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本のカフェ・ラテ『フロー体験 喜びの現象学』(前編)

2019.07.04 Thursday

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 本のカフェ・ラテ
「本のエスプレッソショット」というこのメルマガの、
開始当初からの人気コーナーでは、
一冊の本を約5分で読める量(3,000〜10,000字)で、
圧縮し、「要約」して皆さんにお伝えしてきました。
忙しい読者の皆さんが一冊の本の内容を、
短時間で上っ面をなぞるだけではなく「理解する」ために、
「圧縮抽出」するというイメージです。
この「本のカフェラテ」はセルフパロディで、
本のエスプレッソショットほどは、網羅的ではないけれど、
私が興味をもった本(1冊〜2冊)について、
「先週読んだ本」の140文字(ルール破綻していますが)では、
語りきれないが、その本を「おかず」にいろんなことを語る、
というコーナーです。
「カフェ・ラテ」のルールとして、私のEvernoteの引用メモを紹介し、
それに逐次私がコメントしていく、という形を取りたいと思っています。
「体系化」まではいかないにしても、
ちょっとした「読書会」のような感じで、、、。
密度の高い「本のエスプレッソショット」を牛乳で薄めた、
いわば「カフェ・ラテ」のような感じで楽しんでいただければ幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

『フロー体験 喜びの現象学』

読了した日:2018年8月9日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:M.チクセントミハイ
出版年:1996年
出版社:世界思想社

リンク:
http://amzn.asia/cISEtv2


▼▼▼目次▼▼▼

【目次】
第一章:幸福の再来
第二章:意識の分析
第三章:楽しさと生活の質
第四章:フローの条件
第五章:身体のフロー
第六章:思考のフロー
第七章:フローとしての仕事
第八章:孤独と人間関係の楽しさ
第九章:カオスへの対応
第十章:意味の構成


、、、本書の目次はこのようになっています。
面白そうでしょ。
この本はいわゆる「定本」です。
ダニエル・ピンクの『モチベーション3.0』という本など、
ポスト工業化社会における動機付けの在り方について語る本は、
たくさんありますが、ほぼすべて「ここ」に行き着きます。
こういった本を「定本」と言います。

スポーツの世界などで「ゾーンに入る」
という集中状態を表す言葉はもう一般化していますが、
この言葉の元ネタもチクセントミハイに行き着きます。
これを読んだかどうかで、
この分野に対する理解は雲泥の差が出ます。

読書におけるコスパというのは、
「定本」「古典」を読むのが最も高い、
というのは常日頃から私が言っていることですが、
チクセントミハイ『フロー体験』もまた、
そのようなマスターピースのひとつです。

では、私の読書メモを引用し、
それに解説を加えていく、
というカフェ・ラテ形式で、
内容に立ち入って行きたいと思います。



▼▼▼成功は目的化した時点で遠ざかるという逆説。
ヴィクトール・フランクルの指摘

→P3 
〈オーストリアの心理学者ビクター・フランクルは
彼の著書『意味の探求』(Man's Search for Meaning)の序文で、
このことを見事に言い表している。
「成功を目指してはならない
――成功はそれを目指し目標にすればするほど、遠ざかる。
幸福と同じく、成功は追求できるものではない。
それは自分個人より重要な何ものかへの
個人の献身の果てに生じた予期しない副産物のように
・・・結果として生じるものだからである。」〉


、、、さっそく本書の核心に迫る議論が登場します。
ヴィクトール・フランクルは、
20世紀最大の名著のひとつ『夜と霧』を書いた精神科医で、
ナチの収容所を生き残った後、アドラー心理学を発展させ、
「ロゴセラピー(意味による癒し)」を提唱した、
現代思想を語る上での最重要人物のひとりです。
スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』も、
ヴィクトール・フランクルを「論理的下敷き」にしています。

、、、で、フランクルは大胆な指摘をします。
「成功」や「幸福」は、それ自体を目指しても得られない、
というのです。

つまり、
「成功するにはどうすれば良い?」
「幸福になるにはどうすれば良い?」
というのは問いの立て方そのものが間違っている、というのです。
それは因果関係が逆だよ、と。

私たちは何かをしたときに、
その過程において事後的に、
「ああ、成功だった」「ああ、あのときは幸せだった」
と感じるのであって、
幸福や成功それ自体を追求する人は、
決して成功できず幸せを感じることも出来ない、
というパラドックスをフランクルは語っています。

では、その、
「それを求めたときに副産物として幸福が得られる何か」
とは何か?

それは「自分より大切なものへの献身」だと言います。
聖書に「受けるより与える方が幸い」
という言葉がありますが、
フランクルのこの言葉は、それの「言い換え」ですね。



▼▼▼意識の無秩序=心理的エントロピーと、意識の秩序=フロー

→P46〜51 
〈意識にマイナスに働く主な力の一つは心理的無秩序
――すなわち現在の意図と葛藤し合う情報、
または意図の遂行から我々をそらしてしまう情報である。
この状態をどのように経験したかによって、
それは苦痛・恐れ・激怒・不安・嫉妬などさまざまに呼ばれる。
これらすべての無秩序は、
我々が自分の好みに従って物事に注意を向ける自由を拘束し、
注意を望ましくない対象にねじ曲げる。
心理的エネルギーは扱いにくく、役に立たないものになってしまう。
 (中略)
心理的エントロピーの反対が最適経験と呼ばれる状態である。
意識の中に入り続ける情報が目標と一致しているとき、
心理的エネルギーは労せずに流れる。
心配する必要はなく自分が適切に行動していることに疑問を抱く理由もない。
自分自身について考えるために立ち止まるときでも、
万事上手く行っている証拠に常に励まされる。
「なかなかいいじゃないか。」肯定的なフィードバックが自己を強化し、
より多くの注意が内外環境を処理するために解放される。
 (中略)
これらの例は最適経験という言葉で、
我々が何を意味しているかを説明している。
それらは、正さねばならない無秩序や防ぐべき自己への脅迫もないので、
注意が自由に個人の目標達成のために投射されている状態である。
我々はこの状態をフロー体験と呼んできたが、
それは調査面接した人々の多くが、
自分の最高の状態の時に
どのように感じたかについて説明する中で用いた語である。
「流れている(flowing)ような感じだった」
「わたしは流れ(flow)に運ばれたのです」。
それは心理的エントロピーの反対
――事実それはネゲントロピー(negentropy)と
呼ばれることが多い――であり、
その状態を達成している人々は、
より多くの心理的エネルギーを
彼ら自身が選んだ追求目標に上手く投射してきたので、
より強い自信のある自己を発達させているのである。〉


、、、心理的エントロピーと、最適経験。
聞き慣れない二つの単語が登場します。
心理的エントロピーというのは、
「脳内(心の中)が散らかった状態」
と言い換えても良いでしょう。
最適経験はその逆に、
「脳内がある目的に向かって秩序だって整理された状態」
と定義できます。

「自分の後ろの風景」まで見えているかのような状態に入った、
剣豪宮本武蔵や、NBAのマジック・ジョンソン、
あるいはサッカーのジネディーヌ・ジダンは、
「最適経験」にいると思われます。
その瞬間、どんな感じがしましたか?
と研究者が聞くと口をそろえ、
彼らは「流れているようだった」
(flow)という言葉を使いました。
これが「フロー体験」の語源です。

これが「ゾーン」と言い換えられ、
日本ではこちらがマス層に広がりましたが、
どちらも同じ「最適経験」を表しています。

チクセントミハイのこの研究は1990年代ですが、
2019年の私たちには、
「心理的エントロピー問題」は、
当時よりはるかに深刻で切実になっています。

なぜか?

SNSは、心理的エントロピ−状態、
つまり「最適経験の逆」に、
人間の状態を持って行くのに、
最も「効果的」であるということを、
膨大な調査結果が示しているからです。

もう一度引用します。
「意識にマイナスに働く主な力の一つは心理的無秩序
――すなわち現在の意図と葛藤し合う情報、
または意図の遂行から我々をそらしてしまう情報である。
この状態をどのように経験したかによって、
それは苦痛・恐れ・激怒・不安・嫉妬などさまざまに呼ばれる。」


、、、SNSがこのような状態を喚起する、
というのは反証不能なほど、
数多くの実証的な研究結果があります。
仕事で良いパフォーマンスを出したい人は、
SNSは「ほどほど」にするのが良いでしょう。
(私はあるときから事実上SNSから足を洗いましたし、
 私がスマホを持たないのもこの理由です。
 SNSを使うのは発信するときだけで、
 受信は常に「ミュート」です。
 SNSやスマホの利便性より、
 良い仕事をすることのほうが大切ですから。)



▼▼▼フロー体験によって自己は複雑になる。
差異化と統合化の二つの意味で。

→P52〜53 
〈フロー体験によって自己の構成はそれまでよりも複雑になる。
しだいに複雑になることによって自己は成長すると言えるだろう。
複雑さは二つの大きな心理学的過程、差異化と統合化の結果である。

