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【Q】助けになった妻の言動

2020.02.11 Tuesday

第108号  2019年10月8日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】妻の言動

ペンネーム:ぞうママ(女性)
お住いの地域:埼玉県

Q.

陣内先生
良かった!
またメルマガを拝読できて嬉しいです。
でもお大事に。

私は陣内先生の奥様のお人柄に大変興味があります。
私も鬱の経験者ですが、鬱って家族も辛いなあ、と思います。
陣内先生が幾度となく触れている、
鬱の時、素晴らしいと感じた奥様の言動ベスト3が知りたいです。


A.

ぞうママさん、ご質問ありがとうございます。
妻の支えがなければ、
私は鬱を乗り越えることは出来なかったでしょう。

ベスト3にまとまるかどうか分かりませんが、
思いつくものを紹介していきます。


▼▼▼「休んでグッジョブ」

他でも語ってきていますが、
私は鬱症状で2013〜2015年の2年間、
何も出来なかったときがありました。

あのときはマジでひどくて、
通院もしたしカウンセリングも受けました。
カウンセラーは「4、5年かかると思った」
と後で教えてくれました。

鬱の初期というのは誰しも、
「健康バイアス」みたいなのが強く働くと思うんですよね。
正確には「正常性バイアス」という心理学用語なのですが、
人間は何かの異常に見舞われると、
それを「否認」する本能があると言われています。
大災害のとき逃げ遅れたり、
交通事故で死ぬ人の、
応急処置が遅れたりするのって、
この「正常性バイアス」によります。

つまり、私たちは、
「異常な何かが起きている」
ということを、無意識に否定する傾向があるのです。
実際には異常な何かが起きているのに。

鬱に見舞われた人ってたいてい、
「数週間単位で治る」と思います。

今は何らかの理由で、
活動が出来なくなっているだけだ。
2週間も経てばゼッタイに元に戻る、
と思うのです。
じっさいにそんなはずはないのに。

鬱は認知にダメージを与えますので、
「それが正常性バイアスである」
というメタ認知も働きません。
なので、本気でそう思う暴走を止められない。

そうすると、偏執狂的に、
鬱のときに一番やっちゃいけない、
「努力」をし始めるんですよ。
私の場合、鬱の初期に、
毎日1時間聖書を読んだり(苦しくて泣きながら)、
毎朝ジョギングしたり(つらくて泣きながら)、
とにかく何かしてないと落ち着かないけど、
何か意味のある活動をするエネルギーはないから、
ただひたすら部屋をぐるぐると歩き回ったりしました。

カウンセラーのアドバイスもあったのだけど、
その「努力」をやめることが出来たのは、
「もがく力」も燃え尽きた時でした。
スペアタイヤがパンクした、みたいな。
私は「二段階に燃え尽きた」のです。

そうすると「休む」以外のいっさいのことが出来ないので、
まぁ、当然休むしかないわけですよ。

ところがやっかいなことがあります。

鬱を患う人というのはたいてい、
真面目な性格の人が多いので、
「休む」ということに罪責感を覚えるのです。
それも、とても強く。

「世間は働いているのに俺は休んでいる。
 俺はなんて駄目な人間なのだ!」
って、ずっと思うんですよ。

そんなとき救われたのは、
妻の「今日も休めてグッジョブ」という言葉でした。
1日、生産的なことは何も出来ません。
というか、年単位で生産的なことが何もできない。

そのような1日、1日を、
働き盛りの人間が過ごすというのは、
結構な「生き地獄」だと私は思います。
人によっては「働かなくて良いなんてラッキー♪」
と思うかも知れませんが、
そもそもそういう性格の人は、
鬱になることはまずないので、
安心してください。

妻が「休むことが今のあなたの仕事。
今日もしっかり休めた。
グッジョブ!」
と毎日言ってくれたことが、
どれだけ回復を早めたか分かりません。



▼▼▼鼻歌と笑顔

私の闘病の2年間、
もし妻も辛く落ち込んでいたら、
「自分は妻を落ち込ませてしまっている!」
という罪責感に私は堪えられなかったでしょう。
社会人としてだけでなく、
夫としても失格だ。
終わってる、、、。と。

