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陣内が先週読んだ本 2017年11月第四週 『一億相ツッコミ時代』槙田雄司 他3冊

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■4 陣内が先週読んだ本 
期間:2017年11月第四週 11月19日〜25日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●すべてのJ-POPはパクリである 【現代ポップス論考】 

読了した日:2017年11月23日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:マキタスポーツ
出版年:2014年
出版社:扶桑社

リンク:http://amzn.asia/4Dp8w0x

▼140文字ブリーフィング:

マキタスポーツさんはオフィス北野所属の中堅芸人で、
最近は俳優として様々な映画やドラマに出演しています。
彼を私が知るようになったのは、
「東京ポッド許可局」というラジオ番組で、
彼の語る内容が面白いなぁと思って著書を手に取りました。

マキタスポーツという芸名は彼の実家のスポーツ用品店の名前です。
また、彼はミュージシャンでもあり、彼の音楽ネタは秀逸です。
そんな彼が「J-POPは工業製品である」という仮説のもとに、
それをロジカルに「素因数分解」し、
さらには自分で「公式に則って」自分で曲を作ってしまったのが、
「十年後のプロポーズ」という曲です。
私もこの書籍でその存在を知ったわけですが、
これがなかなか良くできている。

参考動画:「十年後のプロポーズ」
https://youtu.be/0Li5q8hrxkY

彼はJ-POPのヒット曲を分析すると、
「カノンコード」、「歌詞」、「構造」という三つの要素に分解される、
と言っています。

カノンコードというコード進行は「大逆循環」といって、
キーを「C」とすると、ベースラインが「ド」から始まって、
シ→ラ→ソ→ファ→ミ→レ→と順に下がりながら、
「ソ」を経過して上がって、また最初の「ド」に戻って、
これを繰り返すというものです。(P28)
「歌詞」はといえば、J-POPに多用される以下のようなフレーズがあります。
「桜舞い散る」「夢に向かって」「瞳の奥に」
「深く息を吸い込んで」「君と同じ空の下」「あの日の君の言葉」など。
そして「構造(楽曲構成)」は、
Aメロ、Bメロ、サビ、ブリッジ、というあれです。

十年後のプロポーズの場合、
確信犯的なカノンコードを使い、
J-POPフレーズをこれでもかとぶち込みまくり、
曲構成もこれまた、
サビ出し→間奏→Aメロ→A'メロ→Bメロ
→サビ→間奏→大サビ→アウトロ
という確信犯的に盛り上げる手法を盛り込んで、
工業製品としてのJ-POPを完成させています。

ここで終わりません。
マキタスポーツさんは4つめの要素として、
「その人でなければ歌えないオリジナリティ」を挙げており、、
それは「身体性」と言っています。
ここが非常に「味噌」だし、彼の慧眼です。

ちょっと関係ないですが、
彼はビジュアル系バンドも「素因数分解」し、
自分も「コミックビジュアルバンド」を作って、
コアなビジュアルファンからひんしゅくを、
お笑いファンからは賛同を買っています笑。
彼の「ビジュアル語変換」が面白いので(関係ないけど)引用します。

→P133 
〈「ビジュアル語変換」という遊びなのですが、
まずは、日常の何でもない言葉を「ドレスアップ」してみましょう。
・バイト→定められた瞬間(とき)
・ポケットティッシュ→街角からふいに差し伸べられる神の御加護
・お中元→灼熱のギブ&テイク
どうでしょう?くだらない日常が、
ずいぶんと耽美的で頽廃的な空気をまとってきた感じがしないでしょうか。
、、、もしもビジュアル系っぽい歌詞を書こうとして迷ったら、
「昼ご飯を食べたら美味しかった」でも
「お母さんに怒られた」でも何でも良いので、
日常的などうでも良いことをビジュアル語変換していけば、
容易にそれっぽいものが作れるはずです。

、、、蛇足ながら「ドレスダウン」もしてみましょう。
・悩ましい鼻腔の叫び→花粉症
・とどまることを知らない無限の欲望→ハッピーターン
・極彩色に彩られた日曜日のミサ→笑点
このように、とかくビジュアル系の世界は色々と倒錯しています。〉

子羊たち(どくしゃ)を、
禁断の言葉たちの羅列(メルマガ)の迷宮(ラビリンス)へと、
導く運命(さだめ)から、
そろそろ解き放たれたいと思います。
あ、つまりですね、要するに、「以上です」。
(1,437文字)



●一億総ツッコミ時代

読了した日:2017年11月23日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:槙田雄司
出版年:2010年
出版社:星海社新書

リンク:http://amzn.asia/g8P1DB4

▼140文字ブリーフィング:

槙田雄司というのは、
先ほどのマキタスポーツさんの本名(ペンネーム)です。
芸人の時と文化活動のときで名前を使い分けるのは、
映画監督北野武と、芸人ビートたけしの「社長」からの、
オフィス北野の伝統なのでしょう。

、、、で、この本の議論はシンプルであり、
私はこれに何も付け加えることはありませんので、
引用のみをします。

→P29 
〈自分では何もしていなくても、他者のことは評価したい。
そうすることで自分の価値を手軽に上げようとするわけです。
日常がバラエティ番組化し、
笑いがツールとして気軽に使われるようになった日本。
多くの人がマスコミ的な視点を持つようになった日本。
そんな「ツッコミ人間」が多く出現するようになったこの国の気圧配置を
私は「ツッコミ高ボケ低」と呼んでいます。〉

→P34
〈自分はツッコまれないように、
つまりボケをやらないように気をつけながら、
ツッコミを入れるわけです。
ツッコミだけを入れていれば、安全な場所から他人を攻撃できます。
そのことで自分の価値を高めようと考えている。
リスクを最小限にしながらリターンを最大限にしたいと考えたネット民は
そのような方法をとってきたのです。〉