差異化とは独自性や、他者から自分自身を区別する傾向を意味している。
統合化はその逆であり、他者との結合であり、
自己を超えた思想や実体との結合である。
複雑な自己とは、これらの相反する傾向を
結びつけることに成功した自己を言う。

挑戦目標の達成は必然的に、
より有能になった、より熟達した、という感覚を残すので、
フローの結果自己はさらに差異化される。
ロッククライマーの言うように、
「自分を、自分のやったことを畏敬の気持ちで振り返り、
それはまさに心を膨らませる」のである。

一つ一つのフローのエピソードを重ねるにつれて、
人はより独自性を持ち、ありふれた型から抜け出して、
より稀少な価値を持つ能力の獲得に夢中になる。

複雑さはしばしば困難や混乱など
否定的な意味を持つものと考えられる。
我々が複雑さを差異化とだけ対応させるならばそれは正しいだろう。
しかし複雑さはまた、第二の次元
――自律的な部分の統合――を含んでいる。
たとえば複雑なエンジンは、
それぞれが個別の働きをする
数多くの個々の部品から成り立っているだけではなく、
部品のそれぞれが他のすべての部品と関連しているので優れた性能を発揮する。
統合なしには差異化されたシステムは混乱した寄せ集めとなるだろう。

フローは自己の統合を促進する。
注意が深く集中している状態では、
意識は格別良い状態に秩序化されているからである。
思考・意図・感情そしてすべての感覚が同一目標に集中している。
体験は調和の状態にある。
そしてフロー状態が終わったとき、人は内的にだけではなく、
他者や世界一般に対しても「ともにいる」という感じを、
それまでよりも強く持つようになる。

前に引用したクライマーの言葉によれば
「山に登るときの状況・・・(これ以上に)
人間から最上のものを引き出す場所はありません。
頂上へ着くまでのものすごい緊張に耐えていく心身を支えるのは自分だけです。
・・・仲間はすぐそこにいますが、皆同じように感じています。
とにかく皆一緒にその中にいるのです。
この20世紀にこれらの人々以上に信頼できる人がいるでしょうか。
私と同じように自分を鍛え、
深く物事に関わっている人々より信頼できる人が。
・・・このような人々との連帯はそれ自体がエクスタシーです。」

統合化されずに差異化されただけの自己は
大きな個人的業績を上げるかもしれないが、
自己中心的な利己主義にはまり込む危険がある。
同様に自己が差異化されずに統合化されている人は他者と結びつけられ、
安全ではあるが自律的個性に欠ける。
等量の心理的エネルギーをこれら二つの過程に投射し、
わがままと付和雷同を避けて初めて、
自己は複雑さを映し出すだろう。〉


、、、差異化と統合化、
という新しい概念がまた登場しましたね。
この二つが揃ってこそ「自己の複雑化」という、
著者のいう「人間的成長」の側面に到達する、
ということがここでのポイントです。

差異化というのは、
先ほどの剣豪宮本武蔵ならば、
人里離れて剣の腕を磨き、
「もう誰も到達できないほどの高み」
に到達し、それゆえ「剣で語り合える人」が、
誰もいなくなってしまった孤高の状態、
というようなことに近いかもしれません。
彼はその孤独を埋めるために佐々木小次郎と、
「剣で語り合う」ことを求めた、
というのが吉川英治や井上雄彦が描く武蔵像です。

しかし武蔵は孤独なだけではありません。
彼は「ある時期」を越えると、
孤独な少年や貧しい村人など、
「民衆」に対する暖かいまなざしを獲得し、
彼らに畏敬の念を覚え、
彼らと連帯することすら出来るようになります。
さらに武蔵は「この天地とひとつ」という、
「自然との一体感」を得るようになる。
これが武蔵の文脈で言う「統合化」です。

私たちもまた、規模は違うにしても、
日常生活でこのような事象に出会います。
「差異化だけがある状態」というのは、
めちゃくちゃ仕事が出来るが、
それ故に「孤高の存在」になり、
周囲との間に壁が出来てしまうような人のことです。

「統合だけがある状態」というのは、
みんなと歩調を合わせることだけを求め、
自らの到達できるはずの高みに行けないし、
行こうともしない人のことです。
校内マラソン大会ならば
「みんなで一緒に走ろうね」というやつです。

このどちらの人も、
「自己の複雑化」という人間的成長には不十分だ、
というのがここでの論点です。
私たちは誰も到達できないような高みを目指しつつ、
周囲との共感や連帯も失わない、
そういう存在になれるのであり、
是非目指すべきなのだ、ということです。



▼▼▼「フロー体験」とは、
行為それ自体のために行為することがもたらす喜びである

→P53〜54 
〈自己はフローを体験する結果、複雑になる。
逆説的に言えば、我々がこれまで以上の複雑さを身につけるのは、
行為に現れない動機のためにではなく、
むしろ行為それ自体のために自由に行為する時である。

目標を選び、注意集中の限界にまで自分自身を投射する時、
我々が行うことはすべて楽しいものになる。
そしてひとたびこの喜びを味わうと、
我々はその喜びを再度味わうための努力を倍増させる。
これが自己が成長する道筋である。

それはリコがベルトコンベアーでの表面上は退屈な仕事から、
R氏が詩から、多くのものを引き出し得た方法である。
それはEさんが病気を克服して著名な学者になり、
有能な経営者になった方法である。

フローは今という瞬間をより楽しいものにし、
能力をさらに発展させて
人類への重要な寄与を可能にする自信を築きあげる、
という二つの理由で重要である。〉


、、、これは説明不要でしょう。
フロー体験というのは、
「何かのためにそれを頑張っている状態」ではない、
というのがこの本の核心的主張です。
お母さんに誉められたいから塾で勉強している中学生は、
決してフロー体験を味わうことはないでしょう。
上司に認められたいから仕事をする職員は、
その定義からして仕事がフロー体験になっていません。

お金のために行為する人の中に、
一流はいるが超一流は見つけられない、
と著者が言っているのはこのことです。
イチロー選手でも、羽生善治でも、
宮本武蔵でも、リオネル・メッシでもいいのですが、
「お金のために」「名声のために」している人はいません。
莫大なお金と名声は「あとからついてきます」が、
彼らは「それをすることそれ自体が目的だから」
それをしています。
その自己没入的なフロー体験が、
彼らを「高み」へと連れて行くのです。

驚くべきなのは、
ベルトコンベアで働く作業員の中にさえ、
この「高み」に到達する人がいるということです。
本書で出てくるリオという作業員は、
工場の誰もが尊敬し、困った案件は上司ですら彼に相談する、
というほどの熟練工です。
彼にインタビューするとこう言います。
「もちろんこの仕事で生計を立てられることは大事だよ。
 でも、僕が仕事に打ち込むのはお金のためじゃない。
 純粋にそれをするのが楽しいからだ」と。

私はかつて食肉処理場で働いていましたが、
その経験からも「そういう人」って、必ずいます。
その人たちの汗は輝いていたし、
身のこなしには「神々しさ」すら漂っていました。
「高給のホワイトカラー以外、仕事じゃない」
と思い込んでいる、
塾通いの偏差値至上主義の高校生たちに、
あの光景を見せて上げたい。



▼▼▼楽しさの現象学の八つの構成要素

→P62〜63 
〈我々の研究が示唆してきたように、
楽しさの現象学は八つの主要な構成要素をもっている。
被験者たちは、
最も生き生きした経験をしている時の感じについて訪ねられた時、
少なくとも次のうちの一つ、しばしば全部を挙げたのである。

第一に、通常その経験は、
達成できる見通しのある課題と取り組んでいる時に生じる。
第二に、自分のしていることに集中できていなければならない。
第三、および第四として、その集中ができるのは一般に、
行われている作業に明瞭な目標があり、
直接的なフィードバックがあるからである。
第五に、意識から日々の生活の気苦労や欲求不満を取り除く、
深いけれども無理のない没入状態で行為している。
第六に、楽しい経験は自分の行為を統制しているという感覚を伴う。
第七に、自己についての意識は消失するが、
これに反してフロー体験の後では自己感覚はより強く表れる。
最後に、時間の経過の感覚が変わる。
数時間は数分のうちに過ぎ、
数分は数時間に伸びるように感じられることがある。

これらすべての要素の組み合わせが深い楽しさ感覚を生む。
それは非常にやりがいがあるので、
大量のエネルギーをそれを感じるためにのみ
消費するに値すると感じるのである。〉


、、、ダニエル・ピンクは、
著書『モチベーション3.0』のなかで、
想像力と創造力が富の源泉となる21世紀的な仕事において、
チクセントミハイの『フロー体験』的な、
「労働の喜び(動機付け)」を提供できない組織や企業は、
良い人材を集められず、引き留めてもおけないため、
必ず挫折するだろう、と指摘します。

そして、「では、そのような労働を提供するために、
管理者(経営者)が行うべき、
21世紀的な動機付けは何か」
ということを、この箇所から解説しています。
つまり、上記8個の条件を満たせるようなやり方で、
働く人に仕事や責任を割り振ることが、
非常に大切になってくるのだ。

