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永久保存版・2017年に陣内が観た映画ベスト10(10位〜6位)

2018.06.06 Wednesday

+++vol.043 2017年12月19日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 2017年版・陣内が今年観た映画ベスト10(前編)
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
Amazonプライムに入会してから、
月に平均すると10本ぐらいの映画を観るようになりました。
電車やバスや新幹線で、本を読む代わりに、
タブレットで映画を観るようになって、
飛躍的に映画を観る本数が増えました。
映画は小説と同じで「他人の靴を履いて人生を歩く」、
という「疑似体験」を与えてくれます。
本と同じくランキングはあまり好きじゃないので、
年に一度だけの特別企画です。
「今年読んだ本」と同じく、
前編で10位〜6位、後編で5位〜1位を紹介します。
皆様の映画選びのお役に立てれば幸いです。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▲▼▼10位 潜水服は蝶の夢を見る▼▼▼

監督:ジュリアン・シュナーベル
主演:マチュー・アマルリック
公開年・国:2007年(フランス)
リンク: http://amzn.asia/3ubZgqT

実話に基づく物語です。
パリの有名雑誌「ELLE」編集賞、
ジャン・ドミニク・ボビーは42歳で脳溢血になり、
「閉じ込め症候群(ロックド・イン・シンドローム)」に陥ります。
動かせるのは左目だけで、他のすべての随意筋が動かない。
つまり「自分の身体の中に閉じ込められた」状態です。
彼は言語療法士の助力で「まばたき」で文章を構成できるようになり、
著作を出版しました。
この映画のエンドロールで
「出版後10日後に彼は亡くなった」と明かされます。

ぼやける視界などを使って涙を表現したり、
夢と現実が混沌とする意識、瞬きによるコミュニケーションなど
「障害当事者の主観」をバーチャルリアリティ的に、
体験できるようなつくりになっていて、これは他にない作品だと思います。
「妊婦を疑似体験するためのお腹の重り」や、
「高齢者を疑似体験するための全身の重りとぼやける眼鏡」という、
福祉業界で働く人々への「教材」がありますが、
この映画を一本観ることは、
「ALSや筋ジストロフィー症を疑似体験する」という、
バーチャルリアリティ体験という意味で
非常に優れた教材としても有用です。
介助者の視点も含まれますから、
これを観た後に様々な立場からロールプレイ的なディスカッションをすれば、
「障害を抱えると言うことがどういうことか」
「障害を抱えた人を支えるとはどういうことか」という理解が深まります。
そのような映像資料としても本作品は優れています。

また、フランス人ならではの、
悲観のなかにも人生を肯定し楽しもうとする魂がそこにはあり、
勇気を与える作品になっています。

「潜水服」というのはボビー氏が「自らの体の中に閉じ込められる」状態を、
比喩的に表現したものであり、
「蝶」とは自由に羽ばたける自分の姿を現します。
また「蝶」はギリシャ語で「プシケ」といいます。
「プシケ」というのは「心・魂」という意味です。
潜水服の中に閉じ込められたボビー氏の魂(蝶)は、
まばたきで「本を書く」ことによって羽ばたき、
それは映画化され世界中の人々の心を飛び続けています。
おすすめの映画です。



▲▼▼9位 スポットライト 世紀のスクープ▼▼▼

監督:トーマス・マッカーシー
主演:マーク・ラファロ他
公開年・国:2015年(アメリカ)
リンク: http://amzn.asia/4ZePpLE

こちらも実話に基づく作品です。
ボストン・グローブ紙が同市のカトリックの司祭による幼児性的虐待と、
その構造的隠蔽体質を暴いたスクープ報道の物語です。
5人からなるスポットライト部署のチームワークが熱く、
そのチームワークとテンポの良さは踊る大捜査線を彷彿とさせました。
ご存じ2013年の「コクラーベ」で選ばれた現在ローマ法王に選ばれた、
フランシスコは歴史上初めて南米系の背景を持つ人物です。
カトリック教会の「性と金銭の腐敗」は、
「報道のタブー」に守られていましたが、
ボストン・グローブ社という、弱小ローカル紙のスクープが、
その趨勢を変え、司教による幼児の性的虐待の被害が、
全世界に知れ渡ることになりました。
フランシスコ氏が選ばれた年に私は、
そのフィーバーに沸くブラジルに行きましたが、
南米系の彼が選ばれた理由は、
「カトリックについた腐敗のイメージを払拭したい」
という動機が働いたと教えられました。
もしかしたらこの報道が、
ローマ教会のカトリックの歴史的転回の、
遠因になっているのではないかと推察されます。
、、、いろいろ書きましたが、
とにかく、映画として抜群に面白いです。
おすすめです。



▲▼▼8位 ヒメアノール▼▼▼

監督:吉田恵輔(原作:古谷実)
主演:森田剛、濱田岳他
公開年・国:2016年(日本)
リンク: http://amzn.asia/3ubZgqT

こちらは異色の作品です。
「行け!稲中卓球部」の作者・古谷実の原作による、
サイコスリラーです。「グロ・残酷描写が苦手」な人は、
是非、鑑賞しないことをお勧めします。
この映画はなんと言っても森田剛の演技ですね。
これに尽きると言っても良い。
森田剛のシリアルキラーの演技には最高に説得力がありました。。
中盤のシークエンスの暴力、暴力、そして暴力、、、
のシーンは悪趣味にさえ見えますが、
それは森田剛が演じる殺人鬼の「ある生い立ち」と関係していることを、
濱田岳演じる小学生時代からの友人がだんだん、
「思い出して」いくのです。
それを彼が「忘れていた」ところにこそ殺人鬼の、
「底知れぬ孤独とさみしさ」があり、
人の魂の深淵をのぞき込むような背筋が凍るような寒さと、
そしてそのなかにある「それでも消えないあったかい記憶」のコントラストが、
「新感覚の涙」を誘います。
小学生の頃一緒にファミコンをした、
「なんかよく分からないやつ」って誰にでもいると思うのです。
「あいつって、いったい何だったんだろうな?」と。
中学生になりそいつはいじめられ、やがて疎遠になり、
そして自分には「つきあうべきグループ」があるので、
2年、3年になると会話した記憶すらない。
「あいつ、いたっけ?」
でも「あいつ」のほうはあなたと小学生のとき、
お母さんの麦茶を一緒に飲んだことを鮮明に記憶しており、
「●●君、あのとき一緒に遊んだよね。」と覚えていたりするが、
なぜか数年間の「疎遠期間」ゆえに居心地が悪い。
、、、そんな「彼」から、大人になったある日、連絡が来る。
そして「彼」は「サイコな殺人者」になっている、、、
という、「どこにもないけれど、どこにでもある話」として、
この作品の語り口は絶妙です。
ただのバイオレンス映画ではありません。
ラストシーンは号泣する人も多いかも。



▲▼▼7位 あなた、その川を渡らないで▼▼▼

監督:チン・モヨン
主演:チョ・ビョンマン他
公開年・国:2016年(韓国)
リンク: http://amzn.asia/7atgrYx

これはですね。
実話、というより、ドキュメンタリーです。
「映画」というジャンルでくくって良いのかすら分からない。
主人公(本人)は、結婚76年目の夫婦。
89歳の妻と98歳の夫が、韓国の農村部で生活する、
その四季を、カメラがひたすらに追いかけます。
この作品におけるカメラは「その存在を消す」ことに徹しており、
あたかも自分が透明人間になって誰かの生活を1年間のぞき見しているような、
そんな感じのタッチです。
そこには何のメッセージもありません。
朝が来て、昼が来て、夕が来て、そして日が落ちます。
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来ます。
その間老夫婦はくだらない冗談を言い合い、
ときどき気まずい空気がながれ、
ちょっと言い合いをしてみたり、
親戚について話したりします。
何かを食べたり、花を摘んだり、
空を観てくしゃみをしたりします。
、、、そのすべてが、「ある出来事」を境に、
「人生賛歌」「純愛の物語」に変わります。
「ある出来事」とはそう、「98歳の夫の死」です。

