら、答えははっきりしている。
ノーだ。
恐怖にぞくっとしながら、
それが唯一の答えだ。
だが、炭酸リチウムはしっかり効いている。
だからこの質問を考え直すことができそうだと思う。
奇妙なことだが、わたしは病気であることを選ぶと思う。
説明しにくいことだ。
うつ病はことばや響きやイメージを超えた恐ろしいものだ。
わたしは長期のうつ病をもう一度は切り抜けられないだろう。
疑い深くなって人とのつながりを絶ち切り、
信頼と自尊心を失い、生活を楽しむことができなくなり、
普通に歩くことも話すことも考えることもできず、
疲れ切り、夜も日中も恐怖におののく。
いいことは何一つない。
年を取るとは、年を取って病気になるとは、
死ぬとは、物わかりがわるいとは、
優雅さ、洗練、調和を欠くとは、不機嫌とはどういうことか、
人生の可能性、セックスの楽しさ、音楽の絶妙さ、
あるいは自分自身と他人を笑わせる力を
信じられなくなるとはどういうことかと経験できるほかは。
離婚や失業、別れをくぐり抜けてきたから、
憂うつになるとはどういうことか知っていると人は言う。
しかし、そういう経験は彼らに気持ちを味わわせるだけだ。
うつ病は、そうではなく、鈍く、うつろで、耐えられないのだ。
やっかいでもある。
あなたがうつ病なら、人はあなたのそばにいられない。
彼らはそうすべきだと思うかもしれない。
そうしようとさえするかもしれない。
しかし、あなたにはわかる。
そして彼らにもわかる。
あなたは信じられないほど退屈なのだ。
怒りっぽく、偏執的で、ユーモアがなく、
生気に欠け、不安定で、わがままで、まったく自信がない。
あなたはこわがり、こわがらせ、あなたは
「まったく自分らしくないけど、
すぐになんとかなるはず」だとおもい、
しかしなんともならないことを知っている。
それなのに、なぜこの病気に望むことがあるというのだろう。
だが、病気だったから得たものがあると、
本当にわたしは思うのだ。
わたしはより多くのことを、より強く感じた。
より多くのことを、より強烈に経験した。
より愛し、より愛された。
よく泣いたがよく笑った。
どんな長い冬にも春の喜びがあるのを知った。
「デニムのように擦り切れた」死を味わい、
そして生をさらに味わった。
人のもっとも優れた面ともっとも恐ろしい面を見て、
そしてすこしずつ、人を思いやること、誠実さ、
物事の本質を見抜くことを学んだ。
わたしは自分の心の大きさ、深さ、広さを見た。
それがいかにもろいものか、そしてついに、
それがいかに知ることのできないものかを知った。
うつ病の時、わたしは部屋の向こうへ
四つんばいになって這っていくしかなかった。
わたしは何ヶ月もそうした。
けれども正常なとき、あるいは躁病のとき、
わたしは速く走った。
頭は素早く回転した。
いままででもっともすばやく愛した。
自分の病気がそれに深く関連していると思う。
病気の激しさ、それが新たな物事をもたらし、立ち向かわせた。
わたしの心の限界(望む限りもちこたえている)と
わたしの育ち、家族、教育、友人の力が試されたのだと思う。〉
、、、躁うつ病、
今は双極性障害と呼ばれている病気について、
私は多くを知りません。
精神疾患というのは、
脳という臓器の複雑性ゆえ、
同じうつ病でも、
100人いれば100通りの症状があります。
まして双極性障害のことは、
うつ病を患っただけの私には、
理解したとは到底言えません。
著者は自らの躁うつ病と闘いながら、
自らの病気を研究者として研究し、
それによってキャリアを築くという、
まさに「病気を職業としてしまった」ような人です。
彼女が引用した文章で言っている、
「病気だったからこそ得たものがあると、
本当に思うのだ」
というのは心からの言葉だと思います。
私も同じですから。
病気は本当に辛いです。
本当に。
嫌に決まってるじゃないですか。
マジで辛いですから。
文字通り、死ぬほど辛いですから。
でも、それによって得たものもある、
と私も思います。
それは「雨降って地固まる」みたいな話とはちょっと違っていて、
著者もそうだと思うのだけど、
私の病気と、私というパーソナリティは、
切っても切れないのだと思うのです。
ある種の極端な能力を持った人に、
精神疾患の人が多いというのは、
脳の機能のベルカーブ曲線みたいなものを書いたとき、
それらの人々は、そのカーブの、
「とてつもなく端っこ」にいるからだと思うんですよ。
とてつもなく何らかの分野で優秀な人というのは、
実は「疾病」に分類されるほどの個性と、
「抱き合わせ」みたいな形でそのような能力を持ってたりする。
「角を矯めて牛を殺す」という言葉があります。
危険な角を切ったは良いが、
牛全体が死んでしまってはなんともならない、
ということですね。
彼女にとっての躁うつ病も、
私にとってのうつ病も、
この「角」みたいなものなのかなーと思ってます。
だから「病気は悪いモノ。治すべき。」
という「勝利主義」みたいなものを押しつけられると、
当事者は二重にも三重にも苦しむわけです。
当事者の魂からの言葉だけが、
そういった薄っぺらな世界観を、
内在的に批判し、脱構築することができます。
彼女のような存在はだから、
世界にとって貴重なのです。
(2,338文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:『死にがいを求めていきているの』
コメント:
全部、とても面白かったのだけど、
迷った結果、朝井リョウの小説を、
今週の一冊に選びました。
「平成以降の日本」を、
世代を代表する形で描くことのできる、
希有な作家です。
村上春樹がポストモダン的だと良く言われるのだけど、
どこか無理してるところがあるんですよね。
昭和の重力と戦いながらそうしているというか。
1989年生まれの朝井リョウは、
昭和の重力から完全に自由です。
ポストモダンネイティブって感じで、
ちょっと衝撃を受けました。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「じわじわ面白い賞」
『ティール組織』
コメント:
『ティール組織』は、
急いで読んだのもあって、
まぁ良くある流行りのビジネス書のひとつかな、
ぐらいに思って「一応眼を通しておくか」ぐらいな感覚でしたが、
後々、じわじわとそれについて考える感じの本です。
これを神格化して、「これがすべてを解決する!」
みたいに興奮するのは、
そもそも本の読み方として間違っています。
(でもそういう人多いんだろうなー。)
話を戻しますと、
「未来の組織」は、
「機械モデル」から「有機体モデル」に変わる、
みたいな「自己組織化」の考え方は、
組織論を考える上で有力な補助線になります。
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陣内が先週読んだ本
2020-04-14T09:24:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=464
快眠のためにしていることは?
第117号 2019年12月10日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼快眠のためにしていること▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週告知しましたように、
「シー...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼快眠のためにしていること▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週告知しましたように、
「シーズン2」もあと残すところ4回になりました。
来週から「読んだ本・観た映画ベスト10」を
やっていこうと思ってるので、
レギュラーコーナーは今日で最後になります。
名残惜しいですが、
さっそく質問カードからやっていきましょう!
▼質問:快眠のためにしていることは何かありますか?
、、、そうですねぇ。
私は案外「寝られる人」なので、
けっこう睡眠で苦労することは少ないのですよね。
病気になったときは睡眠もおかしくなりましたが、
身体が健康である限りは、
どこでもいつでも眠れてしまう、
恵まれた体質だと思います。
あと、長く眠れます。
ロングスリーパーです。
毎日10時間とかでも、
余裕で寝られますが、
最近はだいたい8時間〜9時間に落ち着いています。
それでも長いですが。
睡眠時間はどこから拠出しているかというと、
スマホを持たないことで生み出した時間を、
すべて睡眠に充てている感じです。
スマホを手放すと、
どんな人でも「1日2時間増える」
というのは、自信をもって言えます。
私はガラケーなので、
その分時間があるのです。
それを全部睡眠に充てると、
ちょうど6時間睡眠の人とバランスがとれる。
「スマホと睡眠」どちらが脳に良いか?
どちらが生産性に貢献するか?
言うまでもありません。
100:0で睡眠です。
数々の科学的証拠がそれを追認しています。
スマホのない生活は快適だよー、
マジで。
あと、寝ている時間って、
「損してる」と思ってる人が多いですが、
それは完全な間違いです。
寝てる時間って仕事してるんです。
脳はちゃんと働いていて、
明日の頭脳労働のための準備をしています。
6時間睡眠を5日間続けた人の運転技術は、
認知能力の低下により、
飲酒運転並みに低くなる、
っていう研究があるぐらいなので、
じつは睡眠不足で毎日仕事行っている人って、
酒飲んだ状態で仕事モードに入っているのと同じです。
「寝てない自慢」なんていう時代の遺物は、
今すぐに生ゴミボックスに捨ててしまいましょう。
、、、というわけで、
睡眠に苦労はしていませんが、
睡眠を私は真剣に捉えています。
「寝ているときから、
明日の仕事が始まっている」
とすら思っている。
吉越浩一郎さんが言うように、
「寝ないなんて怠惰」なのです。
というわけで私は、
毎日勤勉に寝ています。
そして、睡眠の質がなるべく高くなるようにも、
それなりに工夫しています。
まず、遮光カーテン、
これは必須ですね。
これがあるとないとで、
睡眠の質はかなり変わる、
というのも研究で実証されています。
それから、夜寝る前は、
「読書の時間」としています。
かなり幅はありますが、
だいたい1日1〜4時間ぐらい読みます。
この時間をテレビモニターやスマホの前で過ごすと、
ブルーライトが網膜を刺激して、
睡眠障害につながることもわかっています。
それから、
寝る前に「鼻炎スプレー」を鼻にします。
私はアレルギー性鼻炎をもってるので、
基本的に慢性的に鼻が詰まっていて、
それを解消してやると、
かなり眠りが深くなることを去年発見してから、
さらに睡眠が快適になりました。
あと、寝るときは、
「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」
を、タブレットで耳元で小さな音量で聞いています。
自動的に切れるように設定して。
これが、マジで良い子守歌なんですよね。
「無音」だと人間って、
いろんなこと考えちゃうじゃないですか。
特に心配事があるときなんかは、
そのことがベッドの中でぐるぐる回って、、、
みたいのってありますよね。
有田と上田のバカ話を聞いてると、
なんかそういう「悩みのるつぼ」から、
思考のトラックが外れて、
そしてすんなりと眠りに誘ってくれます。
この習慣はうつ病療養中に身につけたのですが、
それから今でも続いています。
、、、という感じで、
私の睡眠のためにしていることは、
これぐらいでしょうか。
皆さんは何か、
睡眠のためにしていることはありますか?
]]>
今週の「オープニングトーク」
2020-04-13T09:23:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=463
陣内が先月観た映画 2019年11月 『トイ・ストーリー4』他
第116号 2019年12月3日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年11月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうとい...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年11月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●キング・オブ・コメディー
鑑賞した日:2019年11月7日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:マーティン・スコセッシ
主演:ロバート・デ・ニーロ
公開年・国:1963年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/vvU3z7eR
▼140文字ブリーフィング:
先月観た『ジョーカー』の衝撃が未だに残っています。
あれを見て、いてもたってもいられなくなり、
こちらを鑑賞しました。
トッド・フィリップスの『ジョーカー』って、
マーティン・スコセッシの二つの映画へのオマージュなんです。
『タクシードライバー』と『キング・オブ・コメディー』です。
『キング・オブ・コメディ』のルパート・パプキンと、
『タクシードライバー』のトラヴィスを合わせた人間が、
『ジョーカー』のアーサー・フレックなんですよ。
訳わかんないでよすね笑。
説明します。
『キング・オブ・コメディ』は、
ルパート・パプキンという、
今で言うニートが主人公の映画です。
彼は30代の中年になっても母親と暮らしていて、
「自分は天才的なコメディアンになる才能がある」
という妄想を抱いています。
彼は『ジェリー・ラングフォード・ショー』という、
超人気番組の司会者であり、
全米トップコメディアンのジェリーを崇拝している。
パプキンは自分が書いたギャグを吹き込んだカセットテープを、
ジェリーの事務所に送り続けています。
いつかジェリーが自分の才能に気づき、
『ジェリー・ラングフォード・ショー』に出演する日を夢見て。
ここまでは良い。
ここからだんだんおかしくなってきます。
パプキンはジェリーの「出待ち」もしています。
彼がテレビ局から出てくるところを待ち構え、
「あのカセットテープを聞いてくれた?」ってやってる。
ある日、なんかの拍子に、パプキンはジェリーの車に乗って、
彼の家まで車に同乗することになる。
そこでパプキンはジェリーに、
コメディアンになる夢を語ります。
ジェリーは面倒くさいので、
「きっと君は成功するよ」と言うのです。
パプキンはその言葉を額面通り受け取り、
その妄想はだんだん暴走に変わってくる。
ついに彼はジェリーの事務所に行きますがそこで無視されます。
当然です。
パプキンは今度はジェリーの別荘に勝手に上がり込み、
ジェリーを誘拐監禁するのです。
そして彼の命を人質にして番組プロデューサーを脅し、
ジェリーの帯番組に出演する、、、、
というのがこの映画の筋書きです。
この映画はパプキンの主観目線で描かれるので、
どこからが現実でどこからが彼の幻想なのか分からなくなってます。
これもまた『ジョーカー』に踏襲されます。
『タクシードライバー』はじゃあ、
どういう話か?
ベトナム戦争の後遺症で精神にダメージを負ったトラヴィスは、
深夜のタクシードライバーという低賃金労働をしますが、
ある日彼は「自分が世界を救う」という妄想を抱く。
そして身体を鍛え銃の扱いを覚え、
最後は大統領候補の暗殺を企てる、、、という話です。
『ジョーカー』のアーサーはどんな男か?
強迫神経症により、
「笑ってはいけない状況で
どうしても笑いが止まらなくなる」
という精神疾患を抱えていて、
ピエロの仕事をしているアーサーは、
30代で低収入で、自治体の提供するカウンセリングを受けています。
自治体の予算はカットされ彼は薬をもらえなくなり、
その症状は悪化します。
彼はちなみに、母親と二人暮らし(!)です。
アーサーはコメディアンを目指しており、
マーレイ・フランクリンという、
全米一のコメディアンの番組を見ることが唯一の楽しみで、
マーレイに認められてその番組に出演することだけが、
彼の人生の希望になっています。
ひょんなことから「キレ」て、
女性にちょっかいを出していた、
ウォール街のエリート3人を、
ピエロの格好のまま射殺します。
その行為が社会の不満分子に火を付け、
それが「ピエロの覆面運動」のような大衆を巻き込むデモになり、
そのデモはゴッサムシティの次期市長殺害につながります。
ほらね。
アーサー=パプキン+トラヴィスなのです。
ちなみに、
スコセッシの映画で
パプキンを演じているのはロバート・デ・ニーロ。
トラヴィスを演じているのもロバート・デ・ニーロ。
そして、
『ジョーカー』でマーレイを演じているのが、
ロバート・デ・ニーロなのです。
もう、完全に意図された配役でしょ。
なので、『ジョーカー』を100%楽しみたい人は、
『ジョーカー』をまずは見て、
次に『キング・オブ・コメディ』を見て、
そして『タクシードライバー』を見て、
最後に『ジョーカー』をもう一回見るのが「吉」です。
だれもそんな面倒なことしないでしょうけど。
でも、映画って「引用・参照」が結構あるので、
その引用元、参照元を知ってると、
映画体験に奥行きが出るんですよね。
これは読書にも言えることですが。
(1,814文字)
●IT イット
鑑賞した日:2019年11月9日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:アンディ・ムスキエティ
主演:ジェイディン・リーバハー
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/AMYtrcnS
▼140文字ブリーフィング:
スティーブン・キングのホラー小説の映画化です。
「IT」とは何の象徴か?
町山智宏さんの解説で知ったのですが、
この「IT」って、鬼ごっこの「鬼」のことなんですよね。
アメリカで子どもが鬼ごっこするとき、
「あなたIT(鬼)ね!」っていうわけですよ。
だからこの映画「リアル鬼ごっこ」みたいな感じで、
ピエロの格好をした「鬼」が子どもを「連れて行く」。
これに対抗するために子ども達が立ち上がり、
命がけの鬼ごっこが始まる、、、という感じの映画です。
ところが、町山さんが言ってて気づいたのだけど、
この映画の日本語のポスターやDVDパッケージや字幕翻訳は、
「IT=鬼ごっこの鬼」っていうことを、
あきらかに知らない人の手によって作られていて、
「それ」が来ると、恐怖につつまれる、、、。
みたいなホラータッチで宣伝されている。
これってミスリードなんですよね。
あと町山さんの解説でこれも知ったのだけど、
この原作小説は、浦沢直樹の漫画「21世紀少年」の、
明らかにネタ元です。
なぜか?
主人公達が住む田舎町デリーに、
27年おきに「鬼」はやってくる。
小学校の時の「いじめられっ子仲間」たちが、
大人になってまたあの「鬼」と闘う、
という、過去と未来が錯綜する話になってるからです。
浦沢直樹の21世紀少年でも、
子どもの頃の会話が大人になって
「ともだち教団」に影響していたりする、
っていう伏線の張られ方がするのですが、
これは「IT」の構成そのものです。
、、、で、ITとは何の象徴なのか?
それは見た人の数だけあるのでしょうが、
この街の「異常さ」にヒントがあると私は思います。
大人達はそれを異常とすら思ってないのですが、
この田舎町では「いじめ」が横行しています。
腕力の強い上級生が弱い下級生を虐める。
それを大人達は見て見ぬふりをするのです。
この「大人の無関心」こそ、
「IT」が象徴するものなのではないか、
と私は思います。
印象的なシーンで、
ことごとく大人が子どもに関心を示さず、
無視し、虐げます。
そして大人達は「IT」の作った惨状を、
見ることが出来ないのです。
これって、子どもの世界で起きている虐めを、
大人が「見ないふりをする」のと同じですよね。
あと、本作の主人公の弟は、
「IT」に連れ去られる設定なのですが、
そのあと「弟を失ったことで希望を失い、
兄である主人公を無視し続ける両親」というのは、
完全にキングの名作『スタンド・バイ・ミー』と同じです。
スタンド・バイ・ミーでは、
死んだのが兄だったというだけで。
スティーブン・キングの描きたいひとつのテーマが、
こういう形で貫かれているに気づくとちょっとうれしいです。
(1,075文字)
●トイストーリー4
鑑賞した日:2019年11月9日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:ジョッシュ・クーリー
主演:トム・ハンクス
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/sTAkrkY2
▼140文字ブリーフィング:
これはねぇ。
もう、ヤバイぐらい面白かったです。
見た後も、ずっと考えてしまうぐらい。
トイストーリーにおける「おもちゃ」って、
我々のことなんですよね。
ウッディやバズ・ライトイヤーって、
私でありあなたなのです。
そして、もっとツッコんだ話をすると、
バズやウッディって、
子育て中の親なんですよ。
じっさい、ウッディの最初の所有者のアンディは、
劇中で「父親」が出てきません。
ピクサーの制作陣の設定では、
アンディの父親って死んでるんです。
そしてウッディは、
アンディが亡き父から譲り受けた、
「ファミリー・トイ」なんです。
だから比喩的に、
アンディの父親は、
ウッディの両眼を通して、
アンディを見守る、という構図になっている。
だから前作、
『トイストーリー3』で、
アンディが大学生になり、
ウッディのことをもう必要としなくなったとき、
ウッディは「アイデンティティクライシス」に陥るのです。
あれは「空の巣症候群」のことなのです。
そして『3』はもう、
完璧な終わり方をしてるんですよね。
私は『3』を9年前に映画館で見ましたが、
もう、これは文句付けようがない、
とうなってしまいました。
「100点の映画」というものがあるとしたら、
それは『トイストーリー3』だ、と。
あの終わり方は完璧でした。
だからこそ、
ファンは『4』が作られることを知ったとき、
ちょっと複雑な心境になったのです。
「完璧」なものに、
さらに何を付け足すの?と。
結果的に、
『4』はアメリカでは大ヒットし、
そして絶賛一色だったそうです。
日本ではところが、
賛否両論だったのです。
なぜアメリカでは絶賛の嵐で、
日本では評価が分かれるのか?
この理由を考えるのが、
めちゃくちゃ面白いんですよね。
ちなみに私は絶賛派です。
まだ新しい映画なので、
内容には立ち入りませんが、
トム・ハンクス演じるウッディって、
「団塊の世代」なんですよ。
彼らの『魂の成熟』を巡る物語でもあるわけです。
現在60〜70代を迎える彼らが、
これからどのように生きるのか、
その「問い」を巡る物語なのです。
トイ・ストーリーは、
問い・ストーリーなのです。
、、、という、
完全に「大人の物語」なのに、
親子で映画館に行くと、
子どもはまったく違う視点で、
純粋にこの話を楽しむことが出来る。
まさに「同床異夢」なのですが、
大人と子どもが同じコンテンツを見て、
違う理由で同じぐらい楽しめる、
というこの「話法」を発明したピクサーは、
やっぱり凄いとしか言いようがありません。
(1,013文字)
●彼女がその名を知らない鳥たち
鑑賞した日:2019年11月10日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:白石和彌
主演:蒼井優、阿部サダヲ
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://bre.is/oh3W4K4d
▼140文字ブリーフィング:
どこかで「面白い」と聞いた記憶が残ってた作品が、
Amazonプライムで見られるようになってたので鑑賞しました。
蒼井優と阿部サダヲの演技が凄かったです。
特に阿部サダヲの「汚い男感」は凄い。
「食べ方が汚い演技−1グランプリ」があったら、
彼は優勝するでしょう。
そして、「恐ろしいほどの愛」が最後に描かれます。
賛否両論あるでしょうが、
鑑賞者に感情の爪痕を残すのは確かです。
(182文字)
●ドリーム
鑑賞した日:2019年11月21日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル100円
監督:セオドア・メルフィ
主演:タラジ・P・ヘンソン
公開年・国:2016年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/fX5TUVc9
▼140文字ブリーフィング:
アポロ計画に参加した黒人女性達の話です。
ケネディ大統領時代の当時、
まだまだ黒人差別というのはひどく、
NASAの中にも「白人専用トイレ」と、
「有色人種専用トイレ」がありました。
天才的な数学センスを持つ主人公の黒人女性は、
ロケットの軌道を計算するチームに抜擢されますが、
トイレに行くのに黒人専用トイレがある東棟まで、
往復40分走らなければならない、
みたいなことが起きていたわけです。
そのような中で3人の女性達は、
自分たちの能力を証明することで、
自分たちの地位を勝ち取っていきます。
先月観た「42 世界を変えた男」もそうですが、
こういった映画が現在も作られるということは、
逆に言えば今も有色人種差別があるということでもある。
特に今は人種差別主義者が大統領ですから、
そういった差別を助長する側面もあることでしょう。
マイノリティの権利というのは、
実はキリスト教の中心テーマでもあります。
「いかなる文化といえども、
社会秩序の上にある人々は相応なものが備えられる。
しかし文化の試金石とは、
底辺の人がどのように扱われるかにかかる」。
ワレス・メンデルソン
この言葉は、
聖書的な「社会観」と合致します。
当時はソ連との東西冷戦まっただ中ですが、
アメリカという国が偉大なのは、
こういう局面で差別感情を抜きにして、
能力のある人の能力を活かしてきたからなのだ、
というのもこの映画を観ると分かる。
じつはアメリカの偉大さって、
その「寛容さ」だと私は思っています。
だから世界から優秀な頭脳が集まり、
アメリカに富をもたらす。
現在のグーグルのCEOはインド人ですし、
スティーブ・ジョブズはシリア移民の子どもです。
ローマ帝国が衰退したのは、
ゲルマン系の移民を、
ローマ人達が虐げ始めたところから始まった、
と指摘する歴史学者がいますが、
昨今のアメリカにうごめく白人至上主義や排外主義が、
アメリカの「終わりの始まり」にならないと良いんだけど、
と私は思いながらアメリカを見ています。
(814文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
『トイストーリー4』
コメント:
これはもう、文句なしに凄かった。
見て損はありません。
これをどう思うか、
というのは、結構その人が出る感じがします。
日本人はきっと嫌いな人もいるだろうなぁ、
というラストも、とても良い。
ピクサー、凄すぎます。
▼主演(助演)男優賞
阿部サダヲ(彼女がその名を知らない鳥たち)
コメント:
先ほども書きましたが、
アカデミー賞に、「食べ方が汚い部門」があったら、
この映画は受賞するでしょう。
阿部サダヲの汚い食べ方が、
脳にこびりつきます。
褒めてます。
▼主演(助演)女優賞
該当なし
コメント:
▼その他部門賞「ピクサー凄すぎる賞」
『トイ・ストーリー4』
コメント:
何度も言いますが、
ピクサーは凄すぎる。
映像技術は言うまでもないんですが、
やはり「脚本」が、
次元が違うんですよね。
アニメーションを超えて、
あらゆる映像作品のなかで、
ピクサーの脚本って一番考え抜かれている気がする。
舞台作家とか映画監督になりたい、
っていう人はピクサーをもっと研究すべきでしょう。
すでにしてるでしょうけど。
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陣内が先月観た映画
2020-04-07T09:22:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=462
もういちど入りたい大学・学部
第116号 2019年12月3日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼もういちど入りたい大学・学部▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
東京に戻ってきました。
今回...
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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼もういちど入りたい大学・学部▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
東京に戻ってきました。
今回の西への旅は、
とても充実した時間でした。
さて。
今週も質問カードからいってみましょう!
▼社会人としてもういちど大学に入る
時間とお金の余裕があったら、
どの大学のどの学部がよいですか?
、、、リンダ・グラットンの著作、
『LIFE SHIFT』によれば、
人生100年時代に、
ほとんどの人は「複数のキャリアを持つ」ようになる、
といいます。
これまでの「3ステージの人生」は過去のものとなります。
3ステージとはちなみに、
「教育→就職→退職後」のことで、
これが100年時代には「マルチステージ」になると。
教育1→仕事1→仕事2→教育2→仕事3→仕事4
→(引退はあったりなかったりその人次第)
というのが彼女の言う「釣り鐘型のキャリア」です。
教育1と教育2があるというのは
「社会に出てある程度キャリアを積んでから、
再教育を受けるために大学に入る」
などのキャリアデザインが一般的になるだろう、
ということです。
これってつまり「ひとつの専門」では、
一生食べていけなくなるということであり、
つまり厳しい時代でもあります。
欧米圏ではこのキャリアパスは、
かなり一般的になっていますが、
日本ではまだ「3ステージ信仰」が強いので、
社会人が人生の半ばでもういちど大学に行く
というのは例外的なことと見做されています。
しかし、産業構造の変化と人類の長寿化からすると、
日本もまたマルチステージ型にならざるを得ません。
あとは時期の問題であって、
日本の働き方が変化しない、
ということは未来予測的にあり得ません。
(理由は『LIFE SHIFT』を読んでください)
、、、さて。
私たちの子どもの世代は、
「マルチステージ」がデフォルトになるとして、
私の世代はどうなのでしょう?
けっこう「時代の端境期」だと思うのですよね。
「3ステージ」で逃げ切れる最後の世代は、
現在の50代までだと言われていて、
40代以下は、「マルチステージ型」に社会が移行する、
ちょうど中間的な世代になるはずです。
そうすると、
「3ステージ型」と、
「マルチステージ型」の、
二つの世界観が、
同じ世代に共存するようになる。
つまり私たちの世代は、
「昭和的世界観」を持つグループと、
「令和的世界観」を持つグループの、
二極化することが予想されます。
中間(平成)はたぶん、ありません。
私は「令和的世界観」でありたいと思っています。
理由は前者を選択した場合、
「既存の権益を温存する方向」に志向性が傾き、
結果として新しい世代の邪魔をすることになるからです。
悪気はなかったとしても、結果的にそうなります。
30歳のときに公務員を退職したのは大きいです。
もしあのときに退職していなければ、
今の私は昭和的世界観を持っていたはずですし、
既存の権益を温存する方向に考えが傾いていたと思います。
人というのは弱いもので、
「自分の利益・権益を追認する方」に、
いつもバイアスが働きますから。
さて。
私はそんな感じで、
「過渡期」にあるので、
一生涯「自己教育」をし続ける、
という決意はしています。
たぶんそのへんの大学院生よりも、
年間に読む本の冊数は多いですし、
彼らが書く論文以上の分量の文章を、
毎年書いています。
私は「2年ごとに新しく大学院を卒業する」
というぐらいのインプットを続けています。
しかし、
「学を体系化する」には、
やはり既存の教育機関は効率が良いので、
どこかでそういう教育機会があれば、
それはそれに超したことはない。
あと、独学では絶対に得られないものとして、
「学友と師」これとの出会いもある。
私の場合家族がいたり、
今すでにコミットしている仕事があったり、
ライフステージを考えると現実的な選択肢から除外されますが、
でも、大学に入り直して学び直す、
というのが有意義だし魅力的なのは疑いようがありません。
では私はどこの大学の何学部に入るか?
日本ならもう、一択ですね。
同志社大学神学部です。
同志社大学神学部では、
今、卒業生でもある佐藤優が教えているんですよね。
あと、同志社の神学部の人が書いた卒論が書籍になってて、
それとかもめちゃくちゃ面白かった。
同志社は「自由主義」にカテゴライズされるので、
私が属する教会(福音派)とは「ジャンル」が違うのは、
百も承知です。
でも、というか、
だからこそ学びたい。
じっさい、
自分の既存の価値観を揺るがさず、
自分の既存の信念を強化するだけの学びなんて、
「学び」の定義から言ってスカスカに違いありません。
自分とは違う立場の人々がどう考えるか、
これを知ることで自分の足下での奥行きが生まれるのです。
あと、同志社大学神学部に、
福音派(アッセンブリー教団)から学びにいった、
青木さんという牧師の方が書いた、
「アメリカの福音派」という本も、
すこぶる面白かった。
こういう学びを出来る場所が日本にあるのだから、
もしチャンスがあれば学んでみたいなーという気持ちはあります。
、、、あと、日本じゃなかったら、
そうですねぇ。
カナダのバンクーバーにある、
リージェントカレッジという神学大学にも行ってみたい。
あそこはジェームズ・フーストンという人が、
「牧師養成塾」としての神学校のあり方に疑問を抱き、
社会で生きる一般の人が、
「生活の中で神学するとはどういうことか」
を学ぶことが出来るような教育機関が世界にない。
じゃあ作ろう、ということで作った大学です。
めちゃ興味があります。
両大学の所在地も魅力的です。
同志社は京都ですし、
リージェントはバンクーバー。
両方とも都市としての魅力が高い。
人生で一度は住んでみたい、
と思わせる何かがあります。
あとはそうですねぇ。
コロラドに住みたいので、
コロラド州立大学とかでしょうか。
学部はどこでもいいです笑。
不純な動機です笑。
みなさんは学びたい大学・学部はありますか?
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今週の「オープニングトーク」
2020-04-06T09:20:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=461
陣内が先週読んだ本 2019年 10月30日〜11月10日『勝利者キリスト』他
第115号 2019年11月26日配信号
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 10月30日〜11月10日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 10月30日〜11月10日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●勝利者キリスト
読了した日:2019年10月30日
読んだ方法:山田和音君に借りる
著者:グスタフ・アウレン
出版年:1982年(原著初版1930年)
出版社:教文館
リンク:
https://bre.is/u2ubhgZb
▼140文字ブリーフィング:
「よにでしセミナー」の第一期修了生でもあり、
それ以来の友人でもある山田和音くんとは、
時々話しては「最近面白かった本は?」と教えてもらってます。
「良い本を紹介してくれる友人」は、
人生を確実に豊かにしてくれます。
『勝利者キリスト』は、
今年の春に彼から紹介してもらって、
読みたかったんだけど、
もう絶版になってて、
Amazonで古本を買うと、
なんと2万円オーバー!!
ということで、
山田君に夏に会ったときに貸してもらいました。
そんで読んだわけですけど、
確かにすごく面白かったです。
著者のスウェーデンの神学者、
グスタフ・アウレンは、
ディートリッヒ・ボンヘッファーとかと同じ世代です。
本書は、キリスト教の歴史を通して、
「贖罪(救済)」というものが、
どのように変遷してきたかをなぞる、
という内容の書籍です。
神学の世界ではこれを「贖罪論」と呼ぶので、
「贖罪論の歴史」が本書のテーマです。
著者は、プロテスタント神学では主流の、
「ラテン型」救済論の陰に隠れてきたが、
確実に同じぐらい重要であるはずなのに、
長らく忘れられてきた「古典型」贖罪論が存在するのだ、
と指摘します。
→P11
〈それゆえ、
私は普通客観説と呼ばれる類型の贖罪説を「ラテン」型と呼ぼう。
なぜなら、それは西方のラテン的土壌で埋まれ、
発展したからである。
そして、二元論的な
ドラマティックな見解を贖罪の「古典的思想」と呼ぼう。
古典的思想は、実のところ、
その重要性を誇張してもしすぎることがないほどの位置を、
キリスト教教理史の中で占めてきた。
それは種々な形態において表現されており、
そのすべてが同じような実りをもたらしたわけではないけれども、
初期の教会においては
ずっと支配的な贖罪思想であったことは議論の余地がない。
それはまた実際新約聖書における支配的な思想でもある。
そのことを私は示したいと思う。〉
、、、クリスチャンの中に、
「神学なんて必要ない」
という人が時々いますが、
それは暴論というものです。
もっと言えば「あさはか」です。
もし神学というものがなければ、
我々はそもそも、
いまだに日本語で聖書を読んでいないでしょうし、
「祭司を通してしか祈れない」ため、
日々神に祈る、という私たちの、
当たり前の信仰の形も存在しません。
神学は私たち「信仰の呼吸をする環境」
を整えているようなものなので、
「神学が必要ない」と言っている人は、
水や空気が当たり前にありすぎて、
その恩恵を意識できていない人と同じです。
「上下水道局など必要ない」と言うのは自由ですが、
本当になくなればその人は「万年下痢確定」です。
ではたとえば「贖罪論」は、
どのような影響を、
我々の信仰に及ぼすか?
めちゃくちゃ及ぼします。
キリストは「罪の罰」を、
その十字架で担ってくれた。
それは裁判で有罪になったあなたの、
「保釈金」を払ってくれたようなものだ。
だからあなたは自由の身になれる、
っていう説明ってあるじゃないですか。
あるいはこういうのもあります。
あなたはおもちゃ職人が作ったおもちゃで、
めちゃくちゃ高価なものだった。
しかしそれがある日盗まれてしまった。
そのおもちゃ職人が、
ある日旅先で訪れた古美術屋で、
「あなた」が1000万円で売られているのを見つけた。
おもちゃ職人は、それが本当は自分のものだと知りながら、
1000万円を支払い、あなたを「再度買い取った」。
これがあなたと神の間に起きたことです。
こういった「比喩」の背後には、
「贖罪論」があります。
どのような「贖罪論」をとるかによって、
私たちの「救済の意味」すら変わるのです。
ひとつ忘れてはならないのは、
それらの贖罪論は互いに排他的なものではなく、
複数の贖罪論(救済観)は共存可能だということです。
なぜなら神学の究極のテキストは聖書であり、
その聖書というテキストをもとに、
神学者は「贖罪論」を構成していくからです。
さて。
アウレンは「主観論」と「客観論(=ラテン型)」が、
現在の西方キリスト教会、
つまりプロテスタントとカトリックでは主流であり、
それによって「古典型贖罪論」のもつ豊かさが、
隅に追いやられている、と論ずるわけです。
ちなみに私が先ほど挙げた二つの例、
「裁判で有罪になったあなたの罪の保釈金」
「おもちゃ職人がおもちゃを再度買い取る」
これは両方とも「ラテン型」贖罪観に基づきます。
「ラテン型」の顕著な特徴は、
それが「法律」の類比で理解されることです。
そしてこの立場を取ると便利なのは、
「神義論」と呼ばれる、
「神の正しさと不変性」を論証する神学の分野と、
矛盾が生じないことです。
この「論理的なわかりやすさ」
こそが、特に近世以降の、
「合理主義・啓蒙主義」の流れのなかで、
多くの神学者たちの心を捉えたから、
「ラテン型贖罪論」はこれほど支配的になったんだよ、
とアウレンは言うのです。
→P184
〈以上の考察は、古典的贖罪思想が抑圧され、
軽蔑をもって扱われてきた
一つの究極的理由を
我々に明らかにするのに役立つであろう。
神学があらゆるものを十分に
合理的に説明しようと思い始めるとき
あらゆる矛盾を含む古典的思想を
排除しなければならないのは余りに明らかである。
それは真理を表現する企てにおける粗野で原始的な段階であり、
もっと正確で適切な定式に
取って代わられなければならないからである。〉
、、、しかし、
神は果たして「合理的」なのだろうか?
というのがアウレンの問いです。
じっさい、宗教改革者マルティン・ルターのテキストは、
「ラテン的」というよりも「古典的」贖罪論に近い、
救済観を彼が持っていたことを示しています。
ところが「合理的説明」を求める近代啓蒙思想に、
無意識の影響を受けた中世以降の神学者たちは、
ルターの救済論に明らかに含まれている、
「古典型贖罪論」の匂いを排除していきます。
もしくはそれが彼らの「盲点」となった。
じっさいルターの弟子のメランヒトンの時点で、
すでに「古典型」の匂いは「脱臭」され、
「ラテン型」の「法律的・合理的」な、
贖罪論としてプロテスタント神学は体系化されていきます。
では、「古典型」が失われ、
「ラテン型」が支配することによって、
我々はどんな不利益を被るのか?
それは「神の業の一貫性」と、
「神と人間の距離」の疎外です。
引用します。
→P106〜107
〈法律的思想はかくて
古典的教説において占めていた
限定された場所とは全く異なる位置を占める。
神と人との関係はアンセルムスによって
本質的に法律的関係として取り扱われる。
というのは、彼の努力全体は贖罪の業が
正義と一致することを証明することである。
ブルンナーの言葉を使えば、
この図式においては、
法律は実際に精神的世界の花崗岩的土台としてあらわされる。
他方、古典的思想にとって本質的であるのは、
神がキリストにおいて達成する贖罪の業は、
法的秩序とは全く異なる神的秩序を反映するということである。
贖罪は正義の欲求の厳格な成就によって達成されるのではなくて、
正義の欲求にもかかわらず達成されるのである。
神はなるほど不義ではないが、
彼は正義の秩序を超越する。
ラテン的理論の法律的性格と
密接に結びついているのはその合理的性格である。
アンセルムスの連続的な折り返し
(リフレイン)はnihili rationabilius
(・・・ほど理にかなっているものはない)である。
すなわち贖いへの要求と、
その要求が満たされる仕方ほど
理にかなっているものはないというのである。
Lex etratioすなわち方と合理性は、
ルターが倦むことなくいうように、分かちがたい仲間である。
しかし古典的贖罪思想は合理的体系化を無視する。
神は和解させる方であると同時に
和解させられる方でもあるという
その本質的な二面性は、
合理的記述によって解決され得ない二律背反を構成する。
以上は古典的贖罪思想とアンセルムスによって代表される
ラテン型との対照の概観として十分であろう。
それは次のように要約されるであろう。
古典的思想は神の行為における連続性と
正義の秩序における非連続性を示す。
ラテン型は神の働きにおける法的一貫性と
神の働きにおける非一貫性を示す。〉
、、、なぜ「合理的に完全」な、
法的モデルであるラテン型贖罪論だけでなく、
神が合理性・合法性を「超越」されて人を愛す、
という物語性を重視する「古典型」贖罪論を、
見直すべきだとアウレンは考えるのか?
それは「近代の限界」に時代は来ており、
それはとりもなおさず「合理性の限界」でもある。
これがポストモダンの社会の特徴です。
その社会のなかで、本当に有効な物語とは、
実は長いこと教会の伝統的な贖罪観であった、
「古典的贖罪論」という埋もれた宝にあるのではないか、
そういう「再発見・再評価」を、
アウレンは20世紀前半にすでにしていたのです。
驚くべき慧眼と言わざるを得ません。
、、、という私の解説より、
こちらの山田君の解説の方が、
もっと簡潔でわかりやすいかも知れません笑。
▼参考リンク:山田和音君のブログ
https://bre.is/LYXzJQAv
(3,649文字)
●神の物語(上)
読了した日:2019年11月5日
読んだ方法:Amazonで書籍購入
著者:マイケル・ロダール
出版年:2017年
出版社:ヨベル新書
リンク:
https://goo.gl/6oawTT
▼140文字ブリーフィング:
これも確か、
山田君のブログで見て興味を持ち、
購入してた本です。
やっと最近読みました。
こちらも「神学」がテーマですが、
特に「ウェスレアン神学」と呼ばれるものです。
そしてその「ウェスレアン神学」を、
「物語」として語ることを主眼にしているのが、
この書籍のユニークなところです。
アウレンの書籍で解説したように、
近代合理性の限界と、
ポストモダン時代の到来が、
こういった書籍が書かれる背景にあります。
「近代(合理性を無邪気に信じられた時代)」から、
「ポストモダン(後近代)」になった、
というのは「論理的整合性」への疑いでもあります。
それが「合理的説明から物語へ」のシフトをもたらしていて、
神学の世界では「組織神学」から、
「聖書神学(物語の神学)」へと、
多くの人々の関心がシフトしていることと、
じつは関係があります。
、、、で、本書の著者はそのようなことを踏まえ、
神学を「物語る」という形式に落とし込もうとしている、
とても野心的な試みなわけです。
さらに著者は「ウェスレアン神学」を、
そのような語り口で語ろうとしている。
何を隠そう私が所属している練馬グレースチャペルは、
「ホーリネス系」と呼ばれるプロテスタントの一派ですので、
まさに「ウェスレアン神学」の伝統を受け継いでいるのです。
自分が所属する教会の神学を知っておくことは、
自分の足下を知ることになりますので、
とても有意義に違いない、
と思い、Amazonで購入した次第です。
上下巻のうち「上」を読了しましたが、
めっちゃくちゃ良かったです。
いろいろありすぎて書き切れないのですが、
まず「ホーリネスといえばコレ」というものの一つに、
「聖め」があります。
「聖化」と言われたりもします。
だからホーリネスは別名「聖め派」と呼ばれていた頃もあるぐらい。
だから練馬グレースチャペルでも、
「聖め」っていう言葉は、
他の教会に比較すればかなり多い頻度で、
使われたりするわけです。
その「ルーツ」である、
ジョン・ウェスレーは、
「聖め」をどう定義していたのか?
これが、私にとっては目から鱗でした。
引用します。
→P46
〈ウェスレーにとって、
この「聖書的聖め」または「キリスト者の完全」の本質は、
全存在をもって神を愛し、
自分自身を愛するように他人を愛することである。
それは「愛における」完全である。
律法主義的な空想上の絶対的完全とは全く関係がない。
またそれは神との関係、
隣人との関係における完全であって、
愛によって「完成される」ものである。
ウェスレーはこう表現する。
「キリスト者の完全はこれ以上のものでもなく、
これ以下のものでもない。
すなわち、神と一への純粋な愛、
心と精神を尽くして神を愛し、
自分自身のように隣人を愛することがそれだ。
この愛が心と生活を治め、
気質(すなわち思いと感情の習慣)と言葉と行いを支配すること。
私はこれ以外のことを求めていない。
私が意図する完全あるいは聖めとはただこのことである」〉
、、、「聖め」「聖化」という言葉が、
最初に人々に呼び起こす印象は、
多分「きよめられたクリスチャン」みたいなステレオタイプで、
たとえばロック音楽を聴かない、
映画は観ない、
世俗的なテレビ番組は見ない、
酒場に行かない、
ゲームセンターに近づかない、
「世俗的な」書籍は読まない。
「世俗的な」趣味も持たない。
、、、読むのはただ聖書だけ。
、、、趣味は「祈ること」。
こういう、
「足が地上から1センチ浮いた状態で生活してる」
みたいな、中世の修道僧が、
そのまま世俗界で生活してるみたいなイメージだったりします。
「汚れたこの世界」の汚染から、
ひたすら自分たちを守っている人、
っていうのが案外「聖められた人」の、
ステレオタイプだったりします。
しかし、ウェスレーまで遡ると、
なんとウェスレーは、
一言もそんなことは言ってない(驚愕!)。
そうじゃない。
聖められた人とは、
「神を愛し、
隣人を愛する人」のこと。
これ以外に何も求めてない、
っていうんです。
逆に「汚れたこの世の中」と無縁に、
『霊的無菌状態』で生きるというのは、
隣人愛を不可能にします。
だって愛すべき隣人は、
この世の中にいるんですから。
だからイエスは、
「食いしん坊の大酒飲み」と、
宗教的な人々から中傷されたんですし。
時々ルーツに帰らないと、
私たちの「伝統」は、
簡単に道を誤るんだなぁ、
と思いながらこの箇所を読みました。
、、、「伝統」といえば、
ウェスレーは「伝統」を軽視した訳ではありません。
「それがすべてじゃない」って言ったんです。
引用します。
→P78
〈個人的な経験に訴えることは、
ウェスレアン神学の大きな特徴の一つである。
ジョン・ウェスレーの時代、
大部分の英国国教会の神学者は、
聖書がクリスチャンの信仰と礼拝の
主要な権威ある源であることを語り、
また伝統と理性がその大切な支えであることを理解していた。
けれどもウェスレーはそれらに、
宗教的真理を確認する役割を果たす個人的な経験を加えた。
著名なメソジスト神学者アルバート・アウトラー(1908〜1989)にならって、
ウェスレアン神学に立つクリスチャンたちは、
聖書・伝統・理性・経験という
「ウェスレアン神学の四辺形」に注目し、
神の物語を聞き、語る際に、その重要性を認めている。〉
・聖書
・伝統
・理性
・経験
この四つが大切だよ、
ってウェスレーは語ったわけです。
このうちのどれかが欠けると、
私たちはバランスを崩します。
四輪車が、三輪車になるのです。
だから「聖書の身勝手な解釈」はダメだし、
「伝統の軽視」もダメです。
伝統を軽視するのは、先人の知恵をゼロ査定することであり、
愚かとしか言いようがありません。
「反知性主義」もダメです。
神は人間に知性・理性を与えました。
それを放棄するというのは、
神を知ることをあきらめるのに似ています。
最後に経験を軽視するのもダメです。
実体験・実生活での神との個々の出会いの経験を軽視すると、
私たちは「過去と理性」のみに軸足を置くことになり、
信仰はダイナミズムを失うからです。
躍動感は失われ、冷たい前例主義だけが幅を効かせます。
凡庸な表現ですが、
「温故知新」というのは、
こういうことをいうなぁ、
と思いながら読みました。
自分の属する教会の、
依拠している神学を学べる有意義な書籍でした。
あと、私の長たらしい説明よりも、
こっちのほうがわかりやすいかも知れません(二回目)。
▼参考ブログ:ちょうをゆめみるいもむし
https://bre.is/FegzaSza
(2,613文字)
●予言の島
読了した日:2019年11月8日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:澤村伊智
出版年:2019年
出版社:角川書店
リンク:
https://bre.is/NzFr3zCQ
▼140文字ブリーフィング:
映画化された
「ぼぎわんが、来る。」を読んでから、
新進気鋭のホラー作家、
澤村伊智の本を、わりと立て続けに読んできました。
彼の最新作『予言の島』は、
ちょっとこれまでと違う感じの作風で、
ホラーとみせてミステリーであり、
環境問題だとかの要素も含んでいる、、、
という多義的な作品です。
結果的に「母という病」の路線の恐怖に着地する、
という結末は意外でした。
彼はやはり「家族という病」とか、
「機能不全家族」を描きたい人なんだと、
この作品で確信しました。
(219文字)
●節英のすすめ
読了した日:2019年11月9日
読んだ方法:山田和音君に借りる
著者:木村護?クリストフ
出版年:2016年
出版社:萬書房
リンク:
https://bre.is/4pex6H76
▼140文字ブリーフィング:
こちらも山田和音君に借りました。
現在の「ユニバーサル言語」である英語を、
便利だからという理由で使いまくることが、
じつは結構いろんな意味でヤバイかもよ、
というような本です。
著者はドイツ人と日本人のダブルの言語学者です。
ドイツ語・日本語を話し、
なおかつ英語の他に多言語を操りますが、
国際社会における「英語の便利さ」が、
じつは多様性を奪ったり、
深い思考を妨げたりするという弊害をもたらしている、
という警鐘を鳴らします。
「英語万能主義」に疑問を持たない日本の英語信仰は、
ちょっと異常な領域に達していると私も思います。
電気は確かに便利ですが、
「オール電化」にリスクがあることは、
あの震災で私たちは学んだはずです。
と同じようなリスクが、
「オール英語化」にもつきまとうのだから、
「節電」と同じく「節英」も必要なのではないか、
というのが著者の主張です。
私もそう思います。
まずは日本語運用能力を高めましょう。
日本語って、多くの人は「使えている」
と思っていますが、
使いこなせていない人が相当数いる、
というのが私の見立てです。
「炊飯器で米を炊けて、目玉焼きを作れる」
ことをもって「料理ができる」って言ってるようなもので、
日本で生活できているからといって、
「日本語が使えている」とは言えないのです。
「任意の本を一冊読んで、
その内容を自分の言葉で、
他者に簡潔に説明できる」
ということが、「料理が出来る」最低レベルだと、
私は思っています。
そう考えると、
このレベルで日本語を使える人は、
人口の5割以下だと私は思います。
下手すると2割を切るかもしれない。
その人が英語を学んでも、
その英語を使って成し遂げられることは、
AI時代にはほとんど何もないでしょう。
(647文字)
●読書会入門 人が本で交わる場所
読了した日:2019年11月10日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:山本多津也
出版年:2019年
出版社:幻冬舎新書
リンク:
https://bre.is/UBrHZ72V
▼140文字ブリーフィング:
猫町倶楽部という、
日本最大の読書会を主催するビジネスマンである山本さんが、
名古屋で発足した読書会が、
どのように成長してきたかを語ります。
このメルマガ主催の「オフ会」を、
来年はやりたいなーと思ってるのですが、
それを『読書会』という形にしようかな、
と本書を読んで思いました。
(135文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:『勝利者キリスト』
コメント:
贖罪論に関する本書は、
とても有意義でした。
あとでじわじわ効いてくる系の本です。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「温故知新賞」
『神の物語』(上)
コメント:
これも素晴らしかったですね。
自らのルーツをちゃんと勉強する、
ということの実り多さを体験しました。
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陣内が先週読んだ本
2020-03-31T09:18:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=460
朝ご飯のお決まりのメニュー
第115号 2019年11月26日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼朝ご飯のメニュー▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、いってみましょう。
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼朝ご飯のメニュー▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、いってみましょう。
▼朝ごはんのメニューは決まっていますか?
、、、私の場合、
決まっています。
毎朝「オートミール」ですね。
正確には、
・水1リットル
・サプリ
・プロテイン
・オートミール
です。
霜降り明星の粗品なら、
「いや、ボディビルダーの朝ご飯!」
ってツッコむでしょうが、
まぁ、そうなんだから仕方ない。
まず、水は朝起きるとガブガブ飲みます。
睡眠中に失われた水分を補給するため。
あとはサプリですが、
私は3種類飲んでいます。
1.マルチビタミンミネラル
筋トレとボディメイクしていると、
わりと食事のルーティーンが決まってくるので、
特定の微量元素が足りなくなる、
っていうのは避けたい。
というわけでマルチビタミンミネラルは飲んでます。
2.グルタミン
これはアミノ酸の一種で、
筋トレユーチューバーのコアラ小嵐が、
筋トレ始めてから風邪を引きやすくなったんだけど、
これを飲み始めてから引かなくなった、
っていってて、それで飲み始めました。
グルタミンって腸の細胞を再生させるのに関与してるらしく、
人間の免疫機構って、「腸で作られる」
といっても過言ではないので、
まぁ、理にかなった話です。
毎朝5グラム飲んでます。
3.クレアチン
これは、北海道で、
筋トレしてる知り合いから聞きました。
これを飲み始めてトレーニングの質が変わった、
って彼は言っていて、いろいろ教えてもらいました。
クレアチンって、「ATPサイクル」
っていう、「クエン酸回路」とも言われる、
人間のエネルギーを生み出す化学反応の、
「ひとつの歯車」として登場する物質なんですよね。
その知り合いは医者なので、
やたら説得力がありました。
これも毎朝5グラム。
たしかにこのサプリは実感があって、
たとえばアームカールを、
9回で限界だったのが、
「最期のもう1回の踏ん張りがきく」
ようになる感じがあります。
ちなみにクレアチンもグルタミンも、
毎日5グラムなのでなかなか減らないし、
サプリ自体それほど高価でもないので助かってます。
私は年に二回ぐらい、
「マイプロテイン」というイギリスのサイトで、
キロ単位で購入しています。
、、つぎにプロテイン。
朝はホエイプロテインを20グラム飲みます。
夕食から12時間ほど経過しているので、
胃の中は空っぽになってるわけで、
とりあえず血中アミノ酸濃度を上げたい、
という、ボディメイクの強迫観念(笑)により、
やはり朝一はサプリで入れておきたいですね。
「毎朝肉や魚が食える」
という環境にある人はよいですが、
朝は忙しかったりするので、
サプリがお手軽でよいです。
、、、最後にオートミールですね。
毎朝30グラム食べています。
カロリーにして120kcalぐらいでしょうか。
これに水を入れてレンジで2分20秒温めます。
増量期にはこれに牛乳と蜂蜜を入れて食べるのですが、
今は減量期なので、牛乳と蜂蜜をやめて、
「お茶漬けのもと」を入れて食べます。
けっこう美味いです。
朝炭水化物抜くというのは、
ダイエット的に不正解ではないのですが、
脳に行く栄養がなくなるため、
仕事の能率が落ちては本末転倒です。
だから朝の炭水化物は必須。
では、なぜパンや白米でなく、
オートミールなのか。
それは「GI値」というのが関係してて、
簡単にいうと、
「血糖値の上がり方が穏やか」な食品なんです。
オートミールとかサツマイモとか、
そういった食物繊維が多い炭水化物は。
そうすると、「腹持ちがよくなる」し、
徐々に血中に糖分が溶け出すイメージなので、
インシュリンの大量分泌による、
「シュガーラッシュ」と呼ばれる、
「反動低血糖」も起こらない。
そういう理由で毎朝オートミールです。
これも2.5キロの箱をネットで買います。
半年以上、たぶん1年近く持ちます。
そんなわけで、
私の朝食はそんな感じです。
「夢」はあまりないですね笑。
ボディメイクを追求しすぎると、
「食事」が「エサ化」してくるのですが、
それは本末転倒だと思うので、
なるべく遊び心も入れながら、
食事を楽しみつつやってます。
マッスル北村のように死んだりしませんので、
ご安心ください。
皆さんの朝食のルーティンはありますか?
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今週の「オープニングトーク」
2020-03-30T09:17:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=459
陣内が先週読んだ本 2019年 8月4日〜8月31日 『平成史』他
第114号 2019年11月19日配信号
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 8月4日〜8月31日
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ひっさしぶりに、
「読んだ本」コーナーやっていきます。
「先週」読んだ本、
というの...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 8月4日〜8月31日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
ひっさしぶりに、
「読んだ本」コーナーやっていきます。
「先週」読んだ本、
というのはもはや有名無実化していて、
「最近」読んだ本コーナーです。
ところが8月12日から9月後半まで、
私は体調を崩していまして、
ほとんどまったく本を読めない時期が2ヶ月ちかくありました。
最近やっと少しずつ読書再開してますが、
まだ読書スピードは戻ってきてません。
1日2〜3時間が限界、という感じでしょうか。
なので、病気で読めなかった2ヶ月間を含む、
8月4日〜31日までに読んだ本を、
とりあえず今日はご紹介します。
読んだ後けっこう時間がたってるやつも多いので、
記憶がおぼろげで、まとめとしてイマイチかもしれません。
そのときはどうかご容赦ください。
●コペルニクス革命
読了した日:2019年8月5日 途中飛ばし読み
読んだ方法:図書館で借りる
著者:トーマス・クーン
出版年:1989年
出版社:講談社学術文庫
リンク:
https://bre.is/fTD62-M7s
▼140文字ブリーフィング:
「パラダイム」という言葉を最初に使ったのは、
本書の著者トーマス・クーンとされています。
ちなみにパラダイムとは、
「ものの見方」のことです。
ニュートン以前には古典物理学のパラダイムはなかったし、
アインシュタイン以前には相対性理論のパラダイムはありません。
同じようにボーア以前には量子論的パラダイムはありません。
科学の「パラダイム」というのは、
ものの見方の枠組みを根底から変えてしまいます。
ニュートン力学では絶対時間・絶対空間が前提とされますが、
アインシュタインの理論では時間・空間は相対的で、
光の速度だけが一定です。
アインシュタインの理論では、
「法則」のもとにあらゆる物質の未来が予想できますが、
量子論的パラダイムでは、ものの未来は確率に支配されます。
こういった「パラダイム」という考え方が、
じつはあらゆる分野で応用可能なので、
「科学史家」であるトーマス・クーンは、
分野を超えてあらゆる領域の人々に参照され引用されます。
たとえばビジネス界では、
20世紀に最も売れたビジネス書のひとつ、
「7つの習慣」で著者のスティーブン・コヴィーが、
「パラダイム」という言葉を使っていますし、
宣教学者デイヴィッド・ボッシュは、
クーンのパラダイム理論に依拠して、
『宣教のパラダイム転換』という金字塔的大著を残しています。
「パラダイム」という「考え方」は、
汎用理論なので、
あらゆる分野に応用可能です。
自分がしている仕事が今、
どのような前提とパラダイムに基づいているのか、
これを見直すことが出来ると、
圧倒的に未来を切り拓いていく推進力が高まります。
面白かったのは、
宗教改革者のルターやメランヒトンが、
「地動説」を否定していたというくだりです。
→P299〜300
〈1539年の「座談」において、
マルチン・ルターは次のように述べたと言われている。
「天や太陽や月ではなく、
地球が回転するのだということを証明しようとする
新しい天文学者に人々は耳を傾けている。
・・・この馬鹿者は全天文学をひっくりかえそうとしている。
しかし聖書が証明しているように(ヨシュア記10:13)、
ヨシュアが止まれと命じたのは、地球ではなく太陽だった。」
(中略)
メランヒトンは、
この後いくつかの反コペルニクス主義の
聖書の文章を組み合わせて議論を進めているが、
そのなかで、伝道の書第一章第四節
および第五節のの有名な一節を特に強調している。
その節は、「地は永遠に変わらない」、
そして「日は出て、日は没し、
その出たところに急ぎ行く」と述べている。
最後に彼は、コペルニクスの不信心な行為を
抑えるためには厳密な観測を行わなければならない、と示唆した。
他のプロテスタントの指導者も
すぐに一緒になってコペルニクスを否定した。
カルヴィンは彼の『創世記についての注釈』において、
次のような詩篇93篇のはじめの1節を引用している。
すなわち「まことに、世界は堅く立って、
動かされることはありません」。
そうして彼は「一体誰がコペルニクスの権威を、
聖霊の権威より上に置いたりするだろうか」
と強調している。〉
ルター、カルヴァン、メランヒトンらの、
コペルニクスへの反応を読み、
現代の私たちは「まったく馬鹿げたことだ」
といって肩をすくめるかもしれませんが、
私たちは現在ももしかしたら
同じようなことをしているかもしれません。
重要なのは「未来のパラダイムから見たとき、
私たちは確実に馬鹿げたことをいくつかしているはずだ」
というメタ視点を持てるかどうかです。
(1,428文字)
●いのちの輝き感じるかい
読了した日:2019年8月5日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:斎藤晶
出版年:2002年
出版社:地湧者
リンク:
https://bre.is/xVcql4kSA
▼140文字ブリーフィング:
7月に福島に行ったんですよ。
それは、FVIの支援している、
「モーモープロジェクト」の視察のためでした。
谷さんという方がやっている活動で、
原発事故後に放置された牛10頭を飼っています。
そこで目にした光景が衝撃的だったんですよね。
牛が木を倒してそれを踏むことで、
「雑木林」が「農地」に変わる、
ということが起きていたのです。
私は獣医ですが大学でもそんなの習ったことなかった。
じっさい、専門家が興味をもって調査していて、
NHKの番組にもなり放送されたそうです。
練馬グレースチャペルの横田牧師も、
7月の視察に同行してくれたのですが、
彼もまた帯広で酪農の仕事をしていたので、
この光景に衝撃を受けました。
そして後で教えてくれたのが、
「谷さんのところで起きていることを、
北海道でやっていた先人がいた」
というのです。
それが「蹄耕農法」という言葉にもなっている、
というのを後で知りました。
その人の牧場の写真集が図書館にあったので、
読んでみたわけです。
著者のプロフィールと、
本書の引用を見れば、だいたい分かると思います。
この「斉藤牧場」は今も旭川にあるそうなので、
いつか訪れてみたいんですよね。
*著者プロフィール:
斎藤晶(2002年時点):
1928年、山形県生まれ。
47年、開拓農民として単身、北海道旭川市神居町に入植。
笹と石だらけの山で開拓農業に行き詰まり、
自然に対する発想を転換して酪農に転向。
牛と牧草と雑草の生態を生かした
蹄耕法による自然流酪農を確立。
現在、130ヘクタールの土地に130頭の牛を飼う。
99年度山崎記念農業賞受賞。
→
〈ここは今は牧草におおわれてるけど、
石だらけで土が見えなかったんです。
ところが、草が石をみな包んでしまったんですよ。
だから、もう大きな石しか見えないんです。
そして景観から見ると、
その石がひとつのプラスの要素になってるんですよ。
それから、木も初めは全部火を付けて焼いてやろうと思っていたのに、
天気があんまり良くなくて、
うまく焼けなかったのが残ったんですよ。
それをそのまま放っておいたら、
プラスに作用したってことなんです。
都会の人が夏、牧場に来たら
「いや、これはいいな!」とみんないってますよ。
ここは日本庭園を大きくしたみたいな、
すばらしい景観になってますからね。〉
→
〈木と草と石と、自然のそのままの姿がいいんだよね。
ところが牛を放してやらないと、
こういう景観にはならないんです。
人間の作った公園には、自然の野性味がないからね。
そういう公園は最初はいいけど、
長年のうちに飽きるんです。
ところが自然というのは毎年変化するから、
ぜんぜん飽きないんですよ。〉
(1,082文字)
●永続敗戦論
読了した日:2019年8月6日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:白井聡
出版年:2013年
出版社:太田出版
リンク:
https://bre.is/mXxh6SZ5M
▼140文字ブリーフィング:
現在の日本でなぜ、
国家主義・排外主義的な
「右の吹き上がり」が起きているのか、
日本の近代史をなぞりながら本書は解説しています。
白井氏は明治政府のでっち上げた、
「天皇神話」には、でっち上げた側の意図(密教)と、
大衆に向けて発信した公式の物語(顕教)があるとします。
そして、ある時期に顕教に密教が飲まれる、
という倒錯したことが起きるのだ、と言います。
引用します。
→P163〜164
〈かつて、久野収と鶴見俊輔は
明治憲法レジームにおける天皇制を
「密教と顕教」の比喩を用いて腑分けして見せた。
すなわち、明治憲法において
「天皇は神聖にして侵すべからず」と規定されているが、
このような「現人神としての天皇」は
大衆向けの「顕教」であり、大衆を従順に統治され、
かつ積極的に動員に応ずる存在にするための装置であった。
他方、権力運用の実際において、
明治の元勲たちは「天皇親政」を表向き掲げながら、
実権を持たせず、立憲君主制国家として明治国家を運用した。
それが、戦前天皇制の「密教」的部分である。
後に美濃部達吉がとなえる
「天皇機関説」という法学的思考に
なじみの薄い人間にとってかなり難解な理論は、
大日本帝国憲法体制のこの密教的部分を
説き明かしてみせたものだった。
(中略)
しかし、大正を経て昭和の時代を迎え、
大衆の政治参加の機会が増大するにつれて、
顕教と密教の使い分けという統治術は崩壊へと突き進む。
それは、戦前天皇制の顕教的部分が密教的部分を侵食し、
ついには滅ぼしてゆく過程にほかならなかった。
(中略)
この過程で、美濃部学説は不敬なものとして否定され
上杉慎吉らのとなえる天皇主権説に取って代わられるが、
それは天皇制における
顕教的部分が密教的部分を呑み込んだ瞬間を印すものであった。〉
、、、明治政府、もっと言えば伊藤博文は、
日本に立憲制度を導入するには、
西洋における「神」のような超越的な存在が必要、
と考えました。
しかし日本にはそれがない。
「そうだ、天皇を使おう」
これが伊藤博文の発想でした。
しかし大衆に向けて発信するときに、
「明治政府は天皇を利用することにしました」
といったのでは、機能しません。
だから「神聖不可侵」なものとした。
二枚舌を使ったわけです。
このあたりは小室直樹の、
『日本人のための憲法原論』に詳しいです。
しかし、大正、昭和になると、
「方便として使ったほうの論理」が、
「内実としての密教」を飲み込んでいく、
ということが起きます。
これが内村鑑三の不敬事件などにもつながるわけです。
さて。
ここから論を進め、
白井氏は「戦後レジーム」にも、
「密教」と「顕教」があると言います。
それを作ったのは誰か?
吉田茂であり、岸信介です。
麻生太郎のおじいちゃんと、
安倍晋三のおじいちゃんですね。
岸信介はちなみに、
CIAの「スパイ」でした。
CIAのホームページから誰でも確認できます。
(たしか2013年に情報公開されました)
戦後レジームの密教とは何か?
「対米従属によってエリートが地位を得る」
という日本の権力構造です。
顕教とは何か?
「敗戦を終戦と言い換え、
ポツダム宣言などの内容などをあえて薄めて、
『平和と繁栄』という偽薬で戦争に負けた事実を忘れる」
という戦後日本の「神話」です。
そして、今の日本で起きているのは、
「顕教」が「密教」を飲み込んでいる、
まさにその状況です。
現実を見ずに計画を立てると、
その計画は必ず破綻します。
世界的に見れば日本は今も「敗戦国」です。
「国連=United Nations」の正しい訳は、
「連合国」なのですが、これを「国際連合」
とすることで、自らの敗戦を糊塗し続けてきたつけを、
今の日本は払っているわけです。
(1,498文字)
●世にも奇妙なニッポンのお笑い
読了した日:2019年8月7日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:チャド・マレーン
出版年:2017年
出版社:NHK出版新書
リンク:
https://bre.is/qIGnh7LH4
▼140文字ブリーフィング:
オーストラリア人の芸人、
チャドをみなさんは知っているでしょうか?
彼は「ジパング上陸作戦」というお笑いコンビのボケとして、
よしもと所属の現役の漫才師であるとともに、
最近は「映画字幕」における、
「海外の笑いを日本の笑いに文脈化する」
という仕事もしています。
この人が語る「日本の笑い論」は、
とても面白かった。
なんせ彼の経歴が面白い。
オーストラリアで生まれ育った、
生粋のオーストラリア人でありながら、
15歳の時に日本に交換留学生として来たとき、
ステイ先で見た
「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」が、
なんか言葉は分からないけど、
世界にこんな笑いがあるのか!!!!!!!!!!!!
という衝撃を受けます。
そしてオーストラリアに帰ってからも、
YouTubeの日本のお笑い動画を見て日本語を勉強しまくり、
ついには単身日本にわたり、
よしもとに入ってしまうのです。
彼の着眼点は「外から俯瞰の目」で見てるから、
日本について日本人が考えないような切り口を与えてくれるし、
笑いで日頃言語能力を鍛えているから、
その辺の日本人以上に日本語運用能力が高いので、
めちゃくちゃ勉強になります。
たとえば、日本の「なあなあ」なところは、
実は歴史が長い国ゆえの余裕なんじゃないか、とか。
→位置No.1295
〈日本人はわりとお上のことはどうでもええ、
そこは無理して戦わずに従おうという傾向がある気がします。
欧米人は、「俺が首相になって国を変える」とか、
一人の努力でなんとか現状を打破しようと考えがちです。
でも日本人は一人の力ではどうにもならない、
と考える節があると思うのです。
それは多くの場合、悪い意味に捉えられますが、
僕は決してそうは思っていません。
むしろ、日本人はスケールが大きいなあと感じます。
たとえば京都の人は、
今でも京都が日本の中心だという意識がありますが、
だからといって京都を日本の首都に戻そうというような
目立った動きはありません。
今は、東京にちょっと
首都を譲ってやっているぐらいの感覚があるように見えます。
何百年先の話になるか分からないけれど、
「いつか京都に戻ってくるだろう」と、
京都人は心のどこかで思っている。
物事を自分の一生に限定せず、
悠久の時間の流れで捉えているんだと思いました。
おごれる者は久しからず。
だから、今はジタバタせずに、
自分ができることに集中する。
日本人の根底には、そんな考え方があるような気がします。
(中略)
自分の人生でなんとかしようと奮闘するも良し、
流れに身を任せてできる範囲のことをやるも良し。
どちらがいいとか、悪いとか言いたいのではありません。
ただ、日本に来なければ
そんなスケールのでっかい考え方があるとは思わなかっただろうから、
僕の思考の幅を広げてくれたことは確かです。〉
、、、あと、
彼の「笑い翻訳家」としての能力は凄いです。
お笑い界の戸田奈津子です。
ひとつだけ翻訳のすごさが分かるエピソードを引用します。
→位置No.1421
〈ダジャレや言葉遊びは、
先ほども言ったように直訳では絶対に意味が通じません。
なのでそこは僕の翻訳力が試されます。
どうするのかというと、
日本語と似たような言葉遊びを英語で作って、
上手くはめ込むのです。
一つ例を挙げてみますと、
2009年に公開された映画『ヤッターマン』で、
パチンコ屋の電飾看板が出てくるシーンがありました。
パチンコ屋の「パ」が消えて、「チンコ」になる。
それをみた役者さんが「うふふ」と笑うのですが、
そのまま「PACHINKO」の「PA」を消してみたところで、
向こうの人には「CHINKO」が何を意味しているか分からないから、
面白くもなんともありません。
そこで僕はパチンコと敢えて書かずに、
その店が「PEACOOK(クジャク)」
という店名だという設定にしました。
パチンコと書かなくて
もみるからにギャンブルができそうな雰囲気があるし、
たまたま鳥のネオンもあったからです。
そして、「PEACOOK」の「PEA」が消えて
「COOK(男性器を表す俗語)」になる。
これなら意味としても同じボケが再現できます。
上手くハマったと思いました。〉
、、、すごくないですか?
AIや自動翻訳によって、
翻訳家には仕事がなくなる、
なんて言われていますが、
彼のような才能は、
逆に仕事が増えるだろうな、と思います。
「PEA・COOK=小便・チンコ」というギャグは、
人工知能には絶対思いつきませんから笑。
(1785文字)
●牙 アフリカゾウの「密漁組織」を追って
読了した日:2019年8月7日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:三浦英之
出版年:2019年
出版社:小学館
リンク:
https://bre.is/k3J5QQoT
▼140文字ブリーフィング:
象牙の密売のための乱獲によって、
アフリカ象の個体数が減っている、
という話は皆さんもご存じかと思います。
そして2000年以降の象牙の乱獲の原因は、
中国の「象牙ブーム」です。
しかし、時を遡ると、
中国の象牙ブームをそもそも作ったのは、
バブル期の日本の象牙ブームなのです。
アフリカ象の絶滅の危機について、
実は最も重い責任の一端は日本にあります。
ところが日本は現在、
「象牙取引を根絶する」という世界の流れに、
逆行するような動きを見せています。
その背後にあるのは日本の中古市場と、
その取引業者が政治に及ぼす影響です。
中国じゃないですよ、日本の話です。
私がショックだったのは第6章に出てくるこの話です。
2016年9月24日に南アフリカのヨハネスブルグで開幕された、
「第17回 ワシントン条約締結国会議」で、
アメリカとアフリカ29カ国が発案国となった、
国際および国内象牙取引市場の
全面閉鎖を求める決議案が出されました。
なんと2000年代の象牙乱獲の原因となった中国も、
全面的に支持したのです。
中国のこの反応は、
国際社会から意外な驚きとともに喝采を浴びました。
ところが、
それに疑義を呈した国が日本だったのです。
そして日本は参加国として、
「乱獲に寄与しない取引は維持する」
という「抜け穴」を獲得しました。
国際社会は心底日本にがっかりしました。
著者はアフリカに赴き、
象牙乱獲に携わる現地の闇取引業者を取材しますが、
彼らはこう言います。
「全面禁止しなければ乱獲はやまない。
やまなければ人々は買い続ける」と。
小泉進次郎環境大臣には、
是非このことについても、
リーダーシップを発揮してもらいたいものです。
奥さんは動物の権利に対して非常に意識の高い人ですし、
一有権者として、そしてこの地球を適切に管理するよう、
神が人間に期待していることを知るキリスト者としても、
小泉大臣には期待しています。
(762文字)
●平成史
読了した日:2019年8月10日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:佐藤優 片山杜秀(もりひで)
出版年:2019年
出版社:小学館文庫
リンク:
https://bre.is/KPGMhVf9
▼140文字ブリーフィング:
文庫サイズなのですが、
500ページを超えるので、
結構なボリュームの情報量でした。
平成30年とはなんだったのか、
ということを、知の巨人、佐藤優が、
片山さんと対談しながら語ります。
「現代」という時代がどういう時代か、
ということを大づかみに把握する上で、
こういった書籍は有用です。
二つだけご紹介します。
ひとつは現代が「先の読めない時代」だということです。
なぜなら関与する要素が多すぎる複雑系なので、
「バタフライ効果」が生まれるからです。
→P241〜242
〈佐藤:まず1月にチュニジアで民主化運動が起きましたね。
キッカケは前年末、
チュニジアの地方都市で野菜を売っていた青年が
役人に賄賂を要求されて野菜と秤を没収されたことです。
青年は役所に3回も足を運んで秤を返してくれ、と訴えましたが、
相手にされずさらに賄賂を求められた。
怒った青年は、抗議のためにガソリンを被って焼身自殺します。
それがジャスミン革命のスタートでした。
(中略)
個人で平和を作り出すことはできませんが、
個人が戦争を引き起こすことは十分できる。
それを証明する事件でした。
アマゾンでチョウチョが羽ばたくと
アメリカで竜巻が起こるバタフライ効果のように、
役人が露天商に賄賂を求めるという些細な出来事が、
世界の大激震のきっかけとなった。〉
、、、次に、現在の世界で、
「左派」が分が悪く、
「右派」の勢力が拡大するのは何故か、
という分析です。
それは不確実な時代に、
人々が「理性の外側」を求めているからだ、
と佐藤氏らは指摘します。
→P384〜385
〈片山:
自信過剰なトランプも、
中国を掌握したように見える習近平も、
現在の世界情勢では、一寸先はどうなるか分からない。
そうした不安がどこかにあるからこそ、
神とつながろうとするんでしょうね。
世界中をそうした不安が覆っています。
そのせいで共和制に移行する義論が進まない。
共和制は、
人間の理性的議論や理性的合意に頼って物事を決めたり、
解決したりすることが最善に至るし、
そのようにできると信じることで成立する制度です。
でも世界的に危機が深まって
普通の人間に何かができるという自信が揺らいでしまい、
人間の理性を超えた神の存在を
無意識に求めているのではないでしょうか。
佐藤:
私も同じ考えです。
そして別の見方をすれば、
それは左翼の敗北を意味しています。
そもそもフランス革命期の議会で
人間の理性を尊重する人々が左に座った。
理性を信じているから
正しい情報を元に誠実に議論を尽くせば、
結論にたどり着けると考えている。
それに対して右派の立場の人たちは、
王や貴族、教会、あるいは神など
理性の外側にある英知を認めている。
平成になり、全世界的に危機の時代に入り、
同時に左翼の力が衰えた。
独裁的な国家が増え、
極右勢力が台頭しています。
彼らは、理性の外側の超越的な力を求めています。〉
→P387
〈同感です。
ご指摘の通り民主主義の意思決定には時間がかかる。
でも現在はその時間の経過に耐えられない。
だから意志決定に時間をかけない独裁体制を求めてしまう。
それが世界のトレンドになりつつある。
日本でも、国民は安倍政権に
独裁に近い権力を与えなければならないと考えるようになった。
安倍一強時代は、国民の集合的無意識が
成り立たせているのです。〉
(1,339文字)
●死国
読了した日:2019年8月10日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:坂東眞砂子
出版年:1996年
出版社:角川文庫
リンク:
https://bre.is/VhwyXGKE
▼140文字ブリーフィング:
坂東眞砂子のホラー小説です。
佐藤優が「平成史」で、
「日本人の霊性」みたいな話のなかで引用していて
興味を持ちました。
88箇所を回る「お遍路さん」を、
逆に回ると死者が生き返る、
みたいな話です。
わりと雰囲気があって悪くなかったです。
(多くの人はホラー好きじゃないと思うから、
まぁ読まないでしょうけど笑)
でも、スティーブン・キングを考えたら分かるように、
ホラーって実は、現実世界の比喩なので、
SFと一緒で、読むと現代劇以上に、
得られるものがあったりします。
ちなみに本作は映画化もされました。
(241文字)
●時間術大全 人生が本当に変わる「87の時間ワザ」
読了した日:2019年8月20日 途中飛ばし読み
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ジョイク・ナップ、ジョン・ゼラツキー
出版年:2019年
出版社:ダイヤモンド社
リンク:
https://bre.is/A3fQaVCd
▼140文字ブリーフィング:
グーグルの社員だった人と、
アップルの社員だった人が、
現代生活の「時間の墓場」から、
私たちはどうやったら自由になれるのか、
ということを解説します。
ライフハック的な技術が87個紹介されていて、
けっこう参考になりました。
現代生活はなぜこうも、
「時間が足りない」のか?
その「原因」を作り出している企業で働いていた二人は、
ふたつを指摘します。
「多忙中毒」と「無限の泉」がそれだ、と。
→P5
〈21世紀の今、2つの大きな力が
あなたの時間の1分1分を得ようと競い合っている。
1つは「多忙中毒」と僕らが呼ぶ風潮。
忙しいのを良しとする考え方だ。
メールで溢れんばかりの受信箱に、
びっしり詰まった予定表、長い長いやることリスト。
この中毒にハマっていると、
現代の職場の要求に応え、
社会で務めを果たすために、
つねに高い生産性を保ち続けることになる。
ほかのみんなが忙しくしているのだから、
自分だけペースを落とせば、
二度と遅れを取り戻せなくなってしまう・・・。
あなたの時間を奪っている2つめの要因は、
僕らが「無限の泉」と呼ぶものだ。
これはスマホのアプリなど、
コンテンツが絶えず補充されるものを言う。
引っ張って(陣内注:おそらくドラッグして、の誤訳)更新するものや
ストリーミング配信されるものは、全部これに入る。
こうしたいつでも利用可能な、
常時更新されるエンタテインメントは、
たえまない忙しさに疲れ果てているあなたへの
”ごほうび”になっている。
でも、たえまない忙しさは、
本当に避けられないのか?
無限の気晴らしは、本当にごほうびなのか?
それともただ、誰もが自動運転モードから
抜け出せないだけなのか?〉
この「多忙の自動運転モードから抜け出す」
ために、何をすればよいかを本書は解説します。
私は自分自身、
「多忙中毒」からも「無限の泉」からも自由です。
なんせガラケーですから。
実は87個のライフハックの40個ぐらいは、
「スマホをドブに捨てろ」で終わる話なんですが笑、
まぁ、だれもそんなことしないんでしょうね笑。
幸せだよー。
スマホがない生活は。
(849文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:『平成史』
コメント:
体調悪くなる直前の8月に読んだ本なので、
記憶はかなり薄れているのですが笑、
面白かった、という記憶だけはあります笑。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「やっぱり芸人すごい賞」
コメント:
チャドの本は面白かったですね。
やっぱり「言葉の力」において、
現代日本の最強職業のひとつは、
芸人だと確信しました。
彼らの「言語化能力」にはいつも驚かされます。
チャドの場合、英語圏から来ているから、
さらに「日本語そのもののもつ面白さ」
とかにも目が行っていて、
すげーな、と思いました。
彼は今後もいろんな分野で活躍していくでしょう。
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陣内が先週読んだ本
2020-03-24T09:15:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=458
最近気になるテレビタレント
第114号 2019年11月19日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼最近気になるタレント▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、
さっそく行っ...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼最近気になるタレント▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カード、
さっそく行ってみましょう。
▼質問:最近気になるテレビタレントはいますか?
、、、まず、大前提として、
私はテレビをほぼまったく見ません。
1週間のテレビ視聴時間は10分以下だと思います。
1日2分も見てない。
つまりほぼ何も見ていない。
「自称お笑いルポライター」なので、
特定のお笑い番組は追っかけていたのですが、
その追いかけていた番組も、
「なんか最近とがってないなー」
「なんか最近つまらないなー」
とかなってきて、
歯が抜けるように録画してチェックする番組も減り、
特にこの半年ほどはほぼゼロ状態です。
一応『探偵ナイトスクープ』と、
『水曜日のダウンタウン』と、
『さまぁーず×さまぁーず』と、
『アメトーーク』
『くりぃむナンチャラ』
『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』と、
あとテレ東のネタ番組ぐらいを、
録画してはいるのですが、
それも、見ずに放置しているのがほとんどで、
10年前に買った容量500GB(!)の、
ハードディスクレコーダーは、
食道からデータが逆流しそうなぐらい、
腹一杯になってます。
それを「減らす」のすら面倒くさい、というね笑。
もう、そんぐらいテレビとは疎遠なわけです。
理由は簡単で、
テレビがつまらないからですね笑。
絶望的につまらない。
空を眺めていた方がまだマシです。
雲の形でいろいろ想像した方が、
これならまだ楽しいぞ、と。
テレビがここまで絶望的につまらない理由を、
私は小一時間れます。
それだけでなく、
今後ますますつまらなくなっていくという予言もしますし、
その理由も1時間語れます。
この「予言」は外さない自信があります。
理由はそれが「構造的なもの」だからです。
それは別の機会に譲るとして、
最近気になってるテレビタレントですよね。
いるんですわ、それが。
テレビは1分も見てないのに笑。
それは、伊集院光さんですね。
ずっとノーマークだったんですよね、この人。
クイズ番組を私は1秒も見ませんが、
クイズ番組とかに出てることは知ってました。
、、、で、
過去のくりぃむしちゅーのラジオとか聞いてると、
有田が若手の時に「お世話になった」
とか言ってるから、
かなりキャリアの長い芸人ぐらいに思ってたのだけど、
彼は一概に「芸人」というくくりでもないんですよね。
芸人的な仕事もするし、
テレビに出て「ちょっと教養ある発言する枠」
みたいなポジショニングも出来るし、
あと、俳優的なこととかもしてる。
ちょっと「いとうせいこう」みたいな、
そんな引き出しに入れてたんですわ。
ただ、この人はひとつ、
突出したものがあって、
それが「ラジオ」です。
確か伊集院さんって、
ラジオをライフワークとしていて、
「テレビに出るのはラジオを続けるため」
ぐらいなことを言ってたり言ってなかったり。
そういうのって、めちゃくちゃかっこいいなぁ、
というのは思ってたんですよね。
ところが。
伊集院さんのラジオ、
今年になるまで一度も聞いたことなかったのです。
伊集院さんってもう、
ラジオを30年ぐらい(?)とか続けてるので、
逆に今さら聞き始めづらい、みたいのがあって。
私は「スターウォーズ問題」あるいは、
「北の国から問題」と呼んでいるのですが、
歴史が積み重ねられすぎているコンテンツって、
「今更入っていきづらい」ってなっちゃうんですよね。
参入するのにエネルギーが要る、というか。
伊集院光のラジオもまさに、
「スターウォーズ問題」があったわけです。
ラジオリスナーの方なら分かると思いますが、
ラジオってそのリスナーが作る「文化」みたいなものを、
味わうメディアでもあるんですよ。
ちなみにですが、
私がこのメルマガを「ラジオ」と名付けているのは、
ラジオというメディアのそういう特徴が好きだからです。
で、伊集院さんぐらいの歴史があるパーソナリティだと、
今更その「文化」を学ぶというか、
参入していくのに、二の足を踏んじゃってたんです。
でも、1ヶ月ぐらい前に、
仕事してて、
作業用BGMとして普段聞いているラジオ番組を、
ひととおり聞き終わったときに、
ふと伊集院さんのラジオを流してみたんですよね。
そしたらそれが、面白いのなんのって。
この「面白い」を説明するのも難しいんです。
深夜ラジオなので当然、
ド下ネタのオンパレードでもあるわけですが、
まぁそれは深夜ラジオのデフォルトなので、
別に大丈夫なのです。
それは普通笑。
、、、でも2つ、
他の芸人の深夜ラジオと比較して、
伊集院さんの突出しているところがあります。
まず、その「話術の巧みさ」ですね。
純粋に一人で2時間、
その話に人を引き込む、
っていう「べしゃりの引力」は、
他の芸人ではあまり体験したことのない種類のものでした。
コンビ芸人なら「かけあい」に逃げれるんですが、
彼の場合一人です。
山里良太のラジオもひとりですが、
彼の面白さともまたちょっと違うんですよ。
不思議な「没入感」があるんですよね。
彼は若い頃落語家に弟子入りしていたそうですので、
そういう落語的な基礎を押さえているんだと思うんですよね。
とにかくべしゃりの巧さに本当に驚きました。
普段、人前で話すことを仕事にしている人なら、
彼のすごさが分かると思います。
もう一つは、
彼の「教養」なんですよね。
彼は不登校になって高校も中退してるから、
学歴は「中卒」です。
でも、社会にゴロゴロ転がってる、
「大卒の馬鹿たち」の、100倍頭良いです。
そして教養があります。
死ぬほど勉強してると思います。
あらゆる分野の知識に深みがあるからこそ、
彼の「ギャグ」は笑える。
もっとも深い知性を、
もっとも「人からくだらないと思われてる」、
深夜ラジオでの笑いに投資している、
という生き様、
ロックンロールですわ。
これこそ知性の正しい使い方だと思いますね笑。
マジでかっこいい。
本当の教養がある人の「真の共通点」って、
皆さんは何だと思いますか?
私はそれは「謙虚さ」だと思います。
ものをたくさん知っている人ほど、
「自分が知っているのがごく一部だ」
ということが分かるのです。
だから何かを語るときに、
「断言」を避けるようになる。
「、、、である!!」ではなく、
「、、、と私は思います。
違う見方もあるかもしれませんが」
という語尾になる。
伊集院さんにはそれがあるんです。
すげーな、この人、
と、久しぶりに思いました。
というわけで、
私が最近気になるテレビタレントは、
伊集院光です。
読んでいる全員が、
「今更!」って言ってると思いますが。
皆さんの気になるテレビタレントは誰かいますか?
]]>
今週の「オープニングトーク」
2020-03-23T09:13:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=457
【Q】傾聴について
第113号 2019年11月12日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せくださ...
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【Q&Aコーナー専用フォーム】
▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI
※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。
※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●【Q】傾聴について
ペンネーム:記入なし(匿名希望)・女性
Q.
陣内さんこんにちは。
メルマガやPodcastで勉強させていただいています。
いつも貴重な情報をありがとうございます!
今回は、傾聴について教えていただきたくメールしました。
以前、陣内さんのメルマガで「聞き屋」の取り組みを知り、
自分も周りの人に傾聴を実践したいと思いました。
しかし、知り合いが相手だと自分が不快になることがあり、
難しく感じます。
例えば、相手の話の中で、
自分の知り合いや親しい人の批判や悪口が出ると、
怒りや悲しみを感じます。
また、自分も相手と一緒に取り組んでいる活動について
批判や文句を言われると、
まずは自分の責任を果たすべきなんじゃないのと思い
イライラしてしまいます。
話を聞くことで、
相手がスッキリした表情になることもあるのですが、
聞いている自分は気分が悪く、
何年経っても、思い出して嫌な気持ちになることがあります。
聞き屋のルールで、
「教えない」「裁かない」があるとのことですが、
批判されたり悪口を言われた人の弁護をしてはいけないのでしょうか。
また、相手の無責任な態度を指摘するのもよくないのでしょうか。
「傾聴」と、「言いたいことを言い合う普通の会話」は、
使い分けるべきなのでしょうか。
アドバイスをいただけるとうれしいです。
よろしくお願いします。
A.
ご質問ありがとうございます。
いくつかのポイントに整理して回答していきます。
まず、傾聴と普通の会話を分けるべきか?
「傾聴」と、「普通の会話」は、
分けて考えるべき、と私は思います。
聖書には、
「相手の話を良く聞く」ことが書かれています。
ヤコブ1:19
「私の愛する兄弟たち、このことをわきまえていなさい。
人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、
怒るのに遅くありなさい。」
これですね。
しかし、同時に「率直に語る」ことも書かれています。
エペソ4:15
「むしろ、愛をもって真理を語り、
あらゆる点において、
かしらであるキリストに向かって成長するのです。」
箴言27:6
「愛する者が傷つけるのは誠実による。
憎む者は多くの口づけでもてなす。」
、、、あらゆる真理は「相補的」なので、
「聞けば聞くほど良い」わけでもなければ、
「語れば語るほど良い」わけでもありません。
「聞くのに時があり、語るのに時がある」わけです。
「傾聴ボランティア」や、
「カウンセリングルーム」、
もしくは、相手が、
「今から話すけど、
ただ聴いてもらいたいだけなんだ。
答えを求めてるとかそういうわけじゃなく。」
と申し出てきて、あなたが、
「OK、じゃあ聞くね」というやりとりがあるような、
「聞くロール(役割)」と「話すロール」が、
はっきり分かれている場合もあります。
しかし、そういった特殊なケースを除きますと、
基本的に聞く役割・話す役割というのは、
会話のなかで振り子が振れるように流動的なわけです。
サッカーやラグビーの「ポゼッション」のように、
自分が聞いている役割のときもあれば、
相手が聞いている役割のときもある。
ちなみに「会話が上手な人」というのは、
「今どちらにボールがあるか」を、
自覚的に会話をしていて、
このバランスの取り方がうまい人です。
そういう人と会話をしていると、
「なぜか理由は分からないが心地よい」。
そして、「あの人とまた話したい」となる。
「どちらにボールがあるか分かってない人」って、
相手が話している(相手にボールがある)のに、
突然「オフェンス」を始めちゃうんですよね。
「いや、ボール2個になったよ!」っていうね笑。
喫茶店オーナーの、
「回転率悪くなるんだけどなぁ」という憂慮など、
まったく意にかけず、
1杯のコーヒーで何時間も何時間も、
ずーっと大ボリュームでしゃべってる、
4、5人の「おばちゃんの群れ」ってあるじゃないですか。
あれって何話してるのか、
一時興味があって聞いてみたんですよね。
そしたら、ボールが5個ありました笑。
全員が自分が話したいことを話し続けている。
まぁ、スナックのカラオケみたいなもんですわ。
全員が気持ちよく話して、
誰も互いの話を聞いてないっていうね笑。
あれはあれで、合意のもとにやってるんで、
全然良いんです。
カラオケと同じように、
心のデトックスが出来て、
非常に精神衛生に良い
(と思う。私は未経験なので分からないけど。)。
猿の毛繕いと同じで、
お互いをケアーしあっているわけです。
ウィン&ウィンの関係です。
まぁ、私みたいな人間がその中に入ったら、
精神的サンドバックになり、
3日は脳しんとうから立ち直れないと思いますが。
おばちゃんの話で脱線しました笑。
「ボールがどこにあるか意識できてない」人というのは、
相手がまだボール持ってるのに話し始めます。
相手の話がゴールに到達するのを待てないし、
自分の話にもゴールがありません。
「相手へのパス」で会話って終わるのがきれいなのですが、
そういった人の「吐露」はどこにも到達しない。
「あれ?なんでこの話してるんだっけ?」
みたいなタイプです。
自分の会話に、自分で迷子になってるわけです。
「俺に聞くなよ」以外の答えが見つからないわけです。
さて、そのような「会話のルール」といいますか、
「ボールのポゼッション感覚」を踏まえた上で、
では、傾聴が上手な人はどういう人か、
ということになるわけですね。
実は先ほど、
「聞くのに時があり、話すのに時がある」
と言いましたが、
実は「聞くのが得意なタイプと、
真理を直言するのが得意なタイプ」の、
2タイプがいると考えないほうが良いと私は考えます。
どういうことか。
聞くことと話すことは、
お互いが反する概念ではなく、
お互いに相補的な概念だからです。
質問者様が、「何かアドバイスをしたくなる」
というとき、実はそのためには、
「聞き上手である」ということが必要なのです。
質問者様のケースには、
もしかしたら当てはまらないかもしれませんが、
一般論として多くの場合、
「一方的に聞きすぎているからアドバイスが出来ない」
のではなく、
「十分に聞けてないからアドバイスが出来ない」
ことが多いです。
「愛をもって真理を語る」ことの出来る人は、
「聞くに早い」人と同一人物なのです。
説明します。
人間の心を「容器」に例えましょう。
多くの人は「話したい」状態にあるわけです。
寡黙だと言われている人でも、
「話した結果、説教されたり否定されたり、
秘密をばらされたりしないと分かっている」
安全な環境や、
「相手が自分の話に興味をもって喜んでくれる」
という理想的な発話環境が整えば、
いつだって人間って「話したい」んです。
なぜなら人間の心の「容器」には、
いろーんな感情が蓄積していて、
それを吐き出すことは、
デトックス的な気持ちよさがあるからです。
「毒を吐き出す」わけですね。
マッサージに例えても良いでしょう。
マッサージされるのが気持ちよいのと同じく、
理想的な発話環境で話すのは気持ちよいわけです。
では、「毒を吐き出される」側はどうでしょう?
質問者様がおっしゃっているように、
「傷つき」ます。
質問者様の言葉では、
「怒りや悲しみを感じ、イライラする」わけです。
マッサージされた人は気持ちいいですが、
マッサージ師は逆に、マッサージした人数に応じて、
肩がこるのと同じです。
なので、質問者様の悩みは、
「傾聴」をする人間として、
当然のことなので、当たり前と言って良いでしょう。
「マッサージをしていたら、
次の日身体がバキバキになるのですが、
どうしたもんでしょう」という話に似ています。
マッサージをしてもらえば良いのです。
つまり、自分の話を裁かず教えず聞いてくれる、
信頼出来る誰かの「耳」を借りて、
自分のデトックスをする必要があります。
じっさい、私は聞き屋ボランティアをしていたとき、
チームのメンバー同士で、
「聞き合い」を定期的にしていました。
猿の毛繕いですわ。
じゃないと体が持ちません。
自殺防止ダイヤルの「命の電話」のボランティアも、
同じように「聞き合い」をしているそうです。
なので、質問者様も、
自分が聞いてもらえる場を確保すると、
電流の「アース」みたいになって、
ある程度ストレスのマネジメントができるのではないでしょうか。
加えて、質問者様が「傷つく」とおっしゃっているのは、
実は「正しく聞けている」ことの証拠でもあります。
それはむしろ喜ぶべきこと、とも言える。
なぜか?
質問者様がキリスト教徒かどうか不案内ですが、
キリスト教徒の私から言わせていただくなら、
質問者様の状態は「贖罪的」に生きていることの証拠であり、
それはとりもなおさず、
キリストの足跡に従っていることの証拠だからです。
キリストの足跡に従うとは、
「傷つきながら生きる」ということでもあります。
最近読んだ「舟の右側」という雑誌の、
2018年7月の連載を引用します。
廣瀬薫先生という、
日本福音同盟の理事長をされている方の連載で、
賀川豊彦や内村鑑三、
またマーティン・ルーサー・キングなどの例を挙げて
「クリスチャンの社会的責任は『贖罪的』であるべき」
という趣旨の発言がなされています。
多少長いですが2箇所、引用します。
→P13
〈そして、大切なのは、
私たちがこれをどのように実践していくのかと言うことです。
私たちのすべての働きは「十字架の性質」を
持っていることが大切だと思っています。
私はこれを「贖罪的な実践」と呼んでいます。
十字架を引き受ける生き方が地上を神の国にしていく。
イエス様も「自分を捨て、日々自分の十字架を負い、
そしてわたしについて来なさい」(ルカ9:23)
と言われました。
内村鑑三は
「善行はすべて贖罪的特性を持っている」と書いています。
何が良い働きなのか?
十字架の質を持った働きが良い働きだ、
ということです。
賀川豊彦はイエス・キリストを
「人格的白血球運動者」と表現しました。
このばい菌だらけの世の中で、
クリスチャンはばい菌に触らないように生きていくのか、
いやそうではなく、
そのばい菌を引き受ける実践がこの世に神の国を広げていく、
と語るわけです。
羽仁もと子も、十字架というのは、
自分のせいではない悪いことを引き受ける生き方だと理解しました。
最後に、マーティン・ルーサー・キングは、
あの有名な演説において、
「I have a dream!」と語るパラグラフ(段落)で、
「自ら招かざる苦難は贖罪的であると信じて戦い続けよう」
と言っています。
黒人たちは、道中もひどい目に遭いながら
あのワシントン広場に集まってきたわけです。
キング牧師は、十字架と同じ質を持つ実践が
社会にいのちをもたらす力があるのだと、
信じて戦い続けようとアピールしたのです。〉
→P13
〈つまり、私たちが十字架を担って
イエス様について行くという贖罪的な実践をすることで、
地上に神の国は広がっていきます。
若い人にわかりやすく言うときには、
「ゴミが落ちていたら自分が落としたものでなくても
拾うのが贖罪的実践だ」と説明します。
そんな簡単なこと?
と思われるかもしれませんが、
かつて私の家庭で子どもに
「ゴミを拾いなさい。」と言ったとすれば、
帰ってくることばは決まっていました。
「私が落としたんじゃない。」
自己責任を取らせろと言うのが世の中です。
しかしクリスチャンには、
自分のせいではない悪いことを引き受ける生き方が求められているのです。
トイレが汚れていたらきれいにして出てくるのが、
身近な贖罪的実践です。〉
、、、「贖罪的実践」こそが、
クリスチャンの社会奉仕であり、
贖罪的実践とは、
「他の人が落としたゴミを拾うこと」と、
廣瀬薫先生は言っています。
質問者様が他の人の話に傾聴し、
自分が「傷つく」とき、
それは他の人が落とした「心理的ゴミ」を拾っているのであり、
贖罪的な実践だと私は考えます。
私たちは傷つき汚れながら、
この世の中をきれいにしていく存在なのです。
話を戻しましょう。
「良く聞けること」と、
「愛をもって真理を語る」こと、
これが矛盾せずひとつのことだ、
という話ですよね。
忘れてませんよ。
人間の心は「容器」だと先ほど申しました。
その容器の中に、パンパンに何かが詰まった状態、
これが、「話したくて仕方ない」状態です。
「気持ちを誰かに吐露したい状態」と言ってもいい。
この状態の時、
容器はパンパンなので、
人は誰かからのアドバイスが、
「入らない」んですよね。
パンパンの容器に何かが入るためには、
「空白」が必要なのです。
その「空白」を作ることが、
「聞く」行為です。
具体例を挙げて話しましょう。
私がエチオピアにいたときに、
付き合いのあったNGOのスタッフに、
デベレさんという人がいたんですよ。
その人に私は、
日本で自分がしていた、
「聞き屋」の活動を紹介しました。
「教えない」「裁かない」「秘密厳守」
このルールで人の話を聞く、
つまりそれは人の心のゴミ拾いであって、
イエスの足跡に従って、
日本に仕える行為だと思うんだ、と。
デベレさんは感心しながら聞いてくれて、
非常に興味を持ってくれました。
ところが、最後の最後に、
「え?そこで終わり?」
という顔をするのです。
そして私に言いました。
「ブラザーシュン、
君の日本での活動はとても素晴らしい。
でも僕は納得がいかないんだ。
その『話している人』には福音が必要なんだろう?
だったら彼が必要としている福音を語るまで、
完全に仕えたことにならないんじゃないのか?
それは中途半端なことをしてるんじゃないのか?」
私はそこから1時間ぐらい議論することも出来ましたが、
「そういう考え方もありますよね。
でも、僕はこの方針でやることに確信があるんです。
もちろん求められれば福音を語りますが、
求められていなければアドバイスもしないし、
福音も語りません。
それが『奉仕する』ということだと思うので」
といって、その日の会話は終わりました。
デベレさんは納得しないような顔をして去って行きました。
それから2週間が経ち、
久しぶりにデベレさんのNGOのオフィスを訪ねたとき、
デベレさんは興奮して私に近づいてきて話し始めました。
その話を要約するとこういうことになります。
デベレさんの隣人はイスラム教徒です。
時々そこの奥さんと通りで立ち話をしていたそうです。
彼はイスラム教徒の彼女が福音を知ってほしいと思っていたので、
今までに何度も彼女に神の話をしたり、
隙があれば「真理を語ったり」してきたそうです。
しかしそのたびに拒絶に近い反応を示されてきました。
先週のある日、また立ち話をする機会あり、
そのときに「ブラザーシュンが言っていたこと」を、
思い出したのだそうです。
そして試してみようじゃないか、と思ったのです。
つまり、「最後まで彼女の話を聞いてみよう」と。
デベレさんは、
アドバイスしたくなるのをぐっとこらえて、
彼女の話にうなずき共感を示しながら、
忍耐して聞き続けました。
すると今まで彼女が語ったことのなかった、
イスラム世界での女性の立場の弱さや、
夫から受けている仕打ち、
社会からのプレッシャーなどについて語りはじめたのだそうです。
デベレさんは何度も「何か言いたく」なりましたが、
「ブラザーシュンの顔を思い出し」、
最後まで話を聞いたのだそうです。
すると、彼女は思いも寄らないことを口走ったのだそうです。
「デベレさん、
今私が話したことについて、
あなたが信じている神に祈ってもらえますか?」
デベレさんは拍子抜けしましたが、
「もちろん!喜んで!」
といってその場で祈り、
これからも祈ることを約束して分かれました。
奥さんは感謝し、目に涙を浮かべていました。
デベレさんはオフィスで私に言いました。
「シュン、君のメソッドはうまくいったよ!!」
、、、ポイントは何か?
このイスラム教徒の奥さんの心の容器が、
空になる前に、
デベレさんは「真理」をぶち込もうとしていたわけです。
入るスペースなんてあるはずがありません。
アドバイスするのを我慢し、
デベレさんが忍耐強く聞いたことで、
奥さんの心の容器が空になり、
新たに何か情報を取り込むスペースが出来たわけです。
「良く聞くこと」と、
「愛をもって真理を語ること」が、
矛盾しない理由が分かっていただけたでしょうか?