つまりこういうことです。

・達成できる見通しのある課題を与えること
・集中出来る環境を用意すること
・明確な目標が定義されていること
・自分の仕事に直接的なフィードバックがあること
・自分を統制している感覚を提供すること
(裁量権を与えることを意味する)


、、、こういった条件を与えるときに、
仕事をしている人は、
「自己を忘れるほどその課題に没入し」
「1時間が1分のように感じ、
 逆に重要な数秒が1時間に引き延ばされる」
といったような集中状態を味わうことができるというのです。

これは、たとえば中間管理職として部下の指導をするときや、
子どもたちに勉強を指導するときや、
少年野球のコーチをするとき、
あるいは教会で信徒を訓練するときにも、
適用可能な原則です。

あまりにも多くの世の中の「指導」が、
「具体的な目標設定も、
 直接的なフィードバックも、
 裁量権もなく、
 ただ精神論を振り回す」
というようなものが多すぎる。

「とにかく勉強しろ」
「とにかく頑張れ」
「とにかく素振りしろ」
「とにかく聖書を読め、祈れ」
は、指導として最低の部類だ、ということですね。



▼▼▼自己目的的経験と、内発的報酬

→P85〜86 
〈最適経験の基本要素は、
それ自体が目的であるということである。
たとえ初めは他の理由で企てられたとしても、
我々を夢中にさせる活動は内発的報酬をもたらすようになる。
外科医は、「手術がとても楽しいので、
私がやる必要のない手術でも引き受けるだろうね」と言い、
航海者は「このヨットのために多くのお金と時間を費やしますが、
それだけの価値があります。
帆走している時に感じることと比べられるものなどありません」
と言う。

「自己目的的」(autotelic)という言葉は、
ギリシャ語の自己を意味するautoと目的を意味するtelosからきている。
それは自己充足的な活動、つまり将来での利益を期待しない、
することそれ自体が報酬をもたらす活動を言う。

儲けるために株の売買をすることは自己目的的な経験とはならないが、
将来の動向を予見する能力を証明するためにする売買は
――結果として手に入るドルやセントが全く同一だとしても――
自己目的的な経験となる。
子どもを良き市民に仕立てるための教育は自己目的的ではないが、
子どもたちとの相互作用を楽しむための指導は自己目的的である。

この二つの状況で生じるものは、表面上は同一である。
違いはその経験が自己目的的である時、
人はその活動それ自体に注意を払うが、
そうでない場合にはその結果に注意の焦点を置くところにある。

我々が行うことのほとんどは、
純粋に自己目的的でもなければ外発的
(以下、外的な理由によってのみ行われる活動を指す)でもなく、
両者が混ざり合っている。

外科医は通常、人を助けること、
金を稼ぐこと、権威を得ることなどの
外発的な期待から長い訓練に入る。
もし幸運に恵まれるなら、
まもなく彼らは自分の仕事を楽しみ始め、
手術はきわめて自己目的的なものになる。〉


、、、「自己目的的」(autotelic)という言葉が出てきました。
「フロー体験」を一言で言い換えるなら、
この「自己目的的体験」になるでしょう。
「それをすることで将来何か利益が得られるから」
それをするのではなく、
「それをすることが楽しくて仕方がないから」
それをするようになる。
そのときに、その人は活動の結果ではなく、
活動そのものに没入するようになる。
これが「自己目的的経験」です。
私も今の仕事は、「自己目的的経験」の部分が、
きわめて大きいです。
そうでなければ、
経済的・社会的報酬が少なく、安定もしてない仕事を、
10年も続けられません。

脳研修者の池谷裕二さんが、
『自分では気づかないココロの盲点』という本に、
こんな事例(クイズ)を紹介していますので、
当該箇所を引用します。


→P32〜34 
〈陸軍士官学校に所属する候補生に、志望動機を訊きました。
10年後に、より出世していたのは、どちらの理由を挙げた人でしょか。

1.技能や素養を身につけ、将来は将校になって国のために貢献したい。
2.軍隊そのものが楽しそうだから。

(次ページ)

答え:2


将来の明確な目標やビジョンがあった方が、
モチベーションが高まるように思います。
また、目標は一つよりも、多数あった方が良いようにも思います。
ところが、夢や目標をたくさん持っている指揮官候補生に比べて、
単に好きだからやっている候補生の方が、
将校に出世する率が15%ほど高かったのです。
興味があるからやっている人の方が、やる気が長期的に継続するのです。
愛する人のため、出世のため、
お金のため、教養のため、仕返しのため――。
自分の行動に、目的や理念などを添えて理論武装する人ほど、
長期的な結末は良くないものです。
理由は一つ。
好きだからやっている。
これでいいのです。好きに理由などないのです。〉


、、、かつてこのメルマガの中で、
『桐島、部活やめるってよ』の解説をしました。
その中に出てくる人気生徒の宏樹君は、
「他の生徒にどう見られているか」が人生の軸になっていました。
オタクの前田君は、
「ゾンビ映画を撮る」ということが、
好きで好きでたまらなくて、
映画同好会を主催していました。

多くの人が思っているのとは逆で、
前田君の方が「圧倒的に強い」のです。
もっと言えば「最強」です。
「それをすることが楽しく、それが好き」
であるという人は、世間の評価とか金銭的報酬とか、
まったく関係ありません。
そういうものを何かひとつでも持っている人は、
この残酷な世の中を生き抜く武器を持つ人です。



▼▼▼ロジェ・カイヨワによるゲームの4分類

→P92〜93 
〈フランスの心理人類学者ロジェ・カイヨワは世界中のゲーム
(あらゆる楽しい活動を含めるために、
この言葉を最も広い意味で用いている)を、
それが生み出す経験の種類に従って大きく四種に分類した。

アゴーン(agon)はほとんどのスポーツや競技のように、
競争を主な特徴とするゲームを含んでいる。
アレア(alea)はさいころ遊びからビンゴにいたる、
すべての運試しのゲームに、
イリンクス(ilinx)つまり眩暈は、
メリーゴーラウンドやスカイダイビングのような、
通常の感覚を錯乱することによって
意識を変えてしまう活動に与えられた名称であり、
ミミクリー(mimicry)は、ダンスや演劇、芸術一般のように、
代理の現実が創り出される一群の活動である。〉


▼▼▼ゲームの語源は「ノンゼロサム」である。
「共に追求する」

→P93 
〈競争的なゲームでは、
参加者は相手の能力によって与えられる挑戦に
適合するように自分の能力を伸ばさねばならない。
「競う」(compete)の語源はラテン語のcon petire、
つまれ、「ともに追求する」である。
それぞれが自分の可能性の実現を追求するが、
これは自分がベストを尽くすよう他者に強く迫られる時、
より容易なものになる。〉


、、、「夢中になれるのが最強」と先ほど言いましたが、
すべての人が「わかりやすく夢中になれるようなこと」を
仕事にしているわけではありません。
もしそうならば、
世の中にはアニメーターと声優と、
野球選手とプロゲーマーと、
映画監督とユーチューバーと、
アイドルとパティシエぐらいしか、
仕事がなくなってしまうでしょう。
(その仕事の実相が、「子どもたちの脳内の憧れ」と、
 どれぐらい乖離しているかという話しは脇に置くと)

「華やかなあこがれの仕事」は、
子どもと世間知らずな人の脳内にしか存在しません。
現実はこうです。
仕事というのは人様からお金をもらってするわけですから、
基本的に「人がやりたくない面倒なこと」を、
引き受けることに他なりません。

「自分に合った仕事がない」
という若者がいることを養老孟司さんがあるとき嘆いていました。
「俺は35年間、死体を解剖してきた。
 葬式に行っては遺族に頭を下げ、
 ご遺体を引き取ってきた。
 それに『向いている』人って、
 どんな人なんでしょう?」と。

私は食肉処理場で6年間働きました。
おびただしい数の豚や牛を屠殺し、
皮を剥ぎ、内臓を取り出し、
腸の内容物を洗い、
膿があったら摘出し、
肉や内臓として食用に供する準備をする。

こういうのに「向いている人」って、
いったいどういう人なんでしょう?

あなたの仕事がなんなのかは分かりませんが、
きっと「やりたいこと」を仕事にしている人は、
圧倒的に少数派でしょうし、
仮に「やりたいこと」が仕事だったとしても、
その多くの部分は退屈な繰り返しです。
アイドルですら、じっさいにやってみれば、
その仕事のほとんどが嫌なことだ、
というのが本音じゃないでしょうか?