ミスチルがかつて、
「愛はきっと奪うでも与えるでもなくて
 気がつけばそこにあるもの」と歌いましたが、
「幸せ」というのは追いかけたり奪ったり与えたりするものでなく、
「事後的にそこにあったと気づく」という形でしか味わえないのかもしれない。
だからこそ、今を一生懸命に生きよう、という、
「生の肯定」につながる作品です。
おすすめです。



▲▼▼6位 クレヨンしんちゃん モーレツ!オトナ帝国の逆襲▼▼▼

監督:原恵一
主演:矢島晶子(しんちゃん)他
公開年・国:2001年(日本)
リンク:http://amzn.asia/cHxrIq4

この映画は、「しんちゃん映画を超えている」という評判を、
私がよく参照する映画評論家が何人か語っていて興味を持ちました。
じっさいこの映画はすごいです。
「子どもだましでは子どもは騙せない」という好例です。
この映画は「完全に大人に向けて作ったものを、
子どもが観ても楽しめるようにカスタマイズする」
という方法で作られているのは間違いありません。
私が何より驚いたのは、この映画の公開が、
「ALWAYS3丁目の夕日」よりも前だということです。
「昭和を懐かしむという懐古趣味(ノスタルジー)によって、 
大人たちが骨抜きにされ、子どもたちが置き去りにされる」
というプロットは、完全に「ALWAYS3丁目批判」になっています。
昭和の護送船団方式とか、終身雇用制とか、
(昭和的な)地域社会のつながりとか、
当時残っていた体罰や暴力とか体育会系とか年功序列とか、
そういった「昭和という過去」を美化し、
あのころの栄光を取り戻す、という文法で語る、
「偽物の希望」にだまされるな!
というのがこの映画の熱いメッセージです。
「ニッポンを取り戻す!!」と言って第二次安倍内閣は発足しましたが、
「取り戻す」というのは「過去にこそあるべき姿があったのだ」
という前提に基づきますから、この映画は遠回しに、
「安倍自民党的なるもの」への批判にもなっています。

そうではない。
「希望や理想」は過去にあるんじゃない。

「私たちが目指すべき理想は過去にあるのではない。
 未来とは怖くても自分たちで作っていくものなんだ。
 希望というのは振り返って探すものではなく、
 何もない未来に、不安を抱きながらも、
 それでも自らの手で描いていくものなんだ!」
という確固たる意思が必要です。
「東京オリンピック2020」を、
私が一瞬たりとも支持していない理由はそこにあります。
あそこに漂うのは「1964の古き良き栄光の昭和よ、もう一度!」という、
土木利権と懐古趣味と脂ぎった加齢臭と森喜朗の個人的野心にまみれた、
「オトナ帝国の臭い」がただよっていますから。
東京都民としては「良い迷惑だ」としか思いません。
あんまり声に出して言わないだけで、
都庁職員の大半も私と同じ意見である自信があります。
(反論は受け付けます)

、、、来週はベスト5の発表です。
お楽しみに!



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永久保存版・2017年に陣内が読んだ本ベスト10(10位〜6位)

2018.06.06 Wednesday

+++vol.043 2017年12月19日配信号+++


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■2 2017年版・陣内が今年読んだ本ベスト10(前編)
お待たせしました、年末特別企画です。
普段私は読んだ本に点数をつけたりランキングしません。
ランキングすることで切り捨てられる大切なものがあるからです。
なので、この企画は「年に一度だけ」の特別企画です。
前編は10位〜6位まで、
後編は5位〜1位までのカウントダウン形式で、
ご紹介していきます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

▲▼▼10位:『古典経済は役に立つ』▼▼▼

著者:竹中平蔵
出版年:2010年
出版社:光文社新書
リンク: http://amzn.asia/g9BkYcj

▼解説:

「経済学」というのは、
なんか小難しい印象があるかと思うのですが、
けっこうこれを知っているかどうかで、
「社会を理解できるかどうか」が左右されたりします。

「新自由主義(リバタリアン)」と「共産主義」という左右両極があり、
「穏当な自由主義」と「社会民主主義」という、
もうちょっとそれをマイルドな政策にした派閥があります。
自由主義は小さな政府を目指し、
アメリカならそれは共和党の伝統で、日本なら維新の会の方針。
社会民主主義の(比較的)大きな政府は、
アメリカなら民主党の伝統で、日本なら民進党や立憲民主党系。
(日本はここが異常にねじれていて、
 自民党は「規制をぶっ壊す」や(少し前なら)「TPP推進」という、
 経団連への「自由主義アピール」をしながら、
 じっさいにやっていることは公共投資や「企業への賃金上昇勧告」といった、
 完全なる社会民主主義である、という言行不一致の乖離があります。)

、、、これは一例ですが、
こういった政治のことを論じるにも、
その「材料」として経済学の基礎知識は必要なわけです。

私も胸を張って「知っている」といえるほどは詳しくないので、
経済学者の弟や、銀行で働いている義理の兄に、
「これってこういうことだと思うんだけどどうかな?」
と聞いたりして教えてもらってます。

竹中平蔵さんのこの本は、
そういった「材料としての基礎知識」を得る上で、
これまで最も包括的で、しかもコンパクトにまとまっている、
最良のテキストでした。

本書で解説されている「古典」は以下の通りです。

・アダム・スミス『国富論』
・ロバート・マルサス『人口の原理(人口論)』
・デイビッッド・リカード『経済学及び課税の原理』
・カール・マルクス『資本論』
・ジョン・メイナード・ケインズ『雇用、利子及び貨幣の一般理論』
・ヨーゼフ・A・シュンペーター『経済発展の理論』『資本主義・社会主義・民主主義』
・ミルトン・フリードマン『資本主義と自由』
・F・A・ハイエク『隷属への道』
・ワーグナー・J・M・ブキャナン『赤字財政の政治経済学』

たとえば「富の源泉は労働だ」という概念はアダム・スミスに、
「生産手段の独占による労働者の人間疎外」はマルクス、
「公共投資の経済効果にはレバレッジがかかる」というのはケインズに、
「イノベーション」という概念はシュンペーターに、
「小さな政府」という概念はフリードマンに、
「政府は宿命的に焼け太りし赤字を垂れ流す」という概念は、
ブキャナンにそのルーツがあります。
ルーツを知っているかどうかで、
「知っている」のか、それとも、
「理解している」のかの差になります。

本書を要約するような「あとがき」を紹介します。
これは「古典」を踏まえた上で、竹中平蔵氏が、
現在の日本政府の経済政策に対してしている「提言」ですが、
私も大筋において彼に同意します。

→P222 
〈経済運営の基本は、アダム・スミスの指摘するように、
やはり市場の”見えざる手”を活用することである。
これなくして、経済運営はあり得ない。
同時に、ときにケインズの言うような大胆な政府介入が必要な場合がある。
これをためらってはならない。
そしてその背後で、つねにイノベーションが必要であり、
企業も一国経済も「成功の故に失敗する」という教訓を忘れてはならない。
まさにシュンペーターの指摘である。
また、あくまで自由を基本に、
政府が肥大化するリスクを避けるための絶えざる工夫が必要だ。
ハイエク、フリードマン、ブキャナンの警告である。
残念ながら、現下における日本の経済政策は、
これらをすべて無視、ないしは軽視しているように見える。
政府がやたらと市場に介入し“見えざる手”を活用していない。
それでいて、非常時の大胆な財政拡大・金融緩和には腰が引けている。
そして、ポピュリズムが先行し、企業・産業を軽視して、
結果的にイノベーションを軽視する結果を招いている。
何より、政府の肥大化を止めるという決意と工夫がない。
複雑化し激変する今日の経済状況だからこそ、
まさに「古典経済は役に立つ」のである。〉