そういえば箴言には、
「良く聞くものはいつまでも語る」
という節もあります(箴言21:28)。
不幸なのは、
日常生活において、
「この人にはアドバイスが必要だなぁ」
と思う人ほど、
その人の心はパンパンで、
アドバイスを受け入れる余地がなく、
「この人にはアドバイスが必要じゃないなぁ」
と思う人ほど、
その人の心はいつもアドバイスを受け入れる余地がある、
というミスマッチがあることです。
これは実は当然の帰結で、
「人のアドバイスを聞ける人」っていうのは、
どんどん自分を改善していきますから、
ますます仕事にも生活にも余裕が出来て、
むしろ人をケアーする余地すら生まれる。
「人のアドバイスを聞けない人」っていうのは、
改善するチャンスもありませんから、
仕事の能力も相対的に低くなり、
いつも「いっぱいいっぱい」なので、
ますます心もパンパンになる。
以下、無限ループです。
この悪循環のループを断ち切るきっかけになるのが、
「傾聴」という行為なのです。
、、、とここまで、
聞くことと語ることが相補的だ、
みたいなことを書いてきましたが、
最後に、質問者様のようなケースで、
もうひとつ考えられるのは、
「あまり無理をする必要はないかもしれない」
ということがあります。
どういうことかと言いますと、
先ほど申しましたように、
「傾聴」というのはとても体力の要ることです。
賀川豊彦が言っているように、
「白血球」として活動するということは、
自分の中に病原菌を取り込むことでもあります。
これも賀川が言うように、
キリスト者とは病原菌のいない、
無菌室に閉じこもる存在ではなく、
積極的に病原菌のいる場所に行き、
自分が傷つくこととでそれを浄化する存在です。
キリストがしたことはまさにそういう実践ですから。
とはいえ白血球になるということは、
じっさいに自分が病気になる、
というリスクも背負うことになる、
というのも事実です。
じっさい、
結核患者の多くいる貧民街で活動したことにより、
賀川豊彦は文字通り結核になりましたから。
詳しくは『死線を越えて』を読んでください。
そんなときは、
養生するに限ります。
私の話をしましょう。
私は2004年に「聞き屋ボランティア」を始めて、
断続的に足かけ9年ほど活動を続けていました。
愛知から東京に拠点が変わっても、
頻度が減っても、
結婚しても、
「これは自分のライフワークのひとつだから、
どうにかして続けていこう」
と思ってましたし、
じっさい続けていました。
ところが2013年の年末に、
燃え尽き症候群で鬱病になり、
2年間すべての活動を休養しました。
2016年から活動を再開しましたが、
「聞き屋」はハードルが高いなぁ、
と最初は思いました。
なぜなら私の受けた「脳のダメージ」は、
特に「社会的認知」に関わるような部分で、
つまり人と交流を持つことが、
病気中も最も打撃を受け、
治った後も最も負担が大きかったからです。
寛解後もだから、
しばらくは、「人と会う」という行為は、
次の日は丸一日休まなければならないほど、
大きな負担を強いるものでしたし、
「大勢の人と会う」にいたっては、
次の日から3日ぐらい静養が必要でした。
「聞き屋」というのはだから、
自分にとってとてもハードルの高いものとなったわけです。
ピアニストなんだけど、
交通事故で指を重点的に怪我しちゃった、
みたいな話ですね。
でも、「いつかは聞き屋を、、、」
という気持ちがあったので、
2年前の2017年に、実は私は、
「リハビリ」をやってみたんですよね。
ほとんど誰にも言ってきませんでしたし、
このメルマガにも書きませんでしたが。
住んでいる西東京市のボランティアセンターに、
ボランティアとして登録をし、
高齢者施設に行って、
週に2時間ほど「傾聴」のボランティアをやったんです。
何回やったか忘れましたが、
長女が生まれるまで続けました。
それがけっこうな負担で、
次の日は「使い物にならない」
ぐらい疲れちゃうんですよね。
おばあちゃんの、
「若かった頃の自慢話」とか、
「嫁に対する悪口」とか、
「他の利用者に対する悪口」とか、
おじいちゃんの、
「戦争のときたいへんだった話」とか、
「自分がどれだけ苦労の末成功してきたか」とか、
「他の利用者に対する悪口」とか、
そういうのを2時間聞くだけです。
昔、愛知県で聞き屋をしていたとき、
そんなの「なんでもなかった」のに、
何回やっても「ずどーん」って疲れるんですよね。
私の思惑としては、
このボランティアを何回かやったら、
「不特定多数の人の愚痴を聞く」っていう、
昔の感覚を取り戻して、
そして自分が住んでいる生活圏の駅前で、
また聞き屋ボランティアを始めて、、、
っていう構想があったのですが、
この「リハビリ」によって、
この夢はまだまだ遠い夢であることが分かったんです。
というより、自分の中の、
「何か」が、
病気の前と後で決定的に変わってしまったのを感じたのです。
それが何なのかは分かりませんが、
たぶん脳の機能に関わる部分なのだと思います。
何が変わったかというと、
以前の私は、
けっこう「ディタッチ」して、
不特定多数の人の話を聞けたのですよね。
自分の意見や判断や感情を「いったん凍結」させて、
人の話を聞き、受容し、共感することが出来た。
私は獣医師ですが、
獣医師って、白衣を着ていると、
死んだ動物、動物の血、動物の糞尿、
外に飛び出した動物の内臓、
これらを見たり触れたりすることに、
何の抵抗も感じません。
「スイッチ」が入るからです。
でも、私服のときに自分のペットが血を吐いたら、
めちゃくちゃ動揺しますし、
私服のときに犬の糞を踏むと、
普通の人と同じように凹みます。
「白衣」がスイッチを入れるのです。
たぶん看護師や医師も同じだと思います。
「死」に接する仕事というのは、
そうしないと心が持たないわけです。
こういう「職業的ディタッチメント」を、
私は聞き屋に関してもすることが出来ていたのですが、
病気の期間を経て、
その「スイッチ」が入らなくなっちゃったんですよね。
いずれにしても結論として
「自分はもう、
聞き屋が出来ない体になってしまったのだ」
と受け入れるのは辛いことでしたが、
でも、不特定多数の人の話は聞けなくても、
妻の話、子どもの話、
自分にとって大切な友人の打ち明け話、
そういった話は聞けます。
そういった話を聞くために、
私は少ないエネルギーを温存しなければならない、
と、ちょうどそのボランティアに挫折したのと、
同じ時期に生まれた娘を見て思ったのです。
だから、私は聞き屋に関して、
現在無期限活動休止中です。
なので質問者様も、
自分の体と相談しながら、
聞くという実践を、
無理のない範囲で続けていくのがお勧めです。
ご参考に。
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Q&Aコーナー
2020-03-17T09:12:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=456
去年の今日、あなたは何をしていましたか?
第113号 2019年11月12日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼去年の今日、何をしていたか?▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も「質問カード」から...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼去年の今日、何をしていたか?▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も「質問カード」からいってみましょう!
▼去年の今日、あなたは何をしていましたか?
(思い出せない場合は、同じ月に思い出せること)
、、、私のこの数年のスケジュール管理は、
グーグルカレンダー8割:スケジュール帳2割
ぐらいになってますので、
グーグルカレンダーを遡ると、
正確に「去年の今日何をしていたか?」が分かります。
ホントはグーグルカレンダー10割にしちゃっても、
多分問題はないのだと思うのだけど、
「アナログというバックアップ」がないと、
なんか不安になるんですよね。
そういうのって、皆さんはありませんか?
私はあります。
「デジタル」とか「クラウド」とかって、
なんか、いざとなったとき、
最後の最後で信頼出来ないというか。
「命綱」としては使えないというか。
「肝心のところで、
アップデート→再起動」が始まったらどうしよう、
とか、めちゃくちゃ大事な場面で、
スケジュール確認しようとしたら、
タブレットが起動しなくなったらどうしよう、
とか、なんかそういうのがあるので。
なので、めっきり書きこむ頻度が減ったとはいえ、
アナログのシステム手帳兼ノートを、
私は基本的に持ち歩いています。
でも、グーグルカレンダーがあまりにも優秀なので、
システム手帳はあくまで補助的、
もしくは心の安心のためで、
主役はグーグルカレンダーなのです。
マジでこれって便利で、
実はグーグルカレンダーのキラー機能、
「検索機能」を使うようになったら、
もう紙のスケジュール帳には戻れなくなる。
つまりグーグルカレンダーを、
「メモ帳」として兼用するのです。
カレンダーの予定項目に、
「メモ欄」ってあるでしょ。
そこに、たとえば乗る飛行機の便名だとか、
ホテルの名前、住所、電話番号、
乗る電車の時刻表(時刻表アプリから直接共有可能)、
あと、打ち合わせしたときの、
連絡事項が書いてあるメール本文のコピペなどを、
全部ぶち込んでおくんです。
そうすると、あとで、
「検索機能」を使うと、
未来であろうが過去であろうが、
その予定についての手がかりがあると、
芋づる式に必要な情報を引き出せるわけです。
これが出来るようになると、
ちょっと革命的に便利ですよ。
私はやってませんが、
この「メモ欄」を、
もう日記にしちゃってる、
という強者もいるらしいです。
、、、
、、、
という私のライフハックはさておき、
去年の今日何をしていたか?
でしたね。
グーグルカレンダーに問い合わせたところ、
今の時期はひたすら、
「よにでしセミナーの準備」を、
日々やってますね。
今の私と同じです。
これは季節的なルーティーンなので、
まぁそんなもんでしょう。
あと面白いのは、
「去年の昨日」は、
近所の「洋服お直し屋さん」に行っています。
友だちからもらったダウンベストを、
私ではなく妻が気に入ってずっと着てたのですが、
そのファスナーが壊れたんですよね。
それを、近所のお直し屋さんに行って、
直してもらってました笑。
なんか、普通のアパートの一室で、
おばさんがひとりでやっている、
「この人、税金申告してるのかな?」
っていうような、
ちょっと怪しげな雰囲気で、
強烈に覚えています。
ファスナーのお直しは1,500円ぐらいしたのですが、
洋服って直して着ると愛着もわきますよね。
修理したダウンベスト、
今年も妻はけっこうヘビロテしてます。
、、、という感じで、
去年の今日、何やってた?でした。
皆さんは去年の今日、
何をしてましたか?
]]>
今週の「オープニングトーク」
2020-03-16T08:55:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=455
陣内が先月観た映画2019年10月 『ジョーカー』他
第112号 2019年11月5日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年10月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうとい...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年10月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●福福荘の福ちゃん
鑑賞した日:2019年10月20日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典(途中早送り)
監督:藤田容介
主演:大島美幸(森三中)、水川あさみ
公開年・国:2014年(日本)
リンク:
https://bre.is/xFdUQBZp
▼140文字ブリーフィング:
この映画は酷かったです。
純粋に時間を浪費しました。
なんかのレビューで「面白い」っていうのを、
読んだか聴いたかした記憶があったので、
「面白くなるかなぁ」と思いながら、
1時間経過しても面白くならないというね笑。
たぶんあのレビューも、
じつは記憶違いだったのかもしれません。
そんなレビュー観たことなかったのかも笑。
(153文字)
●イーストサイド寿司
鑑賞した日:2019年10月10日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:アンソニー・ルセロ
主演:ダイアナ・トレス
公開年・国:2015年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/8xAqkDJB
▼140文字ブリーフィング:
非常に低予算なインディペンデント映画なのですが、
良く出来ています。
なんかの賞も受賞しているらしいし(適当)。
カリフォルニアに住むメキシコ人シングルマザーのファナが、
屋台で強盗に遭ったことをきっかけに転職し、
寿司職人を目指す、というのが筋書きです。
最後は「アイアンシェフ(料理の鉄人)」
みたいな展開になっていきます。
低予算ながら丁寧に作られている佳作でした。
こういった映画のポイントは、
料理のクオリティなのですが、
この映画は明らかに日本人が監修に入っていて、
好感が持てました。
(233文字)
●アラジン
鑑賞した日:2019年10月17日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:ガイ・リッチー
主演:ウィル・スミス、メナ・マスード、ナオミ・スコット
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/mZkpK9Uo
▼140文字ブリーフィング
実は「アラジン」のアニメ版を私は見てないのですよね。
なので「ホール・ニュー・ワールド」という、
100人中95人が聴いたことあるディズニーの名曲が、
アラジンのものだとこの実写版で知りました。
ディズニー好きな人からすると、
たぶん言語道断なんでしょうけど。
あと、アラジンって、
原作が「千一夜物語」なんですね。
それも知らなかった。
千一夜物語、いつか読みたいんですよね。
「世界の古典」で必ず出てくるから、
いつか押さえておきたい。
「壺をこすったら魔神が出てくる話」
っていうことだけは知ってる、
ぐらいの予備知識で見たので新鮮でした。
でも今回の実写版って、
かなり大胆なリメイクをしているらしく、
基本を押さえていないので、
これが良く出来たリメイクなのかどうか判断出来ない。
ドラえもんのアニメ一度も見てない人が、
CG版の「STAND BY ME ドラえもん」を見る感じです。
明らかに正しい見方ではない笑。
ウィル・スミスのジーニーが、
ラップで歌って踊るのとか、
全体がインド映画っぽくアレンジしているのが秀逸でした。
もとを知らないからこの評価もどうかと思うけど。
アレンジ効かせてるなぁ、っていうのだけは伝わってきた。
これは間違いない。
あと、この映画、
珍しく妻と一緒に見たのですが、
アニメ版を見ている妻に言わせると、
一番の違いはと「女性の地位」だと言ってました。
鋭い着眼点ですね。
ディズニーって時代を如実に反映するんですよね。
20世紀後半のディズニーって、
「お姫様が王子様を待ってる話」でしたが、
徐々に「女性の主体性」が際立ちます。
「アナと雪の女王」が大きなターニングポイントで、
あれに至っては、男性はほとんど、
「カレーの福神漬け」みたいなものですから。
まったくプレゼンス(存在感)がなくなっている。
あの「少しも寒くないわ!!」は、
世の中の女性たちの
「男なんていらないわ!!」
というカタルシスを歌ったから大ヒットした、
とある映画評論家が言っていました。
アラジンでも、
アニメ版は「お姫様物語」に近かったけど、
実写版は「女性が自分の道を発見する物語」になっています。
男はそれにちょっと色を添えるぐらいの役割しかない。
「ディズニーを見ると世相が分かる説」ですね。
(912文字)
●42 世界を変えた男
鑑賞した日:2019年10月25日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:ブライアン・ヘルゲランド
主演:チャドウィック・ボーズマン、ハリソン・フォード
公開年・国:2013年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/PmNu7YcE
▼140文字ブリーフィング:
メジャーリーグ初の黒人選手、
ジャッキー・ロビンソンの実話をもとにした映画です。
この映画はヤバかったですね。
現在、「背番号42番」は、
大リーグの全チームで、
永久欠番になっている唯一の背番号です。
知ってました?
私は知りませんでした。
その42番こそ、
ジャッキー・ロビンソンが、
ブルックリン・ドジャーズ(当時)で、
背負っていた背番号です。
あと、大リーグでは毎年、4月15日には、
すべての選手が42番を背負ってプレーするそうです。
知ってました?
私は知りませんでした。
4月15日はジャッキー・ロビンソンが、
メジャーリーグにデビューした日です。
彼を覚えて全選手が42番を背負ってプレーするのです。
▼参考記事:4月15日の大リーグ
https://www.baseballchannel.jp/mlb/31102/
50年前の当時、
「黒人が白人に混ざって野球をする」
というのは、それほど信じられないことだったのです。
日本でいうと、
両国国技館で、女性の力士がデビューする、
みたいな話なわけです。
いやいや、それほどじゃないだろう、
とおっしゃるかもしれませんが、
全然大げさじゃない。
それぐらい「黒人差別」っていうのは、
当時のアメリカには色濃く残っていたのです。
トイレも同じトイレを使っちゃいけないし、
ホテルも同じホテルに泊まれない。
彼のデビューはだから衝撃的で、
敵チームからは言うに及ばず、
味方チームからも様々な嫌がらせを受けます。
球団オーナーのところには、
毎日何十通もの「殺害予告」の手紙が届きます。
しかし、オーナーとジャッキーは戦いました。
暴力によってではなく、
良いプレーをすることによって。
翌年には2人の黒人が新たにプレーするようになります。
現在、メジャーリーグで有色人種がプレーする、
とういうのは当たり前のことですが、
ジャッキー・ロビンソンの先例があるから、
道が出来たわけです。
忘れてるかもしれませんが、
イチローもダルビッシュも野茂も、
「有色人種」ですからね。
彼らがのびのびと活躍できるのも、
偉大な「背番号42」がいたからです。
この映画は感動不可避です。
(868文字)
●ジョーカー
鑑賞した日:2019年10月30日
鑑賞した方法:TOHOシネマズ新宿にて鑑賞(1900円)
監督:トッド・フィリップス
主演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ他
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
http://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
▼140文字ブリーフィング:
いやー、観に行っちゃいましたよ。
『ジョーカー』を。
意味なく倒置法を使ってしまうぐらい、
この映画は凄かったですね。
本作は公開前から「問題作」で、
アメリカでは上映映画館に警察が派遣されたり、
銃乱射事件が起きた地域では、
公開が取りやめになったりしています。
なぜか?
それを理解するには、
『タクシードライバー』という、
マーティン・スコセッシ監督の、
アメリカンニューシネマを知る必要があります。
実はこの『ジョーカー』は、
2019年版の『タクシードライバー』
と言って良い作品なんです。
これは素人の憶測なんかじゃなく、
トッド・フィリップス監督は、
あからさまにタクシードライバーを
意識してこの作品を作っていることが、
随所に現れています。
じっさい『タクシードライバー』の主演は、
若き日のロバート・デ・ニーロですが、
本作でもロバート・デ・ニーロは非常に重要な役どころとなっており、
このキャスティングは完全に「確信犯的」です。
さて。
このスコセッシ監督の『タクシードライバー』とは、
いったいいかなる作品だったのか?
それは、低賃金労働者である、
タクシーの運転手をしている、
主人公トラヴィス(デ・ニーロ)が、
鬱屈した社会への怒りを爆発させるという話です。
最後に主人公は肉体改造をし、
銃撃の訓練をし、モヒカン頭になり、
大統領候補の狙撃を企て、、、
という話です。
この映画、何度見ても、
主人公トラヴィスの行動に一貫性がなく、
彼が何を考えているか分からないように作られています。
彼が「悪魔」なのか「天使」なのか分からない。
スコセッシ監督はカトリックの司祭を目指していた人で、
「映画を通して神学する」のが彼のライフワークです。
近年『沈黙』を映画化したのはまさにスコセッシ的です。
ではスコセッシは『タクシードライバー』で、
どう「神学」していたのか?
以下、私の私的な解釈になりますが解説します。
この映画はアメリカの振り子が新自由主義に振れる、
直前に作られています。
つまり「フラワームーブメント」とかが終わり、
80年代のレーガン・サッチャー時代に、
突入する手前のアメリカなんです。
新自由主義がアメリカに何をしたのか?
端的に「格差の拡大」がいつもあげられます。
レーガンの共和党は生活困窮者への社会保障を削り、
「小さな政府」を標榜する一方、
大金持ちや大企業を優遇しました。
それはアメリカ経済を加速させましたが、
「持てる者と持たざる者」の溝を大きく広げ、
「中流層というボリュームゾーン」を空洞化させました。
現代アメリカはこれをさらに加速化させた感じになっていますが、
この「潮流」の発端は80年代にあり、
レーガンはそれを推し進めた「アイコン」です。
レーガンが俳優出身で「非・教養人」であることも、
今のトランプ政権と毛色が似ていますね。
トランプもプロレスで有名になった人ですから。
(大統領になったレーガンは南米に複数国があることを知らず、
外交旅行から戻ってから側近に、
「南米って国がたくさんあるんだ、知ってたか?」
ってもらした、というエピソードがあります。)
トラヴィスに話を戻しましょう。
トラヴィスって「持たざる者」の象徴なんですよ。
・収入は低い。
・仕事はキツい肉体労働。
・社会から無視されている。
・友だちがいない。
・非モテ。
「持たざる者のロイヤルストレートフラッシュ」
なんですよ。
日本だと、
漫画『カイジ』とかに出てくる感じの人なわけです。
「ストロングゼロとパチンコと風俗という蜘蛛の糸で、
なんとかこのクソ世界にしがみついている」
というような。
いつ死んでも本望だし、
逆に言えば死ぬことは何の恐怖でもない。
そんなトラヴィスが大統領候補暗殺を企てる理由について、
映画内ではいっさい語られませんが、
彼にとって「自分が死ぬこと」と、
「このクソ世界がなくなること」が、
「等価」なんです。
主観的には。
客観的には違いますよ、もちろん。
スコセッシは、
トラヴィスの主観レンズで世の中を見る映画を撮って、
何が言いたかったのか?
「おまえみたいな奴を、
見てるよ。
おまえは、『いる』よ。」
っていいたかったんだと、
私は解釈しています。
じっさい『タクシードライバー』みたいな映画って、
それ以前には撮られたことがなかったんです。
映画の主人公って、
「かっこいい人」とか、
「裕福な人」とか、
「夢を追っている人」とか、
「大恋愛をしている人」とか、
「成功した人(成功に向かって走る人)」
と、相場が決まっていたわけです。
しかし、『タクシードライバー』のトラヴィスは、
生まれたときから、
「人生スーパーハードモード」が決定されている、
「持たざる者」だった。
これを見た多くの「持たざるアメリカ人」が、
「これは自分の話だ」って思ったと言われています。
そして次にこう思いました。
「スコセッシは俺を見つけてくれた」って。
『タクシードライバー』は、
彼らにとっての「救済」だったのです。
人間にとって最も辛いのは、
「いない」ことにされることです。
しかしトラヴィスの主観レンズの映画を撮ることで、
スコセッシは
「おまえみたいな奴、
おれは知ってる。
そして見ている。」
って言ったわけです。
映画を鑑賞した今でいう
「非モテ・非リア充」たちは、
「ああ、俺を見つけてくれた」
っておもったんです。
彼らにとっての救済は、
「解決」ではなく、
「見つけてもらうこと」だったのです。
これはイエスの物語(福音書)にも言えます。
イエスは、サマリヤの女やザアカイなど、
何重にも社会からの偏見にさらされている人々を、
「見た」って、何度も書かれてるんです。
彼ら、彼女らの問題が解決したかどうかは、
そのエピソードによって違うのですが、
私が類推するに、
イエスが「見つけた」時点で、
彼らの実存的問題の半分ぐらいは
解決していたんじゃないかと思うんです。
ザアカイはイエスが「見つめた」ときに、
「ああ、俺は忘れられてない」と思った。
そのときにすでにザアカイの救済は
ほとんど達成されているわけです。
スコセッシ監督がしたことはまさにそういうことです。
じっさい、この『タクシードライバー』は、
カンヌ映画祭のパルムドールも受賞し、
アメリカでも大ヒットになった。
ここまでは良い。
ところがある事件が起きます。
『タクシードライバー』の公開は1976年ですが、
5年後の1981年に起きた、
「レーガン大統領暗殺未遂事件」っていうのがそれです。
この事件の犯人ヒンクリーは、
後に『タクシードライバー』を何度も見て、
登場する12歳の売春婦アイリス(子役時代のジョディ・フォスター)に、
偏執狂的な恋心を抱きます。
そして劇中のトラヴィスと同じように、
彼はレーガンを狙撃したのです。
レーガンは一命を取り留めましたが、
ヒンクリーの犯行により、
『タクシードライバー』は、
「危険な映画」というレッテルを貼られます。
そして、21世紀の今、
『タクシードライバー』の再解釈のように登場したのが、
『ジョーカー』なわけです。
アメリカの公安当局がピリピリするのは、
こういった理由があるわけです。
折しもトランプ政権下で頻発する、
銃乱射事件の犯人のなかには、
いわゆる「トラヴィス型犯行」といいますか、
「持たざる者の破壊願望」が動機になっている、
というニュースがいくつか流れたところでの公開だったので、
なおさらです。
つまり『ジョーカー』は、
「持たざる者の破壊願望」に火をつけ、
それを「扇動」し、
彼らが社会を破壊する衝動に身を任せる、
そんな動機付けを与えることになる、
と考える人たちが、
『ジョーカー』を公開禁止するよう訴えたりした、
という流れがあるわけです。
当メルマガの読者なら予想出来るでしょうが、
私の立場は「禁止にしろ!」という人々と、
真逆です。
そもそも『タクシードライバー』は、
救済の映画であって「暴力の扇動」の映画ではない。
暴力の扇動というなら、
無数に作られる『アベンジャーズ』などのマーベル映画、
あれこそ暴力の扇動だろう、と思いますから。
「正義」という名の下に、
記号的に大量の人間の死が描かれる。
その「死」はあくまで軽く、
「痛み」を伴わない記号的な死です。
あのような「命の大量消費」こそが、
「PG15」にすべきであって、
『ジョーカー』のように、
「一つ一つが痛い死」というのは、
むしろ見ることで暴力抑止効果があると、
私は考えます。
ヒンクリーの犯罪のような偶発的な出来事だけを取り上げ、
『タクシードライバー』は危険だ、
というのは誤解で、
むしろ「ハリウッド的命の消費」のほうが、
人の死を匿名化し、
銃乱射事件の多発と連動していると考えるのは、
私だけでしょうか?
現に、銃規制支持者で有名な、
マイケル・ムーア監督は、
『ジョーカー』は、
銃乱射事件の頻発する現代アメリカへの、
最大のアンチテーゼになっている、
と賛辞を送っています。
これがアンチテーゼだと分からない知性の劣化こそ、
私たちは嘆くべきなのではないでしょうか。
、、、というわけで、
『ジョーカー』。
ヤバかったです。
見てる間は、
案外あっさり時間が過ぎて、
「え?ここで終わり?」
とか正直思ったのですが、
鑑賞後、家に帰ってから、
ずっとこのことについて考えてしまう映画です。
正直、まだ考えがまとまってません。
あと、本作の『ジョーカー』って、
「ビジランテ(私的に正義を実現する自警団)」の要素もあるので、
実はこれ、バットマンを批判する構図にもなっているんですよ。
「ジョーカーとバットマン、
何が違うの?」って話でもある。
見るこちら側が、
勝手に彼らを正義だとか悪だとか、
色分けしているだけであって、
彼らがやってることは、
お互い本質的には同じなのでは?
ってことです。
バットマンの正体のブルース・ウェインが、
大金持ちの息子で、
「持てる者」のアイコンだ、
という対称性も見事です。
まさに現在の「分断の時代」を象徴する作品です。
無理に時間作ってでも、
映画館で観ておいて良かった作品でした。
、、、あ、まだ公開中なので、
内容についてはこれ以上立ち入りません。
ひとつ言えるのは、
「DCコミック映画」とか「マーベル映画」が大好き、
という人は、絶対に失望するので見ないほうが良いです笑。
「DCコミック」というパッケージはブラフです。
漫画本のブックカバーの純文学作品みたいなものです。
「欺された!」ってなります笑。
『ジョーカー』は各所で絶賛されていますが、
数%の割合ですごーく怒ってる人がいる理由はこれだと思います。
(4,151文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
「ジョーカー」
コメント:
言うまでもないでしょう。
これは「今年を代表する一本」になりました。
他にも「SNS時代のインフルエンサー要素」とか、
「人生は近くで見ると悲劇だが、
遠くから見ると喜劇だ」
っていう、チャップリンオマージュ要素とか、
トッド・フィリップス監督の、
「サンプリング世代の映画技法」とか、
語りたい要素はてんこ盛りなのですが、
いかんせんまだ公開中なので、
それは別の機会に。
▼主演(助演)男優賞
ホアキン・フェニックス(ジョーカー)
コメント:
ホアキン・フェニックスのジョーカー、
つまり本作では主人公のアーサーは、
ヤバかったです。
マジで。
『ダークナイト』でジョーカーを演じた、
ヒース・レジャーは、
ジョーカーという「役に飲まれる」形で、
薬物に溺れ命を失った、
というのは有名な話ですが、
ホアキン・フェニックスは大丈夫なのでしょうか?
とラジオで赤江珠緒が町山智宏に聴いてたんですよね。
そしたら町山さんは、
ホアキン・フェニックスはもともとイカれてるので、
あれが通常営業だから彼は大丈夫、
って言ってました笑。
でも、ホント凄いですよ。
このアーサーという役は。
彼の異常に痩せた体、
そして彼の「笑い」は、
脳内にこびりついて離れません。
▼主演(助演)女優賞
ダイアナ・トレス(イーストサイド寿司)
コメント:
カリフォルニアに住む、
寿司職人を目指すメキシコ人を好演しています。
映画俳優って料理シーンがかっこいいと、
それだけで2割増しぐらいに見えますね。
▼その他部門賞「ヤバい映画賞」
「ジョーカー」
コメント:
もう、ジョーカーについて語ることはなくなりましたが、
まぁ「ヤバい映画」でした。
褒め言葉です。
こんだけシリアストーンで語ってきてなんですが、
この映画が「全体としてはコメディだよーん!」
っていうことを何度も監督は強調するんですよね。
それもチャップリンに通ずるところがありますよね。
なんせ監督のトッド・フィリップスは、
『ハング・オーバー』作った人ですからね。
凄くないですか?この振り幅。
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陣内が先月観た映画
2020-03-10T08:50:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=454
買って「正解」だった服
第112号 2019年11月5日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼最も「正解」だった服▼▼▼
▼過去1年間に買った服(靴)で、
最も「正解」だったのは?(なければ過...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼最も「正解」だった服▼▼▼
▼過去1年間に買った服(靴)で、
最も「正解」だったのは?(なければ過去3年以内)
、、、そうですねぇ。
すぐに思いつくのは、
KEENの「ユニーク」というサンダルです。
▼リンク:キーンのユニーク
https://bre.is/8S5rmcKd
https://bre.is/ZVeL7wWL
色はブラックを買いました。
KEENには「ジャスパー」という名作スニーカーもあり、
そちらも評判がすこぶる良いんですが、
所有したことはありません。
なぜ「ユニーク」を買ったかというと、
4月に3週間インドに行くことになり、
あっちで履く靴について悩んだ結果、
「ユニーク」が良いと「読んだ」からです。
まず、日本で履いてる普通のスニーカーだと、
ひどい雨と土埃で、
かなり汚れるので嫌だったんですよね。
あと、2008年には、
「履きつぶす覚悟」で、
ニューバランスのスニーカーを履いていって、
じっさい新品同様だったスニーカーが、
トラックに10回引かれたぐらいボロボロになりました。
でも、そこそこ快適ではあったんですよ。
ところがひとつだけ問題があって、
後半、異臭がし始めたんですよね。
気温が45度とか毎日いくし、
バケツをひっくり返したような雨が定期的に降るしで、
高温多湿&蒸れにより、
奇跡の微生物発酵が置きたんでしょうね。
あれを覚えていたので、
涼しげな靴が良い、サンダルでも良い、
という思考になる。
しかし、サンダルだと、
いかんせん「防御力」が心配なんですよ。
舗装されていない道を歩いたりもするし、
ガラスとか落ちてたりすることもあったりするし、
棒とかいろいろ落ちてたりするので、
サンダルはちょっと「頼りない」感じがして。
その連立方程式を解いていくと、
ひとつだけ「解」が見つかった。
それがキーンのユニークだったわけです。
結果、もう大正解でしたね。
最高に快適でした。
雨に降られようが「サンダル」なので大丈夫だし、
猛烈に暑くても、蒸れるということがない。
そして汚れても、
「まぁ丸洗いすれば良いか」
という気軽さがある。
4月のインドだけでなく、
6月のフィリピンでも大活躍しました。
それだけでなく、
このサンダルは、
モノトーン(特にブラック)を選ぶと、
遠目から観ると「ちょっとドレス感」があるんですよね。
サンダルにはあり得ない「フォーマルな感じ」がある。
なので、サンダル履いていくと、
「それは着崩しすぎだろ」というようなシーンでも、
普通に履いていてあまり違和感がない。
じっさいマニラの会議には、
毎日これで行きましたから。
日本に帰ってきても、
夏の間中、外出するときはこればかりでした。
確実に来年も活躍することになるでしょう。
キーンのユニーク、お勧めです。
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今週の「オープニングトーク」
2020-03-09T08:49:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=453
本のカフェ・ラテ『知性は死なない』【最終回】
第111号 2019年10月29日配信号
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんに...
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週完結編にしようとしたけど、
文字数オーバーで完結しなかった、
『知性は死なない』の続きを、
今回もお送りします。
『知性は死なない 平成の鬱を超えて』
著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://amzn.to/2U6o988
▼▼▼ボードゲーム「カルカソンヌ」とアフォーダンス
→P248〜251
(病棟の談話室に「UNOが出来ない」という仲間がいたことをうけ)
『カルカソンヌ』という、
世界遺産になっている
南フランスの城郭都市をテーマにしたゲームがあります。
(中略)
このゲームの特徴は「手札」に相当する、
「プレイヤー本人にしか見えない情報」が、
いっさい存在しないことです。
(中略)
ひとりでぜんぶ判断して決められるような「能力」がなくても、
大丈夫なように、きちんとゲームがデザインされているのです。
じっさい、アドバイスされながら
半信半疑でプレイした人のほうが、
結果的に勝つこともあります。
ゲームが終わったときに出来る盤面がきれいなこともあって、
UNOが苦手だった患者さんも、楽しんでくれました。
うまく遊べない人に
「おまえは能力が低いなあ。もっと勉強しろよ」なんて、
言わなくても良い。
むしろ「能力が低い」プレイヤーがまじっても、
みんなが最後まで楽しめるようなデザインのゲームを、
みつけてくればいいのです。
このとき私が思い出したのは、
アフォーダンス(affordance)という概念でした。
もともとはギブソンという米国の心理学者が提唱したのですが、
その射程の広さから、
教育学や人類学でも使われることがあります。
私なりにまとめると、
「提供する」という意味のaffordを名詞化したアフォーダンスとは、
「能力」の主語を、人からものへと移しかえるための概念です。
たとえば、
健常者の人間には走るという能力がある、とは考えない。
逆に「平らな道」というものが、
走るという行為を健常者の人にアフォードしている、
つまり道と人間との間に走るというアフォーダンスが存在する、
というふうにとらえます。
(中略)
私が言いたいのは、
社会主義の衰退と共に
平成の日本ですっかり色あせた「平等主義」ではありません。
人によって「能力の差」がある事実を、
否定する気持ちはまったくなく、
「能力が最低のものに、最大の分配をしろ」
と主張しているのでもありません。
そうではなく
「どれだけ大きな能力の差をカバーできるかで、
そのものの価値をはかってみよう」と提案しているのです。
そうした思考法は、
退院した後も趣味としてゲームをつづけるなかで、
徐々に明確になってきました。
(中略)
将棋や囲碁のような完全実力のゲームや、
スポーツ競技一般は、
プレイヤー同士の能力が均衡していないと、
楽しめない場合があります。
それにたいして、不慣れな人が混じっても
「その人のチョンボをどう防ぐか」までが込みで、
あたらしいゲームになったのだと
考え直せるデザインになっているのが、
このゲーム(マスカレイドという仮面舞踏会のゲーム)の魅力です。
そしてそれはまさに、はたらくということ、
よりひろくいって社会的に生きるということのモデルでもあります。〉
、、、鬱病になった学者の著者(與那覇さん)は、
病室でボードゲームに出会います。
鬱病は「脳にダメージを受ける」病気ですが、
そのダメージの受け方は、
人によって様々です。
社交的だった人が、
対人関係が極端に苦手になる場合もあるし、
数学者が四則演算すら出来なくなることもある。
與那覇さんの場合、
「言語運用」がダメージを受けました。
文章を書くどころか読むことも出来ず、
うまく話す事も出来ない。
お医者さんに自分の症状を話す言葉が、
支離滅裂でまったく論理的でないことに、
いちばんショックを受けた、
と與那覇さんは別の箇所で語っています。
右利きの人の「言語野」は、
大脳新皮質の左側にあります。
この部分が「ダメージを受ける」と、
與那覇さんのようになるし、
2013年に発症したとき、
私も同じでした。
私の場合、
文字が神経に直接「刺さる」ように感じ、
痛くて文字が読めなくなりました。
この症状が出たとき、
「これは病気だから、
病院に行こう」とやっと決断できたのですが。
それで、
精神疾患で入院している人たちにとって、
「ただこの時間に耐える」というのは、
拷問のようなものです。
だから本を読んだり映画を見たり、、、
ということが出来るのは健康な人です。
言語活動が働いていないので、
本読んでも映画を見ても、
それが「意味」として脳に取り込めない。
だから敗北感だけが積み重なる。
「ゲーム」はそんなとき、
「時間をやり過ごす」ための便利な道具です。
言語野が働いていないとき、
「非言語」の部分に逃げ場を作るイメージですね。
だから自然の風景を見たり、
積み木をしたり、
絵を描いたり、
ゲームをしたり、
というのは鬱病療養・リハビリの定番なのです。
著者の與那覇さんも、
病室で同病者とボードゲームをした、
その経験がここに書かれています。
その際、UNOのような、
戦略性の高いゲームだと、
ついていけない人もいるわけです。
鬱病で脳がダメージを受けているのですから、
そういった思考をすることが負担になるということもあるし、
「腕がものをいう」という要素が、
実社会に似ているので、
心理的に辛いということもあるのでしょう。
そんななか著者は、
『カルカソンヌ』というゲームに出会います。
このフランスのゲームは、
初心者が混ざっても、
ちゃんとゲームとして面白さが減らない、
そういう「ゲームデザイン」になっている。
このゲームは社会の縮図なんじゃないか、
と著者は気づくわけです。
UNOや「大富豪」って、
(多少運が関係あるということを含めて)
実力社会そのものなので、
先週紹介した「メリトクラシー」なゲームなんです。
しかし、『カルカソンヌ』はそうではなかった。
どんなステージの人が参加しても、
どんなに参加者同士の経験に差があっても、
ゲームとしての面白さが失われることがない。
そういうゲームのデザインになっている。
これって、
社会学の「アフォーダンス」そのものじゃないか、
と著者は気づくのです。
引用部分にも説明されているとおり、
アフォーダンスとは、
「陣内にはこの歩道を歩く能力がある」と、
行為主体の能力にものさしを置くのではなく、
「この歩道には陣内を歩かせる能力がある」と、
その「もの」が、行為主体に、
能力を付与している、と捉える考え方です。
著者は鬱病によって、
「メリトクラシー的」な、
能力によって人を格付けする社会の限界を、
体験的に知るわけです。
じゃあ、共産主義的に、
すべての人が平等に分配される社会が良いのか?
悪しき平等主義みたいに、
能力の差がないかのように振る舞うのが良いのか?
それは社会の後退であって、
著者が目指すところではない。
実力主義でも共産主義でもなく、
「アフォーダンス」にあふれた社会こそ、
私たちが今後築いていくべき社会なんじゃないか、
著者はゲームを通してそういうことを学んだわけです。
つまりそれは、
能力がない人に能力を付与したり、
障害者の障害を「取り除く」というのではなく、
実力がある人もない人も、
能力がある人もない人も、
「健常者」も障害を持つ人も、
みなが活躍することを、
「アフォード」することが出来るような社会です。
こういう方向性が、
私たちの未来を考える上で、
ヒントになるのではないか、
ということですね。
新約聖書は、
「アフォーダンス」を補助線に読むことも出来ます。
『結婚の意味』という本の中で、
著者のティモシー・ケラー氏は、
「キリスト教は独身者に積極的な価値を認めた、
世界で最初の宗教」と書いています。
じっさい新約聖書には「やもめ」を、
教会の宝として扱うように勧める箇所がありますし、
パウロは独身であることを「賜物」と言っています。
また、奴隷や貧乏な人、
社会のなかで虐げられた人々を、
初代の教会は受け入れ、
彼らに居場所を提供するだけでなく、
彼らを「なくてはならない身体の器官」と考えました。
パウロは「目立たない器官ほどことさら尊ばれる」
と言っています。
教会はローマ帝国の価値観では、
辺縁に追いやられる「プレイヤー」たちを、
「アフォード」したわけです。
教会で、能力の高い人が活躍するのは当たり前です。
それは教会の外と同じです。
それが別に悪いことでもありません。
しかし、教会の真価は、
「アフォーダンスの高い教会かどうか」
というあたりに私はあると思っています。
次に進みましょう。
▼▼▼コミュニズムを「共存主義」と訳し直し、
資本を「能力」と捉え直すという提案
→P253〜256
〈その網野(善彦)が最晩年の2001年、
「『コミュニズム』を『共産主義』と訳したのは、
歴史上、最大の誤訳の一つではないか」とのべたことがあります。
もっとも、ではどう訳すべきなのかについては語っていないため、
真意は判然としません。
(中略)
私は、保持する能力の高低が異なる人どうしの
「共存主義」として解釈しない限り、
コミュニズムというものの再生は、ないと考えます。
(中略)
最近は左翼の人の方が勘違いしているようなのですが、
資本家は単なる「お金持ち」とは違います。
たんに、自宅のタンスに札束を溜め込んで死蔵している人は、
お金持ちではあっても資本家ではありません。
自分のお金を、
本人が直接お店や工場を経営する資金として活用するか、
株券などを投資のために購入するかして、
様々な人々の間を環流させることで、
その総額を増やそうとしている人。
それが、資本家の正しい定義です。
マルクスやエンゲルスは、
「だったら、資本が『個人の財産』である必要はないじゃないか。
私有財産を廃止して、
社会全体で資本を共有しても良いじゃないか」と考えました。
5章で触れたようにこれはまちがいで、
資本を社会的に共有しようとすると、
その運用者としての国家と官僚の権力が極大化し、
人々は自由を失いました。
しかしこの箇所を
「能力」についての記述として解釈し直すと、どうでしょうか。
たとえば大学の先生に「能力」があるとみなされるのは、
その先生の話すことや書くものを、
「おもしろい。お金や時間を出す価値がある」
として受け止めてくれる、学生や読者がいるからです。
その意味では、大学の先生の能力とは、
タンス預金のようにその人の脳内に詰まっているわけではない。
それはまさしく、
「共同活動によってのみ動かされる」
「個人的な力ではない・・・社会的な力」です。
(中略)
その意味で、あらゆる能力は、究極的には「私有」できません。
くりかえしますが、能力はけっして平等ではない。
そこには格差があるし、いかに教育に予算をつぎ込み、
学校間での実績競争をあおろうと、それはなくなりません。
しかし、いかに能力の高い人であれ、
その能力は私有財産のように、
その人だけで処分できるものではないのです。
コミュニズムが昭和の遺物で終わるのか、
平成の次なる時代にもよみがえるのかは、
むろん左翼でなかった人には、どうでもいいことです。
しかし能力差という、
けっして解消されることのない格差と付き合いながら生きる上で、
コミュニズムを共存主義として読み換えていくことは、
全ての人のヒントになると私は感じています。〉
、、、歴史家の網野善彦は、
コミュニズムを共産主義と訳したのは誤訳だと指摘しましたが、
では何と訳すべきだったかについては何も語りませんでした。
著者は「共存主義」と訳すべきだったんじゃないか、
と立論します。
著者の言い回しは若干難しくなりますが、
マルクスやエンゲルスが指摘した、
「資本家による資本の独占」を、
「カネをがめている奴から、
庶民に分配せぇや!!」
という革命だというのは読み違えだと主張しているのです。
むしろ、資本家が社会に還元して、
「共存」を目指すべきは「能力」なのではないか、
ということです。
誰も「能力」を自分だけのために独占することのない社会、
つまり能力のある者が、
その能力を使って社会に価値を還元していく社会、
それこそが「共存主義」であり、
「共産主義の挫折→新自由主義の勃興
→新自由主義の終わりの始まり」
にさしかかっている我々先進諸国の市民が、
描くべき未来なんじゃないの?
と著者は言ってるわけですね。
次に進みましょう。
▼▼▼赤い新自由主義
→P274〜275
〈そのためには
「生き方は個人の自由であるべきだ」という価値観を、
国民の共通認識にすることから、はじめなくてはいけません。
保守主義が標榜する特定の家族観やライフコースには、
しばられない社会像を提示して、
はじめてリベラルの意義が生まれます。
「正社員である」「入籍している」「子どもがいる」。
それぞれに、すばらしいことです。
しかしそれは、他の生き方を否定する理由にならないし、
だからそういう特定の人生設計だけを、
国家や資本が支援するような諸制度は、改定が必要だ。
同一労働同一賃金とは、
「こっちにも金よこせ」という分配の問題である前に、
自由な生き方の問題なのだ。
そういう認識に立てるかが、
多数派形成の鍵になるのではないでしょうか。
すでにのべたとおり、そうした発想は、
終身雇用・年功賃金といった
「日本型雇用慣行」を解体させてゆくので、
平成に展開した以上の「新自由主義」になります。
しかし、伝統的な家族像に依拠する生き方の強要をも、
否定する点で、レーガン=サッチャー式の英米のそれとも異なります。
だれもが自由に生き方を選べる社会を、
目指す上で提携すべきは、
弱肉強食を説いていたこれまでの新自由主義ではないのです。
「能力があるなら」自由になれると主張して、
ごく一部の「有能な個人」をシンボルに立てて多数派を失った、
平成の書物群が取った戦略の失敗を、繰り返してはいけません。
むしろこれから必要なのは、
日本では同一企業の内側のみにとどめられてきた
コミュニズム(共存主義)の原理を、
その外に広がる社会へと、解き放っていくことです。
そのために必要とされるのが、
たとえばアフォーダンス的な方向での、能力観の刷新であり、
社会的に能力を「共有」しつつも、
自由や競争を損なわない制度の検討です。
心理学から経済学まで、
さまざまな学問の知見が求められます。
冷戦下では両極端にあるとされてきた、
コミュニズムとネオリベラリズムの統一戦線
――いわば「赤い新自由主義」(red neo-liberalism)だけが、
真に冷戦が終わった後、
きたるべき時代における保守政治の対抗軸たり得ると、
私は信じています。〉
、、、現在の世界の政治は二極化しています。
2016年のアメリカ大統領選で、
ドナルド・トランプと、
ヒラリー・クリントンの他に、
もうひとり脚光を浴びた人物がいます。
民主党の代表候補になりかけた、
バーニー・サンダースがその人です。
この人は「大学無償化」などの政策を掲げ、
若者の無党派層から熱狂的に支持されました。
彼は自分はコミュニストだと公言するほど、
「左寄り」の人で、
トランプの「新自由主義的な右」と比べると、
真逆に位置する人です。
トランプが「右のポピュリズム」だとしたら、
サンダースは「左のポピュリズム」なのです。
「政治の物差し」というものがあったとしましょう。
1メートルの物差しで、
右に50センチ、左に50センチあるとする。
かつての政治というのは、
右10センチ、左10センチぐらいのところで、
侃々諤々やっていた。
つまり中道右派VS中道左派の戦いだった。
しかしトランプ氏ならば、
「右に48センチ行ったところ」にいるし、
サンダース氏ならば、
「左に48センチ行ったところにいる」みたいに、
極端VS極端の戦いになってきている。
この流れは日本も例外ではありません。
それだけ社会が行き詰まっている証拠なのですが、
これをどう「超克」していくのか、
というのは、実は現代思想の、
最もホットな課題なのです。
著者は鬱病の経験によって、
新しい視座らしきものを見つけつつあるのが分かります。
それが著者の言う「赤い新自由主義」です。
「伝統的家族像」とか、
「終身雇用」とか、
保守が掲げる「理想」から、
人々を自由にしていくという意味では新自由主義的でありながら、
「能力の差」は許容しつつ、
その競争が万人の疲弊のためではなく、
万人の相互利益のために働くような、
「コミュニズム(共存主義)」の社会、
そういったグランドデザインを、
私たちはそろそろ描き始めるべきなのではないか。
極右VS極左の、
終わりなき不毛な消耗戦を、
私たちはやめるべきなのではないか、
という提示です。
先に進みます。
▼▼▼知性のほんとうの意味を取り戻した著者
→P276〜279
〈私が通ったデイケアには、月に2回ずつ、
患者同士でテーマを決めて話し合う時間がありました。
(中略)
発病から休職、人によっては離職という経緯を経て、
いやおうなく、自分が想定していたのとは
違う人生を歩まざるを得ない。
そのなかでみな、
「そもそもこれまで自分が前提にしていたことは、
正しかったのか」を悩んでいました。
これはほんらい、
「知性」に求めれてきた働きと、
同じものだといえます。
4章で、一般的には反知性主義と訳されている
「反正統主義」についてのべました。
従来の社会でオーソドックスだとされてきた考え方が、
本当に正しいのかを再検討した結果、
既存の権威を否定していく。
それじたいは、反知性として貶められるべきものではなく、
知性の働きそのものです。
(中略)
(学問的正統主義に引きこもりつつ
実用主義的にTOEICなどを採り入れる日本のアカデミズムの)
そういうライフハックのような知性の売り方を、
もうやめようではないか。
既存の社会に「いかに適応するか」ではなく、
「いかに疑うか・変えていくか」という、
知性が本来持っていたはずの輝きを、取り戻そうではないか。
結局はそれが、
いまいちばん伝えたいことなのだと再認識させられたのが、
私にとっての療養生活だったのだと思います。
入院中からデイケアへと続いた、
自身の人生観自体を考え直すピア・サポートのなかで、
私は自分のやりたかったことを、
もういちどみつけることができました。
もし、自分の能力について悩む人がいるなら
「こうすれば能力が上がる」ではなく、
「能力は私有物ではない」と伝えたいと思います。〉
、、、この部分は深すぎて、
私自身性格に読めているかどうか自信がないのですが、
私なりに理解したことに基づき解説するとこうなります。
著者は鬱病を患い、
病室で同病者たちと語り合った。
その対話の中から浮かび上がったのは、
「自分の前提を疑わざるを得ない」という共通経験だった。
著者はしかし、そこで「知性」の本当の意味に出会った。
つまり「知性」とは、
既存のルールのなかで、
自分に有利に事を進めるための便利なエンジンではない。
既存のルールそのものを疑い、
ルールそのものを「解体と再創造」に導くことこそ、
知性の本当の役割なのではないか?と。
自分の能力が低いことをコンプレックスに感じる。
自分の能力が高いことで思い上がっている。
このどちらも、最初のボタンを掛け違えている。
そもそも能力は、
自分のものではない。
それは私有物ではなく、
社会の共有財だ。
その前提に立つときに、
あなたの能力が高くても低くても、
新しい視座を得られる。
そういうようなことを、
著者は言っているのだと思います。
聖書に、こういう箇所があります。
「実際、からだはただ一つの部分からではなく、
多くの部分から成っています。
たとえ足が「私は手ではないから、からだに属さない」
と言ったとしても、
それで、からだに属さなくなるわけではありません。
たとえ耳が「私は目ではないから、からだに属さない」
と言ったとしても、
それで、からだに属さなくなるわけではありません。
もし、からだ全体が目であったら、
どこで聞くのでしょうか。
もし、からだ全体が耳であったら、
どこでにおいを嗅ぐのでしょうか。
しかし実際、神はみこころにしたがって、
からだの中にそれぞれの部分を備えてくださいました。
もし全体がただ一つの部分だとしたら、
からだはどこにあるのでしょうか。
しかし実際、部分は多くあり、からだは一つなのです。
目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、
頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。
それどころか、からだの中でほかより弱く見える部分が、
かえってなくてはならないのです。
また私たちは、
からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、
見栄えをよくするものでおおいます。
こうして、見苦しい部分はもっと良い格好になりますが、
格好の良い部分はその必要がありません。
神は、劣ったところには、
見栄えをよくするものを与えて、
からだを組み合わせられました。
それは、からだの中に分裂がなく、
各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、
一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
なたがたはキリストのからだであって、
一人ひとりはその部分です。」
第一コリント人への手紙12章14〜27節
、、、これは教会について、
使徒パウロが書いた指針ですが、
與那覇さんが「赤い共産主義」とか、
「能力は私有物ではなく共有財だ」
というとき、
パウロのこの概念とかなり近い社会像を描いていると、
私は解釈しています。
▼▼▼言語と身体を駆動して疑え
→P279〜280
〈あなたがもし、
今の社会で傷ついていると感じているなら、
それはあなたにいま、
知性を働かせる最大のチャンスが訪れているのだと、
伝えたいと思います。
あなたにはいま、
これまであたりまえだと思ってきたことが
「なぜこうなっているのだろう」というふうに見えています。
これまで存在を意識すらしなかった物事が、
「なぜ存在するのだろう」と感じられているし、
逆に思いつきもしなかったアイデアについて、
「なぜ実現しないのだろう」という気持ちがしています。
3章のことばをつかえば、
この「なぜ」という疑問を駆動させるのが、
身体的な違和感。
そしてその「なぜ」という問いを深め、
そんな問いをはじめて聞いた人にも
伝わるような説明へと導くのが、
言語による思索です。
言語ばかりに偏っては、
せっかくの知性がもういちど、
せまい大学や書物の世界に閉じてしまうと、
かつての私自身に対する反省として、
お伝えしたいと思います。
いっぽうで身体にのみ偏るなら、
そのゆくえはけっして実りあるものにはならないと、
やはり伝えなくてはならないと思います。
「ことばできちんと理解してはいないけど、
間違っていることだけは分かるんだ!」と称して、
ただ空気にあおられるように街頭に出て行った先に待つのは、
昭和にも平成にも繰り返された、幻滅と虚無だけです。〉
、、、ほとんどの人が忘れていると思いますが、
(なんせ書いた私ですらうろ覚えですから)
このカフェラテシリーズの第一回で、
與那覇さんが鬱病になった経験を、
彼は「身体による逆襲」と呼んでいました。
つまり、言語活動・意識活動に対する、
身体側の逆襲のように、
鬱病は襲ってきた、と。
ちょうど、都市生活・文明生活を享受する我々に、
自然災害が逆襲し、「自然が足場だよ!」と、
私たちに時々思い出させるように、
鬱によって暴力的に「身体レベルで脳が起動しなくなる」
ことによって、與那覇さんは、
「身体と言語(思考)」の調和について考えざるを得なくなった。
その結論部にあたるのが引用箇所です。
つまり與那覇さんは「身体的な違和感」こそが、
根源的な「なぜ」を与えることに気づいた。
そして、その根源的な「なぜ」を前に進め、
他者に共有可能な形に結晶化させるのが、
「言語活動」なのだ、ということを発見したのです。
言語活動(抽象思考)が、
言語活動の世界だけで閉じてしまうなら、
それは学者の「象牙の塔」と言われるような、
インナーサークルにしか通じないたこつぼ化し、
専門分野に引きこもる「悪い意味でのアカデミズム」を生みます。
かといって思考を捨て、
身体的な違和感だけに訴え、
身体的な行動だけに頼るなら、
70年代の安保運動の失望を繰り返すだけになる。
「身体と言語を橋渡しする」のが、
知性の本当の役割なのではないか、
これが與那覇さんが病気の中で発見した宝でした。
続いて、本書の「結語」に進みます。
▼▼▼本書の結語
→P281
〈しかしいま、私は悲観していません。
なぜなら、病気によって強制的に大学の外へと追いやられても、
いくらでも知性に基づいて、
対話が出来る人々がいることを知っているから。
そして世界が混迷を深める中での、
あたらしい時代の到来によって、
平成の30年間を経ても生産できなかった
私たちの思考の前提が揺らぐときこそ、
知性がもういちど輝き始める時だと、信じているからです。
すこし気恥ずかしいのですが、
マルクスとエンゲルスによる1848年の
「マニフェスト」に沿ってしめくくるなら、
本書のメッセージはこうなると思います。
「知性ある人は、その発動において、
くさりのほか失うべきものをもたない。
かれらが獲得するものは、あたらしい世界である。
万国の知性ある人々の団結を!」〉
、、、病気を経て知性を「再定義」した著者は、
「知性を働かせる場所」であると一般には信じられている、
大学の現場を去らなければならなくなりました。
しかし、著者はむしろ希望にあふれてこう言います。
私(と知性ある同志たち)の戦いは終わったのではない。
今、始まったばかりなのだ、と。
デリーのゲストハウスで読みながら、
ここで私は落涙してしまいました。
、、、この本、
「おわりに」もめちゃくちゃ良いので、
あと1箇所だけ、紹介します。
▼▼▼「おわりに」より、知性とは旅のしかた
→P282〜284
〈もういちど自分が本を書けるようになるとは、
思いもしませんでした。
はげしいうつ状態のために、
会話も困難になっていた時期には、
出版社からきた
「1行程度で推薦書籍のコメントをください」
といった依頼すら、
こたえることができませんでした。
まとまりのある文章を書く、
まして本を出版するなどと言うのは、
想像もし得ないことだったというのが、
いつわらざる事実です。
(中略)
結果、このような書籍をつくることが
出来るまでに回復したものの、
かつて自分自身がものしたような、
学術的な専門書を読み/書きする段階には、
残念ながら到達出来ない。
そのような状態では、
大学教員としての職責を果たすことが出来ないと考えて、
離職を決意しました。
もちろん最初は、悔しくて泣きました。
しかしいま、後悔する気持ちは、まったくありません。
まだ自分が再び本を書けるとは信じられなかった頃の、
読書遍歴の過程でめぐりあったことばに、
こんなものがあります。
「しあわせとは旅のしかたであって、
行き先のことではない」。
ロイ・M・グッドマンという米国の政治家のことばで、
箴言集などによくとられるものだそうです。
私にはその伝えたいことが、
とてもよくわかる気がします。
「知性とは学ぶ方法のことであって、
学ぶ対象を指すものではない」。
それは、教員として大学の教壇に立つ以前から、
変わらぬ私の信条でもありました。
(中略)
知性を失ってその場所にとどまるくらいなら、
知性と共に別の場所へ旅に出る方がずっとよい。
そうする勇気がもてなかったために、
病気という体験を必要としてしまったのだろうと、
いま私は思っています。
それでは、かつて知性が輝いていた場所よ、さようなら。
もしまた訪れることがあるなら、いつかその日まで。〉
、、、著者の「知性を巡る旅」は、
アカデミズムの世界で始まり、
大学准教授として活躍するところまでは順調でした。
ところが二つの事実が、著者の旅を阻みます。
ひとつは、
「平成の30年」を経て、
日本の「知性」が、
まったく社会とかみ合っても来なかったし、
「知性になせるはず」と夢見たものが、
むしろ体制の論理に巻き取られたり、
富や地位の獲得に利用されたり、
社会と関係ないところで空転してきたのを見たこと。
これは著者を深い迷路に迷い込ませました。
「いったい私の職業は、
社会にとって意味があるのか?」
もう一つは「自身の鬱病罹患」でした。
これによって「知性」はメルトダウンし、
「1行の文章を書くことすら困難」な状況になり、
学者としてのキャリアを一旦諦めなければならなくなった。
しかしこの二つの「挫折」こそが、
著者が知性を「再定義」し、
「知性を再起動する」ことへの糸口となります。
著者曰く、「知性とは学ぶ方法であって、
学ぶ対象のことではない。」
これがほんとうに見えたとき、
「●●の専門家」という意味での、
アカデミックな分類はもはや意味をなさなくなりました。
そうではない。
身体的違和感に契機を発する「問題」について、
もがきながら言語化し、
誰かとつながろうとする。
そのような「知性」が駆動するなら、
それがアカデミズムの中であろうが外であろうが、
まったくかまわない。
著者はそういうところに至ったわけです。
この「知性の再定義・再発見」は、
病気により「信仰の再定義」と、
「信仰の再起動」を行った私と、
完全にシンクロしているのです。
私はこの本を読み終わり、
鬱病療養の「孤独な暗闇の旅路」を、
自分はひとりで歩いていたわけではないと知りました。
與那覇さんに私は会ったことがないけれど、
私と同じ道を歩いた人が、
他にもいたことを知ったのです。
歴史の中には、
パウロ、ヨブ、ヨナ、エレミヤなど、
與那覇さんや私と同じような、
魂の暗闇の旅を歩いた人々がいます。
「信仰の再定義」をした私は、
病気になる以前よりも、
はるかに自由に、
信仰の旅路を歩けるようになりました。
空も飛べるぐらいに。
だからといって、
かつて自分がいた場所を否定するつもりもありません。
私も、たぶん與那覇さんも、
「あいつは鬱になった。
終わったな」と思い、
離れていった人もいる気がなんとなくするし、
自分の指からすり抜けていったチャンスもたくさんある。
そんなことそもそも、「病気のどさくさ」で覚えてません。
病者には他人を気にしてる余裕なんてないんです。
でも、笑ってこう言いたいと思います。
「また訪れる日があるなら、
いつかまた、その日まで。」
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本のカフェ・ラテ
2020-03-03T08:48:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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食生活のなかで人と違うところ
第111号 2019年10月29日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼食生活について▼▼▼
今週も質問カードからやっていきましょう。
▼自分の食生活のなかで、
他人と...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼食生活について▼▼▼
今週も質問カードからやっていきましょう。
▼自分の食生活のなかで、
他人と違ってユニークかもしれないと
思う点があるなら教えて下さい。
、、、これは、
1年半前に「筋トレ」と出会ってから、
かなり変わりましたね。
じつは「筋トレ」って入り口であって、
「ボディメイク」というもっと広いくくりがある、
その「3分の1」が筋トレなんですよね。
どういうことか?
筋トレ筋トレと言いますが、
実は筋トレって、
やりすぎたらダメなんですよ。
長時間やると「オーバーワーク」といって怪我しやすくなるし、
一回のトレーニング時間が1時間を超すと、
コルチゾールが分泌されて逆に筋肉は分解される。
だから、週に2回か3回、
1回30分ぐらいで、
「そこにすべてを注ぐ」勢いで集中してやるのが、
最も効率的で上手な筋トレと言えます。
(私はそこまで上手じゃないので、
1回45分〜75分ぐらいかけちゃいます。
本当はもっと圧縮すべきなのですが、
テクニックがないので。)
そうすると筋トレをしている時間は、
一週間に長くてもトータル2、3時間ぐらい。
これが「トレーニング」の時間です。
しかし、これは「ボディメイク」において、
3分の1を占めるに過ぎません。
残りの3分の2は何か?
栄養(食事)と、
睡眠(休息)です。
しっかり食べなければ筋肉はつきません。
あと、「腹筋を割る」というのは、
トレーニングはあまり関係ありません。
腹筋はもともと割れているからです。
解剖学を知っていればこれは常識ですね。
なぜ「割れて見えない」かというと、
脂肪が分厚く乗っているからです。
脂肪をそぎ落とせば、
どんな人でも腹筋は割れて見えます。
アーノルド・シュワルツェネッガーは、
「腹筋はキッチンで作られる」
という名言を残していますが、
つまりそういうことなのです。
「筋肉を増やす」ことにおいて、
食事はめちゃくちゃ重要です。
オーバーカロリーで高タンパクの食事を続ける必要がある。
「半分は食事」、と言って良いんじゃないでしょうか。
「脂肪を減らす」ことにおいても、
食事はめちゃくちゃ重要。
こちらは「食事が9割」です。
有酸素運動などは1割ぐらいの重要度です。
この辺のことは以下の動画で説明しました。
▼動画『除脂肪メソッド』
https://youtu.be/kP9rkLJ3y04
、、、話を戻すと、
「ボディメイク」において、
3分の1はトレーニング、
3分の1は食事と言いました。
最後の3分の1は休息です。
筋肉はしっかり休んでいるときに、
成長ホルモンなどが分泌されて十分育つのです。
食事・睡眠・運動。
これって、人間の健康の、
「王道の三本柱」です。
これが出来ていれば、
「長生きしたければふくらはぎをもめ!」とか、
「痩せたければトマトを食べろ!」とか、
「乳製品をやめれば幸せになれる!」とか、
「100歳以上は全員納豆を食べていた!」とか、
エビデンス的にもサンプル数的にも、
生理学的にも根拠ゼロの、
流行の健康法に振り回されることがなくなります。
「ためしてガ●テン」的な番組に影響されて、
翌日にスーパーに走っても、
走ったカロリーぐらいのメリットしかないぜ、
ってことが分かってくるのです。
・バランスのとれた食事
(ステージによって、
「筋肉を増やす時期」なのか、
「脂肪を減らす時期」なのか、
「維持する時期」なのか、
自覚的にカロリーコントロールする)
・しっかりとした休息と睡眠
・適度な運動
これが出来ていれば、
あとは「誤差」です。
マジで。
、、、というわけで、
私は「筋トレ」と出会ったことで、
食事・休息・運動という、
予防医学において最も大切な3本柱を、
いちどに学習し、
自分の身体で実験しながら生きることを、
期せずして始めることとなったのです。
もともと私が筋トレを始めた理由は、
以下のような成り行きでした。
病後の体力低下と、
もともと虚弱な体質な自分が、
40歳で初めて親になった。
→子育ては体力勝負だ。
→私の世代は「定年退職」という概念は、
多分なくなるので、まだまだ長らく働くであろう。
→それにも体力がモノを言う。
→体力を増進せねば、という危機感が強まる。
→筋トレ、試してみよう!
、、、その結果、
栄養学・睡眠・休息・生理学・
スポーツ科学・ボディメイク術など、
様々な知識と実践を身につけることが出来ました。
もともと獣医師なので、
基礎的な知識はあるのですが、
「ボディメイク」という補助線で、
それらを実践しながら学んだことにより、
マジで大きな恩恵を受けることとなりました。
本当にやって良かったと思っています。
人間、自分でやらないと、
知識は自分のものにならないですからね。
、、、あれ?
質問なんだっけ?
食生活の特徴ね。
筋肉をつけるためには、
体重そのものを増やさなければいけません。
私は最初の1年半で、
15キロ増量しました。
今私は、
「脂肪を減らす時期」に切り替えて、
7キロほど体重を減らしたところです。
なので食生活の特徴は、
「低脂質・低炭水化物・高タンパク質」ですね。
具体的には鶏胸肉、サバ缶などが多いかな。
あと、ちくわとか魚肉ソーセージにもお世話になってます。
それからオートミール、ブロッコリーなどなど。
ドレッシングは脂質が高いので塩かけて食べてます。
外出中などはサラダチキンも利用しますね。
減量ってストレスたまるので、
ストレス解消のために、
「とりあえず腹に入れる、
ほとんどカロリーのないもの」を上手く活用するのが、
減量成功の秘訣です。
私の場合、
ゼロカロリーのゼリー、
糖質ゼロ麺、
もずくやめかぶ、
ところてん、
ダイエットコーク、
このあたりに助けられています。
あと、水をすごーくたくさん飲みます。
1日3リットルぐらい飲んでるかな。
減量してると味覚が敏感になりますから、
ところてんとかも、
けっこう旨いと感じるので、
ほとんどストレスは感じてないんですけどね。
これをあと数ヶ月続けて、
「生まれて初めて腹筋を割る」
という目標に今は突き進んでいます。
以上、私の食生活でした。
追伸:
読者の皆さんの中の、
ボディメイクしている人で、
「こんな低脂質・高タンパクな食べ物あるよ」
っていう耳寄り情報があったらご一報ください。
]]>
今週の「オープニングトーク」
2020-03-02T08:45:00+09:00
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本のカフェ・ラテ『知性は死なない』【第三回】
第110号 2019年10月22日配信号
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお...
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
『知性は死なない 平成の鬱を超えて』
著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://amzn.to/2U6o988
今回の『本のカフェラテ』のコーナーは、
『知性は死なない』の完結編です。
まぁ、ほとんど忘れている人が多いとは思いますが。
なんせ、私ですら前回何書いたか、
あんまり覚えてないですから笑。
ちなみに前回、
7月16日配信号(vol.100)で、
この本を解説しています。
その後、自分自身が、
鬱症状の再来を経て、
現在は寛解に至るので、
まぁ内容的にはタイムリーなのかなと。
文字数も、執筆時間もあまりないので、
早速本題に入りましょう。
▼▼▼能力信仰が強い著者だからこそ
能力が奪われるうつ病になった。
私もまったく同じだった。
→P242〜243
〈ですが、たとえばこういうふうに、考えてみてください。
あなたには、あなたの「属性」も「能力」も問わずに、
あなたを評価してくれる人がいますか、と。
仕事を持っている人なら、
かならず名刺に会社の部署や、
保有する資格を入れるでしょう。
そうした「属性」についての情報抜きで人付き合いをするのは、
こんにちのビジネス社会では不可能です。
働ける時間は有限なので、
「あの会社の人なら、顔を繋ぐ価値がある」
「この資格を持っている人なら、信頼出来そうだ」
というかたちで、属性によって対応すべき相手を絞らないと、
業務がパンクしてしまうからです。
私は学問という、
すこし特殊な業界で働いていたので、
相対的には属性についてルーズだったと思います。
資格のないフリーの文筆家に頭脳明晰な人がいて、
博士号を持つ東大の教授に
支離滅裂な人がいることを知っていたので、
属性で相手を評価することには、
慎重にならざるを得ませんでした。
しかしその分、「能力」で他人を評価することについては、
おそらくふつうのビジネスマンよりもシビアだったと思います。
能力がある人の声なら、相手の属性を問わずに、
耳を貸すべきだ。
逆に能力もない人間が、
属性が立派だからと言ってえばり散らしているのは、
良くない。
そう信じていたかっらこそ、
「病気によって能力を失う」
という想定外の体験をしたことが、衝撃でした。
能力のなくなった自分なんて、
この世に存在する価値はないじゃないか。
そう考えていました。
入院時に、病棟で共に過ごした仲間が教えてくれたのは、
そうではない、ということです。
彼らの多くもまた、病気によって能力を失っていました。〉
、、、「メリトクラシー」という言葉を、
みなさんは聞いたことがあるでしょうか。
Wikipediaによると、こうあります。
《メリトクラシー (meritocracy) とは、
メリット(merit、「業績、功績」)と
クラシー(cracy、ギリシャ語で「支配、統治」を意味するクラトスより)
を組み合わせた造語。
イギリスの社会学者マイケル・ヤングによる
1958年の著書『Rise of the Meritocracy』にて初出した。
個人の持っている能力によってその地位が決まり、
能力の高い者が統治する社会を指す。》
、、、「デモクラシー(民主主義)」は、
「大衆=デモ」による「統治」なので、
「大衆による独裁」と言い換えられます。
独裁政権は、
「オートクラシー」ですね。
オート=独り
クラシー=独裁
ですから。
神権政治は、
「テオクラシー」です。
「テオ(神)」による独裁だからです。
同じように、官僚統治は、
「ビュロクラシー」です。
このようにいろんな統治形態があります。
みなさんもご存じのように、
日本は外向きにはデモクラシー(民主主義)の国ですが、
官僚が強い権力を持っているという点で、
ビュロクラシー的なところもあり、
天皇に「神的な権威」があるという点で、
テオクラシーっぽいところもある。
このように統治形態というのは、
切り口や角度によって、
ひとつの国でもいろんな側面があるのです。
では、
「メリトクラシー」とはいかなるものか?
一番わかりやすいのが、
一部の「リバタリアニズム」を標榜する人々の考え方です。
日本だと、ホリエモンとかがそうですし、
あと、松本人志も典型的なメリトクラシー的思想の持ち主です。
簡単にいうとこういうことです。
「生まれが良い人」や、
「学歴が高い人」や、
「肩書きが立派な人」や、
「世論を味方に付けたポピュリスト」が、
この世の富や権力を持つのはおかしい。
「能力が高い人」こそが、
権力や富を持ち、
社会を運営していくべきだ、
という考え方が、
「メリトクラシー」の特徴です。
メリトクラシーを標榜する人は、
「能力が高い人」に多い。
堀江貴文氏は東大にいたころから、
ライブドアを創業し、
今もロケットを飛ばしたり、
様々な事業を展開しています。
松本人志は言わずと知れた天才です。
これは簡単な理由で、
「人は、自分が有利になるルールを採用したがる」
からです。
さて。
著者の與那覇さんは自分のことを、
「メリトクラシー的な思想に傾いた人間だった」
と告白しているわけです。
彼もまた東大を出て、
東大の中でも「こいつバカだな」と思うやつに出会い、
そして研究者となり、若くして大学の准教授となった。
彼の書いた「中国化する日本」なんか読むと、
まぁ、べらぼうに頭良い人であることが分かるんですよ。
一方で社会というのは、
「能力が高ければ評価される」わけでもなければ、
「頭が良ければ成功する」わけでもありません。
能力が低い人が出世したり、
仕事を怠けている人が上司に評価されたり、
頭が悪い人が成功したりします。
能力が高い人、
頭が良い人、
仕事が出来る人としては、
これが「面白くない」わけです。
私は與那覇さんの足下にも及ばないですが、
彼がそう考える理由は分かります。
私も腹の底では、
メリトクラシー的な考え方に寄っているからです。
仕事が出来ない人が評価されたり、
能力が低い人が出世したり、
逆に仕事が出来る人、
能力が高い人が評価されず、
成功もしていない状況を見るのは、
私にとっては耐えがたい苦痛です。
私が当事者だろうがそうでなかろうが。
じっさいに能力が高い與那覇さんとは違い、
私の場合、客観的に私の能力が高いからではなく、
たぶん「うぬぼれている」だけ思うんですが。
いずれにせよ、
「能力が高い人ほど評価も高いべきだ」
と考える人は、
たいてい能力が高い傾向にある、
というのは事実です。
先に進みましょう。
じっさいにそうなのか、
「うぬぼれているだけか」の違いはあれど、
「生まれや肩書きや世渡りではなく、
能力で勝負したい」と考える與那覇さんと私は、
「地位や肩書きとか、
有名か無名かとか、
世間的に評価が高いかどうか」よりも、
「その人が本当に有能かどうか」
だけで人を評価したいし、
自分もまたそのように評価されたい、
という、かなり強い認知的傾向を持っている、
という点で共通しているわけです。
さて。
ここで鬱病です。
たしかこのシリーズの、
前編か中編で説明したのですが、
鬱病というのは、
「能力を失っていく病気」でもあります。
「出来たことが、
ひとつずつ出来なくなっていく病気」なのです。
ドラクエでレベル50まで成長してたとしましょう。
最強装備をそろえ、全部の魔法を覚えていたとしましょう。
鬱病って、毎日レベルが一つずつ下がっていく、
そういう感じです。
1ヶ月もすると、
レベルは1桁になる。
装備は、盾も剣も鎧も、なんにもなくなる。
魔法は毎日一つずつ忘れていって、
最後には「ホイミ」すら仕えなくなる。
鬱病ってそんな感じです。
最初は高度な決断が出来なくなり、
複雑な思考が出来なくなる。
エネルギーを要するようなイベントに尻込みする。
さらに進むと、
文字が読めなくなる。
朝布団から起きるエネルギーがなくなる。
最終的に、
「今日朝ご飯を食べるかどうか」
という二択が選べなくなり、
パニックになって、
私は机の下で震えていましたから。
そうすると邪魔になるのは、
「メリトクラシー」です。
この考え方は、
能力が高い人にとって、
通常時は自分を守ってくれる盾にもなります。
「世間は自分を評価しないけど、
俺は良い仕事をしていることを、
自分でよく分かってる。
だから、大丈夫」と、
毀誉褒貶に動じなくなるし、
変な功名心に足をすくわれることからも、
自分を守ってくれます。
しかし鬱を煩い、
能力をむしり取られていくと、
「メリトクラシー」は逆に、
自分の首を絞める殺人装置になります。
だってその基準だと、
「毎日自分の価値が減退していく」わけですから。
最後は価値が「無」になります。
著者は
「肩書きや外的な評価ではなく、
能力と価値を結びつける」
という思考の習慣を持っていた、
そんな自分が鬱病を患った、
ということに、
とても大切な意味があるのではないか、
とここで自己分析しているわけです。
先月だったか、
私はヤコブが神と格闘した、
「ヤボクの渡し」の事件について、
メルマガに書きました。
ヤコブは自分の最大の強みであり、
最大の欠点でもあった、
「謀略としたたかさ」という、
「自己アイデンティティ」を、
あの格闘で「打ち砕かれる」わけです。
その象徴が、「もものつがいが打たれた」ことと、
「ヤコブ(かかとを掴む者)」から、
「イスラエル(神は戦う)」に、
名前が変わったことだ、と言いました。
私もまた、
自分の最大の強みは、
論理的思考力だったりとか、
知的生産力だと思っています。
鬱病ってまさにその部分が壊滅的に、
「やられる」病気なので、
これって、
サッカー選手にとっての前十字靱帯断裂とか、
音楽家にとっての難聴とか、
料理人にとっての味覚異常とか、
パイロットにとっての視覚障害とか、
そんな感じのダメージなんです。
そうすると、
「自分がよって立つ足場」
が、崩れていく感覚に陥ります。
自分がそこに立っていた世界が、
足下から崩落していく感じというか。
著者がここで続けている話というのは、
「そこから先」の話です。
著者はそこで「友」に出会った、
と言っています。
それは病室の同病者たちだった、と。
つまり、
足場が崩落した先に、
「能力を奪われた無価値な自分」しか、
残らないと思っていた。
ところがそうでないことを、
同病者たちから教えられた、
と著者は言っているんです。
再度引用します。
〈そう信じていたかっらこそ、
「病気によって能力を失う」
という想定外の体験をしたことが、衝撃でした。
能力のなくなった自分なんて、
この世に存在する価値はないじゃないか。
そう考えていました。
入院時に、病棟で共に過ごした仲間が教えてくれたのは、
そうではない、ということです。
彼らの多くもまた、病気によって能力を失っていました。〉
、、、同病者のなかには、
大学のインカレで戦うほどの、
屈強なラグビー選手がいたそうですが、
彼は「トイレに行くエネルギー」がなくなり、
尿瓶を買おうか悩んでいた、
と著者は別の箇所で書いています。
精神病院の入院患者たちは、
著者と同じように、
「よって立つ能力を剥奪された人々」でした。
全員が人生の半ばにして、
装備を外され、
魔法を全部忘れ、
レベル1に戻っていました。
著者は、「能力=価値」だと思ってるから、
能力がゼロになった自分は、
価値がゼロになるはずだ、
と考えていた。
ところがそうでない、
ということを、
病室で発見するのです。
この発見こそ、
著者にとっての「天啓」だった、
ということが後々分かってくるわけです。
次のくだりに続きます。
▼▼▼友だちの定義と、社会の在り方
→P244〜245
〈かつて博士号を持つ大学の教員として、
当時の自分の能力をフルに回転させた授業や言論活動をしても、
「おまえは、大学に皇太子を呼べないだろ」(1章)、
「副総理よりはえらくないだろ」(4章)
としか評価されなかった。
それがどうして、属性も知られず、
能力を失った今の方が、
はるかに敬意を持って扱ってもらえるのだろう。
たとえば平成の半ばにインターネットが普及し始めたとき、
人々が夢見ていたのは、そういう関係ではなかったかと思います。
これからは、属性を問わずにいろんな人とつきあえる。
もちろん能力が不要とまでは思わなかったでしょうが、
すくなくとも成績・業績競争に勤しむ日常の世界とは、
ちょっとちがった、
学校や職場に閉ざされていては得られない、
ゆたかな関係が手に入ると。
実際に起こったことは、逆でした。
「属性・能力抜き」で言いたい放題書き散らす空間は、
2ちゃんねるの一部のような誹謗中傷の温床となり、
反対にフェイスブックやインスタグラムは
「お洒落なオフィス街にさっそうと通勤し、
余暇の過ごし方も一流の私」をアピールする、
「属性・能力顕示」の場所になりました。
退院した後も、彼らのうち何人かとは交流を続けています。
そうした関係をどう呼ぶかといえば、
月並みですが「友だち」になるでしょう。
しかし、友だちを「属性や能力に関わりなく、
あなたとつきあってくれる人」と定義している人は、
どれほどいるでしょうか。
(中略)
だから属性や能力を失っただけ、
人は発病や休職によって、
「うしなう可能性」が出てきただけで、
自分の人格を全否定してしまう。
うしなったって別にいいよ。
それでものこるのが本来の意味での「友だち」だから。
――そういう認識が広まるだけで、
どれだけ多くの人が救われるだろうかと、
いま私は感じざるを得ません。
そんな極論めいた定義の友だちなんて、
ふつういないだろ、と感じた方もいるでしょう。
ええ、いなくてもかまいません。
じっさいに私も、たまたま入院時に運良く得られただけのことで、
そうでなければきっと、いなかったろうと思います。
(中略)
あなたがそれを必要とする日が来るまでは
「人付き合いは苦手じゃないんですけど、
ほんとうの友だちとなると、なかなかできなくて」で、
かまわないのです。
属性や能力が全てではないということ。
それをうしなってなお、残る人との関係という概念があり、
自分が今まだそれにアクセスできていなかったとしても、
やがてつながる可能性はだれにも否定できないと言うこと。
そういう発想を社会的に育んでいくことが、
だれにとってもいまより過ごしやすい世界を、
長期的にはつくるのだと考えています。〉
、、、著者は「能力を失った果て」に、
なお友達でいてくれる人間を、
友達と呼ぶのだ、という「真理」を、
病室で発見したのです。
なぜ、ほとんどの人にとって、
「親友」は、学生時代の友人なのか、
という答えもここにあります。
学生時代は極論すると、
全員が「レベル1」だからです。
社会で何者にもなっていない人の集まりが学校ですから。
成功者もいない代わりに失敗者もいない。
そのような時期に「友達」だったということは、
自分の「芯」の部分で共鳴し合っていた可能性が高い、
というのが、親友が多くの場合学生時代に作られる理由です。
社会に出ると、
「肩書き・学歴・収入・住んでいる場所や家・
乗っている車・業界内での評価」などなど、
いろんな「装備品」が出てくる。
そうすると目の前の人が、
自分の装備品に惹かれて付き合ってくれているのか、
本当に自分に興味があるのか、
分からなくなってくる。
いつしか次第に、
「装備品同士で会話する」
という器用な芸当を身につける。
そうして人間は、
10代より20代、
20代より30代、
40代より50代、、、、
という風に、
友人が減っていき、
「孤独で不機嫌な高齢者」が完成するのです。
この力にあらがうことはとても難しい。
まして今の世界は、
著者が指摘するように、
「肩書きや能力にしばられない付き合いが出来る場」
になると期待したインターネットが、
SNSなどによって、
逆に「いかに自分が幸せか」という、
承認欲求を競う闘技場になり、
学生ですらそのような「装備品」を、
ひとつ背負うことになってしまった。
著者の友人の定義、
すなわち、「属性や能力に関わりなく、
あなたとつきあってくれる人」が、
友人なのだとすれば、
SNSは「友だち」を得ることにおいて、
逆にノイズ、あるいは障壁になってしまっている。
この現状を考えると、
「友だち機能」によってSNSが広がった、
というのはなんとも皮肉にあふれた事実です。
さて。
著者は病室で「友だち」を発見しました。
正確には「友だちの本当の定義」を発見し、
それによって目の前の人が友だちだと分かった、
ということなのですが、
私もまた、病気によって、
「友だち」を得たので、
この感覚は非常によく分かります。
自分に付随する価値ではなく、
私という人間に価値をおいてくれる人間が、
この世界にいるんだ、
ということを、理屈でなく体験的に知ることが出来たことは、
私の「世界観」をも変えました。
作家の佐藤優氏がラジオにゲスト出演した際、
かつて政治がらみの疑惑で東京地検特捜部に拘留された経験について、
パーソナリティからインタビューされるのを、
聞いたことがあります。
「拘置所の独房で512日過ごしたことによって、
良かったことは?」と問われて、
「友だちが誰か分かったことです。
あれによって生涯の友を得ました。」
と即答で答えていました。
彼はやり手の外交官でした。
マスコミ関係や、官僚、政治家、実業家、、、
そういった人々は、
彼の肩書きと能力と影響力に惹かれて、
食事にさそったり、
手をスリスリしながら近づいてきたり、
甘言を投げかけたりしました。
霞ヶ関の官僚って、
それだけで「殿様気分」を味わえます。
じっさい、30代とかで、
自分の裁量で100億規模の予算が動いたりしますから。
しかし、彼が拘留された瞬間、
潮が引くように人間がコンタクトを取らなくなったそうです。
佐藤優とのつながりが「黒歴史」になるということで、
切られたんでしょうね。
彼がSNSをもしやってたら、
1,000人いた「友だち」が、
一気に10人以下になる感じでしょうか。
それとは逆に、
外交官だったときには積極的に連絡を取ってこなかったが、
拘留されたというニュースを聞き、
近づいてきて支援を申し出る人が、
本当に少数だがいた。
佐藤さんはそのとき、
「あぁ、この人が本当の友だちだったんだ」
と分かった、と言います。
現在も彼らとは親密な関係を続けているし、
彼らは一生涯親友だと思う。
だから、小菅の拘置所で得たものは「親友」なのだ、
ということです。
『夜と霧』を書いた、
ヴィクトール・フランクルは、
『人間とは何か』という本のなかで、
人間には3つの「価値」がある、
と言っています。
ひとつめは、
「創造価値」、
これはその人が社会にどのような価値を付け加えるか、
ということで測られる価値です。
メリトクラシーの考え方に近いですね。
ふたつめが、「経験価値」。
これは、
「その人がこの世界を経験する」
それ自体に価値がある、ということです。
みっつめが、「態度価値」
これは病気などの理由により、
「経験価値」すら奪われたときに、
その「運命」自体を、
その人がどのように解釈し、受容するか、
という「選択」をすることが出来る。
その受け取り方に価値があるのだ、
とフランクルは言います。
私たちの社会は、
最初の「創造価値」に、
ウェイトの95%ぐらいをおいている社会、
と言って良いんじゃないでしょうか。
SNSでの「幸せ自慢大会」、
学歴のレース、
出世のレース、
収入や暮らし向きの比較、、、
そういった「外的な価値」に私たちは縛られています。
しかし、
それらを奪われたときに、
残りの二つの価値が重要になってくる。
この二つの価値が分かると、
「友人」の意味も分かってくる。
「友人」というのはなぜなら、
後者の二つの価値において、
共鳴し合う存在だからです。
そういった世界観が社会に広がると、
日本はもうすこし、
万人にとって生きやすい社会になるのではないか、
鬱病を患った社会学者の與那覇さんは、
そう主張しているわけです。
、、、とここまで書いて、
ごめんなさい。
文字数と執筆時間が足りなくなりました。
最後まで解説出来ませんでしたので、
来週、もう一回だけ、
この本の最後の部分を解説したいと思います。
4回にまたがるとは当初思ってませんでしたが、
まぁ、半年かけた読書会だと思って、
お付き合いくだされば幸いです。
それではまた来週!
]]>
本のカフェ・ラテ
2020-02-25T08:43:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=450
有名人と人生を交換するとしたら?
第110号 2019年10月22日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
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先週も告知しましたが、
活動報告のレターをアップロードしました。
今年の夏の活動報告が掲載されていま...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週も告知しましたが、
活動報告のレターをアップロードしました。
今年の夏の活動報告が掲載されています。
祈り支援してくださる支援者の方も、
随時募集しています。
働きのパートナーとして、
新たに祈り支えてくださりたい方は、
是非ご一報ください。
▼2019年7−9月号
http://karashi.net/resource/NL/jinnai/2019_0710.pdf
、、、では、早速質問カード行きましょう。
▼質問:
有名人の誰かと、
人生を交換しなければならないとしたら誰を選びますか?
、、、うーん。
特に思い浮かばないですね。
有名人って、
いつも大変だろうな、
としか思いませんので。
「有名であること」自体に、
うらやましいと思うことは、
私の性格だと全くなく、
むしろ気の毒なことの方が多いです。
なので私が人生を交換したいとしたら、
「有名であること自体」よりも、
その他の要素が重要になりますね。
いつものように3人、ご紹介しましょう。
▼▼▼さかなクン
まずはダントツでさかなクンですね。
「好きで好きでしょうがないもの」があり、
それを仕事にして、
そして世の中の役にも立つ。
「この世に生を与えられた者の生き方」として、
最高だと思います。
すギョーく羨ましいです。
もし生まれ変わって別の生き方が選べるとしたら、、、
みたいなやつってあるじゃないですか。
私がやってみたいのは、
「深海魚の研究者」なんですよね。
ゼッタイ面白いし、あんなの。
人類の「未知の地平線」は、
以前は太平洋の向こう側だったり、
目に見えない微生物だったり、
月の裏側だったりしたのですが、
アメリカ大陸が発見され、
電子顕微鏡が分子の世界まで明らかにし、
アポロ計画で人類が月を踏破した今、
「残された未知」は二つしかないと思います。
ひとつは宇宙の果て、
もうひとつが「深海」です。
深海って、
意外なほどまだ知らないことが多いんですよね。
だから新しい発見が次々に今も起きている。
硫黄を栄養に出来る生物とか、
100度以上の高温でも生きられる微生物とか、
最近もいろいろ見つかってますが、
まだまだ未知の発見がいっぱいあるはずなのです。
わくわくしませんか?
私はわくわくします。
根が「人文系」ではなく、
「自然科学系」の体質なので、
こういうのが一番興奮するのです。
さかなクン、なりたいなぁ。
さかなクンになって、
「ギョギョギョ、さかなチャンネル」という、
Podcast番組を毎日配信したい。
▼▼▼レブロン・ジェームズ
言わずと知れたNBAの「キング」です。
レブロンVSジョーダン、
どちらが「GOAT」か?論争、
っていうのが、
この10年ぐらいずっとあります。
海外のサイトとか観ると、
死人が出るんじゃないかっていうぐらい、
侃々諤々の白熱した議論が交わされています。
ちなみに「GOAT」というのは、
Greatest Of All Timeの略で、
「歴代最高選手」という意味です。
でもやはり、
ジョーダン派が7割以上、って感じですね。
バスケ素人といいますか、
あんまり詳しくないライトなNBAファンに聞けば、
ジョーダン派が9割になるでしょう。
でも私はレブロン派なんですよね。
そもそも二人はポジションもプレースタイルも違うので、
同じ土俵で比べるのは無理がある、というのはあります。
イチローと王貞治、
どちらが偉大な野球選手か、とか、
アントニオ猪木とオカダカズチカ、
どっちがすごいか論争みたいなのって、
いや、比べられんよそれは、っていう話なんですわ。
ジョーダンはすごいですよ、そりゃ。
とにかく「美しい」んですよね。
スタッツ(各種数値)には現れない美しさがあります。
ジョーダンのダブルクラッチとかは、
なんというか、それ自体彫刻のような美しさがあるんですわ。
それでも私はレブロンなんですよね。
私がそう考えるのは、
彼は「ゲームチェンジャー」だったからで、
とにかく彼の場合、
「オールラウンダー」なんですよね。
1番から5番まで全部できる。
(ポイントガードからセンターまでっていう意味ね)
そして「バスケIQ」がずば抜けてる。
クリーブランド時代とか、
コート上にいながら、
タロン・ルーヘッドコーチに指示する勢いでしたから。
もちろんジョーダンのバスケIQも高いのは言うまでもないんですが、
ジョーダンの場合「エース」としてのIQなんですよね。
レブロンはもうちょっと引いた目でチームを見わたして、
状況判断ができる頭の良さを持っています。
リオネル・メッシのサッカーIQと、
イニエスタのサッカーIQは違うんですよ。
そんな感じです。
端的に言うと、レブロンはバスケという競技の、
「ポジション」という概念を無効化したんです。
200センチ超えで、相手センターとも当たり負けしない大男が、
ポイントガードまでこなせて、
スリーポイントもバスバス入るわけですから。
90年代NBAで言うと、
レブロンって、
ジョン・ストックトンのパスセンスと、
カール・マローンの鋼の肉体、
チャールズ・バークレーのインサイドの強さ、
レジー・ミラーのクラッチタイムの3ポイント、
ドミニク・ウィルキンスのダンク、
ディケンベ・ムトンボのブロックショット、
フィル・ジャクソンの「頭脳」、
これらをすべて持ってる感じなんですよね。
もう、ゲームなら「チートキャラ」なんですが、
それが本当に「実在する」っていうんだからすごい。
かつてサッカーの世界に、
「ヨハン・クライフ」という、
オランダの「ゲームチェンジャー」がいたんですが、
レブロンのインパクトって、
そういうところがあるんですよね。
レブロン、ジョーダン論争は、
あと2時間ぐらい語れるのですが、
まぁ今日はこのへんで。
、、、で、なぜ私がレブロンになってみたいか。
彼は現在、地上のあらゆるアスリートの中で、
「最高の身体」を持ってると思うからです。
200センチ超えで、
「サッカー選手の足」ぐらい太い腕を持ち、
彼の「スプリント」は陸上短距離選手並みの早さです。
ジャンプの最高到達点は400センチに迫ります。
しかも、レブロンって怪我をしない選手でもあります。
彼は「身体をメンテナンスする」ためだけに、
年間1億円以上使っています。
「そんな身体」になるのが、
いったいどんな気分なのか、
味わってみたい、
という、ただそれだけの理由です。
「超人」願望といいますか。
体験してみたいですね。
▼▼▼松本人志
これも「超人願望」です。
彼についてはいろんな評価があります。
最近は政権とも近い関係になったりして、
ちょっと「アレ」なところがあるのですが、
「笑い脳」というか「笑いIQ」ということでいうと、
彼ほど頭の良い人間は、
過去100年間いなかったし、
今後100年も登場しないでしょう。
私はそう思います。
これは、自信を持って。
彼の「笑い戦闘力」というか、
「面白いことを言う瞬発力」とか、
「面白いことを生み出す力」、
「新しい笑いを構築する創造力」、
そういったものを総合した力というのは、
たけし、さんまなんて足下にも及びません。
三国志でいうと、
「呂布」ぐらい強いわけです。
「お笑い戦闘力」だけで測るなら。
(伝わってるのかな?)
彼の「笑い脳」の高さって尋常じゃないんですよ。
野球なら余裕で4割打ってるし、
サッカーならパルムドールを10年連続で取るでしょうし、
100メートル走なら9秒切ってるでしょうね。
彼の「笑い」という分野の能力の高さは、
そのぐらいずば抜けています。
でもいかんせん、
「笑い」ってスポーツのような数値化が難しいし、
勝負事にするのが難しいから、
優劣をつけがたい。
松本人志の本音はだから、
笑いをスポーツにすることだと思うんですよね。
彼が関わってきてるM-1とか、
IPPONグランプリとか、
ドキュメンタルとか、
そういうのを観ればそれは自明で、
彼は笑いを文化というよりも、
格闘技とか陸上競技だと思ってやってると思います。
、、、そんな松本人志になぜなりたいか?
レブロンと同じです。
彼のような頭の良さがあったら、
いったい世界はどんな風に見えるんだろう、
という好奇心ですね。
『遺書』という本の中で、
松本人志は、自分を天才だと前おいた上で、
「もし読者のあなたが、
俺になってみたら、
『天才』っていうのは控えめな表現だとおもうに違いない。
俺を傲慢だとかいう奴は、
一回俺になってみろ。分かるから。」
というようなことを言ってるんですよね。
じっさい、30代のキレッキレの時代の彼の笑いって、
野球だったら場外ホームラン打ってるのに、
それがホームランと認識されないほど飛距離が出ていて、
それをホームランと認識出来るのは、
浜田雅功だけだった、
みたいなことも書いています。
それも、ちょっと分かるんですよね。
発想の飛躍の仕方とか、
地球を3周回って、1ミリずらした、
みたいなレベルのボケって、
もう常人には「拾えない」わけです。
「お笑い凡人」に、
聞き取ることの出来る周波数を超えとるわけですよ。
松本人志になったら、
世界はどう見えるのか、
ちょっと興味がありますねぇ。
、、、というわけで、
「なってみたい有名人」でした。
もちろん期間限定で。
私には「陣内俊」という、
神から賜った大事な仕事がありますので、
それを完遂するのが最重要です。
]]>
今週の「オープニングトーク」
2020-02-24T08:42:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=449
陣内が先月観た映画 2019年8月 『ワンダー 君は太陽』他
第109号 2019年10月15日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年8月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうとい...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年8月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
、、、9月第一週に、
体調不良のため、
「観た映画」を配信出来なかったので、
8月分の「観た映画」を、
今月配信します。
●僕は明日、昨日の君とデートする
鑑賞した日:2019年8月1日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:三木孝浩
主演:小松菜奈、福士蒼汰
公開年・国:2016年(日本)
リンク:
https://bre.is/rerPxggWa
▼140文字ブリーフィング:
友人に勧められて鑑賞しました。
「タイムリープもの」で、
二回見たくなる感じの時間のからくりがある作品、
というカテゴライズが出来ます。
こういう構造の別の映画に、
「イニシエーション・ラブ」っていうのがあって、
どちらも好きです。
意図的なミスリードがあったりして、
こういう脚本を書くのって、
楽しそうだなぁと思います。
小松菜奈は良い役者ですね。
(166文字)
●火花
鑑賞した日:2019年8月7日
鑑賞した方法:Amazonプライムで視聴(タブレット)
監督:板尾創路
主演:菅田将暉、桐谷健太、木村文乃
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://bre.is/c6AUA8Ya
▼140文字ブリーフィング:
又吉直樹の小説の映画化です。
言わずと知れた、芥川賞受賞作品ですね。
それを同じ吉本の先輩、板尾創路が監督したのですから
とりあえず見ておきますか、となりますね。
もちろん、ハードルは下げて。
ハードルを下げていたとは言え、
期待を下回りました笑。
小説のような「情緒」がありませんでした。
原作を読めば分かりますが当然、
吉祥寺がロケ地なので、
けっこうなじみのある町並みを映画で見られたのは良かったです。
あと二丁拳銃の川谷の演技も良かったですね。
ただ、いかんせん、
「せつなさ成分」が、小説の10分の1なんですよね。
「切なさ」こそが又吉文学の真骨頂なのに。
エンドロールで、
ビートたけし作詞作曲の芸人賛歌「浅草キッド」を、
桐谷と菅田が歌います。
そこはぐっときました。
(323文字)
●スパイダーバース
鑑賞した日:2019年8月3日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:ボブ・ペルシケッティ、ピーター・ラムジー、ロドニー・ロスマン
主演:シャメイク・ムーア
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/m8QWQKBd
▼140文字ブリーフィング:
2018年の世界のアニメーションの賞を総なめにした作品です。
アニメーションの世界で活躍していた、
オタキングの岡田斗司夫がYouTube放送で、
「これを見て本当にショックを受けた。
嫉妬を通り越して呆然とした。
日本のアニメは10年置いて行かれた。」
と言っていて興味を持ちました。
この作品には6人のスパイダーマンが登場します。
6人のスパイダーマンがそれぞれ、
多元宇宙(コミック本のメタファーとしての)における、
「唯一のスパイダーマン」という設定なのです。
多元宇宙であることを示すために、
コカ・コーラが「コカ・ソーダ」になっていたりするという表現法は、
村上春樹の「1Q84」において、
警官の所持する銃が高性能になっているという形で
多元宇宙を表したことと似ています。
多分岡田斗司夫が悔しがったのはここだと思うのですが、
映像なのにコミックを読んでいるような「コマ送り感」や、
スクリーントーン、効果音が文字化するなどのギミック、
さらに1920年代から来た白黒のスパイダーマンは、
色盲で常に彼の周囲で風が吹いているだとか、
2100年から来た日本の少女のスパイダーパーソンは
日本のアニメのトーンや世界観が現れていることだとか、
アメリカのコミックの豚のハンマーは重力の法則を無視するとか、
複数の世界観がひとつの画面に収まるという、
すごい野心的なことをしているのです。
ただ、これを味わうにはやはり、
劇場で見ないとすごさが分からなかったな、
と思います。
劇場で見なきゃ駄目な映画、
っていうのが世の中にはいくつかあるのです。
結果、私は2度観ました。
確かにちょっと「次に行っちゃってる」アニメです。
(684文字)
●シュガーラッシュ・オンライン
鑑賞した日:2019年8月29日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:フィル・ジョンストン
主演:ジョン・C・ライリー
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/GBTdRjth
▼140文字ブリーフィング:
ピクサー作品なので、
見る前から「80点超え」は確定していましたが、
実際90点を超えてきました。
ゲームやビットの世界を比喩的に現実化する、という意味で、
ちょっと「サマーウォーズ」を思い出したました。
後に本作が『ズートピア』と同じ監督と知って納得しました。
この監督のテーマは、『分断を超えていく』ことなんですよね。
ズートピアは人種間の橋を架ける話だったが、
今回はオンライン派(ヴァネロペ)と、
オフライン派(ラルフ)の間に橋を架け、
折り合いをつける話です。
デジタルネイティブ世代と、
旧世代の世界観の違いは深刻ですが、
本作はそれに対するひとつの答えを出そうとしています。
ピクサーって、いつもテーマがとても深いんですよね。
(306文字)
●ピンポン(アニメ)
鑑賞した日:2019年8月8日
鑑賞した方法:Amazonプライムで視聴(タブレット)
監督:湯浅政明(原作、松本大洋)
主演: 片山福十郎
公開年・国:2014年(日本)
リンク:
https://bre.is/adj6Va6P
▼140文字ブリーフィング:
『ピンポン』は、
2002年の実写版(宮藤官九郎監督)を見て大好きになり、
その後松本大洋の原作を読んで、
今度はそれきっかけで松本大洋のファンになり、、、
という、私の20代に大きな影響を与えた作品です。
その『テレビアニメ版』がこちら。
Amazonプライムで見られるのでさほど期待せずに見たのですが、
めちゃくちゃ良かったですね。
スマイルの「おかえり、ヒーロー」のシーンは、
スラムダンクで言う「バスケがしたいです」
と同じで、何度見ても泣いちゃうくだりなのですが、
電車の中でこのシーンが来たとき、
油断して泣いてしまいました。
(もちろん周囲にはばれてません)
宮藤官九郎の映画版と匹敵するか、
それをしのぐような力作でした。
オープニングソングとエンディングソングがある、
テレビアニメのわくわく感を久々に味わいました。
(350文字)
●ワンダー 君は太陽
鑑賞した日:2019年8月10日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(399円)
監督:スティーブン・チョボルスキー
主演:ジュリア・ロバーツ他
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/FHfpvpT9
▼140文字ブリーフィング:
これは前々回(?)のQ&Aコーナーで説明したので、
詳細は割愛します。
ただの「障害者」によるお涙ちょうだい映画ではなくてビビりました。
本人の視点、姉の視点、本人の友達の視点など、
複眼的に同じ出来事を追っていく、
「ナラティブセラピー」の話だったのです。
かなり度肝を抜かれましたね。
最後のシーンは落涙しました。
超お勧めです。
(159文字)
●デトロイト
鑑賞した日:2019年8月5日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:キャサリン・ビグロー
主演:ジョン・ボイエガ
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/cvVZKHgx
▼140文字ブリーフィング:
めちゃくちゃ評判が良く、
アカデミー賞候補と称された映画でもあったので、
ずっと見たかったんですよね。
1967年の「デトロイト暴動」というのがあります。
40名を超える死者、
1000名を超える負傷者を出した暴動事件で、
スラム化したデトロイトの中心部で、
「黒人が白人の命を狙っている」というデマを、
警察官までが信じ込み、
州兵まで投じて鎮圧された暴動事件で、
その背後にはアメリカ社会を根深く浸食する「レイシズム」があります。
その際に実際に起きた、
「白人警官による無実の黒人の監禁・暴行・射殺事件」
というのがあります。
裁判でなんと白人警官は無実になるのですが、
その事件の生存者(居合わせた白人女性)から、
監督が話を聞き、事実をもとに再構成したのが本作です。
40分にわたる監禁シーンは、
「映画史に残る長尺の緊張シーン」ですし、
レイシズムが吹き荒れる、
トランプ以降のアメリカ社会を、
鋭く批判する形になっており、
非常に優れた映画作品です。
圧巻でした。
本作に登場する白人警官役の、
「頭の悪さの表現」が卓越していました(褒め言葉)。
あの頭の悪さは★5つです。
ある人の「IQの低さ」と、
人種差別傾向および右翼傾向が正の相関関係にある、
というのは最近の研究で明らかになってきているのですが、
映像でそれを見事に表現してくれています(褒め言葉)。
(558文字)
●1987
鑑賞した日:2019年8月12日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:チャン・ジュナン
主演:キム・ユンソク
公開年・国:2017年(韓国)
リンク:
https://bre.is/hQMXkcZE
▼140文字ブリーフィング:
韓国で1987年にじっさいに起きた、
民主化デモの話です。
今の香港でのデモと非常に近しいという意味で、
非常に現代的なテーマです。
ところがこの映画を見たのが鬱の最中だったからか、
あまり内容を覚えていません笑。
(102文字)
●ギフト 僕が君に残せるもの
鑑賞した日:2019年8月26日
鑑賞した方法:Amazonプライム(タブレット)
監督:クレイ・トゥイール
主演:スティーヴ・グリーソン(ドキュメンタリー)
公開年・国:2016年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/tGSkb4gd
▼140文字ブリーフィング:
Netflixとか、
Amazonのオリジナルコンテンツって増えてるじゃないですか。
Amazonオリジナル映画の『ジョナス・ブラザーズ』を7月に見て、
私はかなり衝撃を受けました。
たしかNetflixオリジナル映画の、『ローマ』が、
ベネチア映画祭の金獅子賞を取ったんですよね。
本当に、あと10年ぐらい経ったら、
世界最大の映画会社は、
20世紀FOXとかワーナーとかじゃなく、
NetflixとかAmazonになるかもしれないですよね。
、、、で、こちらもAmazonオリジナルコンテンツです。
「グリーソン」が原題。
ALSを煩ったじっさいのアメフト選手のドキュメンタリーです。
これも鬱であまり覚えていませんが、
めちゃくちゃ良かったことだけは覚えています。
素晴らしい映画です。
Amazonプライム会員は全員見た方が良い。
マジで。
泣きます。
(357文字)
●言の葉の庭
鑑賞した日:2019年8月27日
鑑賞した方法:Amazonプライムで鑑賞(タブレット)
監督:新海誠
主演:入野自由
公開年・国:2013年(日本)
リンク:
https://bre.is/MDrddKnH
▼140文字ブリーフィング:
ジムのマシンで走りながら見ました。
『君の名は』の、新海誠監督の過去作品です。
これも鬱であまり覚えていないんですよね笑。
町山智宏さんがポッドキャストで言ってたんですけど、
新海誠監督のアニメーションって、
「情景描写の快楽」がその本質にあります。
引き戸が「ガラガラ」って音を立てて動く様、
東京の街の喧騒の中、革靴が駅のホームにたてる音、
満員電車の「ガタン・ゴトン」となる音と車窓から見える風景、
そういったものを「現実を超えた現実感」で描くことによって、
見ている側はなんとも言えない快楽を覚える。
そこにストーリー性は実はあまりいらなくて、
その「情景の描写」そのものの奥に、
鑑賞者はいろんなものを読み取る。
これって、実は「俳句」であり「和歌」なんだ、
って町山さんが言ってて、
「あぁ、なるほど」と私は思ったんですよね。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
ってそういうことでしょ。
アニメが俳句に似ているんじゃなくて、
実は逆なんだ、と町山さんは言います。
短歌や和歌や俳句のほうが逆に、
「アニメーション」なんだ、と。
新海誠監督は、大学の国文科を出ています。
本作にも「和歌」が登場します。
つまり彼は、和歌の伝統を、
アニメーションで表現しようとしている人なのです。
彼のやってることこそ、「現代の歌人」なのだと。
つまり新海誠って、手塚治虫とかではなく、
松尾芭蕉とかと同じカテゴリーに入れるべき人なのです。
その和歌性が全面に出ているのが本作でした。
なんか、新海誠の本質に迫った気がして、
けっこう満足しました。
(636文字)
●SUNNY 強い気持ち 強い愛
鑑賞した日:2019年8月24日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(500円)
監督:大根仁
主演:篠原涼子他
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://bre.is/qFa67Vdv
▼140文字ブリーフィング:
これがねぇ。
良かったんですわ。
思ってたのの1.5倍ぐらい良かったです。
この映画、韓国映画の日本版リメイクなのですが、
大根仁監督は、主題をちょっとずらすことで、
違う価値を付け加えることに成功しています。
韓国の原作は『女の友情物語』なのですが、
日本版は「90年代疑似体験ライドもの」という、
新しい要素が加わっています。
小室サウンド、
安室ちゃん、
ルーズソックス、
エアマックス95、
小沢健二と渋谷系、
そういったものが、
ピンと来る世代は、
この映画を見ると、
タイムスリップ出来ます。
遊園地にある「ライドもの」に近いですね。
主人公が「コギャル時代」を思い出すのと同時に、
久保田利伸の「ラ・ラ・ラ・ラブソング」がかかると、
一気に90年代に連れて行かれる感じというか。
これも鬱の直前だからかもしれませんが、
泣きましたね。、、。
「ライドもの」だからといって、
テーマが浅いとかそんなことはなく、
「過去と和解する」映画になってるんですよね。
世代によっては刺さらないかもしれないが、
世代によっては刺さりまくる名作です。
元の韓国映画を見て、
こういう切り口を思いつく大根仁は、
やはりすごいと思います。
(485文字)
●ジェネレーション・オブ・ウェルス
鑑賞した日:2019年8月22日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ローレン・グリーンフィールド
主演:ローレン・グリーンフィールド(ドキュメンタリー)
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/zSorUtPY
▼140文字ブリーフィング:
こちらもAmazonオリジナルの、
ドキュメンタリーです。
「富」をテーマに写真を撮り続けることを、
ライフワークにした写真家のドキュメンタリーで、
美容整形、リーマンショックで犯罪者となった投資家、
ポルノ女優、セレブリティの散在など、
「富」と「競争」と「自己愛」という強迫観念の、
ドツボにはまってしまったアメリカ社会を批判的に描いています。
なんていうか、薄っぺらな資本主義批判とかじゃなく、
「富」はもはや一種の強迫神経症になってて、
それ自体が自己目的化した人にとって、
幸せを最も遠ざけているのが「富という病」というのが、
この映画を見るとよく分かります。
(273文字)
●海の向こう、約束の場所
鑑賞した日:2019年8月9日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:新海誠
主演:吉岡秀隆
公開年・国:2004年(日本)
リンク:
https://bre.is/3AjjnQ2U
▼140文字ブリーフィング:
こちらも、新海誠監督の過去作です。
『言の葉の庭』が、
『君の名は』の「和歌要素」だとすると、
こちらの作品は『君の名は』の、
「パラレルワールド要素」が強いですね。
あと、君の名は、と同じく、
この作品、めっちゃくちゃ「セカイ系」なのですが、
不思議と懐かしさを感じさせる要素があります。
それがパラレルワールドにおいて、
ソ連・北朝鮮に連なる「ユニオン圏」に吸収された、
北海道が「蝦夷」って呼ばれていて、
「蝦夷」に憧れる主人公の声を、
吉岡秀隆がやってるからだと後で気づきました。
彼がモノローグでナレーションすると、
『北の国から』が完成しちゃうんですよね。
吉岡秀隆の声は不思議な魔力があります。
いつまでも聞いていたいと思う。
(304文字)
●ファーゴ シーズン1 【テレビドラマ】
鑑賞した日:2019年8月29日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ノア・ホーリー(プロデューサー、コーエン兄弟)
主演:マーティン・フリーマン、ビリー・ボブ・ソーントン
公開年・国:2014年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/FrmnxbXC
▼140文字ブリーフィング:
鬱の療養中に見ました。
今まで私は「テレビドラマ」ってダメだったんですよね。
10話とか見なきゃいけないとなると、
1話目を見たくなくなる、というのがあって。
だから私がこれまで見たテレビドラマって、
本当に少ないです。
『北の国から』とかは例外中の例外で、
基本的にはテレビドラマには触ってこなかったし、
「海外ドラマ」なんて一個も見たことがなかった。
ところが今回鬱の療養中に、
気を紛らすことになるかもしれない、
と思って本作を見始めたところ、
全然見れるんですよ。
なので私が生まれて初めて見た海外ドラマは、
『ファーゴ シーズン1』です。
鬱になると、
映画は逆にあまり観たくなくなる。
読書と同じで、けっこう知的エネルギーを使うから。
ドラマだと、なんか「ダラダラ」見られて、
それが良いというのに気づきました。
今回、この作品が、
うつ病の症状を紛らわせてくれました。
救われました。
この作品に感謝しています。
そもそもこの映画、
コーエン兄弟の名作映画『ファーゴ』の、
ドラマ化です。
「映画をドラマ化するなんて、
意味あんの?」
と私は今まで思っていましたが、
その考えを改めるほどの名作でした。
コーエン兄弟が制作に関わっているだけあり、
「コーエン臭(良い意味で)」が、
ちゃんとあって、なおかつドラマだと、
いろいろ肉付けが出来ることの良さがあるんだなぁ、
と本当に感心しました。
筋書きもほぼ「書き下ろし」と言って良いほど、
映画と関係なく楽しめるし。
あと、海外ドラマの予算の使い方にもたまげました。
町山智宏が言ってたんだけど、
今のアメリカの映画って、
二極化しているそうなんですよね。
一方の極には「世界中でお金を稼がなきゃいけない、
ゼッタイに失敗できないビッグバジェット映画」があります。
スポンサーである中国も喜ばせないといけないから、
スターをじゃんじゃん使って、
CGとかバンバンつかって、
火薬ドカドカ投入して、、、ていう映画になります。
端的にいうと「マーベル」です。
「アベンジャーズ」ですわ。
マーベル系の映画のお客さんって、
実は中国とインドとアフリカと南米です。
ここのマス層に目配せして、
なおかつゼッタイに失敗できない、
となると、あの形を取らざるを得ない。
もう一方の極に、
予算が極端に少ないけど、
アイディア勝負で、
カルト的人気を博することになるような映画があります。
トロント映画祭とかに出品される感じの。
日本でいうと『カメラを止めるな』的なやつね。
こちらはこちらで、
エッジの効いたことをやろうとするから、
犯罪描写が過激になったり、
ゾンビ描写が過剰になったり、
ニッチでコアな層に深く刺さろうとするようになって、
どんどん「キワモノ化」が進む。
そうすると、
真ん中に穴が空くんです。
つまり、
90年代まで、
アメリカ人のボリュームゾーンを楽しませてきたような、
中規模の娯楽映画が、
ほとんど作られない状況が生まれました。
かつてそういった分野で活躍した、
監督や映画作家・クリエイターたちが、
今何をしているかというと、
実はアメリカではテレビドラマの世界で活躍しているのだそう。
アメリカでは「地上波放送」はとうの昔にすたれていて、
オンデマンドのケーブルテレビや、
Netflixなどの個別契約のチャンネルがいっぱいあります。
そこの予算規模は、かつての90年代の映画なみにあります。
タレントのそろい方もすごい。
だから、今本当に面白いものを見たければ、
アメリカのテレビドラマを見ろ、
と言われるのはそういった背景があるのだ、
と町山さんが言っていて、妙に納得したのでした。
、、、が、
いかんせん私はテレビドラマが苦手。
というわけで何年も放置してきたのですが、
病気をきっかけにこの作品を見て、
町山さんが言っていた意味が分かりました。
度肝を抜かれるぐらい面白かった。
そしてレベルが高かった。
本ドラマについての詳述は省きますが、
登場人物「ローン・マルヴォ」のサイコ度は、
過去最高クラスでした。
本当にしびれるほどのサイコパス(褒め言葉)。
素晴らしい!