でも「福音」があります。
たとえどんな仕事だったとしても、
それを「好きになる」ことが可能だ、
というのが福音です。
食肉処理場の経験を何度も引き合いに出しますが、
私はその仕事をこれ以上ないぐらい楽しんでいました。
下手なテレビゲームより何百倍も楽しい。
ゲームは二次元ですが、
食肉処理場の仕事は3次元どころか、
人間関係、動物や解剖の知識、
事務処理能力、包丁さばきなどの手際、
あらゆる要素が重なり合って、8次元ぐらいの「ゲーム」です。
昨日より2秒検査が早く、しかも正確になった。
去年よりも的確な指示が、作業員に出せるようになった。
そういった上達の手応えは、
それ自体が報酬で、給料は副産物と感じていたぐらいです。

チクセントミハイがなぜゲームの話をここでしているのか?

それは「つまらない仕事を楽しくする」には、
「ゲーム」という概念を導入する必要がある、
というのが彼の仮説だからです。
ある仕事をめちゃくちゃつまらないと感じる人と、
同じ仕事をめちゃくちゃ面白いと感じる人がいる。

後者は、その仕事の中に、
「ゲーム性」を見出し、
そこに自己を向上させるという要素を発見している、
というのです。

そして著者が指摘しているように、
競争(compete)の語源は、
「共に追求する」ことです。

出世レースという「ゲーム性」は、
「フロー体験=自己目的的体験」と縁遠い、
というのがここから分かります。
同僚を出し抜いてでも成功しようとする社員は、
同じ「ゲーム性」を仕事に見出していても、
そのゲーム性の中に喜びはありません。
そうではなく、「昨日の自分より上達する」
「昨日の自分よりお客さんに喜んでもらう」
「昨日の自分よりチームをまとめる」
といった本来のゲーム性を見出すとき、
「誰もがつまらないと思うだろう仕事」が、
無上の喜びに変わります。

これは空論ではなく、
私自身が自分の仕事人生の中で、
何度も体験してきたことです。


、、、後篇へ続く

所有している一番高価な本は?

2019.07.03 Wednesday

●第079号   2019年2月19日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼所有している高価な本▼▼▼

▼質問:
「あなたが所有している最も高価な本を教えて下さい。」


、、、これは、今現在所有しているものと、
かつて保有していた本
(今は実家にあるかもしれないし、
ないかもしれない)で、分かれます。

まずは今現在、私の家の中にある最も高価な本から。

『キリスト教思想史入門』
アリスター・マクグラス著

こちらですね。

▼参考リンク:
http://amzn.asia/cuJsSgj

いつだったか忘れましたが、
数年前に新宿のオアシスブックセンターという、
キリスト教書店で買いました。
定価9,000円(税抜き)です。
あまり可処分所得が潤沢にあるわけではない私は、
平たく言うと裕福ではない私は、
こういう神学書を買うときは、
「えいやっ」と、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで買います。

レジではドキドキが止まりません。

本当は私は仕事の性質からすれば、
書籍代は「経費で落ちる」はずですが、
それをするとFVIという団体の経済的な土台が崩壊するので、
パソコンも書籍も「自費」です。

しかし世の中は本当に慈悲深く、
もとい神様は慈悲深く、
こういった本の「軍資金」を、
毎月提供してくださる方がいらっしゃるのです。
私の義理の母が、「俊君の本献金」を、
毎月5,000円くださっています。

それがなければ私はこのメルマガを書けませんし、
図書館においていない神学書や、
おいてあっても2年待ちの、
「話題の新刊」を読むことはできなかったでしょう。

それでもやはり、
9,000円(税抜き)はビビります。
でもそのときは、絶対買った方が良い、
という直観がはたらいたんですよね。

今思うと買って大正解でした。

2つの理由があります。

最初は、この本もう売り切れていて、
買おうと思うとAmazonで中古価格が16,000円を超えます。
こういう本って結構あって、
そういうのは出会った瞬間買った方が良いのです。
あのとき私はこれを手にしたとき、
これもまた「こういう本」のひとつだと直観しました。
それは的中しました。

二番目の理由は、
この本がべらぼうに面白かったからです。
私はそもそも、
アリスター・マクグラスという神学者の「ファン」といっても良く、
彼の書くものから本当に多くを教えられてきました。
彼が、「オリゲネスの時代からモルトマンの時代まで」、
その主流神学と、その神学がどういった思想から影響を受けてきたのか、
ということを手際よく概説していく本書は、
明らかに9,000円以上の価値がありました。

キリスト教神学は、
2,000年の間に、
様々な思想宗教の影響を受けて成立してきました。
そのスタートからして、
ギリシャ語で書かれていますから、
当時のヘレニズム思想(アリストテレス的な考え方)の影響下にあります。
さらに、西洋神学の「祖」であるアウグスティヌスは若い頃、
ゾロアスター教徒だったため、
その影響は彼の神学書に刻印されています。

ことほどさように、
神学というのは「外部の哲学」と無縁ではいられません。
「何からも影響を受けない純粋な神学」というのは、
プラトンの措定する「イデア界」と同じで、
作業仮説としては存在し得ますが、
現実世界にはその定義からして存在不能です。

私たちが日本語で神学を語るとき、
そこには必ず仏教の影響が入り込みます。

なぜか?

日本語は仏教とともに作られてきたからです。
私たちの日常会話に使う単語に、
仏教の影響がひとつも入らないように生活することは不可能です。
つまり日本語で思考することは仏教的に思考する、
ということに他ならない。

では、仏教的言語で聖書を語る、
とうのは「シンクレティズム(混交主義)」なのか?
まったくそんなことはないことは、
ゾロアスター的影響下で神学を語ったアウグスティヌスや、
ヘレニズム的影響下でイエスを語ったパウロを考えれば、
自明でしょう。
むしろ人類の思想の営みのなかで、
相互に影響を与え、影響を受けながら、
鉄が鉄を研ぐように豊かにされていくのが神学であり、
そこにこそ神学の醍醐味があります。
アリスター・マクグラスは、
「西洋神学を絶対視し神聖視する」というのが、
いかに馬鹿げたことかを知っている賢明な神学者ですので、
本書は神学の営みのダイナミズムを教えてくれる良書でした。


では、今までに買った本の中で一番高価だったのは何か?
私の記憶が確かなら、
獣医寄生虫学(19,000円)だったと思います。
大学の教科書はたいてい高いですが、
獣医学関係の教科書というのは、
その中でも群を抜いて高いです。

というのは、
医者ならばある程度人数がいるから、
「市場が大きい」ため、
重厚な本でも1万円を切るのですが、
獣医学の教科書の読者は非常に限定されているため、
その分価格が高くなる。
1万円オーバーの教科書を、
学期ごとに何冊も大学生協で買ったときは、
「お父さん、お母さん、ありがとう」と、
心から思いました。

、、、という、大学の頃の思い出でした。
本日は以上!

では、コーナーに行きましょう!

回転寿司の究極の5皿

2019.06.27 Thursday

●第78号   2019年2月12日配信号

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■1 今週のオープニングトーク
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▼▼▼回転寿司の5皿▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
今週も質問カードからいってみましょう。

▼質問:
回転寿司で5皿しか頼めません。
あなたが考えるベストラインナップを教えてください。


、、、今週は軽めの質問ですね。
これって、「どの回転寿司屋さんなのか」
っていうのがめちゃくちゃ大事だと思うんですよね。

「かっぱ寿司」と、
北海道の回転寿司屋「とっぴー」(←めちゃウマい)
では当然、まったく違うわけですよ。
あと、北陸の回転寿司屋も行ったことあるけど、
北海道や北陸の回転寿司を食べると、
「別物」なので、
比較の対象にならないわけです。

まったく別の食べ物、
別の業態と考えた方が良い。
期待するモノがまったく変わってくるわけです。
もちろん「とっぴー」の美味さは異常ですが、
だからといって本州のスシローは駄目かというと、
そういうわけではない。
スシローはスシローで楽しいんです。

なんていうのかな。
そりゃ、ニューヨークのブロードウェイの、
「ライオンキング」は凄いですよ。
人生観が変わっちゃったりするわけです。
小学生が見たら、人生の進路が変わっちゃうぐらい、
桁外れのエンターテイメントなわけですよ
(あ、僕見たことないです。
 そう聞いています、ってだけで笑)。

でも、劇団四季の「ライオンキング」は駄目かというと、
そういうわけではない、ということですよ。
「違う意味で良い」わけです。
(これも観たことないです笑。
 いちど劇団四季の「キャッツ」を観ました。
 普通に良かったです。)

というわけで、回転寿司の世界というのは、
一絡げにするにはあまりにも幅があるのですが、
ここではさしあたり、
「スシロー」「かっぱ寿司」ラインで考えていきましょう。

でも、悩みますね。

2時間頂いて良いですか(笑)?