▲▼▼9位:『他者の倫理学』▼▼▼

著者: 青木孝平
出版年:2016年
出版社: 社会評論社

リンク: http://amzn.asia/23zeEdw

▼解説

こちらは、佐藤優氏が絶賛していて興味を持ちました。
インマニュエル・レヴィナスの構造主義、
浄土真宗の開祖・親鸞の「絶対他力」、
そして世界的なマルクス研究者、宇野弘蔵の
「労働力の商品化」の論理という、
古今東西まったく違う3つの思想を、
「他者」という補助線を引くことで関連づけ、
ひとつの論を立ち上げています。

インマニュエル・レヴィナスは内田樹さんの専門分野で、
これまで私は内田氏の著作を通じて聞きかじってきました。
レヴィナスはユダヤ人(ユダヤ教徒)で、
私の理解では彼はユダヤ教の本質に軸足を置きながら、
「西洋化されたキリスト教圏の思想を、
 ユダヤ的に解釈することで半内在的に批判する」ことに長けた人です。
そしてレヴィナスの思想の根幹は「他者」にあり、
「隣人を愛する」という古くて新しい教えに、
新しい光を与えてくれる思想家です。

親鸞は言わずと知れた大乗仏教の開祖の一人。
私は2011年の東日本大震災以降、
親鸞に小さからぬ関心を抱いてきました。
漫画家の井上雄彦が東本願寺に「親鸞」の絵を、
奉納(というのかな?)しました。
震災後それが東北に運ばれた、というニュースとともに、
その屏風に書かれた井上雄彦の絵に圧倒されたのがきっかけです。
調べれば調べるほど親鸞という宗教的天才が出てきた当時の、
「末法の世」と、現代の日本が類似していること、
さらに親鸞の思想がイエスやルターのそれと酷似していることに、
新鮮な驚きを覚えました。

参考画像:井上氏が描いた親鸞
https://goo.gl/upx6vc

じっさい、日本人の神学者、八木誠一氏は、
「パウロ・親鸞、イエス・禅」という本を書いています。
ちなみに八木誠一の本はどれも面白いです。

参考リンク:「パウロ・親鸞、イエス・禅」
http://amzn.asia/aPnqB8O

、、、で、親鸞は「絶対他力」を言いました。
救済は100パーセント恩寵によるのであって、
人の善行は何もそれに加えられない、と。
これがあまりにキリスト教の教理と酷似しているので、
親鸞の師匠の法然が帰依した平安仏教の祖、
最澄・空海が中国留学中に、当時中国で流行っていた、
「景教」と呼ばれるキリスト教の影響を受け、
それが親鸞の救済観に影響を与えたのでは、
と類推する人もいるぐらいです。
もちろんこの説、「そういうことがあってもおかしくない」という、
「状況証拠」はあるのですが、歴史学の文脈の「物証」がありません。
とにかく、鎌倉仏教の教えは、
「絶対他力(悪人正機)」→「恵みによる救済」
「利他」→「隣人愛」という二大教理に支えられており、
さらには、「鍬(くわ)の一降りは念仏(祈り)である」という、
親鸞の教えは、「職業は神にささげる召し(ベルーフ)である」という、
マルチン・ルターの万人祭司の教理とそっくりです。

最後に宇野弘蔵ですが、
マルクスの「労働力の商品化」という部分から、
マルクスの場合「生産手段の独占」と「労働者の人間疎外」、
そして「階級闘争」と進むのですが、
宇野弘蔵はマルクスの「資本論」を、
「資本主義が構造的に抱える矛盾と、
 それでも恐慌と好景気を繰り返しながら、
 資本主義は半永久的に生き続けるのはなぜか」
という論理展開で読み解きます。
そして宇野の最もユニークな点は、
「労働」とは労働者が差し出す単なる商品ではない、
という点においてだ、と青木氏は言います。
そうではなく「労働力の商品化」という行為において、
人は「外部という絶対的に他なる者」に自分をゆだねる。
その「外部性」の重要性に気づいたところが宇野経済学の白眉だ、
というのが青木さんの指摘です。

つまり、レヴィナスも親鸞の宇野弘蔵も、
「他者という外部性」に救済(または愛・価値)があるのだ、
と論じている。
ポストモダン的現代世界というのは、
すべてが「主観」の一人称の世界に引きこもり、
「外部の欠如」によって行き詰まっています。
そのような現代に、彼の思想は一石を投じていると思います。



▲▼▼8位:『キリスト教とローマ帝国 小さなメシア運動が帝国に広がった理由』▼▼▼

著者:ロドニー・スターク
出版年:2014年
出版社:新教出版社

リンク: http://amzn.asia/g1DPEW4

私が現在翻訳中の書籍、
「If Jesus were Mayor(もしイエス様が市長だったら)」
(ボブ・モフィット著)に引用されています。
翻訳を開始した当初この本は英語でしか読めませんでしたが、
3年前に訳されていたことを知り、すぐさま読みました。

この本はローマ帝国で最初(宗教社会学による分類によると)、
「いちカルト」に過ぎなかったキリスト教が、
どうしてコンスタンティヌス帝によって公式の国教になるまでに、
その影響力と数を増大させていったか、という分析です。
歴史学や宗教社会学の分野で現在支配的なのは、
「社会や時代が教義の内容を形成する」という、
「進化論的社会学」の考え方だが、
逆に「教義の内容こそがその宗教を支配的たらしめる」ということもある、
というのが著者の指摘です。

引用します。

→P264 
〈昔と違い現代の歴史学者は、
社会的要因が宗教の教義形成に対して
どのように働いたかという議論に前向きである。
しかしその反面、教義が社会的要因の形成に
どのように働いた可能性があるかという議論となると、
いまひとつ乗ってこない。
これはとくに、キリスト教の興隆が
優れた神学に由来するという主張に対して、
アレルギー反応のかたちをとってしばしば現れる。
特定の歴史学者がアレルギー反応を起こすのは、
思想は随伴現象だとするマルクス主義的な時代遅れで
時にはばかげた説に彼らがどっぷりつかっているからだが、
また別の学者たちについては、
宗教の信仰それ自体にどこか居心地の悪さを覚え、
「勝利主義」(ある特定の教義が絶対に勝つとする信念)の
かすかな匂いにも顔をしかめる態度に由来している。、、、

、、、わたしの論旨はこうである。
キリスト教の中心教義は、人を惹きつけ、
自由にし、効果的な社会関係と組織を生みだし、また支える。
キリスト教が史上最も拡大し成功した宗教の一つとなったのは、
この宗教がもつ特定の教義によるとわたしは信じる。
そして、キリスト教が興隆したのは、そうした教義を具体化し、
組織的行動と個人の態度を導いた方法にあったと考える。〉

、、、ではたとえば、
どのような点でキリスト教の教義の内容は、
他のいかなる宗教とも違い、そして当時の人々を惹きつけたか、
それはローマ帝国で何度か大流行した疫病によって可視化された、
と著者は指摘します。

→P96〜98 
〈、、、この章では、古代社会がこうした災禍によって大混乱に陥っていなければ、
キリスト教は宗教としてこれほど支配的にはならなかっただろう、という説を述べたい。
それを三つの論点に沿ってこれから展開する。