(1,632文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
「ワンダー 君は太陽」
コメント:
この映画は本当に素晴らしかったです。
障害者をテーマにした映画で、
「君は太陽」ときたら、
なんか「教育委員会推奨!」みたいな、
「さわやか3組(懐かしい)」みたいな、
そういう、道徳の押し売りみたな作品を想像するじゃないですか。
これが全然違うんだわ。
「太陽」っていうのは、「太陽系」っていう意味で、
家族における「太陽」になっちゃう、
病気を抱えた子どもと、
それを取り巻く惑星の物語なわけですよ。
「世界を複眼的・立体的に見る」
ということを学べる映画です。
▼主演(助演)男優賞
ビリー・ボブ・ソーントン(ファーゴ シーズン1)
コメント:
ファーゴ シーズン1の、
ローン・マルヴォのサイコパス度は、
完成の領域でしたね。
是非、浦沢直樹『MONSTER』の、
ヨハンと対決させたい。
同じコーエン兄弟の、
『ノーカントリー』という名作があり、
そこにも、シガーというサイコパスが登場します。
彼を超えるサイコパスはいないと思っていましたが、
匹敵する奴が現れました。
関わった人間がすべてこの世から消えていく。
ローン・マルヴォから目が離せません。
▼主演(助演)女優賞
篠原涼子(SUNNY)
コメント:
SUNNYは、
女性の群像劇で、
しかも時代が現代と90年代にまたがるため、
たしか6人組×2セット、
役者が必要になるんですよね。
当時の女子高生ですので、
現代はアラフォーになっているわけですが、
現代パートを篠原涼子とか渡辺直美とかがやって、
90年代パートを広瀬すずとか若手の女優たちがやるわけです。
よって役者は12人(じっさいは11人)必要になり、
相当混乱すると思うじゃないですか。
しかも本人が演じているわけではないので、
渡辺直美のように、体格的特徴があれば、
10代パートのその子が、
渡辺直美の過去だとすぐ分かるのですが、
それ以外はとても混乱しておかしくないのです。
篠原涼子の10代が広瀬すずとか、
ちょっと「すんなり」は入ってこない。
これを、大根仁はヒップホップ的サンプリング手法にも似た、
編集技術と語り口のうまさで切り抜けてるんです。
これって、実は言うほど簡単じゃない。
こういうのを並の人間が脚本すると、
「茶髪」とか「腕に傷がある」とか、
「いつも同じスカーフを付けてる」とか、
「こいつは語尾にいつも『っしょ』をつける」とか、
そういったわかりやすい「記号」で、
10代パートとアラフォーパートを、
「色分け」してしまうんです。
でも、それって「漫画的手法」であって、
映画でそれをやられると、
かなり「嘘っぽさ」や「安っぽさ」が出る。
大根監督はそこんとこ、
めちゃくちゃ上手くやってます。
この手の、登場人物が複数入り乱れると、
脳内で混線が起きる私のようなタイプですら、
すっきり理解出来たのだから間違いありません。
そんで、篠原涼子ですよ。
忘れてました。
彼女をこの物語の「軸」に持ってくるあたり、
大根監督はさすがだな、と思うんです。
作品内ではいっさい触れられませんが、
小室サウンドやコギャルファッションと並び、
90年代の若者文化の、「裏のアイコン」は、
何だったかというと、『ダウンタウン』です。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』は、
90年代に放送され、その後の日本の大衆文化を変えてしまった、
と言って良いほどのインパクトを与えているわけです。
そのレギュラーメンバーであった、
篠原涼子をこの位置に持ってくるというのは、
大根監督の確信犯的な所業だと私は考えます。
めっちゃくちゃしっくり来ますから。
現在の彼女が、90年代を振り返る、
という構造が。
▼その他部門賞「アメリカのテレビドラマはヤバい賞」
「ファーゴ シーズン1」
コメント:
先ほど語ったとおりです。
私はこれを皮切りに、
アメリカのテレビドラマに、
「開眼」しました。
私の新たな扉を開けてくれた作品です。
すげーな、海外ドラマ。
ただ、健康時には、
本読んだり仕事したり、
各地に出かけたりミーティングしたり、
忙しいので鑑賞する時間がとれるかどうか、
不明ですが。
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陣内が先月観た映画
2020-02-18T08:40:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=448
生まれ育った地域の影響(後編)
第109号 2019年10月15日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼生まれ育った地域・後編▼▼▼
今週は、先週の質問カードの答えの「続き」です。
私は育った地域がい...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼生まれ育った地域・後編▼▼▼
今週は、先週の質問カードの答えの「続き」です。
私は育った地域がいろいろあるので、
けっこう語ることが多いのです。
▼質問:
あなたが生まれた地域、または育った地域は、
あなたの今の性格やライフスタイルや行動様式、
考え方に何か影響を及ぼしていますか?
及ぼしているとしたらそれは、どんなことですか?
、、、先週は私の中の、
「愛知県人性」を語りました。
今週は岡山県と北海道について語ります。
まず、岡山県には、
私は小学校5年生から高校3年生まで、
7年間住んでいます。
倉敷市の連島という地域で、
去年の豪雨で被害を受けたところは、
私の生活圏だったのでびっくりしました。
中国地方って、すごーく天災が少ない地域なので、
余計にびっくりしたのです。
さて。
岡山県ですが、
これがまた味が濃いんですよね。
愛知県以上に、
その地域性は、
全国的に知られていないのです。
中国地方の人からすると、
「岡山」というと連想するものが、
いくつかあるんですよ。
それは広島とも違うし、
兵庫とも島根とも鳥取とも山口とも違う。
岡山は岡山なのです。
尾張と三河が違うように、
広島と岡山は断固、違うんです!
東京の人からしたら、
「ふーん、そうなんだー(スマホいじいじ)」
でしょうが、
岡山は岡山じゃけー
広島とはちがうけー、
そこんとこよろしく!
と思うわけです。
まず方言ですが、
いわゆる「仁義なき戦い」で、
菅原文太がしゃべてるやつ、
あれは広島弁であって岡山弁ではありません。
岡山弁は今でこそ「千鳥」で有名になりましたが、
本当に使いこなせる人は、
きっと全国に岡山県の人口程度しかいないでしょう。
あ、当たり前でした笑。
「すごい」は、
「ぼっけー」、
「俺」は「わし」
「私」は「うち」
*ギャルが使う「ウチらわトモダチ」の「ウチ」とは違います、
「柿」の発音じゃなく、「蠣」の発音です。
「むかつく」は、
「はがえー」、
「殴るぞ」は、
「張り回すぞ」、
みたいな感じですかね。
基本的に全員が全員に対して喧嘩を売るのに適した言葉です。
デフォルトでバトルロワイヤルなんですよ、
岡山っていうのは笑。
小学校5年生で、
岡山の文化に最初に触れたときは、
マジで驚きましたから。
マジで全員が怒ってるのかと思いましたから。
後々、そういう言葉なんだ、
ということに気づいて安心したわけですが。
あと、岡山って、
小学校から制服の学校がめちゃ多いです。
何を隠そう、
倉敷市っていうのは、
たしか全国の学生服の7割を生産していまして、
当然地元の学校と企業って言うのは、
癒着とかそいうんじゃなく、
「もちつもたれつ関係」なわけで、
岡山の学校は学生服が基本なのです。
私も小学校のとき、
下は半ズボン、
上はカッターシャツにブレザー、
帽子は学生帽みたいなやつで、
学校行ってましたね。
愛知県の小学校は私服だったので、
超嫌だったのだけど、
まぁ、なれますわ。
そういうのは。
あと、「改造学生服」を売る店が、
全国で一番多いんじゃないかな(当社比)。
あと、不良が全国で一番強いんじゃないかな(当社比)。
出会ったらすぐ逃げなければならないのは、
岡山のヤンキーと北海道のヒグマですわ。
マジでカツアゲされますから。
私も1回食らったことがあります。
1回っていうのは運が良い方で、
中高の6年で、
平均すると3〜5回、
カツアゲ被害に遭います(当社比)。
なので、高額紙幣は必ず、
ソックスの中に入れてましたから。
財布の中身を全部とられたうえ、
『おい、ちょっとそこでジャンプせーや』
からの、ポケットの小銭を持って行かれても、
すっからかんにならないために。
私は『資産のポートフォリオ』の原則、
「卵を同じ籠に入れるな」を、
岡山のヤンキーから学びましたね笑。
もうひとつは、
愛知県にはなくて岡山にあったものとして、
「笑い」の地位がありあます。
愛知県では、
多分「全国スタンダード」でして、
小学生なら足が速い奴がモテましたし、
だんだん中学・高校生ぐらいになると、
スポーツとかに加えて勉強が出来ることも、
モテる要素に加えられていきます。
小学校5年生の私は、
授業はほとんど聞いてないし、
宿題もほとんど提出しないけど、
テストの点は全部100点でした。
先生にも生徒にも嫌われるパターンですね笑。
でも、足が速いほうではなかったし、
運動神経もさほど良いほうではなく、
むしろ小児ぜんそくの発作があって、
体力的には平均以下でしたので、
モテる部類ではありませんでした。
、、、で、
岡山に引っ越してびっくりしましたね。
男にも女にも先生にも一番モテるのは、
頭の良い奴でも足が速い奴でもなく、
「面白いことが言える奴」なんですよ。
これが高校まで続きます。
この「面白いこと言える奴」っていうのが絶妙で、
ただ自分が思いついた「面白ワード」を連発する、
とかそういうことではないんですよね。
だってそんなの面白くないじゃないですか笑。
ちゃんとその場の雰囲気であったり、
状況であったり、オーディエンスのことを考えて、
サッカーでいうと、
「流れの中で得点する」といいますか、
そういう「ビューティフルゴール」を挙げられる奴というのが、
一番モテました。
男子にも、女子にも、先生にも。
この「ルール改変」は、
11歳の私にとって衝撃でした。
そこから私は、
自分の知的リソースの、
かなりの大きな部分を割いて、
「面白いことを言う」ということを
追求するようになりました。
当たり前じゃないですか。
モテたいですから。
中学生男子なんて、
モテたくて生きてるんですから(当社比)。
、、、そんで、
あれは中3ぐらいですかねぇ。
5年ほどの修行の結果、
なんか「掴んだ」んですよね。
面白いことを流れの中で言う、
っていう技術を身につけたんですわ。
自分のIQの大部分を、
学業成績を上げることよりも、
「面白いことを言う」ことに割いているのですから、
まぁ当たり前です。上達するのは。
まぁモテましたよね笑。
だって、クラスで一番、
「面白いことを言える」んですから。
これって「クラスの人気者」とか、
「ひょうきんで明るいやつ」とか、
そういうことじゃないんですわ。
その役割は別にいるんです。
そいつとはポジションが違う場所に、
「一番面白いことを言える奴」はいるのです。
「センス」なんです。
この流れでこの発言が出来る!
すげー!
ってなるんです。
あいつすげー!って。
これが快感で快感で。
もし岡山に住んでなければ、
私はもう少し、
笑いのセンスがなかったでしょうね。
ただ単に明るい奴と、
ユーモアのセンスがある奴の差すら、
理解していなかったでしょうね。
多分関西圏とか西日本に住んでいない人は、
「半笑い」でこの話を聞いているでしょうが、
実はこれって本質的なことだと私は思います。
学業成績が抜群に良いことよりも、
「流れの中で面白いことを言える」ことのほうが、
「地頭の良さとの相関指数」は、
ゼッタイに高いからです。
これはアルゴリズムとヒューリスティックの差でもあります。
学業成績の良さはAIに代替可能ですが、
面白いことを言える地頭は、
AIには代替不能なのです。
よって、AI時代に生き残るのは、
関東ではなく関西です。
、、、嘘です笑。
そういうことではなく、
偏差値秀才だけどユーモアのセンスが絶望的な奴と、
偏差値は平均だがユーモアのセンスが抜群な奴なら、
私が企業のCEOなら後者を採用するし、
将来のある会社経営者なら、
同じ選択をするだろうな、と思うという話です。
あと、岡山の人って、オシャレです。
これも当社比なのですが、
結構真を食ってると思います。
多分そういうイメージは、
全国的に共有されていないと思いますが、
この「説」に私はけっこう自信がある。
まず、客観的なファクトとして、
倉敷っていうのは、
繊維の街と言われていて、
国産ジーンズのシェアも相当なものです。
だから、たしか『繊維祭』っていうイベントがあったりして、
そこでジーンズとかアメカジ商品が安く売られたりしてます。
そんで、小中学生の段階から、
そういうカジュアルファッションに対する、
関心というか意識が高いんですよね。
「501」とか「MA-1」とか「レッドウィング」とか、
「エビス」とか「カムコ」とか、
そういったアメカジがらみの「用語」ってあるじゃないですか。
そういうのを、中学1年生とかが、
普通に会話の中で話していて、
「遊びに行く」というのは、
たいてい「服をウィンドウショッピングする」
という意味でした。
友達と服を交換しあったり、
とにかく「服」に対する関心が高かったんですよね。
私が服に関心を持ったのは、
中学時代の友人がまさにそういう奴らだったからで、
私は中高生を岡山で過ごさなかったら、
高3まで、
『お母さんにイトーヨーカドーで服を買ってきてもらう派』
だったと思います。
そんなわけで、
大人になった私が、
じゃあ人よりオシャレかというと、
そんなに自信はありません。
妻のほうがセンスがあるので、
結婚後に学んだことのほうが多いですが、
それでも服を見たり、
新しいファッションを試したりするのは好きです。
そして、大人になってから気づいたのですが、
「岡山出身」の人に会うと、
たいていその人はオシャレに気を遣っていて、
その人なりの「スタイル」を持っています。
この「説」はけっこう自信があるんですよね。
多分誰も知らないでしょうから紹介しました。
、、、あと、北海道。
これは18〜24歳までの6年間過ごしました。
結果、自分が一番フィットしたのは北海道でしたね。
この理由も多分明確で、
私は生まれてから、
岡山→東京→愛知→岡山→シカゴ
→愛知→岡山、、、
って、引っ越しを繰り返してるんですよ。
そんで、北海道って、
「よそ者の集まり」なんですよ。
最大に遡っても4世代ぐらいなんです。
「ひいおじいちゃん」になると、
もう、「開拓者」なのです。
そうすると、
「開拓者」っていうのは、
基本的に「バガボンド気質」といいますか、
一つの場所に根っこを下ろして、、、
っていう土着型ではなく、
「新しい気風に開かれた人間」なわけです。
そういう人が集まったのが北海道なので、
「よそ者同士、助け合っていこうや」
という、サバサバした距離感があるのです。
人間関係の「湿度」が低いというか。
私自身が転勤族でバガボンド(流浪者)なので、
北海道みたいな距離感というのは、
非常に心地よかったですね。
これは「よそ者社会」の、
アメリカの両沿岸部、
およびカナダとオセアニアにも言えます。
夏に弱い私には、
気候的にも北海道が一番フィットしました。
そこで身につけた今の私の性格というと、、、。
なんだろう?
あ、そうだ。
「本州を絶対化しない」
というのはあるかもしれません。
沖縄もそうですが、
本州・四国・九州のことを、
彼らは「内地」と言います。
「今度内地にいくのかい?」
「内地は暑いっしょ。」
みたいな会話が、
北海道では交わされるわけですが、
なんていうか、
自分こそ日本の中心、
って思ってる東京・大阪・名古屋あたりの人からすると、
コペルニクス的な視点の転換なんですよね。
そんな北海道。
お勧めです。
「地方移住」の罠は、
地方にある「人間関係のしがらみや排他性」が、
実際に住み始めるとめちゃ大きいことに、
住み始めてから気づいてしまうことですが、
その壁にぶち当たった人は、
すごすごと東京に戻るよりも、
北海道を試すことをお勧めします。
、、、というわけで、
育った地域と自分の性格に関して、
2週間にわたりお届けしました。
今週のオープニングトークは以上!
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今週の「オープニングトーク」
2020-02-17T08:39:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=447
【Q】助けになった妻の言動
第108号 2019年10月8日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
...
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【Q&Aコーナー専用フォーム】
▼URL
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※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。
※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●【Q】妻の言動
ペンネーム:ぞうママ(女性)
お住いの地域:埼玉県
Q.
陣内先生
良かった!
またメルマガを拝読できて嬉しいです。
でもお大事に。
私は陣内先生の奥様のお人柄に大変興味があります。
私も鬱の経験者ですが、鬱って家族も辛いなあ、と思います。
陣内先生が幾度となく触れている、
鬱の時、素晴らしいと感じた奥様の言動ベスト3が知りたいです。
A.
ぞうママさん、ご質問ありがとうございます。
妻の支えがなければ、
私は鬱を乗り越えることは出来なかったでしょう。
ベスト3にまとまるかどうか分かりませんが、
思いつくものを紹介していきます。
▼▼▼「休んでグッジョブ」
他でも語ってきていますが、
私は鬱症状で2013〜2015年の2年間、
何も出来なかったときがありました。
あのときはマジでひどくて、
通院もしたしカウンセリングも受けました。
カウンセラーは「4、5年かかると思った」
と後で教えてくれました。
鬱の初期というのは誰しも、
「健康バイアス」みたいなのが強く働くと思うんですよね。
正確には「正常性バイアス」という心理学用語なのですが、
人間は何かの異常に見舞われると、
それを「否認」する本能があると言われています。
大災害のとき逃げ遅れたり、
交通事故で死ぬ人の、
応急処置が遅れたりするのって、
この「正常性バイアス」によります。
つまり、私たちは、
「異常な何かが起きている」
ということを、無意識に否定する傾向があるのです。
実際には異常な何かが起きているのに。
鬱に見舞われた人ってたいてい、
「数週間単位で治る」と思います。
今は何らかの理由で、
活動が出来なくなっているだけだ。
2週間も経てばゼッタイに元に戻る、
と思うのです。
じっさいにそんなはずはないのに。
鬱は認知にダメージを与えますので、
「それが正常性バイアスである」
というメタ認知も働きません。
なので、本気でそう思う暴走を止められない。
そうすると、偏執狂的に、
鬱のときに一番やっちゃいけない、
「努力」をし始めるんですよ。
私の場合、鬱の初期に、
毎日1時間聖書を読んだり(苦しくて泣きながら)、
毎朝ジョギングしたり(つらくて泣きながら)、
とにかく何かしてないと落ち着かないけど、
何か意味のある活動をするエネルギーはないから、
ただひたすら部屋をぐるぐると歩き回ったりしました。
カウンセラーのアドバイスもあったのだけど、
その「努力」をやめることが出来たのは、
「もがく力」も燃え尽きた時でした。
スペアタイヤがパンクした、みたいな。
私は「二段階に燃え尽きた」のです。
そうすると「休む」以外のいっさいのことが出来ないので、
まぁ、当然休むしかないわけですよ。
ところがやっかいなことがあります。
鬱を患う人というのはたいてい、
真面目な性格の人が多いので、
「休む」ということに罪責感を覚えるのです。
それも、とても強く。
「世間は働いているのに俺は休んでいる。
俺はなんて駄目な人間なのだ!」
って、ずっと思うんですよ。
そんなとき救われたのは、
妻の「今日も休めてグッジョブ」という言葉でした。
1日、生産的なことは何も出来ません。
というか、年単位で生産的なことが何もできない。
そのような1日、1日を、
働き盛りの人間が過ごすというのは、
結構な「生き地獄」だと私は思います。
人によっては「働かなくて良いなんてラッキー♪」
と思うかも知れませんが、
そもそもそういう性格の人は、
鬱になることはまずないので、
安心してください。
妻が「休むことが今のあなたの仕事。
今日もしっかり休めた。
グッジョブ!」
と毎日言ってくれたことが、
どれだけ回復を早めたか分かりません。
▼▼▼鼻歌と笑顔
私の闘病の2年間、
もし妻も辛く落ち込んでいたら、
「自分は妻を落ち込ませてしまっている!」
という罪責感に私は堪えられなかったでしょう。
社会人としてだけでなく、
夫としても失格だ。
終わってる、、、。と。
妻はじっさい、きっと辛かったと思います。
当たり前じゃないですか。
でも、病気の間、
私の前で決して辛いということを表しませんでした。
神の前にだけ表していたのでしょう。
私が寝ていると(ほとんどの時間寝ている)、
妻は隣の部屋で賛美歌の鼻歌を歌っているのです。
私が起きると、妻は笑顔でした。
これによってどれだけ救われたか分かりません。
▼▼▼俊君の分も礼拝してくる
病気になると、
「人と会う」というのが、
一番の負担になります。
少なくとも私の場合。
クリスチャンのカウンセラーからも、
「礼拝には行かない方が良い」
と早い段階で言われて、
私は2年間礼拝を休みました。
しかし、礼拝に出席しないことって、
でも罪責感を伴うじゃないですか。
「真面目なクリスチャン」じゃないような気がして。
私は毎週日曜日、妻が礼拝に行くのを見送るのですが、
「一緒に礼拝に行けなくてごめんね」とか、
「礼拝に行けない自分は駄目な人間だなぁ」
という意味のことを漏らすと妻は必ず、
「俊君の分も私が礼拝してくるから、
俊君は家でしっかり休んでて」
と言ってくれました。
それ以来私は、
礼拝するとき、
「誰か病気の人の分も、
私は替わりに礼拝している」
と思うようになりましたね。
妻から大切なことを学びました。
▼▼▼ナラティブと絵本
精神疾患というのは、
「ナラティブの病」とも言われます。
アルコール依存症、統合失調症などは、
「物語」が引き起こす、という考え方で、
近年「ナラティブセラピー」という形で注目されています。
私は自分の経験から、
「個人」に基礎をおく「認知行動療法」よりも、
「社会・関係・家族」に基礎をおく、
ナラティブセラピーのほうが、
東洋文化の日本人には合っている、
と考えるようになりました。
、、、興味がある人は、
医学書院から出版されている、
『物語としてのケア ナラティブアプローチの世界へ』
という本が非常に良い入門書ですので、
参照してみてください。
▼参考図書『物語としてのケア』
http://amzn.asia/5pSpL8x
、、、で、
妻もこのナラティブアプローチを学んでくれて、
それを具体化してくれたのが、
療養中に描いてくれた、
オリジナルの絵本でした。
そこには「うつき」というキャラクターが登場して、
私を「虐めたり」するのですが、
妻がまずそのうつきと和解し、
私自身も受け入れ和解し、
これからは3人で仲良く生きていこう、
というような筋書きです。
回復期に、続編も描いてくれて、
そこでは「うつき」は、
私を休ませるという役割を終え、
自分の星に旅立っていくのでした、、、
という結末になります。
精神疾患の一番危ないのは、
「自分=病気」と、
本人が勘違いしてしまうことです。
そうすると病気を退治したいのに、
自分を退治してしまう。
そこで大切なのが、
「病気の外在化」と言われるプロセスです。
自分は病気そのものではない。
今自分がこう考えているのは、
病気の作用であって、
自分自身がこう考えているのではない、
という線引きが出来るかどうかで、
そのあとの予後がかなり違ってきます。
この絵本は、
「病気の外在化」のプロセスの助けになりました。
自分と病気を癒着させるのではなく、
切り離し、病気を乗り越える対象や、
歓迎せざる害悪や、
解決しなければいけない問題と見なすのではなく、
「必要なことを伝えに来たメッセンジャー」
として認識し、
そして病気と「和解」する契機を与えてくれたのが、
この絵本でした。
▼▼▼記録
あと、闘病の2年、
妻は「育児ノート」のような形で、
毎日私の体調、言動、食欲などを、
事細かにノートに記録してくれていました。
病気の時って、
自分が先月と比べてどうなったかなんて、
把握できません。
認知がダメージを受けているので、
「乾燥機でぐるぐる回りながら、
自分の位置を把握する」
みたいな感じなので、
悪化しているのか良くなってるのか、
それとも平行線なのか、
それが分からないわけです。
「どんどん悪くなっていく。もうダメだ」
「もう半年も休んでるのに何も回復してない。
きっと一生このまま廃人になるんだ」
という絶望的な気持ちになったとき、
妻がノートを見て、
「3ヶ月前はこんなことが出来なかったのに、
今はこういうことが出来るようになっている。
ちゃんと回復してるよ」
と教えてくれるわけです。
ノートがあるおかげで、
私の体調が悪くなる兆候とか、
良くなる兆候とかも把握してくれている。
すごいとしか言えませんね。
▼▼▼「励ましの手紙やメール」を、回復後に教えてくれる
2年間の療養中は本当に、
真っ暗な牢獄に閉じ込められていたような状態で、
外界との連絡を遮断していました。
入力も出力も出来ない。
「誰それがああした、こうした」
レベルの話も「聞こえる」と、
「自分は何も出来ない。
置いてけぼりだ」
と思って絶望するので、
知ることも辛い。
誰かが自分に対して発するメッセージも、
たとえそれが励ましの言葉であっても、
受け取ることの出来る状態ではありませんでした。
「自分はその励ましに値しない。
どうか自分のことなんて忘れてほしい」
という気持ちにとらわれていましたから。
なしのつぶてだと本当に心配させるし、
迷惑かけることもよく分かりますので、
必要な連絡は、
妻に頼みました。
「今体調が悪いので、、」
といろんな人に説明してもらっていました。
そうすると、
励ましのメッセージとかって、
いろんな形でやってきます。
2年間分の、そういった、
励ましの言葉を、
妻はストックしてくれていて、
私が回復してそれらを
受け止めることが出来るようになった頃に、
「実はあの人からもこういう言葉をもらってた」
というようなことを教えてくれました。
結構たくさんあげてしまいましたが、
まぁ、妻はすごい人なのです。
妻のおかげで私は働けています。
ありがたいことです。
私は世界一恵まれた男だと思いますし、
私の娘はすばらしい母親に恵まれて、
ラッキーだと思えよ、
と心で思っています。
俺もああいう母親に育てられたかった、
と思いますから。
あ、別に自分の母親をディスってるのではなく。
母親は母親なりに、
これ以上なく私を愛してくれたのですから。
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Q&Aコーナー
2020-02-11T08:37:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=446
生まれ育った地域の影響(前編)
第108号 2019年10月8日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
今週は2ヶ月ぶり(?)ぐらいに、
質問カード、やっていきます!
質問カードっていうのはちなみに、
私...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
今週は2ヶ月ぶり(?)ぐらいに、
質問カード、やっていきます!
質問カードっていうのはちなみに、
私が会話のツールのために発明した、
一枚質問を引いて、
それに答えていくというカードです。
これを自分で引いて、
自分で答えてしまおう、というコーナー。
▼▼▼生まれ育った地域の影響▼▼▼
▼質問:
あなたが生まれた地域、または育った地域は、
あなたの今の性格やライフスタイルや行動様式、
考え方に何か影響を及ぼしていますか?
及ぼしているとしたらそれは、どんなことですか?
、、、そうですねぇ。
私の場合、生まれ育った地域が複数あるので、
全部話し始めるときりがないのですが、
主だったいくつかについて話しましょう。
▼▼▼愛知
まず、私は愛知で生まれています。
県外の人からすると、
まったくピンと来ないと思うのですが、
愛知県というのは、
尾張(名古屋を含む)と、
三河(豊橋を含む)に、
大別されます。
知多半島と渥美半島が、
下を向いたカニのハサミだとするじゃないですか。
カニの胴体をバキッと半分に割るわけですよ。
そうするとこちらから見て、
左側のハサミ(知多半島側)が尾張で、
右側のハサミ(渥美半島側)が三河です。
どんな残酷な説明だよ、っていうね笑。
別にバキっと割らなくて良かったじゃねーかよ、
っていうね笑。
そんで、尾張は三重県に、
三河は静岡県に隣接しています。
県外の人からするときっとどうでも良いんでしょうけど、
愛知県人からすると、
尾張と三河って、
本当に別物なんですよね。
まず言葉が違う。
いわゆる「えびふりゃーがうめーだがやー」
っていう名古屋弁は尾張のもので、
三河は語尾に「だら〜」「〜じゃん」
を付ける、どちらかというと、
静岡弁に近い言葉を話します。
正確には、三河にも、
西三河と東三河があって、
言葉も違ったりします。
あと、正確には知多半島の西側は西三河に含まれたりもします。
でも、もうそうなってくると、
県外の人は着いてこられないと思うので、
ここはそのまま話を進めます。
文化も違います。
名古屋は「名古屋嬢」とか、
「結納が豪華」みたいなイメージがあるように、
一点豪華主義といいますか、
普段はつましく暮らすのだけど、
ここぞというときに「財をひけらかす」
みたいなところがあります。
対する三河は、
そういったところがひとつもない。
「ひたすらつましく暮らす」のです。
とにかく堅実。
東三河はさらにその傾向が強い。
ちなみに、
信長は尾張ですが、
家康は三河です。
2人の性格の違いが、
地域の違いを良く表しています。
そんで、私の両親は東三河出身です。
正確には、父の生まれは佐賀県ですが、
中学のときに家族で豊橋に移住しています。
母は蒲郡生まれの東三河人。
というわけで、私には東三河の血が流れている。
東三河って徳川のお膝元なので、
けっこう江戸幕府に無意識の親近感を覚えている、
という人が多いという気がします(当社比)。
「オラが村の英雄」みたいなノリで笑。
そうすると、明治の薩長政府というのは、
「政敵」になるわけで、
現在の自民党は明治政府の残党ですから、
まぁ、基本的に嫌いですよね笑。
あと、愛知県の人、
これは特に名古屋に言えるんだけど、
東京に対する屈折した感情を抱いていますよね笑。
中日ドラゴンズファン、って、
阪神タイガースファンとちょっと違うんですよ。
ドラゴンズファンは、「巨人が憎い」
ということで結束しているんですよ。
阪神は、勝とうが負けようが阪神が好きなんです。
感情が屈折していない。
中日の場合、屈折している。
中日が勝ったことよりも巨人が負けたことの方が嬉しい。
中日が負けたことよりも巨人が勝ったことのほうが悔しい。
多分ジャイアンツが解体したら、
中日ドラゴンズは存在意義を失い、
解散するんじゃないかと私は思っている笑。
私自身は名古屋人ではないので、
特にドラゴンズに思い入れがあるわけじゃないのですが、
こういう感じって、あるんですよね。
ドラゴンズ感情っていうのは、
愛知県の人が東京に懐く感情を代表していて、
トヨタ自動車がいったん東京に本社を置いたのだけど、
また愛知県に引き返した、
みたいなのも実はそういった感情のあらわれだと思ってます。
あと、リニアモーターカーが、
名古屋をスルーする、
とか、そういうのにもめちゃくちゃ敏感です。
愛知県人はどえりゃー傷ついています。
そういった繊細さとか、
あと、イチロー選手とかトヨタ自動車とかに代表されるような、
一つのことにめちゃくちゃコツコツ頑張るとか、
とにかく「ずっと前のことをいつまでも覚えているしつこさ」
とか、そういうのって、愛知らしいなぁ、と思います。
これらすべては長所であり短所でもあるのですが、
まぁ、私の性格のいくらかは、
愛知県人要素でできているので、
今申し上げたようなことは、
全部、いくらか私に当てはまります。
、、、もっと続けたいので、
このトーク、来週に続く!
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今週の「オープニングトーク」
2020-02-10T08:35:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=445
【Q】中高生にお勧めの映画
第107号 2019年10月1日配信号
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
...
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
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●【Q】中高生にお勧めの映画
ペンネーム:ちょっちゃん(女性)
お住いの地域:東京都
Q.
映画をたくさんご覧になっている陣内さんに質問です。
中高生に見せたいなぁと思う映画は何でしょうか。
今度中高生が我が家に集まる機会があるので、
みんなで見たいなと思っています。
見た後もみんなでワイワイ意見を言い合いたいのですが、
中一から高二までいるので、なかなか難しいです。
オススメがあれば、ぜひ教えてください!
A.
私の見る映画は、
グロ・ホラー・陰鬱・暴力描写、
みたいなのが結構含まれています。
別にそういうのを好んでみている訳ではないけれど、
私の考える「面白い映画」は必然的に、
ファミリー映画とは違うものになりがちだったりします。
人間の内面だとか、
社会の矛盾だとか、
そういったことを鋭く描写したり批判したりする映画に、
私は最も感銘を受けるからです。
アクション→カーチェイス→ドカーン
みたいな「ポップコーンムービー」も、
悪くないですが、
知的栄養価は低いので笑。
別に馬鹿にしてるわけじゃないですよ。
そういったやつも、
時々は見ますから。
「ダイ・ハード」とか最高じゃないですか。
でも、そういうのは映画のメインとして求めてない、
というだけの話です。
何が言いたいかというと、
私の「★5つ」映画のなかに、
「ファミリームービー」は少ない、
ということです。
でも、年間100本以上見てますので、
中にはファミリーで楽しめる内容もあります。
当然。
過去数年に見たやつで、
そういったやつを、
全部紹介するときりがないので、
3つだけご紹介します。
▼▼▼ワンダー 君は太陽
監督:スティーブン・チョボルスキー
主演:ジュリア・ロバーツ他
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/FHfpvpT9
コメント:
これはすごい作品でした。
ただの「障害者」によるお涙ちょうだい映画ではなくてびっくりしました。
主人公のオギーは、トリーチャーコリンズ症候群という、
遺伝子に由来する病気のため、
顔の形が変形しています。
100人に99人が「二度見」するような顔なので、
彼の家族は彼を学校に行かせることに消極的だったのだけど、
あるとき意を決して学校に行きます。
そうすると当然起きることがありますよね。
そう。
いじめです。
子どもは残酷ですから。
、、、で、この映画のすごいところは、
そういう「いじめ、ダメ、ゼッタイ」みたいな、
PTA的なメッセージで終わってないところなんですよね。
入り口は確かにそうなのですが、
出口が全然違う場所に出る、というか。
何の話になっていくかというと、
だんだん、オギーをとりまく家族や友人の、
「ナラティブ」の話になっていくのです。
「君は太陽」というサブタイトルにもあるとおり、
太陽系における太陽の存在が、
主人公のオギーです。
オギーのような障害者は社会では抑圧され、
虐められる存在かもしれません。
しかし、障害者を抱える家族は良くご存じのように、
家族の中では障害を抱えた当事者こそ、
「家族の注目の中心」であり、
彼を中心に家族が回るのです。
あらゆるイベントが彼を中心に調整されたり、
実行されたり、中止されたりする。
お父さんもお母さんも、
オギーの姉も、
オギーという太陽の周る惑星に過ぎない。
姉は当然そう感じています。
序盤のかなり早い段階で、
姉を主人公とする物語が始まった時点で、
この映画に「やられた!」と思いました。
次に「いじめっ子」という惑星の視点の物語が始まります。
オギーをいじめたクラスメイトが、
実は彼自身の家庭の中で葛藤を抱えていて、、、
というストーリーが始まるのです。
本人の視点、姉の視点、本人の友達の視点など、
複眼的に同じ出来事を追っていくこの手法は、
実は私が「よにでしセミナー」で毎回使っている手法です。
「世の中には複数の見方がある」
というのを、太陽の側、惑星の側、月の側から見ることで、
知ることが出来る造りになっている。
最後のシーンは落涙しました。
子どもが見ても当然理解出来るし、
暴力シーンなど一切なく、
全力でお勧め出来る作品です。
陣内版、
2019年映画ベスト10入りが確定している映画です。
▼▼▼こんな夜更けにバナナかよ
監督:前田哲
主演:大泉洋、高畑充希
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
http://bananakayo.jp/
こちらは去年のメルマガで紹介したので、
簡潔に解説します。
実在の筋ジストロフィー患者を、
大泉洋が演じています。
笑えて泣けるファミリー映画になっています。
「障がい者のお世話は家族が全部見るべきという
日本の常識に抗いたい」
「生きるということは人に頼るということ。」
「命がけで人に頼る」
「出来るヤツ風なのが嫌いだった。
人間てのは出来ないことの方が多いんだよ。」
「普通の男ならここで抱き寄せるんだろうな」
などの、鹿野(大泉洋)の名台詞がたくさんあります。
この映画は私の友人が関わっていて、
そのうえ私は去年、札幌で、
前田監督のワークショップにも参加もしました。
なので、この映画がファミリー映画であることの意義を、
私は知っています。
どういうことか?
「障害者」というテーマを、
「そういうことに関わる一部の人々」
だけの話題にしたくなかったので、
あえて自主制作とかじゃなくメジャーシーンで勝負したいし、
ファミリー映画というフィールドでやりたい、
という監督の強い意思が表れているのです。
誰が見ても、
笑って泣けて楽しめて、
そして何かを得ることの出来る造りになっています。
お勧めです。
▼▼▼青天の霹靂
監督:劇団ひとり
主演:劇団ひとり、大泉洋
公開年・国:2014年(日本)
リンク:
https://bre.is/8Jodsbnk
これは、「隠れた名作」ですね。
笑いの所をてっぺんまで笑わせているから、
ちゃんと泣けるんです。
劇団ひとり、恐るべし。
映画のお手本のような映画です。
「なぜ自分は生まれたのだろう?」
という実存の悩みに答えるようなつくりになっています。
今ならAmazonプライムで見られます。
これも万人にお勧めしたい名作ですね。
、、、というわけで、
3本のうち2本までが、
「障害」が関係する映画になってますが、
どれも、ただ楽しかった、で終わらないのに、
ただ楽しいだけの映画よりも楽しい、
という贅沢すぎる映画たちです。
自信をもってお勧めいたします。
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Q&Aコーナー
2020-02-04T15:51:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=444
かなり良くなってきた
第107号 2019年10月1日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼かなり良くなってきた▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
この1ヶ月以上ずっと、
「病状報告」み...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼かなり良くなってきた▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
この1ヶ月以上ずっと、
「病状報告」みたいなオープニングトークが続いてきましたが、
これも最後になるかもしれません。
というのも、先週の半ばから、
かなり症状が緩和し、
健康が戻ってきました。
なんか「自分が帰ってきた」
という表現が一番近いですね。
自分が自分でない何かに乗っ取られていたのが、
元の人格がもう一度戻ってきた、みたいな感じ。
主観的な感覚の話をすると、
ずーっと、
脳の電源が切断されていて、
起動しない、もしくはネガティブな方向に暴走しかしない、
という状態から、電源が回復したような感じ。
エネルギーも戻ってくるし、
四六時中続く、鉛のように思考と心が重い感じがなくなります。
脳と心についた「鉛のついた鎖」がとれるような感じです。
眼球に真っ黒のコンタクトレンズを付けたように、
目に入るあらゆるものが絶望色に染まっていたのが、
「世界が色鮮やかさを取り戻す」という感じ。
「生きているって、
こんなにも軽やかだったんだ!」
という気持ちになります。
90歳の老人が、
ある日起きたら20歳の肉体になっていた、
みたいなことが起きたら、
きっと今の私のように感じるのではないでしょうか。
仕事をしても辛くないし、
活動をしてもエネルギーの枯渇を感じないし、
身体や心や思考が「鉛の鎖」なしに動くので、
今までの仕返しかのように、
バリバリと仕事や活動をしたくなるのですが、
そこは抑えめでやっています。
何事も急激に変化させるのは良くない、
ということを知っていますから。
この時期というのは、
気まぐれに半日とか数時間とか、
症状が戻ってきたりしがちですので、
フルパワーで走ると、
そのときの落差で心が複雑骨折します笑。
最初はウォーキング、
そしてジョギング、
やがてランニング、
最後は疾走、です。
この1ヶ月半の経験は、
もうすぐ支援者の方に配送する、
紙媒体の「陣内俊プレヤーレター」の、
6〜9月号にまとめましたので、
興味のある方は是非読んでいただければと思います。
このメルマガの「7」に、
支援レターの受け取り方法が載っていますので、
新たにレターを購読したいという方はご参考にしてください。
▼▼▼「スティグマ」というもの▼▼▼
「スティグマ」って聞いたことあるでしょうか?
聞いたことあるけど、
良く意味は分からずに使い続ける言葉って、
外来語にはけっこうあるのですが、
スティグマもその一つでしょう。
ここでまず定義を固めておきますと、
ある疾患や特性などに付随する、
世間からの「差別感情」とか「偏見」を意味します。
ネットに載っている定義ではこうなってます。
スティグマ:
個人のもつある属性によって、
いわれのない差別や偏見の対象となること。
語源は、ギリシャ語で肉体上の徴(しるし)を意味し、
ギリシャ人が、差別対象となる奴隷や犯罪者の身体に
烙印(stigma)を押したことによる。
、、、端的に「烙印」をギリシャ語で言ったのが、
「スティグマ」だったんですね。
、、、で、鬱病って、
「スティグマ」の対象になります。
良く「鬱は心の病」とか、
「心の風邪」とか言われますが、
これがすでにスティグマだということを、
多分多くの人が無自覚なままだ使ってると、
私は思います。
私は自分が鬱を体験し、
鬱関連の本をこれまで200冊以上読んできましたが、
そもそも「鬱」と「心」を関連付ける、
カテゴライズの時点で、
医学的な誤りだと考えます。
なぜか?
鬱の生理的な原因は脳にあることが分かっており、
それは脳内伝達物質の異常という、
器質的な変化に基礎をおいているからです。
ところが、脳というのは、
心にも作用します。
脳は言うまでもなく、
感覚、思考、運動、記憶など、
あらゆることに関わります。
その「脳の作用」のひとつが「心」と我々が呼ぶものです。
椎間板ヘルニアになると、
それが胸椎だったら手がしびれ、
場合によっては手に激痛が走ります。
腰椎ならば脚に激痛が走ります。
私も経験したことがありますが、
椎間板ヘルニアによる脚の痛みって、
大人が「痛くて泣く」ぐらい痛いです。
尿路結石症などと並んで、
「三大疼痛」に数えられるぐらい。
神経に直接起因するので、
「脚が虫歯になった」と例えられますが、
まさにそんな感じです。
ここで質問ですが、
ヘルニアは脚の病なのでしょうか?
あるいは手の病なのでしょうか?
症状は手や足に出ています。
手や足に激痛が走るのですから。
でも、ヘルニアは手や足の病ではありません。
坐骨神経という、
脊椎から各身体に向かう神経が、
圧迫されることによる症状が、
手や足に出ているだけであり、
ヘルニアは「脊椎」の病であり、
脊椎の矯正や手術が、
根治の筋道になります。
鬱の場合はどうでしょう?
鬱もまた「心に激痛」が走ります。
心がマラリアに罹患したように、
四六時中、痛みと重さを訴えます。
心はもう動きません。
しかし、
ヘルニアにおける脚の痛みが、
坐骨神経に起因するのと同じく、
鬱における心の痛みは、
脳の器質的な変化に起因します。
ヘルニアが脊椎の病であって脚の病ではないのと同じく、
鬱は脳の病であって心の病ではありません。
しかし世間では、
「鬱は心の病」という言葉がいまだに広く流通していますから、
尿管結石と同じく誰しも罹患しうる、
鬱という病気になったというだけで、
「心が病になった人」という、
「烙印」を押されるわけです。
そう、「スティグマ」ですね。
なぜこれがスティグマなのか?
脳も他の臓器と同じく、
臓器の一つです。
尿路結石やヘルニアと同じように、
それが異常を来し、
病気になることは誰にでも起こりえます。
それはその人の人格や本質とは関係ありません。
「ヘルニア経験者」だということで、
他者から特別な目で見られることはあり得ません。
見られるとしたらそう見ているその人こそ
「変な人」というのが常識です。
ところが「心」となると話が変わってきます。
心というのは「臓器」とは位相の異なる、
定義や解釈が一定ではない、
「何かしらその人の本質」と結びついた概念です。
それが「病気になった」となると、
その人が本質において、
「何かしらの欠陥を抱えている」
という誤解を招きかねない。
実は鬱病当事者も、
それを取り巻く看護者も、
この「嘘」と「誤解」を、
すっかり信じて、
「自分は心の弱い人間なんだ。
本質において欠陥を抱えているんだ」
と思い込んでしまうことが多いのです。
本人の場合鬱の症状で、
「思考がネガティブに強く向かう」
という状態なので、
余計そう思いやすいわけです。
それこそが鬱の回復を遅らせている、
とういう事実が見落とされています。
私が、鬱病に対する
「認知行動療法」に懐疑的なのはそこです。
認知行動療法の前提って、
「鬱は心(認知)の病」ってことなんですよね。
だから「心の持ちよう」を変えれば、
治るはず、と考えている。
でも、私に言わせれば、
これって椎間板ヘルニアで苦しむ人の脚に、
鎮痛剤を塗り込むのに似ていて、
ほとんど意味はないと考えます。
もちろんこれで「治った」という人に、
とやかく言うつもりはありません。
おめでとうございます、
と思います。
でもね。
「脳」を見逃すことの怖さっていうのもあって、
がんの治療のために、
霊媒師のところにいったり、
怪しげで高価な酵素を買ったりする人っているじゃないですか。
あれと「鬱の認知行動療法」って、
あんまり変わらないと私は思ってます。
唯一効果があるとしたら、
「休んじゃいけない」というマインドから、
「休んでいい」というマインドに、
認知行動療法で変わることが出来たなら、
それは間接的には効果があると思います。
脳の器質的異常という意味の鬱に、
エビデンスのある治療というのは、
現在のところ、
1.投薬(じっさい体質によっては劇的に効きます)
2.休養
だけだからです。
認知を変えることで、
「休養」が加速するならば、
それは意味がある、ということです。
しかし、認知行動療法のアプローチの落とし穴は、
やればやるほど、
「自分の心(認知)が悪い」
という自己糾弾に陥っていくことです。
「自己糾弾」になるのは当たり前なのです。
それは鬱の症状のひとつなのですから。
そう考えているのは、
患者ではなく「患者の病」なので、
それを変えさせようとするのは、
正直「幻と戦う」ようなものです。
「坐骨神経痛の脚に絆創膏」みたいなもんですわ。
なので私は、
世間のスティグマがちょっとでもなくなったら良いなぁ、
と思って、こういうことを当事者として、
発信し続けたいと思っているわけです。
事実、
私の発信によって、
「鬱が得体の知れない恐怖」から、
「付き合うことの出来る対象」に変わった、
という声を、
今まで複数いただいてきています。
そうですよね。
公園の池にいるのが、
「ネッシーかもしれない」ときと、
「巨大なナマズ」と分かったときでは、
ずいぶん対処のしやすさが異なります。
、、、それでもまだ、
鬱が心の病だと、
どうしても思いたい人は、
ご自由にどうぞ。
もし「心の病」というものがあるとしたら、
科学や医療の証拠を無視して、
そういった「決めつけをやめられない」
ことのほうなんじゃないの?
とだけは言い返しておきますが。
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今週の「オープニングトーク」
2020-02-03T15:48:00+09:00
陣内俊
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陣内俊
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鬱の「発作」について その2
第106号 2019年9月24日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼ちょっと良くなってきた▼▼▼
8月12日。
今回の鬱症状が戻ってきた日の日付まで、
私は覚えています...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼ちょっと良くなってきた▼▼▼
8月12日。
今回の鬱症状が戻ってきた日の日付まで、
私は覚えています。
口笛を吹いて歩いていたら、
横っ面をひっぱたかれるような暴力性で、
何の前触れもなしに、
病気に襲われました。
マジで油断していたので、
今回は相当に動揺しました。
やるべきことがたくさんある中で、
まったく身体と思考が動かなくなるので、
足止めを食って本当に焦りましたし、
腹も立ちましたし、
情けないし悔しいし、
涙が出ました。
いつまで続くかも分からないので、
これも本当に辛い。
「また、あと2年とかだったらどうしよう。」
とか思うと本当にぞっとするわけですよ。
辛い日々でもあり、
恐怖に震える日々でもあります。
そんな先週の金曜日、9月20日のことです。
東京が突然涼しくなったあの日、
午前中、私は久しぶりにコーヒーを入れました。
そのエネルギーがあったから。
そして聖書を開き、
デボーションをしました。
鬱状態で聖書を開いたときの、
なんとも言えない追い詰められ感が、
嘘みたいになくなってたから。
そして、1ヶ月ぶりぐらいに、
部屋と机の掃除をしました。
そのエネルギーがあったから。
そんで、たまっていた仕事に着手しました。
午前中は集中力が持ちました。
「お、これは行けるかもしれない」
と思い、午後も本を読んだりしようとしましたが、
それは叶いませんでした。
内容が頭に入ってこない。
それから5日が経ちますが、
現在は、午前中は思考力が戻ってきます。
仕事も出来ています。
8月12日以前の水準にはほど遠いですが、
でも、ちゃんと思考も動くし、
まともにモノを考えることが出来る。
ネガティブ思考の重力もなくなったし、
身体と脳みそに鉛のおもりがついている感覚もない。
なぜか本だけは今も読めないのだけど。
鬱症状のときって、
ハエ取り紙の上を歩いてるような身体の重さがあり、
水中で会話するような苦しさと意識の混濁があるのですが、
少なくとも午前中は地上をちゃんと歩けていて、
地上で会話を出来るようになってきている。
これはいいぞ、
というわけで、
オープニングトークを書いています。
ただ、夕方になると、
ちょっと症状がまだ戻ってきます。
鉛が戻ってくる。
特に面白いとも思えない、
ゲームをして時間をやり過ごしたりしています。
今の健康状態はそんな感じです。
総じて、かなり回復した、
と言って良いでしょう。
ただ、
何のために1ヶ月を「えぐり取られなければ」ならなかったのか、
なぜ私はこんなハンディキャップとともに、
生きていかなければならなくなったのか、
その理由については分かりません。
2年間の療養を経て、
なんか病気と上手く折り合いを付けられたと思ったし、
病気と「和解」したつもりでいたのだけど、
やはりじっさいに症状が戻ってくると、
マジで地獄だし、
それ以上でもそれ以下でもない、
という気がしてきます。
無性に腹立たしいというか、
やるせないというか、
憤懣やるかたないというか、、、。
でも、きっと意味があるのだろうな、
とは思っています。
北海道の「べてるの家」の当事者のひとりが、
「精神分裂病は僕の天職です」
って言ってるんですが、
その領域には私は達していない。
病気との和解は、
私が思っていたほどには、
まだ達成されていなかったようです。
、、、でもね。
今朝、創世記33章を読んだんですよね。
ヤコブとエサウが和解するシーン。
聖書を読み慣れている人には、
説明する必要はないと思いますが、
ヤコブは20年ぶりに兄エサウに会います。
最後に彼の顔を見たとき、
エサウはヤコブに殺意を持っていました。
ヤコブが父の祝福を欺して奪ったからです。
母のリベカは兄弟殺しを避けるため、
ヤコブをラバンの元へと送ったのでした。
そんでいろいろあって、
ヤコブは20年後、
2人の妻と12人の子どもたちと、
多くの家畜と財産と奴隷を引き連れ、
父の家に向けて旅立ちます。
そんで、いよいよ兄エサウと対面する。
緊張しますわ、そりゃ。
まだ殺意があるかもしれないですから。
出会った瞬間殺されるかもしれないですから。
「明日が俺の命日になるかもしれない」
とヤコブは思ったわけですよ。
そんで、ヤコブは生まれながらの謀略家ですから、
いろいろ考えて作戦を練るわけですよ。
まず、「贈り物隊」っていうのをつくるわけです。
そして、その贈り物によって、
エサウの気持ちを軟化させて、、、
って思うわけですよ。
それでもヤバかった場合のために、
隊列を組んで、
贈り物隊→妻たちの部隊→自分
っていう風に、
自分がしんがりになって、
襲われても自分の命だけは助かるように考えたりするんですわ。
いや、マジで。
ヤコブってそういう奴です笑。
そういうところがある。
ところが、
かの有名な、「ヤボクの渡し事件」
っていうのが起きるんですわ。
「明日が命日かもしれない」夜、
彼は神と格闘するのです。
ヤコブは天使だと思っていたけれど、
それは神ご自身だったんです。
ちなみに余談ですが、
この「ヤコブと神との取り組み」こそが、
世界中に散らばった、
「相撲」のルーツという有力な仮説があります。
「相撲」って、ヘブル語の「シュモー(彼の名)」
から派生したかもしれない、という説。
沖縄相撲やモンゴル相撲など、
そもそも相撲は西側から伝来した可能性が高く、
西アジアでは創世記の物語は古代に語り継がれていたはずで、
地理的にもあり得ない話ではありません。
マジで余談でした。
、、、で、「ヤボクの渡し事件」ですよ。
その晩、夜通し神と格闘したヤコブは、
神に「もものつがい」を打たれます。
ヤコブは負傷したわけです。
そんで神は、「あなたは神と戦って勝った」と言って、
「イスラエル(神は戦う)」という新しい名前を、
ヤコブに与えます。
旧約聖書において、
「名前が変わる」というのは、
その人の性質や立場が変わる、
ということを意味します。
その証拠に翌朝ヤコブは、
当初の「贈り物とかいろいろ作戦」を、
すっかり忘れたかのように、
自分が一番先頭に立って、
エサウに会いに行きます。
20年間エサウにもいろいろあったのでしょう。
あの殺意は嘘のように消えており、
二人は抱き合って再会を喜び合います。
、、、で、
エサウは、ここから一緒に旅を続けて、
一緒に故郷に帰らないか?
とヤコブに提案します。
今朝私が読んだのはこの箇所でした。
ヤコブはその申し出を断るんですよね。
その理由が面白い。
創世記33章13〜14節
あなた様もご存じのように、
子どもたちは弱く、
乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。
一日でも、ひどく追い立てると、
この群れはすべて死んでしまいます。
あなた様は、しもべより先にお進みください。
私は、前を行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、
ゆっくり旅を続け、あなた様のもと、セイルへ参ります。
、、、ようするにヤコブは、
「一番遅い子どもや仔牛、子羊に合わせて、
ゆっくり旅をしますから、
お兄さん、どうぞ先に行っててください」
って言ってるんですよね。
これって、
イスラエルという新しい名前と性質によるのもあるけれど、
実はヤコブが「負傷」したことも、
関係あるんじゃないのかなぁ、
と今朝思ったわけですよ。
そもそもヤコブは、
「早く歩けない身体」になってたんじゃないかって。
最も遅い人の歩調に合わせる、
っていうのは、
現代世界ではあまり歓迎されないし、
ビジネスの世界なんかだと、
「そんな甘い考えじゃ生き残れない」
とか言って、切り捨てられるのが落ちでしょう。
もっと早く、
もっと強く、
もっと賢く、
もっと先へ、
という強迫観念によって、
社会全体が駆り立てられているので。
健康なときの私は、
わりとそういう環境の中で、
ある部分では立ち回れちゃったりします。
あんまり立ち回れなていことも多々ありますが笑。
しかし、病気を抱えていることで、
びっこを引いて歩くヤコブみたいに、
決定的に、健常者と旅行するのが不可能になり、
「一番遅い人と一緒に、
俺はゆっくり行くわ」
っていう視点を獲得したりする。
私にとっての鬱症状とは、
ヤコブにとっての「もものつがい」なんではないかと、
今朝思ったわけです。
ヤコブにとっての新しい名前が、
「神は戦う(イスラエル)」だったのも、
けっこう示唆的です。
ヤコブって、
生涯、「策士」なんですよね。
謀略を巡らし、
自分の有利に事を運ばせるのが、
抜群に上手い。
そういう立ち回りの狡猾さが、
彼を特徴づけています。
彼の名前(かかとをつかむ者)っていうのが、
それをよく表しています。
それが「神は戦う」になった、
っていうのはパラダイム転換なんですよね。
俺がやるんじゃなく、
神がやってくださる、
ってことですから。
ヤコブは、それによって今まで生き抜いてきた、
自分の最大の長所であり、
そして短所でもある、
「狡猾な謀略家」という部分を、
神によってパラダイム転換されるわけです。
その象徴が、「もものつがい」なんですわ。
私もまた、
自分の最も強い長所というのは、
「論理的思考力」だと思っています。
しかも、垂直方向のそれは、
けっこう自信があって、
あまり誰かに負ける気はしません。
これを自分を利するためだけに使ったら、
多分バチが当たると思うので、
こんな仕事をしているぐらいですから。
ところが、ヤコブの例を見ても分かるように、
実は最大の長所というのは同時に最大の短所でもあるので、
神はその人を「内的な外科手術」みたいなことを、
する必要があったりするんですよね。
特に俺みたいに、
神に特別愛されちゃってる人間は笑。
鬱症状というのは、
まさに「論理的思考力」が、
破壊されます。
脳のCPUがぶっこわれる感じなので。
感情や思考の道筋を御することが出来なくなる。
脳みその手綱を握ることが出来なくなる。
コントロールを完全に失う。
そんなことをヤコブの話を読みながら、
考えたわけです。
、、、とにかく病気の1ヶ月、
私は完全に歩みを止めました。
何も得ていません。
失ったものはあります。
「自信を失った。」
それだけです。
あと、自己評価が著しく下がりました。
(心理学とかの自己肯定感、
とかとは違います。
単純に自己成績表が下がったというだけです。
それは当たり前です。)
でも、まぁ、
私が頑張ろうが頑張るまいが、
有能だろうが無能だろうが、
神がやってくださることと比べたら、
「誤差」みたいなもんなんだよなぁ、
という達観みたいなものを、
ちょっとだけ学べた気がします。
私が「95点から5点になっちゃったよぉおぉぉ〜」
と泣いていたとしても、
実は「神がしてくださる部分」というのは、
1億点ぐらいあって、
1億95点と、
1億5点ぐらいの差しかないのでは?
みたいなことです。
どこまで伝わってるのか分からないけれど。
病気という濃霧の中を抜けて、
ちょっとだけ視界が良好になってきたところで、
そんなことを考えていました。
とにかく言えるのは、
私の妻は素晴らしすぎる、
ということですね。
妻の徹底した神への信頼と励ましとサポートがなければ、
濃霧の中から脱出できてませんから。
神様には天国に行ったら、
私ではなく妻に、
何らかの賞を上げてほしいです。
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今週の「オープニングトーク」
2020-01-27T14:00:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=442
うつ病の「発作」について
第105号 2019年8月27日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼うつ病の「発作」について▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週は体調不良のため、
メルマ...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼うつ病の「発作」について▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
先週は体調不良のため、
メルマガを発行することができませんでした。
ご心配をおかけいたしました。
まぁ、体調不良でメルマガを発行できなかったことって、
初めてではないのですよね。
たしか2017年の8月にも、
体調が悪くなって休刊しました。
2013年末から2年間、
私は燃え尽き症候運によるうつ病を煩い休職しました。
その療養のことも、このメルマガに何度か触れてきました。
2015年12月に「寛解」して、
2016年1月から仕事に復帰しました。
それから3年が経ちますが、
この間、何度か「症状」が戻ってきて、
長いときは1ヶ月ぐらい、
短いときは1週間ぐらい、
「期間限定」ではあるけれど、
鬱の症状が戻ってきたことがありました。
不思議なことに、
症状が戻ってくる「時期」には一定の法則がありました。
それは「お盆」「正月」「GW」です。
つまり世間が休んでいるときなんですよね。
けっこう誤解している人が多いですが、
うつ病というのは認知(脳)の不具合であると同時に、
身体の不具合でもあります。
脳の働きに影響を与える脳内物質に、
器質的な変化が起きているのが原因なので、
その症状の基礎はあくまで「身体」にあります。
養老孟司がよく言っているように、
「身体」は「自然」に属するので、
脳によってコントロールすることは不能です。
意思の力で腎臓病になれる人がいるでしょうか?
逆に意思の力で腎臓病を治せる人は?
そんなことは不可能です。
「身体」は意思の力でコントロール不能なのです。
ですからうつ病もまた、
意思の力ではコントロール不能です。
ところが「身体」の都合で、
暴力的に、誰にでも襲ってくるうつ病ですが、
その症状は「認知」に現れます。
だから「うつ病は認知が引き起こす」
という間違った推論が蔓延しているのです。
「認知行動療法」が、
その根本に抱えている誤謬はここにあります。
うつ病は「認知の矯正」によっては治せません。
だって器質的な変化がその基礎にあるのだから。
「気の持ちようが悪かったからうつ病になる。
気の持ちようがよくなればうつ病は治る」
という暴論を振り回す人は、
「腸捻転を気合いで治療する」
といっているような危うさを秘めています。
下手したら死ぬ人が現れる。
これは危ない。
私はこれを何度でも言います。
、、、話を戻しましょう。
うつ病に「根治」はありません。
椎間板ヘルニアをやった人が、
生涯にわたって腰痛と付き合い続けるのと同じで、
うつ病を一度患った人は、
生涯にわたり鬱症状と上手に付き合いながら
生きていくことになります。
「俺は根治した」と言っている人は非常に危険です。
その思い上がりこそが身体に無理を強い、
次のうつ病を引き起こし、
そして「自分は健康だという思い上がり」と、
病気になったときの「落差」というのは、
破局的な結果をもたらす原因になりますから。
バナナマンの日村さんがラジオで昔言ってたのだけど、
彼はハンカチにうんこの刺繍をして、
持ち歩いているそうです。
というかドSの設楽さんに持たされているのだけど笑。
その「うんこのハンカチ」の意味は何かというと、
それを観るたびに、一日何回も、
「おまえはうんこのような存在なんだぞ。
思い上がるなよ。
いいか、人がちやほやしたとしても、
おまえはうんこだということを忘れるな!」
という自分への戒めのためなんだそうです。
うつ病を経験した私も、
そのような気持ちでいなければいけません。
「いいか、お前は健康なみんなの仲間だなんて、
思い上がったら駄目だぞ。
お前はいつでも破局のリスクを抱えている。
頑張りすぎるなよ。
大量の仕事を安請け合いしたりするなよ。
自分は人の半分ぐらいしかキャパがないことを、
いつだって忘れるなよ。
人がほめてくれても浮き足立つなよ」
と、自分を戒める必要がある。
私も「心にうつ病の刺繍のハンカチを持つ」
必要があるのです。
ことほどさように、
うつ病には「根治」はなく、
「寛解」しかありません。
寛解したうつ病が「戻ってくる」のは、
だから当たり前のことなのです。
それが私の場合、世間の大型連休と重なる傾向にある。
その原因について私なりに自己分析しますと、
多分世間が休んでいるときに、
無意識の領域とつながっている「身体」が、
「症状を出すなら今だ」というように、
いろんなストレスや疲れを
顕在化させるのだろうと思うんですよね。
そんな気がしてならない。
「今だ、休め!」って。
これもよく言われるのですが、
鬱症状というのは「休め!!!!」という、
身体(器官としての脳)からのSOSサインです。
警報器が鳴り響き、
「休め!!」
と身体がメッセージを発してくれているのです。
、、、で、私の場合、
それが大型連休と重なる。
ところが最後の記憶は2017年のお盆で、
それ以来うつ病の症状は出ていなかったのですよね。
「俺は治った」という思い上がりこそが、
最も危険なことを私は知っていますから、
「おまえは健康などではない。
調子に乗るなよ。
頑張りすぎるなよ。
休みながらやれよ。
思い上がるなよ。」
と普段から言い聞かせ、
前もって休むようにし、
動き回ったらしばらく立ち止まり、
人よりもかなり長時間の睡眠を取り、、、
という予防措置をしていたので、
それが上手くいっていたのだろう、
と私は思っていました。
ハンカチが自分を救ってくれていた、と。
結構俺も、危機管理ができてるじゃないかと。
ところがそれでもまだ、思い上がっていたのですね。
あれは2週間前、お盆の始まる週、
つまり8月12日のことでした。
いつものように朝のルーティンを終え、
デボーションをして、
仕事に移ろうとすると、何かがおかしい。
明らかに何かがおかしい。
先ほど鬱症状の再来には慣れている、
と書きましたが、その症状の辛さが減るわけではありません。
こんなもの、何度やっても慣れるわけがありません。
ヘルニアや痛風の痛さを何度経験しようが、
痛みが減るわけではないのと同じです。
で、「あ、やばい」と思いました。
「あいつ」が帰ってきた、と。
まず、考えられない。
頭に霧がかかったような状態になります。
思考はさび付いた機械のように動きが鈍くなり、
感情面では、心に重い鉛が括り付けられたように、
ずしんと心が重くなります。
感情を表す表情筋はこわばり、
笑顔が引きつり、表情が上手く表せなくなります。
まず最初にできなくなるのはアウトプットです。
高度な情報操作は不可能になります。
次に読書ができなくなります。
左脳を使った言語操作、情報処理ができない。
なので、私の生活にはほぼあり得ませんが、
この2週間、軽い小説を除いて、
ほぼまったく読書ができていません。
メルマガ執筆などできるはずもない。
だから、先週は休んだ、というわけ。
情報処理の回路が回らないので、
基本的に映画も観られません。
あと、テレビなどの気晴らしもあまり効果ありません。
感情の動きがおかしくなってるので、
すべてがネガティブにしか受け止められない。
楽しい番組を観ても苦しいし、
美味しい食べ物と食べても苦しい。
「楽しい、うれしい、幸せだ、希望がある」
という感情が、働かなくなります。
繰り返しますがこれは、
「気の持ちよう」とは関係がありません。
もちろん、信仰ともまったく関係がない。
「信仰があれば鬱にならない(直せる)」
などという寝言を言っている人は、
本当にこの社会から退場すればいいのに、
と思います。
ダルビッシュの言葉を借りるなら、
神龍(シェンロン)に願いを叶えてもらえるなら、
そういった「信仰マッチョイズム」を唱道する人たちが、
どうかこの世界から消えていなくなりますように、
と思います笑。
まぁ、冗談ですけど。
話を戻します。
「あいつ」が戻ってくると、
正常な思考回路はすべて遮断され、
あらゆることがネガティブに解釈されます。
何かをしようとすると、
「これは必ず失敗する」
という声が脳内に響き渡ります。
これを言うのは100回目ですが、
これは信仰があるとかないとか、
そういう話ではまったくありません。
関係がないのです。
信仰に満ちあふれた人がぜんそくになったら、
きっと息をするのが苦しくなると思います。
信仰があってもなくても同じことです。
信仰がある人が鬱になると、
必ずネガティブ思考が暴走します。
ぜんそくの「ゼーゼー」と同じですから、
それは気の持ちようとはまったく関係がありません。
安静にして適切な治療を受けるのが最重要です。
私は「あいつ」のことを、
「うつき」と呼んでいます。
妻が私の闘病中に、
私の病気のことを名付けてくれました。
絵本まで書いてくれました。
それによって私は、
「あいつ」と和解することを覚えました。
禁忌し、毛嫌いし、追い出そうとすればするほど、
症状が重くなるのが「あいつ」の特徴です。
「おぉ、帰省したか」
と、親戚の甥っ子を歓迎するような気持ちで、
受け止め、懐かしみ、抱きしめてあげるのが「吉」です。
とはいえ、
症状は苛烈なわけですよ。
やっぱり。
「死にてー」と毎日思います。
冗談とかじゃなく。
希死念慮も症状の一つですから、
「そんなこと思っちゃだめだ!」
みたいなのはまったくナンセンスですから、
これも言っておきます。
100回目ですが。
とにかく、
「生きるエネルギー」という川の水が、
ある日突然、水道のポタポタぐらいの水量になる、
みたいな感じです。
家庭の電力のアンペア数が、
ある日突然100Aから1Aになるようなものです。
豆電球一つでブレーカーが落ちる。
あー、うつきが帰省したなぁ。
そう思った日から、
私は2年間ご無沙汰していた、
据え置き型のゲーム機を引っ張り出しました。
うつ病の症状に対する、
いくつかある私の対処法の引き出しのひとつが、
「ゲーム」なのです。
ゲームはひとつの逃げ穴になります。
知的な操作が働かない。
感情が動かない。
ネガティブ思考の溶鉱炉が暴走する。
楽しいことが楽しくなく、
うれしいことがうれしくなくなる。
コーヒーを入れる力も失われる。
聖書を読むのもつらい。
パソコンを開いても、仕事らしい仕事ができないので、
次第にパソコンを観るのもつらくなってくる。
▼▼▼ぜんそく発作とうつ病とゲームと
予定されていた奉仕などはこなしました。
お茶の水クリスチャンセンターで打ち合わせをしたり、
日曜日に教会でメッセージをしたりしました。
18日、25日の2回。
そういうときは、本当に神の助けがあり、
なんか、できるのです。
いや、させていただけるのです。
その翌日は使い物にならなくなりますが。
しかし、それ以外は基本的にゲームをしていました。
別に楽しいわけではないけれど、
ゲームを起動することで思考を麻痺させるために。
「とにかく休め」という身体からのサインなので。
あと、週に2,3回、ジムにも行きました。
身体を動かすことで何かが好転するかもしれない、と。
しかし、ジムで涙が出てくるんですよね。
そもそもジムで鍛え始めたのって、
病気で劇落ちした体力を、
すこしでも取り戻して、
生まれてくる子どもと遊んだり、
家族を養う労働に精を出したり、
そういうことが目的だった。
それなのに、今の俺は何だ。
いったい何なんだ。
病気の前にあまりに無力で、
悔しくて、情けなくなって、
デッドリフトのインターバルで、
ベンチに座っていたら涙が出てきました。
無力感や悔しさからか、
病気の症状からかは分かりませんが。
多分、両方です。
ジムの良いところは、
涙が出てきても、
汗だか涙だかわからないところですね。
タオルで顔を拭けば容易にごまかせる笑。
とにかくそんな感じで、
結構「追い詰められ感」があるんですよね。
仕事→できない
アウトプット→できない
読書→できない
みたいに、
できたことがどんどん潰されていって、
「コーナーに追い詰められる」感じというか。
その最後の最後のコーナーのひとつがゲームです。
ゲームって、前頭葉を麻痺させるんですよね。
だから、思考を停止させてくれる。
ネガティブ思考の暴走が止むんです。
あと、時間をすげー「食ってくれる」。
身体と頭を休ませ、
時間の経過を待つことが、
うつ病の万能薬なのですが、
その「時間を過ごす」ことが非常につらい。
みんなは働いているのに俺は休んでいる、、、。
このままでは俺の人生はどうなるんだ、、、。
とか思いながら、
罪責感と焦燥感に押しつぶされそうになり、
ぐっと手の甲を噛んで、
椅子に座って打ち震えている、、、、
みたいな時間が、
本当につらいのです。
本当に、本当につらい。
私は小学生のときぜんそくの発作を抱えていましたが、
ゼーゼーいいながら、
呼吸がつらいよー、
っていうこと以外何も考えられず、
椅子に座っている時間は永遠に思われました。
ところがぜんそくのときも、
一瞬、ゲームに夢中になれたりします。
そのときは2時間があっという間に過ぎる。
大人になっても同じ手法を使っています。
、、、とはいえ、
ゲームですらできない、
という極限状態になることもあります。
そのときは、
布団に横になり、
くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンを聴きます。
そうすると寝られる。
私は有田と上田にいつも救われています。
、、、今はどうか?
「ゲームの時期」は過ぎて、
できません。
ゲームのスイッチを押せないフェイズに入った。
読書?
できません。
できるわけないじゃないですか。
でも、昨日ぐらいから、
時間限定で、
普段の半分ぐらいですが、
仕事をできるようになりました。
嘘みたいに。
経験的にこの3年間、
短期の症状の再来は、
発症も嘘みたいですが、
治るときも嘘みたいに治ります。
そろそろ「うつき」も役割を終え、
自分の故郷に帰っていくころかなぁ、
と思いながら、
でも、「早く帰れや!仕事したいねん!」
という悪意は出さないように、
丁重にお引き取りいただく、
というような態度でいます。
「来てくれてありがとう」と。
俺に休みが必要なことを教えてくれてありがとう、と。
うつきは「神からの使者」だと思ってますから。
アブラハムが天使をもてなしたように、
私はうつきをもてなします。
そんなわけで、
うつきが今のところ半分帰っているので、
「いまだ!」と思って急いでメルマガ書いてます。
先週急に休刊して、
いろんな人にご心配をおかけしたので、
早く病状報告せねば、と思って。
そんなわけで、来週もどうなるかわかりませんが、
まぁ、そんな感じです。
別に大変じゃないわけじゃないけど、
大変なわけでもありません。
安心してください。
自分でも何を言ってるか分かってません笑。
そんな感じです。
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今週の「オープニングトーク」
2020-01-20T13:58:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=441
陣内が先週読んだ本 2019年7月21日〜8月4日 『光の子と闇の子』他
第104号 2019年8月13日配信号
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年7月21日〜8月4日
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先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
と...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年7月21日〜8月4日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●調べる技術 書く技術 誰でも本物の教養が身につく知的アウトプットの極意
読了した日:2019年7月24日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:佐藤優
出版年:2019年
出版社:SBクリエイティブ株式会社
▼140文字ブリーフィング:
月に500冊の本を読み、
膨大な冊数の本を書き、
大学の客員教授として教え、
ラジオ番組で情勢を解説し、
政府や官僚にもコンサル的に関わる、
「知の巨人」佐藤優氏の、
「インプット・アウトプット術」を、
公開しているのがこちらの本。
いろんな学びがありましたが、
私が共感したのは、
「SNSとメッセンジャーアプリは、
使わない方が良い」
という部分ですね。
引用します。
→位置No.722
〈今やSNSを使っていない人のほうが
珍しいくらいかもしれないが、
知的かつ充実した人生を送りたいのなら、
すぐにでもやめたほうが良い。
「日に1時間まで」などと決めれば良いという人もいるが、
おそらく時間制限を設けても、
形骸化してしまうのが関の山だ。
なぜならば、SNSは始めたら最後、
どんどん時間を費やしてしまうものだからである。
この中毒性ゆえに、全世界でこれほど広まっているのだろう。
だが、冷静になって考えてみて欲しい。
誰がどこで何をしたか、何を食べたか、
そんな情報を、常時、本当に得たいだろうか。
時間は有限であり、しかもすべての人に平等に与えられている。
その限られた時間を、インプットやアウトプット、
あるいは楽しみや休養(楽しみ方、休み方は後述する)のために使うのと、
どうでもいい情報を得るのに使うのとでは、
知的生産力に格段の差が出る。
どれくらいの差かといえば、
SNSを使うか、使わないかで、生涯所得を出世が左右される。
そういっても過言ではないほどの差である。
そう聞けば、少し考えが変わるのではないか。〉
→位置No.731
〈SNSと並んで、あまり使わないようにしたいのは、
フェイスブックのメッセンジャーや、
ラインなどのメッセージツールだ。
(中略)
問題は、やはり時間の浪費である。
たとえば、仕事中、思考中に、メッセンジャーやラインで、
次々と仕事とは関係のないことが送られてくる。
そのたびに自分の仕事や思考が中断される。
さらには、読んだら即レスするのが、
こうしたメッセンジャーツールの掟と見做されているので、
たびたび返信の手間も割かねばならない。
こうしたツールに既に慣れている人にとっては、
すべて一瞬のことで気にならないのかもしれない。
しかし、自分の貴重な時間を分断され、
一瞬の無駄を積み重ねてしまっていることに
無自覚でいるとしたら、問題だ。
たびたび送られてくるメッセージに自分の時間を攪乱されて、
何かに腰を据えて取り組む、
何かに思索を巡らすのが困難になることは、
知的生産力の低下を意味する。〉
、、、SNSとメッセンジャーアプリは、
「すぐにでもやめろ」。
これが佐藤さんのススメです。
私もそう思います。
知的に充実した人生を送りたければ、
スマホは今すぐにでも捨てましょう笑。
(誰も捨てないのを知ってるからこそ言ってます笑)
ちなみに私はスマホを持ってません。
この箇所を軸に、
一本の動画を作りました。
興味のある方はご覧ください。
▼参考動画:私がスマホを持たない理由
https://youtu.be/oucA3ODDmXE
(1,234文字)
●遅刻してくれてありがとう 常識が通じない時代の生き方(下)
読了した日:2019年7月24日
読んだ方法:Amazonで電子書籍購入
著者:トーマス・フリードマン
出版年:2018年
出版社:日本経済新聞社
リンク:
https://goo.gl/8ikgop
▼140文字ブリーフィング:
この本はKindleで買い、
半年ぐらいかけてちょっとずつ読みました。
読了したのは数ヶ月前なのですが、
Kindleの読書メモをEvernoteにやっと最近まとめたので、
紹介できるというわけ。
本書はあまりにも多義的で、
様々な内容がひとつに凝集しているので、
語り始めたら時間(文字数)がまったく足りません。
本書の上巻では、
著者が「加速の時代」と呼ぶ21世紀に、
私たちはどのように生きれば良いのか?
ということが語られます。
私が最近気に入っている言葉「動的安定」は、
本書の上巻で読んで以来ずっと心に留まっています。
下巻はユニークで、
「加速の時代」に、
アメリカはどうやって立ち直れば良いのか?
という問題設定になっています。
著者がアメリカ人だからそうなるのですが、
本書の内容はすべての国家に応用可能です。
著者は言います。
グローバル化し、インターネット化し、
高齢化し、環境破壊が進み、
既存の価値観が崩壊する21世紀に、
どうすればもういちど国家は立ち直れるのか?
キーワードは「多元的共存」と、
「コミュニティ」なのだと彼は言います。
それは彼の生まれ育った、
ミネソタ州セントルイスパークと関係があります。
セントルイスパークはアメリカのコミュニティの中でも、
空洞化せず足腰強く今も成功者を多数送り出している、
例外的なコミュニティなのだ、と著者は言います。
そして自身が育ってくる中でした様々な経験が、
彼を世界というものに対し開かれた態度を与え、
そして今ジャーナリストとして成功する基盤を与えてくれた、
というのです。
ちなみに哲学者のマイケル・サンデルも同じ町の出身であり、
さらに多くのアメリカ社会を代表する知識人や識者が、
この町から排出されています。
なぜそんなことが可能だったのか?
それがセントルイスパークにあった、
「多元的共存」と、
「足腰の強いコミュニティ」だ、
というのが著者の結論です。
アメリカの歴史に詳しくないので、
本書で初めて知ったのですが、
ミネソタ州セントルイスパークは、
当初フィンランドなど北欧系の移民が住み着いたのだそうです。
大陸からアメリカに住み着いた人の中で、
最もオーソドックスなのは英国人ですね。
最初、アメリカは植民地であり、
イギリスがその宗主国だったわけですし。
次にフランスやドイツなどの移民が入ってきます。
イタリアなどカトリック系の移民は後から入ってきました。
マフィア映画を観ると彼らが活躍するのは、
後から移り住んだ彼らは社会のなかで地位が低く、
裏社会でお金を稼ぐしか方法がなかった、
といった理由があります。
日本のヤクザと在日朝鮮人の関係が深いのと似ています。
そして北欧系。
彼らも移民してきたのが遅かったので、
東海岸の大都市ではなく、
もっと内陸部の、
誰も住まないような寒い場所を開拓し、
コミュニティを形成しました。
ノースダコタ州を舞台にした映画「ファーゴ」では、
彼らの「強い訛り」が再現されていますが、
あれは日本で言うと「東北弁」なんですよね。
つまり北欧なまりの英語を話す。
つまりアメリカ社会のなかの、
マイノリティ民族が作ったのが、
セントルイスパークでした。
さらにそこに、「もっとマイノリティな人々」が入ってくる。
それが「ユダヤ人」でした。
よく知られていることに、
銀行業を始めたのがユダヤ人だ、
というのがありますが、
それは先ほどのイタリア移民とよく似ていて、
ユダヤ人はヨーロッパ社会のなかで、
周期的に差別と迫害にさらされていたので、
地主になったり工場主になったりといった、
正当な商売や製造業をする「免許」をもらえなかった。
彼らが始めた「苦肉の策」が金融業でした。
それが数世紀後に莫大な富の源泉となるなど、
彼らは思ってもなかったはずです。
「これしか仕事がないから」そうするしかなかったのです。
話がそれますが、
インドのIT産業の興隆も同じです。
カーストの低い人々の職業は、
いちじるしく制限されているのがインド社会ですが、
「IT」というのは、今までなかった職業なので、
低いカーストの人々でも頭脳さえ優秀なら参入できた。
これがインドのIT業の強さの秘密と言われています。
ユダヤ人も「今までなかった仕事をつくる」以外に、
道がなかったからそうしたのであって、
彼らが世界を支配するためにそうしたのだ、
みたいな陰謀論には皆さん、
飛びつかないようにしましょう。
、、、話を戻しましょう。
北欧系移民が作った
セントルイスパークに、
今度はユダヤ人が入ってきます。
ユダヤ移民はアメリカ社会のなかでマイノリティであり、
今では信じられませんが、
ちょうど現代アメリカの黒人やヒスパニックのような扱いを受けていた。
彼らはキリスト教を信じず、
ユダヤの儀式をしているから、
「気色悪いよそ者」と映ったわけです。
セントルイスパークはそこで、
ユダヤ人を排除する方にではなく、
彼らを社会に包摂する道を選びました。
そして北欧系の移民とユダヤ人の、
「多元的共存による化学反応」が、
町の生産力の向上になり、
産業やコミュニティを強めました。
さらに20世紀になると、
黒人やアジア人やヒスパニックも、
この町にたくさん来るようになりました。
マイノリティの移民が来たときに、
どのように包摂すれば良いのかを、
この町は歴史を通して学んでいますから、
彼らもまた包摂していきました。
そんなふうにして、
「多元的に共存できる力」をもった、
セントルイスパークは、
「有能な人の才能が開花する、
肥沃な土壌を持つコミュニティ」となった。
これが著者の分析です。
そして著者は言います。
アメリカの希望は、
「このようなコミュニティが、
全米の各地に点在していることだ」と。
右派は「愛国心でアメリカをひとつに」と言います。
左派は「社会保障でアメリカをひとつに」と言います。
しかしどちらも間違っている、とフリードマンは書きます。
なぜか。
「連邦政府」と「自由な個人」が、
アメリカの基礎だと考えているという点で、
問題設定が間違っているからです。
そうではない。
億単位の「マクロな国家」ではない。
一人の「ミクロな個人」でもない。
その中間こそが問題を解決するのだ、
というのが著者のメッセージです。
つまりそれは「町」です。
「家族やコミュニティ」です。
そういったコミュニティの足腰を強めることこそが、
トランプ的なアメリカ・ファーストでもなく、
サンダース的な共産主義でもない、
「第三の道」なのだ、ということです。
これって、日本にもまったく同じ事が言えますよね。
最後に「ようはコミュニティだよ」
という著者のメッセージの部分を引用します。
→位置No.5075
〈だが、トランプが就任式で述べたディストピア演説は、
そういう実像とはかけ離れていた。
トランプは、アメリカは膨大な
“大虐殺”に捕らえられた国だと表現した
――「錆び付いた工場が墓石のように散らばっている」光景が、
強権を振るう男を求め、
”アメリカ・ファースト”の方針の下、
盗まれた雇用を国際社会から取り戻せと叫んでいるのだ、と。
あまりにもショッキングな演説だったので、
就任式の舞台にいた
ジョージ・W・ブッシュ元大統領が周囲の人間に
「ほんとうに不気味なたわごとだ」
とささやいたと伝えられている。
ブッシュに同感だ。
アメリカでコミュニティの没落が蔓延しているという
トランプの意見は正しい。
しかし、繁栄しているコミュニティも豊富に存在することを、
トランプは見落としている
――ワシントンDCで強権を振るう人間のおかげではなく、
地元レベルに強力な指導者がいるからだ。
それだけではなく、アメリカが、
東海岸および西海岸(勃興し、現代化し、
多元的共存を実現し、グローバル化している)と、
そのあいだの内陸部(雇用が消滅し、薬物中毒がはびこり、
トランプに1950年代に戻してもらうことをだれもが期待している)
に分断されている国だという
突拍子もない考えは、まったくの的外れだ。
私はアメリカ各地を旅した観点から、
大きな分断は東西海岸と内陸部の間にあるのではないと断言する。
分断は、強力なコミュニティと弱いコミュニティの間にある。
東海岸にも西海岸にも弱いコミュニティはあり、
アパラチアにも栄えているコミュニティはある。
その逆のことも言える。
大事なのはコミュニティだ、馬鹿だな
――地理じゃあない(It's the economy, stupidのもじり)。
セントルイスパークとミネアポリスは、
たまたま私が知っている場所なので、
本書で大きく取り上げた。
だが、ここ数年の旅で、
ほかにも数多くの繁栄している地方があることを、私は知った。
だから、その裏付けを取るために、
2017年5月、私はアメリカ内陸部を4日かけて車で旅行した
――インディアナ州オースティンからはじめて、
ケンタッキー州ルイビルへと南下し、
アパラチアのくねくねとした道路を走って、
最後にはテネシー州のオークリッジ国立研究所まで行った。
この旅行をもとに、
私は《ニューヨーク・タイムズ》に長いコラムを書き、
現在のアメリカには栄えているコミュニティと
落ち目のコミュニティが、
不規則な模様をなして混在していると力説した。
*"It's the economy, stupid"
(日本語訳:経済こそが重要なのだ、愚か者)は、
アメリカ合衆国の政治においてビル・クリントンが
ジョージ・H・W・ブッシュに対して勝利を収めた
1992年アメリカ合衆国大統領選挙の最中、
広く使われた言い回しである。
→位置No.5251
〈結論――これは祖父母のアメリカではないが、
トランプのアメリカでもない。
大虐殺と工場の墓場の荒れ地ではない。
じつはビル・クリントンのアメリカなのだ。
クリントンはかつて、有名な言葉を述べた。
「アメリカの良さで治せない、
アメリカの悪いところは、1つもない」
その考え方は、現在の状況をぴたりと言い当てている。
そして、いまはまさにそれが必要なのだ。
いまのアメリカの悪いところは、
無数のコミュニティ、田園地帯、
都市部の多くが崩壊していることだ。
しかし、いまのアメリカの良さは、
団結して、市民が自分の将来に責任を持てるように
スキルとチャンスを得るのを手助けしている
コミュニティや地域も、無数にあることだ。
それらの成功物語を、私たちは直視し、
共有して、規模拡大する術を学ばなければならない。
強権をふるう男ではなく、
強力なコミュニティのみが、アメリカを再び偉大にする。
そして、そういうコミュニティが数多くあり、
さらに増えるはずだという事実が、
私が今なお楽観主義者でいられる理由なのだ。〉
、、、強いコミュニティこそが国を強くする。
私も同感です。
「日本の良さで治せない、
日本の悪いところは、ひとつもない」
と私たちも言いたいですよね。
じつは「マクロな経済政策」だとか、
「個々がもっとイノベーティブに!!」とか、
そういう国家か個人という両極ではなく、
「中間共同体」の重要性はもっと語られるべきです。
日本の希望って、
あまり語られていないけど、
昨今の宝塚市などの実践にあると思うのですよね。
ああいったコミュニティを強くする政策が、
都市から都市へ、
コミュニティからコミュニティへ、
「一律的に」ではなく、
「野火のように感染して」
広がっていくことが、
私は日本の未来を明るくすると思います。
(4560文字)
●決壊(上)
読了した日:2019年7月25日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:平野啓一郎
出版年:2008年
出版社:新潮社
リンク:
https://bre.is/EEdBDf2rd
▼140文字ブリーフィング:
これもたしかインドで読了しました。
平野啓一郎は好きな作家のひとりです。
『マチネの終わりに』は、
もう、めちゃくちゃ面白いです。
そんで、今年蒲郡に行ったとき、
彼が蒲郡市出身だと知り、
さらに他の作品も読みたくなりました。
何を隠そう、
私の母は蒲郡出身で、
私は蒲郡の病院で生まれましたから。
「同郷の若手の作家」が活躍してるんです。
もっと作品を読みたい、って。
本作の出版は10年前です。
90年代の神戸の事件の「少年A」と、
ネット文化、アメリカで起きたテロなど、
様々な要素が絡んでいる長編小説で、
ひとことでは語りきれません。
この人の小説って、
話の筋書き自体よりも、
主人公たちの会話の中に出てくる言葉が、
鋭くて社会や宗教や家族や友情や、、、
そういったものについて考えさせるようになっている。
ドストエフスキーの小説がまさにそうですが、
彼は日本のドストエフスキーになろうとしてるのでは?
と私は思っています。
(393文字)
●決壊(下)
読了した日:2019年7月25日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:平野啓一郎
出版年:2011年
出版社:新潮社
リンク:
https://bre.is/kYvK2gAlD
▼140文字ブリーフィング:
「赦しの不在」が現代社会の宿痾です。
「ネット私刑」や、道徳自警団、
週刊誌による有名人のつるし上げと、
リンチに群がるワイドショーおよびネット言論空間。
そういったものって、本当に辟易とするのですが、
それは社会が「赦し」を学ばないからだと私は思っています。
平野啓一郎は「その理由」にまで分析を掘り下げます。
それは「つながりを捨てられないから」だと。
オキシトシンがそうさせているのだ、と。
唸らされましたね。
引用します。
→位置No.5870
〈世間で言うところの「被害者への共感」っていうのは
――いいかい?――それは少なくとも、
この俺が感じていることとは何の関係もないんだよ!
だけど、今の社会は、
そうした共感による共同体という夢を、決して断念できないね。
家畜の豚みたいに品もなく貪り続けてる。
あらゆる他者との距離をゼロにして、
分かる、分かるって相槌だけでベッタリ結び合うようなね。
・・・ヘドが出るよ。」
崇は、足を組み直して、身を乗り出すと、語気を強めた。
「そういう社会はね、
赦しの契機をどこまでも先延ばしにするだろうね。
だって、赦さないことで、
人間は同じ一つの感情を共有して、
互いに結び合うことができるんだから!」〉
(502文字)
●ローマはなぜ滅んだか
読了した日:2019年7月25日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:弓削達(ゆげ・とおる)
出版年:1989年
出版社:講談社現代新書
リンク:
https://bre.is/qUANmwbk0
▼140文字ブリーフィング:
30年前に書かれた本ですが、
内容が古くなっていないのに驚きました。
塩野七生とか好きな人にとっては常識かもしれないですが、
ローマの道路であったり税制であったり、
進んで他国の文化の良いところを取り入れる姿勢であったり、
その繁栄の原因は現代にもヒントを投げかけます。
それ以上に現代のヒントになるのは、
その「滅亡」の原因です。
ローマが滅びたのは、、、と著者は言います。
それは、「中心」だった地中海が、
いつのまにか「周辺」になり、
「周辺」だったゲルマン人の文化が、
やがて「中心」になるという、
「中心と周辺の逆転」だった、と。
それをもたらしたのは、
ローマ人が奢ったことによる「排外主義」だった、
と著者は分析します。
ゲルマン人たちによって繁栄を謳歌していたのに、
そのゲルマン人たちの文化を取り入れるのではなく、
彼らを抑圧する方向に世論が動いた。
その直接の結果がローマの滅亡だった、と。
現代世界を見ましょう。
ドイツがヨーロッパで勝っているのは、
多くのトルコ人移民がいるからです。
アメリカが世界最強国なのは、
ユダヤ系移民、アジア系移民、
黒人、ヒスパニック系、
彼らがアメリカに富をもたらしているからです。
その事実に無自覚となり、
排外主義に陥るならば、
彼らの未来は暗いだろう、と歴史は示唆しています。
これは日本にも言えることですが。
(555文字)
●精神医療に葬られた人びと 潜入ルポ 社会的入院
読了した日:2019年7月28日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:織田淳太郎
出版年:2011年
出版社:光文社新書
リンク:
https://bre.is/HkTw0pOZD
▼140文字ブリーフィング:
双極性障害で精神病棟に入院した著者が、
そこで「入院歴40年」の患者に出会うことで、
これはむしろ医療制度のほうがおかしいのでは?
と調査を始めた本書。
ショッキングな内容でした。
「社会的入院」という言葉があります。
「本来の治療目的で病院に入院しているのではなく、
生活条件が整っていないため長期入院を続けている状態、
またはその状態の患者」を意味します。
なんと現在日本には、
世界でも類のない15万人から20万人の
社会的入院者が存在すると言われているのです。
ちなみに総入院者は31万人強ですから、
その半分から3分の2が、
「社会的入院者」なのです。
なぜそうなるのか?