→P41 
〈何かとすぐにツッコミを入れようとする態度は、もう有効ではありません。
私は、折角お笑い的な能力を身に付けるなら、
他人を笑うためのツッコミの技術ではなく、
「自らまわりに笑いをもたらすような存在」
になったほうがいいのではないかと思います。
もしくは、他人を笑わず、自分で面白いものを見つける能力を育て方が良い。
ツッコミ的な減点法ではなく、
面白いところに着目する加点法の視点を身に付けるべきだと思っています。〉

、、、現代社会を象徴する言葉は、
「成功したいよりも、失敗したくない」です。
人々はますます「ローリスク・ハイリターン」を求めるようになっている。
リスクは犯さず、リターンは欲しい。
それとSNSの登場によって、
人々が自分は何もせずに斜め上から他者に評価を加える、
「ツッコミ高ボケ低」の気圧配置になってしまっていて、
それが社会を息苦しくしている、と槙田さんは言っているわけです。

なので、他罰的なツッコミではなく、
自ら笑いを生み出す存在になろう、
というのが彼の提案です。
体を動かさずリスクを冒さず、自らを高みに置き、
他者の「ボケ」に対して「ツッコ」む。
つまり評価を加える。
そういう人が増えている日本だから、
「人を笑いたい人」が過多で、
「人に笑われてもいいから何かに夢中になる人」が希少なのです。
言い換えれば「ツッコミ過多・ボケ希少」な社会なのです。

狩野英孝や出川哲朗がこれだけ人気があるというのは、
「そのポジション」に人がいないからです。
みんなローションまみれになってザリガニに鼻を挟まれて、
「痛いよ痛いよ、ガチで痛いよ」と言いたくない笑。
それを斜め上から笑っていたいわけです。

▼参考画像:ザリガニと出川哲朗
http://nackan77.up.n.seesaa.net/nackan77/image/0006.jpg?d=a1

私はローションまみれでザリガニに鼻を挟まれる趣味も、
おでんを顔に押しつけられる趣味もありませんが、
10年前に公務員を辞めて(信仰によって)非営利団体を立ち上げた私は、
比喩的には社会の中でローションまみれになって、
ザリガニに鼻を挟まれる側です。
「斜め上からツッコまれる」側であり、
ケツの穴まで「自己開示」して、
「安全な場所にいる人からいろいろと評価される」側にいます。
私は比喩的には出川哲朗なのです。

、、、そう考えますと、世の中の「芸人」は、
ボケだろうがツッコミだろうがリアクションだろうが、
全員、「社会的にはローションまみれ」なのです。
「30になって売れない芸人とか痛いな、いいかげん就職しろよwww」
といった、安全圏からの悪意のツイートが世の中には溢れていますから。
「ボケている俺たちを笑うのは良いが、
 それを斜め上からSNSでニヤけて馬鹿にするお前たちは、
 本当に自分の人生を生きていると言えるのか!?」
という芸人たちの魂の叫びを小説にしたのが又吉直樹の「火花」です。
私が芸人を好きなのは、「ローション仲間」だからです。
(1,513文字)



●九十歳まで働く!

読了した日:2017年11月24日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:郡山史郎
出版年2017年
出版社:WAC BUNKO

リンク:http://amzn.asia/dJ69RVg

▼140文字ブリーフィング:

御年82歳の著者、郡山史郎さんは、
ソニーの重役などを経た後、
退職後も現役ビジネスマンを続けています。
「天下りの子会社の社長」は老害だからやりたくない、と拒み、
彼は「70歳の新入社員」なども経験した結果、
ひとつの結論に達します。

それは年齢が上になってしまうと、
どうしても若手に気を遣わせちゃうから、
定年退職後のビジネスマンの理想的な労働形態は「自営業者」だ、と。
じっさい彼は小さな人材紹介会社を起こし、
自分と同じような高齢の就業希望者と、
社会の雇用ニーズをマッチングすることでお金を稼ぎ、
そして国家に税金を納めています。

最後の最後まで働いて、
税金をもらう側じゃなく払う側でいたい。
人の尊厳は働くことのなかにある。
それが自分の生き方だ、
という彼の美学には共感します。

著者の世代は「生きている間に平均寿命が2倍になる」
という空前絶後の現象を生きた世代であり、
したがって自分が生きている間に働き方が、
まったく別のものに変わってしまった(変わりつつある)世代です。
その変化はあまりにドラスティックなので、
私たち働き盛り世代にすら、その未来は霧の中というか、
自分たちの未来を手探りでもがいているのが現状です。

彼のような国家や大企業にぶらさがろうとせず、
「自分の未来は自分で切り開く」という気概をもった、
「カッコいいおじいちゃん」がいることは、
私たち後輩世代への大きな遺産だと思います。

一部引用します。

→P43 
〈私たちの世代は、二つの特色がある。
一つは平均寿命が生きているうちに二倍になってしまったことだ。
1935年生まれの日本男子の平均寿命は、
当時の日本の統計によると43歳だった。
今は80歳を越していてさらに伸びつつある。
「ゼノンの逆説」(俊足のアキレスは先行するカメに追いつけない?)のように、
生きるにつれて寿命が延びると、
永遠に生きていくような錯覚に陥る。
もう一つは、成人期に日本経済が徹底した右上がり、
成長を継続したことである。
好不況はあっても、仕事にあぶれると言うことはあり得なかった。
常にすべての分野で人不足で、
普通の人ならいくらでも正社員として就職する上での選択肢があった。
それが、現今の情勢といかに違うかは、
少なくとも今五十歳前後以下の人に説明の要はあるまい。〉