妻はじっさい、きっと辛かったと思います。
当たり前じゃないですか。
でも、病気の間、
私の前で決して辛いということを表しませんでした。
神の前にだけ表していたのでしょう。

私が寝ていると(ほとんどの時間寝ている)、
妻は隣の部屋で賛美歌の鼻歌を歌っているのです。
私が起きると、妻は笑顔でした。
これによってどれだけ救われたか分かりません。



▼▼▼俊君の分も礼拝してくる

病気になると、
「人と会う」というのが、
一番の負担になります。
少なくとも私の場合。

クリスチャンのカウンセラーからも、
「礼拝には行かない方が良い」
と早い段階で言われて、
私は2年間礼拝を休みました。

しかし、礼拝に出席しないことって、
でも罪責感を伴うじゃないですか。
「真面目なクリスチャン」じゃないような気がして。
私は毎週日曜日、妻が礼拝に行くのを見送るのですが、
「一緒に礼拝に行けなくてごめんね」とか、
「礼拝に行けない自分は駄目な人間だなぁ」
という意味のことを漏らすと妻は必ず、
「俊君の分も私が礼拝してくるから、
 俊君は家でしっかり休んでて」
と言ってくれました。

それ以来私は、
礼拝するとき、
「誰か病気の人の分も、
 私は替わりに礼拝している」
と思うようになりましたね。
妻から大切なことを学びました。



▼▼▼ナラティブと絵本

精神疾患というのは、
「ナラティブの病」とも言われます。
アルコール依存症、統合失調症などは、
「物語」が引き起こす、という考え方で、
近年「ナラティブセラピー」という形で注目されています。

私は自分の経験から、
「個人」に基礎をおく「認知行動療法」よりも、
「社会・関係・家族」に基礎をおく、
ナラティブセラピーのほうが、
東洋文化の日本人には合っている、
と考えるようになりました。

、、、興味がある人は、
医学書院から出版されている、
『物語としてのケア ナラティブアプローチの世界へ』
という本が非常に良い入門書ですので、
参照してみてください。

▼参考図書『物語としてのケア』
http://amzn.asia/5pSpL8x

、、、で、
妻もこのナラティブアプローチを学んでくれて、
それを具体化してくれたのが、
療養中に描いてくれた、
オリジナルの絵本でした。

そこには「うつき」というキャラクターが登場して、
私を「虐めたり」するのですが、
妻がまずそのうつきと和解し、
私自身も受け入れ和解し、
これからは3人で仲良く生きていこう、
というような筋書きです。
回復期に、続編も描いてくれて、
そこでは「うつき」は、
私を休ませるという役割を終え、
自分の星に旅立っていくのでした、、、
という結末になります。

精神疾患の一番危ないのは、
「自分=病気」と、
本人が勘違いしてしまうことです。
そうすると病気を退治したいのに、
自分を退治してしまう。

そこで大切なのが、
「病気の外在化」と言われるプロセスです。
自分は病気そのものではない。
今自分がこう考えているのは、
病気の作用であって、
自分自身がこう考えているのではない、
という線引きが出来るかどうかで、
そのあとの予後がかなり違ってきます。

この絵本は、
「病気の外在化」のプロセスの助けになりました。
自分と病気を癒着させるのではなく、
切り離し、病気を乗り越える対象や、
歓迎せざる害悪や、
解決しなければいけない問題と見なすのではなく、
「必要なことを伝えに来たメッセンジャー」
として認識し、
そして病気と「和解」する契機を与えてくれたのが、
この絵本でした。


▼▼▼記録

あと、闘病の2年、
妻は「育児ノート」のような形で、
毎日私の体調、言動、食欲などを、
事細かにノートに記録してくれていました。

病気の時って、
自分が先月と比べてどうなったかなんて、
把握できません。
認知がダメージを受けているので、
「乾燥機でぐるぐる回りながら、
 自分の位置を把握する」
みたいな感じなので、
悪化しているのか良くなってるのか、
それとも平行線なのか、
それが分からないわけです。