それは日本の精神病医療の暗い歴史と、
制度設計の失敗、
それを場当たり的にしか対応してこなかった結果生まれた、
「病院の経営のために入院患者を必要とする」状況です。
ある病院では、入院者のことを「固定資産」と呼ぶ、
そんなひどい事例もあるそうです。
引用します。
→P63
〈そして、ここに病院の経営問題が絡んできます。
日本の精神病院はその八割強が民間で占められている。
病床数に関しては、全体の九割が民間の所有です。
つまり、たえず満床にしておかなければ、
経営が安定しないという病院側の事情を
無視することができないわけです。
(中略)
それに関連して、私にはかつて驚いた経験があります。
民間病院の院長二人と食事をしたときでしたが、
院長同士が『うちの固定資産の数は』などと話を始めたんです。
てっきり病院の建物や土地の話だと思って聞いていたら、
抱えている長期入院患者のことだったんですね。
今はどうか分かりませんが、
以前は入院患者を『固定資産』とする
隠語がまかり通っていたんですよ。〉
(704文字)
●ブラック・スワン(下) 不確実性とリスクの本質
読了した日:2019年7月29日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ナシーム・ニコラス・タレブ
出版年:2009年
出版社:ダイヤモンド社
リンク:
https://bre.is/e-HNQVCcR
▼140文字ブリーフィング:
これはレジェンド級に面白かったので、
ここではなく、またいつか、
改めて「本のカフェ・ラテ」とかで解説しようと思います。
この数年に読んだ本の中で最高に面白かったのが、
タレブの『反脆弱性』なのですが、
その一作前の『ブラック・スワン』には、
なぜ彼がそう考えるようになったのか、
という舞台裏が書かれている感じです。
「バーベル戦略」についての理解が深まりました。
(175文字)
●なぜ女は男のように自信を持てないのか 原題:The Confidence Code
読了した日:2019年7月29日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:キャティーケイ&クレア・シップマン
出版年:2015年
出版社:CCCメディアハウス
リンク:
https://bre.is/7yA5iNHrD
▼140文字ブリーフィング:
タイトルは「女はなぜ、、、」ですが、
OECD諸国で「自尊感情」が最下位の日本では、
「日本人はなぜ自信がないのか?」
とこの本は読み換え可能です。
本書はアメリカ社会の第一線で活躍しながら、
いつも不安と戦っている、と白状する、
2人の女性によって執筆されています。
遺伝的要因、文化的要因、
教育の影響、生化学的影響など、
様々な面から多角的に分析されていて、
かなり面白くて一気に読みました。
著者たちが辿り着いた自信の定義は、
私たちが考える「自信」とはちょっと違っていて、
面白かったのでご紹介します。
→P87
〈「自信とは、思考を行動に変換するものである」
この簡潔さは、美しく、説得力があった。
(中略)
もし自信が、自分は成し遂げられるという信念であり、
行動を誘発するなら、その行動を取ることで、
もっと自信を生むことができる。
そして、努力や成功、そして失敗をも通して、蓄積されていく。〉
→P92
〈極端に言うと、
自信は「想像するだけの人」と
「実際にやる人」を区別する性質である。〉
、、、自信があるというのは、
「威張っている」ということでもないし、
「自分にうぬぼれている」ということでもない。
自信がある人は考えを実行に移し、
自信がない人は考えているだけ。
この差が自信だというのです。
すごーく腑に落ちましたね。
あともうひとつ面白かったのは、
鏡の前で「あなたは最高の人間。
あなたはとても大切な人間」と、
自分に言い聞かせるタイプの、
「自己承認プログラム」は、
自信を深めるどころか、
逆に自尊心を低くする、
という研究結果です。
なぜか?
人は自分が本心で思っていることと、
自分の発言が矛盾していると不安になるからです。
では本当の自信はどこから生まれるのか?
「トライアンドエラー」を繰り返すことです。
小さな失敗を無数にすればするほど、
人は「本当の自信」を手に入れます。
日本人がなぜ自信がないのか、
ここで見えてきますね。
「失敗を恐れる」からです。
だから行動しない。
そうすると自信が育たない。
そうするとさらに行動しなくなる。
、、、という無限スパイラルが、
日本社会には働いています。
いろんなことに挑戦してきた私は、
日本社会では異端者ですが、
「ほんとうの自信」を育むという意味では、
自分のしてきたことは間違ってなかった、
と本書を読んで認識できました。
(1,129文字)
●減速して自由に生きる ダウンシフターズ
読了した日:2019年8月1日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:高坂勝
出版年:2014年
出版社:ちくま文庫
リンク:
https://bre.is/WHMuX6eox
▼140文字ブリーフィング:
「ダウンシフターズ」というのは、
「もっと速く、もっと豊かに、もっと多く」
という資本主義の価値観に反旗を翻し、
「ゆっくり歩いて、たまには寄り道して、
過度な成長や消費は謹んで、、、」
という生き方のことを言います。
著者は大手小売り会社に勤めていたとき、
「売る必要のない安価なカシミヤストール」
を大量に売る競争をしていたのですが、
そのストールがモンゴルと中国の国境で、
環境を破壊することによって作られている事を知り、
仕事に対する情熱を失います。
仕事を退職して1年間世界を放浪した後、
池袋に「たまにはTSUKIでも眺めましょ」という、
敷地面積6畳の小さなバーを開店します。
このバーはなんと「週休3日制」。
それでも無駄な消費をせず、
贅沢を慎み、余った時間で農業をして「食料を自給」するなら、
ちゃんと固定客がついたバーでは利益を出し、
会社員時代以上に豊かな生活を送れるどころか、
ちゃんと貯金までできる、
ということを身を持って証明します。
「ミニマリスト」よりも、
自然とか環境とか幸せとか、
そういったことに配慮していて、
私はとても好きなタイプの生き方でした。
(442文字)
●光の子と闇の子 デモクラシーの批判と擁護
読了した日:2019年8月1日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ラインホルド・ニーバー 解説:佐藤優
出版年:2017年(英語初版1944年)
出版社:晶文社
リンク:
https://bre.is/suKMlb3ca
▼140文字ブリーフィング:
「古典の域」の本です。
ラインホルド・ニーバーはアメリカの神学者で、
歴代のアメリカ大統領にも愛読者が多く、
オバマ大統領もたしか「光の子と闇の子」を、
座右の書だと言っています。
「いつか読みたいな〜」と思っていた古典でしたが、
案外早く読めました。
結論から言いますと、
めちゃくちゃ面白かったです。
死ぬまでに読めて良かった。
本書は1944年、
第二次世界大戦中、
ドイツと日本が降伏する直前に、
ニーバーがスタンフォード大学でした講義をもとに執筆されました。
とびらに聖書の言葉が出てきます。
「この世の子らは、その時代に対しては、
光の子らよりも利口である。」
ルカによる福音書16章8節
本書で言う光の子とは何か?
近代デモクラシー文明、
資本主義と共産主義のことを言います。
闇の子とは何か?
ナチズムや集産主義のことを言います。
第二次世界大戦の枠組みで言うと、
光の子が連合国、
闇の子が日独伊の三国同盟です。
ニーバーは「光の子」は愚かだ、と指摘します。
それは資本主義も共産主義もともに、
「原罪」を見落としているからだ、と。
この警告はじつは今も有効です。
共産主義が滅びたのは、
「権力としての財産」を社会共有にすれば、
権力の独占がなくなりユートピアが訪れる、
という前提のなかに、
「財産によらぬ権力基盤」があることを見落としていたからです。
そのため、共産圏では官僚主義による権力の独占が置き、
その軋轢に耐えかねて最後は瓦解しました。
資本主義はどうでしょうか?
資本主義もまた、
「人間に原罪があり、
常に私利私欲を求めるものだ」
という認識が甘いため、
1パーセントの富裕層が、
国民の財産の半分以上を寡占する、
といういびつな偏りが生じており、
この状況がいつまでも続くかどうかは怪しい。
共産主義と同じく、この軋轢に耐えかね、
資本主義も瓦解するかもしれません。
すでにそのほころびは見え始めています。
ニーバーは言います。
「資本主義の理想」や、
「社会主義の理想」の中に埋没するナイーブさを捨て、
私たちは蛇のように賢くならなければならない、と。
→P46
〈デモクラシー文明の保存には、
蛇のような賢明さと、鳩のような柔和さとが必要である。
光の子らは、闇の子らの悪意から自由でありつつ、
闇の子らの知恵で自らを武装しなくてはならない。
光のらは、人間社会における私的利益の力を、
道徳的に是認することなしに、
よく知っていなくてはならない。
光の子らは、個人的、および、集団的私的利益の力を、
コミュニティのために、なだめたり、
そらせたり、統制したり、
抑制したりすることができるように、
この知恵を具備していなくてはならない。〉
、、、個人的私利私益の力の何が悪いか?
それはコミュニティを破壊するからです。
これがアメリカでも日本でも、
あらゆる先進国で、そして新興国でも、
現在進行形で起きていることです。
私利私欲の無条件な肯定は、
コミュニティを破壊するのです。
私利私欲が「神の手」によって調整され、
経済は発展し、全員が豊かになる、
とアダム・スミスは「国富論」で説いたじゃないか!
と資本主義者は主張するでしょう。
しかしこれは「国富論」の「誤読」だ、
とニーバーは指摘します。
アダム・スミスは同じ国富論の中で、
「私利私欲は必ずコミュニティを破壊するから、
蓄財した個人は、
その財産を自分だけのものと考えず、
自分だけでなく、広く社会、人類の公益のために、
おしみなく分け与える義務を負う」
と言っているのです。
資本主義者(リバタリアン)は、
この部分を意図的に読み落とすことによって、
社会を破壊してきたのです。
ニーバーの警告は古くて新しい問題です。
これもいつかもっと詳しく紹介したいけど、
文字数の関係で今日はここまで。
(1,543文字)
●不完全性定理とはなにか ゲーデルとチューリングの考えたこと
読了した日:2019年8月1日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:竹内薫
出版年:2013年
出版社:ブルーバックス
リンク:
https://bre.is/G_eok2Fum
▼140文字ブリーフィング:
翻訳家の竹内薫さんの訳書は、
どれも面白くて好きなんですよね。
ただ、この本はちょっと、、、でしたね。
めちゃくちゃ分かりやすく書こうとしてるんだけど、
それは言葉遣いだけであり、
じっさいはかなり難しい説明になっちゃってる、
っていう感じです。
サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』とかと逆ですね。
ゲーデルの不完全性定理っていうのは、
「公理系が無矛盾であることは、
その公理系のなかでは証明出来ない」
っていうやつです。
あと、タイトルのチューリングの話っていうのは、
「プログラムがエラーを起こすことを、
完全に予測して予防するようなプログラムは、
そのプログラム内では書けない」
っていうやつです。
チューリングはちなみに、
コンピュータの生みの親です。
このふたつはとても大切な定理で、
数学的な証明はかなり難しいんですが、
その背後にある論理というのは、
いわゆる「嘘つきパラドックス」と呼ばれるものだ、
というのがこの本を読んで理解出来ました。
嘘つきパラドックスっていうのは、
「私は嘘しか言いません」
と言っている人は、
果たして嘘つきかそうでないのか?
という問題です。
もし本当に嘘しか言わないのなら、
「私は嘘しか言いません」という言明は、
本当のことになってしまうので矛盾する。
もしこの言明自体が嘘ならば、
彼は本当のことを言う人なので、
彼の言明と矛盾する。
つまり、彼が嘘つきかどうか知るためには、
彼以外の証言者が必要になるのです。
それを数学のことばでやったのがゲーデル、
プログラムの言語でやったのがチューリングだった、
という話ですね。
(652文字)
●世界にバカは4人いる
読了した日:2019年8月2日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:トーマス・エリクソン
出版年:2019年
出版社:フォレスト出版
リンク:
https://bre.is/WNKH4tr9N
▼140文字ブリーフィング:
スウェーデンで85万部売れたそうです。
スウェーデンの人口って1000万人以下ですから、
日本に換算すると1000万部売れた本、
ということになります。
この部数に惹かれて読んでみました。
結果、わりと普通の本でした笑。
人間を
人間関係重視かタスク重視か
積極(外向)的か内向(消極)的か、
という2つの軸で分類すると、
4種類に分けられます。
人間関係重視かつ積極→黄
人間関係重視かつ内向→緑
タスク重視かつ積極→赤
タスク重視かつ内向→青
となります。
これってヒポクラテスの四体液説とほぼ同じなんですよね。
それで、各色の性格を分析し、
相性なんかも分析する、っていう、
日本でときどき流行る血液型性格分析に、
かなり近い話です。
本書について、
近々動画をアップロードする予定です。
ホワイトボードを使って解説します。
お楽しみに。
(340文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:『光の子と闇の子』
コメント:
今週ご紹介した本はどれも面白かったので悩みました。
でも、やはり古典のこちらがめちゃ面白かったので、
ニーバーの神学書を今週の一冊とします。
佐藤優によるあとがきがすごーく良くて、
あれがないと読む意義は半減します。
なぜなら、ニーバーは1944年の時点では、
資本主義陣営をも批判の対象にするような、
深い洞察をしているのですが、
終戦後、東西冷戦が始まると、
とたんにニーバーはアメリカの帝国主義を擁護するような、
「ポジショントーク」を始めます。
佐藤優は『光の子と闇の子』を読んだのが、
神学を志す直接のきっかけになったのですが、
大学入学後、その後のニーバーの本を読み、
「もうこの神学者と関わるのは時間の無駄だ」
と思ったそうです。
ニーバーを批判するチェコの神学者フロマートカは、
ニーバー的なものを
「アメリカキリスト教の宿痾」と呼んでいます。
アメリカのキリスト教って、ちょっと油断すると、
ナショナリズムや侵略や暴力の肯定と結びつく癖があります。
「繁栄の神学」のたぐいもその亜種ですね。
日本のキリスト教もその影響を受けがちなので、
「キリスト教(無印)」と、
「アメリカ教・キリスト派」を分けて考える癖を付けることが、
信仰が変な風にならないために必要だと私は思います。
「本来の神道」と「国家神道」ぐらい違いますから。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「今年ベスト10入り決定賞」
『遅刻してくれてありがとう』(下)
『ブラック・スワン』(下)
コメント:
この2冊は年間ベスト級の面白さでした。
シーズン2ではできないかもしれませんが、
次のシーズンでは「本のカフェ・ラテ」コーナーで、
詳しく解説したいと思ってます。
]]>
陣内が先週読んだ本
2020-01-14T13:56:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=440
人生を生き抜くのに最も必要な資質
第104号 2019年8月13日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼人生を生きるのに必要な資質▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいきまし...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼人生を生きるのに必要な資質▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいきましょう!
▼質問:人生を生き抜くのに最も必要な資質を
ひとつだけ子どもに教えるとしたら、それは何ですか?
、、、そうですねぇ。
これは決まってるんですよね。
まぁ、ほんとうに色々あると思うんですよ。
言い始めたらきりがないですから。
「愛すること」とかさぁ。
ただ、そういうのって、
ちょっと広すぎて、
こういった質問の答えとしては、
あまり適切じゃないと思うんですよね。
ズルいので。
人生で大切なことは?
「愛です」とかって、
Q「好きな食べ物は?」
A「おいしい食べ物」
みたいな感じなので。
なので、愛とか赦しとか、
そういうビッグワードを避けるとすると、
私は「ひとつだけ子どもに教えるとしたら」
という質問の答えは、
「好奇心」になるでしょうね。
英語で「センス・オブ・ワンダー」です。
この言葉を作ったのは、
『沈黙の春』を書いて環境保護運動の先駆けとなった、
著述家レイチェル・カーソンだと言われています。
カーソンの『沈黙の春』は、
池上彰が、聖書や資本論と並べて、
「世界を変えた10冊」に選んでいるほど、
20世紀を代表する重要な著作です。
『沈黙の春』を執筆中、
カーソンは癌に冒されていて、
この本が完成するのが先か、
もしくは自分が死ぬのが先か、
という「時間との闘い」でした。
その彼女が、
「世界へのメッセージ」として残したのが、
遺稿である『センス・オブ・ワンダー』でした。
DDT農薬の問題を告発する『沈黙の春』とは打って変わり、
この本は子どもに向けた愛と暖かさに溢れています。
そして「人生を肯定すること。」
「問題だらけかもしれないが、
それでもこの世界を肯定すること。」
そういった人生に対する基本姿勢を、
彼女は次世代に伝えたかったのだ、
というのが本書を読むと分かります。
彼女が子どもたちに、
「いちばんたいせつなこと」として残したのが、
「センス・オブ・ワンダー」だったのです。
日本語で適切な言葉が当てはまらないのですよね。
単に「好奇心」とも違う。
「知的好奇心」。似ているがちょっと違う。
「知らないことを知りたいという、
わくわくするような気持ち。
知らないことを知ったときの、
『分かった!』という胸躍る感動。
そして『世界は知らないことに溢れている』という、
自分の知が限られていることに対する、
謙虚な態度と造物主に対する畏怖の思い」
というのが私の「私訳」になります。
なげー。
だから、「センス・オブ・ワンダー」と、
ひとことで言ってしまったほうが良いのです。
ちと長くなるけど、カーソンの本から引用しますね。
▼参考リンク:『センス・オブ・ワンダー』
http://amzn.asia/gib1RgS
→P23〜24
〈子ども達の世界は、
いつも生き生きとして新鮮で美しく、
驚きと感激に満ちあふれています。
残念なことに、
私たちの多くは大人になる前に澄み切った洞察力や、
畏敬すべきものへの直感力を鈍らせ、
あるときには全く失ってしまいます。
もしわたしが、
すべての子どもの成長を見守る
善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、
世界中の子どもに、生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」
を授けて欲しいと頼むでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、
かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力によらないで、
生まれつきそなわっている子どもの
「センス・オブ・ワンダー」を
いつも新鮮にたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを
子どもと一緒に再発見し、
感動を分かち合ってくれる大人が、
すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
多くの親は、
熱心で繊細な子どもの好奇心に触れるたびに、
さまざまな生き物たちが住む複雑な自然界について
自分が何も知らないということに気がつき、
しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、
「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、
どうしたらできるというのでしょう。
わたしは、そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」
と嘆きの声をあげるのです。
わたしは、子どもにとっても、
どのように子どもを教育すべきか
頭を悩ませている親にとっても、
「知る」ことは、「感じる」ことの半分も
重要ではないと固く信じています。
子ども達が出会う事実のひとつひとつが、
やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、
この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、
新しいものや未知なものに触れたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などの
さまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、
次はその対象となるものについて
もっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけ出した知識は、
しっかりと身につきます。
(中略)
もし、あなた自身は自然への知識を
ほんの少ししか持っていないと感じていたとしても、
親として、たくさんのことを子どもにしてやることが出来ます。
たとえば、子どもと一緒に空を見上げてみましょう。
そこには夜明けや黄昏の美しさがあり、
流れる雲、夜空に瞬く星があります。
子どもと一緒に風の音を聞くことも出来ます。
(中略)
そうした音に耳を傾けているうちに、
あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。
雨の日には外に出て、雨に顔を打たせながら、
海から空、そして地上へと姿を変えていく
ひとしずくの水の長い旅路に思いを巡らせることも出来るでしょう。
あなたが都会でくらしているとしても、
公園やゴルフ場などで、
あの不思議な鳥の渡りを見て、
季節の移ろいを感じることも出来るのです。
さらに、台所の窓辺の植木鉢に蒔かれた一粒の種子さえも、
芽を出し生長していく植物の神秘について、
子どもと一緒にじっくり考える機会を与えてくれるでしょう。〉
、、、この引用で十分だと思うのですが、
子どもが矛盾と残酷と問題に満ちた、
この不完全な世界を、
それでも生きていくために必要なことは、
「センス・オブ・ワンダー」を持つことだ、
と私は心から思います。
これさえ教えることに成功すれば、
あとは大丈夫です。
子どもは「勝手に学んでいき」ますから。
「センス・オブ・ワンダー」はだから、
「メタ能力」なのです。
「たくさんの知識」は、
すぐに陳腐化します。
しかし、「知的好奇心」がある人は、
その知識を常にアップデートし、
再定義し、磨きをかけ、
生き残っていくことができます。
また「知らないモノに対する好意的な興味」
というのは、「自民族中心主義」からも、
私たちを守ってくれます。
自分の知らない他の文化がある。
自分の知らない他の人種がいる。
自分の知らない他の土地がある。
こう言ったもの対する純粋で好意的な関心がある人は、
他者に敬意をもって学び続けることができます。
他国のことなどほとんど何も知らないくせに、
「日本こそがイチバンだ!!」
と絶叫するバカにならないために必要なのも、
じつはこの「センス・オブ・ワンダー」です。
カーソンは引用のなかで、
子どものセンス・オブ・ワンダーを殺さないためには、
それを共有してくれる大人が、
そばに「ひとりだけ」いれば十分、
と言っています。
私は子どもにこれを授けることができたら、
親としての役割は90パーセント終わった、
と言って良いぐらい大事だと思ってます。
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今週の「オープニングトーク」
2020-01-13T13:55:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=439
陣内が先月観た映画 2019年7月 『アリー スター誕生』他
第102号 2019年8月6日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年7月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうという...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年7月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●コンカッション
鑑賞した日:2019年7月4日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:ピーター・ランデズマン
主演:ウィル・スミス
公開年・国:2015年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/32cWibK
▼140文字ブリーフィング:
NFLはアメリカで最も人気のあるスポーツですが、
実は引退後、選手が薬物やアル中や精神疾患に陥り、
人生を崩壊させる、という例が多いことでも知られています。
有名なO.J.シンプソンによる、
「限りなくブラックに近いグレー」になった、
殺人疑惑も、そのような無数の例の一つです。
本作は実話に基づきます。
実はそのような精神疾患が、
ボクサーのパンチドランカーと同じで、
競技による脳しんとうによる精神疾患なのではないか、
ということに初めて気づいた、
アフリカ系アメリカ人の解剖医がいます。
この人をモデルにした、
実話に基づく話が本作です。
アメフト界はこれを「もみ消そうと」しますが、
彼は論文を取り下げず最後まで戦います。
めちゃくちゃ面白かったです。
映画評論や読書評や講演の感想で、
最も言っちゃいけない言葉は、
「考えさせられる」という言葉でしょう。
これを言うと思考が止まる「バズワード」だからです。
でも、言っちゃいそうになります。
「考えさせられる」。
もう二度と言いません笑。
(426文字)
●パッドマン
鑑賞した日:2019年7月2日
鑑賞した方法:フィリピンからの帰りの飛行機の中で
監督:R・バルーキ
主演:アクシャイ・クマール
公開年・国:2018年(インド)
リンク:
https://bre.is/DmvI11030
▼140文字ブリーフィング:
フィリピンから日本に帰る飛行機の機内で見ました。
一緒に行った友人の土畠くんは、
私より3日早くフィリピンを後にしたのですが、
その日に彼からLINEで、
帰りの飛行機で「パッドマン」と、
「グリーンブック」見て、
絶対面白いから!
っていうメッセージが来ました。
実は「グリーンブック」は、
行きの飛行機で半分見てたので、
続きを見ることは決めてたのですが、
「パッドマン」はノーマークでした。
それもそのはずで、
この映画、インド映画なので、
日本ではどうやって見れば良いのか目下分からないぐらい、
たぶん飛行機の中ぐらいでしか見られない作品です。
どうだったか?
最高でした。
インドでは「女性の生理」というものに関して、
「タブー」が存在します。
旧約聖書にもそのような規定がありますが、
女性の生理は「穢れ」と認識されるため、
生理中の女性に男性が触れてはいけないし、
生理中の女性が座った椅子に他の人が座ってはいけない、
などの社会的コードが存在します。
公に女性の生理について語るなんて、
もってのほかで、周囲は眉をひそめます。
そんなインドに、妻をこよなく愛するある男性がいます。
この男性はあるとき思います。
もし妻が生理中も快適に生活できたら、
きっともっと幸せになるのではないか?
彼は薬局に行き、
「生理用品」を買います。
それがあまりにも高価なのに驚きながら、、、。
妻は恥ずかしさのあまり彼に怒りを発します。
そして、そんな出費をする余裕は我が家にはない、
ということで、生理用品を受け付けません。
男は発明精神に溢れていたのであきらめず、
市場で綿と布を買ってきて、
市販の生理用品を「解体」して、
同じようなものを作って妻にプレゼントします。
それは「失敗作」で、
妻はますます夫に怒ります。
夫は、じゃあ自分で実験しよう、
ということで、赤い液体の入った袋を、
自分の股間にあて、
自作の生理用品をはいて、
自転車に乗ってみます。
嫌な予感がしますね。
その事件を期に、
男は村中の誰からも排除されます。
「生理」という社会的タブーに偏執狂的にこだわる、
「気ちがい」というレッテルを貼られた男は、
村を出て行くしかなくなります。
その後彼は、
あらゆる困難を乗り越え、
大手の欧米企業が作るよりはるかに簡単に、
どんな村でも、ジェネレーター(発電機)さえあれば、
制作できるマニュファクチュアの手法を編み出し、
それを村の女性たちが作って販売する、
というビジネスモデルを構築します。
彼のしたことは世界から注目を浴びるようになり、
ついにはニューヨークの国連本部で演説をするまでになります。
「本当の男らしさ」とは何かを教えてくれる、
素晴らしい映画です。
国連のスピーチは、
マジで泣きます。
(1,100文字)
●セブンティーン・アゲイン
鑑賞した日:2019年7月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:バー・スティアーズ
主演:ザック・エフロン
公開年・国:2009年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/O5S0Yh-Jd
▼140文字ブリーフィング:
30代になったくたびれた男が、
輝いていた17歳に戻るという話。
彼の現在の妻と出会い、、、みたいな、
バック・トゥ・ザ・フューチャーの要素があります。
特に話すことのない凡作でした笑。
途中は中だるみますし笑。
(101文字)
●クリード2 炎の宿敵
鑑賞した日:2019年7月4日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:スティーブン・ケイプル・Jr.
主演:マイケル・B・ジョーダン
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/3231MWi
▼140文字ブリーフィング:
「ロッキー」好きなんですよねぇ。
1、2、3、4は興奮したなぁ。
で、「5」で思いっきりこけた。
FINALでちょっと面白くなったけど、
まぁ悪くはない終わり方かな、ぐらいでした。
ところがですよ。
2016年に「クリード」を見た時、
私はぶっ飛びました。
マジで。
『ドラゴンボール』の本編よりも、
『ドラゴンボールZ』のほうが面白いみたいな衝撃でした。
ビビった。
、、、で、その「2」ですよ。
ハードルは上がりきってるわけですが、
これが素晴らしかったんです。
ロッキー4の宿敵「グレコ」の息子が出てきます。
グレコというのは東西冷戦中の当時、
「ソ連の象徴」として出てくるウクライナ人(当時はソ連人)。
クリードはちなみに、ロッキーのライバル、
アポロ・クリードの息子です。
ここからは、
ロッキー4をみたことのない人にはネタバレになります。
でも、今さらネタバレもクソもないでしょ。
「E.T.は最後宇宙にかえります。」
「バック・トゥ・ザ・フューチャー、
最後、主人公は現代に帰ってきます。」
「アルマゲドン、
最後、主人公死にます」
えーーーーネタバレじゃん!
いやいや、そういうことじゃないじゃん。
ネタバレを糾弾していい賞味期限は、
公開後2年ぐらいでいいんじゃない、マジで。
「ネタバレ自警団」にはうんざりです。
話がそれました。
「ロッキー4」で、
アポロ・クリードはグレコとの試合で、
リング上で死にます。
その後ロッキーはグレコと対戦し、
「仇討ち」のような形でグレコに勝つのです。
そのアポロ・クリードの息子が、
グレコの息子とリングで対決する。
さらに、息子のクリードのセコンドはロッキーです。
「上がる」設定じゃないですか。
本作は特に、
「聴覚障害者」という設定の、
クリードの奥さんの描写とか、
家族の描写が繊細で良かったですね。
(725文字)
●グリーンブック
鑑賞した日:2019年7月2日
鑑賞した方法:マニラ→成田の飛行機で観賞
監督:ピーター・ファレリー
主演:ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリ
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/RPFhi0NWl
▼140文字ブリーフィング:
先ほど申し上げたように、
フィリピンからの帰りに飛行機で鑑賞しました。
素晴らしかったです。
そりゃ、アカデミー賞3部門獲るわな、と。
時は1960年代、
アメリカ南部では、
まだまだ黒人に対する差別がひどかった時代です。
「グリーンブック」とは、
黒人の人が旅行する時に、
「黒人でも泊めてくれるホテル」をリストアップした、
黒人のための旅行ガイドブックのことです。
ちなみに本作は実話に基づく映画です。
映画の骨子は、
実在の黒人天才ピアノ奏者(シャーリー)と、
彼の運転手となったイタリア系のニューヨーカー(トニー)が、
「南部への旅」を通して友情を温めていくという話です。
最初、トニーは家に遊びに来た黒人が使った、
自分の家のコップをゴミに棄てるほどの差別主義者でした。
そんな彼がひょんなことから、
「天才ピアニスト」のコンサートツアーの運転手をすることになります。
理由は「給料が良かったから」。
その旅を通してトニーが、
だんだんと黒人差別をする白人に腹が立ってくるようになります。
シャーリーは外見は黒人だが、
J.F.ケネディとも個人的な友人だ、
というぐらいの「セレブリティ」なのです。
つまり、話し方、テーブルマナー、考え方、
あらゆる意味で「白人よりも白人」なのです。
逆にイタリア移民のトニーは、
外見は白人ですが、言葉遣い、
テーブルマナー、考え方など、
あらゆる意味でむしろ内面は黒人(ストリート)に近い。
このアイデンティティの対偶関係が、
2人の人間的な深みを増していくという描写が、
この映画の素晴らしさですね。
オススメです。
(648文字)
●アリー スター誕生
鑑賞した日:2019年7月13日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:ブラッドリー・クーパー
主演:ブラッドリー・クーパー、レディ・ガガ
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/v_cEChzph
▼140文字ブリーフィング:
本作の主演かつ監督を務めたブラッドリー・クーパーは、
「アメリカン・スナイパー」で主演した、
クリント・イーストウッドの「弟子筋」だそうです。
「アリー」というのは有名な話らしく、
映画化されるのはこれで4回目なんだそうです。
筋書きは、有名なミュージシャンに見出された、
貧しい少女が、その後スターになる。
2人は恋仲になる。
スターになった少女を横目に、
有名なミュージシャンのほうは落ちぶれていき、
次第に彼女に嫉妬心と劣等感を抱くようになり、、、
という話です。
ブラッドリー・クーパーは俳優であり、
音楽については素人だったそうですが、
この映画を撮るために、
いちからギターを習い、
作曲技術と歌唱技術を磨き、
「本物のミュージシャン」としてこの映画の主演をしています。
みると分かりますが、「付け焼き刃」の粋をとっくに超えています。
完全にミュージシャンです。
役者魂、すごすぎます。
あと、クーパーは本作を撮る時、
当初ビヨンセを考えていたのだそう。
、、で、それがダメになって、
「レディ・ガガ」でいこうと思っている、
と師匠のクリント・イーストウッドに相談したんだそうです。
イーストウッドは「やめておけ」と言いましたが、
クーパーは自分の直観を信じて撮りました。
完成した作品を観たイーストウッドはこう言ったそうです。
「やめておけ、と言った私は完全に間違っていた」
この辺のサイドストーリーも、
ちょっと胸の熱くなる話です。
本作、では私的にはどうだったのか?
もうね、素晴らしかったです。
普通に泣きました。
ラストシーンなんて、
涙をぽろぽろ流して泣いてしまいました。
レディ・ガガの演技、
ブラッドリー・クーパーの歌、
すべてが素晴らしかったです。
今年一番ぐらいかもしれない。
オススメです。
(719文字)
●タクシー運転手 約束は海を越えて
鑑賞した日:2019年7月14日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:チャン・フン
主演:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン
公開年・国:2018年(韓国)
リンク:
https://bre.is/CMUNSllys
▼140文字ブリーフィング:
韓国で1,200万人動員の大ヒット作だそうです。
韓国と日本って人口が3倍違いますから、
日本に換算すると3,000万人動員ってことになります。
いつも思うけど、
韓国の映画動員数ってすごすぎますよね。
映画に対する「国民の熱」が違うのかな?
映画の入場料が安いのかな?
誰か知ってる人がいたら教えて下さい。
まぁ、それはそれとして本作。
韓国の南のほうにある「光州」という地域で、
軍隊が市民を弾圧した事件を報じたドイツ人記者と、
彼をソウルから光州に連れて行った、
タクシー運転手の友情の物語です。
本作も実話に基づきます。
ソン・ガンホの「顔の力」が凄かった。
それだけで泣かせる力を持っています。
渥美清とか田中邦衛の領域に達している。
「顔面がハリウッド」ですね笑。
韓国の俳優さんって、
なんであんなに「顔面戦闘力」が高いのでしょうか。
この映画、テーマも韓国映画に典型的な、
「恨み・復讐」じゃなかったところが高評価でした。
ただ、善はどこまでも善、悪はどこまでも悪、
という味付けの濃さが、
韓国映画の「玉にきず」であり、
本作でもちょっとそういうところがありました。
(467文字)
●未来のミライ
鑑賞した日:2019年7月6日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(500円)
監督:細田守
主演:上白石萌音
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://bre.is/-NfBBPudE
▼140文字ブリーフィング:
細田守監督は私は、
「サマーウォーズ」をみて衝撃を受け、
遡って「時をかける少女」をみて、
すげー、ってなってから、
ずっと追いかけています。
その後彼は「おおかみこどもの雨と雪」を作り、
さらに「バケモノの子」を作ります。
ちなみに私は「バケモノの子」がいちばん好きでした。
西遊記とか、白鯨とか、
古典的な小説を現代的に解釈する、
っていう野心的なところが。
、、、で、本作ですよ。
これが「問題作」でして、
ネットなどのレビューでは、
軒並み低評価が並んでいます。
「細田監督が創るもので、
そんなにつまんないことってあるの?」
と思って、まぁみてみたわけですよ。
うん。
つまんなかったね(爆死)。
作家性が前面に出すぎていて、、、。
映像が「凄い」のは分かります。
家族の新しい形を描こうとしても分かります。
オタキングの岡田斗司夫が言っていたのだけど、
「8K映像とか3DIMAXとかで、
サラリーマンがラーメン食べる映像を見せられているような」
そのアニメーションの技術の高さを、
こんな「どうでもいい話」に使うか?っていう、
「スケールの小ささ」がありました。
岡田さんとかが言うには、
実はこの作品って、宮崎駿への挑戦状なのだそう。
「千と千尋の神隠し」とか、
「崖の上のポニョ」を、
自分が作ったらこうなる、
という細田流の解釈なのだそう。
たしかに、主人公の名前とか、
あからさまな相似関係にあります。
しかし、やはり乗れない何かがありました。
こういう「作家性」に振り切った後に、
得てして映画監督は傑作を生みます。
北野武が「監督バンザイ!」という問題作でコケた後、
「アウトレイジ」という大傑作を作ったように。
次が楽しみです。
(686文字)
●ひるね姫
鑑賞した日:2019年7月6日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:神山健治
主演:高畑充希
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://bre.is/cV59X_CqO
▼140文字ブリーフィング:
『未来のミライ』があまりにも不完全燃焼だったので、
同じ日に日本のアニメーションを2本観てしまいました。
こちらが2本目。
この監督は初めて見ましたが、
こちらも「まぁ、、、、」って感じです。
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』
と同じように、夢と現実が交錯しつつ、
それぞれが影響し合って進むパラレルストーリーです。
倉敷が舞台なので、
住んでいた私には、
懐かしい光景が多くてちょっと癒されました。
それ以外は、、、うーん、かな。
ところが本作。
最後の最後にすごいのがあります。
主人公の声優を高畑充希がやってるのだけど、
エンドロールで高畑充希が、
忌野清志郎の、
「デイドリーム・ビリーバー」を歌うんです。
これがもう、すごいんですよ。
なんかねぇ、心が震えるんですよ。
高畑充希版『デイドリーム・ビリーバー』だけで、
★3つぶんぶらいあります。
マジで。
(372文字)
高畑充希版『デイドリーム・ビリーバー』
https://youtu.be/JM_aYiHvako
●26世紀青年 Idiocracy
鑑賞した日:2019年7月19日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:マイク・ジャッジ
主演:ルーク・ウィルソン
公開年・国:2007年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/b78JR-jh1
▼140文字ブリーフィング:
この映画、くっそ面白かったです。
「傑作」の部類です。マジで。
騙されたと思って見てみてください。
強烈にオススメします。
クソみたいな邦題がついていますが、
それに騙されちゃいけません。
原題は「Idiocracy」です。
「バカによる独裁」とか「白痴主義」というような意味で、
ジョージ・オーウェルの「1984年」なみの、
深い洞察に基づくディストピアSFであり、
そして強烈な現代社会への風刺になっている。
しかも、めちゃくちゃ笑える。
めっちゃくちゃ笑えて、
めっちゃくちゃ勉強になる哲学書があったら、
みんな、買うじゃないですか。
この映画は、そういったものに近い。
(邦題によって)見た目はクソですが、
中身は秀逸すぎる。
今年の年間ベスト10入りが決定しています。
(321文字)
●ファースト・マン
鑑賞した日:2019年7月26日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:デイミアン・チャゼル
主演:ライアン・ゴズリング
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/7NSbhs7p
▼140文字ブリーフィング:
ラ・ラ・ランド、セッションのデイミアン・チャゼル監督作品で、
今年のアカデミー賞で4部門ノミネート、
1部門を受賞しています。
ちなみに「作品賞」は先述の『グリーンブック』です。
本作は、人類で初めて月に立った男、
ニール・アームストロング船長の物語です。
「宇宙映画」というと、
「ゼロ・グラビティ」や「アポロ13」、
「オデッセイ」など、
宇宙船が宇宙を飛んでいる映像や、
無重力空間を表現するCG表現などを期待するのですが、
本作はまったく趣を異にします。
とにかく本作は「接写」が多い。
ほとんどの場面で、ライアン・ゴズリング演じる、
ニール・アームストロング船長の、
顔面から30センチ以内の場所からのカメラアングルになっている。
そうすると鑑賞者は、
遊園地の「ライドもの」と同じで、
ニール・アームストロング船長に、
「ライド」したかのような感覚になります。
映画評論家の町山さんによると、
『アリー スター誕生』でもこの手法は用いられていて、
これは高性能のカメラが小型化したという、
技術革新に伴う映像表現の新しさなんだそうです。
とにかくそんなふうに、
主人公に「ライド」するので、
ニール・アームストロング船長の、
内面世界に入り込んだような、
一段ステージの高い感情移入ができる。
それが本作の面白さです。
ニール・アームストロング船長って、
とってもミステリアスな人で、
娘さんを病気で失っていたことを、
同僚にすら話していなかったり、
自分の危険な任務を、
家族にもうち明けていなかったりするんですよね。
当時のアポロ計画は、
国家プロジェクトであると同時に、
命がけの任務でしたから、
彼の「同僚たち」が、
数年おきに死んでいきます。
彼の奥さんは同じNASA職員の住む地域の奥さん友だちが、
次々に「未亡人」になっていくのを見る。
奥さんがどんな気持ちだったか?
その奥さんを見るアームストロング船長はどんな気持ちだったか?
そしてあの「一人の人間には小さいが、
人類にとっては偉大な」一歩を踏みしめたとき、
どんな気持ちだったか?
それを追うつくりになっています。
良い小説を読んだ後のような気持ちになれる映画です。
デイミアン・チャゼルは若い監督ですが、
『セッション』以降、破竹の勢いですね。
(913文字)
●バードマン
鑑賞した日:2019年7月22日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ
主演:エドワード・ノートン、マイケル・キートン、エマ・ストーン
公開年・国:2015年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/KxoKf0gnq
▼140文字ブリーフィング:
「中年の危機」を迎えた俳優の物語です。
「バードマン」というのは、
主人公が若いときに演じて一世を風靡したヒーローものの名前です。
マーベルの作品群に出てスターになることを、
俳優の業界ではちょっと馬鹿にする風潮があるのだそうで、
だから彼は若い頃莫大なお金を稼いで、
「バードマン」として一躍有名になったのだけど、
中年を迎えた今、「バードマンの一発屋」
みたいに世間が思っているんじゃないかという、
大きなコンプレックスを抱えている。
アイアンマンのロバート・ダウニー・ジュニアが、
あと20年して、他に何もヒット作がなく、
俳優としてのプライドを失いかけた状況、
と考えたらだいたい合ってます。
そして十代になった娘は非行に走り、
奥さんには逃げられる。
バードマンは彼の、
「オルター・エゴ」となり、
彼をときにけなし、たきつけます。
「オマエの身体はたるみ、
もはや世間に一発屋と思われている。
そんな世間を見返してやるのだ。
オマエが男だということを世間に見せつけてやるのだ!」と。
最後まで見るとわかりますが、
これって実は、
統合失調症の話でもあるのか?
と私は解釈しましたが、
そんなこと誰もいってないんですよね。
誰か見た人、教えてください。
(503文字)
●ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男
鑑賞した日:2019年7月22日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ジョーライト
主演:ゲイリー・オールドマン
公開年・国:2018年(イギリス・アメリカ)
リンク:
https://bre.is/Vw_IgLSGu
▼140文字ブリーフィング:
原題は「Darkest Hour」=最も暗い時代、です。
じっさいチャーチルが首相になったときって、
「英国が歴史から消えるかもしれなかった」んですよね。
「ダンケルク」という別の映画にも描かれていますが、
あのとき、ネヴィル・チェンバレンという首相の、
「宥和政策」により、ナチスの進軍を、
英国はことごとく「静観」した。
その結果、「サラミスライス戦略」という、
ドイツ軍の「ちょっとずつ小さな島(領土)を占領していく」
という戦略にまんまと追い詰められ、
イギリス本土がナチスに占領される寸前まで行っていた。
イギリスの政治の異端児、チャーチルが、
「決して、決して、決してあきらめない!」
という闘志をもって議会と国民を鼓舞し、
アメリカのルーズベルト大統領に直談判して参戦を要請し、
連合国の息を吹き返させなかったら、
ヨーロッパはすべてナチスのものになっていたし、
第二次大戦の運命は変わっていただろう、といわれています。
この映画で知ったのですが、
チャーチルは組閣する時に、
政敵であるネヴィル・チェンバレンをメンバーに選んでいます。
つまり「自分と反対する政治家を巻き込めなければ、
国民全体をひとつにすることなどできない」という気概がある。
これって、リンカーンが奴隷制度撤廃のときにしたことと、
まったく同じなんですよね。
自分と肌が合わない閣僚を次々と、
「You are fired」といって、
首にしていくトランプ大統領や、
「おともだち内閣」という、
自分と親しい人で周囲を固める癖のある、
安倍首相にはない資質です。
こういう「老獪な」政治家が、
世界から少なくなったなぁ、
というのは誰もが思っていることだと思います。
政治が悪いのか、
それとも選ぶ私たちが悪いのか。
きっとどちらも悪いのでしょう。
(728文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
「アリー スター誕生」
コメント:
7月に観た映画は傑作ぞろいでしたが、
この映画がいちばん泣きました。
レディ・ガガの演技がすごかった。
マジで「やられた!」と思いましたね。
音楽も当然すばらしいし、
映像もいいし、
人間ドラマも素晴らしい。
最後のシーンは、
号泣不可避です。
▼主演(助演)男優賞
ブラッドリー・クーパー(アリー スター誕生)
コメント:
音楽やったことがない彼が、
3年間をかけてギターを練習し、
作曲までして、
歌手としての演技に説得力を持たせた、
その役者魂に感服しました。
ちなみにクーパーは本作でアル中になりますが、
彼自身もいちどアルコール依存症になり、
施設にはいったことがあるそうです。
それを「演技」するって、
そうとうハードなことだと思うのですよね。
マジでこの人すごいです。
▼主演(助演)女優賞
レディ・ガガ(アリー スター誕生)
コメント:
これは文句なしにレディ・ガガでしょう。
イーストウッドは反対したが、
後に間違っていたと認めた、
と先ほど解説しましたが、
じつはレディ・ガガは、
子どもの頃ミュージカルなどをしていて、
演技の素養もちゃんとあるのだそう。
そして、普段のメイクを落としたレディ・ガガがまた、
「生身の人間の傷つきやすさ」みたいなものを、
その人生をかけて表現していて、
迫力がちょっと違いますね。
というわけで名作揃いの先月でしたが、
結果的には「アリー スター誕生」が、
三部門独占受賞となりました。
おめでとうございます。
▼その他部門賞「実は超オススメ賞」
「26世紀青年」
コメント:
この映画、タイトルを見て、
「見たいー!!面白そう!!」
ってなる人は皆無だと思うのですが笑、
実はめちゃくちゃオススメです。
映画好きには是非是非是非是非見て欲しい、
そして、これを見た人と、
私は小一時間語り合いたい。
そんな大事な一本になりました。
あと、笑えるし。
これ、重要。
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陣内が先月観た映画
2020-01-07T13:53:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=438
今の仕事以外の何で生計を立てるか?
第102号 2019年8月6日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼今の仕事以外の何で生計を立てるか?▼▼▼
▼質問:
今の仕事(業種)を辞めなければならないとなった...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼今の仕事以外の何で生計を立てるか?▼▼▼
▼質問:
今の仕事(業種)を辞めなければならないとなったとき、
あなたは何で生計を立てますか?
、、、そうですねぇ。
私は自分の今の仕事が、
「不安定な仕事」なので、
このことは結構考えますね。
10年後どころか、
5年後や、
もしかしたら1年後も、
今の形で仕事を続けられるかどうか分からない。
私と同じように、
団体からの給料ではなく、
セルフサポートで宣教活動をしている人や、
零細な個人事業主や、
作家や芸術家などのクリエイティブな個人事業者は、
たいてい同じ気持ちだと思いますが、
来年も「食えている」という保障はどこにもありません。
今まで10年間、
こういった形で働きを続けてこられたのは奇跡みたいなものです。
来年もそれが続くなんていう保障なんてないんです。
本当に。
資金が干上がれば、
即、今の形で仕事は続けられなくなる。
それだけです。
なので、私はいつも、
「臨戦態勢」です。
いつ収入がなくなっても、
次の仕事ができるように、
自分のコンディションを整えている。
私の場合、
「経営」には向きません。
マネジャーの才能がない。
お金を集めるのも儲けるのも不得手だし、
組織を構築したり維持したり、、
というのも苦手というか、
そもそもそういったことに「情熱」がありません。
なので私の場合、
「自分の労働力」という商品を売って、
糊口をしのぐという生き方しかないと思っています。
生まれながらのプロレタリアートなのです。
「金持ち父さん、貧乏父さん」の、
ロバート・キヨサキには罵倒されるでしょうが、
「うるせえ、バーカ」しか思いませんね。
人には向き、不向きがあるのです。
適性のないことを続けると身体を壊します。
2013年にうつ病になってよく分かりました。
というわけで、
私の場合「自分の労働力」が、
自分と家族の糊口をしのぐための、
唯一で最後の砦なわけですよ。
私が昨年から筋トレを始めたのは、
そのような理由もあります。
「いつでもトイレ清掃員になれるように」
身体を鍛えているのです。
身体さえ動けば、働けますから。
そして真面目に働きさえすれば、
「稼ぎに追いつく貧乏はない」ですから。
なんとか生きていけます。
あと、頭脳の筋トレも怠りません。
というか、自分で言うのは口幅ったいですが、
この10年で、
私の思考力・言語運用能力・知識の幅と深み・
知的生産性・知的創造力・アウトプット力
といった能力は、
たぶん普通の会社員の比じゃなくなりました。
普通の会社員の同年代とではありません。
いかなる年代の会社員にも、
まったく負ける気がしません。
自分で言うのは口幅ったいですが(2回目)、
ちょっと「違う次元」にいったという実感があります。
100%確実に言えるのは、
30歳のときに公務員を辞めていなければ、
41歳の私は確実に身体がたるんでおり、
そして本もあんまり読まないし、
思考力や文章力も、今の半分もなかったということです。
頭脳も身体も中年太りしていたはずです。
「つまらないおじさん」になってただろうなぁ。
私の感覚的な表現になりますが、
公務員の時代の私って、
「カニ」とかに近かったのですよね。
かつての私は「甲殻類」でした。
市役所という「固い甲羅」がある。
その中にある「かに味噌」が職員です。
自我なんて持っちゃいけないんです。
仕事で自己実現なんて考えない方が良い。
仕事は仕事と割り切り、
適当に頑張ればいい。
趣味で自己実現をする。
これが公務員の生き方です。
ところが、公務員を辞めて、
フリーランサーになってから、
「カニ」じゃなくて、
「ほ乳類」になる必要が生じた。
自分を庇護し支える構造が外部にないから、
自分の中に「骨」を持つ必要が生じた。
それが会社員とは異なる次元の健康管理だったり、
会社員とは異なる次元の「勉強」や自己研鑽です。
それが10年続くと、
もう、能力的に異次元になります。
これはマジです。
多分、私じゃなくてもそうなります。
「環境が人を作る」のです。
しかしながら、それでもまだ、
会社員のほうが「稼ぐ能力」は高い。
「会社」というレバレッジは、
個人の能力を20倍以上高める「テコの原理」なのです。
フリーランスはだから、効率悪いんですよね笑。
正直言ってあんまり良いことないんだけど、
「個人としての能力が高まる
(というより、高めないと生き残れない)」
という、副産物があります。
ただね。
知的に生産的な仕事というのは、
巡り合わせがとても大切なので、
上手くこういった才能を活かせる、
「ポスト」といますか、
「ちょうどあなたみたいな人探してたのよー」
という「出会い頭」があればいいのですが、
それがなければ、基本的にそれを仕事にする、
というキャリアパスの門戸は狭い。
より汎用性の高い技能は、
「身体を使って汗を流す」ほうでしょう。
40を過ぎた中年は仕事を選べません。
選んでいただく側です。
なのでまぁ、ゴミ清掃とか、
いつか自分は、トイレの清掃員とか、
そういった仕事をいつかするのだろうな、
と、この10年間、思い続けています。
別にそれが、
「失敗」だとも思いませんし。
トイレ清掃員ほど尊い仕事は、
他にないともいえますし。
私の「最高の仕事」の原風景は、
手ぬぐいを片手に弟子の足を洗うイエスです。
誰かの足を洗うことに、
トイレ掃除とかって、近いですからね。
あるいは獣医師の資格を用いて
働くこともあるかもしれません。
キリスト教関係で、「あなたみたいな人探してたんだ」
「ちょうどいいところにいたね」みたいな形で、
必要としていただけることがあるかもしれません。
マジで未来がどうなるか、
ほんとうに分からないのです。
こんな風に未来が不確定なまま、
10年間生きてきました。
これって安定志向の日本人には、
あまり理解されない生き方なのですが、
最近これって「動的な安定」と呼べるのではないかと気づきました。
形は違うが、「別の形の安定」なのではないかと。
どういうことか?
走ってる自転車や、まわるコマって、
静止画だと不安定じゃないですか。
でも、動画だと安定しています。
立っているビルの場合、
静止画でも動画でも安定しています。
というか、静止画と動画の差がありません。
公務員や大企業の社員のような、
「30年後の給料も計算できる」立場って、
「立っているビル」に近いと思うんですよね。
「静的に安定している」。
私は走っている自転車のようなもので、
毎年「来年どうなるか分からない」
といいながら、10年間それでも生きてきたのです。
それって「動的安定」と言える。
その状態って、「安定と停滞をはき違える」
という間違いを犯すリスクから自由なので、
じつは不確実な今みたいな時代には、
「静的な安定」を続けた結果、
「停滞による破局」を迎えるよりも、
よいことなのではないか?
トーマス・フリードマンの
『遅刻してくれてありがとう』
を読んでから、ますますそう思うようになりました。
最後に私の職業観を申し上げますと、
24歳で市役所に就職してからというもの、
今に至るまで、
「本当の雇い主は天にいる」
と思っています。
私に給料をくれるのは、
市役所やNGOや支援会ではなく、
神ご自身です。
そして私の「人事部長」は神です。
私は「転職」をしたのではなく、
神から「市役所という部署」から、
キリスト教NGOという部署へ、
配置転換を命じられ、
辞令をいただいたと思っている。
職業を表すドイツ語「ベルーフ」は、
「呼ばれる」という意味があります。
次に人事部(神)によばれ、
次の辞令をいただくのがいつか分かりません。
それが10年後かもしれないし、来年かもしれない。
そのときは、ただそれを喜んで受け取り、
その仕事に没入するのみです。
アメリカで従軍している人のことを、
「in the Service」と言います。
私もキリストの兵士として、
「in the Service」してるので、
天から来た指令に対しては、
「Yes, Ser!」といって従うのみです。
アフガンだろうがイラクだろうが、
そこにいき任務を完遂する。
どれほどのリスクが待っていようとも。
私のアイデンティティはそういうものです。
加えて私は「天の人事部」を、
完全に信頼していますので、
軍人が将校に怯えるような感情も持っていないし、
会社組織にある「出世競争」からも自由です。
きっと天の父は良くしてくださるだろう、
そういう安心感があります。
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今週の「オープニングトーク」
2020-01-06T13:50:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=437
【Q】日本のお笑いを楽しむ方法
第102号 2019年7月30日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【Q&Aコーナー専用フォーム】
▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI
※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。
※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
・ペンネーム:匿名(男性)
・お住いの地域:東京都
Q.
いつも陣内さんのメルマガを楽しく読ませて頂いております。
陣内さんはお笑い好きといういうことですが、
日本のお笑いって、日本のある種の文化が濃縮されていて、
私は全然面白いと思えません。
暗黙の上下関係とか、内輪のノリで笑わせたり、
あとは、マイノリティというか、
ちょっと仲間外れっぽい人をディスって笑いを取るみたいな、
見方によってはいじめっぽくて・・・
これは単に私の好みなので、
別に日本のお笑い大好きな陣内さんを
非難しようとかいう意図はございません。
こんな私がお笑いを楽しむ方法はありますか?
見なければいいだけですか?
A.
ご質問ありがとうございます。
質問者さまのご質問の意図は、
すごーくよく分かります。
結論から言いますと、
仰るとおり、
「見なければいいだけ」
というのが答えになります。
見なくても何の損もありませんから笑。
逆に、見ても何の得もありません笑。
お笑いに、知的栄養素はゼロです。
カロリーのない食事と同じなので、
「味が嫌いなのだけど
無理して食べなきゃいけないのかな?」
とか考える必要はまったくありません。
映画やマンガは逆に、
知的栄養素の塊と言えます。
書籍からは得られないタイプの、
密度の高い情報が映画やマンガには詰まっています。
映画やマンガを軽視していると、
教養のレベルがひとつ下がると私は思う。
薄っぺらくなるというか。
まぁ、最近めっきり、
マンガ読まなくなった私が言うのもなんですが。
では、実利的に無意味なお笑いを、
私はなぜ見続けているのか?
まぁ、楽しいからというのが答えになりますね。
実質的な栄養のないスナック菓子を、
なぜ食べ続けるのか?
好きだから、というのと同じです。
、、、で、
質問者様がおっしゃっているのは、
おそらく、
「このスナック菓子は身体に悪いのではないか」
みたいなことに近いと思うのですよね。
そうですねぇ。
どこから話しましょうか。
お笑いには、
「ベタ」と「シュール」があります。
「ベタ」は英語圏だと、
「ユーモア」あるいは単に「ファニー」です。
英語圏で「シュール」は、
ブラックユーモアとか、
ドライユーモアとか言われます。
ファニーがアメリカ的(『フルハウス』的)で、
ドライがヨーロッパ的、
(眉間にしわを寄せながら他者を強烈に皮肉るタイプ)、
という風に整理できます。
日本のベタは「くまだまさし的」と言いますか、
「吉本新喜劇的」と言いますか、
「志村けんのバカ殿的」と言いますか、
3歳から90歳までの誰もが笑う、
脊髄反射的な笑いのことを指します。
これらは言語の壁を越えて、
欧米でも多分「面白い」と認識されるでしょう。
面白いおじさんが面白いメイクをして、
「あだす?なんだチミは?ってか?」
っつって、面白い動きのダンスをして、
最後に「だっふんだ!!」っていうんですから笑。
まぁ、面白いですよ。
いわばこれって、
「ベロベロバア」なんですよね。
ところが、日本の「シュール」って、
欧米圏の「ドライユーモア」ともちょっと違うんですよね。
「ベタの反対」というのは同じなのですが、
ちょっと「反対の方向性が微妙に異なる」というか。
そして、
「シュール」の笑いの、
現在の日本のデファクトスタンダードを作ったのは、
間違いなく90年代のダウンタウンです。
これは大げさな話ではなく、
日本のお笑いは、
「ダウンタウン以前」と、
「ダウンタウン以後」に別れる。
『夢で逢えたら』
『ごっつええ感じ』
『ガキの使いやあらへんで』
などの番組群は、完全に日本の笑いを、
その概念の根底から変えてしまった。
つまり「ダウンタウン的シュール」という、
「Made in 尼崎」の笑いが、
笑いのスタンダードとなったのです。
これはトリクルダウン的に広がり、
いまや吉本興業だけでなく、
あらゆる事務所のお笑い芸人、
またテレビ番組制作者らも、
この「ダウンタウン的シュール」の路線を基本として、
番組作りをするしかなくなってきている。
志村けんのバカ殿様のような「ベタ」は、
90年代以降の「尼崎スタンダード」とは異質なので、
むしろ現代のお笑いシーンでは「マイナー」な存在です。
ここに倒錯がある。
本来シュールは「裏」なんですよね。
陰と陽ならば「陰」の存在です。
それが90年代の「ダウンタウンの衝撃」以降、
その後のお笑い芸人たちがそれに絶大な影響を受けた結果、
シュールがメジャーになり、
ベタがマイナーになった。
裏が表になり、陰が陽になったわけです。
質問者様はご存じないかもしれませんが、
ますだおかだの岡田さんだとか、
なかやまきんに君とか、
サバンナの八木さんといった芸人たちがいます。
この人たちはとにかく「スベる」。
空気とか関係なく、
自分のギャグをマンキン(全力)でやったりする。
シュールというルールの中で、
「ベタを演じる」ことにより、
「1周まわって面白い」という状態になっている。
業界では「裏笑い」と呼ばれます。
これは単なる「ベタ」とは違います。
彼らは構造的に一段階メタ的な部分で笑いを取っている。
非常にポストモダン的な芸人群なのです。
ちょっと専門的になってきたので、
質問に立ち返りましょう。
以上の理由により、
質問者様がおっしゃっている「日本のお笑い」は、
「ダウンタウン的シュール」を指すと考えて
間違いないでしょう。
「それ」が苦手な人がいるのは、
当然だと私は思います。
シュールな笑いがなぜ海外に伝わりづらいかというと、
それが高度に文脈に依存しているからです。
「刷り込み」があるから、
その裏切りで笑えるというわけです。
漫才でも多用される「あるあるネタ」とかは、
文脈の共有の「確認」ですし、
「ごっつええ感じ」のコントは、
基本的に「違和感のある日常」を、
笑いに変えるという構図になっています。
「ゴレンジャイ」ならば、
ヒーロー戦隊ものを、
微妙に「ずらす」ことによって、
悪役から怒られることで、
シュールな笑いを作っています。
「赤レンジャイ!」
「青レンジャイ!」
「赤レンジャイ!」
「赤レンジャイ!」
「青レンジャイ!」
「五人揃って、ゴレンジャイ!」
とやることで、
「いやいや、戦われへんわ、そんなん。
お前ら打ち合わせしてきたんか?
色かぶっとるがな。」
と、悪役(浜ちゃん)が説教する。
ヒーロー登場のシーンから、
いっきに「反省会」が始まる。
そういうシュールさですね。
「とかげのおっさん」ならば、
銀色の安そうな時計を腕に巻いて、
バーコード頭をした、
くたびれたおっさんの、
胴体が「とかげ」なのです。
おっさんの自意識は完全に、
「大阪のくたびれたおっさん」なのですが、
周囲からは「異形の化け物」なわけです。
公園でとかげのおっさんに出会う子ども(浜ちゃん)は、
「わー、おじさん面白いね!」といって、
とかげのおっさんと友情を育む。
それを見た大人=警察官(東野)は、
「きみ、なんやのん!?」
という、至極常識的な問いを発する。
一番根本的な問いなので、
とかげのおっさんはそれに答えられない。
このコントはもはや、
フランツ・カフカの小説「変身」の域に達しています。
いつかノーベル文学賞を獲るんじゃないでしょうか。
、、、まぁ、そんなわけで、
「ダウンタウン以降」の、
尼崎スタンダードのシュールな笑いというのは、
日常を切り取る角度を「ずらす」ことで生じる違和感を、
フックにして笑いを創出するというスタイルなわけです。
たぶん質問者様がおっしゃっているのは、
「ごっつええ感じ」とかのことではなく、
『ロンドンハーツ』とか、
『アメトーーク』とか、
そういった芸人同士でわちゃわちゃしながら、
笑いを生み出すスタイルのことを言ってると思うのですよね。
『ガキの使い』とかも一部そうですよね。
、、、で、
日常を「ずらす」笑いというのは、
どうしても「自己言及的」になります。
なので、先輩後輩の力学関係とか、
楽屋ネタ的なものとか、
そういった内輪のルールといいますか、
「疑似教室」みたいなものを作り、
そしてその中でそれぞれのキャラクターをテコにして、
みんなで笑いを作り上げていきます。
そうするとどうしても、
「いじり」の要素が入ってきたり、
(フィクションとは言え)「暴力」の要素が入ります。
そもそも「ツッコミ」という文脈で、
頭を叩く、とかっていうのって、
本当に日本だけらしいのですよね。
韓国の人から聞いたことがあるのは、
韓国で「頭を叩くこと」は笑いという記号ではないので、
見ている人は引いてしまうと言ってしました。
日本の漫才のルーツと言われている、
アメリカの「アボット&コステロ」の、
スタンドアップコメディスタイルでも、
「頭を叩く」という要素はありません。
あれは日本で独自進化した形態なのです。
、、、で、
その「いじり」と「暴力」が、
いわゆる学校でのいじめや、
スクールカースト的なマウンティングと、
よく似ているので、
一部の人は今の芸人たちの笑いを見て、
不快な気持ちになったりすると思うんですよね。
先ほど申し上げたように、
不快なものを敢えて見る理由はまったくありませんので、
耳をふさいでチャンネルを変えるのが一番だと思います。
ただ、芸人の「いじり」と「フィクション暴力」って、
「プロレス」だというのは、
知っておくだけで見方が変わることもあります。
私は完全に「ダウンタウン直撃世代」なので、
芸人たちがやっていることが「プロレス」
だということを、ある意味「教育」されて育ったのですよね。
なので、プロレスを安心して見られる。
ブレーンバスターを食らっている人も、
受け身を練習したプロだと知っている。
ラリアットは、うまく力を吸収するように、
倒れていることも知っている。
場外乱闘も、パイプ椅子で怪我しない叩き方、
叩かれ方を、彼らがいつも練習しているのを知っている。
そうすると彼らの試合に「興奮」できるわけです。
ミッキーマウスの中に人が入っていることを知っていても、
「夢の世界」に入り込めるのと同じです。
芸人の「いじり」も同じで、
たとえばそうですねぇ。
千原ジュニア(先輩)が、
前歯が欠けて滑舌の悪い三四郎の小宮を、
「いじっていた」としますよね。
あれは、「ブレーンバスター」なんですよね。
小宮も受け身を取れるし、
ジュニアも怪我させないやり方を知ってるから、
テレビカメラの前でああいうコミュニケーションができる。
「暴力」でいうと、
「山崎方正VSモリマン」のバトル、
っていうのが「ガキ使」にあるのですが、
モリマンが方正をごぼうでしばきまくります。
あれは「場外乱闘」なんですよね。
「方正が本当に、マジで痛がっている。
そして実際痛い。」
という違いはありますが笑、
あれは方正とモリマンという、
お笑い界のハンセンとブロディがやってるから、
「成立」しているのです。
昔、私の母が、
父がテレビでボクシングを見たり、
私がプロレスを見たりするのを、
後ろから見て、いやーな顔をしていたのを思い出します。
「そんな暴力的で血なまぐさいものを見て。
見ててもこっちが痛くなるだけじゃない。」
と母は思ってたと思うし、
じっさい母が父に言うのを聞いたことがあります。
きっとアメトーーク的な笑いを「受け付けない」か、
それとも楽しめるかという差は、
このあたりにあると思います。
なので、アメトーーク的なものを、
実際の人間関係で真似る、
っていうのは愚かだという図式も成り立ちます。
プロレス技を教室でやって大けがするヤツが、
年に2人ぐらいいたわけじゃないですか。
それと同じで、
芸人のいじりを真似たつもりで、
日常生活で同じ事をやると、
「面白くない」上に、
心理的な負傷を負うことになります。
このあたりって、
もうちょっと啓発したほうが良いと思うんですよね。
ダウンタウンチルドレンは常識として知ってても、
多分、日本国民の全員がそうではないので。
大食いタレントが大食いをするとき
「これはプロの業です。
ぜったいに真似しないでください」
というテロップを出すのと同じように、
芸人たちが楽屋ネタで「いじりあって」いるとき、
「これは『プロレス』です。
真似しないでください」
みたいに。
まぁ、それをやったときに、
見てる人は本当に「笑える」のかは疑問ですが。
プロレス中継で、
「これはプロの業です。
じっさいには痛くありません」
ってうテロップが出ているようなものですから笑。
「興奮できるかい!!」
っていうね笑。
、、、長々と話しましたが、
私の見解は以上のようなことです。
加えて、私はお笑い芸人の「生き様」が好きなんですよね。
彼らの頭の良さ、したたかさ、純粋さ、優しさ、
そういったものに惹かれ続けてるんです。
又吉直樹「火花」を読むと、
彼らがどれぐらい真剣で、
彼らがどれぐらい純粋かが、
とてもよく分かります。
最後に質問者様のような方でも、
安心して笑えるであろう、
お笑いコンテンツをいくつかご紹介します。
1.探偵!ナイトスクープ
2.LIFE 人生に捧げるコント
3.吉本新喜劇
このあたりは、
「いじめっぽいいじり」もありませんし、
安心して笑える内容ばかりだと思います。
新喜劇の「すっちー」は本当に凄い。
めだか→辻本ときて、
彼が出てきたことで、
新喜劇は救われた感じがします。
彼がいればあと30年は大丈夫でしょう。
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Q&Aコーナー
2019-12-30T14:19:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=436
陣内が先週読んだ本 2019年6月25日〜7月20日 『ブラック・スワン』他
第102号 2019年7月30日配信号
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■1 陣内が先週読んだ本
期間:2019年6月25日〜7月20日
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先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 陣内が先週読んだ本
期間:2019年6月25日〜7月20日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●逆襲する山里亮太
読了した日:2019年7月11日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:ラリー遠田
出版年:2015年
出版社:双葉社
リンク:
https://bre.is/0sKRICduZk
▼140文字ブリーフィング:
お笑いライターのラリー遠田さんの本って、
私はけっこう最近よく読むんですよね。
遠田さんがここで「山里世代」と言っているのは、
1970年代後半から80年代前半に生まれた、
山里亮太、又吉直樹、若林正恭、
村本大輔、井上祐介、塙宣之、西野亮廣ら、
7名の芸人たちです。
他にも劇団ひとりとかも同じ世代ですが、
まぁ、この世代は「層が厚い」のです。
そしてこの世代は、
ダウンタウン、さんま、たけしらとも違うし、
さまぁ〜ず、くりーむしちゅー、ナイナイなど、
現在40代後半から50代前半の、
「団塊ジュニア世代」の売れっ子たちとも違う。
とてもユニークな世代で、
今話題の「就職氷河期世代」とも重なっています。
何を隠そう、私はモロに、「山里世代」なので、
この世代の空気と言いますか、
ラリーさんが言っていることが、
非常によく分かるのです。
分野は違っても、世代の感じって、
やはり共通してますから。
引用します。
→位置No.20
〈――「僕らの世代は全員小器用でしかないんですよ」(山里亮太)
将棋の「羽生世代」、プロ野球の「松坂世代」のように、
お笑いの世界でも才能ある芸人が結集した一つの世代がある。
それが「山里世代」だ。
「山里世代」という言葉がテレビで初めて大々的に使われたのは、
おそらく2014年4月30日放送の『ナカイの窓』(日本テレビ系)だ。
ここで「山里世代」のタレントがゲストとして集められたのだ。
出演していたのは、山里亮太(南海キャンディーズ)、
若林正恭(オードリー)、綾部祐二(ピース)、
鈴木紗理奈、DAIGO、魔裟斗。
この番組では「76年4月〜79年3月生まれの人」を
「山里世代」と定義して、
子どもの頃に流行したモノなどについてトークを展開していた。
「ビックリマンチョコ」や「ミニ四駆」などの
懐かしグッズが紹介されたりして話が盛り上がる中で、
話題はお笑い業界の話しになった。
そして、MCの中居正広から
「山里世代からなぜスター芸人が生まれていないのか?」
という問題提起がなされたのだ。
山里はそれに答えて
「自分たちの世代には上の世代を打ち負かしてやろうと
本気で思っている人がいない」「全員小器用でしかない」
「何をやってももっとすごいバージョンが目の前にあった」と、
完全に上の世代に対する敗北を認めるような発言を繰り返していた。
そう、山里世代の芸人は、
上の世代に対する強烈なまでの「憧れ」と、
そこにどうしても追いつけないという
「あきらめ」を同時に持ち合わせているのだ。
70年代後半に生まれた彼らは、
テレビで活躍するビートたけし、
明石家さんま、ダウンタウン、とんえるず、
ウッチャンナンチャンといった、
きら星のごとく輝くカリスマ芸人に憧れて、
お笑いの道を志した。
だが、彼らがようやくテレビに出られるようになった今も、
あこがれのスターたちは現役でトップに君臨していて、
山里世代の芸人が付け入る隙はほとんどない。
しかも、今は一昔前とは違って、
お笑いに対する世間の風当たりも強く、
お笑い番組の予算も限られている。
昔のように無邪気にお笑い番組に
お金と情熱を無制限に注ぐことが許される時代ではないのだ。
そんな中で、なかなか冠番組を持てない、
上の世代を追い越せないといったジレンマを抱えながら、
山里世代の芸人たちはそれぞれが戦略を練り、
自分たちの個性を生かして
なんとか突破口を見つけようともがいている。
憧れとあきらめを抱えつつ、
それでも前を向いて戦い続ける彼らの生き様は、
お笑い以外の仕事をしている人にとっても大いに参考になるはずだ。〉
、、、「さんま、たけし」を、
「現在70代前後の団塊世代」、
「冠番組」を、「会社や組織での主導権」、
「番組予算」を、「会社の経済状況」、
などと言い換えると、
完全に就職氷河期世代の、
現在での社会の状況と重なります。
私たちは「上が詰まって」いるだけでなく、
社会状況は「人口オーナスの下り坂」、
「出るべきアイディアはすべて出尽くした」中で、
撤退戦を戦わなければいけないという、
けっこう「割を食ってる」世代です。
中高年引きこもりの問題が私たちの世代に集中している、
というのは偶然ではありません。
そのような、すでに「おいしい席」には、
先輩世代が居座っていて、
「分の悪い撤退戦」を戦わなければならない私たちは、
並外れてクレバーでなければ生き残れない。
クリエイティビティはすでに出尽くした中で、
「二次創作・三次創作」といったパロディから、
「メタ的な創造性」といったポストモダン手法など、
ありとあらゆることを試す。
私たちは「勝つ」ために戦っているのではなく、
生き残るために戦っている。
そんな私たちの世代は、
並外れて優秀な人が多いと思います。
マジで。
将棋で言うと、
先輩世代って、人口ボーナス時代ですから、
将棋で最初から飛車角が2枚ずつある、
みたいな戦い方ができたわけですよ。
「飛車角抜き」がデフォルトの私たちの世代の方が、
将棋は上手くなるに決まってるじゃないですか。
昭和の時代は「失敗するには努力が必要」なぐらい、
経済のパイ自体が拡大したのですが、
私たちは「努力しても生き残れるかどうかは運次第。
ただ、努力しなければ必ず消滅する」という、
「ハードモード」で戦ってきています。
戦闘力が上がるのは当然です。
そういった意味で、
「山里世代」は、
虎視眈々と、自分たちの才能が、
日本の未来を切り拓く日を待っています。
もうかれこれ、20年ぐらい、
「ブルペン」で投球を続けている。
マウンドでは60代以上のベテランが、
ぬるーい球を投げ続けている中、
私たちはブルペンで160キロの速球を磨いている。
そんな感じがします。
あくまで私の主観ですが。
当社比、というやつです。
(2,292文字)
●人をつくる読書術
読了した日:2019年7月11日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:佐藤優
出版年:2019年
出版社:青春出版社
リンク:
https://goo.gl/PLDvTA
▼140文字ブリーフィング:
非常に面白かったです。
いろんな学びがありましたが、
2つのポイントを紹介します。
まず、「読書と友人」の、
相乗効果スパイラルについて。
→位置No.62
〈本書で伝えたかった重要な事柄は二つある。
良い本を読み、良い友人を持つことだ。
具体的に言えば、中学生から30代前半までに出会う
人生の先達からは大きな感化を受ける。
それによって知的関心が広がり、読書の質が向上する。
すると、さらに多くの人と深い部分でつながることになる。
それは人格の土壌を形成し、
やがて豊かな実を付ける栄養源になるだろう。
つまり、人生を力強く生きる最大の力になる。〉
、、、「人格形成」「教養の形成」は、
どのようになされるかを佐藤さんは次のように説明します。
良い出会いをする→その人を通して良い本に出会う
→その本によって良い出会いをする
→それによってさらに良い本に出会う。
→その本によってさらに深く人とつながる
→以下無限ループ
というポジティブフィードバック効果が、
「人格と教養の形成」の定番だと。
私の人生もまさに「このまんま」です。
「素晴らしい友人」とは、
大抵読んだ本についての会話から、
友情を深めていきます。
「良い本」は大抵、
良い友人や先輩が、
「これが俺の人生を変えた一冊」と、
紹介してくれたことがきっかけで出会っています。
「友情と読書の相乗効果」はとても大切です。
どちらが先か?
どちらでも良いと思います。
友だちしかいない人は、
友だちに「過去最高の一冊」を聞いて、
それを読みましょう。
読書しかない人は、
自分の人生を変えた一冊によって、
同じく人生を変えられた人を探しましょう。
世界のどこかにいるはずです。
その人はきっとあなたの親友になってくれるでしょう。
もう一つ、
「文学は予防接種(ワクチン)だ」
というのも心に残りました。
→位置No.774
〈あるいは、文学というのは
一種の予防接種のようなものかもしれません。
作品には多くの魅力的な人物や生き方、
考え方ばかりでなく、ときには人間性の卑俗な部分、
見たくはない悪の部分も描かれています。
実際に直面すると危険が及ぶような状況、
人物を疑似体験するわけです。
それが抗体のように働くことで、
その後の人生に対する免疫力が確実にアップするのです。
最近、精神的に脆く、
打たれ弱い若者が多いのは、
文学に触れてこなかったせいで、
人格の基礎となる土壌が痩せてしまっている、
あるいは免疫力が弱いということも
関係しているのではないでしょうか。〉
、、、小説(文学)って、
「ハッピーな話」が、
ほとんどないのは何故か、
考えたことがあるでしょうか?
これは日本だけでなく、
アジアだけでなく、
欧米圏、ロシア、アフリカ、ラテンアメリカ含め、
全世界共通です。
あらゆる国で「文学」が扱うテーマは、
「陰鬱な話」が多い。
「ライ麦畑でつかまえて」(サリンジャー)
「偉大なるギャッツビー」(フィッツジェラルド)
「城」(カフカ)
「荒野のおおかみ」(ヘッセ)
「人間失格」(太宰治)
「ノルウェーの森」(村上春樹)
「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)
このように、
ざっと古今東西の文学の金字塔を羅列しますと、
ひとつも「ハッピーな話」はありません。
「自殺」「他殺」「精神疾患」が、
ほとんどすべての作品に出てきますし、
基本的に「病んでいる人の話」以外に、
たぶん文学って存在し得ません。
なぜか?
それは、文学は「ワクチン」だからです。
ワクチンには不活化ワクチンと生ワクチンがあります。
生ワクチンは弱毒化したウィルス、
不活化ワクチンは死滅したウィルスの断片です。
これらを体内に摂取することで、
人は「疑似罹患状態」になります。
「想像妊娠」みたいな感じで、
身体は「病にかかった」と勘違いするのです。
すると、その病原菌に対応する、
免疫細胞が作られる。
人体は「いちど作った免疫細胞の記憶」を、
その後、長い間、忘れません。
なので、今度は本当の病原菌がやってきたとき、
ただちに免疫細胞を作り、
当該病原菌を撃退する事が出来るようになる。
これが「ワクチンが効く」仕組みです。
小説はどうか?
佐藤さんが言うように、
物語に触れることで、人は「病」を、
一度身体に取り込むのです。
そして疑似的にその病を通過することで、
リアルな人生において、
同じような状況に陥ったり、
同じような状況の他者と出会ったりしたときに、
「物語」の記憶が生きてくる。
それが、私たちはこの困難な世の中を、
生き抜くたくましさにつながる、
と佐藤さんは言っています。
本当にそうだと思います。
良い文学に触れた人とそうでない人は、
「ワクチンへの暴露」をしてる人と、
そうでない人と、同じような違いがあります。
(1,888文字)
●ブラック・スワン 不確実性とリスクの本質(上)
読了した日:2019年7月20日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ナシーム・ニコラス・タレブ
出版年:2009年
出版社:ダイヤモンド社
リンク:
https://bre.is/YBk9MLMu8
▼140文字ブリーフィング:
非常に面白かったです。
はやくも「今年のベスト10入り」が、
決定している本です。
3年前に読んだ、
「反脆弱性」の、
ナシーム・ニコラス・タレブの、
「出世作」です。
本作が見事に「リーマンショック」を説明していたから、
「在野の経済思想家」として、
主流経済学者から無視されていたタレブは、
一躍世界の人々の注目する論客となりました。
「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
本書におけるその定義を紹介します。
→P3〜4
〈この本で黒い白鳥(ブラック・スワン)といったら、
それはほとんどの場合、次の三つの特徴を備えた事象を指す。
第一に、異常であること。
つまり、過去に照らせば、
そんなことが起こるかもしれないとはっきり示すものは何もなく、
普通に考えられる範囲の外側にあること。
第二に、とても大きな衝撃があること。
そして第三に、異常であるにもかかわらず、
私たち人間は、生まれついての性質で、
それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道を付けたり、
予測が可能だったことにしてしまったりすること。
ちょっと立ち止まって、
この三つの特徴をまとめてみよう。
普通は起こらないこと、
とても大きな衝撃があること、
そして(事前ではなく)事後には予測が可能であることだ。〉
、、、福島第一原発の事故、
9.11のテロ、
リーマンショックなど、
21世紀は「黒い白鳥」で溢れています。
問題は人間の脳のバイアスにより、
人々は「確率をうまく直感的に把握できない」
ことにより、黒い白鳥に備えることができないことです。
大きな起業や官僚組織ほどその傾向が顕著で、
彼らはあらゆることを「ベルカーブ曲線」という、
「モデル」に押し込もうとします。
そうすると「確率の世界からやってきた黒い白鳥」により、
「すべてが吹き飛ぶ」ことになる。
そして彼らは決まって言います。
「あれはこういう理由で起きたのだ。」
彼らは事後に理論化することは得意ですが、
事前にリスクを把握することができません。
いつも「後出しじゃんけん」であり、
自分の予測が外れたことの責任は取りません。
タレブはこういった人々を、
「フラジリスタ」といって痛烈に批判します。
文字数オーバーで今日はこのへんまでで。
下巻もめちゃくちゃ面白いので、
またの機会に解説しますね。
(925文字)
●日本語ラップバトル入門
読了した日:2019年7月20日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:DARTHREIDER ダースレイダー
出版年:2017年
出版社:KADOKAWA
リンク:
https://bre.is/t3TWCpWue
▼140文字ブリーフィング:
ラジオ番組で、
「ダースレイダー」という人の存在を知りました。
しゃべりがめちゃくちゃ面白かったので、
本書を手に取りました。
日本のラッパーについて、
私はあんまり詳しくなくて、
映画評論の宇多丸師匠がいる、
ライムスターとか、
ジブラとか、
そんぐらいしか知らなかったのですが、
この本を読んで日本のヒップホップ界のことが、
少し分かりました。
KREVAと般若がとにかく凄い、
っていうのがよく分かりました。
この本で実は一番面白かったのが、
奥付きの著者のプロフィールです。
→P192
〈DARTHREIDER(ダースレイダー)
1977年、フランス、パリ生まれ。
10歳までロンドン育ち。
東大文科二類入学後、中退。
ベーソンズのVo/MC。鎖GROUP所属。
2010年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明、
一次は両目を失明するも手術で右目は回復、
以後は左目の眼帯がトレードマークに。
現在も内蔵の機能低下と闘病中。
音楽、映画、マンガなど豊富な雑学知識に基づいた幅広い表現、
高速回転頭脳、そして卓越した言語能力で
様々な現場を盛り上げる。
人気ニュースバラエティーNEWS RAP JAPAN(AbemaTV)メインキャスター。
「クラブとクラブカルチャーを守る会」広報として
風営法改正に尽力、国際会議にも参加。
東京大学「STREET CULTURE」ゼミで講義。
著作/監修に『ディスク・コレクションヒップホップ』
シリーズ(シンコーミュージック)。
自身の生きる決意を歌った楽曲「5years」(2017)が話題を呼び、
ペーソンズとしての活動も本格始動!〉
、、、宇多丸さんもそうですが、
ヒップホップ界には、
尋常じゃなく地頭がいい人、
っていうのが一定数いるんですよね。
強面のオラオラ系の兄ちゃんばかり、
っていうのはレッテル貼りですね。
ヒップホップのカルチャーって、
過去のアーカイブを利用して、
それをコラージュし、現代の問題を風刺したり、
今の世界の困難をプラスの力に変えたり、
っていう、非常に知的な営みなので、
当然そうなんだろうな、と思いますけど。
(845文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:
『ブラック・スワン』
コメント:
この本は凄いです。
世界観が変わる系の本です。
「反脆弱性」を既読だったので、
反脆弱性の副読本として、
さらにいろんなことが分かってきます。
とにかく「効く」本です。
巷にあふれた自己啓発ビジネス書を、
100冊読むよりも、これを1冊読んだ方が絶対良い。
お金と時間の節約になります。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「芸人がんばれ賞」
コメント:
「吉本騒動」を見ながら、
世論が「芸人憎し」みたいな方に流れていくのは、
私は心が痛いです。
芸人の生き方は、
確実に私たちを励ましてくれているし、
私たちに示唆を与えてくれている。
全員がそっぽを向いても、
私は芸人を応援します。
]]>
陣内が先週読んだ本
2019-12-29T14:16:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=435
時事ネタ『吉本問題』について
第101号 2019年7月23日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼今週は休刊のつもりだったのですが、、、▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
実は今週、メルマ...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼今週は休刊のつもりだったのですが、、、▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
実は今週、メルマガは休刊するつもりだったのですよね。
執筆時間が全然取れなかったので。
3回目ぐらい(?)の休刊かぁ、
というつもりでいたんです。一週間。
そういう週もあります。
そもそもロングスリーパーな私は、
毎日9時間〜10時間寝ているので、
他の人よりも2〜3時間、1日が短いのです。
そのぶん、スマホを持たないことにより、
1〜2時間ぐらい「稼いでいる」のですが、
それでもやはり、
6時間とか7時間睡眠で大丈夫な人よりも、
「人生が短い」と思っています。
私に与えられた時間は、他の人よりも短い。
だから、
「無駄なことをしている暇はない」のです。
「人生は短い。
そんな暇はない。」
と思うことが、私は多分他の人よりも多い。
あれもこれもできない。
だから、レーザービームのように、
自分が本当にすべきこと、
自分にしかできないこと、
そして自分がしていて生き生きすること、
それによって社会の役に立つこと、
そういったことに集中したいと思っています。
SNSの「いいね」を数える時間はありません。
メッセンジャーアプリで即レスする時間もありません。
そもそも「通知」が嫌いなので、
なるべく人にはアカウントを教えません笑。
Facebookでそんなに仲良いわけでもない人の、
近況をチェックする時間もありません。
面白くもないテレビを見る時間もありません。
社交場に行って、どうでもいい人の、
面白くない話を聴く時間もありません。
名刺を100枚交換して、
2回目に会う人はそのうち1人、
というような人間関係構築をする暇もありません。
私は家族と大切な友人と、
濃密な交わりを過ごすことに、
短い時間のすべてを使いたい。
教会と社会に自分の能力を還元し、
世の中に自分が生かされていることへの感謝を、
神に対して表現することに、
短い時間のすべてを注ぎたい。
そんなわけで、
「短い人生」の一部を使って、
執筆に当てるほどには、
このメルマガは重要なものなのです、私にとって。
わりとFVIの「預言的な働き」の、
とても大切な場所を占めているとすら思っている。
それでも執筆時間が取れない、
ということはあります。
年に何度かは。
先週めでたく100号を迎えたことだし、
まぁ、一週間ぐらい、休んでもいいかな、
と思っていました。
しかし、
なんか、これは今書いとかなきゃな、
ということができたので、
本日、火曜日の午前中に、
急いで書いています。
他にもすることがあるので、
1時間以上は書きません。
でも、なんか、
これは書かなきゃ、と思ったので。
そうです。
吉本のことです。
そっちかい!
という人もいるかもね笑。
参院選じゃないんかい!って笑。
参院選についても、もちろん語りたい。
二階幹事長の「安倍首相四選」発言について、
特に語りたいし、問い詰めたい。
でも、まぁそれは別の機会に譲りましょう。
なぜ吉本のほうなのか?
陣内はバカなのか?
そうかもしれませんが笑、
そうじゃないんです。
この問題って、
現在の日本社会の膿といいますか、
病理が濃縮されていると思うんですよね。
私は獣医ですが、
なかでも「病理学」という分野は特殊で、
死んだ動物しか相手にしません。
なかでも珍しい死に方をした牛は、
その死体にたくさんの情報が含まれている。
一体の解剖から、
臓器の写真を撮り、
組織切片を作り、
様々な染色を施し、
あらゆる角度から分析する。
尊い命をもって牛が教えてくれたその「情報」は、
獣医学という学問を前進させ、
よりよい明日のために、
大切な考察を与えてくれます。
吉本は「死体」ではありませんが、
今この組織が経験していることは、
病理解剖することで私たちが貴重な情報を得られる、
そういった「サンプル」だと思うのですよね。
なので、私なりの角度で語ってみたくなりました。
というわけで質問カードは割愛し、
さっそく本編にいきましょう。
「モリカケ問題」以来の、
「今週の時事ネタ」のコーナーです。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 今週の時事ネタ
今週の「時事ネタ」のコーナーです。
実はブログに限界を感じメルマガをはじめた
理由のひとつはここにあります。
べつに私は「炎上」するほどの影響力があるわけではないのですが、
この手の話題というのは、英語で言うなら「Touchy」であり、
何気ない「意見の表明」が、ある読み手にとっては、
神経を逆なですることになりかねない。
逆にある受け手にとってその「意見の表明」は、
「これこそ自分の政治信条の代弁だ」みたいになって、
変な形で拡散されたり、「シンパ」のように思われたりしかねない。
だからこそ「政治の話はタブー」なのでしょう。
有吉弘行が、父親から唯一言われたアドヴァイスが、
「人気商売をするにあたって、
政治の話と宗教の話はぜったいするな」
だったと彼は著作に書いていました。
彼はそれを忠実に守っているように見える。
そして成功しているように見える。
私も非常に限定された意味においては、
「人気商売」的な側面もありますから、
本当に「成功」したければ、
ここには立ち入らないのが「正解」です。
私は教会に関する仕事をすることが多いですが、
教会でも多くの場合「政治の話はタブー」です。
読者の皆様の多くは会社などで働いておられると思いますが、
職場でも「政治の話はタブー」と推察されます。
学校に行っている人ならば、
「学校でも政治の話はタブー」でしょう。
近所づきあいをしている人なら、
「地域社会でも政治の話はタブー」でしょう。
、、、とすると、
今の日本社会で、政治の話がタブーでない場所って、
どこにあるんでしょう?
なんと、現実世界にはそんな場所はないのです。
ではどこに、「政治の議論」はあるのか。
じつはインターネットです。
そして端的に言って、インターネット上の「政治の話」は、
悪臭が漂い、魑魅魍魎が跋扈する危険な領域であり、
首を突っ込むと、あなたの首ごと強烈に腐敗します。
または耳や鼻を持って行かれかねない。
いつか説明しますが、「あの界隈」は非常に危険なので、
首を突っ込まないのが正解です。
そうすると、ハーバーマスのいうような「公共圏」で、
政治について開かれた議論を安全に聞くことは、
まず不可能ということになる。
そして良識的な人が沈黙すると、
やがて非常識な人の声が相対的に大きくなる。
クレーマー問題がそうですね。
「ノイジーマイノリティ効果」とでも呼べる。
、、、だとすると、良識的な人が、
ときにはリスクを背負い、ある種の覚悟をもって、
「何の得にもならないけれど」発言しなければならない。
有吉弘行には鼻で笑われるでしょうが、
私はそう考えます。
その「発言」をする場所として、
メルマガを発行することにした、というのも、
このメルマガを刊行する一つの理由です。
じゃあ私が「良識的な人」なのかどうか?
それはお読みいただいて、
その判断は読者のあなたに一任いたします。
ちなみに私はフランスの思想家ヴォルテールの、
次の言葉をたいせつにしています。
「私はあなたの意見に反対だが、
あなたがそれを言う権利は死んでも守る。」
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼論点は二つある。▼▼▼
早速今回の吉本興業の問題を振り返りましょう。
まず、この問題には論点が二つあります。
「フタコブラクダ型の問題」になっています。
ひとつめは、宮迫さんたちが、
反社会勢力、具体的には振り込め詐欺グループの、
パーティに出席し事務所を通さない報酬をもらったことの是非、
といういわゆる「闇営業問題」です。
ふたつめは、宮迫と亮の会見によって明らかになった、
吉本興業の「隠蔽体質・ブラック企業疑惑」ですね。
土曜日に宮迫さんたちが会見し、
それを受けて松本人志が吉本本社で社長・会長と直談判し、
日曜日の朝にはワイドナショーが生放送され、
それを受け昨日(月曜日)に岡本社長が会見をしました。
最初の会見の論点は、
「闇営業問題」であり、
宮迫と亮がどう責任を取るのか、というところにありました。
2番目の会見の論点は、
「吉本という企業の体質/
タレントと事務所のパワーバランス/
テレビ業界と芸能事務所の暗黙ルール」
というあたりにあります。
わずか2日間で、
世間の「批判の的」は、
宮迫さんから、
一気に岡本社長にシフトしました。
宮迫と亮は、
どれだけ確信的だったか分かりませんが、
見事に「論点をずらす」ことに成功したのです。
これを意図的にやったとしたら天才ですが、
多分意図的じゃないです。
「世論」って気まぐれなので、
「このようにコントロールしよう」
と思ってできるものではないからです。
とにかく、2日間で、
論点はスライドしました。
1.闇営業の是非
2.吉本の企業体質
1から2へと、論点がずれたわけです。
▼▼▼いや、論点は三つある。▼▼▼
ここでもうひとつ論点が出てきました。
これは「メタレベル」の論点です。
どういうことか?
1から2へ、論点がスライドした背景に、
今の日本の「世論」の気まぐれさと、
その傾向があるわけです。
宮迫と亮の会見までは、
「宮迫憎し」という大衆心理があったわけです。
嘘をついたのがいけない。
不倫疑惑のときから嘘をついていた。
100万円をもらって覚えてないとかあり得ない。
他にも「黒い交際」があるのではないか。
自分が詐欺被害者でもあるかのように、
(なぜか)詐欺被害者を代弁して、
彼らを糾弾する論調が多かった。
どうしてそうなるのか?
現代の日本で「最強の正義の根拠」は、
「被害者」だからです。
「被害者が一番強い国」だから、
被害者じゃない人が、
「被害者はどう思うと思ってるんだ!」
と、虎の威を借る狐のように、
「代弁型正義」を振り回す。
これが昨今の日本の悲しいところです。
一神教的な世界では起こりえない状況です。
「絶対的な正義の尺度=超越的な神」がいる世界では、
「被害者かどうか」ではなく、
「あなたが神の前に正しいかどうか」が大切ですから。
ルース・ベネディクトが言った、
「罪の文化と恥の文化」の違いです。
恥の文化の日本には「正義の根拠」が、
被害者性ぐらいにしか求められないわけです。
話が多少それました。
とにかく、
会見前の状況は、宮迫という人気芸人が、
袋だたきにあって、
「凋落」していく、
それを見るのを世論が「楽しんでいた」きらいがあります。
ベッキーの不倫騒動以降、
ワイドショーのネタは「こればっか」です。
他にねーのかよ、と思う。
でも、これはワイドショーがバカだからじゃないんです。
それを見る人が多いから、
彼らは資本主義の原理に基づいて、
視聴率が上がるものを創り続けているだけなので、
「視聴者がバカ」だからこうなるのです。
つまり「一番見たいものは集団リンチ」
という、異常な社会状況になっている。
この背景には長く続く実質賃金の地盤沈下、
雇用の不安定性、福祉の維持困難など、
今の日本のあらゆる社会階級の人間が、
「生きづらさ」を抱えていることと関係があります。
「生きづらさ」というフラストレーションに対して、
「生きづらさを取り除く」という原因療法とは別に、
「対症療法」も存在します。
それは、フラストレーションに対するカタルシスを与える、
という方法によってなされます。
「溜飲を下げる」というやつです。
このときに「サンクション」という概念が、
役割を果たします。
サンクションとは「制裁」を表す英語ですが、
辞書でこのように定義されています。
「社会的規範から逸脱した行為に対して加えられる
心理的・物理的圧力をいう。社会的制裁ともいう。
それは単なる嘲笑(ちょうしょう)といった程度のものから
死に至るまでのものを含む。」
まさにベッキー以降の、
ワイドショーの状況です。
ワイドショーは今、
「サンクション劇場」になっているのです。
この「サンクション」がなぜ劇場化するのか?
サンクションの現場には、ある感情が伴います。
それは「シャーデンフロイデ」という感情です。
ドイツ語で「他者の不幸を見て得られる喜びの感情」を意味します。
今の世界では、
政治家もサンクションを利用し、
「外敵を作る」ことで票を得ます。
原因療法、つまり人々の生きづらさを取り除くよりも、
対症療法、つまり人々の溜飲を下げることのほうが、
簡単だからです。
アメリカ人の問題を解決するよりも、
「メキシコ人からアメリカを守る」と言った方が、
コストが安いからトランプはそう言ったし、
それは成功しました。
原因を取り除くには痛みが伴いますが、
症状を取り除く麻薬は快楽をもたらすからです。
韓国政府は国内政治のあまりの混乱に、
それを覆い隠すために、
「日本憎し」という外敵を作ることで、
国民の溜飲を下げさせ政権を延命させます。
これはもはや韓国の慢性的な病になっています。
日本の政治もそうですね。
昨今の日本で保守の政治家が勝ち続けている理由は、
彼らが基本的にはサンクションを満たすからです。
「外敵から日本を守る」という方向性のほうが、
「社会保障制度を見直す」という方向性よりも、
集票効率は良いに決まっているのです。
排外主義的な政党が世界で人気なのには、
こういった理由があります。
マスコミも、
「シャーデンフロイデがよく売れる」
ことをよく知っていますから、
すべての報道が「ベッキー化」するわけです。
今回の宮迫さん問題も、
シャーデンフロイデの格好の餌食になったのです。
芸人として成功し、
きっと良いお金を稼いでいた「成功者」が、
落ちるところまで落ちる、という「見世物」を、
世間は楽しんでいた。
ところが2日間で状況は一変します。
どう一変したのか?
それが1→2への論点のシフトです。
つまり「サンクションの対象」が、
芸人から芸能事務所へと移ったのです。
これを「手のひら返し」だと批判する人もいます。
私も手のひら返しだと思います。
しかし、世論が賢かったためしなんて、
今まで一度たりともないわけですから笑、
私は今さら腹も立ちません。
「まぁ、そうなるでしょうね」というだけです。
いっさいの価値判断を留保します。
世論は自然現象と同じですから、
「昨日晴れてたのに、
今日雨じゃねーかよ!」
と怒っても仕方ないのです。
世論は気まぐれです。
そして論理なんてありません。
ただただ、そういうものとして受け入れるしかありません。
受け入れた上で、
自分はそれに巻き取られないように、
「自分の頭で考える」という習慣を身につけ、
世間の空気に流されないように、
思考の足腰を鍛えておくしかありません。
エーリッヒ・フロムが、
ナチズムという空気に人々が流された果てに、
『自由からの逃走』で書いたのが、
まさにそういうことです。
ところが今の日本で、
「思考の足腰を鍛えよう」としている人は、
たぶん人口の5%ぐらいで、
95%ぐらいの人は、
世間の空気という暴風に吹き飛ばされている。
もしくは吹き飛ばされていることにすら気づいていない。
現在の日本でナチズム的なるものが吹き荒れても、
私はまったく驚きません。
そのとき私はボンヘッファーのように、
この世から消されるでしょう。
「サンクション」の餌食となって。
▼▼▼私が論じるのは「二つ目」。▼▼▼
ここまでの議論を整理するとこうなります。
論点は3つある。
1.闇営業の是非
2.吉本興業の体質
3.世論の「シャーデンフロイデ問題」
私が論じたいのは「2」です。
時間がありませんから簡潔に。
私はいつも仕事しながらラジオを聴いているので、
宮迫と亮の会見も、
岡本社長の会見も、
両方ともYouTubeの生放送で、
全部ではないにしても、
仕事をしながらではありますが、
1時間ぐらい「視聴」しました。
ワイドナショーも録画して、
久々に見ました。
1→2へと論点がスライドし、
サンクションの対象が、
宮迫から岡本社長へと、
移っていく様子をリアルタイムで目視したわけです。
ひとつ言えるのは、
宮迫に対するサンクションと、
岡本に対するサンクションは、
質的にも量的にも次元が違う、
ということです。
前者は「ベッキータイプ」であり、
後者は「日大アメフト部タックル問題タイプ」
と整理できます。
つまり、宮迫へのシャーデンフロイデは、
「成功した個人が凋落するのを見る喜び」であり、
岡本社長へのシャーデンフロイデは、
「大きな組織からの抑圧に対する怒りから来る、
社会構造に向けた憤り」なのです。
過去にYouTubeで私は、
「シャーデンフロイデ」について話しています。
▼参考リンク:ひとりビブリオバトル『シャーデンフロイデ』
https://youtu.be/dZ6InVgRQXg
この動画でも言っているとおり、
私たちはシャーデンフロイデという感情が、
自分にもあるのを自覚し、
そしてそれに流されないように気をつけねばならない、
と自戒していますから、
前者のシャーデンフロイデに、
まったく感情移入できません。
いや、したくない。
したらダメだ、と思う。
姦淫の現場で捉えられた女性に、
石を投げる群衆のひとりに、
私はなりたくないから。
しかし、後者の、
「社会構造に向けた憤り」に関しては、
私はかなりの部分で共感し同意する。
もちろん内部にいる人間にしかわからない、
岡本社長なりの内在的論理があり、
そして彼なりの正義があるのでしょう。
問題解決のために奔走した1ヶ月だったというのは、
宮迫たちと同じで本当なのでしょう。
しかし、宮迫と岡本の間に、
決定的に、質的に異なる要素があります。
それが「組織に守られリスクを取らない人間」か、
「個人としてリスクを取りながら生きている人間」か、
という違いです。
前者は芸能プロダクションで、
後者がタレントです。
前者は球団やプロ野球連盟で、
後者がそれぞれの選手です。
今まで一度でも会社を辞めて、
独立したことのある人なら、
全員が激しく同意してくれると思うのですが、
日本社会における、
組織の強さは異常であり、
個人の弱さは異常です。
パワーバランスがあまりにも違いすぎる。
村上春樹は、
エルサレムの大学でのスピーチで、
『卵と壁』について語りました。
生卵は壁とぶつかるといつも壊れる。
どちらが正しかったとしても、
私はいつも卵の側に立ちたい、
と村上春樹は言いました。
壁とは「システム」です。
卵とは「個人」です。
システムは、
巨大企業、中央官庁、学問の象牙の塔、
宗教組織ならば「教団」、
そういったものを指します。
個人は「生身の個人」を指します。
宮迫と亮の会見は人の心を動かし、
岡本の会見は人の心を逆なでした。
なぜか?
それは、宮迫と亮の会見が「生卵の声」であり、
岡本の会見は「システムの声」だったからです。
岡本社長は、
「1年間の報酬50%カット」
ということで、責任を取るとする、
と言いました。
日大アメフト部問題の「大人たち」と同じで、
自分の立場は安泰です。
50%カットされた報酬の額は、
多分普通の会社員の年収よりはるかに多いでしょう。
芸人はどうでしょう?
解雇されたら、
彼らの人生はどうなるのでしょう?
たけしやさんまや松本人志や太田光が怒っているのはそこです。
芸人は「裸一貫で、あらゆるリスクを負って」芸人しているのです。
芸人から舞台を取り上げるのは、
会社組織に守られた人間の「降格や減給」といったリスクとは、
同じテーブルに並べることのできないほど大きなリスクなのです。
両者では、
リスクのレベルが違いすぎます。
なので当然、「腹のくくりかた」が違う。
▼▼▼「フラジリスタ」と「反脆弱性」▼▼▼
ナシーム・ニコラス・タレブは、
『反脆弱性』という本のなかで、
こんなことを言っています。
▼▼▼アポロン的なるものディオニュソス的なるもの
→位置No.340
〈私は、ニーチェが『悲劇の誕生』で
取り上げている中心的な問題を理解するまでに、
ずいぶんと時間がかかった。
彼は「アポロン的」と「ディオニュソス的」の
ふたつの概念を提唱している。
アポロン的なものとは、安定していて、
バランスがとれていて、合理的・理性的・自制的なものを指す。
一方、ディオニュソス的なものとは、
あいまいで、直感的・野性的・自由奔放で、理解しにくく、
身体の内側から湧いてくるようなものを指す。
古代ギリシアの文化では、
このふたつがバランスを保っていたが、
ソクラテスがエウリピデスに影響を及ぼすと、
アポロン的なものの占める割合が高くなった。
ディオニュソス的なものは破壊され、
合理主義は過剰な高まりを見せた。
これは、ホルモンを注射して
身体の化学的なバランスを壊すようなものだ。
アポロン的なものばかりでディオニュソス的なものがないのは、
中国の言葉を借りれば、陽ばかりで陰がないようなものだ。〉
、、、読者の皆様はここで、
アポロン的なもの=システム(芸能事務所)
ディオニュソス的なもの=個人(タレント)
という概念の類似性に気づかれると思います。
ナシーム・ニコラス・タレブは、
アポロン的なもののことを、
別の箇所で「フラジリスタ」と呼んでいます。
フラジリスタとは何か?
タレブの定義によりますと、
「リスクをすべて外部に押しやり、
自分(たち)の安定を至高の価値として保つ人々」です。
フラジリスタには、
大企業の役員、正社員、
象牙の塔の終身雇用された学者、
中央官庁や地方の公務員、
ある種の政治家などが含まれます。
なぜ彼が「フラジリスタ」と呼ばれるのか?
フラジリスタはフラジャイル(脆さ)から来ています。
つまりタレブは彼らのことを、
「脆弱なヤツら」と呼んでいます。
どこが?
と思うでしょ。
むしろ彼らは「最強」に見えますから。
「反脆弱性」を全部読むと分かりますが、
タレブがフラジリスタというとき、
彼ら自身が脆弱だという意味でもありますが、
彼らが「社会を脆弱なものにしている」
という意味合いを込めています。
金融工学モデルに基づき、
デリバティブ商品を売りまくり、
リーマンショックをもたらした、
ウォールストリートのトレーダーたちはフラジリスタです。
彼らがその後、満額の退職金をもらい、
今も涼しい顔でウォールストリートで働いているのは、
全世界が知っています。
彼らへの「サンクション」が、
ヒラリー・クリントンを落選させた、
というのも一つの見方として存在します。
民主党は金融業のシンパですから。
フラジリスタは常にリスクを外部に押しやります。
彼らが引き起こした脆弱さにより、
リスクを押しつけられたのは誰か?
リーマンショックによって傾いたGMを、
国庫資金で救ったことにより、
納税したアメリカ国民全員が、
損失を被りました。
あるいは金融業の手痛い失敗により、
資金が焦げ付いた地方の零細な事業主が。
東京電力もフラジリスタです。
彼らは誰もが知る「高給取り」です。
彼らがフラジリスタだったおかげで、
福島第一原発は事故を起こしました。
そのリスクは誰が取ったのか?