、、、

絶対に行くヤツは決まってます。

「鉄火巻き」と「あおさ汁」です。

▼参考画像:鉄火巻き
https://goo.gl/NDq53R

▼参考画像:あおさ汁
https://goo.gl/oEVRZY

、、、鉄火巻き好きなんですよね。
手で食べる感じで。
必ず終盤、というよりも「締め」に食べます。
わさびをたっぷり付けて、
辛めにして。

イタリアンの後のエスプレッソショットみたいな感じで、
「うん、食事が終わった!」
というピリオドを打ってくれる感じがある。

あおさ汁は逆に、最初に頼みます。
これは「お茶代わり」と言いますか、
回転寿司のあら汁とかあおさ汁(汁物系)は、
とりあえず一発目に頼みますね。

というわけで「最初と最後」は決まりました。
バスケなら、センターとポイントガードが決まったわけです。

あとは間の3皿に何を挟むか、
という問題になってきます。

そうですねぇ、、、。

1.サーモン
https://goo.gl/PgPg5x

2.ミートボール
https://goo.gl/azCfn6

3.エビ天にぎり
https://goo.gl/hNqkAM

これで行きましょう。
まぁ、サーモンは分かってもらえると思うんですよ。
多分、人気投票をしても、
普通にベスト5に入ってくるネタだと思いますので。

エビ天にぎりは少々説明が必要です。
「かっぱ寿司」はどうか知りませんが、
スシローのエビ天にぎり、
あれがめちゃ美味いんですよ。
カリカリで。
タレが甘くて。
「一口に収まる天丼」を食べているような、
「箱庭感」があって、スシローで必ず食べるメニューです。
お試しあれ。

問題は「ミートボール」ですよ。
多分「ミートボール(笑)」って
思われると思うんですよ。

あと「なるべく原価が高いものを食べた方が得」
という「謎のコスパ意識」を持つ人にとっては、
あり得ない選択肢だと思うんですよね。

しかし。

そのリミッターを一度外してみてほしい。
問題はコスパではありません。
「同じ108円で、どれだけ自分が(主観的に)満足するか」
が、私は全てだと思うんですよ。
原価が高かろうが何だろうが、
自分が満足しなければそのチョイスは失敗だし、
原価率が低かろうが、
自分がそのお金に見合うと思えばそれで良い、
というのが「本当に賢い消費行動」だと思います。

「セールだから買う」
というのが愚か(だと私は思う)な理由はここにあります。
本当に良い買い物は、
「定価だったとしてもほしいような何か」
なはずなのです。
そしてそういった買い物は経験的に、
「自分の中で値崩れしにくい」。
つまり1年経っても2年経っても、
「これは○○円の価値があったな」
と思えるわけです。

話がそれました。

コスパという概念を一旦離れると、
ミートボール、いいじゃないか、
と思うわけです。

そもそもスシローに入っている時点で、
「本格的な寿司の鮮度」などは、
求めてないはずだし、
求めるべきものでもないと思うんですよ。

「えんがわ」なんてさいたるもので、
108円でヒラメの縁側が食べられるわけがない。
実はあれはナイルパーチという巨大な熱帯魚の縁側です。
私は去年小説でそれを知りました。

ことほどさように、
「低価格帯」のものを買うときに、
「高価格な満足度」を求めるのは、
「マクドナルドでヘルシーなメニューを探す」
みたいな行為であり、
最初のボタンと最後のボタンホールが、
「合っていない」わけです。
その「しわ寄せ」が、ナイルパーチなわけです。

と考えますと、
回転寿司におけるスシローというのは、
お菓子界における駄菓子屋みたいなものなので、
そこに「ガトーショコラ的な何か」を求めるのではなく、
「うまい棒的な何か」を求めた方が、
幸せになれるのでは?
と私は思うわけです。

それで辿り着いた答えが、
「ミートボール(笑)」です。
あれ、いいんですよ。
上にマヨネーズがちょっとかかってて、
あれを軍艦にするセンスがそもそも、
「日本文化のエッセンスの塊」って感じがするじゃないですか。
寿司を回転させる発想も日本なら、
魚肉を練ったモノに「ミート」という名前を付け、
照り焼きソースに絡め、
マヨネーズをかけ、
それを「箱庭的」に軍艦にしてしまう。

「宝石箱や〜!」(by彦摩呂)なわけです。

、、、「日本や〜!」

▼参考リンク:彦摩呂
https://goo.gl/tkhMkV


、、、おわり。

陣内が先週読んだ本 2019年1月20日〜2月4日 『量子革命』他

2019.06.26 Wednesday

+++vol.078 2019年2月12日配信号+++

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■2 陣内が先週読んだ本 
期間:2019年1月20日〜2月4日
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先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●対立の世紀 グローバリズムの破綻

読了した日:2019年1月21日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:イアン・ブレマー
出版年:2018年
出版社:日本経済新聞出版社

リンク:
https://goo.gl/XBbRLo

▼140文字ブリーフィング:

イアン・ブレマーは、
『Gゼロ後の世界』という本を書いたことで有名です。
私は鬱病療養の最後の時期に、
なんとか自分に自信を取り戻すため、
「何かを書く」ということを自分に課しました。
結果として2本の小論考を書いたわけですが、
そのうちの「中空構造日本の新世紀」という論考の、
論理的下敷きにしたのが、
イアン・ブレマーの『Gゼロ後の世界』と、
河合隼雄の『中空構造日本の深層』でした。
興味ある人はご参照ください。

▼参考リンク:2本の小論考
https://drive.google.com/file/d/0B3HrFmMyrAJLekNEdEVoYnVOcms/view
https://drive.google.com/file/d/0B3HrFmMyrAJLU3h3RG5CRzU0eEk/view

イアン・ブレマーの本を読むのはその時以来です。
『対立の世紀』とは、21世紀の政治が、
「われわれ対彼ら」という構図に基づくものだ、
という著者の基本認識を表現しています。
全世界で「ポピュリスト」と呼ばれる政治家が躍進しているのは、
ここ数年ますます認識されるようになっていますが、
問題はポピュリストのほうにではなく、
それを生む人々の恐怖心のほうなのだ、
というのが著者の指摘です。
引用します。


→P27〜28 
〈「今こそ、地域革命を起こすときです」。
その候補者は、歓声を上げる群衆に向けて言い放った。
「国はもはや国家としての意味をなさず、市場でしかありません。
国境線は消去され・・・誰でも我が国に来ることが出来ます。
これでは文化的アイデンティティが薄まってしまいます」。

マリーヌ・ル・ペンのこの発言は、
西洋社会で高まりつつある不安の重要な要素をすべて捉えている。
国境は開かれ、外国人たちが入ってくる。
仕事は奪い取られ、システムが破綻して年金や医療制度が崩壊する。
文化が汚され、中には犯罪者もいる。
ル・ペンは2017年のフランス大統領選で破れこそしたが、
そのメッセージは、「われわれ対彼ら」という
対立の21世紀の政治に強いインパクトをとどめている。

だがこれは、マリーヌ・ル・ペンの話でも、
ドナルド・トランプの話でもない。
最近ヨーロッパやアメリカに現れている
やり手のポピュリストたちの話でもない。
カメラを怒り狂っている群衆に向けてみようではないか。
本当の物語は彼らの中にあるのだ。

運動を起こしているのは、メッセンジャーではない。
発端は、失業や、押し寄せてくる外国人たちや、
失われていく国民意識(ナショナル・アイデンティティ)や、
テロリズムにつながる理解不能な、
公然たる暴力行動に対する普通の人々の
――絶対とは言わずとも多くの場合当たっている――恐怖心なのだ。〉


著者は「ドナルド・トランプは無能で不快で嘘つきだが、
彼の支持者たちをないがしろにする者はだれでも、
アメリカに害をなしている」
と語っています。
この指摘は鋭い。
これはヨーロッパにも言える、と著者は加えます。

日本もそうかもしれません。
ネトウヨを非難するのは簡単だが、
ネトウヨにならざるを得ない鬱屈をすくい上げなければ、
日本の政治に未来はないのです。


→P241 
〈アメリカがますます安全で繁栄していく国だと信じているから、
という理由でドナルド・トランプに投票した有権者はいない。
勤労世代の男性のうち失業者一人に対して
職探しすらしていない無職者が3人もおり、
しかも失業中の男性の半分が日々鎮痛剤を服用している状況の国では、
多くの人々が「変化」を求めている。
こういう人々の運命を無視すれば、
どんな未来がアメリカ人を待ち受けているか、
想像するのも難しい。

トランプのようなポピュリストを非難することはたやすい。
彼は不快で嘘つきで無能だ。
だが、ドナルド・トランプが「われわれ対彼ら」の構図を作ったのではなく、
この構図がドナルド・トランプを生み出したのだ。
そして、彼の支持者をないがしろにするものは
アメリカに害を為しているのだ。〉


→P245〜246 
〈だが、批判をトランプに集中するだけにとどまって、
彼をホワイトハウスに送り込んだ根底的な緊急事態に目を向けないとすると、
アメリカの「われわれ対彼ら」の問題は悪化の一途を辿ることになる。
そしてそうなれば、壁を建設することは簡単になり、
最も助けを必要とする人々を援助することが難しくなる。