「どんどん悪くなっていく。もうダメだ」
「もう半年も休んでるのに何も回復してない。
 きっと一生このまま廃人になるんだ」
という絶望的な気持ちになったとき、
妻がノートを見て、
「3ヶ月前はこんなことが出来なかったのに、
 今はこういうことが出来るようになっている。
 ちゃんと回復してるよ」
と教えてくれるわけです。

ノートがあるおかげで、
私の体調が悪くなる兆候とか、
良くなる兆候とかも把握してくれている。
すごいとしか言えませんね。


▼▼▼「励ましの手紙やメール」を、回復後に教えてくれる

2年間の療養中は本当に、
真っ暗な牢獄に閉じ込められていたような状態で、
外界との連絡を遮断していました。

入力も出力も出来ない。
「誰それがああした、こうした」
レベルの話も「聞こえる」と、
「自分は何も出来ない。
 置いてけぼりだ」
と思って絶望するので、
知ることも辛い。

誰かが自分に対して発するメッセージも、
たとえそれが励ましの言葉であっても、
受け取ることの出来る状態ではありませんでした。
「自分はその励ましに値しない。
 どうか自分のことなんて忘れてほしい」
という気持ちにとらわれていましたから。

なしのつぶてだと本当に心配させるし、
迷惑かけることもよく分かりますので、
必要な連絡は、
妻に頼みました。
「今体調が悪いので、、」
といろんな人に説明してもらっていました。

そうすると、
励ましのメッセージとかって、
いろんな形でやってきます。
2年間分の、そういった、
励ましの言葉を、
妻はストックしてくれていて、
私が回復してそれらを
受け止めることが出来るようになった頃に、
「実はあの人からもこういう言葉をもらってた」
というようなことを教えてくれました。

結構たくさんあげてしまいましたが、
まぁ、妻はすごい人なのです。
妻のおかげで私は働けています。
ありがたいことです。

私は世界一恵まれた男だと思いますし、
私の娘はすばらしい母親に恵まれて、
ラッキーだと思えよ、
と心で思っています。
俺もああいう母親に育てられたかった、
と思いますから。

あ、別に自分の母親をディスってるのではなく。
母親は母親なりに、
これ以上なく私を愛してくれたのですから。

生まれ育った地域の影響(前編)

2020.02.10 Monday

第108号  2019年10月8日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

今週は2ヶ月ぶり(?)ぐらいに、
質問カード、やっていきます!
質問カードっていうのはちなみに、
私が会話のツールのために発明した、
一枚質問を引いて、
それに答えていくというカードです。

これを自分で引いて、
自分で答えてしまおう、というコーナー。


▼▼▼生まれ育った地域の影響▼▼▼

▼質問:
あなたが生まれた地域、または育った地域は、
あなたの今の性格やライフスタイルや行動様式、
考え方に何か影響を及ぼしていますか?
及ぼしているとしたらそれは、どんなことですか?


、、、そうですねぇ。
私の場合、生まれ育った地域が複数あるので、
全部話し始めるときりがないのですが、
主だったいくつかについて話しましょう。

▼▼▼愛知

まず、私は愛知で生まれています。
県外の人からすると、
まったくピンと来ないと思うのですが、
愛知県というのは、
尾張(名古屋を含む)と、
三河(豊橋を含む)に、
大別されます。

知多半島と渥美半島が、
下を向いたカニのハサミだとするじゃないですか。
カニの胴体をバキッと半分に割るわけですよ。
そうするとこちらから見て、
左側のハサミ(知多半島側)が尾張で、
右側のハサミ(渥美半島側)が三河です。