東電の社員ではありません。
福島県民全員と、
「高騰した電気代と復興税」によって、
その補填をし続けている、
日本の全国民が損失を埋め合わせています。
フラジリスタは常にリスクを外部に押しつけ、
自分たちは安泰であることを至上の価値とします。
皆さんもおわかりのように、
芸能事務所や大手メディアはフラジリスタです。
フラジリスタの至高の価値は「リスクを負わない」ことです。
岡本社長の会見があんなにも見るに堪えなかったのは、
彼がフラジリスタとして行動したからです。
YESかNOで答えて下さい、
と言われているのにもかかわらず、
質問に答えず、
もごもごと長い割に内容のない話をし続け、
はぐらかし続けた。
結論だけを言えば良いのに、
何が言いたいのか分からない、
言語的にも破綻した言い訳を繰り返した。
日大アメフト部のときと同じです。
彼らがなぜあのように振る舞うのか?
それは「壁の中で生活している」からです。
彼らは自分という個人を主語にして、
何かを語る事が出来ません。
彼らは「ポジショントーク」以外に何も語れない。
自分という個人を組織に売り渡すことで、
自らの安泰を守ってもらう、
という「互助会組織」が、
日本の企業文化ですから、
責任者の謝罪会見は、
いつも「似たようなグダグダ」になるわけです。
何が言いたいのか??
タレブが書いた本は、
「反脆弱性」です。
アンチ・フラジリティが英訳になります。
「アンチ・フラジリスタ」として生きることを、
タレブはこの本の読者に啓発しています。
なぜか?
21世紀が「不確実な時代」であり、
そのような時代は、
フラジリスタは必ず失敗するからです。
「壁の中で生活することのリスク」が、
ますます高まってきている。
私たちはどこかで「安定」を確保しつつ、
一方で挑戦し続けなければならない。
「リスクを冒さないことがリスクである時代」
に生きているのです。
ここが、20世紀と21世紀の一番の違いです。
20世紀というのは、
岡本社長的な生き方をしていれば、
本当に安泰だった時代です。
それには
「パイの拡大・人口ボーナス・二次産業主導型経済」
など、いろんな要素が絡んでいます。
とにかく20世紀は時代がフラジリスタに味方した。
21世紀の今、岡本社長的なふるまいは、
多くの論者が口をそろえるように、
「時代を読み間違えた」ふるまいとなります。
その背後にはインターネット、人工知能、
パイの縮小、人口オーナス、産業構造の転換があります。
私はやはり、
「リスクを取っているほうの味方」です。
私自身が「壁の外側」で生きているので、
きっと余計にそう思うのでしょう。
今回
1.闇営業の是非、
2.吉本興業の体質
3.シャーデンフロイデの問題
3つのうち、2について重点的に語りました。
1と3についても語るべき事はありますが、
またいつか、別の機会に。
さて。
ではどうすれば良いのか?
実は、社会を前に進めるのは、
「アンチ・フラジリスタ」です。
つまりリスクを取る人こそ、
「反脆い存在」へと社会を強くする。
イノベーションを起こす存在です。
起業家、芸人、芸術家、在野の活動家、
そういった人が不確実な時代に、
社会を前に進めるのです。
フラジリスタは彼らのイノベーションに寄生しているに過ぎない。
吉本興業が芸人の才能に寄生しているのであって、
芸人が吉本興業に寄生しているのではない。
価値の創出があって、富が生まれるのです。
逆ではありません。
人生をリスクに賭けて、
ゼロから1を生み出す芸人たちがいるから、
吉本興業が存在できているのです。
岡本社長はじめ、
吉本の上層部が勘違いしているのはそこであり、
彼らが「もっとも時代錯誤的な部分」はそこです。
そして会見により世間に彼らが見せたのは、
自分たちは本当にその失敗が分かった、という悔恨ではなく、
「勘違いし続けている」という事実であり、
時代錯誤的な企業であるということの露呈であり、
そして自分たちが時代錯誤なことというその事実にすら、
多分気づいていない、悲しくなるぐらい見苦しい、
フラジリスタ流の自己防衛でした。
この問題がどういう収束を見せるのか分かりません。
個人企業主のあつまりである芸人たちは、
雇用関係にあるわけではないので、
法律的に団体交渉権を持っていません。
「労働組合」が作れない。
しかし、プロ野球の「選手会」のようなものは作れるはずです。
ハリウッドの俳優たちも作っていますし、
NBAにもそういったものがあります。
そういった「職能による連帯」を作ることが、
私は急務だと思います。
「アンチ・フラジリスタ」の多くは、
宮迫さんらと同じく、
自分の人生をリスクに犯すことで、
自分たちの創造性を担保していることが多いので、
そのリスクを緩衝するような仕組みが必要です。
これって実は、ジャニーズの圧力問題ともつながってます。
「壁」が卵を押しつぶすのをこれ以上私は見たくない。
日本からイノベーションが死んでいくのを、
私はこれ以上見たくない。
「壁」には勝てないとしても、
卵のインキュベーターは作れる。
実は吉本興業の今回の問題って、
そういった社会のグランドデザインに関わる話です。
最後にひとつ。
会見のときに宮迫に、
「不倫の時はオフホワイトと言っていましたが、
今回は何色ですか?」
と聞いたリポーターは、
とりあえず謝罪会見を開いて欲しい。
きっと彼(彼女?)もまたフラジリスタなのでしょう。
]]>
今週の時事ネタ
2019-12-23T14:14:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=434
本のカフェ・ラテ 『知性は死なない』(第二回)
第100号 2019年7月16日配信号
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんに...
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
前回、6月11日に、
第一回をお送りした、
『知性は死なない』の本のカフェ・ラテですが、
今回は「第二回」をお送りします。
多分今回では最後まで行けないので。
この本は4月にインドで夢中で読みました。
かつてないほど読書メモを一杯書いたので、
語る事がいっぱいあるのです。
では行ってみます。
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』
読了した日:2019年4月13日
読んだ方法:札幌のブックオフで購入(889円)
著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://amzn.to/2U6o988
▼▼▼鉛様(えんよう)の麻痺は、単なる疲労とは質的に異なる
→P61〜62
〈付言すると、鬱状態で生じる「からだの重さやつらさ」もまた、
「毎朝、出勤の足が重い」といった
「嫌な行動に乗り出す意欲が起きない」事態を指す
ふつうの語法とは、まったく意味が違います。
医療現場では「鉛様の麻痺」ということばで形容されるように、
本人の主観では自分の体がなまりになったかのように重くなり、
自分の意志ではどうしても動かせない。
動かないから仕事は愚か、
食事にも洗顔・入浴にも行きたくない、
という状態がうつ病における「からだの重さ」です。
「そんなのは体を鍛えていないからだ」
「そうはいってもトイレには行くじゃないか」という人には、
私が病棟で同室だったラグビー部の男子大学生の
「鬱状態が激しいときに、
尿瓶(しびん)を買おうか本気で悩みました」
ということばを紹介しておきたいと思います。〉
、、、「本のカフェ・ラテ」コーナーで、
これまで取り上げてきた本といえば、
『リンカーン うつ病を糧に偉大さを鍛え上げた大統領』
『フロー体験 喜びの現象学』
『木を見る西洋人 森を見る東洋人』
『AI VS 教科書を読めない子どもたち』
など、テーマが多岐にわたるのですが、
なぜ「うつ病」に関するテーマを、
繰り返し扱うのか?
たいていの「精神疾患サバイバー」は、
過去の自分の病気について積極的には語りたがりません。
そもそも自分がうつ病を患った経験があることを、
ひた隠しにする人もいる。
いや、そのほうが多いでしょう。
当たり前です。
そのことで周りから偏見の目で見られるのも嫌だし。
保険に入るときに保険料が高くなったりするし、
就職の際には「履歴書汚し」だし、
結婚を望む独身者なら「経歴汚し」です。
うつ病を患った経験のある人を、
社員として雇ったり、
結婚して伴侶としたりしたいと、
誰も積極的には思わないでしょうから。
そしてうつ病を患うほど優しい人というのは、
「きっとそうだろうな」とひっそりと思うでしょうから。
周囲に気を遣わせるのも嫌だし、
自分にもひとつも良いことはないから、
黙っておこう。
あと、精神疾患の古傷って、
肉体的な古傷以上に、
「痛みが残る」んですよね。
そのことを語るだけで、
その当時の痛みが生々しく思い出されて、
「身が削られる」わけです。
だから、なるべくなら思い出したくない。
そんな諸々の理由から、
多くのうつ病経験者は、
過去の自分の病歴を秘匿します。
そのことに関して、
私はいっさいの非難を斥けます。
ぜったいにそうしたほうが良いし、
是非そうしてください、と思う。
法的に問題がある場合を除いて、
是非過去のことは忘れて、
前に進んでください、と。
私はですから、
自分の病歴を積極的に語る、
という意味で、
「うつ病サバイバー」の中の、
かなり珍しい部類に属します。
それには理由があります。
うつ病療養の2年間は、
マジで「生きた地獄」だったわけですが、
そのなかで、漆黒の暗闇の中の、
遠くに見える蛍の光のような、
ほんのわずかな希望の灯火のひとつが、
「この地獄から出たときに、
同じように地獄にいる人に、
声を届ける人間になる。
そのための準備期間として、
神様が私を特別に選んで、
この病気を授けてくれたのだ。」
という確信にも似た思いでした。
療養中の最も病状が悪いとき、
私は文字がまったく読めませんでした。
少し本が読めるようになったとき、
唯一読むことのできた本のジャンルは、
「うつ病闘病体験をした人の手記・あるいは回顧録」
だったのです。
つまり今紹介している『知性は死なない』
のような本だけは、心にしみいりました。
そして今思えば、それが、
ギリギリのところで、
「この深い暗闇を歩んだ人が、
自分以外にもいる」
という超越的な連帯を与え、
地獄を味わい尽くす覚悟を与えてくれました。
イエスは「裏切りの試練」を経験するペテロに向かい、
「あなたは、立ち直ったら、
兄弟たちを力づけてやりなさい」
と命じましたが、私はそれらの手記を読みながら、
私が次に何か文章を書くことができるようになったときは、
今の私のように漆黒の暗闇の中にいる誰かのために、
言葉を紡ぐのだ、と決意したのです。
その決意を私は今も実行しています。
だから当メルマガでも、
私は定期的に精神疾患を扱い、
そして自分の体験談をその都度語ります。
身を削ることになったとしても、
そのためにある「この身」だと思いますので。
前置きが長くなりました。
引用箇所で「鉛様の麻痺」という言葉が出てきます。
うつ病というのは、
精神と肉体をこの地上に縛り付ける重力が、
健康時の10倍ぐらいになるようなものです。
自分の身体と精神が、鉛のように重くなる。
動きたくても動けない。
朝、布団から出られない。
身体が言うことを聞かない。
コーヒーを入れることも苦行のように辛く、
トイレに行くことも至難の業になる。
「身体を鍛えてないからだ」
「俺だって朝仕事に行きたくねーよ。
だからオマエも頑張れ」的な、
完全にスベったアドバイスは、
本質においてこの症状を理解していません。
著者が指摘するように、
大学ラグビー部で鍛えた身体を持ってしても、
うつ病の症状によって、
「しびん」が必要になるほど、
身体が動かなくなるのです。
だって、脳が器質的に変化してるんだもん。
根性でどうにかなるレベルを超えています。
「根性で腸捻転を治せ」
「気合いがあれば骨折した大腿骨でも、
走れるはずだ!」
って誰も言わないじゃないですか。
「根性(信仰)でうつ病を吹っ飛ばす」
みたいのって、そういったアドバイスに近い、
ナンセンスな言葉です。
▼▼▼木村敏氏の統合失調症の「つつぬけ感覚」と
「中動態の世界」をつなぐ補助線
→P99〜102
〈2ヶ月間の入院生活を過ごした私には、
統合失調症の友人がいます。
彼らに世界がどう見えているのかを理解したいと思って、
手に取った一冊の本から、
私は精神病理学という学問を知ることになりました。
日本でのこの分野の碩学である木村敏氏が、
京都の日独文化研究所で行った講演をまとめた
「臨床哲学講義」という本です。
この本で木村氏は、教え子だった長井真理氏の研究を引きながら、
統合失調症の患者がしばしば訴える
「つつぬけ感覚」について語っています。
統合失調症の人というと、どんなイメージでしょうか。
「わけがわからない妄想を、
誰も聞いていないのに大声でわめき散らす、攻撃的で怖い人」
といった、ネガティヴなものでしょうか。
そういう患者さんが、いないというのではありません。
しかし、じっさいには統合失調症になる人の病前性格をみると、
小さい頃は育てやすく、裏表がなくて嘘がつけない、
すなおな子どもだった人が多いそうです。
それではなぜ、そういうことになるのか。
つつぬけ体験とは
「自分の頭の中の考えが全て、
周囲の人々につつぬけになっている」とうったえる、
統合失調症の症状のひとつですが、
どうして患者はそのように感じてしまうのか。
じつは、これは必ずしも、
ふつうの人とも無縁の現象ではないのです。
職場の会議などへ「今日は絶対に反対してやるぞ」
と意気込んで出席したのに、
周囲の空気に飲まれて気がついたら賛成していた、
といった経験はありませんか。
(中略)
そんな経験をしたとき、
多くの人は「自分が自分でないような感じ」をもつのでしょう。
外見上は、確かに自分自身が議案に賛成したり、
その人を誉める言葉を口にしているのだけど、
それがいつもの「この自分」が行った行為だとは、とても思えない。
むしろ自分と周囲の人を包括した、
なにか大きな集団の無意識のようなものがあって、
それが一時的に自分の体をジャックして
そういう行動を取らせたという方が、本人の実感に近い。
一時的にではなく、自分がなす行為のほぼ全てについて、
このようにしか感じられなくなってしまった状態が、
統合失調症だというのです。
木村氏の表現を引くと
「だれのものでもない『非人称』の生命の躍動が、
『自己』の主導権の元では体験出来なくなり
・・・誰とははっきり限定できない、
自分以外の力の主導権の元で体験されるようになります」。
まさしく、あたかも親の言うことをいつも額面通り全て受け入れて、
他人と自分の意志とが一つに融合している、
素直な子どものような状態です。
しかし成長して自我がつくられてゆくにつれて、
この「自分が自分でないような感じ」に埋没しているわけにはいかず、
むしろ苦痛を覚えるようになります。
その感じを言語や論理でとらえようとすると、
「なぜか『この自分』が考えたり、しようとすることが、
口にする前からまわりの人に先取りされている」
→「そんなことがあるはずがない、でも現に起きている」
→「もうスパイ組織が盗聴しているとしか、説明のしようがない」
→「いやそんな技術を持つのは、
人体をハッキングできる宇宙人かも」となっていくのです。
「自己とは何か」とはしばしば、
哲学者が暇つぶしに考える浮き世離れした命題だと思われています。
しかしじっさいには、まさにそのことで
体や生命が危機に揺るがされている人たちがいる。
それが精神病を病むと言うことなのだ。
そういう精神病理学のメッセージは、
自身の病気の意味が見えずにもがいていた私にも、
もういちど思考するヒントをくれました。〉
、、、「自己とは何か」というテーマと、
精神疾患との関連を扱った良書に、
『中動態の世界』という書物があります。
この本で書かれていたことと、
今引用した内容は非常によく似ている。
統合失調症の人の「幻聴」っていうのは、
実は健常者でも体験することのある現象と地続きだ、
ということを、著者は精神病理学の木村さんの本で気づきます。
私たちは「自己」を持っていると思ってるんだけど、
それは主観的にそうだというだけであって、
実はそれほど「自己」は確たる概念ではありません。
特に東洋の言語を使っている以上、
私たちの自己は「強く文脈に依存」します。
「俺は独立独歩、自分の自己を持ってる」、
と胸を張るのは自由ですが、
それを「日本語で」言っている以上、
多分その人もこの例に漏れません。
ニズベットの『木を見る西洋人、森を見る東洋人』
で面白い調査結果が紹介されていて、
それによると、
同じアメリカに住む東洋系アメリカ人でも、
英語を家庭内の言語にしていると、
「はっきりした自己」を持ち、
中国語や日本語を家庭内の言語にすると、
「文脈依存性の高い自己」を
持つようになることが紹介されています。
逆に遺伝的には西洋人でも、
長い間東洋で生活し、
たとえば日本語がぺらぺらになると、
「文脈依存性の高い自己」の振る舞いをするようになり、
性格が変わっちゃうことが分かっています。
、、、で、著者が例に出すのは、
「自分ではAと思っていたのに、
その場の雰囲気に流されてBと言っていた。」
それをしたのが自分だとは思えない、
というような状況です。
「空気に流される」というような状況ですね。
これも日本語に特有の現象の1つで、
「場の空気」が何か主体を持っているかのように振る舞う。
日本語には「主語が不要」であることと、
私は関係があると思っている。
「不要な主語」が、「空気」という形を取って、
そこにいる個人の「意識をジャック」したかのように振る舞う、
というのが空気の正体ではないかと思っています。
クリスチャンだとそうではない、
ということもありません。
クリスチャンの人が頻繁に、
「そのように祈らされています」
「そのようにさせられてきました。」
っていう不思議な言葉遣いするじゃないですか。
あれって私は「空気」が別の形に姿を変えたものに、
なり得る表現だと思っています。
もちろん実際に神が導き、
神が「祈るように促す」ということもあるでしょう。
しかし、「主語を欠いたクリスチャン用語」というのは、
実は「神の名における他者へのゆるやかな強制了解」
それが悪化すると「信仰虐待」につながると思うので、
私は意図的に、
「そのように私は祈っています。」
「そのように神が導いているように私は考えたので、
私の判断でそういう行動をしました。」
という風に、主語を省略しないように、
意識して表現するようにしています。
あんまり「霊的」に見えないというデメリットはありますが笑、
ハッキリ言って「人から霊的に見られる」なんて、
鼻くそ以下の「どうでもいいこと」ですから。
そんなの「いくらでもくれてやる」と思ってます。
自分が主体を失わないことのほうが大事です。
自分がしたことの責任を、
神になすりつけてはいけません。
さて。
そんなわけで、
「主体が何者かにジャックされたかに思える経験」
というのは、健常者でも経験する、と著者は言います。
統合失調症の患者は、
病前性格が「非常に真面目な優等生」
であることが多いと著者は指摘しますが、
彼ら、彼女らがその優等生性ゆえに、
「自らの意志」を親や先生や社会規範と、
過剰に「同化」させ、
その結果、主観的には、
「周囲があらかじめ私の意志を知っているとしか思えない」
という「筒抜け感覚」をもつようになる。
自分の脳内は他者に閲覧されている、と。
それが「盗聴妄想」などにつながる、
と指摘しているわけです。
精神病理って、理系と文系の交わるところなのですよね。
統合失調症やうつ病に、
ケミカルな薬が「効く」ということは、
脳の器質的な変化があることの証左ですが、
精神病理は必ずしも脳内物質だけに還元できない。
「中動態の世界」で論証されているように、
それは「言語」や「自己」などといった、
哲学的な問題とも地続きなのです。
▼▼▼言語に対する身体の逆襲、という鬱観
→P128〜130
〈十何巻にも及ぶ大長編小説や、
漬け物石のように重たい研究書を書き上げる著者がいるように、
言語というのは原理的には、
無限に駆動し続けることが出来ます。
さらにはその読者も、理念上はいくらでもより多く、
より広く拡大させることが可能です。
エクリチュールによって引き裂かれていく自己には、
際限というものがないのです。
こうして、身体を離れて無限に広がっていくかに見えた
「自分」というものの輪郭が、
あるとき、引っ張りすぎたゴム紐が切れたかのように、
いきなり破綻して元の身体の大きさにまで縮んでしまう
――それが、おそらくは「うつ転」(躁状態から鬱状態への急変)
なのではないかというのが、私の実感です。
じっさい、鬱状態になると、
いわば言語で動いている自分の意識に対する
「身体の自己主張」とでもいうべきものが起こります。
頭では「起き上がろう、起き上がれ!」と指令を出しているのに、
手足が持ち上がらず、布団から出られない。
2章で見たような、鉛様疲労感をともなう麻痺症状です。
無理矢理起き上がっても、
重力が狂ったかのような重さを感じて、
家の中では這って動かなくてはいけなかったり、
「前へ進め!」といくら念じても、
路上でうずくまってしまったりします。
(中略)
また、身体自体はどうにか動かせる場合でも、
うつになると人は布団をかぶって閉じこもりたくなるようです。
映画では堺雅人さんが演じていましたが、
『ツレがうつになりまして。』では「カメフトン」と形容されている、
文字通り亀の甲羅のように掛け布団にこもって、
出てこなくなる状態です。
私の場合はむしろ、
ミイラのように布団を身体に巻き付けて、
その中でふるえていました。
はたからみると、それだけ悪寒がしているのか、
あるいはたんに意欲をなくして
引きこもりになったのかと判断されそうですが、
どちらもちがうのだと思います。
むしろ、いまある自分の身体というかたちの、
自己の輪郭をもう一度はっきりさせようという衝動が、
そういう行為を取らせたのではないかと、私は思っています。
鬱に転じてから2年以上の後、
ようやっと身体の面では従来の状態に戻ったかなと思えたとき、
失った体力の回復をかねて、水泳を始めました。
(中略)
水の中にいることで、
身体の輪郭というものをいちばん実感できるからです。
その意味では、泳ぐよりも水中でウォーキングをするときが、
身体を動かすごとに自分の輪郭が生き生きと感じられて、
今の自分にはいちばん心が落ち着く時間になっています。
そうやって身体としての自己の輪郭を陶冶(とうや)することで、
ようやっと言語で自分の体験を表現しようとする能力と意欲もまた、
完全な喪失から回復してきたという気がします。
、、、「言語(意識)」VS「身体」
という対立軸で、うつ病(双極性障害で言う「うつ転」)を、
説明できるのではないかと、ここで著者は言っています。
意識と身体というのは、
調和が取れているうちは良いのですが、
そのバランスが崩れると、
身体が意識に対して「ストライキ」を起こす。
それがうつ病の状態なのではないか、と。
意識が「布団から起き上がれ!」
と命じても、身体がストライキを起こし、
その命令を聞かなくなる、ということです。
養老孟司さんがいつも言っていることに、
都市=脳(意識)であり、
農村=身体(自然)だ、ということがあります。
現代世界(20世紀以降の世界)というのは、
自然が都市によって呑み込まれて行く、
一方通行の過程だったと養老さんは総括しています。
「都市化」が世界規模で起き、
それは進むことはあっても戻ることがなかった。
実は「都市化指数」と「うつ病の罹患率」は、
正の相関関係にあります。
開発途上国や戦争中の国に、
うつ病や自殺が極端に少ないことは知られています。
その国が豊かで平和になり、
都市化がある程度まで進むと、
「自殺とうつ病」が社会問題になる。
現代世界の新興国ではそのような事態がまさに進行中です。
4月にインドに言ったとき、
私はまさにこれを現地で耳にしました。
現在、インドの都市部の問題の1つは、
精神疾患と自殺です。
10年前、日本で毎年2万人以上自殺する、
ということを「信じられない」と言っていた彼らは、
もはやそれに驚かなくなったのです。
インドが「都市化」したことの証左ですね。
なぜ、都市化(意識の優位・脳の優位)が、
うつ病を引き起こすのか?
與那覇さんの論に従えば、
それは「意識に対する身体の反逆である」
と解釈することができる。
「都市化・意識化・脳化」を、
養老孟司さんは、
「予測と統御」と呼んでいました。
「ああすればこうなる」と言い換えても良い。
つまり「先が読めること」が、
「都市」の条件なのです。
「ああすればこうなる」が支配する世界が、
「都市」です。
エレベーターのボタンを押したらエレベーターは降りてくる。
ボタンを押したら炊飯器は米を炊いてくれる。
アプリでタップしたらタクシーが来てくれる。
ホームで待っていれば電車が来る。
ある時間になると仕事が始まり、
ある時間になると仕事が終わる。
そうった「予測と統御」が成り立つ、
というのが都市です。
自然(農村)はその逆ですね。
「ああしてもこうならない」ことが多い。
豊作を願っても天気が優れない。
望まない台風がやってくる。
害虫が作物を食べてしまう。
山から野生動物がやってきて、
飼っていた鶏が殺される。
よかれと思って肥料をやったが、
それが根腐れにつながってしまった。
「自然」は、「予測と統御」が成り立ちません。
私たちの「ああすればこうなる」を、
遙かに超えて複雑なのが自然であり、
その差が「都市と農村」の違いだよ、
と養老さんは指摘します。
20世紀以降、人類は徹底的に、
「ああしてもこうならない」ものを生活から排除し、
「ああしたらこうなる」に囲まれて生きることを望んだ。
そして、それを実現した。
その結果、国連によると、
1950年には世界人口の30%だった都市人口が、
2050年には70%になると予測している。
100年の間に、
7割が農村人口から、
3割が農村人口へ、逆転しようとしている。
ところがひとつ問題がある。
人間というのは、
「意識=脳」だけではなく、
「身体=自然」からなる存在だということ。
あらゆることを、
「ああすればこうなる(意識)」で満たしていったとき、
「身体」は無視される。
脳は「都市」に属しますが、
都会人だったとしても身体は「自然」に属します。
「いや、俺は身体も都会人だ!!」と言い張る人は、
自分の意志で髪の毛を伸ばせるかどうかやってみてください。
あるいは、自分の意志でツメを伸ばせるでしょうか?
自分の意志でしゃっくりを止められるでしょうか?
まばたきを1時間せずにいられるでしょうか?
できませんよね。
だとしたら、身体はやはり「自然」に属します。
都市化した生活をするとしかし、
身体は意識に従うことを強制されます。
農村生活よりもはるかに強く、
都市生活は「意識」が身体を支配します。
決められた時間に起き、
決められた時間に仕事をし、
もう疲弊しきっているのに働きます。
本当は動きたいのに椅子に長時間座り、
本当は太陽の光を浴びたいのにオフィスに閉じ込められます。
都会生活というのは実は、
「意識による身体の支配」であり、
身体は「意識という独裁政権」に、
服従することを強制される。
それに対し、身体が、
「もういやだ!」と、
ストライキを起こした状態、
これがうつ病なのではないか、
と與那覇さんはここで言っているわけです。
自然環境を人間が圧迫し続けた結果、
地球温暖化や気候変動により、
大洪水、ハリケーン、雪崩などが引き起こされ、
自然が「都市化」に反逆するかのように。
「ツレがウツになりまして」
に出てくる「カメフトン」の話も面白い。
あれは、身体の輪郭を確認することで、
「身体の輪郭を取り戻し、
再び言語(意識)と身体(自然)の、
調和を取り戻そうとするプロセス」
という説明もなんとなくしっくり来ます。
▼▼▼身体的なキリスト教の最右翼のロシア正教、
言語的なキリスト教の最右翼のピューリタンを
東西の地理的な両極でとらえるというのは面白い
→P141
〈ちなみに東方キリスト教を代表するロシア正教の場合は、
イコン(キリストの肖像などの宗教画)とのふれあいを重んじるなど、
カトリックよりもさらに身体への傾斜が強いキリスト教になります。
じっさい、ロシアの宗教論争は
「十字を三本指で切るか、二本指の慣行を守るか」
といったトピックを巡って展開し、
それらがツァーリ(皇帝)の王権と結びついて、
政祭一致的な専制権力をかたちづくりました。
ヨーロッパの東端であるロシアに、
徹底して身体を重んずるキリスト教社会があったとすると、
逆に言語に軸足を置くプロテスタントの中でも
さらなる過激派(ピューリタン)が、
イギリスから西へ出航してつくりあげた国がアメリカです。〉
、、、キリスト教は歴史のあるときに、
「西方教会」と「東方教会」に別れました。
西方教会はその後さらに、
「ローマカトリック」と「プロテスタント」に別れます。
ヨーロッパを中心とする世界地図を頭に思い浮かべて下さい。
そうすると、
アメリカが最も西にあり、
日本が最も東にありますね。
日本が「極東」と呼ばれるのはこのためです。
この地図における、
コルプスクリスティアヌム(キリスト教世界)の勢力図は、
だいたいこうなります。
最西端のアメリカがプロテスタント(ピューリタン)
真ん中のヨーロッパ(イタリア)にカトリック
そして東のロシアが「東方教会(ロシア正教)」となります。
西から東につれて、
プロテスタント→カトリック→ロシア正教となるのですが、
「言語を重視」「身体性(感覚)を重視」という軸を取ると、
プロテスタント>カトリック>ロシア正教の順番で、
「言語を重視する宗教」という特徴があります。
日本は明治維新以来、
徹底的に「日本製ピューリタニズム」
ともいえる思想が支配するようになりました。
このへんは山本七平が詳しく論じています。
この「日本製ピューリタニズム」により、
もともと東洋的で「身体性に重きを置く」国民性は、
なかば強引に「意識優位・言語優位」に変化した。
脳の中身は数世代で変わるはずもないので、
社会が要請する「言語による独裁」は、
日本人の生き方に「無理を強いた」に違いないのです。
日本にうつ病が多いのは、
ブラック企業や真面目すぎる国民性の影響もあるでしょうが、
じつは「言語VS身体」という補助線を引くと、
ちょっと新しい風景が見えてきたりします。
、、、というわけで、
今回は文字数がオーバーしたのでここまで。
次回に続きます。
3回で終わらないかもしれないですが、
なんとか「シーズン2」のうちに終わらせたいと思っています。
では、お楽しみに。
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本のカフェ・ラテ
2019-12-17T14:13:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=433
お気に入りのトイレ
第100号 2019年7月16日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼お気に入りのトイレ
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
気づけばこのメルマガも、100号を迎えまし...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼お気に入りのトイレ
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
気づけばこのメルマガも、100号を迎えました!
誰も祝ってくれないので、
自分で祝います!
おめでとう〜!
良くやった。
良く書いた!
まぁ、「執筆と思考の筋トレ」
と思いながら書いていますので、
号を重ねること自体が目的ではないのですが、
100号というのはなかなかたくさん書いたな、
と言う感じがします。
毎回2万字以上書いていますので、
200万字以上書いたと言うことですね。
新書にすると15冊ぐらい書いています。
なかなかのペースですね。
100号記念に何かするかというと、
特に何もしません笑。
ただ、シーズン1のときは、
50号で終わったので、
シーズン2がシーズン1を抜いたことになります。
もっと早く終わるかと思ってましたが、
終わりどころを逃しました。
どこで終われば良いか分からなくなってきた笑。
カラオケで「1時間延長」を繰り返してたら、
朝になってた、みたいな話で笑。
でもねぇ。
あと10回ぐらいで、
シーズン2は終わりにしたいと思っています。
9月頃に前々から言ってた「オフ会」をして、
それをしたらシーズン2は終わりにしようかと。
理由は、
「アウトプットのマンネリ化」を防ぐためですね。
思考を同じ容器に流し込み続けると、
思考がパターン化してきますので、
ときどき変えてやることが大切です。
筋トレで毎回同じ種目のルーティーンをしていると、
筋肉が刺激になれてきて筋肥大しないのと同じです。
ときどき種目を変えてやる。
「あれ?インクラインプレスって、
こんなに効くんだ」みたいな。
、、、だれに伝わってるんでしょう、このたとえ笑。
まぁいいや。
とにかく、あと2ヶ月ほどで、
「シーズン2」は終わりにしたいと思ってます。
そのあとは、過去に毎日更新していたブログを、
再開してみようかなぁとか、
いろいろ考えています。
YouTubeとPodcastも続けますし、
とにかく、発信はやめませんので、
お楽しみに。
、、、というわけで、
今週も質問カード、いってみましょう!
▼質問:
生活圏のなかで、
「お気に入りのトイレ」はありますか?
(自宅はなるべく除く)
、、、なんちゅう質問でしょう。
なんでこんな質問を思いついたのか、
自分でも分かりませんね笑。
そうですねぇ。
2つ思いつきました。
ひとつは、
ときどき行く公営ジムのトイレ、
もうひとつは、
通っているジムのトイレですね。
両方ジムなのですが、
別にジムだからというのが理由ではありません。
男子用小便器が好きなのです。
どこから話しましょうか?
私はこの10年ほど、
「すわション派(座って小便をする派)」です。
いつからシフトしたか忘れましたが、
10年は経っているはずです。
つまり、洋式便所があれば、
私は基本的に座って小便をすることにしています。
自宅はもちろん、公共の場所でもそうです。
よっぽど座るに堪えない、
公園やパーキングエリアの古い便器の場合、
立ってすることもありますが、
基本は必ず座って小便をします。
「水はね」の問題もあります。
衛生的な問題ですね。
あと、女性も使う便器の場合、
便座を降ろすのを忘れたりして、
迷惑をかけたくない。
他者に配慮する、
「すわション」のほうが、
「立ちション」よりも、
100倍男らしいじゃないか、
という理由で、私はすわションに変えました。
「男たるもの、台所に立たない!」よりも、
妻のために料理をする男のほうが、
100倍男らしいのと同じ理由です。
「男たるもの」みたいなものにしがみついている時点で、
じっさい男らしくねぇよ、っていうね。
頭悪い奴ほど「俺は天才」って思っているのと同じで。
とにかく私は「すわション派」なわけですよ。
でも、私は同時に、一日に10回以上小便します。
それは私の生活習慣と関係しています。
私はまず朝起きたら、1.5リットルの水を飲み干します。
代謝のキックスタートのためです。
あと、筋トレしてプロテインを飲んでるので、
腎臓に負担をかけないため、
一日にそれ以外に2リットルぐらいは水を飲んでいます。
一日2〜4リットル水を飲んでいる。
さらに午前中に、
利尿作用のあるコーヒーを飲みますから、
「頻尿」がハンパないわけです。
午前中だけで6回から7回、小便をします。
そうすると、案外「面倒」なのですよね。
特にすわションだと、パンツとズボンを下ろして、
よっこいしょと座って、
みたいな一連の作業がマジで面倒臭いと思うことが、
多々あります。
「この時間を総計したら、
けっこういろんなことできるんじゃないか?」
とかね。
さらに、
トレーニング中も当然水をたくさん飲みますから、
何回かおしっこに行く。
そのときに「男子用小便器」があると、
その楽ちんさに感動するわけですよ。
立ったままできる!
姿勢が楽!!
本来人間がそのように造られた小便の方法!!
石器時代には男は全員、
大自然のなかこのような開放感を味わっていたのか!
最高だぁあぁぁあああ!!
立ちションは、最高だぁあああぁああ!
ってなるわけですよ。
石器時代のDNAが復活し、
脳内にサバンナが広がります。
腰に毛皮を巻き、
夕暮れまで狩りをし、
夕日を観ながら、
地平線に向かって立ち小便をしていたころの記憶が、
脳内に甦ってくるのです。
あの開放感ったらないよね。
でも、そのカタルシスが味わえるのも、
普段のすわションという長い前振りがあるからなわけで、、、。
すわションなくして小便器の開放感なし!
、、、なんだ、この話?
これまででもっと意味不明なオープニングトークでしたが、
今日はこれまで。
それでは本編、行ってみましょう!
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今週の「オープニングトーク」
2019-12-16T14:11:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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http://blog.karashi.net/?eid=432
紀行文「ロスバニョスからの手紙」
第99号 2019年7月3日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 紀行文「ロスバニョスからの手紙」
仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。
紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 紀行文「ロスバニョスからの手紙」
仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。
紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問したときに、
そこで体験し、考え、触れ、見たことを、
報告するという、そのままの内容。
離れたところから絵はがきを送るように、
海外や国内各地から皆様に、
お手紙を送らせていただきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼ロスバニョス奇行▼▼▼
先週の火曜日の夜に、
マニラから日本に戻りました。
戻ってきて1週間が経つわけですが、
記憶の新しいうちに、
フィリピン滞在の記録を残す意味もこめて、
今回はフィリピンのことを書きました。
体系化されてないし、
思いつくままに書いてるので、
乱筆だとは思いますがご容赦ください。
先週も申し上げたように、
6月24〜29日は、
マニラ市内で開催された、
Global Workplace Forum(GWF)というイベントに参加してました。
ローザンヌ運動が主催しています。
彼らが「カタリスト(触媒)」という言葉を、
結構多用していて安心しました。
FVIは3人の執行役員のことを、
「カタリスト(触媒)」と呼び続けてきました。
「スタッフ」だと、なんか、
団体のために雇用されているような呼称だし、
アンバサダーみたいのも偉そうだし。
むしろ私たちは、
あくまで地域教会が主体で主役なのだが、
その「化学変化」を「触媒する」存在でありたい、
という願いから、
自分たちを「カタリスト」と呼び続けてきた。
しかし、当然といえば当然ですが、
日本で働き人のことを「カタリスト」と呼ぶ団体は少なく、
私が知る限り他に誰もそんなことはしていない。
カタリスト、と名乗っても、
誰もぴんとこない。
「あ、スタッフのことですね。」
面倒くさいから、
「まぁ、そんなようなものです」
みたいなやりとりをする。
もちろん「触媒っていう言葉に込めた意味は、、、」
と説明して理解していただき、
賛同していただけることもありますが、
わりと「通らない名前」を抱えて生きてきたわけです。
ところがローザンヌ運動では、
その働きにコミットする人のことを、
「カタリスト」と呼びます。
「私はアメリカに住む、
ローザンヌ運動のカタリストで、、」
みたいな自己紹介が、普通に飛び交っている。
なんか嬉しかったですね。
▼▼▼ロスバニョスへ、、、
GWFで学んだ詳細は、
また別の機会に譲るとして、
今日はロスバニョスのことを話したいと思います。
土曜日にGWFが終わると、
私は会場のオルティガスという場所で、
ベガさんと落ち合いました。
ベガさんというのは、
私の20年来の友人です。
どこから話して良いのか分かりませんが、
とりあえずその出会いから。
私がベガさんと出会ったのは、
1997年のことでした。
大学二年生だったころです。
ベガさんはフィリピン大学ロスバニョス校を卒業し、
研究者として勤めた後、
31歳のときに日本に「国費留学」します。
博士号を修了するために。
ベガさんはフィリピンのエリートなのです。
彼は、
「なぜ離島の学のない米農家の息子の私が、
フィリピン大学の教授になり、
世界のいろんな場所にまで招かれるようになったか分からない。
ただただ、神の恵みだ、、、」
と、先週の日曜日の夜、
私と大学のキャンパスを散歩しながらしみじみ言いました。
ベガさんのいうところの、
「学のない農家の息子」が、
なぜ成功した学者になれたか?
それは、フィリピン大学の学費が「無料」だからです。
じっさいに無料になったのは最近のことですが、
ベガさんの時代から国立大学の費用は、
フィリピンでは極端に低く抑えられています。
日本では国立大学の費用は年々上がり、
私の父が東大に入ったとき、
半期の学費は8,000円(!)でしたが、
今は30万に迫ろうとしています。
大学教育に関わる人々が口をそろえることですが、
東大の入学生が、この30年で、
ますます「均質」になっています。
つまり、貧乏な母子家庭の子どもが、
学力一本でここに入った、
というようなストーリーはますます少なくなり、
「金持ちのご子息」ばかりになっている。
つまり大学教育が機会の平等を促進するのではなく、
逆に「格差の増幅・再生産の装置」になってしまっている。
フィリピン大学のベガさんと、
日本の東大の状況を比べるとき、
日本はどこで道を間違ってしまったのだろうか、、、
と私は切ない気持ちになります。
安倍さん(または次に政権に就く人)には是非、
このような富の不均衡を是正し、
あらゆる人間にチャンスがある社会を、
推し進めてもらいたいものです。
話しを戻しましょう。
私が国立帯広畜産大学で、
ベガさんと会ったとき、
私はまだ19歳か20歳でした。
12か13歳の年齢差があったので、
当時すでに子どもが2人いて、
家族を連れて帯広で勉強しているベガさんは、
私には「身近な大人」のひとりでした。
私は当時、
「聖書研究サークル」
「クリスチャン・サークル」
何と呼んでも良いのですが、
いわゆるキリスト者の同好会のようなものがなかった、
帯広畜産大学において、
その「創始者」になりました。
ない?
じゃあ作ればいい。
このマインドセットは、
私の中で今も昔も変わりません。
ないことに不平を言う時間ほど、
無駄な時間はありませんから。
自分が作ればいいのです。
「ひとりでもやる」
こういう気概が大切です。
逆説的に聞こえますが、
「仲間がいればやる」
という程度の気概の人間には、
仲間もついてきません。
「誰もやらなくても、
俺一人でもやる」
という人間だからこそ、
仲間がついてくるのです。
さて。
私は誰一人仲間がいない状態で、
「インターナショナル・クリスチャン・クラブ(ICC)」
というサークルを、帯広畜産大学で立ち上げました。
大和田先生という、
クリスチャンの助教授(現教授)の先生がいまして、
その方に「顧問」になってもらって、
学生課に申請しました。
それがないと、ポスターを学内に貼ることもできないので、
まずはそこから。
当時はわりとそういうのはユルかったので、
あっさりと申請は通り、
正式にサークル(同好会)として、
活動を開始しました。
その後半年間は、
マジで一人でした笑。
気概があっても、
人がついてこないこともあるのです笑。
前言を撤回します笑。
毎週「学生会館」という、
サークル棟の一室を借りていましたが、
ポスターを貼り、友人を誘い、
「木曜日の17時から、
学生会館の○○室で、
聖書研究サークルやるから、
来てよ!」
って言ってまわりましたが、
友人が「ご祝儀」みたいに来てくれた数回を除くと、
学生課に鍵を借りにいき、
17時から1時間半ぐらい、
ひとりでその部屋で聖書を読み、
18時半に学生課に鍵を返し、
家に帰る、、、。
そんな日々が、
半年ほど続きました。
潮目が変わったのは、
2年生のときに、
ベガさんとダニエルさんという、
フィリピンからの留学生に出会ってからでした。
当時ベガさんは32歳、ダニエルさんは35歳でした。
だいたい、たぶんそれぐらい。
そして、私は20歳でした。
彼らと出会い、
つたない英語で私は、
この大学で伝道をしたいと思っていること、
そして「ICC」というサークルを立ち上げたことを語りました。
すると彼らは、
「自分たちは日本で勉強をするために来た。
それは一つの側面なのだけど、
神様の目から見たとき、
私たちは神様から遣わされ、
日本の人たちに神の愛を伝える、
宣教師のようなものだと思っている。
喜んで協力したい。」
と言ってくれました。
それからというもの、
彼らと毎週、最低1回は会うようになりました。
多いときはほぼ平日毎日会っていたのではないでしょうか。
最初は「大学のために祈る祈り会」に始まり、
だんだんと、
「どうやって帯広畜産大学の学生に、
神の愛を伝えるか」
という作戦会議になっていきました。
私は2歳のときにアメリカにいて、
そのときは英語を自由に話していましたが、
そのあとは英語は完全に忘れていました。
ダニエルさんとベガさんと私で、
留学生会館の一室で、
3人で祈ったときのことを私は忘れられません。
二人が英語で祈ります。
私の番が回ってきます。
「アー、ガッド、サンキュー、
フォー、ディス、プレヤーミーティング、
フォー、オビヒロユニバーシティ。
アーン、アイ、プレイ、
ユー、ブレス、ディス、ユニバーシティ。」
、、、
、、、
、、、
(ん?)
(英語で祈るときって、
どうやって終われば良いんだ?)
(分からん)
(習ったことない!!)
、、、ってなって、
私がひねり出した答えはこれでした。
「アーン、ガッド、
グッバイ。」
二人は爆笑していました。
そんなわけで、
高校卒業時の私の英語はまぁ、
使い物にならなかったわけですよ。
高校の英語は相当に頑張り、
センター試験で満点を取るほど得意でしたが、
それと「話せるかどうか」は、
皆さんもご存じのとおり別の次元に属します。
ところが半年間、
彼らと英語で濃密な交わりをしていると、
2年生の夏頃でしょうか。
私は自分が流ちょうな英語を話していることに気づきました。
あるときは夢でも英語で話していました。
そしてその発音はフィリピンやアジアのではなく、
2歳のときに住んでいたシカゴのものだったのです。
不思議な事ってあるものです。
人間の脳の格納庫には、
消えたと思ったけど消えていないものがある、
というのを私はそのときに体験したわけです。
、、、彼らと深いコミュニケーションができるようになると、
彼らのバランスの取れていて、
なおかつ熱い信仰の姿勢に、
私は大いに影響されました。
私たちはその後の4年間ぐらいの間、
ICCの主催で、
学内ゴスペルコンサートをしたり、
英会話教室を開催したり、
ピクニックに行ったり、
フィリピン料理を食べる会を開催したり、
いろんなことをしました。
小さな大学(学生数1,000人ぐらい)にも関わらず、
コンサートには100人以上が集まってくれましたし、
英会話教室に30名もの参加者があったこともあった。
加えて大和田先生のお宅や、
学生会館で行う「聖書研究会」も継続していました。
帯広にあるプロテスタント教会の牧師にお願いして、
先生方に週替わりで来ていただいたりもしました。
その結果、6年間の学生生活のなかで、
10名ぐらいの学生が信仰を持ちました。
在学中にもう教会に行かなくなった人も、
もちろんいましたが、
今も信仰を持っていて、
なんと牧師になっている人までいます。
これらすべてを、
私は「日本人のフロントマン」として、
学内で精力的に活動していたわけですが、
じっさいのところ、
ベガさんやダニエルさんの、
経験やアドバイスやモデルがなければ、
私は6年間、誰もいない学生会館の北側の一室で、
ひとりで聖書研究を続けていたでしょう。
(それはそれで、
興味深いパラレルストーリーではありますが笑)
彼らの何が凄いかというと、
なんていうのかな。
信仰におけるバランス感覚なんですよね。
これは私が大学を卒業し、
いろんな教会にいったり信仰者に触れ、
人生経験を経てから、
じんわりそのすごさに気づいたわけで、
当時はそこまで凄いことと分かってなかったのですが。
彼らはフィリピンで、
「ナビゲーター」という大学伝道の働きの、
中心的役割を10年以上も担ってきた経験を持ちます。
「ナビゲーター」は日本にも支部がある国際的な働きで、
「聖書に根ざすこと」を大切にする、
バランスの取れた学生宣教団体です。
彼らはその教えをしっかり守りつつ、
聖書に根ざし、それを、
仕事、学業、家族、社会との接続、政治との関わり、
そういったあらゆる領域に、
私の言葉で言う「包括的に」適用し、
そして実践していました。
彼らの当時のライフスタイルは、
40歳になった私が、
いま「目指している」ほぼそのものでした。
そんな彼らに私は、
「無意識に弟子化」されていたのだと思います。
その後様々な信仰の変遷を経て、
人生のいくつかのポイントで、
私が、
「自己を特別なポジションにおき、
他教会と距離を置く、
選民主義的なセクト」
に陥ってもおかしくない状況におかれました。
私のかなり近しい信仰の友にも、
そういった方向に進んでしまった人々がいますから。
それでもなお、
私が今こうして教会につながり、
教会に仕えるという立場を崩さず、
「極端に走るという安き道」を選ばないでいられているのは、
妻のサポートももちろんありますし、
神田先生という良きモデルがいるのもありますが、
しかし、信仰の最初の6年間を、
ベガさんやダニエルさんと過ごせたことが、
非常に大きかったんだなぁ、
と今になって思うのです。
▼▼▼17年ぶりの再会
そして先週、
ロスバニョスにて17年ぶりの再会をしたとき、
私は今申し上げたようなことを、
さらに深く確信しました。
どこから話しましょうか。
GWFの話しに戻りましょう。
5日間のGWFの学びは、
非常に有意義なものでした。
しかしながら、
うつ病から復帰してから、
「人との会話が非常に消耗する」私にとっては、
「人とつながることがこの集まりの意義!」
と宣言されている5日間は正直に申し上げて、
かなり疲れるものでもありました笑。
だって、「つながりたくない」んだもん笑。
人が嫌いなわけじゃありません。
誤解しないでいただきたいのですが、
人が嫌いなわけじゃないんです(2回言った)。
むしろ、人は好きです。
みんなのことは大好きです。
「恥ずかしがり屋」なわけでもない。
そうではなく、
「刺激の許容量」の問題なのです。
私は人口の1割いるという、
HSP(非常に繊細な人)なので、
「人と接するためのエネルギー」が、
他者よりも多く必要とされるのです。
「人間という情報」が、
私にとっては非常に大きいので、
1人の人と知り合うのに、
非常に多くのエネルギーを使う。
1日に2人と知り合うころには、
もう、「情報過多」で、
くたくたになってしまうのです。
そんなんで社会を生き抜けると思うか!
という体育会系的な叱責は、
まぁご自由にしていただけば良いのですが。
正直「うるせぇ、バーカ」としか思いませんね。
「致死性の余計なアドバイス」は無視するのが一番です。
私は死にたくないのです。
エネルギーが枯渇した状態で無理をして、
次にうつ病を患ったら、
そのときは死んでしまうかもしれないので。
命が一番大事です。
根性と命なら、命を取ります。
なので私は、
グループディスカッションの最初に、
自己紹介と一緒に言いました。
「僕はこうして少人数で、
あるトピックに関して深く話すのは得意ですが、
極度に内向的な性格のため、
大人数が集まるこういった場所は正直苦手です。
気分が悪くなったり消耗して、
途中で退席するかもしれませんが、
気にせずに話しを続けてください。」
こういう集まりに参加する人って、
今何かと話題の芸人の入江さんみたいに、
「ハイパーコネクター」みたいな人が多いので、
私みたいな人間は、
廊下に落ちているホコリほどの価値しかありません。
「ネットワークを築く」ための集まりで、
「できるだけ出会いたくない」って言ってるんですから。
「じゃあ、なんで来たの?」って話しですよ笑。
「お見合いパーティに来た既婚者」みたいに場違いです。
ただ、グループディスカッションは豊かでした。
コンゴ人、アメリカ系韓国人、
カナダ人、アメリカ人、日本人(私)からなる、
5人のグループのなかで、
くだんの「内向的宣言」により、
最初は「廊下のホコリ」みたいに思われていましたが、
ディスカッションを重ねるごとに、
私はテーブルで最も重要な発言をする人間になっていました。
私が何かを話そうとすると皆、耳を傾けるようになりました。
私が何かをいうときは、
必ず面白い内容が含まれている、
という信頼を勝ち取るようになった。
テーブルリーダーはカナダ人の女性だったのだけど、
その人の隠れた補佐をする「裏回し」もするようになった。
「コンテンツ力」では私は誰にも負けないのです。
どんな切り口からでも、
内容のある面白い話しをすることができるし、
他の人がしたどんな発言も、
その言いたかった真意をくみ取り、
「意味」や「文脈」につなげることができる。
最終日にカナダ人のテーブルリーダーが、
「私の5日間のハイライトは、
このテーブル―グループだったわ」
と言いました。
私は、スーパーコネクターではありませんが、
こういう貢献ができるのです。
私は社交性とトレードオフで、
こういう才能を獲得している、
という側面もある。
長所は短所、短所は長所なのです。
、、、とはいえ、5日間のGWFが終わったとき、
私はなんともいえない、
複雑で、ちょっと惨めなというか、
情けないなぁ、自分は、
というような感情を抱いていました。
700人が集まるこの集まりで、
私はほとんど誰とも「新たな繋がり」
を生まなかった。
自分を守るための自分の意志とはいえ、
一枚の名刺も渡さず、
一枚の名刺ももらわなかった。
そもそもこの集まりは、
「ビジネスパーソン」の集まりで、
私は「メインストリーム」ではなく、
「サブストリーム」です。
神学校→按手礼という、
通過儀礼を経ていない私は、
逆に牧師の集まりにいっても、
「サブストリーム」です。
「あぁ、俺はどこに行ってもサブストリームだなぁ。」
「あぁ、俺は本当に何しにここに来たのだろう、、。」
周囲の異様に高いテンションについて行けず、
なんていうんだろうなぁ。
文化祭とかで、みんなの「熱気」に飛び込むのに失敗して、
打ち上げのときに教室の隅で、
ひとり缶ジュースを飲んでる気持ち、
っていったら良いんでしょうか。
なんとも言えない「疎外感」に、
私は打ちひしがれ、ちょっとだけ、
涙が出そうにすらなりました。
誰も私を疎外したわけではないし、
私が勝手に感じているだけなのは、
百も承知なのだけど。
そんなときでした。
私がベガさんに会ったのは。
「祭り」が終わり、
もぬけの殻になった会場の教会の、
地下駐車場に車をパーキングしたから、
一階で待ってるよ、
とベガさんからFacebookメッセンジャーに、
テキストメッセージが入りました。
最後のプログラムであった、
午後のマニラのシティツアーが終わり、
バスから降りて、教会の1階ロビーにいくと、
そこには、17年前とまったく変わらぬ、
ベガさんが座っていました。
「ハイ、ジンジン!!」
私の大学時代の友人は、
私のことを今でも「じんじん」と呼びます。
フィリピンの友人たちも、
「JinJin」と私のことを当時呼んでいました。
17年ぶりに聞いた「JinJin」でした。
「久シブリデショネ!」
という、めっちゃくちゃ懐かしい、
フィリピンなまりの日本語を聞いたとき、
さっきまで感じていた疎外感は、
一瞬でどこかに吹っ飛び、
17年前に「タイムスリップ」したかのように、
堰を切ったように話し続けました。
私とベガさんは、
95%英語、5%日本語で話します。
ベガさんの第一言語はタガログ語、
私の第一言語は日本語。
お互いの第二言語が英語で、
しかもだいたいそのレベルが一緒。
こういう人と英語で話すときが、
もっとも「アクセル全開」で話せます。
サーフィンで上手く波に乗れたときのように
(乗ったことないですが笑)、
私の英語は絶好調で、
次から次へと口から英語が出てくる。
ほぼ自由自在に話したいことを話せる。
こういう「英語ゾーン体験」を経験するのはたいてい、
「ネイティブじゃないけどかなり英語能力が高い人」と
話しているときです。
私の場合。
そしてベガさんは、
私の「英語組み手」の相手として、
理想的な相手なのです。
三菱自動車製のベガさんの自家用車に乗り込み、
そこから3時間半、
マニラ都心部からロスバニョスまでの、
渋滞する道のりを、
私たち2人は、休むことなく話し続けました。
お互いの17年間のアップデートについて。
ベガさんの子どもの成長について。
私の結婚と、私の子どもについて。
帯広畜産大学でのICCの思い出について。
帯広畜産大学の現在について。
フィリピンの過去と現在、
日本の過去と現在について。
本当に「先週会ったかのように」、
いきなりトップスピードで語り合いました。
夜のフィリピン大学ロスバニョス校に到着し、
大学内にある、客人が泊まるホステルに到着しても、
まだ話しが終わらない。
「続きは明日話そう」
といって、その日は寝ました。
そこから日曜日、月曜日、火曜日(の朝)と、
2日半、ベガさんと過ごしたのですが、
それはそれは幸せな2日半でした。
▼▼▼ロスバニョスの自然
いろいろ話せることはあるのだけど、
二つの切り口から話します。
ロスバニョスの素晴らしい自然と、
ベガさんとそのアルムナイ(フィリピンの帯広同窓生)の、
「仕事と宣教の融合感」、生き方です。
まずはロスバニョスの自然から。
フィリピンの最初の7日間は、
私はマニラで過ごしました。
5日間のGWFにも参加しました。
前日に新潟で奉仕があったため、
東京経由でそのまま成田のビジネスホテルに一泊し、
朝7時に友人の土畠君と合流。
あ、そうだ。
大切なことを言い忘れていましたが、
私がGWFに参加しようと思ったのは、
北海道在住のお医者さんで、
私の親友である土畠くんが声をかけてくれたからです。
3年前から毎年開催している、
「よにでしセミナー」を、
「やってみない?」と誘ってくれたのも彼です。
今から考えますと彼のあの誘いは、
うつ病療養から仕事に復帰した私に、
一定の方向付けを与えてくれるものとなりました。
実はメルマガ配信やYouTube放送も、
「働いている信仰者に奉仕する」
という意味で、よにでしセミナーと地続きですから。
あ、ここでいう「働いている」というのは、
ビジネスパーソンだけを指すのではありません。
キリスト教のフルタイムの奉仕者も、
「教会という職場」で働いています。
「教会」は社会の一部ですから、
牧師は社会のために働いているとも言えます。
(「フルタイムの牧師こそが偉いのだ」、
というのはナンセンスとして、
逆にビジネスマンこそが偉いのだ、
キリスト教の牧師は「働いていない」!
っていう、「逆マウンティング」の言説って、
私は加担しません。
「聖俗二元論」という意味で、
両方とも同じ穴の狢でああり、
非常に次元の低い話しです。)
専業主婦も「家庭という職場」で毎日働いています。
病気療養中の人も、何らかの健康上の理由で、
働くことができない人も、
神の視点から見たとき、深い位層で、
「働いて」います。
私はつまり、
あらゆる人々に向けて、
聖書的世界観をメタ的に伝えるために、
メルマガを書き、YouTubeで発信しています。
話しがそれました。
土畠君と私は、
そんなわけで、
「よにでしセミナー」のパートナーです。
GWFに土畠君が私を誘ってくれたのは、
よにでしセミナーのヒントになる何かを、
得られるかも、と思ったからでしょう。
FVIの柳沢美登里さんが、
日本ローザンヌ運動に加わっている事もあり、
GWFは理念的に非常に親和性が高いことが分かっていたので、
迷わず申し込みました。
その後いろいろありましたが、
4000人の申込のうち、
選ばれたのは700名でしたが、
結論から言うと2人とも選ばれ、
参加することとなりました。
極度に内向的な人間にとって、
あまりメリットがなさそうな集まりと分かっていましたが、
それでも参加しようと思ったのは、
土畠君と一緒に行くと分かっていたからです。
今回の5日間、土畠君は、
世界レベルで働ける人なので、
「障害者医療に関わる医療関係者のワーキンググループ」
の核となり、連日引っ張りだこでした。
グローバルなありとあらゆる人々と繋がり、
GWFの良さを最大限に引き出していました。
こういう集まりは土畠君のような人のためにあるのでしょう。
ハタから観ながら、
すげーな、この人は、
とただただ尊敬したわけです。
しかしながら今回のGWFはホテルが指定されていて、
しかも2人一部屋が基本だったので、
私と土畠君は同じ部屋に泊まりました。
なので部屋では毎日顔を合わせますし、
夜ご飯とかは一緒に食べに行くわけです。
アメリカで言うと、
アメフト部の主将と、
目立たない陰キャのギーク(オタク)が同室、
みたいな感じで「話、かみ合うの、それ?」
って思うでしょ。
それが合うんだな笑。
土畠君は「二刀流」なので、
いろんな人とスーパーコネクターになれる一方、
私のような「少人数での深い話ししか興味ない」人とも、
ちゃんと深い話しができる。
あんまり彼のような人を、
私は他に知りません。
そんなわけで5日間、
私はテーブルグループの4人と土畠君の、
合計5人以外とは、ほぼ言葉を交わしませんでした笑。
スーパー陰キャですね笑。
でも、11月に開催される、
「よにでしセミナー」について、
土畠君と話し合うことができたし、
いろんなヒントももらえたのでそれで十分です。
、、、なんの話しをしようとしてたんだっけ?
そうです。
ロスバニョスの自然の話しです。
そのために、
マニラの話しをしたかったんでした。
そうしたら土畠君の話になり、
ここまで来てしまった。
話を元に戻しましょう。
マニラで最初の一週間を過ごしたわけですが、
私はほとんど写真を撮りませんでした。
例外的に面白い建物とかそういうのはありましたが、
基本的にマニラって、東京とそう変わりません。
マニラもジャカルタもデリーも東京もロンドンも、
現代世界では、特に都心部は、
「ほぼ同じ」です。
ショッピングモールに至っては、
従業員と話しをするまで、
ここがどこの国か当てるのは至難の業じゃないでしょうか。
ビルがあり、道があり、車が走ってて、
またビルがあり、、、、。
モールにもフィリピンの料理出す店があったり、
日本と違ってやたらと「働く人の数が過剰」だったり、
それはそれで面白いことはあるのですが、
多少の例外を除きますと、
基本的に私を興奮させるような風景はなく、
私が写真を撮ることはほとんどなかった。
ところがベガさんと一緒にロスバニョスに行き、
そこで過ごした3日間、
私は写真を撮りっぱなしでした。
私はスマホ持ってないので、
もはや時代の遺物となったデジカメで、
バシャバシャと写真撮りっぱなしです。
ロスバニョスには何があるのか?
山です。
牧場です。
牛や馬。
熱帯植物。
バナナの木、
ココナッツの木、
ジャックフルーツの木、
アボカドの木、
多種多様の水田。
山から見下ろす湖。
「熱帯にある大学」のキャンパス。
野生の鶏。
様々なものを売る露店。
農業を営む地元の人々の生活。
目に映るすべてが新鮮で、
そして「これこれ!!!」
「これでしょ!!
海外の面白さは!!」
「フォーーー!!」
ってなりました。
まぁ興奮しましたね。
ロスバニョスはまずどこにあるか。
そこから行きましょうか。
▼ロスバニョスの位置
https://bit.ly/2FYF2O2
こんな感じで、
マニラから車で2時間ほど南下したところにあります。
20年前にベガさんと会ったとき、
ベガさんとその仲間たちが、
「ロスバニョス、ロスバニョス」って言っていて、
「マニラ」以上に私には親しみのある地名なのですよね。
ちなみにベガさんが教えてくれたのは、
ロスバニョスというのは、
「ロス・バニョス」で、
ロスはスペイン語の定冠詞。
ちなみにロサンゼルスつまりロス・エンジェルスは、
英語でthe Angel、「天使の街」ってことですね。
これに従うと、
「バニョス」は「温泉につかる」という意味。
つまり「the Spring」、
「温泉街」というのが地名の語源です。
フィリピンは長らくスペイン領だったので、
こういうスペインの足跡が、
文化や地名や宗教や言葉の端々に残ってます。
そんなわけで、ロスバニョスには温泉があります。
火山に近いのです。
火山が多く、地震もあるフィリピンは、
意外と日本と共通点が多いのです。
精神分析の泰斗・河合隼雄先生も、
「アジアで母性社会」という共通項で、
フィリピンと日本は特異点だ、
という内容の本を出しています。
そんなロスバニョスで(どんな?)、
私はその自然に魅了されました。
ベガさんが教えてくれたのだけど、
実は私が滞在した、
フィリピン大学ロスバニョス校(UPLB)の周辺は、
「人工的に人の手から自然が守られている」
特別な場所なのだそうです。
たとえばUPLBを見下ろす美しい山があります。
実はその山の自然が保護されているのは、
「大学の側」だけで、
裏側は「はげ山」になっているそうです。
なぜか?
大学には森林学部があります。
農林学部と言った方がいいのか??
とにかく「forest faculty」がありますので、
その研究のために、裏山の森林は保護されている。
ところが裏側に国立大学の管理は及んでいないので、
地主はそれを資本家たちの手に渡す。
すると資本家たちは、
「手っ取り早く現金が手に入る」という理由で、
森林伐採をします。
木材として建築業界に売却するために。
その結果山の裏側は荒廃しているそうです。
「キャピタリズム」が山の半分をダメにしたのです。
山から見下ろす湖は美しいですが、
そこの魚はベガさんは個人的には食べないようにしているそうです。
街からの汚水で魚は重金属に汚染されているからです。
都市化によって湖がダメになっています。
大学の周囲には緑がいっぱいあります。
なぜならIRRI(国際稲研究所)が、
大学と併設されていて、
世界中の品種の水田が広がっていること。
農学部・獣医学部が酪農農園をもっていて、
馬や牛を飼育していること。
あらゆる品種の作物のために、
広大な実験農場が広がっていること。
これらが、
UPLBのキャンパスの、
「ユートピア的な美しさ」を担保しています。
そこから一歩外に出ると、
実はマニラまで交通の便が良いこの土地は、
都市化とキャピタリズムによる、
「自然からの搾取と土地の荒廃」の影響を受けています。
キャンパスの敷地内にある、
大学の「官舎」のひとつの、
ベガさんの家を訪れ、
私は「彼は帯広を離れて17年、
こんなユートピアみたいな場所で生活してきたのか!!」
と、心から羨ましい気持ちになりました。
しかしそれは皮肉にも、
「学術研究という理由から、
人工的に保護されたエデンの園」
だからそうだったのであり、
フィリピン全土がそうではない、
という現実の一側面だったわけです。
ちなみにベガさんの家の裏庭は広大で、
なんていうのかな。
「植物園」ってあるじゃないですか。
特に、ビニールハウス的になってて、
全季節に熱帯植物とかが見れるやつ。
ベガさんの裏庭は、「あれ」です。
写真をいくつか。
▼ベガさんの裏庭
https://bit.ly/32qwGIy
▼ベガさんの裏庭のココナッツの木から、
ココナッツを落とすベガさん
https://bit.ly/2LGa0xX
▼落ちたココナッツ
https://bit.ly/2xEl8Dm
▼ココナッツをナタで開けるベガさん
https://bit.ly/2XW3Ekk
よく南国のリゾートとかで、
「ココナッツドリンク」ってあるじゃないですか。
ココナッツの実から直接飲むヤツ。
買うとけっこう高くて、
500円ぐらいしたりするのですが、
ベガさん宅では、あれは庭で取り放題です。
あと、アボカドも死ぬほど取れます。
コンデンスミルクとホイップクリームによる、
自家製アボカドアイスクリームを、
ベガさんが作ってくれました。
4リットルぐらい(!)。
めちゃくちゃ美味かった。
あと、バナナも何種類も採れます。
食べ放題です。
それからジャックフルーツも。
めちゃくちゃ美味いです。
端的に言って、
「エデンの園」のような生活です。
「園どの木からでも、
その実を取って食べても良い。」
っていう。
また大学のキャンパスが美しいんだ。
トロピカルな木々が、
よく考えられて配置されていて、
芝生は丁寧に刈り込まれていて、
様々な花が咲き乱れている。
山がその美しいキャンパスを見下ろす。
「ここって家族でも来れるの?」
と聞くと、大学関係者のゲストが、
家族で泊まれる場所もあるとのことなので、
本気で近年中に、家族の夏休みに、
ベガさんたちを尋ねることを考え始めています。
時期によっては「飛行機の国内旅行」より、
安くつくかもしれないし。
▼▼▼ベガさんたちの、「GWF性」
ちょっと文字数がヤバくなってきました笑。
あと、執筆時間も。
ちょっと疲れてきた笑。
そんなわけで、
ベガさんと過ごした3日間は「最高」だったわけですが、
それはトロピカルな意味だけではありません。
もちろん古い友情を温めた、
という意味でも、私にとって特別な時間でした。
早くも「2019年の陣内俊の個人的ハイライトのひとつ」
になりそうな予感がします。
しかし、GWFという、
「仕事と宣教」に関する集まりに、
5日間出席した後の「実地研修」みたいな意味合いでも、
ベガさんたちの歩みは私に霊感と刺激を与えてくれました。
ベガさんたちは「ナビゲーター」という国際団体の、
リーダーをしています。
地域教会とも良い関係を持ちながら、
そこを「地域教会的に」考えていて、
大学キャンパスのクリスチャン同士(10〜20名)で、
学生時代から数えたら30年以上、
共に歩んで来ました。
そんなベガさんの「親友」に、
デイブさんとその家族がいます。
デイブさんは帯広にも来てましたので、
私も面識があったのですが、
今回、彼らから話しを聞き、
彼らが学生の頃から特別な友情で結ばれてきたことを、
改めて知ることとなりました。
彼らがこの17年間してきたことは、
本当に素晴らしいので紹介させてもらいます。
文字数も制限されてきましたので、
下手に解説を加えるのではなく、
ただ、私がベガさんから聞いた話を収録します。
彼らはキャンパスで会合を持ち、
聖書研究会を通して、
大学生に伝道するのみならず、
地域の貧しい子どもたちにも目を向けるようになりました。
毎週土曜日に彼らは、
公立の高校体育館をレンタルし、
4家族ぐらいで当番制にして、
地元の貧困家庭の子どもたちに、
無料の昼ご飯を作って配布し始めました。
毎回50人ほど集まります。
そういった「フリーランチ」がもたらす、
「依存性」の問題も当然知っていますので、
フリーランチとセットで、
「勉強して、仕事をして、
そして立派な大人になることの価値」
を聖書に基づいて教育するという、
「知識のワクチン接種」とセットでそれをしました。
そのような働きを10年間続けた結果、
何人かの親たちがキリストを信じ、
その家庭の生き方が変えられていくようになりました。
最近はその働きは、
「聖書的子育て講座」
「聖書的夫婦関係講座」へと、
シフトしていきました。
親がその生き方を変えるとき、
子どもの運命も変わることが、
10年間の実践で分かったから、
そちらに集中することにしたのです。
さらにベガさんたちは、
週末にはそのような活動をしながら、
仕事もまた神に捧げています。
ベガさんが、
「マンチェスターユナイテッド」のTシャツを着てたので、
「サッカーやるんですか?」と聞くと、
そうじゃなく、数年前にイギリスにいったときの土産なんだそう。
さらに聞いてみると、
それは「学術研究のコンペティション」で、
イギリスまで招かれたのだそう。
ヨーロッパの財団が主催するそのコンペティションには、
毎回2000を超える論文が全世界から集まります。
ファイナリストの3名は、
ヨーロッパに招かれそこで発表をします。
ベガさんはそのファイナリストに選ばれたのです。
コンペティションのテーマは、
「貧困と環境問題を解決するイノベーション」で、
ベガさんの論文は、
「小型の養殖用の水槽の水を環流させ、
上で農作物を育てる。」
という、野菜と魚の二毛作的なアイディアで、
これがあると世界の貧しい村々の家庭が、
食っていけるようになる。
惜しくも優勝を逃しましたが、
この発明は高く評価されました。
「特許を取ったりしないんですか?」
と聞くと、
「しないよ。
だって、この貧しい人たちのための発明は、
神様が僕に無料で与えてくれたんだ。
だからこれを無料で与えるのは当たり前でしょ。」
とのこと。
神の栄光のために仕事をする姿に私は感動したのでした。
実はさらに話しがあって、
ベガさんの親友デイブさんは、
このコンペでファイナリストに選ばれただけでなく、
優勝しています。
たしか2006年のことです。
発明の内容は、
山村部の小さな川から小規模の発電をする、
というアイディアです。
この発明により、
デイブさんはなんと、
TEDカンファレンスで発表もしたそうです。
これも、神の栄光のため。
彼らにとって仕事は神の栄光のため。
生活も神の栄光のため。
余暇も神の栄光のため。
GWFには、
世界的に有名な企業のCEOなども、
スピーカーとして登壇していました。
彼らから励ましを受けたのはいうまでもありませんが、
正直、私はどんなスピーカーよりも、
ベガさんやデイブさんから、
インスピレーションを受けましたし、
それから同室の土畠君からも、
いつもそれらをもらっています。
GWFの価値が相対的に低くなっちゃうような着地になっちゃいましたが、
まったくそんなことはなく、
ローザンヌ運動の働きは素晴らしいものです、
事実、ベガさんたちもローザンヌ運動のことは知っていて、
「包括的な福音理解」に関することを、
私が今の仕事にしていることを話すと、
ベガさんは、
「そうか、それは良い働きを選んだね。
僕達も同じ事を考えている。
世界中でそういうことが強調されるようになったのは、
本当に良いことだと思う」と言っていました。
実践家と理論家(啓発者)のどちらが偉いか?
というマウンティングの取り合いも、
最初に言った「聖俗二元論」に基づく、
「ナンセンスな二分法」ですよね。
理論家も実践家も、一緒に手を取り合って進むのです。
そう、神の栄光のために。
▼写真:ベガさんと私
https://bit.ly/2XVYkgZ
▼写真:フィリピンの帯広同窓生のリユニオン
(この夜、私は親子丼とカレーを作りました。
日本経験があるので、皆さん、
めちゃくちゃ喜んでくれました。)
https://bit.ly/2FXcLY3
]]>
紀行文「○○からの手紙」
2019-12-09T13:47:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=431
【Q】面白いと思う人
第092号 2019年5月21日配信号
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。...
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
【Q&Aコーナー専用フォーム】
▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI
※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。
※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●【Q】面白いと思う人について
・ペンネーム:サザエ(女性)
・お住いの地域:千葉県
Q.
陣内さん、こんにちは。
いつも為になる本のダイジェストや、
なるほど面白いコメント満載の
メルマガをありがとうございます。
質問です。
惹かれる人、魅力的だなぁ、
なんかこの人いいなぁってと思う人を3人くらい教えてください。
何でかというと、友達や同僚や親戚が、
すごく優しく親切だけど、
教会に対しては分厚い壁を持っているのを感じるとき、
クリスチャンである自分や伝統的な教会に、
引きがないのかなぁと思ってしまいます。
ほとばしるキリストの魅力や、
造られたその人らしい良さがあんまり現れてないからなのかなと。
クリスチャンで、広い視野と社会とのバランスを持ってる
(と、思ってます)陣内さんの
個人的な意見を聞いてみたいなと思いました。
よろしくお願いします。
A.
サザエさん、
ご質問ありがとうございます。
まず「3人の面白い人」を、
とのことですが、
知り合いだとちょっと許諾が必要なのと、
「みんな面白いし魅力的です」
という模範解答になってしまうので笑、
かなり難しいですね。
一般論から言って私の場合、
「この人と友だちになりたい」
と思うタイプの人というのは、
けっこう他の人と違い偏りがあります。
私は「思索的」な人と波長が合うので、
その人がキリスト教徒だろうが仏教徒だろうが、
ヒンズー教とだろうが無神論者だろうが、
「そもそも自分の考えていることとは、、、」
というメタ的な内容を話せる人と出会うと、
「この人とアポイントを取ってまた語り合いたい」
と思います。
これは「どれだけ本を読んでいるか」
とは無関係です。
まぁ、そういった人は、
たいてい本を読んでるんですが。
ただ、本をたくさん読んでるけど、
思索的ではない人もいます。
特定のジャンルの信仰書以外読まないとか、
自己啓発的ビジネス書ばっかり読む、
といったタイプがそれで、
「自分の思考を追認する言説による自慰行為」は、
思考を深めませんので、
こういった人は、年間100冊読もうが、
私の定義する「面白い人」にはなりません。
▼▼▼有名人だと、、、
今度は有名人で考えてみましょう。
ぱっと思いつく魅力的な人は、
1.佐藤優(作家)
2.レブロン・ジェームズ(バスケ選手)
3.若林正恭(お笑い芸人)
ですかね。
来月聞かれたら、
全員入れ替わってるかもしれませんが笑。
この中で明確にクリスチャンと分かってるのは、
佐藤優氏だけです。
しかし、
ベルジャーエフがドストエフスキーについて、
「ドストエフスキーは、
言葉の最も深い意味におけるキリスト教的作家であった」。
と言っています。
彼の表現を借りますと私が惹かれるのは、
「言葉の最も深い意味における、
キリスト教的な人間」です。
その人に「キリスト教徒」という、
ラベルが貼られているかどうか、
というのはあまり重要ではない。
佐藤優は、その教養の深さと知識の厚みが凄い。
私があと3回人生を生きても到達出来ないでしょう。
なおかつ「この世界のことをキリスト教の観点で語る」
という「働き」において、
私が「モデル」としている人物だからです。
あまり誰もそう思ってないでしょうが、
私がこのメルマガやYouTubeでしていることと、
佐藤優さんが年間何十冊も本を書いてしていることは、
かなり近いと自分では思っています。
レブロン・ジェームズは、
クリーブランドのアクロンという、
スラム街で16歳のシングルマザーから生まれました。
彼は10億に一つというぐらい恵まれた身体能力を用い、
バスケ選手として「地上最強」の地位を手にしました。
その富と名声を彼は「利他的に」使っています。
アクロンに学校を設立し、
貧しい子どもたちの財団を運営しています。
また、人種差別撤廃のために、
発言するべき時にはしっかり発言し、
トランプ大統領からは毛嫌いされています笑。
レブロン、大ファンです。
彼の利他的で公益に資する生き方が、
「言葉の深い意味におけるキリスト教徒」だからです。
若林正恭は、
彼の本を読むと分かりますが、
非常に思索的です。
私と同世代なので、
その悩み方も私と似ている。
「深い部分で物事を疑い、
批判的・複眼的に世の中を眺める。
そしてそれを言語化し他者に伝達する」
という営みにおいて、
現代世界では芸人は他の業種を引き離している。
そんな「世の中のアウトサイダーとしての芸人が、
この世の中をシニカルに語りつつ、
自我の煩悶を言葉にする」とうような、
かつてビートたけしとかがしていたことを、
今は若林世代が上手にしています。
その意味では又吉直樹や山里亮太も、
このジャンルに入ります。
キリスト者というのは、
「世の中のあたりまえ」を疑う人です。
根源的に物事を考え、
批評的に洞察し、それを言語化します。
「預言的な生き方」とはそういうことです。
その意味で彼らもまた、
「言葉の深い意味におけるキリスト教徒」なのです。
▼▼▼因数分解すると、、、
さて。
今申し上げたようなことを踏まえながら、
自分の経験に照らし合わせ、
敢えて「私の考える面白い(魅力的だ)と思う人」を、
定式化してみますと、
以下の3つになるかと思います。
1.自己開示出来る人→自己受容できる人
2.影響される人
3.愛する人(与える人)
まず1の自己開示。
これはねぇ。
けっこう人間関係の「核」にあると思います。
人は、「相手が自己開示した度合いに応じて」
自分も自己開示する生き物です。
自分の心の中の最も柔らかく傷つきやすい部分や、
自分の過去の経験の最も深く暗い闇を、
他者に開示出来る人は、
他者もまたその人に、
自分の心の中の最も深くまで分かち合っても大丈夫だ、
という安心を与えます。
ショウさんの質問への回答で、
最後に引用した、
ヘンリ・ナウエンの文章の、
「自らの弱さを癒しの源泉とする」
というのは、今言ったようなことも含みます。
「深い絆で結ばれた親友がほしい」
と誰しも思います。
それには実は条件があって、
自分自身が「勇気を振り絞り自己開示する」
ということによってしか出来ません。
自分の心のバリアを解いた度合いに応じて、
他者も自分に対し、心のバリアを解いてくれるからです。
それを「弱さの証拠」と見る人もいるでしょう。
アメリカのような「勝利主義的社会」ではなおさらだし、
日本でも、特に昭和世代の男は、
そういったことをしないのが男らしさだ、
と教えられてきました。
弱さを開示すれば、
あざ笑われることもあった。
今でもある。
でも、「そんなのはどうでもいい」と、
自己開示出来る勇気を持つ人は最強です。
必ず親友が出来ます。
100人があざ笑っても、
必ず1人親友が出来ます。
1人親友がいる、
というのは金融資産に換算すると、
1000万円ぐらいになるという学者もいます。
では、どうすれば自己開示出来るのか?
それは、「自己受容」出来ている必要があります。
弱い自分や暗い過去を自己受容できている度合いに応じ、
人は自己開示出来ます。
(もちろん常識的な社会的コードに従って)
自己開示出来る人を、人はバカにしながらも、
心の底では実は尊敬しています。
なぜか?
それはその人が弱さや傷やトラウマにもかかわらず、
自己受容に至った、という、
「魂の旅路における勇者だ」
ということが無意識に分かるからです。
次行きましょう。
2の「影響される人」
人は、影響される度合いに応じて人に影響を与えます。
影響は「フロー」であってストックではありません。
「ものすごい影響力がある人」がいて、
その人から影響力の波動が同心円状に広がる、、、
というのは正しいイメージではない。
影響力は「川の流れ」に似ています。
自分が影響を与えられた、
と思う人(Aさん)がいたら、
必ずAさんの上流には、
Aさんに影響を与えた誰かがいるのです。
私たちが影響力ある人間になりたいと願うなら、
私たちは「大いに影響を受ける」人間である必要があります。
これは実は怖いことで、
「自分の核まで揺らいでしまうのでは?」
という恐れを持っていると、
影響される渦の中に、
自分を投じることが出来ません。
たとえば自分とまったく違う意見を持っている人と、
面と向かって話し合ったり、
自分が信じているのとは
真逆の主張をしていることが分かっている本を、
手にとって読んだりすることが出来ないのです。
だって、読んだり話したりしたら、
その後で自分の意見が変わっちゃうかもしれないから笑。
私は、それでいいと思います。
いや、それこそがいい、と思う。
自分の意見がちょっとでも変わらないような本を読んだり、
その後に自分が影響を受けないような話し合いをしたりして、
逆にどこが面白いんだろう、
と私なんかは思うわけですよ。
では、私はアメーバのように「かたちがない」ものなのか?
違います。
私は自分の最もコアな部分、
つまり「言葉の深い意味におけるキリスト教性」について、
揺らがぬ信念を持っています。
それは自分が握っている必要すらなく、
神が握っていてくれている。
その部分が確かだから、
それ以外の部分については、
どれだけでも柔軟に考えることが出来る。
逆だと思っている人が多いですが、
頑固な人って、信念が強い人ではありません。
頑固な人は信念に自信がないから頑固なのです。
信念が強い人は今申し上げた理由により、
逆に柔軟になります。
その柔軟さは「影響される」につながり、
それが影響力になります。
これに若林正恭的な、
「根源から問う」が加わると、
根源にすら影響を受けるため、
人の根源に影響を与えることが出来るわけです。
3の愛する人(与える人)、
というのはもう、そのままですね。
なぜ「与える」なのか?
与えるという行為は、
言葉ではごまかしが利かないし、
雰囲気とかの話しではないからです。
リック・ウォレン牧師は、
「愛することなしに与えることは可能だが、
与えることなしに愛することは不可能だ」
と言っています。
ショウさんの質問への回答で、
「什一献金」の話しをしましたが、
他者に寄付、献金、贈与する、
ということを有形無形にしている人は、
「愛する人」です。
私は愛する人に、
これ以上ない魅力を感じます。
その人はイエスに似ているからです。
▼▼▼非キリスト教徒が何に魅力を感じるか
サザエさんの質問の意図は、
「キリスト者が、
宗教アレルギーの壁を乗り越えるほどに、
魅力的であるためにはどうすれば良いか」
というような問題意識があると思われます。
この問題意識は正しい。
私は自分の職業人生の大半を、
「いわゆる伝道(宣教)」に捧げてきたわけですが、
その暫定的な結論は意外なものでした。
それは「伝道」しないほど伝道は上手く行く。
というものです。
今回は各方面から怒られそうなことばかり言ってますが、
私は「業界としてのキリスト教会」の、
利害を最優先とする立場にありませんので笑、
大切なことはトラの尾を踏んでもやはり言います。
私の利害は「神の国」にのみあります。
その前進のためならキリスト業界が怒ろうが、
気にせず言います。
キリスト業界が頑張ってることでも、
神の国と関係なければ、
顔に笑顔を貼り付けて全力でスルーします笑。
私の知る、ある海外の牧師は、
「業界としての教会」よりも、
「神の国」に感心がある人ですが、
「クリスチャンはヒモつきで愛すな」と言っています。
私のメンターのボブ・モフィットは、
「愛で操作してはいけない」と、
同じ意味のことを言っています。
どういうことか?
私たちが愛するとき、その愛が、
「教会に誘うための」
「その人をキリスト教徒にするための」
エサだったと分かったら、
愛された人はどう思うでしょうか?
私たちの誰も、
「操作(マニュピレーション)」されたい人はいません。
自分がされたくないことを、
他者にしたらダメです。
もっと言えば私は、
「伝道」されたくありません。
「伝道」ってだって、
「私は救いの道を知っている。
無知蒙昧なあなたはそれを知らない。
だからそれを教えて上げましょう」
ってことでしょ。
私は他宗教の人から自分がそうされたら、
ちょっと傷つきますし、さらに言えば困惑します
だから私は「伝道」しません。
これもめちゃくちゃ怒られそうですけど笑。
じゃあ、
「宣教という神の働きはどうなるのだ!」
というお叱りが当然予測されます。
でも、経験と直感から、
「伝道しない方が伝道は上手く行く」
という逆説的な答えが正しいのでは?
とうい手応えを私は得ていました。
じっさい、20年余の私のキリスト者としての歩みを通し、
「私を通してキリスト教徒になった15名ぐらいの人」
の誰一人として、私は「伝道」しませんでしたから。
*この15名というのは直接の影響によって、
という意味です。
間接にはもうちょっといると思います。
彼らは私と友人となり、知り合いになり、
一緒に時間を過ごし、一緒にご飯を食べ、
互いの人生の話しをし、
互いに影響を与え合いました。
あるとき彼らは教会に来るようになり、
そしてあるとき信じており、あるとき洗礼を受け、
あるとき一緒に祈るようになっていました。
そうとしか言いようがない。
「救いの道を教えましょうか?」
みたいなやりとりをしたことは一度もない。
逆にそっちのアプローチをした人で、
信仰を持った知人は一人もいません。
彼らは私から離れていきました。
きっと傷つき、困惑したのでしょう。
悪いことをしたと思っています。
でもね。
やっぱり「言葉による伝道=宣教」という、
広く信じられている定説に逆らうというのは、
ちょっとした罪悪感を伴いますし、
「自分は重大な神学的な誤りをしているのだろうか?」
と思ったりもするわけですよ。
こう見えて、けっこう真面目なので。
その罪悪感や逡巡が吹っ切れたのは、
『宣教のパラダイム転換』デイヴィッド・ボッシュ
『キリスト教とローマ帝国』ロドニー・スターク
という2冊の本を読んだのが大きかったです。
詳しく説明する時間はありませんが、
この2冊が言っていることを要約して統合すると、
こうなります。
1.「救いの道をあなたに教えて上げましょう」
式の「伝道(宣教)」というのは、
2000年間の宣教の歴史の中の、
「近代以降」というごく一時期に台頭してきた。
2.宣教というのはその時代に支配的な思想に影響を受ける。
19〜20世紀の「近代」というのは「大きな物語」が信じられ、
「正しい合理的な価値体系」がまだあると思われていた。
その時代に「キリスト教を合理的に説明する」
という「伝道」によるスタイルは有効だった。
3.近代が終わり「後近代」あるいは「ポスト近代」
と呼ばれる21世紀の世界で、
「合理的な説明・説得という伝道スタイル」が、
人々に訴求する力はますます失われてきている。
4.21世紀には「宣教」の在り方はこれまでとは、
違ったものになるだろう。
5.初代教会がなぜ、
200年の間に、数百名からローマ帝国の人口の12%にまで、
数を増やしたのか?
当時、「20世紀的な意味の伝道」という概念はなかった。
6.考古学的資料から分かるのは、
彼らは「伝道」によって増えたのではない。
彼らの「この世とまったく違う生き方」が、
あまりにも際立っていたため、
9割のそれをバカにする人と、
1割のそれに魅力を感じる人がいた。
その1割のなかには群れに加わる人もいた。
その積み重ねが100年で10000%、
という成長率につながった。
7.ちなみに「まったく違う生き方」とは、
・利他的で自己犠牲的な生き方
・夫が妻を大切にする(当時の常識では妻は所有物だった)
・雇用人が奴隷を大切にする(当時の常識ではあり得なかった)
などだった。
、、、これらを材料として考えた場合、
「欧米などのキリスト教圏」ではいざ知らず、
21世紀の日本は、
「多元主義的な異教世界だったローマ帝国」に、
文脈的共通性が大きいと考えます。
とすると、
ロドニー・スタークが書いた、
ローマ帝国における初代教会的なアプローチのほうが、
20世紀アメリカで発展した、
「言葉による伝道」のスタイルより、
端的にいって「ハマる」のではないかと私は考えます。
私の経験もそれを裏付けている。
ロドニー・スタークは宣教学者ではなく、
宗教社会学者です。
彼はモルモン教などの研究と、
初代教会の研究を総合して、
「改宗」は、改宗者が、
「合理的に納得したとき」に起きるのではない。
と結論します。
では、いつ起きるのか?
引用します。
→P33
〈実際、改宗プロセスには他の要素も関係するが、
改宗における中心的社会学的命題は以下の通りである。
すなわち、逸脱的な新宗教への改宗は、
他の条件が同じであれば、人がそのグループの成員に対し、
グループ外の人々よりも強い愛着を持っているか、
持つようになったときに起こる。(Stark1992)〉
、、、サザエさんも指摘しているとおり、
標準的な日本人にとって「教会」という場所は、
分厚い心理的な壁を感じる場所です。
スタークの言葉で言えば、
日本人にとってキリスト教とは、
「逸脱的な新宗教」なのです。
これは事実です。
少なくともあと100年ぐらいは、
事実であり続けるでしょう。
ローマ帝国にとって、
キリスト教徒たちが、
「逸脱的な新宗教」だったのと同じです。
▼▼▼分厚い心理的な壁に関する考察
、、、では、この「分厚い心理的な壁」を、
どうすれば私やサザエさんは打ち壊せるのか?
あるいは乗り越えられるのか?
もしくは壁を「融解」するのか?
地面を掘って、壁をくぐるのか?
いろんな考え方があります。
スタークが指摘しているのは、
「逸脱的な新宗教」に属する人への愛着、
つまりクリスチャンの友人(知人・親族)との絆が、
非キリスト教徒の人々の「絆の総和」を超えたときに、
「改宗」が起きるということです。
サザエさんのご質問の本文にある、
「すごく優しく親切だけど、
教会に対しては分厚い壁を持っているのを感じる」
という所感はだから、
すごく優しく親切なひと「だからこそ」、
教会に対しては分厚い壁を持つ、
というほうが正確だと私は考えます。
どういうことか?
優しく親切で常識的で仕事が出来て、、、
という人というのは、
「日本」という社会コードに自分を上手に適合させている人であり、
それは「信頼と愛情と絆の総和」が高い人である可能性が高い。
家族にも近所にも親戚にも職場にも愛されている人です。
スタークの言う「グループ外の人の愛着の総和」が大きい。
そうすると、「逸脱的な新宗教のメンバー」である、
私やサザエさんのような人との絆を結んだとしても、
後者が前者を超えることはほとんどない。
その結果として、
「教会に対しては距離を置く」
ということになります。
これが、
「クリスチャンのように素晴らしい、
非キリスト教徒のほうが、
クリスチャンになりづらい」
という逆説的な現象の理由だと私は考えています。
では、サザエさんや私が、
そのような素晴らしい人たちを愛し、
彼らと絆を結ぶことは無意味なのか?
まったくそんなことはない、と私は思います。
スタークの論理を聞いてローマ帝国で起きたことは、
「キリスト者との絆」VS「非キリスト者との絆」
の「綱引き」であった、と解釈しがちですが、
私はそれは違うと思う。
そうではありません。
綱引きのメタファーは「ゼロサム」です。
全体の総和が常に等しい。
しかし本当は「プラスサム」で見るべきです。
全体の総和はふくらんで良いのです。
つまり、
非キリスト教徒の人を愛し、
彼らとの心理的絆を構築することの目的は、
綱引きに勝ち、彼らを教会に引っ張り込むことではない、
というのが私が強く主張したいことです。
私たちは社会と綱引きをしているのではありません。
私たちは社会に「価値」を加えているのです。
その「価値」の中身は何か?
無償の愛、絆、信頼、その他諸々です。
スタークは、
ローマ帝国でキリスト者が増えたのは、
「非常に異なった生き方が持つ魅力」だったが、
それが数的増加にまでつながったのには、
「きっかけ」があったと語っています。
その「きっかけ」とは何か?
それは「ペストの流行」でした。
当時のペストの流行は猖獗(しょうけつ)を極め、
町の人口の半分が死んだりしました。
そのとき、医者ですら町から逃げました。
ところがキリスト者は死を恐れていなかったので、
ペスト患者たちを最後まで看病しました。
逃げた医者の親戚がキリスト者に看病され、
親戚やその友人たちの一部は回復後キリスト者になりました。
全員ではありません。
しかし、ペストの流行のたびに、
確実にキリスト者の割合は増えました。
ロドニー・スタークは一次資料から、
そのようなことが無数に起きたことを実証します。
何が言いたいのか?
当時のローマ帝国には、
今の日本社会と同じで、
「良い人、素晴らしい人」もいっぱいいたでしょう。
彼らは良い人であるゆえに、
「ローマ社会」にたくさんの信頼関係を構築していた。
つまり「キリスト教外の社会」に大きな愛着を持っていた。
ところが「ペストの流行」により、
親しい人まで逃げてしまったりしたとき、
一気に「キリスト教外の社会との愛着」が目減りした。
逆に看病するキリスト者たちを見て、
「逸脱的な新宗教のメンバーとの愛着」が増大した。
「愛着の逆転」が起きたことにより、
彼らはキリスト者になりました。
やっぱ綱引きじゃん。
違います。
そうじゃない。
私たちは「操作」をしてはいけません。
「伝道のために愛する」というのは、
その実、まったく愛していないのと同じです。
だって、伝道のために愛されたい人、いますか?
私は嫌です。
そうじゃないんです。
「愛される側」から物事を見るのが大事です。
そうするとまったく違う風景が見える。
「綱引きの対象」になんて誰もされたくありません。
しかし、誰もが「セーフティネット」としての、
人との絆を求めています。
「信頼に足る誰かとの愛着」を、
たくさん持っていれば持っているほど、
この不確かな世界で、
生き残れる可能性が高まるからです。
「信頼の総和」が生きる上で大事であり、
キリスト者は愛することによって、
他者の「信頼の総和を増大させる」ことが出来る。
プラスサムなのです。
「ペストのようなこと」が起きて、
いつかその人はキリスト教徒になるかもしれない。
そんなことはついぞ起きないかもしれない。
どっちでもいい、
と私は思います。
それは神の主権のなかにあることであり、
私たちのなすべきは「愛せよ」という、
神の命令に忠実であることです。
親友の価値は金融資産にすると、
1000万円ぐらいだ、
という学術研究があります。
イスラエルの伝説的なスパイは、
親友の価値は体重分の金の重さと同じ、
と言っています。(3億円ぐらい)
どちらの試算を採用したとしても、
誰かがあなたのことを「親友」と思ってくれるほどに、
その人の信頼を勝ち取り愛着を形成できたなら、
それは1000万円以上のプレゼントをしているのと同じです。
その結果その人はキリスト教徒になるかもしれないし、
ならないかもしれない。
何度も言いますが、
それはどっちでもいいのです。
イエスが重い皮膚病患者の10人を癒した、
という記事がルカによる福音書に出てきます。
10人をイエスは癒されました。
不治の病が癒されるというのは、
少なくとも金融資産で1000万を超えるでしょう。
ところが、
キリストを讃えに帰ってきたのは、
10人のうち1人だけでした。
つまり、9人は「キリスト者」にならず、
1人だけがキリスト者になりました。
イエスは神ですから、
癒す前に「この1人以外は信じない」
と分かったはずです。
ならば、その一人だけを癒せば良かったのではないか?
しかしイエスはそうしなかった。
イエスの世界観は「プラスサム」だったからです。
10人の人生に「価値」を加えることをイエスはしました。
そのうちの1人は「永遠の価値」をも加えました。
イエスですら残りの9人について、
癒す以上のことは出来ませんでした。
誰かが救われるかどうかは、
神の主権のなかにあるからです。
サザエさんが同僚を愛し、
その人のために祈り、
信頼を構築し、愛着を形成するなら、
それはこの社会への「プレゼント」になります。
その結果、誰かは「分厚い壁」を乗り越え、
キリスト教徒になるかもしれないし、
誰かはならないかもしれない。
しかし、大事なのは前半だけです。
後半は神の主権のなかにあります。
前半をちゃんとしてなお教会に壁を持つ人は、
イエスご自身がそうしたとしても、
状況はきっと変わりません。
(戻ってこなかった9人を思い出しましょう)
ただ、愛していきましょう。
それで大丈夫です。
]]>
Q&Aコーナー
2019-12-03T13:46:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=430
【Q】献身について
第092号 2019年5月21日配信号
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。...
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■2 Q&Aコーナー
皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。
日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。
【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください
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※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。
※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●【Q】献身について
・ペンネーム:ショウ(男性)
・お住いの地域:愛知県
Q.
俊さん
いつも楽しく 考えさせられながら読んでます
メルマガ ありがとうございます
いま私は仕事を辞め牧師になるために
神学校へ行くかどうか 悩んでいます
俊さんは獣医の仕事を辞める決断に
至った経緯はどのようなことだったんですか?
また 100%大丈夫と言う自信はないと思いますが、
その中で踏み出せた経験などを教えていただけると嬉しいです
私は学びたいと言う思いはあるものの、
本当にそれで良いのか?
卒業後牧師としてやって行けるのか、不安を覚えています。
アドバイス頂けると嬉しいです
A.
ショウさん、ご質問ありがとうございます。
これはねぇ。
どこから話しましょうか。
こういうトピックというのは、
相談する人によってアドバイスが変わるでしょうから、
あまり「人に相談することのメリット」というのは、
大きくはないかもしれません。
なぜか?
こういった「答えが決まっていない問い」に関して、
誰かに相談すると、出てくる答えは、
「その人自身の人生観や哲学」の反映になるからです。
たとえば今の会社の上司や同僚に相談したとして、
「それはやめておいた方が良い。
まずは自分の経済基盤をしっかりさせ、
それから本当にしたいことをするのがベストだ」
というかもしれません。
じっさい私は市役所を辞めて宣教の仕事を始めるとき、
上司には「社会的な自殺みたいなもんだぞ」
という意味のことを言われました笑。
その上司は大学を卒業してから、
「公務員であること以外の人生」を、
一度も歩んだことがないのですから、
そういうのは当然と言えば当然です。
しかし、それは、
「その上司(同僚)にとっての現実」なのです。
現実は複数あります。
そしてここからが多くの人が誤解しているのですが、
真実も複数あります。
内村鑑三が「真理は楕円」と言ったのは、
実は深い話しなのです。
ちょっと平たく実生活に引きつけると、
「正解は複数ある」と言えます。
逆のケースを考えましょう。
私がショウさんの今の状況を知っていれば、
もうちょっと的確なことが言えるとは思うのですが、
あくまで思考実験としての話しをします。
仮にショウさんが福音主義の教会に通っているとしましょう。
そして牧師は教団の神学校で
重要な役割を担っているとしましょう。
その牧師に相談すれば、かなりの高確率で、
「献身とは素晴らしい」
という肯定的な答えが返ってくるでしょう。
それもまた一つの真実です。
しかし忘れてはいけないのは、
それが「その牧師にとっての真実」であるということでしょう。
もし「これが(普遍的な)神の御心だ」
と言い切るような牧師ならば、
悪いことは言わないので別の教会に移ることをオススメします。
他者の人生に対し、神が何かを示されるとき、
その示され方は「責任の同心円状」に重要度が増します。
その選択のリスクを負う人間から順に、
神から語られたことの重みが決まる、ということです。
これは大原則として覚えておいた方が良い。
あんまり親しくもない人から、
「あなたはこれをした方が良いと思う。
神が語っているように感じる」
と言われるようなときは、
眉毛に唾を厚ーく塗りましょう笑。
ショウさんのケースですと、
ショウさん自身が最大のリスクテイカーです。
だとしたら、神が語られる重要度は、
ショウさん自身が最大になります。
もしショウさんが結婚していたら、
間違いなく次は奥さんでしょう。
次に子どもたち。
結婚していなければ家族、、、
という風に、責任の同心円は広がります。
牧師はその責任の同心円において、
重く見ても会社の上司と同じぐらいでしょう。
だとしたらそのアドバイスは、
断定的なものであろうはずがありません。
▼▼▼自己肯定バイアス
話しを戻します。
この手の事に関しては、
誰に相談したとしても、
出てくる意見は、
「その人自身の現実」である。
人は何かを語るとき、
「何か」についてではなく、
実はその人自身について語るからです。
では、「その人自身の現実」とは何か?
もう一つ覚えておくと良いのは、
年を重ねるほど、
人は「自分の選んだ人生は正しかった」と思いたいのです。
そうしないと、「やってられない」じゃないですか笑。
「サンクコスト問題」といいまして、
これまでの投資が台なしになるという事を人は受け入れられないので、
「今までやってきた努力や投資を肯定するという結論」が、
考える前に「右脳」で決定されているのです。
DVを受けながらも「この結婚が正しかった」と思い込む人、
ブラック企業に勤めながらも、
「この会社に入ったのは間違っていなかった」
と、無理な労働を続ける人、
ちょっとカルト的で独裁的な教会で、
「信仰という名のハラスメント」を受けながらも、
「神がここに私を置かれたのだから、、、」
と歯を食いしばる人。
これらの人々の背後にあるのが、
「サンクコスト問題」です。
それによって「自己肯定バイアス」が働き、
自分の人生を肯定するという決断が、
右脳でなされます。
左脳はそれに「理由付け」するだけです。
左脳はかなりアクロバティックな理論を駆使してでも、
それを肯定しようとします。
その能力は驚くばかりです。
何を言いたいのか?
信仰者でもそうでなくても良いのですが、
「会社にとどまる」という決断をした年配者は、
若年の「会社から離れる」という人間に向かい、
自分の自己肯定バイアスに基づき、
「とどまった方が得だぞ」
「とどまった方が正義だぞ」
「とどまった方が幸せだぞ」
というアドバイスをするでしょう。
「会社を離れる」という決断をした年配者、
たとえば脱サラをして今は会社を経営している人や、
かつてサラリーマンをしていたが神学校に行き牧師をしている人、
こういった人を考えましょう。
そういった人は、同じ人間に向かい、
自身の自己肯定バイアスに基づき、
「チャレンジした方が良いぞ」
「後悔が一番ダメだぞ」
「会社という鎖から自由になるのは良いぞ」
というようなアドバイスをするでしょう。
なので、
「答え」を求めているなら、
この手のことは、
人に相談することで得られないと思うのがまず大切です。
しかし、人に相談することで、
「自分には気づかなかった視座」を得られることはあります。
「盲点を埋めていく」ことが出来る。
それによって、より多角的に物事を見た上で、
なおかつ決断するのであれば、
その決断は「どちらを選んだとしても正解」と言えると思います。
だって、それによって世界が広がり、
悩まなかった人より、悩んだ後の方が、
「賢くなった」のですから。
▼▼▼私の意見は?
前置きが非常に長くなりましたが、
私の意見はどうか?
私は特殊な人間で、
私は自らの自己肯定バイアスを、
「割り引いて」考えることが出来ますから笑、
「分からない」が答えです。
あのとき、市役所を辞めて良かったなぁ、
と思うこともあれば、
やめなきゃ良かったなぁ、と思うこともある笑。
やめなきゃ良かったなぁ、
と思うのは、やはり節約してても、
「今月の生活費」が苦しいときや、
団体運営が先行き不透明なときでしょうか笑。
あるいは不動産屋や銀行で、
「社会的信頼が低い人」だと判断されたり、
面と向かって「公務員やめるなんてもったいない」
と言われるときでしょうか。
相手が年配者だったりすれば、
なおさら揺れますよ。
西野カナよりも震えますよ、そりゃ。
市役所の職員というのは、
当事者たちはそう思ってないでしょうが、
「現代の貴族」です。
「人生のリスク」をすべて外部に押しやり、
自分たちの安泰を「至高の価値」として守っているのが、
公務員や官僚や巨大企業の在り方ですから。
ナシーム・ニコラス・タレブは、
この人たちのことを「フラジリスタ」と呼んでいます。
(詳しくは『反脆弱性』を読んで下さい。
くっそ面白いですから、この本)
深ーい堀に囲われた城に住んでいるようなものです。
私のようなフリーランサーというのは、
城の周りに広がる城下町の、
さらに周囲に流れる川の河岸で、
鴨長明よろしく、掘っ立て小屋を建てて、
そこに生息するような「河原者」です。
ちなみに私が芸人にこんなにも共感するのは、
彼らもまた「河原者」だからです。
彼らもまた、かなり売れた人ですら、
住宅ローンは組めず、マンションも借りられないことも多い。
日本の「信用システム」は、
「官庁と大企業という名前」しか信頼しません。
個人の信用というのは非常に低い。
芸人やミュージシャンが同じマンションに固まって住む、
というのは、彼らが世間を見下しているからではありません。
世間が彼らを「信用」しないから、
彼らは自分たちのような人でも受け入れてくれる物件に、
固まって住むのです。
多くの場合そのマンションのオーナーは、
芸能人だったりします。
ビートたけしは、
「自分たちの職業は、江戸時代で言えば河原者」
とはっきり言っていますが、
彼には物事の本質が見えているのです。
「構造的に」世の中を見るならば、
フリーランスで生活する人というのは、
その人がどれだけ稼いでいるか、
どれだけ有能か、
どれだけ有名かにかかわらず、
日本という身分社会のピラミッドにおける、
「最下層」に位置します。
最上層は東電クラスの巨大企業と、
中央官庁と地方公務員です。
コレホント。
なので私が今の働きをするために、
「失ったもの」「賭けたもの」は、
決して小さくはない。
そんなことは言われなくても分かってるんで、
年配者などから「あなたは大きなものを失ったんだよ」
と改めて言われると、
けっこうみぞおちにダメージを受けるわけですよ。
では、今の仕事を選んで良かったなぁ、
一般に言われる「献身」して良かったなぁ、
と思うのはどんなときか?