だが、ドナルド・トランプを嘲笑し、その乱行を罵り、
その支持者たちを馬鹿にする方が、自分たちには未来がなく、
その事を多のアメリカ人はどうでも良いと思っていると
多くの人々に信じさせてしまった諸問題の解決に向け努力するより、
ずっと楽なのだ。
 (中略)
ベッペ・グリッロやマリーヌ・ル・ペンのような
政治的先導者たちを攻撃するのは良いが、
彼らに頼ろうとする人々の希望と不安を真剣に受け止めないと、
「われわれ対彼ら」の問題は悪化し、
左翼と右翼の両方が受け入れられる方法での
ヨーロッパの社会契約を書き直すことがさらに難しくなるのだ。〉
(2,018文字)



●エクササイズ3 ともに神の愛に生きる

読了した日:2019年1月24日
読んだ方法:Amazonで書籍購入

著者:ジェームズ・ブライアン・スミス
出版年:2018年
出版社:いのちのことば社

リンク:
https://goo.gl/RvkmQW

▼140文字ブリーフィング:

こちらは、FVIの正会員としてご助力いただいている、
カンバ―ランド長老高座教会の、
松本雅弘先生の奥様・松本徳子氏が翻訳なさっています。
松本先生は著者のジェームズ・ブライアン・スミス氏に、
アメリカまで会いに行っており、
ご自身の牧会される教会でも、
この本をテキストにシリーズで訓練会を実施しています。

この本は1巻〜3巻まであり、
私は足かけ3年かけて、
これですべて読んだことになります。

この本はキリスト者の霊的鍛錬に関する本です。
何がこの本のユニークさかというと、
著者が「人間は努力では変われない」という前提に立つところです。
かといって「成長は神秘に包まれた聖霊の業だから、
われわれは祈って、運良く神が介入してくれるのを期待する」
というものでもありません。

著者はキリスト者がキリストの似姿に変えられるには、
1.物語の変化
2.共同体
3.鍛錬(実践・エクササイズ)
の三つが必要なのだ、と語ります。
サブタイトルが内容を表しているのですが、
第一巻は「生活の中で神を知る」
第二巻は「神の国の生き方を身につける」
第三巻は「ともに神の愛に生きる」
です。

つまり、
1が神を愛するエクササイズ、
2が自分を愛するエクササイズ、
3が隣人を愛するエクササイズ、
という風に構造化されています。
しかもそれぞれの章末には、
小グループや個人で取り組むための、
実際的な教材も附録されている。
教会などでテキストとして採り入れるには、
非常に適したシリーズです。

私は全部を読んでみて、
本書、第三巻がいちばん面白かったです。

南アフリカのメガチャーチの牧師をしていて
「燃え尽き」を体験した後、
1年間のアメリカでのサバティカルで啓示を受けたトム・スミス牧師が、
現在牧会する南アフリカのクレイポット(陶器の壺)教会の物語と、
その共同体のルールが面白いと思ったのでご紹介します。

→P183〜186 
〈次の文章はトムたちが作った共同体
――クレイポット(陶器の壺)教会――の説明です。
 (中略)
 ある日の礼拝の最後に、
私たちはその壺を大きな袋に入れて、
コンクリートの床にたたきつけて割りました。
それは私たちの壊れた状態を象徴していました。
それから、教会の全員が割れた破片を家に持ち帰りました。
そして、持ち帰った破片にそれぞれの祈りを書き、
再び持ち寄ってその陶器の壺を組み立て直しました。
その陶器の壺はつなぎ合わされましたが、
完全な姿にはなりませんでした。
けれども、その中にろうそくを灯すと、美しい光を放ったのです。

トムと教会員は大きな教会を建てたいとは思いませんでした。
彼らはお互いのためと共同体のために、
教会になりたいと思ったのでした。
トムは共同体の皆に、この光を輝かせ続けるために、
以下の約束(コミットメント)をするように求めました。
トムは、これを「六つの招きに答えること」と呼んでいます。

1.祈りや聖書朗読やその他の霊的訓練を通して、
 神に毎日「プラグを差し込みます」。

2.一週間に三回「パンを割く」ときを、
 仲間の人々とまたキリストを知らない人々と持ちます。

3.「私の霊的賜物は何ですか」とは聞かずに、
 「私はこの共同体にとってどんな贈り物ですか」と問うことを通して、
 自分の賜物を共同体に献げます。

4.自分と(人種・宗教・階級などが)異なる人と友情を育みます。

5.仕える精神――社会的地位を低くすること――をはぐくみ、
 自分の人生の資源(時間・財産・才能)を
 必要のある人に分け与えるようにします。

6.自分の時間を健全なリズムで使います
 (余白、安息日、一週間に50時間以上仕事をしない)。

 (中略)
この共同体には、もう一つ変わった訓練があります。
毎年、12月の最後に、トムは人々に1月の1ヶ月間を
識別の時として使うようにと言います。
トムは冗談めかしてこう言います。
「1月の一ヶ月間、私は誰もいない教会の牧師になります」と。
教会員は、神が彼らをどこに遣わそうとしておられるのかを探し求め、
見極めるようにと言われます。
もう一年間クレイポット教会に戻るように導かれたら、
一月の最後の日曜日に来るようにと言われます。
そのときにみんなで新しい壺を割って、
その破片を持ち帰り、自分の祈りをその破片に書き、
それを次の日曜日に持ち寄って壺を組み立て直します。

このクレイポット教会の物語は、
約束(コミットメント)と説明責任(アカウンタビリティー)の
重要性をあらわしています。
そして、この二つは現代のクリスチャン生活の中で
ますます乏しくなっています。〉


、、、かなり前のことですが、
ある友人と、現代の教会の二つの潮流について語りました。
それは現代の教会(特にアメリカで顕著)は、
「メガチャーチ(会員数1万名以上)」と、
「ハウスチャーチ(家の教会)」に、
二極化されている、と。
この二つは真逆に見えるが、
通底するものは似ている、と。

それは何か?

自分を誰かに合わせる必要がないことです。
メガチャーチに通うのは、
大型ショッピングモールに行くのと似ていて、
そこではナースリー(子どもを預ける施設)を含め、
あらゆるものが提供されます。
私もアメリカの3万人規模の教会に行ったことがありますが、
駐車場から礼拝、クリスチャングッズのお店、
そして再び駐車場に戻るまで、
一度も「他人」と会話せずに礼拝が「成立」します。

ハウスチャーチはどうか?
そこには密な人間関係があるように見えて、
必ずしもそうではありません。
ハウスチャーチというのは往々にして、
「気心の知れた小数の仲間たち」で始める
(もしくは教会からスピンオフする)ため、
そこには「気に入らない誰か」はいないわけです。

そうです。

メガチャーチやハウスチャーチは、
極大と極小というルックスの違いとは裏腹に、
根底に流れている思想は同じなのです。
それは「個人主義」です。
(もちろん例外はあるでしょうが)

全世界にある教会のサイズを横軸に、
数を縦軸に取ると、
標準偏差曲線という曲線を描きます。
つまり「3名」の教会は少なく、
「1万名」の教会も少ない。
ピークの山があるのは30名〜100名のところです。

この30名〜100名というのは、
サル学の研究者の長谷川さんという人が指摘している、
リアルな人間関係を保てる限度(125名)に収まっています。
どういうことか?
学校のクラスなどを考えたら分かるように、
このサイズになると、
「自分が気に入らない人」
「自分とは趣味も話も合わない人」と出会い、
なおかつ人間関係を構築する必要に迫られるのです。
つまり、強制的に個人主義を脱却させられる。

教会というのは「赦すことを学ぶ場所」です。
そう考えると、
個人主義的な教会というのは、
その定義において語義矛盾なわけです。
誰も一人で結婚できないのと同じく、
誰も一人でキリスト者たることはできないのです。
(2,750文字)



●10宅論 10種類の日本人が住む10種類の住宅

読了した日:2019年1月24日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:隈研吾
出版年:1990年
出版社:ちくま文庫

リンク:
https://goo.gl/5PwG1J

▼140文字ブリーフィング:

「じゅうたくろん」と読みます。
ダジャレですね。
隈研吾さんは、2020東京オリンピックで使用する、
新国立競技場の設計者です。
彼のことは、養老孟司との対談本で知っていました。
彼は建築の背後にある思想に自覚的な人で、
「方丈記」の鴨長明の住んだ「4畳半」こそが、
日本的ミニマリズムの極致だ、と、
養老さんとの対談本『日本人はどう死ぬべきか?』で語っていました。

本書は今から30年近く前に隈研吾さんが建築と思想について語った本。
かなり時代性を感じますが、
そこに流れる思想的洞察は深いものがあります。
たとえば西洋のレンガと日本の城の石垣の違い。
西洋文化は文脈依存性が低い
(その言葉そのものの意味が重視される)。
レンガという単位が最初にあり、
それを組み合わせて空間を区切っていくその建築は、
西洋の人の言語的性質と似ている。
対する日本の言語文化は文脈依存性が高い。
城の石垣や神社の柱が「はめ込む」構造になっているのは、
「文脈」が多くを語る日本の言語構造に類似する、というように。
(432文字)



●日本代表とMr.Children

読了した日:2019年1月25日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:宇野維正(これまさ)・レジ―共著
出版年:2018年
出版社:ソル・メディア