どんな残酷な説明だよ、っていうね笑。
別にバキっと割らなくて良かったじゃねーかよ、
っていうね笑。

そんで、尾張は三重県に、
三河は静岡県に隣接しています。

県外の人からするときっとどうでも良いんでしょうけど、
愛知県人からすると、
尾張と三河って、
本当に別物なんですよね。

まず言葉が違う。
いわゆる「えびふりゃーがうめーだがやー」
っていう名古屋弁は尾張のもので、
三河は語尾に「だら〜」「〜じゃん」
を付ける、どちらかというと、
静岡弁に近い言葉を話します。

正確には、三河にも、
西三河と東三河があって、
言葉も違ったりします。
あと、正確には知多半島の西側は西三河に含まれたりもします。
でも、もうそうなってくると、
県外の人は着いてこられないと思うので、
ここはそのまま話を進めます。

文化も違います。

名古屋は「名古屋嬢」とか、
「結納が豪華」みたいなイメージがあるように、
一点豪華主義といいますか、
普段はつましく暮らすのだけど、
ここぞというときに「財をひけらかす」
みたいなところがあります。

対する三河は、
そういったところがひとつもない。
「ひたすらつましく暮らす」のです。
とにかく堅実。
東三河はさらにその傾向が強い。

ちなみに、
信長は尾張ですが、
家康は三河です。
2人の性格の違いが、
地域の違いを良く表しています。

そんで、私の両親は東三河出身です。
正確には、父の生まれは佐賀県ですが、
中学のときに家族で豊橋に移住しています。
母は蒲郡生まれの東三河人。
というわけで、私には東三河の血が流れている。

東三河って徳川のお膝元なので、
けっこう江戸幕府に無意識の親近感を覚えている、
という人が多いという気がします(当社比)。
「オラが村の英雄」みたいなノリで笑。

そうすると、明治の薩長政府というのは、
「政敵」になるわけで、
現在の自民党は明治政府の残党ですから、
まぁ、基本的に嫌いですよね笑。

あと、愛知県の人、
これは特に名古屋に言えるんだけど、
東京に対する屈折した感情を抱いていますよね笑。
中日ドラゴンズファン、って、
阪神タイガースファンとちょっと違うんですよ。
ドラゴンズファンは、「巨人が憎い」
ということで結束しているんですよ。
阪神は、勝とうが負けようが阪神が好きなんです。
感情が屈折していない。
中日の場合、屈折している。
中日が勝ったことよりも巨人が負けたことの方が嬉しい。
中日が負けたことよりも巨人が勝ったことのほうが悔しい。

多分ジャイアンツが解体したら、
中日ドラゴンズは存在意義を失い、
解散するんじゃないかと私は思っている笑。

私自身は名古屋人ではないので、
特にドラゴンズに思い入れがあるわけじゃないのですが、
こういう感じって、あるんですよね。

ドラゴンズ感情っていうのは、
愛知県の人が東京に懐く感情を代表していて、
トヨタ自動車がいったん東京に本社を置いたのだけど、
また愛知県に引き返した、
みたいなのも実はそういった感情のあらわれだと思ってます。

あと、リニアモーターカーが、
名古屋をスルーする、
とか、そういうのにもめちゃくちゃ敏感です。
愛知県人はどえりゃー傷ついています。
そういった繊細さとか、
あと、イチロー選手とかトヨタ自動車とかに代表されるような、
一つのことにめちゃくちゃコツコツ頑張るとか、
とにかく「ずっと前のことをいつまでも覚えているしつこさ」
とか、そういうのって、愛知らしいなぁ、と思います。

これらすべては長所であり短所でもあるのですが、
まぁ、私の性格のいくらかは、
愛知県人要素でできているので、
今申し上げたようなことは、
全部、いくらか私に当てはまります。

、、、もっと続けたいので、
このトーク、来週に続く!

【Q】中高生にお勧めの映画

2020.02.04 Tuesday

第107号  2019年10月1日配信号

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■2 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
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●【Q】中高生にお勧めの映画

ペンネーム:ちょっちゃん(女性)
お住いの地域:東京都

Q.