そりゃ無数にあります。
まず、毎朝妻の顔を見るたびに思います。
私は公務員をしていたら、
妻のような「献身者」と結婚できなかった。
これって、自己言及のパラドックスを含むから、
自覚しづらいのですが、
あるとき私は「はた」と気づいたのです。
20代の間、ずーっと結婚相手のために祈ってきて、
「自分自身が宣教師になっても良いと思っているような、
献身した女性」と結婚したいと思っていました。
でも、待ってください。
仮にそうだとするなら、
その女性は「安定を求めて公務員と結婚するような女性」
でしょうか?
きっと違います。
その女性は「宣教の働きに人生を投じている男性」
と結婚したいような女性であるはずです。
、、、という論理を逆に辿ると、
私が公務員であり続けている以上、
私は自分が結婚したいような女性とは、
永遠に結婚できないことに気づいたのです。
私は川にカレイを釣りに行く愚を犯していました。
今だから言えるのですが、
私が宣教の世界に身を投じた、
半分ぐらいはこれが理由でした。
そして、毎朝思います。
豊かではない収入の中、
妻がこつこつと献金を貯めて、
誰かに施しをするのを喜んでいる時。
人々への奉仕に喜んで時間とエネルギーを使っているとき。
子どもに、「神を第一にする教育」をしているのを見るとき。
私が教会に仕えるために出張するのを、
自分も行くような気持ちで送り出してくれるとき、
「あぁ、私が選んだ人生は間違っていなかった」
と思います。
ぶっちゃけて言うと、
私が公務員を続けていたならば、
私はクリスチャンじゃない人と結婚していた可能性も高かった。
当時の状況を鑑みるとそれは、
「あり得た人生」です。
その場合、41歳の私は、
離婚していない自信がありません。
あらゆる意味で価値観が違うでしょうから。
特に教育とお金の使い方、時間の使い方で、
決定的な亀裂が生じていたでしょう。
あー怖ろしい、と思います。
それから、これもよく似ているのですが、
自分の友人たちを見て、
「あぁ、彼らは本当に、
神の前に自分を捧げた、
尊敬すべき人たちだなぁ」
としみじみ思うときですね。
これも同じです。
私が先に行動したから、
彼らに出会ったのです。
「こんな友だち(伴侶)に出会いたい」
と思う人は、自分が「そんな人間」に、
先になることでしか目的を達成できません。
スコット・ペックという人が書いた、
「The Road Less Traveled」
という本があります。
邦訳タイトルがひどくて、
「愛と心理療法」という謎の「超訳」なのですが、
原題の直訳は「歩く人の少ない道」といいます。
ちなみにこの本、内容は素晴らしいです。
、、、で、
私は「歩く人の少ない道」を歩いたのです。
そうするとその道で出会う人は、
「歩く人の少ない道を歩くような人たち」です。
その人たちは本当に「献身」しています。
自分にはもったいないと思うような友人たちに、
私は人生で出会い続けていますが、
それは私が「こういう道」を歩んでいるからです。
モーセはエジプトで王子でしたが、
イスラエルの民と苦しむ方を選びました。
私も「貴族(公務員)と戯れる」
よりも、この世の中で弟子として生きている、
無数の仲間たちと茨の道を旅することを選んだのです。
あ、これ、公務員とは付き合わない、
という意味じゃないですからね。
もっと「生き方」の問題です。
公務員のなかにも弟子として生きている本物の献身者がおり、
牧師のなかにもリスクを外部に押しつけ、
城壁に囲まれた城に住む「フラジリスタ」がいます。
コレホント。
フラジリスタ(リスクを負わない人)の象徴として、
私は公務員のメタファーを使っただけです。
誤解なきよう。
▼▼▼献金の話し
、、、あと、もし私が身近な誰かから、
ショウさんの質問と同じような相談を受けたら、
絶対に聞くだろうことがあります。
それは意外かもしれませんが、これです。
「ところで、
什一献金はしている?」
ですね。
あまり「献身」する人に、
この質問する人はいないかもしれませんが、
私は絶対にします。
なぜか?
「献金」というのは、
言葉や気持ちの高ぶり以上に、
その人の「神への献身」を、
正確に表す指標だと思うからです。
賛美集会で涙を流しながら歌うことよりも、
忠実に献金をしているかどうかのほうが、
「正確な献身の指標」になります。
マジで。
これは自信がある。
イエスも言ってます。
「あなたの宝(=お金)があるところに、
あなたの心がある」って。
「神の為に人生を捧げます!」
「ただ、什一献金はちょっと待って下さい。」
これって悪質なジョークでしょ笑。
「神のためなら死ねます!」
「、、、でも、什一献金は、ちょっと私には無理です。」
言っていることが破綻しているでしょ。
私自身は「牧師」ではありませんが、
フルタイムで教会のために働く人間、
という意味では彼らと召しを共有していますし、
牧師の友人・知人がたくさんいますから、
彼らの生活や人生がどんなものかも知っています。
それを踏まえますと、
牧師である(献身する)というのは、
一回の決断ではありません。
牧師であり続けるという献身を、
一生し続けるような、
死ぬまで続く「選択の過程」だと私は思います。
そしてその「断続的な選択」は、
非常に難しい選択です。
急な勾配の上り坂を、
生涯登り続ける、
というような人生を覚悟しなければならない。
どういうことか?
いのちのことば社が出している、
データブックによりますと、
日本のキリスト教会の教職者の平均年齢は、
2009年の時点で61.6歳、
2015年には67.8歳だそうです。
当該書には信徒の年齢構成も、
これと大差ないと予測されています。
▼参考リンク:データブック 日本宣教のこれからが見えてくる キリスト教の30年後を読む
http://amzn.asia/b5tFRpv
以来「教会が劇的に若返った」
という話しは寡聞にして聞いていないので、
おそらく2019年の教職者および信徒の平均年齢は、
70歳代に足を踏み入れるぐらいのところまで行っているでしょう。
何が言いたいのか?
教会の「業界」というのは、
老いていく日本にあって、
さらに老いていく業界です。
この趨勢は止まらないでしょう。
「俺が止めてやる」
という気概はあっていいのです。
いや、むしろあるべきです。
しかしこれまで当メルマガで繰り返してきたように、
止めるのは人間ではなく神様です。
そして神様のタイミングは人間と違うので、
そのタイミングが生きているうちに訪れるとは限りません。
50年後かもしれないし、
100年後かもしれないし、
200年後かもしれない。
、、、
あるいは5日後かもしれない。
とにかく、
「神様のアジェンダ」というのがありまして、
それは人間の計画する時間=クロノスとは一線を画する、
神の介入するタイミング=カイロスで決まります。
こういうことを言うと、
めちゃくちゃ怒る人がいるのを承知で言いますが、
上記の理由により、
(神の計画を計算に入れず)普通に考えれば、
教会は「斜陽産業」であり、
「撤退戦を戦う覚悟」が必要です。
金銭的な見返りはほとんどない
(経済的な危機に陥るリスクが逆に高まる)し、
牧師はうつ病になるリスクが他の職業に比較して、
非常に高い職業のひとつであることも分かってきています。
(『Pastors At Risk(未邦訳)』という本に詳しい。)
近くで牧師を見ていて思います。
そりゃそうだよ、と。
生身の人間が持ちこたえられるレベルを超えています。
若いうちから「平均年齢70歳」の信徒に、
「先生、先生」と呼ばれ、
その人たちを教え導くことを期待される。
そして、批判の矢面に立たされる。
模範的な信仰者でなければならない、
というプレッシャーを内外から感じる。
スーパーマンでもぶっつぶれますよ、そりゃ。
「什一献金すら躊躇する人」に、
これが果たせるとはとうてい思えません。
だから「芸人に引導を渡すため」に、
島田紳助が「M-1グランプリ」を始めたように、
将来人生が破綻してしまわないために、
私の知人が「献身したい」と言ったら、
まず私は聞くでしょう。
「ところで、什一献金はしてる?」と。
、、、というようなことを踏まえ、
「キリスト教会という業界への献身」は、
前途有望な若者が、
進んで身を投じるような業界ではありません。
私が信仰者でなければ、
間違いなくそうアドバイスするでしょう。
、、、しかし、私は信仰者です。
なので、まったく別の切り口から話しましょう。
今までの話しは「此岸(こちら側)」からの話しです。
これからする話しは「彼岸(あちら側)」からの視点です。
今までの話しは大金持ちの門の前で、
ひもじい思いをしていたラザロの話し、
これからする話しは、
アブラハムの懐に抱かれたラザロと、
ラザロに水を一杯分けてくれるよう、
アブラハムに頼む大金持ちの話です。
「こちら側(この世の報酬や評価)」と、
「あちら側(天における報いと評価)」は、
しばしば180度逆転するのです。
何から話しましょう?
人間には、「召命」というものがあります。
マルティン・ルターは職業を、
「ベルーフ」と呼びましたが、
これは「calling(召命)」という概念です。
「すべての人は神から、
『何かしらの役割を果たすために』造られたのだ」
という考え方です。
エペソ人への手紙2章10節がこれをサポートしています。
私たちは良い行いをするために神によって造られたのです。
この御言葉の後半がもっと大事です。
「神はその良い行いをも、
あらかじめ備えて下さっているのです。」
どういうことか?
ある人の「ベルーフ」は医者です。
医者として患者を治すことが、
その人の召命です。
ある人にとってそれは教師、
ある人にとっては行政官、
ある人にとっては主婦、
ある人にとっては作家、
ある人にとっては美容師、、、
というように、
「神があらかじめ備えて下さったベルーフ」
に、私たちは導かれていくのです。
そして、
ある人にとってはそれが牧師であり、
ある人にとっては、
(私がそうであるように)、
超教派のキリスト教の働き人なのです。
このとき、
「備えたのが神」というのが大切です。
この世の教育は、
「職業は選ぶもの」と教えます。
日本国憲法第22条にも書かれています。
「職業選択の自由」ですね。
しかし信仰者にとっては、
職業は選ぶものであはりません。
主観的にはそうかもしれませんが、
信仰者にとって職業とは「神が選ぶもの」なのです。
私たちはそれを自分で選んだと思っているかもしれませんが、
実のところ、神が私たちを選んだのです。
ヨハネの福音書に書かれているとおりです。
つまり信仰者には、
「職業選択の自由」は実はない。
私たちはすべて「神に召されて」おり、
私たちが選んだのではないからです。
主観的には自分で選んだと思っていても、
やはり神が選んだのです。
これは結婚にも同じことが言えます。
主観的には「この人と結婚する」と選んだのですが、
じっさいのところ、神が選んで結び合わせたのです。
だから結婚は「それ自体召命」なのです。
佐藤優氏の
『人をつくる読書術』という本に、
チェコの神学者ヨーゼフ・フロマートカの言葉が引用されています。
→位置No.627
〈フロマートカによれば、「召命」とは呼びかけであるといいます。
「召命は個人的な呼びかけである。
人間は自分の名が呼ばれているのを聞き、
それがまさに自分に向けられていると自分で認識する。
召命は神と人間との間の出来事である。
神は自ら人間に語りかけ、相手の人間を個人的に名前で呼ぶ」
『人間の途上にある福音――キリスト教信仰論』新教出版社
(中略)
「使命は無条件である。
召命を受けた者は、
託された使命を進んで行うための条件を設けてはならない。
自分の使命にいついつまで、という期限も設けてはならない。
使命は生涯続くもので引退も休暇もない。
つまり、信徒は使命を人生のあらゆる状況で果たす。
・・・(中略)・・・
召命を受けた者は、
いかなる制限も条件もつけずに主に献身する。」(前掲書より)
、、、献身するというのは、
徹底した営みです。
モーセが靴を脱いだように、
「主権を明け渡す」のが献身です。
これって、
昭和の伝道者が、
「自分の靴も買えず、
四畳一間に住み、
路傍伝道に明け暮れた。
休みもなく、
寝る間も惜しんだ」
みたいな「武勇伝」を語りますが、
そういった分かりやすい図式の徹底のみを指すのではありません。
ポストモダンの現代社会で、
「この世の価値観ではまったく理解できない、
暴挙としか思えないような選択をし続けること。」
「斜陽産業であることが目に見えている、
キリスト業界に前途有望な若者が身を投じること。
社会的評価もされず、金銭的な見返りもなく、
途中で燃え尽きてうつ病になったりしながらも、
それでも『教会を愛するゆえ』とかいって、
周囲の同世代や自分より若い人々、
自分より年上の人、
つまりあらゆる世代から白眼視され、
いぶかしがられながら、
それでも神からの召しを確信し、
人生を捧げ続けていること。」
「『才能の無駄使い』とか言われても関係なく、
誰一人理解せず、褒めてくれなくても、
そのように召されたのだからと、
結果が伴わおうとそうでなかろうと、
ただ一途に神が託された働きに打ち込むこと。」
ということも、
昭和の伝道者とおんなじぐらい、
もしかしたら精神的には、
それよりもキツイ道を歩むことになる。
それでも、献身する、というのが献身です。
でも、「選ばれた」のだから仕方ない。
選んだのなら話しは違う。
でも選ばれたのだから仕方ない。
選んで下さった方を信頼するしかない。
そういう営みが「献身」です。
そしてその報いは大きい。
控えめに言っても大きい。
それはこの世での成功とはまったく性質を異にします。
巨大な教会を建て上げた人や、
事業を立ち上げ成功した信仰者のビジネスマンが、
天ではまったく評価されず、
離島で5人の集会を導き続けた牧師や、
ビジネスに失敗し、
道路警備員をしながら死ぬまで借金を返し続けた男が、
天国で高い評価を受けている、
ということが起きる。
彼岸と此岸では評価軸が違うのです。
その評価軸とは何か?
一番の違いは此岸(この世)は結果を見、
彼岸(天国)は「忠実だったかどうか」、
だけを問題にするということです。
本当に、それだけなんです。
だから私は自分が人から評価されるかどうかについて、
本当に心の底から「どうでもいい」と思っている。
そこは私の主戦場ではないから。
話しを戻すと、
忠実に献身し続けた人の、
天での報いは大きいです。
だから、前途有望な若者が、
神の為に犠牲を払うという決断を、
私は心から祝福します。
これが先ほどの、
「常識的な自分」としての私の意見とは違う、
信仰者としての意見です。
▼▼▼成功するわけではない、という話し
あと、けっこう誤解されやすいのが、
「献身すれば成功する」という偽りの物語です。
「勧善懲悪的世界観」と言っても良い。
心理学用語で「公正世界信念」というのですが、
「正しいことを行えば上手く行くはず」
という「世界観」を、人間は深層心理の中に堅く持っています。
そうするとどうなるか?
信仰者の場合、このバイアスはこう働きます。
失敗した人、苦しむ人を見て、
「その人はきっと神に従わなかったに違いない。」と。
開拓伝道をして、それが上手く行かなかった場合、
「あれはきっと神に聞き間違えたのに違いない。」と。
この過ちを犯したのが、
ヨブの3人の友人たちです。
「正しい人が苦しむ」のを見ることに、
彼らは耐えられなくなったのです。
「世界は公正でなければならない」というバイアスが、
「ヨブは神に逆らったに違いない」
という結論に彼らを飛びつかせました。
結果、この3人の友人は、
後でこっぴどく神に怒られることになります。
ヨブは正しかったのですから。
正しかったが、なお苦しんだのです。
、、、何を言おうとしているのか?
神に忠実に従う決断をしたからといって、
「成功や幸せ」が用意されていると思わないほうが良い、
ということです。
運良くそうなることもあるでしょう。
しかし、「従順だったこと」と、
「幸せで成功していること」は、
まったく関係ありません。
ダニエルの友人たちは火の中に入る前に、
「たとえそうでなくても」と言いました。
「きっと神は護って下さるだろう。
しかし、たとえそうでなくても私は神に従う」
と彼らは考えました。
それがとても大切です。
私は神に従ってきた(と自分では思っている)けれど、
燃え尽きてうつ病を患いました。
あのときに死んでいたかもしれない。
うつ病の致死率は心筋梗塞とかと同じぐらい高いので、
死んでても全然不思議ではない。
ただの悲劇です。
でも、それでも従うということに価値があると思えるかどうか、
というのが大切です。
超教派の団体で働くセルフサポートの働き人の中には、
献身し続けたいけれど、
資金的に行き詰まって、
もうこれ以上働くことが出来なくなる、
ということも起きます。
牧師にも同じようなことは起きます。
なんたって「斜陽産業」ですから。
私も将来そうなってもまったく不思議じゃない。
きっと悔しいし、無念だろうなぁ、と思います。
でも、「それは失敗だったのか?」
そうじゃないんです。
「従った」ことが大事なんです。
天ではそれだけが問題になるのです。
あるいはもちろん、
とっても幸せになるかもしれない。
でもそれは「二次的な問題」です。
一つだけ確かなのは、
「従った結果としての幸せ」を問題にする態度だと、
相当に危うい土台の上に、
献身という建物を建てることになりますので、
「神を恨んで終わる」みたいな、
最悪の結果を招きかねません。
▼▼▼「牧会者」のなすべきこと。
、、、あとひとつ。
一応付言しておきますと、
先ほど引用したフロマートカが語った社会状況と、
21世紀の職業を巡る状況は違います。
人生100年時代に、
あらゆる人は人生で複数の職業を渡り歩くことになる。
「講壇で死ぬことが美学」みたいな意味で、
「定年も休息もない」というように解釈するのは、
私は無理があると思います。
たとえば90歳の牧師が現役で、
「講壇で死ぬ」みたいな態度でいると、
大変申し上げづらいのですが、
若い人々にとっては、
「迷惑」ですらある。
「引退してもらう」ために、
「誰が猫に鈴をつけるか」みたいな話しを、
役員会にさせている高齢の牧師を生む、
という意味で、
「死ぬまで現役」
「伝道者に休日はない」
みたいな前時代的な「献身観」は、
アップデートされねばならない、
と私は考えています。
サラリーマンが牧師になって、
そしてもういちど会社員に戻ってもいい、
と私は思います。
それでも「神の普遍的な召し」は変わりません。
「召し」というのは牧師という固有の職業に付随するのでなく、
その人の「生き方」に付随するからです。
その「生き方」とは何か?
それは「牧会的な生き方」です。
ペテロにイエスが「私の羊を飼いなさい」
と3度念を押しました、
その呼びかけにYESという生き方です。
(人間から)誰にも頼まれていないのに、
勝手に群れ(教会)に、責任をもっちゃう人のことを、
「牧者の心を持つ人」と定義しますと、
これは職業と関係ないことが分かります。
職業的な牧師でありながら牧者の心がない人がおり、
牧師という職業ではないが、
牧者の心を持つ人がいる。
神の目から見た「牧師」は後者です。
そう考えますと、
ショウさんは、
現在の仕事をしながら、
「同僚を牧会する」という生き方を選ぶことも出来る。
職業的な牧師になってみることも出来る。
一定期間牧師と働き、
そのあとでまた別の領域で、
牧会的な生き方をすることも出来る。
「職業選択が一回性のもの」
というのは20世紀までの考え方ですから、
自分のキャリアを考えつつ、
神学を学ぶことや、
職業牧師を(少なくとも一度)経験することが、
自分の「ベルーフ」を織りなす上で、
「投資に見合うメリットがあるかどうか」
というドライな視点を持つことも大切になります。
繰り返しますが
「講壇で死ぬ!」
というのは言葉としては、
「献身している風」でかっこよいですが、
「死ぬまで経済的に教会のお世話になる!」
という宣言とも解釈できますので笑、
ちょっと危険でもあるわけです。
多分誰も言わないだろうから私が言うのですが。
こういう「虎の尾を踏む」のが得意なので笑。
でも、これを言っておかないと、
「若い献身者」の将来が尻すぼみになったり、
デッドエンドになったりすると危惧しますから、
彼らの利益のために私は言います。
上の世代からカンカンに怒られても言います。
関係あらへん。
私はそのあたりの利害関係者じゃないので笑。
どちらを選んだとしても、
ショウさんの心の中に、
「神学校に行って牧師になることを検討する」
という思いがあるということは、
ショウさんに「牧者の心」があることの証左だと、
私は考えます。
そうしますと、
それを社会のなかで、
「在野の牧師」として実践するのか、
職業的な牧師としてするのか、
はたまた別のクリエイティブな方法を、
ショウさんが編み出すのかは分かりません。
無責任に聞こえるかもしれませんが、
私の知ったことではありません笑。
そしてなんと、
ショウさんの知ったことでもないのです。
だって言ったでしょ。
選ぶのではなく、
選ばれるのですから。
神が選んだものを、
人間がとやかく言うものではありません。
、、、で、
神にどのように「選ばれた」としても、
「牧者の心を持つ者たち」に、
有効であろうアドバイスを、
最後に私は送ろうと思います。
ヘンリ・ナウエンの『イエスの御名で』という書籍があります。
これは、現代のキリスト者のリーダーが、
いかに生きるべきか、ということについての思索です。
引用します。
〈こういうことを申しますのは、
これからの時代のクリスチャンの指導者は、
まったく力なき者として、つまり、
この世において、弱く傷つきやすい自分以外に、
何も差し出すものがない者になるように召されている、
ということを言いたいのです。
・・・クリスチャン指導者の辿る道は、
この世が多大な精力を費やして求める上昇の道ではなく、
十字架にたどり着く下降の道です。
・・・私は、皆さんの心にあるイメージを残して、
ここを去りたいと思います。
それは、手を伸ばし、
あえて下降する生涯を選び取る指導者のイメージです。
・・・祈る指導者、傷つきやすい弱さをもった指導者、
主に信頼を置く指導者、という事も出来ます。
・・・自分の能力を示そうとする関心から祈りの生活へ、
人気を得ようとする気遣いから、
相互になされる共同の働きへ、
権力を盾にしたリーダーシップから、
神は私たちをどこに導いておられるかを
批判的に識別するリーダーシップへと、
私たちが移行することをイエスは求めておられます。〉
、、、「降りていく生き方」をすること。
「自分の傷をさらけだし、
それによって社会の癒しの源泉とすること」
「自分の弱さ以外に何も差し出すもののない、
傷つくリーダーになること」
こういったことを覚悟出来るのなら、
その人はすでに「現在いる職場において牧師」ですし、
その人が職業牧師になったとしても、
本当の牧者となっていかれるでしょう。
、、、私の個別の話しを今回しなかったのは、
たぶんまったく参考にならないだろうからです。
神の召しは「個別なもの」なので、
これを話してもあまり意味はありません。
あと、この「問題」に、
答えはありません。
「答えがないというのが答え」
っていう問題が人生にはいくつかあります。
その場合、
「それを考え抜き、祈り抜き、
他者と語り合う過程を通して自らの内面が変化し、
キリストの弟子としての新しい風景が見えてくる」
というような「弁証法的成長」を体験出来るかどうか。
これが唯一の正しい対処になります。
FVI主催の「よにでしセミナー」はそういう、
「弟子としての思考のスキル」を養う場所です。
今年の「よにでしセミナー」は、
淡路島で開催予定です。
愛知からだとそんなに遠くないので、
ぜひショウさんも参加してみては??
という宣伝で終わりました笑。
ステマかよ、っていうね笑。
、、、多分過去最高に、
長く質問に答えましたね。
肝心のショウさんさえも、
長い話しに飽きてもう寝てるかもしれませんが笑、
最後まで読んで下さった方、
ありがとうございました。
この話題は、
11年間ずっと考え続けてきたので、
どうしても熱量が高くなっちゃうんですよね。
調節出来ない。
熱く語る以外できなくなってる笑。
もう飽きたよ、
という方はすみませんでした。
次の質問に行きます。
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Q&Aコーナー
2019-12-02T13:44:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=429
陣内が先月観た映画 2019年6月 『教誨師』他
第98号 2019年7月2日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年6月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうという...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年6月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●リアル鬼ごっこ 2015劇場版
鑑賞した日:2019年6月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:園子温
主演:トリンドル玲奈
公開年・国:2015年(日本)
リンク:
https://bre.is/gOaTX4_4i
▼140文字ブリーフィング:
端的に言ってひどかったです。
園子温監督は嫌いじゃないですが、
この映画は酷かった。
ただのグロ。
グロいことに目的がない。
メッセージ性もないし、「オチ」も陳腐です。
何のために作ったのか分からない映画でした。
(100文字)
●キングス・オブ・サマー
鑑賞した日:2019年6月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ジョーダン・ヴォート=ロバート
主演:ニック・ロビンソン
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/XoJPYyb9Q
▼140文字ブリーフィング:
まずまず面白いのだけど、
特に何も心には残りませんでした。
10代の3人が家出をして秘密基地に生活する、
という筋書きで、
スタンド・バイ・ミーが好きな私は、
ああいったものを期待したのですが、
「何か」が決定的に足りない感じでした。
家出をして森で生活するというモチーフも好きですし、
ストーリー自体は友情や親子の確執の話しで、
嫌いじゃないんですが、
何が足りないんだろう??
意外性が何もないというつまらなさなのかな?
とにかく、印章が薄い映画でした。
(217文字)
●うる星やつら2 ビューティフルドリーマー
鑑賞した日:2019年6月1日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(400円)
監督:押井守(原作:高橋留美子)
主演:平野文
公開年・国:1984年(日本)
リンク:
https://bre.is/L4GmxwRr_
▼140文字ブリーフィング:
1984年の作品ですが、
いまだに語り継がれる、
カルト的な人気がある作品です。
「攻殻機動隊」だとか、
「機動戦士ガンダム」とか、
「エヴァンゲリオン」とか、
そういうのと同じで、
「その後のアニメや、
ひいては映画の在り方までも変えてしまったような、
影響力のある作品」のひとつです。
そもそもの話しをしますと、
私は高橋瑠美子的なアニメは苦手でして、
たぶん直撃世代にあたるにも関わらず、
「うる星やつら」も、
「らんま1/2」も、
まったく子どものころに見た記憶がありません。
私は「バカ子ども」だったので笑、
「キン肉マン」「おぼっちゃまくん」「珍★遊★記」
などを見て「チンコ、チンコ!ウンコ、ウンコ!」
っつって、バカみたいに騒いでいました。
紙粘土でチンコやウンコの形を作って、
ゲラゲラ笑っていました。
今考えると、あれって、何が面白かったのでしょう笑。
少女マンガの匂いがちょっとでもすると、
あんまり受け付けない感じなので、
「タッチ」などのあだち充作品すら、
まったく経由していません。
そんな私ですが、
『ビューティフルドリーマー』の噂は聞いてたんですよね。
いろんな批評家が引用していて、
「これは見なきゃダメだなぁ」とこの数年思っていた。
そんで、見た、というわけ。
『ビューティフルドリーマー』は、
「うる星」であって「うる星」ではない、
というのは皆が言っていることです。
「シン・ゴジラ」が、
ゴジラであってゴジラでないのと同じように。
私は「うる星」が何かが分かってないので、
「これはうる星ではない」とも言えないのですが笑、
他のどのアニメーション作品とも違う、
というのは分かります。
押井守の最高傑作は、
「ビューティフルドリーマー」だ、
と主張する人が多いのも納得です。
先週のメルマガで語ったように、
「終わりなき日常を生きる」という、
シュシポスの神話の話しでもありますし、
中国の故事「胡蝶の夢」の要素もある。
また、エッシャーの絵のトリックが組み込まれているのと、
物語そのもののループ構造がオーバーラップしているのも、
非常によく考えられている。
語りたくなる要素がたくさんある作品です。
さすがに2019年に見ると「古いな」と思いますが、
テーマはまったく古くない。
確かに名作だと思います。
(921文字)
●インクレディブル・ファミリー
鑑賞した日:2019年6月2日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:ブラッド・バード(制作:ジョン・ラセター)
主演:クレイグ・T・ネルソン
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/VzwAN-udy
▼140文字ブリーフィング:
ミスター・インクレディブルは、
たしか2006年ぐらいでしたっけ?
あれは映画館で観ました。
さすがに今はまったくキャッチアップできてませんが、
私は一時期までは「ピクサーが公開されたら、
必ず映画館に行って観る」というほど、
ピクサーが好きでした。
「好き」というのともちょっと違うんだよな。
「信頼していた」といった方が良いかな。
この店に入れば、どの料理をオーダーしても、
必ず80点以上を出してくる、という料理店のようなもので、
ピクサーは「打率の高さ」が異常なので、
観に行っていたのです。
そんな私も、
最後に映画館で観たピクサーは、
「トイ・ストーリー3」で、
たしか2010年ぐらい?ですから、
ずいぶんと足が遠のいたものです。
ちなみに私の、
「ベスト・ピクサー」は、
『ウォーリー』で、
「ワースト・ピクサー」は、
『ファインディング・ニモ2』です。
ミスター・インクレディブルの最新作、
インクレディブルファミリーはどうだったか。
80点以上だったか?
もちろんです。
それどころか、95点ぐらい行ってるんじゃないでしょうか。
「世界を救った家族」が、
ぼろぼろのモーテルに住み、
宅配の中華料理を食べる貧困生活をしているという、
オープニングから衝撃を受けます。
なぜか。
「ヒーロー禁止法」という法律によって、
彼らは飯の種を失ってしまったからです。
これは、実は日本人には理解しづらいのですよね。
アメリカには「自警団(ビジランテ)」という文化があります。
連邦政府の警察権力や軍隊の支配が届かない領域において、
アメリカではながらく「自警団」が治安を守っていました。
西部劇に出てくる「保安官」がそれです。
この「自警団」が、
じつはアメリカンヒーローの起源なのです。
スーパーマンにしてもスパイダーマンにしても、
アベンジャーズにしても、
彼らは連邦政府から派遣されたわけでも、
税金で雇われているわけでも、
法律に基づいて行政をしているわけでもない。
市民を脅かす危機に対して、
「自発的に立ち向かう市民」が、
自警団であり、アメリカンヒーローの起源です。
自警団って実は、
「テロリスト」と紙一重なんですよね。
なんら合法的な裏付けを持たない暴力によって、
「問題を解決」するわけですから。
「ヒーロー禁止法」というのは、
連邦政府の警察が治安を守るようになり、
自警団的なものが衰退したアメリカ社会への風刺であり、
「ノスタルジー」でもあるわけです。
そのようななかで、
人々は「自警団性」を回復させるべきなのか?
そんなものは葬り去るべきなのか?
そういった社会のグランドデザインに関わる話しを、
『インクレディブル・ファミリー』はしています。
またこの映画、
ほとんどの家族が共働きになったアメリカにおける、
夫婦での家事と仕事の分担の問題や、
インターネット、SNS時代における、
「ガリバー企業による新しい独裁」の話しなど、
めちゃくちゃ複雑なテーマを扱っています。
そして、ここが何よりも重要なのですが、
それでいて、全然小難しくなく、
上映時間中、ずーっと、楽しい。
面白い。
わくわくする。
ピクサーはとんでもないところまで行っています。
毎回、度肝を抜かれますね。ピクサーには。
あと、先日メルマガでも論じた、
M・ナイト・シャマランの、
「ミスター・ガラス」と本作は、
テーマにおいて完全に重なっています。
2本続けて観ると、考えが深まるでしょう。
2作とも、
ヒーローをメタ的に論じ、
「社会のグランドデザイン」を考えるつくりになっています。
オススメです。
(1,403文字)
●フロリダ・プロジェクト 真夏の奇跡
鑑賞した日:2019年6月8日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(500円)
監督:ショーン・ベイカー
主演:ウィレム・デフォー
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/7zWSPUFmd
▼140文字ブリーフィング:
アメリカ版の是枝映画のような感じでした。
是枝監督の「だれも知らない」や「万引き家族」が好きなら、
本作は非常に面白いはずです。
「プロジェクト」っていうのは、
アメリカでは「貧困層の住む公共住宅エリア」
という意味があるそうです。
「あそこはプロジェクトだから、
近づいちゃダメよ」
っていうのは、
その界隈は貧困層が住んでいて、
犯罪やドラッグが蔓延していたりするからです。
(もちろん、そうでない地区もあります。
あくまでそういう「偏見」があるという話しです)
、、、で本作の主人公の母子家庭の母と娘は、
そんな「プロジェクト」にも暮らせない貧困層です。
月々の家賃や頭金が払えないので、
プロジェクトにすら入れない人々はどこに暮らしているか?
1泊30ドルとかのモーテルに住みます。
モーテルに「住む」ことはルールでは禁止されていますが、
「1週間連泊する」っていうのを、
何ヶ月、ときには何年も繰り返すことで、
事実上そこに住んでいる人々がアメリカにはいるのです。
彼らは「日銭」を稼ぎながら生活しています。
この母子の場合、
市場で買った香水を、
高級ホテルの前で、
高級ホテルで買うよりはちょっと安く売って、
わずかな利ざやを稼ぐ、ということをしています。
*****ネタバレ注意*****
*****ネタバレ注意*****
*****ネタバレ注意*****
さらに、物語の後半に分かるのですが、
お母さんはいわゆる「身体を売る」という商売もしています。
そのようにして日銭を稼ぎながら、
滞納気味のモーテルの家賃を払う、
という生活をしている母子家庭の話しです。
最初に「アメリカの是枝映画」と言いましたが、
じっさい監督のショーン・ベイカーは、
是枝監督を尊敬していて、
映画作りの参考にした、と発言しているそうです。
子役の自然な演技やドキュメンタリータッチの映像、
そして、「子どもの目線」を意識した、
徹底したローアングルは、
完全に『誰も知らない』オマージュと言って良いでしょう。
この映画、モーテルの管理人が素晴らしいです。
演技も、役どころも。
最貧困層の子どもを、
暖かく見守る視線が、彼らの最後の砦になっています。
(本人たちはそれに気づいていないのがまた泣ける)
このモーテルはハイウェイを隔てて、
ディズニーワールドのすぐそばにありますが、
この子どもたちはディズニーワールドなんていうものから、
最も遠い場所にいます。
映画の最後の最後に、
ディズニーワールドを私たちは子どもと一緒に観ることになるのですが、
それがあまりにも切ない。
あんなにも泣けるシンデレラ城は世界初でしょう。
(1,055文字)
●ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ
鑑賞した日:2019年6月8日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:ジョン・リー・ハンコック
主演:マイケル・キートン
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/ggeokK5jf
▼140文字ブリーフィング:
これもめちゃくちゃ面白かったです。
タイトルのとおり、
マクドナルドの「創業者」、
レイ・クロックの自伝小説が原作です。
マクドナルドを「宗教」と考えると、
とてもうまく理解出来ます。
なので、この本(映画)は、
「マクドナルド教の使徒行伝」
として読む(観る)ことができます。
今や世界宗教となったマクドナルド教が、
誕生から初期の拡大にかけて、
どんな道筋を歩んだのか?という物語なのです。
レイ・クロックはじつは、
キリスト教で言うとイエス・キリストではないし、
ギリシャ哲学でいうとソクラテスではありません。
彼はキリスト教でいうと使徒パウロであり、
ギリシャ哲学で言うとプラトンの役割を果たしました。
つまり「教祖」ではなく「開祖」なのです。
では、マクドナルド教の「教祖」は誰か?
カリフォルニアの片田舎で、
世界で初めてフォード式の流れ作業を、
食品業界に持ち込み、
驚くべき人気を誇ったハンバーガー屋の創業者、
マクドナルド兄弟です。
彼らは他にも店舗を持っていましたが、
「3店舗が限界」というのが結論でした。
それ以上に展開すると、
クオリティーコントロール(品質管理)ができず、
4店舗目以降は、店の評判をかえって落とすことを、
経験的に知っていたからです。
そこへ、巡回セールスマンとして全米の街をまわっていた、
レイ・クロックが訪れます。
そして、レイ・クロックは思います。
「これは、世界を支配できるビジネスだ」
レイ・クロックは、ひいき目に見ても、
汚いやり方でマクドナルド兄弟を騙し、
そして彼らのビジネスを「乗っ取って」しまいます。
レイ・クロックがまだマクドナルド兄弟と仲良かった頃、
マクドナルド兄弟に語った彼の「夢」は、
皆様も知っている通り、実現します。
その夢とは何か?
その大意を引用します。
「アメリカのあらゆる街を車で巡回して気づいた。
アメリカにはどの街にも二つのものがある。
教会と、裁判所。
つまり十字架と、星条旗だ。
私は『アメリカの街の3つめのシンボル』が、
あなたがたのゴールデンアーチ(マクドナルドのマーク)
になるという考えが頭を離れない。
つまり、マクドナルドは新しいアメリカの教会になるんだ!!」
じっさい、それは実現しました。
アメリカ人は世界のどこに行っても、
あのゴールデンアーチを見ると、
大使館を見つけたような安心感に包まれると聞いたことがあります。
いまや教会の十字架よりも、
パワフルなシンボルになった、
マクドナルドのシンボル。
それを成し遂げた要因は、
レイ・クロックの強引とも言える、
強硬なビジネス手腕でした。
マクドナルド兄弟(創造者)と、
レイ・クロック(拡散者)は違います。
ソクラテスとプラトンの関係であり、
スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズの関係です。
私の特性は明らかに前者で、
後者の在り方に何の魅力も感じませんが、
レイ・クロックのような後者の生き方は、
自分とは真逆だという意味で、
人物としては非常に面白いし、
彼らがいなければ素晴らしいアイディアも、
世界に拡散することがないのも事実です。
創造者と拡散者。
この二つがいつも必要です。
私に拡散者の才能はゼロで、
創造者の才能は有り余っています。
拡散者とタッグを組むのが、
私の生き方において大切なことなんだろうなぁ、と思います。
願わくばウォズニアックやマクドナルド兄弟のように、
うまみを全部横取りされないように気をつけながら笑。
何より、この映画は映画として非常に良く出来ています。
素晴らしい。オススメです。
(1,397文字)
●教誨師
鑑賞した日:2019年6月15日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:佐向大
主演:大杉漣
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://bre.is/IdevW_Eu6
▼140文字ブリーフィング:
これもめちゃくちゃ面白かったですね。
日本は死刑制度が残っている数少ない先進国のひとつです。
死刑制度の是非はさておき、
死刑判決を受けた人が、
じっさいに死刑に処せられるまで、
長い時は10年以上も待ちます。
法務大臣の任期だとか、
時の政権の支持率などを鑑みながら、
かなり恣意的に死刑の執行は決められているからです。
さて。
この「待つ」間というのは、
彼らはもはや「懲役刑」に服しているわけではないので、
かなりの自由が与えられています。
服装も自由ですし、労働義務はなく、
本を読むことも無制限に認められています。
(ちなみに私は死刑制度撤廃派です。
死刑制度に犯罪の抑止力はまったくないことを、
多くの調査結果が示しているし、
人間のやることなので「誤審」もゼロにはなりませんから。
死んだ後に誤審と分かった場合、
取り返しがつかないことになります)
教誨師っていうのは、
そのような死刑囚に面会して、
彼らの不安を和らげ、
魂に慰めを与えるための牧師です。
普段は普通に牧師をしている人が、
この仕事を役所から請け負ってやっているのですね。
この映画で初めて知りましたが。
映画に「牧師」が出てくる時、
本当の牧師に監修されていないな、
っていうのは、私はすぐに分かります。
細かいところに嘘が入り込みますから。
しかしこの映画は、
そのあたりの考証が完璧だった。
牧師が言いそうにないことは絶対に言わないし、
牧師が言いそうなことを言う。
行動も、服装も、持ち物も、雰囲気も、
完全に「プロテスタントの牧師」でした。
これだけで80点ぐらいあげても良いぐらい。
基本的に本作は「会話劇」で、
ずーっとひとつの部屋で物語が展開します。
教誨師の主人公が5人(だったかな?)の死刑囚と話す、
会話だけが本作の内容です。
なので、映画と言うより舞台劇を見ている感覚に近い。
いくつか感動的だった会話を紹介します。
死刑囚のひとりが言います。
「(自分は仏さんも拝んでいるから)
あっちもこっちも手を出して怒りませんかね?」
「何がですか?」
「いや、神様がですよ」
「大丈夫ですよ。
みんな初詣にも行けばお墓にも行く。
そしてクリスマスも祝う。それでいいんです。
そんなのにいちいち怒ってたら
神様も身が持ちませんよ」
この会話の後で、
囚人は信仰を持ち洗礼を受けます。
牧師が「怒りますよ、神様は。
偶像崇拝は禁止されていますから。」
という薄っぺらな教条主義を振り回していたら、
囚人は永遠に神に近づくことはなかったというのは自明です。
教条主義がいかに人を信仰から遠ざけるかがよく分かります。
他にもこんな会話がありました。
頭でっかちになり人を見下している、
衒学的な若者死刑囚が言います。
「牧師さん、虚しくないですか?
こんなことしてて。」
「私は虚しい。
何度もやめたいと思った。
でも、この仕事は、社会の穴を埋めるとか、
穴を開けないようにするとかじゃなく、
空いてしまった穴を『見つめる』仕事だと思った。」
さらに挑発する彼に牧師は言います。
「悔い改めとか神様とか、
もうこの際どうでも良いじゃないか、
私はあなたの隣にいる!
だからあなたも自分が殺した人々と向き合ってくれ!」
このシーンはグッときました。
先ほどの「あっちもこっちも手を出して」のおじさんは、
文字を読めなかったので、
他人に騙されて殺人を犯すことになってしまった死刑囚です。
教誨師は途中から、聖書の話しはやめて、
「あいうえお」を教える事に切り替えます。
おじさんは拘置所で洗礼を受けます。
最後のシーンでそのおじさんは、
「牧師さん、ありがとう」といって、
彼のいちばんの宝ものである、
「水着グラビアの切り取り」を牧師にプレゼントします。
「いいんですか?
こんな大切なものを下さって。」
「牧師さんには本当にお世話になりましたから。
洗礼を受けられて私は幸せです。」
ここではじめて、映画の中で、
拘置所外が映されるのですが、
家への帰路で牧師がその水着グラビアの切り抜きを開くと、
間違いだらけのひらがなで、
こう書かれていました。
「あなたがたのうち、
つみのないものが
いしをなげよ」
最後の最後に牧師自身がこの言葉に救われるとともに、
これはこの映画のすべての鑑賞者への、
映画からのメッセージになっている。
非常に良く出来た映画でした。
(1,726文字)
●ジョナス・ブラザーズ 復活への旅
鑑賞した日:2019年6月22日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ジョン・ロイド・テイラー
主演:ジョナス・ブラザーズ
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/cSIqRUsGM
▼140文字ブリーフィング:
この映画、Amazonオリジナルコンテンツなんですよね。
つまりAmazonがお金を出して製作している。
こういう配信サービスの自社コンテンツの映画を、
今回初めて見ました。
めちゃくちゃクオリティが高くてびっくりしました。
これからの世界では、最大の映画会社はもはや、
パラマウントとかユニバーサルとかディズニーじゃなく、
AmazonとかNetflixとかになっていくかもしれません。
ドキュメンタリー映画なのですが、
非常に興味深かった。
「ジョナス・ブラザーズ」というロックバンドがあります。
2000年代後半に絶大な人気を誇り、
ビルボードに同時に3枚のアルバムがベスト10入りしたこともある。
最近の洋楽にはめっぽう疎いので、
私はこの映画で初めてジョナス・ブラザーズを知りました。
この三人組のバンドは本当の兄弟で、
なんと牧師の息子(4兄弟の上の3人)です。
それぞれにずば抜けた音楽の才能を持っていた彼らが、
ロックバンドを組み、レコード会社に見出され、
スターダムにのし上がっていきますが、
現在30代になる彼らは「解散」しており、
もう何年も顔を合わせず、口を聞いていません。
どうしてそれが起きたのか、、、
という謎を解くような形で、
ドキュメンタリーが進んで行きます。
タイトルを見ればわかりますが、
彼らは冷え切った年月を経て、
お互いの生き方を探り、
そしてお互いの本音をぶつけ合い、
和解し、「再結成」を遂げるのです。
めちゃくちゃ面白かったのが、
ニュージャージー州の田舎で牧師をしていた父は、
息子たちが「世俗的なバンド」を組んだと言うことで、
教会員から批判され、教会を追い出され失業した、
というくだりです。
30代になった彼ら3兄弟は、
いまだに教会に対して、
愛憎入り交じった複雑な感情を抱いています。
自分たちが音楽の才能を開花させたのは、
間違いなく教会があったからだし、
自分たちの父親を地獄の縁に落としたのも、
教会だったからです。
また、彼らが牧師の息子だったことにより、
「バージンリング」という指輪を彼らはするようになります。
これは、「結婚まで貞操を守る」という、
教会が若者の貞操教育キャンペーンに使っていた指輪です。
最初はそれが褒めそやされますが、
実際には彼らはそんな生活はしていませんでした。
しかし世間の目があったので、
彼らはその指輪を今更外せない。
それが「ゴシップ」として報道され、
彼らを精神的に追い詰めていきます。
彼らのすれ違いが起こった経緯も、
兄弟バンドであるゆえの、
ライフステージの違いや、
家庭に対する考え方などの違いが露呈し、、、
というのが理由でした。
そんな彼らが30代になり、
成熟して、より深められた関係を構築し、
そして「再起」します。
胸が熱くなりました。
(1,109文字)
●運び屋
鑑賞した日:2019年6月20日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(399円)
監督:クリント・イーストウッド
主演:クリント・イーストウッド
公開年・国:2019年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/ZtWqaPkQo
▼140文字ブリーフィング:
イーストウッドが新しい映画を撮った?
見るでしょ!
という、もう「思考停止」
もしくは「脊髄反射」のようになっています。
それだけイーストウッドを私は信頼しています。
彼が撮った映画は必ず面白い、と。
この映画撮影時に87歳のイーストウッドの、
「遺作」になるかもしれないと思いながら見ました。
最近はもう、ずっとそうですけどね笑。
改めて思いましたが、
彼の「話し運びの手際の良さ」は異常です。
「体脂肪率一桁」の編集をします。
バッキバキです。キレてる、キレてる。
筋繊維の一つ一つまでハッキリ見える。
とにかく手際が良い。
編集の手際の良さは、
西のイーストウッド、東の北野武ですね。
仕事一筋に生きてきた老人が、
その悔恨をメキシコの麻薬売人たちに利用される、
という実話に基づく話しです。
ちなみにイーストウッドと北野武が似ていると思うのは、
編集の手際だけではなく、
2人の映画の隠れたテーマがいつも、
「死に場所を求める男の話」だからです。
(404文字)
●悪魔を憐れむ歌
鑑賞した日:2019年6月20日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:グレゴリー・ホブリット
主演:デンゼル・ワシントン
公開年・国:1998年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/VisBMuym7
▼140文字ブリーフィング:
メルマガ読者の福嶋さんという方に勧めていただきました。
『フライト』と『悪魔を憐れむ歌』を見てみてほしい、と。
『フライト』に関しては、
2年前に見てレビューしていました。
こちらの記事になります。
▼陣内が先月観た映画 2017年6月 フライト 他14本
http://blog.karashi.net/?eid=228
福嶋さんはデンゼル・ワシントンが好きなんですね。
私も大好きです。
『イコライザー』は最高でしたし、
『フライト』のラスト5分のカタルシスは凄かった。
『悪魔を憐れむ歌』も、
デンゼル・ワシントンの演技が良かったです。
脚本も秀逸です。
タイトルから受ける印象とは違い、
ホラーやオカルトの類いではなく、
サスペンス要素が強いです。
ローリング・ストーンズの「Time is on my side」が印象的でした。
「悪魔」が人間に乗り移ることにより、
彼の目的を達成しようとする。
その存在に気づいたジョン・ホブス警部(デンゼル・ワシントン)は、
悪魔を止めようとして、、、という筋書きです。
雰囲気としては浦沢直樹のマンガ「MONSTER」と似ています。
あとこの映画が撮られた時点で、
SNSは普及していないわけですが、
この「悪魔」って、SNS時代の、
「ミーム」のメタファーとしても観賞可能です。
ゾンビ映画もそうですが、
「現実世界の映し鏡」と考えたとき、
「悪魔」は、SNS時代に人々を衝き動かす、
報復感情の増幅の比喩にも見えます。
それが「決して捉えられず、抑えられない」
ところも似ている。
(628文字)
●トランス・ワールド
鑑賞した日:2019年6月22日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ジャック・ヘラー
主演:サラ・パクストン
公開年・国:2013年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/JyjTF-9UE
▼140文字ブリーフィング:
超低予算映画です。
大学生でも作ろうと思えば作れる感じ笑。
でも脚本はまずまず良かった。
だた、「平均よりは面白くない」かな。
あんまりオススメしません。
(73文字)
●翔んで埼玉
鑑賞した日:2019年6月23日
鑑賞した方法:マニラに向かう飛行機の中で観賞
監督:武内英樹
主演:GACKT、二階堂ふみ
公開年・国:2019年(日本)
リンク:
http://www.tondesaitama.com/
▼140文字ブリーフィング:
ちょっと気になってた映画なのですが、
マニラに向かう飛行機の機内動画サービスに入ってて、
「ラッキー」と思い観賞。
思ってたのの2.5倍ぐらい面白かったです。
マジでくだらないですけど笑。
栄養素がまったく含まれていない、
スナック菓子のような映画です。
まったく後に何も残らない娯楽映画としては、
最高峰の部類じゃないでしょうか。
「なんでこの人たち(制作者)は、
こんなくだらないことに、
こんなにもお金と時間と、
汗と涙を使っているんだろう」
とか考えると、
それも含めて笑えてくるという笑。
ヤバいです、この映画。
マジでくだらない(←褒め言葉)ですから、
騙されたと思って見てください。
オススメします(笑)。
これは関東に住んでいる人のほうがよく分かるのですが、
関東には独特な「都会・田舎ヒエラルキー」が存在します。
どんな条例にも書かれていない不文律ですが、
そういう「都会カースト」が、関東には存在するのです。
港区・中央区>世田谷区・目黒区>渋谷区>新宿区
>杉並区・武蔵野市>、、、、、、、、>練馬区・板橋区>
、、、、>立川市>八王子市、、、、、
、、、ってやっていくと、
「埼玉」「サ・イ・タ・マ」
みたいになって、
田舎の代名詞みたいに言われてるわけですよ。
(もちろん私はそう思いませんが。
あと、田舎より都会のほうが良いとすら、
そもそも思ってませんし。)
でも、そういうのって、
私の意見とは別の所で、
存在するじゃないですか。
面白いのは、
そういうコンプレックスが強い人って、
たいてい地方から移住してきた人たちであり、
本当の本当の真正の都心部出身者、
たとえばそうですねぇ。
天皇家とかは(←極端か?)、
「都心に住んでいる優越感」もなければ、
「田舎を見下すというとう概念」もないはずです。
優越感はいつも劣等感とセットですから、
「自分が都会に住んでいることを鼻にかけている人間」は、
100%の確率で「その本質において田舎者」です。
もしくは「つまらないコンプレックスの保持者」です。
「青山に児童相談所を作るな」と抗議するタイプの、
イタい人々ですね。
、、、という私の意見とは別なところに、
やっぱりそういうのって存在するじゃないですか。
あ、話しがループした笑。
、、、でこの映画は、
そういう「目に見えないヒエラルキー」が、
可視化された架空の世界の物語です。
さっきのやつでいうと、
港区・中央区>、、、、、
八王子市>、、、、、
、、、、>さいたま>、、、
ってなるわけですが、
この世界における中央区出身の、
「(なぜか)ベルバラ風の貴族」たちは、
「さいたま」って発音しようとするだけで、
眩暈・立ちくらみがして、
体調が悪くなります。
「ぐんま」に至っては、
失神します笑。
埼玉出身であることを隠して、
都心部に住む人々は、それがバレると、
「草加せんべいの踏み絵」を踏まされます。
「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ埼玉人」です。
本作の主人公は埼玉出身でありながら、
都心のエリート校に進んでいる「出身地詐称者」です。
彼はしかし、都心の貴族たちよりも貴族っぽい。
(なんせGACKTですから笑)
彼は将来、東京都知事になって、
埼玉と東京の「関所」を撤廃しようとしている、
「埼玉解放戦線」の御曹司なのです。
「埼玉解放戦線」っていったい何なの?
とかは、この際聞きっこなしにしましょう笑。
それは野暮というものです。
「池袋には同胞がたくさんいる」とか笑、
敵対している千葉の領地で捕まると、
体中の穴という穴にピーナッツを詰め込まれ、
九十九里浜で地引き網漁を手伝わされる
、、、みたいなのも面白いです。
都心の住人が埼玉に脚を踏み入れると、
「さいたマラリア」という、
「小型カスカベ蚊」が媒介する伝染病にかかったりします笑。
エンドロールで流れる、
芸人のはなわのテーマ曲も最高でした。
とにかくバカバカしくて最高なので、
案外、かなりオススメです。
マジで、心底、120%、
くっだらないですから(←褒め言葉)。
(1,459文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
「教誨師」
コメント:
これは間違いないですね。
大杉連の「遺作」が本作だったというのも、
なんというか、じーんとします。
下手な「キリスト教伝道映画」を見るよりも、
キリスト教徒じゃない人に、
響く映画なんじゃないでしょうか。
あんまりそういう目で映画を観ることがない私ですが、
「クリスチャンじゃない人に見せたい映画」として、
過去No.1かもしれません。
▼主演(助演)男優賞
クリント・イーストウッド(運び屋)
コメント:
もうねぇ。
87歳のイーストウッドが画面に映ってるだけで、
こっちは幸せなわけですよ。
「拝むように」見ています笑。
▼主演(助演)女優賞
ブルックリン・プリンス(フロリダ・プロジェクト)
コメント:
この子役はとてつもなかったです。
「上手い」なんてもんじゃない。
自然な演技というか、
「自然よりも自然」な存在感が凄かった。
是枝監督の映画以外で、
子役がここまで凄いと思うことは珍しいです。
▼その他部門賞「世界一くだらないで賞」
「翔んで埼玉」
コメント:
マジでくだらなかったー。
「下妻物語」とか、
「キサラギ」とかの感じと似てるかな。
でも、あの段階をはるかに超えてくだらないんだよな。
ちょっと日本映画を新しいステージに押し上げた、
記念碑的な映画になる予感がします。
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陣内が先月観た映画
2019-11-25T13:36:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=428
納豆を食べる数
第98号 2019年7月2日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼納豆の数▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
フィリピンにおります。
14時半(日本時間15時半)...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼納豆の数▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
フィリピンにおります。
14時半(日本時間15時半)の飛行機に乗り、
成田に到着するのが20時ごろなので、
いつもは夕方配信のメルマガを、
昼過ぎに配信しております。
離陸しちゃうともう配信できないので。
フィリピンの話しは編集後記でするとして、
いつものように質問カード、行ってみましょう!
▼質問:
年間、納豆を何個ぐらい食べますか?
、、、でました。
くだらない質問!
なんでこんな質問を思いついたのか、
自分でも分かりません笑。
こんなの、どうやって広げればいいんだよ、
って思いますよね。
でも、果敢に挑んでみましょう。
365個、っていう人もいるでしょうね。
毎朝必ず食べる、っていう。
私の場合は、
そうですねぇ。
月に一〜二個ぐらいかな。
平均すると。
だから年間24個。
少ないですね笑。
ヤバい。
終わっちゃった(爆死)。
しかし、質問カードは、
ここからが勝負です。
自称・質問カードのプロなので、
ここから頑張ります笑。
納豆、2日に一回、
あるいはほぼ毎日ぐらい食べていた頃もあったのに、
なんでこんなに減っちゃったのか、
自分でも分かりません。
食生活というのは変遷するものなのです。
数年周期で、
パンをけっこう食べる時期があったり、
納豆をけっこう食べる時期があったり、
パスタをけっこう食べる時期があったり、、、
とかって、皆さんはありませんか?
私はあります。
納豆の食べ方ですが、
白米と一緒に食べる、
という王道はひとまず置くとして、
邪道の食べ方について、三つ語りたいと思います。
はい。
そうです。
今、私は無理くり話しを広げてます笑。
▼▼▼納豆マヨネーズトースト
これは大学時代に一時期ハマりました。
食パンに、タレを入れてかき混ぜた納豆を載せ、
均等に広げます。
その上に、マヨネーズをかけます。
お好み焼きにかけるみたいにして。
それをトースターで焼くだけ。
これがけっこうイケるんですよね。
マジで。
納豆の臭みが減るので、
思ったのの2倍ぐらい食べやすいです。
あー、ほんとだ。
思ってたよりマズくない!
ってなりますから笑。
少なくとも私は、
かなり美味い部類の食べ物だと思ってます。
ぜんぜんゲテモノじゃないですよ。
予算は100円以下で済みますし、
調理時間も2分ぐらいですし、
大学生の朝ご飯にはオススメです。
▼▼▼納豆そうめん
そうめんとかひやむぎを食べる時、
めんつゆに何を入れるか、
っていうのは永遠の問題ですよね。
刻んだネギ。
ショウガorわさび。
天かす。
白ごま。
みょうが。
いろんなオプションがあるわけですが、
私はネギとわさびです。
ネギがなければわさびオンリーでもOK。
でも、後半飽きてくるじゃないですか。
そうなったときの「味変(あじへん)」って、
けっこう大事だと思うのですよね。
ひつまぶしでいう、
出汁を投入する時期ということです。
先発ピッチャーで7回まで粘ったが、
いつ中継ぎ→抑えを投入するか、
という問題が出てくるわけです。
もちろん硬派に「先発で完投」は潔いのですが、
私はけっこう「味変」したいタイプです。
ひつまぶしの発祥地・愛知県出身だからかもしれませんが。
そこで出てくるのが納豆です。
これ、知ったのは案外最近で、
友人の家に泊まった時に、
冷やした蕎麦でこれを友人がやっていて、
思いの外美味かったので、
それ以来やるようになりました。
やり方は簡単。
タレを入れた納豆に、
さらに生卵を入れてかき混ぜます。
それをめんつゆに投入するだけ。
後半戦で中継ぎ的にやっても良いし、
最初からぶち込むのもありです。
これがめちゃくちゃイケるので、
是非お試しあれ。
▼▼▼納豆&サッポロ一番
最後は、サッポロ一番に、
納豆を投入するという、
陣内家に古くから伝わる食べ方です。
あれはまだ私が小学校高学年か中学生ぐらいの、
ある土曜日の昼下がりのことでした。
まだ存命だった父が、
「美味い食べ物を発見した!」
と騒いでいるではありませんか。
何ごとかと思い食卓に行くと、
袋に入ったインスタントの塩ラーメンに、
納豆を入れただけ。
見た目、最悪。
マジか、コイツ。
と、わが父ながら思いましたね。
私の父は昭和の男のご多分にもれず、
台所に立つのは年に2分ぐらいだったんじゃないでしょうか。
米すらも炊けたのかどうか疑わしい。
そんな父が、
さもラーメンを小麦粉から作り、
出汁を取り、
大豆に納豆菌を入れて納豆を作り、
遂に完成した!
みたいなトーンで自慢してきたのは、
見るに堪えないほど醜い、
インスタント×インスタントな代物でした。
わが父をかなり見下し、
十戒の戒めのどれか二つぐらいを公然と破りながら、
中学生の私は、
鼻で笑って、
「マジで大げさだし。
興奮するほどじゃないでしょ。」
と言ったかどうか忘れましたが、
かなり馬鹿にした態度で、
そのどんぶりを観たのを記憶しています。
父は、「まぁ、食ってみろ」
私はバカにしながら半笑いで食べました。
「ん??」
「マズくない」
「いや、むしろ美味いぞ!」
、、、
、、、
、、、
「なんだ、この食感!
新しい感覚!
新しいハーモニー!」
、、、
、、、
「なんというコンビネーション!!
ラーメン界の、
カール・マローン&ジョン・ストックトンやぁぁあ!!」
、、、
、、、
と、
心の中では思ったのですが、
一旦見下してる手前、
私は言いました。
「お、おう。
まぁまぁイケるね。」
大学生になって、
頻繁にこれを作って食べたのは、
言うまでもありません。
この10年ぐらい、
そもそも袋に入ったインスタントラーメンを
食べる習慣がなくなったので、
なかなかやる機会はないのですが、
あれは美味いんです。
特に、塩ラーメンでやるのがオススメです。
、、、というわけで、
納豆の話しを、
今日は無理矢理、広げました。
では、本編に行ってみましょう!
]]>
今週の「オープニングトーク」
2019-11-25T13:35:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=427
陣内が先週読んだ本 2019年 6月6日〜24日 『わたしの信仰』他
第097号 2019年6月25日配信号
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 6月6日〜24日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
とい...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 6月6日〜24日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●終わりなき日常を生きろ オウム完全克服マニュアル
読了した日:2019年6月9日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:宮台真司
出版年:1998年
出版社:ちくま文庫
リンク:
https://bre.is/iuPjA28f4
▼140文字ブリーフィング:
先日、押井守監督の、
『うる星やつら ビューティフルドリーマー』という、
いまだに語り継がれているカルト的人気のある映画を観たのですよね。
その「余韻」がまだ残っていまして、
ラジオかなんかで宮台真司が、
「ビューティフルドリーマー」について語っている本がある、
というのを知り、手に取りました。
結果、『ビューティフルドリーマー』のことが、
ちょっとしか触れられていなくてがっかりはしたのですが、
これはこれで面白かった。
ビューティフルドリーマーは1984年の作品で、
本書が書かれたのはオウム真理教による地下鉄サリン事件の直後です。
当時の日本社会はショックを受けました。
「なぜ高学歴の若者たちが、
新興宗教にハマり、
毒ガスまで使った狂気の沙汰に加担したのか?」
という議論が侃々諤々となされていた。
この本は宮台真司なりの、
その問いに対する「アンサー」です。
私は日本の社会はあの問題に、
結局のところ十分に向き合わなかったと思っている。
「考え抜くこと」を社会全体で回避してしまった。
むしろ
「あれは『あちら側にいる』狂人たちのしたことで、
『こちら側にいる』善良なる一般大衆は被害者だ」
という分かりやすい物語に「まるめて」しまった。
そう。
1945年に、
「あの戦争は暴走した軍部と、
一部の狂信的な愛国者がしたことで、
私たち一般市民は被害者だ」
という物語にまるめたのと同じく。
しかし、
その歴史を十分に咀嚼せずに、
消化不良のまま「やり過ごす」と、
歴史は反復します。
ああいう問題を何年もしつこく考え続ける、
という人はこの社会では「辛気くさい人」
として敬遠されます。
ほんの少しの人しか、
ああいった問題に向き合い続けません。
村上春樹や河合隼雄や養老孟司など、
一部の思想家たちは例外的な人で、
大多数の人は問題を「風化」させた。
マスコミも政治家も消費者もビジネスマンも、
「分かりやすい物語」に還元することで、
応急処置的に社会を前に進めようとした。
そのしっぺ返しは、
いつか必ず別の形で日本社会に大きなマイナスをもたらす、
と私は「予言」します。
不吉なことを言う辛気くさい男、
と言われてもかまわない。
絶対にそうなりますから。
歴史は繰り返すのです。
一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
宮台真司さんは社会学者として、
彼なりにあの問題に向き合い、
彼なりに答えを出しました。
それが、「終わりなき日常を生きよ」
というメッセージです。
ギリシャ神話に「シュシポス神話」というのがあります。
神罰を受けたシュシポスは思い岩を塔の先端まで運びます。
塔の先端まで運ぶと、その岩は元の位置に転がり落ちる。
労働してはその成果が台なしになり、、、
という終わりなき繰り返しを、
永遠にすることが、シュシポスへの神罰でした。
「終わりなき日常」とは、
「シュシポスの呪い」を生きることです。
90年代の日本は、
戦後の復興を終え、
「政治の時代」が過ぎ去り、
バブルの狂乱も過去のものとなり、
「終わりなき日常」が続くように思われた、
そういった時代でした。
「ビューティフルドリーマー」は、
実はシュシポス神話をめぐる話しなのです。
宮台氏の文章を引用しますと、
そのような終わりなき日常を、
欠落を抱えたまま生きねばならない、
それを「肯定」する強さと覚悟を、
我々は持たねばならない、
それが彼の結論になります。
「終わりなき日常を肯定する」。
私も同意します。
その「肯定の意味」は、
私の場合はキリスト教的なものに根ざすわけですが。
宮台氏は「終わりなき日常」に耐えられない人々が、
「宗教」や「恋愛」に逃避するのだ、と言います。
文脈的に分かっていただけると思いますが、
この定義によれば、
私が「キリスト教」というときそれは宗教ではなく、
私が「消費主義」というときそれは宗教です。
宮台さんは「恋愛」も宗教たり得ると指摘する。
(カッコつきの)「宗教」は、
マルクスが指摘したとおり、
今も昔も「阿片」なのです。
→P160
〈ここで問題になるのは、
宗教は、サブカルチャーとは違って、
恋愛と似ているということである。
「セミナー渡り鳥」のBは、宗教と恋愛は、
ともに癒しの機能を持つと述べていた。
それは、社会システム理論の立場からは、
つぎのように言い直すことができる。
宗教も恋愛も、「全面的包括欲求」に応えうると言う点で、
機能的に等価なのだ。
自分はダメだと思っていると、
宗教やセミナーが
「そんなあなたでも救われます」と受け入れてくれる。
同じように、恋愛すれば「そういう君が好きだったんだよ」
「そういうあなたが好きなの」と受け入れてもらえる。
(中略)
「終わらない日常」のなかを、
欠落を抱えたまま生きなければならないとき、
そういう自分を「全体として」肯定出来るチャンスは、
宗教と性にしかない
――『サブカルチャー神話解体』で
私もかつてそのように分析したことがある。〉
(1,955文字)
●呪われた部分 全般経済学試論 蕩尽
読了した日:2019年6月10日
読んだ方法:図書館で狩生
著者:ジョルジュ・バタイユ
出版年:2018年(フランス語初版1949年)
出版社:ちくま文芸文庫
リンク:
https://bre.is/V4DvoFbZu
▼140文字ブリーフィング:
2月に山田風音君に会った時に、
最近読んで面白かった本として教えてもらいました。
去年読んだ、『暇と退屈の倫理学』でも引用されていて、
ちょっと興味があったのですよね。
この本は「古典」に分類しても良いほど、
色々なところで引用される本です。
古典としては珍しくないのですが、
難解で、正直、
5〜6割ぐらいしか理解できませんでした笑。
でも、これぐらいの理解度の本って、
後々ボディブローのように効いてくるんですよね。
経験的に。
ちなみに「呪われた部分」というのは「三部作構想」だそうで、
第一部「蕩尽」
第二部「エロティシズム」
第三部「至高性」だったのだそう。
第三部はついぞ書かれることがなかった。
実は「蕩尽」や「エロティシズム」や「至高性」
が、「呪われた部分」なのだ、
というのがバタイユのいいたいことではなく、
これらが「呪われていること」に、
異を唱えるというのがバタイユの主張です。
では、これらを「呪われた部分」たらしめているのは何か?
それが近代合理性であり、
古典派経済学なのだ、
という立論になります。
バタイユはニーチェに影響を受けています。
誤解されていますが、
ニーチェはキリスト教を破壊しようとしたのではなく、
「超えていこう」とした人です。
彼はキリスト教のなかにある欺瞞性を超えて、
「超キリスト教」を目指したのです。
逆だと勘違いする人が多いですが、
ニーチェは宗教を否定した人でなく、
誰よりも宗教的であろうとした人です。
ニーチェがキリスト教に対してしたことを、
バタイユは経済学に対してしたかったのかもしれない、
と私は本書を読んで思いました。
経済学は「利益を次の利益のために投資する」
ことによって社会を富ませていくことを旨とします。
しかしバタイユは、
利益を「どのように蕩尽するか」こそが、
社会の性質を決定づけ、
文化を形成するのだ、と言います。
引用します。
→P164
〈この場合、真の理由に到達するためには、
まず経済の全般的な法則を知っておく必要がある。
一個の社会は常にその存続に
必要な分以上のものを生産するという法則だ。
社会は余剰を持つということである。
社会の在り方を決定しているのは
まさにこの余剰を社会がどう使うかなのである。〉
→P168
〈その意義とはすなわち、
全体主義的な修院制度が、
閉ざされた体制の成長を停止せねばならないという
必要性に応えていたということだ。
イスラムは余剰全体を戦争に差し向けた。
近代世界は産業施設に差し向けた。
同様にラマ教は瞑想生活に差し向けた。
感性的人間が世界の中で自由に戯れることに、
余剰を差し向けたのだ。〉
、、、古典派経済学は、
「生産」を経済の主旋律だと考えます。
そうすると人間の本質は歪められ、
人間性さえも「生産のための手段」に還元されてしまう。
そうではなく、経済の主旋律は、
「蕩尽」や「浪費」なのではないか?
つまりなんら生産性に寄与することのない消費や贈与こそが、
文化を形成し、人間を人間たらしめてきたのではないか?
「社会がどのように余剰を蕩尽するか??」
を考えることこそ、経済学者はしなきゃいけないんじゃないのか?
といった問いをバタイユは発しているわけです。
今は半分ぐらいしか理解してないけど、
今後もじわじわと「効いてくる」予感がします。
(1,296文字)
●わたしの信仰
読了した日:2019年6月13日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:アンゲラ・メルケル
出版年:2018年
出版社:新教出版社
リンク:
https://amzn.to/2EMwuJ8
▼140文字ブリーフィング:
面白かったです。
私はメルケルについて何も知らなかった、ということが、
この本を読んでよく分かりました。
まずメルケルのお父さんは東ドイツの牧師だったのだ、
というのを本書を読んで初めて知りました。
それからメルケルは物理学の学位を収めた、
理系のエリートから政治家に転身した異色の経歴を持つ人です。
(これはなんとなく知ってました)
そして彼女は、
「キリスト教的な政治家であろう」
と意識的にしている、
もしかしたら現代の世界で、
唯一の国のリーダーかもしれません。
いくつかの箇所を引用しながら、
説明していきましょう。
「政治」というのは、
「何か支えがある人」にしかできない、
と彼女は言っています。
彼女にとっての支えとはもちろん、
信仰であり、神の存在です。
→P37〜38
〈というわけで、ほんのいくつかではありますが、
わたしにとって決断を下すのが難しい、
あれこれ考えなくてはいけない例をご紹介しました。
しかしわたしは同時に、ためらっていてはいけない、
決断を下さなければいけないと言うことも分かっています。
その際、いくつかのイメージや考え、
信仰についての問いは、責任をもって決断し、
その決断を守るための重要な方向付けとなり得ます。
決断の中には、数年経って始めて
それが正しかったと分かるようなものもあるからです。
そのときが来るまでは耐え抜いて、
批判や議論にもしっかり応じていかなければなりません。
それは、支えがある人間にしかできないことです。〉
、、、次に、メルケルが、
「教会とはどうあるべきか」
について論じている箇所。
→P66
〈何故ならドイツは、
本当に人々のための教会として存在する教会を必要としているからです
――それは、人々にとって神を身近にするような教会です。
それは預言者のように警告する任務とも重なります。
というのも、
残念ながら相変わらず次のような傾向が見られるからです。
多くの福音主義のキリスト者が教会を離れ、
教会なしでもキリスト者として生きていけると考えています。
でも、それは幻想ではないでしょうか?〉
、、、彼女の教会観に、
私も同意します。
また、「子どもが、きみに尋ねるなら」
という歌の歌詞を引用しながら、
国のどの領域においても、
社会は「何のために人生があるのか」という問いを、
はぐらかしてはならないのだ、という確信を語ります。
→P73〜74
〈「きみの子どもが明日、きみに尋ねるなら・・・」
というのが、「申命記」6章20節からとられた
今回の教会大会のモットーです。
今年の教会大会のテーマソングを作った
シンガーソングライターのハインツ・ルドルフ・クンツェさんは、
ぴったりの歌詞を書いてくれました。
「もし君の子どもが明日、きみに尋ねるなら、
ぼくたちは何のためにこの世にいるのかと、
その子が不思議に思い始めるなら、
何が大切なのか、知りたいと思うなら・・・・
答えをはぐらかしたりしないでくれ、
たとえ答えるのがどんなに難しくても」
これが私たちの使命です。
キリスト者として――教会でも政治の場でも、
職場や家庭でも――こうした問いの答えを
はぐらかすことは許されません。
わたしはこのことを、
政治家として自覚しつつ申し上げます。
これは、神と人の前で果たすべき責任なのです。
共に新しい道を進む勇気を持ちましょう!
一緒に進んで行くことが重要です。
キリスト者として、
わたしたちはいずれにせよ勇気を持つことができます。
なぜならわたしたちの行く先には、
「正義の太陽」が約束されているのですから。
(2005年5月、ハノーファーにおける
第30回福音主義教会大会における講演)〉
、、、ドイツもまた、
日本と同じように高齢化しています。
2019年にドイツは年金支給年齢を67歳に引き上げます。
しかし次に引用するような、
「長期的な社会観」を、
国のリーダーが提示している状態というのは、
日本における「世代間分断」とは、
かなり違うということが分かります。
→P167〜168
〈ですからわたしは、
多くの皆さんもおそらくご存じのグリム童話で
話しを締めくくりたいと思います。
年取ったおじいさんと孫の話です。
老人が震える手でいつもスープをこぼすので、
息子とその妻は老人を食卓から追放します。
老人をストーブの裏の片隅に座らせ、
ほとんど食べ物を与えません。
彼がスープ皿を落として割ってしまうと、木の鉢を押しつけます。
すると小さな孫が登場するのです。
この子がある日、小さな木のえさ入れを作ります。
「何のためだ?」と父親が訊きます。
「お父さんとお母さんが年取ったときのためだよ」と少年は答えます。
このことばが両親の目を開くのです。
それ以来、おじいさんはふたたび食卓に着けるようになりました。
ドイツの社会もそのようであってほしいのです。〉
、、、メルケルはキリスト教が大切なのだ、と言います。
しかし、ヨーロッパは多元主義化し、
プロテスタント、カトリック、イスラム、などなどの、
様々な宗教文化的背景を持つ人々が共存せねばなりません。
「キリスト教が大切だ」というのがそんなにシンプルな話しではない。
しかし、
「キリスト教に基づいた、
他者を尊重し、認める寛容」は、
他宗教の人々にも開かれた社会を提供する。
多元主義の社会で宗教的寛容を実現しながら、
教会、家族、地域という網の目によって、
なおかつ社会がまとまっていく、
という二律背反は不可能ではないのだ、
ということをメルケルは言っていて、
私もその可能性に賭ける以外ない、
と思っています。
「リバタリアニズムとコミュニタリアニズム」、
グローバル主義者と国家主義者、
自由貿易論者と孤立論者の、
終わりなき不毛な議論を超えて、
私たちは第三の道を探すことができる、
と信じているところに、
メルケルの信仰の凄みがあります。
これを読むと、
「イスラムを追い出す!」
という思想の薄いこと薄いこと。
「訳者あとがき」にて、
本書への私の感想がほぼすべて言い尽くされているので、
それを引用したいと思います。
→P247〜248
〈そのような(右翼主義政党AfDの台頭、イギリスのEU脱退、
トランプ政権の誕生など)難局において、
メルケルはどんなことを考えながら政権運営をしているのか、
という疑問にこの本は答えてくれる。
もちろん、キリスト教的な視点に立って行われた
スピーチを中心に集めているので、
具体的な政策への言及は少ないが、
信仰を通して、人としての彼女の在り方が見えてくる。
キリスト教的な人間観に基づき、
あらゆる人(ドイツ人だけではなく)の尊厳を守ろうとし、
「被造物」に対する責任を全うしようとする姿勢。
自分たちの世代だけでなく、
次世代の繁栄にも配慮した資源の使い方や環境保全を提言し、
グローバル化、デジタル化の流れの中で
取り残されていく人がいないように気を配り、
人口変動と高齢化の波にも対処すべく努力を続ける誠実さ。
こうした多くの政治的課題は日本にも当てはまるところだが、
ドイツでは社会的市場経済を重視して
共生と福祉を行き渡らせようとしており、
彼我の違いを感じずにはいられない。
今回、本書の翻訳のお話をいただき、
メルケルの信仰と向き合う機会を得て、
彼女に対する尊敬と親愛の気持ちが増した。
聖書の講解からはたくさんのことを教えられたし、
ヨーロッパの社会と文化の根底にキリスト教があることを、
あらためて認識せずにはいられなかった。〉
(2,956文字)
●探求する力
読了した日:2019年6月13日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:市川力(東京コミュニティスクール校長)
出版年:2009年
出版社:知の探求社
リンク:
https://bre.is/3OIjbR_u-
▼140文字ブリーフィング:
先日読んだ、
『英語を子どもに教えるな』の著者による本です。
あの本がすごーく面白かったので、
市川さんはいったい、今何をしているのだろう?
今もアメリカで日本人の子どもの塾で働いているのだろうか?
興味が湧いたので検索してみると、
なんと彼は学習塾を辞めて、
2000年代に日本に帰国し、
私塾的な学校を創設し、
現在東京の中野にある、
「コミュニティスクール東京」の校長をなさっています。
(いまは理事長とかかもだけど)
『英語を子どもに・・』を読んで、
この人はきっと、学習塾で受験対策を教えることでは、
満足しない人だろうな、と直観したのですが、
その直観は的中しました。
彼は「学ぶとは何か」ということの求道者であり、
それを口で言うだけではなく、
実際に自分のフィールドを持って実践していたのです。
教育批判は簡単ですが、
「じゃあ、どうすればいいんだ」
という問いへの答えを自分で模索していく、
というところまでする人は本当に少ない。
新しい時代の「学び」を創出していくために、
何かを言うだけでなく実践を通して語っている、
「預言的生き方」をしている市川氏に共鳴を覚えました。
具体的にでは、
「東京コミュニティスクール」では、
どんな教育がなされているのか?
この本を読んで下さい、としか言いようがないです。
市川さんがアメリカで知った、
「プロジェクト」という学習スタイルをベースに、
「テーマ学習」という探求型の、
分野(教科)横断的グループ学習の手法を、
市川さんは編み出し、実践しています。
真にクリエイティブな人物だと思いました。
尊敬します。
「知識基盤社会」と著者が言っている、
いわゆる「第四次産業革命後の世界」において、
「何かを知っている」ということの価値はゼロに近づきます。
「事務処理能力が高い」の価値も下がる。
この二つでAIと競争して勝てる人類は皆無になりますから。
そうではなく、
「良い問いを発する能力」や、
「一緒に問題を解決していける能力」や、
「既存のまったく関係ない知識を縦横無尽に組み合わせ、
新たな知的生産ができる創造性」が、
知識基盤社会の人材のコアコピテンスになる。
そのような人材がゴールであるなら、
教師の役割も当然変わるわけです。
そういったことを、市川さんは意図的にしています。
→P242
〈これまでの教育において、
「教育」と「子ども」との関係は、
「教える人」と「教えられる人」という一義的なものであった。
「教員」は「知っている人」「できる人」であり、
「子ども」は「知らない人」「できない人」なので、
「知っていること」「できること」を子どもに伝達することが、
教員の役目だった。
しかし、知識基盤社会においては、
知識を獲得するだけではどうにもならない。
知識の信頼性、正統性を判断し、
問題状況の解決に役立つ知識を選び取り、
活用していく力が求められる。
したがって、教員の役割は、
既存の知識を整理して伝達することではなく、
知識を吟味する力、
知識を活用して新たな知を生成する力を育成する事へと変貌する。
教員は、既存の知を手がかりに新たな知を生成する道を
子どもと共に歩む同行者となるのである。〉
(1,268文字)
●宇宙を織りなすもの 時間と空間の正体 下
読了した日:2019年6月13日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ブライアン・グリーン(青木薫訳)
出版年:2009年
出版社:草思社
リンク:
https://bre.is/XgsRsXKvH
▼140文字ブリーフィング:
めっちゃくちゃ面白かったです。
ひも理論、マルチバース論、
ワームホールによるタイムトラベル、
量子タングリングによる瞬間移動の可能性など、
わくわくする内容で、一気に読みました。
宇宙は1兆年に一度二つの「膜」の衝突によってできるという、
循環時間理論(サイクリック宇宙論)も面白かった。
ニュートン以来、
物理学が明らかにしたこの宇宙の実像は、
私たちの「直観」を次々と裏切っていきました。
宇宙は「9次元」かもしれない、
というのもその最たるものでしょう。
私たちの宇宙(3次元空間)は、
より高次の次元の「投影」かもしれないのです。
どういうことか?
次数をひとつ下げましょう。
私たちはマンガ「ドラえもん」の、
コミックのページ上の「2次元ののび太」や
「2次元のドラえもん」かもしれないのです。
2次元の住人には、
3次元空間(立体的奥行きや高さという概念)は、
知覚できません。
マンガの中ののび太やスネ夫に、
そのコミックを読む私たち3次元の人間が知覚できないのと同じく、
私たちはこの宇宙を織りなす9次元空間を、
「感知」できません。
しかし、高速加速器による実験によって、
「追加次元」の実在が証明される、
一歩手前まで人類は迫っていますし、
理論物理学の様々な謎が、
「追加次元」を想定すると、
とてもきれいに着地できる、
という状況証拠も見つかっている。
追加次元という概念がどこから出てきたかというと、
「超ひも理論」という、
量子物理学と古典物理学の統一理論になるかもしれない、
という20世紀に台頭した有力な仮説から出てきました。
その部分を引用します。
→P155
〈最先端の実験で裏付けられた従来型の理論では、
電子とクォークは、空間的な広がりを持たない点としてイメージされる。
したがってこの立場では、電子とクォークが終着点である
――電子とクォークは、自然界のマトリョーシカ人形を
順番に開いていったときに、
物質のミクロな構造の最後に出てくる一番小さな人形なのだ。
ここでひも理論が舞台に登場する。
ひも理論は、電子とクォークは
大きさがゼロの点状粒子ではないと主張して、
従来のイメージに異議を申し立てる。
ひも理論によれば、
従来型の点状粒子モデルは一つの近似であり、
いっそう精緻なイメージによれば、
それぞれの粒子は、
「非常に小さな繊維状のエネルギー(それを「ひも」という)が
振動している状態」として記述されるのだ。
振動する繊維状のエネルギーに厚みや幅はなく、
あるのは長さだけなので、ひもは一次元である。
しかしひものサイズはきわめて小さく、
原子核の100分の1の10億分の1の10億分の1
(10のマイナス33乗センチメートル)ほどなので、
最新鋭の加速器を使ってさえ点状にしか見えない。〉
、、、電子のスピンや、
クォークの性質を決定づけているのは、
「ひもの振動」かもしれない、
というのがひも仮説です。
そしてその「ひも」は、
3次元空間ではなく、
9次元空間に存在する。
宇宙の実像は、
私たちがイメージしているものとは、
まったく違います。
すごくないですか?
(1,244文字)
●明るい夜に出かけて
読了した日:2019年6月14日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:佐藤多佳子
出版年:2016年
出版社:新潮社
リンク:
https://bre.is/pzPh9jhVZ
▼140文字ブリーフィング:
私は『くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン』のファンです。
うつ病療養中、寝る前にこれを聞きながら寝ました。
2人のくだらない会話を聞いていると、
鬱の自己批判・自罰思考の暴走が抑えられ、
知らないうちに眠りについています。
病気から回復した今もその習慣は残っていて、
『くりぃむオールナイト』が、
私の子守歌になっています。
どんな睡眠導入剤よりも良く効く。
(導入剤、飲んだことないですが笑)
2016年に山本周五郎賞を受賞している本作、
『明るい夜にでかけて』は、
くりぃむオールナイトのことが書かれてる、
と聞いていたので、それが理由で読みました。
じっさいに話しの軸となるのは、
『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』なのですが、
主人公がラジオの深夜番組にネタを投稿して、
読まれては興奮し、番組のノベルティを収集する、
「はがき職人」になったきっかけが、
くりぃむオールナイトの、
「ツッコミ道場、たとえてガッテン!」
だった、という設定になってます。
たぶんメルマガ読者の10人に9人は、
「ラジオなんて今時聞いてる人いるの?」
ぐらいな感じだと思います。
ラジオの聴取率って、1%いけば大ヒット番組、
というぐらいなので、市場はテレビの10分の1です。
でも、私はラジオが大好きです。
同じラジオのリスナーだと知ったら、
いろんな大人の事情を乗り越えて、
「心の友よ!」っつって、
抱きしめてあげたいぐらい笑。
なんでしょうね。
ラジオって、「親密なメディア」なんですよね。
親密/親密じゃない
愛がある/愛がない
でマトリックスを作るとこうなる。
親密 親密じゃない
愛がない ネット テレビ
愛がある ラジオ 書籍
こういう感じになるんじゃないかな。
「親密で愛があるメディア」である、
ラジオという媒体が私はとっても好きなのです。
まぁこれは、
ラジオリスナーにしか分かってもらえないでしょうが。
当メルマガのタイトルに「ラジオ」が入っているのは、
偶然じゃないんです。
ラジオのようなメディアを、
私は作り出したかったのですよね。
いま、初心に立ち返りました。
本作は「LINEでのコミュニケーションがリアルを凌駕する」、
スマホネイティブ世代の若者たちの群像劇ですが、
作者の佐藤さんは「おばさん(失礼)」なんですよね。
自身がラジオリスナーであることは公言していますが、
ツイッターやLINEをじっさいに使ってる人じゃないと、
書けない内容です。
かといって、「おばさんが背伸びしてる」感じでもない。
私はそこに一番驚きました。
最後にラジオリスナーなら、
「そうそうそうそう!これこれ!」
ってなる文章を二つ引用します。
→位置No.255
〈どんな面白い話しでも、寝る。
今の俺は本当に好きなパーソナリティの番組しか聞かないから、
声を聞くと本当に安心する。
身体の力が抜ける。心の力も抜ける。
夜更かししてナマで聴いている時は、
めったに寝落ちしなかったけど、
仕事からの朝帰りで聞くラジオの録音は
睡眠薬のように劇的に効く。寝る。ひとまず、寝る。〉
→位置No.2137
〈金曜日にラジオを聴くとき、
窓のカーテンを開けておく。
アパートの駐車場に面した真夜中の窓は、少しだけ明るい。
イヤホンから耳に落ちてくる、平子と酒井の声は近い。
同じ部屋にいるんじゃないかってくらいに近い。
この謎の距離感こそが、ラジオの生放送だ。
テレビじゃ絶対にない。
不特定多数のリスナーが聴いているのに、
アルピーと俺と三人でいるみたいな錯覚。〉
(1,402文字)
●天才はあきらめた
読了した日:2019年6月14日
読んだ方法:Kindleで電子書籍購入
著者:山里亮太
出版年:2018年
出版社:朝日文庫
リンク:
https://bre.is/6NipIuvei
▼140文字ブリーフィング:
「福山ロス」ってあったじゃないですか。
福山雅治結婚報道の翌日、
ファンだったOLがショックで会社休んだ、みたいな。
「山ちゃんロス」ってあると思うんですよね。
「非モテの公共財産」だった山ちゃんが、
蒼井優に奪われた。
俺、今日学校行かない、
ってう、非モテの「不毛な議論リスナー」は、
全国に1,000人ぐらいはいたんじゃないかな。
俺も今学生だったら山里ロスで、
部活ぐらいは休んだかもしれないですから笑。
そんなカリスマ、山里亮太の本です。
彼の半生記をつづる本作を読むと、
山里への尊敬と愛が深まります。
「ホントすごい人だな、この人」って。
親友の若林正恭による「解説」が、
私を代弁してくれてるので引用します。
→位置No.2337
〈ぼくが初めて山里亮太を目撃したのは、
多くの皆さんと一緒でやはり2004年のM-1グランプリである。
相方の家で先輩芸人数人と集まって見ていた
中古のテレビデオのブラウン管の中に、
スカーフを巻いた彼は颯爽と現れた。
「皆さん、その怒りのこぶしは日本の政治にぶつけてください」
漫才冒頭の、このワンフレーズの衝撃でぼくは吹っ飛んだ。
本文にも書いてあったが、当時男女コンビは珍しかった。
そして、当時のM-1グランプリには
確かにお笑いマッチョイズムが蔓延していた。
そんな中、泥臭い掛け合いをひらりとかわす
ゆったり目のテンポと優しいツッコミはとても新鮮に映った。
しずちゃんしか使いこなせない
”人”が込められた言霊が放たれるやいなや、
その抜群のワードセンスと間合いでそれを拾っていく山里亮太。
初めて目にする「否定や注意の向こう側」のツッコミに、
何度も何度も度肝を抜かれた。
本当に真面目に、
標準語のツッコミの歴史は
山里亮太以前以後に分けられると思う。
その頃仕事が何も無かったぼくは、
彼のツッコミの虜になった。
YouTubeで「山里亮太、ツッコミ27連発」
という動画を繰り返し繰り返し何度も見た。
そのずば抜けた実力に、ぼくは彼を完全に先輩と思い込んでいた。
同期と知ったときの俺の絶望を知らないからこそ、
「天才はあきらめた」なんてナメたことをぬかせるのである。〉
(875文字)
●神に異をとなえる者
読了した日:2019年6月19日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:アベ・ピエール
出版年:2012年
出版社:新教出版社
リンク:
https://bre.is/GoPXU9CTM
▼140文字ブリーフィング:
「年の離れた友人」のように接して下さる、
米山さんという方がいまして、
その方のお家でいろんなことを話していた時に、
フランスの話しになり、
それでアベ・ピエールという神父がいてね、
と教えていただきました。
フランスでめちゃくちゃ人気があるそうです。
→P3〜4
〈近年フランスのテレビ視聴者の投票で、
アベ・ピエールは歴史上最も功績のある
三人のフランス人に名を連ねました
(ドゴール将軍、キュリー夫人についで)。
彼がエマウス*の創始者であることは
すでに広く知られていますが、
それ以前に彼は何より「神に異をとなえる者」であり、
信仰者でありながら人間の惨めさや苦しみを
甘んじて受け入れることを拒み、
この世界が少しでも人間らしさを取り戻すために
生涯を賭した人でした。
*エマウス:1949年、アベ・ピエールが始めた生活共同体。
「恵まれない人々のために、恵まれない人々と共に」
をモットーに、ホームレスの人々との連帯を主な活動としている。
不用品をリサイクルして販売するという
独特な資金調達法でも有名になった。
その共同体運動はフランス国内に留まらず、
世界中に広がっている。〉
、、、宗教家でありながら、
「宗教という制度や政治性」とは違ったところで、
けっこうタブーにも切り込んで発言する。
正統派からは異端と言われるかもしれないが、
一般大衆にとって、本当に必要な宗教とは何か、
ということを追求している。
そういう感じの発言をする人です。
「カトリックの公式見解」や、
ヨーロッパの権威に反する発言も、
けっこう平気でしちゃうので、
たぶん「象牙の塔」で食ってる人には、
目の上のたんこぶなんでしょうが、
本当の宗教性というのはこういうことだろうなと思います。
「既存の正統派に喜ばれている」というのは、
(真の意味の)宗教性という意味で失敗している証拠、
と私は思いますから。
日本だと、晴佐久神父が好きな人とかは、
けっこうアベ・ピエール、好きだと思います。
(800文字)
●幸福優位 7つの法則
読了した日:2019年6月19日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ショーン・エイカー
出版年:2011年
出版社:徳間書店
リンク:
https://bre.is/2pzS6ErdS
▼140文字ブリーフィング:
ひとことでまとめると、
「成功したから幸せになる」というのは間違いで、
「幸せだから成功する」が正しい、
という内容です。
ハーヴァード大学で教えている著者が、
これを心理学的に実証していきます。
「幸せになるために成功する」は間違いです。
なので「幸せになるために」、
「受験刑務所」で猛勉強している小中校生は、
皮肉なことに幸せから全速力で遠ざかっていることになる。
これは戯れ言ではありません。
「受験戦争の勝者のあつまり」である、
ハーヴァード大学の学生たちがまったく幸せでないのを観て、
著者はこの研究を掘り下げようと思ったのですから。
順序が逆なのです。
「成功するために幸せになる」
これが正しい。
しかし、ここにもパラドックスがあって、
幸せはその定義上「何か実利的なことの手段」となった時点で、
「幸せ」をもたらさなくなります。
つまり、「何かのためではなく、ただ幸せである」
ということの「副産物」として、成功は与えられるのです。
「持っているもので満足しなさい」
という聖書の言葉は深いのです。
(411文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:『わたしの信仰』
コメント:
メルケルは、
牧師にもなれるぐらい、
聖書に精通しているということがよく分かります。
彼女を支えているのが神への信仰だということも分かる。
この数年、世界のリーダーの面々が、
なんか、キン肉マンでいう、
「悪魔将軍グループ」みたいになってきましたが、
メルケルは本当に少ない、
「正義超人グループ」のひとりです。
そんなドイツでも右翼政党が躍進しているのを観ると、
「正義超人」はさらに少なくなっていくのかもしれません。
キツイ世の中になってきました。
それでも信仰は死なないし、
信仰は負けません。
私はそう確信しています。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「山ちゃんおめでとう賞」
コメント:
山ちゃんへの「ご祝儀」ですね笑。
マジで山ちゃんは「努力の天才」です。
きっと何を仕事にしても、
成功していたでしょう。
そんな山ちゃんがお笑いの道を選んでくれたことを、
私は感謝しなければならない。
そのおかげでたくさん笑わせてもらってるし、
同世代の星として、「俺も頑張ろう」と、
思わせてもらってるのですから。
]]>
陣内が先週読んだ本
2019-11-19T13:33:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=426
やっとけば良かった部活
第097号 2019年6月25日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼やっとけば良かった部活▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
お元気でしょうか。
今、私はフィ...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼やっとけば良かった部活▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
お元気でしょうか。
今、私はフィリピンに来ております。
詳しくは編集後記で少し触れるとして、
まずは質問カードからいきましょう。
▼質問:
「この部活(習い事)やっとけば良かった」
と思うことはありますか?
、、、この質問は、
好きなラジオ番組、
「東京ポッド許可局」で話されてて、
そこから拝借しました。
まずですね。
前段として私は、
小学校高学年は、
けっこうがっちりソフトボールをしていました
練習は毎日ありましたし、
試合も年に何度かありました。
弱小チームでしたが、
最初はレフトを守り、
次はセンター。
最高学年になって、
選手層が薄すぎるので、
キャッチャーが誰もいなくなっちゃって、
最後はキャッチャーでした。
足が結構速くてタイミングを掴むのが上手だったので、
ずっと1番打者で、毎試合盗塁を決めてましたね。
あと、外野としてはなかなか上手なほうだったと思います。
そして、中学では卓球部でした。
これも弱小チームでしたが、
団体戦ではだいたい1番でした。
当時の団体戦は
シングルス2人、
ダブルス1組、
シングルス2人、
という5回対戦方式、
剣道と同じ総当たり式の団体戦方式でした。
たいていのチームは、
5番手が最も強く、
1番手が2番目に強いです。
私は学校で2番目に強かったのです。
強豪校ではレギュラーにすらなれたか分かりませんが笑。
でも、卓球部、楽しかったです。
私は中学のとき若干グレていました。
卓球部というのは、
野球部やバスケ部の「不良たち」が、
気晴らしに遊びにくる「息抜きスペース」でもあります。
私が行っていた岡山県の公立中学では、
少なくともそうでした。
ガムをかみながら野球部の「ワル」がやってきて、
「おい、ちょっとラケットかせや」
と言って、卓球を楽しんで帰って行く。
私はちょっとグレてたので、
彼らとよく遊んでいました。
卓球部の中の「不良とのチャンネル役」ですね。
スネ夫みたいな感じです笑。
高校ではバスケ部に入りました。
スラムダンク全盛の時代で、
中学の時の不良の友だちの何人かは、
バスケ部に所属していて、
いつも休日は彼らとストリートバスケをしていて、
彼らがいつも3連覇のシカゴ・ブルズのビデオを見て、
パトリック・ユーイングやハキーム・オラジュワン、
カール・マローンやレジー・ミラーなどの話しをしていたので、
モロに影響を受け。
私は中学でバスケ部じゃないので、
当然上手ではありませんでした。
高2のときに退部しました。
なんか「勉強をする」とか宣言して、
「勉強同好会」を立ち上げたんですよね。
非公式に。
そっからロケットスタートのように成績が良くなり、
私は学年100番前後から2番にまで上がりました。
あの時期がなければ私は難関の国立獣医学科に入学しておらず、
たぶん「岡山大学工学部」とかに入ってたんじゃないでしょうか。
そうなってたら今頃何してるんでしょうね。
広島に本社のあるマツダ自動車で、
技術者として課長ぐらいになって、
ロータリーエンジンの未来について考えていたかもしれない。
人生とは分からないものです。
大学では、
高校のときの悔しさがあったので、
バスケ部にまた入りました。
そんで、1年でやめました笑。
自分が(今度は公式に)立ち上げた
「聖書研究サークル」に集中するために。
この話しをすると長くなるので、
またいつか別の機会に。
ちなみに来週会うベガさんというフィリピン人は、
現在フィリピン大学の教授ですが、
当時私と一緒に聖書研究サークルの活動を、
中心となって推進していた「仲間」です。
さて。
結構前置きが長くなりましたので、
質問への答えは、
さくさく行きましょう。
例のフランス人話法で、
「三つあります」。
▼▼▼ウェイトトレーニング部
、、、今だったらぜったいこれやってますね。
私は40歳で筋トレを始めましたが、
もし10代から始めていれば、
ホルモンバランスがおじさんと若者では全然違うので、
「面白いほどデカくなってた」と思います。
やっときゃよかったなぁ。
みるみるデカくなって、
楽しかっただろうなぁ。
しかも若い頃の筋トレって、
年取ってからも「マッスルメモリー」として残るので、
体力的な恩恵を、一生涯もたらすことになる。
私の最初の職場の上司が、
大学時代に「体力作り部(だったかな?)」
という名前の、要はウェイトトレーニング部に入っていた、
という話しを聞いたことがあります。
バーベルに挟まれて出られなくなり、
死にかけたという話しをしてくれました。
その上司は私は大好きですし今も尊敬していますが、
年に3回ぐらい「マジでムカつく」ことがありました。
仕事に真剣なゆえの対立があるわけです。
そんなときは、
「あのときバーベルの下から出てこなきゃよかったのに」
なんて思いましたが笑、
まぁ、冗談です。
その上司のことを今思い出すと、
かなり脂肪はついていましたが、
やはりガッチリしていて、
体力があったんですよね。
大人になっても体力的恩恵をもたらすスポーツを、
若い時にするというのは本当に良いなぁと思います。
高校のころそんなこと、
まったく考えてなかったもんなぁ。
逆にバスケで腰を痛めて、
大人になって腰痛とおつきあいするという、
ハンディキャップを獲得したもんなぁ、と。
▼▼▼映画部・文学サークル・落研などの文化系
文化系のサークルって、
私は味わったことないので、
もう一度チャンスがあったら体験してみたいのですよね。
若い頃はほぼまったく魅力を感じませんでしたが、
この年齢になると、
乱雑な部室で数人でずっとしゃべってたり、
やることないけどずーっとマンガ読んでたり、
気晴らしにときどきカラオケ行ったり、、
っていう、文化系サークルの、
「デカダンス(倦怠的)な時間の使い方」って、
魅力的に映ります。
「時間が無限にあるかのようなあの時期」って、
人生でもう二度と訪れないので、
部活で効率的に汗を流すよりも、
何か目標に向かって頑張るよりも、
タバコくさい部室で、
仲間とひたすら不毛な話しをし続ける、
というほうが、正しい過ごし方のような気がします。
▼▼▼ワンダーフォーゲル部
登山部とワンダーフォーゲル部の違いを、
私は正直よく知りませんが、
登山部はちょっとハード過ぎるイメージです。
死ぬ時あるし。
マジで。
ワンダーフォーゲル部ぐらいの感じで、
登山を楽しむみたいな大学時代の過ごし方も、
きっと良いもんだろうなぁと思います。
足腰が鍛えられて、
体力的な恩恵を大人になってもたらすでしょうし。
あと、この手の部活って、
「山に登ってないときは文化系」なので、
両方の良さがある感じも良いですね。
、、、という、部活の話しでした。
皆さんはどんな部活に魅力を感じるでしょうか。
こういうこと考えるのって、
楽しいですね。
それでは本編いってみましょう。
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今週の「オープニングトーク」
2019-11-18T13:29:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=425
本のカフェ・ラテ 『知性は死なない』【1】
第095号 2019年6月11日配信号
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんに...