論点のひとつめは、カルタゴの司教キュプリアヌスの著作の中に見られる。
多神教や古代ギリシャ哲学では疫病を説明しきれず、
癒すことも出来なかった。
逆にキリスト教は、人がそのような苦しい時代に
なぜ遭遇したかへの満足のいく答えと、
希望に溢れ情熱的とさえ言える未来像を与えた。

ふたつめの論点はアレクサンドリア司教ディオニュシウスの復活祭の手紙に見いだせる。
愛と奉仕というキリスト教の価値観は、
当初から社会奉仕と連帯という規範を生んだ。
災難が襲ったときでも、キリスト教は上手く対処でき、
そのことが実質的により高い生存率につながった。
そのため疫病が一つ終わるたびに、
キリスト教徒はたとえ新たな改宗者がなくても人口に占める比率を増やした。
さらに彼らの生存率の明らかな高さが
キリスト教徒にも異教徒にも「奇跡」とうつったことで改宗を誘ったに違いない。

、、、論点の三つ目が協調による統制理論の適用である。
疫病でかなりの人口がやられると、多くの人が人間的愛着関係を失うと同時に、
それによって結ばれていた既存の道徳的秩序から遊離する。
激しい疫病によって死亡率が高まるごとに、
多くの人が、特に異教徒が、
キリスト教に改宗するのを引き留めていたはずの絆を失った、と考えられる。
一方でキリスト教徒の社会的ネットワークの生存率のほうが優っているとき、
異教徒は失った絆をキリスト教徒とのつながりで
埋め合わせる確率が高まっただろう。
そのようにして、かなり多くの異教徒が、
おもに異教徒からなるネットワークから、
おもにキリスト教徒からなるネットワークに転じたのではないか。
どんな時代にもこのような社会的ネットワークの転向が
宗教上の改宗につながるのは、第一章で述べたとおりである。〉



▲▼▼7位:『ゲンロン0 観光客の哲学』▼▼▼

著者:東浩紀
出版年:2017年
出版社:株式会社ゲンロン

リンク: http://amzn.asia/jh4QWE0

▼解説:

団塊ジュニアの思想界の異端児、
東浩紀氏の「入魂の一作」です。
めちゃくちゃ面白かったです。

私たちが生きる現代世界というのは、
端的にいって「出口がありません」。
その出口のない隘路に陥った感覚というのは、
表層的には世界中のポピュリズム政党や、
カネだけがモノを言う弱肉強食の、
リバタリアンのユートピア(能力なき者にとってはディストピア)、
拡大する格差や環境問題、テロの脅威や経済の先行き不透明性、
そういった「現象」として立ち現れますが、
現象の薄皮を一枚はがすと、
「思想における出口のなさ」がその正体です。
共産主義の挫折によって「近代」という思想体系全体が行き詰まったことの、
諸現象を私たちは「閉塞感」と呼んでいるわけです。
だとしたら、「思想の世界で風穴を開ける」という、
脳に汗かく人々の存在はとても大切であり、
そういったことを自覚的にしている数少ない日本人のひとりが、
東浩紀だと私は思っています。

具体的に思想の行き詰まりとは何かというと、
「コミュニタリズム(日本で言うと日本会議的なるもの)」と、
「リバタリアニズム(日本で言うと橋下徹やホリエモン的なるもの)」の、
「カレー味のうんこと、うんこ味のカレーの二択」に陥っている、
「デッドロック状態」が思想における行き詰まりの正体だ、
と(かなり乱暴に要約すると)東氏は言っているわけです。

引用します。

→P131〜133 
〈コミュニタリアニズムの誕生は、
じつはリバタリアニズムの誕生と密接な関わりがある。
双方ともに同じリベラリズムに対する批判により生まれた思想だからである。
本論の主旨から逸れるのでざっとした説明にとどめるが、
20世紀のリベラリズムの理論は、
ジョン・ロールズが1971年に刊行した『正義論』で整備されたと言われている。
ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』は
じつはこの『正義論』への批判として書かれた著作で、
リバタリアニズムはそこから生まれた。
同じようにコミュニタリアニズムも、
『正義論』への批判として書かれた著作から生まれている。
そこで重要とされる著作は、マイケル・サンデルが1982年に刊行した
『リベラリズムと正義の限界』である。
サンデルはそこで、ロールズの義論は
普遍的な正義を追求する普遍的な主体(負荷なき主体)の存在を前提としているが、
それはあまりにも強すぎる仮定であり、実際には政治理論は、
特定の共同体の特定の価値観(正義ではなく善)を
埋め込まれた主体しか前提とすることができないと主張した。
この著作がきっかけになって、1980年代から1990年代にかけて、
英語圏の政治学でリベラルとコミュニタリアンのあいだで継続的な論争が起きた。
 
、、、リベラリズムは普遍的な正義を信じた。他者への寛容を信じた。
けれどもその立場は20世紀の後半に急速に影響力を失い、
いまではリバタリアニズムとコミュニタリアニズムだけが残されている。
リバタリアンには動物の快楽しかなく、
コミュニタリアンには共同体の善しかない。
このままではどこにも普遍も他者も現れない。
それがぼくたちが直面している思想的な困難である。〉

、、、では、どうすれば良いのか。
事はそんなに簡単じゃありません。
それが簡単ならば、もうとっくに出口は見えています。
世界で最も頭の良い人たちですら、やっと分かるのは、
「出口らしきもの(間違っているかもしれないが)」です。

余談ですがだから、
「答えは簡単!こうすれば良いんだ!」
と今の時代にやたら歯切れ良く言っている人は、
全員大嘘つき、もしくは単に絶望的なバカです笑。

東氏の言う「出口らしきもの」というのは、
「子どもとして死ぬだけでなく、親としても生きろ」との呼びかけです。
これは必ずしも生物学的な親となれ、という話ではありません。
子ども(誤配、不気味なもの、他者)は、
「自分にとって最も親密でありながら、
拡散し、増殖し、いつのまにか見知らぬ場所に
たどり着いてぼくたちの人生を内部から切り崩しにかかってくる、
そのような存在である。」(P300)と東氏は言います。
私たちは親が子どもに対するように
この世界と対峙すべきである、
そこにリベラリズムが失った「他者性の回復」がある、
と東は結論づけています。

、、、「他者性の回復」。

そうです。
第9位で先ほど紹介した「他者の倫理学」のテーマです。



▲▼▼6位:『素数の音楽』▼▼▼

著者:マーカス・デュ・ソートイ
出版年:2013年
出版社:新潮文庫

リンク: http://amzn.asia/5m3ClD2

▼解説:

これはもう、エンターテイメントとして最高でした。
「リーマン予想」という、
数学者リーマンが立てた、
「素数の出現頻度」に関する仮説は、
いまだに証明されていません。
この本の魅力は解説では伝わらないと思います。
「とにかく読んでくれ」としか言えません。

→P604 
〈エウクレイデス(ユーグリッド)は、
素数はどこまでいってもつきることがないという事実を証明した。
ガウスは、素数が、ちょうどコインの投げ上げで決めるように
でたらめに現れるだろうと予測した。
リーマンがワームホールをくぐって入った虚の風景では、素数は音楽になった。
そこでは、ひとつひとつのゼロ点が音を奏でていた。
こうして素数研究の旅は、リーマンの宝の地図を解釈し、
ゼロ点の位置を確定する作業へと変わった。
リーマンは秘密の公式を駆使して、素数がでたらめに現れるらしいのに対して、
地図上のゼロ点がじつに秩序だっていることを突き止めた。
ゼロ点は、でたらめに存在するどころか、一直線上に並んでいた。
あまり遠くまで見通すことができず、
常に直線上に並んでいるとは断言できなかったが、
リーマンは、並んでいると信じた。こうしてリーマン予想が生まれた。
リーマン予想が正しければ、素数の音楽に突出して強い音は現れず、
その音色を奏でるオーケストラは完璧にバランスが取れたものとなる。
だからこそ、素数にはハッキリとしたパターンがないのだ。
なぜなら、パターンがあるということは、
ある特定の楽器の音が他より大きいと言うことを意味するから。
ひとつひとつの楽器は独自のパターンを奏でるが、
それらが完璧に組み合わさることでパターン同士が打ち消しあい、
結局は混沌とした素数の満ち干となるのである。〉