→P159〜160 
〈いくら自由があり、好きなことができる時間があっても、
人は幸せにはならない。
アンドレ・ジッドが、「人の幸福は、したいことが出来ることの中にはない。
しなければならないことを受け入れることの中にある」と書いている。
「リベルテ」(自由)ではなく「デボワール」(義務)の中にある。
ある人がインドの貧民窟で孤児の世話をしているマザー・テレサに、
「そんな大変なことを、よく自分からなさいますね」と言ったら、
マザー・テレサは、「とんでもない、ボランテアーをしているのではない、
キリスト様に言われてやってるだけです」と答えたという。
義務を、自分の意志で受け入れる。その中に幸せがある。
高齢になるということは、神が命令しているのだ、と思えば、わかりやすい。
私は平凡な仏教徒で、およそ信心などはないが、
家族、友人、後輩に、亡くなった人が多いので、
なぜ自分だけが生きているのだろうと考える。
偶然以外に理由はないだろうが、その偶然を支配しているのは、
人ではない。高齢になると、神と付き合ってしまう。
自分は何をしなければならないか、を考えて、
出来ることがあったら、神が命じたことにして、
一生懸命にやる。それで幸せになる。生活の知恵としか言いようがない。〉

「人の幸福は義務を受け入れることのなかにある」
というアンドレ・ジットの言葉は深いです。
早期退職したゴルフ三昧の人は見た目とは裏腹に、
ほとんどが「絶望的に不幸だ」というのはあまり知られていませんが、
年齢にかかわらず「労働」を離れては
人間は幸福に生きていけないように作られていると、
私も信仰者として著者と考えを同じくします。
(1,611文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

陣内が過去一週間に読んだ本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:なし

コメント:

今週もあまり多くの本は読めませんでした。
マキタスポーツさんのラジオ番組、
「東京ポッド許可局」は非常におすすめです。
私のこのメルマガも、あの番組の半分ぐらいでも、
面白いものが作れれば、、、という目標として書いています。
聴ける環境にある人は、是非。



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【Q】使徒パウロの思想とは?

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
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※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】使徒パウロの人生を知るには?

ラジオネーム:ターコイズブルー(女性)
お住いの地域:愛媛県

Q.

陣内さん、こんにちは。
今までにも何度か質問に答えて頂きましたが、また質問させてください。
私は、プロテスタント、カトリックに関わらず、
教会に行きたくてもなかなか行く機会を作れず、
独学で聖書やキリスト教の勉強をしていますが、
パウロの言葉にとても惹かれます。
間違って学んでいたらすみませんが、死と復活の概念、
また、信仰による生き生きとしたエネルギー、
信仰希望愛の秘儀の教えなどなど、読んでいて、
「ものすごく深いのに身近で役に立つ言葉」に、
ハッとしますし、また私も生活を頑張ろう、と、勇気付けられます。

そんな訳で、質問の趣旨は、「パウロ読本」的な
お勧めの本がないか、ということなのです!
パウロをここまで変えた(ユダヤ教徒からキリスト教徒へと)、
イエス・キリストの教えの真髄のようなものから、
パウロの人生が読み解けるような本があれば、
少しずつ読み進んでとても役立てられると思います。

楽あれば苦ありな生活を、
誰もが送っていると思いますが、
私にとって今一番心に響くのは、
祈ることや神様に依り頼むことなので
(そして前述のようにパウロが好きです)、
ぜひともよろしくお願いします。


A.

ターコイズブルーさん、
以前も、読書や名言について、
ご質問下さいましたね。
今回もご質問、ありがとうございます。

使徒パウロについてのお勧めの読本、
ということですが、正直なところ、
「脳内検索」をしてもヒットしませんでした。
そして、「使徒パウロの思想」を知るのにはこれが良い、
という代表的な著作についても、私は寡聞にして知りません。
誰か知っている人がいたら教えて下さい笑。

おそらくそれには理由があって、
パウロという人はその思想を把握するには、
人類に与えた影響があまりにも大きすぎるからではないかと、
私は思っています。

純粋に宗教史的に語るなら、
キリスト教の「教祖」はイエス・キリストですが、
その「開祖」はパウロであり、
これに異論を唱える歴史家はいません。
これはギリシャ思想の「始祖」はソクラテスだけれど、
その「開祖」はプラトンなのと同じです。

実際イエス・キリストという人は(ソクラテスもそうですが)、
自ら「書いたもの」をいっさい残していません。
「イエスの人生と口述によるメッセージ」という一次情報を、
口承で伝えた弟子たちによる「1.5次資料」があり、
それを最初に「包括的に体系化した」のがパウロでした。
それのみならず、
パウロは復活のイエスと直接に邂逅しています。

さらにパウロは当時の世界で五本の指に入る知識人であり、
ユダヤ教のとりわけ熱心な派閥の有望な若手指導者でもありました。
そういった特殊で多様な背景が、
「パウロのキリスト観」を形成し、
その言説が普遍性と伝達性の高さを獲得したわけです。

パウロが人類にもたらしたものは甚大です。
甚大すぎて、語りえないわけです。
あまりに大きなものを、人は語る事ができませんから。
「象を触る複数の盲人の話」という比喩がありますが、
私たちに出来るのはせいぜい、彼の思想を、
「これは柱のようなものだ」
「これは壁のようだ」
「これは絨毯のようだ」
「いや、ホースのようなものだ」
「いやいや、綱引きのロープだ」
と手探りすることぐらいです。
パウロの思想を一息で把握することは不可能で、
「象を触る盲人たち」のように、
延々と議論をするので精一杯なのです。