リンク:
https://goo.gl/zexNQn

▼140文字ブリーフィング:

これねぇ。
めちゃくちゃ面白かったんですよ。
ここでは語りきれないぐらい。
J-POPとJリーグ、
ミスチルと日本代表の歴史を語ることは、
つまり「平成」という時代を語ることに他ならない、
というのがよく分かります。

ミスチルとサッカー日本代表の何の関係があるのか?
これがめちゃくちゃあるんです。
最近では長谷部誠のミスチル好きが有名ですが、
ミスチルの側もまた、桜井さんが名波と親友だったり、
若くしてスターダムにのし上がった桜井さんにとって、
サッカーは救済になっていたり、
お互いがお互いを救済する関係になっている。

その相互作用と相乗効果が、
「平成の若者」を作り上げてきた、
というのがこの本の分析していることであり、
「そこから私たちはそろそろ脱却しなければいけないのではないか」
という、さらに一歩踏み込んだ議論が展開されます。
夢中で読みました。

本書は対談本で、宇野さんについては、
『1998年の宇多田ヒカル』という本が面白かったのを覚えていて、
それで認識していましたが、
対談相手のレジーさんというブロガーは知りませんでした。
面白くて紹介しきれないので、
一箇所だけ、長谷部誠の著書『心を整える』について、
二人が語っている中に、「ミスチル三大教義」
というのが出てきて非常に印象的でした。
文字数に制限がありますので、
今回はそこだけ引用するにとどめます。


→P191 
〈宇野:でもこれ、サッカープレーヤーの出す本として
はかなり変な本だったよね。
時系列もバラバラだし、テーマもどんどん飛んでいくし、
さっきも言ったように、途中で
「長谷部誠による、ミスターチルドレンBEST15」
みたいなコーナーも始まるし。

レジ―:あそこは本気で意味が分からなかったですね(笑)。
ただ、あのランキングの2位がさっき挙げた「彩り」、
1位が2章でも掘り下げた「終わりなき旅」っていうのは
いろんなことを表しているように思います。
「終わりなき旅」の「高ければ〜」という歌詞を
「上昇志向・チャレンジ志向」と読み替え、
「彩り」で些細な生きがいの大切さを学び、
「名もなき詩」であるがままの心で生きていくこと、
つまり「本当の自分」というものを知る。
この三本柱が、ミスチルを「心の糧」的に
捉えている人たちの教義になっている感じはあります。
もっとも、この本のBEST15に、
「名もなき詩」は入っていないんですが。〉


、、、私もまた「ミスチル世代」であり、
サッカー日本代表も、ワールドカップ開催年は特に、
ずっと追いかけてきました。
また、長谷部誠は海外に行ったことでより深く、
ミスチルに勇気づけられたと指摘されていますが、
私もまた2008年に国際援助団体に転職し、
インドやアフリカなどに行かなければ、
これほどミスチルを聞いていたか分からない、
というほどに現地でミスチルはやたら胸に沁みましたから、
この本を読むとき、まるで自分自身の精神史を語られているような、
そんな気持ちになりました。
長谷部誠はロシアワールドカップ終了後、
日本代表からの引退を表明しました。
それは、ひとつの時代の節目だった、
と著者たちは変わります。

おりしも平成が終わり、
新しい元号が始まろうとしています。
私たちは「ミスチル的なるもの=平成的心の在り方」から、
次の時代に歩を進めるときが来ているかもしれません。
それはミスチル自身が最新アルバム「重力と呼吸」で、
今までの在り方を脱却し始めているのと同じく、
過去を否定するという脱却ではなく、
「弁証法的に止揚される」ような方向で、
私たちの人生(世代)が新たな成熟を遂げる、
とうことを指します。
(1,218文字)



●人工知能と経済の未来 2030年雇用大崩壊

読了した日:2019年1月26日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:井上智洋
出版年:2016年
出版社:文春新書

リンク:
https://goo.gl/SWJcbx

▼140文字ブリーフィング:

先日ご紹介し、当メルマガで何度も取り上げている、
新井紀子さんの『AI VS 教科書が読めない子どもたち』
は、AIに代替不能な能力とは何か、
ということを詳細に論じる本でした。
(その答えは「読解力」です)

井上智洋さんも、新井紀子さんとAIのもたらす、
破壊的イノベーションの在り方(その可能性と限界)について、
かなり似通ったスタンスを取っています。
両書の違いは、新井さんの本が、
AIが産業構造を大きく変える未来の、
「教育」について語っているのに対し、
井上智洋さんは同じ未来の「経済」について語っていることです。

本書を読むと分かるのは、
破壊的イノベーションとなる「汎用AIの出現」と、
最低収入を国家が保障する「ベーシックインカム論」は、
必ずセットで語られなければならない、ということです。
著者は以下のような2ちゃんねるの書き込みを紹介します。

→P148 
〈機械が勝手に富を生み出すようになれば、
人間の仕事はなくなる。
従業員がいない完全自動化された企業は株主にしか富を渡さない。
そうなると人類は二種類に分かれる。株主かそうでないかだ。
――ネット掲示板2ちゃんねるの書き込み〉


、、、これは極論的な思考実験ですが、
社会がこの状態に近づいたとき、
ベーシックインカムは「それが是か非か」という問題ではなくなります。
「どうやって実現するか」という問題になる。
実現しなければ社会は「壊れる」からです。

ベーシックインカム論というのは、
リベラルな左翼が支持し、
経済的自由主義者(リバタリアン)が非難する、
というのが典型的な構図になっていますが、
その起源を考えるとそれは倒錯しています。

リバタリアン(自由主義者)が信奉する、
二人の経済学者に、
ミルトン・フリードマンと、
フリードリヒ・ハイエクがいますが、
フリードマンは「負の所得税」という概念で、
ハイエクもまた、
「私はこの国の全ての人々が最低限の所得を
得られるようになることを支持する、と常に言ってきている」
という発言で、二人ともベーシックインカムを支持しているのです。

本当のリバタリアンは自由競争の極致がもたらす地獄まで、
計算に入れて社会設計を考えます。
何かというと「自己責任」を主張するリバタリアンは、
「ナイーブなお花畑リバタリアン」と言わざるを得ないでしょう。
私はベーシックインカムに関しては、
支持するもしないも、
「やらない選択肢は未来にない」
と思っています。
年金も生活保護も育児手当も、
「ベーシックインカム」という概念に統一出来ることで、
国家はかなりのコストカットが出来るはずだと著者は指摘しており、
私もそれに賛同します。
(1,024文字)



●パパは脳科学者 子どもを育てる脳科学

読了した日:2019年1月22日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:池谷裕二
出版年:2017年
出版社:クレヨンハウス

リンク:
https://goo.gl/vBSkGD

▼140文字ブリーフィング:

これは面白かったです。
脳研究者である池谷裕二さんが、
娘を授かり、その成長の様子を、
1〜2ヶ月単位で記録しながら、
それを「この行動を脳科学的に見ると、、、」
と解説を加える。
めちゃくちゃ読みやすいのですが、
内容が軽いわけではなく、
著者はほぼすべての主張に、
その根拠となる最新の論文を引用しています。
知的な密度はルックスよりはるかに高い。
3月以降公開予定のYouTube動画を、
今撮りためているのですが、
この本を取り上げようと思っています。
(217文字)



●量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

読了した日:2019年1月26日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:マンジット・クマール(青木薫訳)
出版年:2017年
出版社:新潮文庫

リンク:
https://goo.gl/M2aRij

▼140文字ブリーフィング:

夢中で読みました。
これは、ヤバかったです。
面白すぎて。
この手の本では、サイモン・シンの『フェルマーの定理』が、
過去最高に面白かった一冊ですが、
それと肩を並べたかもしれない。
ニールス・ボーアとハイゼンベルクは、
「量子物理学の祖」ですが、
彼らの論理は常識を揺るがしました。
アインシュタインの相対性理論もまた、
それまでの常識を揺るがしましたが、
それはニュートンが体系化した古典物理学の、
大幅なアップデートだった。
しかし、量子物理学は、
古典物理学の前提すら覆してしまうものだった。
「この世界は因果関係で説明できる」
というのがその前提なのですが、
量子論は「この世界は確率に支配される」と言います。
予測不能性を「証明」したと、ハイゼンベルクは主張したのです。
アインシュタインはそれに対し、
「神はサイコロを振らない」と言って反対します。
このバッチバチの物理学者同士の議論の積み上げは、
「存在するとは何か」という哲学の分野に片足を踏み入れています。
どちらの世界観を取るかで、
「世界」が違って見えるわけです。
もうね、とにかくエキサイティングな本でした。
この手のジャンルが好きな人には文句なしにオススメです。
(494文字)



●アインシュタイン その生涯と宇宙 下

読了した日:2019年2月2日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ウォルター・アイザックソン
出版年:2011年
出版社:ランダムハウスジャパン

リンク:
https://goo.gl/4CcKy3

▼140文字ブリーフィング:

著者のウォルター・アイザックソンは、
スティーブ・ジョブズの公式伝記を書いた人です。
このジョブズの伝記があまりにも面白かったので、
伝記作家としてアイザックソンに興味を持ち、
他に邦訳されている伝記は、、、
とAmazonで探すと、アインシュタインが出てきました。
それで昨年アインシュタインの伝記の上巻を読んだのですが、
下巻はずっと未読のままでした。
『量子革命』のアインシュタインの章を読んでいるとき、
「なんかどこかで読んだことある話ばかりだな、、、」
と思ってたら、あ、そうだ、アインシュタインの伝記だ、
となり、下巻を読んだ、というのが顛末です。

『量子革命』の副読本としてこの本を読むと、
非常に面白かったです。
『量子革命』は量子論をめぐる人間群像ですが、
その主人公を敢えて挙げるとしらニールス・ボーアです。
つまり「量子論」側から物事を見ている。
アインシュタインの伝記は当然、
アインシュタイン側から量子論を見る。
つまり宮本武蔵側から見たストーリーと、
佐々木小次郎側から見たストーリーを並行して読む、
みたいな感じで、物語が立体的に立ち上がります。
(467文字)



●帰ってきたヒトラー(上)

読了した日:2019年2月2日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ティムール・ヴェルメシュ
出版年:2014年
出版社:河出書房新社

リンク:
https://goo.gl/pAqAQq

▼140文字ブリーフィング:

文字数が2万文字を超えたので、
ここからは駆け足でご紹介します。
これは先日観た映画が面白かったので、
原作を読んでみようと思い手に取りました。
映画とは違いヒトラーが一人称で語られる本書は、
「ライドもの」としての面白さがあります。
マルコビッチの穴的な。
下巻を読み終えたら詳しく解説します。
(141文字)



●脳はなにかと言い訳する

読了した日:2019年2月1日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:池谷裕二
出版年:2010年
出版社:祥伝社

リンク:
https://goo.gl/49yrxw

▼140文字ブリーフィング:

『パパは脳研究者』が面白かったので、
池谷裕二さんの本を立て続けに読みました。
脳研究の最前線の概要が手際よく解説されています。
さらに詳しく知りたい人は、
ラマチャンドラン、ガザニガ、ダマシオらの本を読むと、
さらに良く理解できるでしょう。
(116文字)



●表徴の帝国

読了した日:2019年2月4日 途中飛ばし読み
読んだ方法:図書館で借りる

著者:ロラン・バルト
出版年:1996年
出版社:ちくま文芸文庫

リンク:
https://goo.gl/z88UKn

▼140文字ブリーフィング:

フランス人の言語学者のロラン・バルトは、
構造主義哲学の重要人物としてよく引用されます。
彼は「表徴(エクリチュール)」という言葉を使い、
言語活動の本質とは何かに迫ろうとするのですが、
それを語るのに彼が選んだのが、
禅や日本庭園や茶道など、
「日本の文化」を語ることでした。
日本の言語の在り方は、
西洋のそれとあまりにも大きく違うので、
西洋の人がそれを分析すると、
そもそも言語とは、という問いに対する、
答えが立ち上がってくるという構図になっています。
(220文字)



●確率思考の戦略論 USJでも実証された数学マーケティングの力

読了した日:2019年2月4日 途中飛ばし読み
読んだ方法:図書館で借りる

著者:盛岡毅、今西聖貴
出版年:2016年
出版社:角川書店

リンク:
https://goo.gl/KqJ8Di

▼140文字ブリーフィング:

ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)の快進撃については、
みなさん聞いたことがあるでしょう。
2000年代後半には「虫の息」だった同社が、
奇跡のV字回復をし、2015年10月には、
なんと1ヶ月だけの最大瞬間風速ではありますが、
東京ディズニーランドの入場者数を抜いたのです。
関西圏と首都圏の人口差は3倍ありますから、
これは単なる勝利ではなく、
完全な「ジャイアントキリング」です。

これはどうやって成し遂げられたのか、
というのを、その立役者である、
盛岡さんと今西さんが語る、というのが本書です。

→P4
〈本書のテーマは「確率思考」です。
本書に一貫するメッセージは、
「ビジネス戦略の成否は『確率』で決まっている。
そしてその確率はある程度まで操作することができる」ということです。
私はその考え方を「数学マーケティング」とも、
「数学的フレームワーク」とも呼んでいます。〉


、、、二人はこの成功は偶然でも何でもない、
と言います。気合いでも根性でもない。
そうではなく「数学」なんだと。
マーケティングは「確率が支配している」と。
そしてそれは「プレファレンスの関数」なのだ、
というのが本書の主張です。
様々な数式と実証性のある根拠によって論証していくこの本は、
いわゆる「やたらとメンタルばかり語り
サンプル数1の自分の成功談に終始するビジネス書」とは対極にある、
高校の数学の教科書に近いような異色のビジネス書です。
こういう経営者が増えれば、
先進国中最も低い部類の日本の「ひとりあたりGDP」も、
底上げされるんだろうなぁと思いました。
(651文字)



●遅刻してくれてありがとう(上) 常識が通じない時代の生き方

読了した日:2019年2月4日
読んだ方法:Amazonで電子書籍購入

著者:トーマス・フリードマン
出版年:2018年
出版社:日本経済新聞社

リンク:

http://amzn.asia/d/7GBnUZJ

▼140文字ブリーフィング:

これは、お世話になっている牧師先生にご紹介いただいた本で、
去年Kindleで買って、今も下巻を読んでいる本です。
あまりにも面白いので、ここで解説することは不能です。
いつか「本のカフェ・ラテ」で語れればいいなーと思っています。
「等比級数的な変化の時代」に、
私たちはどのように生きるべきか、
ということを分野横断的な膨大な知識を持つ著者が語る本書は、
世界的ベストセラーになったのもうなずけます。
(194文字)



●妻に捧げた1778話

読了した日:2019年2月4日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:眉村卓
出版年:2004年
出版社:新潮社

リンク:
https://goo.gl/Gxm46w

▼140文字ブリーフィング:

アメトーークで、
カズレーザーが何年かぶりに泣いた、
と語っていて読みたくなりました。
あのサイコパスっぽい彼が泣くなんて、、、と。
読んでみて、、、あんまり泣きませんでしたね笑。
作家の著者が、癌に冒されて病床に伏している間、
毎日一本の「ショートショート」を読み聞かせた。
そのショートショートを、著者の解説付きで収録したのが本書です。
(こう書いてると私がサイコパスみたいに聞こえてなんかアレですが笑)

ショートショートというのは、星新一のそれが有名ですので、
ああいったものが収録されていると考えてください。
奥さんを失った著者の苦しみとそこからの再起を綴った本に、
倉嶋厚さんの『やまない雨はない』という本がありますが、
あれのほうが凄かったです。
彼は鬱病になり、マンションの屋上から何度も飛び降りようとした、
というようなことも書いていて、
私は自分が燃え尽き症候群に陥った当初、
倉嶋さんのこの本を何度も読み返しました。
(401文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

ご紹介した本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:
『遅刻してくれてありがとう 上』

コメント:

全然解説していないのに笑、
今週挙げた本の中で、
ぶっちぎりで面白かったのが本書です。
去年で言うと、
タレブの『反脆弱性』を読んだときと、
同じような発見と自らの変化を体験しました。
特に本書で紹介される「動的安定」と「静的安定」というのは、
誰かと膝をつき合わせて話す機会には、
この半年ぐらい必ず私の口から飛び出すようになりました。
読書によって「自分が変わる」ことほど、
本好きにとっての幸せはありません。



▼▼▼部門賞▼▼▼

ご紹介した書籍の中から、
陣内の独断と偏見で、
「○○賞」という形で、
特筆すべき本をピックアップします。
こちらも何かのご参考にしてくだされば幸いです。

▼「とにかく面白かったで賞」
『量子革命』

コメント:

これは夢中になって読みました。
物理学(自然科学)というのは、
哲学に影響を与えます。
古くはコペルニクスやガリレオの「地動説」が、
神学や哲学に大きな影響を与えたように。

なぜか?

地動説なら、
「もはやわれわれは宇宙の中心ではないことが分かった」
という事実は、「世界観のアップデート」を、
人類に迫るからです。
相対性理論が、「モダニズム」を作ったと言われています。
(アインシュタイン自身も言っているように、
 本当はこれらは因果関係ではなく、
 相互に影響し合うシンクロニシティなのですが)
どういうことかというと、
相対性理論によってニュートン力学の提供する、
「絶対時間と絶対空間」という世界像が、
刷新を迫られたからです。
それにより、建築、美術、小説、哲学など、
あらゆる部分で「今までの座標軸を相対化するような」
新しい試みが百花繚乱、現れたわけです。
量子論もまた、「世界観の刷新」を迫る理論です。
その世界観はどこまでも「ポストモダン的」だと、
私は感じていて、量子論を理解することは、
現代世界のポストモダン性を理解することに他ならない、
と感じています。