純粋な数学理論って、「世の中と何の関係があるの?」
と思う人が多いし、実利的な考え方の人は、
「そんなのカネにならないじゃないか」とすぐに言います。
まぁ、そんなに焦らないでください。
素数と世の中が関係ないなんて、とんでもない。
もし素数の「法則」が発見されたら、
現在の世界はガラガラと音を立てて崩れるほどのインパクトがあります。

なぜか。

「素数がランダムに現れる」という性質を利用して、
保たれているシステムが身近にあるからです。
それはインターネット上のクレジットカード決済の暗号化です。
Aという大きな素数と、Bという大きな素数を掛け合わせた数が、
どの二つの素数で構成されているかを突き止めるのは、
最新のスーパーコンピュータを使っても、
何ヶ月もかかります。
この原理を使ってネット上の情報は、
「二つの素数によって施錠」することができます。
こんな「簡単なこと」が、
クレジットカード会社や銀行が顧客の情報を守っているのです。
「素数の秘密」を握った人はだから、
何百億ドルという財を手にする可能性を秘めているのです。
しかし逆説的ですが、何百億ドルを手にしたいという動機で、
数論に手を出しても、そんな「軽い」動機では、
「数学の女神」はほほえんでくれません。

数学の分野のなかでも「数論」は特に「魔の世界」で、
多くの天才たちがそれによって人生を狂わせ、
精神病に罹患し、ある人は自殺し命を落としています。
「リーマン予想」という未解決問題は、
今も数の冒険者たちの興味を惹きつけてやみません。

、、、というわけで、
10位〜6位をカウントダウン方式でお送りしました。
来週はいよいよ、5位〜1位の発表です。
お楽しみに!



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陣内が先週読んだ本 2017年12月第一週 『失敗の科学』マシュー・サイド 他2冊

2018.05.30 Wednesday

+++vol.042 2017年12月12日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■4 陣内が先週読んだ本 
期間:2017年12月第一週 12月3日〜9日
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

先週私が読んだ本(読み終わった本)を紹介していきます。
一週間に一冊も本を読まない、
ということは、病気で文字が読めなかった数ヶ月を除くと、
ここ数年あまり記憶にないですから、
このコーナーは、当メルマガの
レギュラーコーナー的にしていきたいと思っています。
何も読まなかった、という週は、、、
まぁ、そのとき考えます笑。

ただ紹介するのも面白みがないので、
twitterに準じて、
140文字で「ブリーフィング」します。
「超要約」ですね。
(どうしても140字を超えちゃうこともあります。
 140文字はあくまで「努力目標」と捉えてください笑。)

忙しい皆さんになり代わって、
私が読んだ本の内容を圧縮して紹介できればと思います。
ここで紹介した本や著者、テーマなどについて、
Q&Aコーナーにて質問くださったりしたら、
とても嬉しいです。


●失敗の科学

読了した日:2017年12月8日
読んだ方法:図書館で借りる

著者:マシュー・サイド
出版年:2016年
出版社:ディスカバー・トゥエンティワン

リンク:http://amzn.asia/3d9wVuY

▼140文字ブリーフィング:

義理の兄に教えてもらいました。
非常に、非常に、面白かったです。
著者の問題設定は、
「航空機事故は一貫して減り続けているのに、
 医療ミス、警察の誤認逮捕、裁判所の冤罪はなぜ減らないのか」
という疑問に端を発します。

報告されていないものも含めると医療事故というのは、
ものすごい件数が起きており、その死者数はアメリカ一国だけで、
毎月3回、9.11のテロが起きているのと同じぐらいになるそうです。
一方、航空機事故というのはこの数十年、一貫して下がり続けており、
飛行機は自動車よりはるかに安全な乗り物だということはもはや常識です。
具体的には飛行機事故の確率は100万フライトに0.37回。
生涯100万フライトした人、つまり80歳まで生きた人だと、
生まれてから死ぬまで一日休まず30回飛行機に乗り続けると、
3分の1の確立で事故にあいます。
つまるところ、殆ど宝くじに当たるような確率でしか、
私たちは事故にあいません。
一方、一生の間に自動車事故で私たちが死ぬ確率は、
車に乗らなくてもだいたい「200〜100分の1」ぐらいです。
(事故死の半分は歩行者ですから)
これはかなり高い。

人は感情の生き物なので、
「コントロールできないが低いリスク」を、
「コントロールできるが高いリスク」より高く見積もる、
という認知バイアスを持っています。
この認知バイアスが多くの不合理な行動を取らせるのですが、
この話はまた別の話なので今日は置いておきます。

、、、で、本書ですが、
著者は、
「なぜ航空業界はこんなに安全性が高まっているのに、
 医療はそうではないのだろう?」
ということの原因を探り始めました。

すると面白いことが分かってきた。

航空業界は「失敗を解析し、次の事故防止につなげる」
という確固たる意志と構造的な仕組みと、
そして失敗を報告することが報償され、
失敗を隠すことが懲罰される(そもそも不可能)という、
長年の経験知を積み上げてきてきたのです。
すべてのフライトで「ブラックボックス」と言われる、
操縦室のすべての音声と操作が録音、記録されているデータは、
飛行機が墜落しても壊れないようになっており、
そのブラックボックスは「宝の箱」と考えられています。

一方医療、裁判官、警察官の場合、
失敗を報告するインセンティブ(誘引)よりも、
失敗を隠蔽するインセンティブが高くなっていることが多い。
そこに共通するのは「権威の無謬性」と、
「検証を拒む態度」だと著者は言います。
医者や裁判官や警察官は、「自分が間違っていた」と、
言いづらい組織文化、精神構造を持っており、
その組織体質は「失敗から学ばない」ように構造化されている、
というのです。

医療ならば具体的には、
患者が死後の病理解剖に献体することを意思表示していても、
それが実際に行われるケースは究めて低い、というところに現れます。
つまり、解剖しちゃったら、「全部分かっちゃい」ますから。
どの部分が誤診で、どの部分が正しかったのか、
「答え合わせ」できてしまう。
それは困るわけです。
「医師は常に正しい」という神話が崩れてしまいますから。

航空機ならばどうでしょう?
何か大きな事故や「ヒヤリ・ハット」事象があったとき、
「病理解剖」は必至です。
ただちに「ブラックボックス」がまな板の上に乗せられ、
何が悪かったのか、何を改善すれば再発しないのか、、、
といった議論が行われます。
その議論には「対策という宝」が詰まっています。

「自分たちは無謬で失敗は悪である」と考えるか、
「人間は間違う。失敗は宝の山である」と考えるか、
個人や組織や業界には、この二種類があり、
長期的にみてその質を高め続けられるのは明らかに後者だ、
というのが著者の主張です。

詳述はしませんが、
二つの印象的な箇所を引用します。
ひとつは質の向上のためには、
「質より量!」だというのを証明する実験。
もうひとつは、
「日本全体が先ほどの意味で『前者(失敗を悪と考える)』だ」
という話です。