数ある歴史の「もし」の中に、
「もしパウロがいなかったら」というのは、
最大の「もし」の一つです。

それを考えることにさほど大きな意味はないのですが、
「もしパウロがいなかったら」、
キリスト教はキリスト教ではなかった可能性が大きいです。
おそらく現在、カトリックもプロテスタントも世界に存在しません。
今キリスト教として知られる宗教は、
「ユダヤ教のセクトのひとつ」として、
ローマ帝国の中で点々とくすぶり、
やがてユダヤ教の主流派に圧殺されていた可能性が高い。
パウロがいなければ2000年後の現在、
キリスト教は残っているかどうか分かりません。
つまり、キリスト教という、
「ユダヤローカルなセクト(当時)」を、
現在の「ユニバーサル(普遍的)」な宗教に変容させた張本人が、
パウロなのです。

念のため付言しますと、
これは信仰者としての「(不)信仰の表明」ではなく
冷静に「歴史」というものを分析した、
仮説形成にもとづく推論です。
そして、歴史は結果主義ですから、
「仮説」に意味はありません。
私の信仰は「キリストの教えは真理だ」、
というところにありますのでご安心を笑。

、、、というわけで、
パウロについては、私の力量を超えます。
ターコイズブルーさん、すみません。
今の私にはこの質問は回答不能です笑。

ただ、ターコイズブルーさんのおっしゃる、
使徒パウロの生き方やその言葉に深く励まされ、
人生を鼓舞されているのは私も同じです。
そして使徒パウロへの興味を私は、
ターコイズブルーさんと共有しています。

今年の春、N.T.ライトという人の、
「使徒パウロは何を語ったのか」という本を買いまして、
この質問を頂いた次の日から読み始めました。
「そういえばあの本買ったまま読んでなかったなぁ」と思い。
、、、で、まだ読了していないのですが(してないんかい!)、
大胆にもご紹介します。

▼参考リンク:「使徒パウロは何を語ったのか」N.T.ライト
http://amzn.asia/afKRmkm

この本は神学書ではありせんが、多少専門的な本で、
カジュアルな本というよりちょっとハードな本です。
、、、で、神学者としてのライト師は、
近年のパウロ研究が、
「ユダヤ教を否定するギリシャ思想的なパウロ」という、
近代神学が生んだ「誤解」から振り子が逆に振れてきている、
という分析をしています。

詳しい説明を省きますが、
特にプロテスタント教会は、
そもそもマルチン・ルターからしてそうなのですが、
「ユダヤ教的なるものを否定する」という悪い癖があります。
それが後に、
「ドイツのプロテスタント神学者が
ナチズムとホロコーストを論理武装という形でサポートした」
というキリスト教の黒歴史の伏線にもなっています。

しかし教会はそのような「反ユダヤ史観」を反省し、
近年のパウロ研究者たちは、
「徹頭徹尾ユダヤ教徒としてキリストの希望を語ったパウロ」
という新しいパウロ像を描きはじめており、
ライト師もそちらをサポートしています。

パウロはユダヤ教からキリスト教に「改宗」したわけではない。
パウロはユダヤ教徒として「弁証法的に保存的止揚」された、
「ユダヤ教’」を信じるようになった。
彼は真にユダヤ教徒のアイデンティティを保ったまま、
「ユダヤ教の(本当の)良き知らせ」を伝える使者となった。
それを後の人は「キリスト教」と呼ぶようになったのだ、
という立場です。

私もこちらを支持します。


、、、もう一冊。
記憶力の悪い私のEvernoteの読書ログで、
「パウロ」と検索してヒットした中からの一冊を。
遠藤周作の「キリストの誕生」という本です。

▼参考リンク:「キリストの誕生」遠藤周作
http://amzn.asia/5faGRyq

この本は「最初のクリスマス」という意味のキリストの誕生ではなく、
イエスがいかにして「キリスト」となったのか、
「キリスト」という概念がいかにして誕生したのか、
という遠藤周作のひとつの仮説です。

ですからこの本では、
生物学的にキリストを産んだのはマリヤだが、
「キリストという概念」をこの世に生みだしたのは、
12弟子やパウロである、という見解のもとに、
遠藤周作の思索が展開されます。
この本の隠れたテーマは「神の沈黙」であり、
映画化もされた遠藤の代表作「沈黙」の、
すぐれた解説書としても読むことができます。

一部引用します。


〈ポーロの死がもし、
そのようなあわれきわまるものだったら
生き残った彼の仲間は何と叫んだであろうか。
なぜ、あれほど福音を人々に伝えるため生涯を捧げた男に、
神はこんな惨めな死を与えたのか。

なぜ、神は彼を助けず、
彼に栄光ある死に方をさせず、
犬のように死なせたのか。
なぜ。なぜ。

人々はその謎に沈黙する。
彼は語らなかったのではなかった。
語れなかったのである。

それはイエスの無残な処刑から衝撃を受けた弟子達が
「なぜ」と叫んだときと同じ状況だった。
「彼はなぜ、そんなむごい死を神から与えられたのか。」
イエスの死が弟子たちに突きつけた同じ疑問、
同じ課題が再びポーロの仲間にも与えられたのだ。
、、、「ヘブル書」はこのように
ペトロとヤコブという指導者を殺された直後の
原始キリスト教団の信仰的危機を我々に伝えている。
この信仰の危機という60年代の教団の状況を考えて初めて、
我々はなぜ使徒行伝がポーロの死について語れず、
ペトロの死について語れず、
ヤコブの死にも默していたのかの秘密を解くことが出来るのだ。

、、、もちろん、この謎の前にひるみ、
疲れ果てて脱落する者も出た。
しかし残った者はそこから信仰の意味をつかんだのである。
不合理ゆえに我信ずというこの信仰の形式が
原始キリスト教団を組織的衰弱から防ぎ、
その活力を与えたのだと私は考える。
なぜなら、ひとつの宗教は組織化されるだけでなく、
神についての謎をすべて解くような神学が作られたとたん、
つまり外形にも内面にもこの人生と世界について
疑問と謎がなくなった瞬間、
衰弱と腐敗の坂道を転がっていくのである。〉