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■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
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▼▼▼久々の「本のカフェ・ラテ」▼▼▼
久しぶりの「本のカフェ・ラテ」コーナーです。
一冊の本の私のEvernoteメモに、
私がコメントを連ねていくコーナー。
前回はチクセントミハイの、
『フロー体験 喜びの現象学』
を解説しました。
今回はインドにいる間に読んだ、
『知性は死なない 平成の鬱をこえて』を解説します。
動画でも絶賛したのですが、
いつかカフェラテ形式で紹介したいと思っていたので、
今回、やることにしました。
與那覇潤という人は、
私の弟と同じ学年で、
しかも同じ年に東京大学に入学してるので、
「弟の大学の同級生」なんですよね。
東大は学生数が多いので、
弟に聞いても「知らない」って言ってましたが、
私は彼の『中国化する日本』という本を、
数年前に読んで感銘を受けていました。
同世代に凄い人がいるんだなぁ、
という認識でした。
3月に札幌に行ったとき、
ブックオフに立ち寄り、
たまたま目に「飛び込んできた」のがこの本でした。
重要な本の背表紙が、「目に飛び込んでくる」
ということって、何年かに一度経験します。
「本読み」にとって至福の経験のひとつです。
そんで、ブックオフでぱらぱらとページをめくって驚いた。
彼は鬱病を患い、
休職の後、務めていた大学を退職し、
この本は復帰第一作だということを知ったのです。
それで、ブックオフで買ったというわけ。
そして、インドで「半日、人を待つ」という、
けっこう頻繁に訪れる待ち時間に、
一気に読んだのがこの本です。
與那覇さんは私と約1年遅れて、
だいたい私と同じ期間、闘病しています。
そして彼がその闘病の中で発見したものというのが、
私が闘病を通して発見したものと、
とてもよく似ていたのに驚きました。
それでは早速、
カフェラテ形式で解説していきます。
▼▼▼『知性は死なない 平成の鬱をこえて』
読了した日:2019年4月13日
読んだ方法:札幌のブックオフで購入(889円)
著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://amzn.to/2U6o988
▼▼▼とびらの言葉:パスカルのパンセから
→P6
〈人間は否応なしに狂っているので、
狂わずにいることが、
他の狂気の在り方からすれば狂っていることになる。
私は、人間をほめると決めた人たちも、
人間を非難すると決めた人たちも、
気を紛らすと決めた人たちも、みな等しく咎める。
私が認めることの出来るのは、
うめきながら探し求める人々だけだ。〉
、、、本の「とびら」に、
過去の作家のことばがアーカイブされているのって、
好きなんですよね。
あと、映画の冒頭で、
歴史上の人物の「名言」がテロップで出る、
というのも好きです。
あまりにもあざといと鼻につきますが、
その「冒頭の引用」が、
本を読み進め、映画を後半まで観ると、
「ああ、つまりあの言葉はこういう意味だったのか」
という「再定義」されるような構成になっていると、
なんとも言えないカタルシスを私は味わいます。
本書の冒頭にも、
かのパスカルの引用があります。
パスカルのパンセは以前読んだことがあります。
読むと分かるんですが、
あの本って、数学者のパスカルが、
他者をキリスト教徒にしようとして書いた、
「伝道のためのハンドブック」みたいなものなんですよね。
「人間は考える葦である」
というあまりにも有名なフレーズは、
この『パンセ』に出てきます。
2016年の私の読書メモに、
『パンセ』からこんな言葉が書き出されていました。
→P112
〈この世のむなしさを悟らない人は、
その人自身がまさにむなしいのだ。〉
冒頭の言葉とよく似た趣旨ですね。
〈私は、人間をほめると決めた人たちも、
人間を非難すると決めた人たちも、
気を紛らすと決めた人たちも、みな等しく咎める。
私が認めることの出来るのは、
うめきながら探し求める人々だけだ。〉
とパスカルは言っています。
楽観主義者=オプティミストも、
悲観論者=ペシミストも、
享楽主義者=ヒードゥニストも、
パスカルは認めない、と言っているのです。
この世の中を肯定するのも、
否定するのも、
肯定も否定もせず、
「とにかく楽しむ」のも、
全部現実から逃げてるだけだ、と。
パスカルが認めるのは、
「うめきながら探し求める人々」だけだと彼は言います。
本書を読むと分かりますが、
與那覇潤さんにとって鬱病になった体験というのは、
「うめきながら探し求める旅路」だったというのが分かります。
私にとっても、まったくもってそうでした。
100%同意します。
▼▼▼與那覇潤の「平成とは?」
→P8
〈それでは「平成時代」とは、
どんな時代として振り返られるのでしょうか。
ひとことでいえば、「戦後日本の長い黄昏」
ということになるのではないかと、私は思います。
この30年間に、戦後日本の個性とされたあらゆる特徴が、
限界を露呈し、あるいは批判にさらされ、
自明のものではなくなりました。
・海外への派兵を禁じているとされた、平和憲法の理想
・けっしてゆらぐことはないといわれた、自民党の単独一党支配
・つねに右肩上がりだと信じられてきた、経済成長
・いちど正社員になれば安泰だと思われた、日本型雇用慣行
・その地位は盤石のはずだった、「アジアの最先進国」という誇り
平成の幕引きを担おうとする安倍晋三首相は、
「戦後レジームからの脱却」が持論で、
憲法改正の発議を目標としています。
その成否や賛否は、しばらくおきましょう。
すくなくとも平成という時代が、
戦後日本に対する再検討と共にあり、
最後の総仕上げとしての改憲問題を積み残しつつ、
閉じられようとしていることについては、
多くの読者の同意を得られるものと思います。〉
、、、本書タイトルからも分かるように、
本書のユニークさは、
うつ病体験というきわめて個人的な出来事を補助線にして、
「平成とはなんだったのか?」という、
きわめて普遍的な社会的問題に取り組もうとしているところです。
與那覇さんは平成とは、
「戦後日本の長い黄昏」だったと分析します。
「戦後日本」という「神話」が、
制度疲労を起こしているのが顕在化したのが、
平成という時代だったのだ、
と彼は言っています。
終身雇用制、
右肩上がりの経済成長、
自民党の一極支配、
官民複合型の護送船団方式、
「平和憲法」の自明性、
アジアの最先進国、という地位
これらが自明でなくなったのが、
平成という時代でした。
最近私は衝撃の統計データを見ました。
デイヴィッド・アトキンソンの著作のなかに、
「最低賃金」の各国比較が載せられているのですが、
日本の最低賃金は今や台湾より下です。
「アジアの一等国」というのは、
90年代までの話しであり、
その感覚をいまだに引きずっているのは、
時代錯誤もはなはだしい。
日本はもはや、
よく言って「普通の国」、
悪くすれば「二流国に足を踏み入れている」
というのがデータが物語る現実です。
「世界が驚いた凄いニッポン」
などという番組やコンテンツや書籍で、
「文化的自慰行為」にふけるというのは、
二流国からなんとかして這い上がるための、
ガッツを与えてくれません。
逆に「自国中心主義に引きこもる三流国」に、
スベり落ちる現象ですので、
みなさん、注意が必要です。
ああいったものから遠ざかりましょう。
話しがそれました。
世間にはあらゆる分野において、
「90年代のまま時計が止まっている人」が多いのですが、
それは「平成の黄昏」を、
しっかりと咀嚼していない証拠です。
話しを先に進めましょう。
▼▼▼本書の性格・闘病体験ではなく、
自身の病気という内的危機を
日本の現状という外的危機と共鳴させようという試み
→P13〜14
〈平成の30年間に知識人が試みたのは、
戦後という「パンドラの箱」の封印を解くことでもありました。
たとえば憲法や軍事に関しては、
かつてよりもタブーが少なく議論できるようになり、
一般国民を先の大戦における軍国主義の
「犠牲者・被害者」と位置づけてきた昭和の自画像にも、
するどいメスが入れられました。
しかし、その開けてしまった箱の中に、
いまもまだ希望は残っているでしょか。
もういちど日本が「戦争」にまきこまれるというかたちで、
「戦後」が完全に終わりを告げるのなら、
平成という長い黄昏の果てに待っていたのは、
夜であり闇であったということになるのでしょうか。
この本は、そういう平成の時代に自我を形成し、
ごく短い期間だけ学者(大学准教授)として
現実にコミットしようとした私の、
挫折と自己反省の手記です。
私もまた、学問に基づき
自身の望むところを社会で実現したいと願っていましたが、
かたちにできたことは、なにもありません。
そして、その過程で躁鬱病(双極性障害)という精神の病を患い、
教育・研究という任務を担うことが出来なくなったために、
大学を離職することにもなりました。
しかしながら、本書は決して、
目下の世の中に対する恨みごとや、
病気に伴う苦労をつづった「お涙頂戴」の書物ではありません。
当初は知識人の好機ともみられていた、
世界秩序の転換点でもある平成という時代に、
どうして「知性」は社会を変えられず、
むしろないがしろにされ敗北していったのか。
精神病という、
まさに知性そのものを蝕む病気と付き合いながら、私なりに
その理由をかつての自分自身に対する批判も含めて探った記録が、
本書になります。〉
、、、本書の性格は、
「カテゴライズ不能」です。
著者も言っているように、
「よくある闘病記」とはまったく性質が違う。
かといって「社会批評」の本でもない。
うつ病という、
「自らの知性そのものがダメージを受ける病気」によって、
著者の「世界観」が変わる事を通して、
「この平成とは何だったのか?」
という問いに対する、
新しい切り口を発見していく、
著者の魂の旅路を、
一緒に疑似的に旅する、
というような体験が、
本書を読んだ私の感想になります。
▼▼▼病によってナラティブが変わり、
「知性は移ろうがそれでも知性は死なない」ことを体験した著者。
病によって「近代とは別の物語を語る」
「世界観を語る」ことを体得した私とよく似ている。
→P14〜15
〈知識人とされる人には往々にして
「世の中は移り変わるけれども、知性は変わらない」
という信仰があります。
知性を不動の価値基準として固定した上で、
目の前を移ろう諸現象の「問題点」や「限界」に筆誅を加える。
そうしたスタンスを取りがちなのです。
しかし知性の方こそが、
うつろいやすく限界付けられたものだとしたらどうか。
そのような観点に立たなければ、
日本のみならず世界的な、
知性の退潮を正しく分析できないのではないか。
いちどは知的能力そのものを完全に失い、
日常会話すら不自由になる体験をした私が、
そのような思考の転回を経験することで、
もういちどものごとを分析し語ることが出来るようになった。
その意味では本書もまた闘病記ではありますが、
それはけっして、読者の同情を惹くことが目的ではありません。
読んで下さる皆さんにお願いしたいのは、
本書を感情的に没入するための書物に、
してほしくないということ。
むしろ、ご自身がお持ちの知性を
「再起動」するためのきっかけにしてほしいと、
つよく願っています。
なぜなら、知性は移ろうかもしれないけれども、
病によってすら殺すことは出来ない。
知性は死なないのだから。〉
、、、東京大学を卒業し博士となり、
大学で教鞭をとり著作を執筆していた著者は、
あきらかに「知識人」です。
英語では「インテレクチュアル」といいます。
ところがこの「インテレクチュアル」は、
世界中で今、苦境に立たされています。
「彼らは人より物事を知っていて、
人よりも物事を深く考えているのだから、
きっと彼らの言うことには道理があるはずだ。
もし彼らの言うことが分からないとしたら、
こちらの基礎的な知識や理解力が不足しているだけだろう」
などと思ってくれる人は、
20世紀の後半から21世紀の初頭にかけて、
ビールの泡のように減っていき、
もはやそのように考える人はほとんどいません。
専門的な用語でこの現象を、
「反知性主義」と言います。
英語だとアンチ・インテレクチュアリズム。
そのままですね。
「知識などたいしたことはない。」
「大学の先生はバカばっかり」
「官僚は世の中を知らない」
「政治屋のいうことに騙されるな」
「御用学者に耳をふさげ」
「主要メディアは嘘ばかり」
こういった言説の方が今は人気があります。
まさに「反知性主義」という概念が、
人間のかたちに受肉したような存在である、
ドナルド・トランプが世界最強国のリーダーに選ばれた、
というのはまさしく象徴的なことです。
著者はそれでも、
「知性には世の中を変えていく可能性があるはず」
と、その可能性に賭けたのです。
しかし、著者自身の「知性」が、
病気によって蝕まれるという体験をしたことにより、
著者は違った風景を見るようになります。
「知性主義」の依って立つ前提は、
「知識(知性)は不変だ」
というものだ、とここで著者は言っています。
つまり、「天動説」なわけです。
「知性という地面」を堅く踏みしめていれば、
天の万象を正しく解釈し、説明できるはずだ、と。
ところがうつ病により、
「地が動く」経験をした。
「足下の地面が二つに裂け、
そこに呑み込まれるような経験」を、
著者はしたのです。
私も同じ体験をしたから、
リアルに思い出されます。
「自分の立っていた足下が崩壊する」というその経験は、
控えめに言っても怖ろしいものです。
この経験をした後は、
この世の中の他のすべてのことが、
たいして怖くなくなるほどです。
その結果著者は、
「地動説」になったわけです。
そうならざるを得ない。
自分の知性がぐらぐらと揺れるわけですから。
「あれ、俺の前提は逆だったんじゃないか?」
と認めざるを得ないわけです。
堅い足場から天の万象を説明していたのではない。
自分自身の知性という足場は揺らぐのだ。
動いているのは自分のほうだ、と分かった。
それが分かると、不思議なことに気づいた。
知性というのは、それでもまだ「死なない」のだということに。
身を投げてこそ浮かぶ瀬があるように、
私たちの知性は絶対ではないと知ったとき、
はじめて「知性」に希望を持てるようになったのです。
「反知性主義という怪物」に、
立ち向かっていけるのはこういう知性です。
「動かぬ土台」に立って、
ドナルド・トランプとその支持者を、
「高所から」批判しても世の中は変わりません。
足下が揺らぐ世界で、
自分自身が揺らぎながら、
トランプを支持せざるを得ないほど追い込まれた人々と、
一緒にうめきながら探し求める(byパスカル)と決めたとき、
知性はまた「再起動」するのです。
▼▼▼うつ病と世界観
→P26
〈うつ病を始めとする精神の病を患った人は、
どなたも自分自身の「世界観」が
打ち砕かれてしまう体験をされたと思います。
いままであたりまえに出来ていたことが、できない。
自分がずっと信じてきたものが、信じられない。〉
、、、うつ病の本質のひとつは、
この「世界観の崩壊」だと思います。
うつ病ってその「位相」によって、
レイヤーになっていると私は思います。
まず、生物学的な位相としては、
脳に器質的な変化が起きています。
セロトニンが関係しているらしい、
ということは分かってきていますが、
その全貌はまだ明らかになっていません。
ただし、間違いなく言えるのは、
うつ病は「気の持ちよう」で治るものではありません。
「気の持ちよう」でガンが消滅しないのと同じです。
なぜなら脳が器質的にダメージを受けているのは、
間違いない事実だからです。
次に、精神医学的な位相として、
うつ病は「意欲の低下」「希死念慮」、
「不安愁訴」「食欲の低下」などを引き起こします。
端的にいって24時間続く「絶望地獄」から出られなくなります。
真っ暗なコンタクトレンズを眼球に縫い付けたみたいな感じで、
何を見ても絶望しか感じなくなります。
最後に、実存的な位相として、
「世界観が崩壊」します。
「私にとって世界とはこういうものだ」
という安定が完全に崩壊するのです。
「世界は私が考えてきたものとは違う」
という、存在がバラバラになるような経験をします。
「自我」が散り散りになり、
この世の中にバラバラに漂うような、
主観的にはそのような状態になります。
このような人に、
「あなたはどう感じますか」
みたいな質問って実はナンセンスなのです。
「あなた」と言われても、
「破片となって散らばった自我の、
いったいどの部分が自分なのかも分からない」
というのが多分本人の主観ですから。
闘病中、「あなたは、、、ですか?」
という質問を投げかけられたときに、
私はパニックになり髪の毛をかきむしり、
テーブルの下に隠れて震えたくなるぐらい怖くなりました。
今思い出せば、「わたし」がなくなってるので、
その質問が「自我の崩壊」を、
改めて突きつけるものだったからでしょう。
▼▼▼どこまで自分は何も出来なくなるのだろうという恐怖心と、
どこまで社会の底が抜けるのだろうという不安の共鳴
→P27〜28
〈(自社さ連立政権のもとで
野党が自民党の憲法や安保に関する立場を受け入れていった
転回を思春期にみながら)違憲が合憲とか、
「なし」なものが「あり」とか、180度正反対じゃないか。
この調子でいったら、文字通り将来、
日本がどうなっていくかも「なんでもあり」じゃないのか。
現実に合わせて考え方を変えるのは、
そこまで悪くないのかもしれない。
だけど「ここまでは変わるけど、
これ以上は変わりません」として、
どこかにきちんと線を引かないと、
いつか困るんじゃないか
――特に政治的な生徒ではなかったと思いますが、
つづく高校時代の間、ずっとそんなことを考えていました。
いまにして思うと、
発病して以降に感じた
「どれだけ能力を失えば止まるのだろう」
「自分はどこまで、なにもできなくなっていくのだろう」
という恐怖心は、
この時の不安を濃縮して煮詰めたようなものでした。〉
、、、著者が高校生のころ、
それはつまり私が高校生のころ、ということですが、
自社さ連立政権のもと、
野党は自分たちが依拠していた平和憲法に対する確信を投げ出し、
自民党に寄り添うようになります。
昨日までAと言っていたものが、
今日はBとなる。
大人が「プリンシプル(原則)」を持っていない、
ということを子ども(や青少年)が知る、
というのはショックなことです。
それが、うつ病の、
「自分はどこまで何もできなくなっていくのだろう」
という不安と、とてもよく似ていた、
と與那覇さんは言っています。
古くは「墨塗りの教科書」というものがありました。
終戦までの日本では「愛国教育」が熱心になされていた。
「国民は天皇陛下の赤子だ!
鬼畜米英!
一億総玉砕!
お国のために戦え!」
ということが教育されていた。
森友学園で有名になった「教育勅語」の精神ですね。
敗戦後、GHQの占領下になり、
「主権」を一時的に失った日本では、
GHQの指導の下、
「民主的な教育」を推進した。
教科書を全部つくり直すお金もなかったので、
当時の学校で何がなされたかというと、
今使っている教科書の、
「国家主義的な部分」に墨を塗った。
これをされた子どもたちは、
控えめに言っても「衝撃」を受けたことでしょう。
たとえば昨日まで、
「教育勅語の精神」を、
竹刀を持ってたたき込んできた先生がいたとします。
「政府や陸軍に疑問を持つなんて言語道断」で、
ちょっとでもダラダラすると、
「この売国奴がぁ、非国民がぁ!」
と言っていた教師がいたとしましょう。
この先生から、
その舌の根も乾かぬうちに、
「みなさん、今日からは民主主義の時代であります。
国家主義の精神は間違っていました。
天皇陛下は現人神だと思ってましたが、
陛下もおっしゃっていた通り、
あれは人間であります(キリッ)。
アメリカなどの先進諸国を見ならい、
マッカーサー閣下の公正たる指導のもと、
自由と民主主義の精神で、
明るく生きていきましょう!」
とさわやかな笑顔で言われても、
「はい、先生!」
とは飲み込めないわけですよ。
いやいやいやいや、、、。
、、、
、、、
いやいやいやいや、、、
ってなるでしょ。
青少年にとって、
「大人がプリンシプルを欠く」
というのは「世界の底が抜ける」ような体験なのです。
「じゃあ、何を信じればいいの?」
という風になってくる。
墨塗の教科書を体験した世代の代表的な人物に、
三浦綾子さんと養老孟司さんがいます。
三浦綾子さんは「生徒に墨を塗らせた側」です。
彼女はたしかまだ20歳未満だったけれど、
敗戦のとき、「教師」だったのです。
GHQ→文部省というルートで下りてきた
「教科書に墨を塗る」という指示に、
従わざるを得ないわけですが、
まだ若かった三浦綾子さんはまさに、
「世界の底が抜ける」経験をしました。
その経験が彼女を後にキリスト教信仰に導きます。
「この世界の底が抜けた」とき、
「この世界を超えた真理」を求める心が、
彼女の中に生まれたのです。
「道ありき」に書いてあります。
養老孟司さんは当時たしか小学生でした。
あの出来事は80歳になっても忘れられない、
と養老さんは言っています。
あの経験によって彼は、
「徹底的にすべてを疑う」ようになった。
特に「ことば」を疑うようになった。
では何が信じられるか?
「もの」ならば信じられる。
それで彼は解剖学者になったのだ、
と著書に書いています。
大人がプリンシプルを欠くとき、
子どもは「世界の底が抜け」ます。
與那覇さんは自社さ連立政権のとき、
大人がプリンシプルを欠くのを見て、
衝撃を受けました。
その「世界の底の抜け方」と、
うつ病になったときに、
できていたことがひとつずつ出来なくなる、
という「世界の底の抜け方」が、
似ていることに気づいた、とここで指摘しています。
私の経験もまったくそれを裏付けるものです。
、、、さて。
昨今の森友・加計学園問題、
日大ラグビー部のタックル問題、
少し古いですが、
「都議会の『オマエが産め』という野次問題」
などに共通するのは、
「プリンシプルのなさ」です。
大人が、「言った」「言わない」
の水掛け論をしている。
確かに記録が残っているはずのことを、
悪びれることもなく大人が、
「言ったことがない」と言う。
あったはずの記録が「破棄」されている。
都議会の野次問題に関しては、
衝撃的な結末を迎えます。
確かに録音され、
国民全員が視聴可能なはずの、
「声の主」が、「確認されなかった」のです。
心霊現象でなければ、
誰かが言ったはずなのに、
「だれも言っていないことになった」のです。
まさに「世界の底が抜ける」出来事です。
この数年、「謝ったら負け」
「謝らないほうが得」という処世術を、
政治家が身に着けるようになってから、
この理不尽な風潮は続いている。
公正な社会を望む私は憤慨するわけですが、
もっと心配なのは、これを見て育つ子どもたちへの影響です。
彼らはこのような報道を見るときに、
「大人のプリンシプルのなさ」を、
「プリンシプル」という単語を知らなくても、
敏感に、しかも驚くほど正確にキャッチします。
彼らは「底の抜けた世界」で生きることになります。
それが彼らの「世界はフェアである」という前提を傷つけます。
「世界はフェアである」という前提は、
彼らが希望を持つための条件です。
養老さんや三浦綾子さんは例外的に優秀なので、
そのトラウマ体験をプラスに転じましたが、
普通の子どもたちが、
モリカケ問題のような報道に接しながら大人になったとき、
「正直であることの価値」
「真正面から努力することの意味」
「この世界に対する希望」を、
果たして持っていられるんだろうか、、、
という、数十年単位の不安を私は覚えるのです。
次に行きましょう。
▼▼▼気分の落ち込みは「能力の低下」の結果である。
脳にサランラップがまかれる、、、
→P58〜60
〈しかし私は病気を経験して、
意欲や気持ちの問題に特化したうつ病の語られ方には、
非常に大きな副作用があると感じるようになりました。
病気の内実を「気持ちの問題」に還元することは、
「結局は気の持ちようじゃないか。やる気次第じゃないか」
「だれだって、
朝からラッシュの電車に揺られて会社になんて行きたくない。
それでもみんな頑張ってるじゃないか」といった、
病者に対する周囲のネガティヴな感情を、
かえってあおる結果につながったと思うからです。
意欲の低下は病気の主症状と言うよりは、
結果だと感じています。
うつ病に伴って発生する能力の低下のことを、
医学的には精神運動障害(PMD, Psycho-Motor Disturbance)と呼びます。
具体的には、他人と会話している際に
反応するスピードが落ちたり(動作の緩慢化)、
じっと座っていられず
そわそわしておなじ話しを繰り返したり(集中力の喪失)、
健康時にはすらすら喋れた言葉が口から出てこなくなったり、
そもそも頭に浮かばなくなったりします(思考の鈍化)。
結果として回復した後ですら、
記憶に欠落が生じることもあります。
私自身、病気をする前には愛読書だったにもかかわらず、
内容を思い出せない本がいくつもありますし、
おなじ病気の知人にも、奥さんと一緒に旅行に行ったことすら、
完全に脳内から記憶が落ちてしまい、
思い出すことが出来ないと打ち明けてくれた方もいます。
(中略)
じっさい、そもそもこの検査入院の際には、
「いつから苦しんでいますか」
「いまどんな状態ですか」といった標準的な質問にも、
「あー、うー」のようなことばならざることばでしか、
答えられないようになっていました。
治療入院中に知り合った友人は、
この精神運動障害のさまを
「脳にサランラップをかけられたようだ」と表現しましたが、
おなじ体験をしたものとして、
ほんとうに卓抜な比喩だと思います。〉
、、、この本の面白いのは、
「お涙頂戴の闘病記ではない」と、
宣言しておきながら、
下手な闘病記よりも、
病気に対する知識や理解が深まるという、
その情報密度です。
これも著者がもともと持っている、
卓抜した言語操作能力のなせるわざなのでしょう。
自分を突き放し、客体的に、
「鬱になった自分」というものを分析し、
自己解剖し、そして言語化することに成功している。
こういう当事者のテキストは本当に少ないので、
それだけでも読む価値があります。
さて。
ここで著者が語っているのは、
世間における鬱の理解のされ方に、
「気分の落ち込み・意欲の低下」
といったステレオタイプの理解があり、
それらが弊害をもたらしているのではないか、
ということです。
そういった理解というのは、
「つまり気の持ちようなんだから、
甘えてるんじゃない。
みんな辛いのに頑張ってる。
オマエも頑張れるはずだ」
という、完全にスベった励ましをする人を生み出し、
そしてそういうスベった励ましというのは、
鬱の当事者からすると、
骨折した部分をさらに殴られるとか、
「腸捻転は思い切り踏ん張れば元に戻る」
みたいな処方箋に近く、
「当事者がいない場所で放言する」のはまぁ自由ですが、
医学的にはまったく役に立たないどころか、
患者を死に至らしめるほどに危険なわけです。
與那覇さんは、「意欲の低下」というのは、
鬱の「症状」ではなく「結果」なのでは?
と分析しています。
つまり、意欲が低下したから、
仕事だとかいろんなことができなくなるのではない。
まず、脳の器質的ダメージにより、
最初にいろんなことができなくなる。
話せなくなる。
思考できなくなる。
考えられなくなる。
記憶できなくなる。
身体が言うことをきかなくなる。
それが続いた結果、
「意志ややる気」が、
完全に折れてしまう。
そういったプロセスだと理解したほうが良いのでは?
と言っているわけです。
「脳にサランラップがまかれた状態」
といういうのは本当に秀逸な表現です。
私自身も鬱病闘病当時のことを思い出すと、
ゴーグルも酸素ボンベもつけず、
海の深いところで会話しているような、
そういう「感覚の鈍化」と共に回想するからです。
相手が話していることが、
遠く聞こえ、くぐもって聞こえます。
視界はつねにぼやけていてクリアに見えない。
記憶は混濁していて、
考えることも「強力な重力」によって、
「絶望や希死念慮」のほうに引っ張られます。
思考が羽ばたくことができない。
どうしてもできない。
身体が動かない。
思考が動かない。
感情が動かない。
心と頭と身体に、
重い重い鎖をつけて、
がんじがらめにされているような、
そんな状態が24時間続きます。
明らかに「気分の落ち込み」
という次元で語れるレベルではありません。
こういったことって、
経験した人にしか分からない感覚ですし、
経験しない方が絶対いいわけなので、
当事者とそれを取り巻く人の、
「意識の溝」はけっこう深いのです。
当事者は永遠に理解してもらえないし、
周囲の人は永遠に理解できない。
しかし、
與那覇さんのような言語能力を持つ人のことばによって、
その意識の溝が、ちょっとでも埋まる、
ということは起こりうるわけです。
うつ病になったことのない人が、
真摯に耳を傾け、
想像力を働かせ、
その辛さに思いをいたすことはできる。
そして、
「あぁ、きっと想像を絶するほど辛いんだろうなぁ。」
と思う。
それだけで、
当事者にとってどれだけ救いになるか。
「俺だって辛いのに頑張ってる。
オマエも頑張れるはずだ」
みたいな水深1ミリの励ましよりも、
「無言の共感(の試み)」が、
どれだけ励ましを与えるか。
與那覇さん自身のことばではないですが、
脳にサランラップがまかれた状態。
本当に秀逸なたとえです。
、、、さて。
まだ3分の1も消化できてないですが、
文字数制限になりました。
この続きは、再来週以降にお送りします。
お楽しみに!
]]>
本のカフェ・ラテ
2019-11-12T13:27:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=424
何が出来ないときストレスがたまる?
第095号 2019年6月11日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼何ができないときストレスがたまる?▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードから...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼何ができないときストレスがたまる?▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!
▼忙しい日々が続いて何かができないとき、
何ができないときに最もストレスがたまりますか?
(例:読書、ジョギング、風呂に入るなど)
、、、そうですねぇ。
例によって、
「フランス人話法」で行きましょう。
「3つあります」
と言ってから考え始める、、、という。
▼▼▼筋トレ
筋トレをはじめて1年2ヶ月が経ちます。
身体の変化も体感しています。
筋トレには、
他のスポーツにはない中毒性があるんですよね、多分。
ジョギングだとこうはならない、
と思います。
ずっと自分の身体と対話している感じがあって、
具体的には365日身体のどこかが筋肉痛なんですよね。
なので、筋肉痛がどこにもないとさみしくなる。
それで、たとえば胸のトレーニングをした次の日、
胸に筋肉痛が来ると、
「昨日は刺激がしっかり入った」
という目安になります。
この筋肉痛は3〜4日続き、
パンプ感は5日ぐらい続きます。
部位にもよるのですが。
これをたとえば、
週に3回の分割法でやっていった場合、
常にどこかが筋肉痛のステージにあるわけです。
かつて獣医師として働いていた頃、
「細菌培養」というのをやるのですが、
インキュベーターという機械に、
細菌の種を蒔いた培地を入れ、
48時間のタイマーをセットします。
するとコロニーができる。
そのコロニーを「定性」するために、
いろんな試験用に、
さらにいろんな培地に「刺したり蒔いたり」して、
さらにインキュベーターのタイマーをセットし、、、
というのを、たとえば1週間に、
2〜3サイクル、違う菌種でやったりします。
「常に何かを待っている状態」。
これが筋トレです。
、、、
、、、
うん。
まったく伝わってないね。
とにかく、筋トレは、
火のついたタバコで次のタバコに火を付ける
「チェーンスモーク」と同じで、
数珠つなぎに連なっていく。
それが「途切れる」のが、
なんとも気持ち悪いんですよね。
こういった感覚というのは、
他のスポーツでは味わったことがありません。
▼▼▼読書
次は読書ですね。
これは私の場合、
「活字中毒」というレベルを超えていて、
本を読むことは息を吸って吐くのと同じなので、
本を読まずにいることは不可能です。
歯を磨かないと気持ち悪いのと同じレベルで、
本を読まないと気持ち悪い。
歯を磨かなくても本を読まなくても、
とりあえず生きては行けるわけですが、
なんとも心地が悪くなる。
でも、なんだかんだ忙しかったりして、
一週間ぐらいそういえば本読んでない、
というようなことも、
数年に一度は訪れます。
それは筋トレとは違い、
特に不安を引き起こしません。
禁断症状もない。
逆に、7日ぶりに、
読んでいた本の続きを読むと、
なんか新しい視点を獲得していたりして、
読む力が上がったんじゃないかと錯覚することもある笑。
ただ、さみしくはなりますね。
私は極度に内向的な人間で、
私の「外向性」は実は、
「内的な対話」に振り分けられている。
最近はそう思います。
私はうつ病を患ってからは特に、
「基本的に、なるべく人と知り合わない」
をモットーに生きています。
なるべく人と会話したくない笑。
疲れるから。
私にとって初対面の人との30分の対話は、
読書ならば3冊分ぐらいの疲労をもたらします。
だったら3冊読んだ方が良いな、っていうね笑。
人生は短いのです。
あれもこれもできません。
、、、話しを戻しますと、
私は「外向性」がないのではなく、
外向性が内的対話に振り分けられている。
たとえば外交的な性格のひとが、
1週間に10人の人と濃密な関わりをし、
1冊の本を読了したとしましょう。
私は多分この人と逆なのです。
1週間に1人の人と濃密な交わりが限界で、
10冊の本を読了できる。
私はこのとき、
10人の著者と濃密な対話をずっとしているわけです。
外側からはそう見えないけど、
私の中では活発な会話が繰り広げられている。
私は「内的なパリピ」なのです。
自分のこういった性向は、
現在の世の中で不利に働くことの方が多いですが、
途中で諦めました。
生まれついたものを変える努力は、
時に自分を壊してしまうことを知ってから。
だから今はこの性向を喜び、
これをなんとか活かしていこう、
という方向で考えています。
メルマガ配信を始めたのも、
その「吹っ切れ」がもたらしました。
、、、というわけなので、
「本を読まないとさみしい」とはそういうことです。
「内的パリピ」にとって、
「本を読めないほど外交的な1週間」は、
「内面において孤独な1週間」なので。
▼▼▼料理
、、、最後は料理かなぁ。
結婚してから、ずいぶん回数は減りましたが、
やはり料理は私のストレス解消のひとつです。
「料理をする」という行為が、
なんか「生きることの凝縮」という気がします。
材料を切って、
段取りを決めて、
それらに火を入れて、
食べて、お皿を洗って、、、
という一連の行為は、
読書とは違うかたちで、
前頭葉の全体をひろく使っている感じがするんですよね。
「脳の凝りがほぐれる」感じがあります。
出来合いのモノを食べ続けていると、
「健康に悪い」とかそういうのは、
実はあまり私はこだわりがないんですよ。
オーガニックなフードを食べましょう、
みたいな健康思想は持ってません。
でも、「コンビニフードを食べ続ける」と、
なんか、「脳が死んでいく」感じがします。
人工甘味料や不飽和脂肪酸による、
脳のダメージとかそういうんじゃなく、
手を動かしていない事による、
前頭前野の鈍化、っていうような、、。
手(身体)を動かすことって、大切ですね。
エクササイズとか筋トレもそうですが、
「日常生活や仕事の中で身体を使う」というのが、
とっても大切だと思います。
頭脳労働をしている人にとっては、
仕事の中の身体性が限定されるので、
生活の中の身体性の重要度がより高くなる。
このあたり、気をつけねばと思います。
年取って、「毎日テレビの前で8時間」
とか、なりたくないですから。
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今週の「オープニングトーク」
2019-11-11T13:26:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=423
陣内が先週観た映画 2019年5月 『ヘレディタリー 継承』他
第094号 2019年6月4日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年5月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうという...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年5月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●風の外側
鑑賞した日:2019年5月1日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:奥田瑛二
主演:安藤サクラ
公開年・国:2007年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2PnQy90
▼140文字ブリーフィング:
ストーリーが散漫かつ強引で、
いまいち、乗れなかったですね。
奥田瑛二とその奥さんの安藤和津と、
娘の安藤サクラが出演していて、
奥田瑛二が監督しています。
「家族映画」ですね笑。
舞台の長崎の風景は良かったです。
(101文字)
●レディ・バード
鑑賞した日:2019年5月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:グレター・ガーウィグ
主演:アシーシャ・ローナン
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2V4eu7A
▼140文字ブリーフィング:
思いの外面白かったです。
アメリカの女子校生の話しなのですが、
「ピアプレッシャー」の感じとか、
「親に反抗することでしか自我を確立できないもどかしさ」とか、
「本当は『クラスの二軍』だが、
イケてるグループと背伸びいて付き合う痛々しさ」など、
日本人にもよく分かる普遍的な、
「十代ならではの生乾き感」が上手に描かれていて面白かった。
主人公は「何もないサクラメント」を嫌い、
「何でもあるニューヨーク」に憧れます。
「所帯じみた母親」が嫌いで、
「何にでもなれる自分の無限の可能性」を信じます。
紙を赤く染め、親がつけた名前を嫌い、
自分のことを「レディ・バード」と呼んで、
と周囲に要求するイタさ加減。
日本だと、「自分は椎名林檎だ」と信じて疑わない、
凡庸な才能の女子校生や女子大生みたいな感じでしょうか。
ゴスロリとか着ちゃって、
下北沢とかに住んじゃう感じの。
周囲はしかし、
「化けの皮の下の凡庸さ」に気づいている。
周囲が気づいていることに、
自分だけが気づいていない。
そういう「痛々しさ」を主人公は持っています。
彼女はワガママを押し通しニューヨークに行くのですが、
そこで知るのはサクラメントの美しさと、
母親の偉大さでした、、、。
という、けっこう古典的な、
「母と娘の胸が熱くなる話し」に着地します。
だれが言ったか忘れましたが笑、
この映画のなかに登場する、
「お金は人生の成績表じゃない」というセリフは、
心に残っています。
(589文字)
●しゃぼん玉
鑑賞した日:2019年5月3日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:東伸児(あずま・しんじ)
主演:林遣都(はやし・けんと)、市原悦子
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2DE8qrn
▼140文字ブリーフィング:
今は亡き市原悦子の「遺作」となった映画です。
市原悦子の演技も凄いですが、
主役の林遣都が良かった。
「すごい俳優が出てきたな」と思いました。
ストーリーは、正直、私はいまいち乗れませんでした。
「教育テレビ的な良い話し」に落とすのですが、
いや、そんないい話じゃねぇよ、っというね。
「きれいごと」感がどうしても拭いきれない。
あとこの映画、
ずっとご飯がおいしそうな映画なんですよね。
映画の「フード理論」っていうのを言ってる人がいて、
映画のなかで「ご飯をおいしそうに食べる人」が出てきたら、
その人は善良な人だという「記号」なのだそうです。
あと、宮崎の風景が非常にきれいな映画でもあります。
(287文字)
●ナイト・アンド・デイ
鑑賞した日:2019年5月6日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ジェームズ・マンゴールド
主演:トム・クルーズ、キャメロン・ディアス
公開年・国:2010年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2IP8sB6
▼140文字ブリーフィング:
公開当時評判の良い映画だったと記憶していたので見ました。
たしかに「ハリウッド的傑作」かもしれないが、
私はまったく面白くなかったです笑。
「陣内の映画評がいつも不満」なひとは、
絶対に面白いと思うだろう作品です笑。
(104文字)
●君の膵臓をたべたい
鑑賞した日:2019年5月7日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:月川翔
主演:浜辺美波、北村匠海
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2V8WkRW
▼140文字ブリーフィング:
実は原作小説をKindleで買ってて、
インドにいるときに読了しました。
近くレビューします。
で、その映画化ですが、
Amazonの評価が異常に高いので興味を持って見ました。
自分の感覚を疑いたくなるぐらい、
私はまったく面白くなかったです(爆死)。
こういう「世間と自分の評価が逆」が続くと、
自分の方がおかしいのでは?
と思えてきます。
実際おかしいのでしょう笑。
でも、もう一度言いますが、
まったく面白くなかったです(即死)。
小説のほうがまだ良かった。
大事な「泣けるしかけ」みたいなのが、
小説にはあります。
(私は泣きませんでしたが)。
それが映画では大胆にカットされていて、
「そここそが小説のキモだろうがぁ!」
と、1ミリぐらい怒りました。
そもそも思い入れがないので、
怒りも小さいのだけど笑。
エンディングで流れる、
ミスチルの「himawari」だけは良いです。
映画のテーマと合っていて。
邦画のテーマ曲は今後、
全部ミスチルで良いんじゃないでしょうか(暴論)。
(417文字)
●ヘレディタリー
鑑賞した日:2019年5月8日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)
監督:アリ・アリスター
主演:トニー・コレット
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2Y0AQ6Z
▼140文字ブリーフィング:
私の私淑する映画評論家・ラッパーの宇多丸氏が、
2018年映画ランキングで、
この映画を1位にしていたので、
「そりゃ見るっしょ」ということで、
休日に観賞しました。
「ホラー映画の新たな金字塔が出来た」
と宇多丸氏は評価していましたがその評価は正統です。
度肝を抜かれましたね。
見終わった後に最悪な気分になります(褒め言葉)。
どことなくM・ナイト・シャマランの作品のような不条理性が漂います。
過去のホラー映画でやられてきた技法を備えつつ、
自分のものとして昇華し、それを一歩前に進めている感じ。
この映画の主人公(ヤバい娘を持つ母親)は、
ジオラマを作って売ることを職業にしています。
「ジオラマ作家」なのですが、
彼女はそれをすることによって、
「自分を癒そうとしている」ことが、
だんだんと分かってきます。
それは彼女の死んだ母の異常性と関係しているのですが、
まさにこれが「箱庭セラピー」です。
「ホラー映画」というのは、
「現実世界の比喩」です。
ホラー映画に登場する「この世ならぬもの」は、
この世の苦痛やスティグマや不条理やトラウマを、
比喩として具現化したものなのです。
ゾンビ映画のゾンビもそうです。
これは映画のシナリオを学んだ人なら、
常識的に知っていることだと、
町山智宏さんが言ってました(受け売り)。
、、、で、
実はこの映画自体が、
監督自身のセラピーでもある、
と監督が告白しているそうです。
具体的な内容までは言明していませんが、
アリスター監督は「自分の家族にまつわるある『トラウマ』」を、
この映画を撮影することで「昇華」させようとしたわけです。
この映画自体が「箱庭セラピーの箱庭」になっている。
そういう入れ子構造になっている作品です。
あんまり面白いんで2回見ました。
めちゃくちゃ良く出来た脚本です。
すべてのシーンに意味があり、
張り巡らされたすべての伏線が回収され、
最後は最低で最高のカタルシスを迎える。
素晴らしい映画でした。
まぁ、アマゾンレビューは低いんですけど笑。
やはり私は世間とソリが合わないみたいです。
(842文字)
●未来を花束にして
鑑賞した日:2019年5月13日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:サラ・ガヴロン
主演:キャリー・マリガン
公開年・国:2017年(イギリス)
リンク:
https://bre.is/_6RTqL4Xh
▼140文字ブリーフィング:
イギリスにおける、
女性の投票権獲得運動に身を投じた女性たちの話しです。
現代世界で女性に参政権がない社会といういうのは、
「まったくもって常軌を逸した社会」ですが、
比較的早かったイギリスにおいてすら、
女性参政権が認められたのは、
案外最近のことで、1918年です。
日本はちなみに1945年になってからです。
当時の(言うまでもなく全員が男性の)議会は、
女性の参政権や養育権に関する法律を握りつぶそうとします。
それに対して女性参政権を認めさせるための女性活動家たちは、
ロンドンの街で窓ガラスを割ったり、
(法律で禁止されていた!)集会・結社を作ったりして、
議会に対抗します。
(憲法に「集会・結社の自由」が書かれていることの重要性!)
映画を観れば分かりますが、
彼女らは今の定義で言うと「テロリスト」なんですよね。
現代世界では、
「テロを絶対悪」とする風潮がありますが、
実はそれって、
「ステイタス・クオ(現状の既得権)」を、
絶対肯定することであり、
「社会発展の可能性を紡ぐ閉塞」
を意味するこなのですが、
それに人々が気づいてすらいないことが問題です。
私はテロを肯定しません。
しかし、「テロ」というかたちでしか、
変わってこなかった世の中の現実があるのも事実です。
女性参政権もしかり、
黒人の権利もしかり、
インドの独立運動もしかり。
実は、みんな忘れてますが、
江戸幕府を倒した薩長の明治政府も、
あれって「無血クーデター」であり、
広義にはテロリズムですから。
松下村塾なんて、
テロリスト養成学校みたいなもんですから笑。
だから吉田松陰は獄中で処刑されたんでしょ。
彼の処刑は「老中殺害計画」がバレたことが理由ですから。
、、、その薩長政府の系譜に連なる現在の自民党が、
「テロを絶対に封じ込める」
と言っているのは、
「自らの出自を知っているがゆえの同族嫌悪」
と考えるのは穿ち過ぎでしょうか?
「泥棒の家の施錠が一番厳重だ」みたいな話しで。
何が言いたいかというと、
テロを擁護するとかそういう話しではなく、
「テロは絶対悪」みたいなかたちで、
公権力の監視機能を強めていく方に、
国民が諸手を挙げて賛成し、
それにだれひとり違和感を覚えていないとしたら、
それは「ヤバい」んじゃないの?
ということです。
この映画、面白かった。
最後のエンドロールは特にズルい。
胸が熱くなっちゃいます。
(887文字)
●シリアスマン
鑑賞した日:2019年5月18日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(199円)
監督:コーエン兄弟
主演:マイケル・スタールバーグ
公開年・国:2009年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/ggvAFuvGW
▼140文字ブリーフィング:
『ファーゴ』『ノー・カントリー』などで知られる、
コーエン兄弟の作品です。
コーエン兄弟ってユダヤ人なんですよね。
この作品はコーエン兄弟の自伝的作品だそうです。
だから、アメリカに存在するユダヤ人コミュニティのことが、
この映画を観ると分かります。
ヘブライ語の学校の通ったり、
近所もユダヤ人なので、ユダヤ人の会堂で、
13歳の「ユダヤの成人式」には、
近所中のひとが集まったり、、、。
この映画は「あるユダヤコミュニティに住むお父さん」が主人公です。
お父さんは大学教授で、「真面目な人」です。
この「真面目な人」が、次々と不幸に遭う、という筋書き。
妻が不倫していて「離婚してくれ」と言います。
娘には無視され毛嫌いされます。
息子は父のクレジットカードで、
父に無断でロックバンドのCDを買っています。
隣の家に住む保守派のプロテスタント信者は、
猟銃で彼を殺すのではないかと言うぐらい、
(さしたる理由もなく)彼のことを憎んでいます。
学生から「採点が不公平だ」と訴訟されます。
テニュア(終身在籍権)の審査は、
この訴訟によって危うくなります。
この映画は、
「ただただ正しい人が、
ただただ苦しむ話し」です。
何か聞き覚えがありますね?
そうです。
『ヨブ記』がこの映画のテーマなのです。
コーエン兄弟は「現代のヨブ記」として、
この映画を作っています。
「お父さん=現代のヨブ」は、
高名なユダヤ教のラビに、
「なぜ私はこんなに苦しんでいるのか?」
を聞きに行きます。
ラビは3人出てきます。
そうです。
ヨブの3人の友人です。
このお父さんが大学で教えているのは、
「量子論」だというのがまた面白い。
彼は授業で「不確定性原理」とか、
「シュレーティンガーの猫」を教えています。
(ユダヤ人の!)アインシュタインは、
量子物理学者のニールス・ボーアを批判し、
「神はサイコロを振らない」と言いました。
論理整合的な世界を固く信じていたアインシュタインには、
「確率が支配する世界観」は受け入れがたかったのです。
しかし歴史は(このトピックに関しては)、
ボーアに軍配を上げました。
因果応報が成り立たず、「意味」が崩壊し、
その後ろの世界で何が起きているのかを誰も説明できない
「量子論的な世界」に私たちは生きています。
可愛そうなこのお父さんは高名なラビの元に行きますが、
ラビがお父さんにする「お話」は、
まったくもってナンセンスで、
意味をなしていません。
「いったいこの話しのどこに、
何の教訓があるんだろう?」
と思うような例話をラビはお父さんに繰り返し聞かせます。
オチもなければ要点も分からない、
ただただ不可思議な話しをラビはお父さんに語ります。
「それで?」と当然彼はラビに聞きますが。
「これでこの話しは終わりだ」とラビは言うだけ。
そこから引き出せる教訓などありそうにない。
唯一メタメッセージがあるとしたら、
「世界に意味なんてない」という
ニヒリスティックな結論だけです。
「不合理なこの世界」で、
「ヨブ」となった主人公はいかに生きるべきか、
という問いがこの作品の主題です。
つまりこの可愛そうなお父さんは、
不条理な現代を生きる私たち一人ひとりのことでもあるのです。
お父さん(ヨブ)が会いに行く3人のラビを軸に、
物語が進んで行きますが、
最後のラビ「マーシャク師」が口にするのは、
1967年のヒット曲"Somebody to Love"(邦題『あなただけを』)の歌詞です。
そのメッセージは、要約すればこんな意味です。
「真実が偽りとわかり、
すべての喜びが消えたときであっても、
心を尽くして人を愛しなさい」。
また、この映画、ベースは悲劇なのですが、
どことなくコミカルで、
ところどころにユーモアがちりばめられています。
量子論的に不条理なこの世界で生き抜くための、
コーエン兄弟が導き出した暫定的な答えは、
「愛すること」と「ユーモア」なのです。
そうです。
ここでまた戻ってきます。
そういえば、ユダヤ人たちは過酷なその歴史のなかで、
「愛とユーモア」によって生き残ってきた民族でしたね。
(1,509文字)
●トゥルー・グリット
鑑賞した日:2019年5月20日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:コーエン兄弟
主演:ジェフ・ブリッジス、ジョシュ・ブローリン、マット・デイモン
公開年・国:2010年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/bqqnwwmDP
▼140文字ブリーフィング:
こちらもコーエン兄弟。
コーエン兄弟は最近のマイブームです。
重厚な西部劇で、面白かったです。
なんといっても、馬が美しい映画ですね。
タランティーノ監督の、
「ヘイトフル・エイト」にも、
ちょっと似た雰囲気があります。
(104文字)
●はじまりへの旅
鑑賞した日:2019年5月18日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:マット・ロス
主演:ヴィゴ・モーテンセン
公開年・国:2016年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/w5n-9emm6
▼140文字ブリーフィング:
原題は「Captain Fantastic」
邦題と似ても似つかぬタイトルですね。
「哲人王」として育てられた子どもたちと、
その父親のロードムービーです。
哲人王とはプラトンの概念なのですが、
その意味はこの映画を観ると分かります。
お父さんは元大学教授の、
ゴリゴリの無神論者で、
ハイパー知識人です。
6人(だったかな?)の子どもたちはみんな、
未就学年齢からプラトンの『国家』とか、
ニーチェの『ツァラトゥストラ』とか、
ヘーゲルとかカントとか読んでて、
アイビーリーグの学生よりも賢い知性を持ちます。
お父さんは言ってみたら、
「北の国から」の黒板五郎の最終進化形みたいな感じなので、
恐るべき知性だけでなく子どもたちは全員最低5カ国語を操り、
アスリート並みの肉体を持ち、
あらゆるサバイバル技術に長けています。
その家族が「お父さんと別居していた妻」の遺言に従って、
「お母さんを火葬に付すための旅」に旅立つという話し。
うつ病だったお母さんもまた、
お父さんと同じ「哲人王的な思想」を持ってるので、
火葬にして川に灰をまいてほしい、という遺言を残すのですが、
保守的なキリスト教家族のお母さんの親たち(祖父母)は、
絶対に土葬だし、絶対にキリスト教式で葬儀をする!
と言って両者は対立する、、、という話し。
お話も面白いですし、
音楽や映像や、
何と言っても自然の描写が素晴らしいです。
ただ、「一点だけこの家族にどうしても共感できない」
部分があるんですよね。
映画や小説を楽しむ上で、
必ずしも登場人物に共感する必要はありません。
よくレビューで「共感出来なかった」
といって低い点数を付ける人がいますが、
それはバカの所行というものです。
私がここで「共感できない」といったのは、
もうちょっと説明が必要で、
主人公たちは「最高に知性的」という設定になっていて、
その知性ゆえにアメリカのバカさ加減を見下すわけです。
そこまでは良い。
しかし、ある一線を超えるところで、
「もうそれって知性じゃないんじゃないの?」
ということになる。
ソクラテスやプラトンをあなたたちは崇拝しており、
アメリカ的キリスト教根本主義をバカにしている。
それは良い。
でも、あなたたちのその行動は、
ソクラテスやプラトンからすると、
「知性の真逆」なんじゃないの?
というツッコミが拭いきれないシーンがあるわけです。
監督は衒学的に様々な知性を、
主人公たちの口を通して観客に見せつけるが、
監督の「知性とは何か??」の定義に、
私はまったく同意できない。
そういう意味の「メタ的な共感できなさ」が、
この映画にはありました。
平たく言うと、監督は彼らを、
とんでもなく賢いものとして描きたいはずなのに、
その一点によって、
「こいつらさほど賢くないな」と思っちゃうわけです。
そこが一番大事なのに、、、、。
アキレス腱が弱いというか、詰めが甘いというか、、、。
もったいない映画でした。
テーマとか音楽とか映像とか、
その他の部分が凄く良かったので、
余計残念でした。
(750文字)
●22年目の告白 私が殺人犯です
鑑賞した日:2019年5月20日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:入江悠
主演:藤原竜也、伊藤英明
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://bre.is/ZFe2bOe9k
▼140文字ブリーフィング:
演出が過剰かつ矛盾に満ちていて楽しめなかったです。
味付けが濃すぎるんですよねぇ。
最後の「銃を向ける」シーンは失笑ものです。
あんな行動はあり得ないです。
ガスのにおいに気づいている場所に、
警察官が飛び込むとかもあり得ないし。
それで「ドカン」とか。
警察はそんなにバカじゃないでしょ。
登場人物がいちいちバカすぎる。
邦画の悪いところが出た作品。
例によってAmazonレビューでの評価は高いです。
私の評価がいつも気にくわないという方は(以下省略)。
(160文字)
●ミスター・ガラス
鑑賞した日:2019年5月10日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)
監督:M・ナイト・シャマラン
主演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、ジェームズ・マカヴォイ、アニャ・テイラー=ジョイ
公開年・国:2019年(米国)
リンク:
https://bre.is/Y-USImXdA
▼140文字ブリーフィング:
私はシャマラン監督の不条理感が好きな、
「シャマラニスト」ですので、
アンブレイカブル、スプリットの続編にして完結編である、
本作は見ないわけには行かないでしょう、
というこで休日に観賞。
面白かったです。
「人間を超えたものたち」を隠蔽しようとする組織と、
「すべてを解き放とうとする人々」の物語です。
その動力源は「虐待などのトラウマだ」というのも凄い。
「コインロッカー・ベイビーズ」という村上龍の作品があります。
コインロッカーに捨てられた2人の赤ん坊が、
世界を転覆する、という話しなのですが、
ちょっとそれに構図としては似ている。
あと、マーベルヒーローズの、
「エピソードゼロ」としても鑑賞可能。
そのポップ性みたいなものは、
真逆に振れているわけですが。
シャマランはサブカルの神になれる、
と思いました。
(343文字)
●ギフテッド
鑑賞した日:2019年5月25日
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(セールで100円)
監督:マーク・ウェブ
主演:クリス・エヴァンス
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/_y16TyciIa
▼140文字ブリーフィング:
自殺した天才数学者の母を持つ天才の女の子と、
その子を「普通に育てたい」と願う叔父(母の弟)の物語です。
母と叔父の母(女の子の祖母)が、
実は「毒親」だというストーリー展開になっていくあたりから、
かなり引き込まれます。
かなり面白かった低予算映画、
『500日のサマー』の監督だそうです。
子役の演技がすさまじく上手いのと、
「毒親」という日本にも多く見る現象を、
テーマとして選んでいるという意味で、
日本人が見ても、かなり「刺さる」のではないでしょうか。
(222文字)
●トランセンデンス
鑑賞した日:2019年5月23日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ウォーリー・フィスター
主演:ジョニー・デップ
公開年・国:2014年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/2OfJg1lQr
▼140文字ブリーフィング:
脳のシナプスを全部、
コンピューターに投射することで究極のAIを作る、
という『SFとしてはありふれた』話しです。
でも、結構楽しめました。
主人公の科学者は死後もインターネットの中で生き続け、
世界を変革していきます。
水滴の中に量子コンピュータがあるので、
それが世界を究極の「モノのインターネットIOT」
にしていくというは発想として面白かった。
タイトルの「トランセンデンス」は、
人工知能の世界でいう、
「シンギュラリティ」の意味です。
(212文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
「ヘレディタリー」
コメント:
完全に圧倒されました。
多分だれも見ないでしょうけど笑。
ホラー、みんな好きじゃないよね笑。
ホラーを喜々として語れる人と、
心ゆくまで話し合いたい、
と思える作品でした。
なんせ、2回見ましたからね笑。
▼主演(助演)男優賞
対象者なし
▼主演(助演)女優賞
アシーシャ・ローナン(レディ・バード)
コメント:
クラスの「一軍」ではないのに、
一軍と付き合おうとする痛々しさ。
十代の「自我の首が据わってない感じ」
など、演技として非常に難しい「危うさ」バランスを、
絶妙なさじ加減で演じていました。
ほとんど他で見たことない女優さんですが、
脳裏に焼き付きました。
▼その他部門賞「不条理賞」
「シリアスマン」
コメント:
シャマランのミスター・ガラスも不条理ですが、
シリアスマンの不条理さにはかないません。
生活の「そこはかとない一貫性のなさ」
みたいなものが、現代という時代の、
残酷なまでに解釈を拒む感じを伝えていて良かった。
主人公の大学教授の授業のなかで、
「ハイゼンベルクの不確定性原理」とか、
「シュレーティンガーの猫」が出てきますが、
現代のヨブとしての主人公自身が、
量子の確立に生命を委ねる以外ない、
可愛そうなシュレーティンガーの猫に見えてきます。
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陣内が先月観た映画
2019-11-05T13:25:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=422
尊敬する外国人
第094号 2019年6月4日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼尊敬する外国人▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今日も質問カードからやっていきましょう。
...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼尊敬する外国人▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今日も質問カードからやっていきましょう。
▼質問:
アメリカ人以外の外国人で、
尊敬する有名人、好きな有名人はいますか?
、、、これって簡単そうで、
案外答えるのが難しい質問なんですよね。
読書習慣があったり、
英語のメディアに接している人を除くと、
私たち日本人が日々接する情報環境というのは、
「日本に関する情報」=8割〜9割、
「海外に関する情報」=1〜2割です。
テレビ・雑誌・ラジオ・新聞といった、
メジャーな報道機関の内容の割合がこうなってるからです。
で、「全体の2割の海外に関する情報」のうち、
6割がアメリカに関するもの、
3割が韓国・中国に関するもの、
残りの1割が「その他の国々」に関するものです。
つまり接する情報の2割×1割、
つまり全体の2%しか、
私たちは「中国韓国アメリカ以外の外国」について、
見聞きすることがないわけです。
現に、インドの首相の名前を言える人って、
人口の何割いるのでしょう?
たぶん半数以下と私は予測します。
まもなく世界一の人口になる国のリーダーですよ。
国際的にかなり重要な基本的なニュースですら、
アメリカ以外の国のこととなると、
「それが起きたことすら知らない」
ということが日本人は多い。
日本人が悪いのではありません。
「日本語圏」という言説空間のサイズが、
「絶妙に小さくて大きい」ので、
その中だけで情勢を把握できてしまうことが原因です。
もうちょっと小さな国だと、
「まともな言説を読もうとしたら、
英語の報道を読む以外ない」ので、
そうするとわりと満遍なく世界のことを把握できるのです。
、、、話しを戻しましょう。
一応この質問では、
「歴史上の人物」はなしにしましょう。
ガンジーとかマザー・テレサとか、
アッシジの聖フランシスとかは、
それぞれインド人、アルマニア人、イタリア人ですが、
歴史上の人物なので「なし」としましょう。
そうするとさらに絞られてくる。
うーん。
思い浮かばん(自爆)。
でも、例のフランス人話法で、
「3人いる」というところから話し始めましょう。
3人います笑。
▼ホセ・ムヒカ(ウルグアイ人)
「世界一貧しい大統領」として、
日本でもけっこう有名な人です。
池上彰さんとの対談本を読んで、
とても好きになりました。
メルマガのレビューで紹介したかどうかは忘れましたが、
ポッドキャストでビブリオバトルを放送する予定です。
、、、あ、そうだ。
このポッドキャストの回ですが、
私のミスでもとの動画を削除したため、
ポッドキャストのみの限定放送になります。
アップロードしておきます。
リンクはこちら。
▼【ポッドキャスト限定放送】ひとりビブリオバトル
『池上彰とホセ・ムヒカが語り合った
ほんとうのしあわせって何ですか?』
https://anchor.fm/shun-jinnai/episodes/ep-e46rqr
▼M・ナイト・シャマラン(インド人)
インド人の映画監督です。
『シックス・センス』を撮った監督、
と言えば分かるでしょうか。
その後彼は、
『アンブレイカブル』
『スプリット』
『ミスター・ガラス』という、
3部作を撮るのですが、
私は全部見ています。
間に撮られた『ヴィジット』も見ました。
シャマランの映画って、
本当に独特な「文法」があって、
中毒性があります。
独特の世界に連れて行かれる感じがある。
日常の中に「ホラーともコメディともつかぬ恐怖」が、
何の予兆もなしに紛れ込む感じとか、
ちょっと他にはない感じです。
アメリカ人からはああいうのは出てこないと思う。
同じ外国人映画監督では、
韓国の映画監督のナ・ホンジンも好きです。
彼は神学校にも行っている人で、
「映画で神学する」ということをしています。
アジア版のマーティン・スコセッシですね。
彼の撮るものも私は毎回楽しみにしています。
▼ユルゲン・モルトマン(ドイツ人)
最後は神学者です。
彼はまだ存命ですが、
死んで時間が経つと、
カール・バルトや、
ディートリッヒ・ボンヘッファーとならび、
20世紀最大の神学者だった、
という評価が固まるはずです。
2年前に読んだ、
『希望の倫理』という著作に度肝を抜かれました。
私が考える「これは新しい」というようなことは、
既に全部彼が考えていたことを知りました。
あらゆる私が重要だと考える神学的な概念を、
彼はことごとく言語化し体系化している。
まさに「知の巨人」です。
「自分がオリジナルだ」
と思っている人って、
99.9%までが知識が少ないから、
既にそんなこと考えてる人がいることを知らないだけなのですが、
私はモルトマンの著作でそれを思い知らされました。
特に「ガイア思想の神学」とか、
自然環境に関すること、
「非西洋的な痛む神」などの概念を、
モルトマンは考え尽くしています。
私のような凡人にできるのは、
彼が考えたことを「上からなぞる」ぐらいのものです。
]]>
今週の「オープニングトーク」
2019-11-04T13:24:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=421
陣内が先週読んだ本 2019年5月9〜25日 『命のビザを繋いだ男』他
第93号 2019年5月28日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年5月9日〜25日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
という...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年5月9日〜25日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●クォンタム・ファミリーズ
読了した日:2019年5月10日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:東浩紀
出版年:2009年
出版社:河出書房
リンク:
https://bre.is/ys01hHfex
▼140文字ブリーフィング:
作家・思想家の東浩紀さんが、
2009年に書いたSF小説です。
彼の生き方に私はとても惹かれています。
「キリスト教界の○○」みたいな言い方ってあります。
この言い方を私はあんまり好きじゃないんですが笑、
敢えてこのカテゴライズに従いますと、
私の場合、目指しているのは、
「キリスト教会の東浩紀」
「キリスト教会の佐藤優」
このあたりだと思います。
東浩紀も佐藤優も、
読書層にしか知られていない、
世間的には「マイナーな有名人」ですから、
キリスト教=社会のなかでマイナー、
東浩紀=有名人としてマイナー、
という、「マイナー×マイナー」の掛け算なので、
私の活動はその天性からしてマイナーなのです笑。
佐藤優氏のことは今日は置いておくとして、
東浩紀はしかし、
凄い人だと私は思っていて、
個人的に「私淑」しています。
勝手に尊敬し、勝手にロールモデルのように考えている、
という意味です。
彼は東京大学大学院生時代に、
「動物化するポストモダン」という本を書き、
それが論壇に受け入れられ評価され、
「批評家・文筆家」としてのキャリアをスタートします。
その後大学で教えたり、論壇で活躍したり、、、
という時期を過ごした後、
「たこつぼ社会的な論壇・哲学会」という状況に、
可能性を感じられなくなります。
彼は大学の仕事や、哲学「業界」、
論壇「業界」との関係から足を洗い、
「起業」します。
彼は中小企業の社長になったのです。
それが「株式会社ゲンロン」という、
五反田に本社を構える会社で、
この活動をかれこれ10年近くしています。
「ゲンロン」の活動は、
「ゲンロンカフェ」という有料の討論会の主催、
本の出版、定期購読雑誌の刊行、
ゲンロンカフェの動画の有料配信、
各地でのゲンロン関係のイベント、
アートワークショップ、
チェルノブイリや福島へのツアーなど、
多岐にわたります。
なぜ彼についてこんなに詳しいのか?
端的に言って、私は彼の「ファン」なのです。
なんていうのかな。
彼は
「アリストテレスであることをやめて、
ソクラテスになることを選んだ人」
という風に私には見えるからです。
「トマス・アクィナスであることをやめて、
パウロであることを選んだ人」
といっても良い。
あ、日本だとあれだ。
「親鸞」ですよ。
つまり、「象牙の塔」としての哲学会とか、
論壇を背にして、
「在野の思想家・哲学者」として、
民衆と共に苦しむことを選んだ人なのです。
そういう実践にしかこの世の中を変えられない、
という直観に従って。
そして、その直観はおそらく正しい。
「哲学会」「神学界」「キリスト教界」、
「何かしらの学会」「職能集団」、
こういったシェルターに引きこもると、
その人の思考は「たこつぼ化」します。
たこつぼ化とは思想家の丸山眞男が広めた概念で、
「その業界のローカルルールに引きこもる現象」を言います。
私はかれこれ10年ほどこのことについて考えてきました。
最近気づいたことが二つぐらいあります。
これを「日本社会の現象」と考えると見誤るということ。
英語で、「サイロ・エフェクト」という言葉があり、
たこつぼ化とほぼ同じ現象を指します。
そういった言葉が英語圏にもあるということは、
おそらく世界に普遍的な現象です。
もうひとつは、「たこつぼ化」の「ありか」です。
「たこつぼ」や「サイロ」はどこに存在するのか?
それは社会や集団の中にではなく、
「脳内」にある、というのが、
私の最近の思考的アップデートです。
つまり、その社会のなかに、
「見えない空気」のようなものが働き、
それが集団をたこつぼたらしめている、
という世界像そのものが、
「非常に日本的」なのです。
そうじゃない。
「たこつぼ化」とは端的に、
「思考パターン」のことだと整理すると、
私は問題がすっきりするのではないかと最近は思っています。
なので、「学会にいながら、たこつぼ化していない人」がおり、
分野横断的に活動しているはずなのに、
思考法が、たこつぼっぽい人がいる。
東浩紀は「文壇」というたこつぼを飛び出し、
「たこつぼ化する日本」に、
風穴を空けたいのだと私は理解しています。
そして言いたいのだと。
「思想とか哲学の本来の役割って、
つまりはこういうことでしょ。」って。
めちゃくちゃカッコいい。
だからこそ、
彼はガンダムやエヴァンゲリオンを論じたり、
戦後日本社会を論じたり、
カントやフランス文学を論じたり、
そして小説を書いたりします。
彼の知性は縦横無尽に飛び回ります。
それは彼が半端ではない思考の燃料、
つまり骨肉となった知識を持っているからです。
めちゃカッコいい。
私がしたいと思っていることはそういうことです。
彼の100分の1にも達していませんが。
この小説、実は三島由紀夫賞を受賞してるんですよね。
東浩紀がどんな小説を書くのか、
私は興味がありました。
「思想的な人間が文学的なものを書くとどうなるのか?」
を知りたかった。
告白しますと、
私もいつか小説書くかも、
と、10%ぐらい思っていて、
その予備勉強のために読んだのです。
、、、で、この小説については?
文字数がなくなったので割愛します笑。
量子論の世界に、
「マルチバース」っていう考え方があるんですよね。
「シュレーティンガーの猫」とかの延長線上にある話しです。
「ユニ=唯一の」「バース=領域・宇宙」というのが、
ユニバース、つまり宇宙なのですが、
「マルチ=多数」の「バース=宇宙」
というのがマルチバースの考え方です。
「私たちの宇宙は、
無数の『あり得たかもしれない宇宙』の、
可能性のひとつに過ぎないのではないか」
と言う仮説です。
「地球が存在することは奇跡」
というのは天体学者のだれもが同意するのですが、
実は何兆個という、
「地球が存在しない宇宙」が、
我々の知覚できないかたちで存在していて、
私たちはたまたま「奇跡の宇宙」にいるだけなのではないか?
この考え方は「人間原理」という有名な思想とも親和性が高い。
これ、トンデモ学説とかじゃなくて、
物理学の世界では真面目に論じられています。
現代の物理学はますますSFに近づいているのです。
東浩紀はこの、
「マルチバース」の考え方を下敷きにしたSFの物語に、
デリタだとかドストエフスキーの思想・哲学を載せる、
という高度なことをしています。
私は村上春樹の、
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を、
東浩紀が書くとこうなる、
という話しとして読みました。
(2,433文字)
●英語を子どもに教えるな
読了した日:2019年5月10日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:市川力
出版年:2004年
出版社:中公新書ラクレ
リンク:
https://bre.is/uKdn-qfOK
▼140文字ブリーフィング:
先日、メルマガ読者で友人の山田風音くんと、
愛知県で会ったときに教えてもらいました。
めちゃ面白い本でした。
「我が子に英語を話してほしい」と、
多くの親が思います。
グローバル化する世界で、
「英語を話せる」というのは、
麻雀で言うと(麻雀でいうのか!)、
ドラが一つ乗っかっている、
あるいは役がひとつ揃ってるみたいな感じです。
あ、やっぱ分かりづらかった笑。
トランプでいうと、
ジョーカーが手札にある感じです。
こっちのほうがいいね笑。
、、、私は断定調でそう書きましたが、
「果たしてそうなのか?」というのは、
私も思うわけです。
私自身が幼少期の一時期をアメリカで過ごし、
高校でかなり英語を頑張り(←これ重要)、
大学では留学生とめっちゃ時間を過ごしたのもありますが、
まぁとにかく、英語を話せるわけです。
なので「オマエに言われても説得力に欠く」と言われれば、
言い返す言葉もないのですが、
「英語が話せること」って、
そこまで大切なことだろうか?
というのは思うわけですよ。
「正確な日本語が話せる」
ことのほうがよほど大切だと、
それでも私は思うわけです。
「マジ」「うざい」「ヤバい」「きもい」
といった、だいたい10語ぐらいのボキャブラリーで、
日常を送っている人間というのは、
「日本語すらマスターしていない」
と思います。
そのような人が英語を学ぶ、
あるいは子どもに英語を身につけさせようとする、
というのは、
「もっと先にやることがあるんじゃないの?」
とか思うんですよね。
なんていうのかな。
パンツとズボン履いてない人が、
ネクタイの柄で悩んでるみたいな話で、
「まずパンツだろ」と笑。
まずはチンコをしまってから、
ネクタイにこだわろうぜ、っていうね。
「チンコ」ってメルマガに書く日が来るとは、
思ってませんでしたが笑。
、、、で、本書の著者は、
90年代に日本からアメリカにビジネスで来た家族の、
子どもたちのための「学習塾」で教えていた人です。
親たちは「せっかく幼少期をアメリカで過ごすのだから、
バイリンガルに育てなきゃ損」みたいな感覚で、
子どもたちを必死でバイリンガルにしようとしたそうです。
そのような多くの子どもたちを彼は、
10年とか20年という単位で観察し、
気づいたのです。
「小さいうちに英語を身につけさせようとすることが、
かならずしも子どもたちを幸せにしていない」と。
じっさい、親たちの期待に応えようとした結果、
「日本語も英語も中途半端にしか使いこなせず、
変なプライドだけを身に着けて日本に帰った結果、
引きこもりになり、拒食症になり、
自殺までしてしまう」というような子どももいました。
自殺は極端にしても、
「子どもに英語をぶち込む」
という親のエゴが、
必ずしも子どもを幸せにしない、
ということを著者は経験的に確信するようになります。
論点がいくつかあるのですが、
代表的なところをピックアップしてご紹介します。
→P91
〈「せっかくアメリカに来たのだから、
子どもに英語を身につけさせないで帰るのはもったいない」
と安易に発言する親が多かった。
しかし、それは、大人の自分勝手な発想に過ぎない。
英語を身につけながら、
日本語を維持することは並大抵のことではない。
比較的低年齢からアメリカに来ているのに
英語力の伸びが芳しくない場合や、
日本でもあまり読書習慣がなく、
豊かな日本語体験があったとは言えない場合、
英語も日本語も両方ともセミリンガル状態になる可能性が高いので、
まずは母語である日本語の力を養う指導に重点を置くべきだろう。〉
、、、「セミリンガル」というのは、
日常会話は出来るが、
論理的に話しをしたり、
本を読んでその内容を理解する、
といった言語能力にまで到達していない状態です。
英語と日本語の両方を子どもに同時にマスターさせようとするのは、
あきらかに「オーバーロード」で、
子どもの脳は「中途半端な英語」と、
「中途半端な日本語」だけを身に着け、
結果的にどちらも「使い物にならない」という風になる。
例外的に見事なバイリンガルになった子どもたちには、
共通する特徴があったそうです。
まず、その子どもと家庭に、
日本語で本を読む読書習慣があったこと。
そして親が子どもに、
本を読み聞かせる習慣があったことだそうです。
彼らの「日本語能力の足腰の強さ」が、
英語を習得する際にもプラスに働き、
バイリンガルになることに成功したのだろう、
と著者は予測しています。
いずれにしても、
「まずは日本語」なのです。
パンツが先なのです。
、、、そもそも、
なぜ親たちはそんなにも、
子どもに英語を話してほしいのか?
「国際人になってほしい」というのが理由ではないでしょうか?
もっと卑近に、「就職や就学に有利に働き、
将来高額な報酬をもらえる仕事に就ける」
と考える親もいるかもしれませんが、
いずれにせよやることは同じです。
日本語を第一言語としない人々と、
「意思疎通」出来る能力を獲得する、
という意味では両者は同じことを要求します。
ではどうすれば、
英語話者と英語で意思疎通できるか?
実はそのために必要なのは、
「発音が良いこと」ではなく、
「話している内容が良いこと」のほうです。
つまり論理力と、自分の考えをしっかり持つこと、
それを他者に伝達できる表現力のほうが大切なのです。
引用します。
→P112〜113
〈いい発音で定型句を並べていけば、
非常に高度な英語力を持っているように見える。
その意味でいくら「ぺらぺら」になったとしても、
人間性と知識が「ぺらぺら」ならば、
国際社会でまったく相手にされないだろう。
まずは、外国人に伝えたいアイデアや意見を持つことが何よりも大事である。
それがないから話せないのであり、
英語力だけのせいにして妙なコンプレックスにこりかたまっているのは、
まったくの筋違いであることに気づかなければならない。
英語ぺらぺら幻想から目覚めることが、
今いちばん英語教育において必要なことなのかもしれない。〉
、、、実は英語以上に普遍的な科目は数学です。
全世界共通ですから。
これには深い理由があります。
数学というのは「論理学」なのです。
AゆえにB
BゆえにCならば、
AゆえにC、
といったような「ロジック(論理)」
を操作することが出来ることが、
良い発音で話すことよりも大事です。
たどたどしかったとしても、
「あなたが今言ったことと、
この情報をつなげると、
こういう結論になるのでは??」
というように論理的な話しを出来ることの方が、
「国際人」には必要な条件なのです。
最後に著者は、
「親のわがままな願望を子どもに投影するな」
という警句を発します。
→P98
〈子どもに対する親の期待が、
親自身の「わがままな願望」を
実現させようとするものであったとき、
それは子どもにとって、過度で、
不当に期待になると言えるだろう。
親が子どもに英語を学ばせたいと思う動機が、
自分は英語で苦労したので、
我が子にはこの思いをさせたくないということであったり、
有名校に進学し、一流企業に就職するためには
英語が武器になるということであったりした場合は、
「子どものため」という理由を隠れ蓑にして、
実は親が自分のわがままな願望を子どもに託しているに過ぎない。
また、我が子を、他の子と比較して、
優れている子どもに育てることで、
自分の競争心を満足させたいという気持ちの延長線上に、
英語が出来る子どもにするという目標があるならば、
子どもは親の期待の犠牲者になる可能性が高いだろう。〉
→P99〜100
〈我が子を思う気持ちの強さが、
気づかぬうちに親自身の自己愛を
満足させることにつながりやすいことを、
親は常に意識していなければならない。
子どもに対する親の期待には、
子どもを追い込む危険な罠が隠れている。〉
、、、子どもにとっての最大のリスクファクターは、
放射能でもスマホでもPM2.5でもありません。
それは「親」です。
親である自分自身が子どもを害していないか?
これが一番たいせつなことだと、
私は自分に言い聞かせています。
子育てって「何をするか」と同じかそれ以上に、
「何をしないか」が大事だと思います。
(3,252文字)
●シャーデンフロイデ
読了した日:2019年5月10日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:リチャード・H・スミス
出版年:2018年
出版社:勁草書房
リンク:
https://bre.is/35fQOPmw7
▼140文字ブリーフィング:
早くも文字数がヤバくなってきたので、
ここからは駆け足で行きましょう。
中野信子さんが、
同じタイトルで新書を書いていますが、
こちらはその「元ネタ」のような本で、
学術的な知識に基づく緻密な本です。
「シャーデンフロイデ」とはドイツ語で、
「シャーデン=毒・損害」「フロイデ=喜び」
という意味なので、
「他者の不幸を見たときに沸き上がる喜び」
というような意味になります。
現代社会を理解する上でシャーデンフロイデは、
重要な補助線となります。
週刊誌の不倫報道や、
不正を犯した人物をとことん糾弾する「ネット自警団」など、
現代社会には「シャーデンフロイデ」で説明できる現象が、
非常に多く見られます。
自分が不幸なとき、
頑張って幸せになろう、
という方に行くのでなく、
他者が自分と同じく不幸になるのを見て、
溜飲を下げる、という心理的な力学ですね。
これに絡め取られないことが、
現代社会において非常に大切です。
→P177
〈ダンテの神曲(煉獄篇)では、
妬み深い者の両目が針金で縫い付けられているが、
この描写は相応しいものであるように見える。
というのも、ラテン語のin「〜の上で」+videre「見る」が、
envy(妬み)の語源だからだ。
妬む人たちは有利な他者に悪意を抱きながら、
邪眼を向けている
――「そして、他者に不幸が降りかかると嬉しそうに眺める」。〉
、、、私たちは他者を「上から見る」のです。
FacebookやInstagramやネットニュースや匿名サイトで。
そして、「不幸が降りかかると嬉しそうに眺める」。
ダンテの神曲ではこの人たちは、
両目を針金で縫い付けられました。
現代人の多くもそれに一歩近づいています。
では、私たちはどうすればシャーデンフロイデから自由になるのか?
それには私たちに潜むいくつかの、
「心理バイアス」を理解し、
それに対処する必要があるのですが、
今日はそこまで説明する時間(文字数)がありません。
あしからず。
(798文字)
●逆転力
読了した日:2019年5月17日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:指原莉乃
出版年:2014年
出版社:講談社MOOK
リンク:
https://bre.is/eoK6QktJWn
▼140文字ブリーフィング:
AKB48の指原さんの本です。
どちらかというと、
指原は嫌いなのですが笑、
彼女が頭が良いのは間違いありません。
「天才」と言っても良いかもしれない。
「地頭が良い」という言葉がありますが、
彼女こそその権化のような存在です。
本書を読んでそれを深く確信しました。
読むと分かりますが、
クソほど頭良いです、この人。
私の100倍ぐらい頭がキレるんじゃないでしょうか笑。
マジで。
ただね。
注意が必要です。
「自信を失ってるみんな、
私を見てください!
こんなに可愛くもないし、
特別な才能もない指原でもできたんだから、
みんなもできるって夢を見てほしい」
というのが彼女が言っていることですし、
秋元康もその「ストーリー」を商品化しているわけですが、
この商品には劇物が混ざっています。
「猛毒入りまんじゅう」なのです。
どういうことか?
本書で一番多様される言葉は、
「自分はズルい」「自分は打算的だ」
「自分は計算高い」「自分が幸せなのが一番大事」
「死にたくない」「真正面から勝負しない」というような、
「エゴイスト宣言」「自己愛宣言」です。
彼女は「自己愛世代」の日本代表なのです。
まぁ、「こういう人が成功する社会」だ、
というのもよく分かるし、
彼女の在り方は、
現在の20代以下の世代の空気を良く表しています。
ただ、ここからが問題です。
彼女は明らかに天賦の才能に恵まれ、
天才的に頭が良いから良い方に転んだのであって、、、、
という留保が必要なのです。
「本物の凡人=つまり人口の99%」が、
彼女の哲学を内面化して実践したら、
完全に無視されるか、
社会に迷惑をかけるか、
大事故を起こします。
「自分を凡人に見せる」
ということを含め、
彼女は天才なのですから。
彼女は猫の着ぐるみをかぶった、
サーベルタイガーなのです。
騙されてはいけません。
それはさておき、
予見される未来において、
「日本初の女性総理大臣」になるとしたら、
それは指原だと思います。
まぁ、私は好きじゃないけど笑。
(620文字)
●えんとつ町のプペル
読了した日:2019年5月18日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:にしのあきひろ
出版年:2016年
出版社:幻冬舎
リンク:
https://bre.is/Oa4B_BJX7
▼140文字ブリーフィング:
ひとつ罪を告白しますと笑、
インドにいる間、
Kindleで本を買って読んでいくうちに、
変な袋小路に迷い込んでしまい、
キングコングの西野亮廣の自己啓発書を、
買って読みました。
そのタイトルも「新世界」。
その本の中で彼がめちゃくちゃ「あおる」ので、
彼の絵本がどんなもんかと思って、
つい手に取ってしまいました。
罪に罪を重ねてしまいました笑。
、、、読んでどうだったか?
ノーコメントでお願いしたいところですが、
まぁ、端的にいって、
中二病が爆発してましたよ、そりゃ。
彼の中二病は凄いです。
「職業・中二病」ですから笑。
それで立身しているのですから、
それはそれで立派なものです。
(279文字)
●誰もが嘘をついている
読了した日:2019年5月18日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:セス・スティーヴンス=ダヴィッドウィッツ
出版年:2018年
出版社:光文社
リンク:
https://bre.is/n4OVfvKCd
▼140文字ブリーフィング:
これはめちゃくちゃ面白かったです。
人間心理を広域に調べる場合、
現代の学問体系ですと、
社会学ではアンケートを用い、
心理学では学生による実験を用います。
ところが、
「第三の情報ソース」として、
著者は「グーグル検索バー」のビッグデータが、
それになるのではないか、と「予言」します。
当初学者たちは彼の主張を相手にしていませんが、
もはや無視できないところまで来ています。
たとえばインフルエンザの流行を、
予測したりモニタリングするのに、
米国でも日本でも手法は同じです。
医者が患者を診断します。
医者は特定の流行性疾患について、
保健所などの政府機関に報告が義務づけられています。
ところが発症→診断→報告→集計→発表、
というプロセスには、一週間から10日間のタイムラグができます。
「流行の予兆」から「流行の発表」まで、
いかにも官僚的な理由で、
かなりのタイムラグがあるわけです。
ところが、もう一つの感染予測ルートが、
現在真剣に検討されています。
ある町である日のグーグル検索バーに打ち込まれる、
「高熱」
「節々の痛み」
「筋肉痛」
「喉の腫れ」
「倦怠感」
などの検索ワードが跳ね上がったら、
それはかなりの高確率でインフルエンザの流行を示唆するのです。
しかも、役所よりも7日間も早く予測できる。
もちろん、
グーグルのプライバシーポリシーの問題や、
これによる発表が始まったときに、
その事実が検索項目に影響を及ぼすという、
「量子論的問題」など、
様々なクリアすべき課題はあるのですが、
あるトピックについては、
実験やアンケートよりも、
Google検索バーの情報のほうが、
正確に社会の実態を把握する情報源である、
ということは間違いなさそうです。
著者は検索バーは、
現代の告解室(カトリック教会の懺悔を行う場所)だ、
と指摘しています。
→P131
〈ここでちょっと
「子どもを持ったことを後悔している」
などと検索することの意味を考えてみよう。
グーグル自体は情報を調べる手段として存在している。
天気予報や昨晩の試合結果、
自由の女神はいつ建てられたかなどだ。
だが時に人は、
たいして期待もせずに赤裸々な思いを検索ボックスに打ち込む。
この場合、検索ボックスはいわば告解の場だ。〉
、、、現代人は、
最愛の人や神父の前ではなく、
検索バーの前で、
最も正直になるのです。
2016年のアメリカ大統領選挙において、
メディアのほとんどは、
「ヒラリー圧倒的有利」を予測しました。
直前の電話予測調査でもそれは変わらなかった。
しかし、蓋を開けてみると、
トランプが勝った。
人々は電話調査で嘘をついていたのです。
「有権者の子どもへの調査」は、
これまでの大統領選では、
かなりの精度で当選者を予測する、
と知られていましたが、
それすらも裏切られました。
子どもたちは親たちのヒラリー支持を予測しましたが、
結果は逆になった。
親たちは子どもたちにすら嘘をついていたのです。
では、人々は正直に告白したのはどこか?
そうです。
検索バーです。
引用します。
→P25〜26
〈予備選の初期、ネイト・シルバーは、
トランプが勝つ見込みはないに等しいと宣言した。
予備選が進み、
トランプが広範な支持を集めていることが明らかになるにつれて、
シルバーは何が起きているのかデータで検証することにした。
いったいどうしてトランプはこんなに快調なのか?
その結果、トランプが最も優位な地域をつなぎ合わせると、
奇妙な地図が出来ることが分かった。
北東部、中西部工業地帯、そして南部で勢いがあり、
西部では不振を極めていたのだ。
シルバーはこの勢力図を説明できる変数を探した。
失業率か?
宗教か?
銃所有率か?
移民率か?
反オバマ率か?
そしてシルバーは、
共和党候補予備選挙で
ドナルド・トランプの支持に最も相関性の高いある要因を見出した。
それは私が4年前に見出した判断の手がかりだった。
トランプ支持が最も強かった地域は、
「ニガー」という語を最も良く検索していた地域だったのだ。〉
、、、ニガーというのは、
黒人への蔑称です。
「クソ黒人」と検索した人が多い地域と、
トランプ支持との相関性が、
宗教、銃所持率、移民率、失業率、、、
などよりも正確な「トランプ予測変数」だったのです。
背筋の凍る話しです。
今後もグーグルのビッグデータは、
人類の動向を分析・予測する上で、
かつてないような規模の情報を与えてくれるでしょう。
社会学の概念が変わるかもしれないような変化の予兆が、
すぐそこまで迫っています。
(1,812文字)
●戦争する国の道徳
読了した日:2019年5月18日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:東浩紀、宮台真司、小林よしのり
出版年:2015年
出版社:幻冬舎新書
リンク:
https://bre.is/VB8rd6Y-H
▼140文字ブリーフィング:
先ほど紹介した、東浩紀の「ゲンロンカフェ」で、
2015年3月14日に行われた鼎談の文字おこしです。
3人が沖縄の基地問題、福島の復興、日本の未来について語ります。
面白かったですが文字数の関係で泣く泣く割愛!
東浩紀が「回し役」なので、
最も発言機会も少なく話しも短いが、
彼が最も頭が良いというのが文字興しすると分かります。
宮台真司は衒学的でちょっと、、、。
もちろんそれはそれで圧倒されるわけなのですが、、。
(199文字)
●文藝春秋 2019年6月号 村上春樹「猫を捨てる」
読了した日:2019年5月24日
読んだ方法:駅の売店で購入(1000円)
著者:村上春樹
出版年:2019年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://bre.is/kwdR44Vf_
▼140文字ブリーフィング:
村上春樹氏が書き下ろした、
お父さんとの和解の話し。
めちゃくちゃ興味があったので、
「文藝春秋」の雑誌を初めて駅で購入しました。
心がじんわり温まる、良い文章でした。
これも文字数の関係で割愛(泣)!
(96文字)
●命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民
読了した日:2019年5月25日
読んだ方法:義理の父から借りる
著者:山田純大
出版年:2013年
出版社:NHK出版
リンク:
https://bre.is/QJ2gCcIgm
▼140文字ブリーフィング:
ペース配分をまちがえました(爆死)。
本当がこの本が一番解説したいのですが、
文字数が足りないので簡単に説明します。
杉原千畝の「命のビザ」は、
今では多くの人が知っていますが、
命のビザでリトアニアから日本に逃げてきた難民たちが、
アメリカに行くために「中継」した人物の存在は、
これまで知られていませんでした。
本書の著者・山田純大さんはなんと俳優さんで、
歌手の杉良太郎の子どもらしいです。
彼は子ども時代をハワイで過ごしたそうで、
小辻節三という人の存在を知ったことから興味が湧き、
綿密な調査をして、
「日本にこういう人間がいたことを、
日本人に知ってほしい」
という一心でこの本を書き上げました。
小辻節三という人について引用します。
→P9
〈杉原(千畝)が発給したビザは
あくまでも日本を通過することを許可するビザであり、
彼らに許された日本での滞在日数は多くても十日ほどであった。
たった十日間で目的地の国と交渉し、
船便を確保するのは不可能である。
ユダヤ難民たちはビザの延長を求めたが、
その願いは叶わなかった。
もし、ビザが延長されなければ、
ユダヤ難民たちは本国へ強制送還されることになる。
それは彼らにとって「死」を意味していた。
そんなユダヤ難民たちの窮地を救った一人の日本人がいた。
その人の名は小辻節三。
小辻節三は次々に神戸に辿り着くユダヤ難民たちの窓口となり、
日本政府と様々な形で交渉した。
そして見事にビザの延長を実現したのだ。
それだけではない。
ビザがないために日本に入国できず、
日本海の船上で助けを待つユダヤ難民たちに救いの手を差し伸べたり、
彼らが日本で安心して生活を送れるように尽力した。
また、目的地へ向かう船便の確保のために
船会社と交渉するなど東奔西走した。〉
、、、ユダヤ人たちを救済した外国人たちに、
「諸国民の中の正義の人」という賞が、
イスラエルから送られます。
『シンドラーのリスト』のシンドラーや、
杉原千畝などにも贈られているのですが、
小辻節三はこれを授与されていません。
それには理由があり、
これは「異邦人」に贈られる賞なのですが、
小辻節三は異邦人ではないのです。
彼は若いときにキリスト教に改宗し、
神学校に行き牧師になり、
旭川で教会の牧師として働きます。
しかしその「教会文化」になじまず、
むしろ「ヘブル語と聖書」に惹かれた小辻は、
アメリカにわたりヘブル語の博士号を取ります。
そして日本に帰ってきて、
ヘブル語を教える私塾を運営した後、
満鉄総裁の松岡洋右に呼ばれ、
満州国に行って、
当時満州国に多数いたユダヤ人と、
当局との橋渡しをするようになります。
帰国してからは鎌倉でヘブライ語の研究をしていましたが、
「命のビザ騒動」で再び日本のユダヤコミュニティから要請され、
東奔西走して彼らの命を文字通り救います。
戦後彼は穏やかな日々を過ごしますが、
老年になり、「改宗してユダヤ人になりたい」
という長年の夢を達成するために、
エルサレムに渡ったのです。
彼は「日本人初のユダヤ教徒(ユダヤ人)」でもあるのです。
「諸国民の中の正義の人」は、
「ユダヤ人のために尽力した異邦人」に贈られますから、
ユダヤ人となった小辻は対象に入っていなかったことを、
山田純大さんは突き止めます。
しかし、彼の「日本人としての」業績が認められ、
今後もしかしたら「諸国民の中の正義の人」
に加えられる可能性がないわけではありません。
こういう人が日本にいたことが、
誇らしくなりました。
まったくこれまで知らなかったことが申し訳ないですし、
知らせてくれた山田純大さんに感謝したいです。
(1356文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:命のビザを繋いだ男 小辻節三とユダヤ難民
コメント:
これは非常に面白かった。
紹介してくれた義理の父に感謝です。
小辻節三という人の、
学究肌で政治的な権力や名声や富に無頓着な、
いわば不器用な生き方は、
どこか自分自身と重なるところがあり、
他人事とは思えませんでした。
彼は自分の人生を、
「霊的な探求の旅路だった」と晩年に言っています。
「100年以内に自分を理解してくれる人が、
きっと現れるだろう」
と言い残して死んだ、と娘たちは語っています。
じっさい山田純大さんが「掘り起こす」まで、
ほとんどまったく日本で知られてこなかった。
むしろイスラエルや、
アメリカのユダヤ社会では有名な人らしいですが。
同時代に理解されることにまったく頓着しない、
というのもとても惹かれる。
「宗教家として成功することと、
霊的な歩みをすることは矛盾する」
というのを最近何かで読んだのですが、
私は後者に傾いているので、
同じ傾向を持つ小辻節三に共鳴を覚えるのでしょう。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「検索データの衝撃賞」
『誰もが嘘をついている』
コメント:
この本はヤバかったです。
解説に書いた通りですが、
「世の中の認識」が、
今後変わっていくかもしれない、
ということを感じます。
私たち現代人は「グーグルという祭司」に、
いつも罪を告白しながら生きているのです。
そして祭司がその気になれば、
私たちを操作することもできる。
面白かったです。
]]>
陣内が先週読んだ本
2019-10-29T13:22:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=420
心惹かれる生き物
第93号 2019年5月28日配信号
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼心惹かれる生き物▼▼▼
どうも、筋肉を増やすための「増量」を続けていたら、
ジムの体組成計の判定が...
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼心惹かれる生き物▼▼▼
どうも、筋肉を増やすための「増量」を続けていたら、
ジムの体組成計の判定がついに、
「やや肥満」から「肥満」になった陣内俊です。
脂肪が増えるのを恐れていたら筋肉は増えない。
筋トレユーチュバーのコアラ小嵐の言葉を信じて、
もうちょっと増量を続けます。
秋口ぐらいから減量に移行しようかと思ってます。
今のところ。
さて。
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!
▼質問:地球上に生息する生き物の中で最も心惹かれるのは?
そうですねぇ。
ゾウですね。
終わりです。
、、、
、、、
嘘です。
ウソウソウソ。
質問カードって、
実は「話しをふくらませる練習カード」
でもあるんですよね。
「使用上の注意」には書いてないんですが笑、
これって、話しをふくらませる意欲のない人とやっても、
まったく面白くないゲームですからね、マジで。
これを続けると、
「どんな切り口からでも面白い話しが出来る人」
になります。
「どんな切り口からでもつまらない話しを、
ダラダラと垂れ流す人」ではないので注意が必要です。
「話し好きな人」と、「話しが上手な人」は違います。
そしてたいてい前者と後者は重なりません。
「質問カード」は、
「話しが上手な人」にあなたを近づけます。
「会話の大リーグボール養成ギブス」なのです。
というわけで、
例によって3つやっていきましょう。
(最初に「(理由は)3つある」と言って話し始めるのは、
「フランス人論法」というそうです、ちなみに)
▼▼▼3位:深海魚
3位は深海魚です。
深海魚って、マジで面白くないですか?
深海魚の写真をネットで見るだけで、
小一時間は軽くつぶせます。
それぐらい面白い。
デザインというか造形というか発想というか、
そういうのが「ぶっとんでる」。
パリコレとかミラノコレクションの比じゃないですね。
神様はクリエイティブだ、
っていう、もう同語反復も甚だしい、
わりと陳腐な感想を漏らしてしまいそうです。
(創造者は創造的だ、
って言ってるのと同じですから笑)
これとか凄いですよ。
「コックピット」みたいなやつがありますから。
ガンダムとかに出てくる操縦席みたいなやつ。
▼参考画像:デメニギス
https://bre.is/CscxLEj4p
これも凄いです。
ガチャガチャで出てきそうでしょ笑。
もしくは中にあんこが入った和菓子みたい。
▼参考画像:サルパ
https://bre.is/RXJAc6cs5
このページとか面白いです。
ずっと見ちゃいますね。
https://ailovei.com/?p=3903
もし、もう一回人生があったら、
「深海生物研究者」になるのも、
かなり面白いだろうな、と思ってるぐらいですから。
▼▼▼2位:牛(特にホルスタイン)
牛は好きですね。
牛が好きで帯広畜産大学に入りましたから。
今も大好きです。
牛って体重600キロ(オスは1トン)
あるのに、脳はソフトボールぐらいしかない。
犬とかよりも「頭は悪い」です。
でも、そこがなんとも愛らしい。
愛くるしいのです。
行動を観察してると、
小一時間ぐらいすぐに過ぎます。
なんというか、
いとおしいのです。
ハエをしっぽで追い払ったり、
かゆい部分を長いベロでかこうとするんだけど、
届かなかったり。
あと牛の性格って、
一言で言うと、
「好奇心旺盛だが臆病」なんですよね。
この「アンビバレント」な感じがまた良い。
さらに牛の「目」が好きですね。
牛の瞳孔って、横に広いんです。
猫の瞳孔が縦に長いのと逆ですね。
牛の横長の瞳孔と、
いわゆる「黒目」の部分が大きいという特徴から、
とっても「やさしげ」な表情をしてるんですよね、牛って。
個体によっては目つきが悪い奴もいます。
そしてそういうヤツは性格もキツいです。
経験上。
性格が顔に表れるのは、
人間だけではありません。
これホント。
▼▼▼1位:ゾウ
ゾウが一番好きです。
直接触れあった経験はほぼありませんが、
ゾウのものを集めちゃうぐらい好きです。
私の書斎には、
2008年にインドの露店で買った、
ゾウの絵画が飾ってありますし、
リビングにもタイで買ったゾウの油絵が飾ってあります。
ゾウの置物や縫いぐるみのたぐいも、
気づけば複数ある。
見つけるとつい買っちゃう。
バナナリパブリックというアパレルメーカーの、
ロゴがゾウなので、一時期好んで来ていた時期がある。
なんでゾウなのか?
ゾウって、「哲学者」みたいなんですよね。
▼参考画像:
https://bre.is/5tHsbXoip
こんな感じに。
インドでは「ガネーシャ」という、
ゾウの神がいます。
私はゾウが神だと思っていませんが笑、
古代の人がゾウを神聖視したその気持ちは分からんでもない。
「きっとこの生き物は、
人間なんかよりも、
ずっと深い考えを持っているんだろうなぁ」
という畏敬にも似た気持ちを抱くというのは、
とてもよく分かる。
じっさい、
人間が理解していないだけで、
動物がかなり高度な知性を持ち合わせていて、
測る尺度がないだけで、
ある分野においては人間すら超越するかもしれない、
というのは最近の研究で証拠が見つかってきています。
「動物は人間より下だ」
「動物には知性も共感能力もない」
と言っている人こそが、
知性も共感能力も残念な人だと私は思います。
デカルト先生の罪は重いのです。
弁護するわけではないですが、
デカルトが現代に生きていたら、
研究結果を見て考えを改めるのは間違いありませんが。
デカルトって、そういう人なんです。
「教条主義的デカルト主義者」ほど、
デカルトとかけ離れた人物はいません。
皮肉なことに。
、、、今日はここまで。
では本編いってみましょう!
]]>
今週の「オープニングトーク」
2019-10-28T13:21:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=419
陣内が先週読んだ本 2019年4月4日〜5月8日 『知性は死なない』他
第91号 2019年5月14日配信号
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 4月4日〜5月8日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
と...
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■2 陣内が先週読んだ本
期間:2019年 4月4日〜5月8日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。
ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)
忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。
●神の傷みの進学
読了した日:2019年4月6日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:北森嘉蔵
出版年:1980年
出版社:講談社
リンク:
https://goo.gl/NqG3id
▼140文字ブリーフィング:
これはずっと読みたかった本です。
国内外を問わず、20世紀以降の神学書に、
かなり頻度で引用されている、
日本の神学者による著作です。
インドの被差別民の解放のために尽力している、
ラムスラット氏という方を、
FVIは資金的に支援してきました。
▼参考リンク:FVIのプログラム
http://karashi.net/project/world/program_02/report/2016.html
先月インドに行った目的のひとつが、
このラムスラットさんと話すことだったので、
彼らの働きの神学的な支柱と、
きっと北森架蔵は関係があるに違いない、
という予感がしたため、
「予習」のために読みました。
、、、結果、
北森架蔵の話しをするのは忘れちゃったんですけど笑。
でも、去年読んだ栗林さんの「荊冠の神学」の話しはしました。
いずれにしても、これらの話しはかなり文脈的に共通するので、
予習しておいたことで深い話しが出来たと思います。
著者はエレミヤ書31章20節の「はらわたが痛む」、
という御言葉からインスパイアされて、
ギリシャ的な「痛まない神」から
非西洋的な「傷む神」への転回を計ります。
時を同じくして20世紀最大の神学者のひとり、
ドイツのユルゲン・モルトマンが
「十字架のうえの神」で「傷む神」を提示し、
当該書(十字架の上の神)で北森氏の本書に言及しています。
私たちが「(正統な)神学」というときそれは、
西洋キリスト教神学のことを指します。
神学校で学ぶのもこっちですね。
ただ、「正統的である」ということと、
それが本当に正しいと言うことは別のことです。
そもそも「真理は生成的」だ、
というヘブル的な観点に立てば、
「正統的」という言及自体が「そこで止まってしまう」、
という静的(スタティック)なイメージを含むため、
真理を言い表せていないことになる。
真理はもっとダイナミックなものです。
モルトマンや北森はそのへんをよく分かってるから、
西洋キリスト教神学にもアキレス腱がある、
という前提で話しを始めるわけです。
そのアキレス腱とは、
「ギリシャ的なるもの」です。
ギリシャ的なものというのは、
「概念化」とか「分析」を得意とする一方、
言葉にならない形容しがたい何かや、
分類不能なものを分類不能なまま扱う、
といった概念操作は苦手です。
そうするとどうなるか?
「神は完全である」という、
「定理(!)」をギリシャ的なものは好むのです。
そうするとそこから、
「神は間違わない」
「神はすべてを知っている」
「神に出来ないことはない」
などの概念が「演繹(!)」されます。
その中に、「神は苦しまない(痛まない)」
が入っています。
でも、それって本当なんだろうか?
ということを、
モルトマンや北森は言っているのです。
聖書をギリシャ的に読めばそうかもしれないけど、
非ギリシャ的に読むならば、
ちょっと違うんじゃないの?
ってことです。
引用しますね。
→P203〜204
〈ギリシャ人の思惟を通過せずしては、
三位一体の真理は決して現に見るごとき
完全な明確さを獲得することは出来なかったであろう。
我々もまたこのことを感謝しつつこの真理に従い歩まねばならぬ。
しかしギリシャ的思惟はこの積極的意義と同時に、
一つの制限を持っていることも否定しがたいところである。
既に述べたごとく、
「本質」としての神はその性格において、
聖書に示される神の真実の姿から一つの決定的なるものを見失っている。
エレミヤが見た痛みにおける神の姿こそ、
その決定的なるものである。
今日の我々の任務は、
ギリシャ・ローマ的教会の真理に従い歩みつつ、
しかもそれが見失っていた聖書の真理を再び回復することによって、
その立場を一歩発展せしめることである。〉
、、、こういう話しをすると、
「そうだ、キリスト教神学なんてクソだ!」
「神学校さえ消えてなくなればキリスト教会は良くなる!」
みたいな結論に飛びつく人がいますが、
それは早計というものです。
さらに言えば「あさはか」ですし、
もっと言えば教養に欠き、不遜ですらある。
その路線で行くと、必ず失敗します。
歴史から学ばない愚者は失敗を繰り返しますから。
アイザック・ニュートンが言ったように、
私たちはみな、「巨人の肩」に載っているのです。
そして「巨人」とは2000年間の神学の歩みのことです。
私たちはその恩恵に感謝しつつ、
それを「一歩でも、1ミリでも」発展させる、
という態度が必要なのです。
(1,796文字)
●知性は死なない 平成の鬱をこえて
読了した日:2019年4月13日
読んだ方法:札幌のブックオフで購入(889円)
著者:與那覇潤
出版年:2018年
出版社:文藝春秋
リンク:
https://amzn.to/2U6o988
▼140文字ブリーフィング:
これはインドで読みました。
YouTube放送でも語ったのですが、
この本はもう、めちゃくちゃ面白かったです。
インドにいた3週間の中の、
「思い出ランキング」を作ったら、
「昼ごろに来る」、と言ってた人が、
19時まで来なかった7時間の間、
仕方ないから部屋でこの本を、
夢中で読んだことがベスト3に入ってくると思います笑。
日本でやれや、っていうね笑。
この本は札幌のブックオフで偶然出会った本です。
與那覇潤という著者のことは、
以前読んだ本で知ってて、
同世代の若手の論客、
ということでシンパシーを抱いていました。
ブックオフでこの本を手に取ると、
何とこの人、私がうつ病療養していた時期と、
1年ぐらい遅れて、ちょうど同じ期間、
うつ病を患って大学の職も失っていたのです。
本作はその「復帰作」です。
もうね、私自身の自叙伝を読んでいるごとく、
いちいちすべてのことに共感出来、
そして私もまだ言語化できていなかったようなことを、
見事に言語化してくれていて、
なんていうか、
「読んだ後に見える風景が変わる本」でした。
自分の病気と、
「平成」という時代が抱える行きづらさ、
そして思想的行き詰まりをパラレルに描き、
そこから「ナラティブの改変」によって抜け出した著者は、
新しい時代の新しいナラティブ(思想)について提案するようになります。
イタリアの精神科医の言葉に、
「Recovery is Discovery」という言葉があって、
私はこの言葉が好きです。
「回復は発見である」というような意味で、
精神疾患から「回復する」というのは
「もとの状態に戻る」ことじゃない、
ってこの人は言ってるのです。
そうじゃなくて、
せっかく病気になったのだから、
そこから何かを発見して、
新しい風景が見えるようになる。
新しい風景から見た時に、
もはや病気は障害ではなくなっていて、
問題は問題ではなくなっている、
というような「弁証法」の過程を、
このイタリアの精神科医の言葉は表しているわけです。
與那覇さんの著書『知性は死なない』は、
その弁証法的プロセスを、
まさに見事に言語化していて、
私は自分自身の活動と照らし合わせるとき、
もはや彼を他人とは思えなくなりました。
「同志」とか「兄弟」のように感じています。
一度も会ったことないけど笑。
でも病って人をつなげるんです。
同じ病を患った人って、
ときには家族以上に親しく感じます。
もちろん例外もあるけれど。
これは病気になった人だけが分かってくれる感覚だと思いますが、
そういうのって、確かにあります。
「あの苦しみのことを知ってる人としか、
話したくない」という時期が、
病気の時はありますから。
病気を経た後もそうです。
「友よ!あの苦しみを知っているのか!」
というやつです。
これってたとえば、
「お前もノルマンディー上陸作戦にいたのか!」とか、
「あなたもあのレイテ島で戦っていたのですね!」
というような連帯に近い。
肉親ですらその感情的繋がりを理解出来ない。
「同じ地獄を共有した者同士」の連帯は、
それほどに特別なのです。
さっきからまったく本書の内容に触れていませんが笑、
あまりにも読書メモの分量が多いので、
いつか「本のカフェ・ラテ」で詳説しようかなぁ、
と思っています。
ちょっとだけ引用しますね。
→P26
〈うつ病を始めとする精神の病を患った人は、
どなたも自分自身の「世界観」が
打ち砕かれてしまう体験をされたと思います。
いままであたりまえに出来ていたことが、できない。
自分がずっと信じてきたものが、信じられない。〉
→P14〜15
〈知識人とされる人には往々にして
「世の中は移り変わるけれども、知性は変わらない」
という信仰があります。
知性を不動の価値基準として固定した上で、
目の前を移ろう諸現象の「問題点」や「限界」に筆誅を加える。
そうしたスタンスを取りがちなのです。
しかし知性の方こそが、
うつろいやすく限界付けられたものだとしたらどうか。
そのような観点に立たなければ、
日本のみならず世界的な、
知性の退潮を正しく分析できないのではないか。
いちどは知的能力そのものを完全に失い、
日常会話すら不自由になる体験をした私が、
そのような思考の転回を経験することで、
もういちどものごとを分析し語ることが出来るようになった。
その意味では本書もまた闘病記ではありますが、
それはけっして、読者の同情を惹くことが目的ではありません。
読んで下さる皆さんにお願いしたいのは、
本書を感情的に没入するための書物に、
してほしくないということ。
むしろ、ご自身がお持ちの知性を
「再起動」するためのきっかけにしてほしいと、
つよく願っています。
なぜなら、知性は移ろうかもしれないけれども、
病によってすら殺すことは出来ない。
知性は死なないのだから。〉
、、、著者は、平成を「知性が退潮した時代」と定義しています。
「反知性主義」や「ポスト真実」、フィエクニュースや、
公開集団リンチの場と化したSNSやワイドショーを見れば、
それは同意できます。
では、「知識には可能性がない」という時代は、
いったいどんな未来につながっていくのか?