→P169〜170 
〈『アーティストのためのハンドブック
――制作につきまとう不安との付き合い方』の著者
デイヴィッド・ベイルズとテッド・オーランドは、
同書でこんな実験を紹介している。

ある陶芸クラスの初日、生徒が2組に分けられ、
一方は作品を「量」で評価し、もう一方は「質」で評価すると告げられた。
量のグループは最終日に全作品を提出し、
各自、総重量が50ポンドなら「A」、40ポンドなら「B」と評価される。
質のグループは質のみによる評価なので、
自分で最高だと思う作品を一つ提出すれば良い。

結果、面白い事実が明らかになった。
全作品中最も「質」の高い作品を出したのは、
「量」を求められたグループだったのだ。

ベイルズとオーランドはこう指摘する。
「量のグループは、実際に作品を次から次へと作って試行錯誤を重ね、
粘土の扱いも巧くなっていった。
しかし質のグループは、
最初から完璧な作品を作ろうとするあまり
頭で考えることに時間をかけすぎてしまった。
結局後に残ったのは、壮大な理論と粘土の塊だった」

似たようなことは政治分野でもみられる。
たとえば「制服の着用は規律を高める要因になるか」
と言う議論(空論になることも多い)があったとしよう。
こういう場合、政治家はすぐに心理学者に意見を聞き、
高い役職の人間を集め協議を開く。
これこそまさに無駄に綿密なトップダウン式のやり方に他ならない。
時間を浪費する代わりに、得られるものは「粘土の塊」だ。
本来彼らがなすべきなのは検証作業であり、
何をどうすれば本当に規律が高まるのか、
何が役に立たないのかをひとつひとつ実際に試すことだ。
もちろん失敗の数は増えるだろう。しかし、だかこそ多くを学べる。〉


→P302〜303 
〈失敗に対する姿勢の違いについて、
ここでは起業精神という観点から考えてみたい。
アメリカの起業家は、最初のベンチャーが失敗しても
そこであきらめることは滅多にない。
「自動車王」のヘンリー・フォードはその典型だ。
彼が最初に起業したデトロイト自動車会社は失敗に終わった。
次のヘンリー・フォード・カンパニーもそうだ。
そして3番目に創業したフォード・モーター・カンパニーで世界を変えた。
彼はこんな言葉を残している。
「失敗は、より賢くやり直すためのチャンスに過ぎない」

一方、日本ではまったく文化が異なる。
複雑な社会的・経済的背景の影響によって、
失敗は不名誉なものとみなされる傾向が強い。
失敗は、基本的に自分だけでなく家族にとっても恥なのだ。
ビジネスが失敗して非難されるのは珍しいことではなく、
非常に厳しく責任を追及されることも多い。

起業精神に関する統計を見てみよう。
世界銀行のデータによれば、日本の年間起業率はOECD諸国のなかで最下位だ。
2013年においては、アメリカの3分の1に留まった。
また「OECD科学技術・産業スコアボード2008」によれば、
ベンチャー投資額についても日本が最下位だ。
アメリカの投資額は、対GDP比で見ると日本の20倍以上になった。
同様のデータはまだある。
国際的起業家調査(グローバル・アントレプレナーシップ・モニター)では、
日本の18〜64歳の人口のうち、
起業活動を積極的に行っているのはたった1.9%という結果が出ている。
カウフマン財団(起業家育英などにかかわるアメリカの非営利団体)の調査によれば、
現在アメリカでは8人に1人(11.9%)が企業活動に従事しているという。
これは先進国の中ではほぼトップだ。

起業意識の違いが、経済全体に実質的な影響を及ぼすことは言うまでもない。
ウォートン・スクールの学生が書いた論説では次のように書かれていた。
「日本では『機会志向 Opportunity-driven』の起業精神が相対的に不足しており、
それが過去20年間の経済停滞の一因となっている」。
一方、アメリカでは、起業家精神が
経済繁栄をもたらした要因の一つと考えられているようだ。
「実証研究によって、機会志向の起業精神こそが、
現在の市場経済における成長の源だということが明らかになっている」
 
しかし起業精神の違いは、
本当に失敗の受け止め方の違いによるものなのだろうか?
その答えを出そうと、GEMは2009年、
イノベーション志向の先進諸国20カ国で、
起業に関する大々的な意識調査を行った。
結果は明白だった。
起業失敗に対する恐怖心が最も高かったのは、
日本人だったのである。アメリカ人は最低クラスだった。〉

、、、どうです?
インパクトがありますね。
失敗するのが嫌だからチャレンジしない、
という日本の文化が変わらなければ、
「失われた20年」は、「失われた30年」になり、
最後には「失われた国」になる日も遠くありません。
日本社会は「失敗を奨励する」方に舵を切らなければばならないと、
私はあらゆる意味で思うのですが、
子どもの将来の夢の第一位が「正社員(公務員)」であり、
メディアは失敗した人を嬉々として袋叩きにしていますから、
しばらくは望み薄かもしれません泣。

最後に本書に引用されていた、哲学者カール・ポパ―の名言を紹介します。 
「真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である。」
(3,637文字)



●ラストシーン

読了した日:2017年12月8日
読んだ方法:蒲郡のツタヤで書籍購入

著者:北野武
出版年:2017年
出版社:(株)ロッキング・オン

リンク:http://amzn.asia/ce0Bju4

▼140文字ブリーフィング:

70歳の北野武のインタビュー。
彼の書いたもの(語りおろし)を読むといつも、
とんでもなく頭の良い人だ、と私は感服します。
思考の切れ味というか、そういうのがハンパじゃない。
しかも彼の頭の良さの質は、文系ではなく理系のそれです。
漫才でもテレビ番組でも映画撮影でも、
彼は感性とかいうフワフワしたものに頼っておらず、
全部「素因数分解」の考え方で分解し構築している。
そして、そのギリギリのところを詰めると、
最後は「感性(情緒)」に行き着くことも知っている。
まさに日本が生んだ数学の天才、岡潔の思想です。
私の脳はかなり理系寄りなので、
余計彼の思考に心酔するのかもしれません。
(276文字)



▼▼▼リコメンド本「今週の一冊」▼▼▼

陣内が過去一週間に読んだ本の中から、
「いちばんオススメだったのは?」という基準でリコメンドします。
「いちばん優れていた本」というよりも、
「いちばんインパクトの大きかった本」という選考基準です。
皆さんの書籍選びの参考にしていただけたら幸いです。


▼今週の一冊:「失敗の科学」

コメント:
先週は実は風邪を引いてしまい2冊しか本を読めなかったのですが、
久しぶりに自信を持ってお勧めできる本を紹介できます。
勢い余って3,500文字以上紹介した、
「失敗の科学」。
すばらしい本でした。
今Kindleで、タレブの「反脆弱性」を読んでいますが、
まったく同じテーマです。
「失敗の科学」のほうが短くて読みやすいと思います。
買って読むに値する本です。超お勧めです。



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【Q】夫婦のデボーションはどうしてる?

2018.05.30 Wednesday

+++vol.042 2017年12月12日配信号+++

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■3 Q&Aコーナー

皆さんからお寄せ頂いた質問にお答えするコーナーです。

日頃の悩み、疑問、今更誰かに聞けないギモン、、、、
質問の種類は問いません。お気兼ねなくご質問をお寄せください。
ご利用は下記に基づいてご利用いただけると幸いです。

【Q&Aについて】
▼全てのご質問にお答えすることはできません。予めご了承ください
▼いただいたご質問は、ブログ・FVIメディアルームに掲載される可能性があります
▼本名での投稿の場合は「ペンネーム:無し」となります
▼必ず下記フォームからご質問を送信ください

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

【Q&Aコーナー専用フォーム】

▼URL
https://www.secure-cloud.jp/sf/1484051839NyovBkYI

※大変お手数ですが一つの1メール1質問を原則とさせてください。
ご協力宜しく御願い致します。

※頂いたメールはすべて目を通しております。
陣内俊への要望やメルマガの感想、激励などももちろん大歓迎です!