、、、宗教が「不合理性」「謎・疑問」を排除し、
きれいに物事を説明し整理され固定した教理を持つと、
その宗教は衰退を転げ落ちる、という遠藤の分析は白眉です。

私も遠藤周作にこの点において同意します。
私も、パウロという人の魅力は、
その「多層性」「多声性」にあると思うからです。
パウロというひとりの人の中に、
いつも複数の声があって、
それが弁証法的な葛藤を続けている。
だからこそ彼の思想は動的(ダイナミック)で、
読む者をこれほどまでに突き動かすのだと、
私は考えています。

なんだか生煮えの答えですみません。
これに懲りずにまたご質問をお寄せ下さったら、
嬉しく思います。




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ビートたけしと松本人志 【前編】

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 私のお笑い論
「私のお笑い論」のコーナーです。
とにかく、お笑い有識者を自称する私が、
お笑いについて語りまくる、
そういうコーナーです。
独断と偏見とお笑い愛にまみれたコーナーにしたい、
そう願っています。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼松本人志とビートたけし▼▼▼

全国のお笑い有識者の皆様、こんにちは。
久しぶりの、お笑いルポライーターです。
12月3日はM-1グランプリですね。
決勝の面々ですが、

ジャルジャル、
かまいたち、
カミナリ、
マヂカルラブリー、
ミキ、
さや香、
とろサーモン、
和牛、
ゆにばーす
敗者復活枠

となっています。

今回は誰が優勝しても「面白い」ですねー。
私の「イチオシ」は「とろサーモン」です。
この人たちはもう10年以上ずーっと面白いですが、
M-1本戦の決勝に出るのは初めてです。
彼らには日の目を見てほしい。

あと前回、前々回大きな爪痕を残し、
「あれ?優勝しなかったっけ?」
ぐらいの印象がある「和牛」。
関西の漫才賞を総なめにしている兄弟コンビ「ミキ」、
キングオブコント2017の王者、「かまいたち」。

このへんが優勝候補筆頭の一角でしょう。
ジャルジャルはめちゃくちゃ面白いですが、
彼らの持ち味は賞レース向きじゃないんですよね。
4分間じゃなくて40分間のネタで競う大会があったら、
ジャルジャルは簡単に優勝できるでしょうが、
あの「じわじわ来るシュールさ」っていうのは、
「笑いの手数が勝負」のM-1では不利に働きます。

しかし、賞レースは何が起きるか分かりませんので、
12月3日に誰が優勝してもおかしくないし、
誰が優勝しても驚きません。
いずれにせよ決勝のメンツは、
私個人的にはここ数年でいちばん楽しみです。



▼▼▼松本人志とビートたけし▼▼▼

、、、で、今回は「松本人志とビートたけし」について語ります。
たぶん一回では語りきれませんので(笑)、
今回は「さわり」だけ。

松本人志とビートたけしっていうのは、
本来対等に並べるべきものではなく、
ちょっと「斜め上」の関係なんですよね。

縦軸にも横軸にも立ち位置がずれている、というか。
たとえば松本人志と明石家さんまだと、
同じ関西のよしもと芸人の「頂点を極めた男」という同じ縦軸があり、
その同じ軸の上で「世代の違い」がある。

松本人志と「とんねるず」、
もしくは松本人志と内村光良だと、
同じ世代のお笑いのスターという横軸を共有しており、
片方は関西系、片方は関東系という、
「地理的な東西の違い」という構図がある。

こう考えると、松本人志とビートたけしというのは、
地理的な東西、世代的なズレ、
という二重の立ち位置の違いがあり、
それゆえに二人の対比は「お笑い思想史」的に、
複雑で豊かな味わいがあるのです。

ちなみに二人はこれまで何度か雑誌で対談しています。

私は「夢で会えたら」「ごっつええ感じ」でお笑いの面白さを知り、
いまだに「ガキの使い」と「水曜日のダウンタウン」を毎週録画して観、
「すべらない話」「IPPONグランプリ」などの、
松本人志のテレビコンテンツを楽しみ、
松本人志が過去に書いた書籍は「遺書」「愛」「松本」だけでなく、
「シネマ坊主シリーズ」「松本人志の怒り」など、
9割方読破しており、
彼の映画「大日本人」「しんぼる」「さや侍」は劇場で鑑賞し、
さらにはAmazonプライム企画の「ドキュメンタル」を観るために、
Amazonプライム会員に入会した(副産物多し)という、
筋金入りの「松本信者」なので、
松本人志とビートたけしの対談が掲載されているBRUTUSのバックナンバーは、
Amazonで取り寄せてもちろん読みました。

▼参考画像:BRUTUS 大松本論
http://g-ec2.images-amazon.com/images/I/51MSjLi9obL.jpg

、、、で、この対談からも分かるのは、
松本人志とビートたけしは、
お互いにかなり意識し合っているのは間違いない、ということです。
もちろんそれは「別の色を持った巨大な才能」同士が、
お互いの才能へのリスペクトを込めて、という意味において。
それを「言葉に出来る」のはやはり、
松本にとってたけしが、「斜め上」だからです。

逆に松本人志が明石家さんまのことを語る事は殆どないし、
とんねるずについて話すこともほぼ皆無です。
人は「自分と(世代、ジャンルなど)共有するものがひとつあり、
なおかつ対置されるような位置にあるもの」を、
非常に意識するからです。
人は意識しすぎると、
それについて語る事が難しくなります。
たけしと松ちゃんの「距離感」というのは、
そういう意味では丁度良いわけです。