映画をたくさんご覧になっている陣内さんに質問です。
中高生に見せたいなぁと思う映画は何でしょうか。
今度中高生が我が家に集まる機会があるので、
みんなで見たいなと思っています。
見た後もみんなでワイワイ意見を言い合いたいのですが、
中一から高二までいるので、なかなか難しいです。
オススメがあれば、ぜひ教えてください!


A.

私の見る映画は、
グロ・ホラー・陰鬱・暴力描写、
みたいなのが結構含まれています。

別にそういうのを好んでみている訳ではないけれど、
私の考える「面白い映画」は必然的に、
ファミリー映画とは違うものになりがちだったりします。
人間の内面だとか、
社会の矛盾だとか、
そういったことを鋭く描写したり批判したりする映画に、
私は最も感銘を受けるからです。

アクション→カーチェイス→ドカーン
みたいな「ポップコーンムービー」も、
悪くないですが、
知的栄養価は低いので笑。

別に馬鹿にしてるわけじゃないですよ。
そういったやつも、
時々は見ますから。
「ダイ・ハード」とか最高じゃないですか。
でも、そういうのは映画のメインとして求めてない、
というだけの話です。

何が言いたいかというと、
私の「★5つ」映画のなかに、
「ファミリームービー」は少ない、
ということです。

でも、年間100本以上見てますので、
中にはファミリーで楽しめる内容もあります。
当然。

過去数年に見たやつで、
そういったやつを、
全部紹介するときりがないので、
3つだけご紹介します。


▼▼▼ワンダー 君は太陽

監督:スティーブン・チョボルスキー
主演:ジュリア・ロバーツ他
公開年・国:2017年(アメリカ)
リンク:
https://bre.is/FHfpvpT9

コメント:

これはすごい作品でした。
ただの「障害者」によるお涙ちょうだい映画ではなくてびっくりしました。
主人公のオギーは、トリーチャーコリンズ症候群という、
遺伝子に由来する病気のため、
顔の形が変形しています。

100人に99人が「二度見」するような顔なので、
彼の家族は彼を学校に行かせることに消極的だったのだけど、
あるとき意を決して学校に行きます。

そうすると当然起きることがありますよね。

そう。

いじめです。

子どもは残酷ですから。

、、、で、この映画のすごいところは、
そういう「いじめ、ダメ、ゼッタイ」みたいな、
PTA的なメッセージで終わってないところなんですよね。

入り口は確かにそうなのですが、
出口が全然違う場所に出る、というか。

何の話になっていくかというと、
だんだん、オギーをとりまく家族や友人の、
「ナラティブ」の話になっていくのです。

「君は太陽」というサブタイトルにもあるとおり、
太陽系における太陽の存在が、
主人公のオギーです。
オギーのような障害者は社会では抑圧され、
虐められる存在かもしれません。

しかし、障害者を抱える家族は良くご存じのように、
家族の中では障害を抱えた当事者こそ、
「家族の注目の中心」であり、
彼を中心に家族が回るのです。
あらゆるイベントが彼を中心に調整されたり、
実行されたり、中止されたりする。

お父さんもお母さんも、
オギーの姉も、
オギーという太陽の周る惑星に過ぎない。

姉は当然そう感じています。
序盤のかなり早い段階で、
姉を主人公とする物語が始まった時点で、
この映画に「やられた!」と思いました。

次に「いじめっ子」という惑星の視点の物語が始まります。
オギーをいじめたクラスメイトが、
実は彼自身の家庭の中で葛藤を抱えていて、、、
というストーリーが始まるのです。

本人の視点、姉の視点、本人の友達の視点など、
複眼的に同じ出来事を追っていくこの手法は、
実は私が「よにでしセミナー」で毎回使っている手法です。
「世の中には複数の見方がある」
というのを、太陽の側、惑星の側、月の側から見ることで、
知ることが出来る造りになっている。