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

●【Q】夫婦でのデボーションはどうしてる?

ラジオネーム:ショウ(男性)
お住いの地域:静岡県

Q.

俊さん
いつもメルマガ配信していただき、ありがとうございます
毎週考えさせられながら読ませて頂き、
またメルマガが来ると もう1週間経ったのかと
忙殺されている日々も思い、内省してます

今週のメルマガで、ひとまずお休みとの事
それを聞き、お休み前までに是非聞きたいと思い、
また質問させて頂きました。

サロンの方も、興味ありますが。
ついでに言うと、世に弟子も行きたったです、、、
以前 結婚前のアドバイス について回答頂き ありがとうございました
教えていただいた本を読み、あーほんと自分勝手だなーと2人で話し、
そしてよく2人で祈るようになってます
俊さんのアドバイス 本当にありがとうございます

もう一つ教えていただいたのですが
俊さんは デボーションはどのようにしているのでしょうか
ブログの方に デボーション記事が上がっていますが、
僕は毎回あんな考察は出てこないです、、、
それに夫婦として、2人で行う時などのアドバイスもあれば嬉しいです
お子さんが生まれ、なかなか夫婦2人で
ゆっくりデボーション行うのは難しくなっているかも知れませんが、
俊さんの考えなど 聞かせていただければ嬉しいです


A.

ショウさん、ご質問ありがとうございます。
「よにでしセミナー」は次いつやるんですか、
というのは個人的に何人からも聞かれていますし、
すでにFVIに一件、お問い合わせいただいています。
次回開催の「よにでしセミナー」は、
2018年11月23〜24日(金・土)に、
札幌で開催予定です。
今から予定が開けられるようなら、是非ご検討ください。

「読むラジサロン」のほうも、
初回は試験的な内容になると思いますが、
新しい形の「学習する共同体」の形成を目指しています。
Evernoteのチャット機能を使って、
様々な交流や情報交換が出来る特別な場所になれば、、
と期待しています。
近日中に申し込み受付を開始しますので、
そのときには是非。

結婚前に祈る習慣を持つというのは、
本当に素晴らしいことだと思います。
私の周囲を見渡しても、
「一緒に祈る夫婦」というのは強いです。
「三つ撚りの糸は切れない」と箴言に書いてある通りですね。
自分と、相手と、イエス様ですね。

、、、で、ご質問の件に関してですが、
この答えは「ひとつ」ではないんですよね。

と申しますのも、
私たち夫婦は2012年に結婚してから、
そのデボーションや祈りの在り方を、
何段階かに分けて変えてきたからです。

それも、「じゃあ、今日からはこうしようか」
というような明白な節目があるわけでなく、
シームレスに、状況に合わせて、
形を適用させてきた、というのに近いです。

順を追ってご説明しますと、まず第一期。
これは2012年から2013年までの2年間。

この期間は、けっこう毎日、
朝、一緒にデボーションのときを持っていました。
方法論としては「3ポイント法」を使っていました。
どうやっていたかと言いますと、
最初にまずどちらかが祈ります。
創世記から初めて、1章(またはそのの半分)ぐらいを、
交互に一節ずつ読みます。
、、、で、その一節に対して、
「3ポイント」のいずれかを指摘します。

1.Question 疑問・質問
2.Arrow 弓矢(心に刺さった)
3.Light 電球の光(新たに何かを発見した)

この3つのいずれかがあるなら、
それについて分かち合います。
なければ、次の一節に進みます。

このとき、どちらかがどちらかに教える、
ということはタブーです。
それ以外なら何を分かち合っても良い。

「疑問・質問」は、たいてい脚注の引用を辿っていくと、
「聖書が聖書を説明してくれ」ます。
「光」は、「この箇所は今までこう思ってたけど、
実はこういう意味があることを今発見した!」という内容を、
「弓矢」は個人的な気づきのなかでも、
特に自分の生活態度や最近したことに関して、
神の意図に反していたなぁという、
「conviction(罪の自覚)」を分かち合います。
あまり長い箇所をやらなければ、
だいたい20分ぐらいで終わります。

さらに、この時期は朝ご飯を食べるときに、
「祈りのカード」というものを利用していました。
これは私の自作カード「質問カード」と、
宮古島の教会の早天祈祷会に着想を得たもので、
100枚ぐらいあるカードのそれぞれに、
「お互いの両親のために祈る。」
「○○教会のために祈る。」
「●●くんの結婚のために祈る。」
「俊の家族のために祈る。」
「友達の△△さんの病気の癒やしのために祈る。」
「日本の政治家のために祈る。」
などと、とりなしの祈り課題が書いてあります。
それぞれに一枚ずつ引いて、
一言ずつそれについて祈ります。
全部で3分もかかりませんが、
ゲーム性もあるので楽しみながらできます。

、、、この二つの組み合わせが、「第一期」。

第二期は私が病気になっていた、
2014年〜2015年まで。

この時期は私は祈れませんし、
デボーションも出来ていませんから、
妻が「俊くんの分も祈ってるから大丈夫」と、
私の代わりにデボーションしてくれていました。
私はいっさい何もしていません。
分かち合いをしようと思っても混乱してフリーズしてしまいますし、
聖書を開くことは恐怖以外の何者でもありませんでしたから。
カウンセラーにも聖書は読まないように、と言われていましたし笑。

第三期は私が回復した2016年から現在です。
この期間は私は毎朝ひとりでデボーションを持つようになりました。
方法論は、燃え尽きと鬱を経験した牧師、ウェイン・コデイロ師の、
「あなたを導く神様の個人レッスン」という本に準拠しています。

▼参考リンク:「あなたを導く神様の個人レッスン」ウェイン・コデイロ
http://amzn.asia/aQAA9ym

厳密にはこれと違いますが、
毎朝私は1章の聖書を読み、
そこから学んだことをEvernoteに記録し、
そしてタイトルをつけ、
何ヶ月か後に自分のブログにアップロードしています。
(アップロードする理由はデボーションを、
 習慣化するための「外圧」が90%、
 「誰かが読むかもしれない」が10%です。)

正確な手順を申しますと、
私のEvernoteには「祈りの記録」というノートブックがあり、
そこに「祈りのカテゴリ」のノートが現在87あります。
それぞれにテーマがあり、
だいたい3〜10ぐらいの項目が羅列されています。
「仕事」がテーマならば、
1.自分の仕事が社会の役に立つように
2.仕事を通して良い出会いがあるように
3.チームワークのため
4.それを通して自分が成長できるように
5.仕事を妨害するものから守られるように
などの項目があります。
(これはあくまで「参考」です)

私は毎朝タブレットの「タイマー機能」を使って、
このひと項目に1分を目安に祈ります。
5項目ある場合は7分に設定し、
最初の1分は神への感謝の時間、
最後の1分は主の祈りの、
「試みに遭わせず、悪から救って下さい」を祈ります。
間の5分に、5項目をそれぞれ1分ずつ祈ります。
声に出すことも出さないこともあります。

次に、タイマーを15分に設定します。
その15分で、先ほどの1章の聖書を読み、
Evernoteに記録する、というのをやります。
そうすると平均で2分〜4分、時間が余ります。