▼▼▼松本人志はビートたけしを超えられない、という仮説▼▼▼

、、、というわけで彼らは互いを語りうる関係にあるのですが、
私の推論では、
「松本はたけしをものすごく意識しているが、
 それはたけしが松本を意識している仕方とはかなり違う」
というのが本当だと思っています。

もっと赤裸々に突っ込んで言えば、
松本は無意識に「たけしを超えたい」と思い続けており、
たけしは松本の才能は認めつつも、
「絶対に俺のところには届かない」と、
かなり余裕をもってあしらっている、という構図です。

本人たちに聞いたわけではないので確証はできませんし、
そもそも本人たちがそんな本音をそのまま言うわけありませんから、
これはあくまでお笑いルポライターとしての、
私の「見立て」にすぎません。

仮にこの見立てが正しかったとして、
結論を先に言ってしまうなら私の大胆な仮説は、
たけしの見立ては正しく、
「松本はたけしを超えることはできないし、
松本はこの先も『たけしになる』ことはできない。」
というものです。

「松本信者」の私ですから、
こんなふうに考えるようになったのはわりと最近のことです。
つまり私の「お笑いを観る見方」に、
この数年で変化があったということを意味します。

かといって私は松本人志のファンであることをやめませんし、
これからもダウンタウンの創り出す笑いを楽しむことでしょう。

しかし、しかしです。

松本はたけしを超えられるか?
という質問になると、
NOと言わざるをえない、
というのが私の見立てとして、
近年確立してきたのです。

もっと正確に言うならば、
「コント師」とか、「関西吉本的文脈の笑いの瞬発力」とか、
「笑う」ということだけに特化したコンテンツ創出力においては、
松本人志はビートたけしどころか、世界で他の追随を許さないし、
おそらく今後50年も彼の水準に到達する才能は出てこないでしょう。
まさに空前絶後の才能です。

彼は(サンシャイン池崎のいう意味ではなく、
本当の意味において)「笑いに愛された」男なのです。
「笑いに選ばれた男」と言ってもいい。

なんていうんでしょう?
宮本武蔵が「剣に選ばれた男」なのと同じです。
ある特定の分野において破格の才能を持つ、
という意味の「巨星」が松本人志です。
現在の日本の「笑い」の、
デファクトスタンダードを作ったのは松本人志だ、
と言っても過言ではない。

彼の後を生きるいかなる日本のコメディアンも、
彼の笑いと無縁ではいられないのです。
これは茶の湯における千利休とか、
近代科学におけるニュートンとか、
キリスト教におけるパウロとか、
そういったレベルの才能なわけです。



▼▼▼次号に続く▼▼▼

、、、その松本人志が、
「笑いのコンテンツを創出する」という一点突破においては、
ビートたけしには勝てる(というより住む世界が違う、多分)が、
「表現者、広い意味での芸人、コメディアン」または「タレント」、
もっと言えば「文化人」として、
北野武にまったく敵わないのはなぜなのか、という話を、
これから私はしていきたいと思っています。

先ほどの剣の喩えでいうなら、
松本人志は剣を究めた「剣聖」にはなれますが、
その射程を超えた、ジャンル横断的な「天下人」にはなれない。
ビートたけしはあきらかに「天下人」です。
お笑いというジャンルを超えて、
彼の表現者としての才能と影響力はとどまるところを知らない。
たけしは天下人(信長・秀吉・家康)になれますし、
剣の腕(お笑いの腕)でも一級品です。
しかし松本人志が逆に「剣の腕」を超えて、
「政治的な頭角」を現すことは難しいと私は考えている、
ということです。

またまた結論を先取りしますと、
松本人志は無意識下で「天下人」になりたいと思っているが、
その夢が今後叶うことは絶望的であり、
彼はお笑いから別の世界に越境せず、
「剣聖」にとどまった方が本人も周囲も幸せだ、
というのが私の「大松本論」なわけです。

、、、この後の話は非常に長くなりますので、
今日はここまで(笑)。
ネタフリで終わります。

格闘技ならば「煽りVTR」で第一回終了です笑。
、、、再来週以降、続きを書きます。
お楽しみに!!



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シーズン1終了のお知らせ

2018.05.17 Thursday

+++vol.040 2017年11月28日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
陣内からのお知らせ
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼このメルマガ、終わります。▼▼▼

衝撃的(?)な書き出しになってしまいますが、
このメルマガ、終わります。

、、、「えーー!!!」
っていう人もいるかもしれないし、
、、、、「あ、そう」
という人もいるかもしれないので、
どういうテンションで書いて良いか難しいのですが、
まぁ、さらっと書こうと思ったので、
さらっと書いています笑。

すぐには終わりません。
あと10回は続きます。
つまり、vol.50までで終わります。

それも、「一端」終わると言うことであり、
恒久的な最終回ではないので、
ご安心(?)ください。

どういうことか?

このメルマガが始まったのは今年の2月(パイロット版を含めると1月)、
もうすこしで約1年間書き続けたることになるわけです。
文字数は毎回2万字〜3万字ぐらい。
平均2万字書いたとしますと、
40回で80万文字書いたことになります。
文庫本一冊の平均文字数は12万字だそうですので、
私はこれまで文庫本6冊分ぐらいの文章を書いたことになります。

vol.1から欠かさず全部読んでくださっている方は、
ですから文庫本6冊分の情報量を、
今年に入ってこのメルマガから得たことになります。
おめでとうございます1

これが無料!!
信じられない!!