最後のシーンは落涙しました。
子どもが見ても当然理解出来るし、
暴力シーンなど一切なく、
全力でお勧め出来る作品です。

陣内版、
2019年映画ベスト10入りが確定している映画です。



▼▼▼こんな夜更けにバナナかよ

監督:前田哲
主演:大泉洋、高畑充希
公開年・国:2018年(日本)
リンク:
http://bananakayo.jp/

こちらは去年のメルマガで紹介したので、
簡潔に解説します。
実在の筋ジストロフィー患者を、
大泉洋が演じています。
笑えて泣けるファミリー映画になっています。

「障がい者のお世話は家族が全部見るべきという
 日本の常識に抗いたい」
「生きるということは人に頼るということ。」
「命がけで人に頼る」
「出来るヤツ風なのが嫌いだった。
 人間てのは出来ないことの方が多いんだよ。」
「普通の男ならここで抱き寄せるんだろうな」
などの、鹿野(大泉洋)の名台詞がたくさんあります。

この映画は私の友人が関わっていて、
そのうえ私は去年、札幌で、
前田監督のワークショップにも参加もしました。
なので、この映画がファミリー映画であることの意義を、
私は知っています。

どういうことか?

「障害者」というテーマを、
「そういうことに関わる一部の人々」
だけの話題にしたくなかったので、
あえて自主制作とかじゃなくメジャーシーンで勝負したいし、
ファミリー映画というフィールドでやりたい、
という監督の強い意思が表れているのです。

誰が見ても、
笑って泣けて楽しめて、
そして何かを得ることの出来る造りになっています。
お勧めです。


▼▼▼青天の霹靂

監督:劇団ひとり
主演:劇団ひとり、大泉洋
公開年・国:2014年(日本)
リンク:
https://bre.is/8Jodsbnk

これは、「隠れた名作」ですね。
笑いの所をてっぺんまで笑わせているから、
ちゃんと泣けるんです。
劇団ひとり、恐るべし。
映画のお手本のような映画です。
「なぜ自分は生まれたのだろう?」
という実存の悩みに答えるようなつくりになっています。
今ならAmazonプライムで見られます。
これも万人にお勧めしたい名作ですね。




、、、というわけで、
3本のうち2本までが、
「障害」が関係する映画になってますが、
どれも、ただ楽しかった、で終わらないのに、
ただ楽しいだけの映画よりも楽しい、
という贅沢すぎる映画たちです。
自信をもってお勧めいたします。


かなり良くなってきた

2020.02.03 Monday

第107号  2019年10月1日配信号

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■1 今週のオープニングトーク
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▼▼▼かなり良くなってきた▼▼▼

メルマガ読者の皆様、こんにちは。
この1ヶ月以上ずっと、
「病状報告」みたいなオープニングトークが続いてきましたが、
これも最後になるかもしれません。

というのも、先週の半ばから、
かなり症状が緩和し、
健康が戻ってきました。

なんか「自分が帰ってきた」
という表現が一番近いですね。
自分が自分でない何かに乗っ取られていたのが、
元の人格がもう一度戻ってきた、みたいな感じ。

主観的な感覚の話をすると、
ずーっと、
脳の電源が切断されていて、
起動しない、もしくはネガティブな方向に暴走しかしない、
という状態から、電源が回復したような感じ。
エネルギーも戻ってくるし、
四六時中続く、鉛のように思考と心が重い感じがなくなります。
脳と心についた「鉛のついた鎖」がとれるような感じです。
眼球に真っ黒のコンタクトレンズを付けたように、
目に入るあらゆるものが絶望色に染まっていたのが、
「世界が色鮮やかさを取り戻す」という感じ。

「生きているって、
 こんなにも軽やかだったんだ!」
という気持ちになります。

90歳の老人が、
ある日起きたら20歳の肉体になっていた、
みたいなことが起きたら、
きっと今の私のように感じるのではないでしょうか。

仕事をしても辛くないし、
活動をしてもエネルギーの枯渇を感じないし、
身体や心や思考が「鉛の鎖」なしに動くので、
今までの仕返しかのように、
バリバリと仕事や活動をしたくなるのですが、
そこは抑えめでやっています。