余った時間は「聖書の暗記」に使っています。
毎日3分ずつ使うと、
だいたい5つの聖句を覚えるのに2週間から1ヶ月かかります。
こうして私はこの2年で、95個の聖書箇所を暗記しました。

この「祈り」と「聖書」のルーティーンに、
だいたい全部で25分〜30分使っています。
、、、で、ブログにデボーションをアップするようになって、
この「履行率」は飛躍的に高まり、
2013年までの私は良くて7割、低いときは3割ぐらいだったのが、
98%から99%にアップしました。
「外圧」のおかげです。

チリも積もれば山となる、
という言葉がありますが、デボーションというのはまさにそれで、
私が一日10分祈ったとしたら、
1年間では3650分、つまり、
約61時間、まる2日半、寝ずに祈り続けているのと同じですし、
聖書を15分毎日読んだというのは、
1年にすると5475分、つまり、
約91時間まる3日半寝ずに聖書を読み続けたのと同じです。
これを一生続けたらどれぐらいの差が生じるかと思うと、
ものすごいことです。

妻は私とは別にデボーションをしていまして、
「デイリーブレッド」という小冊子を、
宣教団体から取り寄せて(お金を払って)、
それをベースに聖書を読み、お祈りしています。
ちなみに、お祈りしている妻は一番素敵です。
女性というのは、祈っているときが一番美しいのです。

さらに、「第三期」になって、
大切になってきたのは、
「MT(マリッジタイム)」と私たちが呼んでいる習慣です。

これは2012年に札幌で学ばせていただいた、
「マリッジコース」という、
クリスチャンの夫婦のためのセミナーで学んだもので、
私の人生で学んだ最も価値ある教えのひとつです。

原則は簡単で、
定期的に(本当は週に一回)、
夫婦でお互いの心を分かち合う時間を持つ。
それだけです。

これは「第一期」から続けていたのですが、
最初毎週だったのが途中私の病気で中断し、
それから再開して、2週間に一回になり、
今はだいたい1ヶ月に一回ぐらいのペースに落ち着いています。

このときに私たちは、
「最近自分が感じていること」や、
「最近教えられていること」を分かち合い、
向こう1ヶ月のお互いの予定を確認し合い、
二人が関わることはどうするかを相談します。
最後に、それぞれ、
「自分の祈り課題」と「共通の祈り課題」を、
1分ぐらいかけて考えて、
それらを分かち合います。

そうすると、二人とも、
1.自分の祈り課題
2.配偶者の祈り課題
3.共通の課題
という3つのカテゴリで、
箇条書きにされた祈りの課題が仕上がります。
私はそれをEvernoteに記録し、
妻はそれを手帳に書きます。

そしてそれぞれのデボーションの時間に、
私たちはそれを祈るわけです。
「夫婦で同じ内容を祈っている」
ということは、非常に大切なことだと、
私はますます強く思うようになっています。
自分がどこか他の場所で奉仕していても、
妻が祈ってくれている、という安心感がありますし、
私が出張中でも、妻が今何に悩んでいるか知っていて、
それについて祈ることが出来ますから。

子どもを授かってからは、この重要性はさらに増しています。

、、、で、
ショウさんもご指摘されているとおり、
子どもが授かると、当然授かる前のように、
「さあ、明日は近所のカフェに行ってMTしようか」
というのは難しくなります。
しかし生まれてから3ヶ月、コンスタントにMTを持てています。
先日は子どもが寝た隙をねらって、
「ささっと手際よく」20分ほどでMTを完遂しました。

私たちはMTをするときは(心理的には負荷がないわけでなはいので)、
「インセンティブ」を作るために、
近くのカフェに行くとか、それが無理な場合は、
コンビニのスイーツを買ってきて、
珈琲を淹れて、ちょっと楽しい時間にします。
そうやって「デート要素」を加えることで、
義務的なマンネリになることを避け、
「またやりたいなぁ」と思うようにするわけです。

、、、あ、あと、「祈りのカード」も健在です。

今も食卓にカードは鎮座しており、
時々思い出したように「久しぶりにやりますか?」
という感じでカードを引き、一言ずつ祈ります。

、、、結構長々と書いてきましたが、
結論を言えば、夫婦のデボーションというのは、
「体系化できない」というのが本当なのではないかと思います。
これまでも状況が変わるのに応じて変えてきましたし、
これからも何度も変わることがあるでしょう。

「第一期」のところで分かち合ったことからも分かるように、
私たち夫婦は最初、大阪でいうところの、
かなり「イキって」いました。
気合いが入っていたのです。

三浦綾子さんや三浦光世さんの伝記を読むと、
「5時半に起きて、朝食前に6時に二人で聖書を開き、
 そして1時間ほど聖書を分かち合って祈り合ったのでした」
みたいのが出てきて、それを目指しちゃうわけです。
志が高いのは良いことですが、多くの場合それを続けるのは困難です。

むしろ、ひとつの原則をもって、
柔軟に対応できるようにしておいたほうが強い、
と今は思うようになっています。
特に子どもが産まれたり、仕事の内容が変わったり、
引っ越したり、誰かが病気になったり、
予測不能な事態に対処し続けるのが「人生」ですから、
たいせつなのは「可塑性」だと思います。
「ダイヤモンドのように固い意志と確固たる習慣」よりも、
「粘土のように柔軟に対応できる習慣」のほうが強い、
と私は思うように変わってきました。

、、、で、そのような「可塑性の高い習慣」を身に付ける場合、
ふたつの「姿勢」を私は大切にするようにしています。

ひとつめが「引き出しの数」です。
ご紹介してきたように、
「キッチンタイマー法」、「Evernote」、
「祈りのカード」、「MT」、「3ポイント法」など、
私は様々な「ひきだし」を持っています。
きっと世の中にはまだまだ沢山の「祈るためのメソッド」があるはずで、
それらを今後も仕入れ、そして自分用にカスタマイズし続ける所存です。

これは野球のピッチャーで言えば、
「球種が多い」ということであり、
そうすることで状況が変わったときにも対応しやすくなります。

「大声で祈る」という一種類しか祈りができない人は、
大学の寮に入寮したら、その習慣を続けるか、
「変人のレッテル」を貼られるかしかありませんが、
祈る方法を「静寂の祈り」「神に手紙を書く祈り」
「優れた祈祷文を読むという祈り」「絵を描くという祈り」など、
いろんなバリエーションで持っていればその人は環境の変化に対応できます。

ふたつめの「姿勢」は、「楽しむ」ということです。
「祈りのカード」に代表されるように、
私は何か習慣を作るとき「遊び心」を忘れないように意識します。
それは私がきわめて自堕落で怠け者な性格であることを、
よく自覚しているからです。

なので、
「入り口がつまらないけれど、
 やれば楽しく、その果実は大きいこと」を、
習慣化するときには必ず、
その行動と「快」を感じる何かを混ぜ合わせるのです。
「祈りのカード」ならばその短さとゲーム性であり、
「MT」ならばコンビニのデザートと美味しい珈琲です。

、、、と、ここまで書いてきましたが、
けっこう大事なのは「夫婦で霊的な事柄を分かち合う」というための、
ボトムラインがありまして、二人がそれぞれ、
「一人で神との時間を持つ習慣」
を持っているということです。

もし私がキリスト教徒でない人、
もしくはデボーションの習慣を持たない人と結婚していたら、
今、私は毎朝聖書を読んで祈る習慣を持っていないと、
自信をもって言えます笑。

たしか来年の3月とおっしゃっていたと記憶していますので、
ご結婚までもうすぐですね。
良い備えをして、
素晴らしい結婚生活のスタートを切られるように、
心よりお祈りしています。
結婚「式」も、結婚「生活」も両方、
素晴らしいものになりますように。




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