あなたは得してます(笑)

、、、で、
なぜ無料かと申しますと二つ理由があります。

ひとつはこのメルマガが市場(マーケット)の要請からでなく、
私自身の内発的要請から書かれていること。
つまり、私の「自主トレ」だったわけです。
私はこの働きを2008年からはじめ、
もうすぐ10年間が経過しますが、
この10年、常に何かを書き続けてきました。

そして、多分私は向こう10年間で、
何らかの本を書くだろうと自分で予想しています。
なんていうんだろうか、
書かねばならないという使命感とかでもなければ、
目立ちたいという自意識的な問題でも、もちろんないし、
死ぬまでに本を出したいという野心ですらないです。

いや、マジで。

「あぁ、自分は遠からず本を書くなぁ」と、
自然に思うようになった瞬間がありまして、
それはもう、「独身の賜物」を持つ人があるとき、
「あぁ、自分は生涯結婚しないだろうなぁ」と思ったりするのと同じで、
「最初からそうなることが決まってたみたいに」自然に、
自分は本を書くだろうなぁと思ったのです。

そのルートがどのようなものなのか、
まったく見えていないにも関わらず。

、、、で「本を書くなぁ」と思った2、3年前から、
私は考えはじめました。
「、、、とすると、今から、
 まとまった長い文章を書く練習をしなきゃなぁ」と。
、、、そういう容れ物として、
「メルマガ」が私の選んだ選択肢だった、
というのがこのメルマガ開始の経緯でした。

ですから、このメルマガの一側面は、
私の「自主トレ」ですから、
私の自己都合でやめたり、はじめたりするのです。
だから、私はこのメルマガを「マネタイズ」しないわけです。
マネタイズ(課金)していたら、
勝手にやめたり、勝手に始めたりできませんから。

、、、もうひとつは、
このメルマガは私の宣教の働きの一部だからです。
非営利組織であるFVIは「預言者的な団体」だと私は思っていまして、
その理念のひとつは、「アイディアを無料で提供する」ということです。
だって、私たちも神からアイディアを無料でいただいたのだから。

世の中には「市場(マーケット)」に乗せた方が良いものと、
マーケットとは食い合わせが悪いものがあります。
市場原理主義者には受け入れられない考え方でしょうが、
それでも私はそう考えます。

たとえば教育は、
市場の原理と食い合わせが悪いです。
福祉や医療や公共サービスも宗教も、
市場と食い合わせが悪いです。
もし食い合わせが良いのなら、
市場の原理を極限まで追求した、
アメリカのリベラルな諸州の行政サービスが最悪で、
教育や福祉や医療はガタガタで、
格差が再生産され、虐げられた「再帰的貧者」は犯罪に走り、
金持ちは警備会社という名の傭兵を雇い、
「ゲーテッドコミュニティに引きこもる」のは何故でしょう?
「市場の原理」で教育も福祉も公共サービスも宗教もうまく行き、
彼らの言葉で「見えざる手により最適化」されるのなら、
なぜそれを追求した社会はここまで分断されるのでしょう?

政治哲学の用語で「自由」と「正義(公正)」のバランスという、
難しい議論があるのですが、
自由に100パーセントふれたのがリバタリアン(市場原理主義者)、
公正に100パーセントふれたのがユートピア的社会主義者です。

私はどちらかに振り切るのではなく、
この「均衡状態」こそが大事だと思っている立場で、
そして私の社会におけるポジショニングというのは、
「教育」だとか「宗教」に分類される働きをしていますから、
当然、「公正」の原理で物事をすすめているわけです。

だから、「アイディアは無償」となるわけです。

考えもなしに、
「無料メルマガ」を書いているわけではないので、
ご心配なく。
ちゃんと考えています。



▼▼▼安心ください。「シーズン2」をいつかやります。▼▼▼

、、、で、何の話をしていたんでしたっけ?
そうそう、そうです。
あと10回でこのメルマガは終わります。
それは1年間、コンスタントに毎週2万文字書く、
という私の「身体を使った実験」が終わって、
それがどういうことか体感できたからです。
それから「メルマガという個人メディア」の、
限界も、良さも、長所も短所もだいたい把握できました。
これがラジオに似ている、という私の当初の予想は、
完全に的中していました。

「テレビはみんなのメディア、
 ネットは俺たちのメディア、
 ラジオは私のメディア。」
と、「東京ポッド許可局」というラジオ番組で、
私の好きなおじさん芸人たちが話していましたが、
メルマガもまた「私のメディア」だということを、
私は1年間で確信したわけです。

「みんなの」「俺たちの」という言葉が示すように、
テレビやブログ、動画配信、SNSなどの媒体には、
拡散力があります。

一方ラジオやメルマガは「私のメディア」ですから、
著者と読者、パーソナリティとリスナーは、
バーチャルにではありますが、
1対1で結ばれます。

多くの場合読んでるメルマガや聞いてるラジオの話を、
人は職場や教会や学校でしませんから、
このメディアの拡散力はきわめて低いです。

よって、40回にわたって私はこのメルマガを書いてきましたが、
私が当初考えていたほどの読者数は獲得していません。
それも含めて私の目論見通り、といえばそうなのですが笑。

つまりSNSやブログは新聞紙(燃え広がりやすく消えやすい)で、
メルマガやブログは木炭(燃え広がりにくく消えにくい)のです。
私が今までずっとしたかったのは後者ですから、
私の狙いはズバリ当たったのです。

、、、なら、なんでやめるの?