何事も急激に変化させるのは良くない、
ということを知っていますから。
この時期というのは、
気まぐれに半日とか数時間とか、
症状が戻ってきたりしがちですので、
フルパワーで走ると、
そのときの落差で心が複雑骨折します笑。

最初はウォーキング、
そしてジョギング、
やがてランニング、
最後は疾走、です。

この1ヶ月半の経験は、
もうすぐ支援者の方に配送する、
紙媒体の「陣内俊プレヤーレター」の、
6〜9月号にまとめましたので、
興味のある方は是非読んでいただければと思います。
このメルマガの「7」に、
支援レターの受け取り方法が載っていますので、
新たにレターを購読したいという方はご参考にしてください。


▼▼▼「スティグマ」というもの▼▼▼

「スティグマ」って聞いたことあるでしょうか?
聞いたことあるけど、
良く意味は分からずに使い続ける言葉って、
外来語にはけっこうあるのですが、
スティグマもその一つでしょう。

ここでまず定義を固めておきますと、
ある疾患や特性などに付随する、
世間からの「差別感情」とか「偏見」を意味します。

ネットに載っている定義ではこうなってます。

スティグマ:
個人のもつある属性によって、
いわれのない差別や偏見の対象となること。
語源は、ギリシャ語で肉体上の徴(しるし)を意味し、
ギリシャ人が、差別対象となる奴隷や犯罪者の身体に
烙印(stigma)を押したことによる。


、、、端的に「烙印」をギリシャ語で言ったのが、
「スティグマ」だったんですね。

、、、で、鬱病って、
「スティグマ」の対象になります。

良く「鬱は心の病」とか、
「心の風邪」とか言われますが、
これがすでにスティグマだということを、
多分多くの人が無自覚なままだ使ってると、
私は思います。

私は自分が鬱を体験し、
鬱関連の本をこれまで200冊以上読んできましたが、
そもそも「鬱」と「心」を関連付ける、
カテゴライズの時点で、
医学的な誤りだと考えます。

なぜか?

鬱の生理的な原因は脳にあることが分かっており、
それは脳内伝達物質の異常という、
器質的な変化に基礎をおいているからです。

ところが、脳というのは、
心にも作用します。
脳は言うまでもなく、
感覚、思考、運動、記憶など、
あらゆることに関わります。
その「脳の作用」のひとつが「心」と我々が呼ぶものです。

椎間板ヘルニアになると、
それが胸椎だったら手がしびれ、
場合によっては手に激痛が走ります。
腰椎ならば脚に激痛が走ります。
私も経験したことがありますが、
椎間板ヘルニアによる脚の痛みって、
大人が「痛くて泣く」ぐらい痛いです。
尿路結石症などと並んで、
「三大疼痛」に数えられるぐらい。
神経に直接起因するので、
「脚が虫歯になった」と例えられますが、
まさにそんな感じです。

ここで質問ですが、
ヘルニアは脚の病なのでしょうか?
あるいは手の病なのでしょうか?
症状は手や足に出ています。
手や足に激痛が走るのですから。

でも、ヘルニアは手や足の病ではありません。
坐骨神経という、
脊椎から各身体に向かう神経が、
圧迫されることによる症状が、
手や足に出ているだけであり、
ヘルニアは「脊椎」の病であり、
脊椎の矯正や手術が、
根治の筋道になります。

鬱の場合はどうでしょう?
鬱もまた「心に激痛」が走ります。
心がマラリアに罹患したように、
四六時中、痛みと重さを訴えます。
心はもう動きません。

しかし、
ヘルニアにおける脚の痛みが、
坐骨神経に起因するのと同じく、
鬱における心の痛みは、
脳の器質的な変化に起因します。

ヘルニアが脊椎の病であって脚の病ではないのと同じく、
鬱は脳の病であって心の病ではありません。

しかし世間では、
「鬱は心の病」という言葉がいまだに広く流通していますから、
尿管結石と同じく誰しも罹患しうる、
鬱という病気になったというだけで、
「心が病になった人」という、
「烙印」を押されるわけです。

そう、「スティグマ」ですね。

なぜこれがスティグマなのか?