歴史を見るとそのような時代の先には、
地獄が広がっていることが分かります。
端的にいって現代の世界は危機的状況にあり、
それは「知性の退潮・衰退」と関係がある。
思想家の東浩紀が「批評は終わったか?いや終わってない」
みたいなことをずっと言い続けているのって、
そのあたりの危機感があるからです。
ところがいわゆる「知識人」以外の人にとっては、
東浩紀や與那覇潤のような危機感は共有されていない。
「あの人たちは何をテンパっているんだろう?」
という人のほうが大多数でしょう。
「結局経済なんだよ、バーカ」という、
負けた候補にビル・クリントン言い放った言葉が、
現代世界を支配している。
それこそがまさに「危機的状況」に含まれるわけですが、
また思考はそこでループしてしまい、、、
という自己言及の無限ループに陥る。
、、、で、
病気になる前の與那覇さんは、
東大卒の博士で大学の准教授でしたから、
知識人のひとりとして、
そのループをいかに抜け出すか、、、
みたいなことをやってたわけです。
ところが彼はうつ病に襲われた。
それによって「知性」が根幹から蝕まれ、
機能不全になる経験をした。
病のどん底で入院をし、
「同じく何も出来なくなった同病者たち」
と話し関わるなかで、
「そもそも知性の定義とは、、、」
というものが変わってくるわけです。
それはまさに、「世界観の改変」でした。
上から見ていたジオラマ地図を、
横から見るようになる、みたいな感じです。
別の風景が見えてくるわけです。
そこから見た時に、
「知性は死んだ。
でも知性は死なない。」
という、「弁証法的に止揚された希望」
が語られるのが本書です。
ヤバいですよ、この本。
オススメです。
(2,685文字)
●FACTFULNESS ファクトフルネス
読了した日:2019年4月5日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:ハンス・ロズリング他
出版年:2019年
出版社:日経BP社
リンク:
https://goo.gl/Y6eh99
▼140文字ブリーフィング:
けっこう話題になっている本です。
本屋にも平積みされてるんじゃないかな。
この本を読むと、
2019年の私たちは、
世界の実像に関する知識が、
1990年ぐらいからアップデートされていないことが分かります。
著者が独自に作ったテストによると、
「どれぐらい分かってないか」の度合いは、
職業や学歴やその人の知性とまったく関係なかったそうです。
高卒の工場労働者も、
ハーバード卒のエリートも、
シリコンバレーの億万長者も、
田舎の主婦も、
そして(最も深刻なことに)最先端のジャーナリストまでも、
全員が、「世界の実像を把握していない」
ということを本書は実証していきます。
なぜそういうことが起きるのか?
それは世界のあまりにも急激な変化と、
私たちがもついくつかの認知的バイアスによる、
というのが著者の主張です。
私たちはWindows10とiPhoneの世界に生きているのに、
多くの人のOSはWindows95と固定電話の世界に生きているわけです。
これはヤバいでしょ。
文字数制限に近づいてきましたので、
一つの例だけを挙げます。
この本、面白いですよ。
→P42〜44
〈低所得国と高所得国のあいだには分断があると思われているが、
実際に分断はなく、代わりに中所得国がある。
そこには、人類の75%が暮らしている。
中所得の国と高所得の国を合わせると、
人類の91%になる。
そのほとんどはグローバル市場に取り込まれ、
徐々に満足いく暮らしが出来るようになっている。
人道主義者にとっては喜ばしいことだし、
グローバル企業にとってもきわめて重要な事実だ。
世界には50億人の見込み客がいる。
生活水準が上がるにつれ、シャンプー、バイク、
生理用ナプキン、スマートフォンなどの購買意欲も高まっている。
そういう人たちを「貧困層」だと思い込んでいる内は、
ビジネスチャンスに気づけないだろう。
わたしはよく講演の中で、
「途上国」という言葉を使うべきでないと唱えている。
だから、話しの後で、
「では、わたしたちはあの人たちを何と呼ぶべきですか?」
と聞かれることが多い。
しかしよく考えてみると、この質問も勘違いの一つだ。
「わたしたち」と「あの人たち」という言葉を使うこと自体が間違っている。
まず、世界を2つに分けることはやめよう。
もはやそうする意味はない。
世界を正しく理解するためにも、
ビジネスチャンスを見つけるのにも、
支援すべき貧しい人々を見つけるのにも役に立たない。〉
、、、「世界人口の91%は中所得か高所得国に住んでいる」
といったことを問う、
回答の簡単な3択のクイズを著者は考案しました。
全部で13問あるのですが、
OECD諸国のどの国で調査しても、
平均回答率は3割を切ります。
3択問題で3割を切る、
というのはランダムに選ぶ、
チンパンジーよりも正答率が低いと言うことです。
さらに深刻なことに、
問いの種類によっては、
教育レベルが高ければ高いほど、
正答率が下がるものもありました。
これはメディアと教育に、
何か深刻な問題があると考えなければならない。
「世界は、じっさいにどうなっているのか」
という現状認識が誤った状態で何かをするのは、
それがビジネスでも人道支援でも宣教活動でも、
「間違った地図で目的地を目指している」
というようなものですので、
先行きは暗いと言わざるを得ない。
その意味でこの本はすべての人の必読書と言えるでしょう。
(1374文字)
●有名人になるということ
読了した日:2019年5月5日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:勝間和代
出版年:2012年
出版社:ディスカバー・トゥエンティワン
リンク:
https://bre.is/gT10Hz0Mn6
▼140文字ブリーフィング:
勝間和代さんの本、久しぶりに読みました。
「意識高い感じ」が苦手で、
この10年ぐらい遠ざかっていたのですが笑、
あるYouTubeをラジオ代わりに聞いていて、
この本が絶賛されていたので興味を持ち。
「案外」(というと失礼ですが笑)、
まともなことが書いてありました。
彼女は印税の20%を慈善団体に寄付する、
「Chabo」というプロジェクトを主宰していることを見ても、
社会的弱者への共感が彼女の原動力であることが分かります。
最近彼女が自分が性的マイノリティであることを、
カミングアウトしたことで私は、
「なるほどなぁ」と思いました。
実はこの人「意識高い系の教祖」みたいに言われますが、
それはまさにマスコミの貼ったレッテルであり、
そのレッテルを引き受けて自分をキャラ化する、
ということも含めて、彼女の「有名人戦略」のひとつだと、
この本を読むと分かります。
実はこの人、志が高いひとです。
「意識高い系」とは一線を画する。
「有名になること自体を目的とするのは
お金持ちになること自体を目的とするのと同じで、
やめた方が良い。」と彼女は語ります。
「○○を達成するために有名になる」
「○○を達成するために金持ちになる」
という、より高次の目的がないと、
その先にあるのは破滅だと彼女は経験から語ります。
では勝間氏の場合それは何か?
「それによって社会に貢献すること」が、
勝間氏の「より高次の目的」と語ります。
、、、この手のことを掲げる人って、
「それを言う自分の理念に酔っちゃってる」
感じの人も散見されるのですが、
彼女の場合じっさいにChaboというプロジェクトで、
慈善団体に寄付したり、自分の社員を厚遇したりという、
じっさいに行動しているところから語っている。
「まだまだ全然出来てないんですけどね」
という、じっさいやってる人ならではの発言もある。
私の中で、勝間和代さんが、
「ネタ」の対象から、
尊敬に変わりました。
ちなみにこの本で勝間さんは、
有名になることのメリットを「1つ」と、
デメリットを100個ぐらい挙げています。
メリットはちなみに「お金」ではありません。
これを読んで私は絶対に無理だと思いました。
無理無理無理、、、て笑。
自分には向きません。
生活と人格が破綻をきたすと思いますので。
(926文字)
●上を向いてアルコール
読了した日:2019年5月8日
読んだ方法:図書館で借りる
著者:小田嶋隆
出版年:2018年
出版社:ミシマ社
リンク:
https://bre.is/-QXfXcCv0
▼140文字ブリーフィング:
小田嶋隆さんは好きなコラムニストです。
彼が「たまむすび」というラジオ番組で、
週に一回コメンテーター(15分ほど)をしているのですが、
それを「ラジコ」というアプリで聴くのが、
ちょっとした習慣になっています。
彼はいろんな本で、
「若い頃アルコール依存症だった」
という告白をしているのですが、
このようにそれをテーマとして書くのは、
今回が初めてなのだそう。
禁酒して20年が過ぎて、
やっと「語れる」ようになった、
というほどの経験だったのです。
アルコール依存症の告白を聴きながら、
「中動態の世界」という本を思い出しました。
依存症という状態は実は、
「関係の病」であり「物語(ナラティブ)の病」
なんですよね。
「個人の意志」を主戦場としている限りは、
絶対にそこから抜け出すことが出来ない。
だからAA(アルコホリック・アノニマス)の、
「宣言」の最初に、
「私たちは自分ではこの問題を解決できないことを認める」
という重要な告白が登場するのです。
彼が本書の終盤で、
「アルコール依存症の元当事者の観点から、
アルコール依存とスマホ依存は非常によく似ている」
ということを指摘していて、
そこが面白かったので、
多少長いのですが引用します。
→P196〜197
〈SNSなんかはおそらく、
肝臓だとかそういうことじゃなくて、
ある年齢より若い世代の、
基本的な生活習慣であるとか、
世界観であるとかいった、
人間の脳みその根本のOSにあたる部分を蝕んでいる気がしますね。
そのできあがり方は、
きっとアルコールがアル中さんの脳内に
アルコール専用の回路を作る過程に似ていると思います。
コミュニケーションは、
アルコールみたいにボトルに入った実態として目に見えないので、
自分が依存しているっていうことにわりと気づきにくいと思うんだけど、
私なんか間違いなく依存してますよ。
PCだったりスマホだったりをウチに忘れて
一日過ごすときのあの心細さっているのは、
酒浸りだった時代に、
アルコールを摂取できずにいたときのあのなんとも言えない焦燥感と、
実感としてはほとんど同じだったりします。
だって丸二日スマホなりPCなりから遮断されると、
実務上の不便とは別の次元で、
パンツをはいてないみたいな心細さを感じるじゃないですか。
あれは依存です。〉
→P198〜199
〈電車の中でみんながスマホを見ているのを見てもわかるように、
われわれは、何かあるわけじゃないんだけど、
ちょっとした細かい空き時間に見る先がないと
落ち着かないという段階に達しています。
(中略)
まあ、依存とはいっても肝臓壊すわけじゃないから、
ある程度自分自身の依存との付き合い方を心得ていれば、
やってやれないこともない人生だとは思うんですよ。
私の場合なんかは。
でも、子どもなんかだとヤバいと思いますね。
ひとりでいる時間、
たとえば電車でおよそ景色を見なくなる。
景色を見る必要があるのかって真面目に問われると、
実のところそんな必要はないかもしれないんですけど、
でもそういう一分二分の空き時間の過ごし方が
スマホを見る以外に選択不能になっていくことの問題って、
お酒飲んじゃった人間が、
お酒に全部余暇を奪われちゃうっていうことと近い気がするんですね、
経験上。
酒の場合、身体を壊すとかみたいなことももちろんあるんだけど、
働いていない時間の全てを酒に吸い取られる、
という部分が、実は最も大きい損害なんですね。
とすると、それは実はスマホでも同じ事だったりします。
肝臓は壊さないでも、
脳がゆっくり壊されるんだとしたら、
そりゃやっぱりヤバいだろ、ってことです。〉
→P202〜203
〈年季の入った酒飲みが毎度おなじみの酩酊状態に到達すると、
ひとつの、なんというんだろう、ロボットみたいなものになります。
すると、架空人格みたいなものが自分に降りてきて、
そいつに任せればいいみたいな状態になる。
で、自分という主体を取っ払ったところで
暮らした方が本人にとっても楽なわけで、
だからこそ彼らは酒を飲むわけです。
してみると、何かに依存するって事は、
自分自身であり続けることの重荷から逃れようとすることで、
逃避という行為自体はスマホでもお酒でもそんなに変わらないんですね。
まあ、スマホ依存って言い方をしてスマホの悪口を言うと、
「ああ、また老害の親父がなんか言ってる」って、
どうせそんなふううに思われるでしょうけど。
でも、これはスマホの問題じゃなくて
コミュニケーションの問題ですからね。〉
、、、私からは何のコメントもありません。
小田嶋さんの言うとおりだと思います。
ただ、
「酒を楽しんでいる人がすべてアルコール依存症じゃない」
のと同じように、
「スマホをいじっている人がすべてスマホ依存ではない」
わけです。
その「境界線」はどのあたりにあるのか?
スマホを家に忘れると、
西野カナぐらいに震える、
ということであれば、
それはアルコール依存症者の手の震えと、
同じ震えかもしれないってことは確かです笑。
例によって、
あとは各自で考えて下さい。
(2,030文字)
▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼
ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。
▼今週の一冊:知性は死なない 平成の鬱をこえて
コメント:
「神の傷みの神学」
「FACTFULLNESS」の2冊も、
相当に面白かったのですが、
今回はこれですね。
本当に面白かった。
私が病気療養から復帰して、
最初に教会でしたメッセージのタイトルが、
「魂の夜を越えて」でした。
私の体験と著者の経験は、
あまりにも符号しすぎていて、
何か「人間を越えた計画」みたいなものすら感じました。
▼▼▼部門賞▼▼▼
ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。
▼「ファクトフル賞」
『FACTFULNESS』
コメント:
これは素晴らしい本でした。
あとがきを読むと、
本書の著者が本書執筆中に亡くなっていることが分かります。
この本は著者と子どもたちの合作です。
素晴らしいプレゼントを世界に残してくれた著者に、
感謝を表したいと思います。
→P338
〈『ファクトフルネス』の著者、
ハンス・ロスリングは医師であり、
公衆衛生の専門家であり、
またTEDトークの人気スピーカーでもあります。
(中略)
ハンスはスウェーデンのウプサラに生まれ、
母国スウェーデンとインドで医学を学び、医師になりました。
その後モザンビークのナカラで医師として働き、
貧しい人々の間で流行していた神経病の原因を突き止めます。
この病気がコンゾです。
この本にも当時の経験のいくつかが描かれています。
その後、スウェーデンに戻って
カロリンスカ医科大学で研究と教育に励みました。
この頃から、人々の知識不足と闘うことが
ハンスの人生の使命となったのです。
以来、世界の舞台で
「事実に基づく世界の見方」を広めることに尽力してきました。
残念なことに、ハンスはこの本の完成を待たずして
この世を去ってしまいました。
(中略)
ハンスはあるとき、
人々がとんでもなく世界を誤解していることに気づきます。
教育レベルの高い人も、
世界中を飛び回っているビジネスマンも、
またノーベル賞受賞者でさえ、
事実に基づいて(ファクトフルに)世界を見ることができていないのです。
なぜでしょう?
その理由は、誰もが持っている「分断本能」
「ネガティブ本能」「パターン化本能」「焦り本能」
など10の本能にありました。
この10の本能を抑えなければ、
事実に基づいて正しく世界を見ることができません。
いまある世界を正しく認識できなければ、
社会問題を解決することも、
未来を予測することも、
危機に対応することも出来ないでしょう。〉
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陣内が先週読んだ本
2019-10-22T13:19:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=418
住みたい街ランキング【国外版】
第91号 2019年5月14日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼住みたい街ランキング【国外版】▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいって...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼住みたい街ランキング【国外版】▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう!
質問:あなたのなかの、
「住みたい街ランキング【国外版】」を教えてください。
、、、先週は住みたい街ランキングの国内版でした。
こちらのサイトでは、
こんなランキングが出ています。
▼参考サイト:
https://www.travelvoice.jp/20180816-116146
1位:ウィーン(オーストリア)/99.1点
2位:メルボルン(オーストラリア)/98.4点
3位:大阪(日本)/97.7点
4位:カルガリー(カナダ)/97.5点
5位:シドニー(オーストラリア)/97.4点
6位:バンクーバー(カナダ)/97.3点
7位:トロント(カナダ)/97.2点
7位:東京(日本)/97.2点
9位:コペンハーゲン(デンマーク)/96.8点
10位:アデレード(オーストラリア)/96.6点
、、、大阪が3位、って凄いですよね。
こういうのってどんぐらい信憑性があるのか分かりませんが、
まぁ、まったく参考にせず(じゃあなんで出したんだ笑)、
私の主観のみで、例によって3都市選んでみたいと思います。
▼▼▼第3位:シドニー(オーストラリア)
この「シドニー」っていうのは、
「シドニーに住みたい」という意味ではないです。
そうじゃなくて、メルボルンでも、
ゴールドコーストでも、
ブリズベンでもアデレードでも良いので、
オーストラリアに住んでみたい、っていう意味です。
さらに言えば、ニュージーランドでも良いんです。
オークランドでもクライストチャーチでも、
ウェリントンでも良い。
あのへんに住んでみたいなー、
という、めちゃくちゃ雑な所感です。
ほとんどの外国人が、
「東京と大阪の違い」を理解してないのと同じで、
私もゴールドコーストとアデレードの差は分かりません。
なんせ、実はオーストラリアも、
ニュージーランドも行ったことないですから(爆死)。
でも、あの「オセアニア地域」に、
私は心のどこかでずっと惹かれてるんですよね。
なんせ、牛や羊のほうが人間より多いっていうんですから。
最高じゃないですか笑。
ちなみに私の母校、帯広畜産大学も、
それに近い大学でしたし、
6年間住んだ十勝地方も近いものがあります。
そして、オセアニアの国々はといえば、
それをさらに極端にした感じなんでしょ。
もう、ヤバいじゃないですか。
なんか、感動しちゃうじゃないですか。
強く引きつけられます。
なんせ土地が広くて人が少ないんですから。
そりゃ、「自然を独り占め感」というか、
「自然を見るために行列する」という、
意味の分からない倒錯を経験しなくて良いんでしょ。
素晴らしいじゃないですか。
あと、オーストラリアとかニュージーランドに住んでた日本人や、
そちらの出身の方とこれまでに話したことをまとめると、
かの地は「アメリカ的な自然の雄大さ・素晴らしさ」と、
「アメリカ的フランクさ・オープンさ」を備えつつ、
アメリカほど人々が忙しくないっていうじゃないですか。
もっと言えば世界で最もゆったりと働き、
人生を謳歌する地域だって言うじゃないですか。
もう、良いことしかありません。
パラダイスです。
ヤバいです。
そりゃ、大橋巨泉も移住するわな、と思います。
▼▼▼第2位:バンクーバー(カナダ)
バンクーバーも行ったことありません(爆死)。
ないんかい!
ないんです。
ないけれど、私は「カナダ」って、
ずっと憧れ続けてるんですよね。
アメリカも好きですが、
カナダはもっと好きです。
カナダってめちゃくちゃ広いのですが、
人口3億人のアメリカに対し、
カナダの人口は3700万人。
この広さが魅力です。
日本からアメリカの東海岸に飛行機で行くと、
北極近くを通って飛行機は飛びますので、
たとえばニューヨークのJFK空港に近づく前の、
3〜4時間ってカナダ上空を飛ぶんですよね。
そのとき「海のように森が広がっている」のが分かるんですよ。
もうねぇ、あれは憧れちゃいます。
そして、カナダは先週の、
「クリエイティブ都市論」の理論で言っても、
非常に有利な場所です。
思想的にリベラルだからです。
思想におけるリベラル性と、
ベンチャーや論文、執筆、芸術活動などの、
アウトプットの質は相関関係がある、
とリチャード・フロリダは指摘しています。
つまり、「リベラルな気風」の土地ほど、
クリエイティブな職業の人は働きやすく、
そしてその仕事の質も高まる、ということです。
この理由によりリチャード・フロリダは、
『クリエイティブ都市論』を執筆後に、
アメリカのワシントンD.Cから、
カナダのトロントに移住してますから。
カナダ、いいなーと思います。
、、、あ!
ここで大事な訂正を。
先週のメルマガのオープニングトークで、
『クリエイティブ都市論』の著者を、
ダニエル・ピンク氏と書いていましたが、
正しくはリチャード・フロリダ氏です。
お詫びして訂正します。
失礼しました。
▼▼▼第1位:デンバー(コロラド)
ちょっとカナダと似てるんですけど、
風土が良さそうだなぁというイメージで、
コロラド州は昔から憧れてるんですよね。
まぁ、行ったことないんですけど。
だからないんかい!!!
ないんです笑。
でもねぇ、コロラドは憧れるんですよねぇ。
コロラドってロッキー山脈のふもとにあって、
日本で言うと「長野県」なんですよ。
アメリカの自然って、
スケールにおいて常に日本の自然の10〜100倍ですから。
長野のあのさわやかな気候、
きれいな空気と水、
日本アルプスの景観、、、
それらの規模をとことん拡大したのがコロラドだと考えたら、
もうね、そんなの言葉を失うぐらいきれいに決まってるじゃないですか。
昔『リバー・ランズ・スルー・イット』という映画がありました。
ブラピが主演していて、大学のときに友人たちの界隈で、
一時期流行っていたので私も見ました。
まったくどんな映画だったのか覚えていませんが笑、
ブラピがフライフィッシングをするシーンだけは、
今でも鮮明に覚えています。
清流につかり、
森のなか、
自然と会話するようにフライフィッシングをする姿は、
神々しさすら漂う。
あの映画はモンタナ州の話しだそうですが、
私がコロラドに求めているのは、
「つまりそういうこと」です。
しかもデンバー(コロラド)は、
気風においてもリベラルです。
いち早く大麻を合法化した州でもあります。
素晴らしいじゃないですか。
「大麻が素晴らしい」んじゃないですよ。
説明すると長くなるけど、
大麻とかギャンブルとかは、
合法化してちゃんと税金取った方がいい、
っていうのが私の意見です。
「禁酒法」が何を生み出したか?
マフィアと政治家の利権と、
そしてアル中です。
グレーなギャンブルとしての、
「パチンコ」が何を生んだか?
ヤクザの収入と警察および政治家の利権と、
パチンコ中毒です。
お酒を合法化して取税をとり、
ギャンブルを合法化して賭博税をとると、
何が生まれるか?
先ほどの「ヤクザの収入と官僚の利権」が消え、
「税収」が生まれます。
依存症はどちらのシミュレーションでも、
多分同じぐらい発生します。
なぜなら法制度と依存症は関係ないから。
でも、「税収」が生まれることは大事です。
その税収で、依存症患者の治療や福利に使うべきです。
マフィアやヤクザは依存症患者を治療してくれませんから。
どんな仕組みにしても、
依存症は生まれるのです。
仕組みの問題と依存症の問題、
これは違う二つの問題です。
みんな、ごちゃごちゃに論じすぎです。
、、、で、これらの問題を考えたとき、
「合法化+税収」の組み合わせの方が、
常に優れていると私は思っています。
私はこの点においては、
リベラルだから大麻合法化を支持しているのでなく、
合理主義者だから支持しているのです。
、、、すみません、大麻で熱くなりすぎました。
話しを戻しましょう。
とにかく、多様な価値観を認める姿勢というのは、
社会の風通しを良くしますから、
私はリベラルな気風の場所に住みたいです。
▼▼▼番外編1:ベルリン(ドイツ)
これも行ったことないです(ないんかい!)。
でもドイツはずっと惹かれてるんですよね。
オーストラリアのときと同じで、
バイエルンでもミュンヘンでも良いんです。
別にベルリンである必要はない。
ドイツの街に住んでみたい、という話しです。
ドイツって、なんか好きなんですよねぇ。
ドイツの哲学者の本を読むのが好きです。
あの「過剰に論理的」なところというか、
眉間にしわをよせて「存在とは、、、」とか言ってる感じが、
とっても好きです。
私にはドイツ人の遺伝子が入っているのではないかと、
疑っているぐらい。
ビールとソーセージも絶対美味いし。
面白いボードゲームがいっぱいあるし。
作るモノも質実剛健で、
媚びや洒落っ気、かわいげがなくて、
無骨なデザインで過剰に丈夫で、、、
それは家も街並みもそうで、、、。
ああいう感じ、ちょっと息が詰まるんだろうなぁ。
ときどきイタリアに行って息抜きしたくなるんだろうなぁ。
でも、魅力的だなぁ、と、ずっと思ってるのです。
唯一英語圏じゃない国ですが、
ドイツは惹かれます。
とりあえず死ぬまでに訪れたいですね、いつか。
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今週の「オープニングトーク」
2019-10-21T13:18:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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陣内が先月観た映画 2019年4月 『百円の恋』他
第90号 2019年5月7日配信号
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■2 陣内が先月観た映画 2019年4月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうという...
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■2 陣内が先月観た映画 2019年4月
月に一度のお楽しみ、
「陣内が先月観た映画」のコーナー。
タイトルそのまんまの企画です。
先月私がいろんなかたちで観た映画を、
一挙に紹介しちゃうというコーナー。
5本以上観た月だけの限定コーナーとなります。
先月はけっこう観たので、
けっこう紹介できます。
もともと映画を観るほうではありますが、
Amazonプライムのストリーミングで観るようになって、
観る本数が3倍ぐらいに増加しました。
移動中に観れるというのが大きいです。
電車の中やバスの中で本を読むのは少し疲れますが、
映画はノーストレスです。
長時間移動がある月なんかは、
往復の移動だけで4、5本観れたりします。
観るだけではもったいないので、
皆様に紹介しちゃおう、
というのがこのコーナー。
世界一小規模の映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」もやります(笑)。
「おもしろそうだな」と思うやつがあったら、
それをレンタルして観てみる、とか、
あとこれを読んで、観たつもりになって、
誰かに知ったかぶりする(笑)などの
使い方をしていただければ、これ幸いです。
「陣内が先週読んだ本」の
140文字ブリーフィングが好評なので、
映画評論も140文字で試みます。
時短は正義(!)ですから笑。
「読んだ本」コーナーと同じで、
140文字はあくまで「努力目標」です。
*どうしても「ネタバレ」要素をいくらか含みますので、
絶対にネタバレしたくない作品がありましたら、
器用に読み飛ばしてくだされば幸いです。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
●祈りの幕が下りるとき
鑑賞した日:2019年4月2日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:福澤克雄
主演:松嶋菜々子、阿部寛
公開年・国:2010年(日本)
リンク:
https://goo.gl/RinftH
▼140文字ブリーフィング:
東野圭吾原作映画です。
東野圭吾自体は好きですが、
本作はうーん、、、。
ずっと「濃い味付けの浪花節」みたいな感じで食傷しました。
「浪花節」は嫌いではないが、
全篇それはちょっと違うと思うんだよなぁ。
調味料は水で割ってこそ生きるわけで。
読んでないですが、東野圭吾の原作は、
もっと「あっさりとした話し」のような気がします。
そちらのほうが私の好みですね。
(170文字)
●サバイバルファミリー
鑑賞した日:2019年4月3日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:矢口史靖(やぐちしのぶ)
主演:小日向文世、深津絵里
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://goo.gl/aaoDv7
▼140文字ブリーフィング:
「ウォーターボーイズ」「ウッジョブ!」などの、
矢口史靖監督作品。
期待して見ましたが、矢口監督作品のなかでは「?」という感じです。
突然、電気がなくなった世界で、
どんなことが起きるのか、というシミュレーション。
福島原発事故を意識して造ったのだと思いますが、
リアリティに欠く感じでした。
じっさいはもっと大量に人が死にます。
具体的には人口の3分の1か半分ぐらいが死ぬと思います。
体力が平均以下の私も多分死ぬでしょう。
中世のペストのときと同じ悪夢ですね。
そこら中に死体が転がり、
そこからウジ虫が湧き、、、
人肉を食らう、みたいな世界。
そうすると映画としては絶対に売れないので笑、
こういう「ほっこりロハス路線」になるのでしょうが、
ロハス路線にそこはかとなく漂う欺瞞性が、
正直、私は嫌いです。
「自然をなめんなよ」と思う。
自然はもっと凶暴で、残虐で、汚く、無慈悲で、
そして、だからこそ、泣きたくなるほど美しいのです。
(380文字)
●不都合な真実
鑑賞した日:2019年4月1日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:デイヴィス・グッゲンハイム
主演:アル・ゴア
公開年・国:2006年(アメリカ)
リンク:
https://goo.gl/JWWdSo
▼140文字ブリーフィング:
「遂に見た」、という感じ。
「あれね、見たよ」という顔をしながら、
13年間知ったかぶりをしてきた映画。
別に誰かに詰め寄られたわけではありませんが笑。
会話の中で「常識」のように登場するが、
じっさいは過半数が読んでいない本、
見ていない映画、ってあるじゃないですか。
そういうのって、やっぱり、
読んだ方がいいし、見た方が良いですよ。
けっこう人間の教養って、
そういったものを本当に読む(見る)か、
それとも死ぬまで知ったかぶりでやり過ごすかという、
そこに分水嶺があると思う。
私は13年間見たような顔をしながら見ていなかったので、
人に講釈をたれる立場にはありませんが笑。
端的にいって素晴らしい内容でした。
地球温暖化の「事実」がよく分かります。
でも、悲観主義ではなく、
かつてオゾンを減らすことに成功した人類は、
自分を変えられる、という希望がを語ります。
トランプ政権になってから、
米国は「地球温暖化などというものはない」
という、まともな科学者が失笑するようなことを、
堂々と言い始めていて、目も当てられませんが。
現実を無視し、世界で最も狂気じみたことをするのも米国ですが、
現実を見据え、世界で最もクリエイティブに問題を解決するのも米国です。
私は米国の後者の側面に今後も期待し続けたい。
(532文字)
●リメンバー・ミー
鑑賞した日:2019年4月3日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(100円)
監督:リー・アンクリッチ
主演:アンソニー・ゴンザレス
公開年・国:2018年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2OLFEJX
▼140文字ブリーフィング:
素晴らしかったです。
制作陣が「トイストーリー3」のスタッフなのだそう。
ルックスは異なりますが実はこの映画、
「トイストーリー」とテーマがまったく一緒なのです。
メキシコを舞台とするこの映画には、
「冥界」が登場します。
死んだ人が一時的に行く場所です。
ここでは、「今生きている人がひとりもその人を覚えていない」
という状況になると、魂が消えてしまいます。
「人は2回死ぬ。
肉体的に死んだときと、
生きている人に忘れられたときだ」
みたいな言葉をいつかどこかで聞いたことがありますが、
この映画の扱うテーマはそういうことです。
「トイストーリー3」では、
アンディがティーンエイジャーになっています。
バズライトイヤーやウッディは、
彼にとって「子どものころに遊んだ過去のおもちゃ」なのです。
アンディはもうおもちゃごっこに興味はなく、
プレイステーションやXboxに夢中になっている。
ときどき部屋の片隅にあるウッディを眺め、
「あぁ、昔遊んだなぁ」と思い出すが、
彼の中でその存在は年々小さくなる。
アンディ(子ども)に完全に忘れられたとき、
おもちゃは完全に「死ぬ」のです。
だからトイストーリー3で、
バズとウッディは、「次の子ども」のもとへ、
アンディのもとから旅立っていきます。
それを必要とする誰かのために、、、。
ほら、同じテーマでしょ。
私たちが「生きている」というのは、
「誰かの(記憶の)中で生きている」のです。
無人島で完全に孤立している「生」は、
果たして「生」と言えるのか?
トイストーリーもリメンバー・ミーも、
実は深い存在論的なテーマを取り扱っています。
そういうテーマを、子どもにも大人にも、
見た人のレベルに応じてレイヤーで伝わるように映画を作る。
ピクサーって、もはやとんでもない領域に脚を踏み入れています。
凄すぎる。
あと、ピクサーって、
作品ごとに「CGによる映像表現のイノベーション」を、
毎回起こしていく、というのも知られています。
モンスターズ・インクならば「毛の表現」、
カールおじさんならば「浮遊表現」、
ファインディング・ニモならば「水の表現」、
ウォーリーならば「錆びた金属の表現」など。
今回はあきらかに「シワの表現」ですね。
あの「おばあちゃんのシワ感」。
あれは凄い。
あれをCGでやられてしまうと、
実写である意味はますます失われていく。
あれを見るだけでも、
「リメンバー・ミー」を見る価値があります。
文字数の関係で割愛しますが、
リメンバー・ミーでは、
音楽と靴職人、という対比も面白いです。
これは「リアリズムとロマンシティズムの闘い」
という思想的テーマです。
映像も音楽も素晴らしいです。
私はタブレットで見ましたから魅力の10分の1も体験できてません。
これを映画館で観た人はラッキーです。
(815文字)
●ジャンゴ 繋がれざる者
鑑賞した日:2019年4月1日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(199円)
監督:クエンティン・タランティーノ
主演:ジェイミー・フォックス、クリストフ・ヴァルツ、レオナルド・ディカプリオ
公開年・国:2013年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2VlnvoK
▼140文字ブリーフィング:
「黒人の西部劇」です。
そんなものは本当は存在しないので、
「フィクション」なのですが、
そのフィクションを借りて奴隷制度の悲惨さを描いています。
そして完全なる勧善懲悪、つまり、
「半沢直樹的なフィクション」ですが、
非常に面白く痛快でした。
3時間に迫るのにまったく長く感じないのは、
さすがタランティーノです。
(150文字)
●奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール
鑑賞した日:2019年4月1日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:大根仁
主演:妻夫木聡、水原希子
公開年・国:2017年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2Vqynlr
▼140文字ブリーフィング:
大根仁監督が好きなので、
プライム特典になっているのを見つけすぐに見ました。
「ヤバい女」の話しです。
「出会う男すべて狂わせるガール」って、
実在するんですよね。
「サークルクラッシャー」とか、
「職場クラッシャー」とも言われます。
ある種の「サイコパス」なのでしょう。
合法的に他者の人生をめちゃくちゃに出来る、
最も手堅い方法が、この「魔性の女」タイプでしょうね。
彼女との、それはそれは怖ろしい恋愛と、
手痛い別れを経験した主人公は、
彼女から「表層的に生きること」という処世術を獲得します。
怖ろしい話しです。
原作漫画をちょっと読みたくなりました。
(266文字)
●この世界の片隅に
鑑賞した日:2016年11月24日
2019年4月8日 二回目観賞(Amazonプライム特典)
鑑賞した方法:池袋の映画館で鑑賞。
監督:片桐須直
主演:のん
公開年・国:2016年(日本)
リンク:
https://bre.is/1IlYEI0fA
▼140文字ブリーフィング:
観賞は二回目です。
最初は、3年前に、
妻と一緒に映画館で観ました。
そのときも泣きましたが、今回も泣きました。
この作品はルックスとは裏腹に、
めちゃくちゃな情報量をぶち込んでいる作品なので、
何回見ても新しい発見があります。
そして何度見ても新しい感動があります。
池袋の満員の映画館で3年前に観たとき、
エンドロールが終わった後、
私を含め誰一人「立たなかった」のを思い出しました。
あれは「立たなかった」のではありません。
「立てなかった」のです。
それほどに「みぞおちに来る」映画です。
(235文字)
●万引き家族
鑑賞した日:2019年4月6日
鑑賞した方法:Amazonビデオで有料レンタル(500円)
監督:是枝裕和
主演:リリー・フランキー、樹木希林、松岡茉優、安藤サクラ他
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
https://rebrand.ly/539b0
▼140文字ブリーフィング:
是枝監督の作品は、
この10年ぐらいのやつは全部見てます。
私の中の「是枝監督ベスト3」は、
1.三度目の殺人
2.そして父になる
3.誰も知らない
ですが、「万引き家族」は、
2と3の間ぐらいかな、暫定的に。
つまり3位。
ちなみに本作はカンヌ映画祭パルムドールを受賞した作品です。
世界的な評価では最も高い作品、ということになります。
じっさいこの作品は、
過去の是枝作品の集大成と言って良い。
「誰も知らない」要素も入っていますし、
「そして父になる」要素も入っている。
「海街diary」要素も入っているし、
「三度目の殺人」要素も入っている。
社会から「忘れられた」子どもたちと、
その「代替家族」として機能する、
社会から抑圧された人々の相互扶助(誰も知らない)。
家族の新しいメンバーとしての「妹」(海街diary)、
血縁をもたない疑似家族の「父」が、
「父になっていく」ということ(そして父になる)。
さらに、弱き者を裁く「システム」としての、
児童相談所や裁判所(三度目の殺人)。
こうしてみると、
「万引き家族」は、
「是枝幕の内弁当」なんですよね。
まさに「集大成」。
では、いちばん面白かったかというと、
私はそれぞれのテーマを深掘りした過去作のほうが好きです。
これは人それぞれでしょうね。
ただ、この作品で確実に言えるのは、
「安藤サクラの演技はヤバい」ということです。
ケイト・ブランシェットはカンヌで安藤サクラの演技を見て、
「今後私が何かの映画で『あの泣き方』をしたら、
そのときは安藤サクラの真似をしたと思ってくれて良い」
と発言しているそうです。
「あの泣き方」を見るだけでも、
『万引き家族』には鑑賞の価値があります。
ちなみに是枝監督はカンヌ受賞後、
内閣表敬訪問を固辞しました。
それに対して百田尚樹は腹を立てているみたいですが、
マジでバカとしか言いようがありません。
是枝裕和監督はブログで、
「国に感謝をしていないとかそういうことではなく、
何かしらの発言をする文化的な活動をする人間は、
公権力から一定の距離を保つべきだと思うので、
そうさせていただいた。
それでも日本の映画現場の経済状況は、
非常に逼迫していて現場は苦労している。
引き続きご理解とご支援をいただけるとありがたい。」
ときわめて簡潔に立場を表明しています。
現政権とベッタベタでズッブズブの、
百田尚樹は是枝監督の爪の垢を焙煎し、
エスプレッソにして飲むべきでしょう。
あと、高須クリニック院長の高須克弥氏も、
『万引き家族』についてこのようにツィートしています。
〈万引き家族で日本人のイメージを作られるのは嫌です。
日本人は勤勉で正直で礼儀正しいです〉
、、、これもバカとしか言いようがありません。
もう一度言います。
バカです。
アメリカには奴隷制度を批判する映画がありますが、
あれを見た外国人は
「今もアメリカは黒人を差別する酷い国だ」
と思うでしょうか?
逆でしょ?
イギリスは、
「社会風刺精神に溢れるドキュメンタリーや映画」を、
とても多く作っていますが、
それを見た外国人は、
「イギリスは酷い社会なのだ!」と思うでしょうか?
逆でしょ?
こういう問題を顕在化して、
批判する気骨のある人が評価される国は、
きっと未来があるに違いないと思う。
逆に北朝鮮や中国で量産されている、
「自国賞賛映画」や、
「自民族マンセー映画」を外国人が見て、
「中国、北朝鮮は素晴らしい国だ!」
と思うでしょうか?
逆でしょ。
あぁ、ヤバい国なんだなぁ。
批判する映画監督は獄中死したんだろうなぁ。
かの国に生まれなくて良かったなぁ、
と外国人は思うのです。
高須や百田はいつも、
日本の問題点を指摘し、
日本を「批判」する人を
「売国奴」とののしりますが、
それはいったいどちらなのか、、、、?
どちらが国益を毀損していて、
どちらが日本の信頼性を高めているのか?
ここから先は、
各自でお考えになってください。
個々の判断におゆだねします。
(1,548文字)
●リップヴァンウィンクルの花嫁
鑑賞した日:2019年4月10日(インドへの飛行機の中で)
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:岩井俊二
主演:黒木華、綾野剛、Cocco
公開年・国:2016年(日本)
リンク:
https://bit.ly/2GhNYhT
▼140文字ブリーフィング:
岩井俊二監督も、是枝監督と同じく好きな監督でしたが、
この10年ぐらい、全然見てなかったんですよね。
、、、と思ったら、
そもそも映画を作っていなかったらしいです。
本作は久しぶりの映画でした。
といっても、もともとテレビドラマだったものの劇場版だそうですが。
うーん。
正直、失望しました。
岩井俊二がこれを、本当に面白い思っているとしたら、
正直「がっかり」です。
映像は美しいです。
黒木華の演技も素晴らしい。
しかし、ストーリーが酷すぎる。
「現代性」を盛り込んだようなつくりになっていますが、
あまりにも空疎で、実は前時代的です。
彼は「映像作家」であって、
もはや「映画作家」ではないのかもしれない、
と思いました。
今回の黒木華と、
「リリィ・シュシュのすべて」で脚光を浴びた蒼井優は、
顔の系列がよく似ています。
岩井俊二の好みが出ているなぁと思いました。
(365文字)
●シッコ
鑑賞した日:2019年4月10日(インドへの飛行機の中)
鑑賞した方法:Amazonビデオでレンタル(100円)
監督:マイケル・ムーア
主演:マイケル・ムーア(ドキュメンタリー)
公開年・国:2007年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2Z6qt2v
▼140文字ブリーフィング:
めちゃくちゃ面白かったです。
マイケル・ムーア監督作品はこれまで、
「ボーリング・フォー・コロンバイン」とか、
「世界侵略のススメ」などを見てきましたが、
本作がいちばん面白かったかもしれない。
米国の医療制度の矛盾、
という、いかにもNHKとかがやりそうな、
社会問題に関する教育的内容なのですが、
マイケル・ムーアの手にかかると、
ここまでエンターテインメントとして面白くなるのか!
というのが今回私が改めて感動してことです。
この話題について、
「つまらなく」語ろうと思えば簡単です。
5分で8割の人間を寝かせることも出来るでしょう笑。
マイケル・ムーアの凄いのは、
その思想性もそうなのだけど、
「エンターテイナー」として卓越しているところだ、
ということに気づいたとき、
「すげぇな」と改めて思いました。
あまり、その部分に注目する人は多くないですが、
ここが一番大事なのだと今回思いました。
「とても重要で正しい問題提起」だったとしても、
それがつまらないものであり、
聞いている人が眠くなるようなら、
その問題提起に力はない。
「エンターテインメントとしてめちゃくちゃ面白い」
からこそ、多くの人に耳を傾けてもらえるのです。
アル・ゴアの『不都合な真実』もそうですが、
アメリカはそのへんをよく知っています。
では、どうやってるのか?
マイケル・ムーアの映画の作り方は完全に、
「サンプリング世代」のそれです。
ヒップホップ世代と言っても良い。
つまり、音声・映像・文字・会話・過去のアーカイブなどの、
ものすごい情報量をいったんバラバラに切り刻み、
それをコラージュ的に再構成していくのです。
その編集は、
彼の太った見た目とは裏腹に軽快で、
彼の極左の政治意見とは裏腹にポップで、
それらが圧倒的に面白いエンターテイメントとして成功しています。
見ていて単純に「楽しい」のです。
これは「売れる」よな、と思いました。
さて、この映画が投げかけるテーマは何か?
とんでもないですよ。
映画を観た人は必ず語りたくなります。
日本の保険と医療の未来について、、。
日本の未来がアメリカ型にならないように、
と願わずにはいられなくなるでしょう。
ちなみにタイトルの「シッコ (sicko)」とは、
「狂人」「変人」などを意味するスラングだそうです。
「病気の」「病気にかかる」という意味の単語、
「シック(sick)」と掛けているわけですね。
日本語で「疾呼(しっこ)」=病を呼ぶ
という造語を作ったら、
この映画と相性がいいなー、
なんて思いながら観ました。
この映画、いろんな意味でオススメです。
(1,048文字)
●アトミック・ブロンド
鑑賞した日:2019年4月10日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典(インドへの飛行機の中で)
監督:デヴィッド・リーチ
主演:シャーリーズ・セロン
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://amzn.to/2DkogaP
▼140文字ブリーフィング:
映像はカッコいいです。
音楽もスタイリッシュです。
何よりシャーリーズ・セロンが、
信じられないほどクールです。
(サリーと私の魔法の時間との差!)
しかし、中身は何もない感じかな。
スパイモノが好きな人は絶対好きです。
私はスパイモノって、
あまりストーリーが追えないんですよね。
途中でよく分からなくなる笑。
きっとスパイには向かない性格なのでしょう笑。
なのでぶっちゃけ、よく分かりませんでした。
最低な感想ですね笑。
ただ、セロンが凄すぎる。
それだけ。
本当にそれだけは確かです。
(230文字)
●百円の恋
鑑賞した日:2016年4月20日
鑑賞した方法:TSUTAYA DISCUSで借りて自宅で鑑賞
監督:武正晴
主演:安藤サクラ
公開年・国:2016年(日本)
リンク:
https://amzn.to/2URd0x9
*2019年4月24日(Amazonプライムで二回目観賞)
▼140文字ブリーフィング:
この映画は二度目の観賞です。
『万引き家族』の安藤サクラの演技に心打たれて、
安藤サクラブームが訪れました。
それで過去に見たこの映画を、
デリーにいるときに見ました。
あらためて、安藤サクラの演技がすさまじいです。
あと、この映画、一回目もそうでしたが、
普通に涙をぽろぽろ流して泣いちゃいました。
一回目のときより泣きました。
これは、私の涙腺の「ツボ」なんですよねぇ。
このタイプ、一番泣くかも。
興味ある人は是非鑑賞してみてください。
大好きな映画です。
(219文字)
●インサイダーズ 内部者たち
鑑賞した日:2019年4月14日
鑑賞した方法:Amazonプライム特典
監督:ウ・ミンホ
主演:イ・ビョンホン、チョ・スンウ
公開年・国:2015年(韓国)
リンク:
https://amzn.to/2PkncZd
▼140文字ブリーフィング:
勧善懲悪ものです。
あまり面白くなかったです笑。
俳優の演技は悪くない。
(37文字)
▼▼▼月間陣内アカデミー賞▼▼▼
世界一小さな映画賞、
「月間陣内アカデミー賞」を、開催いたします。
主催者、プレゼンターは陣内がつとめます。
作品賞、主演(助演)俳優賞、そしてもうひとつ、
という感じで、ぬるーくやります。
皆さんの映画選考の参考にしていただければ幸いです。
▼作品賞
「百円の恋」
コメント:
『シッコ』と悩んだのだけど、
やっぱりこの映画が好きですね。
百円の恋、最高でした。
胸が熱くなりました。
クリープハイプの主題歌も素晴らしいです。
▼主演(助演)男優賞:該当なし
▼主演(助演)女優賞
シャーリーズ・セロン(アトミック・ブロンド)
安藤サクラ(百円の恋/万引き家族)
コメント:
今回は二人。
まずはセロン。
とんでもねぇ女優さんです。
彼女はアラフォーですが、
この映画をノースタントで撮ったそうです。
この映画のアクションシーンって、
本当に「リアル」です。
格闘技の専門家の考証を経て、
「こんな打撃で男が吹っ飛ぶとかあり得ない」
とか、そういうリアリズムを追求して撮ってるので、
アクションシーンは、
ジャッキー・チェンとか、
トム・クルーズのレベルに達していると考えて良い。
なんと彼女、この映画の撮影準備のために、
奥歯を2本折ったそうです。
転んだの?
殴られたの?
と思うじゃないですか。
違います。
「筋トレで歯を食いしばりすぎて」です。
ヤバいでしょ。
そうやって作った身体を、
本作では見ることができるのです。
「筋トレするとムキムキになっちゃうしー」
とか寝ぼけたことを言ってる日本の女子は、
どうかこの映画を観てください。
「ムキムキになんて、そう簡単になれるかボケ!」
ってことです。
じっさいトレーニングで奥歯を2本折ったセロンの身体は、
「ムキムキ」ではありません。
筋肉が適度についた「締まった身体」です。
筋肉はそう簡単につかないんです。
もう一度言わせて下さい。
筋肉はそう簡単につきません。
筋肉は「一円貯金」なんです。
「ムキムキになるのが嫌だから筋トレはなぁ、、、」
ってほざいてる日本の女子は、
「億万長者になるのが嫌だから、
一円貯金始めるのはなぁ、、、」
って言ってるのと同じなんです。
「なれねーよ、バーカ」ってことです。
筋肉をナメるな、ってことです。
?
?
??
???
何の話し?
私はいったい何に怒っているのでしょう笑?
すみません。取り乱してしまいました笑。
筋トレユーチューバーの、
コアラ小嵐さんが一瞬乗り移ったみたいです笑。
そう。セロン姉さんがハンパないってことです。
ハリウッド女優が一本の映画で何十億も儲けて、
「もらいすぎじゃないの?」と思うこともありますが、
このプロ意識ならそりゃそんぐらい稼ぐかもな、
と思わせる迫力がシャーリーズ・セロンにはあります。
わりと短いスパンで撮られた2本の映画の比較を載せます。
▼参考画像:「タリーと私の秘密の時間」のセロン
https://bre.is/HPIxpLp5x
▼参考画像:「アトミック・ブロンド」のセロン
https://bre.is/gN526FHdo
、、、とんでもなくないですか?
同じ人間ですよ。
、、、あと、安藤サクラですね。
この人の演技はすごいです。
「百円の恋」の彼女の身体の変化も、
セロン姉さんに引けを取らない。
たしかこの映画って、
1ヶ月以下とか、そんな期間で撮られてるんですよね。
それが、最初のシーンと最後のシーンの安藤サクラを、
どうか比べてみて下さい。
別人ですから。
「ライザップ」なんて生ぬるいと思いますから。
体つきだけではなく、
身のこなしとか目つきとか、
人相すら変わってますから。
▼その他部門賞「映画音楽賞」
「百八円の恋」(クリープハイプ)
コメント:
この曲はこの映画のためにある!
っていうほどにハマる映画の主題歌って、
多くないと思うんですよね。
『君の名は』の「前前前世」(RAD WIMPS)とか、
『青天の霹靂』の「放たれる」(Mr.Children)とか、
『スタンド・バイ・ミー』の「スタンド・バイ・ミー」(Ben.E.King)とか、
「テーマ曲ドハマり」映画ですね。
これらの作品の場合、
映画ありきで音楽が「寄せてる」わけです。
そりゃハマりますよね。
「百八円の恋」もこれらと肩を並べます。
エンドロールでこの曲が流れるとき、
今まで観てきた主人公の闘いが走馬燈のように駆け巡り、
涙腺崩壊必至、っていうね。
これは映画とセットで味わわないと意味がない曲です。
オススメです。
]]>
陣内が先月観た映画
2019-10-15T13:16:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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住みたい街ランキング
第90号 2019年5月7日配信号
▼▼▼住みたい街ランキング▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
新天皇即位のお祝いも、
10連休も終わり、
日常に帰って行く人が多いのでしょうか。
私はあまりカレンダーとは関係ない生活をしていますので、
インドから帰っ...
▼▼▼住みたい街ランキング▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
新天皇即位のお祝いも、
10連休も終わり、
日常に帰って行く人が多いのでしょうか。
私はあまりカレンダーとは関係ない生活をしていますので、
インドから帰ってきて1日2日身体を休めた後は、
既に通常のルーティーンに戻って仕事してます。
とりあえずリズムを取り戻すことを第一に、
先週は過ごしておりました。
というわけで今週も質問カード、
いってみましょう!
▼質問:
あなたのなかの「住みたい街ランキング【国内版】」
を教えてください。
、、、この手のランキングというのは各種ありますが、
以下のサイトでは、
1位:神奈川県横浜市
2位:東京都世田谷区
3位:東京都港区
4位:北海道札幌市
みたいな感じになってます。
▼参考リンク:
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000095.000006408.html
、、、私の場合はそうですねぇ。
いつもどおり3つ挙げましょう。
▼▼▼1位:札幌と福岡
これはねぇ。
やはり札幌好きなんですよねぇ。
というより北海道が好きですね。
からっとした気候と、
広い土地が自分に合っていると思います。
大学時代の6年間を北海道で過ごしたので、
これは実証済みです。
なぜ(大学のあった)帯広でなく札幌か?
2000年代になって、
トーマス・フリードマンという有名なジャーナリストが、
『フラット化する世界』という本を書きました。
これは「インターネットによって、
世界のどこに住んでも変わらず仕事が出来るようになるぜ!」
という楽観的な本でした。
この本を読んだかどうかは不明ですが、
この本に書かれた思想を反映して、
離島や田舎に移住した有名人や起業家もいます。
脚本家の宮本亜門さんが宮古島に住んでいたり、
村上春樹がギリシャの小さな島に住んだりする、
というのはそういった動きのひとつでしょうし、
東京を離れ地方に移住するブロガーやIT社長は、
昨今でも後を絶ちません。
私もそういったことに憧れた時期がありますが、
2年前にリチャード・フロリダ氏が書いた
『クリエイティブ都市論』を読んでから、
この考えに若干の修正がなされました。
『クリエイティブ都市論』でピンク氏は、
「世界はフラット化していない」、
と実証していきます。
むしろ「スパイキーな世界」になってきている、と。
つまり、学術研究、執筆、芸術、起業など、
あらゆる「創造的な仕事」は、
世界全体にあまねくフラットに広がるのではなく、
「局所的に突出したいくつか都市」に、
局所的に集中する傾向が、
21世紀になってむしろ強まっている、
と指摘します。
なぜそうなるのか?
クリエイティブな仕事というのは、
「異なる文化を持つ人との出会い」から生まれるからです。
つまり、その都市に
1.多種多様な文化的背景を持つ人が集まること
2.多種多様な文化を受容するリベラルな気風があること
この二つが必要だというのです。
アメリカならば西海岸沿岸部と東海岸の大都市圏、
テキサスのオースティン、
(ダラスやヒューストンでないところがポイント)、
カナダのバンクーバー、
アジアならば香港やシンガポールや東京などを、
リチャード・フロリダは挙げています。
「クリエイティブな才能」は、
インターネットの時代に偏在化するどころか、
むしろ局所化が進んだのだ、という分析です。
その基準で言うならば、
(平成の大合併以前からの)
日本の100万人以上の都市は、
ピンクの言う「スパイキーな世界」における、
突出したクリエイティブな都市と言って良いでしょう。
この本を読むと分かりますが、
日本はそのような都市の数で、
実はものすごく恵まれた位置にいる、
というのが分かります。
私が「仕事ならなんでもいいよー」。
という人間なら、このような制約は「無視」できたでしょう。
後に挙げる、完全に「住環境が良さそうな場所」に住むのも、
「あり」だと思います。
しかし私は「知的に創造的な仕事」を、
自分の仕事にしていきたいと思っているし、
自分の適性を考えたとき、
それをしないのは自分にとっても世界にとっても損失だと、
(誰も思ってくれないので自分で)思ってるので笑、
まぁやはり「フロリダの言うところのクリエイティブな都市」
に住むのが、少なくとも現役で働いている間は、
必要だろうなぁと思うのです。
そして私たちの世代はおそらく年金はもらえません。
私たちの世代にとって年金は生涯、
「払うもの」であって「貰うもの」ではありませんから、
身体が動く限りは生涯働くことになるでしょう。
とするとつまり、クリエイティブな都市、
というのが選択の条件になる。
、、、という前置きをした上で、
札幌と福岡です。
札幌は先ほど述べたように、
気候と自然が大好きだからです。
あと、「街としての魅力」も、
非常に高い。
面白いモノがたくさんある。
北海道って文化が「リベラル」なので、
分野によっては東京より面白い。
福岡はじつは未知数です笑。
でも、今までの人生で得てきた、
福岡に関するすべての情報を総合しますと、
私は絶対に福岡、好きです。
行くと絶対ハマると思うので、
行っていません。
ギャンブルにハマると分かっている人が、
パチンコ屋に入らないのと同じです笑。
▼▼▼2位:神戸
神戸は何度も行ったことあるのですが、
去年の春に街を歩いて、
やっぱり良いなぁ、と改めて思いました。
神戸って、関東で言うところの横浜であり、
港から外来の文化が入ってくるので、
「文化に対するアンテナ」が立っている場所です。
街行く人はおしゃれですし、
街並みもセンスが良い。
それでいて、「東京のハイソな街」ほど、
「他者を見下す態度」が露骨でない。
物価も家賃も交通渋滞も東京に比べれば良識的だし、
関西ならではの庶民性がある。
あと、横浜や世田谷ほど人々はせわしなくない。
愛知出身、シアトル在住のイチローが、
「神戸に球団があればもう一度日本でプレーしたかも」
と言うほどに惚れ込むのも、納得です。
▼▼▼3位:京都
神戸と同じぐらい面白そうなのは京都ですね。
京都って「よそ者に冷たい」イメージがありますが、
実はそうでもない部分もある。
京都って実は「伝統」と「新規性」のバランスが、
かなり高いレベルで融合している都市なのです。
統計的にもベンチャー企業が多く、
成功したベンチャーの数も多い。
「任天堂」の本社は京都ですし、
ネット印刷の「プリントパック」も京都から始まりました。
「京都の人」と思って貰うには、
孫の孫の代ぐらいまで時間がかかるので、
「一生よそ者と思われ続ける」という覚悟さえあれば、
私のような業種の人間は案外住みやすそうだと思っています。
そもそも私はキリスト者なので、
「この世ではよそ者」と聖書に書いてありますし。
そこで落ち込む必要はまったくない笑。
▼▼▼番外編1:沖縄
これはねぇ。
先ほどのスパイキーな都市、
という意味で、「那覇」は多分入ってくると思うんですよ。
特に台湾やシンガポールやインドネシアなど、
アジア圏の都市を相手に何かの商売や活動をする人には、
那覇ほど適した場所はないと思います。
しかし、私がここで「沖縄」という場合、
それは離島を指します。
さらに宮古島と石垣島を除きます。
この二島はもはや東京の出張所みたいになってしまって、
ちょっとげんなりするからです。
久米島だとか、
さらに小さな島だとか、
そういった島に住むのは、
きっと良いもんだろうなぁ、
と、なんとなーく思っています。
島で生まれ、島で育ち、島で働き、
やがて島のおじーになっていく、、、。
三線(さんしん)片手に泡盛を飲み、
「おじー、おじー」と言われながら、
豆腐チャンプルーを食べる。
そんな人生って素敵だろうなぁ、
とときどき白昼夢を見ます笑。
▼▼▼番外編2:帯広
最後は帯広ですね。
私の永遠の第二の故郷です。
めちゃくちゃ好きな街。
ただ、クリエイティブ都市論の理論だと、
ちょっと厳しそうなんですよねぇ。
もういちど獣医の世界に戻り、
「酪農の世界で生きる」と覚悟すれば、
生活していけるかもしれませんが、
それは人生の初期に「掛け違えた」ボタンを、
もういちど第二ボタンにまで戻って付け直す、
みたいな作業なので、
やはり躊躇するわけですよ。
心理的ハードルで言うと、
会社に40代まで勤めた人が、
「やっぱり帯広で獣医をしたい」
と一念発起して大学に入り直し、
酪農の世界に飛び込む、
みたいな話しです。
あ、そういえば学生時代の同級生に、
「まさにそういう人」も何人かいました。
それほど帯広の吸引力は強いです笑。
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今週の「オープニングトーク」
2019-10-14T13:14:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
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お金をかけないもの
第089号 2019年4月30日配信号
▼▼▼お金をかけないもの▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
久しぶりに日本からの配信になります。
▼あなたが普通の人よりも特に、
「お金をかけていない」のはどんなことですか?
(例:教育、食事、美容、交通、本、映画...
▼▼▼お金をかけないもの▼▼▼
メルマガ読者の皆様、こんにちは。
久しぶりに日本からの配信になります。
▼あなたが普通の人よりも特に、
「お金をかけていない」のはどんなことですか?
(例:教育、食事、美容、交通、本、映画、洋服など)
、、、そうですねぇ。
思いつくところから行きましょう。
▼▼▼散髪
これは、0円です。
病気になって外出するのが怖く、
妻にカットしてもらうようになりました。
それから、美容院よりも妻のほうが上手なので、
ずっと妻にやってもらっています。
だから、かれこれ5年ぐらい、
私は美容院にも床屋にも行っていません。
美容院って、4000円ちょいだとした場合、
だって月に一回行けば、
年間5万円かかりますからね。
二月に2回だったとしても2万4千円。
千円カットだったとしても、
毎月行けば年間1万円を超えます。
私の場合これが、「ゼロ」です。
正確に言えばパナソニックのヘアカッターを買ったので、
3,500円の投資を最初にしています。
しかし、経済学用語でいうところの、
「限界費用」は限りなくゼロに接近しています。
だいたい月1回散髪しているとして、
5年間の散髪代を3,500円で割ると、
だいたい、1回60円ぐらい(?)になる。
あと5年続ければ1回30円になる。
これはすごい。
時短という意味でも優秀です。
近くの美容院を予約し、
美容院に行き、切ってもらい、
シャンプーをし、渇かし、
お金を払い、家に帰る。
最低でも1時間はかかります。
長ければ1時間半。
2時間という人もいるかもしれません。
家で妻に切ってもらうのは、
妻の腕が上がってきているので、
なんと20分ぐらいです。
そのままシャワーに入り、
髪の毛を流し、身体を洗い、
娘をお風呂に入れる、
という完璧な流れ。
無駄がいっさいない。
すばらしい。
そして何より、
美容院での「会話」が苦手なんです、私は。
もうあの手の会話は、
100人の前で1時間話すより疲れます。
「雑談」が苦手です。
とてつもない面白い中身を持ち、
トークスキル、話しの転がし方が上手い美容師がいれば、
その時間も楽しいかもしれませんが、
そんな人はとっくに芸人になって、
おしゃれイズムの司会をしているので、
たいていの美容師の「雑談力」は、
たいしたことない(失礼)。
私の趣味の話しをしても、
全然ぴんときてない。
読んでる本、お笑い、政治、経済、映画、、、
全部、私が「知りすぎている」のも問題なのですが。
(こういうこと言うのも口幅ったいですが、
事実なので言います。スミマセン。)
「ハードコアすぎる人」とは、
会話するのが難しいんですよね。
まぁ、それは分かります。
私「じゃあ逆に、お兄さんは何が趣味なんですか。」
美容師「スマホゲームです。」
私「、、、、」
美「、、、」
私「、、、」
美「、、、」
私「なるほどぉ(絶句)」
みたいなやりとりって、
帰った後にどっと疲れるのです。
マジで。
読んでる人の中に美容師がいたら、
大変申し上げにくく、心苦しいのですが、
あの「会話」は私のような人見知りタイプには地獄です。
「レジ袋不要」のカードとか、
ホテルの「掃除不要」のドアノブサインみたいに、
「会話不要」っていう前掛けがおいてあればいいのに、
と思うことすらある。
、、、その点、
妻は「神」です。
会話もかみ合う、
黙っておけば黙っておいてくれる。
20分で終わる。
0円。
端的に言って、
「神」です笑。
▼▼▼スマホ
、、、私はガラケー派なので、
スマホには一円も使っていません。
ガラケーの維持費は月額2,000円前後。
仕事兼用なので、長電話も出来るようにしつつ、
8割は経費で払ってもらっています。
スマホって、維持費マジで高いですから。
あと、維持費には、
美容院で語ったように、
「それに使っちゃう時間」も含まれます。
平均的な日本人は、
毎日3〜4時間スマホに使っているそうです。
毎月5,000円〜10,000円のお金、
そして毎日3〜4時間。
この損失は甚大です。
スマホ代は年に10万そこそこかもしれませんが、
(それでもデカいけど)
毎日3〜4時間あったら何が出来るのでしょう?
凄い損失だと思います。
私は同じ理由でテレビもまったく見ません。
好きなお笑い芸人の番組を録画して見ることはありますが、
それは「オン・デマンド」で見ているのであり、
DVDを借りてみているのと同じことです。
「テレビを受動的に見る」というのは、
一週間のなかで1分たりともない。
だって、絶望的につまらないんだもん。
そして、イライラしてくる。
「すべてを分かりやすく、
テレビサイズのワンフレーズに切り取って提供する」
これに慣れると、
端的に言って「バカ」になると思います(失礼)。
「アホ化」する、
というか「大衆化」する、というか。
思考が「雑」になる、というか。
どこまで言い換えても失礼さは減りませんでした。
すみません笑。
もっと本を読みましょう。
あるいはラジオを聞きましょう。
佐藤優氏も言っているのですが、
ラジオ(および書籍)とテレビの、
決定的な違いは何か?
それは、テレビが「15秒以上の発言」を、
ゆるさないからです。
4秒以上同じ画角で、動きのない絵を映したら、
「放送事故」なのがテレビです。
だから「複雑な論理」は扱えない。
不倫報道なら「許せない!」一辺倒だし、
芸能人の麻薬なら「なぜそんな愚かなことを、、」
といった「記号的なテンプレート」だけが繰り返される。
民衆が民衆を裁く「私刑」はもはやリンチなのでは?
薬物依存症というのは「病気」なので、
患者として彼らを尊厳をもって扱うべきでは?
といった意見は「テレビ向きではない」とされカットされる。
テレビというのは人間の前頭葉を麻痺させて、
人が「思考しないように」する装置なのです。
これは、テレビが「人を消費するように洗脳するCM」を、
収入源としていることと関係しているのですが、
それはまた別の話。
とにかく、私はテレビは見ません。
時間の無駄だし、バカになるから。
同じ理由でスマホも持たない。
SNSも「事実上引退」した。
前述の佐藤優氏も、
怖ろしく忙しい人ですが、
スマホをいったんは持ったが手放したそうです。
「通知」によって、思考が中断されるのがいやだから。
しかし、手近な情報端末は便利です。
その「最適解」は何か??
佐藤さんも私も、
「ガラケーとタブレット持ち」です。
タブレットは格安SIM(月額970円)を入れて運用しています。
時間的にもお金的にも、
非常に合理的です。
*これはあくまで「私のような人間にとって」という意味。
テレビが好きな人がいても良いし、
スマホが手放せない人がいてもいい。
いっこうにかまいませんが、
私は自分の「脳の集中力の持続時間とその質」が、
仕事に直接影響するので、
上記のことが当てはまるのです。
▼▼▼ベルト、時計、手袋、耳当て
ベルトって、持ってる人は、
5、6本持ってたりしますよね。
私はフォーマル×1本
カジュアル×1本だけです。
あ、カジュアルは2本か。
でもそのうち1本は、
ほぼまったく使ってません。
書きながら「売りにいこう」と思いました笑。
1年以上袖を通していない服は手放す、
が私のルールですから。
ベルト、好きじゃないんですよね。
だから、ズボンを買うときは、
ベルト機能があらかじめついているズボンがあれば、
それを買います。
だいぶ前に紹介した、
グラミチのニューナローパンツとか、
最近はユニクロもドローコードがついてるズボンが多く、
非常に助かります。
ベルトって旅行のときは特に邪魔。
無駄に重いし、あと飛行機の保安検査所で外さなきゃいけないし。
だから、ベルトレス生活が私の理想であり、
ゆえにベルトにはお金をかけません。
持っているベルトは、
フォーマルなのは10年前にいただいたやつ。
カジュアルなのも、8年ぐらい前にユニクロで買ったやつです。
、、、あと、時計ですね。
時計は基本「チープカシオ」です。
1,000円です。
これが最高に良いんだ。
安いから良いんじゃない。
良いんだ。
付けているのを忘れるほど軽い。
海外にもそのまま付けていける。
なくしてもダメージは極小。
海外に行くときの時刻合わせも至極簡単。
素晴らしい!
さらにさらに。
秒針も着いていますので、
この重量たぶん20グラムぐらいのチープカシオは、
筋トレの時にもその威力を発揮します。
付けたままトレーニング出来るし、
インターバルの90秒とか120秒を、
これで測れる。
ジムではけっこうキッチンタイマー持ち込んでやってる人や、
スマホのタイマー機能使う人もいますが、
チープカシオならその必要なし!
チープカシオは「神」です笑。
「神」がデフレを起こしています。
、、、あと、手袋、耳当てに関しては、
最近のメルマガで語りました。
これらは「ダイソー」で買ってます。
非常に優秀。
すばらしい。
聖書に
「あなたの宝(お金)のあるところに、
あなたの心もある」
ということばがあります。
キリストが言った言葉です。
これって本当に真実で、
「ある人が何を大切にしているかを知りたければ、
その人が何にお金を使ってるかを見れば良い」のです。
その人が口で「大切だ」と言っていることが、
その人が大切にしていることではありません。
その人が最もお金を使っていること、
それがその人にとって最も大切なことです。
こう考えますと、
「人よりお金を使っていない事」
を語るというのはつまり、
「人より大切にしていないこと」
を語る事です。
つまり私があまり重要でないと思っているのは、
「美容院で髪の毛を切ること」、
「スマホでいつも人とつながっていること」
「ファッションにおける『装飾的な小物』」
なのだということです。
人にはいろんな価値観がありますので、
それは多様で良いと思うのですが、
たとえば独身の人の場合、
今付き合っている人と自分とで、
「お金をかける場所(かけない場所)」が、
とても違うと言うことでしたら、
けっこうその結婚の先行きは暗いかもしれない、
ということは知っておいたら良いかもしれません。
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今週の「オープニングトーク」
2019-10-11T16:03:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=414
バラナシからの手紙
★第88号 2019年4月23日配信号
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■2 紀行文「バラナシからの手紙」
仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。
紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問し...
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■2 紀行文「バラナシからの手紙」
仕事柄、私はけっこう、
さまざまな土地を訪れることが多いです。
紀行文「○○からの手紙」は、
私が自宅を離れて、全国津々浦々、
あるいは海外の各地を訪問したときに、
そこで体験し、考え、触れ、見たことを、
報告するという、そのままの内容。
離れたところから絵はがきを送るように、
海外や国内各地から皆様に、
お手紙を送らせていただきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼バラナシに着きました。
、、、と、いうわけで、
(どういうわけなのか分かりませんが)、
バラナシにいます。
さすがに疲れも貯まってきました。
ずっと下痢ですし。
下痢か、酷い下痢かのどちらかです笑。
先週は土曜日までデリーにおり、
土曜日に国内便でバラナシに移動しました。
飛行機はやはり楽ですね。
デリー→バラナシ間の夜行列車は、
11年前に乗りました。
往復だから2回。
あれはかなり大変な経験でした。
大きさで言うと、
古ーい病院とかにある、
大人がちょうど座れるぐらいの、
「長方形のソファのようなもの」がありますよね。
120センチ×40センチぐらいの。
それが「ベッド」です。
これが、二段になってます。
▼参考画像:インドの夜行電車の二段ベッド
http://livedoor.blogimg.jp/rekusan/imgs/9/1/91d4b215dda7d5536a49-L.jpg
私はこの二階に寝たのですが、
高さは60センチぐらい(?)で、
まぁ、狭いわけですよ。
しかも、スーツケースを身体に結びつけないと盗まれるよ、
と言われていたので、隙間においたスーツケースと、
自分の足を結びつけ、いろんな意味で囚人のような状態で、
13時間ぐらいだったかな、
電車に揺られました。
(駅には荷物と身体を結びつけるための、
「鎖」が売っていました。マジで。
奴隷船にでも乗るのか俺はこれから、
と思いましたから笑)
朝起きたら当然身体はバッキバキです。
当時、iPod nanoで、
aikoを聞いていたのを覚えています。
なぜaikoだったのか謎ですが、
多分今の状況となるべくかけ離れた音楽を、
身体が欲していたのでしょう。
デリーに戻ったとき、
たまたま会った日本人のバックパッカーと会話し、
彼も同じ夜行列車に乗ったという話しで盛り上がりました。
夜行列車ではなんか「売り子」さんみたいな人がいます。
日本の新幹線のあれとは似ても似つかない。
謎のおじさんが食べ物を持って、通路を歩いては、
「モモ」と呼ばれる春巻きみたいなやつを、
ひとつ5ルピー売っていきます。
衛生上の理由から私は怖くて買えなかったのですが、
彼もあれが気になっていて、
そして夜行列車の「一階席」で寝たそうです。
朝起きると、口に「モモ」が入っていることに気づき、
眠い目をこすると売り子のおじさんが仁王立ちしており、
「5ルピー」と請求してきたという。
名前も忘れちゃったけど、
久しぶりに日本語で話したのもあり、
二人で爆笑しました。
これだからインドはやめられない。
2008年7月のことです。
話しを戻しましょう。
その朝、私は夜行列車の極狭二段ベッドで、
バラナシの駅に着きました。
たくさん駅に止まるのですが、
当然「車内放送」なんて気の利いたものはありません。
液晶画面なんて望むべくもない。
薄暗い朝日のなかで、
降りる人は黙々と降りていきます。
どこが「バラナシ駅」なのか?
それは、景色を見ればわかるでしょう、
ということです。
いや、分かるわけないやんけ!
と思い、
真向かいに座っていたシーク教徒(ターバン巻いてる人ね)に、
「バラナシはどこか教えてくれますか?」
と頼むと、彼は次の次の次だ、と教えてくれました。
早朝のバラナシの駅で私が会った人物、
その人こそ、その後11年にわたり、
国は違えど「親友」のように思い合うことになる、
バルーさんその人でした。
あそこで過ごした2ヶ月間は、
私の人生を変えた2ヶ月間でした。
かなりいろんなトラブルに見舞われ、
身体の中に細菌が入って血液に乗って広がり、
地元の病院で治療を受け、
カメラを盗まれ、
パソコンのACアダプタが煙を上げて壊れ、
毎秒体調が悪く、
気温は45度を超え、
エアコンもなかったけれど、
それでもあの2ヶ月ほど後の私の人生に影響を与えた期間は、
あまり多くはありません。
毎朝、バルーさんと語り合いました。
昼は彼のバイクの後ろに乗り、
彼の様々な働きの補佐をしました。
彼の様々な働きというのは、
本当に様々な働きで、
保健師でもあった彼は、
村々を回って衛生指導をし、
井戸掘りプロジェクトを推進し、
トイレの建設に携わり、
開拓した40の教会の牧会をし、
路上で「伝道メッセージ」を語り、
自分のはじめた学校で教え、
女性のための識字教育のリーダーとともに村を訪問し、
40の教会のリーダーたちを励まして歩いていました。
「もしイエス様が市長だったら」
という本があります。
私のメンターのボブ・モフィット師の著作で、
もうちょっとで書籍化され、
皆様にも買っていただけるようになる予定です。
いましばらくお待ち下さい。
その本に引きつけるなら、
「もしバラナシの農村地帯で、
イエス様が市長だったら、
それはバルーさんになるなぁ」
と私は彼のバイクの後ろに乗りながら思ったのです。
夜もご飯を食べながら、
毎日彼と語り合いました。
彼もいろんなことを語りましたが、
私もまた自分のことを語り、
日本のことを語り、
宣教に対する情熱を語り、
教会に対する思いを語りました。
当時私は独身でしたが、
結婚に関することも語り合いました。
バルーさんが銀行に行く日などは、
私はバルーさん宅で、
二人の就学前の子どもたちと遊びました。
上の子が男の子、下の子が女の子です。
日本から持って行った折り紙で、
手裏剣をつくって遊んだり、
ドラゴンボールの「カメハメハ」を教え、
カメハメハの打ち合いをしたりしました。
彼らもまた私にインドの遊びを教えてくれました。
「シャッティマーン」という、
インドの仮面ライダー(注:首から上はおじさん)を、
彼らは私に見せてくれました。
政治についても語りました。
インドの政治の仕組みと問題、
日本の政治の仕組みと問題。
経済のこと、家族のこと、
教育のこと、そして何より、
私もバルーさんも、それぞれに自分の、
「安定した最初の職業」を後にし、
「神から呼ばれた」ことを信じ、
その召命に従って歩む、
という信仰の歩みの在り方が似ていました。
バルーさんは年齢では私の2つ上です。
同世代のバルーさんと私の心は、
その2ヶ月に、
「心の深い部分で結びついた」のです。
彼とは何もかも違うようでいて、
何かその「何もかも」をはぎ取ったら、
とても似ているものを共有している、
という感覚がお互いにありました。
バルーさんが日本人だったら、
私のような生き方をしていたかもしれないし、
私がインド人だったら、
バルーさんのように歩んでいたかもしれない、と。
▼▼▼バラナシ空港にて
先週の土曜日、
私は非常に快適な、
デリー→バラナシの移動をしました。
今回は飛行機でした。
飛行時間は1時間半。
嘘みたいにすぐに着きました。
嘘みたいに快適でした。
40歳を超えた人間には、
夜行列車は苦行です。
「その後の健康ダメージ」で、
飛行機代がペイするので、
飛行機で行くのが吉です笑。
バラナシ空港のゲートで、
バルーさんを見つけました。
感動したのですけど、
ちょっと現実なのか分からないような、
ふわふわとした気持ちを覚えました。
彼は当時と何も変わっていません。
話し方も、髪型も、献身の情熱も。
ただ、私も彼も、
いろんなことが変わりました。
私は当時は援助団体のスタッフでしたが、
今は違います。
私は当時独身でしたが、
今は結婚して子どもがいます。
当時私は「真っ白なキャンパスに夢を描くような」、
転職してばかりの「まっさらな状態の30歳」でしたが、
現在の私はバーンアウトを経験し、
自分の身をいたわりながら、
当時考えていたのとはまったく違うかたちの、
それでもとてもいとおしく思えるかたちの、
自分の働き方を見つけつつあります。
バルーさんにも大きな変化がありました。
実は、私たちが援助団体を離れ、
「声なき者の友の輪」を立ち上げたことと、
バルーさんの人生は無関係ではありません。
それは直接的な影響でした。
つまり、私がかつて属していた援助団体が、
バルーさんたちの働きの援助をカットしたため、
彼らは資金的に行き詰まったのです。
2012年のことでした。
そのときバルーさんは祈りました。
すると、「あなたこそがつまずきの石だ」
と神から語られたそうです。
そして彼はその団体を去りました。
するとその直後、
バルーさんが育て上げた、
40の教会と地域への包括的な奉仕を含む働きを、
他の団体が援助したいと申し出てくれ、
バルーさんが育てた次のリーダーが、
資金的に心配することなく活動を続けられるようになったそうです。
さて。
次はどうしよう。
バルーさんは、
「自分の人生は神のものなので、
次にするべきことが、
どんなことだったとしても、
それに従うだけだ」と考えていました。
そんな折、
他の州で行われたある集まりで、
自分の経験を分かち合ったところ、
そこに来ていたある団体の方が、
「一緒に働かないか?」と声をかけてきました。
なんとその時点で、その「団体」には、
その人ひとりしかスタッフがおらず、
立ち上げた直後だったそうです。
内容は、諸事情によりあまり詳しくは立ち入れないのですが、
「リーダーを育てる」という働きです。
今バルーさんはその働きをしています。
現在インド国内各地に10名の、
バルーさんのような人がいます。
これまでの7年で、
バルーさんはインドのほとんどすべての主要都市を巡り、
何万人という人に向けて語り、
大きな団体の人材育成を請け負い、
そして数多くのリーダーたちを育ててきました。
彼はもはや「有名人」の域だそうです。
インドの教会ではけっこう知られている。
私はその話を聞きながら、
驚くと共に、
「まぁ、そうなるだろうな」
と思いました。
11年前に彼を見た時に、
彼の何が凄いかっていうと、
それは女性も男性も、
中流カーストの人も、
被差別部落出身者も、
彼を信頼しており、
そしてその信頼関係を土台に、
彼は「人の可能性を引き出して、
その人が能力を開花させる」という意味の、
リーダーシップ養成において、
卓越していることだ、というのが、
私の分析だったからです。
この場合の「リーダー」っていうのは、
別に偉くなることではありません。
聖書的なリーダーというのはむしろ、
「しもべ」のイメージです。
目立たず人に仕えている人。
この人が聖書的な意味のリーダーです。
福音書を読めばそう書いてあります。
あと、ヘルマン・ヘッセの、
『東方巡礼』という短編小説を読むと、
この意味が深く理解できます。
バルーさんが今しているのは、
バラナシの田舎でしていたことを、
全国規模で(最近ではインド国外にも)、
しているだけなのです。
「小さな事に忠実な者は、
大きな事を任される」
と聖書は言います。
神様はバルーさんの田舎での働きを観ておられ、
「この人はもっと広く用いられるべきだ」
と「リクルート」されたのだろうと思います。
私はだから、
小劇場で抜群に面白いネタを披露していた芸人が、
M-1で優勝し全国区になり、
今はレギュラー番組を多数抱えている。
そういう軌跡を観ているような感じで、
「まぁ、そうでしょうね」と思います。
さて。
私はどうか?
私の11年はどうだったのか?
私も大きく変わりました。
30歳の私は、
仕事を辞めて宣教の働きに身を投じ、
潰れそうな不安と、大きな夢を同時に抱いていました。
私は結婚しておらず、
結婚もしておらず、
結婚すらしていませんでした。
非常に、確実に、結婚していなかったのです。
現在の私は結婚していて、
娘がおり、そして41歳になっています。
当時よりもさらに小さな団体で、
フリーランス的に働いています。
燃え尽きと鬱を経験し、
30代後半がまるごと、
「ふっとび」ました。
病気の前後含め5年ぐらいは、
本当に自分史から「なくなった」という感覚。
(ただ、それこそが私の最も大きな宝ものとなるのですが、
それはまた別の話。)
今は病気で体力の落ちた、
自分の身体をいたわりながら、
ときどき怖々としながら、
でも今できることを、
ひとつずつ大切にこなしています。
芸人のメタファーに戻りますと、
彼は全国的にブレークしていますが、
私は「さらに地下に潜った」という感じです笑。
11年前はお互い地下一階でしたが、
現在バルーさんは地上はるか高く、
私は、「地下二階」っていうね笑。
賞レースにも参加するのをやめ、
なんか自費制作のDVDとか作り始めたりして笑。
ネタがどんどん前衛的になっていったりして笑。
完全に「地下芸人一直線」です。
ダウンタウン路線ではなく、
ラーメンズ路線ですね笑。
もしくは「みうらじゅん路線」笑。
しかもラーメンズほどのカリスマも才能も持ち合わせないという。
でも、それでいいのです。
そんなことは、友情に何の影響も及ぼさないし、
私たちが神に仕えるということにおいて、
そういった「外側の見た目」とか、
「世間的に考えられている成功の有無」は、
何の重要性も損なわないし、
まったく本質的なことではない。
先週の編集後記に書いたように、
「忠実だったかどうか」がすべてなのです。
かたやバルーさんは、
けっこうな「サクセスストーリー」と言って良いほどに、
素晴らしい用いられ方をしてきた。
私は「しくじり先生」で講義できるほどの、
「挫折と葛藤のストーリー」を歩んで来た。
お互い、話しを聞き終わった後、
「、、、うん。OK。よく分かった。
、、、で、キミは忠実だったのか?」
これだけが私たちの共通の感心でした。
お互いの答えが「きっとそうだと思う」なのは自明なので、
私たちはお互いの歩みを喜び合ったのです。
「こういう部分」って、感覚的なものなので、
あまり言葉になりづらいのだけど、
バルーさんも私も、
「11年前に会ったとき、
何かが俺たちを結びつけたんだよね」
とお互いに言い合っているとき、
その「何か」とは、
こういった「成功に関する定義」とか、
「コアにある何か」だったと、
今になって思えば分かります。
人生観とか価値観とか、
そういった言葉にも落とし込めるのだけど、
もっと「質感を伴った何か」なのです。
人と人を親友にするのは。
私の「親友」たちに、
唯一共通点があるとしたら、
この「質感」だと思います。
▼▼▼バルーさんの子どもたち
、、、さて、文字数もかさんできたので、
すこし角度を変えて話しましょう。
私が再会したのはバルーさんだけではありません。
バルーさんの奥さんと子どもたちにも再会しました。
彼らは当時たしか、7歳と4歳とかでした。
7歳の男の子と、4歳の女の子です。
今のインドの政治的状況を鑑み、
一応、子どもなので実名は伏せましょう。
仮にそうですねぇ。
「アシシくん」と、
「アディティちゃん」としておきましょう。
どちらもインドでポピュラーな名前です。
太郎くんと花子ちゃんみたいなものですね。
今アシシくんは18歳になっており、
アディティちゃんは15歳になっています。
ティーンエイジャーとなった彼らとの再会は、
けっこう感動的でした。
先ほど述べたとおり、
11年前に2ヶ月間バルーさんの家に滞在したとき、
私たちは毎日一緒に遊びました。
一昨日の日曜日、
私はバルーさんが牧師として奉仕している教会、
「オール・ネイションズ・チャーチ」にて、
礼拝のメッセージをしました。
イースターでもあったので、
キリストの復活に関するメッセージを。
英語で話すのはいつも緊張しますが、
バルーさんが通訳してくれ、
多くの人々が感銘を受けた、
と後で言いに来てくれるほど好評でした。
その後、教会の愛餐会がありました。
メニューはもちろんカレーです
あ、これ、日本の「もちろんカレー」とは違いますからね。
プレートにインディカ米とナンとカレースープを盛り付け、
手でこねこねして食べる「リアルガチのカレー」です。
私はアシシくんの隣にすわり、
手でカレーをこねこねしながら、
二人で思い出話を語りました。
ドラゴンボールの「カメハメハ」を、
教えてくれたよね、とか、
日本料理を作ってくれたよね、とか、
けっこういろんなことを彼らは覚えていました。
話しているとこちらもいろいろ思い出してきました。
そういえば「シャッティマーン」はまだ生きてるの?
と私は彼に聞きました。
シャッティマーンというのは、
話せば長くなるのですが、
まぁ、日本でいうと仮面ライダーですね。
というか、もう、仮面ライダーです。
今なら絶対訴訟されるレベルで、
設定とか番組構成とか、
「完コピ」しています。
ただ、仮面ライダーと違う点がいくつかあります。
まず、ヒーローに変身する主人公が、
「おじさん」だということ。
▼参考動画:シャッティマーン変身前
https://bit.ly/2IzPo9Z
私はアシシくんに強く勧められ、
当時放送を何度か見ましたが、
しかもけっこうこの「おじさんパート」が長いんですよね。
かなり「おじさんで引っ張る」わけです。
あそこだけ観てるとかなりシュールです。
おじさんが歯を磨いたり、
おじさんが電話をしたり、
おじさんが昼寝をしたりするシーンが、
ひたすら映されるのですから。
何を見せられているんだろう、という感じです。
そして戦闘シーンになると、
いよいよ変身するのですが、
シャッティマーンが仮面ライダーと決定的に違うのがここです。
「顔面まるだし」
「仮面じゃないライダー」なのです。
あ、ライダーでもないか。
だからもう、何でもないのです笑。
おじさんが首から下だけ変身してますので、
もう、「コスプレおじさん」です。
▼参考画像:シャッティマーン
http://www.internationalhero.co.uk/s/shaktim.jpg
、、、で、戦闘シーンもなかなかのもので、
普通にデリーとかで撮影していると思うのですが、
空き地で撮影してると、
遠くで撮影に気づいて興奮している人が映り込んだり、
普通に風でレジ袋などのゴミが飛んで来ているのが、
映り込んだりしています。
なんと、現在はYouTubeという便利なものがあります。
当時もありましたが今ほどコンテンツは充実してませんでした。
YouTubeでシャッティマーンが見れます。
興味と、ありあまる時間がある方は、
見てみてください。
▼参考動画:シャッティマーン 第298話
https://youtu.be/1Vk2YxN01WM
、、、で、このシャッティマーンは、
当時非常に人気のある、
インドの子どもたちにとってのスーパーヒーローで、
木曜日の17時になると、
テレビの前に正座して待つ、
みたいな感じでした。
昭和の「力道山の試合」みたいなものでしょうか。
けっこう停電で見れないという憂き目にも遭いましたが。
バルーさんが教えてくれたのですが、
シャッティマーンは人気がありすぎて、
子どもたちが空飛ぶシャッティマーンの真似をして、
二階から飛び降りて足を骨折する、
という事故が多発して社会問題となり、
「真似して飛ばないように」という注意喚起が放送されたほど。
、、、で、
私は18歳になったアシシくんに聞いたわけです。
「シャッティマーンはまだ生きてるの?」
アシシくんは軽く笑いこう言いました。
「もう生きてないよ。
、、、
、、、
あ、俳優さんはまだ生きてるけど。」
年齢というのは残酷なものです。
あれほど熱狂したスーパーヒーローも、
当時の子どもが大人となれば、
まぁ、そんなものですよね。
、、、という、バラナシの話しでした。
かなり偏った紀行文となりましたが、
今のところはこんなところでしょうか。
来週はどうなるんだろう?
バラナシの続きを書くかもしれないし、
何もなかったかのように「読んだ本」コーナーかもしれないし、
執筆時間が取れなければ「休刊」するかもしれません。
期待せずに楽しみにお待ち下さい。
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紀行文「○○からの手紙」
2019-09-05T16:59:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊
-
http://blog.karashi.net/?eid=413
若かった両親にアドバイスできるとしたら?
★第88号 2019年4月23日配信号
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼若かった両親に、何かアドバイス出来るとしたら?▼▼▼
▼自分を育ている若かった両親に、
何かアドバイ...
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■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
▼▼▼若かった両親に、何かアドバイス出来るとしたら?▼▼▼
▼自分を育ている若かった両親に、
何かアドバイス出来るとしたら何と言いますか?
、、、これはねぇ。
わりと深いテーマですよね。
40歳にもなると、
「やっと自分のことが分かってくる」。
多くの人はそんなに時間はかからないのかもしれないけれど、
私の場合、自分が分かるのに40年かかりました。
それでもまぁ、分からないこともあるのだけど。
そうすると、
「あぁ、あのとき自分はこうだったんだ。」
ということが、事後的に解明出来たりする。
私の場合、今考えると、
おそらくある種の発達障害を抱えていたと思います。
その言葉が重いというのなら、
発達に大きな偏りがあった。
これは間違いない。
だから、相当に育てにくい子どもだったはずです。
「良い子」ではない。絶対に。
「問題のある子ども」の部類でしたね。
、、、で、私の母親は、
(当然といえば当然だけど)私と似ていて
「真面目だがキャパシティが狭い」タイプなので、
問題児を軽くあしらうこともできない。
鷹揚に構えて適当に扱う事も出来ない。
「ま、なんとかなるでしょう!」
という楽観もできない。
だから一時期母親は育児ノイローゼのようになり、
私は包丁を突きつけられたりしました。
わりと精神的にキツイ追い込まれ方を、
日常的にしていました。
今になって思えば、
追い込まれていたのは母親のほうであり、
その「追い込まれ」が、
私を追い込むという入れ子構造になっていたのですが。
今の基準で言うと虐待に属するかもしれない。
当時は「なぜ兄弟のなかで自分だけが、
こんなにも母親を苦しめるのだろう?」
というどこか他人事のような疑問を抱いていて、
それはちょっと「離人症」に似た状態だったと思います。
母親がハサミをもって自分を追い詰めている、
その後ろ姿を、部屋の天井から、
冷静に見ているような感じ。
まぁ「離人症」ですね、多分。
自分を守るために必要なことだったのです。
「でも、何で僕だけが、、、、」
というのはやっぱり思うわけですよ。
発達に偏りがある子どもというのは、
主観的には発達に偏りがあると思ってないですから。
セクハラ上司が主観的にはセクハラしてないのと同じです笑。
「病識がないのが病理」なのです。
まぁ、今になって思えば、
それは私が発達に偏りがあるゆえに、
「この子どもがこのまま大人になったら絶対マズい!」
と周囲の大人に思わせる何かが、
私にあったからなのでしょう。
じっさいそうだったと思うし。
でも、それはそれとして、
母親に包丁を突きつけられ、
「一緒に死のう」みたいなことを言われるのって、
けっこうキツイ体験だったし、
その後の私の「生きづらさ」を形成しました。
しかし、そんなことは今では「どうでもいい」のです。
それもまた母親が私を愛してくれていた、
何よりの証拠だと思うようになりましたし、
その「生きづらさ」こそが、
私に「ユーモア」を与えました。
映画ライフ・イズ・ビューティフルの父親が、
ナチス収容所だからこそ道化になれたり、
尼崎の長屋極貧生活をしたからこその、
ダウンタウンのお笑いがあるのと同じように。
また、その「生きづらさ」こそが、
私を「思想家」にしました。
森羅万象の「理由」を、
普通の人はそんなに深く考えません。
考えたとしても、
「まぁ、そういうものだろう」と、
そのまま「呑み込み」ます。
私は絶対にそれが出来ない。
今分からなかったとしても、
10年後に分かるかもしれない。
そうやってしつこく考え続ける。
「なぜ」を問い続ける。
「水脈」に当たるまで、
地面を掘り続ける。
単純な頭の良さでは、
私より頭の回転が速く、
キレる人が数多くいますが、
その「しつこさ」では、
私は同世代のほとんど誰にも負けないと思っている。
水脈が見つからなければ、
マントルを突き抜けて地球の裏側まで掘る。
それぐらい私の「なぜ」という掘削機のツメは力強いのです。
「呑み込んだ」ほうが、世の中に適応しやすいし、
お金は儲かりやすいでしょう。
だから多くの人は「呑み込み」ます。
「世の中はこういうものだ」と受け入れ、
そのなかで上手くやっていくことを考える。
しかし私は違う。
「なぜそうなのか」ということが腑に落ちるまで、
決して諦めない。
それってもう「こだわり」というより、
「Way of Life(生き方)」の問題です。
こういうレベルのことは、
変えようがない。
そういう風に創られていると、
受け入れてそれをどう生かすかを考えるしかない。
それを「どう生かす」か?
これが「生きる」んだな。
社会が安定した時代には、
「なぜ」を問うこと、
つまり高度に抽象的なことというのは、
あまり役に立ちません。
むしろ具体的・即物的なことが重要になる。
しかし、社会が不安定で大きく変わる時代には、
高度に抽象的な思考が出来ることが、
非常に大切になります。
誰も思ってくれないからせめて自分で思ってるのですが笑、
私はその意味で自分のことを「時代の宝」だと思っています。
私は今の時代に産まれるべくして生まれたのです。
多分。
おそらく。
、、、で、「抽象思考のツメ」は、
どこから来たのか?
それは間違いなく幼少期の母親との葛藤から来ています。
あのときに「存在論的な不安」を抱えなかったら、
私は、
「世の中に適応するに速く、
生き抜くのに狡猾で、
ひょうひょうと要領よく世渡りする現実主義者」
となっていたことでしょう。
つまり、その定義からして、
私はキリスト者にはなっていなかった。
キリスト者は上のような人物の「逆」の人ですから。
そういうことも含め、
私は自分の過去を愛おしいものとして、
今は温かい気持ちで抱きしめています。
抱きしめれば抱きしめるほど、
自分と母親と世界に対して、
温かい気持ちが溢れてきます。
そして思います。
こんなに恵まれた私は、
世の中にその恵みを還元しなければ、
絶対にダメだ、と。
パウロの言う、
「世界に対する負債」の概念ですね。
私たちが大人になり、
親になると、
「両親が親だったとき、
こんなに若かったんだ!」
と驚く事があります。
私はいま41歳ですが、
私の両親が41歳のときというのは、
私は小学校3年生ぐらいだったわけで、
そりゃ、パニックにもなるわな、と思います。
転勤族で周囲に助けを求める親族もおらず、
子どもを3人抱え、その一人(私)は、
明らかに「様子がおかしい」わけですから笑。
「ヤバい、なんとかしなきゃ!」
と追い詰められることでしょう。
そんな私も、
40年ぐらいかけて、
人々に迷惑をかけながらではありますが、
ちゃんと「発達」したのです。
「なんとかなった」のです。
私は学校の友人、先生、
大学の友人や知人や教会、
社会人になってからの同僚、友人、教会、組織、、、
さまざまな人々に迷惑をかけることで、
いろんなところに頭をぶつけながら、
その「いびつな発達の角」が取れ、
なんとか常識的に振る舞う事が出来るまでに、
「社会によって成長させてもらった」わけです。
そう考えますと、
親の役割というのは案外大きくはなく、
一人の人間が一人前の大人になるまでに、
「この社会」が果たす役割というのは、
考えている以上に大きい。
ジュディス・リッチ・ハリスの、
『子育ての大誤解』を読んでから、
私はますます確信するようになりました。
国際的な学力検査の結果を見ますと、
日本の教育レベルは世界トップクラスですが、
日本のGDPに対する教育の公的支出は先進国最下位です。
なぜか?
親がめちゃくちゃ私財を投じて、
子どもを教育しているからです。
国家が教育において、
これほど「国民に甘えている」国は、
諸外国のなかに他に類を見ない。
でも、その背後にあるのは、
政治家の陰謀でもなければ、
シルバー民主主義でもない。
政治というのは原因ではなく「結果」です。
つまり、
日本人の大多数が、
「子どもを大人にするのは親だ」
と思いすぎている。
遺伝:?%
親:90%
社会:10%
ぐらいに思ってるんじゃないでしょうか?
そう思っていたからこそ、
若き日の私の母親は、
あれだけ追い込まれたのです。
でも、ハリス氏が論証しているとおり、
真実はこうです。
遺伝:40〜50%
親(家庭):10%
社会(友人):40%
これはでたらめな話ではなく、
膨大の「異なる環境で育った双子」の研究から実証されています。
「子育て神話」の崩壊を意味しますから、
この説は人気がないですが、
科学的にはこちらが真実らしい、
というのが最近になってやっと受け入れられるようになってきました。
*参考文献:
『人間の本性を考える』スティーブン・ピンカー
『子育ての大誤解』ジュディス・リッチ・ハリス
、、、何が言いたいのか?
私が若い母親に言いたいのはこうです。
「彼は多分発達障害だけど、
心配することはないよ。
社会が彼を育ててくれるよ。」
そして父親に言いたいことはこうです。
「もうちょっと精神的に、
子育てをフォローして上げて」と。
昭和のモーレツサラリーマンだった父親は、
典型的な昭和の父親のご多分にもれず、
家事や子育ては「ゼロ・コミットメント」でした。
会社の接待で、毎日帰ってくるのは12時過ぎていたし、
土日はゴルフ。
たまに何もない休日には、
ゴルフのスイングか野球中継を見るぐらい。
子どもと家事は「あとは任せた」状態。
もし父親が母親に対して、
家事を手伝わないまでも、
子育てについてねぎらいの言葉をかけたり、
心配を示したりしていれば、
私はハサミをもった母親の前で、
「地獄の圧迫面接」を、
週に数回、2時間以上受ける必要はなかったかもしれない。
、、でも、もしそうなっていたら、
先ほど申し上げた理由により、
私はクリスチャンではなかった。
子どもというのは、
「複雑系」です。
複雑系と非・複雑系の違いは何か?
非・複雑系は、
「ああすればこうなる」が成り立ちます。
自動車のような機械を考えたら分かりやすい。
複雑系は、
「ああしてもこうならない」のです。
有機体としての生物を考えてください。
生物学者の福岡伸一氏が、
「生命工学」という概念自体に異を唱えるのは、
「生命=複雑系」「工学=非・複雑系」という、
二つの「系」の違うものの組み合わせに、
無理があるからというのが氏の主張ですが、
私も彼に賛同します。
「ああすればこうなる」か、
「ああしてもこうならない」か。
これが一番の違いです。
詳しくは「複雑系の科学」に関する文献を参照ください。
とにかく「一人の人間が大人になる」
というのは、関与する要素があまりに多すぎて、
「よかれとおもったことが悪い結果をもたらす」ことや、
「失敗したとおもったことが実は良い結果の原因になっていた」
というようなことに溢れています。
だから、「コントロール不能」なのです。
、、、といったことを踏まえ、
現在父親になった私が子どもに出来ること、
それは何か?
「鷹揚に構える」?
「社会が子どもを育ててくれると信頼する」?
「妻にねぎらいの言葉をかける」?
全部正解ですし、心掛けています。
しかし、このすべてを完璧にしたとしても、
「ああしてもこうならない」のが子育てなのでしょう。
これらを全部したとして、
子どもが将来シンナーを吸い、
髪の毛を染め、タトゥーを入れ、
木刀をかつぎ、原付を改造し、
コンビニの前でたむろするようになったとしても、
私はまったく驚きません。
その前時代性には驚くかもしれませんが笑。
なんせ、複雑系なのですから。
ジュディス・リッチ・ハリスが言っているように、
「お父さん、お母さんといたあの時間は楽しかったなぁ」
と、将来子どもが回想してくれるように、
私もまた二度と戻らないこの時間を、
「楽しんで過ごす」。
これぐらいしか私に出来ることはないんじゃないか。
これが私の「暫定的な答え」です。
私は子どもの将来をコントロール出来ない。
しかし、子どもが
「現在、楽しいかどうか」に関しては、
けっこう私はいろいろなことが出来る。
それで良いじゃないですか。
だって、子ども期間って、
「大人になるための準備期間」じゃないでしょ。
私の見るところ、みんなそう思いすぎてます。
だとしたら、大人の期間って、
老人になるための準備期間なんでしょうか?
老人期間はじゃあ、何の準備期間なんですか?
違うでしょ。
子ども時代も人生です。
大人時代も人生です。
老人時代も人生です。
「生きる」ことは何かの目的に奉仕するのでなく、
それ自体が尊いのです。
だから、子ども時代という「生」が、
豊かになるように、親は全力を尽くす。
それは大人になって有利に人生を進めるための、
投資期間では決してない。
日本の社会が、
両親にすべての十字架を負わせるのではなく、
もっと社会全体で子育てに投資していこうよ、
という風に変わるのには、
上記のような前提が共有される必要があると、
私はけっこう本気で思っています。
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今週の「オープニングトーク」
2019-09-04T16:46:00+09:00
陣内俊
JUGEM
陣内俊