ということですが、
それは、メルマガという「容れ物」に文章を入れることを、
とりあえず1年間やってみた後で、
ちょっと今度は別の容れ物に容れたくなった、
という、これも私の身勝手な自己都合からです。

、、、ほらね、お金取っちゃだめでしょ笑。

、、、具体的には、
ブログを充実させるか、
もうちょっと長い何かを書くか、
もしくはSNSを再開してみるか、
はたまた何も書かずに「蓄積の時」とするか、
それはまだ考え中なのですが、
とにかくルーティーンを一回絶つ必要がある、
と感じているわけです。

、、、で、
ここからが大切なのですが、
メルマガが終わるのは「いったん」終わるだけです。

つまり、vol.50は、
「読むラジオ シーズン1」の最終回であって、
「読むラジオの最終回」ではありません。

ご安心ください。

また、シーズン2をやりますから。
それがいつになるかは、
ちょっと、いま検討中なんですよね。



▼▼▼「シーズン1」の終了と、再開の目途▼▼▼

、、、しかしながら、
決めている条件となる基準がいくつかあります。

1.読者数が一定数に達する。

とりあえず、シーズン1が終わるまでのあと10回、
そしてそのあとの「シーズンオフ」の間に、
私はこのメルマガの広報活動をします。
「宣伝してください!!」と呼びかけます。

つまり「読者クラウドファンディング」です。
「読むラジオ シーズン2のスタート」という、
ひとつのプロジェクトの打ち上げ条件として、
「読者数○○○人」という、
私の中の内部の基準を満たしたら、
その時点で読むラジオを再開します。

今の時点ではそれほどまでにこのメルマガは、
「私だけのメディア」化しすぎていて、
読者数は安定して横ばいであり、
あまり裾野が広がって行く気配がありません。

そこで、
「いったんやめて、
読者クラウドファンディングをする」
という形で新たな読者層を開拓したいと、
そう考えたわけです。
つまり、読者のあなたがメルマガの広報にご協力し、
新たな読者を獲得してくださった度合いに応じて、
「シーズン2」の開始時期は早まるということになります。

ある基準に達したら、
シーズン1が終わった翌月に、
シーズン2を開始しても良いと考えています。
それほどにニーズがある、と私は受け取りますから。
しかし、さほど読者は拡がらなかったら、
まぁ、「そういうこと」ですので笑、
ゆっくりとマイペースにやらせていただきます。


2.私が次に「メルマガを再開するときだ」と思う。

先ほどから申していますように、
私はメルマガではない別の媒体
(もしくは書かないという状態)を、
必要としているように感じています。

一端自分の均衡状態を壊して、
それからまた、次に書くときが来るのを待ちます。
何を始めるのかは未定ですが、
それがめちゃくちゃ楽しくなったら、
再開の時期は遅くなるかもしれませんし、
まったく面白くなかったり、
痛々しいほどの失敗に終わったら笑、
メルマガに戻ってきます。
、、、泣きながら笑。


3.上記の要件が満たされないまま10ヶ月が経過する。

1、もしくは2の条件が満たされぬまま、
10ヶ月が経過したら、またメルマガを再開します。
、、、というのも、メルマガ(的な活動形態)は、
私のライフワークのひとつになるのでは、
と思うほどにこの1年で私は、
メルマガという媒体に、しっくり来るものを感じていまして、
「再開しない」という選択肢は用意していません。
ところが、いったん休止したものを、
再開するまでの「リミット」を決めておかなければ、
きっといつまでも始めないだろうな、と思いますので。

だから、さしあたって最大10ヶ月休みます。
それで、また「シーズン2」が始まります。
そういう話です。
「シーズン2」は1年続くのか2年続くのか、
はたまた半年で終わるのか解りませんが、
ひとつのシーズンを3ヶ月以内に終えるということはありません。
そこもご安心ください。

、、、というのは、メルマガを書くにあたり、
一番大変なのはその習慣を作る最初の1ヶ月であって、
その後は殆ど自動運転できるからです。
めちゃくちゃ重い電車を人力で押すときのようなものです。
動き始めたら、あとは止めるほうが難しいぐらいで笑。

なので本当は、
この「シーズン1」をやめるというのは、
やめずに惰性で続ける以上に大変なのです。
「慣性の法則」により、続けた方が実は「楽」です。
でも、敢えて一回やめるのには、
今長々と説明したような理由があるのです。

ご理解と、変わらぬご愛顧のほど、
よろしくお願い致します。



▼▼▼おまけのお知らせ▼▼▼

、、、それと、私からのお知らせがもう一つ。
来年1月ぐらいを目途に、
「読むラジサロン」を始めたいと思っています。
まだ具体的なところは詰めていませんが、
メルマガ読者を対象に、「Evernote上のサロン」を開催したいのです。
期間限定の会員制(無料)で。

無料ですが、サロン入会条件として、
「陣内俊を支える会」もしくはFVI「声なき者の友」の輪に、
過去1年に、何らかの形で1円でも献金してくださったことのある人、
という条件をつけさせていただきます。
これはお金を儲けたいからではなくて、
「私の働きに、具体的な形を伴って賛同している」
というひとつの基準として設けさせていただきます。

、、、細かいことはあと10回のメルマガで徐々にお知らせしますが、
1.5名以下の少人数制
2.Evernoteチャット機能を使って様々な分かち合いをする
3.内容は「信仰・政治・経済・職業・読書・人生の悩み・馬鹿話」など各種。
4.目的は「学習する共同体」の生成
5.主旨は、参加者の「社会に役立つ人」としての、
 学びと生き方を深めることの相互扶助
6.期間は(今のところ)2ヶ月を1クールとする
7.原則実名での参加とするが、
 職業、年齢、性別などの基本情報の開示と、
 ペンネームでの参加も認める。
8.参加は強制はなく、途中退会はいつでもできる。
 (逆に途中参加はできない)

というような感じで考えています。
メルマガでは書けないような読書メモを公開したり、
他のサロン会員の一押し本をみんなで読んだり、
ある政治的なテーマについて語り合ったり、
その背景にある思想的な裏付けを一緒に調べたり、
信仰の上での悩みや葛藤を分かち合い祈りあったり、
自分の仕事や家庭での「次の一歩」を、
一緒に考えたり、もしかしたら「オフ会」をしたり、
そんな「私塾」のような場所にしたいと考えております。

興味のある方はいまのうちに、
Evernoteを作成しておいてください笑。

、、、という、今回はお知らせでした。



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