脳も他の臓器と同じく、
臓器の一つです。
尿路結石やヘルニアと同じように、
それが異常を来し、
病気になることは誰にでも起こりえます。

それはその人の人格や本質とは関係ありません。
「ヘルニア経験者」だということで、
他者から特別な目で見られることはあり得ません。
見られるとしたらそう見ているその人こそ
「変な人」というのが常識です。

ところが「心」となると話が変わってきます。
心というのは「臓器」とは位相の異なる、
定義や解釈が一定ではない、
「何かしらその人の本質」と結びついた概念です。

それが「病気になった」となると、
その人が本質において、
「何かしらの欠陥を抱えている」
という誤解を招きかねない。

実は鬱病当事者も、
それを取り巻く看護者も、
この「嘘」と「誤解」を、
すっかり信じて、
「自分は心の弱い人間なんだ。
 本質において欠陥を抱えているんだ」
と思い込んでしまうことが多いのです。
本人の場合鬱の症状で、
「思考がネガティブに強く向かう」
という状態なので、
余計そう思いやすいわけです。
それこそが鬱の回復を遅らせている、
とういう事実が見落とされています。

私が、鬱病に対する
「認知行動療法」に懐疑的なのはそこです。
認知行動療法の前提って、
「鬱は心(認知)の病」ってことなんですよね。
だから「心の持ちよう」を変えれば、
治るはず、と考えている。

でも、私に言わせれば、
これって椎間板ヘルニアで苦しむ人の脚に、
鎮痛剤を塗り込むのに似ていて、
ほとんど意味はないと考えます。

もちろんこれで「治った」という人に、
とやかく言うつもりはありません。
おめでとうございます、
と思います。

でもね。

「脳」を見逃すことの怖さっていうのもあって、
がんの治療のために、
霊媒師のところにいったり、
怪しげで高価な酵素を買ったりする人っているじゃないですか。
あれと「鬱の認知行動療法」って、
あんまり変わらないと私は思ってます。
唯一効果があるとしたら、
「休んじゃいけない」というマインドから、
「休んでいい」というマインドに、
認知行動療法で変わることが出来たなら、
それは間接的には効果があると思います。

脳の器質的異常という意味の鬱に、
エビデンスのある治療というのは、
現在のところ、
1.投薬(じっさい体質によっては劇的に効きます)
2.休養
だけだからです。

認知を変えることで、
「休養」が加速するならば、
それは意味がある、ということです。

しかし、認知行動療法のアプローチの落とし穴は、
やればやるほど、
「自分の心(認知)が悪い」
という自己糾弾に陥っていくことです。
「自己糾弾」になるのは当たり前なのです。
それは鬱の症状のひとつなのですから。
そう考えているのは、
患者ではなく「患者の病」なので、
それを変えさせようとするのは、
正直「幻と戦う」ようなものです。
「坐骨神経痛の脚に絆創膏」みたいなもんですわ。

なので私は、
世間のスティグマがちょっとでもなくなったら良いなぁ、
と思って、こういうことを当事者として、
発信し続けたいと思っているわけです。

事実、
私の発信によって、
「鬱が得体の知れない恐怖」から、
「付き合うことの出来る対象」に変わった、
という声を、
今まで複数いただいてきています。

そうですよね。

公園の池にいるのが、
「ネッシーかもしれない」ときと、
「巨大なナマズ」と分かったときでは、
ずいぶん対処のしやすさが異なります。

、、、それでもまだ、
鬱が心の病だと、
どうしても思いたい人は、
ご自由にどうぞ。

もし「心の病」というものがあるとしたら、
科学や医療の証拠を無視して、
そういった「決めつけをやめられない」
ことのほうなんじゃないの?

とだけは言い返しておきますが。